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今朝、党市議団控室にホームレスの人が地下駐車場生活では、寒くて命がもたない、何とかして欲しい、と飛び込んできた。 現在、70歳。4年前に長野市のある会社をリストラされて、以来、冬季間は健康村などで寝泊りしていたが、持ち金が16万円しかなかったため、節約のため夏場は野宿生活。 もう金もなくなり、寒さに耐え切れづ、いわば、助けを求めてきた感じである。 しかも、長野駅周辺に相談者のような人がいて、その人が「市の厚生課か共産党の議員の事務所」を訪ねろと、ここを(控室)紹介してくれたと、 メモ書きまで持ってきた。 事情を聞くと、なかなか大変な人生を送っている。 福島県生まれで、30才ころ生家を離れて、長野県の松本市周辺にきて、黒部渓谷の熊谷組で土木建設の仕事をしていたが、止めて長野市に移り住み、建設関係の仕事にありついた。 景気の良かったオリンピックまで働いていたが、仕事も無くなり、自ら会社を辞めて製造業に従事した。 ここも不景気で、リストラされた。それ以降、約4年間長野市内を転々、路上生活がはじまった。 この間、職安にいったがまったく仕事は見つからなかった。 持ち合わせていた、貴重な16万円を少しづつ使い、生き長らえてきたが、金も底をつき、ついに我慢ならずに「控室」飛び込んできたというわけだ。 住所は長野駅、お風呂や洗濯はきちんとやられており、ひげもそり、多少、清潔な感じである。 早速、厚生課へ生活保護の申請に行った。 先の経過を話して、保護を求めた。この年齢では再就職は無理。 この厳寒のさなか、寒風吹き荒れる地下駐車場や駅構内では生活は無理なこと。さすが、相談者も「居所さえ明確であれば、申請を受けます」といってくれた。 早速、随時募集の市・県営住宅をと手を打ったが、まったく無い。 公募はどうかと問い合わせたが、市営住宅が2軒、県営住宅が6軒で、とても、確実に入居できる状態でない。 知人が不動産業のTさんにお願いして、ようやく、三万五千円の安いところを探してもらった。 入居先の大家に会い、急いで市役所にとんぼ返り。保護の申請をした。 2時半から8時半まで、申請するまでに6時間あまりを要した。 Aさんが、4年間のホームレス生活から脱却してふつうの生活ができるかどうか試される。 真新しい青い色のタタミと、風呂つきの一間。 上下の布団と枕、小さなテーブル、ご飯茶碗、今夜は大家さんのご好意でゆっくりと休める。 この人に聞いたら、長野駅にはまだ4~5人のホームレスがいるという。 先進資本主義国日本。情けない日本だ。
2003年01月31日
今朝の信毎にも報道されていたが、2004年4月から第二給食センターを民間委託するとして、会派の代表に説明があった。 すでに、県教職員組合や市職員組合などに説明をしたとしている。 委託の内容は、調理と、食器などの洗浄・消毒・保管のみで、献立や食材の購入、納品検査など肝心なところは、市教委が責任を負うので安全性は心配ないという。 すでに、民間委託をしている金沢市や神戸市などを調査・研究したが、質は確保している、問題はない。 また、組合、PTA、関連の21校の学校やPTA、父母などへの説明はきちんと行い、説明責任は果たすといった。 平成14年度から初めて、3年間で整備して、H16年度4月から委託をしていきたいというもの。 市長の公約どおり民間委託や民営化の第一弾として、進められていくわけだ。 いくつか質問をした。 ○「効率と財政を考え」経費の大幅削減が可能なら民間委託が当然というが、どの程度の削減を考えているのか。つまり、委託の根拠はどこにあるのか。働く環境の低下(労働条件低下)で安全で美味しい給食作りの仕事ができるのか。 ○市民的な説明や納得、合意など様々な意見・要望などが出てきているはず。きちんと集約して、これらの意見を生かして、これまでどおりにするか、委託とするか民主的に検討すべきであると、意見を述べた。 党市議団は一貫して、中山間地をはじめ、順次、自校給食に移行すべきと提案してきた。全国的にはセンター方式から自校給食へ移行しているところも増えてきている。 地元の農産物を使用するという観点、いわゆる、地産・地消の点からも重要な課題である。 前述のように、財政上でも問題は山積である。民間委託にするためには、かなりな予算の削減をするはずだ、と指摘したら、直営の5割か6割という学校もあるといった。 労働者の労働条件が劣悪となり、安全な職場の確保につながるのか心配だ。問題が起きたときの責任は当然市教委にあるはずだが、どうなるのか、と指摘した。それは一切市教委にあるといっていた。 市民的な合意問題では、説明責任はきちんと果たすというが、しかし、委託方針は明確なので、説明責任は果たしながら、理解してもらう、と。 既定方針は崩そうとはしない。市民から問題ありという厳しい指摘があれば、方針の変更も当然ではないか。といったら、理解してもらうの一点であった。 共産党市議団は、最初に言ったように、自校給食への移行に努力すべきと言ってきた。市の方針とは180度違う。 今後、市民とともに、地元の野菜を生かし、給食も教育の一貫という立場で自校給食などへの是正を求めていく決意だ。 市民的議論を呼びかけたい。 ご感想をお待ちしています。 ご意見、ご要望をお寄せください。お待ちしています。
2003年01月30日
暗い内から、「しんぶん赤旗」の配達に出かける。 アメリカのイラク攻撃が緊迫している情勢下、今朝の「赤旗」トップ記事は、「戦争は回避できる」「査察を続け、平和解決を」と呼びかけている。小脇に抱えて、一軒一軒ポストに入れる。 侵略戦争反対を命がけで貫いて80年。歴史と伝統を今日まで引き継いでいる。かけがえのない、貴重な存在の「しんぶん赤旗」であり、愛読者に感謝である。配達中・・「三文の得」 東山へ連なる山の一つ、菅平山頂付近の雲間から朝日が輝き始めた。 稜線くっきり、菅平を始め連山が浮き出て見事な遠景であり、気分爽快である。 早起きは「三文の得」と言うが、当たっている。 平和でなければ、味わえない光景と、痛く感じいる。 同じ紙面の真ん中には、「『小泉首相死者にむち』なじまぬ、A級戦犯の合祀正当化」と明快な見出し。 小泉首相が第二次世界大戦のA級戦犯を合祀して、靖国神社参拝を正当化した、ことに厳しい指摘をした。 小泉首相は侵略戦争への反省全くなし。 アメリカやそれに従っている日本の自民・公明政権と小泉首相は、無責任きわまりない。 ・・・戦争になれば「原油価格がさらに上がり、景気後退が各国に広がれば、世界の貧しい人々を直撃します。『戦場』はイラクだけではありません。・・・「しんぶん赤旗」潮流一部引用 関西国際空港二期工事推進26議員に業者献金。自民・公明などに3596万円も。共産党の畑野国会議員が追求した。 企業と国会議員の金にまつわる腐った関係は自民党の歴史的お家芸。ムネオさんしかり。 政権党に加わった、公明党も右へ習えか。 与直し公明党は、イージス艦派遣結構。 小泉首相の靖国参拝結構。 医療費値上げも結構。 労使の「36」労働協定の特別事情による過剰労働時間も結構。 景気後退の大本、消費税引き上げも結構。 国民の暮らしを直撃する、主要施策はことごとく推進。どこが与直し公明党か。 与えているのは、与党となって国民の暮らしへの打撃のみ。
2003年01月29日
アメリカ一国の利益のために、強引にイラクへ軍事攻撃をやろうと急速な体制を整えている。 傲慢この上ない行為だ。 国連やアメリカ国民の納得も国際的な合意も無く勝手に先制攻撃をするわけだ。 アメリカでも、サンフランシスコやワシントンで50万人、20万人、イタリアでは100万人でも、イギリスやフランスでも激しい戦争反対、平和を守れの声が沸き起こっている。 ところが、自民・公明の連立政権は、国際的な戦争反対の声を無視をして、史上初めてインド洋にイージス艦を派遣した。 アメリカの戦争は止めよではなく、戦争の後押しをしている。 憲法九条をないがしろにするもので、許せない。おまけに、靖国神社参拝は2重3重の国民への裏切り行為。過去の戦争の反省の結果、憲法に戦争放棄が明記されたのである。 アジアの人々から、日本は再び暗黒の道に逆戻りかと危惧するのは当然である。 あらためて、緊迫してきたアメリカのイラク戦争絶対反対の声をこの場から、さらに大きく高め、広げていきたい。
2003年01月28日
久しぶりに、浅川上流域に住むT子さんと、雨と雪道の中を訪問した。近所では、なかなか信望の厚い人で、訪問していてもよくわかる。 外で雪固片付けをしていたMさん「ダム中止してよかったなあ。この川は、土砂の流出がすごい。見てくれ、ひどいもんだ。底をさらって欲しい」・・「すでに、石坂県議が浅川改良事務所にお願いしてあり、年度内には浚渫することになっています。」といった。 「あの不信任県議会はどうですか」「問題だ。遠慮すべきだ」と怒っいる。 年配のkさん「ダムは無いほうがいいですよ。論電ヶ谷池の決壊でこの辺はすごかったんですよ。私は小さかったんですがね。山田橋まで見に行きました。橋の桁にゴミと一緒に人も死んでいたんです。棺おけがいくつも並べられて、死んだ人を引きづり挙げ棺おけに入れていました。人間は頭の毛は無く、牛は水を飲んでまん丸に膨れ上がっていました。その何十倍ものダムはいけません。良かったですね。上はダムを造るところじゃありませんよ。」といって、石坂さんの県議会での奮闘ぶりをよく知っていたし、激励もしてくれた。 赤旗日曜版読者ができました。 20軒ほど訪問したが、11軒と対話ができた。 ニュース会員11人、好意的であった。 雨の中、同じ時間帯で、党若槻支部でも4人二組で、60軒訪問、対話が21人。ニュース会員21人みんな良かった。 元気いい。そのまま、昼食でレストランへ直行。 携帯がなり、私も呼ばれて一緒に昼食をともにさせてもらった。
2003年01月27日
午前 田子の文化祭に招かれ出席させてもらった。 懇親会があり、あいさつで一言話をさせてもらった。 「・・・日頃のご協力にお礼を申し上げます。となりの豊野町が長野市に合併したいとの申し入れがあり、協議会を作り協議中であります。合併はあくまでも両住民の福祉や暮らしが良くなることが前提です。 豊野町は沢山な素晴らしい福祉や教育施策を持っているが、長野市に合併すれば後退の心配があります。」と具体的な問題点を指摘した。隅から隅までの福祉バス。県下一、美味しい学校給食の話。 車椅子児童のために、小中学校にエレベーターを設置したことや、障害児の児童のために介助教員を町単独で配置するなど、長野市では考えられない施策があるが、合併したらどうなっちゃうのか。心配だ。長野市の議会での市長答弁では、いいことだが長野市単独でできるかは保障しかねる、大変だ、と答弁した。 豊野町の議員も大幅削減は間違いなし。町民サービスのために、職員も120人近くいるのにどこまで減らされるか見当もつかない。 広大な農村地域が存在している豊野町への投資はどうか、など今後議論していく問題だが、問題点山積である。慎重に検討しなければならない。期限は2005年3月までといっている。時間はさほど無い。無いからといって急げば住民の利益を損ねる。 いろいろ話した。 あとで、心配だね。大きくなることはいい事かどうかね。といっている人もいた。 懇親会では、長い赤旗日曜版読者が「赤旗しんぶん」は実にためになる。隅から隅まで読んでいる。共産党のいっているとおりと思う。期待している、と強い励ましの言葉を頂いた。午後 若槻団地の共産党後援会主催の新年会に呼ばれた。 石坂ちほさんがメーンである。 原田は合併問題で市政報告。中野さんが当面する国政問題を話す。 石坂ちほ県会議員は県政の近況を話してくれた。 決算特別委員会の副委員長として重責を担って奮闘中である。 東京事務所での現地調査の報告は圧巻であった。 地元のS県議は「情報収集のため国、官庁の幹部との接待もあると思うが、どのくらい予算を使っているのか。」との事務所長への質問に「一切使っていません。情報収集はインターネットで十分できます。」と答弁。「時には幹部との会食などもあるのではないか。」「当然あります。しかし、双方、割り勘で行っていますので予算は使われていません」との答弁。 かつては、飲み放題、食い放題で湯水のように税金が使われていたが、田中知事になってから、この状態である。 文句をいいたかっただろう、S県議の挙げたこぶしの下ろす所がなくなってしまった。・・・ 石坂さんは悪口ではなく事実に基づき正確に報告していた。みんな納得である。 田中応援団の方々も幾人もきてくれた。 中には前回、S県議を支持して頑張った方もいた。 田中知事を応援した以上、この知事を支えてさらに大きく前進させないといけない。固く誓い合った。 日曜版読者になってくれた人が生まれた。
2003年01月26日
中央法律事務所長の冨森啓児弁護士の兄で、冨森叡児さん(元朝日新聞編集局長)が書いた「うろんなり助右衛門」の出版祝賀会が「ホテル国際21」で行われた。 役割をはたせなっかたが、実行委員を命ぜられ、末席を汚した。 冨森先生から実行委員にといわれ、その直後に出来上がった、本を謹呈してくれたので、早速少しづつ読み始めた。読むにつれ、実に面白いので、一気に最後まで。 発行にあたってのエピソードが紹介された。発行元の出版会社・草思社の担当者の話・・・「・・・わたしが、たまたま銀座のバーに飲みに行ったら、ママさんが『こんな本書いている人がいるよ。専門家としてアドバイスしてあげたら』と教えてくれた。早速、読んで見るとなかなか面白い。」となって今日に至った次第だ、といわれた。 著者は四十七士の一人、冨森助右衛門の末裔であり、自らのルーツを探る目的もあって、助右衛門のことや一族の歴史を調べはじめたが、だんだんと忠臣蔵の背景に興味を惹かれていく。なぜ、マイホーム主義者の助右衛門が討ち入りに参加したのか。切腹後、冨森家はどうなったのか、そもそも忠臣蔵とはどんな事件なのか。様々な謎に迫る忠臣蔵の不思議な話。 「うろんなり」の意味は・・・怪しげな・・・ということ。 1600円、先ずはご一読を。 昨年、「忍ぶ会」主催で赤穂へのバスの旅があり、私も参加させてもらった。 今は亡き宮沢しのぶさんの奥さんも出席され、盛大であった。 宮沢さんの人を思う、懐の奥深い、人間味あふれる生き様を学び自らをはぐくんでいきたい。
2003年01月25日
公明党・創価学会の日本共産党への不当な攻撃が続いている。 反撃をして、共産党の3人の候補者全員の勝利のために応援に行ってきた。 今日は、柏木ひろみさんの応援である。柏木さんは7期28年間「市民の暮らし第一」で、頑張ってきた三井議員さんの後を受けて、日本共産党の公認として立候補してくれた若い女性候補。 午後2時半頃からビラまきと、街頭宣伝をはじめた。 250軒ある「御影」という地域で本村だという。 わたしは、ハンドマイクで街頭宣伝。若槻支部の二人は政策ビラをまいてくれた。 午後も3時を過ぎると、さすがに東信地方は寒い。 4時から5時にもなると、道路はカリカリと凍みている。風も浅間おろしの厳しい冷え込みである。 それでも、めげずに8回の宣伝をした。 厳しい不況のもと、暮らしが大変なとき、市政や議会がが市民の福祉や教育子供達のことを考えた、施策が求められている。 県下17市中でも、乳幼児医療費はきわめて不十分。教育費の父母負担も県下では高いほう。一方で、同和予算には年間3億8千万円も使っており、さらに、小諸駅の駅舎新築には5億3千万円も投資するという、開発優先の市政となっている事を指摘。 このような無駄な事を止めさせて、市民の暮らし第一の市政を進めていきたいと訴える。 また、公明党や創価学会が共産党を攻撃している。 乳幼児医療費や北朝鮮の拉致問題で事実に反する、すぐメッキのはげるようなものである。 街頭宣伝で厳しく指摘しておいた。 日本中で公明党や創価学会が、日本共産党に対して、いわれのない反共攻撃に、うつつをぬかしているが、きちんと反論し、正論が世論となるように、さらなる奮闘をしなければと決意をしている。 午前中は若槻団地の共産党の仲間と訪問する。 まったく同じ時間帯に、地元のS県議も数人の元地区役員と一緒に個別の訪問をしていた。激しい闘いである。 本日付の信毎で、三輪から田中派という人物が立候補の表明をした報道をしている。 ますます、激しい選挙戦となろうとしている。昨年の7月5日。 あの県議会は忘れられない。田中知事不信任を突きつけた、議員よ「ノー」、レッドカードである。反省せよ。スジ通し、県民の声をしっかり受け止め、堂々と不信任決議反対で討論をした、日本共産党の2人の勝利、北部では県議団団長の石坂ちほさんの必勝を目指して全力投球。頑張ります。皆さんのご支援を。
2003年01月24日
赤旗新聞の配達から帰って、一通り新聞を見終わって、外を見るとなんと雪の『めちゃ降り』である。 車で出ようと思ったが、我が家から通りまでは30メートル。 20センチを超えた雪を片付けないと、通りに出れない。 幅4メートル、延長30メートルの行き片付けには参りました。 運ぶところが無く、やむを得ず少しずつ数え切れない回数を遠くまで運んだ。普段使わない筋肉が痛み、閉口した。 動く気力を失ってしまった。 体を鍛えておかないと、当面する県議選で体力で勝負できない。 「候補者を支えて」が「支えられて」と、逆にならないように心してかからないといけない。 「『雪』の功名」
2003年01月23日
午前9時半から、地元の吉区の有賀区長さん、山千寺観音堂保存をしている丸山さん、保存会の設立準備会の事務局担当の北村さん、若槻山城、里城を保存する会会長の宮崎さんなどとわたしも同行して、「山千寺観音堂を長野市文化財指定」のため、教育長に申請書を渡し経過の説明をした。 山千寺観音堂は、天正年間に武田信玄の過信、丸子弥平太直久に本尊(銅造観音菩薩立像『重要文化財』)をこの地に奉戴させ、本堂を造営したといわれている。その後,元禄10年9月に本堂、庫裡共に丸山氏宅も焼失したので、丸山家8代目弥右衛門直頼が、文政4年4月に個人の力で再建した。(京都の清水寺に似せて再建)。以降、現在にいたるまで補修せずに来たため、維持補修しなければ保存できなくなってきた。お堂境内には、「しだれ桜」の古木があり、「信玄駒つなぎの桜」と呼ばれ、信玄が馬をつないで山千寺に参詣したといわれている。辺りは棚田が広がり、石造文化財あり、カタクリの群生地あり、涸れることのない清水が湧出る名水あり、近くには市指定文化財の「木造観音菩薩立像」あり、吉古墳群ありと文化財、歴史、自然を訪ねる絶好の環境。 「山千寺観音堂」の文化財指定とあわせて付近の資源保護で市民の貴重な財産として活用できる。 などなどで、「文化財指定」を申請した。 地元の皆さんは、貴重な文化財保護のため努力されているので、引き続き、調査をはじめ必要な資料収集も行い、一緒に実現できるように力を尽くした。 午後は『7年に一度の「善光寺」御開帳』近しで、議会が住職から由来を学ぶ この4月から、7年に一度の「善光寺御開帳」が開かれる。 長野市でも、御開帳での集客600万人めざす取り組みで協力しようと、議会として住職から「善光寺御開帳」の歴史や由来を学ぼうと学習会を開いた。 善光寺は644年に創建、806年に最初の炎上、1179年にも炎上するなど今日までに11回炎上、焼失し現在の善光寺は12回目のもの。 善光寺がなぜ全国に多くの同名の寺があるのか。諏訪の「諏訪神社」と同様の名前の「御諏訪さん」は全国に1万社あるが、善光寺もそれに劣らず多くあり、しかも外国にも2ヶ所あるという。 善光寺を建てるとき、建造資金を作るために、全国行脚をして資金を集めたところに由縁するという。 御開帳の目的は、万人が安らぎを得ることができるように、世界の平和、日本の平和、すべての人々が安心して暮らせるよう、世界の人々を救う、病気も無く暮らせるようにと願って、行われている。・・・本師如来が日本の国を導いてくれる・・・住職のお話である。 1400年の善光寺の歩みのうち、1期が鎌倉時代、2期が江戸時代、3期が現代で、それぞれの時期が一番繁栄していた。 それは、『平和であったから』いくさや争いがあれば数年は参拝客はこない。第二次世界大戦の時もそうであった。 平和で安定時は本殿には、一日「二升のご飯」をお供えしていたが、戦争中は「盃」一杯の米をそのまま上げ下げしていた、と戦争の怖さ、ひどさ、悲惨さを寺の側から告発していたように思われた。 講演中のこの部分が一番印象に残る。
2003年01月22日
夕方になると寒さが厳しくなってきた。飯綱おろしの冷え込みである。若槻団地はこの風をまともに受けるところ。 共産党支部のGさんと1200戸の団地を車でひと回り。 田中応援団と地元の共産党支部は仲良く県政を支えて頑張ってきた。 今日は、これらの皆さんを訪ねる。 石坂ちほさんをよろしく。「頑張って」「当然だ」と快く支持を約束。「赤旗しんぶん」も是非読んで応援して欲しい。とお願いした。区長さん、元区の役員さん、地元S県議の散らしを配布しているという役員さん。みんな購読してくれた。 田中県政を応援しないといけない。この流れは当然だ、という。 今、事情でビラを配っているが、3月で区の役員も辞める。 後は自由だよ、といっていた。 変わり始めた、県政をさらに前に進めるために。 さらに頑張らないといけない。
2003年01月21日
まだまだ、風も冷たい午前10時。夫を亡くして間もないのに、悲しみを静かに抑えて「ちほさん」をどうしてもと、居住しているご近所を2時間たっぷり訪ね歩く。 「おばちゃんいる。Mだけど。4月が県議選なんだけど、石坂さんたのむね」気軽に声かけてどんどんまわる。 「ここに共産党後援会のニュース入っているからね、わたし、また届けるから読んでね」普段の結びつきがいいのか、すぐに気持ちよい返事が返ってくる。 歩いている途中で、自転車に乗ってきた若い奥さんに声をかける。「Aさん、元気。ちょっと頼みがあるんだ。選挙。石坂さんいいかなあ。」「ああ、Mさん久しぶり、いつぞやはいろいろありがとう。選挙いいよ。それよりも、そのビラわたしも配ってあげるよ。」まさかそんな風に言われるとは、ユメユメ思わず。「どこを何枚」「あの団地にいるから、最初は管理人のこともあるので50枚ね。だんだん増やすから」大変なことになった。感激でいっぱい。二人で「すごいねえ、良かったねえ」。 次の家は、わたしもよく知っている、かっての職場の大先輩。 現役の頃は、地域に社会党の市議がいて応援をしていた人。 陽だまりのいい縁側からおじゃまする。 「おお、よく来たなあ、あがれや」奥さんが炬燵に座布団を用意し始めた。あがるのを遠慮して本題に入った。「共産党の石坂ちほをよろしく。」といったとたんに、奥さんが「わたしは決まっているよ。共産党しかないからね。この人さあ」とリーフレットを指差す。「わたしは、どんどん宣伝しているんさあ」まさか、こうなるとは、またまた、夢が二度までも。「選挙もあるので、先輩、赤旗しんぶん読んで欲しいんですが」というと、奥さんが旦那さんの顔も見て、多少考えていたが、「いいよ」となり購読を約束。 いきなり「うちは共産党だよ。それしかない」といわれてびっくり。「この辺多いよ。」とつけ加えた。 行くところ、行くところ、ほぼ同様の空気である。 ある70歳少しぐらいの人は「田中さんはいいよ。県政が変わってきたね。応援しなくちゃあ」このあたりは、どちらかというと、社会党の支持者の多いところ。 昨年7月5日の知事不信任の際、不信任可決に実質協力した、社会県民連合のT県議をはじめ誰も来ていないという。「『ちほさん』が一番先。」と聴くと「そうだよ」。 わたしよく知らないお宅だけど。といって訪ねた。 「うちはお父さんが、配線など電気工事関係の会社で、田中さんになってから公共事業が減っているので、田中さんは嫌いです。知事選挙には行きませんでした」と。 どうして、仕事無いんですか。と聞きなおした。奥さんいわく「ゼネコンの仕事が回ってこないでしょ」そこで、長野県の借金県の財政状況を話す。「それは知っています」といった。公共事業でもダムや高規格道路などゼネコン優遇の公共事業はほとんどが東京か大阪のゼネコンなど県外へお金がいってしまう。しかも、仕事がもらえても、安く叩かれてしまう。「お父さんそういっていませんか」「そうですよね。言っています。」「それよりも、福祉施設や学校改修な生活密着型の公共事業だと、逆にほとんど地元業者に仕事が来るんですよ。現に今までよりも、地元業者の受注率は高まっているのです。」といったら、そうですか。わかりました。お父さんとよく話し合ってみてください。ニュースは届けてもいいですか。「はい、いいです」といってくれた。意外とは思ったが、しかし、これはもっとどんどん、早く訪ねないといけないと痛感した。20軒ほど対話して、ほとんど全員が「ニュース読んでもいいよ」といってくれた。 Mさんはいちいち「わたしが配ってきますから」と確認してくれた。 昼頃には、すっかり暖かくなり、天気もいいし、行動も良かったし。「ちほさん」旋風をちょっと吹かしたかな。 この地域にはもっと力を入れるべきだ。 不信任 怒りを背負う 党議員 攻めの選挙に 県下を走る 共産党だよ この人だよと リーフ指さす 老夫婦若し
2003年01月20日
毎年、案内を頂き出席している。地域外のS県議、F市議も同席。それぞれ、あいさつをした。 S県議は「4月は選挙。田中知事を2回にわたって支持しなかった。有権者からは、厳しい批判も頂いている。これからも、いいものはいい。いけないものはいけない。との姿勢で対応していきたい。勝たせていただき、来年もこの席に呼んで欲しい。」といった。 わたしは「・・・日頃のご協力に感謝をします。今年こそ、平和で、安心して過ごせる世の中つくるため頑張ります。 さて、今こそ、地方自治の精神『住民の安全と福祉・健康を守ること』が重要な時はありません。 厳しい経済不況のもとで、長野市は国保料の滞納者は増えつづけ、前年が8600世帯から1000世帯増えて9700世帯です。 介護保険料も同様です。今こそ、いのちや健康が守れる政治の必要なときはありません。 市行財政運営のうち、無駄は省き、福祉、教育など市民の暮らし応援に税金を使うときであります。また、合併問題でも話がありましたが、豊野、長野両住民が合併してよかった、福祉も向上した、そんなまちづくり、合併が求められます。わたしはそういう立場で頑張る決意です。」とあいさつ。 「市民のそんな一面、知らなかった。」「昨日は、石坂さんの集いだったね」どうして知っているの、と聞くと「アンテナが高いから」すかさず、「いっぱい集まったんだよ。頼みますよ」という。 この人は、地元上野の「石坂ちほ県政報告会」に来てくれた人。 「そうどころではない」といってくれた。 S県議を立てる人もいたが、「経団連が消費税を上げるといっているが、どうですか」と地元の職人に聞いてみた。 「とんでもないよ、わしら職人は生きてはいけない。今、消費税5%分を値引きするキャンペーンをしたいと思っているが、いいかい。『消費税分値引き』だが。」というほどに、景気の悪さを心配していた。 ここに、追い討ちかけるような、消費税増税はとんでもない。と厳しい怒りの声。 「俺のかあちゃんは年金月2万円。俺の分をあわせてもやっとこの暮らし。国保料の滞納はいけないが気持ちはよくわかる。介護保険を上げたりじゃ、楽ではないなあ」。と政府の年金削減、医療費値上げ、介護保険料の引き上げは問題ありだと怒っていた。 宴席ではあったが、一人一人、来るべき県議選で「ちほさん」をお願いした。 酔いもあり 意気投合の 宴の席 誉めてほめられ 活き活き元気
2003年01月19日
日本共産党の東部女性後援会は、来る4月の県議選で石坂ちほさんの勝利をめざして「集い」を開いた。 銘うって「ちほさんの輪を広げる東部女性の集い」である。 浅川、吉田、古里、若槻の4つの行政区にまたがる有権者4万6千人。石坂地域でも最大の有権者の多いところ。 3回にわたる役員会を開いてきた。 田中県政を支えて頑張ってきた日本共産党の6人の県議団の団長の地域であり、どこよりも力を発揮しないといけないところ。 40人のスタッフ(役割分担をした)をつくり、準備をしてきた。 神戸会長さんと大村事務局長ほか各地域の役員が、仲良く共同で作り上げてきたもの。 参加者はこれまでの最高で130人。集会終了後120人か125人かなどといっていたが、最終的には先に帰った人や、名前の書かなかった人、バザーや作品を出してくれた人など、含めれば130人。子供さんも7~8人いたので例年にない沢山の参加者であった。 取り組んでくれた皆さんに感謝したい。 うたごえあり、マジックあり、野菜、ヤクルトなどバザーあり、抹茶コーナーもあった。 何よりも最大の魅力は、石坂ちほさんの「県政報告」だ。 わたしは、出入りが多く「ちほ県議」の話を十分に聞けなかった。約40分たっぷりと、生々しい県議会の動きなど話してくれた。 「事実は小説より奇なり」だ。みんな固唾を飲んで聞き入っている。 前県政会顧問は、自分の集会で(K女性歌手を呼んで5千人集めたというが)『吉村県政が懐かしい』といったそうだ。反省していないのか。 今日のマジックの最後に「ちほさんと共に、力をあわせて不信任勢力に審判を」という出し物をやった。参加者の気分と同じで、拍手喝采であった。 石坂県議も気持ちをこめて、「わたしの原点は、弱い人たちに暖かい政治の光を」である、と明快。 ダムを中止するなど、公共事業の見直しで、30人学級など福祉、教育、中小業者に暖かい政治の光をと頑張ってきました。 石坂県議の県政報告に納得、元気をもらった。 これを力に、対話を強め、熱い空気を作って石坂押上げで頑張ると決意を固めあった。 石坂さんへの「魔法の靴」カンパではなんと5万円を越した。 抹茶を所望した人は40人を越した。バザーもヤクルトも売れ行き抜群。 楽しい、元気の出る女性の集いであった。「ちほさん押上げ」でもらったエネルギーを発揮して頑張りたい。
2003年01月18日
今朝も冷たい空気の中、宣伝に出かける。吐く息は真っ白である。かなり冷えている。 若槻団地の入り口、ちゃらん亭前が定地定点の場所。ここは10年ほど前、あらたに開拓した絶好の場所。 今朝は少し遅れ気味で7時50分から声を出す。 手を振り激励の車が相次ぐ。 「・・・自民・公明の連立・小泉内閣の悪政を糾弾。靖国参拝・イージス艦派遣に抗議。憲法守れと厳しく指摘。 医療費値上げを、自民・公明が一体で強行。国民の暮らし、特にお年よりの暮らしは深刻。年金削り、介護保険料の引き上げは我慢ならない。追い討ちかけるように、経団連が消費税増税を政府や国会議員に迫っている。2004年か1%づつ16%まで引き上げるというもの。景気はもっと冷えこみ、どん底状態になることは目に見えている。とんでもないと批判。 公共事業を生活密着型に替えて、県政の流れは変わってきた。 さらに大きく前進させるために日本共産党と石坂千穂さんへのご支援をと訴える。 バスを待っていた女性が、大きく手を振ってくれた。 まったく知らない人で、この上ない激励である。 寒さは吹っ飛んでしまった。元気の出る、なによりのエネルギーをもらった感じ。 「石坂ちほ」さんの桃太郎旗は、相変わらず寒さにめげず赤く燃えている。 党吉田1支部と吉田1丁目の商店街などこれまであまり入ったことのないところを訪問。 雑貨屋さん・・・田中県政はと聞くと「よくわからない。」 ダムなど大型公共事業を減らして、生活密着型公共事業に税金の使い方を変えてきた。特別養護老人ホームや学校の修繕など地元の企業が潤うようになってきた。長野県の失業率は低いほうである。 といったが、お客さんがきて話が続かず。ニュース会員になってくれる。 菓子屋さん・・・毎日ご苦労様です。よくわかっています。そのつもりです。と気持ちを共有できた。 専業主婦・・・玄関を開けた瞬間はけげんな顔をしていたが、「4月が県議選です。田中県政の元、変わり始めたこの県政をさらに進めるために、頑張ってきた石坂さんをよろしく」 相手の人「田中さん応援しています。石坂さんも知っています。田中さん応援した人だものねー。支持しますよ」と快い返事。 赤旗日曜版読者・・・「前に頂いたチラシを呼んでいました。共産党さんは二人だよね。厳しいけど頑張って、ひろげます。」 若い主婦の人・・・県政の代わり方には賛同していた。頑張ってください。との励ましと同時に、明日(18日)の千穂さんの輪を広げる集いに参加をとお願いすると、言ってみたいですね、行くようにします。との返事。 新しい共産党への共感者のいる事に感謝。 全戸訪問で対面して、話し合うことの重要な意義を痛感した。 道端の 空き地で一人 マイク持つ バス待つ人の 手高く振る
2003年01月17日
審議会の答申があり、説明を受ける。 下水道の20年計画を、5年短縮するため、資本費参入率を43%から50%にする。 整備費は当面変わらないが、7、8%ほど引き上げるもの。 市民の要望の強いもので、早期に公共下水道を引くために、やむをえない措置としている。 あがれば、困る人も当然いる。 今、医療費が上がり、介護保険もあがる、年金が切り下げられ、厳しい不況で収入がた減りである。 公共料金は上げて欲しくはない。市民の負担増にならないような、上げなくてすむような、当局の経営努力はできなかったのか。 「水洗化したくない」などといわれないようにきちんと対応して欲しい。共産党の市議団も、この問題で調査・研究し具体的な提案もしていきたいと思う。 寒強く 体冷え込む 朝宣伝 気遣う妻の トン汁熱し 明朝もかなり冷え込みそうだが、街頭宣伝に出かけるつもりだ。
2003年01月16日
雪吹きつける北国街道の浅川のたもとで街頭宣伝を行う。 圧雪で滑る道路は実に危険でありドライバーは皆慎重な運転をしている。 今日は、昨日の小泉首相の靖国神社参拝について厳しく指摘した。侵略戦争の推進者を合祀してあり、絶対に許されない。 中国や韓国の要人が、今後日本に対して考えなければならない。 と厳しい態度である。憲法9条を反故にしての、この首相の姿勢は国民の恥。抗議殺到だ。 アメリカのイラク戦争に反対、イージス艦はインド洋に派遣するな、憲法を守れ。で頑張りたいと訴える。 顔を打つ 雪に真向かい マイク持つ 靖国参拝 許さずを言う 暗い道 いつかきた道 ひた走る イージス艦に 靖国参拝小さな一件 今朝の街頭宣伝中のこと。マイクを持って話している30メートル前方に緩やかな上り坂(50メートルくらい)がある。 この坂で一台の乗用車がスリップしてどうしてもあがらない。 後続の車が数十台続いている。降りて押してやろうという人もいない。小生は声を出している。途中で話を止めて押してやろうか、どうしようか、一瞬迷う。まいいいか、とマイクを切って、押しに行く。車に近づいたら、車は後部を大きく振り振りようやく坂を登りつめた。マイクを持って話を続けた。「失礼しました、と言って・・・」 この一見、知っているのは場所を貸してくれた店の人と「石坂ちほ」さんの桃太郎旗だけか。 当事者の「運ちゃん」も知らないかも。 それにしても、約1分近くも声が止まってしまったのである。 ご近所の人は、どうなっちゃたのだろう、と思ったかどうか。 書き込むほどのものではないが、先ずはお知らせしておきます。
2003年01月15日
連休3日間で一気に対話を広げようと、連日行動に奮起した若槻支部の活動が「赤旗」に掲載され、全国へ報道された。 残念ながら、他の用があり、わたしは同行できなかった。 ・・・「赤旗」記事の一部をお借りする。・・・ トントン、「こんにちわー、いる。日本共産党だけど、ニュース届けてもいいかなぁ」。 長野市北部の7つの地域で活動する日本共産党若槻支部は連休の3日間、後援会ニュースを持って、地域の全住民との対話活動を続けています。12日は無病息災を願って積み上げたワラで、しめ飾りや『どんど焼き』真っ最中の住宅街を、支部員が二人一組(二組)で一軒ずつ訪ねて対話しました。「4月の県議戦で、もっと共産党を大きくし、田中県政を支えて県民本位の予算の使い方うを進めたいのよ」と支部長の訴えに、「いいですよ。ご苦労様」と住民が応じます。支部では二十年来、住民との対話と後援会づくりを重視してきました。地域によっては、全世帯の7割以上に後援会ニュースを届けている地域も。「高知県の後援会づくりの話を聞いて、対話の大事さを改めて実感。全住民との対話をはじめています。」 と支部長。他党の現職県議が早朝から地域を細かく、まわり選挙本番並みの動きを見せています。どんど焼きの火の前では、八十三歳のおばあちゃんと、「しんぶん赤旗」日曜版、長野県泰阜村の「小さな村の大きな福祉」に記事が話題に。「しみじみ読ませてもらいましたよ。ムダを削れば、小さな村でもこれだけのことができるんだね。切り抜いて役場の人に見せますよ」・・・ あとでこの活動の記事を読んで、びっくり。 元気よく、なかなかいい対話をして頑張ってるナー、と感心。 元気をもらった取材記事。頑張ります。これでも 日本は豊か。 昨年末にサラ金などの生活相談があった。まじめで、仲の良い老夫婦で、サラ金などに手を出すような人ではなかったが、隙を突かれて借りてしまった。 「朝晩の取立てが激しく、玄関の戸をがんがんたたき、生きている心地がしなかった。いのちの縮む思いだ」と二人で泣いていた。 これでも豊かな日本か。小泉「構造改革」に怒り心頭である。 布切れで 明かり遮り 昼夜も サラ金帰るを 息殺し待つ 「助けて」の 電話の奥の 小さき声 いのち縮むと 老夫婦泣く 堂々と 党のポスター 板塀に 貼っていいよと 夫婦睦まじ 第4回合併問題調査特別委員会が開かれた。 明日が第1回の任意合併協議会であり、議会としてその前に議題について議論した。 合併の経過と組織の確立、情報公開など議題である。(続報)
2003年01月14日
午前中は、長野市の成人式が市民会館で行われた。 1700人の席ほぼ満席の成人者でにぎやかに盛大であった。 例年とは違い、お祝いの式に相応しく厳粛である。 午後は稲田の新年会に招かれた。S県議、F市議のあいさつの後、わたしは乾杯を指名され、あいさつを含めて乾杯をさせてもらった。「厳しいが今年こそ平和で安心して暮らせる世の中にしたい。皆さんと一緒に希望や願い出なく、力を合わせて幸せを呼び寄せたい。そのために頑張ります。今、長野市は大変です。国保料の滞納者、介護保険の滞納者が急増している。ホームレスの相談も日常茶飯事。こういうときにこそ、県政、市政、国政が命や健康を守ることのできる暖かい政治が求められている。この責任は私ども議員にある。全力を尽くしたい。」と話して乾杯した。 酌に回る Kさん「駅頭でよく頑張っているねー。なかなか、まねはできないよ。感心しているよ」 Yさん「乾杯のあいさつ良かったよ。原田さんらしい。気持ちがこもっていたねー」 Mさん「浅川ダム中止でよかったなー、これまでに、そうとう雨が降ったが越流はあっても決壊はなかった。ダムは本当はいらないんだよ。良かったなー」 Tさん「わたしは、論電ヶ谷池の決壊のとき7歳でした。今でも忘れません。大人の後をつけて浅川の付近へ行きました。頭の毛の抜けた人や牛が浮いていた、今でも鮮明に覚えています。ダムを造らなくなって良かったね」 Aさん「あなたは、誰ですか」といわれ「共産党の市会議員の原田です」「知らなかった。」「あんたは、どこの職場ですか」「わたしは情報機器の会社です」「ほかの市会議員がいるところですね」「はい、そうです。」「あの人は、最初は社会党で今は、違いますね。党派変えたり、会派名をかえたしていますね」「そうなんですよ。あれでいいんですかねー」こんな会話をしていたら、相手の人、「原田さん頑張って欲しい。世の中変わってきた、いい事です。気持ちは一緒です。」といってくれた。 Tさん「小泉さんの、今の政治は絶対おかしい。賛成できない」と怒っている。 田中県政や共産党の石坂県議への共感が寄せられていた。 今日は共産党の稲田支部の支部長さんたちが、石坂県議と街頭宣伝をしながら、訪問と対話の活動をした。地元のS県議も必死で回っている事がわかった。中には、「S県議が回ってきたが、田中知事への不信任に賛成した人は支持できません。同じ気持ちの人はたくさんいます。頑張ってください。」と励まされたといって報告してくれた。 激しい、熾烈な「選挙戦」が展開している。負けられない。
2003年01月13日
共産党若槻支部の新人カラオケ部長の運転で、雪の吹きつける中、街頭宣伝に出発。 今日はどんど焼きの日である。あちこちでしめ飾りやだるまなどを集めている子供達に出あう。 たまたま、どんど焼きづくりで大人や子供達があつまっているいいところあり。「声を出してもいいですか」と聞いたら「いいよ、どんどんやって」との事。約15分話をする。「いよいよ、今年は地方選挙の年、政局も大揺れで総選挙もあるかもしれない。長野県から発信した政治の流れをさらに前に向けて進めていきたい。日本共産党への暖かいご支援とご協力をお願いしたい。」と訴え、さらにイラクへのアメリカの攻撃に国際的な反対の声が沸き起こっていること。にもかかわらず、自民・公明の連立政権はこの平和の大きなうねりを無視して、史上初めて軍艦「イージス艦」を派遣した。平和憲法を無視。世界の国々から厳しい批判の声があがっている。 挙句の果てに、有事法制までやろうとしている。「戦争をしない国から」「戦争をする国へ」アメリカの言うことを聞いて突っ走ろうとしている。厳しく指摘した。 暮らしの問題でも、「昨年自民・公明党はお年よりの医療費を上げた。深刻である。長野市でも長く続く厳しい不況のもと、国保料や介護保険料の滞納者が急増している。払いたくても払えないのが実態、これに、さらに年金の切り下げである。しかも、追い討ちかけるように消費税を2004年から1%づつ上げて、16%にまでするという、経団連はこの消費税引き上げに賛成する国会議員に対しては企業献金を再会するというから言語道断だ」と糾弾。 増税反対。暮らし守れの声は大きくなっている。これまで自民党の最大の支持母体である日本医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会など4団体は上げて、政府に向かって「医療費の引き上げノー」で結束し、反対の行動をしている。日本共産党と無党派の皆さんなど共同の闘いも始まっている。長野県は「田中県政の誕生で政治は変えられる」と確信が生まれている。公共事業の見直しで福祉、暮らし応援の県政に変わりつつある。この流れもっと確かなものにするために、来るべき一斉地方選挙で日本共産党が大きくなること。石坂ちほ県議の再選のためご協力をと訴えた。 どんど焼きの飾りをしていた皆さん、手を振って激励してくれる。カラオケ部長さんは、雪降る中、一軒一軒対話をしながらビラを丁寧に入れていた。 午前中は3回。 午後は長沼後援会主催の新年会に出る。石坂県議も県政報告をした。わたしは石坂選対の立場から、出足早く対話支持を急速に進めて欲しいと訴えた。 若槻支部の皆さんは、70歳を超える、「矍鑠(かくしゃく)」とした大先輩を含めて2組で行動。大先輩の皆さんは昨日、共産党の第5回中央委員会総会の報告の学習をしたばかり。年はしていても「知は力」張り切っている。自分達の居住しているところを軒並み訪問。たまたま、赤旗記者が取材で同行。ますます元気いっぱいの行動となる。 世直しには、年齢関係なし。しかし、足が痛い、腰が痛いとあちこち体をさすりながら、寒い中頑張ってくれる。頭が下がります。
2003年01月12日
「変わり始めた、県政のあたらしい流れをさらに。」この思いを実現するために今から大奮闘するとき。 若槻支部は朝から老若男女含めて頑張った。 70才を超える高齢者で大先輩は、若者のリーダシップで5中総の読みあわせで、4人が読みきる。 12時過ぎた。炊き出しを行い、お汁粉を食べながら、ゆっくりと学習をした。 公明党・創価学会の共産党攻撃は卑劣なものがあるが、負けられない。年はしていても勉強をしっかりやって、共産党の前進のために力を出したいと張り切っている。 この間、原田は地元の上野地域を3回街頭宣伝を行う。 午後はS県議の地元、東条地区を全戸訪問する。 この地域で活躍しているベテラン共産党のMさん。男性ヘルパーさんとして、末期に近い患者さんを、在宅で介護している。 頭が下がる。これからも大いに頑張ってもらいたい。 25軒ほど訪問・対話をした。田中知事の実績は広く地域の皆さんに受け入れられている。頑張って欲しい。 新知事を支えて頑張っている、日本共産党確実な前進が求められている。田中知事引きおろしの県議に、厳しい審判を下したい。 それにしても、共産党以外の他候補は軒並み訪問など精力的に訪問活動をしている。負けるわけには行かない。大きく打って出なければ。 どこのお宅へ訪問しても、県議会で共産党や石坂ちほさんが果たしてきた仕事に、ほとんどの人が高い評価をしている。 ここを大切に、元気を出して頑張りたい。 街頭宣伝を3回やった。国政・県政・市政について話をし石坂さんへの支援も訴えた。
2003年01月11日
老人クラブ新年会で なじみの人たちが出席している。地元のS県議の後、あいさつを指名された。「・・・今年こそは平和で穏やかな年にしたい、希望ある年にしたい、皆さんとご一緒に頑張りたい。日頃、老人クラブで仲間同士が元気に交流し、生きがいある人生を送っている皆さんに敬意を表します。今の政治は高齢者が安心して暮らすことのできない事態です。医療費が上がり、年金は切り下げ、さらに追い討ちかけるように、経団連の会長の年頭のあいさつで、「2004年から消費税を毎年1%づつで、16%にする。そのために協力する国会議員には企業献金を再会する。」 ・・・企業献金をえさに国会議員を抱きこみ消費税を導入するなど、言語道断。・・・(この部分は書き込み中のコメント) とんでもない話だ。わたしは議員ですが、お年寄りや子供達、障害者など弱い人たちに暖かい政治をがモットー。これからも安心して暮らせる世の中のために頑張りたい。」とあいさつした。 酌に回ると、「今の県政はいいと思う。田中知事いじめは許せない。千穂さんはよくやっている。俺も地域では周りの手前、いろいろあるが気持ちは共産党だ」と両隣のおじちゃん。 「今の農業はひどい。俺はりんごの木を全部切った。自分の体力を考えるとやっていられない」隣の人も「毎年、自分の老いに合わせてきっている」「今年は一箱農協だと1000円。市場で800円以下。労賃なしで生産費を償いうには2000円が最低。 年金をつぎ込み、趣味でりんご作りしているようだ。盆栽を作っているみたいだ」「こんなバカな農業はない」と80歳に近い高齢者の政治への厳しい怒りだ。 他の人は、「地元の県議さんを応援してきたが、知事不信任の県議会を見て、今回は「ちほ」さんだ。うちのかあちゃんも同じ。」と激励される。 農家組合では Aさん「最近、共産党を見直してきた。自民党も公明党も、民主党も新保守党も、社民党もみんなおかしい。共産党を支持しているわけではないが、共産党の言っていることが自分の考えと似ている。注目している。このままもっと頑張れば俺も共産党支持になる」と隣近所に聞こえるほどの大きな声でしゃっべってくれた。 Bさん「俺のうちの近所でよく宣伝してるね。共産党もなかなかいいこというなー、と話している。結構聞いているから頑張れや」 これだけ期待されているとき、もっと頑張らないといけない。 決意あらたに。 老い重ね 重ねるたびに 迷いつつ 樹を切り倒す 農の寂しさ 八十路こえ 農続けられぬと 老いを知り 林檎樹切るも 身を切る思い 老い来ても なお続けたし 食作り 耕す土の 匂い生き生き
2003年01月10日
尋常でない寒さである。冷気が凍り空中に漂っている。 JRの駅頭でビラ入れと街頭宣伝を行う。 あまりの寒さで、ビラを受け取る人が極端に少ない。この寒さである、無理もない。それでも、「ご苦労さん」と声かけて受け取ってくれる人も。うれしい。 街頭宣伝でマイクを握ったが、氷のように冷たい。指は凍えて疼き、痛い。10分が精一杯だ。「長く続く厳しい不況で、暮らしは大変、営業も大変早く何とかして欲しい。との声は日増しに強まっている。小泉内閣の悪政をかえ、変わり始めた地方政治の流れを、4月の選挙で日本共産党の躍進で、さらに前進させたい。お力添えを」と訴える。 マイクを握る手は、疼いてもう我慢も限界。 ビラを配布中に、知人が傍らにきた。「俺、Mだ、わかるかい。衝突されて鞭打ちになってしまった。おかげで、職を失った。何とかして欲しい」と、首に包帯を巻いて痛々しい姿で訴えられた。 そして、待合室に顔を向けて、「おい、原田さんだ。市会議員だ」と紹介していた。「俺の息子で、養護学校へ行っている。来年卒業だが、就職を何とかして欲しい」という。息子の名前と自分の名前と電話番号を小さな紙切れに書いてもってきた。 「努力してみるからね」と言ってみたが、こんな厳しい不況時 親子の職探しできるのか心配になった。 職探しで必死なこの親子の希望の果たせるような世の中であって欲しい。弱者が安心して暮らせる暖かい政治、光のあたる政治を目指して頑張りたい。やっぱり近道は一斉地方選挙と総選挙。 宣伝カーの脇に立っている、真っ赤な「石坂ちほ」の桃太郎旗が元気に冷たい風にめげずに燃えている。負けられない。 「地をはい、勝つためのたたかいに挑まないと・・・」 障害の 「子の職頼む」と 書き込みの 紙切れもらう 底冷えの駅
2003年01月09日
定時定点の街頭宣伝は市議に立候補当時から16年目。体の調子が悪かったり、宣伝カーが故障したり、はたまた、たまには「気を抜くこともあり」で、よほどの事情がない限り何とか続けてきた。 4箇所の駅頭と主要道路の空き地で。 さらに、月に約1回長野駅頭で市会議員が交代でやってきた。 石坂県議の地元の私鉄駅でも、県議と共に地域は違うが何年も宣伝させてもらった。今は他の議員さんが一生懸命遠くから時間をかけて来てくれている。締めて1ヶ月約9回~10回。 わたしの姿を見た人に合うと、「頑張っているね」「身近に感じるね」と共感してくれる。一番元気の出るときである。 今朝は、長野電鉄桐原駅へ行く。16年前はじめた当初は、駅の敷地内ではやらせてもらえなかった。 ビラを配った後、そのビラがゴミ箱やタバコの吸殻入れに山と捨てられていた。駅員さんから厳しい苦情がきた。「きれいにしてくれ」と。以来、宣伝の後はどこの駅もホームのゴミ箱アサリとなる。 4箇所中3箇所までが同様であった。 この駅は特に厳しかったが、駅員が変わっても、暗黙のうちに申し送りがあるようで、一応これまでは、文句はいわれていない。 今朝は、寒くて「づくをやみ(怠けて)」到着時間が遅く、配る時間が少なくて、約80枚ほどしか配布できなかった。 それでも、寒いのでしっかりポケットに手を入れていたのに、手を出してくれる。「ご苦労さん」の声でもかかれば、最高である。 街頭宣伝は約10分。8時ごろから朝のテレビドラマの始まる8時15分までと決めている。視聴率の高い「朝ドラ」を見ている人が多いので気をつかう。 「赤旗しんぶん」1月1日付けの主張と県政のビラを使い、市政の話も加えて訴えた。 「小泉内閣の構造改革・県政の大きな流れ・市民の暮らしが大変・・・」などである。 書き込んでいる、今のこの時間は(午後7時30分頃)会議の前。時間があり、「書き込み」をはじめた。あと20分で会場へと向かう。 本日はこれまで。 と思ったトタン、障害の友を思い出す。 片麻痺の 手足かばいて ビラ配る 雪の小路(こうじ)に 一軒、一軒 この人は一人でしかも片手で、ビラを2500枚もきれいに折りたたんでくれる。50歳ほどで脳血栓で倒れ、片手片足が不自由になってしまった。仕事人で、これでは生きている価値がない。死んだほうがましと、自殺したくなったという人。今では生き生き元気に仲間と一緒に先頭にたって、世直しで力を出している。 わたしの寒中の早朝宣伝など問題外である。励まされている。 本日はこれまでと、思ったが家に帰って、日記を追加したくなった。 若槻支部が定例の支部会議を行う。この会議の責任者の女性Hさんが、「若い夫婦に日曜版を取ってもらったよ。しかも、ずーとね」といって話をしてくれた。 ○新年に、○若者が、○赤旗新聞をとってくれた。三重の喜び。 明日も元気で頑張ろう。
2003年01月08日
寒波は外気を冷やし、氷点下10度。宣伝カーは凍りついて真っ白だ。排ガスを気にしつつ、暖気運転せざるを得ない。 今日は、電鉄吉田駅の定例の宣伝日。長野駅では石坂県議・中野早苗さん・野々村議員が当番で頑張っている。「頑張るぞ」と自らを励ます。それにしても冷たい冷たい。今日も厳しい寒さで、指の感覚はない。約40分間ビラ入れと街頭宣伝を行う。 あまりの寒さで、ビラを受け取る人はいつもより少ない。 しかし、階段の棚においていく人もいつもより少なく、数枚であった。「日本共産党の石坂ちほです」と元気よく渡す。 街頭宣伝の終わった後、挨拶回りを行ったが、「寒いのにご苦労さん」「頑張って」の声もかかる。 日本共産党中央委員会主催の「党旗開き」で志位委員長が講演する。 4月の一斉地方選挙で共産党が前進するために、元気を出して、「地をはう活動、たたかう以外にない」2003年は正念場のとき。つまり、対話をし、支持を拡大することが緊急焦眉の課題。「告示になってから」「最後の3日間でないと力が出ない」では選挙には勝てない。選挙間際では間に合わない。今から攻めの構えで選挙の体制を作ることが求められている。
2003年01月07日
朝、7時30分三才駅にて 今日から全国いっせいに新年の仕事始めである。昨日の大雪のあとで一段と寒さも厳しかったが、4月の県議選で、石坂県議の必勝を期して、日本共産党の元気な姿を、初出勤の多くの人に伝えようと、定例の三才駅へ行った。宣伝カーに「石坂ちほ」の桃太郎旗をたて、「石坂イメージアップ」の県政のびらを、凍てつく手で一人一人に渡した。「おめでとうございます。今年もよろしく」と元気よく声もかけた。 寒いので、ポケットに手を突っ込んでいる人もいたが、わざわざ手を出してもらってくれる人も。 思ったより受け取ってくれる。素手なので冷たくて指が切れそうである。 待合室はストーブが赤々と燃えていた。列車の待ち時間に待合室に行くと、なんと、運悪く燃料切れで暖は取れずじまい。 冷たいことこの上ない。それでも、 ビラを100枚ほど配った。 ビラの内容で声も出した。「ご近所の皆さん、ご通勤途中の皆さん新年明けましておめでとうございます。日本共産党です。」と元気よくやった。国政や県政、市政について訴える。 午前10時30分 市役所にて 毎年仕事始めの、恒例となっている党市議団の新年のあいさつ回りを行う。6人の議員と事務局員2人の総勢8人。 第一庁舎、第二庁舎、消防局の順に回る。 「明けましておめでとうございます。日本共産党市議団です。昨年中は大変お世話になりました。本年も元気いっぱい頑張りますのでよろしくお願いします。」とあいさつ。公明党も3人で回っていた。 午後6時 石坂ちほ県議と上野地域を訪問 暗くなるにつれ、寒さは一段と厳しくなった。道路は氷つき、カリカリである。 それでもめげずに、若槻の支部長と石坂・原田と3人で訪問。 党事務所の回りを、31軒と対話した。 道路際の家では、軒並みポスターをお願いし承諾をもらった。「石坂街道」ができそうだ。「びらを見ました」「活躍ぶりは知っていました。」「田中知事不信任の県議は総退場して欲しい」「大きく変わる絶好のチャンス、ここで共産党が伸びないとだめだ。頑張って」「かげながら応援しているよ。親戚などに広げましょう」などなど、熱い激励が続いた。中には、玄関先まで見送りにきてくれた家も。 赤旗しんぶんも進めた。「いい新聞のようなので、見本誌を読ませていただき、あとで返事します。」という家もあった。 他派も、必死で動いている。それを上回る運動量が求められている。共産党はすごいといわれるような目に付く活動が求められている。
2003年01月06日
平成15年の長野市の出初式に出席した。昨年と同様に、雪の吹きつける大変寒い中の出初式となった。 長野市の消防職員や消防団員など総勢2000人を越す参加者で盛大であった。 市民会館大ホールでの式典では、伝統の善光寺木遣りで始まり、市内の各消防団の「纏」(まとい)が威勢よく場内を行進する。 例年、恒例となっているが、やはり壮観である。 ふと、「纏」持ちのある一人の青年消防団員を見ると、なんと「耳たぶ」にピアスをしている。「頭(かしら)中」「整列」「起立」「脱帽・着帽」など、規律ある行動をしている消防団員の中にも、こんな青年もいるとは・・・。雰囲気とは、似つかないが、大いに結構だ。・・・ファッションは自由だから、思わず苦笑い。 ピアスして 纏(まとい)に担がれ 出初め式 地元のS県議は、若槻の出初式と同じ時間の妻科の出初式を「1時間開会を延ばしたので出席して欲しい」との事で、早々退席した。 この県議は長野市の出初式には出席しなかった。4月の選挙の準備で忙しくて、とても出初式には出れなかったのか。熱い闘いはこんなところでも火花を散らしている。 それにしても、長野市選出の県議は大方出席していたように思うが、「礼は尽くしたほうがいいのでは」と老婆心ながら思ってしまった。 厳しさのにじみ出るような、光景だ。 共産党の石坂県議や堀内県議は、もちろん来賓として出席し、出初め式の主役、消防団や消防局職員の雪中の行進を最後まで激励していた。寒い中ご苦労様です。 市民の生命・財産守り、安全・安心して暮らすことのできる町にするために、市民から与えられている責務を果たしたい。 常備消防の強化と共に、準ボランティアである消防団員も住民の生命や財産を守って命がけで任務にあたっている。 相応しい待遇改善はこれからも進めなければとあらためて思った。 消防団への補助金や出動手当てが、総務委員会で問題になった。 消防局を担当する総務常任委員会の委員である、わたしや野々村議員などが、「消防団の補助金の動向と使い方などについて、貴重な税金なのできちんとしたほうがいいが、どのようになっているのか」「個人に渡すことはできないのか」と質問や提案をした。 分団活動に必要な費用なのでこれまでは、出動手当ても団に渡されていたが、新年度(この4月)からは改善し、出動したもの個人に渡されるという。 我が自宅にまでメールや電話で苦情や意見が寄せられていたが、 改善されたことで先ずはほっとしている。
2003年01月05日
新春恒例の若槻地区の新年会が開かれた。 各種団体の役員を中心に100人を超える皆さんで会場はいっぱいである。わたしも乾杯とあいさつをさせてもらった。 「厳しいが頑張って、皆さんと力を合わせて、良い社会を造っていこうではありませんか。」と国保料や介護保険料の滞納者の増えている事、生活保護者も多くなっている事で世の中の厳しいことを話す。「原田さんらしいあいさつで良かったよ、時間がなくて残念念だったね」と励ましの言葉をもらう。 「いよいよ、出番だね、頑張って」「苦労が実るときだなあ」とあちこちで激励の言葉。地元からはS県議もきてあいさつ。 「厳しいと情勢だ」とはが言ったが、どうすればいいのかは聞けなかった。 ある見知らぬ方が、「地元で街頭宣伝をやり議会のことを報告していることはいい事。政治を身近にしている。これからも続けて欲しい」と。うれしかった。どこかで誰かが見ていてくれる。継続は力か。 帰宅途中で、生まれ故里の区長さんから、「ちょっといっぱいやっていこう。」誘われた。大勢の参加者が合流してきた。 そこで長野市がオリンピック後の最大の開発「150ヘクタールの北新都市開発」の断念問題と田子地域の今後の開発問題で見解を述べた。「わたしは反対ではなかったが、バブルの崩壊後で誘致企業もままならず、3000戸約9000人の街づくりは無理があるのでは。慎重に対応すべきといってきた。」「ところが心配ない、任せておけ、と長野市や議員は、いけいけとがむしゃらに進めてきた。情勢をきちんと見極める目がなかった。責任は市にある」 と指摘した。みんな農業では生活できないことは百も承知の上で、他に変わる何かを期待していた。手放したくはない、先祖代代の土地を売り、自分達の生き方を模索していた。開発に期待をかけた気持ちはわかりすぎる。 日本の農業は危機的状態で、農地を農地として生かして後に継がせる意味も期待もないから。 この気持ちにも応えていない、長野市の開発行政に誰もが怒っていた。「馬鹿にされたと。」 わたしの地元の有志の皆さんが、「田子の将来を考える構想」をつくり区民に発表した。すごいことだ。 人任せでなく自らの考えで自分の村を、地域をどうするか考えて区民と共に議論する。合併問題が言われているが、100戸に満たない、この小さな集落の地域おこしの前向きな姿勢に学ばされた。 新春の 最高のプレゼントだ。
2003年01月04日
年末から、少し変だとは思っていたが、風邪を引いてしまった。 かるい咳と熱のせいか目が渋く気分は最低。 娘からは、パソコンのキイを叩くのはやめたらと小言を言われ、なお、気分は悪し。 おふくろからの教えで、みそのネギ湯(ネギをきざみみそと削り節に熱湯を注ぐ)をつくり熱いうちに飲んだ。 効き目はいまいち。相変わらず不調である。寝るに限ると、どえらく着込んで朝から一休み。まさに、寝正月だ。 今朝の「赤旗」読んで元気をもらう。雪降るも 固きつぼみは なお強く春を待ちつつ 膨らみており
2003年01月03日
雪かぶり 南天の実の 赤き色陽を受けて今 鮮やかに冴え元日の 明けない朝に 「旗」配る 「談合疑惑」の 記事をかかえて二議席が この選挙区の 使命なる闘う友らが 位置を固めつ県議選 百日あとが 決戦日凛としてたつ 党の候補は障害の 友、元日に ビラをおる党躍進の 思いは熱く卑劣なる 党攻撃に 反撃のグリーンパンフは 鋭く突きし 娘夫婦が仕事があると、早々帰京した。元気でさえいてくれればいい。厳しい経済状況の中、何とか仕事にありつけて頑張っていてくれればいいと思っていたが、まあまあなので安心した。 1年後には長野に帰ってもいい、といっている。 二人の職を探さないといけない。娘は保母。旦那は現場の仕事人。親として帰って欲しい気持ちは当然なので、これから1年がかりで二人の職探しを本格的にやらなければいけない。4月の県議選で全力投球して、さらに職探しと忙しい時が始まる。親ばかの忙しい時が始まる。
2003年01月02日
2002年から2003年の新年を迎えた。家族ともども「おめでとう」のあいさつを交わす。 早朝4時半目覚まし時計が鳴った。しんぶん「赤旗」日刊紙の2コース分の配達の番。元旦の新聞配達は久しぶりだ。 2003年の最初の日、元日の赤旗を一軒一軒ポストへはこぶ。 しかも、今日の一面トップ記事は、・・・浅川ダム工事は「談合」「ゼネコンへの賠償不要に」・・・とある。 早く届けて、読者に知ってもらいたい。10年近い浅川ダム建設阻止で頑張ってきたかいがあった。 新しい政治の流れが確実に進んでいることを実感。 午前11時。恒例の善光寺へ初詣での方々に年頭のあいさつと訴えを行う。石坂・堀内両県議と中野早苗さん、阿部市議と私の5人が訴える。今井県委員長と矢口常任委員も参加。 「ご近所の皆さん、初詣においでの皆さん、新年明けましておめでとうございます。日本共産党です。」快晴で暖かく、穏やかな元日の訴えは気持ちがいい。 「今年は4月が県議選。日本共産党の躍進で、公共事業を減らし、暮らし応援の県政に変わり始めた、この県政をさらに前向きにするために、大きなご支援を・・・」をと話す。 手を振って応えてくれる人、立ち止まって話しかけてくる人、などなど、励ましと期待を寄せてくれる。 午後2時からは、地元上野区の新年祝賀会に中野早苗さんともども参加した。 来賓あいさつは、いずれも「厳しい経済情勢だが今年こそは頑張ろう」である。 地元の市議ということもあって、乾杯の音頭をとのご指名を頂き、短いあいさつを含めて乾杯をした。「大変穏やかな元日である。今年一年がこのような穏やかで、平和な日々であることを願いたい。 しかし、現実は大変です。長野市も生活保護の扶助費が急増している。国保料や介護保険料の滞納者も年々急増しており、今の世相が反映している」と話し、「こういうときにこそ、県政や市政は県民・市民の方に顔の向いた政治が求められている。私も大いに頑張りたい」とあいさつして、乾杯をした。 お酌に回っていくと、「長野市民も苦しいということが分った。」「同感だ。みんな大変。頑張って」との激励も寄せてくれる。地元のS県議も必死で動いていることも教えてもらう。しかし、この県議は相変わらず、田中知事に良い感じを持っていないことに対する批判もかなりあった。 厳しい闘いは当然である。今から気持ちを引き締め、心してかからないといけない。
2003年01月01日
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