たからくんが大人になるまで生きていたい日記

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太田とねり

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2007.12.23
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カテゴリ: 家族



お久しぶりです。


 本当は、11月22日に日記をUPしようと思っていたのです。

 夫のお誕生日だったし、
水疱瘡の宝良くんは、病児保育でいい子で頑張ってくれ、
私は、何とかピアノの試験で課題曲2曲(ブルクミュラーの「素直な心」と「狩」)とも合格となり、……。

 でも、後で聞くと、
「狩」はテンポが遅すぎで審査員の先生(7名のピアノ担当講師が審査する仕組み)から物言いがついて、
ちょっともめたけど、一応の合格だったそうで……(汗)。


 でも、その後、かなり大変で、ブログをUPする余裕がありませんでした。







 あまりに咳き込み過ぎて、腹筋と背筋で支えていられず、
体を立てた状態でいられなくて、
出先では、椅子に覆い被さるように……、家では、海老のように体を丸めて寝た状態で咳き込み続けていたら、

宝良くんが、
「ママ、痛い?」
「どこが痛い?」とヨシヨシをしにきてくれて、

気管支のところを押さえ込んで咳をしていると、
私の胸のところをヨシヨシしながら、
「痛いの痛いの、お空へ飛んでいけ」
「痛いの痛いの、新幹線のところへ飛んでいけ」……、と
いつも自分が転んだときなどにしてもらう「ちちんぷいぷい」をしてくれた。





 あまりの体力消耗ぶりに、
自力で運転して病院へ行く気力もなくなり、
夫に連れて行って貰って、更に強い薬を出して貰った。

 咳はマシになったが、血圧がすごく上がって、
まして、仕事のことで、かなり大変な判断をしないといけないことがあり、

気分が悪く、立ちくらみと吐き気と……といった感じで、
本当にしんどかった。


 そんなとき、

お互いの結婚式に呼び呼ばれる程度には仲の良かった友人が、
突然他界した。
真剣に、自分の健康と家族に与える影響について考え悩んでいるタイミングでの、
いきなりの訃報。
私42歳。亡くなった友人は44歳。



 「ちょっと調子が悪いから病院へ行って来る」と言って、
自分で自転車に乗ってチャリチャリと病院へ行き、
その外来で待っている間にトイレへ行っているときに倒れたそうで、
発見されたときには、心肺停止状態だったそうだ。

場所が病院だったから、すぐに蘇生処置が受けられて、
心臓は動き出したそうで、そのまま入院になったけど、
3日間頑張って動いてくれた心臓も再び止まり、
そして亡くなったのだそうだ。

その間、意識は戻らないままだったそうで、
だから、家族にとって、
自分で自転車に乗ってでかけたときの会話が最後になった。


 連絡をもらって、とにかくお通夜へ出かけたけど、
半信半疑な気持ちで出かけたのに、
祭壇には、本当に遺影の写真があって、
読経などが済んでみんなが席を立ち、
私は棺の顔の小窓へ近寄って行ったら、
本当に本人の顔が横たわっていて、
本人の顔なんだけど、それは、紛れもない死者の、蝋人形のような皮膚で、
「なにしてんの。何死んでるのよ」と心の中で声をかけてみたけど、
もちろん生き返らなかった。


 斎場の出口で親族が弔問客を見送るためにならんでいて、
本当なら「ご愁傷様です、お気落としのないように」と声をかけるのが大人の流儀なんだろうけれど、
どうしてもそんな通り一遍のことは言えなくて、
残された家族が気の毒でならなくて、
何の言葉も掛けられなかった。

逆に、おばさんから、
「もう居なくなってしまったけど、
うちの前を通ったら、今までと変わらず立ち寄って行ってね」と言われ、
気の毒で寄れないよ…と思いながら、更に言葉に詰まった。


 42歳の私と2歳しか違わない。
44歳で逝くなよ!!!!!


 友人の死と、自分の健康状況と、どうしても切り離せず、
その友人の死は何とも言えないほど、かなり堪えた。


 半信半疑で出向いたお通夜で、ずどーんと堪えて、
翌日の告別式は、どうにも出かけて行けなかった。

今から告別式の始まる時間だな。
今出棺の時刻だな。
今頃、霊柩車がパァァァァァァァーーーンと大きく長いクラクションを鳴らして、みんなに見送られて出発しているのだろうか。
今頃、火葬場から煙になって天に昇って居るんだろうか。

などと思いながら。



 告別式の夜、
共通の友人から電話を貰って、

その亡くなった友人のことよりも、問題はあなたよ、と、みんなで話していたのよ。
もう、仕事止めてよって。
このままだったら、次はあんただよって、
みんな心配してるよって。

という電話だった。


 みんなも心配してくれてるけど、
私自身、
ちょうど寝込んで、
もうどう前向きにテンションを無理矢理もちあげても、
もうこのまま頑張り抜けると思い込んで突き進むのは無理って、
認め始めていたところでの、この訃報で、
私自身が一番堪えてるのだわ。

「分かってる。自分でもとにかく今のままじゃいけないって、思ってるよ。心配してくれてありがとう」
そんな会話をした。


 仕事のことも、
しんどくても、とにかく今は頑張らないといけないところで、
踏ん張らないといけないところで…。

連日、気合い全開であたらないといけない大仕事が続いている。


 でも、何だか、
すごく悩んだけど、悩みながらも必死に動いて頑張っていたら、
人事を尽くして天命を待つというか……、
少し清々しい、潔い気持ちになってきた。

 いま、人生ちょっとターニングポイントに来ている気がする。
そういう時期、タイミング、次の幕が上がるんだろうって。

 流れが動き出した。
仕事も、最善を探して努力してる。
そしたら、
仕事の最善は、結果的に私の生活も最善に変えていくことになるのかもしれないって、そういう風にものごとは流れていくんだなぁ。
そんな気がしている。
最善を尽くしていたら、
仕事にとっても、全てに於いて最善のところへ流れていくんだなって、
そんな風に感じる今日この頃。




 ふぅ~。


 さてさて、
今日ちょっとした出来事があった。

 家族三人で出かける用があり、
出先の乗り物で、宝良くんがちょっと危ない乗り方になった瞬間があったの。

そしたら、側にいたおばさんに、


おばあさん と一緒に乗らないと!!」
って叱られました。

そうです、その「おばあさん」とは私のことです!!
しょんぼり


 見事なハゲ頭&残りの髪も白髪混じりの夫は、
お宮参りの時から既に、何処へ行っても
最初は「お孫さんですか?」とか「おじいちゃんと一緒に来たの?」とか言われて来たのですが……。


 私は、当然のように、宝良くんの「おばあちゃん」と扱われたのは、初めてでした。
ちょっとショック。しょんぼり



 ええ、ええ。
50歳夫と40歳妻の間に生まれたってことは、
宝良くん2歳の今、父52歳・母42歳なわけで、
「おばあちゃん」と呼ばれても、何の不思議も無いわけですが…………。


初「おばあちゃん」扱い。


 思わず、ちょいとブログを書いてみる気になるほど、
ふんーーーーーーんだっ! と思った出来事でした。(^^;)















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Last updated  2007.12.24 00:55:52
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