勉強法 0
全35件 (35件中 1-35件目)
1
昨年12月28日のFB投稿。大垣南高校で学年1位に耀いた塾生を紹介しました。その生徒が今日、通知表結果を報告してくれました。マジか・・・10段階評価で、殆どが10・・・若者の成長には、本当に驚かされます。そして、「オレも負けてらんない!!」と奮い立ちます。高校受験生であるつばさ塾中3生諸君。目線が合否で留まっていてはダメだ。合否の先には高校生活がある。先輩のこの成績は、今のキミたちと同じ中3のときから見据えて努力を積んできた結果なんだ。合否の先の未来を築き上げる勉強。それがつばさ塾の受験勉強だ。この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2017.10.19
コメント(0)
教えてもらってないから・・・教えてもらったのと違う・・・ 塾講師なりたての頃は、生徒の口からよくこの言葉を聞きました。会社での自分の部下や、新入社員があなたに言ったとしたらどうですか?イラッ!とくる言葉だと思いません?でも、当時、なぜそれが人をイラッ!とさせる言葉なのか、上手く説明できなかったんですよねぇ。たぶん、僕を含める講師たちの中で、誰一人上手く説明して生徒たちを納得させることができなかったからこういうことを口にする生徒がいたのだと思うんです。 この言葉、言われる方からすると、言い訳に聞こえるんです。なぜかって言うと、主語である自分が動作を起していない文だから。 教えた(動作を起した)のは〇〇だから、私が分からないのは、私のせいではない。 いやいやいや、動作を起さなければならないのは、お前だろ!と突っ込みを入れたくなります。 受動的に教えてもらうではなく、能動的に学ぶで表現すると、上の文はこうなります。 学んでいないから・・・ → 学んでいない自分が悪い 学んだことと違うから・・・→ 学ぶ部分を間違えた自分が悪い わぉ! 自分に厳しく、謙虚!大人であることを感じさせる捉え方ですよね。(自分を責めることとは違いますよ) 結局、「教えてもらっていない」という表現は責任を自分以外へ転嫁する甘え、逃避であることが分かります。だから、言われると、イラッ!となるわけです。 あっ! お酒も似たところがあります。僕はお酒はよく飲みますが、お酒自体の味よりも、どんな人と飲むのかによって、うまいかまずいか決まると思っています。で、どんな人っていうのは、その人がお酒をどう捉えているかに関係している、そう思っています。 お酒は憂さを晴らすものになっている人はその場で愚痴が多くなるので、僕は遠慮したいですね。 お酒は楽しむものになっている人からは学ぶべきものが滲み出てくるので何日か経って思い返してみても、楽しいんですよね。 ちょっと話がそれました・・・、スイマセン。 現在、塾生の中に、「教えてもらっていない」なんて口にする者はいません。これは僕の自慢。教えてもらうことではなく、学ぶこと、それを伝えることをずっと大切していこうと思います。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.08.25
コメント(0)
自分にとって良いこと、悪いこと、どちらであっても、起こってしまった事実は過去。過去には戻れないのだから、変えられるはずがありません。 しかし、その事実をどう捉えるかで、その先の未来は変わる。もちろん、喜んだり、悲しんだり、悔しがったり、そのときの感情を抑えず出すことは必要なことだし、自然なことだ思います。ただその先の未来を良いものにしたいのなら、それに必要なのは感情そのものではなく、感情が一人歩きしないようにコントロールする頭脳。必要な情報を集め、冷静に分析する頭脳。 結果があまり良くない生徒、やる気があまり感じられない生徒、そういう生徒を目にしたとき、僕にとっても、生徒にとっても、必要なものは、ありのままの事実(情報)とそれを冷静に分析する頭脳。そして、その分析から導き出される明るい未来への理解と確信。 僕の考える「自己の能力の評価」とは、ただ単に数値化されたものではなく、感情を越えた冷静な分析による「明るい未来への理解と確信」、ここまで到達するもの。 明るい未来を確信している人が「やる気がない」なんて、あり得ないですからね。おわり この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.05.28
コメント(0)
苦しいとき、負の側から捉えることに偏りがち。また、負の側から捉えることが余計に自分を苦しめる。 誰しも経験があるんじゃないかと思いますが、人間って、危機回避(生命の維持)という意味で、無意識にこうなるのかもしれませんね。 人間の感情って、理屈で動くのではなく、生命維持のために反応するアンテナ!?そんな役割を持っているのかもしれません。 しかし、生命維持のためだけに行動したら、どうでしょう?楽しくないのでは?楽しく生きるという意味では、やはり正の側から捉えることが必要ですよね。これについては、僕は無意識にはできませんね。その都度確認と言いますか、意識的に正の側から捉えることを実行し、その大切さを確認するんです。「その都度」がコツですね。 無意識下でとられる行動は感情が関係し、意識的にとられる行動は頭脳が関係する。こう考えると、負の側から捉えることは感情が関係し、正の側から捉えることは頭脳が関係する。と考えることができます。 頭脳、つまり頭で理解しようと思えば、必要な情報を集め、分析・処理しなければなりません。ということは、正の側から捉えることとは、必要な情報を集め冷静に(感情ではなく)、分析・処理することではないかと。 パニックになりそうな時、よく深呼吸しろ!と言います。収集可能な情報を五感を使ってでき得る限り集めるため、不必要な二酸化炭素を吐き出し、必要な酸素を取り入れる。深呼吸すると落ち着くのは、見るべきものが見えたから、聞くべきものが聞こえたから、知るべきものを知ったから、必要な情報を集めたからだと思うんですよね。 僕が中学生によく二者面談を行うのは僕と話すことによって必要な情報を集め、その先にあるものが彼ら彼女らにとって楽しいもの、誇らしいものになることを彼ら彼女ら自身の頭脳で理解してもらうため。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.05.27
コメント(0)
僕が禁煙に挑んだのは、これで3回目。1回目、2回目に共通していたことは、精神力で我慢、精神力で耐える、非常に苦しいものでした。 で、禁煙に成功した今回は、非常に楽しいものでした。 ニコチン(毒)が血液を通って体中を回る一本吸うごとに発癌率が上昇する80歳まで吸い続けると640万円使うことになる(1日20本)どれも事実ではありますが、このように負の側から捉えると、不安になるんですよね。 止めたいと思っているのに止められないのは意思が弱いからだ。そんなこと考えたら、止められなかったらどうしよう? って胸が苦しくなりました。 禁煙に成功して、それを楽しいと感じることができたのは負の側からだけでなく、正の側から積極的に捉える、つまり、禁煙に成功したら自分にとってどんなに良いことが起こるのか?それを考えたんです。毒が体中から消える640万を手に入るタバコに縛られない自由が手に入る(実際は、もっと良いことが起こりました)そんなことを考えました。それで自分にこう訊ねたんです。それでも吸うの?って。すると、答えがいや、絶対、吸わんやろ~。になるんですよね。だから、禁煙を決意してから、全く「吸いたい」と思わないんです。だから当然、苦しくない。むしろ、自分が誇らしく、楽しいんですよね。 負の側から捉える正の側から捉える 子どもが勉強に関して上手くいっていないとき、周りの大人はどうでしょう?もちろん、危機感を持ってもらうという意味では負の側から捉えることも必要でしょう。でも、それだけじゃ、子どもは負の事柄で頭が満たされ、不安になります。禁煙に失敗したときの僕のように。危機感をちゃんと持って、やるべきことをやれば、その先にどんな明るい未来が待っているのか?正の側から捉えることも忘れちゃいけないですね。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.05.26
コメント(0)
宿題はやらなければならないもの、分かっているのにできない生徒。 「宿題」というものについて知るべきことを知っていない、考えるべきことを考えていない。頭の中は、どうしよう?で満たされ、それが更にストレスとなり、宿題について余計に考えたくなくなる。う~ん、現実逃避。ただ、逃避するのは、この「現実」に問題があるから。 宿題という現実。捉え方が大切なんです。逃避してしまう生徒の宿題という現実は、宿題をやらなければ・・・から始まる。先生に怒られる。 テストの点が悪くなる。内申が悪くなる。やばい。どうしよう?やばいよ。どうしよーーーーーう?やらなければ・・・で始まれば、そりゃあ、悪いことしか出てこない。 宿題をやれば・・・から始めると、テストの点が上がる。内申が上がる。行きたい高校へ進学できる。大人になっても、「やっぱりできた!」といつでも自信が持てる。 なぜ自分に甘くなるのか?なぜ「絶対にやる!」と思えないのか? その答えは、「現実」を負の側からしか捉えていないからです。だからストレスが溜まり逃げたくなる。負の側から捉えて意味があるのは、危機回避。「宿題」って、危機なんでしょうか?いえいえいえ、チャンスでしょう?やることで得することはあっても、損することはない。正の側からもちゃんと捉えること、非常に大切なことですよね。 こんな話をした後で、 お前、それでも「絶対にやる!」って思えない?って生徒に訊くと、 いえ、思います! やります!になる。 大人でも、無意識に負の側からだけ捉えてることってあります。僕は、「禁煙」でした。僕はこの方法で、タバコをやめました。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.05.23
コメント(2)
自己の能力の評価、自分をコントロールすることに深く関係すると思うんですね。じゃぁ、コントロールするってどういうことなんでしょう? 宿題はやらなければならないと分かっているけどどうしても提出できない中学生がいるとします。その中学生に 宿題はやらなきゃいけないもんだ。できないのは自分に甘いからだ。気合が足りないからだ。絶対にやるんだー!そう思えば誰でもやれるんだ! こんなことを言っても、僕は無意味だと思うんです。いや、言ってることは正しいと思いますよ。自分に甘いということ。「絶対にやる!」と思えば、できること。僕もそう思いますよ。 でもですね、この中学生に必要なのは上の言葉よりも、もっと深い部分。なぜ自分に甘くなるのか?なぜ「絶対にやる!」と思えないのか?やらなきゃいけないことは知っているのに。それを考えることだと思うんですね。 まだ経験の浅い中学生ですから、一人ではなかなか難しい。だから僕はこういう時、様々なことを本人に訊ねながら共に考えるんですね。 自分をコントロールするのは、頭脳。頭脳でコントロールできた結果の行動が人の目には、気合が入っている、頑張っている、というように精神的なものとして映るんだと思うんです。 気合を入れる、頑張る、の前になぜ自分に甘くなるのか?なぜ「絶対やる!」と思えないのか?それを頭で理解し、解決しなければ、やっしゃー、やるでぇー!にはならないですね。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.05.17
コメント(2)
つばさ塾の教務の全ては、ある一方向を向いています。その方向は、家庭学習の充実。 家庭学習って一言で言っても、塾側が直接見ることのできないことだし、そもそも家での勉強に不安がある子が塾に通うんじゃないの?やらない子はやらないのだから、塾での学習が全てなんじゃないの? こうお思いになる方もおられると思うのですが、10年以上前、僕は「塾の学習が全て」という方針で塾内での学習だけで徹底的に成績を上げていました。生徒の成績が上がれば上がるほど、あることが気になってくるんです。生徒自身の自己の能力の評価。 入塾時は、この評価が低過ぎるんです。で、徹底的に学習指導(手取り足取り)すると今度は高く評価し過ぎるんですよね。で、入試が近づいてくると、否が応でも現実と向き合わなければなりません。向き合った現実は、評価に劣る自己の能力。 こうなると、毎日塾に来ていても、先生、これどうしよう?あれはどうしよう?不安で今にも泣き出しそうな状態になるんですよね。 以前記事にさせてもらった、得点と実力のギャップですね。こういう状態になった生徒は、正解していてもどのように考えて解答に至ったのか、それを自分で把握していないことが多かったですね。 あっ、ことわっておきますが、あくまでも、「塾の学習が全て」という方針で、僕が指導すると、こうなったということですよ。 それで、僕の考えは数字(得点)だけでは、自己の能力は評価できない。となりました。 自己の能力を評価する、言い換えれば、あらゆる情報によって自己を客観的に分析する、ですかね。 ある問題に正解したとしてもそこに至る道筋(思考)には個性がある。じゃぁ、ある生徒の道筋(思考)は、他と比べてどのような傾向があるのか?こういうことを考えるようになりました。 それで、いろいろなことを勉強する(調べる)ようになったのですが、ありました、ピッタリとくる言葉が。心理学のメタ認知という言葉。つづく・・・ この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2011.05.13
コメント(0)
会話において、 相手に自分の考えを伝えようとすることも、相手の考えを聞くことも、自分の考えを明確にすることに繋がる。これら会話の全てのことは、自分に蓄積され、また新しい何かを構築していくことに繋がる。 会話を通して育っていく力は、英語とか数学といった教科指導が意味あるものになるのか、ならないのか、大きく影響を与えるものだと考えています。だから、当塾では、全学年、全授業で「ことば」に拘り、生徒、親御様との「会話」を大切にしています。 そうする中で、 成長過程である子ども同士だけでは、なかなかこの力は育っていかないということも感じています。特に、相手からの質問に答えようとすることによって自分の伝えようとすることがより明確になるという点では。 相手への攻撃・あら捜しが目的の質問・反論は争いの元になります。自分にとって大切な人だから相手のことをもっと知りたい、そういう気持ちから放たれる質問・反論が必要だと思うんですね。 塾講師駆け出しの頃と比べると、先生は我が子の性格をよく知っている。それが指導に活かされている。親御様によく言って頂けるようになりました。ただ純粋に「知りたい」んですよね、生徒のことが。 知りたいから、質問する。 もっと知りたいから、たぶん答えはこうだろうなぁ~という予測で終わらせるのではなく、質問して生徒と向き合う。 もっと知りたいと思うほど大切だから、結論を僕の力で出させるのではなく、むしろ、生徒自身が自分をより把握し生徒自身が結論へと向かうことを忍耐強く待つ。 子どもを成長させるのは分かっている大人が結論を下す会話ではなく、子ども自身がそこへ向かうことを待つ、そういう気持ちをもった温かい会話、温かい議論ではないでしょうか。 時間のかかることですが生徒との議論(会話)、僕、大好きです。おわり この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.06.03
コメント(0)
感想文のように、文章で自分の中から何かを伝えようとするとき、自分の中で完結してしまうような、ひとりよがりでは伝わらない。 伝える相手を意識することが必要。また、その意識は、自分をより明確に把握することにも繋がる。前回の記事で述べました。 じゃぁ、この「伝える力」は、どうやったら鍛えられるのでしょう?僕は、会話しかないと思うのです。意見を交し合う温かい議論!?決着をつけるといった硬いものではないですよ。う~ん、例えばですねぇ・・・ あぁ~、何でこんなダッサイ制服毎日着なきゃいけないんだよぉ~。 まぁねぇ、あんたが着ている私服と比べると確かにダサイかもしれないけど・・・制服だから良いってこともあるんじゃない?制服だったら、友だちや女子のチェック(視線)を気にしなくてもいいじゃない。どの服着ようかって迷わなくてもすむし・・・お母さんからすると服代が抑えられるから大助かりだしね。 あぁ~、なるほどぉ・・・私服だったら視線は気になるかも・・・でも・・・、個性は?中学生にだって個性はあるよ。 そうだわなぁ~、主張したくなる年頃だもんねぇ。中には、すんごい格好してくる子が出てくるんじゃない? 確かに・・・アイツはそうかもしんない。わぁ~、自分はどっちなんか分からなくなってきたぁー! これ、僕が中学生の頃の母とのやりとり。別に結論を出さなくってもいいと思うんです。最後、自分がどちらの考えなのか、そのときは分からなくなったのですが、制服というものをより深く捉えるようになりました。 実は、その1年後にある討論会に参加したんです。僕は生徒会長を務めていたのですが、市内の全ての中学校の生徒会長が集まり討論会を開くことになったんです。で、その議題が、「中学生に制服は必要か、必要でないか?」その当時、僕個人的には「必要ない」と考えていたのですが、 「必要派」と「不必要派」のチームの人数を調整しなければならなかったんです。誰か一人が「必要派」に回る必要があったのですが手を挙げる人がいなかったんですね。それで僕が手を挙げて「必要派」に回ったんです。 それができたのは、母との会話のお陰。あのやり取り、僕の意見と母の意見は異なるものでしたが、母の言っていることも、なるほどぉ~って頷いてたんですよね。討論会は大成功!必要派、反対派、先生方、みんなで円陣を組んでバンザーーーーイ!!母の意見そのものも、もちろん大いに役に立ちましたが僕の意見を聞くときの母の姿勢はもっと役に立ちました。意見が異なっても、決して相手という人間を否定するのではなく、むしろ異なる意見を持っている相手だからこそその相手の考えを知りたくなる。そういう姿勢が、討論会で最も役に立つものでした。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.06.03
コメント(0)
自分の授業を振り返ってみると、僕は生徒たちに対してある言葉を使っていないということに気がついたんです。 集中する※ 〔人口が集中する〕といったものではなく、一人の人間が起す行動として 「集中している」とか「集中していない」とか、いったい何なんだ?って思うわけです。 で、ブログ記事に書こうと、数日前から書いては下書き保存を繰り返しているのですが、考えれば考えるほど奥が深い・・・ 少し進んでは下書き保存し、りょーた先生と毎日議論。 あることが明確になったかと思うとまた他の疑問が生まれる。そしてまた議論・・・ このテーマでブログ記事を書くのを止めようかと何度も考えたのですが、どうしても諦めたくない・・・ っていうか、記事にできるほどまでにこれについて考え抜けたらその先に今はまだ見えない素晴らしい景色がある、そう思うんです。 ということで、諦められないようにこうしてこの記事で宣言することにしました。 いつ見えるようになるのか全く見当もつきませんが、考え抜いてみようと思います。
2010.06.02
コメント(0)
とびとびになっておりますが、この記事とこの記事の続き。 自分を把握してそれを伝えようとする力 これって、相反する2つのことを同時に行うことになると思うんですね。 1 自分に目を向けて、その自分を把握する2 確実に伝えるために、自分を取り巻く環境(社会)に目を向ける (もちろん、伝える相手も含む) また、1をよりはっきり把握するためには、2は必要不可欠だと思うんですね。自分は人と比べないと分からないことってあるじゃないですか。(ヤバイ、頭の中がグジャグジャになってきた・・・笑) 例えば、先日、このブログで知り合いになったある先生からお電話を頂いたときの話。先生曰く、授業は、一つの作品だと思っているとおっしゃった。おっしゃる意味はよく分かりましたし、授業というものの僕の捉え方とも、かなりの部分が重なっていると思いました。ただ、僕は授業を先生のように例えたことがない。ならば、僕はどう捉えているんだろう?こんな風に自分に目を向けることになったのです。その答えはまだ出てないんですけどね。 生徒それぞれの感想を読んで差を感じたのはここなんです。自分が感じたことを伝えようとしているのだけれど、自分の中だけで完結していると言いますか・・・。 例えば、人との会話において僕は・・・だと思うんだけど。 何でそう思うの?っていう質問が容易に想像できますよね。 だからね、〇〇で△△なわけよ。 △△って? あぁ、それは、〇□ってことよ。 あぁ、なるほどね。 会話においては相手にとって不明な点は質問によって明らかになります。 当たり前ですが、「伝える」とは、相手がいて初めて成立するもの。ですから、相手を意識しなければ伝えられないし、自分の姿も見えてこない。 生の会話は、実際に相手は目の前にいて質問によって自分に目を向けさせてくれるけど、文章によって感想を表そうとする場合、実際に目の前に相手はいない。だから自分が相手の質問を考慮することでより深く自分に目を向けなければならない。「伝える」ということは、決して独りよがりではできないということですね。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.05.24
コメント(0)
感じた反応をそのままにしておくことと、それを誰かに伝えようとすること、いや、伝えなくても自分の反応を把握すること。年齢を重ねるにつれ、後者の必要性は増してきます。 生まれたばかりの赤ちゃんは、前者がほとんど。当たり前ですが、そうなるのは言葉を知らないから。だから赤ちゃんの状態がどういう状態なのか、親はそれを知るために苦労する。子どもは歳を重ねるにつれ、言葉を習得し、段々伝えられるようになります。それでも、反応のままである部分も、子どもの言葉によって伝わった部分も、伝えようとしても上手く伝わらなかった部分も、全てひっくるめて我が子丸ごと知りたい。それが親の気持ち。 たとえ成績が上がっても、お母さんが我が子を不安に感じたりするのは、伝えずに反応のままにした、上手く伝えることができない、我が子のそういう部分。しかもお母さんは毎日近くで接しているわけだから、不安は増していきますよね。 子育ての苦労って、子どもの成長に伴った自分を把握しそれを伝える力といつでも我が子を知りたいという親の気持ちから来るものだと思うんです。 生徒たちの「感想」は僕に何を見せたのか?それは文章を読み取る力もそうですが、自分を把握してそれを伝えようとする力でした。生徒をかわいいと思えば思うほど、僕も生徒という人間をもっと知りたくなる。そういう僕の中に常にあった気持ちをより前に出させるものでありました。そして、成長途中である子どもたちに僕たち大人が何をすべきなのか、より深く問いかけてくるものでした。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.05.20
コメント(0)
投書要約 → 感想小6生から中3生に取り組んでもらっているのですが、毎回、たくさんの気づきが出てきます。取り組み始める前は、僕は「要約」に頭が占められていたのですが、「感想」から読み取れるものがたくさんあるんですよね。 投書内容に対しては反対の意見を根拠を明確にして主張する人 投書内容に対して、筆者が述べているもの以外の根拠を付け加えて共感する人 ただ単に同感であることを記述する人 いろいろな感想がありました。で、「感想」とは何ぞや、と考えさせられたんです。 何かを見たり、聞いたり、読んだりすれば、それに対して何かしらの反応があります。その反応は、考えると言うよりも、感じるに近いんじゃないかと。その反応を感じたままにしておくか、それを自分の中から外に出そうとするか。 外に出そうとする前の反応は不思議なものでなぜそこを肯定するの?と疑問が起こるようなことでも、疑問にならないと言いますか、気づかないと言いますか、自分の中で引っかかりなく存在してしまう。全ての事象の反応にいちいち疑問を投げかけていたら息苦しくて生活できませんもんね。 じゃぁ、それで良いのかって言うとそうでもない。例えば、ある反応が「悩み」であった場合。本質的な解決に繋がらなくても、 話を人に聞いてもらうだけでスッとすること、ありますよねぇ?反応を自分の中から外に出そうとする、 つまり、話したり書いたりして、自分の反応を人に伝えようとするためにはそれを自分が把握する必要があります。自分でもよく分からないけど、人に伝えようと話している中で段々と自分が見えてくることだってありますよね。 生活の中では、反応を感じたままにしておくことも、人に伝えようとすることも、両方必要なことですよね。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.05.18
コメント(2)
授業の聞き方に成長が必要だと感じる生徒、※ 決して不真面目ではなく、一生懸命であることを僕も認めている聴覚と視覚を同時に別々の方向に向けることにあまり違和感を感じないみたいなんです。 例えば、生徒たちが問題集に取り組む演習中、 いいかぁ、あのなぁ・・・ もちろん、個々にもアドバイスはするのですがクラス全体に向けても、気になったことを僕は伝えます。 おい、話聞いてるか? ・・・・・・・・・・・・・・(演習を続けています) 近くに行き、その生徒の肩に手を置いて、 おい、話聞いてるか? あっ!(ハッとしたような顔をします)はい、聞いています。 じゃぁ、何て言った? 〇〇でぇ、△△で・・・ 確かに聞いてはいたようなのですが非常に中途半端なんですね。それなら演習状況はと確認してみると、これまた表面上だけの中途半端な状態。 考えてみれば当然です。聴覚も視覚も、人間の感覚は脳への刺激。その複数からの刺激、同時に同じ方向へと向けたものと、別々の方向へ向けたもの、差が出て当然ですよね。 別々の方向へ向ける人に対して 集中力が足りない→やる気が足りない、そう判断する大人は多いでしょう。 でもですねぇ、毎日生徒に接する中で、僕はどうしてもそうは思えない。だって、一生懸命であることは伝わってくるんですから。集中力が足りないという状態は、何かが原因である結果だと思うんです。小・中学生において、その原因は自然にしてしまうことが多く、不真面目であることが原因であるとは限らないようです。むしろ、真面目な子が陥り易いこともあるんです。 我々人間は、ものごとの捉え方において日常生活上では、聴覚と視覚を圧倒的に使っていると思います。その中の、人との生の会話こそが、それをコントロールする重要な鍵なんじゃないかと。テレビを見たり、雑誌や漫画を読んだり、これらも確かに聴覚と視覚を使います。しかし、一方通行なんですよね。発信されたらされたまんま。ということは受け取る側次第ということ。それではなかなかコントロールできないんじゃないかと。間違いに気付きにくいですから。耳(言葉)だけでなく、目(相手の生きた反応)を相手に向けることでこれらは鍛えられるんじゃないかと思うんです。 子どもは純粋ですから、普段やっていることが素直に出ます。であるからこそ、普段の会話を大人が大切にしなければならないとつくづく思います。 まだ取り組み始めて間の無い新聞投書要約ですが子どもとの会話、大人は大切にしているのか?と毎回、僕に問いかけてきます。おわり この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.04.26
コメント(0)
人の話は、その人の目を見て聞きなさい。子どもの頃、両親や先生が言っていたことですが、これって、人の話は耳(言葉)だけで聞くんじゃなくて、その人の表情や身振り・手振りなども視野に入れながら目も使って聞く。そうすることで、その人が何を伝えようとしているのか読み取りなさい。こういうことだと思うんです。 僕が小2のとき、剣道を始めたのは以前の記事でも書きました。竹刀を構えて相手の隙を窺う訳ですが、小手に隙があるかどうかと小手を見る、面に隙があるかどうかと面を見る、こういう風に局部的に相手を見ると、隙が見えないんです。視線を相手に読まれて、逆にやられちゃうんですよね。 じゃぁ、どうやって見ればいいかって言うと、目を中心に相手全体を見るんです。そうするとですね、物理的な相手だけでなく、 あれ? 今の俺の小手打ちにイライラしてる?普段より調子が悪いんだな。だから焦ってるんだ。あっ! こいつ面を打ちたくてしょうがないみたい。 相手の心の動きや性格まで見えてくるんですよね。 結局、ものごとの捉え方が大切ってことだと思うんです。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.04.26
コメント(0)
先週水曜日、中3総合の授業は新聞投書の要約。 苦戦していた人は、どの言葉を削って、どの言葉を残せばいいんだ?それで頭の中が満たされているようでした。 なかなかの出来であった人は、授業の聴き方が上手になったなって以前から僕が感じている人でした。 要約、辞書にはこう書いてあります。文章などの要点をとりまとめること。また、そのまとめたもの。 まとめる・・・ まとめようと思えば、全体に目を行き届かせ、文、言葉の表面だけでなく、その文章はどの方向を向いているのか、それを読み取らなければなりません。 「まとめる」のは、なにも要約に限ったことではありません。例えば、リーダーとしてチームをまとめる。この場合も、チームメイト全員に目を行き届かせ、個々だけでなく、人間関係も把握し、一つのチームがどの方向を向くのかを考える。そうやってチームをまとめられなければ、リーダーはリーダーではなくなります。 学級委員や生徒会、部活の部長などを務めている生徒、僕は以前から、応援し続けてきました。悩みや愚痴を聞いたり、僕の経験からアドバイスしたり、意識的に行動してきました。それらの行動を僕は「教務」だと考えているんです。人をまとめる立場に立つことは、ある意味で、学力に影響を与えることだと思っているから。 じゃぁ、それ以外の日常生活においてはどこでこの力は養われるのでしょうか。 人の話を聞くときだと僕は思うんです。「会話」、最近、つくづく重要だって思うことなんですよねぇ。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.04.26
コメント(0)
本年度から本格的に始動したつばさ塾高校部。僕は毎週火曜日に数学の授業を担当。 実は、高校部設立に関して、ずっと僕は消極的でした。高校生になってまで僕にオンブにダッコじゃだめなんだ!当時は生徒にこう言ってました。それは、高校受験に挑もうとする中学生に何かが足りない!って、納得がいかなかったから。もちろん、生徒たちにとって高校受験は人生初めての分岐点。それを考慮しても、何かもの足りなさを感じていました。(合否に拘らず) そのもの足りなさを乗り越えるために高校受験までの道のりをより充実させようと中学部だけでなく、小学部にも力を注いできました。 ある年の中3生の授業を終えたとき、ふと気づいたんです。彼ら彼女らに高校生になっても、がっきーの授業を受けたい!と言われたら断れない自分に。 高校生になっても、おそらく、彼ら彼女らが僕に依存することはないだろう。こう僕が思えるってことは、それほど生徒たちが成長しているってこと。同じ状態を続けていてはいけない。つばさ塾も次のステップに移る時期なんじゃないだろうか。そう思ったんですよね。 正に、大人は子どもに育てられるでしょうか。 生徒たちの姿からこう感じて以来、迷いはありませんでした。 こうして高校部はスタートしたのですが、やはり、やってみなければ分からないことってありますね。中学生までと明らかに異なる部分は授業の感覚。学問を共に楽しむ、そういう感覚が強いんです。 当塾は、教科や小学生、中学生といった、世間一般的に言われている「枠組み」が薄い塾です。こういう枠組みを越えようとすることでそれぞれの内容を充実させ、生徒たちの成長へと繋げる。こういう方針で塾は随分成長しました。が、それでも「もの足りなさ」を感じていた。 その中の一つが高校生との授業で分かったような気がします。「楽しむ」ということの深さ、これなんじゃないかと。 高校生との授業を経験することで、小学生、中学生の成長をより深く捉えられるようになりました。 何かに必死に取り組む中で生まれてくる成果や疑問、それに対して正直に向かっていくと全てが繋がってくるんですね。 いやはや、育て育てられるのが教育、改めて実感。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.04.19
コメント(0)
子どもだけを見ていては、子どもは育たない。親が親として育たなければ、子どもは育たない。(自分の親としての経験上、気付いたことです)子どもも親も、家庭の中に存在し、そして、数々の家庭によって地域は成り立っている。こういう視野で教育を考えなければ、僕が思い描いている塾は実現しない。 子育ては一人じゃできない。つばさ塾を成り立たせている「支え」に常に感謝し、また、つばさ塾が子育ての「支え」でありたい。 日々、仕事中、生活の中で様々なことを経験し、僕が感じていた「この地域の子育てに貢献したい」、それはこういうことでした。 売り手と買い手という冷めた関係ではなく、お互いが「支え」である関係。人間くさい塾!? そのために越えなければならないハードルは高く、いくつもあるのですが、いろんな方々に支えて頂いてますので僕は頑張れます。 最近、入塾したての親御さんによく言われることがあります。 つばささんって、普通の塾と違いますよね!?もちろん、良い意味で言って下さるのですが。 成績を上げることだけを考えればいい、それが塾。もし、そうなのであれば、僕が目指そうとしているものは塾ではなく、つばさ塾の「塾」を他の言葉に変える日が来るのかもしれません。おわり この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.02.13
コメント(2)
2歳の息子はもちろん、5歳の娘も、まだ幼いので家で一人(子どもだけ)にはできません。でもですね、なんともならない緊急時、直ぐ裏にある義父・義母のいる妻の実家に預けることができます。もちろん、そういうことも考えて、昨年、引越したわけなんですが・・・。引越する前は、妻の実家から少し離れたマンションに5年以上住んでいました。 そのマンションの住人の方たちが僕たちと歳も近く、我が子と同じぐらいのお子さんがそれぞれいたこと。 ただ単に住人という間柄ではなく、友人として付き合い、支え合うことができたこと。 これは、僕らにとって非常に大きかったんですね。ちょっとした食材や調味料、消耗品がきれたときなど、持ちつ持たれつで、うまくやってました。 子どもを公園に連れて行って遊ばせてるときも、我が子だけでなく、住人の子どもも一緒に面倒見ることもお互いが上手くやってました。 夏など、僕ら家族が外で花火をやるときは、「一緒にどう?」って誘い、喜ぶ子どもたちの姿を肴にビールを共に飲むのも、毎年の恒例になってました。 こういう繋がりって、子育ての悩みから来る精神的負担を緩和させたり、子どもの事故を未然に防ぐことに繋がっていたんだと思うんです。こういう関係が築けたこと、もちろん、みんなの努力無しでは実現できなかったことですが、運もかなりあったと思うんです。 地元広島に帰省したときに強く感じることですが、僕は子どもの頃から故郷という環境に守られ、育てられた。また、父、母が、まだ僕が幼かった頃の話をよくするのですが、その当時、父、母も、周りのの人たちの支えがあって 僕たち子どもを育てることができたんだってことがよく分かります。 しかし、今は、 核家族化が進み、知り合いのいない場所で家庭を築くことの多い時代。僕たちのように運良く人間関係が築けたとしても、転勤などの引越によって、また1からつくらなければならないことも。実際、以前の住人仲間は4世帯で、内、我が家を含める3世帯がもう引っ越した状態。 僕、最近、つくづく思うのですが、子どもを育てる環境は、その親を、「親として育てる環境」でもあると思うのです。初めから一人で何も問題なく子育てできる親などいないと思うんですよね。僕なんか親としては、まだほんの5歳ですし・・・。 子育てに悪戦苦闘していく中で、その苦労や喜びを理解してくれる人、そういう人たちの支えがあって、乗り越えるべきものを乗り越え、親は親として育っていくんじゃないかと。 親から子へ受け継がれていくこと(子育て)を目指すならば、それと同時に、親から親へ受け継がれるものが必要。「親」を支えたり、「親」を励ましたり、「親」を奮い立たせたり、そういった「親」を育てる環境に感謝すると共にその重要性、必要性を、僕は感じています。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.02.12
コメント(2)
毎日子育てと向き合っている人への理解そういう視点を持つようになって、それまで「生徒のために」と思っていた自分の視野の狭さや考えの浅さが浮き出て見えるようになりました。 面談などを思い返してみると、※ お母さん・生徒が話すより、僕が話す時間の方が長かった。 押し付けとまでは言いませんが、「お子さんを見ていて僕はこう思います!」という視点に偏り過ぎてたんだと思います。だからだと思うのですが、お母さん、分かってくれたかな~?って、面談の成果に不安を感じるときがありました。 じゃぁ、聞き役に徹すれば上手くいくはずだ!って、そんな無機質というか、表面的な判断!?そういうのも違うんじゃないかと・・・。 毎日一人何役もこなしているお母さん。そんなお母さんが生活から感じ取るもの、それは子どもにとってはもちろん、僕ら塾側にとっても、見落としていたことの気付き、問題を解決していくきっかけ、成長していくためのエッセンス、そういうものがその中にあると、僕は思っています。 僕の見解はもちろん、いつもしっかりと持っているのですが、お母さんの話を聞きたい、自然にそう思うようになったんです。僕が生徒に対して持っている見解は、その時点では、決して解決策ではないってことなんですよね。たとえ、お母さん・生徒と話し合った結果が同じになったとしても。 お母さん方も自然に面談だけでなく、送り迎えのちょっとした時間や、欠席連絡のお電話の際であるとか、いろんなことを話してくれるようになりました。 ご家庭と塾との間が、より温かいものになった、そんな感じでしょうか。より温かいものになったから、それまでは恐縮し過ぎて、「無理かなぁ」と思っていたことも、提案してみると、親御さんは快諾してくださったりと、それまで不可能であったことが可能になっていきました。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.02.09
コメント(0)
娘と息子の面倒を毎日見ている妻。仕事が休みの日、妻と子どもたちのやり取りをたまに見ると、そんなにキャンキャン言わんでいいんじゃないの?と、言いたくなるときがあります。 僕、以前はそれを口にしていたんです。 あのな、やってはいけないことを教えるために叱ってるんだよな!? 当たり前じゃん。(もう、この時点で目つきが変わってました) だったら、お前が「怒り」で満たされてちゃ、それは伝わらないんじゃない? 私だってねぇ、好き好んで怒ってるんじゃないんだからねーーーー!!と、妻は泣き崩れ、話し合いどころじゃなくなりました。 明らかに僕が間違ってたんです。僕も妻も、2人の我が子を想う気持ちは同じ。子どもに対する対応をどうこう言う前に、毎日、子育てに奮闘している妻の気持ちを考えるべきだったんです。ダメだしをする前に、まず、感謝しなければいけなかったんです。ホント、反省しました。 今では、 今日、どうやった? 大変やったか? うん、相変わらず、もう、クタクタ。 そっか。大丈夫か? うん・・・あっ、そう言えばね、今日ね・・・・ その日にあったいろんなことを妻は僕に話してくれます。その話を聞いていると、母親としてだけでなく、お義父さん、お義母さんから見れば娘、お婆ちゃんから見れば孫、お義兄ちゃんから見れば妹、お義兄ちゃんの奥さんから見れば儀妹、保育園から見れば保護者・・・ 幼いと言えど、子どもにも様々な人間関係、子どもを取り巻く環境があります。しかも、子どもそれぞれに。(うちで言えば、娘と息子の学年、娘の体操教室など・・・。)しかも、子どもが歳を重ねるにつれ、それは増えていく。 それに応じて母親は様々な立場を同時に持つことになる。いったい、一人何役やってるんだ!?家庭を運営するということは、こんなにも大変なものなのか!って、思います。その中に「子育て」があるんですよね。 そりゃぁ、いつも家庭の外で働いている僕基準で考えてはいけないんですよね。「子どもに言って聞かせる」ということ一つとっても、家庭運営におけるいろいろな立場が、気持ちの余裕を奪うんですよね。 それを誰かに責められた日には・・・ 一番に必要なのはホント、大変な中、毎日頑張ってくれてるよね。大丈夫か?っていう、子育てしている人への理解だと思うんです。それが無い視野の狭いアドバイスなんて僕だって欲しくないですもん。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.02.08
コメント(4)
受験シーズン真っ只中。塾講師としては、11回目の受験シーズン。回を重ねるにつれて、段々と僕の中で育った気持ち。つばさ塾のあるこの地域の教育に貢献したい。 まだ経験が浅かった頃は、塾に来る子どもの成績を上げて、それを喜ぶ子どもの顔、そういう我が子の姿を見て喜ぶ親御さんの顔、その顔が見たい、そう思ってました。 そんなとき、ある生徒の三者面談でこんなことがありました。その生徒は中学生で、入塾してから3ヶ月ほど経ち、学校の定期テストは、入塾前よりも、150点(5教科500点満点)上がってたんですね。 絶対、お母さんは喜んでくれる。「先生のお陰です。入塾して良かったです。」なんて、感謝されちゃったりなんかして。 そんなことを想像して面談に臨んだわけです。ところが、お母さんは、ちっとも嬉しそうじゃないんです。 お子さん、本当によく頑張りましたよね。素晴らしいと思います。 はぁ・・・でもねぇ・・・ ため息混じりでおっしゃったんです。 え? 何で?150点も上がったのに、嬉しくないの?子どもを認めて褒めてあげないの? その頃の僕は、訳が分かりませんでした。 また、これとは別に、僕から見れば、明らかに努力が足らず、成績の下がった生徒の面談がありました。 あのな、何もしないで成績は上がらないよ・・・ 何とかその生徒にやる気になってもらおうといろいろ話すのですが、 そうなんですけど、この子はね・・・ って、お母さんが僕の話す内容に乗り気でないと言いますか・・・今思うと、このお母さんの言葉の続きは、そこじゃないのよ、先生・・・ だったんじゃないかと。こういう面談もあったんです。 どちらも、僕とお母さんとの間に何かギャップがあり、かみ合わない、そういう状態だったんだと思います。なぜ・・・ 当時の僕は、子どもの成績を上げさえすれば・・・と、僕から見た子ども、そういう視点に偏っていたんです。お母さんから見た子ども、そういう視点が無かった。子どもにとっての塾という視点はあっても、お母さんにとっての塾という視点は全くありませんでした。 もちろん、目の前の子どもをなんとかしたい、塾講師に必要不可欠な純粋な気持ちからだったのですが、「目の前」だけでなく、お母さんも含む子どもを取り巻く視点、総合的な視点で子どもを見なければいけなかったんです。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2010.02.06
コメント(2)
面談等による精神的なアプローチだけでなく、授業内での思考的なアプローチも、生徒の自己分析能力の向上には必要であることを、このシリーズの1~3で述べさせてもらいました。 で、このシリーズ、なぜ僕が書こうと思ったかといいますと、僕自身の中で「発見」があったからです。僕の自己分析に繋がったということでしょうか。 生徒たちに対して「自己分析」を意識すると、「この問題が正解ならOK!」といったような機械的な判断を極力排除していくことになります。 正解、不正解に拘わらず、目の前で勉強している生徒が、どういった状態にあるのか、それを把握しようとするわけです。 そうするとですね、例えば、「やる気が足りないな!」と僕が生徒から感じるとき、それは成績が思わしくない最終的な原因では決してなく、生徒の状態を把握するための出発点であることを強く感じるようになりました。 もちろん、出発点から前に進んでいくのにあぁーでもない、こーでもないと模索します。ある新しい発見が見つかり、それを生徒に自覚させようとすれば、また違う何かが見つかる。いつも四苦八苦しているのかもしれません。 そうしているとですね、同時に僕が生徒を通していろいろなことを学んでいることを常に自覚することに繋がるんです。 ものを教える立場にいる僕は、「大人だから」、「先生だから」と目の前の生徒を見下すような、そんな錯覚を起してはならないと思っています。 僕は、塾長、親という立場でもあるのですが、同じことが言えるんじゃないでしょうか。 相手から自分も学んでいる、そういう意識がなければ 教えることも、伝えることもできないんだって、自己分析指導は常に僕に訴えてきます。 このシリーズ、自分にとって大切な記録として書かせていただきました。 おわり この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2009.12.07
コメント(2)
Nobody knew when we could finish the work.私たちが(いつその仕事を終えることができるか)誰も知らなかった。 ん、じゃぁな、この問題はここで終わりじゃないんだ。[could]は[can]の過去なら、<できた>じゃないのか? あっ! ほんとだ!<できる>になってるぅ~。 そうそう、これが日本語と英語の違い。英語はね、過去を語るとき、あくまでも自分は現在にいるんだよ。だから、仕事のことも、誰も知らなかったことも、現在から見れば、過去なんだよね。だから両方とも過去形にするわけ。 ところが、日本語は、語り手が現在にいても、過去に入り込んじゃったりするんだよ。時間を旅できちゃうんだよね。 なるほどぉ~。 な? 日本語と英語との違い、ここまでいくとおもしろいだろ? はい。 そのためには、ちゃんと分析しなきゃな。たかが英語の問題1問だけど、それを分析することは、結局、自分を分析することになるんだよ。自分では気づいてないと思うけど、お前、今、笑顔だよ。なんでだろ? ・・・・・・・・・・・・ じゃぁね、こういう分析、俺がいなくちゃできない? できると思います! そう、それが笑顔のもとだよ。「やればできる!できると思え!」ってよく聞くけど、それはただ単に「できる」って念じるみたいに、精神的なことじゃないんだ。ちゃんと「できる」根拠を自分の中で探し、見つけることなんだよね。 「わかる」とか「できる」とか、本人がそれを自覚しない限り、本人の中に存在しないことになってしまう。 存在しなければ、自信が持てず、向上意欲にも影響するはずです。 我々大人は、その自覚を生徒に持って欲しいと願うわけですが、大人でも、1人では難しいときがありませんか? 大人でも、長年続けてきた癖というか、思考パターンですね、そういったものによって気づけないことはよくあることですよね。 ましてや成長途中である小・中学生であれば、我々大人よりも、大変です。 自己分析というものは、決して人任せにするものではありませんが、人との関わり無しでは成立しない、そういうものじゃないでしょうか。 参考書やインターネット、世の中、情報は溢れていますが、「授業」というものが必要とされるのはそういうことだと僕は思うんです。 つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2009.12.03
コメント(0)
ある中3生スマイルとの日常を例に挙げてみます。 中3生の英語の授業での話です。その日は、新しい文法をいろいろと説明しました。その中の一つ、<間接疑問文>。 説明し終えて、演習。いつものように僕は生徒それぞれに突っ込み(アドバイス・指導)を入れるために、教室中をぐるぐる回ります。 スマイルの横を後ろから通り過ぎた瞬間、むむ、僕の足は止まり、彼の横に戻りました。 ちょっと、待て! それでOKなの? ・・・・・・・・・・・・・ スマイルは、ある問題(和訳)が分からず、そこをとばして次の問題へと進み、そのカテゴリ内の問題を終了し、答え合わせをしていたんですね。 で、とばした問題の答えを赤ペンで直し、直ぐに次の問題へ移ろうとしたときに僕が反応したわけです。 その問題は、こういったもの。 Nobody knew when we could finish the work.私たちが(いつその仕事を終えることができるか)誰も知りませんでした。 で、スマイルの答えあわせは、私たちが(いつその仕事を終えるか)誰も知りませんでした。 答えを見ながら書いたにも拘わらず、彼は正確に答えが書けていませんでした。 しかし、僕はいきなりそこを指摘しても、たぶん彼にとってあまり意味のないことだろう、そう思い、こう彼に突っ込んでいきました。 なぜ、(いつその仕事を終えるか)って訳になるのか、調べてみろよ。 え? いいから、<いつ>って、どの単語? [when]です。 うん、じゃぁ、[when]に斜線を入れて。 はい。 こんな具合に続けていって、こうなりました。 Nobody knew when we could finish the work.私たちが(いつ仕事を終えるか)誰も知りませんでした。 おい、おかしくないか?1単語余ったぞ!?ということは、[could]って、この文の中では意味をなさないのか?[could]って、意味のない単語なん? いいえ、[can]の過去です。 じゃぁ、わかってて、敢えて書かなかったのか? いいえ、気づきませんでした。 あのな、演習で、「分からない」、「間違えた」があっても、それはそれで別にいいんだよ。ただ、自分の「分からない」部分が分からない、「間違えた」部分が分からない、これでは、答えあわせをしても成果が出ない。その前に、おもしろくないだろ、勉強!?じゃぁ、なぜスマイルはそうなってしまうんだろう? ・・・・・・・・・・・・・ 自分の「分からない」や「間違えた」を探そうと思ったら、自分の「分かる」や「これは合ってる」を明確にして、自然に浮かび上がるようにするんだ。 誰でも自分のダメな部分を直接探そうとすることは嫌なもんだ。だから、それを続けると、誰でも曖昧になっちゃんうんじゃないか?「分かる」部分を曖昧に流してはダメだ!もっと自分を大切にしなきゃ。コツは「分かる」部分を明確にするんだぞ。 1文単位で明確にならなければ、単語単位まで細かく絞ってやればいい。 つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2009.12.03
コメント(2)
表面上の数字だけを上げるような中身のない成績を生徒に取らせてはダメだ!!この拘りを持ち続けて、今のつばさが形作られました。 そうしていく中で、僕自身がそれまで見えていなかった、いや、なんとなく感じてはいるのだけれど明確にできないもの、そういうものが見えてきました。 それは、生徒それぞれが、自分自身と向き合おうとしているか、それとも目を背けようとしているか。 前者は、テストだけでなく、他の学校行事や部活など、チャンスがあれば、向き合おうとしています。もちろん、それが苦しいとき、辛いときはあるから場合によった向き合い方をアドバイスするときもあります。 そうしていく中で、「手応え」、「成長」とも言えるでしょうか、そういったものが生徒から感じられるようになります。 で、これが感じられるとですね、少々、定期テストの点数が凹もうが、見ている僕ら側からすると、全然問題ないんです。実際、その後、かなりの確率で、その凹みを飛躍に繋げてくるんです。 中学生で言うと、当塾で対応している5教科の合計点はそれほどでもなくても、内申が向上してくるんですよね。その後、5教科合計と内申のバランスも釣り合いが取れてくるんです。 小学生は、通知表の関係上、数値の上では分かり難いですが、担任の先生のコメント上で高く評価されたり、当塾での学期ごとの3者面談で、直接見ている親御さんから家庭での様子を評価されています。 なぜ自分と向き合おうとする人から信頼や安心感が感じられ、それが評価されるのか? それは、向き合うことを重ねることで本人が自分自身をより知り、自分をコントロールできるようになるからだと僕は思うんです。 数字先ありきではなく、そこに向かうための数字、成績だと、僕は信じて毎日働いています。 小学生が学校から帰宅し、夕飯までに宿題を済ませる。褒められる子の典型だと思うのですが、どこが褒められるべき点かというと、自分をコントロールできているという点だと僕は思うんですよね。 じゃぁ、生徒自身が自分と向き合い、自分を知っていくように促すには僕は何をすべきなのか? つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2009.12.02
コメント(0)
日本全国、様々な高校がある。つばさ塾の地域に、学力県内1位、2位を争うK高校がある。うちの塾でも、学力の高い生徒はそこをやっぱり目指している。それは、ただ単に、「学力が高い」ということそのものよりも、もっと、大きく、深いものに惹かれて、目指しているように感じる。それは、伝統。 高い国公立大学進学率、その実績が、先生から先生へ、先輩から後輩へと受け継がれ、それがいつしか伝統となった。その伝統は、「自分はK高生だから」という誇りを生徒に持たせ、更に伝統は引き継がれていく。 僕はK高校の学力の高さではなく、受け継がれ、人を惹きつけ続ける「伝統」に魅せられる。 伝統とは、「がっきーは教えるのが上手だから」といった個人の力を遥かに超えた力を持っている。他人の力にすがるのではなく、「自分は○○だから」という、自分の内から湧き出る誇りを与える。 僕、同志りょーた先生、生徒、親御さんと共に、伝統を築き上げたい。つばさ塾を卒業する生徒が、どの高校、どの大学、どの会社に就職しても、「自分はつばさ塾卒塾生だから」と誇りを持ち、その誇りが生きていく支えになるような、そんな伝統を創り上げたい。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.06.26
コメント(0)
未来を意識するには、それなりの準備が必要です。今現在の自分が見えていなければ、未来の自分は描けません。ですから、過去 → 現在 → 未来 という順番で目を向け、未来まで目が向けられるようになったら、その目線をより遠くへ、描く未来をより明確に意識していく。こういう考えのもとに、取り組んでいることは、このシリーズ(やる気1~6)にて述べさせていただいております。その中の小学生作文指導におきましては、親御様からこのようなお声をいただいております。 親御様の声 1 お母さん(小5)夏休みに出される読書感想文。それまでは書き始めるところから手伝ってました。大変でした。一人でやらせると1日かけても終わらないこともありました。でも訓練後は自分一人でできるようになりましたよ。手伝うときもあるけど、ある程度書けているので、アドバイスするのも楽になりました。 2 お母さん(小4)作文の訓練を始めて2ヶ月半。3学期の通知表が返ってきました。国語の項目で◎が3つ増えました。算数でも1つ増えました。物事を考える習慣がついたように思います。 3 お母さん(小5)家ではいろんなことを話してくれます。でもそれを文章で書くということは自信がないというか、嫌いなようでした。作文の訓練を始めてからは家で作文の内容を考え、書いている姿をよく見るようになりました。作文を書くことが好きになったように思います。 子どもの作文を読んでみると、「子どもはこんなことを考えてるんだぁ。」と普段の生活の中ではなかなかわからない発見がありました。子どもの心の中が見えること。親としてとても安心できます。 4 お母さん(小4)学校に提出する作文や日記。それまでは、「...楽しかったです。」とか「...と思います。」など、単純な表現が多かったと思います。今は、その「楽しさ」の度合いや、楽しく感じたときの自分の行動まで表現できるようになりました。感情の表現が豊かになったと思います。算数でも変わりました。文章問題を解くときには、文章からいきなり式を書くのではなく、文章から式への考える過程を図に表すようになりました。 もちろん、「未来を意識させること」は、全ての教科の軸にしております。英語を例に挙げさせていただきますと、このシリーズ(イメージ英語にたどり着くまで1~10)にて、英語について述べさせていただいております。 また、テスト終了時、勉強においての最も近い未来、つまり、次のテストを意識してもらうため、自己分析指導もしています。その内容は、このシリーズ(分析→反省→改善 前編・後編)にて述べさせていただいております。 生徒自身が自分の未来を意識し、思い描き、そのために自分を磨いていく塾!!それが私の目指す塾、つばさ塾であります。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.02.16
コメント(0)
子どもが大人へと成長し、世の中で生きていくためには、働かなければなりません。社会人として社会に出れば、それまでに身につけた力全てが試されます。当たり前のことではありますが、仕事とは自分で答えを出していくことです。学校のテストのように、先生が答えを用意してはくれません。自分で考え、自分で行動し、それを繰り返しながら、自分で答えを探すしかありません。様々なことと向き合い、自分で答えを出していくしかありません。そのためには、あらゆることを深く考えることのできる思考力と、それを持続させる精神力が必要です。生きていく力とは、思考力と精神力の総合的なもの私はそう考えています。この力は勉強という場においては、実際、どんな力なのか? 誰かに言われたから勉強するのではなく、自ら積極的に行動し、積極的に学ぶ自学の力。私は、この思考力と精神力を合わせもたなければ得ることのできない自学の力の育成を軸に塾を経営しております。自学とは、自ら積極的に学ぶことであるわけですから、いわゆる「やる気」がなければできません。自ら積極的に行動し、学ぶ。その能動的な行動を惹き起こす鍵は、如何に生徒自身が自分の未来を意識できるかということ。私はそう考えております。つばさ塾の授業を含む全てのことは、生徒に未来を意識させるという方向へ向いております。生徒自身が自分の未来を意識し、思い描き、そのために自分を磨いていく塾!!それが私の目指す塾、つばさ塾です。次回は、具体的にどのような取り組みをしているのかご紹介させていただこうと思います。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.02.16
コメント(0)
いよいよ明日(2/16)からつばさ塾初チラシが新聞に折り込まれます。チラシにはこのブログのことも紹介させていただいてます。つばさ塾ってどんな塾?と、このブログにご訪問くださった方のために、「つばさ塾教育理念」の記事を再び掲載しようと思います。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 僕は塾講師としては今年で9年、塾経営者としては6年が経とうとしています。今まで、たくさんの小・中学生、また、その親御様にお会いすることができました。大変、ありがたいことであります。その中で、胸が痛くなるほど感じてきたことは、お子様の将来を思う親御様の愛情です。僕にも、3歳の娘と1歳になる息子がおります。心の底から子どもを愛している親が、心の底から望むことは、子どもが幸せな人生を送ることだと思います。たとえ自分の命が尽きたとしても、望み続けることだと思います。そんな親が子どもにしてあげたいこととは、子どもの生きていく力を養うことだと思うのです。僕が塾業界に足を踏み入れて間もない頃、高校受験が最終目標だと思っておりました。その浅かった自分の考えを思い知らされる事が起きました。それは、毎日のように塾に通い、5教科合計150点以上成績を上げて見事に志望校に合格した生徒がいました。しかし、その生徒は、わずか半年で高校を辞めてしまいました。学校の授業にもついていけないし、高校生活も楽しくないという理由でした。点数は入学できるところまで到達はしたけれども、高校の授業についていくことのできる本当の学力と、様々な高校生活で起こり得る出来事を乗り越えていく精神力が育っていなかった。僕は自分を責めました。今でも決して忘れることのできない苦い経験であります。高校、大学、専門学校、社会人としても生かすことのできる高校受験にしなければ!そこを見据えた授業をしなければ!そう強く感じました。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.02.15
コメント(0)
未来を意識するには、それなりの準備が必要です。今現在の自分が見えていなければ、未来の自分は描けません。ですから、過去 → 現在 → 未来 という順番で目を向け、未来まで目が向けられるようになったら、その目線をより遠くへ、描く未来をより明確に意識していく。こういう考えのもとに、取り組んでいることは、このシリーズ(やる気1~6)にて述べさせていただいております。その中の小学生作文指導におきましては、親御様からこのようなお声をいただいております。 親御様の声 1 お母さん(小5)夏休みに出される読書感想文。それまでは書き始めるところから手伝ってました。大変でした。一人でやらせると1日かけても終わらないこともありました。でも訓練後は自分一人でできるようになりましたよ。手伝うときもあるけど、ある程度書けているので、アドバイスするのも楽になりました。 2 お母さん(小4)作文の訓練を始めて2ヶ月半。3学期の通知表が返ってきました。国語の項目で◎が3つ増えました。算数でも1つ増えました。物事を考える習慣がついたように思います。 3 お母さん(小5)家ではいろんなことを話してくれます。でもそれを文章で書くということは自信がないというか、嫌いなようでした。作文の訓練を始めてからは家で作文の内容を考え、書いている姿をよく見るようになりました。作文を書くことが好きになったように思います。 子どもの作文を読んでみると、「子どもはこんなことを考えてるんだぁ。」と普段の生活の中ではなかなかわからない発見がありました。子どもの心の中が見えること。親としてとても安心できます。 4 お母さん(小4)学校に提出する作文や日記。それまでは、「...楽しかったです。」とか「...と思います。」など、単純な表現が多かったと思います。今は、その「楽しさ」の度合いや、楽しく感じたときの自分の行動まで表現できるようになりました。感情の表現が豊かになったと思います。算数でも変わりました。文章問題を解くときには、文章からいきなり式を書くのではなく、文章から式への考える過程を図に表すようになりました。 もちろん、「未来を意識させること」は、全ての教科の軸にしております。英語を例に挙げさせていただきますと、このシリーズ(イメージ英語にたどり着くまで1~10)にて、英語について述べさせていただいております。 また、テスト終了時、勉強においての最も近い未来、つまり、次のテストを意識してもらうため、自己分析指導もしています。その内容は、このシリーズ(分析→反省→改善 前編・後編)にて述べさせていただいております。 生徒自身が自分の未来を意識し、思い描き、そのために自分を磨いていく塾!!それが私の目指す塾、つばさ塾であります。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.12.11
コメント(0)
子どもが大人へと成長し、世の中で生きていくためには、働かなければなりません。社会人として社会に出れば、それまでに身につけた力全てが試されます。当たり前のことではありますが、仕事とは自分で答えを出していくことです。学校のテストのように、先生が答えを用意してはくれません。自分で考え、自分で行動し、それを繰り返しながら、自分で答えを探すしかありません。様々なことと向き合い、自分で答えを出していくしかありません。そのためには、あらゆることを深く考えることのできる思考力と、それを持続させる精神力が必要です。生きていく力とは、思考力と精神力の総合的なもの私はそう考えています。この力は勉強という場においては、実際、どんな力なのか? 誰かに言われたから勉強するのではなく、自ら積極的に行動し、積極的に学ぶ自学の力。私は、この思考力と精神力を合わせもたなければ得ることのできない自学の力の育成を軸に塾を経営しております。自学とは、自ら積極的に学ぶことであるわけですから、いわゆる「やる気」がなければできません。自ら積極的に行動し、学ぶ。その能動的な行動を惹き起こす鍵は、如何に生徒自身が自分の未来を意識できるかということ。私はそう考えております。つばさ塾の授業を含む全てのことは、生徒に未来を意識させるという方向へ向いております。生徒自身が自分の未来を意識し、思い描き、そのために自分を磨いていく塾!!それが私の目指す塾、つばさ塾です。次回は、具体的にどのような取り組みをしているのかご紹介させていただこうと思います。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.12.07
コメント(2)
私は塾講師としては今年で9年、塾経営者としては6年が経とうとしています。今まで、たくさんの小・中学生、また、その親御様にお会いすることができました。大変、ありがたいことであります。その中で、胸が痛くなるほど感じてきたことは、お子様の将来を思う親御様の愛情です。私にも、3歳の娘と1歳になる息子がおります。心の底から子どもを愛している親が、心の底から望むことは、子どもが幸せな人生を送ることだと思います。たとえ自分の命が尽きたとしても、望み続けることだと思います。そんな親が子どもにしてあげたいこととは、子どもの生きていく力を養うことだと思うのです。私が塾業界に足を踏み入れて間もない頃、高校受験が最終目標だと思っておりました。その浅かった自分の考えを思い知らされる事が起きました。それは、毎日のように塾に通い、5教科合計150点以上成績を上げて見事に志望校に合格した生徒がいました。しかし、その生徒は、わずか半年で高校を辞めてしまいました。学校の授業にもついていけないし、高校生活も楽しくないという理由でした。点数は入学できるところまで到達はしたけれども、高校の授業についていくことのできる本当の学力と、様々な高校生活で起こり得る出来事を乗り越えていく精神力が育っていなかった。私は自分を責めました。今でも決して忘れることのできない苦い経験であります。高校、大学、専門学校、社会人としても生かすことのできる高校受験にしなければ!そこを見据えた授業をしなければ!そう強く感じました。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.12.07
コメント(0)
先週の出来事。 いつものように仕事をしていると、電話が・・・。 はい、つばさ塾でございます。(まだ開校しておりませんが、現在の塾名をここで書くことはできませんので)あのぉ~、小学生の子どもをもつ母親ですが、入塾したいと思っているんですが、どうすればいいんでしょうか? あのぉ、この冬、チラシ蒔かないんですか? 実は・・・・。毎年、冬期講習としてのチラシをこの時期出しています。が、今年は出さないことにしました。中3は去年から定員。 中2は残り1席。小学生は冬期講習中の授業はありません。だから、冬期講習としては、実質、募集対象学年は中1だけ。来春のつばさ塾開校チラシ内容を練りに練り、年明けてからドカンと蒔こうかなと考えております。またこのブログのことも掲載しようと考えています。チラシを出していないにも関わらず、お問い合わせいただけるなんて、本当にビックリしました。また、チラシが出されることをお待ちいただけるなんて、本当にありがたく、感謝すると共に、ご期待に副えるように、つばさ塾を最高の形で開校すべく、準備を進めていこうと、心の底から思います。 お問合わせいただいたお母様へ チラシを出していないにも関わらず、お申し込みいただきまして、誠にありがとうございます。 つばさ塾をお子様、親御様にとってより良い塾にしていくために、より一層精進してまいります。その第一弾といたしまして、このブログに「つばさ塾教育理念」というカテゴリを設けました。チラシだけではお伝えできない私どもの教育に対する考えを記事にて掲載いたします。少しでも、お問合わせいただく親御様のご心配が軽減することができればと思っております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.12.06
コメント(0)
全35件 (35件中 1-35件目)
1