たからくんが大人になるまで生きていたい日記

たからくんが大人になるまで生きていたい日記

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

太田とねり

太田とねり

Calendar

Favorite Blog

特別支援学校に通う7… New! elsa.さん

光への手紙 ひいちゃんファミリーさん

愛着と反抗期 沢村 光さん

ニッポンとアメリカ… ELLIE/すずらんさん
高齢ママの育児日記 うさこ0168さん
2008.12.05
XML
カテゴリ: 家族





 またまた、ご無沙汰です。

声楽の発表会のあと、
11月は、消えてしまいました。

最低限しないといけない仕事と、保育所から戻った子どもを寝かしつけるまで。
それだけで精一杯。
体調不良で、後は使い物になりませんでしたね。

夫は、結婚11年を過ぎた今、いつものこととそんな私に平然として怒るでもないってことに、逆に私が「えっ、いいんですか……?」と、ちょっとびっくりしたりして。



 さて、前回の声楽発表会ですが、

夫も風邪で声が出なくなって、午前中に、家族3人、揃って耳鼻科を受診。
出先で昼食を取って、そのまま発表会の会場へ。


 会場へ向かう車中、もう、自棄になってブツブツいう私。
かつては、子どもの頃から、
練習や準備が足りなくても気合いで本番に強い私…という暗示をかけて乗りきるのよ! と、舐めたことを思ったこともある若気の至り。

しかし、数年前のピアノの発表会で、
もう、最初の鍵盤の位置が分からないほどあがって、
3回くらい弾き直しても、初めの音が、正しい位置に手が行かない……、
もう、ボロボロの発表会があって、

そんな、ハッタリみたいな勢いだけで、乗り切れるほど、
甘くないんだよ! って、身に沁みた。

大人になって、態度を改めることができたほど、結構、キッツイ体験でしたね。


(まぁ、あの頃は、
練習不足というより、ほぼ練習したことが無いに等しい、
無謀な時期だったってことで、
子どもの頃の発表会云々とは、身を置いた環境のレベルが違いすぎていたのだけれどね。

ピアノに向かって練習しようとしてたけど、
まぁ、背中で暴れるし、ずっと泣くし、練習になんかならなかったよね。
おんぶしたまま、背中にくくりつけたままでレッスンを受けさせていただいたことも、数回。
状況を知っていてくださる先生なので、それも認めてくださったけれど…。 本当に、先生、スミマセンでした。ありがとうございます。)



 で、あのときのピアノの発表会ほどの、ボロボロの自分が、
この声楽の発表会でも繰り広げられるんだ……、と。

「練習は裏切らない。
努力は裏切らない。
というか、
やってなければ、やってないだけのものしか、出来ないのが当然」と、
夫と息子も乗っている車の中で、
一人陰気なワールドに浸り込んで、会場入り。


 なのに、ドレスは、カルメンちっく(派手)。
開場前に、全員でステージにて発声練習。
合唱ではなく、これからソロばっかの発表会で、みんなで発声練習って…。
それぞれの声が凄すぎて、自分の声が聞こえない。
私、どんな声で今発声練習できているの?
声、声、……、??? と思いつつ、
もう、立ち姿、姿勢、腹筋、背筋…とかを自己チェックするしかない。


 そして、出番。
もう開き直るしかなく、
逆に、
これまでレッスンで先生が指摘してくださった部分を、
結構冷静に思い出しながら、注意しながら歌えた。

 声や細かなところの処理などは、やっぱり、大雑把に雑になってしまったところも多々あったけれど、
あの調子が落ちていた中では、思ったより歌えて、
神様、ありがとうーーーーな、ギフトいただいた感じで終わりました。
ひとえに、実力以上のものは、すべてギフト。
自分の力以上のもの、ギフトに感謝。


 ステージから降りると、すれ違いざまに、先生が、OKサインをしてくださり、胸をなで下ろす。

 前夜、先生宅で伴奏あわせをしていたとき、
ソロ以外にもフィガロの7重唱を歌う上級レベルの方々が、
全員とピアノで合わせるために先生宅に残っていらして、
駆け込みで合わせに入った私は、
その合間に割り込む形になったの。
で、私、保育所→公文のあとの息子を連れていたので、
私がピアノ合わせで歌っている間、息子の相手をしてくださっていたお姉さんたち。


 そこで、ちょっと親近感を持ってくださったようで、
発表会当日、
ステージから降りて袖へ引っ込んでいった私に、

「おかーさん、よかったよ!
すごく、声通ってた。会場全体に響いてたよ。
よかったじゃん!」
って、駆け寄ってきてくれた。


前夜の私と比べて、って意味で、上手な他者と比べてじゃないことは、
重々分かった上で、でも、すごく嬉しかったです。
そうやって、仲間に受け入れて貰えた感じが、
なんとか歌えたことの上に重なったから、嬉しかったのかな。


 終了後、打ち上げの席で、
その声をかけてくれたお姉さんが、
「おかあさん、ドレスこれからどんどん増えていくと思うよ。」
(たくさん、ソロのステージを踏んでいく未来になると思うよ。)って、
いたずらっぽく笑ってくれて。

幸せな一日になりました。

先生のOKが出ればだけど、次は、やっぱりプッチーニから、
ラ・ロンディーネ(つばめ)の中の、
「ドレッタのすてきな夢」を歌ってみたいなぁ…。




 そして、また、疲れ果て………、
11月は消えていきました…とさ。
(いつもの展開… 夫のつぶやき&諦め?)





 消えた11月の次は、世知辛い12月ですわ。


 猛烈な不景気に、我が家も晒されています。
金額的にどうなるか、まだ具体的に見えていませんが、
12月のお給料から、
我が家の家計も、かなり収入が無くなる見通し。
更に、それが、堪え忍べば回復するといういい方の見通しは、ナシ。


 でも、ものいりな季節。
このお正月、予算取りをしておかないと、本当に、ショートしてしまうといけないので、クリスマス関連予算と、
お正月初詣関連予算と、
お正月お年玉関連予算を計算して、今からお金をよけておくことにしました。


 でね、ちょっと気持ちがすっきりしないのが、お年玉。
うちは、金額を決めてあるんだ。

高校卒業後就職するまでの子が1万円。
高校生が7000円。
中学生が5000円。
小学生が3000円。
そして、0歳から就学前までが、1000円。


 子ども自身が持つお金としては、それで充分だと、私は思う。
んだけどね、
お年玉って、子ども自身が貰うお金って意味合いよりも、
家同士のお金のやりとり、というか、
家単位のお付き合いというか、お持たせとお土産のバランスって感じに捉えているご家庭もあるでしょ。
そうすると、
我が家のチビにも、5000円~1万円などの結構な金額のお年玉をくださったりすることもあり……。

 うちのポチ袋には、
先方のご兄弟に「1000円」ずつしか入ってないお年玉を差し上げて、
家に帰ってみたら、
うちの息子へいただいたポチ袋に「1万円」も入っていたなんてことも何度もあって、
それでもいいんだ、うちはこういう方針なんだから…と、
自分に言い聞かせて居るんだけどね。
正直、何だか、
(特に年齢の小さい子の)うちの基準って、ちょっと金額が少ない? と、
申し訳ない感じもするんだわ。



 みんな、お年玉って、どうしてるのかな……。


 でもね、金額変えちゃうと、後々面倒だしね。
ほら、子どもって、お年玉をすごく楽しみにしてるでしょ。
大人が思っている以上に、凄く楽しみで、
あてにもしているよね。
で、そんなときに、
そりゃ、姪・甥とか、全員に1万円ずつばらまき続けてあげられたら、最高かも知れないけど、そんなことは我が家の経済ではできないし、
それに、そんな小さい子どもがぱっと貰う金額としてはおかしいって、
健全な感覚だとも思っているんだよね。

で、金額に差をつけるとしたら、
明確な基準があると、
兄弟が居て金額が違っても、
自分も学年があがると先には同じようにもらえるから…と思うと、納得もいくと思うの。お姉ちゃんやお兄ちゃんは、就職したらお年玉終わりだけど、
そのときに、自分はまだ貰えるから、今は金額差があるようだけど、
結局平等だよって。


 でも、そうすると、
スタート年齢の頃の金額が、
家族間のお金の行き来バランス(?)としては、小さい金額になっちゃうんだよね。



 ポチ袋買って、
一人一人の子どもたちの名前を書き出して、金額を合計してみたら、
今年の我が家のお年玉は、合計4万円。
世間一般の常識からしたら、少ない? かも知れないけれど、
でも、単純に、
このご時世、このキビシイ12月、
決して、ラクラク出せるわよな金額でもないと思う。(我が家はね)
銀行へ行って、お年玉用だからと新札でそれぞれのお札を用意してきて、
そんなことを思った次第。



 12月5日は、私の父の76歳の誕生日でした。
誕生日前に、実家から、
「くれぐれも、誕生日プレゼントとかケーキとか、買ってくるな」と私に伝えておけと、父からの伝言。

 不景気で、家計の収入もがくんがくんと減っていくし、
私が、仕事で、人様のお役に立とうと無給で奉仕し続けてきた後の借金も残っているからね。
父は私に、ちょっとでも自分のプレゼントなんかに、お金を使わせたくないって、
ありがたい親心、よく分かります。


 この先、どのくらいまで、我が家の収入が減収になっていくのか、
はっきり見えてきたら、
私のお稽古ごとや、子どもの習い事、
図書館でも借りるけれど、結構優先順位高くお金を使ってきた子どもの絵本購入(今、多分250冊くらいはあるかも)など、
整理してやめていかないといけないだろうと思うし。
私の短大の学費も、毎月少しずつ「学費通帳」に貯めていって居るんだけど、
これも、このまま卒業までやっていけるかどうかね。
まぁ、未来って奴は、
訪れてきた問題を、訪れたそのときに対処すればいいだけのことなので、
そのときに、その時を生きよう~(^_^)v ってことで、
ひとつ、よろしく →私。



 で、父には、
苺を持っていきました。
我が家の台所からのお裾分けって感じなら、
父も少しは気持ちの負担にならないかな…と。

 近所にお気に入りの苺屋さんがあって、
http://skyfarm.jp/

はっきり言って、ムッチャ美味しいです。
一パック470円。
スーパーで買う苺と比べると少し高いけれど、
もう、安くてもスーパーやそこそこの果物屋さんとかで買った苺は、食べたくないって感じで、
スーパーの苺2パック買うより、ここで1パック買う方がいい。

って訳で、休みの日は、よく息子と「苺屋さん、行こう~」とデート。
生苺と、苺パフェとか…、
ハウスの中にテーブルと椅子を置いてくれているので、
育っている苺たちを眺めながら、食べて過ごす休日の一コマ。



 その苺2パックと、家にあった柿と蜜柑とバナナを持参して、
宝良が、僕が剥いてあげるねと、
蜜柑とバナナを剥いて(ちょっと、迷惑? 笑)、
私が柿を剥いて、
宝良が、「ハッピーバースデー~♪」を何度か歌うってことで、
誕生日プレゼントがわりにしました。


 まぁ、それはそれで、いい誕生日だったんじゃないでしょうか。


 でも、消えた11月の次は、
世知辛い12月、ってことに違いはないみたいね。
臨機応変、波が来たら波に合わせて、暮らせるといいな。


 私の大好きな知人の句に、
「布袋草 あすは東の岸にあり」というのがあって、

水面を埋め尽くすほどのホテイアオイ、
大きな風が吹き荒れても、
水をかぶっても、沈むこともなく飄々と水面に浮かんで、
風が吹いたら、逆らわず、
向こうの岸に流れており、
でも、次の風が来たら、またその風に乗り、
そうして、気が付けば、
あの生命力で、みずみずしく生きている。

私もそうありたいなぁ。










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.12.07 07:04:39 コメント(7) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: