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私が子供の頃、テレビ番組の選択権はほとんど親が持っていた。 親が決めた番組を、おこぼれをもらうように見ていた。 時代劇、ドラマ、ニュース、どれも子供にはよく分からない大人の世界だった。 楽しめたのは、父がよく見ていたプロ野球と歌番組ぐらいだろうか。 小学校高学年になったあたりで、テレビには子供向け番組が一気に増えた。 特に夜7時から8時の間は、子供たちが夢中になる番組の宝庫だった。 我が家でも見ることが許され、マンガや特撮ヒーローもの、スポコンものなどを、画面にかじりついて見ていた。 よく親に「もっと離れて見なさい」と言われたものだ。 あれから30数年が経つ。 テレビの内容も技術も役割も変わった。 今の複雑でカラフルな番組に子供たちはどう接しているのだろう。 バラエティ番組やスポーツなど、食事をしながら観る家庭も多いだろうが、一つ一つの内容をみてみると、最近の番組は記憶に残っていかない浪費の印象が強い。 昔の番組には「定時に起こる不思議の扉」という感覚があった。 時間までに食事を済ませ、ブラウン管の前にみんな釘付けになったものだ。 知らない世界が、情報が、刺激的でワクワクする映像が、言葉が山のように飛び出てきた。 翌日学校ではその話題が飛び交い、見ることが決められた日課のようになった。 そのお約束の時間は、今思えば私たちが考え成長していく、大切な学習の一環だったのかも知れない。 今の子供たちは、テレビは生活の一部という感覚だろう。 つけっぱなしでも違和感がない。BGMのようにどんどん流れていく。 番組も短命で下らないものが当然のようになった。 2時間でチャンネルを何回替えるだろう。 収穫のない番組ばかり無意識に目で追い続け、何か見たような気になっている。 無駄な時間である。 もっと見るべきものを選択すべきだと思う。 不作の時間は消しておけばいい。 そして何よりも、親がもっと番組選択の権限を行使すべきだと思う。 安易に子供に自由を与えてはいけない。特に小学生の場合は刺激への配慮も必要だろう。 昔と違い、過激なものが平気で氾濫している時代なのだ。 ニュースを見ないから、世の中が分からない。 ドキュメンタリーを見ないから、人の生き様が、大切なものが伝わっていかない。 画面を見てゲラゲラ笑うのも結構だが、時として親がテレビを「考えさせる媒体」に操作していくことも必要だ。 世の中が、歴史が、科学が、常識が分からないというのは、親の責任でもある。 番組を通じてもっともっと我が子と語って欲しい。 1日は防災の日。 学校では避難訓練が行われ、テレビでも何かしらの特番があるだろう。 なぜ防災の日なのか、語り合うチャンスでもある。 特番を通じ、命の大切さを学び、地震のメカニズムを学び、防災への意識を高める。 1から5へ、10へ発展させていけるコミュニケーション。 親がそういった意識を持てるか、それとも芸人の下ネタでゲラゲラ笑っているか。 私はそんなところに親業の本質があるように思えてならない。 最近は言葉や日本語の番組が多い。 クイズ番組もかなりある。 秋の改編でどうなるか分からないが、こういう番組はどんどん見るべきだろう。 教育上プラスはあってもマイナスはない。 私の家でもよく見る。ビデオに撮って後日に見ることもある。 パズルや図形、数学の問題などでは、いつも紙とペンが飛び交う。 私自身も、私の子供たちも、そういう雰囲気で育ってきたので、それが自然になっているのだ。 明日1日、「高校生クイズ」が放映される。 お勧めの番組である。ぜひビデオに撮り、日曜などに家族みんなで揃って見て欲しい。 知性と、若いパワーと、友情のドラマ。 昨年に続き息子の高校が参加していて、今回は友達が回答者ということらしいので私も見てみたい。 結果は高校経由の情報で既に知っているが。 最後にひとつ。 「□いアタマを○くする」という中吊りがあるが、いい大人になると、こういったものに興味を持つものだ。 そしてひとり解答して、ほくそえむ。 でも私にしてみれば、初めから四角くしなければいいのにと思う。 それこそ子供の頃からの学びの環境が大きな影響を持つだろう。 家庭での「知」という刺激の与え方。 親が何を仕向けるかで、子供は無数のインジケーターの針を動かすのである。 能力とは、成長過程で経験値を自ら操作していける力なのだと思う。 その経験値は親が与えるものだ。
2006.08.31
長い夏休みが終わり、期待に満ちた2学期へと移行する。 わが教室は、夏休み期間も平常授業を行っているので、9月になっても授業の流れに大きな変化はない。 夏期講習は今日で終了。都合28日、連日8時間枠の厳しい行程だった。 今回は私自身のコマも多く、ハードだった。 夜の授業もあり、ここのところ睡眠もろくに取れていない。 朝7時前に起き、8時過ぎに教室に着き、9時半から12時半まで夏期講習。 昼休憩1時間をはさみ、午後1時半から6時半まで夏期講習の午後部。 休みなく平常授業に突入し、夜10時ごろ終了。 その後残務処理をし、帰宅するのは11時半頃。 食事をし、ブログを開き、寝るのは新聞配達が動き出す午前4時近く。 考えてみれば、週のうち6日間は3時間しか寝ていない。 朝起きる時、脚の疲れが取れず、張ってしょうがない時もあったが、もう慣れた。 スケジュール外の来客対応、面談、補習、テストの採点、掲示物作成、経理事務などもこの中でこなしてきた。 サブが欲しいと思う時もあるが、本物の自由は独りだからこそあるのだと思い奮闘している。 朝教室に向かう時、近くの商店はまだみんな閉まっている。 そして帰る時にはすでに閉店となっている商店を横目で見ながら、明日も頑張ろうと思う。 生徒たちが自習に来る。 笑顔を見せてくれる。 すべての源がそこにある。 明日も授業があるが、カギを開けるのは久し振りの11時過ぎだ。 午前中は自分の時間にあてたいところだが、そうもいかない。 銀行、買い物と、予定に溢れている。来客2件、昼には生徒の自習の予約も入った。 さあ、もう少し。生徒たちの頑張りに応え、教室を走り回ろう。 明日は宿題作成の最終日。 何だかゾロゾロ自習生が集まりそうだな。 まだまだ夏の雰囲気は続く。 この教室はそんな慌しいみんなの姿が似合う。
2006.08.30
私は次の法則をよく生徒に語っている。 『5×50ではなく、50×5の練習を実践してみなさい』 例えば英単語50語を覚える時、ノートに単語を5回ずつ書きながら進めていく方法がある。 学校の指導や、塾でのぺナルティなどによく見られるやり方だ。 繰り返し書くことで筆記を正確に定着させようというのだろうが、私はこのやり方を絶対するなと生徒に言っている。 このやり方の弱点は、対象となる語句が多くなればなるほど、効果はどんどん薄くなる点にある。 恐らく20語を越えたあたりで、最初の方で書いた単語の記憶が怪しくなるはずだ。 これが50、100と量が増えるとどうなるか。 本人はやった気になっているのだろうが、苦労と時間の浪費だけで、ほとんど頭には残っていない。 何故だろう。 実はこのやり方は反復演習ではなく、単なる一方通行に過ぎないからだ。 反復し、定着へと持っていく手段がいけない。 私が勧めるのは、5回ずつの一方通行ではなく、「まず1回ずつ書き、それを5往復する」というやり方だ。 11111、22222、33333・・・・5050505050ではなく、123456789・・・・50を5回戦行う。 素直に考えてみて欲しい。 ある長い詩を覚える時に、1行ずつ5回暗唱しながらじっくり頭に入れようとするだろうか。 まず詩を一通り読み、そして何度も全体を反復しながら覚えていくのではないか。 繰り返しているうちに、やがて自然と頭に入っていくものだろう。 CDを聴く時に、全曲きっちり5回ずつ聴いて進んでいく人はいないだろう。 まず1回ずつ流し、再度全体をリピートしながら、自然と曲順を覚えていくのではないか。 機械的に暗記する場合も同じだと私は思っている。 効率の良い暗記には、覚える項目の信号を定期的に脳に送り込むという作業が必要だ。 5回×50種のやり方は、一方通行なので反復が一切ない。 信号は集中的に送られるが、それっきりだ。 50種×5回の方法では、全項目の信号を見事に等間隔で脳に送り込むことが出来る。 本来の反復の姿である。 50×5の方法の利点は他にもある。 例えば50×3までやって理解できたものを削除していく方法。 4回戦目は50が30になっているかも知れない。 5回戦目は20になっているかも知れない。 この消去法という行為は、暗記には絶対必要なテクニックのひとつだろう。 以前、漢字の練習方法について書いたことがあるが、漢字学習についてもやはり50×5の方法が当てはまる。 200語の漢字を書けるようにするにはどうすればいいか。 ノートに5回ずつびっしり書いていくのが5回×50種のやり方。この場合は5×200となる。 さあどうだろう。このやり方で200種まで行って、初めの方の漢字を覚えているだろうか。 何があったかすら記憶にないのではないか。 みんなよくやる方法だが、私は少なくともこのやり方では永久に暗記征服はできないと思っている。 そもそも途中で挫折するはずだ。 私なら200種×5回の方法を実践する。 そしてやはり消去法で数を減らしていくだろう。 数が減れば5回ではなくもっと反復することも可能だ。 例えばこんな風になる。 200×2→140×1→100×1→70×1→45×1→30×1→20×1。 8回戦やることになるが、5×200で1000回書くよりは圧倒的に書く回数は減る。 そして何よりも効率がいい。ダメなものを繰り返し演習でき、比較にならない高い定着率が期待できる。 暗記には手法があるが、この50×5の方法は私が実際に行い、効果があったものだ。 いくらやっても頭に残らない。 書いても書いても忘れていく。 果たして君のやり方は、科学的に考えた正しい反復が行われているだろうか。 elementary、 elementary、 elementary、 elementary、 elementary・・・・・ などと、ノートに書きまくってないだろうか。 勉強の秋に向けて、一度、法則を見直してみよう。
2006.08.29
今日から塾内の模擬試験が始まった。 偏差値の出る全国模試。問題のレベルも高い。 今回は小3から中3まで、全員が受験する。 答案は嘘をつかない。 日頃の努力、この夏の成果が、その紙面に見事に表れるだろう。 中1女子4人組。みんなやる気満々だ。定時より早く来て、テスト用紙をくださいと言ってきた。 普通は「ヤバイよー」とか「えーっ、テスト~?」とかウダウダ言うもんだが、この子たちの気合いには、そんなものを超越した凄まじさがある。 試験中は巡回しながら様子を観察するが、この子たちは制限時間を待たずに答案がどんどん埋まっていく。 採点は業者に委ねるが、結果が楽しみだ。終了後、模範解答と照合し、「2問間違えた」などというレベルの高い会話も聞こえた。 中3はみんなやや疲れた印象。 模試の経験は豊富なので、さすがに試験中の集中力は素晴らしい。 問題の難易についての言葉もなく、淡々と解いていた。 そろそろ自己との闘いを感じ始めたのか、文句を言っても始まらないことを悟ったか。 中3のみ、理社を別日程で実施するが、最後まで失速せずに踏ん張って欲しい。私が見る限り、理社はさほど難しくないと言っておこう。 問題は中2のメンバーだ。 今日の男子3名は遅刻なく揃ったが、やはり到達度についての課題は隠せない。 試験時間があと10分になっても、答案の半分は空欄だ。埋まっているのは記号ばかりで、記述部分の大半は手を付けていない。 日頃の学習と言うよりも、この夏、一体何をやり何を征服してきたのか。 その成果が、苦労の重みが、今、目の前の答案に反映されているのだ。 「分からない・・・」と頭を抱えているお前、答案を埋められない悔しさを感じたのなら、今日からもっと自分に投資してみよう。 こういう成果発表の場が来る度に恥をかくのは自分だぞ。 明日は小学生を含め、今日の倍近くの生徒が受験する。 何度も生徒たちの試験に立ち会ってきて思うのは、最後まで諦めずに真剣に向き合う者には結果も伴うということだ。 問題用紙に落書きをしているお前。 100点なんだろうな。 5回以上見直ししたんだろうな。 余裕におぼれて甘く見てるやつ。頭を使わずにすぐ諦めてしまうやつ。 時間を大切にし、それを勝利の切り札としない限り、いつまでも中途半端な結果しか出せないということを知っておけよ。 席から時計が見えないと言うお前。 だったら家から腕時計持って来い。 今日が試験ということを知っていて、どういう行動に出れるか。 甘えるんじゃない。 そういった細かい意識の差が結果に表れるのだ。 答案はすべての魂の結晶なのだ。
2006.08.28
中3受験生の『理社・一問一答』を作成している。 基礎編、発展編の2段階構成で、チェックテストをクリアした者を合格とする。 まずは基礎編、理社各100問。それぞれ正答率90%で発展編に進めるとする。 基準が甘いが、その代わり「漢字用語はすべて漢字で書く」「基礎編のミスは、発展編に加えて再トライしてもらう」という条件を付ける。 漢字筆記に関しては、受験生の苦手とするところだ。 先日の夏の特講でも用語の書き取りチェックをしたが、あまりにもひどい結果で、生徒たちにも危機感が芽生えつつある。 こんな状況だ。 扇状地→戦上地・戦場地、 酪農→楽脳・楽農・蓄農、 青函トンネル→生官トンネル、 白神山地→白神三地、 本初子午線→本諸午後線、 租庸調→素陽朝、 壬申の乱→仁人の乱・任甲の乱、 防人→先盛・先守、 寝殿造→神伝造・新田作、 執権→失権・湿権、 六波羅探題→六原短大、 惣→宗・倉・総、 蔵屋敷→倉屋式、 百姓一揆→百性一気、 本居宣長→本織信長、 廃藩置県→配藩地県、 福沢諭吉→福沢輪吉、 板垣退助→坂垣大助・板垣大介、 徴兵令→長兵令、 辛亥革命→信害革命、 五箇条の御誓文→五ヶ条の御成門・五ヶ条の五正門 ああ・・・めまいが・・・・ 受験のカウントダウンに入った中3生である。 相変わらずやってるな。 意味すら解っていない。なぜ「楽脳」「先盛」「湿権」「配藩地県」「百性一気」などが出てくるのか。 自分が書いたものがあったら、真剣に反省せよ。 普段から「かな交じり用語」でごまかしてきた結果だろう。 理科はやっていないが、全体チェックと正しい定着の必要性を強く感じた。 「理社・一問一答」は、9月下旬の祝日あたりに実施する予定だ。 その日には「英単語」か「漢字」の第二弾も実施する予定なので、カンヅメ特訓となるだろう。 体育祭の練習で忙しい? 疲れて勉強出来ない? 理由にならん。
2006.08.27
文章を書くのが苦手という生徒が多すぎる。 普段から書かずに娯楽やメールに没頭しているからそうなるのだ。 社会や理科の短文記述の問題では、そこだけ空欄のまま飛ばされ、解答用紙を埋めようとしない。いや、埋められないのだ。 以前は「先生、これダメですか?」と、自分の書いた答えの確認をしてくる生徒が結構いたが、最近はそれも減った。 よくよく見ると、やはり空欄のまま答え合わせに臨んでいるケースが圧倒的に多い。 記述問題は配点が高い。 また、書けば部分点がもらえる場合もある。 書かなければ×だろうと説明しても中々うまく書けないようだ。 とにかく書いてみろと指示したら、枠の3倍もの長さの長文を、話し言葉のように延々と書き綴った者もいた。 私がよく生徒に言うのは、「問われていることに対し、的確に直球で答えよ」ということだ。 不要な修飾語はできるだけ削る。 「簡単に記せ」というのならば、その通りに「簡単に記せ」ばいいのだ。 理由を聞かれたら「~だから」「~なため」という語尾にする。 設問の条件にさえ合っていれば、意外と点はもらえるのである。 毎年、高校入試用の記述問題対策リストを作るが、いわゆる「ベタ問題」だけでも模範解答を丸暗記しておくとかなり有利だ。 類似問題は、その解答を軸に、切り口と表現を微妙に変えればいい。 多数の問題に触れていくと、問われる部分や設問のパターンが見えてくることがある。 「柔毛にある無数のヒダの役割」 「九州や東北にIC工場が立地している理由」 「炭酸水素ナトリウムの加熱実験で試験管の先端を上げておく理由」 それぞれのテーマで必ず登場する記述問題だ。 まずはこういった超ベタを征服し、自分なりにリストを作ることが大切だろう。 今年もいよいよ記述対策の時期。 少し早めに始めて、しっかり定着させようか。 いま教室全体で漢字に取り組んでいる。 これは記述のために役立つ作業なのだということも、ぜひ認識して欲しい。
2006.08.26
ある課題が与えられた時、次のどちらを思うかによって結果は既に決まっている。 「無理、絶対無理、出来っこないって」 「出来る、とにかくやってみよう、絶対出来るって」 伸びない生徒の場合は、その殆どが前者のように『絶対出来ない』というNOのサインで壁を作ってしまう。 「来週までにこのページの単語20語を覚えてくること」 「○○というテーマで条件作文を書いてきなさい」 「今日の計算プリント3枚、繰り返し見ておくこと。来週テストするよ」 いずれも「無理」という言葉が返ってくる。そして「時間がない」という。 以前に、「そんなことしてる暇がない」と言った生徒がいたので、「そんなこと? へえ、そんなどうでもいいことなのか? じゃあお前は、そんなどうでもいいことすら出来ない、どうでもいいヤツってことだな」と、説教したことがある。 やる気のない生徒の典型だが、こういう生徒は、つまらないことやかったるいことは拒否し、必ず保身に回ろうとする。 塾に何をしに来ているのか。 解らないから学びに来ているのではないのか。 指導を受け、指示されるのがいやだったら、家で「無理じゃないこと」をしていればいい。 数日前にも書いたが、こういう生徒はいつまで経っても伸びないだろう。 何かにトライする時には意欲が大切だというが、意欲などなくてもやり抜くことは出来る。 場を設定し、やらずにはいられない状況に持っていけば、みんなやる。 ただし、結果を慎重に扱わないといけない。 みんなやっているとはいっても、その時の生徒間のモチベーションにはもの凄い開きがある。 「やるぞー!!」というレベルから「ウザくて死にそう」というレベルまでを、同一に扱うことはできない。 ただ結果に関しては、むしろ意欲のない生徒の方がプラスイメージを導きやすい。 どうせダメだと嫌々やってみたら、意外に結構できて、うまく次に繋がっていくことがある。 「無理」と言いつつも色々とやらせてみることは、可能性を拾い上げるためにも大切な行為だろう。 逆に意欲のある生徒の場合は、うまくいかなかった時の挫折や士気の低下が怖い。 過去の達成の明示や、他者との比較など、「お前はこれだけ頑張ってるんだぞ」という意識付けをうまく与えていくことも大切だと思う。 本題に戻ろう。 「できる」と思うか「できない」と思うか。 これは別に学びの世界だけでなく、あらゆるものに共通する自律観の最たるものだ。 社会人でも、「これを明日までにまとめなくてはならない」「○時までに入力しなくては」、昇格人事を受けた、上司に大役を任された、営業のノルマがある、みんな「できない」と思ったら絶対に出来ない。 大人になるとそれをやり遂げて当たり前になり、やり遂げるという前提での工夫が生まれてくる。 人間関係、スポーツ、健康管理、あらゆる面で「できる」という思考は、上達・達成・成功へと繋がる一連のの可能性を高めてくれる。 体操の選手も生まれた時から跳び箱が跳べたわけではない。 ダイエットも禁煙も英会話も、初めから無理と確信して始める人はいないだろう。 何でも「よし、できる」「やるぞ」という期待の一歩があるはずだ。 以前読んだ本に興味深いことが書いてあった。 子育ての時に親が子供にどう語りかけるかで、子供の将来の何割かが決まるというような内容だった。 「お前は天才だ」「お前は医者になる」「お前は何でもできる」「お前は凄い才能を持っている」というような語りかけを幼少の頃から繰り返していると、本当にそのイメージに近い大人に育っていくという。 「お前はすごい」と何度も聞かされ育ってきた子は、自然に「俺はすごいんだ」と思えるようになるのだろう。 その逆は言うまでもない。 大切なのは《自分がそう思う》ということで、周囲はそう思わせるための環境に過ぎない点だ。 塾で我々が意欲を持ち上げるために《ほめる》という行為をするが、褒められた子供の意欲がどこまで上がったかは未知数である。 だから我々がいくら「できる」「やればできる」と言っても、子供たちの頭で自分から「できる」と思わない限り、効果は薄いだろう。 ただ、意識付けができる環境として、塾の語りかけは契機になる可能性が高いと思える。 難しいだろうが、生徒たちにはぜひ「私はできる」という暗示を自分に掛けてみてもらいたい。 わが教室の漢字コンテストで、最初「無理」と言って10点程度しか取れなかった生徒が、追試で96点、98点と取ってくる。 これは「できる」ことの証明である。 あとで生徒に聞くと、絶対に合格してやると必死にがんばったという。 「できる」と思うことによって導かれた成功例だろう。
2006.08.25
夏休みもあと1週間 計画達成度は どの程度だろうか 連日の部活に燃え 真っ黒に日焼けした者 後回しにしていた宿題に追われ 必死になっている者 勉強の疲れか 遊びの疲れか 何だか元気のない者 夏の思い出をいっぱい抱え 語りかけてくる とにかく元気な者 青春だなぁ と思う それぞれの40日 それぞれの960時間 それぞれの57600分 毎日のフィルムを 価値ある記録として残しておけよ あと1週間 最後にどんな大きな仕事ができるか 毎年 空気が張り詰め 意地を見せてくれるこの期間 今年もいよいよ始まったようだ 君たちの世代にとって 夏の忘れ物は なぜか絵になる 大人になって振り返る時 そこにはどんな色の記録があるか 辛いことも 失敗も 挫折も みんなその後の人生の 下書きのようなもの 忘れたら描こう そして色を塗ろう 絵の具を一本ずつ まるごと使い 思いっ切り好きな色で塗り込もう きっと誰にも邪魔されない 君だけの世界 宝のような記録とは ありふれた日常の中にじっと潜んでいる 君だけの光 やり残したことをもう一度探し 今年のアルバムに しっかり刻んでおきなさい 後悔するなよ 太陽がある限り 新しい朝が またやって来る 歩きながら 空気を吸い 語り合い 無限の力を感じてみよう きっと 今の自分がいかにちっぽけなものであり 何をすべきかが見えてくるだろう 夢の大きさも実現も すでに君の頭の中にある道具が語っている 明日の視野に描ききってみよう 夏の忘れ物とともに ゆっくりと 筆を動かし 先生は 君たちの集合写真をイメージし そっと しまっておこう 誰が どの位置で どんな格好で どんな表情でいるか それは先生だけの夏の思い出だ
2006.08.24
わが教室には本当に様々な生徒がいるが、みんな素晴らしい物を持ったいいやつだ。 みんな原石のような秘めた力を持っている。 塾というものは、どうしても学力が比較クローズアップされてしまう。 でも、表面に数字として出て来ない「ひた向きな行為」「地味な努力」「陰の頑張り」といったものを私は評価したい。 それらは、結果に繋がっていく過程で避けられない行為であろう。 また、学習を継続していく上で、困難や苦しみに対する免疫力を付ける意味でも大切だ。 わが教室は、生徒みんながくつろげる場所でありたい。 そして同時に、刺激に満ちた学べる空間でありたい。 営みを大切にし、行為に自信と誇りを持ち、一緒に悦びを発見していこう。 みんなのために、いつも此処で待っている。 教室に色を添えるのは君たちだ。
2006.08.23
知識をいっぱい持つということは、可能性がそれだけ高まるということだ。 知らないから解けない。 だったら知ってしまえばいい。 この単純なゲームに気付かない生徒が非常に多い。 社会科が分からない。 ならば一問一答を鬼のように繰り返し、1000問制覇してみろ。 要領のいい勉強はあるかも知れないが、楽して結果だけが得られる勉強などない。 学びというものは、苦労し、模索し、汗をかき、恥を経験し、やがて形になっていくもの。 分からないのなら、分かるまで反復し、分かってしまえばいい。 何を甘えている。 お前の努力は限界なのか。 涙が枯れるまで苦しんでいるのか。 自問自答してみよう。 解けない理由は何だ。 知らないからだろう。 練習が足りないからだろう。 だったら、うだうだ言う前に知ってしまえよ。 知識量はお前の可能性そのものであり、必ず結果に繋がっていく。 100の知識と5000の知識。 勝負をしたときどっちが強い。 分かっているのなら、今から始めなさい。 毎日追いつき追い越されていく、この単純なゲーム。 いつまでやらずに吠えている醜態をさらす気か。 さあ、やるか、やらないか。 自分はどうあれ、時計は常に動いている。
2006.08.22
長いこと塾をやっていると、色々なことがある。 「塾が意図しているもの」と「生徒の捉え方」のズレ。 よくあることだが、最近はその「ズレ」が表面化した時には手遅れというケースが多くなった。 塾は生徒のためを思い、「個」に根ざした指導を模索する。 生徒のリアルタイムでのニーズを聴取し、一方的ではない生徒に沿った工夫が盛り込まれていく。 「私、これやりたい」 「でも今日はこっちをやっるよ。計画に沿って進めないと」 「私、これやりたい」 「そうか、じゃあ今日はそれを一緒に見ていこうか」 生徒が取り組みたい、生徒の教えて欲しいテーマを探していくと、どうしても後者の色が強くなる。 定期試験直前では当たり前の流れだが、その手順と配分に計画性がないと、危険な脈絡のない授業に嵌ってしまう恐れがある。 今回は、後者のやり方が当たり前になってしまったあるクラスのケースだ。 結果として破綻した。 今日ある生徒が授業に出たくないと欠席した。 仲間がみなバラバラの取り組みをしており、その環境下では、指導を受けたい自分にとって参加する意味がないという。 このクラスはもともと数学のクラスなのだが、講師の計らいで他の教科の面倒も見ていた。 そのフォローという作業に一定のラインを引いておけばよかったのだが、徐々に線引きが曖昧になり、学校の宿題や提出物をやりたければ自由にできるという環境だったという。 もちろんその個人の取り組みを通じ、個別で見てあげ、理解させるための指導はしていたのだが。 この生徒も提出物をよく持ってきてやっていたというが、結局、仲間を含めた生徒全員の甘えと講師の甘さが生んだ結末である。 宿題類など、家でやるか塾に早く来て処理すべきものだ。授業は教科に沿ったすべき内容をしっかりこなさなくてはならない。 時間がない、疲れた、明日提出だ。みんなよく言うが、完全な甘えである。 塾で出来るから、その時やればいい。 家で終わらせるべきものが、いつの間にか持ち込まれるようになっている。 その課題の消化と理解も指導の一環と捉えるかどうか。 私などは一切許さないが、中には真剣に見てあげている講師もいる。 学校の成績に係わるからである。 授業スタイルが一斉指導ならば、こんなに楽なことはない。 同一問題を解かせ、まとめて解説し、どんどん進めていけばいい。 だが生徒の理解度はみな違う。 だから「個」を重視した、生徒ごとのすべきことを模索した授業が存在する。 「今したいこと」「今訊きたいこと」「今すべきこと」はその流れを汲んだ作業の発露でもある。 生徒オンリーの指導だけでは限界がある。 今回のケースは、指導側のカリキュラム運営に問題があった。 「見てあげること」と「導くこと」は根本的に違う。 塾の本業はカウンセラーではない。 むしろドクターに近いものだろう。 だから趣意に沿った計画的な治療と、処方箋が必要なのだ。 生徒のために尽くしても、その意図が正しく伝わらない。 講師は悩む前に、自分を律するべきなのだろう。 生徒に迎合してはいけない。いかに塾主導型のスタイルが大切か。 生徒主体の自由は、行き着くところ本物の自由ではないのだ。 よき教訓を得たような気がする。 ただ残念なのは、その生徒がもうそのクラスには出ないということと、塾の指導内容がずれて伝わり、親御さんに誤解を生んでいるということだ。 「すべき教科をやらない、それを教えてくれない授業には出る意味がない。解らないから通わせているのであって、それを解るように教えるのが塾ではないのか」 その通りであり、今までも充分個に対応した親身な指導をしてきた。 だが、飽くまでも「つもり」だったのだろうか。 生徒一人一人の学力や精神の状況を捉え、且つ、全体のバランスや雰囲気を取りまとめつつ、笑顔へと導いていかなくてはならない個別対応の限界。 堰を切ったように出てくる思いを押さえながら、電話口で言葉に詰まっていた。
2006.08.21
『漢字コンテスト』の2回目までの結果。 現在23名が合格している。 1回目20点、30点でも、2回目は96点、98点を取ってくる。 教室の雰囲気を、みんなの様子を感じてか、「やらないとまずい」という流れが全体を埋めている。 追加の速報値である。 ※敬称は男女とも「さん」で統一。 Mさん 52点→96点 合格 Sさん 66点→90点 合格 Sさん 74点→96点 合格 Sさん 86点→92点 合格 Yさん 72点→98点 合格 Sさん 58点→96点 合格 Oさん 32点→92点 合格 Yさん 46点→94点 合格 Tさん 52点→98点 合格 Hさん 58点→96点 合格 Mさん 8点→94点 合格 練習したからこの結果がある。 きっかけがなければ、練習などしないだろう。ならば、きっかけがいかに大事かということだ。 みんなやる気になれば力を発揮してくる。 3回目をやれば、恐らく100点が溢れるだろう。 結果は水曜日頃に掲示する。 そして近日中に問題を替え、第2弾を実施する予定でいる。 他にも、「理社一問一答」「英単語第2弾」「公式」「英会話表現」「慣用句・四字熟語」などを学年ごとに配当していく。 不合格者よ、早くスルーしないと追試で大変なことになるぞ。9月からは、毎週土曜日は追試デーとして設定していく。 前回の英単語も不合格者は見直しておくこと。 お前らは出来ないのではなく、やらないだけだ。 「無理」と言う前に、カッコいい結果を出してみろよ。能力を見せ付けてニヤリと笑うか、ヘタレになるか。 さあ、どっちを選ぶ。 週明けの明日、新たな課題を出そう。
2006.08.20
勉強に対して、私は二人の息子に色々なことをしてきた。 今思うととにかく厳しかったと思う。スケジュールを作り、教材を与え、こうすれば理解が早い、こうすれば点が取れると、中学の間は随分アドバイスと指導を与えてきた。 きっかけは長男の中学最初の中間テストで、学年9位の成績を見せられた時だ。 生徒数は200人。 家では特に勉強の虫になっているわけでもなく、むしろ殆ど勉強などしていなかったと言った方がいいくらいの状態。 そんな状態でのこの成績に、私にも興味があった。 後日、勉強の仕方を色々聞いてみると、改善すれば伸びるであろう点がいくつも見つかった。 強制はしたくなかった。 でも、息子にも仲間と競争し伸ばしたいという意欲があったので、少しずつ立ち会う時間が増えた。 その後の経緯を、今後このブログで触れていきたいと思っている。 勉強の目的について、家庭における雰囲気作りについて、方法論について、道具・時間・タイミングなどについての私の経験と考えを。 息子ももう高校3年と2年。 長男の高校は、今年、「高校生クイズ」(9月放送・収録済)で活躍したらしい。 次回、詳報。
2006.08.19
中3生よ 疲れたなら 自分の歩みを振り返ってみなさい 何かを探しながら いつも道に迷い 不安に怯えるように ここまでやってきたこと 眠い眼をこすり 夜のしじまに独りペンを走らせ いつの間にか眠ってしまったあの日 数え切れない知識の山が 記憶の流れの中で 今も手許にあるだろう それは誰でもない お前が集め 塗り込んできた大きな足跡だ 元気のないお前たちは じっと身構える小さな子供のよう 不安の淵で 気の遠くなるような階段をはるか見上げている 昨日も 今日も 目の前の一歩に壁があり いつもその次の姿が描ききれない お前は辛い表情で 小さな声で語る 自信のない夢の世界に紛れ込んだかのように 少年よ 少女よ 自分の歩みを振り返ってみなさい そして大きな眼で私を見つめ 語ってみなさい 眼の輝きを失うことは 自分の存在を見失うこと お前たちの行程は 複雑なルートが敷かれているが そこには歓びという帰結点が待っている 先達がみな 味気ない日々に染まりながら通っていったこの道 陽が差し 風が吹き 峻険な岩が立ちはだかり でも 抜け道は必ずある 疲れたら 自分の歩みを振り返ってみなさい 前だけを見ろとは言わない ここまでやってきた 数十万歩という勇気の重みを感じてみなさい それでいいんだ やがて枯葉の舞う季節 お前たちの魂は一つになり ゴールの見え始めた頂上を駆け抜ける 健気な姿を見届ける日が来るだろう 振り返るんだぞ 辛くても引き返すなよ 自分を信じ 仲間を大切にし この教室でいつもの笑顔を見せてみなさい きっと トンネルの先に素晴らしい光が待っている
2006.08.18
明日から2日間、中3受験生の『理社特講』を実施する。 集まった精鋭は10名。 やる気のある君たちに、私の指導の粋をお見せしたいと思う。 過去の問題を分析し、毎年指導してきた私の頭には、来年の入試に出題される「型」が既に見えている。 ここを覚えろ、ここがこう問われる、こう来たらこう答えろ。 これだけやっておけば偏差値55、ここまで制覇すれば偏差値60。 授業で、北辰対策で、定期試験対策で、何度も言ってきたが、その総括を明日からの2日で行う。 ただしいつも言うように、率先参加し、攻めること。 理社が苦手な者がいるのなら、恐れずに足らずと言っておこう。 私が言うことを100%理解すればいい。 その代わり厳しいぞ。 特訓の世界で、頭脳の限界に挑戦してもらう。 よそ見をしたり、とろとろしていたら、その都度偏差値が1下がると思え。 のんびりやってる暇はない。 今回はペースも速く、量も多い。 だが繰り返すが、これだけやっておけば、理社の95%は制覇できるというラインを提示する。 テープで録音してもいいぞ。 お母さんを連れてきて、見学させてもいいぞ。 どれだけものに出来るかで、後に信じられない大きな差が出るだろう。 君は私をどれだけ信じて、眼を輝かせるか。 明日午後1時。 私が教壇に立ち、見回した時の、君たちの最初の表情でそれが分かるだろう。 今回の特講にはいろいろシビアな仕掛けを考えている。 追加補講も当日発表する予定だ。 真剣にやらぬ者は、地獄の階段を下りることになるだろう。 遅刻するなよ。 より、げっそりした者ほど大きく伸びる。 受験生よ。 いい経験を味わって欲しい。
2006.08.17
『中期特別講座』が終了し、明日から夏期講習の後半戦に入る。 今週から夜の授業も始まっているので、連日、火の車だ。 毎年、夏期休暇の後半には、怠け癖、遊び癖のついた生徒が数名跋扈するが、今年もそれに近い生徒がやはりいる。 今年のターニングポイントは中2生だ。 彼らは、春からというよりは、中1の時からそのズレた意識をずっと抱えている。 やる気が全くない訳ではない。時に、すごい才を見せる時もある。 だが、追い込まれ、背中の火が怪しくなるまで決して動こうとしない。 ここ1年、花開く機会を見逃し、何度も才能の芽を捨ててきた。 残念である。 あることを学び、構築していくと、その場で音を立てて崩れていく。 また新たに築いては崩れ、リセットされていく。 思考についての体力が無いのだろうか。 学ぶという行為に対する免疫力が無いのだろうか。 もう少しなのに。 もう少し踏み込めば、大切な何かを掴めるのに。 汗が気持ちよくなるということを知らないまま、毎日が流れていく。 中2生は危険な時期と何度も書いたが、まさにその通りの様子が教室を染めていく。 学校生活に慣れ、友達との深い付き合いの中で遊びを覚え、サボりながら勉強が分からなくなっていく。 部活の中核として日々エネルギーを使いきり、くたびれ、成績は振るわず、親の言葉がだんだんうるさくなり、やがて「疲れた」「どうでもいい」と思うようになる。 入学時のフレッシュな感覚は既に風化し、受験にはまだ遠い、中途半端な時期。 家庭でのサポートが大切に思える。 反抗することを前提に、話し合い、聞いてあげること。 生活の中の一つ一つの作業の、役割と位置づけを説いてあげること。 その一つ一つにどんな意味があるか。 本人が感じ、動き出すまで手を差し伸べて待ってみる。 親の大人の価値観は、彼らにとっては何の価値もない。 人形を抱いて眠り続ける幼な子のように、 彼らが落ち着くものを、彼らがこだわるものを、彼らが模索しているものを探してあげたい。 だが残念かな、塾には限界がある。 学ぶという行為での結び付きは、彼らのマイナスの世界。 悩みを聞き、支えながら、大人への生育過程に必要な教えを伝えていく。 明日もまたここに集まり、机を並べ、帰っていく。 方法論では語れない深い課題を残し。 夏期講習後半。 そこに申し込んできた中2生の姿はない・・・・
2006.08.16
小学4年~中学3年までを対象に実施している「漢字コンテスト」、ちょうど今が追試の花盛りだ。 90点以上の一発合格者は結局2人しかおらず、塾生の殆どが追試を受ける羽目になっている。 授業のない先週を見直し期間とし、昨日から追試が始まった。 追試も失格の場合は、問題数が2倍になる追追試を受けなくてはならない。 そのことを真剣に受け止め、見直しと練習をした生徒と、いい加減な気持ちでダラダラ過ごした生徒の差が、この2日の追試結果にもろに出ている。 速報値である(左が1回目、右が今回の追試)。 中1 Sさん 98点 合格 中1 Oさん 90点 合格 中3 Nさん 60点→ 98点 合格 中3 Oさん 46点→100点 合格 中3 Tさん 14点→ 90点 合格 中3 Kさん 36点→ 94点 合格 中1 Nさん 42点→ 98点 合格 中1 Sさん 82点→ 90点 合格 中1 Nさん 62点→ 98点 合格 小6 Eさん 82点→100点 合格 小6 Fさん 72点→ 98点 合格 小6 Tさん 66点→ 98点 合格 まだ2日目。合格者はここまでだが、明日以降もどんどん増えるだろう。 また、それとは逆に、1回目がひと桁~20点前後の生徒で、今回も殆ど同じで不合格になっている者が数名いる。この仲間も今後増えるだろう。 合否の違いは何だろう。 簡単なことだ。 真剣になってやったか、それともやらなかったか。 2回目で10点しか取れない生徒。 彼らに共通しているのは、勉強を馬鹿にしていることだ。 試験前、この期に及んでもまだ「聞いてないよー」とか「来週やるからさ」とかほざいている。 私がやると予告し、貼り紙もし、今やると言っているのだ。 居残りで追試するのが嫌なら、真剣に向き合え。 この10日間何をしていた。甘く見てると、追試の雪だるまで身動き取れなくなるぞ。 今回は追試結果が出揃った段階で、成績を貼り出す予定だ。 不合格者も公表する。 合格した者は、努力の結果を誇りに思い、次のカベを越える時のエネルギーにして欲しい。 明日以降も合格するまで続く、自己との闘い。 君は追試で何点伸ばしてくるか。 やる、やらないで、こうも変わるのだ。 皆が実証してくれるこの結果。 頭脳の持つ未知の可能性。 素晴らしいと思う。
2006.08.15
中学生程度で知っておくべき常識は、数多くあると思う。 生活の中で人と接し、語り合い、あるいは学校で学んでいく常識。 読書や映像、体験などから自然に身に付いていくものもあるだろう。 君は家でどんな会話をしているだろうか。 親から教わった知識を大切にしているだろうか。 常識というものは、人生の経験を重ねながら世代によって変わっていく。 12~15歳の常識とはどの程度のものだろう。 これは知っているだろうという知識。 知らなきゃまずいだろうという一般常識。 その基本が、ことごとく失われている。 今回の夏期講習で指導しながら強く感じた。 中でも、社会科にその傾向が顕著に出ていた。 まず地理ではアメリカやイギリスの位置が分からない。 中3で白地図に落とせないのだ。 韓国が中国の位置になる。随分大きくなったもんだ。 ベルリンの壁の崩壊がロシアの出来事になる。 北方領土はアメリカとの争い。しかも争っている島は樺太。 イタリア、オランダ、聞いたこともない。 フィリピンが中国に、タイが「東南アジア」という国になる。 戦争経験者が聞いたら涙を流しそうな返答が続く。 中1になるともっとひどい。 答え合わせの時、指示しなければ「いんど」「ふらんす」とひらがなで書いている。 ナイル川が分からないようなので、「世界一長い川だよ」と言えば、 「セカイイチナガイ・・・」とカタカナで書き始めた。 そういう名の川だと思ったのだろう。 ロッキー山脈が「とやま山脈」に、カナダが「北アメリカ州」に変わる。 黄河が「きかわ」、長江が「ながえ」になる。 世界情勢の注目国、イラクや北朝鮮など知るわけもない。 そしてお約束の「ヒラヤマ山脈」。 一体、今まで地理や世界の国について、どういう接し方をしてきたのだろう。 以前、太平洋を「おおひらひろし」、毛沢東を「けざわひがし」と読んだ例を書いたが、 常識のラインがどこなのか、彼らの意識がまったく読めない。 歴史でも案の定、珍答のオンパレードだ。 驚いたのは聖徳太子という名前を初めて聞いたという中2生。 漢字力もないから、遣隋使が「遺ずいし」と歴史に存在しない別物になる。 この生徒は信長、秀吉、家康もよく知らず、時代も平気で2世紀ずれていた。 日清戦争の「日清」は日本の地名、蔵屋敷は武士の住みかと平気で言う。 ひとつとても気になったのは、原爆の被災地を知らなかったことだ。 広島、長崎。 日本人として知っていて欲しい。 唯一の被爆国として、平和を語り継ぐべく日本人。 親や学校がしっかり後世へ語っていくべきものだろうと思う。 ペリーも卑弥呼も知らなくてもいい。 せめてこれだけは親がしっかりと教え、平和についてじっくり考えさせて欲しいと思う。 ちょうど原爆の日の直後、ニュースでもさんざんやっていただけに残念に思った。 家庭が核家族になり、世代間の交流が希薄になっている。 じいちゃんの教えが、ばあちゃんの知恵が、孫たちに伝わっていかない。 学校で習う教科に「常識」というものを作ればいいのだろうか。 地理の教科書、なぜ付き合いのあまりない、マレーシアやフランスを習うのだろう。 なぜ、隣国であり社会問題になっている、韓国、中国、ロシアを取り上げないのだろう。 アメリカの農業分布などを学ぶ前に、私はまず半島や大陸との歴史を学び、現代に繋がる課題を捉えていくべきだと思う。 常識には生活に根ざしたものが多数ある。 言葉も、行動も、教わり、経験を積み、恥をかきながら身に付けていくものだろう。 中には生きていく上で必要なものもある。 理科などには知らないと生命に係わる大切な知恵が山のようにある。 興味がある、ない、ではなく、教えていく仕組みを作らねばならない。 学校で、家庭でしっかり語り、知恵を築いて欲しい。 陽が東に沈む。 太陽が地球の周りを動いている。 飽和水蒸気量を超え、湿度が250%になる。 食道と心臓が繋がっている。 水素の確認は、マッチを擦って試験管に放り込む。 いずれも今回の講習会で出た言葉だ。 考えさせる。 ちょうど終戦記念日。 先ほどの「広島・・・」が頭をよぎる。
2006.08.14
1 ここに書いてあることは超重要だから覚えろよと言うと、考えもせずに「ムリ」と言うやつ。 用語の暗記を指示する時も同じである。 この5つはセットで覚えろ・・・・・無理・・・ おいおい、お前はたった5つも覚えられないのか。 さっき玄関で唄ってた歌詞は何だよ。 そういうものは都合よく頭に入るくせに、無理もクソもあるか。 出来るやつは、早速ノートに朱書きし、語呂合わせを考えている。 点を取るために必要だから言っているのだ。 お前は料理教室で「野菜の皮むき」を習う時、無理とか言って包丁も握らないのか? それでレシピが作れるのか? 大工を習う時に、棟梁に「ノコギリは引けませんよ、無理です」と言うのか? 同じことだということを認識せよ。 解くための知識の道具がなければ、実戦問題なんか解けやしない。 断言しよう。 考えもせずに「無理」と言うやつは、いつまで経っても絶対に伸びない。2 宿題のチェックをする時、「やったけど忘れた」というやつ。 じゃあ取りに帰るかと言うと、急に気まずそうな雰囲気になる。 いつまでそんな子供だましが通用すると思っている。 本当かどうかは、お前の顔に書いてあるよ。 塾長を前にしたら、もっと洒落た言い訳を考えるんだな。 こういう連中は共通して物の管理が下手だ。 ファイルもノートもプリントも乱れ放題。 プリントに「しゅくだいっ!!!」などと書いてないで、専用ファイルにその場で挟めよ。 そして先送りにしないで、帰ったらすぐ開け。 あと、宿題プリントは持ってきたものの、殆どやってないやつ。 理由を訊くと「時間がなかった」「解らなかった」の常套句。 何だと? 時間がなかっただと? 1週間で30分も時間がないのかい。 解らなかった? お前、塾に来る直前に適当にやったぐらい見りゃ分かるよ。 あと何だ、この食べ物のしみは。 宿題は必要だから出している。 紙面を見ると、出来るやつとの気構えの差がもろに出る。 ごまかし、凌ごうとするやつはいつまで経っても伸びない。 これからは忘れたらお母さんに持ってきてもらおうか。 ごまかしか本当か、一発で分かるだろう。
2006.08.13
いつの日も、 決まった授業の時間に生徒が集まってくる。 どんな寒い日も、どんな暑い日も。 雨が降れば傘で露をしのぎ、濡れながらでもやってくる。 バッグを担ぎ、私の前でフッと浮かべる笑顔。 楽しいことも辛いことも、すべてを背負いながら、 みんな何かを探しにここに集まってくる。 みんなにはそれぞれの一日があっただろう。 視線や表情に映る、現在進行形の出来事。 その熱い営みが、 この教室のドアを越え、一つの点で繋がっていく。 「ねえねえ、こんなことがあったよ」 「先生、先生! やったよーっ」 私の前で、言葉の熱気が輪になり、 その一つ一つが光を放っていく。 ほんの数時間の淡い物語が、今日もゆっくり始まる。 集まった生徒たちの前で、私は愛想よく語らない。 いや、語れない。 私は師であり、君たちを教えていく立場。 だから今まで、ありがとうという言葉は出さずにいた。 みんなを確認し、少しだけ笑みを浮かべ、そして、 「お前ら、気合を入れろー」と檄を飛ばしてきた。 みんなの真剣な表情を見るたびに、 過去の生徒との係わりが、フッと浮かぶ時がある。 「そう言えば、あいつもこうだったなぁ」 「こいつ、本当にあいつにソックリだなぁ」 本人は知る術もない過去の体験が、頭を染めていく。 苦しみ、頑張ってきた生徒たちの記憶は、 今の生徒たちとの接点で、花開き、言葉のいらない動作を作っていく。 月曜は、中3生14人の前で熱弁をふるう。 4時間ノンストップの私だけの世界。 もう何度もやったことだが、無性に待ち遠しく感じられる。 知恵を、技術を与えるエネルギーが、 少しずつ生徒たちのやる気と重なっていき、 大きな可能性の源流を形作っていく。 我々の作業は地味だが、彼らもまた地味なのだ。 互いに対峙する駆け引き。 互いの期待と心理が、言葉が、ドラマを描いていく。 様々な私生活の中のほんの数時間。 この教場に揃い、席を並べ、 私の板書に同じ視線を投げかけて来る。 そんな健気な、みんなの姿がある限り、私は声を嗄らして語りたい。 みんなの期待がある限り。 真剣な瞳が目の前にある限り。 昨日、在校生に対し、厳しいメッセージを書いた。 学ぶ姿勢の根本に係わる、危険を感じたからだ。 今日、夜の授業のあと、居残りで課題に取り組ませた。 最初からできないと語る彼ら。 何もせずに諦め、結果をゼロに描いてしまう彼ら。 でも、強い後押しがあれば、彼らも一歩を踏み出せるはず。 遅くまで付き合いながら、そのことが実証できた気がする。 英単語と歴史用語のテストが満点取れないと帰れない。 私の語気を感じてか、みなの表情が一瞬曇る。 そしてプリントとの闘いが始まる。 誰でもない、自分との闘いだ。 書いて覚える真剣な様子。 そこには、今まで見たことのない表情があった。 何度も繰り返される失格。 誰も助けてくれないエンドレスの闘い。 時間がどんどん過ぎていく。 早く帰りたければ、結果を残して帰りなさい。 真剣に向き合い、お前の力を見せてみろ。 泣きそうな彼らに対し、私も譲れない。 彼らには無限の力がある。 すべてはきっかけであり、必要なのは貫徹するという体験なのだ。 やがて、その一歩が刻まれた。 闘いの結果、英単語を全部正解した時に見せた笑顔。 「やったー! うれしい」 そうだろう。嬉しいだろう。 その感動を心にしっかり刻んでおくんだぞ。 やれば何でもできるのだ。 お前たちの能力は、まだ蕾のままで花開していないだけ。 次、また次と、トライしていこう。 この教室に集まる、この瞬間を、この接点を大切にして。 芽生える自信と笑顔の感触。 今日の真剣な集中力は素晴らしかったぞ。 おめでとうな。
2006.08.12
おまえたちは一体何をやっている いつもいつも 何故 ここにいるのだ 勉強が解らない未熟者だから ここに来たのではないのか だから今 塾の椅子に座っているのではないのか ほんの数日間 時間の限られた講習会 真剣に取り組み 1点でも得点力を磨くべき講習会 当然のように定時には集まらず 渡した教材プリントは全員忘れ 宿題もすべて忘れ 三人揃って のこのこ何をしに来た 教材もらってないだと? 宿題出てないだと? ほう、それは悪かったな じゃあ明日2倍にして渡してあげるから待っていろ それから 先生がLとRの区別に触れた時 「Lって何ですか?」と言ったやつがいるらしい そんなに分からないのなら 明日1000回書いて覚えてもらおう 楽しみにしておけ 塾長の前ではかしこまり 若い先生の前では やる気なくバカにした態度を取る 人を見るこういう姿勢は 俺は断じて許せない とうとう私を怒らせてしまったな 今までさんざん声を掛けてもらい 親身に指導してもらったこと 踏みにじりたかったら 踏みにじれよ 楽しいかい 親の汗を 塾の心を裏切り 姿勢悪く だらだらと いつまでも半端な 小学生気分でいることが そんなに楽しいかい だったら好きにすればいい だがな ここに来た時は俺がルールだ もう何しに来たと問いかけ 説教する必要もない おまえらには そんな時間ももったいない すべきことを ただ実行してもらうだけだ すごいことになるぞ 「学ぶ」ということは どういうことか 身体で頭脳で とことん体感していただこう おまえらの その腑抜けた魂と刺し違えてやる 後悔するなよと何度も言ったよな さんざん親を泣かせたおまえら 今度は自分の番だ いくら泣いても帰れないぞ この3日分 全部やり直しだからな 帰るのは俺の許可をもらってからだ 悔しかったら 限界まで頭に叩き込んでみろ
2006.08.11
生徒たちがテストを保存する時は、バインダーかポケットファイルが殆どだと思う。 中学校ならば定期試験や模擬試験、小学校の場合は単元ごとに行われる色刷りのテストがそれに当たる。 恐らくみんな、テストごとに取りまとめ、重ねていっているのではないか。 ポケットファイルなら、次のポケットに問題も答案もまとめて放り込む。 回を重ねるとファイルがだんだんと膨らみ、使いかってが悪くなるが、果たしてこれでいいのだろうか。 私ならこうするという案件を一つ挙げてみたい。 まず、テストごとにまとめて束ねるやり方が、何ともナンセンスだ。 私なら教科ごとのファイルを作り、そこにどんどん重ねていく。 見直しは試験単位ではなく教科単位で行われるもの。 ならば、いっそのこと教科ごとの通史を作ってしまえばいい。 例えば、小4から中3までの試験が一冊のファイルにまとまっている。 算数から数学にいたる教科では、どこで間違えたのか、その流れが見えてくる。 繰り返し失敗するクセはもちろん、上達の推移なども読み取れる。 国語も英語も同様である。 これが全教科ゴチャゴチャだとそうはいかない。 中学だと実技も混ざり、見直しも容易ではなくなる。 英語・理科・家庭科・国語・体育・社会・技術・数学・国語・英語・社会・・・といった並びと、 英語・英語・英語・英語・・・といった並び。 開いた時に見やすいのはどちらだろう。 この教科ごとに編集し直す方法は、面談などで、よく生徒にも親御さんにもお話している内容だ。 さて、実行されているかどうかは不明である。
2006.08.10
部屋に貼る掲示物に、どれだけこだわりを持っているか。 学習をする上で部屋空間の活用は、非常に大きな要素を秘めている。 その最たるものが壁の活用。 いわゆる掲示物である。 暗記すべきものを如何に掲示すべきか、私なりの考えを述べてみたい。 2日前の8月7日の記事に、こんなことを書いた。 「中1の英単語400語を5往復筆記し、確認チェック後、曖昧なものをリスト化し、土曜午後10時に部屋に掲示する」 学習計画の立て方の一例だが、ここでは締め切り日ではなく、締め切り時刻を明記した。 締め切りを「土曜日」とするのと、「土曜午後10時」とするのでは何が違うのだろう。 日にちの設定だけではどうしても甘えが生じる。 朝なのか、午後なのか、夕食後なのか。限定がなければ当然「あとでやろう」と先送りになる。 その間なにをしているかといえば、大半はズルズルとろくでもないことをしているのが常だ。 生徒たちには「リストを作って貼る」という計画までで、日にちすら定めていない者が多いが、これは計画とは言わない。 時刻を定めるということは、その時刻までに完了しなければならないという約束が発生する。 自ら設定し、自分を追い込むのである。 そして掲示するものは、必ず手書きのものであるべきだ。 コピーや付録の類い、一覧表などは壁の装飾と化するだけでほとんど意味がない。 「あいうえお表」も「学年配当漢字表」も、学びの空間の雰囲気は作れるが、貼ってあるから何だの世界だ。 よく考えてみて欲しい。 履修しマスターしていく時、目の前に答えやヒントがあっていいものなのか。 もし貼るなら、上からさらに覆い隠し、めくりながら確認できるよう工夫すべきだろう。 だが私はそれ以前に、自分の手で書いたものを貼るべきだと思っている。 全部掲示する必要はない。各自、リスト化すべきものに絞り込んで、大きく書く。 手書きで魂を込めるのである。 そして貼る前に、1分間凝視する。 じっくり見つめ、脳に信号を送り込む。 一枚一枚のそうしたこだわりは、ただ印刷物を貼るだけに比べ、180度違う成果を生む。 私は自分の息子に同様の指導を重ねてきた。 また、掲示する紙の色を月ごとに替え、いつから貼られているかがひと目で分かるようにもした。 掲示物は無期限ではない。 いつまでもダラダラと貼っていてはダメだ。 予め掲示期限を設け、やはり自分を追い込む。壁のインテリアになる前に、とにかく覚えるのである。 4ヶ月も前の色が貼ってあったらまずいのだ。 そうして剥がし、貼りかえるサイクルを早めていく。 さらに、掲示物の下のほうに「チェック欄」を作っておく。 そして週末にでも暗記の確認をし、印を記入していく。 3週連続○ならば剥がしてもいいなど、自分なりの基準を決めておくのだ。 ×が続くようなら、再度同じ貼り紙を作りかえてみる。魂を込めながら。 貼り紙そのものを「視覚に訴える媒体」にする工夫も大切だ。 色を替えるのもその一例だが、もっと効果的な方法がある。 斜めに貼るのである。 部屋を見回してみて欲しい。 ほとんどのものが縦横きれいに揃っていると思う。 その中に斜めのものがあると、違和感があり非常に目立つ。無意識に注視させる手法だ。 逆さに貼ってもいいだろう。三角や丸の掲示物も目立つ。 とにかく正攻法の殻を破る発想が欲しい。 印象付け、頭にインプットすることが目的であり、そこに決まりもルールもないのだ。 筆記具もマジックだけではない。 クレヨン、絵の具、墨汁と、何を使ってもいい。 文字の縦横も、馬鹿正直に揃える必要は毛頭ない。 らせん状の渦巻きに書いても、右から左に書いても構わないのだ。 そのことで一字一句眼で追うようになるのなら、成功なのである。 ここまでこだわる生徒がどれだけいるだろう。 恐らく我が塾生には一人もいないと思う。 受験生よ、おまえの部屋には何が貼ってある。 インテリア化したポスターなど、まったく意味がないぞ。 どんどん手書きで知恵の用紙を作りなさい。 魂を込め、1分間見つめるのだ。 ぜひヒントをものにしなさい。 空間をどこまで利用できるかは、頭脳の無限の広がりに似ている。
2006.08.09
夏休みの中だるみ期間に突入した。 お勤めのご両親もそろそろお盆休みに入り、部活も一段落するところが多いだろう。 さあ誘惑の始まりだ。 家族旅行、里帰り、大いに結構だが、生活リズムは崩すなよ。 特に受験生は学習計画がボロボロにならないように、自制すること。 今年は、そんな中だるみを阻止するために、『夏期中期特別講座』というものを設けた。 中1、中2は明日から3時間×4日、計12時間。 中3は明後日から4時間×6日、計24時間。さらにその後、理社特講が8時間待っている。 いずれも夏期講習とは別枠で、追加オプションとなる。 中1は3名、中2は2名と寂しいが、中3は14名と揃い、意識の高まりが感じられる。 ただ何度も言うように、受け身で参加するなよ。 自分から攻めて、知恵を盗めよ。 うるさいやつは参加資格がないと思え。 迷惑をかける冷やかしは、即刻退場させる。 かなりハードな特講になるだろう。 暗記をメインにした宿題の量も半端ではない。 確認チェックで不合格ならば居残りもあるぞ。 ただ真剣にやれば、必ずや大きな財産が手に入るだろう。 秋へのステップとして、一緒に良き体験を積もう。 さあ、始まるぞ。
2006.08.08
1 赤ペンで修正していく答え合わせの時、記号問題の解答を「ア」とか「ウ」のように記号しか書かない。 自分の書いた「エ」に×を付け、脇に赤ペンで「ア」を書き込む。 「ア」が何なのか完璧に理解していればいいが、出来ない生徒の大半は、よく解らずに正解の「ア」を書いているだけだ。 おまえが知るべき知識は「ア」という記号なのか。 出来る生徒は、問題文の選択肢の用語も同時にマークしている。 あるいは解答欄の脇に記号の指す意味を書き込んでいる。 「ア」とか「エ」とかをいっぱい集めて何になる。 たまたま当たった選択肢の場合はもっと悲惨だ。 ○を付けて終わり。確認もしない。 おい、大切なのは、正確な知識をいかに身に付けるかではないのか。 問題文の用語をマークせずにただ○×してるだけなら、 クソの役にも立たない演習だ。 2 テストの氏名欄に書く名前が、判読不能なほど乱雑極まりない。 続け字のうえ斜めに傾き、速記のようなやつがいる。 漢字の部首も旁もゴチャゴチャで、文字の切れ目すら判らない。 そういった、慌てて書くやつは、決まって点が悪い。 また往々にして後半頭を抱えて伏せていたりする。 そんな暇があったら丁寧に書き直せよ。 出来るやつは答案の文字もそうだが、名前もしっかり書いてくる。 「始め」の後の落ち着きの差が、そのまま出ている。 テストをタイムトライアルのゲームのように考えているおまえ。 スタートから精神的に負けていることに、 そろそろ気付けよな。3 ペンケースの中身がいつもゴチャゴチャしていて、肝心なものが入っていない。 ペンケースがやたらと膨れている。 中身を見ると、シールやらキーホルダーやら落書きメモやらが次々と出てくる。 中には、ポケットティッシュやガチャガチャのケースが入っていたりする。 外はといえば、ストラップが数珠のように提げられている。 外見は、メール文字やハートマークで、ニューヨークの地下鉄のようだ。 あのなあ。 ペンケースはその名の通り、文具を入れるものではないのか。 そういうやつに限って、コンパスを取り出すと芯がない。 マーカーがかすれて出ない。 消しゴムに鉛筆の芯が刺さっており、使うと黒くなる。 一体何なんだよ。 出来る生徒は、必要な物が確実に収納されている。 しかも忘れたやつに貸してやるほどの余裕すらある。 授業に必要な道具は何なのか、認識の差がもろに出る瞬間だ。 おまえらの商売道具は何なのか。 中3で虫キングとかスーパーボールとか、後生大事に持ってるやつ。 おい、おまえだよ。 今日中に、100均で消しゴム買え!
2006.08.07
中学3年 60時間以上 中学2年 35時間 中学1年 30時間 小学生 25時間 夏休み中の「週間学習時間」の目安である。 成績の悪い者は、さらに上乗せが必要だ。 私は1日単位の計画よりも、常に週ごとの達成計画を勧めている。 日単位の場合は、アクシデントによる計画倒れが多い。週単位で目標を定め、達成ラインを引いておけば、その週の中での調整が可能だ。 週前半で貯金を作れば、週末には自由時間のご褒美を設けてもいい。日々の反省を踏まえ、週末の締切日に合わせていく。 週計画を立てる上で注意すべきことは、「ものにする学習量」を具体的に決めることだ。 漠然としたものではなく、必ず数値で掲げる。 例を挙げよう。 「この教材の漢字、30ページまで218語を一気に書きまくり、覚え、日々消去しながら週末には完璧に書けるようにする」 「中1の英単語400語を5往復筆記し、確認チェック後、曖昧なものをリスト化し、土曜午後10時に部屋に掲示する」 「数学(算数)のテスト、学校の16回・模試5回の間違えた問題。設問と解答をすべて専用ノートに複写し、完成後2往復まで見直す」 「歴史の教科書の索引にある用語、約600語の漢字筆記を3回戦行い、間違えたものをリスト化し、次週のノルマとする」 「このテキストで漢字をやる」「テストを見直す」などではダメだ。 こんな曖昧なものは計画とは言わない。 「○○ページまでやる」などもダメ。 具体的な方法を盛り込み、ノルマのラインを定めてこそ収穫があると思え。 いいか、言っておこう。 「○○をやる」などと言っているやつは100%失敗するぞ。 そもそも「やる」とは何だ。小2のお手伝いじゃないんだから、自分に対してもっと真剣に緻密に向き合いなさい。 例の中で、「土曜午後10時」とあえてしているのは何故か。 勉強は机に向かった時間ではない。 集中度の問題でもない。 何にどれだけ立ち向かい、どれだけ自分のものにしたか。結果として、どれだけ頭に叩き込んだかだ。 量を定め、攻略する締め切り日(時刻)を設ける。 そして週単位の計画から、日別の量を測るのである。 週末の頭の中の知識量を常にイメージしてみよう。 夏休み41日間のうち、17日がすでに終了している。 その過ぎた日の学習密度はいかがなものか。 誇れるものか。 1日3時間の積み重ねでも、17日なら50時間は超える。 上に例を挙げた4つの計画、とっくに終了してるぞ。 後半戦の攻めがどこまでできるか。 暑さで腑抜けになりつつあるのなら、至急、立て直しなさい。 平成18年の夏休みはもう二度と戻ってこないぞ・・・・ お前は言えるか。 「○日から○時間掛けて、これをこれだけやり、これだけの量をものにしました」 と。
2006.08.07
土曜の午後の授業は私だけだった。 中3生二人に、地理と理科の要点確認を行ったが、知識がまだまだ曖昧だ。 入試まであと半年という時期を考えると、そろそろ重点項目の完全定着が望まれる。 私は授業で「これはよく出る」「丸暗記しろ」「ここが狙われる」「これは出ない」「これだけ覚えておけばいい」「こういうパターンで出る」などとよく言う。 また「はい、5つ挙げて」というように、項目の必須事項を数でまとめて覚えるように仕向けている。 これは頻度を明確にし、必要な知識と問われるベクトルを生徒たちに植えつけるためだ。 頭で考えてもどうにもならない物がある。クイズ的な知識にその傾向が強いが、問題を解くためには、そういった知識の道具をしっかり揃えていく必要がある。 応用、分析や、短文記述の問いでは、その道具の量と精度が歴然とした結果を生む。 山登りに行くときに準備する物は何か。 様々なルートやアクシデントを想定して、必要な道具を揃えるだろう。 同じである。 学習で頻出項目を「こんなに覚えられない」と放棄し、諦めることは、コンパスも食糧もなく革靴で山道を登るようなもの。 雨が降れば合羽ではなく、傘をさして片手だけで崖を登るのか。 生徒たちにはぜひ再認識してもらいたい。 ご訪問いただいた先生方と、授業後色々と話をした。 岡本先生はうちと同じく個別指導の教室を経営されているので、システムについては相通ずるものがあったようだ。指導に対する考え方も共通する部分が多かった。 はじろ先生は家庭教師という立場から、指導におけるヒントを色々探されているようだった。生徒数、ボードの有無、解説の時間配分、あらゆる設定が異なっている中、収穫は果たしてどうだったか。 私はいつも楽しい授業を意識している。 昨日もかなり笑いが交錯していたと思うが、そのタイミングは生徒に質問を振った時が多い。 珍答に対し、「おまえなぁ」と突っ込む。 脱線話は笑いというよりは、息抜きである。 生徒の方から「先生、先生」と脱線してくる時があるが、これは生徒の波長が授業にうまくはまっているケースの時が多い。 そして「さあ、やるよ」と必ず締める。 波長が合っていると、生徒もすぐ思考モードに切り替わる。 私のこういうやり取りを見られた両先生はどう感じられたか。 黙々と取り組むことだけが学びではない。私は常にそう思っている。 味気ない勉強に縛られ、目の前の生徒の目が死んでいるのが耐えられないのだ。 先生方の感想を詳しく訊き忘れたが、また機会があったらお聞きしたいと思う。 夜、静まった教室で、仕事上のエピソードを色々伺った。 生徒のこと、親御さんのこと、指導に関すること、様々な出来事がリアルに伝わってきた。 ここで詳しくは書かないが、結局みんな子供たちのために日々を考え、苦悩し、出来うることを精一杯試しながら営んでいるのだなと思った。 『学び』に係わる仕事は、帰結点のない、もの凄く奥行きのある作業なのだ。 今日も、明日も生徒が来る。 その一人一人に接し、一緒に可能性を探し、知恵を与え、笑顔を引き出してあげる。 この仕事の素晴らしさを感ずるとともに、重大な役割を担っているのだということを再認識した。 この仕事を選んで良かったと思う。 先生方が帰られた教室の照明を少し落とし、ぼんやり独りで考えていた。 はじろ先生、岡本先生。 暑い中、こんな教室にお訪ねいただき、有難うございました。 何のおもてなしも出来ず、済みませんでした。 お二方の今後のご活躍をお祈り申し上げます。 教室どんどん変えますよ。その時また見学にいらしてください。 私も機会があったら伺いたいと思います。
2006.08.06
本日は、ブログのご縁で、お二人の先生にご来塾いただいた。 以前楽天で精力的に活動されていたhajiro先生と、つい最近教室を移されて日々頑張っていらっしゃる八千代のverdure-okamoto先生である。 はじろ先生とは以前より「色々と教育や生徒の話をしましょう」と約束していたが、1ヶ月半を経ての実現となった。 岡本先生の場合は、1週間前にご依頼を頂いてから、急展開のご訪問である。 岡本先生も既にメール更新されているが、この暑い日にようこそという感じだ。 貴重な時間を割いていただき、大変申し訳なく思う。 お二人とも午後4時過ぎに到着。私の授業を見学され、その後9時過ぎまで三人で色々と会話を交わした。 はじろ先生は、予想通りの落ち着いた雰囲気の知的な女性で、表情の中に強い信念のようなものが感じられた。 岡本先生は、優しい印象の甘いマスクの男性。言葉の隅々に大きな温かさが漂っていた。 最初に感じた印象である。 (つづきは、昼に更新します)
2006.08.05
生徒の意識が変わってきている。 まだ不完全だが、確実に変化してきている。 やらねばならないという、淡い芽生え・・・・ ここ2ヶ月、生徒たちには次々と課題を与えてきた。 授業後のテスト。繰り返される追試。 今でも文句や不満は必ず出る。 「聞いてませんよー」「早く帰らないと怒られるんですけど」「追試でいいですから」「どうせ出来っこないしさー」。 だがどうだろう、いざ試験が始まればみな静かにピタッとはまる。 点を取るための真剣な表情に変わる。 6月は試験のために席をずれることも面倒臭そうだったが、今は自ら席を決め、問題を催促するようになった。 「塾長~、追試くださーい」 みんなやっている。だからやるものなのだ。 不合格ならば、また居残りでやらなくてはならない。 うるさい塾長。 教室に逃げられないという意識改革が浸透しつつある。 家での対策が不十分なため、素晴らしい結果はすぐには出ない。 だが、みな少しずつ得点力は上がってきている。 「ねえ今日漢字だよー」「今からやんなきゃ」「単語やばいよ」「ねえねえ、練習した?」「ちくしょう、満点取ってやる」。 テキストや答案を開き、授業前にもれてくる会話。 やらなくてはならない。 その前提での姿勢が教室に漂っている。 今日もO君が英単語の追試を申し出てきた。 当初200点中10点程度だった彼。今回が5回目か。 採点は終わってないが、ざーっと見た限り、中1の合格ライン100点前後まで来ている。 どんなに苦手でも、どんなに要領が悪くても、努力は確実に点を刻んでくる。 おまえには是非そのことを証明して欲しい。 次は、「やらなくては」から「合格しなければ」への意識改革。 事前に準備し、一発で決める。 追試ならば、真剣に見直し次で決着をつける。 追試の二重苦、三重苦が出始めてきた今、それも今後2ヶ月ほどで大きく前進しそうだ。 私は頑張る生徒が好きだ。 今の取り組みは必要だからやっている。 うだうだやってると、不合格のまま新しいテストがどんどん降りかかってくるぞ。 夏休みの成長、期待しているぞ。 明日も追試だ。
2006.08.04
『子供のお前たちへ』 お前たちはまだ一人で何もできやしない この平和な街で 与えられた温かい屋根の下で 好きなことに没頭し 当たり前のように 腹を満たし 映像に 音に 会話に酔い 自由という空気の中で いつも都合よく動き回り 発散しながら ジリジリと生きている すべきことがあっても 目の前の時間を 気分で過ごし 明日でいいやと 眠くなれば横になり 明日は明日で また面倒なことを先送りにし それでも満たされず いつも決まって 自分を悲劇の主人公になぞらえ 親が学校がウザイ 信じられないと 文句を言っている 信じられないのなら 信じなければいい 大人になるうえで 学ばなければならないこと 山のようにある知識と経験との出逢い そのひとつを 捨てたいのなら 捨てればいい だがな そのタイミングは二度と来ないぞ 今のお前に何が出来る お前は何をどれだけ知っている 力もなく 経験もなく 財力もなく 親に頼るしかないお前が 好き勝手に自由を標榜し 生活臭の立ち込めるこの空気を吸いながら どうやって明日を生きていく 罪を犯せば親に頭を下げてもらい 病気になれば看病してもらい 小遣いも 携帯も 娯楽にも いつも満たされ 腹が減れば 何もせずにご飯が待っている ごめんなさい もうしません 何度も繰り返し いつも尻拭いをしてもらい 一人ではまだ何も出来ないおまえ そんなちっぽけなお前 自活も出来ずに 一匹狼など十年早い 悔しいか ならば 大きくなれ 学べ うんと学んで 自分のエネルギーを満たせ 学んだ人間は強いぞ 学んだ人間は 自分にも他人にも心地よい光を放つ 今日の数万回の呼吸は お前が生きていることの証明 10年 15年やそこらの人生 毎日の発見に感動し 大きく眼を開き 子供としての夢を失うな お前はまだ子供だが やがて 今のお前を振り返る時が来る その思い出を語り合える人は 誰でもない 今 お前をいちばん心配し 愛してくれている もっとも身近な人 だから 辛いことも 面倒なことも ひとつずつ 少しずつ 受け入れてみなさい 親に反抗することは悪いことではない でも 親への感謝と愛は捨てるなよ 大人になるということは 金を稼ぎ 一人で自由に暮らせるということではない 大人になるということは 心を大人にしていくこと 自分に反抗してみなさい 破壊してみなさい 周りに反抗し 文句を言う前に 自分の課題をこなし 悩みながら心を浄化してみなさい やがて生まれてくる 新しい大きな力 おまえはその大切さに気付く時が来るだろう そしたら そっと心にしまっておくんだぞ 今は解らなくてもいい 子供を卒業するときに きっと解る それが 成長というものなのだ
2006.08.03
『漢字コンテスト』を採点している。 20点台、30点台がゴロゴロいる。 どういうことだ。 お前たちは普段漢字を使ってないのか? メールで象形文字みたいなものばかりピコピコ打ってないで、少しは危機感を持てよ。 こんなんじゃ、理社の用語も短文も、国語の記述も作文も、ろくに書けやしない。 俺を怒らすと厄介だぞ。 そんな中、98点取った中1生がいた。 書き取り40問パーフェクト、読みで1問ミス。 この差はなんだ。 何なんだよ。 意味を考えてみろよ。 おい、中3生。 人生、長く生きてんのはどっちだよ。 真剣にならなきゃいけないのはどっちだよ。 あと半年で受験なのは誰だよ。 この差は何なんだよ。
2006.08.02
『漢字力』 以前、出版社の依頼に応え、途中まで書いた原稿のタイトルだ。 私は中学の頃から漢字が好きだった。暇があれば辞書を開き、知らない漢字を探していた。 その後、今の漢検の前身である能力検定で、高校卒業後2段まで取得した。 今の、準1級程度のレベルである。 漢字を知っていると役立つことが多い。 まず新聞や本を読む速度が上がる。 雑誌などで多用される専門用語も抵抗なく読める。 あまり実用性はないが、評論家や思想家の書いた晦渋な文章も、辞書なしで流れを捉えることができる。 そして文書を作成する時にも、変換で苦しむことがない。 もともと原稿用紙に直接書いていた世代なので、むしろ変換候補が出ること自体まどろっこしく感じる。 思えば最近、文章を書く時に辞書も使わなくなった。 私は漢字の力は実用性で測るものだと思っている。 難読漢字を山のように知っていても、大して生活には役立たない。 むしろ普段の生活で多用する言語や、同音異字語などがいかに書き分けられるかが、本来の漢字力のあるべき姿だと思っている。 漢字を紐解くと、ことばの知識も同時に深くなっていく。 中国の書物に語源を辿り、日本古来の優雅な表現を学ぶ。 漢字の持つ深い表現力は、字画と韻で鮮やかに受け継がれている。 「鴇色」「鶸色」「萌木色」「漆黒」「黄檗色」「浅葱色」「鈍色」「唐紅」「利休鼠」。 色を漢字で表現してみたが、どうだろう。奥深いイメージが湧いてこないだろうか。 「ときいろ」と「鴇色」の違い。 私はこういう姿こそ漢字の本来の力だと思う。 なぜ漢字のことを語っているのかと言えば、昨日から生徒たちに実施している『漢字コンテスト』の結果が、信じられないほど悪いからだ。 点の低さは予想できたが、それにしても悪い。 熟語などは知っている音の漢字を継ぎはぎしているだけで、熟語の組み立てや字義というものをまったく考えていない。 「栽培」→「採倍」、「疲労」→「被老」、「複雑」→「福雑」、「垂直」→「水直」、「拡大」→「格大」、「規律」→「規立」、「行為」→「行意」、「原稿」→「原行」、「責任」→「積任」、「追及」→「追球」といった具合だ。 「採倍」とは2倍採取することか。 最後のは何かの球技か。 意味を考えろと言いたい。 答案の回収はまだ半分にも満たないが、まとまった時点で総評を書きたいと思う。 それにしても、小さい時から如何に漢字に触れてこなかったかが、生徒によっては見事に出ている。 漢字力は国語のみならず、他の教科の記述に大きく影響する。 今回の試みを契機に、塾生の筆記力を根本から鍛えなおそうと思っている。 「雌雄」を「おすめす」と読んだおまえ。 覚悟しろよ。 楽しい楽しい追試が待っているぞ。 というか、全員追試になりそうだ。 ああ・・・・ 合格まであと何回、丸付けを繰り返せばいいのだろう。
2006.08.01
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