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もう20年近く経つが、清水義範の『永遠のジャック&べティ』という小説があった。 英語の教科書の主人公、ジャックとベティが三十数年ぶりに再開したら、中学生当時のままの奇妙な会話しかできなかったというパロディ小説だ。視点もユニークで、面白く斬新に感じるが、実は今の直訳の教科書英語を暗に批判しているようにも見える。こんな直訳の英語、習っても使えないよと。じゃあどんな奇妙な会話だったか、少し再現してみよう。 路上で再会した二人は、懐かしさのあまりに言語中枢が30年分退化し、中学時代の奇妙な言葉遣いに戻ってしまった。そして路上で奇妙な会話を始めた。「あなたはベティですか」「はい。私はベティです」「あなたはベティ・スミスですか」「はい。私はベティ・スミスです」「あなたはジャックですか」「はい。私はジャックです」「あなたはジャック・ジョーンズですか」「はい。私はジャック・ジョーンズです」「私はいくらかの昔の思い出を思い出します」「一杯のコーヒーか、または一杯のお茶を飲みましょう」 発展例文の反復をする二人。そして飲み物にはそれぞれ一杯のをつけなければならない。 二人はコーヒーショップに移動する。「これはテーブルですか」「はい。これはテーブルです」「これはソファですか」「いいえ、これはソファではありません。これは椅子です」「あなたの息子は野球をしますか」「いいえ、彼は野球をしません」「私はあなたの二人の姉を覚えています」「私もまた、覚えています」「あなたのお父さんは元気ですか」「いいえ、彼は死にました」「オー、悲しいことです」 イエス、ノーの基本例文だ。「もまた」がにくい。 やがて会話は展開していく。「あなたは上着を着ていません」「今日は上着を着ているためには暑すぎます」「私は今までにこんな暑い日を知りません」「今日は今まででもっとも暑い日のひとつです」「あなたは涼しくなるために上着を脱ぐでしょう」「上着を脱ぐやいなや私は涼しくなるでしょう」「これは窓です」「これは床です」「私はペンを持っています」「私は短い鉛筆を持っています」「これはあなたのペンですか」「いいえ、それは私のものではありません」「あなたが今住むところの家はどこにありますか」「この通りを東へ行き、三番目の角を左へ曲がりなさい。そうするとあなたは左側に白い建物を見るでしょう」「多分、私はそれを見るでしょう」・・・・・・・・・ 素晴らしい会話だ。 しつこいまでの反復。忠実に繰り返される冠詞と形容詞。非の打ちどころのない完璧な疑問文と否定文。特に上着のやりとりは時制の変化もあり、構文としても秀逸である。 直訳を並べると、ここまで見事な非現実的な世界になってしまう。でも我々はこういう訳を一生懸命に習ってきた。too=もまた、as soon as=するやいなや、やったよね。みんな真剣に覚えたけど、日本語の会話では普通間違っても使わない。でも怖いのはこういう直訳の方が英作文しやすいということ。例えば今風の「マジ?」「ヤバくね?」を英訳する時も、「本当ですか?」「それは最悪ですね」となっていればすんなり来る。それにしても、中学で初めて習う英語って、なぜこうも現実とズレた日本語を使っているのか。誰もが気付いているのに、みんな当たり前のように黙々と学んできた。 「彼はとても親切なので私は彼が好きです」。有名なso that構文。中学生の普段の会話ではどう言うか。 「彼ってチョー優しくて好き」。同じだ。教科書さんも、学ぶ時の日本語訳をもう少しひねってくれるとありがたいんだが。 ちなみに私が習ったのはジュニアクラウンで、「トム」と「スージー」が主役だった。「私は1冊の本を持っています」「あなたは1冊のノートを持っています」・・・・やっぱりその後の人生で一度も使ったことのない例文をみんなで声を合わせて読んでいたな。同じだね。 でもこの小説楽しいなあ。ノスタルジーあふれるこの流れはこれでいいのかも。最後のオチはナイショだけど。
2006.05.31
私の実際の子育て、経験、情報などから、「学び」に役立つヒントを伝えていきたいと思う。第一回目として家庭環境や家庭での留意点について触れてみる。連載していく予定なので、役立ちそうなものがあればぜひ試してみては。1、『部屋(机周り)のゴチャゴチャを一掃すること』 勉強ができる生徒の机周りは、たとえ乱雑でも機能的にまとまっているものだ。要は本人が使いやすければいいのだが、どうせならできるだけシンプルな方がいい。部屋の散乱は頭の中の状態を示している。まず机の上から全ての物を撤去しよう。そして机の上に並べる物は今必要な物だけに絞る。勉強ができない子はこれができない。携帯、CD、漫画、化粧品、菓子、雑誌、学校のプリントなどが散乱していないだろうか。他の科目のテキストも同じ。今すべき物だけに絞り、机は広く使う。不要な物は足元に置けばいい。簡単なことだが、意外とできていない。「今はこれをやるんだ」という一点主義を意識すれば、集中度は数倍増す。極端に言えば、問題集を解く時には問題集と鉛筆1本と消しゴムの3点があればいい。ペンケースも他のテキストもいらないのである。2、『辞書・地図・資料集・データ類などの検索道具を身近に置くこと』 これらをリビングに置いて、常に手に取れるようにしておく。ニュースで専門用語や地名、または不明な用語などが出てきたらすぐ調べる。面倒臭がっているようではまだまだだ。できる生徒の家庭では、逆に調べずにはおれない雰囲気になっているはずだ。昨今の日本語ブームにより、最近は言葉を題材にした番組も多いが、そういう時も辞書を座右に置くといい。もちろん電子辞書でも構わない。すぐ検索し、家族で確認し合うこと。またそういった教養番組は家族が揃って見ることも大切だ。またこれらの道具は「調べる」だけでなく、隙間時間などに時折「読んでみる」ことも必要。机周りにも常備し、疑問はその場で即解決していく。後回しにする生徒に限って成績が伸びない。と言うか、疑問の内容を忘れてしまうだろう。3、『メモをとる習慣をつけること』 気になること、情報はどんどん記録していく。そのためにはメモ用紙が身近になくてはならない。学習机はもちろん、食卓、トイレ、洗面所、玄関、居間、枕元と、至るところに置く。ペン立てとセットで100均で売っている。10箇所置いても千円だ。テレビ、雑誌、新聞の情報、移動学習の時の解答の筆記などに効力を発揮する。気になることをその場で書き止め、持ち歩く。そのまま疑問や情報の発信源となる。できない家庭ではこれらが曖昧になり、大切な役立つ物がどんどん流れていってしまう。覚えられないから、その場で記録するのだ。4、『受験ガイドを早くから購入すること』 受験ガイドはその受験の年に購入すればいいというものではない。できる生徒の家庭では早くから意識付けが行われている。高校受験なら中1から、中学受験なら小4から家庭に常備されていることが望ましい。食卓で進路の話が出たら、すぐ持参し、より現実的な情報をひも解く。できない生徒の家庭では、家族の持ち出す情報や意見が曖昧であったり、詮索や想像であったりすることが多い。正しい情報源を用意ししっかり語り合う。できる生徒の家庭では、志望校のレベルや校舎や制服の写真などを正しく伝え、早期から意識付けを行っている。意識付けは目標となり、必ず成績につながる。5、『新聞を毎日必ず見ること』 新聞ほど役立つ情報源はない。テレビは時として流れて記録に残らないことがあるが、新聞には無駄なく情報が網羅されている。またテレビのようにしつこい反復もない。新聞の見るべき部分は、1面の大見出し、社会面の見出し、地方面、投書欄だけでよい。気になる記事があったら詳しく読んでもいいが、1面と社会面は見出しだけでも日々の流れが理解できる。できる生徒はこれらをサラッと流して読み、あまり深読みしない。できない生徒ほど構えてしまい、社説や天声人語を熟読し挫折する。投書欄は世の中の動きや世代ごとの意識が読めるのでオススメだ。読みやすく、意見のまとめ方として作文の感覚訓練にもなる。6、『前学年の教科書、ノート、ワーク、テスト類を捨てないこと』 以前にも触れたが、春先の廃品回収によく束で捨てる人がいるが、成績を伸ばしたいなら必ず取っておくこと。できる生徒は学年を飛び越えて教材を駆使している。最低2年は遡って残しておきたい。学年の節目はあくまでも便宜的なもの。本来は切れ目のない関連学習や発展学習で、学年同士は密接にに関連している。できない生徒ほど自分の足跡を振り返らず、目先だけを見てリセットしたがる。過去の学習の歩みをひも解ける状態にしておくことは、現状の対策を打つ上でとても大切なことだ。過去のテストも必要な材料だ。これは科目ごとに通史としてファイルし直すのがコツである。7、『居間などにホワイトボードを設置すること』 大き目のものがいい。ただの伝言ボードではなく、問いやキーワードなどを書き込み家族で共有する。テストの前などには子供に目標点を書かせ、結果も1教科ごとに追加記入させていく。パズル問題、漢字テスト、計算題など、紙ではなくボードを使うことで強く印象に残る。私も子供宛てによく問題を書き込んだ。弱いものは隅にリスト化し、日々目に止まるように仕向けていく。色も使えて消せるので情報の更新にも便利だ。磁石で暗記すべきものや切抜きを貼ってもいい。励ましのコメントをそっと書いてもいい。使い方によっては強力なアイテムになるだろう。ホームセンターで1500円程度で買える意識革命。ぜひオススメだ。 共通して言えることだが、家族が食卓などで語り合うことはとても大切だ。それも、しょうもない話題ではダメで、学びに絡んだ内容を親が意識してちりばめていく工夫が必要だろう。できる子供は次々と疑問を投げかけてくる。それをその場でどう処理できるかは、大人の工夫の問題だ。できない子供は家族で語り合うことから疎遠になっているケースが多い。家庭内の雰囲気を替え、語り合う時間を作ること。成績につながる可能性は身近な生活空間に山のようにある。 私の家にある高校受験ガイドはボロボロで、あちこちのページが食べ物のしみだらけだ。不謹慎な話かも知れないが、食事中に何度も何度も開いたからである。
2006.05.30
子供は不思議なものだ。 真剣に学んでいる者がいれば、そのすぐそばでやる気もなくふざけている者がいる。テストの点が悪いと深刻に落ち込む者がいれば、まあ次があるさとおどける者もいて、さらに肝心な点すら忘れたしょうも無いやつまでいる。同じ課題を出しても受け止め方はみんなバラバラだ。宿題も完璧にやってくる者がいれば、今日もやってこない兵が必ずいる。いつも制服の者、私服の者、ジャージがすっかり板に付いた者。教室の中には様々な学年の色が混ざり合い、柔らかい、堅い空気を生み出している。 今日もWくんはそんな中で我を通し続けている。講師の言うことをきかない、知恵も経験も身体も成長段階の中2生。カウンセリングを何度もし、そのつど塾長とも真剣を約束したWくん。模試は受けに来ない、テスト対策は途中で消える、授業中はマイペース。彼はいつも何を考えているのか。ここに来る目的は何だろう。何かとてつもない大きな存在と才能を感じなくもない。塾の未来型をも変えてしまうほど、不思議極まりない彼。真剣な生徒を次々と台風のように巻き込んでしまう彼に、今日はひとつ言葉を送ろうと思う。 「いつまで繰り返す、Wくん。きみは頑張るんじゃなかったのか。遅刻も宿題忘れもしない、授業にも絶対に集中すると言い、両親や塾長と約束したのは誰だ。たった2週間でリタイヤかい。きみの魂ってそんなもんなのかい。塾長はおじさんだけど、男としてやるときは命懸けでやるぞ。勉強がかったるいんなら、気合を入れて踏ん張ってみろ。そして自力でもやもやを征服してみろよ。 きみは今の自分を認めることができるか。自分の何がまずいのか知る勇気があるか。テストの点を忘れただと? 何を幼稚園みたいなことを言っている。そんなに忘れたければ楽しいことも全部忘れてしまえよ。そして好き勝手な人生を送ればいい。自分の現実を知りなさい。足元をしっかり見詰めなさい。自分を知り、反省し、工夫し、次の成功を夢見ていく。人のかっこいい姿はこういうところに滲んでくるんだ。 いいか、都合よく何でも自分中心で動くと思うなよ。カベにぶつかり悩んだ時、きみはどうする。どうしようもない時そばにいてくれるのは、両親であり家族であり友じゃないのか。みんなきみとの関係の中で、懸命に見守ってくれている。大切にしなさい。言われたことを素直に受け止めなさい。忠告も激励もしっかり受け止める真摯な姿はかっこいいぞ。今日は塾のあと家でテストを探させたけど、こんな姿どう見てもかっこ悪いだろ。もう電話報告もしなくて済むようにしなさい。 大人になろう。焦らなくてもいい。今しなきゃいけない指示から、まずきっちりやり遂げてみよう。そして両親に感謝しなさい。きみを守ってくれる両親の笑顔を、きみ自身がつくるのだ。塾長は怒ると怖いが、まだまだ怒る段階じゃない。ただ塾長は男の約束を破るやつと自分から逃げるやつは大っ嫌いだ。それだけは覚えておけ。」 私は彼が好きだ。たぶん将来は大物になるだろう。ただ今は教わる立場の中2生。この教室で、今日この時に演じるべき姿は何なのかを、一人でじっと考えて欲しい。きみはここに来れば、何もしないでも、たとえふざけていても手取り足取り教えてくれると思ってないか。集中して前を見なさい。塾長が、先生が、なぜいつも同じことを言うのか。そこには無限の可能性があるからだ。それを選んで拾うのは自分自身。みな人との係わり合いの中で学び育っていく。真剣に向き合いながら、何を受け止め何を自分の糧にしていくか。頼れるのは自分の力だぞ。「与えてくれるもの」と「受け止めるもの」は違うのだ。
2006.05.29
書きまくること。 覚えたければ、書いて書いて書きまくる。 暗記が苦手だという生徒たちにアドバイスをするのなら、私はまず書けと言う。懸命に書きながら覚える。苦手だという生徒ほどこの行為が出来ていない。ターゲットを決め、焦点を絞り書きまくる。ノートに落書きを描いてる暇があったら、攻めるべき部分を攻めていく。参考書や要点集とにらめっこしている生徒よ。情報が増えれば増えるほど覚えられなくなるぞ。赤いフィルターも試験直前の再確認で使うもの。まずその前に書きながらインプットする作業を見直そう。書くという行為には驚くべき効果がある。リストを丸暗記する時も、ただコピーを貼るのではなく手書きのものを作って貼る。書きながら覚えてしまうことも幾つかあるだろう。自分にとって覚えやすいように加工、編集すること。これが大切だ。書く習慣が付いていない生徒たちよ。頭に記録させるには反復と印象付けしかない。覚えられないと言う前に、どうすれば印象として残るか、頭をひねってみよう。 以下は私的なエピソード。ヒントになるかも知れない。 息子が中学2年のとき、20センチほどの紙(コピー用紙)の束を渡したことがある。暗記すべきことを、とにかく書きまくれと。その後どうしているかと覗いてみたら、小さい字でちびちび書いているので私は怒鳴った。メリハリを付けて豪快に使えと。そして例を示しながら私が伝えたのは以下の言葉だ。 『何をやってる。そんなちびちびやってて覚えられるかよ。紙面一杯に大きく書きなぐれ。単語も漢字もA4一枚に一語、紙面一杯にでっかく書いてみろ。大きい字、小さい字と変化をつけるんだ。もうメチャクチャでいい。丁寧に書く必要もない、どんどん書きなぐれ。ダメなものは何枚書き続けてもいい。100枚一気だって構わないんだぞ。筆圧ももっと強くしろ。覚えられないコンチクショウが憎かったら、下に穴が空くくらい力を込めてみろ。そんな薄い字で暗記できるか。すでに気合で負けている。筆記具も色々あるだろう。太いサインペンでも毛筆でもクレヨンでもいいんだぞ。色だって自由だ。ノートみたいに縦横そろえて書くんじゃない。ただ機械的に書くんじゃなくて、豪快に変化をつけるようにするんだ。そうすれば必ず印象に残る。アンダーライン、囲み、記号なんかもどんどん使え。どれだけ頭に印象付けられるか、インプットのコツはそんなところにある。いいか、書いた紙の山は捨てるなよ。そこにおまえの執念を描いてみろ。それはおまえの記憶との闘いの記録だ。』 その後息子は高校受験までに二千数百枚の紙をすべて使い切った。その紙の山は、書きなぐりと赤マジックに溢れた壮絶なものだった。 息子よ、罪な父を許せ。でも何かヒントを掴めたのか、今は自分で工夫して暗記に取り組んでいるようだ。きっかけは与えてあげるもの。本人に任せていては芽生えてこない才能もある。そう思っている。
2006.05.28
T中のみんな、今日の対策授業よく頑張ったな。今日は学校公開日で朝から授業があり、下校してからみんなすぐ駆けつけてくれた。学校も入れると、今日は一日の半分を勉強で過ごしたことになる。この貴重な日に得たものは、必ず自分でまとめておきなさい。役に立つ知識、今日は目一杯浴びたはずだ。いつもなかなか揃わない中2のメンバーもよく集まった。いいか、今日の知識は君の可能性を高める宝だ。必ず自分で整理し、金庫に鍵をかけること。 最後、塾長と二人だけになった中3のYさん。頑張れよ。君の努力は前から知ってるし、力はどんどん付いている。後はもうきっかけだけだ。試験までまだ3日ある。負けるもんかと、執念で仕上げるんだぞ。学年も替わり、いよいよ最上級生だね。すべてをリセットできたかい。君の純粋な瞳は、必ず成功を引き寄せる力を持っている。自分を信じて答案にぶつけてこい。 中1の仲間は初めての対策。全員よく集中してたぞ。隣の中学の結果が耳に入るけど、あまり気にするな。でも100点を取ったF君のこと気になるかな。小学校から一緒にやってきたO君、S君。じっくり自分の実力を見つめ、まず自信の持てる形に持っていこう。自分の力を出せばそれでいい。みんな初めてのテストで不安もあるだろうが、やっただけの結果は必ず出る。笑顔の報告待ってるぞ。 中2のみんな。前回の模試は最悪だったけど、今回の定期テストは果たしてどうか。最初から塾長が相手したが、私語もなくよく集中してた。その積み重ね。反復し頭に叩き込め。いいか、何度でも言う。叩き込め。叩き込むのだ。君たちに欠けていたのはその部分。今日のやる気は半端じゃなかったぞ。いよいよリセットできたのか。残りの期間の仕上げは自己との闘いだ。130%を目指し走り抜けろ。 テスト対策、ひとまず終了。勉強のし方が分からない、いくらやっても成績が上がらないという生徒たち。我々に力があるのなら、何とか彼らの悩みを笑顔に変えてあげたい。また期末がやってくるが、この教室に生徒がいる限り、私も共に闘おうと思う。今日はみんなよく頑張った。この頑張りは無駄にはならない。いや、無駄にはさせないから。今頃みんな可愛い寝顔で寝ているだろうか。お疲れさん。
2006.05.27
5月から6月へ。 この時期は、学年が替わり、気持ちをリセットできた者とそうでない者との差が出始める。クラス替えがあり、新しい仲間ができ、インクの匂いのする新しい教科書に名前を書いた4月。流れるような授業の中で、期待を込めた新しいノートもうまく埋まらず、仲間との瞬間に酔いしれた5月。そしていつのまにかテストの季節になった。 学年の節目は過去をゼロにし、やり直せるチャンスでもある。真剣に自分を掴もうとしている者がそっと開花する瞬間。一気に鮮やかに花開く必要はない。そっとでいいのだ。地道な努力が少しずつ力になり、自信になり、形になっていく。「やったー!」「ねえ、見て見て!」。笑顔の輪の広がりと、生命感のある感動。そんな空気が教室に動き始める。 先日伝えたHさん。97点を取ったことを私も称えた。だが彼女はそれだけでは収まらなかった。他の教科で私の予想をはるかに超越する得点、99点をもぎ取ってきた。何と学年トップである。予想を裏切られた私は、彼女に謝らなくてはならないだろう。ここで触れるべきではないかも知れないが、彼女は2年生の時に理由があり長期間学校の授業を受けていない。苦しみ悩み抜いた末にわが塾を訪れたが、入る時も一進一退、やろうかそれともやめようかと相当悩んだ。何度も行ったカウンセリングと相談。最後は彼女の勇気と決断により、今がある。たった1ヶ月半、負けるもんかと必死に頑張ったという。素晴らしい可能性。しかも努力で勝ち取った勲章。きっと大きな自信になったに違いない。私は最高の栄誉として称えたいと思う。 ハンディのない仲間たちよ。自分に甘えてはいないか。時間も道具も環境もあり、すべきことも判っていながら、ズルズルと毎日が過ぎてないか。自分の怠慢な生活の淵で、取り返しのつかないハンディを作ってないか。時の流れには逆らえない。この春から自分が過ごした時間。そのネガフィルムをもう一度覗いてみよう。仲間には頑張っているヤツがいる。今回の中間テストで90点台を3科揃えてきた仲間も複数いるぞ。どこが違うか考える前に、まずペンを持ちなさい。そして書きなさい。解く努力をしなさい。ウダウダ言う前に、書いて書いて書きまくるのだ。自分の知らない可能性はそこから広がってくる。 学年の初めは自分を変えるチャンスだ。今見せている姿勢で、この1年をどう過ごすかが決まってしまうぞ。おい、そこのおまえ、リセットできてるか。遊びも勉強も好きなことも、全部真剣にやればいい。生活にけじめを付けるとはそういうこと。苦しくても歯を食いしばって頑張っている仲間がいる。そしてその結果には笑顔が待っているということを証明してくれる仲間もいる。テストがまだ終わっていない君。明日の土曜は対策授業を一緒に制覇しよう。必ずや自信が芽生えてくるはず。どこまでも付き合うよ。そして眠っている才能を開花させようじゃないか。そっとね。
2006.05.26
わが生徒たちへ 君たちは他人に誇れるものを持っているかい。 そしてワクワクする夢をいつも感じているかい。 別に勉強のことじゃなくてもいい、周りから見たらつまらないことでも何でもいいんだ。 心の中でじっくり温めてきたもの。 その、いじらしい、小さな鼓動が聴こえるかい。 いつか巣立つ日のために君自身が大切にしてきた。 この世にたった一つしかない、そんな価値あるものがきっと君の胸にもある。 何度も泣き、何度も笑い、君は大人になっていく。 その時に誇れる熱いものって何だろう。 幾つもの出逢いがあり、恋があり、成功と失敗の果てに、やがて人生を語るときが来る。 僕たち大人がそうであったように、想い出は決して風化したりはしない。 だから、 今この時を精一杯生きてほしい。 カベにぶつかって悩んだ時、君はどうするか。 高くて大きなカベ、確かに辛いよな。 でも、それを越えて行くのは他人でも仲間でもない君自身だ。 ただ前だけを見つめ、培った知恵と勇気で力強い姿を描けばいい。 そのために学んできたことも、使うべきことも、 君の身体が素直に感じているはず。 少しずつ、でも確実に君は成長していく。 子供から思春期へ、そしてやがて輝かしい若者へ。 落ち込んだなら、今日この時を思いっきり悩めばいいさ。 今流した汗と涙と苦しみは、決して君を裏切ったりはしない。 生きている喜びを片手に、ゆっくり足跡を残していくんだ。 勉強がつらいと思う。 そんな時はそっと胸に手をあててごらん。 鼓動が聴こえるか。 君は息をしながら、悩みながら、未来の夢を見ている。 時々、その先に広がる大海原にその悩みを浮かべてみよう。 人生の中の、ほんの、ほんの、小さなつらさ。 そう分かった時、君はきっと前を向き動き始めているだろう。 だから、今準備すべきことを一緒にやっていきたい。 だからこそ、僕は君に尽くしたい。 人生の航海。 誇りをマストに掲げ、身づくろいをし、夢をバッグに詰めて旅に出よう。 今すべき勉強は、果てしない地図に自分の色を塗ること。 それは、苦難やいざという時のための入念な下調べ。 さあもう少しだ。 知恵と方法はここに、この教室に山のようにある。 自由に、いっぱい、持ちきれないくらいに集めてごらん。 きっと重くて厳しいぞ。 集め終わったなら、僕は笑顔で君を見送ろう。 手伝うよ。 君の笑顔も見たいから。 一人一人に時間はまだある。 今日学んだ大切な物はしまったかい。 しっかりと、しっかりと・・・ 忘れ物はないかい。
2006.05.25
いつも塾に遅刻して来る生徒は、絶対に伸びない 100%断言する 当たり前のように後からのこのこやって来て 当たり前のように授業に合流して 当たり前のように着席して 謝罪の言葉もなく 宿題も、時にはテキストさえも手元になく いつも疲れた風を装い、自己弁護しているおまえ のこのこ何しに来たのだ どうでもいい会話をしに来たのか ここは目的を持った者が自ら教わりにくる場所 甘えるんじゃないよ おまえはこんな小さなスタートラインにすら立てない 理屈ばかり並べる卑怯なやつなのか 好きなことには遅れることもなく いつも楽なことばかり探している 誰が座っていいと言った 学ぶ気力がないのなら立っていろ そんなに疲れているならすぐに帰ればいい 自分で首を絞めるのは勝手だが 周りに迷惑をかけるヤツに参加する資格はないと思え 悔しければ定時にここにいてみろ 遅れた分は取り返せない差になり すでに勝負にも負けている 悔しければ定時にここにいてみろ 自覚せよ いつ行っても自分の席が当たり前のように用意されている そう思うな 6月から変わるぞ カウントダウンあと8日
2006.05.24
中学部の中間テストの結果がちやほやと聞こえ始めてきた。 先週金曜にすでに試験を終えたT西中の仲間たちが、今日もわんさかやってくる。授業の理解度からして心配だった生徒が、なぜか妙ににこやかだ。結果を訊いてビックリしたのは私である。 98点、91点、95点、100点、93点、97点。 返却はまだほんの一部とはいえ、みんな素晴らしい得点だ。テスト対策頑張ったもんな。 中1の最初のテストで100点取ったF君。仲間に自慢していいぞ。そういえば随分塾でも家でも練習したよな。3月の模試の時は早起きして勉強もした。字の汚いおまえが人一倍練習して得た結果。努力の成果が出てよかったな。塾長は次の期末がどうのこうのなんて言わない。頑張ったから今がある。今日の喜びを大切にしなさい。 98点と91点を取ったSさん。中学最初のテストが好結果でおめでとう。小4の時からずっと一緒にやってきて、どんどん成長していくキミが眩しかった。話しかけると恥ずかしがっていつもうつむいていたね。立派になったよな。キミは今後、挫折を経験しながらもっと大きく飛躍するだろう。もうその下地はできているぞ。自信を持って攻めて行こう。 自己ベストの97点を取ったHさん。塾長の指導の成果が出たかな? いや、キミ自身の頑張りの結果だろう。塾に入る時にキミは、迷い、迷いぬいて、勇気を出してここの仲間になったよね。その決断、塾長は嬉しく思った。やる気の出なかったキミは見る見る明るくなり、今は週4回も真剣な瞳を見せている。この得点はキミの勲章。涙と汗の結果に得た勲章だ。次の標的に向かい、一緒に走り抜けよう。今日の笑顔は最高だったぞ。 さあ次はどんな結果が届くか。分かる喜び、できる喜び。わが教室の目標は、喜びを自信に変えて自ら動き出すこと。ほんの少しでもいい、笑顔を大切にしよう。テストがだめでも後戻りするなよ。頑張った結果がそれなら、悔いることはない。そのときだけ立ち止まり、真剣に泣けばいい。そしてどうしても迷ってしまったらここに来なさい。君たちの先輩が辿った道がここにはある。温かい、力強い道がある。 これから試験を迎えるみんな。弱点の塗り絵はできてるか。 今日を真剣に。努力は決して裏切らないから。 かっこいい姿、待ってるぞ。
2006.05.23
ぼんやり日が落ちて 輝く星 太陽の贈り物 曖昧な地平線 その向こうでも人は営んでいる 恋をしたりして 涙流したりして 音楽にのせて 地球で踊るんだ 笑って心開いたら あなたの事 好きになった 一巡り太陽の下で 深い眠りから覚めたら もう少し素直に 生きたいよ だってあなたに会いたいから 時々僕たちは 只々続く日々に嫌気がさし 遠くのランドマーク 細い目をして見上げ過ごしている 焦ったりして 取り残されたりして 朝が来るたびに 夢から覚めるんだ 無くした心の隙間に あなたの笑顔が 広がって 音もなく涙こぼれたんだ 深い悲しみの海では どんな歌さえ 響かないよ もしもあなたに会えないなら 風の中で落し物した 花火の上に 月明かりがぽっかり空いた 僕らはただそれを見上げていた 笑って心開いたら あなたの事 好きになった 一巡り太陽の下で 深い眠りから覚めたら もう少し素直に 生きたいよ だってあなたに会いたいから 輝く太陽の下で 僕らは素直に 生きれるさ そしてあなたに会いに行くから 太陽の下 / レミオロメン 受験生が追い込みで必死になっている頃、この曲を初めて聴いた。 車のラジオの無機質な音だったが、いい曲だと思った。以来、教室で生徒の姿を見るたびに、何故かこの曲と詩が甦る。生徒の笑っている、沈んでいる、その表情を見るたびに。 笑って心開いたら、あなたの事好きになった 一巡り太陽の下で 深い眠りから覚めたら、もう少し素直に生きたいよ だってあなたに会いたいから・・・・ 深い眠りは、悩み苦しみ頑張っている姿。 あなたは、その向こうに見える合格という栄光か。あるいはいつも訪れるこの教室そのものか。 心を閉ざした子供たち。 みんな与えられた生命はたった一つ。きみたちの視界には嫌なこともあるだろう。でも夢だけは忘れるな。夢はきみを強くする。 焦っている子供たち。 立ち止まって、手のひらをじっと見てみよう。そこには未来の可能性が山のようにある。何にでも恋をして涙流して、素直に生きればいい。 子供たちの姿をみるたび、悩みがあるなら言えよと呟いている気がする。 いつも、いつも・・・・ みんな平等な太陽の下。 悩んで涙が出そうなとき、この詩をじっくり味わって欲しい。 わが教室は笑って心を開ける太陽でありたいと思う。 その下の君は輝いているか。
2006.05.21
『除行に協力お願いします』 去年の秋、近隣の小学校で行われた持久走大会。生徒が学校の外周を走るため、公道にロープを張り、数箇所に交通規制のプラカードを持った学校職員が立っていた。冒頭の文はそのプラカードに書いてあったものだ。「除行」の文字は遠目でも目立つくらいの大きさがあり、目視する限りでは三枚、校舎の裏側を入れれば恐らくその倍はあったのではないか。情けない話だ。 余計なお世話かと思ったが、私は通りがかりにプラカード持っている男の人に尋ねた。風貌からしてそこそこベテランの教員だろう。「その除行って字だけどさ、確か、徐行って書くんじゃない?」「えっ、そうですか? 私が書いたんじゃないからなぁ」。とか言いながら保護者であろう母親と何やら話しながらニヤニヤしている。私はそのまま立ち去ったが、恐らくプラカードは使われたに違いない。誤字はある程度しょうがないとしても、教育機関の学校であるということは忘れないで欲しい。しかも校外に出て情報発信するのなら、入念なチェックを入れるくらい常識であろう。教員や関係者がわんさかいても誰一人として気が付かない。指摘しても重要なことと受け止めない。何だかねえ。私は学校というものの体質を見てしまった気がした。 発信におけるチェックなどは、仕組みさえしっかりしていれば簡単な作業だ。要は真剣さが足りないのである。地元の中学では今回の試験範囲表の国語の範囲に、『感じは、読み10問、書き10問』と相変わらずやっている。指摘しても恐らく「変換ミスだね」でもみ消されるだろう。学校だよりの文にも誤字や、改行、句読点の不備が山のようにある。繰り返すが、文章や文字の教育に携わる学校である。数百人の生徒とその保護者が目にするものへのこだわり。なぜ持てないのか不思議でならない。それほどに多忙なのか、それとも本当に質が落ちてしまったのか。腐っても学校。腐敗するしないは内部の力と智慧で決まる。すがすがしく凛とした、力みなぎる学校を期待する私の方が異常なのだろうか。 教師の漢字力はどの程度なのか。恐らく内部における開きが相当あるだろう。大学生の漢字力が落ち、その流れを汲んだ者が次々と教師を名乗る。尺度がないため判定できないが、板書の漢字筆記もままならない不適格者もいるはずだ。不幸なのはそういう教師に当たった生徒たち。そんな教師でも、原敬を「げんけい」、孫文を「まごふみ」、毛沢東を「けざわひがし」と読む今の生徒よりは優れていることは認めよう。だが、指導の技量はただ表面的に教えるだけでなく、どこまで付加価値を与えられるかで決まるものだ。そのためには、教師のレベルは生徒が腰を抜かすくらい超越していなくてはならない。漢字に関して、偉そうに言う私と張り合えるつわものが地元の学校関係者にどれだけいるだろう。正直私は腕比べをしたくてウズウズしているのだが。 追記 先日書いた「偏西風」の件は、さっそくわが塾生が指摘し、担当教師が非を認めたそうだ。その後、授業を通じて各クラスで訂正して回ったという。何とも痛いやるせない話。
2006.05.20
漢字力が低下している。 日々生徒を指導していて痛切に思う。 漢字は小学1年から習い始め、高校まで学年の配当漢字を消化していく形をとる。言わずと知れた配当表。教科書にもそのリストは載っており、学校ではテストを課しながら演習を重ねていく。果たしてそれでいいのだろうか。生徒の履修状況や本音をひも解けば、今習っている漢字を追うのが精一杯だという。既出の漢字を見直す余裕がないという。それは文章を書く時、あるいは他の教科の用語を記述する時などにそのまま覿面に表れている。 織田信長が小田信長。この程度ならまだ可愛い。扇状地が戦場地に、産業革命が三行かく命に、見事に変身する。意味から類推する習慣がついていないのだ。読みもひどい。大鏡を「だいきょう」と平気で読む。驚いたのは環太平洋造山帯を読んだ2年前の女子中3生だ。環(たまき)という名の友達がいたらしく、何と「たまき、おおひらひろし、ぞうやまたい」とのたまった。私が爆笑すると慌てて言い換えたのが、これまた「たまき、おおひらようぞう、やまおび」。変わんねえだろ。太いの点はどこいったんだよ。あのなあ、そもそも意味を考えてから言えよな。何で人の名前が入ってんだよ。 断っておくがこれはネタではない。その時はみんなで笑い転げたが、暫くしてどうしたものかと漢字力の低さに頭を抱えた記憶がある。今習っている漢字を追うのが精一杯という本音を聞くにつけ、履修システムの見直しの必要性を感じる。また生徒の筆跡を見ると、字が乱雑なうえ筆圧が異常なまでに低い者がいる。男子に多い。小学校における基本を身に付ける時間がどうだったのか、本人がさぼったのか、そもそもカリキュラム上の時間が足りないのか。現に塾にはこういう生徒がゴロゴロいる。一体、学校ではどこまで検査し、矯正し、フィードバック演習や前学年の復習を与えているのか。いずれにせよ筆順のチェックを含め、書くという演習を見直す必要を切に感じる。 授業をしていると、必ず生徒に言われる言葉がある。「先生、漢字が分かりませーん」。怖いのは悪びれずに《分からなくてもしょうがないじゃん》→《だって漢字苦手だし、頭わるいもん》という感覚が根付いていることだ。理科や社会の用語などは大半を板書しないと正しく伝わらない。30字で述べよなどの記述問題では、模範解答を口頭で読み上げると4回は漢字の質問が来る。だから最近は初めから板書してしまうことも多く、かなりのロスタイムが発生している。そうすればそうするで「先生、その漢字読めません」と来る。その都度、読みや筆順や意味までを説明する。一体この授業は理科なのか社会なのか国語なのか。 生徒が記したテストやプリントの解答を調べると、漢字ひらがな交じりの曖昧な記述が多い。本当に信じられないくらいに多い。テストでは中京工業地帯を「ちゅうきょうこうぎょう地たい」と平気で書く。確かに漢字を間違えればバツだが、もう少し学習しろよ。小学2年生じゃないだろう。地元の中学では、用語問題にはルビを付けることを許し、それが合っていれば漢字が間違えていてもマルにするという馬鹿げたことをやっている。何を考えているのか。そんな片手落ちの表面学習で、深い学力が付くはずもない。やる時は必死になって全部漢字で書けるようにする。それが学習だろう。それともそんな芸当でもしないと、みんなバツばかりになるほど深刻なのだろうか。 昨日、中3に理科の天気の単元を説明していた時だ。天気記号の○は何だという口頭の問いに、モジモジして答えないのでどうしたと聞くと、「書けるけど何て読むか分からない」という信じがたい反応が返ってきた。「書けるけど読めない」。一体どういう学習をしているのか。正解はもちろん快晴だが、別に象形文字をイメージ暗記してるわけではないだろう。学ぶという組み立てがどこかで崩れてしまっている。怖い現象である。何が大切なのか、何を学ばなくてはいけないのか。手順を説明しやり直すには、塾では到底時間が足りない。今後に係わる切実な問題だ。 漢字を学ぶのは確かにかったるい。書き取り練習張などの正攻法は、やりながらも前の方をどんどん忘れてしまうという欠点がある。私はよく、漢字を一つのグループでまとめていく方法を紹介している。例えば、同じ部首で固めて演習する。部首には意味があるので、必ず共通のテーマが流れる。そしてそこから派生する熟語もまとめていく。不思議なことに熟語にもグループとしての匂いが漂っているものだ。「ころもへん」と「しめすへん」の区別もこれで明確になる。また、字形の似た漢字をまとめて演習するのもよい。漢字は旁(つくり)で音(おん)が決まるので、きれいに音が揃う。寺、時、持、侍が全部「ジ」であるように、意外と多いものだ。 生徒がよく間違えるものに、専門の「専」に点を打つかどうかというのがある。これは全部まとめて覚えることを勧めている。専・恵・穂には点はなく、博・簿・薄・敷には点がある。要するに音読みでハ行になるものには点を打つのである。穂は音読みでは「スイ」。ホと読むのは、意味を表す訓読みである。こうして括って覚えておけば、間違える確率は大きく減る。 大人に成長していく上で、漢字を使う機会はますます増える。高校受験でも作文は必修。毎年受験生の中には「友だち」「ゆう気」「しゅん間」「基そ」「発てん」などと、間抜けた語彙力をさらけ出す者がいる。書くということに、いかに普段から意識して取り組めるかで、後々明確な差が出る。漢字は書けて使えて何ぼの世界。メールやパソコンで変換ばかりやってると、やがて漢字はイメージとしての記号になり、筆順も部首も分からず、字も一向に上手くならない漢字バカを大量に造ることになるだろう。まずは目の前の生徒たちをじっくり見直すか。おい、寝ぼけたお前ら、小1の漢字から始めるぞ。まさか書けるだろうな。
2006.05.19
今日、駅前で子供がぐずっていた。 母親に連れられた3歳位の男の子。 どこかでもらったピンクと水色の2個の風船を、 誰が持つかでもめているように見えた。「だからこんなもん、もらうからでしょ!」 母親の怒声が響く。 次の瞬間、母親は子供の目の前で、2個の風船に爪を立てた。 引きずられる子供は泣いているようだった。 風船さんは死んだ。 子供の夢も消えた。 塾というフィールドでも同じようなことをしていないだろうか。 期待に胸を膨らませ、訪れる子供たち。 最初の笑顔が今でも続いているだろうか。 日々の軋みの中で、都合よく子供たちの夢を、心の芽を、摘み取ってはいないだろうか。 何色もの温かい命。 風船を守れるのは誰・・・・・ ふと考えてしまった。
2006.05.17
勉強は個人戦だ。 みなで力を合わせて結果を求めていくものではない。 A 『方向も決まっていない。どっちへ行こうか。楽そうな道にしようか。道標を頼りに自分で決めていく。知恵のリュックを背負い、地図を手に、一歩ずつ足跡を残していく。疲れても休めない。課題を克服する行為は、思案しながら自力で目の前の障害を越えていくこと。誰の責任でもない。汗をかきながら坂を、階段を、ぬかるみを、吊り橋を越えて行く。降り注ぐ陽射しも風も、敵か味方か、自分で料理し判断しなければならない。怪我をしても腹が減っても、誰も手を差しのべてはくれない。ナビゲーターはいない。仲間も機械もない。すべて自分の力で進んでいく。責任ある個人戦』 B 『方向は決まっている。道標に頼っていれば楽そうな道をたどれる。好きなものをリュックに詰め、携帯を手に、その時の気分で歩いていく。疲れたら適当に休めばいい。目の前に障害があれば助けを呼べばいい。様々な障害が越えられなくても自分の責任ではない。もちろん怪我をするほどマジにはならない。腹が減るほど無理もしない。目の前にはいつもナビゲーターと仲間がいる。頼れる機械もあるし。自分の力が少しあれば進んでいける。責任を忘れた個人たちの戯れ』 AかBか。 勉強の本質を履き違えている生徒よ。目の前の壁をしっかりと見つめよ。周囲に頼る前に頭を使いなさい。自分で判断し道を切り拓いていく。知恵のリュックは何のためにある。チャラチャラしたガラクタばかりため込むんじゃない。自分に降りかかるヒントや定石や方法論をしっかりとかき集めなさい。そしてずっしりとその重みを感じよ。いつも他人が何とかしてくれる。勉強は気まぐれで埋めていく。そういうものではない。 前例の後者に片足を突っ込んでいる者に警告する。勉強は個人戦。楽をしても他人に迷惑は掛からないが、魂だけは捨てるな。わが教室に魂を捨てた生徒はいらない。前を見つめ、泣き笑い、悩みながら歩いて来い。塾はその先でいつも待っている。好きな飲み物とヒントをいっぱい用意して待っている。売り切れ寸前のヒント。早い者勝ちだぞ。 中学部の中間テストが迫り、教室の機運も高まってきている。その一方で相変わらず勉強の核心をつかめないでいる生徒たち。もう何度目の試練か。ほんのちょっとだけ穴を掘り、転々と場所を変える宝探しを今でも続けている。途中であきらめては、また他で掘り始める。もっと深く掘れよ。道具もあるだろう。深く深く掘れば宝は出てくる。勉強の本質はそういう行為にこそあるのだ。一つ一つにこだわり完成していくこと。発見の喜びはすぐそこにある。塾の中なら恥ずかしいこともない。ほら、ぶつぶつ言ってないで掘りなさい。汗をかき、自分の力を頼りに、もっと深く、深く、さらに深く。 みんなそうやって力を付けてきたのだ。甘えと寝言は日記に書けばいい。 ここは塾。知と可能性が飛び交う空間。 さあ、個人戦がやって来るぞ。やらずに敗退するか。勝ちを狙うか。 どう仕上げるつもりか。 結局頼れるのは自分だ。
2006.05.17
土曜のテスト対策で、信じられないことがあった。 中3試験範囲の地理(日本の気候)を解説している時だ。 ボードに日本地図を描き、海流や季節風を書き込み、これらが列島に与える夏と冬の気候への影響と、冬の北陸地方の大雪のメカニズムについて説明しようとした。私が「夏の南東季節風」と「冬の北西季節風」を書き込むとある生徒から質問が出た。「先生、その大陸からの風って偏西風じゃないんですか?」「いや、これは冬に寒気を運んでくる季節風だよ。偏西風ってのは一年中上空で吹いてる西からの風で、季節によって風向きが変わったりしない。基本だろ」「えーっ? そうなんですか? でも学校で偏西風って習いましたよ」「マジ? 天気が西日本から東日本に移ったり、ほら、台風の進路が日本付近でカーブを描くだろ。あれが偏西風の影響だぞ? ジェット気流ってやつだ」「でも、ほら」 生徒がノートを見せるので確認すると、これまた丁寧に色を使って書いてあるではないか。本当だ、南東季節風がただの「季節風」、北西季節風が「偏西風」と大きく朱書きされている。先生が黒板でそこを強調した様子が汲み取れる。「私も」とか言うのでよくよく調べると、何と周りの生徒たちのノートもみんな同じではないか。一体どういうことだ。 担当教師の年齢を訊くと、まだ20代の若さ。昨年赴任してきたらしい。解りづらく進度も遅い。そもそも中3なのに何で地理をやってるんだ。普通地暦は終わってとっくに公民だろ。進度は前から気になっていたが、このままでは公民は7月から。終わるのかよ。受験生に模試はつきものだが、結局それも習ってない範囲から出るので生徒は頭を抱えている。その上この授業か。「テストに出たらどう答えればいいですか?」「もちろん、正しい答えを書けばいい。バツを付けたら、そんなインチキ教師ぶん殴れ」 生徒たちは笑っていたが、私の語気もちょっと荒くなった。と言うか、これは重大なことである。間違いを植えつけられ、そのために受験が失敗したらどう責任を取るつもりか。指導者はたまたまや恐らくやいい加減であってはならない。われわれ塾も然り。教える作業にとって正確さは命だ。学校不信が叫ばれる中、その接点である授業内容さえも質が落ちるようであれば、生徒たちはどうすればいいのか。しかも中3。1学期の内申が係わり、みんなピリピリする大事な時。 生徒には試験の前に先生に確認しておけと告げたが、気になるので週初めにに生徒のノートを点検しようと思う。氷山の一角でなければいいが。それにしても何で私がそんなチェックをしなきゃいけないのか。塾って公教育の尻拭いなのか? しっかりせよ、と言いたい。
2006.05.14
Oさん、そしてHさんへ。『今日は中間テスト対策授業、よく頑張ったな。午前10時から午後4時過ぎまで、そのあと更に授業を申し出て、終わったのは夜7時を過ぎていた。休憩を抜いても8時間以上、真剣に喰らい付いていた君たちの瞳。塾長は忘れない。中3になると色々周りもうるさくなるけど、自分の目標をしっかり描き突き進む姿は素晴らしいと思う。辛いよな、眠いよな、腹も減るよな。好きなテレビだって見たいよな。女の子としてしたいことだっていっぱいあるはず。でもみんながそうしている間、君たちは今日を境に一歩ずつ前進し始めることを選んだ。 土曜夕方の授業。毎年私が直接理科と社会のスーパー特訓を行う定員制の授業。今年は君たちが1号2号だね。しかも対策授業のあとで相当疲れたろう。苦手だと自分のすべてをさらけ出し、真剣に私と向き合う意欲のある君たち。私は素直に感じる。曇りのない君たちは必ず大きく伸びる。真摯に向き合う魂に、予感ではない現実を与えてやりたい。今はまだ漠然としか捉えていない合格という喜び。道は敷いてやる。必ず伸ばしてやるから喰らい付いて来い。 君たちがうちに来るまでには色々な経緯があっただろう。学校や生活での様々な過去。苦しみ、そして涙。でも今はどうでもいいことだ。入塾時にも悩み、相談を重ね、自ら思い切ってスタートを選んだ勇気と姿勢を私は称えたい。そう、君たちの未来を見据えた眼はすがすがしい。私は今までに何人もの生徒を指導してきたが、君たちに出会い、初めて才がストーリーのように花開くであろう直感を感じた。経験のない不思議な気分だった。 今日は押さえ気味で授業を進めたが、私が係わる教科については2人揃って頂点を極めてもらおう。そして、そのノウハウと緻密な計画とすべき演習課題を与えよう。枯葉散る季節も、聡明な瞳で向き合っている君たちを私は思い描く。頑張れよ。家で眼をこすりながらも限界まで攻めるんだぞ。君は孤独なんかじゃない。自分をさらけ出し、この教室で笑顔で夢を語ろうや。週末の夜、何時でも付き合うぞ。そんな君たちとの出会いを塾長は嬉しく思う。見守っているぞ。』 塾長
2006.05.13
「ASKUL」や「カウネット」のカタログを見ていて、子供用のスリッパというものが目に留まった。オフィスの来客用としてのものだが、絵柄の入った色の異なるもので、男児用、女児用と揃っている。確かに近所の歯科や病院を初め、土足禁止のショウルームなどでは当たり前のように備えられている。 塾はどうなのだろう。面談の来客では下の子を連れてくるケースも多い。わが教室でも、母親に連れられ月に3、4人は未就学の児童が訪れる。大きなスリッパが馴染まないせいか、ほとんどスリッパは使わないが、あまり気に留めていなかった。また、子連れの場合は、母親に説明しているあいだ間が持たない。絵本もすぐ飽き、母親に抱きつき甘えてくる。「今、お姉ちゃんの話してるから待っててね」「もうすぐ終わるから、お利口さんにしててね」。無理である。つまらないよな。 ソフトブロックを仕入れようか。いっそビデオを設置して「アンパンマン」か「バーバパパ」でも流そうか。サービスを追求すると歯止めが利かなくなるが、来客が満足できる気配りぐらいは塾にも必要だろう。何も飴や風船をあげる訳ではない。気持ちよく話をし、帰宅後も、母親には好印象と満足感が残り、下の子には「あそこ楽しそうだね、また行こうよ」と言わせるくらいの工夫があってもいい。塾というものは生徒に重心を置いてしまいがちだが、顧客満足をもっと意識し、生徒の周辺から攻めていく必要性を感じる。 スリッパの話だった。私は結論として今回は見送った。もし購入するのなら、先ほどの気配り全体を見直し、計画性を高めてからにしたい。しかし、うちにはマガジンラックもないし、何か改善できることがいっぱいありそうだ。来客は出会いの最も大切な部分。差別化のヒントが隠されているような気もする。 塾の大半はスリッパを使用していると思うが、来客にそこまでこだわっている所がどれだけあるか、ちょっと聞いてみたい。わが教室は常識を超えたことを平気でやるが、さすがに生徒用に子供スリッパを揃えようとは思っていない。一応念のため。
2006.05.12
成果が出ない、成績が上がらないと言う生徒。私の教室でも犬も歩けば状態だが、カウンセリングなどを通じて原因を調べてみると、その大半は勉強量が足りないか、攻めと守りの学習がうまく機能していないことが多い。 勉強量とは征服した量。言い換えれば知識量のことだ。時間ではなくどれだけの量を確保したかで見る。攻めと守りの《攻め》とは、ひたすら貪欲に吸収していくこと。大量暗記や先取りなどの知識のインプットにあたる。《守り》とは、攻めで得たものを定着させる行為。ひたすら繰り返す反復演習や、暗記事項の定期的なメンテナンスがこれにあたる。この攻守のバランスが崩れるとどうなるか。 攻めてばかりで守りを疎かにすると、瞬発的な才は発揮する一方で、長期展望における実績は最悪になる。学校の定期テストはそこそこ取れるが、模試や実力テストになるとボロボロという生徒の典型だ。集中して学び、その時せっかく解っていても定着させようとしない。まるでキーボードに打ち込んだ知識を記録せずに上書きしているのと同じ。これでは忘れて当たり前である。我々が生活の身近なことを覚えているのは繰り返しその情報を頭に与えているからだろう。確かに意識して覚えるのは苦痛だが、定着させるには反復しかない。 逆に守ってばかりで攻めないと、これもまた困った結果を招く。そもそも攻めのない学習など無いのだ。守り、いわゆる復習重視の学習は、受け身のおとなしい生徒に多いが、意外と成績は悪い。サッカーでも攻めなければ勝てない。守りに瞬発力はない。もし守りに特化するのなら、鉄壁篭城に徹し、絶対に負けない引き分けに持ち込むしかないだろう。だが攻めてばかりで自分を省みない者よりは長期戦には強い。将棋で攻めてばかりいて、王手されているのに気付かないようでは最悪である。守りに徹する者はそうなる前に立ち止まるだろう。だが何度も言うが、立ち止まってばかりでは勝てないのだ。 では、攻守のバランスはどうすれば身に付くのか。 皿回しをイメージして欲しい。 昔、ビックリショーなどでやってた、50枚ほどの皿を同時に回すという大道芸だ。一つずつ回し始める。20枚くらいで最初の方の皿が失速して落ちそうになる。観客が指を差しながらざわめく。芸人はわざとじらすかのように、ギリギリでリカバリーに回る。失速している皿に手を加え、回転を安定させなければ、皿はやがて落ち、割れるだろう。何が不安定か、タイミングはいつか、常に全体を見ていなくてはならない。これは人の記憶と似ている。 新しい皿を次々と回していくのが《攻め》なら、落ちそうな皿にエネルギーを与えてあげる行為が《守り》だ。攻めきれない慎重な生徒は、10枚目くらいで足踏みし先に進めない。守りが下手な生徒は、一気に50枚目を回し終えた時、すでに背後で30枚が消えてしまっている。問題なのはその消えてしまったということにすら気付かない生徒がいるということだ。自分がしてきたことに、いかに目を向けられるか。蓄えようと学んできた自分の行為ににどれだけこだわれるか。結局のところ分岐点はそこにあるのだろう。そんな生徒を抱える塾の役割は、さしずめ、ここが危ないぞと指差しすることだろうか。
2006.05.11
子供の頃、砂場でよく遊んだ。 蝉の声が共鳴する小学校の校庭。砂ぼこりの中、半袖半ズボンの私はいつも汗まみれだった。悪友二人と力を合わせて砂山を作り、水で川を作り、穴を掘り、木の枝や草や石コロや、あげくは体育倉庫の用具まで使い、砂のキャンバスに楽園を描いた。互いに知恵を出し合い、その集結と自由な発想に酔いしれながら、日が暮れるまで夢中になった。 砂場の話は以前にも書いた。大きな山を築き、両方から手で穴を掘り、互いの指先が触れた時のあの感触。川を作り、水を流し、橋を渡し、堰止めてダムを作り、最後は跳び蹴りで崩す。爪の隙間も靴の中もジャリジャリだった。でも、あの感触。あれは何だったのだろう。互いに掴もうとするあの不思議な動き。今でも指先に残っているような気がする。 校庭の隅のほうには遊べる空間が多かった。木立も築山もタイヤもジャングルジムもすべてが自由な刺激空間だった。工夫し、新しい遊びやゲームを発明し、ルールを作り夢中になった。毎日、校庭という舞台で時が消えていった。悪さをしたり破壊したり、当時は随分と好き勝手なことをしていたが、今思うとそこでは何か大切なことを学んでいたような気がする。うまく表現できないが、少年にとっての財産とも言えるとてつもなく大切なことを。 この楽園の記憶は今の仕事に大きな影響を与えている。私は教室の中に砂場を作ったらどうなるかと真剣に考えたことがある。少年の思い出としての校庭が、いまのこの教室。それならばフィールドやトラックは、教場のメインとなる机であり椅子だろう。私がこだわりたいのはその周辺部分だ。校庭もメインは何もなくつまらないが、周りには色々なものがあり、何故か刺激に満ちていた。教室で考えてみる。周りにはどんな刺激が展開できるか。どんな仕掛けが隠せるか。 ひとつの発想として、机で考えてみた。机は生徒が授業で使うものだが、私はダーっと壁に沿って並べるのもやり方だと思っている。何かを展示陳列してもいい。パソコンを並べてもいい。自習スペースとしても使える。実は私は喫茶店のカウンターに憧れていて、あんなのが教室にあればと常々思っている。生徒を固定の丸椅子に座らせ、カウンターでやる授業。恐らく人気で順番待ちになるだろう。3ヶ月に1回しか使えなければ、その授業の記憶は生徒の頭に鮮明に残るに違いない。 壁の使い方も工夫次第で色々できる。コーナーごとに重要用語、公式、九九、英単語、漢字、年表、資料写真などを手書きやコピーで目一杯掲示し、スクリーンやカーテンなどで隠しておく。必要な部分を開けて使用する。これは隠すのがミソだ。壁と同化し、日常化してはいけない。またフリータイムで移動できることもミソである。九九で引っ掛かったら「はい、九九コーナーで2回ずつ反復」などと使う。コーナーがたくさんあれば楽しい。すべて座ってやるのが勉強ではない。自分で移動し攻めて行く時の子供の眼は輝いている。まるで昔日の私がそこにいるかのように。 少年時代、ワクワクしながら遊び、走り回った記憶。もうさすがに風化しつつあるが、そこで学んだ大切なものとは何だったのか。ルールだろうか、達成感だろうか、それとも知恵だろうか。子供たちとともに歩み、学び続けている今、この答えは私にとっての永遠の課題なのかもしれない。砂場に山を作ること。大人になった今では他愛のないことだが、当時は汗を拭い真剣だった。みんな夢中だった。物が溢れ選択肢が増えた今、子供たちの感覚はどうなのだろう。 私の描く究極の教室風景は、生徒たちが自由に教室を移動、散策し、学ぶことのできる、フリー学習タイムを設けることだ。校庭で遊具を移動するような、刺激ある学びの仕掛け。あの頃の私の感覚がこの教室の知恵と一体になって芽生えていく。現実では限りなく不可能に近いことを書いているが、もし実現できるのなら、教室の隅の隅にテーブルサイズの砂場をそっと置きたいと思っている。そしてそこには小さな山を築きたい。 我が教室の永遠のシンボルとして。
2006.05.10
私の教室の生徒は、私が一番よく知っている。 バカな塾長はそう思っている。 他の先生方のブログには大変参考になる言葉があるが、私は自分の指導を曲げようとは思わない。私の考えや行動の血肉は子供たちの表情であり、動作であり、言葉である。子供たちが今どういう状態で何を考え、何に悩み、何を求めているか。私は常にそれを考え、自分の四肢を使いながら未来への道を説いていく。何も大それたことを言っているのではない。判を押したような指導の理想論を押し付けるのではなく、末端である子供との接点を大切にすることがすべての根本と思うからだ。子供たちが必要としているものは100%そこにある。100%である。一人ひとりベクトルはばらばらだが、課題はその接点の波打ち際にうごめいている。そう信じ、毎日観察し、言葉を掛けていく。 塾の使命は生徒の学力を上げること。もう聞き飽きた。生徒は道具ではない。機械ではない。メンテナンスで機能が上がる? 塾は工場なのか。私は生徒に人格があるのなら、何よりもそこを第一に考える。成績を上げるには厳しく管理し、しかも山のような課題を与えていく必要があるとよく聞く。残念ながら私はそうは思わない。生徒には誇れる人格があり、資質があり、真っ赤な血潮が流れている。私は常に個人のフィールドに沿った展開を掘り下げて繰り返す。授業が解らなければ同じ内容を何度でも、何度でも。そこに締め切りはない。何度でも執念で反復する。 テストの点が悪ければ、居残り、追試、ぺナルティ。よくある光景だが、わが教室ではよほどのことがない限りやらない。合格点を設け、生徒の危機感と意欲を引き出す。確かにライン上の生徒には有効だが、末端の生徒には奇麗事ともいえる陳腐な手法だ。なぜなら何度やっても0点だからだ。私は0点を取る生徒の冷めた目を何度も見てきた。彼らに必要なのは追試でもぺナルティでもない、それは個に沿って解らせるまで教え続けていく講師のこだわりと汗でしかない。そして温かいぬくもりでしかない。 私が生徒のことを一番知っていると言うのは、対極的な能力を持つ様々な塾生たちに与えるべき手法を、抱えつつ分析できる唯一の立場だからである。その手法は多岐にわたり、決してマニュアル通りにはいかない。山のような課題は私の方にあり、その一つひとつを剥ぎ取って子供たちに与えていく。成果の見えない地道な作業である。解らない、いくらやっても解ってくれない。だが、いま目の前にあるものを攻略できずに先には進めないのだ。まるで障害物競走のような授業。気が付くと1ヶ月もパン食い競争だけを続けている。 勉強法の本は語る。知識の定着は、演習の反復により培われるものだ。その通りだろう。ではすべてがその一般論で片付けられるのか。指導の現場には様々な子供たちがいて、様々な輝きを放っている。いつか触れた、原石の輝きである。私はその光を消さずに守ってあげたい。当たり前のことが普通にできる子がいれば、その陰にはできない子もいるのだ。いつも同じ子供が手元からこぼれていく。全員の中で比較している限り、物語は繰り返されるだろう。教室では塾の理想にも方針にもに追いつけない子供たちが必ずいる。強がりながらも必死にもがき、泣いている。塾は工程に沿ってノルマをこなす工場ではない。一律に知識を植えつける機械でもない。そのことを敢えて言いたい。
2006.05.07
『水を張った水槽に50円玉が沈んでいる。手を濡らさずに取るにはどうすればいいか?』 息抜きに子供たちに質問したことがある。 こんな答えが返ってきた。●大きいビ二ール袋に手を入れて取る・・・・正統派。でもつまらない。●ゴム手袋を使う・・・・これも同じだ。●針金や釣り針で引っ掛けて取る・・・・この答えが来るだろうと思ってわざと穴の開いたコインにした。戦略に引っかかった時点でNGだね。●ポンプで水を抜いてから取る・・・・確かに水がなくなればいいが、一般的な道具すぎる。●底に穴を開けて水を抜いて取る・・・・まだこっちの方が発想としては面白い。●足で取る・・・・いいね。屁理屈っぽい意見は好きだ。●ひっくり返す・・・・誰かが言うと思ったが、普段おとなしい無口な生徒だったので驚いた。●箸で取る・・・・平凡なんだけど、私の想定外だったのでよし。●破壊する・・・・うーん、素晴らしい。確かに一番手っ取り早いか。●他人に取ってもらう・・・・最高! ガチガチの発想では出てこないね。 何のことはない、つまらない話題だ。私は別に彼らの発想を試そうとしたわけではない。性格判断をしたわけでもない。たまに砕けた話題を与え、笑いの雰囲気を仕掛けてあげると、子供たちの眼が輝いてくるからだ。思っていることを引き出してあげるタイミングは山のようにあるが、我々は得てして自分のペースで授業を進めがち。講師はノルマや自分の授業イメージを全うしようとする。生徒たちはリズムがつかめずに集中が切れそうだ。表情を観察し、間を取り、波長を合わせていく必要がある。 私が時おり妙な話題で脱線するのは、その波長を大切にしたいからだ。新幹線よりも各駅停車でいてあげたい。生徒を一まとめにして突っ走ることは簡単だが、彼らの集中力はみな違う。テストで比較され、さらに集中力まで比較、評価される彼ら。授業は苦痛であってはならない。各駅でじっくり景色を楽しみ、駅弁を食べ、一つ一つ集中しながら学んでいこう。新幹線の指定席で眠っていても新しい発見はない。子供たちの眼の輝きは、ほんの身近なところにある。つまらない話題もたまにはいいだろう。わが生徒よ。
2006.05.05
成績が伸びてこない生徒を一題。 正規授業、対策授業、補習とすべてに共通しているのだが、終了と言っていないのにテキストを閉じ、プリントを折り、片付けを始める生徒。中には私がまだ解説をしているのに、すべてカバンにしまい込み、机は綺麗さっぱりという生徒もいる。時計は定時1分前。一人がやると連鎖的に他の生徒もつられ、そろって帰宅モードに入ろうとする。終了間際は今日の重点を再度解説し、宿題や連絡を告げる最も大切な時。背中が騒がしい。笑い声がする。その後、私がどうするかもうお分かりだろう。定時30分後、こいつらはげっそりした表情で帰宅することになる。 終了前に片付けるということは、「もういいよ、帰りたい」ということを態度で示すこと。やる気がないのか、甘えているのか、自分で授業の起承転結を勝手に考え、線を引き、終了の合図を出している。学校でもきっと同じだろう。今教わっているのは誰だ。終了を判断するのは誰だ。ほんの限られた時間さえものにできない、いや、しようとしない生徒は絶対伸びない。
2006.05.03
生徒たちの視界には無限の宝がある。 我々が普段見ている教室の風景。下駄箱、机、椅子、壁の日本地図も時計も、何一ついつもと変わらないこの風景。我々はその中で今日も同じ業務を準えている。来る日も来る日も、当たり前のように生徒を迎え、当たり前のように授業をし、当たり前のように笑い、怒り、励まし、生徒を送り出してきた。何の疑問もない毎日。雨の日も寒い日も無意識にいつもの空気が創られていく。これでいいのだろうか。疑問を持ち始めたのは半年ほど前だった。 我々がいつも見下ろしている足元の光景。果たして生徒たちの眼にはどう映っているのか。素朴な疑問だった。椅子を転がし座ったまま教室中を回った。床近くの小さな物が大きく見えた。机の落書き跡、消しゴムのカス。植木は枝葉よりもむしろ鉢に眼が映った。パーテーションが棚が白板がやたら高く見えた。連絡ボードも壁時計も視界の外だった。そして何よりも光景が硬質で陳腐だった。生徒の視野に映る光景を意識し始めたのはそれからだ。ここは生徒のための教室。生徒にとっての楽園でありたい。 その後半年間、生徒の普段の様子を観察し続けた。視線はどこにあるか、何に夢中になっているか。そのイメージと思考を結論付けるべく、この連休である試みを実行している。机の配置を動かし、導線に変化をつけた。斜めに仕切ったブース。入り組んだ通路。タブーともいえる三角配置の机。そしてコミュニティ的な空間を設け、仕掛けと刺激を散りばめ、連絡ボードは足元から50センチの位置にまで下げた。教室の中央には2.6メートルの天井に届く巨大な植物を置き、周囲を通路と柵で囲んだ。見上げる子供たち。その眼には、我々よりもはるかに巨大に映っているだろう。こいつには生徒から名前を募集する予定だ。 コミュニティの空間は個人的に『広場』と呼んでいる。教務用の白板を設置し、情報や雑学を掲示した。3Dを貼りクイズ形式にしたところ、みな夢中になって見ている。この空間にはぬいぐるみから、科学実験道具(試験管・試験管立て・フラスコ・蒸発皿・アルコールランプ他)、絵本、辞書、鯉のぼり(季節柄)、知育玩具、合格鉢巻き、世界地図、ドラえもんからドラゴン桜まである。カーネーションを飾り、「勉強頑張ってお母さんに感謝しよう」とコメントを添えた。生徒も見ていたようだ。また落書きボードを独立して設置したが、案の定入れ替わり立ち代りすごい書き込みで、たった2日で早くも人気アイテムになっている。 今回の演出はまだ第一段階で、この連休でさらに手を加え動かす。生徒たちの視野の中にアイテムを山のように開拓したい。顕微鏡、くじ引き、TVモニター、覗き穴、CD、衣類、アウトドア用具、切手、蓄音機、岩石標本、計量器、クイズ、楽譜、写真、昔の道具、ヒット曲の歌詞。まるで博物館のような発見と刺激と、これでもかというくらいワクワクする感覚を子供たちに与えたい。私が描く形は、彼らの視界の中でゆっくりと躍動していくだろうか。彼らの視界や視点に宝があるのなら、まずそこを演出してあげよう。そして知を刺激し、意欲的に学べる時空へ導いてあげよう。 また次も来てみたくなる教室。淀んだ空気ではなく、活気に満ちた光とともに学べる空間。少し手を加えたこの2日間。確かに生徒の眼は輝き、流れが変わった。課題はその流れをどう学習に転換させるかだ。どこまで辿り着けるか、私は旧い自分の常識を捨てようと思う。学習への意識が高まり、明日の活力になれる教室を完成させるまで、学びの根本である環境を、この器を、生徒たちの視界に沿って破壊しようと思う。果たして、どこにもない、どんな塾になるか。
2006.05.02
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