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2008年11月18日(火) 62日目この日は、世界遺産:ハンピの東遺跡群を見に行きました。その道中にて、おや? 一寸法師か? と言うような舟を見ました。あらー? こちらには、女性が二人乗っています。一寸法師ではないですねー!網を投げ入れています。女性の漁師さんですな。この辺りの実用舟のようです。こんな感じで漕いでいます。中は、こんな風に作られています。 トゥンガバドラー川です。この川でも、一寸法師風の、舟が渡っていました。お、おおー! 黄色いサル発見!いや、違います! 笑っています。少女ですよ? 何しているのでしょう?この木に登っています。これです。これを取っていたのです。ハッティとか言っていました。一つ貰って食べましたが、あまりおいしくはありません。味があまりないのですよー。一緒に、取ったり、拾ったりしていたら、仲良くなりました。彼女達、手には例の、ヘーナ(Heena)って言うのかな? スペルからすると。それを、手に描いていましたので、写真に撮らせて貰いました。
2008.11.20
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2008年11月18日(火) 62日目ハンピはヘンピ(辺鄙)な、ところにあります。しかし、ハンピはハンパ(半端)でないほど、素晴らしい村です。ハンピ - ヘンピ - ハンパ おー! 繋がっとるのー!いきなり、面白くもない、オヤジギャグで始まりましたが、ほんとに辺鄙な場所なんです。世界遺産なのに、大きい都市からの直通バスもないし、町とも言えない村なのです。しかし、世界遺産の遺跡だけでなく、この辺りの雰囲気も素晴らしいのです。ほんと、半端でないほど、良いのです。原則、1日1回で、 ブログは纏めて来たのですが、ここは、1回ではとても、とても、描き切れません。従いまして、たぶん、5~6回になろうかと思います。それほど、お奨めなんですよ!それでは、「世界遺産ハンピ巡り」、始まります!============================ケララ州の天候は、真っ青な青空がなかったような気がします。やはりカメラのせいではないですね。タミールナードゥのマドゥライ以来、完璧な青空はなかったです。本日も、完璧とは言い難いですが、青い空が少し顔を見せています。ここが、ハンピのメインストリート、地元の皆さんはバザールと呼んでいます。バス停を出るとすぐバザールですが、そこを左手の一番奥が、ヴェルーバークッシャ寺院です。典型的なヒンドゥー寺院です。本日は、歩いてしか行けない、東遺跡群を見に行くことにしました。確かに、このように、岩ばかりで、車も自転車も、通ることは不可能です。 岩の道を登りきったところ、突然、寺院が見えて来ます。これが、アチュタラヤ寺院です。さらに歩いて近づいてみると、参道がこんなにも長いのです。隆盛期は、すごい寺院だったのでしょうねー! さすが世界遺産です。判り難いでしょうが、寺院内の建物を、3枚お見せします。 これが、参道の片側です。ここは柱しか残っていませんが、この上に屋根もついています。気温は、それほど高いとは思わないのですが、ずっと歩いていると、汗も出てきます。その分、そよ風か、気持ち良いのです。喉が渇いたので、ココナッツで、喉を潤おします。14ルピー、30円位です。そして、ハンピのハイライトと言われる、ヴィッタラ寺院にやって来ました。しかし、ここは、現地人10ルピーに対して、外国人は、250ルピーも入場料を取ります。白人のおばはん、こんな差をつけるのは異常だ! と怒っていました。ですが、旦那さんらしき人が、入場券を2枚買ってきたようです。アジアの星一番は、と言えば、入場するか迷っています。そしたら門番が、「この後ろの小山の上へ登れば、全景が見えるから、入らなくても良いよ」、とかアドバイスしてくれるもので、せっかくの世界遺産、入らずに帰りました。しかし、幸運の女神が、アジアの星一番の後ろに控えているのか、ここで、入場しなかったのは、大正解だったのです。
2008.11.20
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本日、2回目の更新です。世界遺産の街、ハンピなので、ネットカフェは沢山あり、その点は、問題ありません。==============================2008年11月17日(月) 61日目さて、ハンピへ向かいます。フセインの故郷、ケララ州は、とっくに過ぎ去り、マイソール、バンガロールと、カルナータカ州です。向かっている、ハンピも同州です。実は、始めの計画では、ハンピへ行く予定はありませんでした。バンガロールからゴアへ行き、ムンバイへ抜けるつもりだったのです。しかしながら、コヴァーラムで、プリー以降、初めてあった日本人の方より、ハンピは、最高だった、と聞いて、急遽、予定を変更したのであります。さて、バスです。最高級バスでなく、普通のローカルバスです。しかし、客が少なく、乗り心地も最高です。座席が、布製だと埃を吸って、綺麗そうに見えても、叩くと、ゴホッゴホッっと咳が出るくらい、埃が出ます。ですが、このように、ポリ製だと、拭けば綺麗になります。 道路も片側2車線で、インドでは、初めてかなー? こんな高速道路は。道路状態も良いので、ガタガタしないし、高原なので、風も爽やかだし、いやー、夜行列車にしないで良かったなー! 100ルピー程度の手数料支払っても、バスの方がよかったわい! とニコニコしながら思いました。注:全線がこんなに良い道路ではなく、本日走った、全体の半分程度は、 この位で、残りの半分は工事中か、ガタガタ道でした。車窓には、山も見えて来ます。 あれ? 何か風車のようなものが、沢山見えますねー!エジプトの紅海沿いにも沢山ありました。風力発電やっているのですねー!そこを過ぎると、荒地か、畑が続きます。北インドや、南インドのように、稲作は出来ないようです。畑がずっと続きます。 バンガロールからハンピへの直接のバスはありません。ホスペットと言う町へ行き、そこから、乗換えで、ハンピへ行きます。朝、汽車のチケットを1時間掛かって、キャンセルし、その足ですぐ、9時20分のバスに乗って出発しました。ハンピ着は、19時35分。本日も、10時間のバス移動でした。夜も遅いので、気に入った宿ではないのですが、取り合えず、1泊ここに泊まります。SHIVA GUEST HOUSE と言います。250ルピーですから、エアコンなしの水シャワーのみです。食事に行ったら、レストランに、Arabic Heena と言うデザインブックが置いてありました。中東では、よく見た、ヘンナとか言う手に施すものです。こう言うのが、あるのですね。これを見て、注文するのでしょう。足用のデザインもありました。
2008.11.19
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2008年11月16日(日) 60日目マイソールへ昨夜遅く着き、午前中、マハーラジャ宮殿を見ただけなのに、もう、バンガロールへ移動しています。エアコン付き、デラックスバスです。たった3時間のバスの旅なのに、225ルピーもします。バス内もデラックスですが、値段もデラックスです。金持ちばかりなので、車内も落ち着いています。因みにこれが、最高級で、次が、175ルピー、最下位が、確か125ルピーとか言っていたと思います。バンガロールは、とても大きな都市です。インドの田園都市と呼ばれているらしいですが、長距離バス停や、汽車のシティ駅周辺を廻っても、そう言う雰囲気はありません。この日も、夕方5時半にバスで着いたので、バス停近くの宿にしました。370ルピー、800円弱です。明日の夜行の列車のチケット(バンガロール→ハンピ)は購入済みです。ですが、買った時から、今でも、ずっと迷っています。夜行列車でなく、バスで行こうかなー? と。スリーパー席しか買えてないし。一晩、迷った末、やっぱりバスで行くことにしました。朝、一番で、シティ駅へ行って、チケットの払い戻しをしました。バンガロール →ハンピ 213 →159ルピー(-54) 25%減ハンピ →ゴア 182 →142ルピー(-40) 22%減何と、取り消し手数料を、25%も取られてしましました。まぁ、しかし、バスですぐに移動できるので、よしとしました。と言うことで、バンガロールは、全く市内の見どころも足を運ばず、全く見ないで、素通りすることになりました。何で、そんなに先を急ぐのか分かりませんが、まぁ、一人旅ゆえ、気の向くまま、行きたい時に、行きたい所へ行くのです。痒い痒い病ですが、痒さの峠は越したようです。しかし、まだ、ポツポツノ内部に、痒みの元が残っていますので、もう2~3日は、痒さが続くものと思われます。こんな写真アップして、気持ち悪いですねー! へぇ、すんまへんでした!身体中に、こんなのが出来ているのです。
2008.11.19
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2008年11月16日(日) 60日目昨夜は、マイソールに、午後9時40分に着きました。それから、宿探しでしたが、行く宿、行く宿、どこも満室で、参りました。ここは、標高770mなので、エアコンは不要です。ですから、安宿に泊まろうと目星を付けておきました。しかしながら、バス停近くは、満室です。あるのは、エアコンも付いてないのに、600ルピーとか、高い部屋です。夜も遅いので、オートリクシャーを捉まえて、美術館近くの安宿行きました。そしたら、ひぇー! ここも満室です。おまけに、リクシャーの運ちゃん、メーターで行ったのですが、夜の10時を過ぎたら、50%増しだと言いやがり、かなり揉めました。「乗る前に、きちんとメーター通り、と言うことで話済みだろ!降りる時になって、50%増しはないだろ! 乗るとき10時を過ぎていたのだから、そうだとしても、言わないお前が悪い。絶対にメーター分しか払わん!」長い説明と言うか、文句を言ったのです。そしたら、ぐちゃらぐちゃら、「ホテルのフロントに、ここの運転システムを聞けだの」、何やら言ってました。が、15ルピーだけ、運転席に叩きつけて、さっさとホテルへ向かいました。ホテルは、又もや満室でガックリと、肩を落としてホテルから出て来ると、そいつ、まだ待ってました。「この野郎!まだ50%取るつもりで待ってたのか! 勝負すっか!」と思ったら、先ほどの勢いはどこへやら、ニコニコしています。バス停近くまで戻りました。リクシャーの運ちゃん、今度は、15ルピーなのに、「サンキュー!」、とか言って喜んでました。何が50%増しだったのでしょうか?こんな部屋しか見つからず、450ルピーです。夜、遅く着くのは、考えものですねー。安ホテルが見つからなかったら、ある物、みんな着て、ショルダーバッグを枕に、バックパックは、鎖で身体に付けてロックして、公園のベンチか、路上に寝なければならないか?とまで思いました。見つかって良かったです。まだ、路上生活者にはなりたくないのです。さて、前置きが長くなりました。(いつもの、事ですが・・・。)マイソール最大の見もの、マハーラージャ宮殿への道を急ぎます。おー? 宮殿の一部かな? と思ったら、単なる道路の中央にあるものでした。南門まで来ました。門は四方にあるのですが、南門からしか入れません。面倒ですが、仕方ないです。写真撮影は禁止との事であります。「200ルピーも取って、撮影禁止かよ!」と怒りたい所です。インド人は、ここでも20ルピーです。バングラデシュの世界遺産、バゲルハットで、バングラ人に成りすましたように、又、インド人に、成りすますか? と一瞬、黒マジックを探しました。そんなもの、都合よくある訳ありませんし、塗ったら、後が面倒です。ですが、あの時、反省し、多少のお金は支払う事に決めたのを思い出しました。僕の隣で、白人のおっさんも、迷っていたようですが、意を決したように、財布を出しました。よって、僕も財布を出して、晴れて入門したのであります。この上の写真を撮ったあと、「カメラは持込禁止じゃ!」、と、預り所へ行くよう係員から、指示がありました。200ルピーも取って、その上、カメラ預り料を、5ルピーも取るのです。「ぼったくりじゃーねぇーかー! このー!」、と怒りがこみ上げて来ましたが、計算してみりゃー、たったの10円ですから、「まぁ、いいか!」、と怒りを納めたのであります。そして、その宮殿へ入る時に、靴を脱がされます。そして、それを預けねばなりません。そしたら、又々、金取るのです。「いい加減にせぇーや!」、と思いましたが、0.5ルピーです。計算してみりゃー、1円です。まぁ、1円くらい、払ってやろうじゃーねぇか、と、気前良く、1ルピー出したのです。「釣りはいらねぇー、江戸っ子でぇ~!」、などとは、言ってません。1円だろうが、2円だろうが、きっちり、筋は通します。貰います。返して貰います。ところが、下足番のおっちゃん、お釣りをくれません。1ルピーだから、2円です。1円のお釣りを貰わねばなりませぬ。「お釣りを、よこせー!」、と言ったら、下足番のおっちゃん、何を血迷ったか、ヒンドゥー語か、何語か分からん言葉で、グジャラグジャラ言うので、こちらも「はよー、お釣りをよこせ!」、ともう一度言いました。そしたら、血迷った下足番、預り券を、この僕から、奪い取ろうとしました。「なにすんじゃー、このー!」、と、その後は、日本語で、「たかが1円であろうと、お釣りはきっちり返せ! 何を考えているんじゃ”! ドアホ!」、と叫びました。廻りの人たちは、「何事があったのか?」 と僕と下足番を見ています。こうなったら、後へ引けません。何て言ったろか? と思案中、下足番の奴、1ルピーを返してよこしました。「俺はな、1ルピーを返せっていっているのじゃーないの! お釣りの0.5ルピーをよこせと言っているんじゃっよ!」、」、と、先ほどからの続きで、日本語で言います。しかし、1ルピーを受け取りません。押したり戻されたり、の繰り返しです。怒った顔しているし、どうなってんじゃ? と思いましたが、ひとまず、この勝負には僕が勝利した訳であります。1ルピーを財布に納めて、宮殿内部の入り口へ向かいました。しかし、何とも、すっきりしない精神状態です。宮殿入り口での、荷物チェックも厳重です。人は、どえらく多いし、うんざりします。たった20ルピーしか払わん現地人と、大枚200ルピーも支払った、貧乏外国人も同じ待遇です。ちったぁ、差別待遇せぇよ! と怒鳴りたくなります。何だか、近頃、怒りっぽくなってませんか? アジアの星一番さん?そう言えば、怒りっぽいかなー? 精神状態が不安定みたいです。「外国人の方は、こちらへどうぞ!」、物腰の柔らかい、英語の流暢な男性が、言いました。その手の先の方を見ると、ガイド何とか、とか、書いてあります。そちらへ行くと、入場するか迷っていた白人が、「2000ルピー!」ってな、素っ頓狂な声を出していました。見ると、それはデポジットであって、外国人には、無料でイヤホン付きの音声ガイドを貸してくれるようなのです。う~ん、これには感動しました。外国人からは、ふんだくってやれとばかり、高い入場料を取っておきながら、何のサービスもない観光名所がほとんど全部でした。しかし、ここは、何と、気の効いたサービスをするのでありましょうか?おまけに写真つきのガイドブックも無料で配布されました。一部をお見せしましょう。ヒンドゥーの神様が、悪人をやっつけたところが、絵になっております。当時の様子を示す絵画や、肖像画などが、壁には飾られています。王家の使った部屋も、見る事が出来ます。これが、宮殿の中の、一室です。実物は、もっと素晴らしいです。全体の造りと言い、宮殿の中と言い、パリのベルサイユ宮殿を思い起こさせます。(言っときますが、ベルサイユ宮殿は、2回行ってるので知ってます。)この、マハーラジャ宮殿、素晴らしいです。アーグラのタージ・マハルに匹敵する素晴らしさです。タージ・マハルは、お墓であり、ここは宮殿なので、比較にはならないと思いますが、それほど、素晴らしいです。お金がかかっているなー! と言う造りと、内部です。1897年から16年の歳月をかけて造られたそうですから、まだまだ、最近の建物です。マハーラジャとは、インドの王様の尊称なので、マハーラジャ宮殿と言うのは、他にもきっとあるのでしょう。しかしながら、ここのマハーラジャは、インド最高の大金持ちの争う藩主であったとの事ですから、この宮殿のすごさが分かります。外から見た、マハーラジャ宮殿です。追記宮殿の内部を見てから、靴を取りに行きましたが、その時に、1ルピーをきちんと支払いました。下足番のおっちゃん、普通の態度で、0.5ルピーを返してくれました。どうも、あの時、お釣りがなかったようです。あんまり、怒ってはいけませんね。日本人の評判を落とします。怒りっぽくなったり、イライラしたりするよなー? と自分でも感じていました。なんでやろ? と考えて見ましたが、思いつきません。旅慣れして来たからなのか、旅に飽きて来たのか、あまり良い傾向ではありませんね。気を付けましょう。
2008.11.18
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2008年11月15日(土) 59日目身体中が、痒くて仕方ありません。蚊ではないです。蚊対策は常に万全を期しています。そして、蚊ならば、どこを刺されたか、概ね分かります。今、蚊には刺されないであろう、お腹や、背中、太股の後ろや、側面なども痒いのです。一直線に10個位プツプツが出来ている箇所もあります。チェックして見たら、その痒い所のどこも、ムシ刺されの後のように、プツプツが出来ているのです。昨夜の宿、アレッピーのベッドに、南京虫でもいたのかなー?ボディボードで傷ついた、お腹は、カサプタのようになっていて、痒くはありません元々、虫刺されの後の治りが悪い体質で、掻いてしまうと、ひどい時は、ジュクジュクといつまでも、治らない時などもありました。持参のメンタームのかゆみ止めを塗って、出来るだけ掻かないようにしています。それから、インドへ来てから、首から上、顔と首がベタベタして仕方ありません。汗を掻くからかなー? とも思いましたが、サウジでは、汗はもっと掻いたと思いますが、そんなにベタベタした記憶はありません。食べ物のせいかなー? いつだって、カレー定食食べてますから。カレー定食がない夕食時は、フライドライスばっかりです。どっちも油が多いでしょうか?そう言えば、日本食は、コルカタの元勤務した会社の寮で食べさせて貰ってから、1回も食べてません。食いてぇーなー! ポカラのカツ丼も、うまかったなー!食事のせいでないとすれば、湿気のせいかなー? 脂ぎっているのです。いずれにしても、顔を洗える時は、いつでも洗ってます。さて、コーチンは、ネット屋はあるのですが、日本語の使用できる所は、一つも見つからなかったし、大体、見どころも見たので、移動する事にしました。コヴァーラムでゆっくりしたせいか、何だか、調べて移動するのが億劫になっています。リゾートモードから、旅モードに移行していないようです。どこに、そのモードスィッチがあるのかも分かりません。心の中なのかなー?これから、インド内陸部のマイソール、バンガロール、ハンピなどを廻って、再び海岸部のムンバイへ出ようとしています。リゾート地のゴアはパスしようと思っていました。(コヴァーラムで堪能したので。)昨日、汽車の切符を買いに行ったら、コーチンからバンガロールまでは、全て売り切れで席がありません。バンガロールから、ハンピまでは、エアコン席の2等も1等も売り切れです。仕方なく、スリーパーと言う代物に、初めて乗って見ることで、購入しました。ハンピから、ムンバイまでの直行列車がないと言うので止む無く、ゴアまでのチケットを購入しました。インドの汽車での移動は、チケットの購入が面倒ですね。切符を買ってしまってから、これで良かったのかなー? と反省仕切りです。後ろでは、インド人が並んで待っているし、係員もあまり親切でないので、滞在日など、慌てて頭で計算して買ってしまったのです。ゴアへ行く気ないのに、ゴアまで買ってしまいました。と言うことで、コーチンを後にして、マイソールへ出発です。お馴染みのバスに乗ります。さて、次の写真は何でしょうか?物置棚の鉄の棒と、つかまる為の鉄の棒の間にある、細い紐に注目です。バスの後ろの方へ辿っていくと、こんな風に、垂れ下がっているのもあります。バスの後部座席から、一番前の運転手の横まで続いています。一番前には、鐘のようなものが付いています。 さて、これは、何でしょう?正解は? 乗務員から運転手への連絡用です。降りる客がいる時は、「チン!」、と1回鳴らします。「止まって頂戴!」って合図です。「チンチン!」、と2回鳴らすときは、「出発して頂戴!」って合図です。仲々、風情があって、よろしい合図ですねー!乗務員が、どこにいても、後ろから前まで延ばされた紐で合図を送れます。これは、ケララに入ってからのバスに付いていたように記憶します。北インドの方では、乗務員がドアをバンバン叩いて、「出発しろ!」って合図を送っていました。それはそれで、迫力あって面白かったですが、風情に欠けます。どこだったかなー? タミルナードゥのどこかだったか?笛を乗務員が持っていて、「ピッピッピッー」、と耳がうるさい! って怒るほど鳴らしていました。全インドのバス、このケララ方式を、採用して欲しいですねー!そしたら、世界中から「チンチンバス」って名称で親しまれるでしょう。コーチンからトレッショー。トレッショーからカーリカットカーリカットからマイソール。バスを3回乗り換えて、海岸沿いから内陸部へ向かいました。カーリカットを出発すると、ほどなく、山を登り始めます。椰子が少なくなって来ました。標高は、どの程度でしょう? 涼しくなって来ました。お茶畑が見えて来ました。コーチンを、朝7時10分出発。マイソールには、夜の9時40分到着。本日は、14時間30分の、バス移動でした。あぁー、ケツ痛ぇー!
2008.11.18
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2008年11月14日(金) 58日目女子高校生に惑わされて、余分な時間を食ってしまい、ギリギリ、セーフで、船の出発時間に間に合いました。これが、船です。バックウォーターの船とほぼ同じですねー。コーチンは、島が多く、ジェッティーから、船で行き来します。今は、観光船に乗っていますが、実用船も多く走っているのです。電車やバスの到着する大陸側から、一つ目の島が見えます。おおー! 懐かしい! ローディング・アームが見えて来ました。僕も、今は、失業中ですが、元エンジニアーの端くれ、これを買って据え付けたこともありました。ローディング・アームとは、船から液体を陸揚げする時に使用するものです。ま、言って見れば、ロボットの腕みたいなものであります。女子大生グループの乗っている船と行き違いました。皆さん、イェーイ! とか、やってます。コーチンの女性達は、乗りが良いですねー!コーチンに住みたくなったです。(単純な脳じゃのー!)これが、チャイニーズ・フィッシング・ネットと言います。バックウォーターでも沢山見ましたが、ここ、バスコ・ダ・ガマが埋葬された、一番、海側の半島にも、沢山ありました。中国人が、持ちこんだ、漁法のようです。外側の半島、フォート・コーチンへ上陸しました。こんな魚が獲れます。(大きいのは、外海で獲ったものだと言ってました。)これを、ここで買うと、近くのレストランで、料理してくれます。因みに、大きい海老7匹で、200ルピー、400円位でした。聖フランシス教会です。ポルトガルらしいですねー! (行った事ありませんが・・・)マッタンチェリー地区です。全くインドらしくない雰囲気ですよね。地中海沿岸的な雰囲気が漂っています。長いこと、ポルトガルに占領され、その後、オランダに占領され、日本にも2年ほど滞在し宣教した、フランシスコ・ザビエルの宣教の本拠地としても知られるように、古くから、欧州人が居住したからでしょう。本土側に戻って来ました。多くのインド人達が、海を眺めています。綺麗に整備された護岸歩道です。涼みながら、歓談しながら、愛を語り合いながら、中には、手を握り合いながら、沈みゆく夕陽を、皆で見ているのです。追記コーチンは、いや、ケララ州全体に言えることで、コーチンは、その代表かも知れませんが、町全体が綺麗です。北インドとは、そこが異なります。動物が少ないせいでしょうか? 牛も道路を歩いていません。従って、糞も落ちていません。地元の人たちも外国人だからと、興味津々で、声をかけて来る人も少ないです。又、金儲けの為に、しつっこく声をかけて来る人も少ないです。過ごしやすい、居心地の良い、地域ですねー。今の所、インドで住むなら、ケララ州かなー? と感じます。フセインの奴、こんなのんびりした所で育ったもので、ボォーっとしていたのかなー? いや、生まれつきかな? 生まれつきだな、やっぱり。何度、キャディの仕事を教えたか分かりませんが、最後まで気の効いたキャディにはなれませんでした。どうしているかなー? ちょっと脳が不足的な面はありましたが、良い奴ではありました。脳が不足的と言えば、僕もそうなので、調度良かったのかも知れませんね。どっちかを選べって言われたら、忙しないアシュラフよりは、フセインの方を選ぶでしょう。
2008.11.17
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honjitu wa nihongo kakemasen.sumimasen ga comment muri desu node gokanben wo!====================================2008年11月14日(金) 58日目本日は、コーチンって言うタイトルで書きます。え? 何でインドの旅の途中で、名古屋コーチンのことを書くのか? ですと? 違いますなー! そのコーチンとは、似ても似つきません。そのコーチンの出どこは、中国ですから。え? スケベーになったなー! ですと?ビートたけしの言ったコーマンの男版、コーチンについて書くのか! ですと?ち、違います! いくらヒンドゥー教で、リンガに感化されたからと言って、そんな事を書く訳がありませぬー! ぬぬぬー! ありませぬー!アジアの星一番にとって、もっとも遠い所にある言葉が、スケベーなのです。で、コーチンとはですねー、バスコ・ダ・ガマが、ここに到達した地なのです。ヨーロッパ人として初めて、アフリカ大陸南端の喜望峰を廻って、辿り着いた人ですね。その人の遺体もここに埋葬されていました。(ずっと以前に、掘り返されて、故国へ送られたそうですが。)と言った事で、インドとしては、異国情緒溢れる都市なのであります。朝、バックウォーターの町、アレッピーからバスで、そのコーチンへやって来ました。1時間半で着きます。宿にチェックイン後、早速、今後の汽車のチケットを購入した後、州立の観光事務所へ行き、午後の市内ツアーを申し込んできました。この時は、時間節約の為に、オートリクシャーを利用したのです。そして、午後2時出発の船に乗るので、地図を見ながら、聞きながら、ジェッティーに向かいました。しかし、どこで間違えたのか、女子高校に迷い込んでしまいました。いえー! 決して、知ってて行ったのではありませぬ。迷い込んだのです。覗きではありませぬぞ! あくまで、迷い込んだのです!しかも、校門の入り口で、女子高生に聞いたのに、そこを通って行けと、指示されたからなのであります。そしたら、何やら、学芸祭のようなものをやっているようです。制服の娘達にカメラを向けると、キャーっと言って逃げて行きます。で、帰る素振りをして、数歩だけ歩き、いきなり振り向いて、又、カメラを向けると、一斉に、キャーっと言って、逃げて行きます。面白いので、何回か、繰り返したら、中には、興味津々な娘もいまして、写真を撮らせてくれました。写真に撮りませんでしたが、最後には、全員が教室から出てきました。そしたら、今度は、きちんと着飾り、準備完了した娘さんたちが、写真を撮ってくれと、勢ぞろいです。もっと、皆さんのを撮りたいと思ったのですが、年配の先生らしき人が、「むむ、怪しき奴? 何者ぞ?」、と言う目で、近寄って来たので、慌てて逃げました。そんなことで、思わぬ、時間を食ってしまい、船の出発、ギリギリで、ようやくジェッティーに辿り着いたのです。女子高校生には気を付けねばなりません。時間を忘れてしまいます。長くなり過ぎたので、「コーチンその2」、で続きを書きます。追記ここコーチンでは、エルナクラム地区と言う、大陸側で、ジェッティーに近い場所にある、ジョーンズ・レシデンシーと言う格好良い名称の宿に泊まりました。(330ルピー、700円位です。)ここの所、エアコンなしの宿ばっかりですが、本日もエアコンなし。そしたら、ここは暑くて、暑くて眠れません。で、入り口ドアを開けて寝ました。そしたら、フロントから夜中に「ドアが開いてる」、とわざわざ、電話が来ました。親切と言うか、何と言うか、起こされてしまい、その後眠れずに寝不足です。
2008.11.16
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本日、2回目のアップです。 アレッピー、コーチンと、日本語入力可能なネット屋さんが見つからず。 リアルタイムに追いつくのは難しいです。現在、西海岸の、カーリカットと 言う町から、マイソールへの移動でバス待ちです。 ラップトップをネット屋に持ち込んで、接続しています。これだと、日本語が 書けないネット屋さんでも、大丈夫です。(11月15日) =============================== 2008年11月13日(木) 57日目 名残り惜しい、コヴァーラムから、バスでクイロンまでやって来ました。 ここは、バックウォーターの、中心となる町であります。 さて、バックウォーター(Backwater)って、何でしょうか? 英語に弱い僕は、分からないので早速、辞書で調べて見ました。 しかしながら、適当な訳がみつからないのです。 「聞くは一時の恥じ」って事で、聞いてみました。どうも、「水郷地帯」、 と言うような意味があるようです。辞書には載ってないのですがねー。 多くの川や、入江や、湖が、複雑に交錯しているようです。 本日は、その水郷を、8時間掛けて船旅をすることにしました。 これが、船です。 これが、1階席と、2階席です。 客は、ほとんど白人。インド人が3名、日本人が1名ってところです。 現地の舟も、結構、頻繁に通ります。 こんな大きな湖も横切って行きます。 ここは、ケララ州と言うところですが、ケララとは、「椰子の国」って意味だそうです。 この川の辺は、確かに椰子ばっかりです。 おー! フセインの家かな? フセインとは、ご存知、サウジでの2代目専属運転手です。 彼は、サウジ出稼ぎで、たんまり稼いでいるから、もっと良い家かなー? 岸辺の椰子の中に、このような家が結構あります。 おー! これが、フセインの家か? こんな美しい塀で囲った家も散見されます。金持ちの家なのでしょうねー! フセイン君、今は、何をしているのかなー? なんせ、8時間も水の上を走るますので、写真も沢山撮りました。 行きかう舟も、仕事用から、観光用まで、色とりどりです。 この風景を思わせる、現地の小学生の作文です。 「おばあちゃんは、川へ洗濯に行きました。 おじいちゃんと、お父ちゃんは、、川へ魚取りに出かけました。 お母さんは、川で髪を洗ってます。 お兄ちゃんは、川で歯磨きしています。 お姉ちゃんは、川へ、おしっこしに出かけました。」 お? なんや? 全部、川やないか? まだ、続きがあんのか? 「そして、僕は、川へ水泳ぎに出かけました。 川は、僕んちに、なくてはならないものです。産まれた時から、ずっと、 川のお世話にならない日はありません。 僕は、川のそばで生まれて良かったです。ありがとう! 川さん!」 おー! ええ作文やなー! アジアの星一番が、先生だったら、満点を上げるなー。 ってな、出まかせは書いたらいけませんよねー? でも、そんな情景が 浮かんでくる風景なのです。 こちらは、刈り上げた稲を運んでいる所です。 写真を撮ろうとしたら、皆さん、ポーズをとってくれました。さすが、観光地で、 観光船を毎日見ている皆です。ありがとう! 元気でな! 次は、本当に、現地生活には、なくてはならない移動手段の舟です。 潮来花嫁さんは、もう舟で行かないでしょうが、ここでは、舟に乗って 行くかも知れませんねー。 そんなこんなで、10時半に、クイロンを出発し、途中、昼食と、お茶で、 2回、休みましたが、ほぼ予定通りの8時間ちょっと前、18時15分に アレッピーに到着しました。 これは、その数十分前に撮った、夕暮れ時の風景です。 宿は、ジェッティーのすぐ近くにある、KTC ロッジにしました。部屋は、屋上に 後で閉て増したようで、コヴァーラムの宿と同様、椰子で作られています。 部屋は、すごく清潔です。これで、200ルピー、約400円です。
2008.11.15
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2008年11月12日(水) 56日目 コヴァーラム・ビーチで、ゆったりしていたら、もう5日も経ってしまいました。 インド大陸の旅も、残すところ1ヶ月程度となり、まだ、インド内陸部、 パキスタン近くの、湿地地帯、砂漠地帯、など、行きたい場所多数あります。 ネパールのポカラ同様、まだまだ、ここで、さらに、ゆったりとしたい気持ちですが、 そう言った事情により、明日、出立することに致しました。 本日も、本を読み、空を見上げ、渚を見下ろし、この景色を見ながら、 昼寝を楽しんだのであります。 そして、午後は、渚を独り占めして、ボディボードを心行くまで味わったのです。 あまりに、波に乗りすぎて、ボードに乗りすぐて、お腹が真っ赤になってます。 (日焼けでなく、ボードに擦られて) そして、シャワーを浴びて、この夕陽を見ながら、ベランダで、ビールを飲んでいます。 追記 ここ、コヴァーラム・ビーチは、派手さはないし、ビーチの砂浜も広くはなくて、 世界各国にあるビーチ・リゾートに比べれば、劣る面はあるかも知れません。 しかし、安いのが魅力であり、洒落たレストランもあり、マッサージ屋さんもあり、 日本の中古小説も入手可能であり、色々と、しつっこい手合いもいません。 過ごしやすい、リゾート地です。 追記の追記 朝、出立する時、浜辺で、現地人が、綱引きをしているのが見えました。 良く見たら、相手は、海の中です。 どうも、網を引っ張っているようです。何漁って言いましたか? 地引網でしたか? 夜になると、海の方に、光が沢山見えます。まるで、向こうに陸地があるようなのです。しかし、昼間は何も見えません。 地元の人に聞いてみたら、「あれは、漁船だ。」、と教えて貰いました。 漁業とリゾートの村なんですね、ここは。
2008.11.15
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2008年11月11日(火) 55日目 本日、2回目の更新です。時間はあるのです。 ============================なんかねー、思ったんですよ。それが、何であるか、忘れてしまいました。 くっそー! 何だたっけなー? 「そうなんだよなー!」って、我ながら思うような 事柄だったのです。 ダメです。思い出せません。 ゆったりと、波の音に、身をゆだね、時おり、ボォーっと空を見上げていると、 「あぁ、生きてるって、ええもんやなー!」、と、感じます。 そんな風に時を、過ごしているので、脳の思考もゆっくりとなったか、止まって しまった見たいな、ゆるい感じなのです。 な、何ですと? いつもボォーっとしてるだろ? ですと! 脳の動きも、いつものろいだろ? ですと! もうー! そんな事言ったらいけまへん! その通りですから反論しませんけどー、 素直に文章読んで下さいな。ようは、何も考えず、ゆったり過ごすのも、良いもんや、 と言いたいのです。 分かって貰えましたか! でも、きちんと、毎日ブログは更新しています。偉いもんですねー! で、毎日、2回行く、レストランを紹介します。 もっと良いレストラン多いです。皆さんは、きっと行かないでしょうから、参考にならないと思いますが、まぁ、そこん所は、我慢して下さい。そこそこ、キレイなレストランなのです。 僕の泊まる宿:ホテル サンセットのすぐ横の路地を入った、ずっと奥の方に あります。レストランの名前は、「KEERTHI」 キールティとでも読むのでしょう。 このレストラン、昼食に、現地で働くインド人用に、ミールス(ターリー):定食を 作ってくれます。野菜カレー定食が、30ルピー。フィッシュカレー定食が、40ルピー。 60円とか、80円ですから、何れも、ローカルが食べられる価格帯です。 安いし、うまいので、僕も、毎日、現地人の仲間入りしています。 上のと、左の下のが、魚です。マグロでしたね。 夜は、一番安い、トマトスープか、野菜スープに、チキンチャーハンか、 チキン焼きそばか、チキンビリヤニかの、2種類を食べています。 昼食と夕食、これで、栄養は充分でしょう。 これは、ホット&サワー・スープです。 ちょっと高めの60ルピーです。 そして、フィッシュフライドライス。 食事が終わって、夜の、コヴァーラム海岸を、散歩します。 このように、浜辺通りには、ぎっしりお店が並んでいます。 本日は、本を読むのも飽きたので、海に入って見ました。 僕は、透明度の高い、お魚さんが一杯いて、色とりどりの珊瑚があるような海、 そう、ダイビングが好みで、砂浜の海は、あまり好きでありません。 海の底の見えない海は、「ケッ、海じゃねぇーぜ!」、ってな、印象なのです。 ハワイのワイキキなんて、なんじゃ、これー! と思いました。 すぐ近くの、ハナウマ・ベイは、すんごく、良かったですけどね。 でも、まぁ、庶民の楽しむ、海にもたまには入ってあげよかな? と言う、 気持ちで、のっそりと出かけた訳であります。こんな所へ。 海に入っている人は、まばらです。 白人のビキニの女性が多く、その付き添いの男性が、わずかです。 波に揉まれるだけで、な~んにも、おもろーないなー!と思いましたです。 何気に、波の先を見ると、白人女性二人が、サーフボードに腹ばいになり、 気持ち良さそうに、すい~! す~い~! と、岸に向かっています。 おー! 面白そうじゃー! と、早速、サーフボードを借りに行きました。1時間50ルピー、100円です。 始めて見ると、白人女性のように、波にうまく乗れません。 「クゥー、腹立つなー!」、、と白人女性を見ると、ビキニのパンツがずれて、 日焼けしてない、真っ白なお尻と、その真ん中の割れ目までが見えてます。 「おお! こっちの方が、ええか?」、とも思いましたが、サーフボード熱中に 戻りました。 10分、20分、うまく行きません。 大きい波が来た時、波の下の砂地を蹴って、思い切りバタ足しました。 そしたら! 乗れました! すぅーーーーーっと、波の前を滑るように 岸に向かっています。 気持ち良いー! 白人女性のハンケツ見るより ずーっと気持ち良いー! 熱中しましたねー! 熱中時代です! でも、その後、全てがうまくは乗れません。結構、難しいものであります。 ま、でも、運動神経は、並以上のアジアの星一番さんですから、30分を 過ぎた頃から、要領を飲み込みました。 まず大切な事は、波を選ぶことであります。同じような大きい波でも、岸まで 辿り着かない内に消えてしまう波と、ずーっと岸辺まで続く波があります。 そのずっと続く波を見つけるのですねー。 それは、前方の波ばかり見ていては、ダメです。岸側から折り返す波があると、それとぶつかって、波が壊れてしまうのです。だから、両方を見て、一番良い波を見つけるのですねー。後は、海底に足が着いていれば、思い切り砂地を蹴り、岸に向かって 大きく足をばたつかせるだけです。それで、波に乗れます。 気持ち良いですよー! もう一つ、大きい波でも、砕け散った波は乗りにくいです。 海が盛り上がり、波になりそうな所が、一番乗りやすいようです。 サーフボード初心者の体験談でした。 サーフボード抱えて、波を捕らえに行く、アジアの星一番です。 ちょっと離れて見える人影は、白人のハンケツ美人です。(見えますか?) 追記 壊れたカシオのカメラ、売れました。1000ルピー、2000円です。 大きいですねー! この金額。 誰が買ったか? 宿の受付の男性です。 カメラが壊れた、と言ったら、「直せる」、と言うものですから、丸1日彼に 預けておいたのです。しかし、真っ白に写るのは、直りません。 でも、彼から、この壊れたカメラ欲しそうな雰囲気が、発散していたのです。 で、一旦は、日本に帰って修理に出せば直るから、と、部屋へ持ち帰りました。 翌日、「カメラ買う?」って聞いたら、「いくらなの」って聞き返して来ました。 インド人がいつも使う手、「いくらなら買う?」、と逆質問です。 何度か、同じよう問答を繰り返した後、彼は言いました。「500ルピー」、と。 「これ、新品は、15000ルピーしたんだよね。壊れたと言っても、ほとんど 使えるし、10%の1500ルピーは欲しいところだよ。」 と言って考えておくから、いくら出せるのか、そっちも考えておいて、と 気を持たせて、部屋へ戻ったのです。 雰囲気より、まぁ、1000ルピーで、手打ちだな、と思っていました。 そしたら、その後、その通り1000ルピーで買うって言うのです。 宿代、二日分と、壊れたカメラ、交換と同じです。 2台もカメラ持って歩くの面倒だなー、捨てるのももったいないし、 どうすんべ? と悩んでいた所なので、1000ルピー、二日の宿代、 大助かりです。 追記の追記サーフボードって言うと、ボードの上に立つ、サーフィンも言うようです。ボードの上に、腹ばいになって波に乗るのは、「ボディボード」って言うらしいです。知らなかったですねー。ボディボード。ボディ・ペインティングって言うのは、どっかの国の酒場でやってました。
2008.11.12
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2008年11月10日(月) 54日目最高の部屋に眠り、ベランダでは空を見上げ、飽きれば、日本の小説を読み、そして、飽きれば、美しい渚を見下ろす、贅沢な日を過ごしております。そして、ふと、足りないものが、二つあると、気付きました。一つは、まぁ、100%無理なものでありますので、足りないと思うだけです。もう一つは、願いが簡単に叶いそうなものです。サウジでは入手不可なもの。そうです、そうです、アルコール類です。ベランダの籐椅子に座って、本を読みながら、ビールを飲む、これぞ最高でしょう!で、フロントで聞いて、早速買い出しに行く事にしました。ここはリゾート地なので、レストランで飲みながら、本を読むってのが、常道であります。しかしながら、貧乏人バックパッカー、安さを求めて、一直線です。レストランでビール飲むと、90ルピーから100ルピー。(聞いた話し)しかし、バスに乗ってリカーショップで買えば、50ルピー。倍の値差です。これは、買いに走るでしょう!但し、実際に走るだけの脚力はありませんので、歩きました。これが、僕の居るホテルの浜辺です。ホテルから遠い方から写したものです。この右手には、レストラン、ホテル、みやげ物屋が、所狭しと立ち並び、空きスペースは、全くありません。コヴァーラムには、浜辺が二つあります。バスの到着するバス停に近い方と、さらにその浜辺から歩いて行くとある、浜辺の二つです。僕のホテルはバス停から一番遠い所にあります。これが、バス停に近い方の浜辺です。お? 誰かいますねー? 誰でしょうか?ありゃー? アジアの星一番さんでは、ないですか? いつも着ているのとずいぶんと違いますねー! リゾート気分ですな?って、自分のこと書くのも、面白いですねー。実は、この着ている上下、ここで買いました。持参荷物は最小にしてあるので、ズボンは1本だけ。で、海水パンツさえ、持って来ていません。この上下で、いくらだと思いますか? 正解を教えましょう。100ルピー。200円少々です。買い叩きましたが、安かったのか、どうか?それは、売る主のみ知るって奴です。この写真、僕の後ろの方を見て、覚えて置いて下さい。酒屋があるのは、VELLARって言う場所で、2Km位だって聞きました。2キロなら歩こうと思っていましたが、バス代が、5ルピーとも聞いたので、それなら2キロよりあるはずだ、と思い返し、バスに乗ることにしました。7ルピー出せば、、バスは、1時間近く走りますから、5ルピーだと、最低、10キロは、行くでしょう。途中、と言っても走り出して、すぐですが、こんな切り立った岩もありました。2キロと聞いた割には、相当走ります。どうも聞き間違いのようです。かれこれ、20分、いや30分以上走ったでしょうか? 車掌さんに、何度も、まだか? まだか? って、確認したほどです。バスを降りて、右に曲がったら、酒屋はあるって聞いたのに、ヒンドゥー教の寺院がありました。こんな所に、酒屋さんはないでしょう。車掌さん、英語が分からんもんで、この日本人は、お寺に行きたいのだろう、と、勝手に決め付けたに違いありません。(寺院は、注記参照)酒屋を探していたら、バザールがありました。バザールと言っても、中東のバザールと異なり、日本で言うデパートです。デパ地下の食品売り場(こちらでは、デパ1階でしたが)、日常品売り場、洋服売り場、などなど、ほとんどのものが、ここで買えます。パンツ2枚、ランニングシャツ3枚、靴下2足、を思い切って購入。ここには、トランクス型のパンツも売っていました。砂糖に、トイペに、ピーナッツ二袋、リンゴも2ヶ買いました。このデパート、警戒が厳重です。荷物は、持ち込めません。預けねばなりません。購入した袋は、プラステックの紐(?)で、厳重に閉じられます。(他の品物を入れられないように。たぶん)出口は1箇所。入った所から出ようとしたら、出口から出よ! と厳しく指導されました。そして出口では、レシートを見せないと出られません。レシート出すと、捺印してくれて、やっと解放です。いや、入り口に近い所にある、荷物預り所へ行かねばなりません。面倒ですねー!そして、本来の目的、酒屋さんです。ビール3本と、ウィスキー半瓶を購入。酒屋さん、袋をくれず、瓶を新聞紙で包んだだけなので、持ち辛いったらありません。袋を準備して行かなけりゃーダメです。こちらの酒屋さん。幸い、デパートでは、袋をくれたので、うまく入れ替えて何とか持ち帰りすることが出来ました。さて、又、バスで帰りました。が、先ほどのバス停に近いビーチです。雰囲気が違いますねー!先ほどと、同じ場所から撮って見ました。すごい人です。先生らしき人に引率されて来ている生徒達もいます。遠足場所なのでしょうか? こちらの浜辺には、外国人は少ないです。どうも、こちらが地元用、奥の浜辺が外国人用見たいです。(決められている訳ではないですが。)さて、本日の購入品です。パンツ2枚:400円、下着3枚:180円、靴下3足:200円でした。そして、本来の買い物、ビールとウィスキーです。ビール3本:300円、ウィスキー:300円でした。こんなに、買って飲みきれんのか?本日は、宿代も含めて、1日で3360円も使ってしまいました。大散財ですが、より快適なリゾートにする為には、安い! 安い! 安過ぎ!注記VELLARと言う場所にリカーショップがあると聞き、バスの運転手にそれを見せて、降りる場所を教えてくれ、と頼んでおきました。宿では、2Kmと聞いていたのに、かなりの時間走りました。誰かが、間違えてた訳ですが、宿で聞いたのが、正しかったのでした。VELLARと言う小さな町を、すっ飛ばして、トリヴァンドラムと言う人口74万人の、西海岸有数の町まで行ってしまったのです。ヒンドゥー教の寺院は、「バドマナバスワーミ寺院」、と言って、トリヴァンドラムの象徴的寺院でした。道理で、りっぱな寺院だと思ったものです。まぁ、そのお陰で、下着に靴下まで買えたので、よしとせねばなりません。が、こんな間違いが生じるのですねー? 何故なんでしょう?ちゃんと、紙に行き先の場所も書いて貰っって、それを見せたにも係らず、です。
2008.11.10
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2008年11月9日(日) 53日目あ~ぁ、あ~ぁ、ああ~! 良く寝た! 寝たぞぃー!9時間以上も、寝てしまったかな?そして、ふと、ベッドから、頭を上げて、外を見れば?うわぁー! どした、どうした! ここは、どこじゃー!なんと、なんと、波が僕の方へ向かっています。溺れてしまいそうです。そんな錯覚さえ、覚えそうな、部屋であります。そうです、ここは南インド、最高級のリゾート地、コヴァーラムであります。昨日、カニャークマリから移動し、ホテルにチェックインしていたのです。イスタンのツリーオブライフで管理人さんをやっている、「もりみほ」さんが、昨年泊まって、とっても良かったとの宿、MARINA KOVARAM へ行って見ました。残念ながら、塗装中で、客をとってません。「歩き方」では、推薦多数と記載の、グリーンランドは、かなり奥まった所にあり、且つ、お値段も安くもなく、且つ、部屋以外の外回りが、あまり綺麗でありません。蚊も多そうです。 で、泊まるのは、断念しました。それ以外も、いくつか見ましたが、気に行ったのはありません。ここは、素通りではなく、少し長く滞在したいので、値段も、部屋も、場所も気に入ったのを見つけたいと思ってました。バックパック背負って、浜辺をトボトボと歩いていたら、上から声がかかりました。「ルーム?」、と。高そうなので、首をフリフリ、歩いて通り過ぎようとしました。そしたら、2階から慌てて降りてきて、「見るだけ、部屋見て?」、といつもの通りの、誘いの言葉です。「金ないから、泊まれん!」、ときっぱり言うも、「見るだけ、ね、見るだけ!」、と、敵さんも、真剣です。「金ないからね!」、と念を押して、部屋を見に行ったのです。そしたら、最上階で、バンブーで作った、素敵な部屋なのです。部屋も広いです。冷蔵庫もあります。そして綺麗です。シャワーは水ですが、既に見た他のホテルは、どこもそうです。エアコンなしですが、既に見た他のホテルは、どこもそうです。(エアコン、温水シャワーの部屋は、2000ルピー位するらしい。)バルコニー付です。 (イタリア語)テラス付です。 (フランス語)ベランダ付です。 (ヒンドゥー語)( )内は、原語。ほんとは、「渚のバルコニーで、待ってる~♪」 と、バルコニーを使いたいところですが、ベランダの大元は、ヒンドゥー語らしく、それがイギリスで使われているらしいです。ですから、ここでは、ベランダを使わねばなりませぬ。ダ、で止まる言葉は、ニーと延ばして終わる言葉に比し、詩的には劣るような気がします。(僕の詩的センスですから、全く当てになりませんが・・・。)そのベランダから、右手を見たものです。おー! 灯台が見えますぞ!そして、左手側です。 おー!渚が全面的に見えますぞ!全く気に入りました。100%、いや、500%気に入りました。しかし、そんな素振りは、見せられません。「で、いくらなの?」、聞きました。(気のない素振りで)「良い部屋でしょ?」、答えになってない。「で、いくらなの?}、又、聞きます。(気のない素振りで)「こんなに、海が良く見える部屋はありません。」、答えになってない。「で、いくらなの?」、又々、聞きました。(ちょっと、少しだけ、声を高くして)「この通り、部屋は広いし、蚊も来ません」、答えになってない!「だからー! いくらなの!」、声を荒げて聞きました。「そのー、普通は・・・、そのー」「普通じゃなくて、いくらなの? いくらで泊まれるの?」、もう高飛車です。「普通は・・・、1000とか、800ルピーとか・・・」「あっ、そっ!」、部屋を出ようと歩き出しました。「ちょ、ちょっと、待って! 600ルピーまでなら・・・」、と、後ろから聞こえました。「良かったー!」、と本心、そう思いました。声をかけてくれなかったら、500%気に入ったこの部屋に泊まれない所だったのであります。しかし、まだ粘ります。しつっこいですぞ! アジアの星一番は。「ん? 600ルピー? 金ないなー!」、試しに言って見ました。「何泊しますか?」、この答えは、まだ安くする見込み十分であります。「そうだなー? 日本語の小説でもあれば、ずっと泊まっても良いけど?」と言って見ました。「・・・、ない、ありません・・・」、残念そうです。「小説でもなけりゃー、暇で暇で、しょうないじゃん!」「海へ入ったら・・・? いや、どこかで、見つけて来ます・・・」「う~ん、もっと安くならないの!」「いくらなら?」「500ルピー! それなら、2泊する。」、ときっぱり言って歩き出しました。これも賭けですねー。そしたら?「分かりました。特別です。500ルピーで結構です。」やりました!そんなこんなの、やり取りがあった後、ここへチェックインしたのです。このベランダの籐椅子に座って、小説を読みます。ほんと、ゆったりして、最高の気分です! 本を読むのを飽きたら、海を見ます。下を通る、観光客を見下ろすのも、気分上々です。そうそう、日本語の小説は、近くの雑貨屋で、1冊、60ルピーで売ってました。たったの120円か、130円なので、買おうとも思いましたが、読んでしまったら、不要になるので交渉し、返せば、40ルピー返金、即ち、20ルピーで借りました。40円から50円で1冊借りられます。高木俊郎作、「ルソン戦記」、上下巻、を借りて来ました。もう、部屋は、最高! しかも安い! 小説もある。完璧なリゾートライフを過ごせる準備は、これで全て完了です!
2008.11.10
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2008年11月8日(土) 52日目これは、喉が渇いた時や、ちょこっと一休みしたい時に、チャイを飲むときに寄る、チャイ屋さんです。ちと高級です。きちんと、お店で作ってますから。自転車にタンクを乗せて、売り歩くチャイ屋さんもいます。いつもの、定食、ミールスです。昼は大体、これにお世話になっています。これで、28ルピー、凡そ60円です。ご飯も、おかずも、お代り自由です。腹一杯食べられるのが、バックパッカーには、大変、有り難いです。さて、カメラ購入による、思わぬ出費に、心重く、今後の節約に思いを馳せていたところ、インド最南端の町、カニャークマルへの夜行バスがあることを知りました。宿の張り紙に書いてあったのです。しかも、観光付です。カニャークマリ最大の見どころ、日の出観光も含まれております。350ルピーと結構高いですが、宿をキャンセルすれば、200ルピー戻って来ます。昼のバスで行っても、100ルピーはするので、観光付きの所だけ、少々、お得と言うことになります。早速、申し込みました。夜の、10時に出発。バスは、狭い道を、無理な追越をかけながら、ぶんぶん飛ばして行きます。客は、インド人家族ばかりです。「何で、あんた、こんなバスに乗ったのだ? 何故、ツアーバスに乗らないのだ」ある一人のインド人の客が、問いかけて来ました。「え? これツアーバスでしょ?」どうも、彼らのツアーバスとは、白人達が乗っている、エアコン付きのりっぱなバスのようで、この自然通風バスは、ツアーバスの内に入らないようなのです。このインド人達、僕の身なりを見ても、貧乏バックパッカーに見えないようです。身なりとからは、見えぬ、風格が、このアジアの星一番さんから、出ているのか?そんなこたぁー、ないな。日本人は、皆、金持ちだ、と思っているのでしょう。うとうとしたら、1時頃、小休止。チャイ飲んで、トイレ(と言っても路上ですが)行って、バスに戻り、そして又、うとうとしたら、3時に又、小休止です。と、思いきや、もうカニャークマリに到着したと言うではありませんか!早い! こんなに早く着くのに、何で、そんなにぶっ飛ばすんだ!日の出を拝むと言ったって、3時にゃー、出て来るまい、お天道様も。インド人客と、運転手、何やら、外で、大揉めに揉めています。どうも、朝の観光の時間まで、どこで休めば良いんじゃ! 部屋位準備せぇー!てな、事で、揉めていたようです。僕は、恐怖の、49時間バスの旅、を経験してますので、数時間の待ち時間程度、バスの中で待てます。なんら問題ありません。静観してました。問題解決したようで、家族単位で、宿の受付の前の椅子で待つことに相成り申したです。僕は、たった一人で、とある宿のコンクリの上の安物の椅子がある所で待たされました。安物は安物でも、僕は一向に構わないのですが、蚊には困ります。バッグから、蚊取り線香を取り出して、火を点け、現地購入のオドモス(蚊除クリーム)を手足、首に塗り、さらに蚊取マット:電池駆動を首から、ぶら下げて、しばしの休息に入りました。廻りの騒々しさにも負けずに、深い睡眠に入っていました。起こされたのは、5時半です。観光出発の時間です。早速、カニャークマリの御来光を見に行きました。新品、大枚、4800ルピーで購入した、サムソン製デジカメで初撮りです。う~ん、うむ、うむ。雰囲気は出ていますが、今ひとつ、色が冴えませぬ。壊れたカメラ、カシオのデジカメを若干ズームにして、撮って見ました。壊れたカメラの方が、朝日らしい色合いですねー!カシオには、人物、風景、キャンドルライト、スポーツ、パーティ、花、緑を鮮やか、夕日、水しぶきを止めて、紅葉、夜景、花火、食べ物、逆光、文字、白黒、レトロ、トワイライト、などなど、色んなのを選んで撮影出来るのです。し、しかし、安物、サムソン製には、そんな機能はありません。さすがに、安物は、安物です。仕方ないですね。安物を買ったのですから。こんなに沢山のインド人さん達が、この御来光を見に来ています。雲はあったのですが、一瞬でも、太陽さんが顔を出してくれたので良かったですね。さて、ほんとの、ほんとの、ほんとの、インドの最南端です。この御来光の写真の、若干、南側です。お! 亀がいましたぞ! ん? 亀かいな?ん? おかしいぞ! 波が来ても、びくともしません、この亀さん。違いますなー! これは、きっと、例の、シヴァのリンガ(男根)です。亀に間違えますよ。しかし、良く、亀頭って言ったものですねー。似ているって言われれば、そっくりかも知れません。言われなくても似ているかな?最南端の地に、しかも、波打ち際にさえ、シヴァのリンガを祭る、ヒンドゥー教の、奥深さに、感銘した次第でございまする。感銘冷め遣らぬ間に、ちと、居眠りしている間に、次のヒンドゥー教の寺院へ到着しました。ヒンドゥー教の寺院は、どこへ行っても、裸足にさせられます。しかし、ここは、裸足の上に、上半身、裸でなければ、入場出来ないと言うのです。おー! おおー! 何だとー! 上半身は、は、裸? ほ、ほんとかー!20歳前後の若い女性も、参拝してないかなー? などと、邪まな考えで、門をくぐってみますると、なんじゃらほい、がっくりやんけ。女性は裸ではありませんぬ。 男だけでした。ちょっぴり残念。(ヒンドゥー教に染まって来ました。ちと、スケベーになっています。)追記バスの運転手、何故、夜中に、そんなぶっ飛ばして来たのか?意味、分かりました。その運転手は、客を降ろしたら、マドゥライに帰るのです。朝からの観光は、別のバスがやって来るのです。早く、家族の元に帰りたいからだったのですねー。もっと、ゆっくり、ゆっくり来れば、バスの中で眠れたのにねー。客の為より、自分の為。その気持ちは分かりますが・・・。
2008.11.09
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2008年11月7日(金) 51日目カメラ、買うことに決定しました。高額なので、もったいないのですが仕方ありません。写真が満足に撮れないのでは、ブログの意味なしとなります。下手な文章だけでは、誰も読みません。写真がなければ、カ~ン、鐘一つ、不合格です。で、早速、マドゥライの町へ、探しに出かけました。ですが、カメラ専門店と言うような、お店が仲々見つかりません。ようやく見つけたお店は、キャノンとソニーの2機種しかありません。値段も8500ルピーから一歩も負けません。このインドで、大した心がけです。その点は、気に入りましたが、いくつかのお店を見て、値段と内容を比較してから買う習慣がついている為、他の店を探しに出ました。不思議ですねー。日本にいると、もっと高価なもの、特に着るものなどは、何店も比較して買うなんて事は全くなく、気に行ったら、即刻、購入するのに、安旅に出ると、どんな安いもの、生姜1ヶ、5円でも、何店か見るのです。ドケチ根性が、染み付いています。もっとも、バックパッカーには、体力と、時間のみ、あるのが取り柄で、それ以外は、何にもありませんからねー。次に探した、お店は、携帯電話が主で、カメラは、ほんの少ししかありません。で、やはり、キャノンとソニーです。お値段も、あまり変わりなく、大体、相場は分かりました。店員さんです。「もっと、安いのはないか?」、と聞くと、「韓国製ならある」、と言います。「お-、そんでいい、それ見せてくれ!」6メガピクルスで、ズーム3倍、今、使っているのと同じです。SDカードも、1ギガ。全く、問題ありません。お値段は、5000ルピー。何とか負けさせて、4800ルピー。これ以上は、絶対に下がりません。最後の手段に出ました。「実はの、100ドルしか、持っておらんのじゃ、今、1ドル=47ルピーで、調度、4700ルピーなんじゃよ、4700ルピーに負けてくれ!」為替も、ずいぶん変動しています。9月18日にデリーに着いた時は、1ドル=45ルピーでした。それが、10月24日、コルカタでは、1ドル=49ルピーでした。今は、1ドル=47ルピーです。「48ルピーで換金してくれる、両替屋がある。」、とマネージャーが言いました。「そんじゃー、100ドルで、買えるな?」その両替屋へ、店員が、案内してくれましたが、歩いて、5分以上かかります。途中、もっと大きなカメラ屋があったので、店員を待たせておいて、値段を調べましたが、高めです。一緒にいった店員、「そうじゃろ、そうじゃろ!」、って嬉しげな顔です。両替屋では、1ドル=47ルピーで、48ルピーにはしてくれません。マネージャーの奴、いい加減なこと、言いやがった訳ですが、もう、これ以上の交渉も、無理なので、両替し、購入することに決めました。これです。まだ、カシオのカメラ使えますが、写りがおかしいですよね?アップにすると、少し良くなるのですが、それでも、明暗がおかしいです。100ドル。1万円。1週間も、暮らせる大金です。が、綺麗な写真を撮る為には仕方ありません。え? なら、もっと高いのを買え! ですと?いやいやー、この程度の品質で、十分撮れます。写真集を出版する目的ではないですからねー。ブログに載せる為です。大きく、引き伸ばす事はないですし、これで良いでしょう!と言うことで、明日から、韓国製写真で、お送りします。
2008.11.09
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2008年11月6日(木) 50日目ついに、インド大陸、50日目に到達しました。日にちと言うのは、本当に1日、1日と、過ぎ去って行くものなんですねー。サウジに居た時は、1日が長かったです。今は、1日が、あっと言う間に、過ぎ去って行く感じです。え? と言うことは? サウジに居た方が、長い一生を送れるってこと?えーーーーぇえ! そう言えるのかなー?と言うことは? 単に長いだけでは、ダメってことですな?ありゃりゃー、難しいことを考えてしまいました。止めときましょう、考えるのは。さて、もう本日は、アシュラフの故郷、マドゥライに来ています。このバスに乗って来ました。ねー、おかしいでしょう? この写真。このように写ってしまうのです。露出を調整する所が、壊れてしまったか、一昨日から、おかしいのです。困りました。ですが、フラッシュ焚いて撮る時は、問題ないのです。これが、昼食です。キレイに撮れてますよねー? うまそうに撮れてますよねー?ホテルにチェックインし、昼食後、ミーナークシ寺院へ行きました。宿から、歩いて、10分程度の所にあります。何やら、見えて来ました。西門です。西門に違いありません。何か、特殊なデザインかなー? ヒンドゥー教にしては、海岸寺院と同じように、地味だなー? と不思議に思って、近くで撮って見たものです。これは、藁か、萱です。南門へも行って見て分かりました。現在、塗装中なのです。藁か萱は、その覆いだったのです。残念ながら、ヒンドゥー特有の、派手派手なものは、見られませんでした。注:1年ほどかけて、塗装するらしいので、今から行く人は、期待せずに、 行ってくださいまししかし、青い空ですよねー! これがほんとの色です。ズームにして撮ると、このように撮れるのです。普通に撮ったら、露出オーバーで、真っ白になってしまいます。壊れたなー、カメラ。東門から入って、左手にある、千柱堂です。実際は、985本らしいですが、僕は、数えませんでした。ガイドブックを信用するしかありません。意味が分からなくて、申し訳ないのですが、色んな像があります。ヒンドゥーには、色んな神様がいますが、その神様達でしょう。 これは、ナンディホールと言って、牝牛の像です。ヒンドゥー教の皆さん、これに触って、祈っていきます。牛以外にも、ゾウなのか、何の生き物か分からない像も沢山あります。 次に、覚えている方もおられるでしょう。リンガです。そして、又々、リンガです。インド人のだけに、真っ黒ですねー!そして、これも又、リンガです。こいつは、ちと、それらしいです。(名古屋の神社のより、シンプルですが・・・。確か、記憶では・・・。)このミーナクシ寺院の、ミーナクシとは、ドラヴィダ民族の土着の女神だったそうです。夫が、アリャハルと言う土着の神様でした。しかし、ヒンドゥーの勢力拡大により、この女神は、シヴァと無理やり結婚させられ、シヴァの后になったそうな。何だか、ヒンドゥー教って、今でも、その辺りにありそうな話ですねー。良いのかな? そんなに世俗的であって。神が他人の奥さんを、盗ってしまって良いものでしょうか?それを信じる、信者の皆さんも、他人の奥さんを、盗ってしまうのでしょうか?それは、罪にならないのでしょうか?それが、そうなら、その部分は、ええなー!そこんとこだけ、ヒンドゥー教になれないもんですかねー?(盗る方の立場で、ですよ! 盗られる方の立場は、お断りです)
2008.11.07
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2008年11月5日(水) 49日目南インドを、すごい勢いで南下中です。チェンナイ 1泊 マハーバリプラム 2泊そして、本日の予定は、ポンディシェリーで、バス乗換えで通過後タンジャーヴールに宿泊です。世界遺産のある、マハーバリプラムと、タンジャーヴァールの間には、下記の町があります。しかし、1泊するまでもないとして、通過することにしました。ポンディシェリー 250年間、フランスの植民地。インドらしくない町なので 寄って見る価値があるとのこと。チダムバラム 舞踊の神として知られる、踊るシヴァ神、「ナタラージャ」を 祀った寺院を中心に発達した町クンバコナム チョーラ朝時代に建てられた寺院の門前町全部、寄っていたら、とても日程不足です。しかしながら、結果的に、全ての町へ寄る事になってしまいました。宿泊したマハバリプラムから、タンジャーヴールへの直行バスはないと、地元の人に聞いていました。で、ポンデシェリーまで行ってから、直行便に乗るつもりでした。しかし、実際は?マハバリプラム → ポンデシェリー(2時間15分)バスを乗換えて、ポンデシェリー → チダムバラム(2時間)バスを乗換えて、チダムバラム → クンバコナム(2時間15分)バスを乗換えて、クンバコナム → タンジャーヴール(1時間05分)なんと、4回バスを乗り継ぎ、合計、7時間半かかりました。待ち時間を入れても9時間です。バスの本数が多いので、待ち時間は全く気にならないくらいです。疲れましたが、面白いです。何が? と言えば、南インド人の対応です。北インドでは、必ず声を掛けられ、「どこから来た?」 とか、「名前は?」 とか、果ては、「金くれ!」 とかです。しかし、チェンナイ以南では、あまり、そのような事がありません。白人の団体さんの観光客は、多いので、観光客慣れしていないとは思えません。バングラデシュとは、異なるはずです。何故でしょうか?今から、さらにじっくり見てみるつもりです。で、何故、急いで南下しているかと申しますと、実は、ここ、タミール・ナードゥ州は、今が雨季なのです。チェンナイへ僕が着く前には、雨がずっと降っていたと、市内観光の時の、隣の男性が言っていました。インドでは、雨季は6月から9月なのですが、ここだけは、11月の降雨量が他の月に比べて、圧倒的に多いのです。(10月も多い)雨が降り続いて、足止めを喰らうのも面白くないので、一応の見所は抑えた上で、急ぎ足で、ケララ州へ移動しようと考えています。そう言えば、サウジ時代の僕の初代運転手、アシュラフの故郷が、タミールナードゥ州です。その中の、マドゥライ出身です。ここから、バスで、4時間程度の所まで来ました。彼が、ここまで帰って来たら、バスの窓から、顔を突き出して、故郷の方を見るのだろうなー? などと考えながら、バスに乗っていました。タンジャーヴールの町。今夜、泊まるホテルの部屋。Hotel Lion City。ここの所、夜は涼しく、エアコンと止めて寝ているので、エアコンなしの部屋にしました。415ルピーです。およそ、850円也。途中、チダムバラムの長距離バス停で、昼食を食べました。バナナの葉っぱが、お皿替わりです。南インドでは、そのようです。費用も、たったの10ルピー。20円です。庶民の食事は、安いですねー!世界遺産のブリディーシュワラ寺院。63mもの高さがあり、遠くからでも見えます。そしてライトアップされています。明日まで待てないので、行って見ました。これです。手前側から、前殿、前室、本殿で、本殿の一番上のライトの下にあるのが、冠石です。この石ですが、81トンもあるそうです。この石を乗せる為、長さ6キロにも及ぶ傾斜路を作って運んだとの事です。ここの、御神体は、シヴァのリンガである、とガイドブックに書いてありました。そう言えば、同じく世界遺産のマハーバリプラムの海岸寺院、そこもリンガでした。さて、リンガってなんぞいな?臨画 :手本通りに絵を模写する。 →違いますねー!麟芽 :腋芽の一種。オニユリなどに見られる。 →違いますねー!林歌 :雅楽の一つ。 →違いますねー!お! もう一つありました。梵:リンガ :男根。それをかたどった像。繁殖を象徴する。こ、これだー!何だよー! リンガなんて、言うから分かりません。チンポの事でしたわ。ヒンドゥー教ってのは、チンポを御神体にする宗教なんですねー。しかし、確かに、繁殖がなければ、滅びる訳ですから、そりゃー大切であることに間違いはありませぬが、そうだったのかー!そう言えば、回廊に太い丸太のようなのが、ずっと並んでいました。あれが、リンガだったのですね。知ってれば、まじまじと、見たかなー?ライトアップされています。ここは、入場料ゼロ、不要、ただです。 太っ腹ですねー! ヒンドゥー教!
2008.11.06
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2008年11月4日(火) 48日目チェンナイを、わずか1泊で通過し、マハーバリプラムへ移動しました。大正解です。(チェンナイも悪くはないですよ)マハーバリプラムは、小さな町ですが、落ち着いていて、洒落たレストランも多く、世界遺産の史跡もあり、海辺も綺麗で、言うことなし! 二重丸の場所です。もう一つ丸を足して、三重丸でも構いません。気に入りました。さて、これは、何でしょうか?別の角度からの写真を、3枚、お見せいたします。 クリシュナのバターボールと名づけられている岩です。昔、ゾウを使って動かそうとしたものの、びくともしなかったそうです。ミャンマーのタイ寄りの山の中に、同じような球状の岩があり、それは宗教上の何かにされていましたね。確か、チャイティーヨーとか言う、地名でした。何で、動かないのか、不思議です。アルジュナの苦行、です。これは、「ガンガーの下降」、とも呼ばれているそうで、ガンガーがこの世に降りて来たときの物語を彫ってあるそうです。ファイブ・ラタ(5つの石彫り寺院)これは、一つの巨大な岩を、彫りだして作ったもので、7世紀に作られたもの。どでかい岩があったものです。そして、それを彫って寺院を手作りで作ろうとしたのですから、すごいものです。せっかくですから。5つの寺院を縮小で、アップします。ナクラ・サハデーヴァ・ラタドラウバディー・ラタアルジュナ・ラタ ビーマ・ラタダルマラージャ・ラタ 世界遺産の「海岸寺院」です。整備された、通路と、芝生の向こうの方に見えて来ました。これも、7世紀に建てられてそうです。かつては、7つの寺院があったそうですが、現在残っているのは、これだけです。広い整備された敷地の中に、地味な、この寺院は似合っています。寺院の日陰に座っていると、ベンガル湾から爽やかな涼しい風が頬を撫で、波が岩に当たる音が、遠くの方から、聞こえて来ます。外壁には、牛が沢山ひざまづいています。シヴァ神に仕えた、ナンディー牛をモチーフにしたものだそうです。この町は、白人の観光客、団体さんが多いです。バックパッカーも多いですが、それより、お年寄りの団体ツアーのお客さんが多いように見受けられます。さて、いつもインドで何を食べているか?僕の場合、インドカレーの定食が多いです。北の方では、ターリーと言えば、定食のことで、通じました。しかし、ここ南インドでは、通じないと思ったら、ミールスと言うらしいです。これは、フィッシュカレーです。おかずが少なすぎるので、マグロの揚げたのを追加注文しました。これで、45ルピー(90円程度)町の地元の人が食べる食堂だと、大体、こんな価格です。ちょっと洒落た食堂だと、2倍位になります。ここで、魚を揚げています。青空の下、屋台みたいなものです。宿の近くの浜辺。ここは、排泄物もなく、プリーとは全く異なります。だから白人の観光客が多いのか、白人の観光客が多いから、綺麗になったのか、どちらが先かなー?ま、何れにしろ、清潔で、綺麗なのは、良いことです。カメラが、ちょっとおかしくなりました。左上に、黒い斑点が出ていましたが、それが無くなりました。レンズの汚れではなかったようです。しかし、色がどうもおかしいです。南インドは、空の色が薄い? のか? と思いましたが、そうではなく、カメラがおかしい見たいです。毎日、毎日、腰につけて、働かせているので、過労でしょうか?労わりながら、使っているのですがねー?本日、2回目のアップでした。
2008.11.04
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2008年11月3日(月) 47日目 早速、チェンナイ市内観光に出かけました。 宿に出入りの、旅行代理店が、タムルナードゥ州観光開発公団が行っている 市内ツアーと同じ内容で、同じような金額だったので、申し込みしたものです。 Museum Art Gallery Gandhi Mandapam Sanke Park Parthasarathy Temple Light House Fish Aquarium Marine Beach Burma Bazaar と、9箇所も、見学する内容で、金額は、わずか80ルピー、プラス入場料 40ルピーで、合計120ルピー(240円)です。 9時から14時となっていたので、5時間で、こんなに廻れるんかいな? と 心配になりました。 宿に迎えにきたのが、45分遅れの、9時45分。 マリナ・ビーチに偉い人が眠っています。そのメモリアルです。 マリナ・ビーチです。波打ち際へ行こうと、歩いています。 遠いのです。砂に足をとられて、歩きにくく、疲れます。 ようやく辿り着きました。「アジアの星一番」さんです。 浜辺の砂浜は、広く、長いのいですが、波打ち際の浜辺は短いです。 インドに来て、ずっと気になっていたのですが、こちらのカラスは、全身 真っ黒でなく、首の廻りが、薄い色です。動きや泣き声は、全く東京の カラスと同じです。 パルタサラティ寺院とツアー内容に書いてありましたが、ここは、 カバーレシュワレ寺院です。ヒンドゥー教寺院らしい雰囲気で、派手な 像が塔門の四方を全て覆っています。 次が、ヘビ園。ワニも沢山いました。 博物館。 ツアーバスの、僕の隣は、9歳のお嬢さんでした。インドのど真ん中、ナックプールと言う、全く知らなかった町から、親族で、観光に来ているようです。英語が達者で、へたくそな僕は、たじたじとしてしまいます。インドは、英語は普通に話しますねー。驚きです。 さて、南インド、タミールナードゥを、のように廻るか、考えてました。 チャンナイを足場に、ツアーに参加する方向に、かなり傾いていました。 しかし、本日の市内ツアーに参加してみて、バスから見るだけの場所が 多く、やはり、自分の足で見て歩く方がいい、と決定。 チェンナイ、わずか1泊ですが、次の世界遺産、マハーバリプラムへ 移動です。 これが、チェンナイの長距離バス停。
2008.11.04
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2008年11月2日(日) 46日目プリー海岸を離れるには、何と言いましょうか、もう少し残りたい気持ちと早く、移動したい気持ちが、複雑に絡み合っている感じです。あの、うんこさえなければ、こんな素晴らしい海岸はないのでは、と思えるほどなのあります。日本で言えば、九十九里海岸とか、かなー?1泊2食付、240円の宿も魅力的でした。ここの主人、白人は泊めないのだ、と言っていますし、日本人だけ泊めるとも言っています。(韓国人も日本人の内らしく、韓国人は泊めるそうです。)又、玄関の扉は、常時鍵をかけていて、ドアチャイムを鳴らすと開けてくれます。24時間対応で、セキュリティに関しても万全です。従って、部屋のドアには、鍵がありません。宿泊者に不届き者が居ない限り、外部からの盗難などは、心配ありません。安くて、こんなに、しっかりした宿は、少なくとも、僕の少ない経験の中では、初めてです。彼の兄は、日本に住んでいます、そして、この宿と同じ名前の、サンタナと言うインド料理を経営して、今や、大阪、京都、あと、どこかあ忘れましたが、2都市、全部で4軒も、お店を持っているそうです。さらに言えば、自分達、兄弟のお金、及び日本人の友人達の寄付金で、学校を経営していて、200人の子供達を面倒みといるそうです。地元の名士ですねー!1年間、2万5千円で、里親にならないか? との張り紙もありました。そんな状況で、どこで蓄財するのか、プリーの近くのメイン道路に、ホテル・ニューサンタナをオープンしています。こちらは、高くて、エアコンつきは、2000円位します。インド人の客で、いつも込み合っていると言ってました。長々と、宿のサンタナの説明でした。部屋です。エアコンなしのファン付きで、トイレもシャワールームも、共同でしたが、客が二人だけだったので、不便は感じませんでした。お得です。ずーっと小説を読んで、一歩も宿を出ず。夕方、宿を出発。リクシャーとバスと、そして、リクシャーを乗り継いで、汽車の出発する、ブバネーシュワルと言う都市に着きました。今回の夜行は、エアコン付き2段寝台が満席で取れず、エアコン付き3段寝台です。しかしエアコン車は2段寝台でも3段寝台でも、ここでは、ファーストクラスのようです。特別な待合室が在って、入り口に見張り番がいます。その人にチケットを見せたら入れてくれました。セカンドクラスの待合室は、見張り番もいない部屋が、別にありました。で、3段寝台ですが、寝る分には、全く問題はありません。2段寝台と違って、カーテンで通路と仕切られてはいませんが、気にはなりません。問題は、朝から昼、そして夕方の起きている時間帯です。上段との隙間が、狭いので、起き上がって座ると、頭が上のベッドにぶち当たって、座る事が出来ません。寝っぱなしで、およそ、20時間、夕方5時。時刻表より、15分早く、チェンナイにつきました。いやー、良く寝ました。チェンナイ駅です。可愛らしい駅ですよね? インドらしくないです。手前の車が、オートリクシャーです。さて、宿探しです。オートリクシャーで行きます。目指す、パレス・ロッジ、エアコン付き、175ルピー(350円)は、行って見たら、エアコンなしでした。エアコン付きなんて、始めからないって言います。「歩き方」さん、どこで、間違えたのでしょう?止む無く、ホテル・カンチ、エアコンつきで、875ルピー(1800円)へオートリクシャーを飛ばして行きました。しかし、値上がりです。1200ルピーにもなっていました。止む無く、オートリクシャーで、エグモア駅近くに戻り、ニュービクトリア、975ルピーへ行って見ました。やはり値上がりです。税込みだと、なんと、1350ルピー。ガックリ。近辺の、宿も、くまなく探しましたが、高いか、エアコンなしかで、見つからず。辺りは、暗くなるし、「歩き方」に載っている安宿は、全部見たし、心当たりがなくなり、途方にくれておりました。1200ルピーでも出して、泊まるかと、バックパッカーにあるまじき、弱気の気持ちが湧いて来ました。と、そんなとき、どこからともなく、現れたインド人。「ルーム?」、とか言って声をかけて来ました。「おー!」心のなかで、声をあげていました。ホテルの客引きです。普段なら、「うっせーなー! このー!」、などと見向きもしないのですが、このときは、ありがたく思いました。5分ほど歩きましたが、ありました。HARINI LODGE です。エアコン付き、600ルピー(1200円) もう、ここに決めました。
2008.11.03
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2008年10月31日(金) 44日目昨日は、「プリー海岸うんこ通り」、に愕然とし、早々に引き上げた。しかし、宿のサンタナ・ロッジの主人が言うには、もっと東へ行けば、綺麗であると言う。それで、暇は十分にあるし、出かけて見ました。サンタナ・ロッジの前の小道を、海側に歩いて行きます。すると、もう、すぐそこは、部落です。藁屋根の、なんとも素朴な家であります。井戸は共同、広場では、洗濯したり、漁の網を補修していたり、皆さん、共同作業を行っています。海から見ますと、こんな風景です。のどかで何とも言えない雰囲気、僕は好きなんですがねー、こう言う、田舎の風景は。しかしながら、この辺りも、やはり、住民のトイレなんですよー!この日、この時間、満潮に近いせいか、昨日より、少ないです。波にさらわれてベンガル湾へ泳ぎだしていったようです。漁師生活なのか、漁船が多いです。海へ漕ぎ出して行こうとする、船もありました。 部落を越えると、大きな塀に囲まれた、地区にやって来ました。この辺りとなると、たしかに、排泄物は、非常に少なくなります。が、安心していると、ありますので、慎重に歩く必要があります。波打ち側を歩いていると、波が押し寄せて来ます。反対側へ逃げようとすると、それがあったりするので、危なくて仕方ありません。綺麗なプリー海岸は諦めて、その塀を廻って、帰ることにしました。しかし、この塀、行けども行けども、途切れがありません。一体、何の建物じゃ? と、レンガを積んで、足場にして、中へ侵入して見ました。大学でした。サンスクリット語の大学のようです。色とりどりのサリーのような民族衣装を着た女子大生が、歩いています。広い敷地ですが、生徒は少ないですねー。 キャンパス 案内図 校門と言うことでありまして、プリーを否定するつもりはありませんが、うんこを何とかして貰わない事には、美しい海岸に座り、海に入り、夕焼けを見る訳には行きません。廻りは静かであり、海も美しいし、砂浜も長く続いているのに、なんとも、残念でなりません。しかし、女性が、海岸でウンチしているのは、見かけません。どうしているのでしょうか?朝早くとか、夜中とかにやっているのかなー?でも、暗いと、踏んづけちゃうし・・・。まさか、インド女性、ウンチしないってことは、有り得ないだろうし・・・。 ふ~む、全く、謎です。 うんこの話、二日続けて終わりでは、あまりに淋しいので、宿の話します。既報の通り、サンタナ・ロッジと言います。1泊2食付で、120ルピー、約240円です。安いですねー! 安過ぎ。部屋は、ドミ、シングル、ツインとありますが、どの部屋に泊まっても、値段は同じです。ツインでも、トイレ、シャワーは共同で、温水はありません。で、じゃー、どんな食事が、でるんじゃ? 気になるなー? とおっしゃる方がいるでしょう。 朝食は、食パン(小さめ)4枚、卵2ヶ(その日により調理は異なる)、キュウリとトマトの野菜、そして、紅茶1杯です。夕食は、下記から選べます。(セットとは、下記にサラダが付くだけです) インドカレーセット ラーメンセット おじやセット 焼き飯セット オムライスセット ベジタブルバーガーセットもう一人、インド人と結婚した若い日本人が宿泊していましたが、彼は毎晩、インドカレーセットでした。僕は、鳥モモ肉か、野菜炒めをつまみに、ビール飲みます。これで、大体、115ルピー、230円。その後、宿泊についている、おじやセットを食べて、はい! 大満足です。その他、普通のレストランで食べられるような、メニューも別料金で食べる事も可能です。親子丼や、卵丼、魚の塩焼きもあり、食べませんでしたが、刺身や、カツオのたたきなどもメニューにありました。で、1日の費用は、 宿(1泊2食付)で、240円 昼食、大体 100円 ビールとつまみで、230円 ネット代(2時間)、100円 その他、水とか果物とかの雑費、130円、として、合計、800円也。ここに泊まって、毎日、空を見上げ、本ばっかり読んで、後は、散歩のみの生活をすれば、1ヶ月、2万4千円で、過ごすことが出来ます。1年間いても、、30万円で、生活出来ますぞ! どうです? 来て見ますか?
2008.10.31
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2008年10月30日(木) 43日目プリーは、コルカタから、直線距離で、400キロほど、南々西にあります。道路距離で測ったら、どの位あるかわかりませんが、500キロほどは、あるのでしょうか? このプリーは、下記の二つで知られているそうです。一つ目は、ヒンドゥー教の巡礼地。町が出来る前からあったと言う、ジャガンナート寺院。二つ目は、白い砂浜が広がる海岸の保養地。と言うことで、早速、二つともこの目で、見て来ようと出かけました。これが、ジャガンナート寺院の入り口です。門の向こう、内側が見えますか? 外も内もすごい人です。これが、外の道路です。巡礼の人々、その人を対象に商売する人々、リクシャー、乞食たち、多くの人でごった返しています。残念ながら、ここは、ヒンドゥー教徒しか、入場出来ません。いやいや、バングラで、入場料値切ったから、入れないのではありませぬぞ。ここは、以前から、ヒンドゥー教徒しか入れないのです。で、全体像を見たいと、あちこちを、うろうろして、建屋の屋上を探しました。商売やっている、お店の屋上から見ようと、交渉しましたが、どこも断られました。「歩き方」を、見たら、上の写真の、入り口のこちら側に、図書館があるのです。そこから、見られるって言うので、探し探し、行って見ました。が、14時から17時まで、閉館。僕は、15時に行ったので、2時間待たねば、なりません。 諦めました。これが、一番大きく写せた、ジャガンナート寺院です。残念ですねー! 良く見えません。オリッサ建築の最高傑作と言われているらしいのです。注:オリッサとは、プリーが属する州で、インド中東部、ベンガル湾に面しています。諦めて、プリー海岸へ出かけて見ました。おー! すご~い! きれい~!どこまでも続く砂浜・・・ 打ち寄せる波、波、波・・・ 一人、歩く、アジアの星一番・・・ あぁ、絵になるなー! 安宿から、ちっとは高級なホテルなどが、この海岸の左手にあります。そして、その海岸を、さらに歩いて行きます。明日は、海パン買って、この広いベンガル湾で、青い空でも見ながら海とたわむれるかなー! などと、思いながら、さらに歩きました。左手に、みすぼらしい民家群が見えて来ました。おー! ええなー! こんな綺麗な海の近くに部落があるわい。しかし、ぽつり、ぽつりと、あまりと言うか、日本では絶対に見かけないものが、海岸にあるのです。それが部落に近づくほど、多くなっていきます。うわぁ! と思って、さらに前方を見ると、3人の男が、ケツを出して、しゃがんで海を見ています。おいおい、そこで何してんじゃ! 今、夕方の4時だぞ!ケツだけでなく、○○玉も、チ○ポも、丸見えです。見たくないものです。明日、泳ぐのは、即刻、中止にしました。やばいです。ガンガーから流れ出る、汚物は、このでかい海で浄化されてしまっているかも知れませんが、こんな新鮮な排泄物は、すぐには浄化されませぬ。僕は、ここを、「プリー海岸うんこ通り」、と名づけました。 宿には、日本の小説が、数百冊を越えてあるし、しばらく滞在しようかと思いましたが、2泊でいいや、と予定変更です。ビーチは、インドの最南端に近い、コヴァーラムに期待したいと思います。そこに、「うんこ通り」、がないことを、祈って・・・。
2008.10.31
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2008年10月29日(水) 42日目もっと長く居たい想いの、ブッダ・ガヤーを離れねばなりませぬ。宿の前の通りには、アヒルに、犬に、ヤギさん達が、仲良く歩いたり、寝そべったりしています。豚さんに、鶏集団も近くにいますが、餌漁りに忙しく、記念撮影に間に合いませんでした。ブッダ・ガヤーには鉄道駅がありませんので、およそ15キロの地点にある、ガヤー駅まで、リクシャーで戻らねばなりませぬ。汽車の飛び乗りは危ないと、身体の痛みで覚えましたので、かなり余裕を持って出かけました。で、駅前で、昼食を食べることが出来ました。プリー行き、プルショッタム急行は、3番腺、13時42分発と電光掲示板に記載されています。チケットを確認すると、あら、珍しや、5分早まっています。遅れることが、異常と思われないインドでは、珍しいことであります。しかし、その時間になっても、列車はやって来ませぬ。来ませぬどころか、3番腺には、ヴァラーナスィー行きの列車が入って来て、発車する素振りはありませぬ。 どけ、そこ! プリー行き列車が入って来れんぞ!などと、うろうろしていると、アナウンスで、「プリー、1番腺」と言うのが聞こえました。ヒンズー語か、ベンガル語か、分かりませんが、その、「プリー、1番腺」、だけは、良く聞こえました。慌てて、1番腺への歩道橋を、エッチタオッチラ、登って降りた頃、列車はやって来ました。やれやれ、と、列車名を確認すると、紛れもなく、「プルショッタム急行」、であります。自分の席を探して、着いてみると、シーツはシワシワで、誰かが使った後のようであります。 「なんじゃー! これは! 誰かおらぬか!」、と声を張り上げますと、清掃係りのおじさんらしき人がやって来ました。「ん~? おかしいなー?」 と言うような顔をしています。「はよー、片付けんか! このー!」、と言おうとしたら、チケット見せてくれと言いおります。「ええよ、ほら、これじゃ、31席と書いてあるじゃろ!」と、自信たっぷりに見せました。そしたら、「あー、こりゃー、違う! 降りて! 降りてー!」と、手を持たれて、引っ張られてしまいました。男に手を握られるのは嫌いなんですけど。「な、なに、すんだよー!」、と聞いて見ますと、この列車は、プリーから来たもので、デリーへ行くと言うのです。さらに聞いてみると、列車名は同じで、デリーからプリー行きは、2番腺に入って来る、と言うのです。出発してしまうから、早く降りろと、2番腺側の、線路の方へ降ろされました。ホーム側でなく、線路の上に降ろされるのが、インドらしいなー、などと、余裕こいておったのでありまするが、考えてみれば、反対方向へ行ってしまったかも知れぬ、危ない状況だったのであります。で、2番腺ですが、ほどなく、本当に列車がやって来ました。日本なら当たり前なのですが、嬉しいですねー! 目的の列車がやって来ると。喜び勇んで、再び、2Cの31番席へ行きましたです。そしたら、また、「ありゃー? ありゃりゃ?」、です。赤ちゃんを抱いた若い奥さんと、その旦那らしき、二人と半人前が、僕の席を占領しているのです。すかさず、車掌を呼んで、席をどかさせようと致しました。だって、苦労して、入手したチケットですからねー。そしたら、その二人、向こうの席へ行け! と言うような素振りなのです。僕は、首を振ります。しかし、お二人、しつっこいです。ですが、車掌が許しません。毅然たる、態度で、そこどけ!と言ったように思えました。いやいや、彼らは、反対側の席へ移動しましたが、大きな荷物が、その間を占領して、僕の足の置き場もない位です。おまけに、赤ちゃんを抱きながら、ぶつぶつ、「ジャパニーズ・・・、」、と何度も口にしているのです。こっちも、しらばっくれていますが、険悪なムードです。しょーないから、不貞寝していたら、1時間ほど、ほんとに寝てしまいました。こんな雰囲気で、明日の朝まで、いるのは嫌だなー、と思っていたら、ふとしたきっかけで、話し出し、なんだ、良い奴らじゃーないか、と分かりました。又々、給料や物価の話になって、タマゴ1ヶ 30円。 えぇー!寿司1ヶ 安いので100円。 えぇ、えぇー!寿司1ヶ 高いのは、1000円。 ぎゃー!などと、一々、驚いてくれます。その彼らです。夫婦かと思っていたら、兄嫁と義弟でした。女性の写真は、悪いと思って撮らなかったら、私のも撮れと、要求されました。美人なのですが、はっきり言って太めです。言い換えると、デブです。赤ちゃんが産まれるので、里帰りしていたようです。結婚式のアルバムを持っていて、一枚一枚、全部説明付きで見せてくれました。険悪ムードは、どこへ行ったやら、でありました。翌朝、2時間遅れで、プリー駅に到着しました。14時発で、翌朝7時着ですから、17時間かかった事になります。プリーって、こんな田舎町です。バックパッカーには、有名な宿、サンタナを目指して歩きます。
2008.10.30
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2008年10月28日(火) 41日目昨夜、ネズミに食われました。いえいえ、僕自身が食われた訳ではありませぬ。バックパックに入れておいた飴が、二つか三つ、長い道中のバスや列車に揺られて、つぶれていました。それで、飴を全部、出してベッドの上に、並べて置いたのです。夕食食べて部屋へ帰ってバックパックを移動しようとしたら、何かがひゅ~っと、動いて行きました。その後に、飴玉の食いかけが、3ヶ残っていたのです。綺麗なホテルだと思ったのですが、何と、ネズミの棲み処でした。しゃーないですねー。エアコンつきで、800円ですから。話は変わります。昨夕と今朝、印度山日本寺へ座禅を組みに行って来ました。どんな風にするのか、すごく興味がありました。が、お坊様の、朝夕のお勤めの間、その時間を共にするって言う感じです。15分ほど、般若心経などを、お坊様が唱えます。その後、瞑想が、20分から30分。参拝者は、昨夕は4名、今朝は僕一人でした。今、インドは、ディワーリーと言う、インド3大祭りの真っ最中です。10月初旬の、日本の暮れ、正月に相当する、インド3大祭り最大のダシャラー祭の3週間後に行われます。それで、参拝者も普段より、相当多いと聞きました。従って、夕方の座禅は、多くの参拝客の注視の下で行われたので、ざわついていました。精神の集中は、難しいです。しかし、朝は、誰もおらず、小鳥の鳴き声のほか、なにもなし。静寂。無音。朝のひんやりした空気の中、般若心経、瞑想の45分間、微動だもせずに祈ることが出来たのは、心が安定するからでしょうか?そして、スィッダールタが悟りを得た地へ赴くことにしました。ブッダ・ガヤー最大のお寺で、地元では、メイン・テンプルと呼んでいます。このお寺は、第2の仏陀と言われる、アショーカ王が建て、その後改修を繰り返して、現在の形になったそうです。見えて来ました。マハーボーディ寺院です。この塔の高さは、52mあります。49日間、瞑想した菩提樹です。多くの各国からの参拝者が、その樹の前で、お祈りしております。菩提樹の廻りには、柵が設けられ、仏陀と同じ所に座ってみることは出来ません。本殿内部に、この金箔の仏像が安置されています。仏陀が沐浴したと言われる、蓮池。花が供えられています。 各国のお坊さん、信者の方々は、思い思いの方法で、お祈りしています。静かに瞑想する人、作法に従ってお祈りする人、その国の言葉で、拝んでいる人、色々です。 ナイランジャー河です。この河は、尼連禅河として、経典にも登場すると言う事です。今は乾季なので、ほとんど水がありません。河を越えて暫く歩くと、スジャーターが、仏陀に乳粥供養したと言われる場所があります。ここです。さて、これは誰でしょうか?昼食を食べに中華系ホテルのレストランへ行ったら、写真が飾ってありました。見たことある人だなー? 真ん中の女の人? 撮影で、1週間ほど、ここに泊まったそうです。長澤まさみさんですよね? 「涙そうそう」で見ました。 追記 山田法胤さんの「仏陀の風景」、読み終わりました。で、とんでもない、思い違いをしていたことに気付きました。菩提樹の下で、49日間瞑想して、覚ったのではないのです。スィッダールタは、悟って仏陀となったあと、すぐに説法を始めず、49日間も静観したと言うのです。何故なら、 1.無上正覚の正法を整理し体系づけるため。 2.この正法を、いかに一般大衆に説くべきか、工夫研究をするため。だと、言うことであります。「しじゅうくにち」って、聞いた事が何度もあります。人の死後、49日間、死者はこの世と来世との中間をさまよう、と言う期間でありますが、この仏陀となって悟った後、静観した期間と同じですから、ここから、来ているのでしょうね、「しじゅうくにち」追記の追記今日は、既に記しました通り、インド3大祭りの一つ、ディワーリーです。(シンガポールでは、ディパ・バリーと聞いたような記憶があります。)これは、富と幸運の女神ラクシュミーの祭りで、家々の戸口に灯明が灯されます。そして、花火が打ち上げられます。但し、中国の中華正月の花火に比べたら、淋しいもんです。全く、規模が違います。でも、皆さん、楽しげですよ。 追記の追記の追記本日は、しつっこいですねー! え? いつもしつっこい? そうでした。書くしか、楽しみがないもので、えへへ、すいませんです。で、いやー、実はですねー、靴下のかかとに穴があきましたのです。3足持ってきて、毎日洗濯していたもので、小さな穴が開きました。透かして見たら、その廻りも、薄くなっています。もう寿命ですねー。しかし、これは、問題ではありません。インドでも同じようなの売ってます。靴下に穴が開いているので、同じように洗っているパンツも調べて見ました。そしたら?あやや!穴が開いてます! 薄くなってます! 困りましたです! 僕は、トランクス派。しかし、こちらで売っているのは、ピッタリする奴です。中国も、そうでしたが、なんで、トランクスって、日本にしか、ないのですかねー? 追記の追記の追記の追記 部屋替えて貰いました。いえ、ネズミのせいではありません。エアコンの吹き出し口から、ゴミも吹き出して来るのです。荷物置き場にしていたベッドは、ゴミだらけ。ネズミが散らかしたと思ったのは間違い。ネズミは飴だけで、他のゴミは、エアコンからだったのです。色々ありますねー! 夜中に懐中電灯で起きると、光の中には埃で一杯。昼間も夜も、埃の中で生きているのですねー!鼻毛切ったらいけません。 でも、鼻の穴から、鼻毛がはみ出ていると格好悪いしなー。 悩むところだ。追記の追記の追記の追記の追記もう、ありません。 あ! そう言えば、僕のダチで、立木って書いて、「ついき」って奴がいました。(まったく、かんけぇー、ねぇーですな。) 本日も、大変しつっこい、アジアの星一番でした。
2008.10.28
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2008年10月27日(月) 40日目夜行で、ブッダガヤーに着き、少し休んで、早速、各国のお寺へ参拝に出かけました。まず、町の中心を通る道路より、日本寺方向へ歩きます。まず、見えて来ますのが、ブータン寺です。ブータンは観光客の受け入れを全面的に解除している訳でなく、1日200ドル以上、支払わねば入国出来ない国であります。従いまして、バックパッカーには、行けない国なので、せめてお寺だけでもと念入りに、お参り致しました。次に見えますのが、印度山日本寺です。調度、日本からの団体さんが来られて、お坊様の説法を聞いていました。僕も、無断で末席に座って、聞いておりましたが、ここは、日本の各宗派が協力して建てられたもので、無料で幼稚園を経営したりして、仏教発祥の地、印度への恩返しをしているとの事でした。最後に、各人へ封筒を渡して、お布施も、お願いしていました。僕には、お布施の能力がないと見たのか、補助のお坊様は我を無視していました。(その方が、こちらも有難いです。)塀には、これまで寄進した団体、個人の方々の名前が、ずらーーーっと並べられておりました。図書館もありまして、せっかく仏陀様の所へ来たので、1冊位、関係の本を読まねばならぬと思い立ち、「仏陀の風景」このお寺の建造にも携わった、薬師寺:山田法胤の本を借りて来ました。ここは印度らしからぬ、静けさを保っているので、出来れば、1ヶ月でも、滞在し、朝夕は、座禅を組み、仏教の本でも読み漁っていたいものです。日本寺の先を右折しますと、大仏様が見えて来ます。日本でも、見慣れた大仏様です。その周囲には、お弟子さん達が、守るように、立ち並んでおりました。 やはり、風格がありますねー!大仏の隣にあるのが、正覚山釈迦堂です。次が、チベット僧院です。同じ、仏教でも、造りがずいぶん、違ってきますねー。そして、僕にとっては、お馴染みの、タイ僧院です。昼食は、現地食堂ですが、オヤコドンが作れるって言うので、注文しました。これです。このオヤコドン、誰に教えて貰ったのでしょうか?確かに、チキンと、タマゴは入っています。しかし、どう見ても、おかゆ、ですね。今夕と、明朝は、座禅を組みに行く予定です。
2008.10.27
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2008年10月26日(日) 39日目釈迦族の王子、スィッダールタ(シッタルタとも発音される)、性はゴータマ。その、ゴータマ・スィッダルタが、悟りを開き、ブッダ(覚った人)になった地、ブッダ・ガヤーへ行きます。で、少し、ガイドブックや、大辞林で、仏陀について調べていました。そしたら、数字の不思議さに出会ったのであります。仏陀が生まれたのは、ネパールのルンビニ。そのネパールから、インドのダージリンまでの、移動に、49時間を要したって言う事実は、既にここで、何度か、掲載しました。ゴータマ・スィッダルタは、出家後、6年、解脱への道を求め、苦しい修業を経て、35歳になっていました。ですが、まだ、、解答を得られずに、ブッダ・ガヤーへやって来たのであります。そして、菩提樹の下で、深い瞑想に入り、やがて澄み切った覚りが、彼の心を訪れたのです。菩提樹で瞑想に入ってから、49日目に悟りを開きました。そして、仏陀となったのです。な、なんと、49時間と、49日。長さは違いますが、49と言う数字は同じです。驚きましたねー! あの難業苦難の、バスの旅は、仏陀が僕に覚りを開かせる為に、準備した旅だったのでしょうか?それにしては、何の覚りも得てないなー?と言うことで、インド・ネパールの旅で、不思議な仏陀との縁があったことを知った訳であります。夜行列車の出発は、コルカタ20時35分なので、ハルディアのゲストハウスで、ゆっくりさせて貰いました。NHKが入るので、午前中はずっと見ていました。日本にいたら見ないNHKですが、海外に長いこといると、どんな番組でも見たくなるものであります。素人のど自慢でしたか、あれも見ましたよ。偉大なる番組ですよねー。何年続いているのでしょうか?昼食も、ご馳走になりました。具たっぷりのラーメンです。トンカツです。ポカラのカツ丼(あれは格段にうまかった)には敵いませんが、かなりな味です。ネパール人が作っているそうです。コルカタのメイン駅、ハウラー駅に着きました。この日は、1日中雨で、鬱陶しい気分ですが、駅は、天候に関係なく、大混雑です。今回の夜行列車も、2Aと言う、エアコン付き、2段ベッドにしました。この背中側のものを倒すと、ベッドになります。シーツも、毛布も毛布カバーも、枕も、タオルまであり、快適です。きちんと、定刻に出発し、ガヤー駅には、30分ほど、遅れて到着。ブッダガヤーは、ここから、15キロ離れたところにあります。バスで行く場合、2キロ離れたバス停へ、リクシャーか、オートで行き、そこから、バスで30分から40分かかって行きます。ちと面倒です。しかしながら、汽車で僕の上の段の人が、日本人で、宿を予約しており、駅まで迎えに来ているというので、便乗しましたです。(タダで)儲けたなー。宿は、その迎えに来た所にしました。部屋は広いし、パソコン用机も、準備してくれるし、おまけに、部屋代もブッダガヤーで一番安い宿と、同等の、400ルピーまでまけてくれました。勿論、エアコン、ホットシャワー付です。お得です。Laxmi Guest House と言います。
2008.10.27
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2008年10月25日(土) 38日目元勤務していた会社の関係者が、コルカタの南方150キロのハルディアと言う田舎町で、工場建設に従事しています。(シュンドルボンの対岸)近くまで来たので、訪ねて見ることにしました。連絡したら、なんと、1日2台しかバスが出ていない不便な所だからと、運転手つき車で、コルカタまで迎えに来てくれると言うのです。有難い事ですねー!運転手さんが来る前に、コルカタ市内を流れる、フーグリー河を見に行って来ました。コルカタの皆さん、身体洗ったり、頭洗ったり、そして、同じ場所で、歯を磨いたりしております。日本人には真似出来ません。北の方を眺めれば、ハウラー橋が見えます。地図から察するに、橋の左手に見えるのが、コルカタのメイン駅である、ハウラー駅でしょう。 昨日より、曇り空ですが、ハルディアへ向かう途中、雨が降り出しました。9月18日、デリー到着時に降った雨以来です。運転手さん、二人来てくれましたが、途中、レストランで昼食です。当然ですが、支払いは僕がしました。サウジでの運転手だった、アシュラフやフセイン、ご馳走しても、ありがとうと言いませんでしたが、本場のインドでも同じです。ベンガル語にも、ありがとうって言葉はあるのですがねー。道路の整備状況は、悪くありません。しかしながら、片側1車線で、且つ大型車がのろのろ走っているので、追い越し、追い越しで、距離は仲々、稼げません。3時間かかった頃、立派な家並みが見えて来ました。ここまでにあった家や建物と、明らかに違います。これが、社宅です。インド人社員の社宅だそうです。同じ敷地内に、日本人用の社宅もあります。 この敷地内にある、ゲストハウスに泊めて貰えることになりました。これまで、38日間の旅で、もっとも高級な部屋で、僕の気持ち的には5つ星のホテル並の設備です。エアコン、冷蔵庫付、テレビは、日本のNHKも見られます。38日振りに、日本語の映像を見ることが出来ました。キッチンも付いてます。そして、バスタブ付きの、バスルーム。タオルもバスタオルも、石鹸も準備されており、至れり尽くせりであります。 そして、和食の会食。懐かしい人たちが、8人も集まってくれました。旅の話、仕事の話、会社の人たちの動向、ここでの生活、などなど、色んな話に、花が咲き、時間を忘れてしまいます。あっと言う間に3時間経過。久しぶりに、ビールを飲みながら、楽しい間を過ごしました。 小雨模様、曇り空で、肌寒い位の天候です。広い清潔な部屋で、ゆったりと眠れました。又、今夜からの夜行で移動する力が蓄えられたようです。朝食も完全和食。日本人が、30人から40人、来て働いておられるので、日本人用食堂もあります。そして、朝食です。芋、人参、椎茸などの煮物。それから、梅干、しょっぱいけどうまい!納豆ご飯。それに、味噌汁。あ~ぁ、俺は、日本人だ! と感じる時です。 ここで、歓待を受けまして、日本人であることを、実感致しました。これからは、バングラ人などに、成りすまし、世界遺産の入場料など値切ることはしないで、きっちり、日本人らしく、払おうと言う気持ちになりましたです。ハルディアで働いている皆さん!楽しみは、非常に少ないでしょうが、元気に働き、明るく暮らして下さい!ありがとうございました!又、どこかで、お会い出来れば、幸せの限りであります!
2008.10.26
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2008年10月24日(金) 37日目朝起きたら、口中の防蚊クリームによる、変な痺れのようなものはなくなっていました。良かった、良かった。エアコンなし、ファンのみの部屋でしたが、十分に眠ることも出来て、且つ、蚊取線香の効果により、蚊にも刺されず、今の所、デング熱の心配もありません。昨夜、ちょこっと外出した時に感じたこと、ここら辺り、サダル・ストリートは、外国人ばかりだと言うことです。全く、外国人らしき人に、出会わなかったバングラデシュとは、大違いです。思わず、「ユアー・カントリー?」、と質問したくなってしまいます。(君ー! バングラ人になったのかい! うざいぞー!)宿のパラゴンも、日本人客が多いです。韓国人も多いです。白人もいます。さすが、40年近い歴史のある、バックパッカー宿です。宿に帰ると、僕の部屋のすぐ前のベランダで、4人の日本人が、歓談していました。男性1名:4ヶ月滞在。大阪から来た女子大生2名:1ヶ月滞在、明日タイへ出発。女性1名:子供がいる他は不明の謎の人の、合計4名。インド談義に花が咲いていましたので、僕も末席に座らせて貰いました。話の中心は、インドに嵌ってしまった年の頃、30代半ばか、40歳位のおっさん。滞在歴、長いだけあって、色んなこと知っています。知っていることを、喋り捲ります。サラリーマンにも、こう言う人、たまにいますが、大体、出世しませんね。物知りなのに生かせなくて、残念だなー、と思われるタイプの人です。さて、本日は、ゆっくりします。と思いましたが、せっかく来て何も見ないのも、コルカタに悪いので、ネットが終わってから、散歩に出かけました。モンダイ公園です。ん?ちょっと違いました。モイダン公園です。地図を見ると、コルカタ市の、ど真ん中に、どでかい公園があるのです。エスプラネードと言う、大きなバスターミナルから、大きなタワーが見えるのでそちらへ歩いて見ました。シャヒード・ミーナールと言って、イギリスがネパールとの戦争に勝った記念に作られた塔です。48mあります。このモイダン公園、公園の中も、主要な大きな道路が走っています。道路わきの木の下で、インド人が寝ています。この~木♪ なんの木♪ 気になる木~♪ て感じです。おー! 公園内に、戦車がありました。この公園、こ~んなに広いのですよ!イギリス人ですねー!こんなのを作るのは、やっぱりイギリス人です。インド人だったら、作りません!ず~っと、公園です。白いのや、黒いのが、ポツポツ見えますねー?羊さん達でした。公園内で羊飼いが、餌を食べさせています。コルカタ市の、ど真ん中ですよ!これが、公園の南の方にある、ヴィクトリア記念堂です。ヴィクトリア女王を記念して造られたって事ですが、全く贅沢です。大理石ですよ! あのタージ・マハルをモデルにして造ったと言うのです。バングラデシュの、レンガ造りの世界遺産に比べて、贅沢過ぎます。これも、全てインドから巻き上げた金と、労力で造ったのでしょう。これです。すごい建物なのですが、インド人から搾取したって気持ちの方が強くて、感心出来ませんでした。(おかしいですか? 考え?)すぐ隣にある、セント・ポール寺院。名前の通り、キリスト教の教会です。さて、これは、何でしょう? 巨大なロボット? 宇宙人?残念でした。正解は、プラネタリウムの映写機(って言うのかな?)です。モイダン公園内にあったので入って見ました。ヒンドゥー語なので、さっぱり分からず、暗いし、半分位寝てました。このすぐ近くの道路にあった看板です。CLEANCITY HAS CLEAN ROADS 確かに、聞いていた噂より、ずっと綺麗です。そんなにゴミゴミしていません。この公園辺り、チョウロンギ通り辺りは、コルカタでは、静かな通りなのでしょうか?時間もあるので、コーヒーでも、飲みながら、ケーキ食べようと、ハエのいない、きちんとドアボーイのいるケーキ屋さんで、買って来ました。ラム何とかと言うケーキ、チョコ何とかと言うケーキ二つです。このラム何とかって奴、甘過ぎ! 超甘! すんごく甘い!半分も食べられませんでした。追記本日、二日分アップ。これで、完全に、リアルタイムに追いつきました。しかし、これから、どうなのか分かりません。明日は、コルカタから、ちょっと田舎のハルディアって所へ元勤めていた会社の人たちがいるので、会いに行って来ます。その後、うまく汽車のチケットが取れれば、ブッダが悟りを開いたと言う、ブッダ・ガヤーと言う所へ、夜行で行きます。なので、又、アップ出来ないかも知れません。
2008.10.24
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2008年10月23日(木) 36日目本日は、四度目のインド入国です。1回目は、 9月28日に、デリーへ正式入国2回目は、10月 7日に、密入国3回目は、10月 9日に、ダージリンへ正式入国そして、今回が、四回目になります。密入国は、パスポートに記録が残ってませんので、入国になるのかどうか?クルナから、国境のベナポールまで、汽車が出ていると言うので、バングラで初めて汽車に乗りました。地元の人たちと、ガイドブックに乗っているベンガル語と、ジェスチャーで会話するのも、楽しいものです。バスよりも、ずっと快適でした。バングラデシュの国境の町、ベナポールへ到着しました。クルナから、2時間40分。7つ目の駅です。国境は、バングラデシュへの入国より、厳しい感じで、どうも袖の下をよこせと言っているインド側の係官もいました。インドの金は持ち出せないとか、何とか、難癖をつけているのです。しらばっくれて、通り過ぎました。バスで、コルカタまで行こうと思いましたが、グリーンラインと言う立派なバスは、午後4時までしかないと言う。まだ午前11時です。インドのボーダーから、5キロ以上あります。しかし、乗り合いオートリクシャーとか、リクシャーが沢山ありますので、移動に関しては、問題ありません。問題は、駅について、切符を買おうとしたら、もう、たった今、コルカタ行きの汽車は出た、と言います。見ると、まだ汽車は止まっています。「あれに乗れば良いんだな?」、と聞くと、「そうだけど、切符を買え!」、と言います。「おい、そんな時間あるのか!」、と言いながら、慌てて、100ルピー出しました。外を見ると、3番線から、汽車が動き出そうとしています。慌てて、お釣りの金額も確認せず、走り出しました。ホームは、1番腺にあります。コルカタ行きの列車は、3番腺です歩道橋を渡っている暇はありません! もう列車は動き出しました。合計12キロの、バックパック背負い、ショルダーバッグを抱え、さらに、1.5リットルのミネラルウォーター持って、走りました。1番腺のホームから、飛び降ります。1番腺と、2番腺の線路を、すっ飛んで、渡ります。見ると、もう、3番腺のコルカタ行きの列車は、スピードを増しています。2番腺のホームへ、跳躍! 1回でクリア! すごい、脚力、さすが元国体選手!そして、列車に飛び乗りました! 「ドドン!」「ウゥー、ゥゥゥー」左わき腹を、ドアに強かに、ぶっつけました。「痛いー!」しかし、列車には、乗れました。こんな乗り方はしない方が良いです。日本なら、ドアが閉まってしまうので、諦めもつきます。乗れなかった時の気まずさったらありませんが、苦笑いしていれば良いのです。ここは、ドアは開きっ放し。但し、一歩間違えば、大変危険です。でも、良く、あの2番腺のホームへ上がれたなー! あの時、不思議な力が出ました。 さて、列車ですが、バングラ側の列車とは、列車の幅が違います。インドの方が車両がすごく大きく、1列10人ほど座ります。そして、座席が硬い。プラスチックなので、長距離には、不向きな車両なのです。尻が痛い。我慢に我慢を重ね、地下鉄駅のある、ダムダム駅に到着しました。ボーダーの駅から、2時間5分。この駅から、市内まで直行の地下鉄が出ています。地下鉄の車両です。このガラ~ンとした座席、何で誰も座らんの?と思ったら、女性席なのです。女性専用車両でなく、女性専用座席です。こう言うのが、あるのですねー! こう言うのって、やさしいって言った方が良いのでしょうか? 性差別だ! って言った方が良いのでしょうか?宿は、バックパッカーが集まる、サダル・ストリート。そして、中でも、1970年代から、多くのバックパッカーが宿泊したと言う、伝説の日本人宿、「バラゴン」にしました。 この宿は、マザー・ハウスの、ボランティアを行う人が多く泊まるそうです。僕の隣のカップルも、1ヶ月、ボランティアしているって言ってました。この伝説的な宿、エアコン付きの部屋なんてありません。大部屋のドミか、ものすご~く狭い、シングル(150ルピー)か、二人部屋(290ルピー:約600円)しかありません。奮発して、ダブルル-ムにしましたが、ファンだけなので、暑くて・・・。おまけに、数週間前に、この宿から、4名のデング熱患者が出たとの話し。切れてしまった、蚊取線香と、地元の防蚊クリームを買いに走りました。追記えらいことが起こりました。口の中が、痺れています。(のような気がします。)実は、防蚊クリームを、歯磨き粉と間違えて使用してしまったのです。何と、トンマな話でしょう!味が、おかしいなー? デング熱にでもかかったか? などと、始めはのん気に磨いてましたが、どう考えても、味がおかしい。あ! あら! 蚊避けクリームじゃー!ぎゃー! 慌てて、トイレへ駆け込み、口の中を大掃除しました。そして、歯磨き、2回もしました。でも、まだ、口の中がおかしいです。いくら、蚊が怖いって言っても、口の中まで、攻撃出来ませんのに。いやー、まいった、まいった。
2008.10.24
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2008年10月11日(土) 24日目昨日、宿を移りました。あの素晴らしい部屋に、700ルピーで泊まりましたが、1部屋しか空いてなく、特別料金で1泊のみオーナーが了承したのです。色々と、探して見ましたが、高級ホテル(1000ルピー以上)は、ほとんどが、予約で一杯です。元々、泊まるつもりはありませんが、満室って聞くと、さも、ものすご~く、ガッカリした仕草をして帰ります。165ルピーの宿は多くあり、部屋も沢山空いています。そして、見た目、清潔そうな部屋もありますが、残念ながら、ホットシャワーがないのです。バケツにお湯を持って行く、とオーナーは言いますが、僕は贅沢なので、それでは、ちょっと我慢出来ません。因みに、あの僕を無視したデンマークの女性は、その安宿に泊まってます。(無視されたあと、少し立ち話をしました。)調度良いのがなくて、困ったなー、最悪は、ホットシャワーなしの安宿か、と観念していたら、良いのがありました。山小屋風です。備え付けのお湯ヒーターがあるので、いつでも自分でスイッチ入れてシャワー可能です。これで、500ルピー(1150円位)です。ホテル名:Main Olde Bellevue Hotele-mail oldbellevue@gmail.comAttn. Mr. Siddharthaこの人が、ここのオーナーですが、部屋に来て、ホテル名とか、ブログに書いてくれ! って、うるさいもので、書きました。でも、このホテル悪くないですよ。(昨日泊まったのが、Bellevue Hotel なので、紛らわしいです。場所も隣り)オフシーズンは、300ルピーまで下げると言いますが、ピークシーズンは、2000ルピーもするそうです。話は変わりますが、PASHMINAって、ご存知ですか?僕は、今まで、中国がカシミヤの偽物を作って、世界中で売りまくっているものとばかり思ってました。しかし、PASHMINAって、ペルシャ語で、ヤギの下あごの毛を言うらしいです。ですから、Kashmir産の、Pashminaってのが、一番肌触りが良くて、高級らしいです。このお店のオヤジに教えて貰いました。さて、本日、朝、3時半起きして、ご来光を拝みに行きました。昨日、ツアーを探したのですが、全く旅行代理店では、相手にされません。貸切でなければ行かないって言うのです。ネット屋で、金がなくて、ご来光に行けないって、そんな話をしていたら、朝、4時前に広場へ行けば、貸切でなく、シェアして行けると聞いたのです。それを、信じて行きました。行ってみると、ほんとに、ジープが沢山あり、観光客も沢山います。今回は、イギリス人カップル、ドイツ人のおじさん、オランダ人のおじさん、インド人3名、国不明の欧州系女性2名、そして僕の10名となりました。ダージリンから南へ13キロ、車で40分、標高2590mです。暗いうちについて、入場料30ルピー支払い、少し待つと、明るくなって来ました。太陽が顔を出して来ました。沢山の観光客から、どよめきがおきます。西側には、ネパールとの国境にそびえ立つ、8586mの、カンチェンジュンガが、はっきりと見えます。太陽の光が、あたって、正に御来光と言う景色です。太陽が、すっかり顔を出しました。さて、もう一度、カンチェンジュンガです。この辺りに、世界最高峰、8848mの、サガルマタの山頂が見えるはずらしいのですが、どれか分かりません。因みに、この山、英語ではエベレスト、中国語ではチョモランマと言われているとの事です。タイガー・ヒルからダージリンの町へ帰る途中です。山の尾根から、中腹に、家々が見えます。又、お茶畑も見えます。いい景色です。お昼は、又々、チョウミンとモモにしました。町の中心の広場、チョウラースター広場のすぐ隣にある、露天のお店です。「チャンドラ喫茶」と、日本語で、さらにメニューも書いてあります。レストランなどより、味は良いです。 さて、御来光みて、ネット屋へ行ったら、何やら臭いのです。なんじゃー! 誰やねん? と周囲を見回しましたが、僕しかいません。どこが臭いの? とクンクン臭いをかいだら、靴からです。ひぇー! ウンコ踏んだか? と思いましたが、それらしき物はついてません。靴脱いで、靴下を確認したら、靴下も、すごく臭いです。何か分かりませんが、慌てて宿へ帰り、靴下も、靴も、全部洗いました。お陰で、靴が乾くまで、一日中、どこにも行けませんでした。何だったのでしょう? おっかしいなー?足の臭いで、今まで、誰からの文句言われたことありません。自分でも臭いと思ったことありません。インド、ネパール料理で、体質が変わってしまったのでしょうか?それとも、牛、豚、犬、色んなウンコ踏んでしまったのでしょうか?今は、靴も靴下も、石鹸の臭いしかしません。
2008.10.16
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USB買えました。安かったですねー。1ギガで、800円です。日本での、こんなに安くなってますか? 4ギガでも、1900円でした。そして、リアルタイムに追いつくために、3連発でアップしました。長旅なので、長文章になてしまいました。ネパール →インド →ネパール →インドの迂回ルート、49時間ものバスの長旅、お奨め出来ませぬ。お金がかかっても、飛行機をお奨めします。僕も次回、そう言うチャンスがあれば、飛行機にしたいです。それから、カトマンドゥで、インドまでのチケットを売ると言って、実際は、ネパール国内分しか発券しない詐欺は、前からあったようです。「歩き方」に注意するよう記載されていました。まんまと、引っかかりましたです。あったま来たー! くっそー!===========================2008年10月10日(金) 23日目いやー、ゆったりしました。あの「49時間バスの旅」が、嘘のようです。シャワーも浴びて、洗濯もして、山の冷気に包まれて、今時、日本にはないであろう、重たい布団の中で眠りました。何度も説明していた通り、昨日の9日が、ダサイン祭りの最大の日です。昨夜は、チョウラースター広場で、盛大な踊りや唄をやってました。本日は、ゆっくり起きて、町を散策しましたが、ダージリンは坂道の町です。平坦な所は、ほとんどありません。尾根の斜面に作られた町なので、坂道だらけで、歩くと結構疲れます。町には、大きなバザールもあり、どこもかしこも、人が多いです。 ダージリン、こんな感じです。雰囲気はわかって貰えると思います。海抜2100mですから、涼しいのを通り越して、寒い位です。麓のスリグリでは、暑い!暑い!と汗流していたのに、ここの地元の人たちは、セーターにマフラーとか、ジャンパー着ている人もいます。露天のお店です。清潔度は分かりませんが、おいしそうなので、無難な、チョウミンを頼みました。このおばさんが作ります。全く、日本の焼きそばと同じなので、僕は、これが好きですねー。ここ、ダージリンを歩いていると、僕のイメージのインドとは思えません。人種が違うのですね。どっちかと言うと、ネパールに近いです。ネパール人や、チベット人も多いようです。それと、ここは、ほとんど全く、客引きが声をかけて来ません。それが、落ち着きをもたらしてくれます。もっとも僕は、ネパール人か、チベット人と思われているのかも知れませんが。実は、そのようなエピソードもありました。昨日、3時間も足を合わせて麓から登ってきた、デンマーク人と通りでばったり会ったのです。僕は、「ハロー!」と声をかけました、始め無視。2度、3度も無視。通り過ぎてから、肩を叩いて、ハローと言ったら怖い顔して睨まれました。一瞬の間をおいて、「オー! ユー!」とか言いました。どうも、地元の奴が声をかけて来たのと、間違えたようです。まぁ、その位、ここダージリンに溶け込んでいる、アジアの星一番です。話は変わりますが、せっかく、ダージリンに来たので、おいしいダージリン茶を飲みたいと、バザールへ出かけました。僕は買い物が好きでないのですが、何か、買いたいものがあると、見て歩くのも楽しいものです。バザールの中に、お茶屋さんを見つけました。 やや高級な、紅茶と緑茶を、薦められました。緑茶もあるとは知りませんでしたが、やっぱり、緑茶は日本でしょう。思い切って、高級な紅茶を購入しました。と言っても値段は知れてますが。そして、今、宿に戻り、ダージリンを飲みながら書いています。うまいです。至福の時間です。
2008.10.11
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2008年10月8日(木) 21日目朝早く、難なく、ネパールとインドの国境を、パスポートを出すことなく、通過しました。定員以上の人間と、ヤギさんで、大賑わいであったバス内も、わずか8名になってしまって、座るのは楽になりました。ですが、何故か、寂しい気持ちも湧いて来ます。不思議ですが。ネパールも貧しいと感じますが、バスで走ると、インドも貧しいなー、と感じます。下の左の写真の川のそばにテント状のもの、これは家です。初め何だろうなー? と、不思議に思っていましたが、そぐそばを通ると、あのテントの中に、寝て、周囲で、食事作っていました。右側は、普通の家です。こう言う家に住めれば、良い方なのかも知れません。 生活は貧しそうに見えても、心が貧しいとは限りません。物質的な豊かさと、精神の豊かさは別物です。ヒンズー教最大のお祭りだそうで、こんなのも道路をまたいで、作られていました。お金をかけないで作ったのでしょう。町や村は、どこも多くの人たちで賑わっています。あっちの村も、こっちの村も賑わっているのですが、バスの中は静かです。もう昼近くになるのに、食堂らしき所へ寄る、素振りが全くないのです。僕は、非常用に、バナナ6本と、りんご1個を買って置きました。朝、バナナ2本食べました。昼近くなっても、食事に関するような雰囲気は全くありません。皆んな食べ物を持参していて、僕が居眠りしている時に食べているのだろうか?腹減ったなー!昼近くになったので、残りのバナナ4本から、もう2本も食べてしまいました。あと、2本とリンゴしか残っていません。トイレは、どこでもバス止めて出来るので問題ありません。が、彼らは、そのトイレさえ回数が少ないのです。そこからして、たぶん、水も最小限、食べ物は、食べていないだろうなー、と推測します。この辺りのインドは、川は池など、湿地帯が多いです。ヒマラヤから流れ出る、アルン川が、インドへ入る手前当たりから、4本か5本の川に分かれて、流れているのです。この川は、ガンガーに合流しバングラデシュ経由、ベンガル湾へ行くのです。 道路はボコボコで、ガタンゴトン、天井に頭がぶつかりそうな勢いです。誰も、乗っていない後部座席は、座席のシートが、外れて落っこちてしまいます。でも、そんなのお構いなしです。午後2時。昨日、走り出してから、20時間位走りました。しかし、一向にネパールへ近づいたとも思われないのです。聞いても、どこ走っているか、説明してくれないし、時々、運転手がバス止めて、聞いているので、自分達も完全に分かっていないのかも知れません。腹減ったなー! いつ着くんだよー!他の客に聞いて見ました。「朝から、何か食べたのか?」、近くの二人とも、首を横に振りました。それを機会に少し話を始めたところ、一人は、ドバイへの出稼ぎ者で、帰省。もう二人は、マレーシアへの出稼ぎ者で、帰省。何と、3人とも出稼ぎで、日本で言えば、正月に間に合うよう、家へ帰る途中なのです。まぁ、僕もサウジへの出稼ぎ者ですから、出稼ぎ者集団と言う所です。でも、何で、腹減った、飯食べたい!って言わないのか不思議です。僕は、午後2時半頃、もうバナナも食べてしまって、残り、リンゴしかないので、3時過ぎに、「飯食わないのか!」、運転手と助手に大声で言いました。そしたら、分かった! 分かった!って素振りでした。結果、彼らは、訳分かってません。って言うか、僕の要望は無視です。何故なら、そのまま、食堂など行かずに、バスは走り続けたのです。午後8時頃、少しバスが止まったと思ったら、インドを抜けて、ネパールへ入ったとの事。又もや、不法出入国です。でも、これで、元に戻ったので、捕まることはありません。ビラトナガルと言う町を通り、ダーランと言う町に着いたら、もうそこで、動かないと言います。運転手が疲れて走れないって言うのです。おいおい、いつ、ダージリンに着くのだよー!と言いたい所ですが、腹が減って、腹が減って、早う何か食えるところへ連れて行け! と怒鳴っていました。だって、夜の9時半ですよ。昨日の夜食べてから、バナナ6本しか食べてません。続く
2008.10.11
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今、インドのダージリンです。困ったことが発生しました。USBが使用不能となってしまいました。自分のラップトップで書き、写真も縮小したりして、USBにコピーして、ネットカフェでアップしているのです。これで、リアルタイムでアップ出来なくなってしまいました。おばちゃんのやっているネットカフェで、どうむ無理やり差し込んだのが、原因ではないかと推定しますが、どうしようもありません。こんな山奥のダージリンで、USBなんて売ってないだろうし、仮に売っていても、きっと高いのでしょうねー。参りました。
2008.10.10
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2008年9月30日(火) 13日目9月29日(月) 6時50分 ヴァラーナスィーの宿出発。9月30日(火) 18時10分 ポカラの宿に到着。丸々、2日間かかって、インドからネパールへやって来ました。こんなバスです。座席もゆったりして、座り心地は最高です。これは、ツアー客専用のバスなので、ローカルは乗れません。因みに、乗客は、20人ほどで、その半分が、日本人です。海外のバスでは、こんなに日本人が乗っているバスは、初めてです。その他は、欧州系、一人アフリカ系女性がいました。日本人は、どのような人が乗っていたかと言いますと、タカ&トシとユウジ。(自己紹介しましたが、名前は定かでないです。)タカは、20歳、学生。あまり笑わない。トシと一昨日から同一行動。トシは、愛想いい、明るい24歳学生。2年留年で来春卒業。ユウジは、イギリス留学2年間終了し、日本帰国前に旅行中。27歳。その他、暗い感じの23~28歳位に見える男性二人連れ。30歳~35歳位に見える、カップル。派手派手なシャツに、これまた、派手な帽子を被った、謎の男。(ほとんど全く、日本人と会話しなかった。)と言うことで、アジアの星一番は、タカ&トシ、ユウジのグループとほぼ、同一行動です。こんな村を通ったり、こんな喧騒たる、町を通り抜けたり、村の靴屋さんを見たり、バスに揺られ、続けました。既報通り、バス自体の乗り心地は、よろしいのですが、まぁ、クラクションは鳴りまくるし、うるさくて仕方ありません。追い抜くときに、ずっと鳴らしっぱなしでるのです。これは、エジプト、中国も似ています。そして、ほぼ12時間乗った夜の8時前、インド出国のイミグレに着きました。こんな辺鄙なイミグレは、シリアーレバノン間以来? いや、ここが一番辺鄙です。普通の事務所より、もっと簡単です。そして、ネパールへの入国です。なんと、書類の記載は、外で、ローソクの灯りを頼りに、書かねばなりません。いやはや、すごい所です。ホテルチェックインは、8時半を過ぎていました。腹は減るし、すぐに食事に行きました。僕は、ビールに、チョウメン。ユウジは、ビールにスパゲッティ。タカは、何だか知らないのを注文しました。面白かったのは、トシ。「オーシ、わからないけど、ネパールの特産頼もうー!」とか言って、ALU BHUJIA とメニューに書いてあるのを頼みました。「何これ?」、と聞いてみると、「知りませんが、ネパール料理食って見たい」と言うのです。どんなのが出て来るか、楽しみだとか何とか言いながら、明るくビール飲んでいました。しかし、10分経っても、何も出てきません。僕とユウジの、チョウメンも、スパゲッティも出てきました。タカは、良く分からん料理を、「少なくて、夕食になんねぇー」、とぶつぶつ言いながら、トシの前で、食ってました。20分過ぎても、まだ、トシの頼んだ、ALU BHUJIA って代物は出て来ません。「きっと、手のかかる料理なんだ、ALU BHUJIAは!」とトシは、余裕かましてました。僕の前では、ユウジが仕切りと、「損した、損した」、とぼやいています。中々の好青年なのですが、如何せん、バックパッカー初心者で、且つ、騙されても、人を騙さないだろうって言うような人柄に見えるのです。バス乗り場で、インド人に両替を薦められ、インドルピーをUS$に替えました。僕は止めといたら良いのになーと思っていましたが、案の定、5000インドルピー出して、5600ネパールルピーしか貰ってません。本来なら、5000インドルピーが7500ネパールルピーなければならないのです。それに、ネパール側の両替屋で聞いて、損したことに気がついたのですねー!しかし、彼は、もっと損しているのです。ネパール側の両替屋で、ネパール滞在に必要なほとんどを、US$からネパールルピーに替えていました。しかし、こんな場所は、レートが悪いに決まっているのです。僕は、移動に必要と思われる、最低の20ドルのみ両替したのです。ここでは、20ドル → 1120ルピーその翌日、ポカラでの両替は、20ドル →1452ルピー。ですから、国境の両替屋は、3割も高いのです。ボッタクリです。それに、ネパールでの宿も紹介して貰った通りに、予約してお金も支払ってました。後で、損した事に気づくのでしょうねー!ま、誰でも、初めは、損したり、騙されたりして、段々と、イッパシのバックパッカーになって行くのです。人生と一緒でしょうか?ユウジの、損した、損した!って声が聞こえてきそうです。さて、トシです。仕切りと、再三再四、ALU BHUJIA!と、催促して、30分も過ぎた頃、やって来ました。トシ曰く、「ちぃせぇー!」、 45ルピーもするのです。スパゲッティも、チョウメンも、60ルピーなのに。そして、よくよく見てみれば、ポテトチップです。一つ貰って食べましたが、紛れもなく、ポテトでした。トシの、特産ネパール料理に挑戦は、見事失敗に終わりました。だけどねー、内容、聞いてから、注文すれば良いのに、話の種を作ってくれる男です。しかし、このトシ、メゲナイ男です。笑って、ビールもう一本!とか頼んでいました。そんなこんなで、楽しい夕食を採り、部屋です。大部屋です。ドミって呼んでる奴です。お湯は出ません。聞くところによると、1泊、100ルピー(160円)の部屋らしいです。僕は、せめてシングルルームのお湯たっぷりの部屋に泊まりたかったのですが、この宿泊も、費用に入っているので仕方ありません。蚊にさされるわ、夜中に停電して、シーリングファンは止まるわ、で、皆さん、全然、眠れなかった! とか言ってました。しかし、鼾はかくし、寝言をぐちゃぐちゃ言っていた癖に、全然眠れなかった、って、良く言うなーと思って聞いておりました。
2008.10.01
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ネパールの、ポカラにたどりつきました辿り着きました辿り着きました。丸2日間、国境で1泊し、バスに揺られること、合計22時間。インドのヴァラーナスィーから、ネパールのポカラです。疲れきってしまいました。詳細は、明日って事にして貰い、今夜は寝ます。お休みなさい!
2008.09.30
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2008年9月28日(日) 11日目聖なる河ガンガーへやって来ました。日本人には、ガンジス河と言った方が、ずっと通りやすいと思います。しかし、インドは長いことイギリスに支配されており、勝手に英語名をつけられ、それが世界に知れ渡っているのです。インドでは、ガンガーと呼ばれているので、我々もガンガーと呼びましょう。大辞林でも、ガンジスで、説明がされており、ガンガーとひくと、ガンジスとのみ、記載されております。それで良いのかなー?このガンガーは、ヒマラヤ山脈からの水が、ヒンドスタン平原を流れ、バングラデシュで、ベンガル湾にそそぐ、インドの母なる大河です。その距離、2500キロにも及び、日本で言えば、北海道から九州の南端位まであるはずです。そして、ヴァラーナスィーの町は、シヴァ神の額に当たる所だそうで、3000年以上の歴史を持つ、ヒンドゥー教最大の聖地であります。このガンガーの聖なる水で沐浴すれば、すべての罪は浄められ、ここで死に、遺灰がガンガーに流されれば、輪廻からの解脱を得るとヒンヅゥー信仰されているそうです。ですから、彼らにとって、ここで死ねれば最高の幸せなのです。その聖なる、ガンガーをお見せいたしましょう。ヒンドゥー教徒が、沐浴しております。右側に見えるのは、何だ? とカメラを右に振って見ました。ん? 牛さんではないか? 牛も沐浴しているのか?何でも、飲み込むって言うか、何でも許容するインドですねー。この沐浴する場所を、ガートと言うようですが、ガートとは、岸辺から階段になって河水に没している堤のことです。この湖畔に、何と84ものガートがあるそうです。岸辺をずっと歩けないので、水嵩にもよるのでしょうが、本日は、ガートからガートへは行けません。狭い道を歩いて、岸辺へ行かねばならないので、84あると言うガートの、数箇所を見たのみでした。面白いなー、と思ったのは、ガンガーの西岸と東岸の違いです。西岸です。東岸です。このように、西岸は、ぎっしり家々が立ち並び、ガートも84もあります。一方、東岸には、驚くほど、な~んにもありません。これは、対岸は、不浄とされている為に、人が住まないのだそうです。しかし、3000年もの長い期間には、神をも恐れぬか、単なるアホか、そのような言い伝えを、無視する輩が、現れると思うのですが、全くいないと言うのも、すごいなー、と思いましたです。ヒンヅゥー教の方々には、聖なる河なのでしょうが、僕は、この汚い河で沐浴しようと思う気持ちにはなれませんでした。そして、道路を歩くと、片言の日本語で、しつっこく話しかけられ、結局は金をくれってことになるので、長く滞在したい気持ちが失せました。それで、本日の朝、着いたばかりなのですが、明日は、ネパールへ向かう事にしました。ブッタ・ガヤーへ行くのもやめて、インドを退避です。ネパールへ行ったら、インドへ戻る気持ちになれるのかどうか?今のところ、自信がありません。ここなら、もっと、混沌としていましたが、日本人でも、あまり話しかけても来ないマツゥラーとか、田舎町ですが、カジュラーホーの方が、僕としては好きです。
2008.09.28
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2008年9月27日(土) 10日目ヒンドゥー教徒の沐浴、そして火葬場がある事で有名な、聖なる河ガンガーの畔にある、ヴァラーナスィーへ移動します。なお、このヴァラーナスィー、ベナレス(英語名より)、バナーラス、などと、呼び方がいくつかあるようですが、駅名などに使われている、名前のVaranasi(ヴァラーナスィー)と、ここでは呼ぶことにします。その前に、カジュラーホーのホテルを、紹介しておきます。Osaka Guest House と言いまして、メイン道路から、歩いて3分ほど奥に入ります。で、客が少ないのか、格安で泊まれました。テーブルや、椅子、さらに低いテーブルもあり、とても使いやすかったです。又、コンセントも4箇所もあり、パソ コンしながら、お湯沸かしたり、ipodを充電したり出来ました。これで、400ルピー(1000円)ですから格安だと思います。インドの安宿では、珍しく、バスタブもありました。勿論、お湯を満たして見ましたが、残念ながら、湯量が豊富でないので、どっぷり浸かることは、無理でした。でも、気持ち良かったー!昼飯は、親子丼まがいと、味噌汁まがいの、これを食べました。90ルピー(220円)です。まがい物でも、一応、日本食なので、満足しました。バス乗り場まで、ゆったりと歩いて行ったら、こんな鳥がいました。カジュラーホーから、ヴァラーナスィーまで、直通で行くバスも、電車もありません。サトナーと言う所まで、バスで行き、そこから列車に乗り換えです。バスは、完全なローカルバスで、乗客がいれば、どこでも止まったり、乗せたり降ろしたりします。ですから、ゆったりで、勿論、エアコンなどないですから、埃は入ってくるし、大変です。外国人は、フランス女性2名、日本女性2名、そしてアジアの星一番の5名です。その他は、全てインド人。日本女性は、人気高く、インド人に話しかけられたり、じっと見つめられたりしていましたね。そして、着きました。サトナーー駅(構内のホーム)です。僕は、エアコン付きの席とだけ指定して、チケットを買いましたが、2Aと言うクラスで、上から2番目の良いクラスのようです。日本女性は、姉妹で、南欧州から、トルコや、中東、エジプトなど4ヶ月も旅を続けて来ていて、列車の席も、SLと言う、僕より4クラスも下のチケットを買ったそうです。僕のチケットが、625ルピーで、彼女達のが、170ルピーと言ってましたので、3倍から4倍の値段です。フランス女性達も、SLクラスです。同じバックパッカーでも、僕は、金遣いの荒い裕福なほう見たいですなー。貧乏人気取りが出来なくなってきますよ。2段ベッドの上でしたが、それでも、こんなに狭いのです。狭いですが、エアコンは効いているし、シーツに、毛布に、毛布カバーに、枕も準備してくれます。7時間半、熟睡しました。心配した荷物も盗まれもせず、問題なかったです。ただ、僕は荷物最小限にして、12キロ程度にしてますが、フランス女性は24キロもの大きいバックパックを背負ってましたので、荷物は寝台には置けませんね。そうすると、盗難が心配だし、困ります。因みに、日本姉妹は、もうSLクラスには乗らないと言ってました。毛布も、シーツも、枕も何にもなくて、仕切りのカーテンさえない、硬い寝台があるだけってことです。エアコンも、勿論なしです。夜の8時半に、サトナーを出発し、翌朝の5時半に、ヴァーラーナスィーに到着しました。ここでも、客引きが大変です。群がる客引きを振り払って、別の場所へ移動して、日本の姉妹と、一緒にリクシャーに乗りましたが、走り出して、駅を抜けるとリクシャーを止めて、どこへ行くんだ? とか、言い出します。明らかに、宿の客引きに変貌しました。ちょっと揉めましたが、そいつには乗らない事として降ります。リクシャーが来なかったら、困るなー! と心配しましたが、そんな心配は必要なく、すぐにやって来ました。そいつは、誠実な運転手だったので、正規料金で乗れたのであります。そして、ガンガー近くに行く前に、今度は、別の宿の客引きどもです。しつっこく、付き纏います。振り払っても、先回りして、付いてきます。ほんとに、しつっこいです。日本の姉妹さんは、エアコンなしの部屋探しなので、途中で別れました。そして、又、ここでも、格安の安宿を見つけました。もしかしたら、僕は、安宿探しの名人かも知れません。エアコン付き、ホットシャワー湯量たっぷりの部屋で、400ルピー、1000円です。屋上からは、ガンガーが見渡せます。内容も良くて、格安の宿は、「歩き方」に乗ってなくて、中心から、ほんの少しだけ、外れた所が、狙い目のようです。
2008.09.28
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2008年9月26日(金) 9日目本来なら、カジュラーホーは、東も、西も、南も、見終わったので、次の目的地、ヴァラーナスィーへ移動しなければなりません。しかしながら、汽車が満席で、チケットを購入出来ず、もう1泊、ここに留まる事になりました。インドの旅も、9日目だし、完全休養日があっても、良いかな、と宿にてゆったりしております。お陰で、持参のパジャマも洗濯することが出来ました。下着は上下3着ずつ持参し、毎日、シャワー浴びる時に洗っています。エアコン付きでないと、一晩で乾かないので、困ります。ずっと、宿にこもっていても、退屈なので、洗濯が完了し、コーヒー飲んで、カジュラーホー村へ出かけました。ここは、オールド・ビレッジと言われ、ヒンドゥー教のカースト制度が完全に残っていると言うことです。宿の若いオーナーが、夜、案内すると、しつっこく誘って来ましたが、何だか、怪しくて、何かが起こりそうな予感がしたので、断ったものです。こんな街です。ここは、ちょっと見栄えの良い箇所を撮影したので、実際は、、もう少し惨めな感じです。でも、悪くはないですよ。ここの右側が、オールド・ビレッジで、左側が、沼です。この大きな木の向こう側が、村です。村には、共同の井戸が何箇所もあり、そこから水を汲んで家に持ち帰ったり、そこで、洗濯したりしていました。水道は、ひかれてないようです。村のハズレに、寺院がありました。西や、東、南と同じような造りです。さらに、その先にも、寺院がありました。えげつい彫刻はなく、エロでなく、色っぽいと言う彫刻でした。村では、大人も子供も声をかけて来ます。最初は、親しい人たちだ、と思って挨拶を返し、言葉も交わしましたが、皆さん、金くれ! か、ペンくれ! との、おねだりです。貧乏旅人の僕に、くれって言っても無理よ、と、後は、しらばっくれて、自転車を漕いで、宿方面へ帰りました。エジプトでも、ペンくれだの、バクシーシだのって、しょっちゅう、言われました。インドでも、言われるだろうと、実は、予想しておりました。物乞いは多いって聞いてましたので。ここが、カジュラーホーの、中心地です。田舎通り見たいでしょう?この付近がそうなのか、季節的にそうなか、分かりませんが、虫が多くて、参ります。宿の部屋は、たった400ルピー(1000円)の割りに、しっかりと虫対策されており、窓には全て細かいメッシュの金網です。ですから、蚊も入って来ません。問題は、ネット屋さんとか、食堂で、ご飯食べる時です。ネット屋も、ネットカフェなどと洒落たものでなく、まさしくネット屋って感じで、入り口のドアなどありません。壁もなくオープンです。虫さん達は、我が家だとばかり、パソコンの画面に向かって来ます。しっかり眼を見開いて、画面を見ていたら、目に直接、虫がぶつかって来ました。反射的に瞼を閉じます。虫が瞼に挟まりました。痛い! 痛い!暫く、眼が開けられませんでした。(恐い位ですよ!)食事も、レストランなどと洒落たところで食べませんから、完全にオープンスペースで食べます。昼は暑いですが問題ありません。夜です。灯りを点ければ、虫の大群が押し寄せてきます。薄明かりだって、やって来ます。ですから、ものすご~く暗い、外で食べますから、虫の数匹、一緒に食べてしまっても分かりません。(食べているなー、きっと。 おぇー! 気持ち悪くなってきたー。)宿の部屋は、完全隔離かと思いきや、小さな蟻さんは、やって来ます。朝食用の食パン買って一晩経ったら、何と、蟻がもう100匹以上は、袋の中に入って、蟻の巣になっていました。しゃーねぇーなー、と蟻を、振り落として、食パン食べましたけどね。そんなこんなで、各家庭も、電気は、最小限しか点けません。で、夜空がきれいなんですよー! 灯りがほとんどないですから。日本なら、山の奥へでも行かねば、見られないような星空です。蚊の心配しながら、虫除けマットのスイッチをオンにして、暫く夜空を眺めていました。日本もなー、各県ごと位の単位で、停電の日でも作って欲しい。例えば、1ヶ月に1回とかね。電気の有難さは、実感できるし、夜空の星でも、家族や、恋人同士が、眺められるし、良いことばっかりだ。などと、と考えながら・・・。
2008.09.27
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本日、2回目の更新です。ほんとど、休養日で暇ですので。===========================2008年9月25日(木) 8日目自転車を借りて、少し暑いですが、快適に飛ばして、東群寺院へと向かいます。見えて来ました、この通りの向こうに見えるのが、東群の入り口です。このように、3寺が、ここにはあります。それぞれ、別の特徴がある、3寺院です。 さらに、チャリを飛ばし、南群寺院へ向かいます。のどかな田舎の道を、気持ちよく、ペダルを踏み続けました。ドゥラーデーオ寺院に着きました。(写真なし)こんなに広く、美しい庭園を持ってます。ここは、無料ですが、どうやってこれだけの、庭を維持しているのか、分かりません。(写真なし)こんな川を渡り、こんな村の道を通りぬけて、チャトゥルブジャ寺院に着きました。隣に、小学校がありました。休憩時間なのか、子供たちの声が、すごく大きく聞こえました。とっても、のどかで、気持ちよい道でしたので、寺院とは関係ありませんんが、田舎道の写真をアップすます。
2008.09.26
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2008年9月25日(木) 8日目ラクシュマナ寺院左が、カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院真ん中の小さいのが、デーヴィー・ジャグダンベ寺院右が、チトラグブダ寺院ヴィシュワナータ寺院西群寺院は、上記の5寺がメインです。その他、小さいのを含めれば、全部で、14寺あります。昨日は、エロスのみの写真を掲載しました。どぎつい奴ばかりで、少しげんなりしたかと思います。あぁ言うのは、秘め事にしておくのが良いですよね。で、本日は、どぎつくないのを、アップします。その前に、全体像ですが、彫刻は、こう言う風に、側面に施してあります。まず、彫刻関係。タージ・マハルはシンプルでしたが、ここは、色んな模様が、彫ってあります。 でも、やっぱり、特徴は、シヴァとバールヴァティーと言う名前らしいですが、寄り添う、男女像です。 さらに、天女像なのか、女性の像です。処女と、非処女の区別もつけて、彫ってあるらしいですが、経験乏しい、アジアの星一番には、さっぱり分かりません。 西群寺院の、監視員の皆さんです。暇なので、暫く雑談してましたが、ちょっとした冗談なのに、良く笑ってくれて、楽しいひと時を過ごしました。東群寺院、南群寺院へと続く
2008.09.26
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2008年9月25日(木) 8日目カジュラーホーが、何故、「エロスの寺院街」かと言うと、ここの寺院は、エロティックな彫刻が施されていると言うのであります。それを見るのが、目的ではないのですが、移動距離との関係で、ここへ来たのであります。言い訳しておきますが、あくまで、それが目的ではありませぬ、ので。まず、ここカジュラーホーには、西群の寺院、東群の寺院、南群の寺院、の大きく3箇所に別れております。西群の規模が、最大だと言うので、まず、西群の寺院へ言って見ました。大通りのすぐ目の前が、寺院です。門をくぐると、公園のようであります。これが、西群の寺院の中でも、最大なカンダーリャ・マハーデーヴァ寺院です。遠くから見ると、アンコール・ワット廻りの寺院のような感じを受けます。「エロスの寺院街」、と僕が名付けましたが、まず、それを先に、お見せします。羅列と言った方が良いでしょうか。寺院の壁に、こう言った彫刻が施されています。二人で屈んで、何しているのでしょうか?こんな、彫刻が沢山あります。 おー! おおおー! 大胆に乗っかっていますぞ!真ん中の女性、ち○ち○、押し付けられて、恥ずかしがってます。その隣では、きちんとやってますが。これは、すごい! この体位は何と言うのでしょうか?経験ありません。逆立ちしてますぞ!逆立ちしたり、立ってたり、後ろからだったり、乗っかったり、インドの人の正上位ってのは、どれかなー? ないのかなー? と思って、探したら、ありました!小さい彫刻なので、懸命に探さねば、見つからないような所に、ありましたです。今回のところ、これまでにしておきます。全体像を見ると、いやらしいと言う様な建物ではありません。西群の寺院、南群の寺院と、共に、明日、全体はまとめてアップしたいと思います。いやー、大胆な、彫刻には、驚かされます。
2008.09.25
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2008年9月24日(水) 7日目アーグラーから、どこへ行こうか考えました。地図を見ると、バナーラスの前に、カジュラーホーがあります。バナーラスへ直接行くには遠すぎるので、カジュラーホーへ行くことにしました。調べて見ると、アーグラーから、カジュラーホーへ直接行くバスがありません。誰に聞いても、汽車で、ジャンスィーへ行き、そこからバスで乗り継げ、と言います。止む無く、昨日、チケットの前売りを買いに駅まで行きました。そしたら、普通(多分2等席)は、売り切れで、ファーストクラスしか空いてないとつれない返事です。300ルピー位でいけると思っていたら、なんと、720ルピーもします。1700円もします。迷いましたが、もう1日無駄にするのも、もったいないので、泣く泣く、ファーストクラスのチケットを購入しましたです。そして、本日、移動です。アーグラー駅です。鉄橋も渡ります。緑豊かな車窓です。 ファーストクラスの僕の席をお見せしましょう。先日、成都で買った、ショルダーバッグが置いてあります。(すっごく便利になりました。)8時17分発が30分ほど遅れましたが、朝食つきです。さすが、ファーストクラス。2時間半かかって、ジャンスィーに着きました。ここからが、問題。バス停がどこにあるか分かりません。リクシャーか何かの客引きが、駅の構内までやってきて、纏わり付きます。振り払って、外に出ると、欧米系のカップルが、客引きに捕まっていて、一緒にタクシーで行かないか? と誘いがありました。聞くと、合計3000ルピー、1人、1000ルピーでどうだ、と言ってます。僕は一言、「高い! 高すぎる! バスで行く!」、と断りました。客引きは、もう11時のデラックスバスは出発した、ローカルバスはあるけど、7時間かかる、とか、何とか言って引き止めにかかりましたが、振り切って、ツーリストインフォーメーションへ。そこにも、欧米系の青年がいたので、一緒に行くことにしました。外に出ると、彼には、彼女がまっていました。3人となりました。まずは、長距離バス停へ行かねばなりません。オートリクシャーで行きましたが、その運転手が、仕切りとタクシーを薦めます。やはり、3000ルピーから始まりましたが、すぐに、2500ルピーへ、そして、2100ルピーまでディスカウントすると言います。一人、700ルピーまで下がりました。メキシコから来たカップルは、タクシーで行きたそうな素振りだったので、僕は、そこで、「一人、500ルピー。それ以上だったら、乗らない」と、言って、後は、何を言われても、Noと言ってました。メキシコ女性も、僕に合わせて、500ルピーと言い張っています。で、敵は、600ルピーまで下げて来て、もう一息で、500になるな、と、ひとり、ニヤッっとしてました。そしたら、堪え切れずに、メキシコ女性、550ルピーで、どう?と言ってしまったのです。もうー! このー! もうちょっとだったのにー!と思いましたが、後の祭り、550ルピーで、手を打ちました。で、こんな、道路を走ります。中学生か、高校生なのか、女子生徒が自転車で、やたら走ってます。のどかな風景がずっと続きます。町よりも、ずっとキレイな道路と、畑や、牧草地です。 ホテルは、ちょっと奥へ入りますが、相場700ルピーのところ、400ルピーのところを見つけました。エアコン付き、バスまであります。エロスの寺院ってのは、明日、現物を見てから、報告します。乞う、ご期待! (期待してない?)
2008.09.25
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2008年9月23日(火)ホテル、2泊するつもりでしたが、別ホテルに移りました。エアコン付きと言う条件で、泊まったのに、エアークーラーと称するファンの部屋だったのです。良く確認しなかったこっちにも落ち度はあります。で、そうそう、怒れませんが、エアコンなしだと、サウジの豪華な家に慣れてしまった、僕の身体が、持ちません。屋上からは、チラッと、タージ・マハルが見えるのですが・・・。昼食は、ターリーと言う、インドの定食です。ターリーとは大皿の意味だそうですが、定食なので便利です。あまり悩まず、オーダー出来ます。ここ、アーグラーには、ヤムナー河の対岸に、もう一つの小さなタール・マハルと言われているお墓があります。そこへ、リクシャーに乗ってのんびり出かけて見ました。インド女性も、リクシャーに乗ります。3人座りきれず、後ろに一人。牛ものんびり、交通量の多い道路でも、歩いています。だけど、牛さん、ストレス溜まらないのかなー? こんだけの煩さの中で。日本の牛とは、たぶん、DNAが違うでしょうねー、何て思うほど、牛さんも大変だなー、と思います。ヤムナー河にかかる橋の上です。向こうに茶色見えるのが、目指す、イティマド・ウッダウラーです。正門です。似てませんか? タージ・マハルに。これは、タージ・マハルが建てられる前に、ジャハーンギールの妃、ヌール・ジャハーンが、父母の為に建てたものだそうです。タージマハルを建てた、シャー・ジャハーンが、皇帝に即位した、1628年に完成していますので、数十年早く、建てられたものです。インドは、サルも多いですが、リスも多いです、どこにでもいます。 イティマド・ウッダウラーを、ヤムナー河側から見たものです。タージ・マハルは、飾りもシンプルだな、と思いましたが、こちらの方が、全体にすごく小さいのですが、複雑に設計施工してあると感じました。 最後の写真がお墓です。この敷地、建物、全ての配置の、ど真ん中に配置されております。 帰りは、ヤムナー河の畔を、帰って来ましたが、タージ・マハルも良く見えました。
2008.09.23
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2008年9月22日(月)ブログって、1回、1万語以内なのですね。昨日は、書き過ぎました。さて、マツゥラーでは、ホテル前をヤムナー河が流れています。朝、ホテル出発前に、手漕ぎボートにて、朝の散歩としゃれ込みました。 そして、ある意味、インド観光のハイライトとも言える、タージ・マハルのある、アーグラーへ移動しました。ホテルを探してチェックイン後、早速、タージ・マハルへ出かました。正門の向こうに、白亜のタージ・マハルが見えます。正門をくぐると、完璧なシンメトリーのタージ・マハルが見えます。素晴らしいです! さらに歩いて、近づいて見ます。美しさは、まばゆいばかりです。タージ・マハルから、正門を見てみました。この眺めだって、見事なものでしょう?ここも、インド北西部より、デリーや、マツゥラーを通って来る、ヤムナー河の畔にあります。このヤムナー河は、ご存知の通り、バナーラスの上流で、ガンジス河と合流します。高級そうな、大理石で作られています。樋も大理石です。写真、全部載せられませんが、細かく見ても、シンプルなデザインです。ゴテゴテしていません。 正門とタージ・マハルを結ぶ、写真が有名ですが、他の角度から見ると、緑も豊富です。 ここは、説明するまでもなく、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった奥様の為に、22年の歳月をかけて、作ったお墓です。お妃の亡くなった時の称号が、ムムターズ・マハルで、ここから、タージ・マハルとなったそうです。しかし、死生観、宗教に基づく、死後の世界の考え方、そう言った生き方から、見方も変わると思うのですが、深い信心を持たない僕などからすると、死んでから、こんなりっぱ物を作ってくれるより、生きている時に、立派な暮らしさせてくれー! と言いたいです。何はともあれ、タージ・マハル。素晴らしいものです。感動しました。
2008.09.23
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本日は、9月22日(月)、デリー →マツゥラー →アーグラーと 移動して来ました。マツゥラーでは、ネットに繋げませんでした。 このブログ、日記のつもりで、毎日書いているので、ネットに繋げない時のものも、遅れてアップすることにしました。 ============================ マツゥラー市内ツアーの続き 次がバルサーナで、クリシュナの父も、一緒に祀られている所です。 日本のお寺と違って、ここはご本尊様が、扉の向こうに隠れています。 さらに、その向こうにカーテンで覆われ、時間が来ないと拝めません。 待つこと、20数分。 時間が来ると、皆さん、いっせいに、ご本尊の前に行き、何やら、 一緒に、声を合わせて言ったりしていました。 さらに待つこと、5分くらいだったでしょうか? いきなり、ドアがバァーンと開きました。さらに待つこと、数分、カーテンが サァーっと開きました。ご本尊の登場です!(撮影は禁止です) やはり丘の上にあります。 次は、ジャティプラって所でした。もう、クルシュナのオンパレードで、 そんなこと言ってはなりませぬが、いい加減飽きて来ました。 毎回、靴脱いで入らねばならないし、面倒なので、入り口で待ってました。 ここでは、こんな風に、ミルクを売ってます。 路上ですから、埃は舞い上がっているわ、砂もあるわ、呼び込みで、 唾は飛ぶは、ですから、かなり、世界の国に溶け込んでいると自分では 思っている、アジアの星一番、でも、飲む勇気はありませぬ。 そして、ラダクンダ。沐浴です。ラダクンダとは、川の名前です。 写真のように、川の中に、せり出しており、そこで、川の水を 頭にかけたり、体全部を、水中に入って、清めている人もいました。 僕は、ここでも、静観です。 もう、16時半です。 これで、マツゥラーに帰るだろうと思ったら、まだ、どっかへ行くようです。 本日は、天気は良くないものの、小雨も降らず、まずまずです。 しかし、雨だと、下がグジャグジャで、雨で湿ってないと、砂埃です。 誰も座っていないバスの座席は、砂で真っ白となります。 雨でも、晴れでも、嫌ですぞ! インド。 こんだけ、多くの砂を吸っているのだと思うと、もう、早くホテルに 帰り、シャワーを浴びたい気分です。 最後に行ったお寺も、クリシュナでした。
2008.09.22
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2008年9月21日(日) 州政府観光局が主催している、市内ツアーがありました。それに、 参加してみることにしました。 たった100ルピー(240円)なのですよ。 こんな、オンボロバスで行きます。観光バスとは思えませんが、何せ、 たったの100ルピーですから、文句は言えません。 最初の、クリシュナ・ジャンマブーミーで、トラブル発生。 結局、中へ入れず、見られずじまいでした。 30分で、帰って来て下さいと、ガイドから言われました。バスから入り口まで、 数分で、往復考えると、残り、25分もない。 入り口付近で、うろうろし、説明など読むと、どうもカメラが持ち込めない模様。 預り所があり、列をなして並んでいます。 ようやくカメラを預けて、入り口の列に並ぶと、ipodは持ち込めないと、 係員が偉そうに言いやがる。 なんでやー! あそこの説明文を読んでみろ! Ipod駄目だと、全く 書いてないぞ! と係員と揉めるも、許可権を持っている敵さんに 勝てる訳なし。再び、預り所へ。ここで、既に10数分経過してました。 やれやれ、これで、入れるわい、と又、又、入り口の列に並ぶと、今度は 電子辞書は持ち込めないと、言いやがる。 この! 俺をネパール人だと 思って、舐めてやがるな! (そうそう、ネパール人か? と聞かれました。 面倒なので、そうだ、と答えておいたのです。) 揉めていても、時間は過ぎる一方なので、又、又、預かり所に戻り、 荷物全部を預ました。身軽になって、入り口に並び、検査の順番を 待っていると、もう、残り時間、7分ほどしかありません。 で、入場を諦めて、荷物を引き取り、バスに戻ったのであります。 ったく、困ったものです。 しかし、その後が、又、問題。 決められた。8時30分までに帰って来たのは、僕一人。 40分頃、大半の人は帰って来ましたが、まだまだ、帰って来ない人あり。 僕は、ガイドに、8時半出発だよな? 入場すると、時間に間に合いそうも ないので、入らずに帰って来た、と説明済みでありました。 客とガイドが揉めていましたが、最終的に、25分遅れの、8時55分に 最後の一人が帰って来ました。 そしたら、ガイドが怒りまくって、乗客に何やら言ってます。 おい! お前ら! 8時半に集合ってのに、何時だと思っている! 時間通りに帰って来たのは、あそこの日本人だけだ! しかも、時間に遅れるからと、中にも入らずに帰って来たのだ! それが、何だ! 貴様ら! インド人の恥じだ!(全て推定) 乗客も黙ってはおらず、応酬していましたが、ガイドの剣幕に恐れをなし、 最後には、分かった、分かった、と乗客が謝っていたようです。(推定) 決着が付くまで、5分以上かかったと思いますが、最後に、僕の所へ 来て、「大変、申し訳なかった」、とガイドが謝るのです。 「いやいや、あなたが悪いのではない、」、とこちらは恐縮してしまいました。 どうです? すごいガイドでしょう? 感心しました。 その後、乗客全員が、全ての場所で、きっちり時間を守って帰って 来ましたから、この最初の、5分間のガイドの、毅然たる態度と、要請は、 ツアーを、素晴らしいものにしたのであります。 あー、良かった、良かった。 おしまい。 では、ありません。まだ、ツアー始まったばかりなのであります。 続けます。 二つ目は、ヴリンダーバンで、クリシュナが、育った土地です。 毎日、多くの信者が巡礼に訪れ、この周辺だけで、な、なんと、4000もの 寺院があり、そてが、全て、クリシュナを祀ってあると言います。 すごいですな。 ここも写真撮影禁止なので、何にも撮れませんでした。 そして、その後、バスは、ガタガタ道を北上します。 周囲は、緑豊かな、田園風景であります。サウジとは違いますねー。 こんなに豊かな土地を持っているから、多くの人口を養っていけるのでしょう。 1時間20分ほど走って、着いたのが、ナンダガオンです。 マツゥラーの北方、40キロ地点にあります。ここもクリシュナを 祀ってあります。 小高い丘の上にあります。 中の撮影は禁止なので、外からしか写真は撮れません。 早めに、丘を降りてきたら、ガイドさんが、ティを飲んでいました。 で、僕も、同じく、そのティを頼みました。 この少年が、鍋にお湯とお茶をいれて、沸かします、それを、素焼きの 茶碗(手前にちょろっと映ってます)で飲むのです。 3杯分あり、一緒のインド人と飲みましたが、僕がお金を払おうとすると、 ガイドが、いや、彼らが払うからいい、と僕を制します。 ご馳走になりました。まぁ、でも、3ルピー(8円)程度だったようです。 10000字を超えてしまいました。 続く
2008.09.22
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2008年9月20日(土)寒くならない内に、ネパールへ行く計画は、断念しました。何故かと言いますと、飛行機代が、かなり高いのであります。何と、デリーとカトマンズ往復で、4万円もするのです。そんな大金を、気温の為に、使うのは、ちょっと無理です。で、デリーから、マツゥラーへ移動することにしました。マツゥラーと言っても、日本の松浦さんとは、何の関係もありませぬ。「クリシュナ」の、生誕の地で、ヒンドゥー教の聖地だそうです。とっても有名なバナーラスを、シヴァ神とすれば、マツゥラーは、ヴィシュヌ神の巡礼の一大中心地であるので、ここは行かねばならぬ、と、オンボロバスに乗って、移動したのであります。まぁ、着いて、ぶったまげました。何でもありの町です。人力車、自転車、車、人間、牛、犬、さる、リス、豚も。道路の両側には、各種、さまざまな店が並んでいます。食べ物、着る物、生活用品、薬屋、ちっちゃなお店で、何でも、ごっちゃにありまして、その道路脇の溝見たいな所では、おしっこしている、おっちゃんもいます。ごちゃごちゃ、とは、こう言う所を言うのでしょうか?中国も、ごちゃごちゃだと思っていましたが、大都会は、急速に変貌しており、世界に追いつきそうです。追い越している部分もあるでしょう。インドは、ごちゃごちゃ。混沌、カオス。ちょっと吐き気がして来ます。ここに比べたら、中国は、もっともっと、清潔です。写真では、雰囲気、分かりにくいと思いますが、町の中心部をパチリ。露天の店の横では、牛がゆったりしています。ちょっと、表通りから入ると、ゴミ捨て場? ちがうなー、普通の道路。そこで、牛と、豚が、えさを漁っていました。サルだっています。僕は、朝の食事にと思って、バナナ2本を、負けさせて、7円で買いました。しかしながら、くっそ! サルの奴目に、ひったくられてしまいました。腹の立つ、サルめー! 7円、返せ!バルセロナで、スペイン野郎にひったくられてから、久ぶさの事件でした。手口は全く一緒。後ろから来て、ばっと、手荷物を取って、一目散に逃げる。人間は、確かに、進化したサルだ。追記デリーからのバスは、普通の路線バスで、途中何度も停車します。ですから、風景は十分堪能できます。まず、感じることは、うるさい。バスはオンボロだから、エンジン音が高く、ipodの音量も、maxに近いほど上げねば聞こえない。追い越しの車も、クラクション全開。その度に耳を塞ぎます。それから、隣の奴は、平気で体をくっつけてきます。やはり人口の多い国、これは中国と同じでした。マツゥラーに着いたって、運転手と料金徴収係員は言うが、そこは道路脇で、何もない所でした。それで、バスを降りると、リクシャーの人たちが、どっと押し寄せて来ます。乗れ! 乗れ! と。最初に声をかけて来たのは、齢、13歳位じゃーないかと思われる少年。大人や、他のガキどもが、どっと来ると、後ろに追いやられてしまいました。それでも、必死に手のひらを広げて、50ルピーと言っているようです。一番初めに声をかけてきたし、気弱そうなので、そいつを指名しました。ちっちゃな、きゃしゃな体で、エイコラ、エイコラ、ペダルを踏んでいます。可哀相になって来ます。途中、うしろを振り返って、ホテル名を確認してきました。僕は、明治時代の金持ちなった見たいに、ない髭をなでながら、鷹揚にそうじゃ、そうじゃ、とうなづいていたのです。初めは。そしたら、指3本立てて、必死の形相で、何か言い初めました。片手の手のひら広げて、声をかけて来たので、「50ルピーだな?」と、念を押して乗ったのです。おとなしそうだし、他の奴らに押しのけられて可哀相だから、指名してやったのに、追加をよこせって事か?「何を言ってんじゃい! 50ルピーで行くって言ったろ!」と、何度言っても聞き入れません。おとなしそうな振りして、後で変貌する。んん? どっかで経験したような? そうだ! あの彼女だ! 可愛いそぶりで、すっかり入れあげてしまったら、突然の変心。態度も変身。大きく傷ついたなー。そうなんだ、あれ以来、女性は信用しないことにしたのです。話が飛びました。で、今回は男、しかも少年。こいつに負けてはいられない、と、繰り返し、大きな声で、50ルピーしか絶対に払わない! と言い張りました。そしたら、怖そうなおじさん二人いるところで、リキシャー止めて、こっちへ来い、と言うそぶりです。「あちゃー! こいつら、グルか? 困ったぞ!」と思いましたが、重いバックパック背負って逃げる訳にも行かず、のこのこ付いて行きました。こりゃ、大変なことに、なりゃーせんか、と心配多大でした。しかし、よく聞いて見ると、遠いので、30ルピー欲しいと言っているのです。なんちゅうこっちゃねん! こっちは、50ルピー払うって言っているのに、30ルピーくれ! って必死に言ってたのです。あらまー! 言うことなしです。で、どうしたって! 30ルピーだけ、きっちり支払いましたです。
2008.09.22
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2008年9月19日(金)デリー市内ツアーに参加しました。安いので、一応、目ぼしい所を廻って、良ければ、又、ゆっくり見ようとした訳であります。1日市内ツアーが、300IR(750円位)です。9時半出発と言うことで、宿から、15分ほど歩かされ、小雨の中、45分も、こんなところで、待たされました。 まず、「歩き方」にも載っていない、ビルラ寺(Birla Temple)と言うヒンズー教のお寺に行きました。靴を脱いで、裸足で、お寺内に入ります。次は、大統領官邸です。国会議事堂も、すぐ近くにあります。この辺りは、市内と全く景観が異なります。整備されているので、ごみごみしていません。汚くありません。インド門です。この門は、第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑として作られたとの事です。イギリスに協力すれば、独立を承認するとか言われて、多くのインド人が戦死したそうですが、戦争後、独立させてもらえませんでした。イギリス、ひどいなー!インド門から、先ほどの、大統領官邸まで、一直線に並んでいます。これは、イギリス領であったインドの時に、コルカタから首都をニューデリーへ写した時、イギリス人の建築家により、設計、建設されたそうです。インド人が、やっていたら、こんな風に作ったかどうか?インデラガンジーの、記念館に行きました。使っていた、居間や、勉強部屋、食卓などもあり、ニュースの写真は大量に展示され、暗殺された時に、着ていたサリーなども、展示されています。インド人に取って、忘れえぬ偉大な人なのでしょう。世界遺産の、クトゥブ・ミーナールです。ニューデリーの南、15キロの所に塔がそびえ立っています。高さは、72mですが、周囲に高い建物がないので、目立ちます。これは、イスラムの塔で、ヒンズゥー教徒に勝った記念に建てられたとのこと。下の、右端の建物がモスクですが、破壊したヒンズゥー寺院の石材を用いて作られたとの事です。 下の写真は、上の塔、クトゥブより高い塔を建てようとしたが、完成せずに残っている、基礎部分です。完成したら、アラーイーの塔として、そびえ立っていたことでしょう。 因みに、ここの入場料、外国人は、250ルピーです。1日市内ツアーの料金が、300ルピーですから、ベラボーに高い訳です。外国人は、僕と、イギリス人の青年と、韓国人の家族だけで、その他は、全て、インド人でした。で、イギリスの青年、韓国人家族は、ここに入場しませんでした。貧乏人で超ドケチである、アジアの星一番の上を行く、ケチを発見です。ニッポン代表ドケチは、残念なるか、イギリスと韓国に完敗しました。謹んでここに、報告申し上げます。それにしても、ほんまに、ケチやなー、あいつら! 何しに、ツアーに参加したんじゃ? んんー? お? おおお? なんだ? こりゃー! 変な建物が見えて来ましたぞ?これは、バハーイー寺院です。バハーイー教ってのがあるらしいです。全く知りませんでしたが・・・。人類の平和統一、宗教と化学の調和を説く、イラン起源のイスラム系の新宗教らしいです。インドでは、カーストに関係なく、誰でも、純粋に祈り瞑想する場であると言っているそうです。人類の平和統一が出来たら、良いですけどねー。朝、10時に遅れて来たバスに乗り込んでから、ずっと観光していました。しかし、もう、夕方も6時。薄暗くなって観光には適さない時間になってしまいました。本当は、あと、2箇所行くはずでしたが、暗くなって来てしまったので、ここが、最後の見学場所です。こんな所を歩いて行きます。Mahatma Gandhiの、お墓です。中には、広場のど真ん中に、このお墓があるだけで、何もないシンプルなものであります。ご存知、インド独立の父、と呼ばれています。無抵抗、非協力、不服従の非暴力主義者でありましたが、暴力により暗殺されたのでしたね。冥福を祈ります。
2008.09.20
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2008年9月18日(木)デリーに、無事到着しました。日本との時差は、3時間半です。成田発、12時40分。デリー着、17時20分。約8時間の空の旅でした。成田からデリーまで、どこを飛んでいくのかなー、と、飛行画面を見ておりました。日本国内は、日本海側を飛んで、佐賀上空へ行きます。その後は、中国上空、上海 →南京 →武漢 →重慶 →昆明 (重慶、先日、行ったばかりですよ! その上、飛んでました。)ミャンマー上空バングラデシュ上空(ダッカ上空)そして、インド上空へ入り、コルカタの北方、ネパールとの国境付近を飛んで、デリーへ着きます。8時間もの空の旅ですが、空いていて、3人がけの座席に一人だけ。映画も豊富で、飽きることありませんでした。映画は、「築地魚河岸三代目」これは、良かったですねー。皆んな、良い人たちで、皆んなが幸せになる。初めから、最後まで、、ほのぼのしてて、適当に笑わせ、適当に涙を誘う。大沢たかお、「深夜特急」見て、爽やかな役者やなー、と思いましたが、ここでも、はまり役でした。デリー空港着。 しかし、その後が、面倒でした。ガイドブックや、ブログなどで、トラブル頻発と聞いていたからです。タクシーに乗ったら、予約したホテルはつぶれた。高いホテルに連れて行かれた、とか、とか、旅行会社に連れて行かれて、法外な料金のツアーに入らされた、とかのトラブルです。で、小心者の僕は、バスで市内へ移動する事にしたのです。バスに乗り場は、簡単に見つかりました。カスタムを出て、右へ曲がって、どこまでもまっすぐです。インド人、荷物一杯持ってます。それも、どでかい奴です。そいつを、通路に、どかっっと置きます。通路、歩けません。それでも、その荷物の微妙な隙間に足を突っ込み、抜き出し、そして、又、足を突っ込み、抜き出し、「何で、こんなんや!」と思いながらも、唯一、空いている、一番後ろの席を確保しました。うぇー、座席は、ホコリで真っ白です。仕方ありません。そのまま、そこに座りました。雨が降っています。空港から、市内まで、意外と遠いです。50分も走って、ニューデリー駅だと言う場所に、バスは止まりました。「駅なんて、みぇねぇーぞ!」、と言っても、「ニューデリー駅」だと、皆さん言い張ります。止む無く。降りしきる雨の中、バスを降りました。しかし、単なるバス停で、列車駅など、見当たりません。「駅は、どっちや! 駅は、どっちや!」 バス停で待っている人たちに、と聞きまくると、「あっち!」、と皆さん、同じ方向を指します。どうも、ほんとらしいです。雨が降っているし、バックパックが濡れると行けないので、前から背負って、ショルダーバックも肩にかけて、傘差して歩きます。まるで、妊婦さんになったようです。バックパックと、ショルダーバック、合わせて、12キロです。妊婦さん、この位、重いのを、毎日、毎日、お腹に入れて、歩いているのですねー、大変だなー、と、関係ないこと思いながら、買ったばかりの、超高価なショルダーバックも、濡れないよう、歩きました。道路は、グチャグチャだし、水溜りはあるし、車はがんがん通ってるし、暗くなってしまったし、「参ったな、こりゃー!」 と、心の中で、頭掻きながら、歩きました。途中、何度も、聞きながらです。30分も歩いて、ようやく、駅に着きました。しかし、目指す、メインバザールらしき、道路は見当たりません。それも、そのはず、ここは、地下鉄駅でした。さらに聞きながら歩き、列車駅に着きましたら、まぁ、すごい、人だらけです。中国も多いですが、インドも多い。ほんと多い! 多すぎ! です。どうも、メインバザールは、線路をはさんだ向こう側のようです。プラットホームが、16番位まであったと思いますが、どうやって、向こう側へ行ったらいいのやら、分かりません。良く分からんけど、各プラットホームを繋ぐ、連絡共通通路へ登って行きました。切符か入場券を買わねばならないよなー、と探しましたが、売っているような場所も見当たりません。ええわ、行け、行け、とどんどん歩いて行ったら、入場券も要らずに反対側へ出ました。そんなこんなで、雨も降っているし、早くチェックインしたかったです。3軒目のホテルに決めました。1泊550IR(1400円位)。雨に濡れているし、エアコン付きの部屋にしました。エアコンがないと、300IR(750円位)だったのですがねー。奮発しました。空港から、宿までが、とっても、疲れましたです。
2008.09.19
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インドのビザ、本日、取得致しました。これから、6ヶ月間は、インドへの出入りは、自由です。まぁ、そんなに、出たり入ったりは、しない予定ですが、バングラデシュ、ネパールの辺りは、インドと入り組んでいるので、結果的に、出たり入ったりする事になろうかと思います。これは、間歇的世界一周の一環としての、旅と位置づけております。まだ、ちょっと先で、サウジの出稼ぎが、無事完了してから、出発となります。その前に、明日から、シリアへ行ってめぇりやす!明日の夜は、シリアの首都、ダマスカスから、アップする予定です。ダマスカスのホテル、今、イランからの巡礼者で、ほとんどのホテルが満室だそうです。8つほど、中級、安宿のホテルへ連絡を取りましたが、ぜんぶ、断られました。困ったなー。
2008.07.30
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