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若槻支部と後援会は、集落ごとに「集い」を開いているが、これで3集落目となる。 私の実家のある隣の集落で、ちょうど100戸の小さな集落だ。 兼業農家が大勢を占めている。 全戸に「集い」案内のチラシを配り、全戸対話を決めて取り組んできたが、最終的には直接対話で52軒、電話で対話が28軒できた。また、私の名前で、区長さんなど役員さんに、案内はがきを30人送った。 マイク宣伝3回、私も4回訪ね歩いた。 参加してくれた方は、21人。前の宮沢議員さんや、これまでの私の「集い」よりも多く、過去最高の参加者であった。「企業献金は政治を悪くする」「所得保障や価格補償を言い続けてきたのは共産党の人たちだ。」「作った作物に何らかの補償がないと、百姓はやっていけない」など、参加者から質問や意見が出され、和やかな雰囲気の「つどい」となった。 「中野さんには、ドクターにも世話になっている。応援するから頑張ってほしい」など激励もあり元気百倍の「集い」であった。
2010年04月30日
日本共産党長野県後援会臨時総会が開かれ、赤嶺政賢国会議員が講演、感動した。 「沖縄に基地はいらない」と、全市町村長41人と知事も出席。県民九万人以上が集まる大集会となった。ここから駆け付けた、赤嶺さんは「沖縄の民主党さえ鳩山さんに抗議しているのに長野出身の北沢防衛大臣は『普天間基地をちょっと移動し数千本のくいを打ちこみ桟橋方式で基地をつくる案を示した。海に光が入らず、埋め立てしなくても海は死んでしまう。こんなことは素人でもすぐ分かること。こんなこと言う北沢防衛大臣は沖縄では一番悪い存在。参院選では退場してもらう最たる人』と厳しく指摘。中野さんを国会への期待を込めた、励ましの言葉を述べた。徳之島は、長寿の島、癒しの島、子宝の島、美しい海もあり基地はいらない。沖縄と徳之島は兄弟みたいなもの、徳之島にも基地はいらないが、沖縄にもいらないと連帯している。徳之島は畜産(闘牛)の盛んなところで、鳩山首相や北沢防衛大臣が飛行場に来たら、牛を並べて歓迎すると住民は意気込んでいる。沖縄の心は、日本共産党綱領の心だ。日本共産党の参院選勝利こそ、沖縄に「基地いらない、撤去せよ」の大きな力になることを強調。全力尽くして頑張ると固い決意を表明された。
2010年04月29日
朝起きて先ずは空模様を観察。降っている。「どうしようか」迷うが、「連日街頭宣伝する」と、決めた以上はやろうと傘を持って出かける。 しばらくお休み中だったので、名刺持参で駅員さんへあいさつに行く。 「原田です。」と名刺を渡そうとしたら、いきなり「原田さんかい、ご苦労さんだなあ」と返事が…。 知っているようだ。 私はまったく面識ない駅員なので、「やあやあ」と返礼。待合室にいた見知らぬ女性が、「ご苦労さん。あんた共産党、中央法律事務所のKさん知っているよ、会いたいなあ」という。 「Kさん、知っているよ、連絡しておくよね」なんとなく、いい感じの一時だ。小雨降る中、マイクを握り訴えた。
2010年04月28日
電鉄「信濃吉田駅」初めて議員に立候補した時から、通い続けてきたなじみの場所。20数年たった今、この界隈は、古い駅舎から市街地再開発でがらりと様子は変わった。駅舎は2階造りで、隣は開発による高いビルが立ち並ぶコンクリートの街となった。マイクを握り、普天間問題、自公政権から民主党政権に代わり、期待もつかの間、いま、「民主」もだめかと、内閣支持率は旧硬貨で3割を大きく切った。内閣の体を為さない、地に足付いていない内閣は、砂上の楼閣のようなもの。いよいよ、参院選で共産党の出番。比例は「日本共産党」選挙区は「中野さなえ」を売り込む絶好のチャンス。大いに頑張らないと。
2010年04月28日
「お茶懇」仲間の励ましもあり、今朝より連日、駅頭と幹線道路での街頭宣伝始める。先ずは、わが家から車で5分、界隈では名のある「三才駅」。 『七・五・三』のお祝い事で、『三才』になると、この駅で「写真用」駅長の帽子を借用し、『パチリ』。 『三才駅』と書いてある表示板の前で・・・。さてそれはともかくとして、仲間3人とチラシ配り、私がマイクで訴えた。昨日、沖縄で9万人の「基地いらない」の集会のことを知らせた。今朝の日刊「赤旗しんぶん」『沖縄 心一つ県民大会9万人』・・・島ぐるみ「基地いらぬ」・・・の大見出しの新聞を開き、「『赤旗しんぶん』です。読んでみてください」と通勤者に手渡しす。「ありがとう、読んで見るよ」と受け取っていく人もいる。あしたもがんばろなくては・・・。
2010年04月26日
Aさん 浅川ダムは、夫も反対です。なにせ、すご隣りが浅川ですから心配です。とさっそく一番新しい、赤旗日曜版を見せる。浅川ダム建設の中止求め、運動を大きく発展させて世論を作り、8月の知事選でダム反対の知事が誕生させれば、ダム中止は可能です。いま、元気に頑張っているのは共産党です。と訴えた。Bさん 「自民も民主もだめ、共産党の出番だ。でも、近所じゃ、いいこと言っている。共産党がもっと大きくするには、党名を変えることが一番いい」という。そこで、JA農協や歯科医師会など、多くの団体は懇談会や集会、大会などに出席したりメッセージを送ってくれている。とても名前を変える時ではないと言った。「そうかい、そうなっているんかい。それにしても小さすぎるなあ、もっと大きくしてほしいなあ」と、檄を飛ばされた。対話が重要だ。午後地元若槻北部で活動する。中野さなえさんと、街頭宣伝しながら周辺を訪問・対話して歩く。若者 「今の政治どう思うかな」聞いてみた。「よくわからない。」沖縄の普天間基地移設問題どう思うかな、と聞くと「どこかに作らないといけないと思うので、しようがないかな」なるほど、「でも、あなたの家の付近に造られたらどうかな」即座に「それは困ります」と言った。そうだよなあ、それは沖縄の人々も一緒と思うがどうだい。「そうですね、わかりました。」やや納得の感じ。年配の奥さん ひどい政治ですね。実感です。だいたい、鳩山さん、基地をどこへ持っていこうとしているんですかね。やっていることは皆無理ですよね。持っていくとこないですよ。・・・ほとんど、気持ちは一緒。有権者の気持ちの変なが大きく変わっている。
2010年04月25日
中野市議選、「みすず」さん応援で街頭宣伝と訪問。午後親里千津子さんとシンガーソングライター清水学さん迎えて「普天間基地と憲法9条」を主題で、『沖縄の心を受け止めて』と銘打ち、講演と演奏の集いを開催した。約120人が参加。親里さんは「沖縄戦体験の語りべ」として翁は県民の心を話された。清水さんは「平和の心」をうたった。
2010年04月24日
2月県議会で、浅川穴あきダム建設事業費と建設業者の指名を決め議案が提案され、自民、公明、社民、民主会派などの賛成で強行された。 建設予算は53億円、そのうち地滑り対策費が10億円、別枠で地滑り対策費として30億円が用意されている。 指名された業者は、大林、守谷、川中島建設のJVである。 驚くのは、建設費のうち地滑り対策費に10億円と別枠の30億円で40億円も地滑り対策費に使われる。 本体工事は、43億円、地滑り対策費に40億円となる。いいんですか。それだけ危ないということでしょう。 そこで、「危ない所に必要もないダム建設」の諸経費支出は違法であると、住民監査請求をしたが、拒否されたので裁判で争うことになった。 今日は、そのための原告団結成総会の日。 裁判は法廷内の27名の弁護士の闘いと、法廷外の世論と運動が車の両輪。 大きな世論を作り、村井知事を包囲し、中止求めて全力尽くした。
2010年04月23日
産業振興対策特別委員会は、長野市の観光政策を発展させるために、善光寺事務局と懇談した。 善光寺は毎年600万人余が観光に来るところで、全国的にも観光客の多い所という。 「市民の声を聞きながら、一層発展させたい」は事務総長の弁。 さらに、地元の人たちとの交流望んでいる。地元の人たちからの提案を期待している。市民から「善光寺さん」とよばれる寺はここだけ。寺の使命感は、心の悩みを抱えている人々が来て聞いてもらいケアーされる。寺の使命は、悩みを抱えている人々のケアー・・・癒しの場所が善光寺。女人信仰仏教の修行には、女性は修行の妨げとなるなどという時期もあったようだが、お釈迦さまが悟りを開き、女性教団を作った。最初に救ったのは、女性で病気の如是姫・・・女性蔑視の発想はない。善光寺と世界遺産国宝善光寺だけでなく、界隈の院・坊、建物など調査終了した。国宝本尊、周辺文化、信仰・・・歩いてみたい部分をたくさん作る。見出すことが重要。駐車場・・・裏(北側)の駐車場から、善光寺本堂に参拝はよしと言えない。本堂の表に駐車場作ることがいいのではないか。長野駅から、善光寺まで歩いて来るようなまちづくりがいい。若者はあるかないが、お年よりは歩いている。不便を生かせるような、仕組み作りがいい。いろいろ意見交換したが、これから、問題点や課題を見つけ改善すべきところは改善し観光客をさらに増やしたいもの。
2010年04月22日
今朝の4月度の全県一斉宣伝は、東部ブロックは3か所の駅頭で行った。 私は、中野さなえさんとともに地元の三才駅で支部の皆さんの協力も得て総勢8人。ビラ配り、プラスター、桃太郎旗など持って賑やかな宣伝である。私が、司会をやりながら、参院選と浅川ダム、市民会館の問題点などについて話した。中野さなえさんは、介護保険、派遣切り、財政問題など訴えた。中野さんに近づいてきてビラを受け取りながら「ご苦労さん、頑張って」と、温かな声かけをしていく人が目立つ。今朝は、いつもと違い手を振る人、声をかけてくれる人みな温かい。ご近所のやきもちやさんは、玄関の戸を開け椅子に座って聞き入っている。あいさつに行くと、「共産党さん、もっと声出して頑張れ」と厳しくも、うれしい励ましの言葉。元気百倍のひと時。夕方は、5時から北長野駅で宣伝。3人の支部の人たちが、ビラまきなどで応援に来てくれる。励まされる。午後2時からは、最終版に突入の中野市議選に応援に入った。ベテランの青木前市議である。街頭宣伝とご近所への訪問・対話で一回り。2階のベランダから、中学校までの医療費の無料化もいいが、寝たきりのお年寄りの介護でご苦労している『介護者』にも光を当ててほしい、と要望された。・・・その通りです・・・と大きな声で答える。夫は特別疾患の難病患者です。指定されているので、薬などは助成されますが、楽ではありません。命や健康などにしっかりと力を入れた市政にしてほしい、と要望された。80歳近いがかくしゃくとしているおばあちゃん「共産党はねえ、私にとっては昔のイメージが消えないんだよ」どういうことですか。と聞いた。ソ連と北朝鮮のことを言われた。いろいろ、話した。わかるけど、どうしても抜けないよ。最後に、共産党は企業献金も政党助成金も貰わない唯一の党であることを伝えたら。「そうですよね、そこはいいですね」ちょっとだけ一致。
2010年04月21日
善光寺門前町界隈には、昔ながらの家並みがある。使われず空き家となっていて、もったいないような古き良き家もある。このような古い建物や、まちを残したいと集まってきた設計士、デザイナーなど若い人たちのグループ、『ぼんくら』『ABEKOBE』など。この人たちが、界隈の家並みや、地域に根付き利用されている八百屋さん、魚屋さんなど小さな店があり、このグループが冊子で紹介していた。この本が、議員に配られ、一読して興味津津。魚屋さん「きよたき」の店主ご夫婦の写真が掲載されていた。この地域を周知している、同僚議員は「ここが有名な手作りのおいしい『ギンダラ』を造り売っている店」だという。さっそく、行ってみる。ご近所のおばちゃんたちが、わいわいがやがや買い物に来ていた。ギンダラを頼み、ついでにうまそうなお刺身を注文。店主もお客さんたちも、みなおなじみとすぐ分かる言葉を交わしている。少しだべってすぐに帰り「ギンダラ」買ってきたと妻にいうと「うまいの?」とけげん顔。さっそく、一切れはばかでかく、しかも分厚い『ギンダラ』を小生がガスコンロで焼く。妻いわく、「これはうまい」と。常に冷静、わが妻も「うまい」といったから、魚屋さんに「きよたき」にまた行きたくなった。
2010年04月19日
「つどい」案内のチラシは、きれいなカラー刷り。 中野さんのリーフと一緒に、夏の参院選のお願いと「つどい」参加で訪問。自民も民主もおかしい。もうどこも応援する党はないよ。「元気いいみんなの党は魅力的だ。あちこちでそういう声が聞かれる」と言った。10軒対話したが、3人がそういった。・・・「行革」進めた小泉内閣の10年間で、派遣労働者の急増、派遣切り、生活保護受給者も急増、ワーキングプアの急増、これをさらに推し進めるというのが、みんなの党。・・・「ええ、そうかい、知らなかった」とびっくり。「そりゃあ、まずいなあ」「それじゃお宅しかないかい」日本共産党への支持を約束、もちろん中野さんも私は旦那と違うと前置きした奥さん「みなさん言っているとおり。市民会館も浅川ダムもいけませんね。応援していますよ。」共産党の支持者を発見「これから後援会ニュースを入れますが」「いいですよ」庁舎・市民会館は壊さず使い続けての署名に快く協力してくれ、「赤旗新聞読んだことあります。いい新聞ですね。応援もしているんですよ」またまた支持者を発見。新聞進めたら、「検討させて」ということになる。30日に「つどい」を開くが、全戸訪問・対話で集落の空気を大きく変えていきたい。
2010年04月18日
生活と健康を守る会、団地班主催で、4周年を記念した『団地のお茶懇』は、初めての人も入れて20人が参加。若干お酒も入り盛大な『お茶懇となった』女性の皆さんが、安い会費の中でも工夫してくれおでん、弁当、お刺身と想像を超えるほどの手料理などが並べられた。新区長さんも参加し、表敬のあいさつ私も、48回目の『お茶懇』が続いてきたが、4年前、孤独死が続いたことがきっかけで、この団地を明るく、仲の良い団地にするために、孤独死のない団地にしたいとの思いで始まったことなど話した。いよいよ、夏には参院選。日本共産党と中野さんの勝利のために力を貸してほしいと訴えた。中野さんも、出席しあいさつする。私の地元の後援会でも、盛大な『お花見を兼ねた集い』を開催。20人が、参加。中野さなえさんも、あいさつ。全員発言。和やかなつどいとなった。5月22日の市田演説会には、バスを仕立てて参加しようと決めた。
2010年04月17日
アポなしでいきなりの訪問であったが、施設長など行く先々で30~40分の懇談に応じてくれた。 病院や中野先生(さなえさんのご主人)には大変お世話になりました。感謝しています。応援しています。 グループホームでは、若い責任者は、好きでこの仕事をしている。 利用料の支払いに苦労している利用者さんもいる。 もっと国が考えて欲しい。 介護施設で働いている職員は、「苦労している、大変だ」などとの報道されるが、私たちはお年寄りの介護を喜んでやっている。ご苦労された高齢者が老後を安心して過ごせるようにすることをうれしく思っている」だからこそ、国はふさわしい支援をしてもらいたい・・・。と自宅で介護している若いものが、職場を辞めなければならないことはかわいそうだ。後で、仕事に就くことが大変になる。福祉施設の充実が必要と思います。日本の福祉施設の貧しさを、告発していた。
2010年04月16日
党員でない労働組合の役員をしている仲間を入れた6人で「共産党を知る会」を開いた。 共産党さんががんばっている事党員の誠実な活動に信頼を寄せている事などの話になり共産党にはいる事についてはやぶさかでない。前向きな方向で、考えたい。との答えはうれしい。4月も15日の半ばで、桜は8分、9分咲きの陽気と思ったら何と今朝は、雪が舞い、周辺の里山はうっすらと雪化粧した。桜は、かなり戸惑っているかも・・・。温暖化による気候の激動期?。わが身も、この気候変調にあわせるのが大変だ。今日の新聞では、桜はこの寒さで開花・満開・長持ちとと書いたが正にその通りである。健康には充分に留意したいものだ。
2010年04月15日
中野早苗さんはじめ市議団で、JAながの副組合長、専務、総務部長と和やかに懇談。 「りんごも米も安く、農家は楽でない」開口一番の言葉である。 更に、「農業を国家戦略に位置づけるべきである」と強調していた。 すかさず、中野さんは「国の基幹産業として位置づけるべきです」と同調。フランスみたいに、国が価格で補償するような仕組みがあればいいが、日本はそれが無くしようがない。 自給率も「40%も危なくなってきた」というと、「その通り、切っているんじゃないの」と言っていた。 これまで、国にいろいろ行って来たが、今は、消費者にお願いすることも考えなければとも・・・。 農家の若手の中には、リスクを考えながら、自立して頑張っている者もいる。やればできるはず。と自らを励ます言葉も飛び出した。フランスも、ドイツもイギリスも諸外国では農業支援策Dえ自給率をのばしている。日本でも、アメリカより、大企業よりではダメで、他国でやっているようなルールを作って農業を守らなければと思う。また、「日本は元々、財政が厳しくやりようがない」と言っていた。200兆円の内部留保があるが、ごくわずか還元しただけでも、国民の暮らしは良くできる。と訴えた。農政は国の責任と専務は強調していた。その通り。様々な意見交換したが、お互いに共産党も頑張って欲しい。昔は「怖い党」と思われていたが今は違うとも。楽しく、和やかで忌憚のない意見交換ができた。この次は、一杯飲みながらやろうか。じょうだんいいながら、懇談を終了した。
2010年04月14日
参院選公示まで7あと2日、歴史的闘いが目前に迫っている。 会議の目的は、参院選に向け、今の情勢をどうとらえ、どうやって躍進への道を切り開くか全党の深い一致のための会議。 県会議員と候補者、及び県都である長野市議団も召集対象で6人全員が出席した。 昨年の劇的な総選挙から8カ月、新しい政治への国民的探求がさらに新たな局面を迎えていることを志位委員長は強調した。 民主党政権 内閣支持率は急速な低下を続け、国民からは「期待はずれ」の失望の声と怒りがの声が広がっていること。 国民のここを変えてほしいと願っていることに答えていない問題で、新政権が期待と公約に背く裏切り行為を重ねているから。 後期高齢者先送りどころか、65歳以上に拡大、「姥捨て山」の入山年齢の10歳前倒し。 労働者派遣法製造業派遣、登録型は県原則禁止を言いながら、財界の圧力に屈した。普天間基地移転問題も、国外・圏外といていたのに新基地建設とホワイトビーチ沖の美しい海を埋め立て巨大な基地建設、徳之島にも基地を作るなど翁は県民の島ぐるみの闘いが広がっている。 政治と金も不正献金問題など次々と吹き出し、j自民党の金権体質と変わらないこと。 アメリカいいなり、大企業いいなりという二つの異常から抜け出させない。今ここが一番の問題。 自民党も国会議員が、次々と離党し、新党作りに精を出しているが、国民は、自民、民主へ丸ごとも、二大政党への不信と批判を向けている時。今こそ、日本共産党の出番。わが党と向きが同方向の、無党派層の広がりは、わが党躍進の大きなチャンス。また、非礼を軸にと合わせ、2人区以上の選挙区は、必勝区として位置づけ、全力尽くそうとなった。 中野さんを長野選挙区から国会へ、文字通り、長野から、地元上野から国会議員をそんな思いで全力尽くさなければと決意している。
2010年04月13日
昨年の総選挙で、自公政権退場となった。何十年も政権の座にあった自民党自民党でなければ人でないかのような風潮があったところが、その自民党の中枢に君臨していた大物国会議員が次々と、所属していた党から抜け出している自ら作ってきた政党なのに、合いそうつかしたそれにしても、盤石といわれた自民党の解体状況は進むのみ抜け出たから、上出来とはいかない新党作りでも「心頭」が痛む民主党への期待も、急速に冷めている良識ある国民の目からは見れば、急冷だ。いよいよ、出番が共産党。
2010年04月09日
柳町交差点の一角に小さな公園があり、公園内に児童館があり子どもたちが楽しく遊んでいる。 この公園を囲むようにして、桜が林立している。 桜の開花時には、見事な花を咲かせ、ブルーシートが敷かれ花見で楽しんでいる人たちを見かける。 夕方、市役所から帰る途中のこと小雨が降り、外気が冷たく車の暖房を入れ公園近くにさしかかるとなんと、公園にはシートが敷かれ、机が置かれ、コップ、皿などが並べられ花見のようだ。 小生の車内は、暖房で快適だが、ドアを開けたら冷風が吹きこむほどの寒さ。 桜の花は、0,5分咲きか。 寒くてとても桜咲く気配ではない。つぼみをしっかりと堅くしている。しかし、計画は、断行なのだろう。寒さなど、熱燗で吹き飛ばせばいい。人ごとながら、心配になった。が、花見は日本人の旬の心、風情だからいいもんだ。わが日本共産党若槻北部後援会でも、17日に、事務所の前の公園で盛大な花見を計画している。「アコ」付きだ。生オケと行きたい。私も、市政報告することになっている。
2010年04月07日
○来賓を代表して、若槻小学校でのあいさつ要旨地元の市会議員の原田のぶゆきです。来賓を代表して、ひとことお祝いの言葉を申し上げます。新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日の入学式には、地域の大勢のお客さんが参列しています。ともどもに心からお祝い申し上げます。 みなさんは、これから、大きな教室で勉強したり、広い校庭で運動会、また、遠足など楽しいことがたくさんあります。どうか、友達をたくさん作り、明るく元気な一年生になってください。 保護者の皆さん、ご入学おめでとうございます。手塩にかけて育てられました、子供たちが健康で思いやりのある、心豊かな児童としてすこやかに成長することを願っております。 終わりに、校長先生はじめ教職員の皆さん、これから6年間、子供たちがまっすぐに、生き生き元気に成長できるよう、ご指導を心からお願い申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。ありがとうございました。○議員を代表して、北部中学校でのあいさつ要旨 ご紹介をいただきました、市会議員の原田のぶゆきでございます。 今日は、地元の松木議員、寺沢議員それぞれご案内をいただきましたが、代表して私から、ひとこと、ご挨拶を申し上げます。 北部中学校に入学をされたみなさん、ご入学おめでとうございます。 心から、お祝いを申し上げます。みなさんは、これから3年間、地域に支えられ、校歌にもあるように、心は清く真理(まこと)求めよ、身はすこやかにつよくきたえよ、いずれの日かは代(よ)を負い立てよとしている校風と、伝統ある北部中学校で学ぶことになります。勉強や部活など貪欲に挑戦し、また、友情をはぐくみ、力合わせ互いに切磋琢磨し、大きく羽ばたいてほしいと思います。 これから、先生方、友達、地域の方々といった多くの人々との出会いを通して、協力することの大切さや努力することの尊さなど、貴重な経験をし大きく成長するとともに、新しい自分を発見することと思います。 そして、新たな夢や希望に向かって胸を躍らせていることと思います。 ぜひ、自らの夢や希望に向かって、困難を乗り越え、自らを磨く努力を続けていただきたいと願っています。 いま、私たちを取り巻く、社会は急速に変化し、目まぐるしくなっていくことが予想できます。 どのような時代になっても、自らの将来を切り開いていくのは、信念に基づいた自分自信にかかっていると思います。 日々変化する社会の中では、自分で考え、判断し、自分の力を出しつくそうと努力することが大切だと思います。「自分らしく生きる」とは、自分の立場だけを主張し、自分の好きなときに、やりたいことだけをすることとは違います。 自分の理性にしたがって、正しいと信ずる生き方をすることです。 北部中学校3年間の生活を通し、さまざまな体験の中で、困難に負けない心、素晴らしいことに感動する心、相手を思いやる心、協力し合うことの大切さを学んでいただきたいと思います。 自らを信じ、勇気を持ち、進んで行動することにより、さらに成長されることを期待します。保護者の皆さん、あらためて、子どもさんの入学をお祝い申し上げます。おめでとうございます。迷いや悩みを抱えながらも、心身ともに急速に成長する時です。ご苦労を積み重ねてきた、人生の大先輩として、良き相談相手となっていただきたいと思います。校長先生はじめ教職員の皆さん、生徒たちへのご指導をよろしくお願い申し上げます。家庭や校内・生徒同士、悩みを抱え問題の起こったときは、教職員同志、集団の力で、まっすぐに、暖かく丁寧な対応を心からお願い申し上げます。北部中学校の一層のご発展をご祈念申し上げ、お祝いの言葉とします。ありがとうございました。
2010年04月05日
庁舎・市民会館建て替え問題は、市民の大きな関心事となっといる。 「共産党のチラシを見た、その通り。どうして建て替えるのか、食い止めてほしい。もたもたしていないで」と厳しい声が日々寄せられている。 そこで、市議団がそろって、駅頭宣伝と言うことになった。・・・まだあきらめない 庁舎・市民会館 こわさないで使い続けよう・・・との横断幕を作り、張り出し、署名運動も行った。幾人も、「その通り」と机によって来て署名に協力。表に打って出た大宣伝をもっと広範囲にやらなければ・・・。決意
2010年04月04日
牧師のあいさつと讃美歌で始まった、教会の葬式に初めて出席した。 教会のホールを埋め尽くした、参列者は讃美歌を口ずさんでいる。クリスチャンだろう。 参列者の中には、口を開かず、じっと聞いている人もいる。 私もその一人。 お孫さんが弔電を披露した。 日本共産党中央委員会 志位和夫委員長 長野県会議員 石坂ちほ 県議 長野市議会議員 原田のぶゆき市議 喪主があいさつした。・・・韓国のソールで暮らし、終戦後日本に帰る。天皇に命をささげる思いでいたが、終戦後、「この戦争は間違っていた、だまされた」と過ちに気付き、その後、日本共産党員として反戦・平和を貫いてきた父親であった。一人の人間の人生の変わりように、計り知れないものを感じる。・・・と述べていた。讃美歌の流される中、亡き「原田久雄」さんご遺体に花を手向けた。これまでのご支援に感謝。ありがとうございました。
2010年04月02日
25回党大会は、長年の自民党政権が、国民の審判で退場し、情勢が大きく前向きの変化が起こったこと。「新しい過度的な情勢」うまれ、綱領の示す方向性がますますはっきりしてきたこと。よって、参院選での躍進こそさらにこの情勢を前に進める一歩となるかどうかにかかっていること。続く、来年春の一斉地方選挙勝利に取り組むことが強く求められていること。 大会が、参院選、一斉地方選勝利への道を切り開く大会となることを呼びかけた。 文字通り、そのための意思統一もでき、今奮闘中である。 地方政治の分野では、「オール与党」政治の矛盾が激しくなり、その崩壊過程が始まっていること。民主党は、国政では「無駄を一掃する」「国民の生活第一」と言いながら、地方議会では、無駄なダムなどの大型開発に賛成したり、福祉切り捨ての「地方行革」に賛成するなど深刻な矛盾のもとにある。 地方議会でも、わが党の値打ちを明らかにし、住民の「命綱」として大いに奮闘することが求められている。 長野市でも、全く同じで、後年度の大型事業のためにと、無駄を削り、スリムな財政にと、介護料や子どもたちの音楽・芸術鑑賞のための補助金を削り、水道料や成人学級の受講料、利用抜群の老人憩いの家の利用料値上げなど、市民に負担押し付け、一方で、市民から厳しい批判が相次いでいる、市民会館や庁舎の新たな建て替えを推し進めている。 市民の声を受け止め、これらの予算に明確に反対したのは日本共産党市議団6名と、1名の無所属議員だけ。 いま、共産党の議員控室には、毎日2~3人から、「共産党のチラシを見た。二つの建物はいらない。私の気持ちと一緒だ。やめさせて。大丈夫か。」と、怒り同時に、共産党市議団の取り組みにもどかしさを感じてか、頑張れと語気を強めての強い励ましの声が寄せられている。 わが党市議団の出番である。 このようなとき、25回党大会を期して、市議団の役員体制もこれまで以上に強化。 論戦力・政策能力と実践力兼ね備えた、新進気鋭の体制とした。団長は、6期目の野々村博美議員副団長は、同じく6期の大ベテラン宮崎利幸議員幹事長には、政策責任者も兼ねて3期目の小林義和議員副幹事長は渉外担当も兼ね、同じく3期目の阿部孝二議員副政策責任者に、佐藤久美子議員同じく副政策責任者に、原田誠之が担当することになった。議長・副議長、各会派・議員、議会事務局にあいさつ回りをした。これまでの、ご協力にお礼と感謝を申し上げます。今後とも、わが党市議団へのご支援とご協力をお願いします。『老党員を悼む』リンゴと米作りで「安心・安全で美味しい」物をとこだわり続けてきた専業農家のHさんが83歳で亡くなった。 1969年入党のクリスチャンで日本共産党員であった。 教会でお別れの通夜が行われたがご長男の挨拶には、感動した。『・・・浅川で生まれ育ち、若いときに天皇陛下と戦争を賛美した時もあったと聞いていますが、終戦のあと間違っていた戦争に気づき、反戦平和に徹し、生涯貫いてきた父だった。その後クリスチャンとなったが、激動を歩んだ人生に痛く感じている』と父の生き様に触れながらたたえていた。 地域では共産党の支部長や後援会長を引き受け、日本共産党の前進のために力を尽くしてくれた人だった。 お疲れさまでした。安からに・・・。
2010年04月01日
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