全41件 (41件中 1-41件目)
1
早起きしてしまったので、暇に飽かせて、長いものを書いてしまった。で、「曜日シリーズ」を忘れていた。木曜日は、11時過ぎ出勤退勤5時前くらい。週一度のまとめ買いの日だから、10時の開店を待って近所のスーパーに妻と出かける。ちょっとかったるい一日だ。インドア射場は7時まで開くので、退勤後は直行する予定。それでも1時間程度射てればいい方だ。昼食は弁当。今日は昨日の残りの生姜焼き定食風。こんな働き方でも、週後半は少し疲れが溜まってくるような気がする。やはり年相応の働き方なのかもしれない。土曜日からは世間も3連休で、3日とも射場は開いている。再来週の公認に向けて、3日間でバックテンションを意識した射型は固めてしまいたい。
2019.10.31
また、バカな文科大臣が物議を醸している。大学入試共通テストの英語の外部試験の導入に関して、地方と東京、あるいは札幌などの中心都市では実施種類、回数などがまったく違うという実態があるにも拘らず、「受験生は、それぞれ身の丈に合った努力をしてほしい」などと失言したものだから、野党がここぞとばかり追及している。このことに関しては、自分は「共通テスト」などというバカな入試はやめた方がいい、という意見だから、どうでもいいようなことではあるが、またマスコミが例によって「受験生の経済的格差を認める」発言だとして取り上げているのは、納得しかねるので、論じておきたい。まず、教育の「機会均等」は認められるべきだ、というのは大原則としなければいけない。問題は、その「機会均等」の保障の具体的な運用である。例えば、国公立大学を志望するなら原則必須である従来のセンター試験にしても、中核都市にしか会場は設置されない。現役の高校生なら在籍校の住所で会場が決定する。しかし、過疎地に戻って宅浪をせざるを得ない受験生の場合、場合によっては中核都市に二泊して受験しなければならなくなる。これは「機会均等」を奪っているということにならないのか。各大学が個別に実施する試験ならなおのことだ。東大の受験会場は東大だけだ。東京に住む受験生なら、ほぼ受験料+電車代金だけで受験可能なのに、例えば北海道からだと、安くても往復3万円の航空機代金と二泊三日の宿泊代金がかかる。そのことに大騒ぎしなかったのに、なぜこの問題について大騒ぎするのか。「格差」なら昔から今に至るまで存在していた。そもそも、受験料やそれにかかる経費など、大学の4年間の教育費に比べたらたいした額ではない。その教育費が出せなくて大学進学をあきらめる優秀な高校生は、今も昔もいるのだ。高等教育の無償化、給付型奨学金などの政策が予定されているが、大学と名がつけばOKで、無償化されるのは、ただ家庭の経済状況によるだけ、ということだ。はっきりいって高等教育の名に値しない大学はごまんとある。そこに入る者と、学生も優秀で、競争率が高く、従って偏差値も高い大学に入る者に同じように無償化を行うのは「機会均等」の保障と言えるのか。無償化するなら、少なくとも国立大学に限るべきだと自分は考える。いや、旧帝大+αで本当は十分だ。「経済格差」を認めてはいけない、というマスコミや野党のスタンスは、一見耳触りがいいが、人間の能力差と努力の差をゼロにしろという、弱者の怨恨感情に迎合しているだけで、もしそんな社会が実現してしまったら、誰も努力して高等教育を受けようなどとは思わなくなるだろう。自分の場合、決して高給取りではなく、それでも子供二人は大学院教育まで受けさせることができた。それは、無茶な借金をして「身の丈」に合わない家や車を購入したりせずに、せっせと住宅ローンを早期返済し、子どもの教育資金を貯めてきたからだ。つまり、それこそ「身の丈」に合うような生活をしてきたからである。子育て後には、親や叔母がある程度の資産を遺してくれたおかげで、比較的余裕のある「老後」にはなっている。今は、子どもたちも、それぞれ結婚し、職業人としても恵まれた環境にいる。やっと少しは、自分たちの楽しみのためにお金を使ってもいいかな、という状況になった。とはいっても、せいぜい程度のいい中古車を買ったり、着物帯を加工したドレスがこの前届いたり、そんな程度のことだ。月に一回程度、数千円のランチ、何かの記念日に数万円のディナー、毎年一度くらいは一週間くらいの滞在型の旅行、そういうことが「身の丈」に合っている。つまり、「身の丈に合う努力」はすべきなのだ。逆に、してはいけないのは「身の丈に合わない消費」である。自分には、自分の年収を超えるような高級車をローンで購入したり、家を新築すると同時に「どうせローンだから」と家電をすべて新しくしたりすることは、「身の丈に合わない消費」に思える。前回の評論で書いた「平等幻想」を少しでも壊すような発言に、めくじらを立てて、全力で批判する。そして時が経てば、何もなかったかのように忘れる・・・こんなことを繰り返していては、幸福な社会はやって来ない。大分話が逸れてしまった。大学入試共通テストの英語については、次回に論じることにする。
2019.10.31
昨日は、朝に30射。最後に右で6射。やはり、限界までドローウェイトを落としているが、押し手は震える。この際、再転向はいったん諦めることにした。が、身体の左右バランスを維持するために、家で射つ時は、最後に右の6本を射って仕上げることにした。近射といっても、5mくらい離れて、フィールドの20cm的を狙って射っている。6点はインドアの10点と同じ直径2cmの円。その中にすっぽりと直径9㎜の矢が入れば、一応OKということだ。そのもう一つ外の直径4cmの円を矢がすっぽりとは入らない、つまり一部分でも矢がラインにかかっていればNG。OKは18m先の直径2cmの10点を食う、つまり中心4cm弱の中に入る可能性が大きいし、NGは直径8cmの9点から外れる可能性が大きい。つまり8点と見た方がいい。大体、そんな見通しで射っているが、5mと18mではサイトはほとんど変わらない。放物線軌道の上昇線上に5mがあり下降線上に18mがあるからだ。夕食は、最近はワインとともにということが多いから、夜は普通は射たない。が、昨夜はちょっとほろ酔い気分で射ってきた。左で18本。OKは6本くらい。NGはゼロ。3本に1本10点だと280のペースで、前回の記録会で二回目は280だったから、似たようなものだ。最後に右で6本。OK2本、NG2本。270というところだが、右だともっと外しそうな気がする。
2019.10.31
水曜日は、午前10時ころ出勤、午後4時ころ退勤。昼をはさむので、外食か弁当。今日は昨日のサンマの竜田揚げとおでんが残っているので、それを詰めていく。会議が一時間。この会議だけは自分がいないと動かないので、来年度も続けることにした。弓は、バックテンションの感覚の確認だけを、自宅三階で。
2019.10.30
インドア練習のいいところは、完全な無風状態であるところだ。昨日は、いったん帰宅して、昼食をとり、出かけた。休み休み2時間。大体60射くらい。意識したのは、最初のエイミングとバックテンション。外では、それが、なかなかできなかったのだが、また、少し背中の意識を持てるようになった。結局、この射は切れるのを待つ射なのだが、何もしないで待つのではない。背中の筋肉、肩甲骨の動きで切りに行く、と言ってもいい。無風だから、いつもそうやって射てる。射自体は、それをやり始めてからは、すべて黄色の中に入るようにはなった。まだ、エイミングの動きが大きいが、それも改善しそうな気がする。上半身の疲れの感覚が、今までの練習後とはかなり違うので、いくらかバックテンションがまた使えるようになったようだ。レフティでは、ほぼ初めてかもしれない。
2019.10.30
昨日はインフルの予防接種前に、一階の掃除を一通り。床が新しくなったので、ゴミが目立ってしょうがない。掃除機、シートで軽く水拭き、風呂、トイレ。どうやら、頼んでいたお手伝いさんは体調がよくないらしく、この先もあてにもできないようだ。年金生活でもあるし、自分たちでする時間もできたのだから、そうしようかと思っている。午後、ディーラーで払い忘れたタイヤ預かり料金を。何でも提携先で預かるそうで、ディーラーからの請求とは別になるとのこと。12か月点検の方は、点検パックに入っているから、オイル、フィルターの交換、タイヤ交換などを含めて無料だ、いや、先に払っている。さて、火曜日はいつも10時から13時くらいが仕事。インドア射場が開いている日だ。平日は、火曜、木曜の2日間なので、なるべく行きたい。特に火曜日は、かなりゆっくり練習できる。そういうわけで、今日はおにぎりを持って出勤することになりそう。勤務先から、おにぎりをほうばりながら、帰宅して、すぐ着替えて射場に。ほこりがすごいので、もう仕事もスーツではないのだが、そのままの服で行くのは、ちょっと。冬の練習は、自宅と射場ということになる。弓は、日曜日にはいったん車からおろして、自宅三階に。月曜と水曜は、自宅で50射くらい。昨日は36射だった。また、火曜日・木曜日に車に積んで、おろして。土曜日は、積みっぱなし、という感じ。今週は、通常通りの勤務だが、来週は少しコマが増える。再来週、沖縄に出かけるので、その分を振り替えてある。沖縄は、息子の嫁さんの従妹の結婚式。大分遠縁なのだが、久しぶりに行きたいので、呼んでもらった。もう一人の孫とも、そこで会える。こちらは、まだ9か月。何しろ、遠いから、年に一度会えれば、と思う。来年は、熊本の試合にまた出て、そのついでに会いに行こうか。それとも、試合に絡めず、旅行がてら行こうか。まあ、楽しい悩みではある。
2019.10.29
昨日の記録会は、自分としてはまずまず。273-280=553で、去年の同じ記録会が272-272=544、一昨年が273ー276=549だったのだから、出だしで553は一番いい。まあ、誤差のうちのようにも思えるが、7点でも低いよりは高い方が、気分はいいのだ。HBCの使い方は、大分安定してきた。ところで、月曜日は、勤務先にこちらのたっての希望ということで、休みにしてもらっている。年に数回出かける弓の遠征が、最近は二泊取ることがほとんどで、月曜日にゆっくり帰ってくることが多いのは、この休みのおかげだ。今日は、妻とインフルの予防注射を午前中に。午後は、担当の一階の掃除、火曜日以降の仕事の準備、三階での近射練習など。月曜休日のおかげで、非常に余裕のある生活になった。もちろん来年度以降も月曜日は休みにした上で、勤務を週3日にしてもらう予定。仕事自体は苦でないので、3日になっても、今と変わらない時間でもかまわない。そうなると、休みがむしろ日常になるので、また違う曜日感覚になってくるだろう。火水木と働いて、金土日月が休み。
2019.10.28
日曜日が、日曜日として感じられなくなってから、もう3年になる。土曜日、月曜日が休みで、いつも3連休だから、待ちに待った休日という感覚はまるでなくなってしまった。3年前までは、日曜は大体仕事か出張帰りだった。まあ、年齢なりの日曜日の過ごし方、というのがあるだろう。今日は、午前中はインドア記録会。点数というより、いかにフォームを一定化できるかがポイントだと思っている。午後は、車の定期点検、タイヤの交換。仕事が忙しい時は平日に職場に取りに来てもらって、退勤までに返してもらうというパターンだったが、今は勤務時間が短いので、こちらから持ち込むようにしている。1時間ほどかかるので、そのあたりをブラブラ散歩でもしようかと思っている。まだ雪の季節ではないが、いつ降っても大丈夫なように、11月には必ずタイヤ交換をしている。もう十年以上、自分で交換することはない。今の車になってからは、タイヤ保管も頼んでいる。お金はかかるが、楽でいい。遠征を12月にもすることにした。今の車なら、仮に雪道でも大丈夫だし、孫のところ、娘夫婦の新居に寄りたいということもある。新居祝いはもうあげたのだが、居間にでも飾るのにクルックのリトグラフを一枚持っていってあげようと思っている。シャガールの一番弟子で、好きな画家だ。購入したのはもう20年以上前だ。大小4点ほどあって、息子には小さなのを一つあげたので、娘には大きな『丘の上のトラック』という作品を。今の車にならぎりぎり積めそうだ。妻と一緒に行き、妻は三泊、自分は遠征先に一泊。そういうパターンはこれまでもあった。
2019.10.27
「いじめ」が発生する最大の原因は、個人差を優劣として認めない社会の欺瞞である。富める者がいて、貧しい者がいるのが社会だ。大人になれば、そういうことは日々経験するので、いやでも分からせられる。(自分は、どう考えてもこの社会のアッパークラスの住人ではない。年収、資産、家財・・・どれをとっても典型的なミドルクラスの住人だ。)そしてミドルクラスこそが、個人差を優劣として認めないメンタリティを教え込まれた人たちなのだ。(そのミドルクラスは、今、急速に二分化しつつあるが、それは本稿の論じることではない。)彼らは「みなと同じ」であることを、美徳として教え込まれている。相対的貧困率について述べたところで、その人たちは、「普通の」家庭の子どもがしてもらえることが「できない」、と言った。つまり「みなと同じ」になれないのだ。「みなと同じ」が美徳なら、「みなと違う」ことは是正されるべき悪徳である。「いじめ」は「みなと同じ」ではない差異の記号を、本人がそれを持っているかどうかに関わりなく、誰かに付すことから始まる。教師が生徒個人の属性についてみなの前で言及する時には、よほどの注意が必要で、そこに無頓着な教師は、差異のレッテルを貼ることになる。そのレッテルは教師によって正当化されているのだから、他の生徒がそれを理由に、「みなと違う」生徒を、からかったり、無視したりし始めるのは、当然なのだ。多くの学校での「いじめ」は教師が引き起こすと書いたのはそういうことだ。しかし、「差異」を「差異」として認めることから、学校教育が始まるのなら、逆説的に「いじめ」は生じないだろう。すでに首都圏ではそれが始まっている。家庭の経済的差異は、子どもを私立中学に通わせるか、公立中学に行かせるかに反映されている。そこでは、現実の差異が、虚構の差異を圧倒するので、現実の差異記号は「いじめ」ようがなくなるのだ。つまり、「いじめ」を生むのは平等幻想であり、その幻想にしがみついている文科省は、完全に間違っている。小学生の学力差は非常に大きく、その課程を4年、5年で終了できる者は、相当数いるだろう。また、中学生の課程に入るのが難しい者も同じくらいいる。そこから、始めるべきなのだ。なぜ、学力の違いすぎる者が同じクラスで同じ授業を受けなければならないのか。もし、小学校で飛び級が当たり前になれば、少なくとも頭が良すぎることで「いじめ」られることはなくなる。彼は違う場に行くのだ。同じように、校則を守らず(ただし現在のバカみたいに細かすぎる校則は全廃し、シンプルなものに変えることは必要だ)、授業を壊すような言動を取る生徒も、違う場に行かせる。それは「懲罰クラス」でも何でもいい。とにかくそこで、威圧的に静粛に授業を受ける訓練を積ませる。彼らは、学校という社会の中で「制裁」を受けるべきなのだ。「制裁(sanction)」は、「最大多数の最大幸福」を唱えたベンサムの重要概念である。社会の中には、他者の幸福を壊すことに自らの幸福を感じる者が、一定数いるので、これに「制裁」を課すことが必要だ、と彼は述べている。その中で最も重視したのが「法」による「制裁」だ。もし、そういう小学校が実現したら、確実に「いじめ」は減少するだろう。私立小中高はどんな学校でも「本校生の本分に反する行為をしたものは、退学させる」という内容を含む「誓約書」を提出させている。公立の場合、義務教育は子どもを小中学校に通わせることを保護者の義務としている。そして、それは当然無償でなければならない。しかし、場合によってはその義務を免除する規定を作るべきだ。つまり、あまりにもひどい生徒を「退学」させる権利を、学校、教育委員会に付与すべきなのである。それは「最大多数の最大幸福」を実現するためにはどうしても欠かせない「制裁」というメカニズムなのである。
2019.10.26
昨日は、午後8時までの仕事。始まりは4時半なので、それまでは妻と整形に行った。弓は自宅で12射だけ。それから、昼寝をしてから出かけた。金曜日の夕食はカレーが多い。昨夜はナスと挽肉のカレー。今朝は、そのカレーにピーマンを小さく切ってもう一度煮込み、ミニトマト、ゆで卵のスライスをご飯の上にのせて、かける。トマトの酸味とゆで卵の甘みと、半分煮込んだピーマンの苦みが加わり、久々に絶品のカレーができた。今日から3連休。明日はインドア記録会。今日は練習日なので午後から出かける。点数はともかく、センターをきちっと狙える方法を定着させたい。
2019.10.26
「最少不幸社会」は「無痛社会」を目指すのだが、それを実現するには、「苦痛」を感じる人の数を、極力ゼロに近づける、という手段を取る。徒競走で、同じタイムのレベルの生徒でグループを作って走らせた方が、ランダムにする場合よりも、「苦痛」を感じる子どもは少ない。確かに、半周も遅れてビリでゴールするのは相当恥ずかしいことで、同じビリでも同レベルの集団なら、それほど大きな差はつかない。「惜しかったね」と励ましてもらえる。しかし、一番足の遅いグループで一着だったとしても、それを素直に喜ぶのはせいぜい幼年期までだ。すでに、そのグループに入ったこと自体が恥ずかしいことで、しかも「あの中で一着っていってもね」という周囲の気分はダイレクトに感じる。つまり、一着の子どもの「幸福量」はほぼゼロであるか、場合によってはマイナスですらある。「最大多数の最大幸福」を目指す社会では、そういうグループ分けはしないだろう。徒競走の他に、偶然性がかなり左右する競技や集団競技を取り入れて、「勝利の幸福感」をできるかぎり多くの子どもが味わえるようにする。たまたま、運悪くどの競技でも負けてしまった子どもも出るだろうが、それは仕方がないことだと考える。その上で、勝者が敗者を馬鹿にしたりすることは、人間としてみっともないことだということを教える。「いじめ」という現象が出来する原因はいくつかあるが、その一つは「最少不幸社会」の「形式的平等主義」だ。実際は、人間の能力には差があり、境遇にも差があるのに、それがないかのように形だけを整える欺瞞の中で、子どもは自分たちで「序列」を作り出す。それは、大人の序列とは違うから、上位の者の下位の者に対する言動は過酷で容赦ないものになる。子どもたちは、そういうことをしてはいけないということを教えられておらず、序列自体があってはならないのだという欺瞞の中で育っているからだ。そういう子どもたちもやがて大人になるわけだが、学歴や職業や収入など、序列の中で生きていかざるを得ない。しかし、その中でも「最少不幸社会」の弊害は生き続ける。下位の者が、苦痛を感じたら、上位の者の言動は何であれハラスメントとなる。そういう中で、上位の者のふるまいは、下位の者と同じ空間にいることをできる限り避けるという原則に拠ることになる。かくして、大都会には厳然としてソーシャルクラスによる棲み分けが存在するし、会社組織ではハラスメントを訴えないAIが重宝され、下位の者の仕事はますます奪われていくことになる。
2019.10.25
昨日は退勤後1時間。どうもうまく中らない。いろいろと原因を考えたが、結局「疲れ」ということのようだ。4日連続で、外と内という日もあった。今日は射場も開いていないし、夜の仕事もあるから、この辺で弓に関しては休養が必要だろう。いろいろ雑用などもあるし、そのほかは家でゆっくりすることにした。
2019.10.25
「最少不幸社会」と「最大多数の最大幸福」を目指す社会とは、一見似ているようだが、実は正反対なのだ。「最少不幸」の理想は、不幸がゼロということだ。「最少不幸」の典型的例は、突飛なようだが「無痛分娩」ではないかと思う。出産は、新たな命の誕生であり、親にとっては、自分の命を越えて生きる我が子の誕生なのだから、これほど喜ばしいことはない。しかし、それは文字通りの「産みの苦しみ」を伴う。それをゼロにしようとするのが、「無痛分娩」だ。そのどこが悪い、と聞かれれば、答えに窮してしまうのだが、少なくともそれが自然なことではないのは、自明である。出産に限らず、生きていくこと自体に、ある種の「痛み」は伴う。「最少不幸社会」は、それをゼロ化しようとする。人間は、生物である以上、個体差があり、体の大きなのもいれば、小さいのもいる。近代になって人間的の質とされた理性の能力も個体差がある。体の小さな子どもは、体の大きな大人に、恐怖を感じる。しかし、それが、親であれば、自分を大切にし守ってくれるのだから、恐怖ではなく親愛を感じるだろう。しかし、子ども同士の社会の中では、さまざまな面で個体差があり、それが原因である種の苦痛を感じることもある。それをゼロ化しようとするのが「最少不幸社会」という理念だ。もう10年以上前に、ある教師が全員の成績を5にして、物議を醸した。その教師は評価をすることで、子どもたちを「傷つけたくなかった」そうだ。現在、小中学校では「観点別評価」が行なわれ、一人一人を「丁寧」に評価するという建前の下、他者との比較評価を実質上放棄している。基本的にやっていることは、全員に5をつけた教師と変わらない。運動会では、タイムの近い集団で徒競走を行ない、極端な差が出てビリの子どもが「苦痛」を感じることない「配慮」が行なわれている。話は変わるが、最近「相対的貧困」ということが、あたかも重大な問題であるかのように、論じられている。年収の平均値の半分以下の世帯の子どもは「相対的貧困」状態にある。その子どもは「普通の」家庭の子どもが、してもらえることが、してもらえない。例えば、入学すれば学習机とランドセルは、ピカピカのを購入してもらえない。月に一回のささやかな家族での外食にも連れて行ってもらえない。修学旅行で新しい鞄を買ってもらえない。この問題を何とかしなければならない。・・・この論調も、「最少不幸社会」の匂いがする。信じられないかもしれないが、高齢者の餓死や凍死は増え続けている。原因はやはり「貧困」だが、それは「相対的」ではなく「絶対的」貧困だ。どう考えても、人間社会の中で、そのことの方が、ランドセルを買ってもらえないことよりも、はるかに困った問題ではないか。もちろん「最少不幸社会」はそのことを無視したりはしないだろう。しかし、NHKは「相対的貧困」をシリーズの番組で取り上げたが、このことはほぼ無視している。つまり、スポットのニュースでは取り上げるが、解決すべき社会問題としては取り上げていない。「最少不幸社会」とは「苦痛を感じることをゼロ化する社会」、「無痛社会」である。それを言いだした民主党政権はとうに国民の信頼を失っているが、この理念だけは、生き続けている。それは現政権の新自由主義の理念とはまったく相容れないものなのにもかかわらず、時代の「空気」のようなものとして、多くの人に共有されつつある。いじめの問題を考える時、この理念と照らし合わせると、不可解なことが了解できるのだ。なぜ、いじめは本人がそれと感じたらいじめになるのか。それは「苦痛を感じない社会」を目指すという文脈で現れる異常な判断である。そこでは「苦痛」は「悪」であり、できるだけ素早く、しかも予防的に排除されるべきなのだ。しかし、そもそも人間関係は、いつも思いやりと優しさにあふれているものではない。必ず勝者がいれば敗者がいる。そして敗者はいつも励ましの言葉をかけてもらえるわけではない。「放っておかれる」ことが、敗者の境遇の基本なのだ。そして、その境遇こそが逆境であり、逆境こそが人間を成長させる。そういう人間関係の中で、「苦痛をゼロ化」する方法は一つだけあって、それはもはや人間関係に依存せず、一人で生きることである。成熟した大人はそれができる能力のある人だ。もちろん、言葉を交わす相手はいるし、同好の仲間もいるし、一緒に暮らす人がいる場合もある。それでも「一人で生きる」ことは可能なのだ。「人は一人では生きていけない」という言葉を、「他者依存してもいいのだ」という意味に使うのは、完全なすり替えである。いや、他者に依存しつつ、しかも誰からも傷つけないようにしてもらいたい、というのは完全な二律背反なのだ。以下続く
2019.10.24
昨日は風もなく、気温も10℃以上あったので、外で。50m。56-54-56-53-54-50=323最後のエンドで、ちょっと点数を意識した。もう一回くらい、せめて330を射ちたいな、と思ったらこのざまである。メンタルが弱すぎる。それでも50本射つと、少し汗ばむ感じで、これはなかなか気持ちがよかった。今朝も6時半くらいから、出かけようと考えている。
2019.10.24
この問題を論ずる気になったのは、例の神戸での低レベルとしかいいようのない、教師間のいじめ事件である。「いじめ」は2000年前後から学校現場で、問題化していった。その後、「ハラスメント」という言葉も、職場で定着した。自分は「いじめ」も「ハラスメント」も擁護しないし、ましてや「昔はそんなの当たり前だった」などとも絶対に言わないが、特に「いじめ」をめぐる文科省の奇妙な定義と、学校現場でのちぐはぐな対応には、現代日本社会の病理を強く感じるので、ここで数回に分けて論じておきたい。神戸の事件については、以前にも書いたが、あれはもう立派な犯罪であり、刑事告訴があり、捜査が始まっているそうだから、後の報道を待ちたい。この事件を「いじめ」という文脈で論じるのは、不適切なように思える。なぜなら、この事件は傷害事件であるが、「いじめ」は傷害は傷害でも、主として心の傷だからだ。文科省のガイドラインでは「本人がいじめと感じたら、それはいじめである」というところから、いじめは認定されることになっている。つまり、人間関係において、少しでも自分が「無視されている」とか、「仲間外れになっている」とか感じ、心が「傷ついた」と感じたら、それはもう「いじめ」なのだ、ということだ。この定義は、どう考えてもおかしい。同じ事態を、平然と受け流す人間もいれば、そうでない人間もいる。周囲のバカな人間たちを見下し、超然としている個人もいるし、そこに依存する個人もいる。前者にとって「いじめ」などないし、後者には「いじめ」があり、学校はそれに対応することを求められる。「いや、そうではない。もし、その生徒が自殺というような事態に追い込まれたら、取り返しがつかないではないか」という反論もある。しかし、それは、もし道で転んだら、打ち所が悪くて死ぬかもしれないではないか、という議論と同じだ。その時に、単に転んで皮を擦りむいただけで、舗装が凸凹だった道のせいだとして、管轄する市や町を訴える人がいるだろうか。神戸の小学校では、カレーを塗りつけた家庭科室をみると、堪えられない気持ちになる子どものために、改修工事をし、給食に当面カレーは出さないそうだ。なぜ、そこまでしなければならないのか。正直な感想をいえば「バカみたいだ」。ここで、ルール化されているのは、誰であれ、心が傷つくことは絶対にあってはならず、できる限り予防的に措置しなければならないということだ。決定的に欠落しているのは、少しは傷ついても立ち直ることのできる強い心を育てるという、極めて健全な教育理念である。確かに、人間には個人差があり、普通の人が何でもないと感じる事態に、深く傷つく人もいる。その人が、そう感じたら「いじめ」も「ハラスメント」も発生したと見なされ、対処が求められる。そうなると、論理的に言えば、最も心が傷つきやすい人を基準にして、すべての事柄が運用されていくのが、正しいのだ、ということになる。だから、数百人の児童の中で「家庭科室に行くのがこわい」と感じる子どもが三人いたら、改修工事をする。それなら、「学校に行くのがこわい」と感じる子どもがいたら、数十億をかけて学校を建てなおすのか。ベンサムは「最大多数の最大幸福」といったが、管直人は「最少不幸社会」と言っていた。この二つはまったく違う。「いじめ」は「最少不幸社会」の病理だ。
2019.10.23
午前中は外で50m。54-54-57-54-53-53=325。どうやら、今季のアベレージくらい。昼食後はインドア。今までも、外で18mは射っていたが、インドア練習場では昨日が初めて。心配していたよりは中り、ほぼ9点には入る。いわゆる当て勘がまだないので、少しはよくなるだろう。3回、9本に1本くらいの割合で8点。その間に10点も1本はあるから、270ペースだ。インドアでここからのスタートはレフティでは初めて。せめて280まで上げたい。
2019.10.23
昨日は、朝に孫を娘と一緒に保育園に送り、そこでバイバイして、午後10時過ぎに、出発。やはり一般道にした。高速だと、その余裕もないのだが、途中の山々が紅葉の盛りで、久しぶりに車からの秋を楽しめた。腰のことも、夫婦ともに心配なので、往復とも4回はたっぷり休憩をした。休憩は「道の駅」が一番いい。高速のPA、SAほど清潔なトイレではないが、まあ、店などをみてゆっくりはできる。今回は往復ともに、新規に昨年開業した地元に一番近い道の駅で、行きは娘のところに新鮮な野菜を、帰りも自分たち用にと思ったが午後4時過ぎで、たいていのものは売り切れだった。それでも、アップルパイをホールで買ってきた。パイは小さめだが、たっぷり4個は取れて1000円でお釣りがくる。地元の町の3店のパイやケーキが一つのショーケースに並んでいるが、ここのが一番おいしい。その前に寄った道の駅では、ふくらぎが一匹120円という、すごい安値で売っていたが、ここからあと4時間は、と考えると二の足を踏んだ。そこでも野菜を少々。時間に余裕があるのだから、高速を使わなくてもいいな、というのも今年の新たな発見だった。来年の遠征は、すべて一般道にしてみてもいい。今回は、計520km。往復で13時間半。燃費は表示で17・6。軽油30リッター、3600円で走ったことになる。高速で一人だと、時間は往復10時間くらいだが、割安チケットでも8000円プラス、軽油は大回りになるので4000円くらいだろうか。安くついた分で、いろいろ食べて、買ってとできたのだから、まったく文句はない。今の車は、次の車検を取ったら、娘夫婦にあげようかと思っている。気に入っているが、老夫婦二人にはちょっと大きすぎるのだ。次はタウンエースくらいのワンボックスがいい。
2019.10.22
昨日は孫と遊んだ1日。10時ちょっとに行って、昼は娘の旦那さんがアレルギー対応ケーキを買うついでに、持ち帰りの寿司を買ってきた。持って行った仮面ライダーと自動車のパズルがよほど気に入ったらしく、孫とはほぼそれで遊んでいた。前回のようにハードな遊びではなかったので、身体は楽だった。4時くらいに、バイバイ。ホテルに向かい、夜は妻と居酒屋。銀杏の入った茶碗蒸しが食べたくて、わざわざ地下鉄で。以前から娘のところに行くと、よく寄っていた。昨日は、娘夫婦の来週引っ越しするマンションにも行ってきた。120平米超+ルーフバルコニーの4LDK。本来は5LDKだったものを、最初の買主が、設計段階から注文して、変えたらしい。最上階を一戸だけで使っている。その下からは3LDKと4LDKの1フロアー2戸だから、相当広い。今のところから1kmもなく、地下鉄も同じ駅でより近い。リフォームがほぼ完了している。ローンも大変だろうが、何とかやっていけるだろう。二人の年収合計は、自分が一番年収が高かった時に近い。今朝はこれから孫にもう一度会ってから帰路につく。
2019.10.21
昨日は休み休み一般道を。途中で昼食。初めてだったが、雨竜蕎麦の新蕎麦がおいしい。ホテルでひと休みしてから、娘夫婦と孫との待ち合わせの焼き肉屋に。地下鉄で5駅。アレルギー一覧があり、助かる。やはり最近は多いのだろう。持っていったジグソーパズルが、大正解で、孫はそれに夢中で、おかげでゆっくりと食べられた。初めてなのに、あっという間に仕上げてしまう。ああいう記憶力は幼児特有のものだ。自分も、トランプの「神経衰弱」だけは、誰にも負けなかった。値段は、前回の2割くらい。やはりチェーン店は安い。今日は10時くらいに行って、孫の誕生会。いつものように、疲れきるまで遊ぶ、ということになる。他に来週引っ越し予定の豪邸?を見せてもらう予定もある。
2019.10.20
9時くらいに、孫のところに出発する。あいにくの雨だが、腰の調子も心配なので、休み休みゆっくりいくことにしたい。今回は2泊の予定だが、一応3泊は押さえている。今夜は焼肉屋。まあ、こちらが払うことに。年寄りは、お金くらい出さないと、若い人にはつきあってもらえない。それに今回は、チェーン店なので、たいした金額にはならない。明後日は「孫と遊ぶ会」になっているそうで、これを乗り切れれば、無事に帰宅できるだろう。
2019.10.19
もう、この話題は鮮度が落ちているのか、ワイドショーのコメントも陳腐なものばかりとなってきつつある。もともと、定型的な「憤り」しか発しないから、見なくても大体わかる。しかし、昨日、昼のテレビを見ていたら、面白いことを言っている人が一人いた。彼曰く「なんで、この画像にモザイクをかけるんだ。結果としてマスコミもいじめた教師をかばっているんじゃないか」。予想通り、このコメントは誰も後を引き受けず、うやむやになった。結局、「こういう人が先生だなんて」という定型的憤りをしゃべっていた司会者も他のコメンテーターも、制作局の権力にまで逆らって発言しようとはしない。また、この学校のいじめ認知数が増えていることも、あたかも教師同士でそういうことがあるからだ、というふうに取り上げられていたが、「分かってないなぁ」というのが自分の率直な思いである。学校での生徒間のいじめは、ほとんどすべて教師から始まるのだ。特に小学校では、教師のクラスでの言動が、いじめを誘発する。生徒を小馬鹿にしたような発言、えこひいき等のことは日常的にあり、生徒はこいつをいじめてもいいのだ、ということを教師の態度から知るのである。「学級王国」においての王は教師であり、その王の眉一本の動きで、生徒はさまざまなサインを受け取り、王の意向に沿う行動をし始める。多くのいじめはそこから始まる。だから、神戸のこの学校で起きたことは極端にひどいが、教師が生徒のいじめを誘発するのは日常茶飯事であり、その認識から始めないと、いじめ対策にはならない。一番の具体的対策は、教室や体育館などでの出来事をすべて録画録音しておくことだ。ドライブレコーダーがあるのだから、技術的には問題なくできるだろう。そしていじめが顕在化した学級で、教師がどこでそのサインを出したかを、検証するのである。根本的な対策も、この機会だから書いておこう。「他の先生は夜遅くまで生徒のために頑張っているのに、一部のこういう先生のために、先生全体がこう見られるのは、嘆かわしい」というような陳腐な意見を、元同僚の教員が話していた。まず同僚に対して「先生」という敬語を使うな、と言いたい。それから「夜遅くまで生徒のためにがんばる」というのが、正しいことのように言うな、と言いたい。こういう問題意識のかけらもない人間を「よい先生」の典型としてみなすような扱いはやめるべきだ。まず、現在の教員すべてに学力試験を課すべきである。教科ができない教師がどれだけいるか分かるだろう。基準以下の教員は教員免許の効力を停止する。2回くらいの再チャレンジはあっていい。当然、その間は無給である。次に教員免許取得にも最終の学科試験を課す。ほとんどの教員養成系大学の学生はこの時点でふるいにかけられる。何しろ彼らは、国立大学の最底辺にいるのだ。そして、現在の教員の給与を少なくとも1.5倍くらいには引き上げる。そうなれば教師の質は間違いなく上がる。それから、教師の部活動指導をすべてやめる。そこは、はっきりと学校の管轄外のこととする。もちろん外部コーチが、学校で部活動を指導するのは構わないが、それは学校が「場」を提供しているだけのこととする。そうすれば、教師は定時に退勤できるし、十分な学力と準備をもって授業に臨める。もちろん、授業については生徒が定期的に評価する。著しく低ければ、教師として適性がないのだから、同じく教員免許の効力を停止する。学力が高くても、一定の割合でそういう人間はいる。もちろん教員採用試験に「模擬授業」をやらせれば、そういうのはすぐ分かる。こういう抜本的な政策を一挙にすすめるとしたら(まあ、絶対ないだろうが)、おそらく現場の教員が大反対をする。日教組は、生徒を放っておいてストライキまでするはずだ。なぜなら、それは彼らがうすうす知っていて、最も暴かれたくないことだからだ。
2019.10.19
明日、孫の誕生日で妻と出かけるので、今朝が朝練の最終日。来週からはインドア射場が開くので、そちらに。昨日は18mを30射。30mを12射。50mを18射。30mはFATBOYで、フィールド的を貼った。大体、インドア9点のところには入るが、10点はなかなか食わない。30mは58くらい。50mは54くらい。まあ、実力通り。今朝もこれから、防寒対策をして出かける。
2019.10.18
どうやら、この話、トップ同士の話ですでに決まったことを流したらしい。正確に言えば、今月末のIOCとJOCの話し合いで決定するのだが、JOCの森会長(IT革命をイット革命と答弁した元総理)は、すでに移転費用はIOCでという発言までしているのだから、もう条件闘争に入っている。やはり、都知事よりも元総理の力は上らしく、橋本聖子担当相も鈴木大地長官も、アスリート・ファーストという金科玉条、錦の御旗で賛意を示している。こうなると、何かと揉めるのが好きな小池都知事も、あまりものが言えないようで、「いっそ、北方領土で」などという不見識な発言までリークされて、旗色がよろしくない。ただ、オリンピックの開催時期がなぜ7月、8月なのか、と昨日書いたが、これはIOCの強い意向で、欧米のプロスポーツのハイシーズンと重ならないようにというのが理由らしい。重なるとメディア等のスポンサーがつきにくいのである。本当ならこの時点で、東京は戦うべきだったのだ。東京の7,8月の気温や湿度を示し、これではアスリート・ファーストにならない、と粘り強く交渉すべきだった。それを「オ・モ・テ・ナ・シ」などと言って浮かれているから、こんなことになる。暑すぎて、競技には問題があるとは日本陸連も、マスコミもまったく取り上げることはなかった。それどころか、猛暑対策と銘打ち、MJCまで東京で、しかもほとんど同じコースで実施している。真面目な選手は、高気温対策練習をもう始めている。ただ、1964を知っている世代としては、いくら何でも暑すぎないか、とは思ってはいた。だから、この変更には賛成である。オリンピックの主役は、企業でも政治家でもない。さて、札幌。沿道で一度くらい観戦してみようかな、という気にもちょっとなってはきた。とりあえず、ホテルだけ押さえておこうか。
2019.10.18
1964年の東京オリンピックは、小学校の4年の時だった。もうテレビは普及していたので(といってももちろん白黒、カラーでオリンピックをと家電メーカーはしきりに宣伝していたが、それほど豊かではなかった)、放課後、近所で遊ぶ子ど子たちの姿は消え、みんな家でテレビ観戦だった。開会式は10月10日。この日が統計上、東京では最も晴天の確率が高いというのが日程を決定した主な理由だった。今回、なぜ夏の日程にしたのか、よくは知らない。しかし、1964年の東京と今の東京では、温帯と亜熱帯ほどの(あるいはこれが誇張でないほどの)気温の違いがある。もともと、日程に無理があった。ドーハでのマラソンの棄権の多さに驚いたのか、ここにきて急遽、マラソン・競歩は札幌で、というIOCの提案が報道された。道民の一人としては、大歓迎なのだが、そんなバタバタでいいのか、とも思う。東京都は東京開催に強くこだわるのではないか。そうなると、東京対地方という別のファクターが議論に混入し、余計ややこしくなる。それはそれで面白いのだが。どちらにしても、マラソンもテレビ観戦なのだが、選手のコンディションを第一に考えれば、東京のような温度も湿度も高いところはやめておいた方がいい。ついでに、アーチェリーも東京開催だが、例のレガシー問題のため、全日、全日社会人などの国内トップの大会が、それ以降東京固定となる。それはそれでいいのかもしれないが、会場は風が強く、記録はあまり出ない。北海道なら、帯広に国際大会が十分できる素晴らしい会場がある。どうせなら、いっそこちらで開催した方がいいのではないか。
2019.10.17
ドローレングスを短くしたことは、奏功したようだ。引き切る直前で、ドローストップとなるのと、すっかり引き切ってそうなるのとでは、天と地ほどの違いがある。前者は、まだまっすぐリリースに向かって引ける。一方、後者だともう引く余地がないので、切るために、角度を変えて引かざるを得なくなる。そうすると、緩まなくても左右が出る。朝は、レフティにとってはきつい。正面から太陽が照る。よく見えない。それでも、平均9点くらいまでは射てた。今朝も7時くらいには射場に。仕事の方は、11時くらいに一瞬だけ行って、すぐ帰ってくる。後は家で。
2019.10.16
昨日は、朝に50m。まったく中らない。どうもドローレングスが長くて、最後、引いて切るというところで、身体がふにゃふにゃしてしまうのではないか、と感じた。それに腰痛の痛みどめの薬の副作用のめまいが出ているようでもある。ふらふらする。午前の練習はいい加減で切り上げ、一階の掃除全般を。最近は一階=自分、二階=妻という分担が定着している。昼寝をたっぷりしてから、夕方もう一度射場に。あと一つだけ短くした。日没前まで36射。問題はほぼ解消したように思うが、まだ分からない。今日これから行くかどうか、寒いし、風が強いので、あまり気が乗らない。
2019.10.15
思った通り、この問題はひどい様相になってきた。公立校の場合、職員室というところには、校長よりも威張っている教員がいる。多くは在籍の長いベテランで、一応、指導力があるということになっている。「指導力」というのは、生徒を恫喝的に怒って、言うことを聞かせるというだけのことで、特に小学校ではそれは簡単なことだ。授業はひどい。あるいはそもそも知力のない体育などの教員である場合が多い。彼らは元来頭がよくないので、難しくもない教頭試験、校長試験には合格できない。それを、「現場で教えたいから、管理職にはならない」などと嘯いて正当化している。「現場で教えたい」というわりには、教えることについて何の努力もしない。それでも、授業崩壊が常態化している学校では、ともかくも生徒を脅して形だけは授業が成り立っているので、特に若い教員からは、一目置かれることになる。そんな馬鹿な教員が若い教員に得意になって説教している姿は、散々見られる。彼らは、一様に普段の勤務態度は悪く、暴言も多いが、公立校の校長は3年前後で異動するので、よほどのことがなければやりすごす。やりすごすどころか、その教員におまかせにして、校長室で何もしないで、怠惰な一日を過ごす。「よほどのこと」というのは飲酒運転や体罰が表面化する、今なら、いじめの特別事態が発生するなどのケースであって、要するに教育委員会で問題になるようなことだ。そうなると、校長自身の管理監督責任が問われる。つまり、今回のケースはそれに入らないということだったのだ。前校長が事態を把握しながら見て見ぬふりをし、現校長に何の引き継ぎもしなかったこともそういう理由による。引き継げば、事態を認識しながら、何の措置も講じなかったという責任が露わになる。これはまずいと思って、さっさと異動願いを出し、逃げ出したのではないかと勘繰りたくもなる。校長は典型的な中間管理職で、教育委員会の指示にひたすら従い、顔色をうかがっているだけだ。さらに、この一連の事件で、最も強く思うのは問題を起こした教員たちがいまだ匿名のままで、何の制裁も受けいていないことだ。無責任も甚だしい。彼らは、一部伝えられているように謹慎処分ですらなく、単に有休で姿を隠しているだけらしい。しかもその指示を教育委員会が出しているというのだから、あきれるほかない。常日頃「視聴者が関心を持っている」ということを大義名分にして、芸能人やスポーツ選手のプライバシーを平気で暴き立てようとするマスコミは、こういう時こそ、この犯罪者たちを探し出して、記者会見の場でもぶら下がりでもいいから、カメラの前にさらし、釈明でも何でもさせたらいいのだ。それこそ、視聴者が知りたいことだ。そして彼らのねじまがった性格と頭の悪さが露呈されれば、少しは教員の資質を上げなければ、という議論が起こるきっかけになるだろう。前に書いたように、そういう程度の人間が教員になってしまうのがこの国なのだ。どこかのワイドショーで「聖職者と思っていたのに先生がこんなことを」などという50年も前にするようなバカなコメントをしていた芸能人がいたが、教師=聖職者論など、いまごろ誰も信じていない。現在は、教師=ブラック労働者であって、しかもその事態を招いているのは、ほかならぬ教師たち自身である。この件については、腹に据えかねるので、もう少し書くことにする。
2019.10.15
昨日は、自分も妻も、関東や東北のそれぞれの知人に、メールなどで「ご無事ですか?」と連絡した。皆、「大丈夫です!」という返信があり、一安心。それからインドア射場の整備。夜は、もちろんワールドカップ、ラグビー。にわかファンですらないのだが、久々にスポーツ中継を見て、興奮した。特にスコットランドの猛攻を凌ぎ切った最後の30分くらいが、見ごたえがあった。まだ、ルールもよく分からないのだが、これで、ラグビーも人気スポーツとして定着するだろうと思った。それにしても、アナウンスなしの試合会場の音声だけを伝える中継はないのだろうか。昨日の実況はそれほど耳障りでもなかったし、ルールも少し説明してくれて分かりやすかった。しかし、会場の音声だけの方が、2倍は楽しめる。今日は4連休最終日。今週も金曜日は休みで4連休。次年度はこういう感じになるだろう。朝にゴミ箱の蓋を修理して、8時ころ練習に。今は気温が10℃以下。さすがに出かける気にならない。やはりもうインドアシーズンだ。
2019.10.14
昨日は、雨は降らないだろう、と思って7時くらいに射場に。ついた途端にぱらぱら。それでも、まあ、大丈夫だろうと50m。53-55-58というところで、雨脚が強くなり、中断。それで、屋根の下から射てる90mに、これが全然中らない。しかし、いろいろと分かったことがあった。まずレベル(水準器)がちゃんと水平がとれていないということ。水泡が弓がまっすぐだと思うのだが、左上に上ったままだ。それを直すと、同心円の狂いも少し改善。当然高さも狂い、サイトを下げるのも限界なので、二つ分引っ込めた。しかし中らない。雨がまた少し弱くなったので、再び50mに。どうしたことか、サイトがなかなか合わない。ひっこめた分、上に3mm上げたが、逆に低すぎるし、ばらつく。おかしいな、と思って13本連射。おかしい。ちゃんと狙えているのに中らない。・・・何のことはない。ひっこめた時に、サイトがちゃんと固定されていなくて、ガタついていたのだ。これでは中るはずもない。しっかり直して、最後6射は56。家に帰ってからも弓を車から降ろして、三階で30射ほど。射型の確認。HBCの切り方は大分安定してきたが、ちょっとドローレングスが長いようにも思う。そのあたりは、今日はインドア射場準備でいろいろあるし、さすがに台風が、東にそれてはいるが、近づいてきていて、これから射場にも行く気にもなれないので、午後に三階でいじってみようと思う。それにしても、今回の台風でやはり大きな被害が出たようだが、まだ明けたばかりで、救出、捜索活動も始まらないようだ。行方不明の方が、一人でも無事に見つかるといいのだが。
2019.10.13
台風が近づいていて、首都圏は大変なことになりそうだ。できる限り、被害が大きくならないといいのだが。幸い、我が家も、息子夫婦も、娘夫婦も進路からは外れたところで暮らしているので、その点は安心している。さて、昨日は妻と整形に行き、帰りにデパートの「全国うまいもの市」に。青息吐息の地方のデパートで、現在は最も集客のある催しで、平日昼ではあるが、そこそこの客が入っていた。年齢層はやはり高い。毎回買っている沖縄の蜂蜜、産地は分からないが札幌のお茶屋さんの煎った茶を。これは、他のでは駄目なくらい美味しい。その他に沼津の金目鯛の煮つけを三匹、大分の鳥天、唐揚げを夜のおかずに。金目鯛は意外に安く、美味しかった。その後、地下まで下りて、全国的にも有名になった六花亭に。柳月と並んで朝ドラ『なつぞら』のモデルと言われている名店だが、子どものころから、ここの洋菓子は好きだった。しかも、ほとんど味も包装も変えずに、50年は同じものを作り続けている。そういうのを、いくつか買い、ちょっとゆっくりしたかったので、中のイートインスペースでシュークリームとまだ食べたことのなかったシフォンクリームを食べて帰ろうということに。ここは、小さなテーブルと椅子二脚が5セットほど並んでいて、結構おいしいコーヒーの無料サービスがある。これなら、税率が2%高くても、まったく文句はない。それにシュークリームなどのもともとの価格設定が安いのだ。二つで200円弱。ここで、20分くらいゆっくりするのは、三階の喫茶店で、うまくもないケーキセット800円を頼むよりよほど贅沢な気分になる。今朝もこちらは雨も風もなく、朝練ができる。昨日は、一昨日の続きで、HBCで100本以上射った。いつもは多くて72本なので、久しぶり。本数を射つと、いろいろと欠点は見えてくる。今日はその修正に取り組みたい。
2019.10.12
今朝は72射。最初はSPOTFOG。319。49というエンドが一回あった。やはり、握りすぎると暴発するので、こわごわと、という感じになり、安定しない。次の36射はHBC。323。あまり変わらないが、こちらの方は、腕を伸ばしたところで、カチッと鳴り、後は引くだけなので、迷いがない。途中、背筋を使うことを意識したので、ちょっと集中が狂ったが、グルーピング自体はしている。明日はHBCでもう一度試してみたい。
2019.10.10
今朝は久々に朝練に行けそうな感じだ。気温は10℃。しかし風はほとんどなく、少し厚着で行けば十分だ。今、日の出間近なので、6:30から1時間半くらい、と思っている。今週末は台風の影響でまた風も強いらしく、今日、明日というところで今季の朝練は終了するだろう。来週初めにちょっと行けるかどうかだが、来週は持ち帰りの仕事が結構ある。仕事もこの時間帯が捗るので、来週の木・金は仕事に充てる予定。週末は孫の誕生日、妻と二人で出かける。土曜日は焼肉屋。日曜日は娘夫婦の自宅でケーキ。二泊の予定だが、ホテルは三泊押さえている。料金なしでキャンセルできるので、便利だ。インドアの公式戦は11月10日。選手権以外は、この1回だけだ。やはり、車移動は積雪状態では避けたい。去年の選手権はJR移動だった。昨日書いた新しいフォームを6射ずつ、丁寧に試してみたい。
2019.10.10
射型は英語ならshooting formなのだろうが、それは各人によって違う。腕力や骨格などの個性がその人に最も合ったformを決定する。練習は、そのformを発見し、定着していくプロセスだといっていい。その見つけ方もまた、その人のstyleだ。昨日は、雨間を縫って、一時間だけ射場に。実際は、雨に濡れないところでの近射を30本くらいと、50mを11本。10本目から雨脚が強まり、12本は射てなかった。spotfogも、HBCも同じように使えることがわかった。ドローイング→アンカリングの際に、引き手の肘の位置を決める→押し手を的の中心にさらに伸ばす→spotfogの場合は、伸ばした時点で、トリガーに親指がかかる/HBCならカチッと鳴る→さらに引いて狙ううちにリリースが来る以上が、現在のformだ。これを生活のstyleの中で、どう定着させていくかが、インドアシーズンの課題。それは自分のライフスタイルの一部である。
2019.10.09
神戸の小学校で、ろくでもないことが起こっていたらしい。生徒のいじめを指導する側の教員が、集団で若手の教員をいじめていたという報道だ。まず、前提としておきたいのは、その程度の人間が教員になるのだ、という事実である。教員間の人間関係は、ここ30年くらいの教育環境の劣化によって、相当悪化している。背景にあるのは、まず収入の悪化だ。財政状態の悪い地方公共団体では、他の公務員と同じく、教員の収入は減り続けた。給与、賞与からの一律削減が続いた。私立校は、もっとひどいところもある。全体の給与体系を大きく狂わせる昇給停止措置があったところも多い。それに加えて、保護者の劣化がある。ほとんど一人っ子である児童・生徒は母親に甘やかされて育ち、教員の指導は効かなくなっている。クラス崩壊、授業崩壊が常態になりつつある。加えて保護者の無茶なクレームも後を絶たない。こういう状況だから、教員のメンタル疾患による休職は増加の一途をたどっている。まるでブラック企業である。中学校、高校の場合、部活動は正規業務でないにもかかわらず、実質は強制される業務になっている。しかも、特別法によって決められた本俸4%の教員調整手当によって、残業代は支払われなくてもいいことになっている。まあ、部活バカみたいな教員も一方にいて「オレは子どもの運動会なんか出たことがない」と豪語する。こういう教員が、普通に土日に休みたい教員にプレッシャーをかけ続ける。全体としての職場風土を改めようという意識は校長にはまったくない。なぜなら、彼らは紛れもなく「中間管理職」であり、教育委員会とその上の文科省の意向に絶対服従することが第一の仕事だからだ。現場の不都合は見なかったことにする。面倒な報告を教育委員会に上げれば、自分の首が締まる。要は救いようのない人間たちが、学校という職場に流し込まれていくわけで、この構造を変えない限り、神戸で起きたようなことは、今もどこかで起きているし、それが解消されることなどまったく期待できないだろう。
2019.10.08
リカーブの時は、30m300点が一つの目標で、高校の時に1度だけ出した記憶がある。CPになっての自己記録は公認で354。9点だと外した!という感じになる。昨日は、まったくそこまではいかず、338。8点が2本あった。10-10-10は一度もなし。最高のエンドで58、最低は54。今朝は54射。50m。まだ、リリーサーの切り方で迷っている。ちょっとトラベルを長くしてみた。その方が安心して指を置ける。12本射って、赤が3本。まずまずの感じで終わった。もう一度、夕方行ってもいいかと思っているが、この後の仕事次第。
2019.10.07
今朝は、いつも通り4時半くらいに目が覚めた。昨夜はラグビーを最初から最後まで。少しだけルールも分かってきたが、まずは日本が3勝。4試合で3勝なのだから、決勝トーナメントは決まったと思ったが、どうもそうではないらしい。3勝1敗で3チームが並んだ時にはボーナスポイントとの合計→直接対決の結果→世界ランキングの順で優劣をつけるそうで、前回は3勝しても進出できなかったらしい。まあ、よく分からないが次も見るだろう。それから、録画していた世界陸上を飛ばし飛ばし見る。マイルリレーと4×100mリレー。マイルの方は最後に抜かれてダメだったが、4×100mの方は日本記録で銅メダル。バトン技術が各国上がってきて、日本は段々優位性を失っている。個々の力をもう一段階上げないとオリンピックは苦しいかもしれない。今はマラソンをライブで見ているが、プロ転向した川口はずるずると遅れている。まだ10kmちょっとなので、最後まで見ずに射場に行くことになるだろう。今日は30m36射での団体戦。左ならA級、右ならB級で出るようだ。どちらになるかは、C級、B級の人数次第。これから、ちょっとながら仕事をして、今季最後の試合に。
2019.10.06
今朝は、珍しく8時半まで寝ていた。おかげで、このところの疲労が解消した感じがする。11時過ぎに、妻を英会話の教室まで送って、その後、最近開けた八百屋に。柿、グレープフルーツ、大きな洋ナシを二つずつ買って、432円。グレープフルーツは2個で100円。他は2個で150円。プラス8%。それから射場で30mを左で50射。風があり、あまり中らなかった。36射時点で329。まあ、明日はせめて340までは射ちたい。少し射ち方を変えた。まず引き手を決め、それから押す。その方が、エイミングをしやすい。帰りに、オープンまもないラーメン屋で昼食。辛味噌ラーメン。まずまず。そして最後に近所のコンビニ。地域密着型のコンビニで、大手より安い。まずプリペイをチャージ。5000円のチャージで150円がプラスされる。ポイントではない。ワイン、地元の高校生が作ったスイーツなどを購入。購入時点でも2%が還元される。つまり5000円のプリペイカードが、実質5150円×1・02=5253円として、使える。しかも、ポイントではなく現金残高に反映されるのだから、これはいい。ここではワインなど決まって購入するものがあるので、月5000円以上は必ず使う。今度は上限までチャージしてもいい。普通の買い物も、今は現金でということはほとんどなく、大体はクレジットカードか、生協のちょこっとカード、給油はまいどカード、保険などの支払いもクレジットカードだ。こちらはどういう具合にポイント還元されるのかは、まだ分からないが、何かしらはあるのだろう。キャッシュレス還元は来年6月まで。賢く使いたい。
2019.10.05
今日は予報通りの雨。朝も、わりとゆっくりめに起きて、昨日のカレーを再度朝食に。今週は火曜日が休みだったのだが、昨日、今日と仕事が少し増えて、ややバテ気味なので、弓は二日連続で休んだ。一応、日曜日は30m36射なので、ちょうどいい休養ではある。左右どちらで出るかまだ分からないが、左なら348、右でも324は目指したい。弓といえば、今季最後のFITA900の日程をすっかり勘違いしていた。その日は孫の誕生日で、妻と出かける予定だった。まあ、当然、試合はキャンセル、孫優先ということになる。この種の勘違いは、子ども時代から多く、もはや自分でもあまり驚かない。決してボケてきたわけでもない。というか、そういうなら、初めからボケている。時間に関する把握能力が弱い。カントは、認識の大きな枠組みとして時間・空間を挙げ、ついで因果関係、単一性などを悟性のカテゴリーとしたが、時空間の把握能力が自分の場合著しく低い。スケジュール音痴に加え、方向音痴だ。しかし、因果関係等の把握能力は高く、特に言語的推理能力は極めて高いそうだ。知能指数、偏差値は、自分で言うのも何だが、上位1%くらいのところにいるそうである。数的推理能力も相当高い。なのに、今月のスケジュールは把握できない。困ったものだ。まあ、今となってはどうでもいいような話だが、扱いにくい生徒だっただろう。管理職時代は、手帳をつけて始終見ていた。なのに、約束の日を勘違いする。毎朝、確認するのだが、何のことはない、来週の月曜日のスケジュールを見ていたりする。しかし、この歳になると、自分だけでなく、みんな何か勘違いを重ねて、今ここに生きているのだな、と思う。その勘違いを、いつまでも振りかざすのが「老醜」というものなのだろう。
2019.10.04
弓の方は、今朝は忙しくて休み。明日も台風の影響で雨風が強いのでお休み。2日間だが、休養。座骨神経痛がまたぶりかえしている気配なので、ちょうどいい。仕事は今日と明日が、いつもよりちょっと多い。まあ、そのくらいどうってこともない。今朝は久しぶりに弁当を。昨日の残りの大根と油揚の煮付け。焼き肉、サラダ。どうということもないが、出て食べるのも面倒なので。
2019.10.03
実際は逆か。最初に左で50m。次に右で30m。最後にまた左で50m。だから「左往→右往→左往」リリーサーは左右ともSPOTFOG。ボタンを付け替えなければならないので、結構面倒だ。中りは、左の50mの方がいい。右30mだと、やはり体が震える。まだ、完全に治っていないようだ。リハビリ替わりに射つことにしている。今回は12本だけ。50ちょっとしか出ない。どうやら右再転向はなかなか難しいようだ。体が震えず、45ポンドくらいで狙えるようになる目処が立たない。左は最後に14本、あるだけ射って8点、7点が1本ずつで残り12本は黄色。このくらいなら、まあ、いい。リリーサーのボタンを握らず、指を当てるだけにしていたが、これだとバラツキが大きいので、やはり握るように当てて、引くようにした。結局、引きが十分でないままの暴発が上下に散るので、それがないようにするほかない。ないようにするにはトラベルを長くして、なかなか切れないようにするのが、普通のやり方だが、それだと切れない病が再発する。だからぎりぎりのフェザータッチで、しかも、「ちゃんと狙って引いて切る」。最後は14本中10本くらいはそれができた。
2019.10.02
朝4時に起きて、世界陸上を見ながら、サラダ、ソーセージエッグ、チーズパン、コーヒーで朝食。パン以外は妻の分も作っておく。世界陸上は、相変わらず織田裕司が一人ではしゃいでいて興醒めだが、録画を見ているので、そこはなるべくカットしながら。まあ、歳をとったのか以前ほどバカみたいには、はしゃがなくなったが。そもそもスポーツ中継のキャスターや実況というのは、視聴者以上に興奮してはいけない。ラグビーの「もう奇跡とは言わせない!」と絶叫したNHKのアナウンサーなど罰金ものだ。それで、思い出したのだがJリーグの最初の頃「ゴ~~~~ル~~~!!!」みたいな絶叫合戦が、どれだけまともな視聴者を失ったことか。こちらが見たいのは、スポーツの醍醐味であって、それを観て騒ぐ観客代表になっているつもりのタレントではない。今朝、一番面白かったのは女子のハイジャンプ。助走前の緊張感、ジャンプの瞬間、明快すぎる結果・・・短い時間ですべてが凝縮されている。これから弓だが、ちょっと遅めに。といっても6時半くらいから練習開始の予定。なにしろ7時にならないと15度まで気温が上がらない。朝練も終了が近いのだ。
2019.10.01
全41件 (41件中 1-41件目)
1


![]()