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毎週日曜日は予定がなければほぼ一日家でテレビを観ていることが多い。今日もそんな日曜日になった。一方この1週間は、姫が切り盛りする家電エレクトロニクスの国際会議の手伝いのため新聞をじっくりと読む機会がなかったので、切り抜いていた記事をまとめて読む日ともなった。1週間単位で世の中の出来事をダイジェストするのは、土曜の夜とか日曜の朝に放送される番組が便利である。月曜日からの主な出来事をおさらいして、識者やそれぞれの立場の人が意見を述べあっている。意見を求められたら皆同じようなことをもっともらしく応えている。ああ、なるほどと思う一方、そのような解説は不要だと思うコメントが多い。そして驚くことに1週間前の事件でさえ、そんなことがあったのかと思うほどに自分の中では起きた事象が希薄になっている。逆に言えば、1週間もあれば色々なことが起こって、次から次へと古い記憶が追い出され、新しいニュースが上書きされて行くようだ。世界が未曽有の経済不況になった震源地アメリカで自動車のビッグ3といわれたGMが再生企業になるという。アメリカといえば自動車の国、日本などとても追いつけなかった時代から、自動車を作り続けて来、そしてつい昨年くらいまでは世界1位販売台数の座を保ってきたGMがこういう結果になろうとは予想だにしなかったわけだが、奢れる者は久しからず、と言う事か、数年前から時代の潮流に取り残された旧態然とした経営に甘んじていたという結果のようである。トヨタなど日本のコンパクトで、性能の良い車を甘く見ていたのかも知れない。地球温暖化、CO2排出抑制、燃費の向上等々決して軽視していたわけではないだろうが、大企業としてあぐらをかいていたことに他ならない。アメリカの場合は、再生企業になっても経営者はそのまま経営を続けていくことになるらしい。いわゆる破産とは違うわけだ。一時期公的資金を導入して、国家管理の会社にする動きもあったが、どうやらその動きは止んだらしい。マグナというカナダの自動車部品製造会社がある。その会社は、かねてから自動車そのものを造りたいという念願を持っていたというが、フィアットの買収を諦め、この度オペルを買収することになったようである。軒を借りて母屋を取られるという言葉は当たらないかも知れないが、自動車あっての部品なのにその部品会社が自動車会社を食おうというのだから驚きである。私などの感覚では下請けが親企業を乗っ取るという感じである。もっとも日本のようなほぼ1,2社に依存する下請け企業とは違って、相手にする自動車会社は、世界中であるから、こういった現象も起こりうるのであろう。昼過ぎからは「新婚さんいらっしゃい」をみて、世の中の夫婦の形態が様変わりしていることを感じると共に、「え!」と驚くようなことや、弱くなった男の有様を観て、これが日本の最大公約数とは思わないが、なにやら情けなくなることもある。それが終わるといよいよ日本ダービーである。知人で「宇宙人」と呼ばれた人に誘われて、一度中山競馬場を訪れたことがあったが、馬券を買ったのはその時が2度目で、その後は馬券を買うこともなく、第3コーナーを回って直線コースに掛かる時の馬を観るのが好きだった。馬にもタイプがあって、先行逃げ切り馬や、追いかける差し馬という大きく二つに分かれるようだ。今回も先行馬が、突出して向こう正面を駆け抜けていったが、第3コーナーで先行馬と目されていたロジユニバースが抜け出し、横山典弘は、15度の挑戦で日本ダービーに勝った。横山は目を潤ませていた。関西と違って雨で馬場が重かったことが500kgを超す馬体重の重い力のある馬に有利だったのかも知れない。昨日連れ合いが、淀の場外馬券売り場で、でたらめに勝った1枚が当たっていた。続いては三菱ダイアモンドカップの男子ゴルフである。同時進行で、女子の広済堂レディースカップの最終日が有り、我が家のテレビは2画面を同時に観られるので、要所要所音声を切り替えてみていた。ここでも、38歳にしてツアー初優勝の兼本が感涙にむせんでいた。ジョーンズとプレーオフに持ち込んだ兼本はプレーオフのティーショットをジョーンズがフェアウェイど真ん中に快打したのに反して左のフェアウェイバンカーに入れてしまった。最早ここまでかと言うところからの大逆転劇であった。若くしてプロになる前に優勝をした石川遼とは違った面が見られ、こつこつと努力することの大切さを教えてくれるような戦い振りであった。女子は、誰もが若い中、今年は賞金女王になるのだと自分にプレッシャーを掛けてそれを弾みにしようという横峯さくらが、優勝をさらった。それまでの苦労を抜きにして語ることは出来ないが、男子は4日間72ホールで3000万円を手にするわけである。普通の労働者の5-6年分を一挙に稼ぐのだと思うとなにやら驚きである。それから、連れ合い達が愛犬のシャンプーをするといって出かけていたので、後からそこまで歩いていった。最近はコインランドリーみたいに、犬のためのシャワー設備があり、そのかなかで、愛犬はシャンプーされていた。再び家に返って、NHKの大河ドラマと、洋画劇場を観たのだが、さすがに疲れて、最後の映画の内容は殆ど覚えていない。かくして日曜日の一日は終わった。
2009.05.31
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4月26日から大騒ぎをしてきた新型インフルエンザが今は何処に行ったのだろうという感じだ。メキシコで豚から発症したというインフルエンザは日本では神戸で最初の発症が発表された。その後、豚という字を付けると、風評被害で、豚肉が売れなくなるとの思慮からか、豚という字を取り除き、新型インフルエンザと名を変えた。もっとも豚からだけではなく、感染した人から人へと移ると言うことで改めて警戒をするべく名称変更したのである。この新型インフルエンザは、先に流行した鳥インフルエンザと違い毒性が低く弱毒性であると言うことだった。メキシコで発生した当時の新聞記事では、メキシコでの死者数は段々と増加し、確か176人程度まで数字が発表されたと記憶する。ところがその後すぐに数字が60人程度と少なくなったのである。メキシコ政府の発表はおそらく衛生状態の悪いメキシコの発生地域の死者をひっくるめて発表したのかも知れない。WHOはこれに基づいていたのかどうか知れないが、パンデミック一歩手前の「かなりのヒトーヒト感染の証拠がある」とされるフェーズ5までするすると基準を上げた。確かに、感染者が一人でも出た国を真っ赤に塗りつぶされた世界地図がテレビ画面を賑わしたので見る方は一見して大流行と感じないわけにはいかない。アメリカのような広い国家に1人出ても全土が真っ赤になるのである。これが恐ろしさをあおる結果となる。桝添厚労大臣が例のせかせかとした足取りで、真剣な顔をしてテレビで危機を訴えるから、また大変である。それが我が町まで飛び火して、これは一体どうなるのだろうかと心配した。兵庫県をはじめ大阪府の学校は一斉に休校となったのである。街を歩くことも憚られるような事態となった。確かに日本では兵庫と大阪に集中している。テレビ放送では、空港での水際検疫の物々しさを映し出し、より一層の危機感をあおる結果となった。これをすり抜けた人が国内に帰りばらまいたというのだから、何のための水際作戦だったのか分からなくなってしまった。時あたかも、姫が準備で奔走していた家電エレクトロニクスの国際学会ではじめに基調講演をする予定だった名誉教授が新型インフルエンザを理由に講演のキャンセルを通知してきたのだ。穴埋めの講演者は「私は高齢だから、多分免疫があるはず」と快く引き受けてくれたと言うことである。当時は、関東では発症例が無く、兵庫と大阪に集中していた。学会の開催地である隣の京都では多分発症例はなかったかも知れない。5月29日現在の厚労省の発表によると全国での発症者は359人で、京都はわずかに2人を数えるだけである。まして60代の発症者は兵庫にわずか3人を数えるばかりなのである。講演をキャンセルしたその名誉教授は、自分で大学の基準を作り、それをベースに講演をキャンセルしたのである。鼎の軽重を問う結果となった気がする。ちなみに、海外からの学会参加者も当然減少したのであるが、それなりに大成功の結果となったのであるが。今回の新型インフルエンザの発表で影響を受けた人は大勢いるだろう。また、危機管理上の問題点も明らかになってきている。20世紀初頭のスペインインフルエンザの4000万人の死者や、20世紀半ばのアジアインフルエンザでの200万人以上の死者、近くは1968年に流行し、100万人以上の死者を出した香港インフルエンザなどとは遠く及ばない言い意味での空振りであった。毎日のようにまるでオリンピックのメダル獲得数を競うかの如き世界の発症例の新聞紙上発表もいつの間にか姿を消し、終結宣言らしきものも無いまま、ずるずると休校は解かれ、世の中は動き始めているようである。マスク屋と、手洗い消毒液屋、うがい薬屋が儲かっただけに終わったのは良かったと言うべきか・・・。
2009.05.30
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北朝鮮が核実験を強行したようだ。今回の実権は3年前の実験に継ぐ2回目の地下核実験だ。場所も北部の咸鏡北道(ハムギョンプクド)のようだ。北朝鮮は、旧ソ連の技術協力で核開発に着手してから、核開発を国威高揚と対外外交政策の切り札に使いまくってきた。おそらく国内的に核開発が整ってきた頃であろうか、一旦は核拡散防止条約(NPT)に加盟しながら、IAEAの脱退に続きテポドンを発射するなどの国際社会の牽制にもかかわらず核に関する開発をやり続けてきたのである。そして、一旦加盟していたNPTをも脱退宣言して、これ見よがしにミサイルを連発したのである。そして、やがて第1回目の核実験をおそらく同じ地区の地下核実験場で行った。これに対して6ヵ国協議の公式の場では、北朝鮮の核放棄を確約する共同声明を採択したのである。ところが制裁となると、ロシア、中国は慎重な構えを見せる。何とか止めさせようとアメリカ、日本を含め他の4ヵ国は躍起になるのだが、共産圏の反応はいまいちである。国と言えるかどうか分からないところでも国連の1票であるし共産主義のフロントラインである。ロシア、中国がすんなりと制裁を加えて北朝鮮を孤立化させるのは得策ではないと考えるのであろう。その通りになって、以降ヒル国務次官補が如何に奔走しようとも、返って、キム・ジョン・ヒルと呼ばれるように、良いようにあしらわれてきて、結果は何らの成果も残っていない。アメリカの思惑もまた不思議である。拉致問題解決などはおそらくリップサービス以外の何ものでもないことは明らかだが、どんなつもりで北朝鮮の口車に乗ったのか、北朝鮮をテロ支援国家から突如外してしまったのである。ブッシュ外交の断末魔の奇行というほかない。続いてオバマ新大統領が就任するやいなや、それを待っていたかのように、北朝鮮はまたまたテポドン2号を発射したことは記憶に新しい。全くもって、北朝鮮の思うがままの流れである。本当に核を拡散を防止する気があるのか無いのか、アメリカも、ロシアもそして中国も、既得権のように保持している核兵器の削減交渉自身が軌道に乗らない。一方では高級で、危険な玩具(核兵器)を持っていながら、弱者が持つことを禁止しようというのだから、どこかに論理の矛盾が生じないわけにはいかない。既に持てる国が全てを捨ててから持つのを止めようと呼びかけるのが本筋だろうけれど、それをやると、どこからか攻撃を受け、自国が破滅するかも知れないというジレンマがある。まるで、俺たちは正常で自制心が十分あるけれど、おまえ達は稚拙だから持ってはいけないといっているようなものである。そんな流れで、大量破壊兵器を有していると誤認して、勝手な論理でアメリカはイラクを攻撃したのである。さらには、ロシアからのヨーロッパ地区攻撃に備えるMD構想はロシアを刺激し、戦略兵器削減交渉の進展にも水を差している。人間の猜疑心というか、個人個人の性格や考え方に違いがあり、十人十色といわれるくらいだから、国の考えはまた国の数だけ存在するわけである。今全世界に国と地域は192ほどあると言うが、その中でも多種多様な民族問題が起こっている現在では、紛争の種192に止まらず、正に尽きないと言える。共産主義が破綻し、市場経済を導入して政経分離的になる一方、資本主義国家は、その格差や、富の配分を誤り、強者と弱者の格差はますます広がる一方で、平等を訴え、共産の基本理念を追及し始める。いずれにしろ、民主主義という大義名分はどこでも通用すると思う基本概念であると我々サイドは思うのだが、世界中で、どうしてそれが受け入れられないのか不思議である。今回の北朝鮮の2回目の核実験で、ロシアは、1回目に比べてより強い態度で臨もうとしているらしいが、中国は未だに慎重である。今迄もこれからも2枚舌を持っていないと外交はつとまらないようだが、中国が何故逡巡するのかよく分からない。インドとパキスタン、シリアとイスラエルなどそれでなくても核の火種はいっぱいある。リビアや南アメリカは、核兵器を廃棄したと言うことになっているし、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナ等は、ソ連時代の核を継承していたが、ロシアに移管してしまったという。北朝鮮やその他の核保有疑惑国もこれらに倣って欲しいものだ。世界中の人は知識として核の恐ろしさや悲惨さは知っているはずであるが、原爆が2度投下され、この世の地獄図を知っているはずの日本人でさえ、本当の悲惨さを身をもって体験した人はもうわずかな数になっている。このように考えてみると、人類というものは、如何に愚かしいものであるか、学習能力が無く、自らが自らの生命ばかりでなく、地球という得難い惑星そのものを破壊していく状況が頭をかすめるのである。それもこれも神が与えたものなのであろうか。映画「天使と悪魔」を見た後だけに、人間の精神面と科学の発展の調和が十分調整されなければならないと思った。
2009.05.29
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今日は家電国際学会の最終日であった。昨日のバンケットでピークは過ぎ、今日は午前中のセッションだけだったので、手伝う仕事もあまりなく、淡々と過ぎ、昼前には無罪放免となった。(と思った)外に出ると少し雨模様であったが、車は姫が乗って帰ると言うことで連れ合いと二人電車で帰ることにした。新型インフルエンザも峠を越したことだし、かねてから見たいと思っていた映画「天使と悪魔」を見ようと言うことになり、いつも行く高槻の映画館を目指した。映画は科学と宗教のせめぎ合いが根底のテーマのようであった。いきなりCERN(欧州原子核研究機構)が開発した一周27kmの大型ハドロン衝突型加速器が登場した。ここで、科学者達が陽子イオンを光速の99.9%まで加速し正面衝突をさせて、通常の物質を構成する反対の性質を持つ原子からなる反物質を作るのに成功したのだが、それを何者かにより奪われた。奪われる際、網膜チェックのセキュリティーをくぐり抜けるため関与した科学者の目玉がくりぬかれているというショッキングな場面から映画は始まった。反物質と物質が出会うとその時膨大なエネルギーを放出して消滅するという。奪った犯人は金目当ての非情な殺人者(アサシン)であり、何者かに報酬をもらいながら有力な4人の枢機卿達を誘拐・殺人していくというものだ。時を同じくして、10億人のカトリック教徒の頂点であるローマ法王が突然死去するという事態が起こる。その昔、ガリレオが発表した地動説などはあまりに急進的で、当時の宗教界は神を冒涜するものとして受け入れなかった。当時こういった科学の先端を行く啓蒙、開化を意味する「イルミナティ」で総称される、例えばテンプル騎士団、シオン修道会、アサシン、フリーメイソン等の秘密結社を異端だとして、1785年にローマ教皇・ピウス六世により、これら結社を全面的に禁止弾圧した当時の宗教界に対する科学側の報復という位置づけである。科学に理解を示すローマ法王の死去に伴う次期法王選挙が行われようとするコンクラーベと呼ばれる枢機卿達の会議に先立ち最も有力な次期法王候補である4人の枢機卿達が誘拐されたのだから大変である。こうして、昔の宗教対科学の対立が今に持ち越されたというわけである。ローマ法王はヴァチカンにいるが、それを護るのはスイスの警察機構で、それとヴァチカン警察、ローマ警察が複雑に絡み合っている。犯人の残した謎の烙印とこれら一連の事件の解明のため、古代からの宗教・図形・紋章等に代表される象徴学の権威ロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)がその謎解きのために招請され、殺された科学者の娘(アイェレット・ゾラー)と共に活躍するというものである。4人の枢機卿は暗殺者(アサシン)により次々と殺されていく。宗教界で当時四大元素と考えられていた「土、空気、火、水」の焼き印を押されて枢機卿達は、それぞれの元素にちなんだ方法で次々と殺されていくのである。これはその昔宗教界が異端としたイルミナティの要人を同様な方法で処刑した事への報復である。映画は、この暗殺者からのメッセージを解読し、暗殺の場所を追跡していくという謎解きを絡めたストーリーで展開される。3人の枢機卿までは、努力のかいもなく焼き印を押されて殺されるが、「水」と刻印された最後の枢機卿はかろうじて噴水のプールの池から助けられる。実は、既に宗教が是認し始めた科学に対し、殺された法王はより理解が深かった。こういった事実に関して、この法王にかわいがられた若い司教の一途な旧態然とした宗教への思いが、科学により神聖な神の力を冒涜し、宗教が科学によって侵されていくのを危惧したことが根底にあった。この若い司教は、反物質が残り少ない時間で物質と融合しそのエネルギーでヴァチカンやローマをも火の海に化すというすんでの所でヘリコプターにそれを持ち込み自動操縦で上空高く舞い上がり爆発させ、自分はパラシュートで脱出して救世主として迎えられ、あわやのところでローマ法王になりかけるという展開であった。ところが、結果的には全てがこの司教の仕組んだ計画だったことが判明し、最後に救われた水の烙印を押された枢機卿がコンクラーベの結果新しいローマ法王に選出され、コンクラーベが成功裏に終わったという印の煙突からの白い煙と共に民衆の前に姿を現すと言うことになる。宗教と科学の対立を、物質と反物質の対比に置き換えたのであろうか、世の中の矛盾や無知を段々と解き明かしていく中、宗教がどうあるべきかを問うことにもなっていると感じた。息もつかせず展開していく推理と、すんでの所で殺されていく枢機卿達、そしてその黒幕は?という映画の展開は、時間を感じさせないものであった。最後にこういった内容と経緯を知らない民衆の前に立ち祝福を与える新法王、つい最近ベランダに立った現法王ベネディクトゥス16世の映像を、ベランダ側から見るという結末であった。ローマ時代から営々と続くローマ法王(教皇)の歴史の裏には一体何が隠されているのだろうかと考えさせられるシーンであった。映画の終わり頃に、姫から連れ合いにメールが入ったようで、また京都に迎えに行くこととなり、なにやら一日が大きな二つの流れを分断されたような結果となった。
2009.05.28
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2日前から始まった国際学会は3日目の最盛況の日となった。今日は連れ合いの方は午前中授業があるので、私だけが朝から詰めることになったが出かけるのが少々遅れてしまい、着いた時には、既に受付の準備は整っていた。あわてて一緒に家を出たので、連れ合いは携帯電話を忘れてきたという。昨日は、ほぼ終わりに近くなってから到着したのだが、1日中詰めていた連れ合いの友人の話では、特に何もすることはなく、時間をつぶすのが仕事のようなことを聞いたので、今日もそんな程度かと思ったのだが、意外と出番が多かった。今日の基調講演は午後5寺から元ソニー会長の出井さんがされることになっている。そのために花束を贈呈するので、注文し受け取るための電話をしたり、2時から開始するポスターセッションのパネルに誰がどこに貼るのかを示す名札を貼り付けたりと忙しく過ごした。勿論たいしたことはないのだが、とにかく暇をもてあますと言うことはなかった。そうこうするうちに昼が来て、学生のお母さんが作られたといういなり寿司を数個ほうばった程度で、切れ目のないなにやらあわただしい時を過ごした。ポスターセッションのパネルを貼り付けに三々五々色々な人が現れる。インドネシア、台湾、ドイツ、中国、アメリカ等々多彩な顔ぶれであり、さすが国際学会という雰囲気である。勿論日本の関係者の人達もポスターを貼りに来る。その間に、一階上の6階の会場では、プロジェクターを使ったプレゼンテーションが行われていた。姫の大学の3回生の女性が発表するというので、聴きに出かけたが、内容はとてもついて行けるものではなかった。写真を撮ったり、質問者とのやりとりを聞いたりの時間だったが、会場にはさほど多くの人は集まっていなかった。忙しく学会の裏方を取り仕切る姫自身も午後からプレゼンテーションを行うことになっているが、まだ準備が整っていないと言いながら、あれこれと忙しく動き回っていた。いつ自分が発表するのかを聞いても、巧くできないからと言わないので、リストから探し出した。もうそろそろ連れ合いの授業も終わったであろう時間に、家の方に電話を掛けると、丁度その時帰宅していたとのことで、連れ合いが電話口に出た。姫のプレゼンテーションを是非聞きたいとのことで、慌ててきたのであろう、再び携帯電話を持って来るのを忘れたという。姫の発表の時間にようやく現れた連れ合いは私と一緒に再び6階のプレゼンテーション会場に出向き、姫の国際学会での発表振りを、後部の座席で聴いていた。発表も質疑も勿論英語であるし、内容も殆どちんぷんかんぷんであるが、何十回も国際学会の舞台で鍛えられた姫のそつのない説明と質問に対する応答を満足げに聴いていた。一方、4回生の学生はポスターセッションでパネルの前での説明をすることになっていたようだが、来た人にどのように話し始めたらいいのかと言うことをまじめな顔で聞きに来るほど英語を操るのが苦手のようであった。連れ合いの友人は、その後もパネル張りの手伝いや、コーヒーの準備、駄菓子の配置など忙しく立ち回っていた。正式には2時から始まるポスターセッションも、数枚のパネルが空白のまま、暫時早めに始められていた。午後3時を過ぎると会場を変え、隣のホテルに受付を移動しなければならない。夕方の基調講演の式次第のタイムテーブルを作成する仕事をしてから受付と共に、会場はホテルに移動した。最高級のホテルの大広間では、既に300人分のテーブルが用意されていて、華やかな雰囲気であった。出井さんが到着され、基調講演が始まったが、その時間には、まだ会場はちらほらと空席が目立った。出井さんは流ちょうな英語で、開口一番ここに集まった人達は勇敢であると、新型インフルエンザに触れられた後、京都のすばらしさや、今後のエレクトロニクスのリーディングカンパニーは、群雄割拠であるような内容を1時間ほど講演された。その後、優秀論文の表彰になったが、3つの採択された優秀論文の著者は全員不在であった。これも新型インフルエンザのためかと少し残念な気がした。バンケット開始まで、少し休憩があったが、当初の予定は、7時に開始と言うことで案内していたため、30分早まった開始時間には、まだ空席が目立ったが、7時を過ぎるとほぼ満席の状態になり、国際学会の山場は成功の雰囲気の内に過ぎていった。最終近くに芸妓や舞妓による踊りが壇上で行われ、外国人のカメラの放列が出来上がっていた。その後、舞妓や芸妓が会場を歩き周り、外国の人達と一緒に写真を撮るなど、外国の人達にとっては良い経験をしたと思ったことであろう。私自身も間近で、芸妓や舞妓をまじまじと見たことがないくらいだから、それだけでも外国人には喜ばれたと思われた。インフルエンザをはじめ色々なハプニングもあったが、日本での初めての家電エレクトロニクスの国際学会は、姫の奮闘の甲斐あって成功裏に終わりそうである。明日は午前中のプレゼンテーションが予定されているが、あまり人は集まらない感じがしている。今日のバンケットが華やかに成功したことで、多分明日はくすんで見えることだろう。
2009.05.27
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今日も京都では国際学会が開催されている。私は、かねてよりのゴルフコンペに参加する方を選択した。午前中の基調講演の司会は、私の友人がやってくれている。また、受付の業務はスムーズに行っているし、連れ合いの友人が詰めてくれている。まあ、心おきなくゴルフに専念できる環境であった。例によって、早く目覚めて、出発は6時半にはなっていなかったかも知れない。通い慣れた道を通るのだが、新緑が広がって、車で走る町並みは少し変わって見える。山道にはいると同じような様子だが、矢張り緑が新鮮だ。朝の道は空いているので、ゴルフ場に到着したのはスタート前1時間であった。既に今日同じ組の先輩を含め3人目の登録だった。なにやら他にもコンペがあるようで、レセプションには「シニア・レディスコンペ」とあった。朝は十分に身体を伸ばしておかないと身体が巧く回らないので、パター練習もそこそこに、ドライバーの素振りや、ストレッチングを開始した。そうこうするうちに、もう一人の幹事の先輩も到着され、見慣れた顔ぶれが揃ってコンペ開始の運びとなった。いつものことだが、メンバーの多少の変更があり、組み合わせ表のスリップが渡された。私の組も、出場予定の女性の方が、ご主人の具合が悪く来られないとのことで、違う名前が書かれていた。なかなか追いつけない先輩と、後で聞いたが、初期の喉頭ガンから復帰された人、さらにゴビ砂漠だったかを30日ほど掛けてラクダと共に踏破した人と一緒だった。この2人はコンペでのハンディーは共に40とあまり上手ではない感じである。不思議とこんな組み合わせの時はリラックスできるのが私の性格である。途中棄権を含めて28人の出場であるが、私よりハンディの多い人は6人しかいない。もうそろそろ優勝しないと、またハンディーが上がり、その意味ではあまり嬉しくない。インからのトップスタートでトップはいつもキャディ付きだ。一人現れるのが少し遅れ、あわててスタートすることになった。全ホールを通じて、パー3ではワンオンすることがなかった。何故かこのコースでは気負いすぎるのかいわゆるチョロやバンカーに入るケースそしてカラーに止まるケースなど褒められたショットは出来なく、従ってニアピンの候補にすらなれない。勿論ドラコンで戦えるほどのパワーもないし、かといってドラ短を狙う余裕すらない。パー5で一度だけバーディーチャンスがあったが、パットが沈まずパーで終わったのは悔しかったが、そのホールはミス無しだったのは嬉しかった。今日はOBは無かったものの、どうも相性の悪い打ち下ろしの短いホールで、いつものように木の葉っぱに当たり手前のクリークに落としてボールを見失ってしまった。一緒に回ったガンから復帰の方は、私の肩が巧く回っていると盛んに褒めてくれるが、良いショットが出るとその後フェアウェイでダフったり、グリーン周りでチョロしたりでなかなかスコアがまとまらない。フロントハーフは完全にダブルボギーのペースで、1回パーを取ったぐらいである。50を切れず今日も優勝はないとがっくり来たが、メンバーに恵まれて、結構楽しく回れた。今日は沢山人が入っているらしく、いつものようにスループレーは出来ず、1時間半近く待つことになった。ハーフの休みで早めの昼食を摂ったが、主に病気の話や、健康の話に花が咲いた。この歳になると、誰でもどこかが痛んでいる、月に1回か2ヶ月に1回は医者に通っておいた方が良いとの話になった。また、ゴビ砂漠を踏破した人の話では、一緒に行ったラクダが死んでしまうというハプニングもあったようだ。この人はコースでは絶対に歩く主義で、今迄カートには一度も乗ったことがないという。もう一人の方もそれにつられて後半は歩くようにしておられた。先輩はミスもあるが、要所要所ではびしっと決めるシャープなところがあり、ドライバーもいつも置いて行かれる。ガンとラクダの2人は同ハンディーで、前半を終わって既にブービー争いをお互いに意識していた。私の後半は少し巻き返したものの、やっと50を切るような有様で、上がってみれば27人中グロスで私を下回る人は9人だけだった。優勝者はグロスも83と素晴らしく、ネットでは65と、上位4人はアンダーパーというレベルの高さである。私がもしこのコースの自己ベストを出していても2位にしかなれなかった勘定だ。とは言いながら、上位3人は次回からハンディーが下がり、他は1つずつ上がる決まりなので、次回くらいは優勝に絡まないとハンディーの面でもよろしくない。最後の表彰式では、飛び賞にも当たらない8位という結果になってしまった。まずはコンスタントに100を切ることが出来るのが当面の目標である。京都の学会の手伝いも気になっていたので、表彰式後そそくさと帰路につき、授業から帰って待っていた連れ合いと京都まで出かけた。
2009.05.26
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家電エレクトロニクス製品に関する国際学会が午後からあった。姫がずっと以前からこの日のために徹夜に近い程過酷な状態を続けて準備をしてきた学会である。エレクトロニクス分野では先端を行く日本としては、13回目にしてやっと日本で初めて行われるというのはある意味で遅すぎる感じもしないわけではない。私と連れ合いはその受付のスタッフとして助力することになっていた。他にも私の中学時代からの友人で、外国語大学から家電メーカーの広報を勤め、ニューヨークへも駐在していた友人が司会を手伝ってくれた。もう一人は、連れ合いの学生時代からの同窓生で、学校に奉職してからの同僚でもある元先生に手伝いをお願いしていた。始まる前までは、学生の英語がつたないという心配でその補助という意味でのお手伝いのつもりだったが、蓋を開いてみると、国際学部の英語、中国語、韓国語の学生が全面に立ってくれたお陰で、受付業務は何の遅滞もなく行われた。その意味では我々は肩すかしを食った感じだったが、細かい手伝いとも言えないことで時間をつぶすことになった。ニューヨークに駐在していた友人は、久しぶりに使うという英語ではあったが、司会の業務をスムーズにこなしていた。さすがに鍛え上げられたもので、ただただ感心してみているばかりであった。この友人を引っ張り込んだという功績だけが私が助力した証となったわけだ。元々この友人には、翌日の学会終了後の京都市内を案内すると言うことでお願いをしていたわけだが、新型インフルエンザのために、市内ツアーは急遽廃止となって、それではと考えていなかった司会業務をお願いできないかと言うことになったわけだ。快く引き受けてくれて、今朝は早くから会場に来て貰い、必要なブリーフィングを済ませて、いきなり午後からの司会となったのだが、それが実にスマートに行われたので、お願いした方としては有り難い限りであった。我々も英語の補助という役回りであったが、彼の前ではなすすべもなく、矢張り基礎から英語をたっぷり使ってきた者との差を感じないわけにはいかなかった。姫は八面六臂の働きであり、ありとあらゆる作業を仕切り且つ学生達に指示をしていた。今回の国際学会を開くことだけでも大変なことだったのに、そこに折悪しく新型インフルエンザの大騒ぎが重なったから大変である。市内ツアーの中止だけでは済まず、最初の基調講演者が、大学方針で参加できないと言うことになり、穴が開いたその時間を調整するのに余分な時間を使ったようである。週刊誌の見出しでは、橋下大阪府知事が、大騒ぎを喧伝した桝添厚生大臣を3回しかったとの電車の中吊り広告にあったが、正に今回のフィーバーは、考えてみれば過剰反応であったような気もする。穴埋めにお願いした先生は、いとも簡単に「今回のインフルエンザは年寄りは掛からないから」と気持ちよく引き受けてくれたという。何だかえらい違いである。命にかかわるようなことでもないインフルエンザに対して過敏に反応する方もそうだが、貴重な国際学会の基調講演をキャンセルするなどとは、なにやら鼎の軽重を問うものだと思った。レジストレーションが終わり、オープニングセレモニーの後代理の講演があって、順調に学会は進行した。その後ウェルカムセレモニーは、沢山の人が、和やかに結構長時間歓談していた。我々もそのご相伴にあずかったわけだが、和やかに外国の人が集い歓談しているのを見るのもなかなか良いものであった。
2009.05.25
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明日から開催されるISCE2009の京都での国際会議のため、機材を会場に運ぶお手伝いをした。お手伝いといっても、主にした仕事は、実際に働く学生さん達へのお弁当を運ぶことや、注文してあった、会議宣伝用の「幟」を取りに行くという程度のものだった。明日からは日本をはじめ海外からの会議参加者を迎える受付業務が始まる。昼のお弁当を食べながら新聞に「武器輸出三原則を緩和」の記事が第一面に取り上げられているのを見た。政府が武器の共同開発や生産を容認する方向だという。その昔、第二次世界大戦の敗戦の帰結として、マッカーサーのGHQから与えられた形の日本国憲法が発布されたが、その第九条には次のようにある。第二章 戦争の放棄 〔戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認〕第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。とある。実に明確なこの文章は今や、化石化されている。敗戦後、警察力の不足を補うための武装部隊として警察予備隊が設置され、それが保安隊となり、陸上自衛隊となった。陸があれば海や空と、海上自衛隊や航空自衛隊と段々と拡張され、マッカーサーの指示を元に作られた時は、在日米軍を補完するためのもので、「Reserved Police」と訳されていたようだ。要は、警察力の不足を補うとの趣旨であったのだろう。それともう一つは、日本近傍での国際紛争の時に調達するためのアメリカの予備軍という頭があったのであろう。日本も、これを最初保安庁と位置づけていたが、やがて、防衛庁となり、ついこの間防衛省と格上げされたばかりである。押しつけの憲法だから改正すべきとの意見が出ているが、これは当たらないと思う。この九条に関しては、世界のどこにも例を見ない立派な平和宣言をしている単純明快なものである。ところが実態は、軍隊でないはずの自衛隊が肥大化し、世界でも予算の額だけなら、米国、ロシア、中国に次いで世界4位と強大な力を持つようになった。これを軍事力といわず、専守防衛のためのものだと今でも言い張っているわけだ。イラク給油等に続き、アフガンへの派遣の問題などが次々と矢継ぎ早に出て来るであろう。政府はその都度拡大解釈をとり続けた。今回の武器輸出三原則は佐藤元首相時代の時代に、以下のような国・地域の場合は「武器」の輸出を認めないこととした。1.共産圏諸国向けの場合 2.国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合 3.国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合 その後、三木元首相の時、武器禁輸措置をとられた国、及び紛争地域への武器輸出を禁止したものであり、他の地域への武器輸出は「慎む」とされ、歴代内閣はこれを堅持しており、基本的に武器および武器製造技術、武器への転用可能な物品の輸出をしていないのが現状である。その後民生用のエレクトロニクス製品の転用で、他国で軍事用に使われる事態も起こり、混乱している状態が続いている。そして今回の見直しの開始である。人類が辿る道、すなわち力による覇権の道と、その後の没落、そして反省それから少しずつ立ち直り(?)人間の還暦を過ぎた頃には、もう過去のことは忘れたかのように別の力学が働いて、なし崩し的にまたもとの道に帰って行くのである。今回の見直しは、武器輸出産業などへの配慮があるのであろう。攻撃するわけでなく造った、戦車や、護衛艦は、防御だけしか使えないわけではない。勿論する気になれば、攻撃だって出来るわけである。どこまでを武器輸出とするのかは議論もあるだろうが、近くは、武器輸出業者と防衛事務次官の癒着など、色々な弊害の副産物も生む。一応、禁輸対象国には、テロ支援国家や人権侵害国、輸出入の管理がずさんな国などは除くとなっているが反面、昔蛇蝎のように嫌っていた共産国は対象から外すという。隣の大国中国は共産国家ではないのか?22日の新聞では、記事は小さかったがこの中国が、射程距離200kmのロケットをスーダンに輸出したとあった。スーダンは、内戦で数百万人の人を殺した国であり、人権が確立した国だとは思われない。このようにして、なし崩しに人類が辿る愚かな繰り返しの道を、日本もまた次の一歩を踏み出そうとしているわけである。人類は愚かなものである、痛みを忘れた瞬間から次の痛みを受ける準備をするのであるから・・・。
2009.05.24
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見るとは無しにテレビを見ていると、テロップが流れた。韓国の元大統領が「登山中滑落して死亡した」というのだ。盧武鉉(ノムヒョン)大統領がこの時期に事故?そんなことがあるのかと思っていると、時間が経つうちに段々正確な情報が伝わってきた。どうやら不正資金疑惑捜査の強い心労から自宅裏山の30mの崖から飛び降りたのだという。国家のトップに上り詰めながら、自殺をしなければならないとはよほどのことであろうが、それは本人自身も関与していたのか、妻や周りの不正な資金受領なのかの真実は闇の中になってしまった。政治家の金にまつわる不正は世界中でつきものである。先ず思い出したのは、ニクソン元大統領のウォーターゲート事件や田中角栄のロッキード事件などがある。妻が関与したと言うことでは、フィリピンのマルコス大統領のイメルダ夫人のことが挙げられるであろう。日本の最近の政治家の自殺では次の人達がいるようだ。中川一郎、松本幸男、名尾良孝、新井将敬(★)、中島洋次郎(★)、永岡洋治、松岡利勝(★)、永田寿康。中でも★印はお金にまつわることがその大きな原因となっているようだ。そう言う意味では、政治家を志す者は、神経図太く、巨額の金を左右しても何とも思わないくらいの大物(?)かお金に清廉潔白な人物でなければならないと言うことか?世の中、金が十分あったら、最後に名誉を欲しがると言うが、名前は忘れてしまったが、国会の入り口からよぼよぼトロトロ歩いて着席しなければならないまで必死に議員の席にしがみついた人もいて、国会に銅像を建てて貰うことが最後の目標になっていたというあきれた議員もいた。最後まで投票する選挙民もどうかと思うが、今回の盧武鉉前大統領はそういった政治と金との問題を改革して、綺麗な政治にしようとして、盧泰愚、金大中に次いで大統領に選ばれた経緯があるだけに今回の結末はどうにも納得がいかないところである。最後に遺書らしく家族に迷惑を掛けて申し訳ない旨、言葉少なに書き残していると言うが、国民に対しては何の謝罪もなく、家族そのものが不正疑惑の渦中にあることを考えると、一体誰のために政治を行ってきたのかと言う思いである。日本では政治と金はつきものというが、世界中どこでもそうであるように、おそらくは金が権力を呼び、権力がまた金を呼ぶ構造は古今東西の歴史から見て不可分であるようだ。世襲問題にも繋がることだが、政治をうま味のある楽な商売にしてはならないと思う。今時考えられないことかも知れないが、グローバルに天下国家を憂う人が出てこない限り、そしてそれが望み薄である限り、この問題は終わりがないであろう。一体人間はどれだけ蓄財すれば満足するのだろうか?子々孫々の繁栄を願うのは本能であろうが、巨額のお金は、内紛の元にもなるし、見にくい歪みを生むこともまた事実である。お金に無縁の者の考えることではないのかも知れないが、矢張り為政者たる者お金には清廉な人であって欲しい。昨日、定年間際に勤めていた会社が、この5月で精算するという事を聞いた。その元社長というのが、典型的な自分の家本意のオーナー社長であり、会社は精算してもちゃんと私財は蓄財しているという人間である。そんな会社を選んだことが自身の不明ではあるのだが、天下国家のトップを直接選べない以上、自らは襟を正してくれることを願わざるを得ない。韓国の検察の鋭さが生んだのか、元大統領が弱かったのかは分からないが、韓国の検察は日本の検察よりは、政治家に対する姿勢は厳しいのではないかと感じた。
2009.05.23
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以前、自動で演奏するおもちゃのバイオリンを買っていたが、連れ合いの孫がそれを気に入って家に来ては持ってしばらく遊ぶのが好きだった。何かの拍子に取り落としたのか、鳴り出したら止まらなくなって、しょうがなしに電池を出して、置いていたが、孫はそれを自分の責任で壊したと気に病んでいる風もあり、また使いたいそぶりも見せた。そこで、連れ合いの学校の同僚で、こういう事に手なれた人に見て貰い、半田で修理して貰って再び使えるようになっていたが、それも束の間、孫が使っているとまた急に鳴らなくなった。連れ合いは再びバイオリンを持ってその同僚に治るかどうか頼みに持って行ったようだ。夕方にはバイオリンが修理できたという電話が入ったようで、孫もきっと安心することだろう。その後連れ合いは別の友人と昼ご飯を共にして、姫と約束していた国際学会の資料準備の手伝いに大学まで出かけた。大学の実験室を使っての参加者に配る資料を仕分けしているところに途中から参入した。昨今の新型インフルエンザの蔓延で、国際会議そのものも開催を危ぶまれていたが、どうやら2日目の夕方の市内ウォーキングだけは取りやめとなったものの、学会自体は開催することになったようである。参加者も300名が250名程度と減少したのは、日本国内の会社や大学の事情で参加を見合わせた人達が多かったようだ。それでも、250名もの資料を名刺毎に参加申し込み費用の領収書と照らし合わせてクリアファイルに入れていく仕事は結構時間が掛かった。発見したことは、Bで始まるファーストネームの人が一人しかいなかったことだ。QやXなども殆どいないが、逆にTで始まる人は大勢いた。手伝っている学生2人も、自分たちの発表準備をそこのけで頑張っている。連れ合いと私が参加したことで、少しは助けになったのか、途中で外部のスーパーに弁当を買い出しに行って夕食の変わりとして頑張った結果、この日予定の仕分け作業は終わったが、時間は夜のの9時を過ぎていた。準備された資料は、几帳面に出来ており、これを毎日姫がほぼ一人で作成していたのかと思うと、その大変さが実感できた。担当する教授も挨拶に来られたが、その後は教授室で、仕事に集中しておられるようだった。とりあえず終了したので外に出ると、雨がしとしとと降っていた。雨の京滋バイパスを突っ走って帰ると、宇治東を過ぎた辺りから、ようやく雨は止んだようだ。帰りに愛犬を散歩させたところ、急にけいれんを起こしはじめあたふたして身体をさすっているとけいれんは止んだが、今度は急にくるくると回り出した。既に老犬であるために以前にも同様のことがあったようで、身体をコントロールする機能が壊れているようだった。可哀想だがどうしようもなく、連れ合いは一緒にいて落ち着くのを見守ってやっていた。少し落ち着いたようで、家に帰るともう夜中近くになっていた。
2009.05.22
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今朝は曇り模様だが雨は降っていなかった。その分昨日より随分凌ぎやすい温度だったので、ゴルフは今日するべきだったなどと話した。天気予報も直近のものを見ないとずれ込むことはある。新聞に新しいアメリカの駐日大使が決まったとあった。庶民の我々にとっては、直接関係を感じたことはなかったが、日本がアメリカからどう思われどう扱おうとしているかの試金石にはなるのだろう。新聞の内容を練習がてら表にしてみた。 歴代の米駐日大使(敬称略)●=知日派、◆=外交官、■=政界の重鎮、★=財界、※=親しい知人氏名任命時期過去の主な役職分類エドウィン・ライシャワー 1961年3月日本通の学者●アレクシス・ジョンソン 1966年9月国務次官代理◆アーミン・マイヤー1969年5月イラン大使◆ロバート・インガソル1972年2月シカゴ商工会議所理事★ジェームズ.・ホジソン1974年6月労働長官★マイケル・マンスフィールド1977年4月民主党上院院内総務■マイケル・アマコスト1989年4月国務次官◆ウォルター・モンデール1993年8月副大統領■トーマス・フォーリー1997年11月下院議長■ハワード・ベーカー2001年5月共和党上院院内総務■トーマス・シーフアー2005年1月大統領と共同で球団経営※という面々だ。1960年代は、安保改訂などの日米関係が騒々しかったので、日本をよく知る人材が当てられたと有り、1970年代には日米貿易摩擦などの懸案で、政界重鎮らが起用された。その後は日米関係を大きく揺るがす心配の無いようにと政府や議会の重鎮が据えられたようである。その後はどうだろうブッシュ前大統領のベーカー氏は上院の院内総務を務めた人らしいが、要はブッシュ前大統領のお友達である。今回指名される前には、北朝鮮問題で、にっちもさっちもいかないまま投げ出した、キム・ジョン・ヒルことクリストファー・ロバート・ヒル氏もノミネートされていたようだが、結局はオバマ大統領の選挙活動中に巨額の集金に力があった、お友達のトーラス・シーフアー氏が指名されることになったようだ。日米の関係が巧くいっている、すなわち、小泉前首相時代から、従順なアメリカの犬であることを表明し続ける日本の外交姿勢に、アメリカはさほど日本を重視しなくなっているのが読み取れるような気がする。建て前は、日米関係が基軸といいながら、放っておいても日本は付いてくる、現在の真のねらいは、矢張り中国やロシアであり、世界の警察の威信回復にとアフガン問題に集中しようと言うことかも知れない。日本の政治が大きく変わろうとしている、民主党が政権を奪取するかも知れない、そんな対策は感じられないような気がする。というか、民主党政権になっても、日米安保は横滑り的に引き継がれるように理解されているという方が正確なのかも知れない。日本では、お友達をお酒や、女の不祥事で、かばいきれなくなって辞任していただいた閣僚や政府要人がいる。どうもそんなことから、出自の正しいお方のお友達には眉唾を感じざるを得ない環境であるから、アメリカのお友達大使にもついついそんな予見を抱いてしまう。オバマ氏は、黒人初の大統領であり、厳しい環境の中、大統領に上り詰めた人だから、日本の軟弱世襲首相とは違ってお友達もしっかりしていると思うことにしたいが、集金の達人と聞いて、なにやらホリエモンやインサイダー取引の村上世彰等を思い出して、どうなのだろうかと思ってしまう。
2009.05.21
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インフルエンザ蔓延の昨今、学校が急に休校となり、臨時講師である連れ合いは、夏休みの補習授業と引き替えに休みになった。学生や生徒には外出禁止が勧告されているようであるが、臨時講師にはその縛りはないとのことで、急に思い立っていつもの一庫ゴルフに出かけることになった。急だし、昨日もコンペでゴルフをした75歳の姉は無理だろうと思いながら、念のため声を掛けると、一も二もなく一緒に行くという。2日連続で疲れないかというと、「いつもゴルフ旅行は、到着日と翌朝の2ラウンドが普通だから平気」と恐るべき後期高齢者である。当初行くのをいぶかっていたのは、ひとえに天候だけであった。前の天気予報では、今日は雨だったという。ところがずれ込んだのか、今日は、前に経験したと同じくらいに真夏日に近い天候下でのゴルフとなった。始まる前はさほどでもなかったが、2-3ホールを経過すると、もう汗びっしょりとなってしまった。昨日少し涼しかったのが羨ましいくらいだ。それでも沢山のパーティが来ていた上に、どうやらコンペがあるようだった。たまたま我々の前の組は、男性ばかりの4人であったが、そのマナー(スロープレー)の悪さに悩まされた。実に時間を掛けるのである。グリーンに乗ると短い距離でも一々マークし、芝目を読んで(読むような芝目のグリーンではないのだが)おもむろにパットするが再び、同じ距離を外してまたマークで同じ事を平然とやるのである。何百万も掛かったプロの選手のパターのマネをしているのだ。そして後ろが詰まっていることなどいっこうに眼中にはないらしく、悠然とゆっくりした歩調で歩くのである。4人が4人ともそれをやるから、待ち時間が多くなり、後ろからの比較的上手な3人組に常に追い立てられる有様だった。待ちチョロもそうだが、暑い炎天下で、ただ待つというのは辛いものである。じりじりと焼けてくるし、持って行った飲み物も既に飲み尽くして、ただひたすらに追いかけ待つのだ。言い訳ではないが、後半の3ホールは完全にばててしまい、チョロやOBを出すなどさんざんであった。そんなことで、スコア自体は完全に予定外のものとなってしまった。安かろう、詰め込め主義であるから何とも言いようがないがもう少しマナーを先に勉強してきて欲しいものである。それに加え、クラブ側がフェアウェイの芝をプレー中に堂々と刈るのである。今打とうとするその方向であっても平気なのだ。あんちゃん帽子だけだし特にプロテクトした装備も無い芝刈りの機械に乗ってだ。ティーショットをしようとしてもエンジンを止めて待っているわけでもないので通りすがりに、「君、ここにいるとボールが当たって死んでしまうかも知れないよ。君が死ぬのは良いが、死なせた方はたまらないから何とかならないか」というとすみませんという。言うと、理解はしているかの受け答えだから、これはコースの管理をプレー中でもやれとのクラブの指示があってのことだろう。矢張り、落ち着いたプレーをしたいなら、それなりの対価を払えと言うことか。それにはもう少し巧くなる必要があるのだと思いながら、始めから終わりまで、待って、待ってのゴルフだった。それでも、連れ合いと姉は、ゴルフ自体を楽しんだと言うことで、まずまず良かったと言うことか・・・。
2009.05.20
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NHK大阪文化センターでの2巡目講座の第2回目の講義があった。今回は「ファトワー」についての話だ。ムスリムのかなり詳細な部分に入っていくようだ。ファトワーとは、「ムフティー」と呼ばれる、ファトワーを発する権利があると認められたウラマー(イスラム法学者)が、ムスリム(イスラム教徒)の公的あるいは家庭的な法的問題に関する質問に対して、返答として口頭あるいは書面において発したイスラム法学上の勧告のことである。勧告という名の通り、裁判の判決のような強制的執行力はないとされる。話の切り口として、「悪魔の詩」の作者である、サルマン・ルシュディーに対する、当時のホメイニ師による死刑執行宣告や、サウジアラビアにおけるポケモン禁止令などもこのファトワーに含まれるのだという。サルマン・ルシュディーの「悪魔の詩」の関係では、これを翻訳した、五十嵐一氏が殺害された殺人事件をはじめ多くの殺傷事件が発生した。サルマン・ルシュディー氏は元ムスリムであったことから、イスラム教ではムスリムが棄教(リッダ)することを最も嫌悪するという意味があるのだという。またポケモン自体をよく知らないが、ポケモンの中になにやら、星のマークが出てきて、それがイスラム教で言うルシファー(サタン)を意味するものだからもその理由に入っているという。これらのことからも、ムスリムの存在は、我々日本人にも密接な関係を持ってきたことを示している。現在でも、イランではファトワーが実際の政治に影響力を持つと言われている。また、エジプトの首都カイロにあるスンナ派イスラムの最高学府アズハルの法学者たちが発したファトワーは、スンナ派世界では高い権威をもつ勧告として尊重されているとのことである。イスラム教における法体系をシャリーアというが、この中には次の4つの法源があるという。(これはスンナ派の場合である)1.クルアーン(コーランとも言われる)2.スンナ(預言者ムハンマドの言行)これを知るためのものがハディース。3.イジュマー(合意:限られた人達のコンセンサス)4.キヤース(類推)そして今回の勧告としてのファトワーがあることになる。このファトワーを出す人、ムフティーはある種権威づけられた人でないとなれないのは当たり前のことであろう。日本の何でも評論家と一緒というわけにはいかない。このファトワーの内容に関しては、幅広く、日常生活の細々したことに付いても見解を出されるそうで、インターネット普及で、インターネットによる質疑が行われているのが現状である。その内容たるや、「信仰と超常現象」「予知」コーランの解釈として、「女人の肌に触れた時のこと」「帽子をかぶっての礼拝の是非」「墓参り」(サウジなどでは墓参りの習慣はない)「株式会社の是非」「イスラムと共産主義」「音楽のとらえ方」などなど・・・。さらに日本在住のムスリムからの質問では「美人コンテストの是非」「バービー人形の肌の露出に関するもの」「在日で酒を飲まないと円滑なコュミニケーションが出来ないのでどうするか」「学校では男女一緒に水泳の教科を受けなければならないがこれはどうか」「自爆は是か非か」(これはダメとなっている)何でもかんでもファトワーで勧告されると言うことである。
2009.05.19
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今日遅くにスリランカの民族紛争に終止符が打たれたと報道された。反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の最高指導者であるプラバカラン議長が深夜の攻撃で死亡したという。これまで多くのテロがLTTEによって引き起こされ、終結までに7万人が死亡したとある。スリランカは1972年まではセイロンの名で教えられていた、紅茶の産出国であると言うことぐらいの知識しかなかった。日本の2割ほどの国土でしかないが、既に紀元前5世紀にシンハラ人が北インドから移住して王国を作ったのがはじめのようである。その時以来仏教を信仰するシンハラ人の民族国家であったが、紀元前3世紀にインド南部のタミール人が侵攻しはじめ以来ヒンドゥー教を信仰するタミール人と仏教を信仰するシンハラ人との対立の構図となったようである。国民の構成としては、シンハラ人が約75%と約20%のタミール人、其れ以外という比率で、政府機構はシンハラ人が握っている。しかし世界的に見れば、シンハラ人全体では約1500万人であり、タミール人は約7700万人であるという。LTTEはこういった海外から、特にインド南部のタミール人の援助を受けて、武装面では政府軍と対等な武器有していたと言うことだ。そこに強烈な独裁色の強い最高指導者であるプラバカラン議長がこのテロ集団を率いて独立を掲げて抵抗してきたわけだが、このほどスリランカ北部に追い詰め、押し上げられて、多くのシンハラ人の国民を「人間の盾」として使い最後の抵抗を試みていたわけだ。しかし、ついにこの長い歴史を持つ多民族国家の紛争にも終止符を打つことになったというわけだ。大航海時代に明の鄭和が島を訪れ、明に朝貢することを強いられて以降、ポルトガル、オランダにより植民地化され最後はイギリスによって支配されていたが、イギリスがインドからの引き揚げ政策と同時に、スリランカからも引き揚げ、同時に民族独立気運が高まって今日に至っている。それから先は、LTTEの名前を新聞紙上で見ないことがないくらい、激しい闘争を繰り返してきた。今日それらが終結したということは喜ばしいことである。しかしこういった民族問題は、一旦治まっても、時間が経てば、また違った形で再燃しないとも限らない。イスラエルとパレスチナに代表される世界各地の民族・宗教の対立は、止まるところを知らないであろう。スリランカには今、私の知人がODAの関係で南東部で働いている。毎日武装警官が身辺を護衛していると便りにあったが、今後は少し緩やかになるのだろうか?また、スリランカには、僧職にある連れ合いの友人のご主人が、国賓待遇で遇されて度々渡航されているという。こちらも少しは緩やかになるのであろうか?一方私が知るタミール人ではサウジアラビアで、一時期仕事で面識のあったインド人がいて、タミール語を教えてくれたし、ドバイにいる時には、タミール人のドライバーが送迎してくれた。一口に、○○人と言っても、一般の民衆と、こういったテロ組織の人間は厳然と区別しなければならないのは当然であるが、こういった民族間の対立の記事を見るたびに、何故、世界にはこのように多くの民族が、モザイク模様に存在するのかを考えてしまう。日本にもアイヌ民族という大和民族とは違った文化を持つ民族が存在し、これを同化しようとの時期があったが、比較的単一民族国家である日本では、世界で起こっているこういった民族紛争には無頓着である。この際世界の紛争に目を向け、その背景はどういったことに始まるのかを知ることも大事なことだと思っている。
2009.05.18
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民主党代表が鳩山氏に決まった。予想通りというか、期待はずれというか、政治のメカニズムは複雑怪奇である。小沢前代表は、私利私欲はなく国政を国民のものに取り返すと言いながら、後白河法皇よろしく、院政を敷く体制に入った。選挙に勝とうとするならば、単純に世襲議員でもなく、国民的支持の強い岡田氏を選ぶ方がずっと戦いやすいと思うのは素人だからだろうか?自民党内でも、鳩山氏が代表の方が与し易しとの声もあるくらいだ。それでは、小沢氏の目指す天下国家にならないという訳か?どんなことをしても、公設第一秘書が逮捕告訴されても政治の道は俺が正しいとは、ちと論理がおかしいような気がする。それはそれで、選挙後はノーサイドだそうで、ちゃっかりと岡田氏が幹事長、当の小沢氏は、筆頭代表代行で選挙を担当するという。選挙に強い小沢さんというのを買ったというのは表向きで、しっかりと院政を引く手はずが整ったと言うべきである。献金側(贈賄側?)の西松建設は、内部のコンプライアンス機能を蘇生させたのか、社長は引責辞任、献金を認める旨を発表している。これらが明るみに出るとこの先民主党に暗い影がつきまとうことになるだろう。それでも、とりあえずは政権を交代して、腐敗した利権、既得権の構造を断ち切って貰いたいと思っている。そんな中、新型インフルエンザがついに国内パンデミックの前段階(第二段階:国内発生早期)に入ったようだ。神戸の高校から発した感染患者は、ついに我が住む大阪府にまで波及してきた。全てが中・高校生であるという。学校の部活動などで交流をきっかけに飛び火したとの一般的な考え方であるが、何故に海外渡航の経験無いところに発症したのか、是非とも国内感染ルートの元を解明して貰いたい。連れ合いは所要があって昨日梅田を歩いたのだそうだが、マスク着用者は意外と少なかったという。最初豚が原因とされたインフルエンザは、完全に人から人への新型インフルエンザと名前を変えて、着々と日本国内に浸透し始めている。今のところ理由は分からないが患者は若年者に多い傾向であるらしいが、かといって、老人がかからないとも言えないのだそうで、体力の弱っている老年は、気をつけなければならないことに変わりはない。今回の新型インフルエンザはH1N1型の弱毒型と言うことで当局は沈静化と、落ち着きを要請しているようであるが、実際にウィルスは、そう言ったことに関わりなく浸透していくことだろう。アメリカの発症例では、発症から急激に発症者数が増えるが、ある時点で、また急激に降下するとの傾向があるらしい。なにやら正規分布に似たグラフ形状のようだ。それがどうしてそうなるのかは、未知であるという。そんな訳でもないが、私は昨日と今日の2日間は雨模様のせいもあって外出していない。新聞では、神戸、大阪で現在266校が休校や休園をしているという。(これを書いている、18日には我が住む町の中学校も休校を決定したらしい)休校がすなわち良い手であるのかどうかは、ひとえに休む生徒達の心構え一つで決まる。学校が公に休みなのだからと彼らが繁華街に出かけたら、帰って事態は悪化しないとも限らない。今時、休みに集中して勉強しようなどと考える奇特な生徒がいるのかどうか怪しいものだからである。新聞記事の注意事項の中で、京セラドームでは、観客に球場でのジェット風船を自粛するように呼びかけているという。考えるに感染者が出歩くことを前提に、その人が息を吹き込んだ風船が空高く舞い上がり、菌を周りにばらまくということを避けて貰う意味だろうか?その人の周りで、熱心に応援している人はとりあえず、発熱したら電話で問い合わせなさいと言うことなのであろう。見えない敵におびえすぎて萎縮するマイナス面も多いが、かといって発症しては元も子もないという気もするし、心中複雑である。ただ今回は弱毒性だと言うことで、ある種、警戒心が薄くなっているのではないかとも感じる。
2009.05.17
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今日は朝からすきっとしない天気だった。雨が降るほどでもなく照るというのでもない。そんな中、一歩も外に出ることなく部屋の中で過ごした。今日は、民主党の代表を選出する投票日だった。民主党は、以前から国会議員だけによる選挙で代表を決める手はずであるのだという。いわば全国にいる民主党員は聴覚障害者桟敷であるということだ。民主党の衆参両議院総会で、何故そんなに早く選挙をするのか、みんな地方に帰って地方の意見を吸い上げて国政に参加すべきではないかなどの声を上げている議員がいた。小沢代表が、続投するか、いつ辞めるかは西松事件が起こったときからすでに注目されていた。ということは、そのときスパっと辞めていれば(そんなことは無かっただろうが)次の代表を1週間以内に決めるという時間はあまりにも短すぎたかも知れないが、事ここに及ぶまでには、いつかはこのようなことがあることはわかっていたわけで、急にあたふたとするのはおかしい気がした。国会議員たる者、代議士といわれるように、自らを選んだ選挙民との会話は常に密接に行っていて当たり前のことであろう。江戸時代でもあるまいし、交通手段、通信手段が発達した今、事が起こってから地元の意見を聞くと言うことはあまり頂ける反論ではないように思えた。電話、メールで駄目なら、帰る交通費は、JRフリーパスがあるではないか!自民党の鴻池議員のように、不倫のために使えと税金で持たせてあげているのではないのだと言うことだ。まあそれは口実、実は、地元のというか、国会内の良識、さらに言えば小沢一郎の思惑を通すとすれば、じっくり時間がない方が良いと判断され、その通りになった迄だと思われる。議員による事前調査とか、マスコミによる市中調査では、明らかに岡田克也氏を推す人の方が多かったからだ。さすがに百戦錬磨の小沢一郎氏はそのことを十分承知の行動であったろう。民主党で反小沢を通す代表格の4人を指して、「最後くらい俺の言うことを聞け!」と恫喝したと言うから、新人議員で、参院選を勝利させてもらった議員にとっては、睾丸も縮み上がることだったろう。とそんなわけで、開いた結果は、議員総数221人、欠席(岩国氏)1人、白票1人の124-95で鳩山由紀夫氏が新代表に選出された。ここで、何故欠席したのか、何故白票を投じたのか、その人達に意見を聞いてみたい。国政を預かる身で、選挙の投票率が重大な意味を持っているにもかかわらず、国会内の、しかも政権交代が目前である民主党の代表選挙に無効票や、欠席があるとはとても信じられないからだ。選挙結果について、自民党からは、鳩山氏の方が与しやすいと歓迎されている。また、鳩山氏も幹事長に岡田氏をといっているらしい。今民主党が掲げる、世襲議員制限について言えば、鳩山氏は、脈々とした政治家一家で、4世に当たるという。本当に政権交代をと考えるなら岡田氏が適切であったと思うが、今の日本は百年に一回とかの言葉を軽々しく使うが、明治の英傑のような、いわゆる国士的な存在がいなくなり、寄って烏合の衆と化してしまっている。この国の将来を思うのであれば、企業献金に見られるような業界との癒着や政治の低迷を起こしかねない世襲の弊害、パブリックサーバントであるはずの官僚の堕落と腐敗、この辺りを刷新できるか否かにかかっている。願わくば、若い人たちがこの事にコミットして、自らの将来を自らの手で、出来るところから始めるようにして貰いたい。この事以外では、インフルエンザのニュースで高校生に、しかも神戸、大阪の中に新型の感染者が出てきているという。高齢者はかかりにくいのではとは言っていられないような気がしている。両方ともなかなか可視化できない内容だけに、自らの見極めと、冷静な判断が求められると思って聞いていた。
2009.05.16
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NHK17~18世紀の美術(バロック~ロココ)の2回目の講座があった。先月の第一回目は、入院中の友人を急遽見舞うこととなり、連れ合いだけの受講となってしまったが、今日は一緒に受講することが出来た。奇しくも今日はその友人が6ヶ月余の長期入院を経て退院したとメールが入っていた。あちこちに連絡をして、心おきなく講座に出かけることが出来た。予定では「プッサンと17世紀のフランス」という講義内容だったが、前回それを先にやってしまわれたとかで、今日は第一回目の講義内容である「エル・グレコとベラスケス」という内容だった。(私にとってはその方がラッキーだった)エル・グレコとベラスケスは共にスペインで活躍した画家であるがエル・グレコは、現在のギリシャ領のクレタ島、イラクリオン出身の画家で、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称だとのことである。グレコ=グリーク、そう言えば似ているなと思った。当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコン(聖像と訳すのか、この言葉から、英語で、パソコンに使われるアイコンということばの元だと言う事を別のことから知っていた)を学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだとされる。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍したとのことで、トレドにはエル・グレコの作品が多くあるという。エル・グレコの絵画は全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なというかゆがんだポーズを取る人体などが特徴的で、彼の死後は長らく高く評価されなかったが19世紀に再評価を受け、パブロ・ピカソやジャクソン・ポロックなど20世紀の芸術家にも影響を与えた。1922年当時フランスに滞在していた児島虎次郎がパリの画廊でエル・グレコの『受胎告知』という作品が売りに出されていたのを眼にし、出資者である大原孫三郎に送金を依頼、購入して日本へ持ち帰り今は倉敷の大原美術館が所蔵しているという。以前連れ合いと訪れた大原美術館には折悪しく出展されていなかったが、天使ガブリエルに受胎の告知をされるのを見上げるマリアは、最初処女のままの懐妊をいぶかったが、神の思し召しにと受け入れたという。そも日本に「受胎告知」があることは奇跡であり、児島と、大原の慧眼により、比較的たやすくこの絵を見ることが出来る我々は幸せであろう。またエル・グレコは大変な数の高価な本を蔵書していて、画家としては飛び抜けた知識人であったという。多くの画家によって描かれた、「マグダラのマリア」や「無原罪の御宿り」などイエスが神の子でありながら人間マリアがこれを産んだと言うことに対し、人間はアダムとイブに始まって原罪を背負うものであるにもかかわらず、神を宿したという矛盾が当時は大いに議論されたという。バチカン美術館にある蛇に絞め殺されるラオコーンと2人の息子を描いた有名なラオコーン像はイリアスにある「トロイ戦争」の時の神官ラオコーンが、木馬を城内に引き入れるのを制止しようとしたが、結局その中の大蛇に息子二人共々絞め殺されるわけだが、それが、エル・グレコによって絵画にもなっていることを初めて知った。 このように多くの宗教画を残し、73歳で没したという。一方のベラスケスは、スペイン南部の都市セビリアに生まれ、やがて国王フェリペ4世付きの宮廷画家となり、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描いた。美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えたという。ベラスケスの作品は、画面に近づいて見ると、素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える。このような、近代の印象派にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネらの近代の画家がベラスケスを高く評価したゆえんだという。マネをして、「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表するまさに巨匠である。マネの作品である「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」をよく見ると、このベラスケスの筆致に似た荒々しい筆遣いの手法が取り入れられているのが分かる。「ブレダの開城」ではネーデルラント南部の要塞ブレダにおけるスペイン軍の戦勝を記念して制作されたもので、敗れたブレダ守備隊の指揮官に対し、敗者に敬意を表するためにわざわざ馬から下り、勝者側の寛大さを二重三重に強調した表現は、敗者に名誉ある撤退を許したスペインの騎士道精神の勝利を誇示したものといわれている。 「ラス・メニーナス」(女官たち)では、フェリペ4世の王女マルガリータを中心に侍女や当時の宮廷に仕えていた矮人(わいじん)などが描かれ、画面向かって左には巨大なキャンバスの前でまさに制作中のベラスケス自身の姿が誇らしげに描かれている。中心の王女マルガリータが際だっていないことから後生「女官」と呼ばれるようになったという。後方の小さな鏡にぼんやりと映るのは国王フェリペ4世夫妻の姿で、この絵の鑑賞者の位置に立って画中の人物たちを眺めているのは実は国王その人であるわけだ。画中のベラスケスの黒い衣服の胸には赤い十字の紋章が描かれているが、これは、サンティアゴ騎士団の紋章で、ベラスケスが国王の特段のはからいで同騎士団への加入を果たし、貴族に列した事をベラスケス自身が誇らしく表している。中央のドアに描かれた去りゆく人物は不詳で、前任の画家とか、旧態の画風を擬人化したものとしたとの意見があるのだという。また、カトリックの伝統の強い当時のスペインでは珍しい裸婦像である「鏡のヴィーナス」は当時としては先鋭的であったろうし、私自身ヴェラスケスが裸婦を描いていたとは初めて知った。それもそのはず、これが唯一の作品であるという。鏡に映る顔は、彼がイタリア在中に心を寄せていた女性の顔を思い出して描いたのだという説明に、ちゃっかりしているものだと思った。
2009.05.15
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2月に初参加してから4回目の参加となる今回の歩こう会は42回を数えることになったという。寒い月や雨の時を除く年大体10回のペースで行われてきたというから既に4年が経っている。今日の目的地は、能勢の妙見山で、山頂の寺でお参りをして、クッキングセンターでバーベキューを楽しむという趣向だ。今回我々と初めて会う方が1人と、いつも来られる方が来られないとか、多少の出入りはある参加者は合計13名であった。妙見山には、その昔、高校時代に夜間登山をする慣行があったが、私も、連れ合いもその行事には参加していなかった。しかし、丹波の帰りに友人達2人と4人で山頂まで車で来たことがあった。頂上には、日蓮宗の霊場のお寺があり、参道には、守護の神馬の銅像がある。その先には信徒会館の星嶺と呼ばれるデザインのこった建物が建っている。寺の山門は兵庫県の川西市と大阪府の能勢町との県(府)境になっている。標高660mのこの山には、車で上ることも勿論可能だが、能勢電鉄の終点である妙見口からケーブルカーとリフトを乗り継いで登ることが出来るようになっている。我々の会は高齢者が多いし、そろそろ足や膝に問題が出てきている人も多いので。妙見口からの乗り物を使ったルートを辿ることになった。阪急電車の川西能勢口で能勢電鉄に乗り換えて、終点の妙見口まで乗車をするのだが、私たちは、能勢電鉄に乗ることは初めての経験だった。のどかなこの郊外電車は、2両での運行だったが、途中の山下駅では日生中央へ支線が伸びていることも知った。妙見口の一つ手前には、ときわ台という駅があり、そこには友人が住んでいる。そこから毎日のように都心に通勤していたのかと、一寸感心した。その近くは、いつも山間ゴルフを楽しむ一庫ゴルフクラブへの道に沿っている。車で来るのとはまた違った趣である。ときわ台までは大阪のベッドタウンとして開発が進んでいるようだが、妙見口から先は、のどかな山里が残っており、その場所は日本一の黒川の里と呼ばれていた。その里の少し遅い田植え前の整備された水田を通り、国道473号線を少しかすめて、妙見ケーブル黒川駅に着いた。ケーブル山頂駅までは片道270円で300m程登る。つい少し前、連れ合いと登った愛媛の松山城や大昔生駒山に登ったケーブルと同じ種類のものだった。登るにつれ視界が開け、ケーブルカーの時間の短さが残念な気がする一時である。ケーブル山頂駅に今回の昼食場所であるバーベキュークッキングセンターがある。我々一行は、先に妙見山の山頂を目指し、帰りにそこで昼食を摂ることになっていた。その先はリフトで、山頂までは片道250円だった。ケーブルカーより安いので、距離は短いのかと思ったが、結構長い時間楽しませてくれた。距離としてはほぼ同じ位だったようだ。山頂の寺では、平日にもかかわらず、読経する僧が二人、一生懸命にお経を唱えていた。本来は歳の数だけ周回し祈るという本堂を、端折って1回だけ周り、頂上からの眺望を後に、再びバーベキュークッキングセンターに向かった。帰りは大半は徒歩で降りたが、少し熱っぽい人と、膝が痛む人はリフトに乗り降りる事になったが、その中にちゃっかり連れ合いも参加していた。下りは思いの外近かった。バーべーキューでは、食材を含め申し込んでおいた全てが揃っており、炭からおこし初めて、たらふくバーベキューを楽しんだ。食後の楽しい会話で盛り上がり、あっという間に2時間余は過ぎていった。帰りは同じ道を妙見口まで折り返し、取れたての野菜を買って、電車に乗り、三々五々、それぞれの帰途についた。我々は一旦梅田で降りて、いつも行くパン屋でパンを買いコーヒーを楽しんでから帰った。天気も良く、暑くもなく(というか山の上では少し寒いくらいだった)歩くのには快適な一日だった。
2009.05.14
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鴻池祥肇が女性問題引責辞任とあった。前回も議員宿舎をラブホテル代わりに使ったと批判され、天地神明に誓って絶対無いとか言い訳(大嘘)をして論旨だけで難を逃れたかに見えたが、今回は、ばっちりとした写真入りで週刊誌にすっぱ抜かれている。その時に国会議員だけに許されるJRの無料パス券を使用したことも分かっている。今回のように証拠を突きつけられては、やんちゃ坊主の彼としても認めざるを得ないわけだ。女房にも言い訳が立たないし・・・、と言う事らしい。そこでいち早く内閣官房副長官(なにやら3人いるらしい)の職を辞したというのだ。鴻池祥肇は麻生総理の盟友であると言われている。出された辞任の理由が一身上の都合(病気)だという。上司である毒にも薬にもならない河村官房長官は諫めているのかどうか、記者会見で、遺憾であると淡々と述べ、ご本人が病気だと言われているので、あまり頑張りすぎないように云々と訳の分からないことを言っているかと思えば、ぶら下がりインタビューで麻生総理のこの件に関する回答も実に陳腐なものであった。1,病気だから仕方がない・・・どこが病気なんだ!2.新型インフルの、確か、担当ではなかったはずですよ・・・世間が騒ぎまくっているのは何なんだ!実に飄々としているいつもの人を小馬鹿にしたような会見は、お友達をかばう、中高生にも等しい稚拙さである。その意味では、実に日本的であると言えなくもないが、一方では、民主党の代表が辞任をし、新しい代表を選ぼうとしている最中である。心の中は煮えくりかえるような気持ちであったに違いない。もし、あのインタビューが本音であったら、そんなに軽々しいものかとがっかりであるが、案外その方が当たっていると言うことなのかも知れない。任命責任などという前に、友達と一緒に仕事をして何が悪い、意思の疎通が巧くいくから良いではないかと考えているようであれば、最低のお坊ちゃまである。鴻池祥肇の血筋は大侠客であるらしい、そこで、歯切れ良く、一般受けする威勢の良い言葉がぽんぽん出てきていたわけだ。「たかじんの・・・委員会」でもしょっちゅう出てきては、さも政治の内部に通じているとのニュアンスで喋っていたが、ここら辺も考えてみれば、甚だしき公私混同の一場面であったような気がする。よみうりテレビが何故この男をテレビ出演させていたのかも不思議である。長崎男児誘拐殺人事件で「親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」といったり、光市母子殺害事件でのコメントでは「こんなやつは市中引き回しの上、打ち首」などとのべ、よほど時代劇が好きと見える発言で物議を醸したのは記憶に新しい。「日教組が悪い」といった、中山成彬前国土交通大臣を擁護したり、参議院予算会で国土交通副大臣松島みどりの答弁があまりに長いために、業を煮やして「予算委員会を冒涜した」として、異例の委員会出入り禁止を申し渡すなど、是々非々というのが当たっているのか、とにかく目立った存在ではあったが、ここに来ての動かぬ女性スキャンダルを隠そうとしていた(?)尻尾を捕まれ、しばらくは大人しく病気の振りをしていることだろう。ほとぼりが冷めたらまた出てくるのかと思うと、選挙民の関心がどこにあるのか疑いたくなる。次回の「たかじんの・・・委員会」には収録は間に合わないかも知れないが、この問題をどう処理するのか興味深いことだと思っている。
2009.05.13
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昨日一寸取り込み中の時にテレビで放送されていた。今朝の新聞の一面は口を一文字に結んだ小沢代表の顔が大写しになって、1面の2/3はその記事で埋まっていた。この人の経歴を見るといかにも華々しく、ここで終わりになるなどという気がしないが、矢張り年齢などを考えると長い政権への道はクローズされた感じがした。西松建設の不正献金問題での引責辞任でないことは本人が強調してる通り、辞任の本意ではないだろう。口べたの岩手県人がマイクを前にして切れの鋭いオバマ流の説明が聞けるとは思えないし、出来るとも思えない。西松献金で言えば、森元総理や、二階経産大臣なども同じ孔のむじなである。金額の多寡で判断するとしても小沢が無期懲役なら、森、二階も執行猶予のない懲役実刑でなければならない。孟子が魏王の政策を諭して、「戦場で50歩逃げたものが、100歩逃げたものを笑う」のと同じような政策なのだと言ったことに似ている。自由民主党幹事長→新生党代表幹事→新進党党首→自由党党首→民主党代表と新しい党を造っては壊していく、壊し屋が、最後に自分を壊してしまったと言える。石原東京都知事も、「国民も馬鹿じゃないからな」といったことも国民を馬鹿にしている。国民がどう思うか、どう判断するかは、一重にマスコミの取り上げ方次第である。過去のどんな問題も全てスケープゴートになる人間を捜して収まりが付くとそれ以上追及しないというのが今迄のやり方だ。その昔最初団子3兄弟と揶揄していた、国民年金不払いの3人がその後8兄弟になり、よくよく調べてみると68人にもなったという事で、それだけいれば、赤信号でもこれだけの大人数で渡れば、全く怖くはないと言うことであろう。結局は笑い話的に終わってしまったし、民主党の菅代表が頭をそったが、今では何事もなく生えそろっている。勿論この中には、歴代の総理大臣も沢山含まれているのだ。森喜朗元総理などは総理の資質がないと烙印を押されていながら何故党内に影響力を持ち続けられるのか不思議なくらいだ。政界はニュートン力学では動かないらしい。その昔、小沢一郎が著した「日本改造計画」を読んだことを思い出した。親分(田中角栄)の、「日本列島改造論」に似たタイトルだなと言う思いもあった。内容自身は忘れてしまったが、前書きにグランドキャニオンの崖に手すりがないのに驚いたというようなことが書かれていて、日本ではこんな状態で(手すりが無く)事故が起こったら大変だと続き、日本は、個人が集団に埋没して守られる同質社会であるというようなことが書かれていた。その本がベストセラーになり、それ以降、政治家が執筆するケースが多くなったような気がする。彼は政治信条をその中に詰め込んでいるわけだから、近いうちに彼が総理になったら、その本をもう一度読み返す必要があるかと思っていたが、どうやらその線は消えてしまったようだ。これから先政治がどう変わるか、というか国民がどうなって欲しいのかが徐々に分かって来るであろう。マスコミの巧みな誘導が、どのように背景を作り上げるかでもある。こういった内容が限られた情報源からしか得られない一般国民には、歴代の内閣でもそうであったように、際だって何もしないことが支持率をキープできてきたと言うことを考えると、国民は、加点式で見るのではなく、減点式に物事を見ているのだと言うことが分かる。何もしなければ、「御上がやることだから」と言うことで今迄はやってこれたが、社保庁や、医療の安全が脅かされたことなどがあったり、教育の荒廃などの国内問題の他、多岐多様な問題を抱えている現在ではこれから先が大変だという思いは、国民全体が共有し始めている。にもかかわらず、既得権益だけを考えて、「政治家は官僚をうまく使いこなさなければダメだ」という張本人が、官僚の傀儡のように動かされている現状を見ると、とにかく民主党に一旦政権を渡し、これら積年の膿(官僚の渡りなど)を出し切ることが是非とも必要だと思う。そんなときの小沢代表の辞任が、どう結果に現れるのか、これからも見守っていかねばならないと思う。
2009.05.12
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連れ合いの勤める学校長の誘いがあり、ベニーカントリーでラウンドすることになった。連れ合いは、延長奉職を終え、1年間のブランクがあったところ、その校長から是非にと再就職(講師)の依頼があり連れ合いが承諾したことに対するお礼の誘いである。結果的に皆おごって貰った形になったが、一寸申し訳ない気がした。校長は、50歳を過ぎてゴルフを始められたとか、集中的にプレーされたわけではないようだが、このほどベニーカントリーの会員権を購入、来る定年後に備えて頑張るつもりのようだ。もう一人は、町の教育委員会に勤める元教師の女性だ。ベニカンには、一昨日視察というわけではないが、ウォーキングをして登って来たところだ。この町には、ベニーカントリーを含めゴルフコースが2つある。その一つが新大阪ゴルフクラブで、これは先日連れ合いが町のパター大会で出かけたところだ。町内のゴルフ場は、当然山の上にある山岳コースだ。自宅から歩いてはなかなかしんどいところだが、車ならものの20分程度で着く。朝8時のスタート時には、まだ後続の組はいなかった。すぐに後続が現れたが、2人連れの夫婦らしく待たせたようだが、結構ゆっくり付いてきてくれた。出だしはダボと、相変わらずのスタートで、3パットも痛かった。しかし、今日はティーショットの打ち損じは少なかった。多少上がり気味のショットもあったが、まずまずの出来だったと思う。悪いのは、2ンドからアプローチである。せっかくのティーショットを生かし切れない場面が多かった。魔物が巣くっていたのか、OBに続き、何とグリーンで6パットも叩いてしまったホールもあった。未だに信じられない近距離のパットで意識して叩くのさえ無理な感じのパットだったのに・・・。一方ではパー3でグリーンエッジからのチップインバーディーが出るなど変化が大きかった。他にパーを2回取るなど、まずまずだったが、初めてのコースでもあり、特に池越えや谷越えが多くコース自体もアンジュレーションの多い難しいコースだった。今日はまた大阪、京都は真夏日だったとか、前半と後半でポロシャツを着替えたが、上半身は汗でぐっしょりなってしまった。教育委員会の女性は少し若いようだったが、連れ合いと同じレベルのゴルフを展開していた。暑かったことからスタミナ切れを起こしたのであろう、インの終わり頃の連れ合いは、少しぐったりしているように見えた。コースの一部から俯瞰できる長岡京市の町並みや、レストランや、風呂から見える京都タワーなど、霞がなかったら、クリアーに見えるだろうという感じだった。暑さとというか汗に負けた今日は、最近の結果より少し悪いスコアとなってしまった。
2009.05.11
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明日はベニーカントリーに早朝からでかけることになっていたので、朝方書く日記が持ち越しになっていた。今朝の新聞に広がる中東市場への関心という記事があった。中東という言葉は今や、私にとってなにやら親近感のあるものになっている。その昔までは、おそらくこうなることは予想していなかった。私の人生が、順調にいっていたら、多分中東への関心はここまではなっていなかったであろうと思う。サウジアラビアに1年あまり、ドバイに半年ほどの駐在体験が、中東という言葉をごく親しげな響きに変えてしまった。サウジアラビアに行くことが決まってから、食べ物の話から始まって、宗教や、慣習についてあまりにも無知であることを感じた。何冊かの本を読んで出かけてみたが、接する人間の機微や感情には世界のどこにも壁はないと感じた。接したサウジの若者が英語を解したことが大きかったのかも知れない。会社への行き帰りに学生でありながらドライバーをしてくれたハッサン君とのつたない英会語であるが、よく話したし、内容は多岐にわたっていた。その内容たるや、全く彼を異国人と感じさせない内容だったのを今でもハッキリ覚えている。若者は高等教育を受けているが、如何せん古い慣習を自力では破れないもどかしさを語った。イスラム教という宗教が縛る部分もあるが、そのことは、日本でも信仰に一途になることと本質的には変わらないものだ。違いはむしろ生活の慣習にあるようだと感じた。特筆すべき例としては、女性がアバヤという黒い服とベールに包まれることで代表される男女間の交流の制限がある。日本の明治時代の男女7歳にして席を同じゅうせずの厳格版である。しかし高等教育を受けている人間には衛星放送や、インターネットの発達による、海外の情報がふんだんに入るにつれて、目覚めが始まっている。携帯電話のブルートゥースという近距離通信手段を使って、直接言葉を交わせない男女も結構その手段でメール会話はしているようだ。世の中は変わってきている、グローバル化しているのだ。日本国も、やっと、中東がエネルギーを供給してくれるだけの国から、ソフトやハードの市場として考えられ始めたというのだ。これまでは、ヨーロッパのフランス、イタリア、イギリスなどに目が向いていたのだが、それは市場としてではなく、観光や文化へのあこがれだったような気がする。中東特に、サウジやドバイにはさしたる文化や、歴史があるわけではない。石油やガスが出なかったら単なる、砂漠の海岸沿いに漁業を細々と営む田舎国家であっただろう。石油や、ガスに依存してのことは当然であるが、その中東が、広く海外の力を求め始めている。その中に日本もやっと本格的に参入し始めたと言えるようだ。中東からヨーロッパへは、ごく短時間でいける。何も極東の日本に依存することはなかったようだが、最近はそうでもなくなっているようだ。日本のサウジへの教育関係の進出などは、特筆しても良いことだと思う。太陽光線が嫌と言うほど降り注ぎ、雨が殆ど降らない砂漠の国での太陽光発電なども、時流に乗った勢いである。日本では年間出生数が百万人を割り込むまでになったという少子高齢化社会に対して、中東やアフリカでは年間出生数は400万人を超える多子若齢化だという。そんな中東への動きが始まったその前に、かの国を訪問できたことになにやら心楽しいものを感じる。これが人間万事塞翁が馬と言うことか。中東のことをもっと正しく知りたい、かの国に行けば分かるが、決して中東全体がテロに充ち満ちているわけではないと言う事を日本人はもっと知るべきである。
2009.05.10
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今日は連れ合いは参観日とかで、一日中一人になるので、何をしようかと思っていたが、この1週間は特にウォーキングをしていないこともあり、歩こうかと、最初は当てもなく歩き始めた。南西の高槻方面も北東の長岡京市の方向も何度も行ったので・・・等と考えながら時間もたっぷりあるので、今日は山に登ろうと、久しぶりに柳谷観音の方向に向かうことにした。そんなことを考えていると、ふと明後日連れ合いの勤める学校長とベニーカントリーでプライベートなゴルフをすることを思い出した。ベニーカントリーは、柳谷観音からすぐの所にあることは聞いたことがあったが、どの程度登るのか分からなかったが、行ったことがなかったこともあって、特に下見というわけではないが出来れば見てみたいと考えながら歩いた。マンションを出て、すぐにJRのガードをくぐり、西国街道を戻る形で、マンションの反対側の団地をマンションを横目で見ながらJRと平行に歩き始めた。そこから、消防署を越え別の団地を通り、尺代方面に向かった。この辺までは何度か来たところで、連れ合いの友人だった人のご主人が畑を借りて作物を作っていたり、そこを流れる清流ではアマゴが釣れたり、奥にはキャンプ場もあるという辺りだ。近くには、町内の清掃工場もある辺で人家もそれなりに多い。尺代から、上り坂が本格的に始まる。車では何度も行っているのだが、歩くのは2回目かも知れない。結構きつい記憶があるが、さほどの車通りもなく、木陰を拾って歩くと今日の燦々と降り注ぐ太陽の直射日光も避けられる。何台かの車と行き会い、追い抜かれしたが、歩いている人には出会わなかった。何度も続くつづら折れに沿って流れる沢は、残念ながら、一部心ない人達が捨てたゴミが散乱している場所があった。また前回、歩いたの去年だったか桜のシーズンだったようで、沢の対岸に一つ咲いていた桜の木は今は青々と新緑で包まれていた。乗願寺に分岐する辺りが丁度柳谷への中間地点くらいだが、気分的にはもうすぐ近くまで来たような心境になっていた。乗願寺方面に行くと長岡京市への近道であるが、今日は左手にとってさらに登り続けた。さらなるつづら折れを繰り返すと、急に近代的な道路が頭上を横切る。その先の楊谷寺関連墓所へのバイパスとなっているようだ。そこまでは、墓所へのシャトルバスがあるらしく、待機しているマイクロバスに出会った。社務所のベンチで少し休憩を取り、持ってきたスティックパン2本の内の1本を食べた。善峰寺、光明寺と並んで洛西の西山三山に数えられる楊谷寺へは車でも何度か来たこともあり、スケッチをしたこともある場所なので途中からベニーカントリーへの道と覚しき道路へと左手に折れた。どこもゴルフ場の近傍の分かれ道などでは看板が掛かっているのが常識だが、ここに来るまでにゴルフ場への案内標識は全くなかった。この奥にゴルフ場があると以前に聞いていた連れ合いの言葉が頼りであった。後で分かったことだが、こちらからの道はどうやら裏道らしい。少し行くと、綺麗なバイパスが出来上がっていた。バイパスの途中から下界を振り返ると、山あいのど真ん中に、我がマンションが大きく羽を広げているのが見えた時には、あそこからここまで来たのかと一寸感動ものであった。そのバイパスも、ほんの少しの距離だけで、再び細い山道に差し掛かり、まだ半信半疑で、もう少しだけ登ろうと及び腰ながら歩き続けた。するとぱっと前が開けるようにゴルフ場らしき雰囲気が現れた。やっとベニーカントリーに着いたわけだ。フロントを少し覗き、多分最終ホールの18番であろうグリーンで、こもごもパットをしているパーティーを見てから、アウトの1番でティーショットをする組を見、その隣でインの10番のティーショットをするパーティーを見学させて貰った。正直あまりうまい連中ばかりではないなと思いながら、キャディーマスター室でスコアカードを貰い、帰路についた。ここで、元来た道を帰るべきだったことは後から分かったが、ベニーカントリーへの正面の道は、反対側のようであった。そこまでの道は真ん中に黄線が引かれているものの、堂々とした2車線道路であった。まだ元気が残っていたので、ゴルフ場で、残りのスティックパン1本を食べ、水分補給をして、正面道路を帰ることにした。比較的なだらかな坂道を淡々と降りていくと川久保集落を通り、今は廃校になった小学校の分校脇を通る。ここら辺は比較的交通量の少ない道であった。府道79号線は、そこからつい昨日連れ合いがパターゴルフ大会に参加した新大阪ゴルフクラブへの分岐点に差し掛かった。昨日はここまで車で迎えに来たことを思い出し、まだこの先長いのを見通したとたんにこれは大変だと感じ始めた。道路標識には、本山寺、神峰山寺の案内も見える道をさらにとことこ降りていく、島本町に2つあるゴルフ場を2つ周りその山をぐるりと周遊することになったわけだ。その辺りからは、セメント工場や、採石場などがあるダンプ街道になっていて、交通量も急激に増え、ただひたすらに下山することになった。ただ少し救いは、アカシアの花が咲き乱れていたことぐらいだろうか。ダンプの巻き起こす砂埃にタオルを口に当てやり過ごしながら、やっとの思いで成合の集落までたどり着いた。それから名神高速道路の脇道に出て、帰り道を想像すると、また気が重くなった。まだそこは高槻市内ではないか・・・。通い慣れた道ではあったが、最終コーナーを回ったとしてはあまりに長いホームストレッチになってしまった。高槻までを往復したよく通るJRの脇道に出た頃には、頭も少し朦朧とし、足取りも引きずるような格好になってしまった。やっとの思いで、マンションにたどり着いて、歩数計を見てみると、31144歩を指していた。朝10時半に出て、帰着は16時になろうかとしていた。女子ゴルフの中継が始まるまでには帰ろうと思っていたが、結構時間が掛かってしまった。山道全行程20km弱で、図らずも私のウォーキングでは最長になってしまった。
2009.05.09
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連れ合いと二人で松竹座に観劇に出かけた。生まれてこの方役者を舞台で見るのは初めてである。大阪の松竹座で、藤山直美と西郷輝彦が出る「大阪恋情話」であった。連れ合いは観劇が趣味とあって、昔から演劇を好んでみていたようだが、私は生まれて初めての芝居だった。藤山直美の芸は素晴らしい、これを見に行かねばと言うことだったが、私は、父親である藤山寛美の芝居をテレビで見たことがあるくらいでよくは知らなかった。藤山寛美はその飄々とした芸風で、少しぼけ役がうまい舞台俳優であることは知っていた。一寸ぼけた言い回しといい、軽妙なアドリブといい、それは天才の感があったと記憶する。その娘である藤山直美も父親の血を引いてなかなかの芸達者で、多くのファンがいて、彼女の演し物では毎回チケットが完売するという話である。今回のチケットは、連れ合いが、無料の券を応募で勝ち取ったものであった。1万円を越える観覧券である。私なら、10回映画を観る方が良いと思うし、ゴルフの1ラウンドの方が価値があると思ってしまうが場内はほぼ満席だった。この演し物には、当初京唄子が出演する予定であったところ、腰の骨を痛めたとかで、急遽淡島千景が代役で出ることになったという。そう言えば、テレビで、そんなことを言っていたっけと思いながら、大阪南の松竹座に向かった。夜の部開演が4時で、3時半に開場となっていたが、3時前には玄関前に人だかりがあった。その人達は、チケットの交換を待つ人で、先着順に良い席が得られると言うことらしかったが、我々のチケットは既に指定席であり、そこに並ぶ必要はなかった。初めて入る松竹座は、概ね2階建てで、袖は3階まであった。袖に空席が少しあった他は、ほぼ満席の状態だったので、さすがに人気役者の演し物だという感じだった。観劇する人達は、お年寄りが断然多く、若い人はちらほらという感じだった。我々もあと少しで前期高齢者になるが、(私の中では65歳以上を勝手にそう呼び、70歳以上は中期高齢者となる)同年代から中期、後期の高齢者が多い。シートの前後間隔は思ったより狭く、1階に花道がある他は映画館とさして変わりはない。4時に開演して、40分経たないうちに30分の休憩があり、またしばらく芝居が続くと今度は20分の休憩があるという何だか間延びのする演劇であった。物語は単純で、郭に年期奉公の女郎(藤山直美)に、性悪の商人にだまされた養子の旦那(西郷輝彦)が惚れ、身請けのためと大借金をして、だまされ破産し、二人で逃避行をするうちに、大店の女将が何故か女郎を身請けをして事が収まりその女将の故郷の淡路島で、茶屋を開いてハッピーエンドと他愛のない内容だった。暗転が多く、そのたびに背景が変わるその早業もなかなか面白い。我々は2階席の前の方だったが、矢張り役者の表情は、小さくてなかなか見えない。相場を操り金儲けをする悪徳商人とこれに乗せられる入り婿の若旦那、それが恋に落ちる郭の女郎、等が絡み合う内容だが、何故か必然性が無く最後にハッピーエンドになるという話であった。役者の演技が見所だという連れ合いに、そんなものかなぁと思いながら、もう一つ引き込まれる事はなかった。最後の幕が下りる寸前になにやらかけ声が飛んでいたが、これが芝居らしいところかと思いながら聞いていた。松竹座を出ると外は薄暗かったが、昔、連れ合いと歩いて以来、大阪の南に来ることは全くなかったので、道頓堀や、宗右衛門町などの通りを見ながら心斎橋筋をとにかく急に昔にワープした感じで、ふわふわと心地よく連れだって歩いた。私自身は芝居そのものよりも、本当に久しぶりに肩を並べて昔に返ったような錯覚と共に歩いたことの方がなにやら気分が良かった。心斎橋や難波には何故か北にはない大阪臭さを感じる夕べであった。
2009.05.08
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表題は格好がよいが、私たちが打ち合わせたのは裏方のお手伝いに関することだった。この国際会議は、民生用の電子技術に関する会議で、第一回は1995年にシンガポールで開かれたらしい。今回は第13回目の開催で、電子立国日本としては遅すぎた日本での開催となったようである。国際会議などというものにはとんと縁がなかったし、冷やかしで行ったバンコクでのシリカフュームの国際会議では、内容が面白くなく、会場であるホテルのプールで過ごしたこともあった。ちなみにシリカフュームとはセメント用語で、セメントに配合して強度を高める材料といえば当たらずとも遠くないものである。セメントなど門外漢である私には、その混和剤である材料の詳細を聞いてもちんぷんかんぷんであったことを思い出した。今回の電子技術に関する事柄も、特に内容を知りたいというわけではないが、ポスドクである姫がテクニカルチェアをしている関係と、連れ合いが、娘の関係する、国際会議の雰囲気を知りたいということで、お手伝いという形で潜り込むことになった。この会議には世界一流の研究者、技術者、サービス提供者が参集するという。300名以上が参加する中、海外からはその半数の150名が訪れるという。その時の会場受付をサポートするという名目でのお手伝いをすることになった。表向きは学生が対応するのだが、連れ合いの大学時代の友人と私が英語でややこしい話になった時にサポートするというものだ。あまり役には立たないかも知れないが、学生の英語は全くだめと決めつけているジェネラルチェアの教授からの依頼という形なので、一寸身が引き締まる。連れ合いの友人はいざ知らず、私の場合は、海外で第三国人の運転手相手の英会話だから、ほんの日常会話程度であるが、それでも良いと言うことで、4日間の会議の受付に詰めることになったわけだ。会議は5月末に京都で行われるが、今日の打ち合わせは、主催の助成をする龍谷大学のキャンパスで行われた。そのキャンパスへは、姫を送って何度か行ったことはあるが、山の中の静かな環境抜群なところだ。今回は打ち合わせと言うことで、初めて学舎内に入れて貰ったが、広くて綺麗な新しい建物であった。自分の学生時代を思い起こすと、雲泥の差であり、研究室も、鰻の寝床のようであった自分の経験からはほど遠い、広く快適な所で、さすがに情報技術と言うだけあって、沢山のパソコンが置いてあり、一部学生が画面とにらめっこをしていた。国際会議の基調講演には、元ソニーCEOの出井伸之氏、画像処理技術で知られこの度紫綬褒章を受章されたという東大名誉教授の安田浩氏、暗号研究者で有名な三菱電機の松井充氏、インテルのプロセッサー設計の草分けの嶋正利氏ら日本の著名な技術者や、IT関係者が関係されているという。なにやら、敷居の高い国際会議であるが、お手伝いではなく、英語での講演をすらすら聞き取れる耳があれば良いのにと思いながら打ち合わせ会場を後にした。
2009.05.07
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昔から日経新聞に断続的に一つのテーマについて10作品を選び講評を加える文化コーナーがある。全く興味のないものもあるが、時には、「ほぉっ」と思う題材がある。執筆されている人達は画家と名の付く人が多いが、時には作家や美術館長、大学教授など様々である。私が興味を持った最初は、昭和60年に取り上げられた「私の名僧図十選」であったと記憶する。その時の文字は今よりもまだ随分字が小さかった。それ以来気に入ったテーマというか、興味がありそうなテーマについてはスクラップしておくようにしている。しばらく途絶えていたが、最近もスクラップを始めた。字も大きくなり、その分内容は少なくなっているのかも知れないが、印刷がカラーになり、芸術作品としては一寸目を引くコラムである。スクラップしたものはいろいろあるが「女性の魔性と美」や「ギリシャ神話への誘い」「世紀末のエロス」「尊大な王と悲しみの王妃」「オン・ザ・ロード」等々がある。テーマの違う中で、度々取り上げられている作家にクリムトがある。また、違う選者が選んだ同じ作品がある。「世紀末のエロス」でのクノップフ作の「愛撫」は「女性の魔性と美」の中でも取り上げられている。違った選者が違った視線で捕らえて表しているのを見るのも面白い。もう一つ見つけたのは、「記憶の中に残る名画」の中のクールベ作「出会い(今日はクールベさん)」が、「オン・ザ・ロード」にも取り上げられている。このように、美術を愛好する人達は、一つの名画に対して深い造詣の元に作品の内面を追及したり、色々な感動をその作品の中に見いだしたり、作者の背景をもうがってみたりしている。私の連れ合いは自分の感動する作者や作風はしっかりとしたものを持っているようであるが、私はどちらかというと直感的に見てしまう方である。ギリシャ・ローマ神話や、聖書などの背景になった作品などが好きな私は、「世紀末のエロス」などの作品は見ていて面白いと感じる。ギュスターヴ・クリムトの「ダナエ」はそんな中に取り上げられている。ゼウスとの愛が成就し、その息子が実の父親を殺すという予言通りになった「ダナエ」をクリムトはあの素晴らしいタッチで妖艶に描いている。今回の十選は、接吻である。「接吻は行動で現す愛の言葉」、で始まる解説の作品十選は次のようなものがあった。ゼウスが黒雲になってイオを抱きしめるコレッジオ作の「ユピテルとイオ」。我々が訪れたルーブル美術館の彫刻、カノーヴァ作「クピドとプシュケ」(この作品の後ろのベンチで、連れ合いと二人でしばらく休憩したのを思い出す)ロココの世相を反映するジェラール作「盗まれた接吻」。キューピッドが母であるヴィーナスと接吻を交わす、ブロンズィーノ作の「愛の寓意」、ここで必ず出てくるだろうと予期していた、クリムト作の「接吻」。人目も憚らぬ男女の愛の交歓が驚天動地のことと映った古いスペイン道徳下の作品であるピカソ作「抱擁」、そしてこれも必ず取り上げられるであろうと思っていたロダン作の「接吻」、娼婦や芸人を描き続けたロートレック作の「接吻」。そして史上最もよく知られたとされる、ユダがイエスを兵士に引き渡すためにわざわざ行った、ジョット作のイエスへの「ユダの接吻」、そして最後が、伝説のキプロス王が、自ら彫刻した石像と恋に落ち、神に祈って命を与えられて妻となる石像ガラティアとの接吻を描いた、ジェローム作の「ピグマリオンとガラテア」である。「世紀末のエロス」にも、有名なオディプス神話を描いたシュトゥック作の「スフィンクスの接吻」は今回の十選の中には入っていなかった。神話ー宗教ーバロックーロココー印象派・・・・、現在受講している美術講座の17世紀から18世紀に至る前の絵画が多い。
2009.05.06
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連れ合いの使っているパソコンがインターネットに繋がらなくなった。以前はスイスイと使えていたものが、ある時期から、マイクロソフト社のインターネットエクスプローラーが開かなくなったのだ。その代わりに、なにやら、モジラフォックスとか言うインターネットにアクセスできるソフトに変わっていた。どういう理由でそうなったのかは、使っている本人の意識しないうちにインストールしてしまっていたのだろう。それでもインターネットに入ってしまえば、何とかどのサイトへも入ることが出来るし、インターネットを介してのメールも見ることが出来るので、実質的には問題が無く使えていた。しかし、2-3日前から、そのモジラフォックスでもインターネットが開かなくなったのだ。昨日は丸1日どうしたものかと、あれこれやってみたが、どうにも巧くいかない。分配器で使っている私のパソコンは難なく開くことが出来る。ヨドバシカメラに電話して聞いてみたが、ソフトの関係かも分からないし、基本的には持ち込みの有料サポートになっているので電話では応じられないとにべもない返事だ。その昔は、違うパソコンショップだったか、技術陣があれこれと電話で指示してくれて、問題を解決してもらったことが多かったのだが、と若干不満であった。光ケーブルを扱っているNTT西日本にも電話したが、そこは回線がうまく通じているかどうかを調べることは出来るが、それ以上は、各メーカーさんに聞いてくれとこれもつれない返事だった。そこで、パソコンのメーカーであるNECに電話相談を持ちかけてみたが、これが連休中とあって、相談も休みだと、例の機械音声案内で、連休明けにお電話下さいと、これはまさしく冷たくあしらわれた。その時西日本のサービス部門の人から、パソコンを初期化してはどうかとか、復元してはどうのとかのアドバイスを貰ったので、前に一度やったことのある復元に挑戦してみた。ここ2-3日でおかしくなったのだが、インターネットエクスプローラーが使えたのはずっと以前だった気がするので、2ヶ月くらい前の復元ポイントに戻るようにやってみたが、ダメだった。復元日を変えて、同様のことを何回かして、2週間前の状態までには復元することが出来たが、矢張りインターネットに繋げることは出来なかった。万事窮して、今日は、パソコンを担いで、ヨドバシカメラを訪れた。地下2階での一般修理で順番を待つことしばし、症状を話すと、地下1階のPC-DOCTORというところで対応してくれるかも知れないと言うことになった。急いでそこに持って行くと、親切な技術者がいて、しばらく見てくれていたが、どうやらファイヤーウォールがインターネットエクスプローラーをシャットアウトすると同時にモジラフォックスというのもついでにせき止めていることがわかった。こういう事は時々あるそうだが、インターネットエクスプローラーを有効にして貰い訳の分からない、モジラフォックスをアンインストールして貰って、一応の解決を見た。最後に修理料を払おうとすると、「たいしたことはしていませんから」と無償で良いという。電話で聞いた時には、最低2100円での有償が、基本だと聞いていたので驚いて確認したが、受け取らないという。「へー、こんな人もいるのだ」と私は、近頃まれに感激してしまった。最近とくにこのような場面にぶつかる事がないので、連れ合いと共に感激してしまい、重かったパソコンではあるが、持ってきて良かったと、セットアップをして貰ったパソコンを肩に、いそいそと家路についた。
2009.05.05
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バングラディシュに生まれ、グラミン銀行を設立して、貧困者に光を当てる新しい資本主義模索を試みるムハマド・ユヌス氏の新聞記事が紹介されていた。ポスト金融危機の新たなモデルとして「無私」の心で新事業を開けと表題にはあった。自分自身のための利益を追求しない「無私」に基づく新しいモデルの導入が資本主義を完成させるカギだと説いているというのだ。氏の考え方は「人間は本来、利己的な部分と『無私』の部分を併せ持つ多面的な生き物だと」と言うことである。その多面性が、今まで経済の分野で表れなかったと言うだけで、この「無私」の心を経済に導入しようというのが新提案であるという。一寸聞いただけでは、そんな理想的なことが存在するわけがないと思うが、氏の提唱する「ソーシャル・ビジネス」は株式会社や、NPOなど形態は様々だが、無償のボランティアではなく、利益の代わりに他人に何かできるという喜びや、満足感、人の役に立ち、他人の生き方をよくするといううれしさが配当のようなものであると提唱する。資本主義では利潤を追求するのは「手段」であり、その手段で得たお金で、世界を変えることが目的なのだという。とても現在の欧米人や、日本人が置かれた発想では出てこないであろうと感じた。氏の生まれたバングラディシュならではの発想のようにも思える。法人という人ではない人が金儲けをする目的は何か?株式会社では株主のためといい、最近では従業員も、法人という一段大きな人によって、不要とあれば切り捨てられるのである。一体誰のために会社は存在し、誰のためにお金を儲けているのだろうかと言うことを根本的に問い直す発想である。企業の社会的責任(CSR)の根本を問う発想ではないだろうか?日本でもその名前は定着しつつあるが、如何せん企業の宣伝に使われるラベルのような存在に留まり、真の意味のCSRが定着しているとは言いがたいと思う。一方でCSRを唱えながら、平気で従業員を解雇するというような会社が存在するのだから、なにをか況やである。貧困撲滅目的で低所得者層に事業援助目的で為されるマイクロファイナンスはアジアやアフリカ、中東でも定着してきているという。貧者の銀行としてのグラミン銀行はバングラディシュで飢饉の折、竹細工を造る婦人の団体がたった27ドルの借金に喘いでいるのを見て、氏がポケットマネーから貸したことから始まったという。氏は、ドイツのフォルクスワーゲン社に対して、雨露がしのげる車の製造や、ナイキ社には裸足で歩く人を無くするための安い靴などを製造することを働きかけているという。こういったマイクロファイナンスや、グラミン銀行に対しては、アメリカのオバマ大統領も関心を示しているらしい。氏の説く「人間を信じろ」の一言は、今の日本人や、日本の政治家にはほど遠い、清い言葉であると響く。深刻な危機に陥った今こそ最大のチャンスだと説き、貧困は博物館にだけあればよく、大人が子供を博物館に連れて行った時、貧困は酷いものだったと語って聞かせる時が2050年までに訪れたらよいと説いている。夢のような理想であるが、日本にもこういったことに共感できる土壌が出来ればよいのにと考えながら読んだ。
2009.05.04
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今日あたりから天候が少し下り坂になるという心配も朝のうちは全く感じられないくらいに晴れた。美山の奥にある連れ合いの友人の別荘でバーベキューをする事になり出かけた。これでもう恒例とも言える3回目の訪問だ。毎回同行する人は違っているが、今回は姫が一緒だ。朝は8時半頃にマンションを出て、姫の運転で向かう事になった。連休であるから、まだ混雑が予想される。洛西ニュータウンの混雑を予想して、粟生の光明寺からいつも通る洛西ニュータウンを避け、一本北の、森林本通りを抜けて、沓掛に出た。京都縦貫道は予想に反して混雑はなく、連休2日目ともなると混雑も収まっているようだった。沓掛ICで入って、昔渡されていた懇切丁寧な地図と、時々機嫌を悪くするカーナビを頼りに、園部ICで縦貫道を降りた。いつもは混雑する園部ICも今日は、すいすいと出られた。桂川の上流沿いに、日吉ダムがある。そのダムの近くに立ち寄り湯があるので、帰りはそこに入ることとし、地図や、カーナビの古い情報には載っていないトンネルを抜け、もう一走りで福井県となる盛郷を少し入ったところにその別荘はある。少し順調に来すぎたので、途中の田舎にしては洒落た喫茶店に入り、牛乳入りの抹茶ドリンクを注文した。少し雲は多いが、まずまずの天候で、道路脇に表示されている電光の温度計は18℃を示していた。その横をバイクの集団が、爆音を響かせて走り去っていく。バイクのツーリングも今は最高の季節である。そろそろ時間も良いかと、別荘に向かうも、着いてみればまだ主は到着していない。荷物を縁側に運び込んで、広い庭のワラビを摘んでいるうちに、持ち主の到着となった。桂に住んでいるその友人一家は、京都縦貫道が混むことを恐れて、昔の鯖街道の一つである、周山街道を選んだらしいが、どうやらそちらの方が渋滞が酷くて、結構時間が掛かったようである。そうこうしているうちに、昨日誕生日で二十歳になったという次男坊が空冷2気筒のバイクで到着した。400CCだと言っていたが、まだ新車で、2001kmしか走行していなかった。ハンドルがやけに高く一頃のイージーライダー的なマシンは、矢張りハンドルだけ付け替えたのだという。最初に訪問した時には、軽快な自転車で山を越えて来たという青年は、相変わらずおっとりしていたが、乗り物は大きく変わっていた。炭をおこし、バーベキューを開始して、昨日二十歳になったその若者を祝い、シャンパンで乾杯をした。このあたりは矢張り都会よりも少し寒い、風も強かったので、一通りバーベキューを終えると、部屋に入って何くれと無く話した。別荘の持ち主一家は、連休が終わるまでそこに留まるようだが、我々3人は、少し暗くなる前においとました。帰る途中で、予定していた日吉公園の立ち寄り湯で1時間ばかり温泉に浸かると、ホッコリとした良い気分になり、温泉を出て帰る頃には当たりは薄暗くなっていた。いつもは私が運転するところを、今回は復路も姫が運転をしてくれたので、後部座席で、うとうとしている内に、気がつくと家の前に着いていた。ささやかな連休の行事ではあるが、渋滞にも巻き込まれることもなく、一日ゆったりとした時間を過ごせた気持ちの良い一日だった。
2009.05.03
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連休初日の今日は、昨日に引き続き好天気に恵まれた。朝一番に連れ合いに「歩こうか!?」と言うと、一も二もなく歩こうと言うことになった。テレビでは、これから本格的に始まるゴールデンウィークに高速道路、何処まで行っても1000円が相まって、多くの人出が予想されている。新型インフルエンザがフェーズ5になってからも、海外旅行へのせっかくのチャンスを取りやめたくないというので、結構の人が海外に出かけるようである。東北新幹線でも乗車率150%を越えていたそうだ。日本の民族移動の時期が始まったわけである。我々は、昔と違い、人が動くときに合わせて動く必要はない比較的自由の身である。私のマンションの裏側の山は昔から渋滞で有名な天王山トンネルである。今日も渋滞を起こしているに違いないというので、その状態も見てみようと言うことになって歩き始めた。最初は、いつものように淀川べりに出て、土手の上を歩くことにした。歩き始めると少し汗ばむが、五月の日差しは、まだまだ柔らかく、風も新緑のかおりを運んでくるのかさわやかに感じられる。河川敷では、手でカートを引いて、ミニゴルフを楽しむ人達が見える。我々は一昨日に山岳ゴルフを楽しんできたばかりであり、9ホールしかないフラットな河川敷ゴルフ場はなにやら物足りない感じだ。しかしそこでもとぎれなく次々とパーティーがショットやパットに挑んでいる。そのほかにも、若者達は、サッカーの練習に興じたり、ジョギングや、歩く人たちも多く見られた。何度も通るのだが、木津川と宇治川、それに桂川の三川合流地点を過ぎる頃から、土手の両側には、赤紫色の小さなぼんぼりのような草花がたくさん生えている。連れ合いが「吾亦紅だ」と教えてくれる。誰かの歌にあった花はこれかと思いながら、一人で通ったときには見過ごすようなことにも、連れ合いが一緒だと花の名など細かく教えてくれる。土手が一旦とぎれる頃に国道171号線が見え出す。ここもご多分に漏れず渋滞している。二人で、「天王山トンネルが込んでいるのを見越して降りてきた車だろう」と話ながら、今日は高速道路も一般道路も同じように込んでいるのを目の当たりにした。我々は、こんな事もあろうかと、高速道路1000円の恩恵は先月後半の愛媛内子へのドライブで済ませてある。空を見上げると、何処の新聞社か、ヘリコプターが、名神高速道路の上空を旋回している。おそらく渋滞の状況を上空から実況しているのではないだろうかと思いながら、前方に見える、京滋バイパスを見ると、どんどんと大山崎ICに向かう車で大渋滞が始まっている。天王山トンネルは、昔渋滞のメッカであったが、上下線を2本に分けるトンネルを増設してからは、少し緩和されてというものの、大山崎ICでの京滋バイパスからの合流もあり、渋滞は避けられていない。桂川河川敷公園を右に見ながら土手は小泉川との合流地点にさしかかり、その大山崎ジャンクションに近づいた。ここには関西空港へのリムジンバスが止まる停留所がある。その停留所に上ってみると、京都方面から大阪方面に向かう車は大渋滞を起こしており、車は遅々として進んでいなかった。そういった喧噪を人ごとに、我々は、名神高速道を離れて、長岡京市の方に向かった。小さな公園のベンチで一休みすると、そこで遊んでいた幼児が、お母さんに見守られながら、ほほえましく、草遊びをしていた。長岡京市にはいると、細川ガラシャゆかりの地と言うことで、「勝竜寺城公園」に入った。小さな公園であるが、細川忠興と。ガラシャ夫人の銅像が建てられており、周りの堀には鯉が放たれていた。一人で歩いてきたことはあったが、今回は連れ合いと一緒なのでいっそう楽しい。連れ合いも「ここは初めて来た」と言いながら、今回のウォーキングでは、さほど疲れを訴えない。しかし、「このくらいの時期なら大丈夫だけれど、これ以上暑くなったら、たぶん駄目ね」とちゃんと釘を刺すことを忘れない。そうこうしているうちに、JRの長岡京市の駅に到着した。9時30分に家を出てから、丁度2時間半の休み休みのウォーキングだった。丁度昼時になったので、駅前で昼食を取り、本来は、長岡天満宮のサツキを見る計画であったが、途中でも見たので、まあいいかと、帰りは電車で帰った。島本駅について、仕上げに、村役場や、企業の運動場に、何処よりも綺麗なサツキの植え込みがあるのを見てから、本日のウォーキングを終了した。合計18625歩、ゴルフ1ラウンドを歩いて回るよりも若干長い距離を歩いたことになる。その後私は、部屋で、ゴルフの中継を見ている間に連れ合いは、再び電車で、京都まで、天皇賞の場外馬券を買いに出かけたのにはビックリした。この馬券なにやら当たるような気がする・・・。
2009.05.02
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テレビ放送で、世界遺産の黄金郷として知られる、マリ共和国のトンブクトゥについて放映されているのを見た。黄金郷として世界的に有名なのは、南米ベネズエラの話がもっとも有名である。幾多の伝説と幾多の影響を西欧人に与えたギアナ高地での黄金伝説「エルドラド」である。それとは別に今日の放送は、北アフリカの今はマリ共和国が舞台となっている。その昔は、西スーダン王国と呼ばれ、アメリカではナイルに次いで2番目か3番目に長いニジェール川に面した、トンブクトゥにまつわる話であった。その昔、マリ帝国が栄え、その衰退と共にガオ帝国やソンガイ帝国が起こりと、変遷を経てきた地域である。アフリカそのものが暗黒大陸と呼ばれていた時代から交易は盛んに行われていたところ、、西欧諸国の大航海時代の冒険者達がこぞって、自国の領土拡大とバラバラにぶんどり合戦を行い、アフリカ全土をそれぞれの植民地としてしまった。また北アフリカ諸国は、アラブ人との戦いの歴史をも持つ、そのアフリカ諸国が西欧からの独立を果たした後も、民族間紛争や、クーデターなどを経て、現在の国家となったわけだが、それでもなお、国境付近での内戦や紛争が絶えない。そんな中、当時のトンブクトゥは交易の中心地であったという。その北方にタウデニという村があり、そこから岩塩が採れるというのだ。その岩塩をらくだの隊商で、トンブクトゥに運ぶのだそうで、今もその隊商は続いているというのだ。説明では、岩塩を35kgの大きさの平板に切り、1頭のらくだの背に4枚を乗せるのだそうだ。ラクダは人2人を載せた重量を担って、750kmを歩くのだそうで、それに要する時間は37日間だという。サハラ砂漠の灼熱の中をただ歩くだけでも大変なのに、ラクダは140kgを背負ってとぼとぼとでも、1日20kmは歩く計算になる。さすがに灼熱の乾期を避けた半年間の活動らしいが、それにしてもすごい行商である。こうした行商の集積地点が、トンブクトゥであり、トンブクトゥには、金鉱はないようだが、西アフリカの南の海岸付近には多数の金鉱があり、そこから得られた金を地中海まで運ぶその中間地点にトンブクトゥが位置している。金や岩塩が運ばれた先では、皆トンブクトゥを通ってくるもので、トンブクトゥに金が出ると思いこんでの、西アフリカ黄金郷と思われていたらしい。その昔マルコポーロの「東方見聞録」で日本をジパングと紹介された時にも、日本は西欧諸国の目から見ればさぞかし燦然と輝く黄金郷のように映ったのかも知れない。こういった黄金にまつわる話はどこにでもあるのではないだろうか?一頃日本でもやらせ番組の代表格だった、徳川埋蔵金を探す話や、私がフィリピンにいた頃に現地ではまことしやかに山下トレジャーであるゴールデン仏陀の話が良く聞かれた。ナチスが隠した財宝だとか、GHQが占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金であるM資金とか、バーミューダ海域に眠る難破船の中の巨額の財宝など、とかくお金に関するミステリアスな話は、世界中で冒険心をもり立てるようだ。今日本では、霞ヶ関の埋蔵金にスポットが当たっているようだが、資源の乏しい日本の近海に眠るメタンハイドレードなどは、日本の大いなる黄金伝説になるのではないかと楽しみに思っている。
2009.05.01
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