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盆が終わって2週間過ぎるも、残暑は猛暑となっている。 外はかんかん照り。 体がもちません。 食事はしっかり、水分もたっぷり補給し、熱中症にならないよう自己管理が不可欠。 長野消防局の報告では、熱中症で救急車を利用した人は、昨年の6倍、60人を超えたというから異常なことが分かる。 高齢者や生活保護受給者が暑さをしのぐのには、いささか大変。 行政は、実態を調査し、対応が求められる。 さっそく、対策を要望しなけれればと思う。
2010年08月30日
稲の実りは今が最盛期。 実の中は乳白色の液体で、この猛暑野なか、その液体は固まっていく。いま、稲穂はこうべを垂れ始めているが、順調に生育しているあかしである。 6月に保育士をしている娘の保育園から、稲を育てたいとの連絡があり、100本ほど送ってやった。 順調に生育しているようだが、水を抜いて乾かす「水干し」など手ほどきもしてやった。 「モミにするにはどうしたらいいの?」と、思案の相談もあったが「手でもぎ取るしかないな」と助言してやったがどうなる事か。楽しみである。 まだまだ暑い夕方、中野さんや支部の仲間と一緒に、元気に来年の県議選に向けあいさつ回りで訪問する。 「いつも応援しているのに、期待外れで残念です。」と言われた。 お詫びとお礼を言いながら、「力不足でした。来春は県議選があります。今度こそ、負けるわけにはいきません。今から足腰強くし、すそ野を広げ前進できる力を作りたい。共産党に入ってほしいし、新聞も読んで力になってほしい」と訴えた。 「新聞読まなくて、応援していればいいでしょう」と。赤旗新聞広げ、『富豪には税金お得』の話などをし、新聞読んで応援してほしいと訴える。 「息子も、10月から仕事がなくなり大変ですが、言われたようにずーと長くは読めないがとりましょう」と号読してくれた。ある大工さんも、「仕事が全くない。100円も貴重で新聞どころではない」と言っていた。「心で応援しているからいいんじゃないの」と言っていたが、「わかった」と購読。来年の県議選で、長野で2議席を確保し、暮らし守る決意を元気に語れば、参院選や知事選での苦杯を乗り越えることは可能ではないか。
2010年08月30日
1960年、安保改定の闘いが日本中を揺るがし岸内閣を退陣に追い込んだ大闘争のさなかに入党したKさんは自営業で大工さん。木造りで手堅い仕事が評判で、規模も拡大し頑張っていた。長野民主商工会の会長の任につき、中小零細業者の営業と暮らしを守る先頭にもたって活躍していた。ところが、7年ほど前から体調を崩し、入退院を繰り返す日々を送りことになってしまった。幸いにして息子さんが後を継ぎ、立派に営業を続けている。今日は、日本共産党中央委員会の永年党員(入党30年)と入党50年の顕彰制度に基づき『50年党員証』を持って病院を訪ねた。ベットに臥していたが、閉じていた目を開け、わたしに視線を向けてじっと見ていたが「わかるかね、原田だよ」と言ったら、うなづき「わかる」と言ってくれた。『証』を目元で開き、趣旨を伝え「入党50年おめでとう」と言ったら、目を潤まし、うんうんとうなづいてくれた。「あわてず療養し、直してまた活動しよう」といったら「そうしたい、早く治してほしいと先生に言ってほしい」と懇願された。元気な時には仕事はもちろん、赤旗新聞の早朝配達もしてくれた立派な活動家であった。「・・・早く治してほしい・・・」その気持ちを重く受け止めたい。『お大事に』と言って、病室を後にした。
2010年08月28日
愛知県の「いすず」を派遣切りされ、友人の家を転々としながら職探ししていたが、貯金も底をつき「もうだめ」と、わずかなつてを頼りに中央線に飛び乗り長野駅に着いた。 『わずかなつて』とは、親子の縁も途絶えていた、生活保護を受けている父親である。 ある時、全く付き合いもしていない息子が困ってうちに飛び込んできた。おれも生活保護で二人一緒では食べていけない。「何とかしてほしい」と。 早速、緊急事態で市の制度を活用し、市営住宅に入居。 布団、冷蔵庫など日常生活必需品を用意し、スーパーで買い物もし、生活のできる手立てはすべてOKとなった。 仕事もないので生活保護をとり、市営住宅を拠点に就職活動開始となった。それから、1年8カ月がたった。バイクを用意し、交通手段も考え就職活動のしやすい環境も作ったのに、なお試行錯誤が続く。就職もし、生活保護が切れ一安心と思いきや大家さんから、「行方不明で連絡とれない」との連絡が入った。携帯はかからず、打つ手なし。アパートに行ったら洗濯物はあり、冷蔵庫には卵など食べ物もあり、米もあるなど心配なしと確認。ところが、お盆過ぎて尋ねると、玄関ドアは鍵はしてなく、洗濯物もなく、さまざまな書類なども見当たらず、玄関ポストは郵便物でいっぱいであった。しかも、玄関の鍵はテーブルの真ん中に置いてあった。何を意味するのか、大家さんとしばし考えた。多分様々な事情から、家を出て行ったのではないか。もう帰らないのではないか。アパート入居の際の保証人は、私である。大家さんも、「どうしましょう」強制退去しかないですね。室内の物の処分費用、家賃滞納分もあるし「困りましたね」よほどの事情があったのかもしれない。それにしても、保証人に連絡なしで消えちゃうとは・・・わが身に何かあったのか、実家は北海道であり、そちらへ戻ったのか・・・皆目見当がつかない。愛想も良く、友達もでき、みんなで力合わせて頑張ろうと言っていたのに。私どもの気配りが足りず、悩みを打ち明けられずに、そっと消えてしまったとは、至極残念でならない。1年8か月前と同じく『助けてほしい』と駆け込むような、轍を踏まなければいいのだが。、
2010年08月27日
1960年、日米安全保障条約改定の年に入党した仲間は、今年が50年に当たる。 わが妻も、その仲間入りして50年を迎えた。 長野から金の卵で、愛知の紡績工場へ集団就職したのが16歳。 親元を離れ、2交替の過酷な勤務を強いられ、仲間とともに労働条件改善の闘いが始まった。 これらの闘いを通じて、日本共産党に入党したのが20歳。 会社側や同盟系の労働組合の反共攻撃は続く。 赤旗しんぶんはトイレか布団の中で息を止めてひそかに読んだことも。 仲間に新聞を増やす時は、記事をスクラップで手帳に貼ってそれを見せて購読をお願いしたことも・・・。 会社の門を出れば、尾行は日常茶飯事。 神経を使いながら様々な活動を余議された時代。 それでも、働く人たちの生活を守ろうと頑張ってきたそんな時代のあったことを妻から聞いたが、よくぞ頑張ったなあと、しみじみと思う。 結婚のため実家に帰り、地域で党活動を開始。 党活動はもちろん、うたごえや医療生協の活動などさまざまな活動をやってきた。 そして今年、党に入って50年を迎えたが、『よくぞ』と思う。 健康には留意し、住民の暮らしを守って引き続き頑張ってほしいと思う。
2010年08月25日
長野市民会館の建設検討委員会は、権堂町の東街区再開発に賛同できないとして、イトーヨーカドーが不同意したため、大通りの西街区に市民会館を作るとし、急きょ再開発計画を変更した。 この長野市案を検討委員会で検討したが、権堂町の活性化につながるのか、東街区の狭い場所に市民会館建設というが、交通問題など問題が多すぎると厳しい意見が相次いだ。 最終的には、賛否をとらざるを得ないのではとの議論もされた。 そもそも、計画を大幅に変更したわけだから、白紙に戻し、市民や議会の意見を十分に徴収すべきであったにもかかわらず、それをしなかった。 計画変更後の進め方は、市民の声を十分に聞くことが民主主義のイロハだ。 抜きにし手進めた、長野市のやり方は、横暴としか言いようがない。 改めて、白紙の選択をすべき事を言っておきたい。
2010年08月24日
わが家の真下をギラギラと照りつける太陽は、屋根を通して部屋中が蒸し風呂のようだ。 涼しい場所を求めて、家じゅうをうろうろ。 がまんできずに、唯一、わが家に設置してあるクーラーは応接間。 スイッチオン。 分け合って、ボリュウムたっぷりの「『藤村』を歩く」を読書中。 島崎藤村の重作「『破戒』を歩く」『上』を読み終わりブログに書いたのがいけなかった。 感想を書く破目になる。 でも、読むにつれ、出筆者 成沢栄寿さんの労作が伝わってくる。 筆者は、「飛ばし飛ばしお読み下さった皆様に『ありがとう』」としめくっているが、とんでもないこと。 「藤村」のこと、「破戒」のこと、それらにかかわるいたるところを、時間を費やし克明に 現場を『歩き』調査し、確かめ事実を確認まとめあげた、『上』191ページ、『下』440ページの労作はまさに、民主文学7月号で吉開那津子さんが「近代文学研究史のなかで、稀に見る貴重な仕事であった」と言われてるが、納得である。
2010年08月23日
朝からかんかん照りの超熱さだ。中野さんとお礼のあいさつ回りを兼ね、赤旗しんぶん購読の訴えで訪問。・まちかど演説に参加、雇用問題に悩んでいた青年(青年がいなく父親と面談)・・・息子さんが雇用問題で悩んでいるので話を聞きに来たことを告げると、「そうなんですよ、困っています」と父親。参院選と知事選では、力不足で期待にこたえられなかった。県議選と市議選では何としても勝ちたい。足腰強くしたい、党員や読者を増やしすそ野を広げた。と話すと「とりましょう」と返事。この方は、現役時代はどんなに進めても取ってくれなかった。息子さんの就職相談などもあったのか。自分から購読の返事・昨日の浅川ダム裁判に傍聴に参加した人・・・いつも応援している。今は、どう見ても共産党しか頼りになる党はない。最近やめているがとりましょう。と、進んで購読を約束。・中央病院にお世話になっている人・・・参院選も知事選も期待に添えなかった。庶民の味方の党だが、そのことが多くの有権者に届かなかった。党の側の力不足。今度は強くして、勝ちたいと訴え「わかりました」・亡くなった党員の奥さん・・・一連の選挙の後退は残念。政権交代、生活者第一の党、公務員や国会議員は多すぎるなどの宣伝に、引き回され共産党に投票するまでに至らなかった。新聞増やしてみんなに真実を届け勝つ力を作りたいと話し、「いくらですか、わかりました」と購読。・未購読党員・・・党員なので購読してほしいと訴え「日曜版ならとりましょう」・入党を呼びかけた女性・・・両親が長年の党員で、その娘さん「じじ・ばばのように、必死になって活動している姿みてきたので、そんな活動はできない。小さい時に、さびしい思いをしてきた。支持はする。勉強もしたい。資料ください。赤旗新聞は読みたい」と自ら購読を約束。今回は、月極め読者は一人もなし。基本的には、相手から「読みましょう」と。○総選挙、参院選、知事選など一連の選挙で党が苦戦した。しかし、弱者の党で、いつもまっすぐな党。この党のすそ野を大きく広げないと、来る県議選も市議選も勝てない。と訴えることが重要と実感。
2010年08月22日
猛暑を吹き飛ばそうと、暑気払いを兼ねた52回目のお茶懇は、二人の新顔さんも入れて15人で盛大に行った。 超暑いプレハブの会場を、2台の扇風機が必死で回転し、涼しくしようとしているが追いつかない。 熱中症を心配しながら、生健会の班長の開会のあいさつに続き、市の事務局長もひとこと。 私が、22日付の赤旗日曜版の『行方不明にさせない』『消えた百歳、200人以上』『どう見る消えた百歳』『経済的貧困と貧弱な社会保障』『行き場失う高齢者』の記事を大きな声でゆっくりと読む。 長野市も224人の調査を行ったが・面会できた人120人・できなかった人104人うち・最近亡くなられた方4人・親族から居場所の状況を聴取した85人・不在のため再調査15人これは第一次調査で、引き続き二次調査も行う。 この団地の『お茶懇』も、4年前に孤独死が続き、みんなで気配りし孤独死なくそう、明るく住みやすい団地にしようと始まった。 今日の懇談会でも、最近団地内では孤独死はないと、との報告があった。地域の民生委員を中心にボランテヤでお茶飲みサロンを行うなど、自治会でも気配りしてきた。合わせて毎月一回の『お茶懇』も、孤独死なくす大きな役割を果たしてきたと思う。 新聞を読みながら、これからも、お茶懇を続け、高齢者が安心して住み続けられる団地にしようと決意を新たにした。
2010年08月21日
浅川ダム建設中止の運動はほぼ20年に及び 県民や下流域住民の6割を超える反対世論が反映して先の知事選挙でも大きな争点になった。 今日の裁判でも、下流域に住む住民が自らの体験からダムを造っても、下流の内水災害はなくならないと、訴えた。千曲川の増水や浅川の増水で、水田が冠水し、せっかく植えた苗が10日間ほど水に浸かり苗が腐ってしまい、植え直しした苦い思いを語った。この付近は、常に水かつく遊水池的役割を果たしているところであると指摘。この周辺の水害常襲地域で遊水池の役割を果たしている所に、新幹線車両基地を作ればその水はどうなるのかと心配していた。長野県は、心配ない。車両基地を埋め立て、遊水池がなくなっても浅川ダムを造れば水害はなくなる、と説明していた。最下流の赤沼住民は、県のいい分を信じた。陳述人も固く信じていた。ところが、今回の裁判で提出された県側の準備書面では、『・・・浅川ダムの建設と赤沼の水害防止とは何の関連もないと主張してきた・・・』当初、新幹線車両基地建設の際の住民との合意文書では、『・・・ダムを造れば下流の内水災害はなくなる・・・』と言っていたのに。地元では、当時の長野県の説明を今でも信じている。当時の説明は、『誤りであった』と訂正し、謝罪すべきだと厳しく指摘した。さらに、ダム建設予定地の10キロほどの石ころを自宅に持ち帰り、一冬置くとボロボロに崩れてしまった。もろい地質の土地に何故ダムを造るのか。納得できない、直ちに工事の中止をと、厳しく求めた。 準備書面による県の説明に、決定的な矛盾のあることに気づき長沼地区800世帯の住民のうち、137名の会員で、『長沼浅川・千曲川の治水を考える会』をつくり、浅川流域の調査を開始。ダムは当然としていた最下流の地域住民の間から『危険でムダな浅川ダム』への公金支出は違法として、建設反対の声をあげた。まだあきらめることはない、浅川ダム建設反対の声を更に大きく広げなければと、決意を新たにした裁判所での60分であった。
2010年08月20日
9月2日からいよいよ定例の議会だ。久し振りに、泊まり込みで福祉、建設、教育、総務関係など全面的な研修を行う。
2010年08月18日
朝からじわりと暑い長野駅頭で、石坂ちほ県議とマイクを握る。私は、『・・・暮らしが大変なとき今こそ、市政は住民の安全と、健康、福祉の増進に資するとする地方自治の精神をいかすときだと強調。介護料を10万円も削り、国保料を上げ無料であった緊急通報システムは月500円も取り立てるなど次々と市民に負担を押し付けている。その一方で、重い借金背負い、財政が厳しいのにもかかわらず更に、借金までして庁舎・市民会館を作らなければならないのか。耐震改修でいい、と指摘。当初計画が頓挫したのだから白紙に戻し市民の声を十分に聞く姿勢貫くべきだ・・・』と指摘した。石坂県議は、暑い夏のこの月の8月15日は、終戦の65年を迎えた。広島長崎で原爆を投下され21万人がなくなった。二度と戦争はしないとした、憲法9条を守り、頑張りたい。日本共産党は創立以来88年間、一貫して命がけで戦争に反対してきた党として引き続き全力尽くすと訴えた。
2010年08月17日
この夏の残暑は厳しいとの、気象予報どおり、暑い暑い。帰省中の娘たちも、少々うんざりのようだ。それでも、東京とは違い田舎の朝晩は過ごしやすい。ゆっくりと休み? 送り盆もしないで暑い東京へ帰っていった。次ぎに会えるのは年末年始、親のぎった梅づけのおむすび持って・・・。今日は正午から午後の5時まで、地区委員会事務所の日直当番。読みたかった成沢栄寿さんの「『破戒』を歩く」を読み終えた。丑松の生き方、藤村の破戒を書いた思いが読み取れ「グー」の心境である。残暑は厳しいが、程ほどの爽快な気分である。
2010年08月16日
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