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私は学習というものに、固定したラインはいらないと思っている。 ここで言うラインとは、学年の区切りや配当、履修の単元といったものを指す。 掛け算、割り算、負の数、方程式、1次関数、平方根、因数分解。 教科書によればそれぞれ履修する学年が決まっているが、私は基本的にいつ学ぼうが自由だと思っている。 英語にしても学年配当漢字にしても、どんどん先取りすればいい。 無理する必要はないが、待つ必要もない。 2002年に指導要領が変更され、上級学年へ単元がかなり移行されたが、あの時も移行されたものが何なのかをしっかり把握し、個人対応することは可能だった。 少なくとも我が家ではそうした。 削除された内容も副教材などでは履修可能だが、家庭での対応には限界がある。 「ゆとり」はラインを緩めてしまった点で確かに問題ではあるが、私は学校の授業進度の方がもっと大きな問題を持っていると思う。 ゆとりで薄くなった内容すら終わらない。 しかも教師により、進度がバラバラなのだ。 地元中学の中3公民を見てみても、T中は「内閣」、A中は「経済」と大きな開きがあり、T西中に至っては先週やっと核家族に入ったというとんでもない進度だ。 T西中はどう考えても教科書が終わらないだろう。 北辰テストにも水を開けられ、校内学力テストには未履修の内容がどんどん出ているという。 ならば、どうすべきか。まだ習ってませんで済む問題なのか。 このペースなら今後どうなるかということも大方予測が付くだろう。 入試に間に合わなくなり、あとは自分で見ておきなさい。 こんな指導の流れと心中したければ、まだ習ってないとたかを括っていればいいが、困るのは生徒本人だ。 他校との開きはそのまま入試の有利不利につながっていく。 学校の授業は得てして春先から夏にかけてペースが遅く、秋口から速くなる。 終わらないと気付くからか、意図的な年計画かは分からないが、生徒にとってはたまらない。 当然、後半の指導が薄くなる。 だったら待っていないで、個人でどんどん先取りを進めるべきだろう。 教科書の学年配当も、たまたま国がそこにラインを引いたと解釈すべきだろう。 漢字や計算、英単語などは、上級学年で何を習うかは分かっているので、計画的に触れていくべきである。 4月に教科書が配られた時に「へぇー、こんなことやるんだ」と言っているようでは遅い。 学校がすべての昔はそれでよかったが、今は違うのだ。 各人、各家庭の意識の差が、そのまま成績に反映されていく時代。 与えられる単元も、授業進度も、結局は便宜上のものだ。 学ぶラインというものは自分で考えて引くべきだろうと思う。
2006.09.30
友達が一緒でないと行動を起こさない生徒が増えている。 試験対策授業も、補習も、検定試験も、いつも一緒に行動する仲間がそばにいる。 もちろん正規の授業も仲良く並んで受けている。 女子に多い。 中3生でもその感覚は変わらない。 一体、塾に足を運ぶ目的は何なのだろう。 ここは自らを鍛え、学びに来るところ。 コンサートでも遊園地でも買い物でもない。 師と向き合い知恵を掴み取ることにおいて、 仲間の存在はマイナスはあってもプラスはない。 授業にどれだけ集中できるか、どれだけ貪欲な姿勢を持っているか。 その度合いが仲間を求める行動に見事に集約されている。 試験対策授業で2人並んで何をする。 「ねえ、○○だっけ、これって○○だよね」 「2番目分かんない、教えてー」 「今日の○○チョーうけた・・・・」 「昨日、テレビでさー・・・・・」 「ねえ、今なんて言ったの?」 「ちょっと4番の答え何だった?」 「今どこやってんの? 問3でいいの?」 教え合い、見せ合い、揚げ句は私語を始め、どこをやっているかすら分からなくなる。 プリントは確かに埋まるだろう。 赤で。 だが、ギリギリまで考え訂正された赤と、ただ答えを書き込んだ赤とは根本的に違う。 いつになったら気が付くのだろう。 ここに来る、今ここに座っている目的が何なのか。 対策ではいつも一番後ろに座り、何をしている。 友達との会話は表でいくらでもやればいい。 ここは自らを浄化させ、知恵を身に付ける場所。 少しでも理想に近づこうと、苦悶し汗を流す場所。 個人としてどうあるべきか、真剣に考えなさい。 友達はあくまで、互いに係わり合い、プラスの空気を創っていく存在。 学びは個人戦なのだ。 場所や環境による使い分けを嗅ぎ取って欲しい。 自習もグループで来ては私語で盛り上がる。 振り替え授業では、他の知らないメンバーと一緒は嫌がる。 そんなに左右や周囲を気にするなら、その観察眼を正面に向けろよ。 ボードと手元をよく見て、先生の言葉に集中しろよ。 終了し、教室を出る時、今日学んだ物を誇らしげにかざしてみろよ。 どこまで律することができるか。 その意識の差は、のちに大きな開きになって己に降りかかる。 明日は中3の試験対策だが、相変わらず互いに参加の確認を取り合っていた女子たち。 もうやめようか? そんな気持ちでやるんなら。
2006.09.29
暗記する時のコツには、不要なものを削除するという大前提があるが、もうひとつの大切なことは一覧にまとめるということだ。 カテゴリーで区分し、さらに細分化してグループ単位で覚えていく。 一覧化するということは、自分にとって覚えやすいデータベースを作ることでもある。 多くの生徒は、この「作る」という行為をないがしろにし、すでに印刷されている表や要点集とにらめっこを始める。 何故、自分にとって覚えやすい形を作ろうとしないのか。 要点集とは、「非常持ち出し袋」に似ている。 最低限必要な物が詰まってはいるが、その中身は「個」に沿ったものではない。 非常時に必要な物は、子供のいる家庭と老夫婦の世帯では違う。 農村世帯と都会の世帯でも違うだろう。 あくまで袋の嵩が前提で、そこにもっともらしいものが放り込まれていると認識すべきだろう。 懐中電灯があっても電池がなければ使えない。 缶詰には缶切りが必要だ。最も大切な水も入っていない。 私が何を言いたいのかというと、そういう必要な物は自分でリスト化し、自分で集めなくてはならないということである。 暗記すべき知識も同じことが言える。 自分にとって必要な知識を拾い、分類し、一覧にするのだ。 その量には個人差があるだろう。だからこそ自分の手で加工し、ランク分けしていく必要がある。 しかも覚えやすい形にして。 昨日の手法は、その覚えたものをさらに定着させるための実戦訓練である。 社会について書いたが、もちろん他の教科にも応用できる。 公式などは、教科を飛び越えた仕上げの訓練としてかなり有効だろう。 理科の「圧力」「湿度」「密度」「濃度」「電圧」「平均の速さ」「電力」「熱量」などの公式を速記させる。 すぐに視点を変え、「力」「質量」「抵抗」「距離」などの別項目を求める公式を書かせる。 このリストに数学の計算や図形の公式を混ぜていく。 「飽和水蒸気量」の次に「円錐の体積」があり「オームの法則」がある。 別に意地悪をしているわけではなく、これらの切りかえがスムーズに出来てこそ本物の定着だと思うからだ。 オームの法則では、電流・電圧・抵抗のうち2項目の値を与え、残りの1項目を次々に答えさせる100マス計算をやったことがある。 こういう練習は速さを鍛えると同時に、条件反射的に公式からアウトプットさせる上で非常に効果がある。 オームが使えない生徒は、得てしてのんびり計算している連中に多いものだ。 昨日の手法は、化学では「化学式」の即答訓練に、文学史では「著者」や「時代」の即答訓練に、英単語では「意味」だけでなく「過去形・進行形・複数形などの語形変化」の即答訓練にも使えるだろう。 国連教育科学文化機関→UNESCOなどの速記にも有効だ。 もちろんすべて逆の問いを延々と繰り返す。 数学の計算式も、繰り返すうちにだんだんイメージが定着してくる。 因数分解や連立、簡単な文字式などは、筆算がいらなくなり頭で計算できるようになるのだ。 そこまで鍛えられた彼らは入試で絶対に失敗しない。 いかに時間短縮できるか。 それは、知識部分の定着の完成度がカギを握っている。 定着させるには必要な物をまとめ、一覧にすること。 そしてそれを復元するイメージ訓練を重ねること。 研ぎ澄まされた知識は武器になり、きっと無限の力を与えてくれるに違いない。
2006.09.28
暗記の手法として、取って置きの方法を教えたいと思う。 2年ほど前に一度実施し、効果も実証されている方法だ。 仕組みは簡単。 暗記項目をリスト化し、一覧にし、多角的に攻めるというやり方だ。 歴史を例に説明してみよう。 まず、B4横の用紙の左半分を、タテの線で3分割し、20行くらい書けるように横線を引き、全体を罫線で囲む。全部で横長のマスが60個出来たことになる。 同様に右半分にも罫線を引く。これで左右同じ罫線枠が出来、マスは120個になる。 タテの線は、右のマスを小さめに引くとよい。 左から4;4:2ぐらいに作っておくのがベストだ。 用紙を生徒に配り、まず私が口頭で言う重要項目を、3分割した左の列にタテに列記させる。 ここでは時代をわざとシェイクし、上下に繋がりがないようにする。 左の列が埋まったら、次に真ん中の列にその関連人物を、右の列に時代を書きこませる。 例えば、 承久の乱 後鳥羽上皇 鎌倉 公事方御定書 徳川吉宗、法令 江戸 正倉院 聖武天皇、建物 奈良 民本主義 吉野作造 大正 遣唐使の廃止 菅原道真 平安 辛亥革命 孫文 明治 のように表が埋まっていく。 人物が重複して出てくる場合は、人物の脇にジャンルを書き加えておく。 この人=この項目の場合は、ジャンルは不要である。 もちろんマスは全部埋まらないので、答え合わせをし、誤答も修正させる。 そして、人物を書きこませる時に、徹底して覚えさせる。 これを数枚やったのち、次に項目を隠し、人物を見て項目を答えさせる練習をする。 さらに、人物を隠し再度項目→人物、項目→時代の訓練。 項目と時代を隠して、人物→時代の訓練と、縦横に試していく。 とにかくスピード力を付ける即答訓練に徹する。 何度もやっていると、最初は半分も埋まらなかった生徒が、信じられないくらいのスピードを付けてくる。 やがて、40項目を30秒で答える生徒が出てくるはずだ。 ここまでスムーズに即答できれば、これらの項目に付いては完全に頭に定着したと言えるだろう。 注意したいのは、表はすべて生徒の手で作成させることだ。 予め項目だけ刷り込んだものを使うやりかたもあるが、そうすると項目自体の定着が悪くなる。 虫食い穴埋めも同じだ。止めたほうがいい。 どうせなら、全部書かせる。書くことは漢字の確認にもなるし、試験ではどこが出るか分からない。 この手法は地理・公民・理科1分野・理科2分野・英単語・文学史・公式・国語文法・数値など、あらゆるものに使用できる。 これらに付いては明日また書こうと思うが、数値だけ拾っておこう。 社会なら、やはり項目を言い、先に列挙させ、その後数値を記入させていく。 ここでは、地理・歴史・公民すべてが混ざったものすごいリストが出来上がる。 衆議院比例代表区定数 180 永仁の徳政令 1297 領海 12 通常国会会期 150 EU加盟国数 25 ポーツマス条約 1905 といったものが、延々と連なる。 圧巻は、数値だけを見て項目を答える時。 単位はあえて書かないので、必死な作業である。 3列目は空欄になるが、各自工夫して使えばいいだろう。単位を書いてもいい。 別の話になるが、数値だけを50個くらい書いたプリントを配り、項目を書かせるテストをするのも面白いだろう。 もちろん、互いには何の関連もない数字のリストだ。 どこまで発想を広げ、埋めることができるか。 私はこういうテストが大好きである。 つづく
2006.09.27
今日の正午、事故現場にお菓子を供え、手を合わせてきた。 四方に広くロープが張られ、警察官が多数現場の警備に当たっていた。 報道陣は遠巻きにかなりいて、通行人のみ許可をもらって通っている状態。 私がロープをくぐると、カメラが入るからと注意を受けたが、無視して拝んできた。 カメラもくそもあるか。どうせワイドショーだろう。 他にも花を持ったご婦人もいたが、我々の気持ちを優先するのがスジだろう。 官は一体どういう立場でそこにいるのか、口論を避けるように立ち去ったが、現場がまるで祭りのイベントのように扱われているのがひどく残念だった。 供え物は山のようにあり、中には遠方から訪れた人もいただろう。 悲しい事件だけに、皆が二度と起きて欲しくないと祈っているだけに、その一つ一つを大切にして欲しいと思った。 こういう事件もやがて風化してしまうのだろう。 児童や関係者の受けたトラウマは、簡単には消えない。 全国に同様な経験を持つ方がどれだけいるのか。 今日は奇しくも奈良の事件の判決の日。 現場を去りながら、地域や国のケアの意味合いを考えていた。 秋雨が涙のように冷たく感じられた。 さて、目を自分の教室に向けよう。 二学期も軌道に乗り、学校の授業もペースが速くなる時。 ここをダラダラ過ごすと、一気に遅れを取る。逆に、真剣に締めて掛かれば、ごぼう抜きが可能な時期。 毎年、上位と下位の枝分かれが顕著に出る時期でもある。 学習に適した季節をうまく過ごすために、一度部屋の整頓を勧めたい。 机の位置や向きを変えると、不思議と気分の変化が保てる。 教室も恒例の模様替えを今週行うぞ。 そういえば、来週は衣替えか。 制服は気分が引き締まっていい。 またひとつ教室の雰囲気が変わるな。 秋はそこまで来ている。
2006.09.26
明日、手を合わせに行こうと思う・・・ 川口市で起きた園児の列に車が突っ込む事故。 すでにニュースや新聞で伝えられているが、事故現場はわが教室のすぐ目の前なのです。 私が教室に向かう時は、いつもK保育園の前を通っていく。 今日も同じルートで歩いていると、園の前はもの凄い報道陣の山。私が訪ねると事故だという。 園内の事故かとも思ったが、それにしては各局の車やカメラ、マイクの数がもの凄い。 その後、近所の行きつけの店で訪ね、事情を知った。 すでに死者が出たとニュースでも報道されていた。 救急車の数がもの凄かったという。 教室で塾生や卒生の名簿を調べた。 幸い関係者にその園の生徒はいなかったが、早速文書を打ち、今日の生徒たちには配布した。 安全についての注意である。 事故現場はセンターラインもない、細い路地。わが塾生たちの家が数多くある区域である。 地番まで同じ生徒もいた。写真の2,3軒隣がその生徒の家だと思う。 顔見知りの近隣商店の主人も、モニターに映っていた。 被害に会った子供たちの住所も、塾生が多数住む地番。 亡くなられた方の名字と住所が、以前に面談した方と同じなのがちょっと気になっている。 園児たちはいつも列を作り、公園などに散歩に出ている。 時間的に私もよく見かけ、保育士さんも大変だなと思っていた。 児童はいつも楽しそうに、行儀よく手をつないでいた。 その列にと、想像すると、居たたまれない。 現場に居合わせたわけではないのに、修羅場がイメージとして頭を巡り続ける。 もう、こういう痛ましい事故はやめにして欲しい。 いつも何の関係もない者が巻き添えになり、害を被る。 飲酒による事故、幼い子供が犠牲になる事件、ほぼ毎日のように繰り返されている。 子供を預かる身として、安全に対する気配りと具体的な対応を考えなくてはならない。 治安がよくなるのはいつなのか。 常識やモラルが改善されるのはいつなのか。 事が起きてから議論されても遅い。 私が帰る時刻になっても、園の前には報道陣の車が数台止まっていた。 昼の泣きそうな保育士さんの顔がよぎる。 園も大変だと思うが、面倒見がよく、地域に支持されていただけに、頑張って立ち直って欲しい。 何とも残念で、悲しい日です。 亡くなられた子供たちの冥福を祈ります。
2006.09.25
力の差というものは簡単につく。 情報を得た時、どうリアクションするか。 そして、それをどこまで引きずれるか。 最後にそれをどうファイルするか。 こんな簡単な原理ですべてが決まってしまう。 ある命題が与えられる。 生徒10人。誰も知らない新しい知識。 A「へえー、なるほどね。じゃあ○○なんかも当てはまるのかな。きっと先月習った○○の原理と関係があるんじゃないかな。家でテキストで調べてみよう。そう、ノートもまとめなきゃ。○○の発展型として大事そうだし。でも何であそこがこうなるのだろう。入試に出るのならすぐ解明したい。ちょっと帰りに聞いてみよう」 B「そうか、じゃあきっと○○も同じなんだな。入試必出なら、まとめておかないと。そう言えば似た問題どっかで見たぞ。うーん、ちょっとノートが溢れてきたかな。来週が勝負かなあ」 C「また新しい内容か。でも大事らしいからなあ。ちょっとかったるいけど頑張ろう。○○の関係だろ? 大丈夫。よし、やるか、再来週テストだし」 D「エーッ? こないだのと違うの? いろいろあって頭パンクしそう。○○と○○の関係は分かるけど、これって何? ちょっとかったるいけど、マジで見直さないと」 E「また新しいヤツ? 参ったなあ。こないだからチンプンカンプンだし。質問でもする? でも面倒だよな」 F「もうやってらんないかも。ちょっと先生、できたらいっぺんに大事なことプリントにして渡してよね。毎日コツコツ考えるヒマないっしさ」 G「えーっ? また宿題? 何考えてんだよ。俺にまとめてこいって? 聞いてねえよー」 H「だからー? もういいだろうが、どうせ分かりっこねえしさあ。時間のムダだよ、ムダ」 I「あいつ、今なんて言った? まあ、どうでもいいからおしまい! おしまい!」 J「まだかよー、腹減ったってばよー!」 彼らがどうなるかは明確だ。 どこまで引きずれるか、ギリギリFまでだろう。 どこまでファイルするか、Dまでだろう。 最初のリアクションですでに決まっているのだ。 引きずるとは、見直し、反復し、糧にする努力をすること。 ファイルするとは、知恵として蓄え武器にすること。 結果を出したければ姿勢と思考を変えなさい。 何のための五官。 何のための頭脳。 何のための学び。 力の差なんて簡単につく。 もう一度言う。 情報を得た時、どうリアクションするか。 そして、それをどこまで引きずれるか。 最後にそれをどうファイルするか。 君の頭脳で自己診断してみたまえ。
2006.09.24
生徒の書く文字を見ていると、非常に読みづらい筆跡が多い。 変形し、象形文字のようなもの、続け字で判読不能なもの、記号のような「かな」。 筆圧の弱い生徒も結構目に付く。 ここで取り上げたいのは、「ひらがな」の筆跡である。 前のコメント欄でも触れたが、本当に読みづらい「ひらがな」を書く生徒がいる。 指の扱いに慣れてきた中1ぐらいから多くなり、高校生にもいる。 男子はいい加減で雑な方向に走り、女子は1画ずつはっきりと書く変形が始まる。 小学校から「かきかた」や「硬筆」で見本をなぞり、練習してきたはずなのに、どうしてこんなにも我流の形に変形してしまうのか。 女子の場合を見てみよう。 まず、『い』 『こ』 『け』 『に』 『り』などの1画目を不必要にはねる生徒。 はなはだ、読みづらいったらない。 『い』 の1画目は確かにはねるが、『V』 と区別が付かないほどはねることもないだろう。 しかも2画とも直線で垂直に書くから、カタカナの『レ』と縦の棒の組み合わせになっている。 『り』 も同じ風に書き、2画目の長さもほとんど同じなので、この両者区別が付かない。 『こ』 はその横バージョンで、やはりカタカナの 『フ』 と横棒の組み合わせだ。 どうしてみんなこう直線のかなきり文字で書くのか。 毛筆から生まれた「かな」本来の丸みがほとんど失われている。 『き』 や 『さ』 に至っては、すべて正確な縦横の直線。まるでどこそこの部族の数を数える記号みたいだ。 他にも『ん』 と 『W』、 『ら』 と 『ち』 と 『5』、 『し』 と 『U』、 『う』 と 『ラ』、 『や』 と 『せ』 と 『女』、 『て』 と 『へ』、 『ろ』 と 『3』などの判読も容易ではないので、記述のチェックは一苦労である。 こういう文字はよく「癖」として片付けられるが、これは癖ではない。 字形を間違って学んだ結果である。 『と』の1画目は突き出ないのだ。 『を』 の2画目は突き出るのである。 ポップ文字ではないのだ。 家で書く時間がほとんどないとは言え、50音の「かなチェック」ぐらいは出来るだろう。 親から見て変だと思ったら、試験で不利になることを考え、かきかたドリルで今からでも矯正して欲しい。 塾でも一度全員の筆跡チェックをすべきだろうか。 飽くまでも減点対象文字の修正が目的だが。
2006.09.23
頭の中が埋まらないクロスワード タテのカギを埋めてみても ヨコがつながらない 別のヨコを探そうとするが 分からない タテが間違っているのだろうかと全部消してみる 君は違う位置のヨコを埋め 同じことを始める つながるヨコの5文字が浮かばない その上の3文字はこれだろうか 君はとりあえず書いて つながるタテを再び探す 7文字で3文字目が「リ」・・・分からない・・・・ 書きかけのまま次から次へと移っていく 間違えていても気付かない いつまでも虫食いのままのクロスワード 何度も消して くしゃくしゃだ 勉強が分からないという子供たちの頭の中は いつもこんな歯がゆい状態 曖昧な手応えのない知識でいっぱいだ そして 間違えた記録をしても気付かない そこから次の発展を懸命に探している 無理だよな 結局 行き止まりの迷路のように やり直すしかない 頭の中には こんなクロスワードが何千個もある 果たして その幾つが正しい知識でしっかり埋まっているだろうか 勉強なんて所詮 こんな作業の積み重ね 慎重に 消しては書き やがて完成した形として残していく 中途半端なクロスワードで溢れてしまったなら とにかく一度消してみなさい 一からやり直すのを怖がっていては 穴はそのままだ そして正しい知識をもう一度懸命に探しなさい 正解なんて ちっぽけなもの それは考えるという行為の中に必ずある 知っているカギが見つかったなら 次はペンで大きく書いてみよう 自信を持って 中心を定め そこから派生する知識は 聞きながら 調べながら じっくり埋めればいいではないか やがて完成した時の悦びは 君だけしか知らない
2006.09.22
私が漢字検定を初めて受けたのは、昭和55年の秋、今から27年も前のことだ。 当時は今ほど漢字熱もなく、本当に漢字が好きな人だけがひっそり参加していた印象がある。 もちろんまだ文部省の認定もなく、テキストも「株式会社・オーク」というところから、2種類しか発行していなかった。 そのころの検定は、15級から1級までと、初段から3段までがあった。 3段は出来てまだ1年で、全国でも合格者は50人弱しかいなかった。 その後昭和56年に4段が、平成元年に5段が設けられた。 時と共に次第に認知が進み、平成4年に文部省が各種技能検定の一つとして認定してからは、急速に受検者が増えている。 段位のある昭和のころの検定は泥臭かった。 問題も初めの頃は手書きであり、直接記入方式だった。 ただし合格基準は90%と高く、合格率も今とは比較にならないくらい低かった。 私は最初の検定で初段を受けた。 200点中194点取り合格。 その後の検定で2段まで取得したが、仕事が忙しくなり、しばらくお蔵入りになった。 文部省の認定とともに段位が廃止され、最高位が1級となった。 ひとつ受けてみようかと思い、過去の問題集をひも解き、準1級を受け、合格。 その後、1級を2回受けたが、返り討ちにあった。自己採点であと2点。惜敗である。 それ以来再び検定から遠ざかっている。 来年あたりまた挑戦してみようかとも思っている。 だが1級は化け物だ。かなり強烈なので、しっかり対策を立てないと厳しいだろう。 時は流れ、何の因果か、いま生徒たちに漢検の受検を勧めている。 私は早くから色々な漢字に触れてきたが、それによって役立ったことが数え切れないほどある。 漢字は学び始めると様々な発見があり、とても奥深い学問だ。 漢字学を究めろとは言わないが、機械で変換する時代に、せめて日常の生活で使われる言語としての漢字は使いこなしたい。 今、授業をしていて、あるいはテストの採点をしていて、漢字をしっかりやってきてよかったと思う。 今回の検定から、わが教室は準会場としての認可をもらった。 規定数が集まらないだろうと今まで見送っていたが、社会のニーズと私個人の漢字への思いから、とうとう踏み切った。 漢字の素晴らしさを、学ぶ楽しさを、みんなに伝えたい。 私の今の姿。 生徒たちに斡旋しているこの姿は、巡りあわせというよりも、わが人生の帰結点なのかも知れない。 先刻の「漢字コンテスト」で見せたみんなの底力、再び見せて欲しい。 機運は盛り上がっている。 漢検に合格するにはコツがある。質問があるのなら、何なりと塾長に聞きなさい。 何でも知ってるぞ。 申し込み、待っている。
2006.09.21
【タイトル】 『勉強ができない子の頭脳』 【効能】 成績不振・学習気力減退・勉強離れ・遊び癖(これらの症状の緩和と、成績上昇のためのヒントとして)。 【用法・用量】 一回読めば充分です。 *ここに書かれていることを、明日から思い描かない努力をしてください。 【注意】 非常に読みづらいので、気力のある方のみお読みください。 症状:勉強嫌い自己中心軽度反抗型中3生男 『もう勉強なんてやってらんねえよ。つまんねえし、クソの役にも立たねえし。そもそも因数分解やら不定詞やら等速直線運動やらが、将来どこで使うんだよ。山田(先生)のヤツ、君たちには学ぶ権利も義務もあるとか言ってたけどよ、何を学ぼうがこっちの自由だろ。あいつ、俺が真剣に答えてあげたら笑いやがって、絶対に許せねえ。マジでケリ付けてやろうか。どうせ俺は木村(同級生)みたいに頭良くねえよ。バカだし。でもへーコラすんのはゴメンだね。好きなことやって、そのうち一発当てて、金持ちになってやる。世の中なんて要領よく生きたやつが勝ちさ。クソ真面目なヤツって、ろくな人生歩まねえよな。親は勉強しろってうるせえし。何であんなに何度も何度も言うのかね。一回言えば分かるだろ。それだけ俺を信用してねえってことだよな。息子を信用できないなんて、悲しいもんだぜ。あーあ、ブックオフでも行ってこっかな。デスノートの続き、読みてえー! あっ、いけねえ、今日塾じゃん。何だよせっかく息抜きしようと思ったのに、もう、うぜえったらねえよ。まあ、先週サボったから今日もいいとすっか。でも金もねえし、ケータイもやられたし、暇もつぶせねえじゃないか。ちくしょう、俺に自由はないのかよー。ん? 中間テスト? そういえば明後日だったなあ。全然やってねえし。ノート提出? もういいよ。何か言ってきたらやってあげっからさ。それより腹減ったぞ。母ちゃん、なんか旨いもんないの? 息子が一所懸命勉強してんだからさー。気がきかねえよな。俺、受験生だよ』 こういうことをモンモンと考えている貴方は、先が危ないです。 すぐに考えない努力と、逆の思考、行動をとるようにしましょう。 テストの準備と正しい受験は、どう考えても必要です。 先生、親を尊敬しましょう。塾にもちゃんと行きましょう。 あと、一発当てると言っている時点で、終わってます。 勉強しているふりは最悪なので、明日からやめて、良い子になりましょう。
2006.09.20
種を蒔きなさい やがて根を張り 芽を出す 種を蒔きなさい 努力という名の種 その小さないくつもの命を そっと蒔き 幾度も幾度も水をあげなさい その小さな命は おまえの中で茎を作り 葉をつけ 大きく育っていく こんなにも 数え切れない努力の跡 それはおまえの手元で確実に実を結び 天空を仰ぎながら収穫を待っている 努力は必ず報われるだろう 努力はおまえの野望を裏切ったりはしない 何年もかけて築いたこの「かたち」 じっと寒さに耐え 生きてきたこの「いのち」を おまえの手で守ってあげなさい どんなちっぽけな物にも 始まりがある 下手くそで構わないのだ 焦ることもない 知恵を持ち 確実に少しずつ明日を描いていけばいい 種を蒔くことは 可能性の高まりを呼び寄せること そしてそれは自分を高め 有為に生きること 今この日の努力を惜しむか惜しまないか 大切と思えば すればいい どうでもいいと思えば しなければいい だが 覚えておくがいい 蒔いた種は育ち 必ず芽を出す 陽に向かい歩むおまえの影に きっといつか 大輪の花を見る時が来る 後悔するなよ 「学」の種を蒔き そっと「知恵」を刈り入れる この素敵な営みを知った時に おまえは毎日水をやることができるか そして今 おまえはすでに幾つの種を蒔き 明日から 幾つの種を蒔こうとしているのか
2006.09.19
昨日からずっと社会・理科の用語チェックをしていた。 中3生に行う一問一答のリスト作成だが、実際に一覧にしてみると、単純に100問とはいかず、内容による数のバラつきが出ている。 歴史がどうしても多いため、最終的に次の設問数になりそうだ。 地理=100問→発展編100問。 歴史=150問→発展編150問。 理科1分野=100問。 理科2分野=100問。 理科発展編、両分野併せて100問。 都合800問の怒涛のテストだ。 年末の特訓で、再度それらの総確認と、公民150問、理科(新履修)の追加50問を加える。 さらにとどめとして理社仕上げ編、計200問。 トータル1200問。 ここまでできれば、用語の問題や記述の問題で恐れるものはなくなる。 公立高校受験生には全員トライしてもらう。 社会が苦手? ならば必死で覚えなさい。 まずは初日、一気に基本編450問を行う。 さあ、9割取れるメンバーは何人いるか。 不合格者は、土曜特訓に集まってもらい、合格まで追試だ。 今のうちから確認しておけよ。 漢字問題が多いぞ。
2006.09.18
私は、体験授業というものをしたことがない。 体験授業とは、いわゆる入塾前の生徒がまず一度授業を実体験し、その結果、この塾に入るかどうかを判断するという大切なものだ。 面談のあと、生徒の学力や性格を加味し、日時を設定し、いつも教科担当の講師たちに依頼している。 初めてだった。 今日初めて、体験授業というものを担当した。 面談の時、強いインスピレーションを受けた。 部活に熱中している、普通の中3女子だった。 「体験授業、私がやりましょう」 自然と口に出ていた。 「塾長先生じゃ嫌かな?」 「いえ・・・・大好きな塾長先生にぜひお願いします」 初対面なのに、相手も笑顔だった。 昨日の出来事だ。 今、振り返っても、何故自分がやると言ったのか分からない。 極端に成績の悪い生徒ではない。平均的な生徒だ。 昨日の夜に面談し、今日の夕方、早速体験授業を実施した。 社会を中心に、後半理科を教えた。 楽しかった。 この生徒に入って欲しいなどと、一切媚びもしない。 ダメなものはダメと叱り、よくできた部分は誉めた。 2時間半、時間の経過が早かった。 生徒もよく頑張り、随所にセンスの良さを発揮していた。 「ありがとうございました」 「気をつけてな」 ありふれた別れから30分程してから、1本の電話が鳴った。 「娘がぜひ入りたいと言ってます。よろしくお願いします」 お母さんの声だった。 帰宅するや、笑顔でやりたいと叫んだそうだ。 面談から体験を経て、入塾の決定まで23時間。 開校以来の最短記録だった。 あのインスピレーションは何だったんだろう。 何かに後押しされるように、自然と口に出ていた。 この生徒、きっといい塾生活を送れるに違いない。 表情にやる気が出ているから。 志望校、合格しような。
2006.09.17
教科書の索引は情報の宝庫である。 履修する重要事項がすべて並んでいるだけでなく、使い方を工夫すれば様々な発展学習が可能になる。 国語の教科書の場合、必ずあるのが漢字の一覧だ。 小学校の教科書だと、用例も豊富で、前学年までの配当漢字がすべて網羅されている。 中学用でも、出版社によっては丁寧にリスト化されている。 他にも、慣用読み・ローマ字表・手紙文例・報告書文例・文学史表・文法のまとめ・活用表と、かなりのページが資料に充てられている。 特に注目して欲しいのは、「学習用語一覧」というページだ。 国語を習う時に通過する重要語、文法用語などをまとめた索引である。 教科書によっては、単に索引となっている場合もある。 例えば手元にある中1の教科書には、『押韻』『会意文字』『擬態語』『紙上討論』『十干』『連文節』『マッピング』『転注』『六書』『国字』『熟字訓』『推敲』などの用語がズラッと並ぶ。 かなりレベルは高いが、本文のページと対照できるので、意味の確認には便利だ。 こんなページ開いたことないと思うが、用語チェックとしてぜひ活用して欲しい。 社会科の場合、索引の基本は用語のリストだが、その他にも巻末には様々な情報源が収められている。 地理ならば『世界の国別資料』『日本の都道府県』『分布図』など、歴史ならば『年表』、公民ならば『憲法』『法令』『条約』などがまとまっている。 また、学習用のホームページ一覧も掲載されているので、利用してみるのもいい。 用語リストの使い方は、前にもいくつか例を挙げたが、ここで一つ応用例を述べてみたい。 中学の歴史の教科書の索引を開くと、一項目にページがいくつも書かれている用語がある。 「植民地」が10個、「天皇」が11個、「一揆」が8個など、相当数あるが、こういう教科書に何度も出てくる用語は、時代の節目や流れを捉えるのに格好の材料になる。 例えば「キリスト教」で見てみよう。 キリスト教は全部で8個だが、どこで登場するか。 「仏教に絡めた三大宗教のまとめ」「ルネサンスから宗教改革の部分」「ザビエル来日」「秀吉の宣教師追放」「家康の禁教令とキリシタン大名」「鎖国」「アヘン戦争と清への布教」「文明開化と信仰の自由」の8箇所だ。 これらのページを開き、背景をしっかり捉えていく。 逆に言えば、キリスト教については、これらの項目以外は入試に出ないということになる。 こういう練習を続けていると、やがてページの大小を見ただけで、何時代のどのへんのことかまで見えてくるようになる。 逆学習法の一つである。 数学にも理科にも英語にも索引はある。 英語には、単語だけでなく、活用表や基本例文も載っている。どこまで利用できるかは、どこまで入念に精読し、印をつけ、書き出せるかで決まる。 そういう意味で、全教科コピーを活用することが望ましいだろう。 折りたたんで持ち運び、どんどん印を付けてマスターしていく。 市販の要点集とは、また一味違った、素晴らしい教材の出来上がりである。 用語に関して言えば、索引は入試に出るものはすべてカバーしているのである。 意外と使われていないので、ぜひ一度じっくり眺めてみて欲しい。 索引は素晴らしい知識と学習ヒントの宝庫であろう。
2006.09.16
1 プリント学習の答え合わせの時、自分の間違えた部分を懸命に消しゴムで消し、正解を書き込んでいる。 何故そんな面倒なことをする。 間違いは赤ペンで修正していけばいいだろう。 答え合わせは、誤答と正答を比較し頭にイメージ化する作業でもある。 消しゴムで消しながら、プリントをクシャクシャにしてるヤツ。 汚い消しゴムで、プリントを真っ黒にしてるヤツ。 隣の解答欄まで消してしまい、せっかくの正解が半分消えているヤツ。 何をやっている。 答え合わせは赤ペン一本でどんどん進んでいくもの。 余計な作業で分かりにくくしてどうする。 こういうヤツは、テストの時も見境なく消しゴムを使う。 途中まで合っているのに、それを控えずに全部消しまくる。 作文もそうだ。 何回消せば気が済む。 もっと技を磨きなさい。 できるヤツは部分消去の技を持っている。 歯を食いしばって消しているヤツは、必死の割りにいつまで経っても伸びない。2 試験の時に、まだ充分時間があるのに、問題用紙に夢中になってイラストや絵を描いている。 こういう生徒に限って点が悪い。 諦めているというか、緊迫感も根性もない最悪の連中だ。 少なくとも制限時間のある、タイムトライアルの時。 お前は脳みそも使わず何をやっている。 見直ししても分からんだと? だったら悔し泣きして、次から分かるようにしてみなさい。 できるヤツはギリギリまで粘り、見直しを繰り返す。 用紙の欄外は、計算、下書き、推敲などで一杯だ。 おい、そこの「ドラえもんの七変化」とか書いてるお前。 4BとHBの使い分けは見事なもんだが、人生のタイミングを踏み誤るなよ。 裏返しの答案に名前は書いたんだろうな。 3 学校や塾の連絡事項を、ペンで手の甲にメモ書きし、ゴチャゴチャになっている。 忘れないように記録するのは悪いことではない。 だがお前たちにはメモ帳というものがないのか。 ひどいヤツになると1週間前のものが消えずに残っている。 そこに重ね書きするから、まるで斬新なアートのようだ。 そもそも何故、筆箱にポスカが入っている。 花丸で色分けしてるヒマがあったら、メモを用意しなさい。 そんなことに夢中になっているから、肝心な連絡を聞き漏らすのだ。 しっかりした生徒は、メモすらいらない。 連絡プリントもクリアファイルなどでしっかり管理している。 お前のプリントはどうだ? まさか、カバンの中でクシャクシャになってないだろうな。 手に書くことに夢中になる前に、よく聞き、頭で整理しなさい。 ノートも机も、落書きだらけではないか。 教科書にプリクラを貼ってるような生徒は、成績上位者にはいない。
2006.09.16
私はここ数年、様々な勉強のし方を考えてきた。 そして方法としてまとめ、生徒に伝え、授業でも実践してきた。 その方法論や実践経緯はブログでも触れてきたが、確かに成果は出ている。 だが、今日担当した授業で、そのすべてが瓦解してしまった気がした。 「今までの苦労は、一体何だったんだろう」と。 我が教室には、毎年必ず、底辺で苦しむ生徒が数名いる。 彼らの共通点は、勉強が死ぬほど嫌いなことだ。 追い込まれてもやる気になることはなく、常にどうでもいいと、自分の成績を他人事のように思っている。 あと5ヶ月で命運を分かつ受験生なのに、緊迫感もなく、ダラダラと日を消耗している。 今年もそんな受験生を2名担当している。 彼らにとって遅刻は常習。宿題はおろか教材も持ってこない。 先週は筆記用具すらなく、完全なる手ぶらで遅刻してきた。私は数回様子を見ていたが、先週の授業でとうとうキレた。 「ふざけるな! お前、何様だ。ここに来れば教えてくれるだと? 誰がお前なんかに教えるか! 合格したくないんだろう? だったらとっとと帰って、しみったれてろよ」 テキストで机を強く叩き、仁王立ちになった。 他の講師や生徒が振り向くが、そんなものは関係ない。私は目の前の生徒の一点を睨む。 その後少し反省したため、次回からの約束を交わし、授業を受けることを許可したが、もし同じようなことがあったら、引きずり、階段から放り出すと告げた。 今日は、問題のその1週間後だったが、2人揃って定時にしっかりと来た。 忘れ物もない。何か表情が爽やかで、やる気が感じられる。 ちょうど今日、前回の北辰テストの結果が届いたので、彼らの成績を見てみたところ、やはり予想通りの結果。 単に知識不足からくる当然の数値が並んでいる。200点満点の5科の合計点と偏差値が同じ数字。 私は、よし叩き込んでやるとばかりに、彼らに一問一答を突きつけた。 社理あわせて50問弱のプリントだが、最初の出来は2人とも5問程度。 答えと解説を加え、彼らに赤で修正させる。さあ、ここからが我慢比べ、勝負である。 「全部覚えろ。覚えて合格するまで帰れないぞ」 今までの彼らはここまでで作業をやめ、やった気になっていただけだ。だからテストでいつも点が取れない。 全問正解するまで、反復し、頭に叩き込んでみろ。立派な頭脳があるだろう。 彼らもたじろいだが、必死に書きまくり、覚え始めた。 20分、30分、時間が過ぎる。沈黙の中、自然と姿勢もよくなる。 そして最終的に出た結果。 一人は全問正解、もう一人は1問ミス。 そのミスも言い直しで答えられたので、合格とした。 この結果は何を意味しているのか。 まったくやる気のない彼らが、ほんの少し場を設定してあげるだけで、こんなに素晴らしい結果が出る。 彼らにとっては初めて見る未知の用語。ただ反復することで、ここまで記憶に残る。 彼らにはこういう場の経験がなかった。 恐らく勉強に関しては、追い込まれるという状況も初めてだったのだろう。 訓練の導き方ひとつで、隠れた能力が芽を出す。素晴らしいことだ。 私が、「じゃあ来週までに間違えたところよく見直しておけよ」で済ましていればどうなっていたか。 恐らく、見直しなどしてこないだろう。もちろん来週にはほとんど忘れている。 せっかくの履修が次々と切断される。定着せずにどんどん流れていく。 そんなやり取りがいかに多いことか。 彼らの覚えようとする真剣な姿を初めて見た。 世間には様々な学習理論があり、掃いて捨てるほどの教材があるが、カッコつけて武装する前に、まず目の前の知識一つ一つを徹底して反復すること。 繰り返し丁寧に頭に植え付けていくこと。 泥臭い作業だが、そんな汗の滲む方法が大切なのだろう。 今日の経験でそう確信した。 彼らのはじき出した結果が、何よりの実証だ。 来週、再度定着を確認するが、今後の手順と指導法をもう一度見直そうと思う。 とにかく反復せよ。 書きまくり、練習を重ね、しっかりと定着させるのだ。 単純なことなのだ。 勉強の仕方が分からないと言っているすべての生徒に、そう言いたい。
2006.09.15
「塾長の今日のひと言」というものを教室に掲げようと思う。 連絡、時節、ニュース、勉強法、格言・箴言、クイズ、雑学などを一項目だけ記し、毎日更新する。 生徒が登塾したら、まずその言葉が眼に入る。帰る時にも眼に入る。 私のメッセージがどれだけ伝わるか分からないが、毎日のお土産としてわずかな知恵や勇気を与えていこうと思う。 『漢検申込、来週いっぱいだよ』のような連絡にも使える。 『今日は全員テスト~』これも連絡だが、抜き打ちで気が引き締まる。 『遅刻するなよー』これなんか、毎日必要かも知れない。 『才能は学ぶことによって拓かれる』このような格言もいい。若干の解説を付け足したい。 勉強ものは、裏知識や雑学、穴埋めクイズ、記憶法、語呂合わせ、科学ネタなどが面白い。 1週間のリストを欄外に記しておけば、生徒の見落としが減るかも知れない。 さあ、いつからやろうか。 と、考えていた矢先・・・・・ 今日は雨だったが、時々、傘立てから傘がなくなることがある。 すでに5本ぐらいだろうか。最後に教室を出るのは必然的に私なのだが、今日もやられた。 さあ帰ろうと思い、傘立てを見ると、ないのである。 仕方なく骨の折れた傘で帰ってきたが、なぜ勝手に持って行くのだろう。言えば予備はあるのに。 古い折りたたみだが、今日の傘は特別なものなので返して欲しい。 親父の形見なのだ。 壊れるまで使ってあげて、私の手で葬ろう思っていたのに、こんな別れ方になるとは。 残念である。 今日の一言、第一号は『傘返せー!』になるのだろうか。 何だか非常に違和感があるのだが。
2006.09.14
文章で書かせる問題になると、まったく書こうとしない生徒がかなりいる。 再三、思ったこと、ひらめいたことを書けと指示しているが、解答欄はなかなか埋まらない。 いわゆる30~40字程度の短文記述問題。 「書こうとしない」のではなく、厳密に言えばみんな「書けない」のだ。 地理の資料データを分析し、考察する問題。 歴史の時代背景を読み取り、具体的にまとめ上げる問題。 いずれも、自分の言葉が必要になるためお手上げ状態だ。 模試の答案用紙も空欄のまま。 恐らく頭の中でカッコいい言葉を捜しているのだろうが、記述問題なんて別にカッコよく決める必要など毛頭ない。 詩のフレーズを推敲しているわけではないのだ。 思ったことを下手くそでもいいから書けばいい。 書かなければその問いは0点だ。 そんなことみんな知ってるくせに、記述というだけでよく考えもせずに次の問いに移ろうとする。 記述は配点が大きい。書けば部分点をもらえることも多い。 私に言わせれば、記述を飛ばす答案作成は「逃げてばかりの兵法」の何物でもない。 記号やベタ用語問題などはみんな出来るのだ。 差がつくのは短文記述の問題であり、みんな敬遠するから点差を付けるチャンスでもあるのだ。 この切り口にはこう答えろという定石はあるが、そんなものは書き、失敗し、添削し、模範解答と照合しながら、少しずつ分かってくるものだろう。 まず、下手くそな失敗文を書いてみなさい。 もう一度言う。 下手くそな失敗文を書いてみなさい。 視点がずれていたら、視点を学べばいい。 必要な用語が抜けていたら、その用語を使うことを学べばいい。 設問の条件を外していたら、条件を守ることの大切さを学べばいい。 文が簡潔に書けないのなら、簡潔な模範文にコツを学べばいい。 何のことはない。悩むこともない。 堂々と失敗し、×をもらい、赤ペンで命を吹き込んでいけばいいのだ。 試験は自己との闘い。 他者との比較で恥を感じることもない。 何も書かずに逃げていることの方が、よっぽども恥ずかしいことなのだ。 そう認識し、大きな一文字から記して欲しい。 文は書けば書くほど上手くなる。 失敗の数は、本番に向けての着実な歩み。 数をこなすと、やがて同じような問題が繰り返し出てくることに気付くだろう。 その時の○を大切にするのだ。
2006.09.13
生物の話をひとつ。 と言っても、中学生に教える動物分類の話だ。 動物に詳しい人には何のことはないのだが、中学生ぐらいだとこの分類も一苦労。そう簡単にはいかない。 彼らは生物と触れ合う経験も乏しく、写真や映像で学んできた世代。 実際に見て触れて育った私たちに比べ、やたら事務的だ。 犬と蛙を比較する時も、無条件に活字を追い、まるで性能を比べ合うカードゲームのようだ。 授業をしていると、中には分類ができない生徒もいて驚かされる時がある。 犬、猫、ハト、メダカあたりなら、それぞれ何類かはみんな分かるが、ワニ、トカゲ、クジラ、カエルとなると、間違える者が必ず出る。 大人から見れば常識の範囲。でも彼らには、生活に密着しない別次元の内容なのかも知れない。 入試の例としてよく使われる連中なのだが。 私は、ここまでマークしておけと、よく筆記させる動物がある。 ペンギン、イルカ、ヤモリ、イモリ、シャチ、サンショウウオ、コウモリの7つである。 順に鳥類、哺乳類、爬虫類、両生類、哺乳類、両生類、哺乳類となるが、生徒たちは覚えるのに一苦労のようだ。 入試にはこれらを超えた難解なもの(例えばタツノオトシゴ、カモノハシなど)や、無脊椎動物(例えばクラゲ、イカ、イソギンチャク、昆虫、甲殻類など)の分類までは問われない。 脊椎動物だけしっかり押さえておけばいいのだ。それ以上のものは高校で取り上げられる。 分類を教える時に、「フナもカエルもカメもハトも卵を産むから卵生」とだけ教えるのなら、いとも簡単だ。 そもそもテキストを見ればその通り書いてある。 私はそうではなく、そこから発展する教え方を常に考えている。 この4つの卵の形態と、親の産み方、産んだ後の対応について生徒たちに考えさせる。 フナは水中に産卵し、カエルは水草などに産み付ける。カメとハトは陸上に産む。陸に産むから乾燥に耐えられるように殻がある。 また、カメは産みっぱなしだが、ハトは親が卵を温め孵化させる。そう、恒温動物だから温めるのだ。 こういった発展を必ず行い、○○類の区分をはっきりさせるようにしている。 「ヘビは陸に産んで、温めないだろ? だから爬虫類だ」 「ペンギンが卵を温めているところ見たことないか? そう、恒温動物だからだよね。恒温で卵生なのは鳥類だけだよね」 「クジラは魚の捕獲網に掛かると死んじゃうんだよ。肺呼吸している哺乳類だから」 「イモリは井守、ヤモリは守宮って書くんだ。イモリは井戸を守るから湿っぽい。だから両生類。ヤモリはお宮(家)を守るから乾いている。だから爬虫類だ」 色々と雑学を語り、生徒にイメージさせる。 ただ機械的に暗記するよりも記憶に残っていくだろうと思い実践している。 実際に目の前に現物があればもっと印象に残るんだろうが、まあ限界というところだろうか。 せめて子供の頃には、動物園や水族館、あるいは山、海、川、森、田んぼといった自然にどんどん触れさせてあげたい。 そういう体験は、写真では学べない財産であることが、大人になって分かるものだ。
2006.09.12
アクセスもいつの間にか35000近くになりました。 これだけの方にご訪問いただいて、果たして中身はどう思われているのだろうと考える時があります。 思ったことをどんどん書いていますので、記事に対するご意見は賛否いずれもあるかと思います。 当ブログでは、塾生や保護者からのコメントは遠慮いただいてましたが、暫くそれを解除しようと思います。 毎日相当数のゲストさんにご訪問いただいてますが、その中に当塾の関係者がどれだけいるのかは分かりません。 もしいつも訪れていただいてます塾生や保護者様がいましたら、ぜひ熱いコメントでもいただけたらと思います。 2日前の記事のネーミングを書いていただいても構いません。 ただし、このブログは考えがあり、塾名を公開せずに開いてますので、その点はぜひ守っていただくよう協力をお願いします(削除もあります)。 コメント内容に関しては、個人のメールではありませんので、ブログの趣旨に合った常識の範囲でお願いしますね。 さあ、塾生よ。 書き込みしてもいいが、勉強もしろよ。 訪問者はほとんどないと思うが。 とりあえず、9月いっぱい許可してみよう。 まずはこの記事に対するコメント。 私はゼロと見た。
2006.09.11
生徒、母親、私の三者面談では、よく親子の意見の食い違いが見られる。 私が聞き手に回っていると、中には一触即発とも言えるバトルに展開していく場合がある。 次の会話は、入塾前の初対面のケースである。 「家での勉強はどうですか?」 「それが、全然やらなくて困ってるんですよ」 「学校から帰った後、机には向かってるんですよね」 「んー、何かごそごそやってますけど・・・何してるんだか」 「勉強に決まってんじゃん」 「でもちゃんとやってたら、こんな点はとらないでしょ?」 「やってるってば。国語だって上がったし・・・・」 「5点上がっただけでしょ? 他はみんな落ちたんじゃなかった? 数学は隠して出さないし」 「ホントにまだ返してもらってないんだってば」 「もう2週間経つのに、そんなことないでしょ。前も同じようなことあったじゃないの」 「あのー、○○さんに聞くけどさ、勉強してるってことだけど、どういうやり方でしてるのかな?」 「ドリルとか・・・・あとノートに書いて覚えたりとか」 「試験前どのくらいからやってる? テストの日に提出するワークなんかもあるよね」 「1週間以上前から、少しずつ・・・・」 「○○ちゃん、こないだはテストの前の日、3時まで提出物やってなかった? 普段からちゃんとやらないで遊んでばかりいるから。計画性がないからそうなるのよ」 「だって毎日部活だし、しょうがないじゃん」 「部活やりながら、勉強もちゃんとやってる子だっているでしょう」 「だから、やってるって」 「やってないから塾探してるんでしょ? どう勉強したらいいかも分かってないじゃない。少しはお姉ちゃんを見習いなさい」 「またそれ? どうせ頭悪いからいい高校行かないし」 「何なのその言い方? こんな成績じゃ、行ける高校なんてないでしょ。自分のことなんだから、真剣に考えなさいよ」 「考えてるし・・・・やってるし・・・」 「次のテストで点が上がらなかったら、それなりの罰を考えますからね。頑張ることね」 「はいはい、もう分かったからさ」 一体、何をしに来てるのだろう。 勉強の悩みを、塾に相談しに来ているのではないのか。 親子で口論してどうする。家庭での様子をここで再現してどうする。 少なくとも私を交えた面談中である。こんな様子なのですが、何か改善できるヒントはないですか、指導していただくことは出来ますか、というのが筋であろう。 私はレフェリーでも進行役でもない。お母さんが意識して子供を持ち上げてあげないと、ただ意見をぶつけ合うだけになってしまう。 第三者の私を前に、親が自ら、子供のいいところを、可能性を拾い、語ってあげる。 そして子供の言葉を聞いてあげる。 配慮ひとつで話の流れは180度変わるものである。 会話例のような親子はたまに見るが、入塾となるケースはほとんどない。 親の意識が変わらない限り、子供の意識も態度も変わらない。険悪な空気で学んでも、成績は伸びないだろう。 自分の子が何に長けていて、何に対して弱いのか。 他者の意見も参考にし、親身に見てあげることで、大半はきっかけがつかめるものだ。 「勉強のし方が分からない」 面談の場で、お母さんたちがよく言う言葉だ。 だがよく話を聞いてみると、し方を知りたいのは、子供なのか親なのか曖昧だったりする。 方法論を持っている親は子供を管理し、自分の基準に達しなければ合格点を出さない。 やり方が甘い、要領が悪い、こうすればいいのに、切りがない。 方法論をまったく持っていない親は、放任するしかないが、自分も知らないような高度な方法を子供に求めてくる。 子供は切実な場面にならない限り動かない。 親は切実になる前に動かそうとする。 切実になってから動く子供に、結果は出ない。 少なくとも親はそれを知っているから、普段の生活の中で何度もうるさく語る。 突き詰めていくと、その親の言葉を子供がどう受け止めるかで、すべてが決まってしまうのだろう。 意見を参考に、考え、自ら行動していく。何とも素晴らしいが、こんな道徳を絵に描いたような子供がどれだけいるだろう。 ほとんどの子供は現状に甘えながら、ヤバくなってからやっと腰を上げているのではないか。 親は子供に対し、勉強の牙城だけに攻め入るのではなく、もっと身近な周辺部分からやり取りをしていくべきだと思う。 判断力、決断力、危機管理力、時間管理能力、生活のメリハリなど、普段からの会話と実践から様々な力が育っていくものだ。 機敏な行動も、手順もそうだ。 日常の中で役割を決め、失敗し、考えながら学んでいく。 遊びは悪ではない。 遊びと他の作業との線引きさえはっきりしていればいいのだ。 私は遊びを奪ってはいけないと思っている。 小さい子からおもちゃを取り上げても、勝手に本を読み始めたりはしないだろう。 おもちゃを欲しがり、泣き、翌日は取られないように強く握りしめるに違いない。 不信感の芽生えである。 面談をしながら思うが、何となく理想があり、何となくそこに納まっていれば安心という親御さんが多い。 先ほどの会話にもあるが、「何か」「ちゃんと」「頑張る」という言葉が繰り返されている。 「ちゃんと」というものは、どういうものなのだろう。 こういう漠然とした言葉のやり取りが常態化してくると、互いの解釈にズレが生じてくるものだ。 「頑張る」も、いつ、何を、どう頑張るのか、具体的にひも解き、ズレを埋めていく工夫が必要だろう。 また試験が近付き、面談の増える時期が来た。 2学期が始まり、みんな家ではどんな会話をしているのだろう。 毎日、口論しているようなら、お母さんもぜひ一歩引いて考えてみて欲しい。 普段の会話は自然にできているか。 子供の素晴らしいところを誉めながら、伸ばそうとしているか。 今、悩み、学んでいるのは一体誰なのか。
2006.09.10
生徒たちの悩み 困った表情が 仕草が 我々の行動の原点だと思う 生徒たちの話を聞いてあげ 生徒たちに語ってあげ 心をほぐしてあげる 生徒たちの知らないことは山のようにあり その一つずつを プレゼントのように与えていく 生徒たちが気付き 自ら笑顔を探し始める時 毎日の我々の営みが 初めて記録となり 光に向かって動きだす 「先生、やったよ! 95点!」 「ねえ、ねえ、塾長~!」 笑顔が コミュニケーションが 空気に色を添える 嬉しい限りだ あんなに辛そうだった君が 別人のような姿でここにいる つい最近まで思っていた 我々は何をしたらいいのか 我々の求めるものは何だろうと だがもう迷う必要も無い 生徒たちがいる限り 我々のすべきことはひとつ 君を お前を みんなを守ってあげたい 子供たちの心が翳り 悩み 涙している限り 少なくとも私はこの教室にいて 明日も 明後日も 生徒たちは来てくれるだろう 手に肩に 悩みと悦びをぶら下げて 私はそっと 君たちの可能性を見届けたい 何よりも素晴らしいこと それは 教室がこんなにも光にあふれていること 生徒たちよ 眼を見開き 見失うなよ 自分のすべきことは その手元にある だから 自信をかざし 力強く上を見続けよう この教室はそんな長い道のりの第一歩だ 名前を募集する この教室は君たちにとってどんな存在か 今の教室に相応しい名前を考えて欲しい ここは みんなが創るコミュ二ティーとしての場 みんなの気持ちが込められた名前を「かたち」にして 色々な場面で使っていきたいと思う 枠にこだわらない名前 待っている
2006.09.09
相変わらず生徒たちの時事問題やニュースへの知識が弱い。 新聞も見なければ、テレビのニュース番組も見ないのだから、知る術がない。 唯一の情報源である親子の会話も、最近は希薄な家庭が多くなり、仮に話を交わしても難しい話題は敬遠される傾向にあるようだ。 友達との会話から情報を得たりもするだろうが、それもそういう話題が好きなメンバーがいなければ成り立たない。 紀子さまのご出産の件も、自民党総裁選の件も、北方領土海域での拿捕の件も、テポドンも冥王星も知らない。 本来家庭で触れ、考えるべきテーマたち。 学校で先生が話しているかも知れないが、それにしては知識が貧弱だ。 話題になっているテーマ、常識として知っておきたいテーマ。 私はそれらを塾のボードにさりげなく貼り、「世の中っていろんなことがあるんだぞ」と、生徒たちに伝えるようにしている。 教室に来る限られた生徒たち。 しかもその中で何人が見るだろう。 今日も早朝に部分月食があったので、月食の写真とコメントを添え、「月食はなぜ起きるのか考えてみよう」と掲示した。 「いつも欠けてるじゃん」という生徒。月食と満ち欠けを同じものと考えているのだ。 こういうものは大人たちもあまり知らない世界。 ならば、知っている者が答えを提示してあげる。 塾だから、知の飛び交う場所だから、さりげなく。 私は以前から「ワクワクする空間を創りたい」と何度も言ってきた。 色々な意味で情報を刺激として魅せ、展示していきたい。 皇室の系図も貼った。 41年振りの男児。その41年前は誰なのか。何でこんなに皇位継承でもめるのか。 系図を見て、自分たちで考えて欲しいのだ。 我が教室には、ドルやユーロの為替レートも掲示している。 「覚えよう」と題して、国内外の政治家や著名人を表にしてボードに書き込んでいる。 何かを子供たちに与えたい。 学びの場として、知恵に繋がる、財産になるような役立つ何かを。 たった一人でも見てくれればいい。 そう思い、これからも続けていくつもりだ。 明日も、新聞張り替えよう・・・
2006.09.08
「テキストを使いこなす」方法には、色々な切り口がある。 とにかく読みまくるやり方。問題集なら解きまくるになるだろう。 また、重要事項にラインを引き、マーカーやペンで描いていくやり方。もちろん書き込みながら覚えていく。 そして、欄外や余白にどんどん書き込んでいくやり方。授業の板書やポイントをびっしりと書き込み、重点には色や吹き出しや記号をからめていく。 いずれも方向はひとつ。 あるテキストを選び、それを学習の『核』と決めていくことだ。 教科ごとに何冊もの重複したガイドはいらない。 一つあればいい。 そしてそこにすべてを集約させ、ボロボロになるまで使い切る。 もし私が学生なら、こんなことをするだろう。 核となるテキストを決めたら、徹底的に情報を集め、余白にどんどん記入していく。 知識をそのテキストにインプットするのである。 サブの教材があったら、切り抜き貼っていく。 データも模試の問題も解説も、書き込む余白がなければどんどん貼り付けていく。 切り抜きが溢れたら、背表紙の内側にポケットを作り収めてもいい。 とにかく一冊に収める。 これ一冊をやればいいという状態にもっていく。 それでも情報量がかさみ、また、もっと書き込みを充実させたい時は、私はこんなことをすると思う。 恐らく全国で誰もやっていないと思える二つの方法。 一つは、テキストの背表紙にノートを一冊貼り付けてしまう方法だ。 強引に糊で貼り付ける。 そして氾濫している教材のおいしい部分を、そのノートに集約していく。 授業ノートとしてのスペースもこれなら確保できる。 もう一つの方法は、テキストそのものをバラしてしまうやり方だ。 全部バラバラにし、一枚ずつ26穴の差し替え可能なポケットファイルに収めていく。 情報の書き込みにはルーズリーフを使い、切り抜きなどもそこにどんどん貼り付けていく。 テキストのページと、べたべたに書き込まれ貼りまくられたルーズリーフが交互に続くファイルが出来上がる。 このやり方は、情報を際限なく増やせるという利点がある。 インデックスも有効に使えるだろう。 私は、教材などは原型を留めておく必要はないと思っている。 使いやすいように改造してしまえばいい。 三平方の定理を学ぶ時に、教科書の他に、参考書や問題集を何冊も開き、あちこち見ながらやるのは果たして効率のいい方法だろうか。 机のスペースがなく、足元にページを開いたまま伏せた経験はないだろうか。 だったら核となるテキストにすべてを集めてしまえばいい。 全部バラして三平方だけで綴じれば、一冊の驚異のテキストが出来上がる。 ポケットファイルとルーズリーフは、そのテキストをコーディネートする時に威力を発揮する。 また、テキストやルーズリーフ、テスト問題などに情報を書き込む時は、必ず統一させた記号を使いたい。 自分だけが解る使い分けで構わない。 凡例を作っておくといいだろう。 昨日の記事のように、墨を入れていくやり方もある。 この場合は、教材のコピーか、または同じ教材をもう一冊用意する必要があるが。 この同じ教材を2冊使った学び方にも、様々な方法が考えられる。 例えば、先ほどの糊付けを、この2冊で行う(貼り合わせる)とどうなるか。 同じテキストが2冊くっついている。そう、片方を墨入れに使い、もう片方を解答編として使うことができる。 それをさらにバラしてポケットファイルに収め、見開きに編集し直せば、問題と解答が繋がりもっと見やすくなる。 1冊を切り抜き用として使ってもいいだろう。 核を作り、そこに全てを畳み掛けるのである。 こんなことを書いても実行する生徒はいないだろうが、何かヒントを掴んでくれれば有り難い。 勉強は馬鹿正直にやることだけが全てではない。 型を破壊してみると、時として効率がよかったりするものだ。 わたしはそう思う。
2006.09.07
歴史が苦手で困っている生徒には、ぜひ次の方法をお勧めする。 以前にいくつか触れたこともあるが、ここにまとめておこう。 まず、教科書を読書することだ。 ただ読むだけではダメ。何度も何度も繰り返し読書すること。 具体的に言えば、まず2回流しながら通読し、大きな歴史の流れや用語を捉えていく。 次に教科書のコピーを用意し、そのコピーの精読を2回繰り返す。 ここでは細かい知識に注意し、ラインやマーカーを使いながらゆっくり読み進める。 次にそのコピーの重要語句をマジックで塗りつぶしながらもう一度全体を読む。 そして確認の意味でもう一度教科書を開き、ざっと見直す。 特に記憶が曖昧な時代に重きを置くといい。 その時必ず、自分が塗りつぶした用語を意識して読み進めるようにする。 さらに塗りつぶしたコピー用紙を穴埋めしながら読んでみる。 不明な部分には印を付け、制覇するまで2回反復する。 恐らくみんなの感覚はここまでだと思うが、実はまだ先があるのだ。これをやると定着の精度はかなり高まる。 再度コピー用紙を開き、墨塗りをさらに加えていく。 超重要語句はすでに塗られているが、その周辺の大切と思える語句にも墨を入れていく。 図版、資料、データ、註にも入れていく。 完成したら、再度精読しながら穴埋め読書を試みてみる。 今度は簡単にはいかないが、2回ほど印を付けながら読み、教科書と対照しながら覚えていく。 次にコピーをシェイクし、ランダムに取り出した一枚ごとにトライしていく。 歴史の一部の細切れのようになるが、実はこの作業にはもの凄い効果がある。 その1枚を眺め、いつの時代かを瞬時に判断し前後関係を捉えることができれば、テストの時にかなり役立つ。 恐らくこの頃には、この1枚の前後がどんな内容で、どこにどんな図版があったかまでイメージできているのではないだろうか。 最後に教科書の索引を使って、用語のイメージトレーニングを行う。 用語一つ一つの時代や背景を考えながら、短文説明を試みる。 意味から用語を答える一問一答の逆を行うわけだ。教科書本文と対照し、何度も見直す。 都合、教科書10往復+1枚ずつのトライ+索引。 多いと思うか、少ないと思うか。 問題集などやらなくても、これだけで歴史は間違いなく8割取れる。 さらに時間があれば、用語のカードを作り、用語を見てカードを年代順に並べる訓練をしてみるといい。 初めは3枚から。やがて5枚、10枚と。 限界などないのだ。たとえ50枚でも出来る時が必ず来る。 この作業が完璧に出来れば、年表を使った問題は怖いものなしになるだろう。 仕上げにすべきことは、別売りの要点集でのチェック、資料集の確認、記述問題の字数まとめの確認ぐらいだろう。 ここまでできれば、安定して9割からほぼ満点の正解が出せるはずである。 もう一度言う。 問題集などやらなくても、教科書を縦横に制覇すれば8割は楽に取れる。 苦手と騒いでいる者に限って、教科書を読んでいないものだ。
2006.09.06
最近あまり使用していないが、以前よくボードを使った授業をしたことがある。 問題を出し生徒に答えさせる時、口頭だと筆記のミスがカバーできない。 かといってノートに書かせると小さすぎて見づらい。 そこで小型のホワイトボードを使い、解答を書かせるようにしたら、クイズ番組のようだと生徒には好評だった。 盛り上がるので、ダレている時の気分転換には結構効果がある。 私はよく全員対戦型として、「正」の字を書きながら闘わせた。 もちろん珍答には突っ込みを入れることを忘れず、難問には2ポイントなど、遊び的な変化も取り入れた。 英単語、漢字、四字熟語、公式、県庁所在地、年号などのオーソドックスなものから、人物漢字筆記、化学反応式、科目横断型問題まで色々と試した。 「扇状地を書け」などと、イラストを描かせたりもした。 「北北西の風、風力4、晴れの天気図記号を書け」 「同音異字の漢字熟語を7組漢字で書け」 「炭酸水素ナトリウムの加熱実験の装置のイラストを書け」 「歴史に出てくる外国人を年代順に10人書け」 「国連常任理事国-三国干渉+三国協商の国を書け」 と、だんだん私のひねりも高度になっていったが、それなりにみんな食らい付いて、何とか答えていた。 この取り組みは、数でまとめるものには結構効果があったように思う。 「四大公害病」「日本国憲法の三つの基本原則」「北方四島」「江戸の三大改革(人物も)」などをすべて漢字で書かせるのだ。しかも何度もやる。 ネタは山のようにあり、忘れた頃に繰り返し行う。 訓練のおかげで、みんな諳んじるほどに定着した記憶がある。 型に嵌った授業に変化が生まれ、記憶定着に効果があるのかも知れない。 大切なのは、ミスしたものをその場で記録させること。 そして反復して暗記してくることを必ず宿題にした。 最近やってないが、受験追い込み期の確認作業として久し振りにやろうかと考えている。 当時は「月間MVP」というものを設けたが、「塾長杯」とか新ネタを作ってみようか。 写真は、四分割に書かせた『地図記号』と『11にまつわる横断型問題』の例。 ボードはマーカー付きで100均で売っている。 2台なら、〆て200円なり。
2006.09.05
小学6年生の男子が、授業中に友達をナイフで刺すという事件が起きた。 岡山の小学校の学活の授業中、生徒同士が口論になり、持っていた折りたたみナイフで相手のわき腹を刺したという。 担任も教室にいたが気付かず、逃げる被害者をさらに加害少年が追いかけていく段階で気付き、差し押さえたという。 被害にあった少年は幸い軽傷だというが、何ともやるせない事件だ。 「最近の子供たちはすぐ切れる」 こんな報道をされてから久しいが、本当に忘れた頃に危険な事件が起きる。 今回も一歩間違えれば殺人事件であり、我々大人の管理云々以前に、今の子供たちの精神が病んでいることに深い不安を感じる。 似たような感情を押さえ、ギリギリで踏みとどまったケースは一体全国にどのくらいあるのか。 報道される事件なんて、ほんの氷山の一角のような気がする。 簡単に人を殺すゲーム、犯罪のシナリオを説くTVドラマ、さらにブログやチャットで仮面をかぶった世界に溺れ、バーチャル世界と現実との境界が曖昧になっていく。 多感な世代に今の環境は一歩間違えると泥沼になる危険を秘めている。 子供たちは刺激があるから求める。 大人は売れるから世の中に送り出し、映像をハウツーを氾濫させる。 そんなものがいつも手の届く身近にある。 事件が起こるたびに、子供たちの精神を問題視し、偉そうな評論家や精神科医が紙面をにぎわすが、何一つ解決になっていない。 実際に今日も事件が起きているではないか。 本腰を入れて解決を図るなら、今の教育の仕組みや流れを根こそぎ変える必要があるだろう。 国会審議待ちなどという悠長なことを言っている場合ではない。 教師がいる現場で起きるのである。 監督や防止という次元ではないのだ。 自我が形成されつつある子供たちの内面世界に、いつ、どういう形で、どう楔を打ち込むかという切実な問題なのだ。 ゆとり教育導入以来、生徒たちに考えさせるというカリキュラムが増えたような気がする。 いいことなのだが、その準備段階、いわゆる考えや喜怒哀楽といった感情を育み操作する期間が、すっぽり抜け落ちている。 段階を踏むべきものが、入門、基礎を飛び越し、いきなり応用の世界で考えろと言われてもどうにもならないのだ。 だから意見を求めても熱いものが返ってこない。 みんな自信もなく、感情もなく、心は白けている。 どうすればいいのだろう。 私は、幼少の頃からもっと現実の世界で泥臭い体験を重ねるべきだろうと思う。 人と接する時の熱を感じ、感情を素直に吐き出すカリキュラムを取り入れるべきだろう。 もちろん家庭生活においても同様である。 押さえてはいけない。 生の営みには常に危険が孕んでいるものだ。 人との付き合いや新しい体験の中で、怪我をし、心を傷つけ成長していくのだ。 そういう汗まみれの体験を避け、ただ善悪を説いても精神がついていかない。 今の教育や子育ての最大の欠点であろうと思う。 わが教室には数十名の子供たちがいる。 みんな元気で活発だが、時として鬱状態の子供もいるものだ。 そういう時には普通に声を掛け、笑顔を誘い出そうとするが、生徒にしてみればとてつもなくウザイのかも知れない。 昨日元気に笑っていた子が、急に不機嫌になる。 毎日そんな観察を続けていると、子供たちの心がひどく心配になる。 物理的に人を傷つけることは、あってはならないことだ。 ただ私はその善悪を説くことの大切さよりも、聞く耳を持たない白けた感情の生徒がいるという現実を伝えたい。 未成熟の心を持った子供たちの世界が、どんどん悪化していくような印象がある。 5年後、10年後には一体どうなるのだろう。 一人歩きをし、言葉を語り始めた頃から、親が子に何を語りどう接してきたか。 大きな意味を持っているだろう。 少子化で一人っ子が多くなり、会話も少なく早くから自分の世界に閉じこもりがちになる現代。 そんな子供たちに今してあげるべきことは何なのか。 教育の制度を替え、長期で改革していくことだろうか。 だが問題なのは今の子供たち。 子供たちと接する仕事をしている以上、我々にとってはきれい事では済まされないのだ。 何とかして欲しい・・・
2006.09.04
毎年、受験生に伝えている言葉がある。 『△を○にしなさい』 曖昧な知識、即答できない知識を、安定した知識、即答できる知識に変えていく。 曖昧な安定していない知識は、本番では役に立たないからだ。 授業中、生徒たちに質問を投げかけて思う。 問題を解かせ、その答案用紙を見ながらいつも思う。 中途半端なものを集め、解った気になっている子供たちがいかに多いことか。 一つ一つの積み重ね。 たった一つの知識を馬鹿にしてはいけない。 定着させることは自信となり、やがてその集合体は得点の核を作っていく。 「えーっと、何だっけ・・・・」 「この前、やったやつだよなぁ・・・」 試験は時間との闘いだ。ロスタイムをいかに減らせるか。 間違えて理解し、同じミスを繰り返すときもそうだ。 いずれも、正しく定着せよという、自分にとってのシグナルである。 きみの頭の中は、△の知識で溢れ、もやもやしてないだろうか。 曖昧な△の知識は、短文記述問題などでボロが出る。 △をつなぎ合わせても、点になるうまい文は作れない。 外せない用語やポイントは、即答訓練で培ったひらめきとリンクしていくものだ。 それは安定した語彙力となり、得点源となるだろう。 ○の知識をいかに増やしていけるか。 △を10個集めるのなら、○を3個集めなさい。 記憶のメンテナンスがいかに大切か。 これから入試問題を解きながら、嫌というほど分かると思う。
2006.09.03
ただ今、中3受験生を集めて、『北辰対策』を実施中。 午前10時より始め、理科・社会を攻め終わったところだ。 英数国を交え、夕方、再び理科で締める予定。 今回の北辰から3回(3ヶ月連続)は、私立高校の相談会でその成績結果を使用することもあり、かなり大事な回。 全員何とか自己最高の偏差値をたたき出して欲しいが、社会の手応えを見るともうひとつという感じだ。 締めで総ざらいをするか。 いずれにせよ、後でもう一回はっぱを掛けよう。 さあ、夏の成果を見せる個人戦の開始。 頑張れ。
2006.09.02
何回同じことを繰り返す 大切なことを これだけ与え 今することの必要性を これだけ説き こんなにも 目の前に可能性が溢れているのに それでもお前は しまりのない眼で 自由と誘惑に甘え すべきことをせずに 我がままばかり吐き連ねている 別にいいんだよ 雪の降る頃 うろたえ 困るのはお前だ お前が1時間ダラダラ過ごしている時 A君は過去問を必死に解き 自らの弱点の研究をしているだろう Bさんは執念で英単語を頭に叩き込んでいるだろう お前は何度も言った 頭が悪いから 分からない いくらやってもどうせダメだから だから何だよ だったら全部やめてしまえよ 努力しない者の泣き言など 誰も聞きたくない 成績のいい者が 通過テストで合格する者が お前と同じ時間の中で どれだけ努力しているか お前がスナック菓子を手にテレビを見ている時 お前が携帯メールを何度も打っている時 彼らは眼をこすり 必死に頑張っている 疲れながらも 汗の貯金を 自分のために投資している 努力は必ず結果をもたらすとは言えないが 結果を得る者は必ず努力をしている 今やらずに いつどこでどうやると言うのだ 論拠を持って説明せよ 自省もせず 自律もできず それでいて 志望校に受かりたいだと? 小さい子供の我がままのように いつまでも 好き勝手に甘えているがいい お前がどれだけ苦しんだかは 模試の点が語っている 悔しければ結果を出せばいい 何度も繰り返すな 他人にいつまでも頼るな すべき内容も 道具も 方法も ぜんぶ手元にあるだろう この期に及んで 1週間で頑張って50覚えるだと? 寝言はいい加減にしろ だからいつまで経ってもダメなのだ 勝ちたければ1週間で1000覚えろ 勝つために頭に叩き込むのだ 知力の限界に挑んでいけるかどうか それを無理と思うか 畜生やってやると思うか 結果なんて 行動への踏ん切りで90%は決まってしまうもの 自己との闘い 天を仰ぐような壮大な闘い でもそこには到達点がある 昨日も今日も明日も 時はすべての者に平等だ やるか それともやらずに脱落するか 天才なんかいないのだ 評価は努力の蓄積によって どうにでも変わる 直前になって後悔する仲間を何度も見てきた私が言う やりなさい 執念で暗記し 大量に書き そして解きまくれ 自らが設定した 限界を超えてみなさい 今すぐ
2006.09.01
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