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昨日は朝と昼。合わせて150射くらいか。最後は引き手の「抜け」を意識した。引けば、リリース後引き手は後ろに飛ぶが、それを一定方向に、必ず飛ぶように、という意識。今まではむしろ押し手が落ちないようにという意識だったのだが、それをあえて変えてみた。この方が、フォーム自体は動的な感じになる。まあ、いろいろ試行錯誤の過程だ。今日は、明日は試合なので、一応フォームを固定する練習。
2019.08.31
自分の年金は昔風の三階建て。老齢基礎年金と厚生年金の報酬比例部分。それに厚生年金に一本化される前の職域加算部分というのがある。今となってはこれも小さい額ではない。しかし、こちらは現在も年金に加入している状態なのでカットされてしまっている。これをもらうためには、次年度からは年金加入をやめる。つまり、常勤から非常勤に勤務形態を変えることだ。その場合、医療の方は2年間だけ延長できる。医療は国保でも別に変わらない。今と何も変わらないのなら、その選択がベストなのかもしれないと最近は思い始めている。まあ、どちらでも構わない。仕事がなくなることは当分ないだろうし、仮にそうなっても経済的には困らない。だが、生活の楽しさの一つである仕事がなくなってはつまらない。今は自分の得意なことを、本当に適度な時間やらせてもらっている。だから仕事は少しも苦にならない。財布の中身は以前のようにはいかないが、別にそれで不満かというとそんなこともない。さて、次年度からどう働こうか。
2019.08.29
6:00~8:0014本の矢をクイバーに入れて、射ち続ける。スコープは見ない。矢を放ったら、すぐに次の矢を番える。こんな練習は高校の時以来だ。目的は、リリースの感覚を身体に覚え込ませること。中っても中らなくても構わない。終盤は、相当きつかったが、何とか30分で4回はできた。56本。もちろん矢取りがあり、その間は休める。一番よかった時は黄色に11本。うち10点6本。8点が3本だった。大分、射は安定してきた。切れるタイミングもコントロールが少しできるようになってきた。明日も同じ練習の予定。明日は最初からガンガン射とう。
2019.08.29
そういえば、すっかり忘れていたが、2週間ほど前にホームドクターのところに行き、検査の結果を聞いてきた。今回の問題は悪玉コレステロール(LDL)。数値が基準を超えていて、このまま放置すると脳疾患、心疾患のリスクが高いということだった。懇切丁寧に食事指導をされて、毎晩一錠の服薬。それで一ヶ月経った時点での再検査結果は、数値が半分以下に下がり、全く問題なしということになった。たったひと月でそれほど改善するのかとこちらも驚いたが、ドクターはまるで我が子が突然いい成績表をもらってきた時のように、喜んでいる。本当にいいドクターだ。ほかのいろいろな項目もまったく問題ないそうで、これで「健康な老後」に関しては一安心というところだ。放射線治療ではさほど落ちなかった体重も漸減傾向で、ズボンが緩くなっている。足腰が少し心配だったので、新聞で読んだスクワット運動を続けている。これも、日に日によくなっている。それやこれやで、思わず見つかった胃がん以来健康状態は改善に向かっている。仕事の方も、どうやら休みぼけもなくなり、快調といえば快調。後は、弓だけなのだが・・・
2019.08.28
今朝は、10mを超す強風だったが、雨はまだ降り出していなかったので、1時間だけ射場に。50m。80cmの的紙を貼って、とりあえず赤に入ればOKというつもりで、12射ずつ。4-3-1-5。これは各回の6点以下の点数。思ったよりは入った。やはり、今までの射型と比べると安定性は増している。4点以下、つまり試合では0点扱いになる射は全体を通して2本。7月のひどい試合の時よりはよほどよくなっている。あの時はMが6本に1本くらい出ていた。それから、風の影響のない場所で近射を18射。張りを保ったままエイミングも保つ練習。まだまだ試行錯誤が続いているが、HBCがどうやらまた使えそうな感じになってきた。やはりリリーサーもずっしりと重たい方がいいのかもしれない。明日は、今のところ風もそうは出ない予報だし、ゆっくり射てるので、HBCでの理想型を追求したい。漫然と射つのではなく、一つのテーマを持って練習するのがいい練習だと、今更ながら気づくというのも、我ながら迂闊な話ではある。
2019.08.28
一度、緩んで、それから張る。けさ分かったのは、それだ。今までは、とにかく一度張ったら張りっぱなし。切れないから、さらに張る。バランスが崩れながら切れる。そうではなく、腕を一度矯める。そうするとやや緩む。それから、引き手で正しい方向に張りにいく。引ききったところで、さらにエイミングがつくように少し押す。すると、カチッと鳴るから、あとは押し引きのバランスだけを考えて、切れるのを待つ。今朝はこれがテーマで108射。いいエンドもあったが、だめなエンドも。7点は、バランスが崩れる7点と、緩みが原因の7点。同じ7点でも、意識すべきところが違う。前者は過度なエイミングの持続による。そうなるのはカチッのタイミングがうまくとれていないからと、メンタル。10点をほしがりすぎると、必要以上にエイミング精度を上げようとしてしまう。緩みの方は、緩みというよりは張ろうとする途中で切れてしまうので、結果として緩みの中で切っている。ここの原因はもう少しで分かりそうな感じだ。
2019.08.27
「矯め腕」というのはよろしくない、というのが弓の常識である。しかし、最後の押し手をすっと10点に向けて伸ばしていくという動作を意識するようになって、どうもうまくいかなくなった。結局、伸ばす余地があまりないので、身体のバランスが前に崩れ、無理切りになる率が増えている。もう一度、引き手中心に意識を持っていこうとすれば、それなりにまとまるが54,5点止まり。これをあと2,3点上げるのは無理な感じだ。それで、ちょっと肘を矯める射をやってみた。当然、引きはもっと後ろになる。そこから、センターに向かって押し手を伸ばす。伸びる余地は十分にある。これで、最後の18射くらいはうまくいった。少し身体の重心が後ろに移動したのだろう。これで、いいのかどうか。今朝はその確認だ。
2019.08.27
段々、夜明けが遅くなり、アウトドアシーズンもそろそろ手仕舞いの時期なのかな、と思う。あとどのくらい、こういうふうに夏の終わりを過ごすのだろうか。10年前ならそんなことは思いもしなかったのだが、やはり歳を取ったのだろう。昨日の試合は、やはり6本に1,2本のミスが出て、点にならなかった。それでも30mの最終エンドは60。縁だらけの10点だったが、60は60。他の距離も最低ラインと考えていた点は出た。どうしても切れないと7点や6点が出てしまう。50mなら、7点はもうアウトだ。さて、今日からまた新規まき直し。技術的には、エイミング完了の後、すぐカチッと鳴らし、そこから押し手をもうひとつ伸ばす。その際、引き手の方は、少しだけリリーサーが前方向にすべる。その時、薬指でフックをかけるような意識。さらに引くと、切れる。この射だと、ほんの僅かの緩みの中で射つことになりそうだが、ほぼ思ったところで切れてくれる。緩むといっても、フルドローから押し手を伸ばしたところでやや緩み、それからまた引いていく過程で発射するのだから、フォロースルーのバランスもいい。切れなくて無理に切るよりはアベレージはいいだろう。50mだと12時8点までは許容範囲と考えないといけないかもしれない。さて、少し明るくなってきた。今朝の練習テーマはそういう射だ。
2019.08.26
パラリンピックのチケットがオリンピックほどは売れず、なかなか苦労しているようだ。NHKではいろいろ特集番組を作っているが、成果はあるのだろうか。自分は、来年はテレビ観戦と決めているが、オリンピックで視たいスポーツはいろいろあるが、パラリンピックとなると、今のところ、アーチェリー以外は特に視たいものはない。おそらく、それが平均的日本人の本心ではないかと思う。つまり自分が特に好きな競技なら視るが、そうでなければ視ないということだ。では、それは差別意識といって批判されなければならないメンタリティなのかといえば、決してそうではない。雇用においては障害者枠というものはあるが、スポーツ文化にその枠を作り、観ることを強要することは許されない。視聴者は面白いものは視るし、面白くないものは視ない自由を奪われてはならない。ただ、本当は面白くなさそうなものは視ないのであって、視てみなければ、面白いかどうかはわからない。野球で言えば、プロ野球はだらだらと一年間続くので視ない。高校野球は負けるとそれで終わりという緊張感があるので、プレイのレベルはプロには及ばないが、面白さではプロを超えていると思うから、視る。だから、パラリンピックも競技の面白さを追求し、その見せ方を工夫すれば一定の視聴率を得、観客も集まるだろう。ふとテレビのスイッチを入れたら、引きつけられてしまい、最後まで視てしまった・・・そういう熱戦があればあるほど、パラスポーツは盛り上がるに違いない。
2019.08.25
今日は久々の試合だが、少し早く出て、サイトの再確認をしようかと思っている。何にしても、毎日が同じように過ぎていくのではなく、仕事にも、趣味にも小さくともここが山場というような地点があり、とりあえずそこを目指して、何らかの努力をし続けることができる生活は、幸福である。この試合に関して言えば、自分にとっても大きな山ではなく、その途上のチェックポイントのように位置づけている。つまりは、練習の延長線上であり、目指すのは点数というよりもいい射をつかむこと。それでも、試合には試合の緊張感があり、普段の練習とはまるで違う。
2019.08.25
近代国家であるネイションは、その成立自体の最大の背景がグローバルな世界の出現だった。最初は、植民地や属国をアジア、アフリカで奪い合うために、軍備拡張を国策とする帝国主義が台頭したが、戦争のコストは引きあわないことが分かってきた。もちろんナチスに代表される人間の行い得る残虐な行いを世界中が見せつけられ、その深い反省を共有した、とも言える。そして冷戦構造の終了による総資本主義化の世界の中で、戦争に代わって、経済競争がネイションの争いの新たな舞台となった。経済を担うのは自由主義社会で認められた自由な経済活動を行う企業である。かくしてグローバル企業が誕生する。グローバル企業は現地法人を作り、大量に労働者を雇用し、現地国に法人税を払う。ネイションとしては、国内企業が全部外に出ていってしまっては税収が入らず、歳入が大きく減少するので、国内企業の法人税を引き下げていく。法人税の引き下げ分は、社会保障の切り下げや相続税、そして消費税の増税によって補われる。結果として、グローバリズムの勝者になろうとすればするほど、社会保障は低福祉の方向に動かざるを得ず、消費税は20%くらいまでは上げざるを得ない。そうなれば当然国内の格差は拡大していく。つまり、ナショナリズムはグローバリズムに参入することによって、自国内の不幸な人々を増やしていく。これが、小熊の言う「共犯関係」である。このような大状況を踏まえれば、個人として、格差拡大の影響がかろうじて自分には及んでこないようなめぐりあわせになっていたとしても、グローバリズムにも、ナショナリズムにもアンチを言わざるを得ない、というのが私の考えだ。
2019.08.24
一日ずっと雨。風も強いが、10時から2時間ほど。90mのみ。12本射って99点、100点という感じ。ポンドアップをもう少しと思ったら、12分の1回転くらいで限界だった。ノックをすべて取り替えた。90mだとやはり視認性の善し悪しも大事なポイントである。最後の一伸びでリリーサーを切るのが、大分安定的にできるようになったのが収穫だった。
2019.08.23
長い休みが終わって、一週目が今日で終わる。今日は夕方からの仕事だ。弓の方も、思い切ってポンドアップをしてみて、それに身体を慣らすために結構時間を割きながらという状況で、なかなか多忙だった。次年度以降、完全に非常勤という立場になった方がいいのかな、という気持ちにもなっている。今朝も仕事の準備をしてから、さて雨だが弓に行こうか、どうしようかと考えているが、非常勤ならさらに業務量は減り、収入も減るが、まあ、どうってことはない。問題はワーク・ライフバランスである。セミリタイア前は、そんなことは考えられなかったが、今は自分で決めなければならない問題としてそこにある。
2019.08.23
グローバリズムが進展すればするほど、ボーダレスになるというのが通説だが、決してそうとは言い切れない。例えば、現在のトランプ政権は反グローバリズムに見えるが、アメリカの大企業のほとんどはグローバル企業であり、そこに依拠しているアメリカ合衆国は、グローバル国家である。そして、グローバル国家としての利益を最大限に享受しようと思えば、ナショナリズムを推進することになる。なぜなら富を狭い意味でのアメリカ国民で分かつ方が、国民の一人あたりの富は増加するからだ。従ってトランプは基本的に移民を嫌う。つまりアメリカ企業は、他国に対して関税や為替などの障壁をできるだけ低くするように要求し、その一方で政府は自国に流入しようとする外国人に対しては高い壁を築く。そのようなナショナリズムが、他の貧しい国の貧しさを利用して、いっそう国富を増大する。小熊が言うグローバリズムとナショナリズムの共犯関係を現代の政治状況に照準すれば、このように言えるだろう。また、国際競争力を高めようとする機運は、ナショナリズムの高揚がもたらす。現在、韓国との間でさまざまな問題があり、日本でも嫌韓感情が高まっているが、そこには日本の経済力が、台頭著しい韓国経済に比べて、衰退状況にあるという背景は否定できない。それでも日本の経済力は比較にならないほど大きいから、韓国内での反日感情はそれ以上に高い。一方でそれはグローバリゼーションの進展の一局面と捉えることもできる。グローバル経済がここまで進展していなければ、経済的軋轢がが安全保障まで巻き込むような事態には至らなかっただろう。だから、ここでもグローバリズムVSナショナリズムなのではなく、両者が手を貸してこの事態を招いたという方が正しい見方だろう。問題は、両者の進展が国民に何をもたらすかである。次回、論じたい。
2019.08.23
今朝は強風の中、5:30~7:00。まだ余力がありそうなので、半回転分ポンドアップ。このあたりが、弓の限界で、もう半回転締めるのは無理な感じ。効果はあった。90mでは、ほとんど理由のわからないバラツキがなくなった。70mはさすがに風の影響があり、苦労したが、体勢が崩れたミス以外は黄色に。12本中10本。50mになると、逆に、ミスを弓が許容してくれる感じになった。バネ製の計測器では45ポンドだが、実際は+2~3ポンドだろう。40-50ポンド設定の弓だが、限界値に近いところで弓の性能は最大限に引き出される。今がちょうどそのあたりのように思う。50射で終了。
2019.08.22
ポンドアップはどうやらうまくいったようだ。70m以下では、理由のわからないミスがほぼなくなった。しかし90mだけは、上下の広がりが相変わらず大きく、エンド50点がなかなか難しい。シングルを射っていたころも、「90mだけは別物」ということは言われていて、そのころはACEのような極力軽い矢が使われていた。それが、70m×2になってX10に、50m×2になってプロフィールドなどの比較的重い矢で、軌道の低さよりも安定性を重視するようになった。今使っているカーボン1もその延長線上にある矢だ。矢を変える気はないのだが、90m、何とかしないと。
2019.08.22
自分の政治・文化的な立場を問われたら、この二つの「アンチ」で答えるほかはない。ハイデガーがニーチェの『アンチ・クリスト』批判で、「すべてのアンチは反対する当のものを己の存在条件としており、従ってどう反対しようとそれに取り込まれることになるがゆえに、それを超えることはできない」と述べた。その通りだとすると、アンチ・グローバリズムはグローバリズムに、アンチ・ナショナリズムはナショナリズムに取り込まれることになる。結局は、たいして反対もせずにナチズムに取り込まれたハイデガーに、そんな偉そうなことを言う資格はないのだが、言っていること自体は正しい。二つの相反する思想に、アンチを唱えるだけなら、まるで今の野党第一党のようなものだ。しかし、この二つの思想が「対立思想」ではなく、同根の思想であれば、話は全然違ってくる。この辺りの消息は、すでに小熊英二のすぐれた論考が、今世紀の早い段階で書かれている。小熊によれば、ナショナリズムはグローバリゼーションの結果として胚胎し、例えば国旗・国家などのグローバルな模倣によって発展するのだ。一方グローバリゼーションは、ネイションの段差、つまり為替や労働賃金や法人税などの格差を利用して、利潤を追求する舞台となる。今や、グローバル企業は企業の標準形である。小熊はグローバリゼーションとナショナリズムの「共犯関係」を喝破しているが、その先の展望までは描いていない。自分の手に余る論考になりそうだが、これから今朝のように暇な朝も増えそうなので、少し考えてみたい。
2019.08.20
狙えるし、フォームバランスもそこそこ取れているし、緩んでもいないし・・・なのに、中らない。昨日は朝にシングルのサイト確認のあと、18射ずつ。トータル628。1256ということだ。いくら何でも中らなすぎ。夕方ももう一度行ったが、今度は風が加わり、いっそう中らない。それで、ひょっとして・・・と思い、半回転だけポンドアップしてみた。引いた感じは変わらない。それで、次にあと1回転。今度は、確かに強くなった感覚があるが、それほど苦もなく引ける。それで思い出したのだが、引く力に対してドローウェイトが軽すぎると、弓が暴れやすくなり、グルーピングしなくなっていくということ。手首とか指とかでこねてしまうのだ。50mだけ練習していた時も、意味のわからない7点が出るな、とは思っていたが気づかなかった。シーズン初めに、少しドローウェイトを落としていたことを思い出す。確か1回転。だから、以前よりも少しだけ強い。計測器がないので、正確な数字は分からないが、多分43ポンドが45ポンドくらいになったのではないか。できれば47くらいまで上げるのが、この弓のベストだろうと思う。最後に90mを射ったが、サイトが2メモリ上がった。8点圏内に大体グルーピングする。今朝はあいにくの雨。まあ、一度休みも入れた方がいいとは思っていたから、今日から仕事だし、午後も昨日の検査結果を聞きに行くから、明日、もう一度このドローウェイトを試すことになる。
2019.08.20
今回の夏休みは8月3日から今日まで、17日間。その少し前に、脳神経外科に行き、脳検査。異常なし。8月6日に胃MALTリンパ腫の放射線治療後の診断結果。異常なし。2月に異状があり、大腸カメラ検査のついでに受けた胃カメラ検査で見つかってから半年かかった。手術がなくて、最高に楽な治療だったと思うが、それでも20日間の放射線治療は、なかなか大変だった。そして今日、LDD(悪玉コレステロール)の採血検査。一か月薬を服用して改善したかどうかの検査だ。こちらは、長丁場になるかもしれない。なにしろ生活習慣の問題なので、美味しいものをちょっとは我慢しなければならないだろう。薬が効いてくれていればいいのだが。この夏は、自分の健康ということをよく考えたし、妻ともよく話した。やはり生きているうちは元気でいたいので、やれることはやっておこうかと思う。弓の方は、ほぼ毎日朝練。時には夕方も。夏休み前と比べると、エイミングがつくようになり、リリースもいい方向に良くなってきている。その都度、練習課題があり、それを少しずつクリアしていくのは、まあ、楽しい。冬のインドアシーズンまであと2か月だが、地元の試合を中心に全盛期の点数に、少しでも近づきたい。この夏休み、二人の孫とは会えなかったが、3歳の初孫には9月と10月に、まだ生後6か月の二番目には11月に会う予定。こちらの方は沖縄で。自分たちと息子の嫁の家族が、嫁の従妹の結婚式に行くことになっている。それが今年の最大の旅行で、3泊4日。沖縄は冠婚葬祭のやり方が万事違うので、どんな結婚式なのか楽しみだ。7月から、65歳の厚生老齢年金の本格支給となり、その通知が数日前に届いた。老齢基礎年金も支給となるので、在職中という理由で停止される職域加算部分を除けば、フル支給になる。多少は生活に余裕も出るだろう。家の修繕の方は、屋根と壁の塗装、内装は床、畳、壁、サッシなど若干の大工・左官仕事で、先月見積もりを出してもらい、9月にしてもらうことにした。大きな家なので結構かかるが、あと10年、できれば15年この家に住みたい。おそらくこれが最後の大規模修繕になるだろう。去年から少し始めた家庭菜園は、今年植えてみたミニトマトが大豊作で、ところ構わず枝が野放図に伸び、毎日10個くらいとれている。あと100個はとれそうだ。ほかにサヤエンドウやなすび、青シソなど、そこそこ楽しめた。来年はもう少しお行儀よく育てよう。そんなこんなで、いろいろあった夏休みだが、自分も妻も大きく体調を崩すこともなく、過ごすことができた。17連休など、定年前にはなかったことで、最後の方は少し暇を持て余した。もう一つ別の趣味を、そろそろ見つけておきたい。
2019.08.19
自分が全日社会人やインドア、フィールドなどに出ていた時は、アウトドアの競技方法はシングル。90,70,50,30mを36射ずつ。1440点満点。朝から始めて夕方までかかる長丁場だった。リストタイプのリリーサーを使っていた時などは、締め具合が微妙に違うのが嫌で、昼食休憩時もつけ続けていた。自己記録は1344。まあ、たいした記録ではないが、しばらくは地区記録として破られなかった。次の日曜はシングル・ハーフ。同じ距離を半分の18射ずつ。今週は、一応そこに向けての練習になる。今の実力では600点が目標。
2019.08.19
昨夜は、妻と花火大会に。途中、いやに空いているな、と思っていたが、台風の影響で中止だった。今日に順延ということで、出直すことにした。甲子園は今日が準々決勝。これが一番面白いというのは、前々からの定評で、確かにどこが優勝してもおかしくない強豪チームの対戦ばかりだ。第1試合と第3試合が東北勢。7年暮らした街のチームも出るので、そこを応援している。今朝もこれから練習。
2019.08.18
昨日、共済から年金支給の決定通知が。「特別支給の老齢厚生年金」が先月から「本来支給の老齢厚生年金」に変わる。パンフなどを読み、事前に社労士などにも相談して、概要は把握していたが、結果として2割ほど手取りの「老齢厚生年金」が増え、これに「加給年金」と「老齢基礎年金」が加わり、来年2月までは手取りは今までの倍くらいにはなる。ただ、高齢者雇用給付はなくなるので、実際は8割ほど増える。よく報じられている、夫サラリーマン、妻専業主婦の二人世帯の年金収入月額平均よりは、来年3月からは少し多くなり、4月から共済制度から抜けることになると、停止されている職域加算部分も支給が始まり、さらに少し増える。来年度からも今の立場で働くと、預貯金の取り崩しはかなり減るだろうが、少しは妻と旅行したり、贅沢な時間を過ごしたいので、まあ、あまり変わらないかもしれない。金と時間と家族・・・これが、一つでも欠けると遊べない、というのが遊ぶのが大好きだった母がよく言っていたことで、この歳になると、それはそうだな、と実感する。
2019.08.17
今朝は6時から1時間。さすがに今日は朝練の常連もいない。8~10mの強風。90mなら射てるだろうと思い、大的を貼る。しかし、まずは50m。この風でバランスを保って射てるかどうか。新たな「卵を握る」グリップは、風にも効果的で、さすがに集中性は落ちるが、大体黄色の中に。通常の的なら8点以内。それで、次は30m。こちらは、さすがに通常の的で。サイトを確認し、90mに。ここは物置や屋根があり、風の影響は身体にはない。しかし、矢の軌道は高いので的の中心を狙うと的外に。エイムオフで黄色にやっと2本。最後は近射。HBCを試してみた。合計で50射程度。明日も予報では10mくらいの風。酔狂の連チャンになりそうだ。
2019.08.16
昨日、結構な風の中で2時間。トリガーレスのコントロールはかなりできるようになったが、相変わらず、リリース後のバランスが崩れやすい。中りも、そこそこ。バランスの崩れが大きいと7点、時に6点。まずまずで射っても8点も結構ある。いろいろ考えて、グリップをもう少し握る方向に変更。グリップの理想はただ当てているだけで、リリース後弓が飛び出すくらいにしておくことと思っていたが、俗にいう「卵を握る」感じに改めた。そうすると、バランスの崩れがなくなった。要は弓の動く範囲が、グリップを強めにしたことで狭くなり、リリース後の方向も一定してきたということだろう。最後の6本は59。まずまずいい感触だった。今日も風が強そうだが、これから射場に。ゆっくりと50~60射くらいにしておこう。少し疲れ気味だし、夕方は台風の影響で強風、雨。少し体を休める必要もある。
2019.08.16
このところ、こちらでも台風接近の影響なのか、朝から結構な風だ。一昨日は、まだ大丈夫で朝に120射。最後のエイミングとリリースの部分で何を意識するかは、まだ試行錯誤の途中だ。トリガーレスがうまく切れてくれるために、なおかつ、切れてからの身体と弓のバランスが取れるには、とにかくエイミングをセンターにつけたところからの始動になる。目いっぱい後方にドローイングし、押し手をセンター方向に、身体が前に行かないようにして押す。ピープの同心円を確認しつつ、さらに引くと目印のカチッが鳴る。そこから、さらに引く。手の甲をまっすぐにして引き手が後ろに滑り、握りが少し浅くなったところで、再度、今度は薬指を引っかけると、トリガーレスが切れる。スコープは立てているが、覗く前に今の射がどうだったかを思い出す。エイミングが下がっていなかったか、押し手のフォロースルーは取れていたか。射型について評価してから、スコープでどこに中ったかを確認する。それを12射連続する。一昨日は最後の36射で一応点数も数えてみた。110-109-110で329。8点6本、10点11本。まあ、まずまずで、悪い射で結果オーライというのも5本くらい。昨日は風の中、朝夕2回。夕方は再来週のシングルに備えて90m、70mのサイトを確認。今、サイトは一番前に出しているが、90mだとさすがに矢がレンズサイトの下部をかすりそうなので、真ん中くらいのところに引っ込める。それで十分クリアする。この位置で同心円も確認できるので、50mもこれでいこうかと思う。その方がサイト自体の揺れは少なく見えるので、いいように思う。今朝はこれから、50mを60射くらい。後は30mも確認しておこう。
2019.08.15
前項では、不幸な人間の憎悪が、明確な対象を持たず、SNSなどの疑似的人間関係の中で、制御が効かないほど膨張していった結果、この種の事件が起こるのではないか、と書いた。一方、彼の生活を勝手に想像してみると、おそらく親子関係はどこかの時点で、実質的に絶縁している。しかし、まったくの引きこもりではないだろう。引きこもりなら、その憎悪は親に向かう。彼は、少なくとも、独居して生きるために何らかの仕事には就いているのではないか。ただし、職場仲間とは疎遠である。プライベートな付き合いはない。そして仕事にプライドは持てない。学校の時の友人とも、いつのまにか連絡はつかなくなっている。彼らに比べて自分が社会的に成功しているとはとても思えないのだ。そうであっても、暇な時間は何とか潰さなくてはならないから、RPGやSNSに向かう時間は多い。RPGの中では、人が人を無数に殺している。SNSでは、「死ね」「殺す」などという物騒な言葉が飛び交っている。こう想像してみると、彼が自らの憎悪を制御できなくなり、誰でもいいから襲って傷つけたくなる衝動を抱く過程が了解可能なものになるだろう。「孤独」といっても絶対的な「孤絶」だはなく、彼自身の感覚では、おそらく非現実感をともなって他者とつながっている。SNSでの匿名の他者とのつながりは、本当はマニュアル通りの応対しかしない、馴染みのコンビニの店員とのつながりと同じである。つまり縁もゆかりもない。彼自身がどこかでそのことに気づくだろう。その時に、憎悪が破壊衝動に変るのは、それほど稀なことではないように思う。確かに存在している自分を無視し続ける社会、人間。彼らに自分の存在を知らしめるには・・・さて、今回の論考はこれで一応の結論を得たわけだが、書いていてうっすらとした恐怖を感じていた。というのも、ここに書いたような人間は、数知れずいるだろうと思うからだ。また、描出した犯人像は決して異常者ではなく、程度の差こそあれ、我々が共有する世界の中の一人と言い得るからでもある。近代化のなれの果てで、我々が喪失してきたものを、この種の事件は強烈に思い起こさせるのである。了
2019.08.13
昨日も朝に70射、夕方50射程度。(1)ドローイングをできる限り後ろまで→不足すると緩みの原因に(2)エイミングをしてから、さらなるドローイング→エイミングが甘いとズレの原因に(3)さらなるドローイングの過程でカチッ→カチッが早いと、ブレが大きい(4)カチッとともに、さらに押し、薬指を中心にさらなる引きからリリースに→薬指に重点を置きすぎると、フォロースルーが開く、突然弓が下がる確認したことを言語化すれば、以上だが、今の焦点は(4)である。そこに時間がかかりすぎると外れるし、緩むと矢は上に。今朝はこれから(4)だけを意識して2時間。
2019.08.13
一昨日、同僚が西瓜を二つ持って来てくれた。射場にいたので、妻が受け取ってくれていた。もう、ここ30年ほど続いている。おかげで、今年も美味しい西瓜をほおばり、甲子園を見るという夏の好ましい一日を過ごせた。妻は西瓜が苦手で、そうなるとどんなに小さくても、西瓜一つは食べきれない。若い頃なら、半分に切って、大きなスプーンを突っ込んで・・・という豪快な食べ方もできたのだが。といって、最初から小さく作ってある西瓜はどうも美味しくない。やはり西瓜は包丁を二度刺し込んで、ざっくりと二つに割る・・・これが美味しさの始まりでなくてはならない。♪スイカを食べてた夏休み 花火買ってた夏休み 指折り待ってた夏休み (吉田拓郎『夏休み』)
2019.08.12
一連の事件では、被害者と加害者にそれほど深い関わりがないことが多い。中にはまったく関わらないものもある。加害者は、それでも非常に強い憎悪を抱いている。その憎悪を向けるべき対象をいわば恣意的に、あるいは偶然にまかせて決定している。例えば、貧困に苦しむ加害者が、富裕層の多い繁華街で事件を起こすなら、まだ了解可能である。しかし、なぜこの町なのか、なぜこの施設なのかがよく分からない事件も多い。いずれにしても、憎悪という負の感情があるのは確かだ。この感情は、不幸な者が幸福な者に向けて抱く「怨恨」(ルサンチマン)と同じである。不幸がいつも怨恨あるいは憎悪を生み出すかというと、決してそうではない。そういう感情は「孤独」という状況の中で生まれる。例えば、非正規の酷い労働環境で生きるために働かなくてはならない人間は間違いなく不幸だが、彼とともにその不幸を分かつ仲間がいれば、愚痴のこぼし合いであっても、それで救われることは多い。それが一人もいなければ、今はSNSという手段がある。しかし、匿名で不特定な他者がいつも彼の不幸に共感してくれるとは思えない。むしろ、彼の不幸感をより肥大することの方が多いだろう。あるいは、彼が自らの不幸の責任を転嫁できる人間がいれば、少なくとも無差別的な殺傷事件は起こさないだろう。家族であれ、上司であれ、前妻であれ、憎悪はその人間に集中していく。しかし、無差別殺傷事件の加害者は何ものかのせいで不幸だと考えることができない。だから、加害者自身が最後は自殺する例も多い。自分の不幸な人生の清算に見知らぬ他人を巻き込むのだ。
2019.08.11
今年のお盆は、夫婦二人で、どこかに行くわけでもなく、孫が来るわけでもなく、まあ、平穏と言えば平穏、物寂しいと言えば物寂しい生活。あと10日ほどで、休みも終わるので、弓の強化期間と自分で勝手に決めて、朝夕と射場に行っている。今朝は100射、夕方50射。射型はようやく一つの方向が見えてきたので、それを定着するためには射ちこみしかない。その意識でやっている。
2019.08.11
今朝は、小雨だったが、射場に着くと、ほとんど雨は降っていない。が、風は強かった。この風の中で、どのくらい自分の射ができるか。あえてスコープを出さずに、やってみた。最初の3エンドは52-49-52。それぞれ1射ずつ大きなミス。バランスを崩したのが2射。十分引ききっていない射が1本。全部6点。ミスをミスとして判断でき、それも大体予測した方向に外れる。これなら修正は可能だ。次の3エンドは、スコープを出して、ミスの方向を確認することにした。1本目はノーミス9時9点。風が急に強まり、的紙がはがれる。それを直してきてからの2本目は、リリース直前に押し手が少し動くミス。こちらも9時9点だが、1本目より少し外と下にずれる。このくらいで止まるのか、と思った。その後、急に強い雨が降り出し、朝はここで中止。夕方、もう一度と思ったので、射場倉庫に弓道具を置いてきた。20射のうち、引き戻しが1射。エイミングが長くなったため。カチッが分からなかったのが2射。これは、そうかもしれないという心構えがあれば問題ない。精度を上げていくには、ミスを防ぐことだ。やっとここまできたな、という感じである。レフティではまだ到達していなかったレベルである。
2019.08.10
このところ、アメリカでは銃乱射事件、日本では包丁やナイフを使った通り魔的事件が多い。なぜこんな事件が頻繁に起こるのか。一昔前なら、統合失調症などの精神病者が、一方的な被害妄想を抱き、こういう事件を起こすのがほとんどだった。今は、そういうわけでもなさそうだ。もちろんこんな事件を起こす人間の精神が健康であるはずはないのだが、病気かというと、そうとも言い切れない。これだけ頻繁にこの種の事件が起こるのは、社会構造の病理が一定の確率で、そういう人間を生み出しているのではないか。だからこそ我々は、言いようのない不安を感じるのではないか。もし、そうだとしたら、それはどのような社会の病理なのか。しばらく、この問題を考えてみたい。
2019.08.10
昨日は夕方も36射。いい加減疲れていたこともあるが、1本1本を大事に射つという意識で練習したいと思い、最初から36射と決めていた。前半はダメだったが、後半3エンドはまずまずで324。風も多少あったのでまあまあ。最近はリリーサーを親指と人差し指の輪を作って引くようになった。そうすると、途中のカチッがなくなる。一番いいのは、フルドローして左肩甲骨をやや内側に絞める意識でエイミングに持っていくところで、カチッと鳴り、そこからなるべく下がらないように、そのまま押し引きのバランスをとってリリース。これがうまくいくとかなりの確率で10点に入る。もちろんはっきりとミスショットと分かる射もある。まず、カチッのタイミングが速すぎる場合。この場合は、立て直しも可能だ。次にショットの瞬間エイミングが下がる場合。また、エイミングがまだ甘いうちにリリースしてしまう場合(広義の暴発)。ミスショットが出た時に、その理由を考える。次に修正する。大分、よくなってきた。今まではミスショットを前提に、それでもたまたま黄色に入るので、その確率を上げようとしていた。それだと72射650点が限度だった。今の射でミスショットを減らすことができれば、あと1レベル精度を上げられるのだへないか。今朝は小雨だが、やはり36本射ってこよう。
2019.08.10
朝練が多いのは、歳を取って、朝が早くなったこともあるが、朝だとほぼ無風の状態で射てるというのが、最大の理由だ。今朝は予報通り朝から風が強かった。データ放送では7mの風。今の課題が風の中でどの程度できるかを確かめよう、という気持ちだった。最初の3エンドは40台でMも1本。残り3エンドで少しよくなって53-54-55。妻の病院送迎もあったし、今日は一階の掃除をと思っていたので、それで終了。夕方、もう一度行こうかと考えている。風の状態は変わらない。
2019.08.09
今年はメロンをずいぶん食べたが、ここ一週間ほどの暑さで、最後の収穫があったらしく、夕張メロンが叩き売り状態になっている。糖度が高い分、傷みも速く、そう長いことはもたない。と分かっているのに、つい一箱買ってしまった。1個売りも500円だったが、こちらはも完熟しすぎている。値段は中玉4個で1980円。信じられない安さだ。観光土産店では、いまだに1個5000円の値がついている。すぐに自宅二階の冷蔵庫に入れ、傷みを少しでも遅らせることにした。今すぐでも食べるのがいい、というのが2個、あと2個は冷蔵庫なら一週間はもつかもしれない。だとしても、明日からすごい勢いで食べないと。それから、妻と回転しない回転寿司店に。メンテナンスに出していた車を代車で取りに行く途中の店だ。ここは、この種の店としてはネタが新鮮で、変な加工をしていないので、割に好きだ。二人とも、以前ほどは食べられなくなっていて、お決まりのメニューを一人前と、後は3貫くらいずつ、アサリの味噌汁。お腹は十分満ちて、確か1800円とちょっと。
2019.08.08
昨日は、そういうわけで朝練のみ。大体50射。10点はなかなか食わず、いらいらしたが、点数ではなく型を作ることがメイン。ドローイングで引ききる感じがないと、うまく切れない。人差し指の比重を高くして引くと、途中のカチッはなくなった。そのまま引いて狙いをつける過程でカチッときて、さらに中指・薬指に比重を移しながら狙い続けて、切れる・・・これが今の理想形で、ひたすら追求する射だ。今日はこれから。
2019.08.08
毎年、どこかの夏祭りには、妻と出かける。今年は「国際民族芸術祭」。去年も行って、面白かったので、昨夜出かけた。アルゼンチンタンゴとロシアダンスを中央のステージで見つつ、インドカレーの店で調達したキーマカレーと絶品のガーリックナン。エビと牛のガーリック焼き。ロシアダンスはさすがにバレーの伝統もあり、すごかった。最前列に近いところで見た。夕方5時ころ出かけて、8時半くらいに帰宅。週末、もう一つ電飾がきらびやかな船の山車が巡行する祭りが地方であるが、どうするか検討中。夏休み中に、せめて一泊の小旅行に、フェリーニ乗って出かけようとした。しかし、ホテルは取れたが、レンタカーが取れず断念。車を載せるのも今からは無理だろう。まあ、こちらの方はいつでも行けるので、今月末くらいに。お盆過ぎの花火大会もある。いつも行く海辺のレストランを予約しようとしたが、こちらも満員。露店の何かを食べながら見ることになりそうだ。
2019.08.08
悩ましいところだ。昨日の朝は「待つ」意識で射ってみて、うまくいった。最後57,8が連続した。リリーサーはSTANに変えている。こちらの方が「待つ」射がうまくいく。夕方それでやってみるとうまくいかない。それで「待ちながら切りにいく」、いや「切りにいきながら待つ」という意識に。このあたりは、練習の最終盤のような感じだ。また、何か出てくるかもしれないが、最後の一山という気がする。通院も終わり、気持ちの上でも一段落したので、朝夕2回、運動不足解消もかねて、練習予定。今日は少しゆっくり、6時半くらいに射場に。
2019.08.07
今朝は、2時間ほど射場に。その後、帰宅してから、病院へ。2月から始まった胃癌治療だが、今日で一応寛解。聞きなれない言葉だが、完治ではなく、一応MALT型リンパ腫の徴候はなくなった、ということ。もちろん再発の可能性はゼロではない。半年後にまた胃カメラということになっている。予想通り、放射線治療が効いたということだが、「初期の初期」だったので、内視鏡で患部をこそげ落とした時点で、もうすでになくなったらしい。放射線治療は念には念を入れてということだった。ピロリ菌のいない珍しいタイプのMALT型リンパ腫だった。主治医は9月に異動ということで、今度診てもらうのは、かかりつけ医の弟子に当たる院長。主治医は孫弟子に当たる。放射線治療後の後遺症もないが、こちらも念を入れて10月にまた肺と胃のCTを撮ることになっている。本当に優秀な医者に紹介してもらい、ありがたい限りである。
2019.08.06
昨日は夕方2時間くらい射場に。フルドローの後、前後に身体を伸ばしエイミングして、HBCの「カチッ」を待つ。「カチッ」が来たら、できる限り伸び続けてリリースの瞬間を待つ。リリースしたら、押し手を的方向にできる限り維持して、着弾(いや、着矢?)を待つ。昨日の意識したポイントは以上。失敗もある。典型的な失敗は「カチッ」が速く来てしまう。エイミングの始動前の「カチッ」は、どうしても暴発を恐れて、前後の伸びが足りなくなる。実際、数本の暴発もあって、青や黒に。これを防ぐには、フルドローに入る前、つまり、セットアップの一定化が必要だと思う。今朝はこれから1時間半ほど、このあたりを追求したい。
2019.08.06
さて、老年期の自己実現についてだが、これはもう、人それぞれで、一律にこうあるべきだとは言えない。以下に書くようにはとてもできないという状況の人もいるだろう。だから、これはほとんど自分のために考えていることだ。新たな自己を作り上げるといっても、これまでの自己の延長線上にあるはずで、その意味では「昨日のように今日を生きる」にはちがいない。しかし、その意味付けを変えることはできる。今日やっていることは、明日のための準備ではなく、今日を価値づける何かである。たとえそれが日常と何ら変わらないことだとしても、「明日のために」ではなく「今日のために」するのだと考えることだ。自分の例で言えば、あと1時間後には射場に立っているだろうが、それは一か月後の選手権のためにするハードな練習なのではなく、その練習自体の楽しさのためにするのだ、と考えることだ。それは思考の習慣を大きく変えることだ。そう考えることが習慣になれば、現在が現在として意味づけられ、生きられる。幼児は、まさにそのように生きている。彼の関心は、めまぐるしく変わり、さっきまで彼が夢中だったことは、もう今は忘れ去られている。だからといって、彼が不幸かというと、決してそうではない。むしろ彼は、区切りのない幸福感の中を生きている。だから、もちろん今日やっていることは、明日のための何事かではあるのだが、その意識をできる限り持たないようにすること、今しているそのことに幼児のように没入すること・・・それならできないことではない。なぜかというと、今まで十分に明日のために生きてきたが、少なくとも自分の場合は、もうそうしなくてもいい状況が訪れているからだ。今日を今日として生きて、明日が来ないとしても、基本的には誰も困らない。子どもはもう一人前だし、仕事も全体から見れば、代替のきかないことをしているわけでもない。どうしても自分でなければならないというのは、傲慢だ。もちろん何日か後の楽しみを捨てる、というわけではない。明日に持ち越していいのは、楽しみだけである。なぜなら、楽しみはそれが楽しみとして意識された時点でもう始まっているからだ。一週間後の予定でも、それが楽しいことであれば、その準備自体が楽しい。明日のために、わざわざ苦労して生きないこと。現在の自己をより自分らしく生きること。それが老年期の自己実現なのではないかと思う。了。
2019.08.06
老年期は、「自己実現欲求」を満たす時期だ、と言ったのは心理学者のマズローだが、その前の段階が「承認欲求」であった。その前が自分の帰属する集団を得る「愛と帰属の欲求」。マズロー説で大事なのは、この五段階欲求説の第4段階「承認欲求」までは、「欠乏欲求」であり、前段階の欲求が満たされないと、欲求そのものが生じない、ということである。しかし、それは違うだろう。世間では一般的に「承認欲求」や「帰属欲求」を「自己実現欲求」と勘違いしているようだ。例えば、若者が「自分探し」と称して、定職にもつかずモラトリアムな日々を送るのは、一種の帰属場所を探し求めているのであって、決して「自己実現」ではない。マズローによれば、それが見つかり、そこで自分の能力や人間性を認められて初めて自己実現が可能なのだということだ。しかし、そう一足飛びに周囲からその価値を承認されることはないし、大多数の人たちは、自分もその一人だが、十分には「承認」されないまま老年期を迎える。老人の繰り言や愚痴は、多くはそのことに起因する。しかし、老年期を迎えたら、もう周囲に「承認」されることを諦めるべきだというのが、自分の考えだ。マズローの人間観はあまりに類型的、固定的に過ぎて融通が利かない。彼が晩年、自己実現欲求の上に、怪しげな宗教のように超越者との一体化というようなことを描いたのも、そのせいだと思う。「承認」とは他者の評価を得ることであり、それは自分の思うままにはならない故に、完全に満たされることはない。しかもたいていの人は、自己評価が他者の評価よりも高いから、なおさら不満が募る。いい歳をして「自分探し」などと言うと、笑われそうだが、自己実現は自分をもう一度構築することから始まる。いわば、自己による自己の再構築(リストラ)である。そのためには、ある時期までの人生を「これでよし」として自己肯定することが必要だ。さらに自己肯定するためには、これまで自分が得てきた「承認」をありがたいこととして受け入れ、それ以上を望まないこと、つまり「諦める」ことがどうしても必要だ。自己の再構築といっても、老年期でゼロから始めることなどできない。今まで構築してきたもの、帰属していた場所、他者による承認の土台の上に、新たな自己を作り上げていくほかない。大事なのは今まで以上のことを求めず、他者に評価される自己ではなく、自分が評価できる自己を作ることだ。さらに、それを「目標」としないこと。何かの目標に向かって日々を送るには、先が見えすぎている。言葉の正しい意味で「今日を生きること」だ。将来の何事かに向かって「今日」を生きるというのは、近代の進歩思想の負の影響である。「今」は常に「今」ではない「未来」の準備期間としてある、そういう存在のありようのおかしさは、もう100年近く前に実存主義者によって喝破されていることだ。
2019.08.05
昨日のフィールド。何とか射ちきった。やはり点数は出なかった。5点時代のベストより10点は低い。しかし、バランスの取れた射が思ったよりは多く射てた。フィールドは足場が不安定な設定が多いので、バランスは崩しやすい。それでもそこそこ狙えて、射てたので、収穫はあったと思う。帰ると疲労困憊で、8時台には就寝。途中1時半くらいに起きたが、また寝て6時までぐっすり。今日はさすがに朝練はやめておいたが、いろいろ用事を済ませて、昼か夕方に練習予定。
2019.08.05
若い頃と違い、就寝時間は早くなった。大体、平均9時台には入眠している。夕食は6時くらい。ごくたまに自分が作るが、ほぼ毎日妻が作ってくれる。ギョーザとかサフランご飯、カツなどの時は多めに作り、娘夫婦のところに冷凍便で送る。娘は週4日ほど、フリーで働いているので、なかなか忙しい。息子夫婦のところは、遠すぎてなかなか送れない。夕食ではほとんどご飯を食べなくなった。昨日は、夏のすき焼き。ほどほどの値段の牛肉、長ネギ、シシトウ、ピーマンなど。すき焼きは正月以来で、すき焼き鍋が行方不明になって探すのが一苦労だった。昨日はビール。地元のコンビニで100円くらいのオランダ製ビールが出ていて、これがなかなか悪くない。エアコンで部屋を冷やして、ふうふう冷まして食べるすき焼きもなかなか美味しい。食後夕涼みがてら散歩に。斜め向かいの家は、市内に住む娘さんが帰ってきており、親子三人でバーベキューをしていた。久しぶりに、娘さんとも話をちょっと。高校の時にちょっと不登校気味になってお母さんはずいぶん悩んでいたのだが、今は元気に働いている。確か息子より一つ下で、子どものころから知っている子なので、そういう光景をみるとうれしくなる。帰ってきて片づけ。風呂に入ると、もう就寝に向けての時間帯。昨夜はそれほど暑くもなかったので、エアコンをオフにして、かかりつけ医からもらっている睡眠導入剤とサプリとグレープフルーツジュースを飲むと、横になって10分で眠る。かかりつけ医お勧めの飲み方だ。それにいつもはワインをちょっとだけ加える。問題は起床時間で今朝は3時。朝練に行く季節は自然とこの時間。もちろん妻は寝ている。一階と二階で寝ているので、音はあまり気を遣わなくてもいい。当然、朝食は別々。今朝は、昨夜妻が作ってくれていたたっぷりのサラダと食パン半分にスライスチーズをのせて焼くトースト、コーヒー、ブルーベリージャムと蜂蜜とバナナ半分を入れたヨーグルト。一日の中では朝が一番量が多い。それから5時半くらいに射場に。2時間ほどで帰ってくると妻が起きている。普通だと、火曜・水曜・木曜は午前中の出勤、金曜は夕方の出勤だが、夏休みに入ったので、8月はお盆過ぎまでお休み。昼食は水曜と木曜は職場で弁当か外食。昼寝は必ずといっていいほどしている。30分も眠れば十分だ。昨日は午前、午後二回。今日は試合で朝練もなし。これから、もう一度朝寝でもしようか。
2019.08.04
「老い」が論考のテーマだが、「論考」というより「随想」風になってきてしまった。それだけ、自分に身近な問題ということだろう。「老醜」という言葉がある。好きではない言葉だが、ある程度は、「老」は「醜」であることを認めなければならない、と思う。そうでないと、呼ばれてもいないのにどこへでも顔を出し、言わずもがなのことを押し付けがましくしゃべり、「老醜を晒す」ことになってしまう。老いているからこそ、慎ましげに生きるべきだ。「慎ましげに」と言ったが、この「げに」が肝心である。もちろん「げに」は「気に」であり、「慎ましい」という形容詞を、形容動詞化する働きのある語尾だ。「慎ましく」生きるのではなく、「慎ましげに」生きるのだ。「気」は、実質ではなく、そのような様子、「雰囲気」である。老人は、もうそれほど世の中の重要な構成要素ではない。重要な役割を担ったとしたら、いつ死ぬかもわからず、到底最後まで責任を果たすことなどできない。にもかかわらず、いつまでもその立場にしがみつき、偉そうに物を言うことを「老醜を晒す」というのだと、自分は考えている。特に自分や上の世代の人間は、人口のボリュームゾーンであり、消費社会の主役の座からなかなか降りられない。テレビは、新陳代謝の衰えた老人のための特定保健栄養食品だの、オムツだの、そんなコマーシャルばかりだ。便秘に効くとかいう「なんとかの力」とかいうCFに出て、「ドッサリ!!」とか言って、喜々としている。あれほど「老醜を晒している」ものはない。そういう健康問題は確かにあり、深刻な悩みなのだろうが、あの姿はみっともないではないか。老人には老人らしい生き方がある。それを探っていきたい。
2019.08.04
今朝は5時に射場に立ち、そこから約3時間。フィールドのためのサイトを確かめながら、とにかくバランスを取ることだけを考えて射った。休み休みだったので、多分100射くらい。そのうちバランスを崩したな、と自覚した射は10本はなかった。まずまず安定はしている。全部黄色というわけにはいかないのだが、さほど大きな外れはなく、概ね15点くらいの平均だった。最後は50mを12射で終了。1本ダメで7点。あとはまずまずで53-55で終えた。明日に備えて、ダラダラと過ごしている。ここ一週間は暑い。クーラーが活躍している。夕食は暑気払いですき焼きということになった。
2019.08.03
昨日、錘をとりつけたセンタースタビの後ろの方に出ている棒の名前はバランサーというのだったと思い出した。なかなか、サイトが真ん中に付かず、下がるのは、弓の重心自体が下に、下にとなっているのではないかと思い、付けてみようと考えた。ただ、錘を付けるようになっていないので、布テープでグルグル巻いて固定した。まだ足りないような気がして、昨日の夕方、もう一つ付け足した。最初は30mでいきなり10時7点まで飛んで、びっくりした。が、慣れてくるとサイトは変わらず、左右も出なくなった。バランサーの名前を思い出したのをきっかけにどうやったらバランスの良い射ができるかを、真面目に追求した。自分の場合は、バランスが悪いと押し手が射った瞬間開く。中りは9時方向にずれる。開くことで、中りが真ん中に来るようにしている時もあるようだが、それだけでもない。押す方向と引く方向の微妙なズレや、押す力と引く力のアンバランスが原因ではないかと思う。それでまず、ピープとレンズサイトの同心円を保つ方向に引くこと、その力と同じくらい押し手を的のセンターに押し込んでいくこと。この二つをやってみると、バランスは取りやすくなった。明日は試合なのだが、今朝は明るくなったらすぐ射場に行って、納得いくまでバランスの良い射を追求したい。
2019.08.03
65歳以上ではなく、70歳以上を高齢者にしたいというのが、政府の思惑のようだが、特に強い反対もないようだ。もちろん内容がはっきりしていないからだ。いつから、どういうふうにということがまるで分からず、今のところ反対のしようもない。これから具体的に高齢者向けのさまざまな行政サービスや年金の開始年齢を引き上げることになれば、反対意見はつよくなってくるだろうが。しかし、そういうことと無関係に、自分自身の身体に聞けば、老い=衰えを感じることは、当然ある。もともと無理はしない性質だが、最近はしようと思ってもできない。弓の練習も、確実に本数は減少しているし、長い文章を読むのも少し面倒にはなってきた。一番強く感じるのは足腰の衰え、最近は食べる量がかなり減っているのに、体重は変わらない。代謝量が減っているのは確実だ。このように「老い」はいわば外から制度として強いられる「老い」と、自分が内側で自覚する「老い」の二種類があるが、その二つの「老い」の乖離、あるいは無関係化が現代の特徴ではないかと思う。体力面では、個人差が大きい。新聞で「椅子に座って、立って」という動作を10回するのに何秒かかるかなどという、体力年齢測定テストみたいのがあると、つい妻とやってしまう。それで50代とか40代などと出ると無邪気に喜ぶ。外見もそうだ。これで同じ60代なのかと思うほど、若く見える人もいれば、本当に老人のように見える人もいる。それが、金儲けの種にはなるだろう。美肌、シミ取り・・・テレビではやたらそういうCFが流れる。必ず「これは個人の感想です」という小さなテロップが入るが、そこに出ている素人なのかモデルなのかよくわからないが、彼女らに共通しているのは、知性のかけらも感じられないという点だ(これは個人の感想です)。大体、「え~、74歳ですか~~!?」などと言われて、嬉しそうにしているのは、あまりにも無節操すぎる(これは個人の感想です)。いい大人だって、あんなものには出ないだろうに、ましていい老人である。この人の人生は何も考えてこなかったことが、シミもシワもない顔に貼りついている(これは個人の感想です)。本人が喜々としていることとは関係なく、彼女ももうすぐ「後期高齢者」と制度的には位置づけられる。顔のシワとは違って、後期高齢者にならないためのサプリも特効薬もない。
2019.08.03
今朝はちょっと遅くなって6:30くらいから1時間ほど。一応フィールド的を貼って、60mから。いい射もあれば悪い射も。悪い射も原因はわかり、納得できるので、それに気をつけて次!という感じで30mまで5mおきに。6射のうち、いい射は3,4射。この確率を100%に上げられれば、相当点数は上がるのだが、そうはなかなか・・・今は、とにかく80%くらいにいい射の確率を上げることだ。選手権まであと一月。今のレベルを何とかあと一つ上げたい。珍しく、弓のバランスを少しいじった。センタースタビの逆側に錘を追加。形状的には付けられないので、布テープでぐるぐる巻きに。少し上に出てしまう射が増えたが、センターにはエイミングが付けやすくなった。上に出るのは、「緩み」というか引ききれないうちの発射なので、気をつければ防止可能。明後日のフィールドまでにさらにもう少し加重することも考えてはいる。
2019.08.02
今日で、仕事の方は一段落。次の出勤日まで17日間の夏休みとなる。といっても裁量労働に近いので、時々顔を出すことはあるかもしれないし、来てくれというリクエストもないとはいえない。家の修繕の方は、来月半ばからのスタートとなる。その前に今季選手権。今季も比較的余裕で出場枠内には入っている。とりあえずそこに復活することがレフティとしての目標だったので、一応2年連続で目標は達成した。昨季同様、トーナメント戦に残ることが今季も目標。フィールドの方は、サイトは取ったので、その対応練習はもういいかなと思う。50mの練習をメインに。せいぜいフィールド的でやるくらい。
2019.08.02
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