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昨日は晴れ、無風。点取りばかりやっていると、フォームも何もなくなるので、今回はあるだけの矢(14本)を連続で。やはり、一番付きやすいやや下につけて射つ習慣ができていたみたいで、極力センターを狙うと、サイトが2メモリほど上に。50射ほどで終了。今日も同じ練習にこれから行く。
2019.04.30
昨日は再度別な公園に花見に。久しぶりに昼食は娘の好きなパスタの店に。帰宅後、孫が、アレルギー発作を起こし、病院に行ったが、幸いたいしたことはなかった。今日はゆっくり家で過ごすことに。
2019.04.30
昨日は孫一家と花見に。市内では一番人の集まる公園に出かけた。11時半から2時半くらいまでだったが、日頃そんなに長く外で過ごすことがみんなないので、結構疲れた。自分の場合は弓で一日中ということはあるのだが、それでも疲れた。孫は新幹線やメリーゴーランドなどに乗り、孔雀ややぎやウサギなどを見て喜んでいた。帰ってからも、孫の相手。これが一番疲れる。日々言語能力が上って行くのが分かるので、楽しい。孫にとっては自分は「じいちゃん」という名前の友だちらしい。
2019.04.29
3・28 7:20~8:20 晴れ 微風53-54-56-54-56-42=325「待つリリース」といっても、ただ待つだけでは切れるはずもない。押し引きのバランスをとりながら、ということは少し引いたり、押したりしながら待つわけで、その動きで切れる。それを予測することは難しい。だんだん慣れてくると、「引いて切れる」状態が一番中りやすいとわかってくる。そうなると「切りに行くリリース」に近い。8:30からのスーパーの朝市で買い物があったので、あと18射で切り上げる。54-52-52。う~~ん。
2019.04.29
昨夜は、帰省した娘夫婦と二歳半の長男。里帰り出産で、五月中まで親元にいる息子の嫁と二か月半の長女、そのご両親。そして我々夫婦の四家族9人で焼き肉店で宴会。地元では一番のところだ。残念ながら息子は仕事で帰っており、不参加。二歳半の孫は、赤ちゃんを撫でにいき、握手をし、抱きかかえようとさえしたが、それはさすがに無理。赤ちゃんの方も、ぐずって泣きそうなものだが、終始上機嫌。二歳半の方は向こうのお母さん、お父さんにも遊んでもらい、これまた上機嫌。二時間半、たっぷり食べて、話して、飲んで・・・愉快なひと時だった。いつも向こうの家でご馳走になることが多く、今回は我が家もちということで、無理やり納得してもらった。我が家の家計では、孫関連、子ども関連の出費をマルトクと呼んでいるが、マルトク係数は高い。向こうのお母さんは、「してあげられる幸せ」ということをよく言うが、その通りだ。今日は花見に出かける予定。その前に、これから練習をちょっとして、9時にアレルギー持ちの孫のために注文しておいたケーキを取りに行く。「してあげられる幸せ」の一つだ。
2019.04.28
連休中に「非寛容社会」という現代社会のあり方を論じてみたい。不思議なのは3・11以降、若い人たちを中心にボランティア活動が非常に活発になった一方で、日本社会が「非寛容社会」だとする論調が登場し、それが概ね首肯されるということだ。いうまでもなくボランティアとは、「自発的に」災害等の弱者を手助けするという行動であり、他者に対する思いやりに基づく。「思いやり」とは文字通り「思い」を「遣る」ことで、困窮する他者の身になって、物事を感じる「想像力」のことだ。そういう人が増えているのは喜ばしい。ところが一方で、近所に保育園や、児童相談所ができては、街のブランドが低下する、騒音が発生する、だから反対運動をしよう、という思いやりのかけらもないような「非寛容」な人たちがいる。この人たちは、かつて自分たちも苦労したであろう子育てのことを思い、それを保育園に子どもを通わせて生活を維持していこうとする共稼ぎ夫婦への想像力を決定的に欠いている。一体これはどういうことなのか。納得のいく説明は、二通りある。そしておそらく、両方がある程度正しいと思う。【閑話休題】今朝はやはり昨日からの雨がやまない。夜中には雪になったようだが、もちろん積もってはいない。どうやら、今朝の練習はなさそうだ。まあ、じっくり本稿の下書きを。
2019.04.27
4・27 5:50~6:30 曇り→小雨 やや強風、時々弱風練習日誌の風はあくまで体感で、おおよその基準は、強風 体が煽られ、狙いをつけられない。的外まで狙いが動く。やや強風 体は煽られるが、何とか狙いはつけられる。真ん中は無理。弱風 狙いは風で動くが、何とかセンター付近には保持できる。微風 狙いに影響するような風ではない。無風 まったく風がない。それで、今朝は風は結構あって、きつかった。一回だけ点取り。54-46-49-52-56-50=307「切れるのを待つ」リリースを心がけたが、待っている間に体が煽られる。すると当然狙いはずれるのだが、その瞬間に「切れる」。2エンド目は、5点、3エンド目は6点が出た。5エンド目は少し風が弱くなって10-10-10-9-9-8の56。これで300を切らずに済んだ。切りに行かず、とにかく待った。ある程度の場所で妥協して、ボタンを押し、待つ。押してすぐに切れる場合もあるし、しばらく時間がかかることもある。限界だと思ったら、一度弓を下ろす。全部で3回下ろした。もう一度、と思ったら雨がばらつきはじめ、3本射ったところで終了。今日はもうダメそうだ。
2019.04.26
11連休がスタート。今日から休みなので1日多い。スタートは当然のように弓から。昨夜は何か疲れが出たみたいで、ソファでウトウト。「先に寝るわ~」と、風呂もパスして9時ころには入眠。12時ころ一旦起きて、それからまた眠った。4時半頃おきて、コーヒー、野菜ジュース、クラッカーで軽い朝食。8時くらいからは雨なので、これから着替えて射場に。風は少しあるが、昨日の「切れるのを待つ射」がどのくらいできるかを確認しに行く。帰ったら、明日やってくる娘夫婦と孫のために、部屋の準備などいろいろ。二人の孫の初対面も楽しみだ。
2019.04.26
今朝は36本のみ。最初は的を貼らず12本。次は的を貼って12本。とにかく、「切れるのを待つ」。「待つ」といってもエイミングの保持はしなければならない。大体9点平均くらいのグルーピングだったが、コツのようなものがつかめてきた。要はリリーサーのボタンを保持できるタイミングが近づいてから押す・・・これにつきる。最後の12本。10点6本、9点5本、ラインをちょっと外した8点1本。自分としては久々の会心の射である。何かがわかったように思う。今日は5時過ぎになるがもう一度射場に行く予定。また36本射てればいい。
2019.04.25
24日(昨日)は、朝と昼に2回。それぞれ点取りをしたが、318・319と振るわず。一進一退の時期なのだろう。CPアーチャーなら、分かると思うのだが、リリーサーを切りに行くタイプと、切れるのを待つタイプがいる。昨日経験したのは、切りに行くと切れず、切れるのを待つと切れるという感じ。90射近く射って数本、そういう体験をした。それ以上は、もう少し射たないとちょっと言語化できないのだが、どちらにしてもリリーサーは何らかの切る動作の結果、切れるのだから、要は意識の置き方の問題のようにも思える。自分の理想は「切れるのを待つと、長く待つことなく、切れる」という状態。「長く待つ」ことになると、今度は「切りに行く」。そうするとますます切れない。だから「長く待つことなく」というのは、非常に重要な条件だ。【閑話休題】今日は、連休前最後の仕事日。あいにくの雨・・・と思ったら、今は上がっている。これから妻の診察券を出して、帰りがけに練習。帰宅して買い物。それから出勤。
2019.04.25
4・23(昨日) 6:00~7:30 無風、時々微風昨日は、ほとんど風のない絶好のコンディション。とりあえず、早く設定した目標324平均を出したかった。1回目 322(50-54-57-55-50-56)2回目 328(54-54-55-58-57-50)合計 650目標は一応達成。レフティになる前、右では弓が引けず、ほとんど射てなかった間に、バッジの色と基準が変更され、50m72射の赤バッジは650。レフティ2年目の去年のベストが651でぎりぎり取れた。シングルの時代は1300が赤バッジ。ベストは、12,3年前の1343だが、1300以上は多分10回近く射っている。記録だったが3年前くらいに破られた。今回のバッジ制度では的の色の順で、青(600)→赤(650)→金(675)、以前のシングルでは銅(1000)→銀(1100)→金(1200)→赤(1300)→白(1350)だったような気がする。その時代は、金の上が赤で、そこを目指していた。今は赤の上に金があり、何だかあまりありがたくない。デザインも同じで、安物の西部劇の拍車のような星形。それ以前のデザインの方が格好良かった。ともあれ、去年の公認ベストにやっと近い点数が出て、一応連休中までに達成したかった目標には届いた。こうなると、330が次の目標になる。シングル1300は、50mはやはり最低324は射たないと、という感じだったので、その辺まではレフティで届いたことになる。1350なら336は必要。確か50mのベストは337。あと一歩か二歩。技術的には、カスケードのボタンを押すタイミングが次第に一定になっている。離れるタイミングは、ややばらつくが許容範囲のなかだと、ほぼ黄色に入る感じに近づいている。
2019.04.24
昨日、息子は帰った。一昨日は、神社にお宮参り。神社にアメリカから来た女性二人の旅行者がいて、嫁さんの着物姿をしきりに見ている。妻が「これからセレモニーがあるけど見たい?」と聞いたら、「ぜひ!」というので、特別ゲストに。玉串を奉納して、二礼、一拍手、一礼まで、神主さんがサービスして、見よう見まねでさせてくれた。とても貴重な体験と喜んでいた。まあ、それはそうだろう。神社に来ても、普通、中までは入れない。神道の儀式もなかなか見られないだろう。孫は最初太鼓の音で泣きそうになったが、大体は終始機嫌がよく、無事にお宮参りを終えた。次は、すぐ引き返してお嫁さん宅でお食い初め。何しろ息子が二泊しかできないので忙しい。尾頭付きのお食い初めセットや御膳をケイタリングを取ってくれて、なかなか美味しかったし、何より楽そうだ。今度は自分たちもこれがいいなと思った。息子は、何だか知らないが、父親っぽくも見え、去年からの職場も非常に快適らしく、また研究者としても順調のようだ。査読をガンガン書いている。裁量労働制で羨ましい。一昨年まで、苦労した甲斐があった。我が家でも、少し話をする時間もあり、とにかく元気そうで一安心。まあ、それが一番の親孝行である。次は、沖縄で嫁さんの従妹の結婚式があり、それにもぜひ呼んでほしいと言ったら快諾してもらった。もちろん自前で、ご祝儀もたっぷりとはいかないが、それなりにきちんと。こういう時に厚かましいのは一番嫌だ。嫁さんの弟もインドから来られるとのこと。今年の楽しみがまた増えた。今週末には、娘夫婦と孫が来る。息子以外、再び両家で宴会。今度は、こちらでご馳走することになっている。今週は今日から三日間の仕事。その後は11連休となる。
2019.04.23
4月22日7時~8時半 晴れ 微風一回目 322二回目 323合計 64572射通して51~57。やっと320台が出た。次は324、9点平均がいつも出るように、が目標。平成のうちに達成したい。
2019.04.22
昨日 7:00~8:00 晴れ 微風→弱風313(51~54まで)この点数は去年から何も変わっていない。去年の5月段階では300を越せるかどうか心許ない状態だったが、レフティにも慣れ、6月くらいからは310台の点数が多かった。あと1レベル上げるには、まず7点以下のミスをなくすこと。グルーピングの範囲を黄色の中にとどめること。そのためには、切れない時に無理せず降ろすこと。狙いすぎないこと。言うのは簡単なのだが・・・今日は、孫のお宮参り、お食い初め。連日の家族行事だ。
2019.04.21
今日は、ほぼ一年ぶりに、息子がやってくる。里帰り出産の長女と初めてのご対面。母娘は、6月に帰る予定だが、息子は仕事も忙しく2泊3日。明日、せっかく両家、両親が揃う機会に、お宮参りとお食い初めをいっぺんにやってしまうことになっている。その翌週は、娘夫婦が4泊で。孫も2歳半になり、子育てはますます大変だが、こちらは面白い。息子はいないが、嫁さんの一家と合同で夕食の予定。焼き肉店を予約している。昨日は二人の孫と息子のために鯉のぼりを上げた。毎回、段取りを覚えていないので、やっとのことで、という感じだ。今週、来週と夫婦二人の生活が、賑やかになる。こんな時間が、あとどのくらい過ごせるのかな、とも思う。楽しめる時に楽しんでおきたい。
2019.04.20
7:00~8:40 晴れ 無風→微風一回目 319(49~56)二回目 311(49~56)計 330去年のアベレージとさほど変わらない。まだ、カスケードの一定性がつかみきれないが、そこが何とかなると320台は出るという気はする。ただ、それ以上になると、何をすればいいか、まったく分からない。現状は、10点が3,4本続くときがあるかと思うと、5点、6点がひょいと出たりしているので、とにかく大きなミスが出ない射の確立が優先だ。確実なのは、リリーサーが切れないのに無理に射つと7点以下になること。まず、引き戻すことだ。今週は今日で仕事はおしまい。明日もまた朝練の予定。
2019.04.18
今日からカテゴリー【練習日誌】を追加した。6:15~7:45 晴れ 微風→弱風58-50-51-52-54-53=318頭で一度、点取り。昨日よりは風が弱い分、まずまずだが、2エンド、3エンドは1エンドに思わぬ点が出たための自滅。練習でこうだから、試合となると、もっとひどい。このあたりはメンタルなので、時間がかかりそうだ。ともあれ、カスケードをどう使うといい射で、どうすると悪い射なのかということが、次第に分かりかけてきた。結果として切れない射はよくない。では、どうすれば切れないか。一つは狙うタイミングが早すぎる場合。フルドローをアンカリングにすぐもっていくと、狙うのが早くなりすぎる。というか本当のフルドローにならない。引ききった後に、さらに引きながらアンカリングすること。この基本動作を忘れていた。それから、リリーサーボタンを押す位置とタイミングが悪いと切れない。まず位置は親指の第一関節よりもさらに付け根にやや近いところがいいようだ。第一関節でもいいのだが、それだと親指を浮かせる動作が少し大きくなる。次にタイミングは、アンカリングからエイミングに移行する直前、または直後。どちらにしても「押してから引く」のではなく「引きながら押す、そしてやや浮かせる」ということだ。点取り後、ゆっくりそれを確かめて18射。ポイントはまだあるかもしれないが、4月はこの二つに絞っていく。
2019.04.17
朝6:00~7:15 晴れ 弱風今日からまた朝練の日々。一応、50mでシーズン初の点取りを。310。微妙だ。風の割には、という気もするが、やはり、確信をもって狙えていない。まだ、カスケードを使い切れていない。いいときもあるが、なかなか切れない、早く切れすぎるという射が圧倒的に多い。エンドは50~54。まあ、最低限というところ。いずれにしても、今季はここからのスタートということになる。今日は夕方、風が凪いだらもう一回。
2019.04.16
昨日からやっとアウトドア射場が使えるようになった。射場開き後、30mで数回、50mでも4エンドくらい射ってみたが、心配していたよりは悪くもない。50mで50~55くらいまで。まだ、おかしな中りも出るが、ほぼ昨年と同じくらいのレベルでスタートできた。もう少し、ポンドアップが必要だが、焦らずいきたい。今年は、朝練がどの曜日も可能なので、風のない朝のうちにフォームを作りたい。今年はカスケードの年とした。まあ、わからないが。今朝も小雨模様だが、9時に来客があるので、これからちょっと行ってくる。と思ったら、雨足が強くなってきた。今日はおとなしく、弓をケースに収納したりしていようか。ケースに入れて、車に積みっぱなしに・・・アウトドアシーズンはいつもそうしている。
2019.04.15
今年は10連休ということだが、自分はどうやら12連休ということになりそうだ。まあ、セミリタイアの身なのだから、例年、そのくらいにはなる。週末、1年ぶりに息子が帰郷し、里帰り出産で生まれた娘と初対面。母子の帰郷は6月初めなので、いくら何でも、そう長く我が子の顔を見ないというのもダメだろう。年度初めで仕事も忙しいから、二泊三日。その間に、お宮参りとお食い初めをやってしまおうことになった。その翌週、5月連休の初めには、娘夫婦と孫がやってくる。孫は二歳半で、もう外食もできるので、焼き肉店に予約を入れている。息子はいないが、4家族、孫二人が集合する。上の孫のために鯉のぼりを上げておかないとならない。
2019.04.14
妻とは朝起きる時間が全然違うので、大体朝食は妻の分も作る。といっても、お互い朝からそうたくさんは食べられないので、サラダが中心。今朝は、レタス、きゅうり、ミニトマト、ゆで卵、玉ねぎのスライス、クレソン。それに、この前買って美味しかったウィンナーソーセージを1本分。普通のとレモン風味のを半分ずつ。自分は後はココナッツサブレを二枚、コーヒー二杯。昼は、妻の通院。送っていき、ちょっと待っていて、うどんでも食べてこようかと言っている。まあ、何ということもない一日。
2019.04.13
人間は一人では死ねない、というのは社会的な意味でもそのとおりである。孤独死した人は、戸籍上は死者になっていないし、年金は支給し続けられるし、税金も督促され続ける。どこかの時点で、死体が発見され、行政の誰かが手続きを完了して初めて、「彼は死んだ」ことになる。つまり、一人では死ねない。さらに、彼の実存という意味では、たとえそういう手続きが何とか完了したとしても、彼は死んだことにならない。叔母が亡くなった前後、自分は飛行機を乗り継いで叔母の病院に行った。大学病院から、これ以上治療はできないということで、住んでいた町の病院に移る時。それから、亡くなったというしらせを受けた時。前もって頼んであった葬儀社に行き、さまざまな行政上の手続きをした。また、火葬の時は、叔母が生前お世話になっていた方々にできる限り連絡をし、20名くらいの方が集まってくれた。当時はまだ定年前、現役で仕事をしていた。職場の補佐たちにも事情を話し、いつでも行けるようにしていたから、そうできた。妻もさまざまな点で協力してくれた。叔母は、自分が子どもの時に、最もよく遊びに行っていた親戚だったし、その後も交流が続き、自分の息子が中学生の時にも確か一週間以上お世話になった。娘も一度会いに行っている。叔母の臨終の瞬間に、自分はもちろん立ち会えなかったが、確かに叔母を「看取った」と思っている。遺骨は、自分の両親の墓に納めた。両親にそういう意向があったわけではない。叔母からもはっきりとした希望は聞いていなかった。自分の独断である。生まれ故郷であり、弓の試合もあるので、年に一回はお参りしてくる。息子も出張の時に寄ってくれ、娘夫婦も旅行の途中で寄ってくれた。「叔母が亡くなった」と言明したのは自分であり、その言明によって叔母は実存的意味でも死んだのだ。それは叔母一人ではできなかったことだ。なぜ、自分がそうしたかといえば、叔母に対する人間的信愛を持っていたからだろう。葬儀社に集まってくれた近所の人たちも、妻も子どもたちもそうだった。そういう意味で、叔母は立派に「終活」をしていたのであり、自分たち夫婦もそういう「終活」をすべきなのだと考えている。つまり、自分ではできない「関係」の消失の言明をしてくれる人、相互にそういう信愛の情を持ってくれる人との関係の中で生きること、まさに、きちんと「終わる」ために「活きる」ことが「終活」の本当の意味なのだ。この項終わり。
2019.04.12
では、「きちんと死ぬ」とはどういうことか。人間は一人で誕生することはできない。「生まれる」という語は、本来、動詞+受身の助動詞の組み合わせだ。英語でも、Iwas born と受動態である。吉野弘の有名な詩のタイトルでもある。もちろん生物学的意味でも、人間は一人で生まれてこない。母体があり、そこから人間は「生まれる」。しかし、それ以上に、人間的意味をいえば、なおさら人間は一人では人間になれない。アマラ、カマラという狼に育てられた双子は心理学、教育学の有名なエピソードだが、言葉はもちろん、火や道具の使用など一切の人間的特質をインドの密林で発見されたこの双子たちは持たなかった。二足歩行さえしていなかった。やがて、彼らのうちの一人は簡単な構造の文を話すまで成長したが、限界はあった。人間は、人間の中で、人間になるのだ。今、言いたいのは、それと同様に、人間は一人では死ねない、ということである。ただし、こちらは生物学的意味では一人で死ねる。生命活動が終われば、それが死ぬということだ。そしてその人の精神活動も終わる。記述されたものや、記憶されたものとして他者にその人が知られることはあるが、その人自身は死の時点を境として、一切の生命活動は終わり、その人ではなくなる。しかし、どんな人間も「関係」の中を生きてきたし、生きている。そして一人の人間の死とは、その「関係」性の終了でもある。しかも、その終了を言明するのは当人ではなく、遺された者たちだ。当然の話だが、「関係」は双方によって結ばれ、その一方が死ねば終了する。その終了を、しかし、死にゆく者は言明できない。遺された者が言明しなければ、その「関係」は宙に漂い続ける。
2019.04.12
今年度の実質的な意味での、仕事の第一週が昨日で終了。4月中、連休前は火・水・木の勤務。金曜は連休後から。楽な勤務だが、今年はちょっと疲れる。やはり歳のせいなのか、それとも病気のせいか。弓の方は二回ほど行っただけで、30射くらいずつ。これもちょっと疲れる。まあ、ゆっくり始めましょうか、という感じだ。
2019.04.12
前項まで書いたことは、現在の社会的風潮としての「終活」であり、それ以上論ずることはない。ここから、自分なりの「終活」について書こう。ハイデガーは人間を「死へと向かう存在」と定義し、そのことを忘れている現存在の頽落を「Das Man(世人)」として批判した。彼の思想の根底はヨーロッパ個人主義であり、「死」はあくまでもその人において完結するものだった。しかし、本当にそうなのだろうか。我々は誰それの「死」を経験しながら生きているのだが、自分の「死」は経験することができない。「死」はハイデガーのいうように「現存在の絶対的不可能性」なのだから、「死」とともにすべての経験は消失する。したがって私は「私は死んだ」という経験を語れない。そこで、私の「死」ははたして完結するのだろうか?こういう文脈でいえば「孤独死」などが問題になるはずはない。「孤独死」だろうが、家族に看取られながらの「安らかな死」だろうが、死の本質は変わらない。上野千鶴子が最近書いた、孤独死をさもあってはならないことのように騒ぎ立てる世間の風潮に対する批判は、ハイデガー流の無神論的実存主義をベースにしている。もし「終活」という言葉を、ハイデガー的にとらえればそれは「終わりに向かって生きる」ことの自覚ということになるだろう。常に自らの現存在が絶対的不可能になることを考え、「世人」としての非本来的生き方をやめ、本来的生を生きる。そう言われても、いったいどう生きればいいのか分からない。しかし少なくとも、そうなれば、残余のことはどうでもいい話になる。日本社会が右傾化しようが、非寛容社会になろうが、年金だけではどうにも老後は破産することになろうが、自分の資産を誰が相続しようが、それは「世人」の頽落した生き方の中の問題であって、どうでもいいことだと、ハイデガーなら言うはずである。自分もある年齢まではそう考えていた。だが、今は、その立場にはまったく立っていない。自分の考えを一言でいうと「終活」とは「きちんと死ねるように生きる」ことである。
2019.04.11
前項で述べたように、世間的な意味で、終活に何も面倒なことなどない。要は、遺産を遺す側が、相続する側の全員に、資産に関しての正確な情報を伝えている。これに尽きる。ところが実際には、子どもや配偶者にそういうことを隠す人がいる。その神経が分からない。通帳や登記謄本などの保管場所。借金の有無。そういうことを隠すというのは、いったいどういう考えなのか。いくつかの話を聞いているが、たいていは親子関係がこじれたり、きれたりしている。相当の資産がある人は、まるでそれを餌にするかのように、子どもや孫を自分の意のままに支配しようとする。その姿はあさましいし、いくら資産があろうと貧しいと思う。子どもたちに相続についてきちんと伝えている場合、つまり普通の場合は、後は葬儀をどうするかや、資産としては価値のない雑多なものをどうするかということになるのだろう。しかし、こういうことは、遺された人に任せる他ない。逝く側としては、自分の希望があれば、お願いしておくだろうが、それは原理的に強制できない。あくまでも遺族の意向次第だ。愛用してきたものが粗大ゴミになっても仕方ない。また、資産の処分や葬儀については、自分が遺した資産の中でまかなえるようにするのが当然だ。死後、お前たちが金を出して法要しろ、というのは身勝手すぎる。世間的な意味での「終活」については、以上のことに尽き、他に言うべきことはない。
2019.04.10
一昨日、娘がひょいと帰ってきた。子どもは旦那さんに預け、一泊二日。一応の理由は、父親である自分の病気を心配して、ということだが、本人がまったく心配していないことなので、まあ、それを名目にちょっとした骨休みに来たのだろう。一昨日は里帰り出産をした息子の嫁の実家に行って、姪っ子に初対面。ゆっくり話もしたいだろうから、夜は家で焼き肉。息子から届いた「魔王」があり、ビール、日本酒、焼酎・・・さすがに娘もそうは飲めなくなったようで、まだ結構残っている。昨日は昼に母の生前からよく行っていた、海辺のレストラン。ランチがコースで出て、わりと安いが、美味しい。久々のコース料理はそれでもお腹にこたえる。こことももう30年来のつきあいになる。家族の顔は覚えてくれている。娘を空港まで送ると、さすがにこちらはどっと疲れた。娘は十分充電できたと喜んで帰ったが、こちらは過放電気味。昨晩は焼き肉の残り物でスープ、食べきれず包んでもらったパンで済ませて、早寝にした。今日は実質的な本年度の仕事始め。9時ころ出勤して、1時ころ退勤。ペースがつかめるまで、今年度はちょっと時間もかかりそうだが、帰宅してから少しだけ射場に行く予定だ。
2019.04.09
「終活」がこんなにも流行っているのは、「相続」「葬儀」などの死後のゴタゴタが、前近代的価値の残滓と未成熟な近代的価値の混淆によって、ますますひどくなっているからだ。相続は何もなければ法定相続人に、法定通りに相続されるのだから、そこに何の問題もないはずなのだが、ほとんど何の問題もない相続は実際には皆無に近いと聞く。自分は、何の問題もない相続を二度経験している。一度目は母と父の時。二度目は母の異母姉にあたる叔母の時だった。後者は甥の自分に、公正遺言証書を遺してくれたので、問題は起こらなかった。そうでなければ、自分と同じ立場の人は二人いるので、結構もめたのかもしれない。両親の時は、一人っ子だったので、問題はなく、この時は妻がいろいろと書類手続きをやってくれた。普通は司法書士に頼むところを、不動産名義の書き換えなど、粘り強くやってくれて感謝している。叔母の時は、遠隔地だったこともあり、司法書士にいろいろお願いした。土地と家屋の処分は名義変更後、自分がやった。ネットの時代で、速くて便利だった。1月に相続した土地家屋が5月に売れた。細かいことをいえば、いろいろ大変だったのだが、いわゆる「争続」は起こりようもなく、苦労はしなかった方だろう。というと、たいそうなことに聞こえるが、実際は庶民的な相続額である。しかし二つ合わせると老後の支えにはなっている。だから両親と叔母には非常に感謝している。相続がもめるのは、しかし自分の時よりも、もっと額としては小さい時の方が多いと聞く。50万、100万・・・そんな額での「争続」が多いそうだ。実際に老親の面倒を見ていた側に、あまり多く相続されない。そもそも相続者が遺された資産と借金がどのくらいあるかが把握できていない。把握できたとしても、他の相続者と共有していない。お墓を守るなどの宗教的価値観の相違。・・・・いろいろなことで「相続」はもめる。だからこその「終活」なのだ。要は、子供たちなどの相続が面倒なことにならないように、自分たちの資産と負債をしっかり伝えておくべきだということに尽きる。
2019.04.08
「教師論」「消費論」「労働と仕事」などの一連の記事を、昨日、「評論」というカテゴリーを作り、そこに移動した。全部で現在33あった。「日々雑感」「練習日誌」などの日記的な文章と区分けし、後から編集しやすいようにしただけである。まあ、誰が読むわけでもないので、自分のためなのだが、こういう類の文章は、後から手を入れることも結構あるからだ。大体、この類の文章は一度下書き保存しておいて、何度か書き直してから公開している。そうでないと「生煮え」の感じが、ずっと消えない。もともと整理することは苦手なたちで、整理とはカテゴライズすることだから、この先もうっかり「カテゴリ未分類」の中に、「評論」記事を書いてしまうこともあるだろう。しかし、日々の経験にしても、論理的思考にしても、そうやすやすとあっちの箱、こっちの箱に収めきれるわけではない。どの箱にも入りきれない部分は必ずあって、それが「私の生き方」の風合いのようなものになっている。私には私の生き方がある。それはおそらく自分と言うものを、知るところからはじまるものでしょう。けれど、それにしたって、どこでどう変わってしまうか。そうです、分からないまま生きていく明日からのそんな私です。(吉田拓郎『今日まで、そして明日から』)
2019.04.07
変な言葉が流行る時代だ。元々の「就活」という省略語さえ、自分の学生時代にはなかった。それが今は「婚活」だの「保活」だの、変な日本語が続々生まれている。「終活」に文句の一つも言いたくなるのは、自分がまさにそろそろそれを考えなければならない年齢に近づいてきたこともあるが、その皮相性に嫌気がさすからだ。いや、そもそも「目的→計画→実行」という近代合理主義の「神の御言葉」に逆らってみたくなる気分が強まるのだ。死ぬことさえ、そんなに計画性が求められるのか。ハイデガーは人間を「死へと向かう存在」と規定し、死を「現存在の絶対的不可能性」と定義した。その定義に何ら異存はない。加えて、「死」はいつ訪れるのか、それは誰にも分からない。「終活」はその「死」さえも、一つの目標にして、お受験や、就職や、結婚と同じレベルに引きずり落とそうとしている。その思慮のなさに対して呆れているのかもしれない。といっても、「終活」はある程度必要なことだともわかっている。世間的な意味でもそうだし、より存在論的に言えば、誕生と死は、決して一人ではできないことだからだ。本当の意味での「終活」とは何なのか、しばらく論考してみたい。
2019.04.06
昨日、かかりつけ医の待合で読み始めて、今朝3時ころから最後まで読んだ。文庫本で400ページ強。『弔鐘はるかなり』など初期のハードボイルドはほとんど読んだのだが、最近は『三国志』『水滸伝』などの中国古典物へと転じたのだと思い、興味をなくしていた。司馬遼太郎や陳舜臣などで中国古典物は一時期はまっていたのだが、誰が書いても、何しろボリュームがすごくて、食指が動かなかった。ところが、北方はハードボイルドも書き続けていて、ひところほど話題にならなかったので、知らなかったのである。読んでみると、物語性が後退し、内面描写が豊かになっていて、どちらかというと最初期の純文学へと回帰しているように思った。売れるものではなく、書きたいものを書いているのだなと感じる。また、ブックオフで探してみようかと思う。どうせ新品で買っても読み終わればブックオフ行きになる。そうしないと本が溜まってしょうがない。ブックオフで買っても、そこでまた売る。ブックオフのいいところは、文庫本の場合、出版社ごとではなく、作者ごとにどの出版社かにかかわらず、並んでいること。探しやすい。なぜ一般書店でもそうできないのだろうか。それと、もちろん安い。高くても定価の60%程度。何でも100円というコーナーもある。さて、『抱影』だが、一人の抽象画家が主人公。100枚もの写実のデッサンの果てに、ふっと「跳ぶ」瞬間が訪れ、一週間以上、寝食を忘れて描き続ける作品は「形を越えた『形』」という抽象になる。しかしこの男は描いたとたんに絵を裏返しにし、二度と見ようとしない。目を付けている画商がいて、1号50万くらいで売れる。芸術論としても興味深い。この男が描きたかったものは、若くてチンピラだったころ出会った女性で、医師となったこの女性と隔月で食事をすることを30年続けている。酒場を数件経営しながら、それで生活をしている。やがて、主人公を「親父」と呼ぶ昔バーテンをしていた若い男が、暴力団とトラブルを起こし・・・このあたりは、ややパターン化した北方ハードボイルドの世界になっていくが、そこまでの過程は読みごたえがあった。
2019.04.05
ちょっとすったもんだがあったが、昨日、退院となり、治療開始日も決まった。当分、弓の方はお休みせざるを得ず、6月の公認試合復帰を目指すことにした。4月はまず体力回復と、自宅での近射で過ごすことになりそう。仕事の方は、今年度のスケジュールも確定し、労働契約書に押印して提出するだけ。基本的には、昨年度と全く同じ。曜日により、出勤時間帯が異なるが、週20時間の名目労働時間は変わらない。実質は多くて週10時間+準備時間5時間程度だ。土日月は3連休。今日、かかりつけ医に行って今後の相談をする。おそらく、今の病院で治療することになるだろうが、セカンドオピニオンということも少し考えている。後は家のリフォーム、といっても外壁と屋根の塗装が主だが、その業者を決めないといけない。あと10~15年住めればいい。車も、今乗っているのを最低あと10年乗り続けたい。定期点検さえきちんとやれば、10年10万キロは楽勝である。仕事は後5年、今の形で続けられたら十分だと思う。嫌いではないし、フル支給になる年金と合わせて、多少は家計にも寄与している。庭の畑(といっても素人園芸で、スーパーの方が安く買えるような作物を少々というだけ)もそろそろ。そうだ、孫が来るからこいのぼりもあげないと。思わぬ入院でちょっと予定も狂ったが、計画変更で柔軟に対応したい。
2019.04.04
入院中に新たな元号が「令和」と決まり、世間は何かと騒がしい。もはや時代錯誤の思想かもしれないが、自分は元号反対論者である。といっても、天皇制反対という左翼思想の持ち主ではなく、近代主義の西暦信奉者でもない。確か昭和64年は1月9日までのわずかな期間だったが、その時の混乱した状況をいまだに覚えている。せめて、正式書類を元号と西暦のどちらにしてもいい、というふうにはならないものかと思う。そうなると、年の途中で、「平成」に二重線を引いて、「令和」と改めるというような煩わしさはほとんどなくなるだろう。人員削減した造幣局も「令和」硬貨の発行にあたふたしなくてもよくなる。それでも元号がいいのだという人はそれを使えばいい。ただ、元号と同じくらい普及している西暦を、公文書などの日付から外すというのは、非常に暴力的な行政ではないかと思うのだ。一番困るのは、1975年は昭和50年、平成15年は2003年というような換算がすっとはできないことだ。特に平成は世紀をまたぐので、面倒である。
2019.04.03
ようやく、いくつかの検査の結果が出て、診断が確定した。今後は、治療計画ということになるが、放射線治療である。想定した中では、最も軽度であり、基本的には通院治療となる。昨晩は、妻と一緒に医師の説明を受け、遅くなったので外泊許可をもらい、帰ってきた。安心したので、ぐっすり眠れるかと思ったら、なかなか寝付かれず、早朝に目が覚めてしまった。早ければ今日、遅くとも今週中の退院となる見込み。まだ、「弓三昧」とはなかなかいかない。職場の方は新年度の実質的始まりの来週から復帰できそうだが、弓の方は今月中は他の予定もあり、お休みである。まあ、仕方ない。
2019.04.03
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