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かつては120戸以上もあった市営住宅は、今では90戸に激減している。 そこで、石坂県議を招いて、『くらしと政治を語る集い』を開催した。 選挙のたびに、高齢者や障害者の多いこの団地で「集い」を開催している。 今日は、12人が参加してくれた。
2010年05月29日
6月議会の質問の順番が来て、準備で大忙しである。午前中、準備に集中。午後は、K保育園後援会主催の「集い」が開かれた。石坂県議とともに、私も出席し話をさせてもらった。普天化基地周辺の実態を示す写真を見せて、いかに危険な状態にあるかを知ってもらった。基地の回りに住宅が密集し、保育園、小・中学校、病院、児童館、大学などが立ち並んでいる。あまりにもひどい状態が、実感できるので参加者は息をのむほどである。沖縄の米軍基地を告発。これに真っ向から、「基地はいらない」と沖縄県民の心をアメリカに率直に伝えたのが、日本共産党の志位委員長。4月30日から8日間、アメリカへ行きアメリカ高官と会談。沖縄県民の思いを伝えた。「沖縄には、米軍基地をつくるところはない。無条件で撤去しかない」と。写真を見てもらいながら、話した。さらに、労働者派遣法のことについても・・・。アメリカいいなりや大企業いいなりでない政治を目指し、頑張っている日本共産党と中野さなえさんへの支持をお願いした。最後に、日本共産党と中野さなえさんへの大きなご支援をと訴えた。
2010年05月26日
7時35分、交通量の激しい若槻大通りの一角で「マイ宣伝カー」でマイクを握る。 赤旗日曜版5月23日号の一面トップ記事、漫画家「やくみつる」さんの励ましの言葉を伝えた。 共産党に注目、政治を大本から変える、志位さん訪米などの「やくみつる」さんのコメントを紹介。 宣伝中に、公明党の市議「IとK」が笑いながら、ハンドマイクをぶら下げて通り過ぎていった。 時間が来たのでやめようと思ったら、ハンドマイクの声が聞こえてきた。 「ちょっと待てよ、ここでやめるわけにはいかない」と、続行。 沖縄基地問題や金と政治、労働者派遣法などについて、民意から離れている、自公政治と、民主党政権の実像を告発し粘り続けた。
2010年05月25日
命や健康を守る「命綱」、国民健康保険制度が今危ない。「皆保険」ということになっているが、お金がなくて保険料が納められず、滞納したり、最初から、お金がなく保険に加入しない人も増えたいる。 全国的には、お金がない、保険証が無いことが理由で病院に行かずに命を落とす人もいる。 大問題。 命や健康を守る責任は国にあるのに、国が出すべき国保への助成を約20年間で30%も削減してきた。 その結果、国保料が上がり続け、国保加入者は、社会保険の倍近い保険料を支払うことになってしまった。 滞納者も増え続けている。 自治体は、滞納者に、資格証明書や短期保険証の発行というペナルテイ押しつけている。 そして、国保に加入できない、国保証が無い、病院に行かないという、健康を脅かす事態となってしまったわけである。 国が冷たいなら、自治体の出番。 減免制度の充実、国保証の取り上げをやめすべての加入者には、まず、国保証の発行をすることなど厳しい対応が求められている。 いよいよ、6月議会が始まるが、このような立場で奮闘したい。
2010年05月23日
1時間たっぷり。日本共産党市田書記局長の、温かく、しかも、笑いもあるお話に感動。入党したばかりの党員は、「はじめて日本共産党の話を聞いたが、感動した」数日前に生活相談に乗ったUさんは、「政治に関心なかったが、話を聞いて感動、涙が出てきた、救われる思い」と感想を述べていた。 「日本共産党に入りたい」という方も出るほどの心温まる演説会であった。いよいよ、あと30日あまりで参院選公示。日本共産党と中野さなえさんの躍進のため全力尽くしたい。
2010年05月22日
3月17日に、「『危険で無駄』な浅川ダム建設に公金は使うな」と417名の原告と代理人27人の弁護士が『浅川ダム工事支出公金差止等請求住民訴訟事件訴状』を裁判所に提出した。 その第一回公判が今日である。 約1時間にわたり、請求の理由を大門・山崎弁護士が述べた。次回公判は8月20日午前10時からである。 この間に参院選がり、知事選挙もまじかに迫っている。 公判に向けた署名活動と、知事選挙に向け「ダムいらない」の大きな世論を作り、広げ、本格的な戦いを繰り広げなければと決意している。
2010年05月21日
長野市でも既にやっているが、横須賀市では「市民協働事業条例」があり、理念から、市民や市、事業者などの責務が明記してある制度で注目した。 長野市は、この点では遅れているが、事業そのものは長野市の方が、もっと元気にやっているように感じた。
2010年05月20日
18日からであったが、ごく仲の良い仲間の「お別れ会」で弔辞を依頼され行政視察は急きょ欠席。 「お別れ会」終了直後、視察先向かうことになった。 19日は、長崎市のバス・電車の「ICカード」など交通政策の視察である。
2010年05月19日
2010年5月17日弔辞 由良仁祐(ひとのぶ)さんへ 久しぶりに春らしい陽気となった、15日の午後、参院選直前なので、仲間たちが事務所に集まり、日本共産党と中野さなえさんを国会へ押し上げようと、意気盛んな訪問活動を行っていました。その後(あと)、二人の仲間が、由良さんをお見舞いし、励まそうと「いちごとビワ」を持参で病室を訪ねました。病室には由良さんはいなく、職員が捜していたところ、院内のお風呂で倒れていました。医師の懸命な処置にもかかわらず、そのまま帰らぬ人となってしまいました。 仲間が見舞い先から、悲報を知らせてくれましたが、まさかの思いで愕然としてしまいました。 由良さん、貴方は亡くなられた奥さんとともに、登山やスキーが大好きで山と雪の本場、自然豊かな信州の長野を終(つい)の棲家にしようと、長野市でも北のはずれ、徳間原の眺望の良い木の生い茂る一角に居を構えました。3人の子どもさんを育てながら、奥さんとともに、みんなのためにと私心なく、若槻団地の保育園や皐月保育園建設、北部市民プール建設など、運動の中心となって頑張ってくれました。 退職された後は、地域の仲間とともに、平和活動に力を注ぎ、居住地で「若槻北部憲法9条の会」を立ち上げ、呼びかけ人の一人として、署名活動の先頭に立ち、さらに、長野市の「憲法9条の会連絡会」の初代の事務局長の重責を担い、市内に数ある「9条を守る会」をまとめ、市民に憲法9条の大切さを訴え続けてきました。 地元の若槻で、平和の集いを開こうと準備を進めていた矢先のこと、貴方の病魔は、徐々に身体をむしばんでいきました。そして、ついに入院を余儀なくされたのであります。それでもなお、「沖縄に基地はいらない」とした、沖縄や徳之島の人たちの心を、貴方は、自らの痛みとして受け止め、沖縄と連帯の、平和の集い成功のために、病を押して力を貸してくれました。 それは、さる4月24日のことです。「若槻北部憲法9条を守る会」の呼びかけで、檀田地区センターで行われた、「普天間に基地はいらない 沖縄の人たちと連帯 憲法9条守る平和の集い」は、100人を超える住民が集い、地域の人々に平和の尊さを呼びかけました。貴方は、役員の一人として、この企画に参画、集い成功のために力を尽くされたのです。それからわずか、ひと月もたたないのに、また、まだまだこれからという時に、お別れしなければならないのは、残念でなりません。知識は豊富、論争好きで、会議となれば、とうとうと自らの論を張り、仲間同士の学習には、なくてはならない存在感を示し、選挙となれば、この知識が生かされ、対話をすれば、抜群の力を発揮していました。明るく、元気で、みんなを励ましてくれた、良き相談相手、大事な人を亡くし、さびしくなってしまいます。自ら「僕は信州のの寅」と言ってはばからず、仲間うちでも有名でありました。最近見えないなあ、と思えば、幾日も、北海道だ、九州だと、ことあれば、日本中どこへでも出かけて行き、活躍し、守備範囲も広く、私たちには、うらやましい限り、そんな一面も垣間見てきました。66歳で逝ってしまうのは、あまりにも、若すぎます。生涯を様々に、精一杯の生き方をしてきた由良さんの人生、人柄は忘れることはできません。今にして思えば、悔やまれるのは、なかの良かった、奥さんを亡くしてからの日々、さびしい時もあったでしょう。そんな時、好きなお酒をたしなむ時間が何よりの楽しみであったかもしれません。ただ、度を越し身体を壊してしまうのではと、心配の時もありました。そんな時、「身体を大事にしてほしい」と、同志として、もっと強く言うべきであったことを、申し訳なく、痛恨の思いでいっぱいです。由良さん、貴方は日本共産党員として40年間、自らの信念に基づいて、「戦争のない平和な社会、人の命や健康こそ第一の社会」にと、政治革新のために、重い病と知りつつ、弱音をはくことなく、誠実に、それに立ち向かわれました。その、あなたの意思を受け継いで、力いっぱい頑張ることをお誓いします。どうか、これからは、奥さんのもとでゆっくりと、お休みください。終わりに、智春さんはじめ、ご遺族の皆さまには、心からお悔やみ申し上げますとともに、皆様方のご健勝、ご多幸をご祈念申し上げ、弔辞とします。由良さん 安らかに さようなら 長野市議会議員 原田のぶゆき
2010年05月18日
ダム建設地までの幹線道路(ループ橋)に日本共産党のポスターを張ろうと大奮戦。 絶好の場所へ、5枚張り出した。 あるおじいちゃんは、はじめ、張り出しを断っていたが、「原田さんかい」と私を確認したのか、「ポスター貼っていいですかね」と尋ねると、「いいよ」と返答。さっそく、本通りの一番目につく場所に2枚貼り出した。合わせて5枚を張り出した。
2010年05月17日
長野市は、今年から一括交付金として、「いきいき元気支援金」と銘打ち、住民自治協議会32地区すべてに補助金を交付した。 いよいよ、財政的にも組織的にも本格的な住民自治「自分たちのことは自分たちで」をスローガンに活動が始まった。市長の目玉政策で、聞こえはいいが上からの方針押し付けで、「住民自治」本来の下から自覚的、自主的な活動からは、いささかかい離ありと関係者から指摘がある。 そこで、全国的にも先進と言われ、先を行っている「木曽町」の「まちづくり条例」や「地域協議会」についての視察をした。 詳しくは後で
2010年05月13日
区長さんたちの尽力で、各地域の住民要望160件余をまとめ、この要望個所をくまなく調査した。 出発の際、市の関係職員とともに現地調査開始の開会のイベントを行う。私は、来賓として挨拶をする。 午後の5時過ぎまで、各地域の区長さんや副区長さんなどと現地調査をつぶさに行った。 午後の後半は、あいにくの雨でとんとん拍子の調査となったが、地元の役員さんの聞き取りはきちんと行った。
2010年05月11日
今朝も、大通りの一角でマイクを握りしゃべった。いつもお邪魔をしている、ラーメン屋さんの駐車場前である。22日の演説会のお誘いと、参院選で比例は「日本共産党」長野選挙区は「中野さなえ」さんを国会へと訴えた。
2010年05月10日
午前文化会館周辺を、演説会のお誘いで宣伝と訪問・対話を行う。訪問先のどこの家でも、「誰がやっても一緒、日本は滅びる。」「まずかったかなー。民主党に勝たせて、でも自民党に戻っても同じだよなー。」なかなか、『共産党が一番だ』の声がかからない。そのうちに、「みんなの党はどうだい」と言う人がいた。 でもこの人は最初に、「自民も民主も根っこは一緒だから、無理もないさ」と言っていたので、「この党も自民党から生まれた党だからねー」というと、すかさず、「そうだよなー」という。 どこもだめなので、どこの党を選んでいいのか、『共産党』が頭に浮かばないところが憎い。 そこで、「何が一番困りますか、どうしてほしいと思いますか」と聞いたら、「景気だなー、このままだと人はみんな沈んでしまう」・・・と。そこで、みなさんが困っていることは、共産党が取り上げてがんなっていると、相手の人の要求に即して、5つの経済提言を話す共産党は一貫して、庶民の味方。ぶれない、アメリカにも、財界にもきっぱり物を言う。みなさんの願いを下げずに頑張っている、と話した。 「お宅さんに大きくなってもらわないとだめかい」と、かたい氷がちょっと解け始めたか。それにしても、共産党を選択肢に即座にならないところが、こちらの問題。念頭に入れてもらうほどの、圧倒的な空気を作らないといけないと痛感。あるお宅を訪問。玄関の戸を開けた途端に「なんだい」という。共産党の事務所から書いたHですと言うと「ああ、共産党か、ダメダメ」手の平を振りかざし受け付けない。どこがダメ、と聞いた。そりゃあ、ソ連、中国、北朝鮮の共産党だよ、あれは怖い。共産主義はあれと同じだよ。だからダメ。憲法と国会、選挙のことを話した。多数の支持を得て、過半数の議席取れば政権取れる。民主的に性絵kンを取れば、国民の意思で共産主義社会に以降もdれ切るが…。というと、「そうかい」となったが、なかなか、手間のかかる対話である。午後仲間と地元の上野で、活動。音を出し、ご近所を訪問した。マイクを握ってしゃべっていると、後ろで、「応援しているからね」とコップに氷の入ったおいしいジュースを持ってきてくれた。赤旗しんぶんまで読んでくれるという。「頑張れ、頑張れ」と強烈な激励をもらう。
2010年05月09日
新支部長さんはいつも明るく元気だ。 今日は、私の地元でハンドマイク宣伝とご近所を訪問・対話をした。 どこへいっても、「自民もだめだが、民主もねえ」「日本はどうなっちゃうの」と政治への不信と不安の声が寄せられる。 鳩山内閣の支持率急低下と自民への揺れ戻りもなく、新党自民党と根っこが同じなので、「どうもねえ」と期待はいまいちである。いよいよ、共産党の出番か。頑張らないと、チャンス到来である。連続して、Tさんと行動した。
2010年05月08日
私の地域の幹線道路の一つ、北国街道筋の「他力橋」脇で街頭宣伝を行う。 上流域は、市民の63%が反対している「浅川穴あきダム」建設予定地がある。 今は、河床が下がり、川幅も広がり集中豪雨にも負けない立派な河川となっている。 この橋の脇は、街頭宣伝をする定置定点でなじみの場所。 宣伝カーのスピーカーが故障でワイヤレスのスーパーメガホンで行った。 7時30分から8時までの30分間、手を振ったり音を出したりでなかなか忙しいひと時である。 この街道筋には、古くからの家並みと急増した団地が混在する町となっており、顔見知りが幾人も手を振っていく。 元気の出る場所である。 沖縄の普天間基地移設問題と鳩山首相の「県外・国外」移設という公約違反を厳しく指摘。 沖縄県民の心は、「基地は要らない、無条件撤去」「アメリカ本国へ持ち帰って欲しい」という物。 沖縄や徳之島の人々の怒りの声を受けとめ、民主党・鳩山首相は「無条件撤去」をアメリカ政府伝えるべきである。 この声大きく広げる先頭でがんばる決意である。
2010年05月07日
6月10日開会の6月議会に向けた、団研修会は各議員の忙しい合間をようやく時間を割いて朝から夕方まで行った。 今回は、小林、宮崎、原田の3人が質問する担当である。
2010年05月06日
午前『日本共産党、市田演説会』で県民文化会館周辺をお誘いで訪問、対話活動を行う。午後古里北支部と吉田3支部の仲間と、街頭宣伝・訪問対話で活動。
2010年05月05日
聞いていたよ。元気だねえ。と玄関先での会話は弾む。今の政治はどうなっているんかね。鳩山さんテレビに出たよ。沖縄へいったけど、県庁に基地反対で人がいっぱいだったよ、との報告してくれた。音していたよ。聴いているんだ。自民にこりごり。民主に怒り。広がっている、この声。日本共産党のたすきを掛け、中野さなえさんの桃太郎旗を立てての街頭宣伝で元気を示す。日本共産党と中野さなえさんを国会へ政治をもっと前に真夏のような熱い日差しの中、大奮闘。
2010年05月04日
お隣さんの庭の木立で鶯が「ホーホー、ケキョケキョ」となれない声で鳴いている。中野さんのキャラバン出発の日にふさわしい朝である。 午前11時、長野駅前で63回目の憲法記念日を迎えた中野さん。夏の参院選に向けた、全県キャラバン出発日で、今日は市内を一巡する。午後4時10分、平安堂若槻店駐車場をお借りして、『まちかど演説』を行った。いよいよ、参院選公示まであと48日と迫ってきた。本番並みの取り組みで、日本共産党の前進と中野さなえさんを国会へそして『貧困なくし平和な日本へ、政治を前に』全力尽くしたい。
2010年05月03日
午前中 急増で700戸にもなった集落「徳間」地区での「集い」は5月16日で2週間後。保守系議員が7期、28年間影響力を持っていた集落で、これまで「集い」らしきことはやってこなかった。 引退を契機に、「集い」に向け、全戸へチラシを配り、宣伝と全戸対話しようと決め今日から始めた。 私がマイクを握り、仲間二人がピンポン対話でチラシ配りをしたが、なかなか反応も良く面白いと元気良く帰ってきた。「選挙と言えば、よく電話が来るなあ。『応援しているぞ。』と激励しているんだ・・・。」「比例はいいぞ」など。 集落の全戸に宣伝・対話で挑戦しようと意気込んでいる。 支部の仲間は、少数精鋭だがやる気満々、「新地開拓」の精神で取り組んでいる。 宣伝2回、よびかけのチラシ約100枚、対話26人。 ・・・ニューフロンティア精神で奮闘中・・・正午 長野駅前で定例の昼宣伝。 石坂県議と原田が訴えた。 午後1時地元の消防団分団の教養訓練で来賓あいさつ。夕方は消防団分団の慰労会に案内されている。
2010年05月02日
県労連など民主団体でつくる実行委員会が主催で、第81回長野県中央メーデーが開催された。 日本共産党を代表して、党長野県委員会女性・児童部長の中野さなえさんが連帯のあいさつを行った。 沖縄に連帯し、暮らし守るために奮闘する決意を述べた。いよいよ、夏は参院選、日本共産党の躍進で「政治をもっと前に」比例は日本共産党、選挙区は中野さなえさんを押し上げ「貧困なくし 平和な日本に!恒例でもんぜんぷら座前で、デモ隊に連帯と激励の手振りであいさつをする。参院選、長野選挙区予定候補の中野さなえさん、石坂・和田両県議、野々村、阿部、佐藤、原田の4人の市議が勢ぞろい。
2010年05月01日
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