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連れ合いと、姉、姉の友人のいつもの凸凹パーティーでこれまた、いつもの一庫ゴルフでプレーした。一庫ゴルフは経営者が変わり、名前をチェリーゴルフ一庫コースと変えていた。今回はその名前が変わって初めてのラウンドになる。パーは70と短いが、山岳コースで、フェアウェイは極めて幅が狭い。一寸振れると左右の谷や山の雑草に捕まってOBは免れない。経営者が変わる少し前頃からコースの手入れやグリーンの手入れが為されていて、今日はその殆どに修理の結果が表れていた。しかしまだ修理中の青杭が多く残っているほか、16番ホールのティーグラウンドはまだ修理が完成していなく、前方の特設ティーから打たねばならなかった。さらにコースで変わった事は、3番ホールの女性ティーが位置を変えて斜め前に移動していた事や、18番ホールのカート道が右側の大きな砲台型グリーンに沿って動いてくれるようになったので、途中から多くのクラブを抱えて行く必要が無くなった事などである。小さかったグリーンも大きく変貌し、砂が入っていたのも芝が成長して、やっとグリーンらしくなっていた。ところが、コースそのものはアップダウンがきつい山岳コースである事は同じで、狭いのも同じだから基本的には変わらないわけだが、何となく雑草や余分な木を伐採していたので一寸コースの感じが変わって見えた。2サムプレイは保証されているが、今までは無料だったのが、これからは一人500円を取る事にしたようだ。カート数も多くなって、その分次から次へと客を入れ込むので、超ビギナーも来ているようである。我々もあまり他人の事は言えないのだが、見通しが悪いコースなどでは時々後方から打ち込んでくる事もあり、おちおちとプレーできないと感じる事もある。そんな中、後期高齢者仲間入りをした姉たちは、さすがにあまり飛ばなくなっていて、最後のホールでは、尺取り虫のごとくゲートボールのような様相を呈していた。それでも、その年齢にしては、結構元気で、別の定例ゴルフ会に出てこられる人達の中に入ったとしても年齢はハイクラスである。私自身はNo1ホールは、左ねらいのつもりが右に出てやっとセーフの場面や、No2ホールでは、これまた右に出てOB、No3ホールは池を嫌って、右山に打ち込みボールはあったもののOB、No4ではティーショットはコースガイド通りの攻めであったが、第2打が当たりが良すぎて、グリーン横の奥にOBと3連続OBを出してしまった。当たりが良くなっている事も原因の一つであるが、相変わらずのチョロなどもあり、今一つ乗り切れないところがあった。それから後は、パーやボギー止まりで大叩きする事はなく、比較的気分良くプレーする事が出来たが、名物のNo15ホールでは、コース攻略図に書いてある通りのティーショットと第2打で、さらに3オンをアプローチクラブで果たすなど理想的な攻めであわやバーディーかと思った時に後ろから近くに打ち込まれ乱れてバーディを取り損なってしまったのは残念だった。自分自身の当たりが良くなって、No13の谷越えショートホールでは従来5番で打ってオーバーしていたのが、6番で打ってもオーバーするほどになっていた。しかしインの出足のNo10ではティーショットは良かったのだが、そこからの打ち上げを意識して、チョロをしてしまう癖は相変わらずだった。連れ合いも段々と上達はしているようだが、何しろ絶対練習量が不足している上にドライバーの練習が過度に多くアイアンを持つ事がないために何処に行ってもウッドを使いたがるという、普通の素人が辿る逆を行っている。アイアンで唯一使えるのがPWだと思っているようで、グリーンを少し離れた位置からのショットでは苦労している。さらにパターの感がまだまだのようで、特に今回グリーンが比較的整備されている上に大きくなっているためにパターで相当苦しんでいるようである。近く町内会で、パターゴルフ大会があるそうで、連れあいだけの参加を予定しているが、何とか頑張って欲しいものである。しかしティ-ショットではNO2やNo3でものびのびと飛距離もまずまずであったり、No5の一寸長めのショートホールでもまずまずの当たりでグリーン手前に落としたり、No7の左ドッグレッグの打ち上げミドルホールでは、2打目でグリーンをねらえるところまで飛ばしたのはさすがだった。さらに良かったのは、短いパー4のNo14でのティーショットだが、左の崖を見事にかわして、真っ直ぐの理想的な攻めで、残りをPWで攻められる所まで飛ばしたのには感心した。概して、ショートホールの出来は良いようであるが、このミドルホールは、ゴルフらしい出来であった。姉たちは、今日は疲れていたようで、あまり見るべきショットはなかったようだ。ゴルフ場を回れるだけで幸せと思うような歳になってきたが、矢張り、自分なりに満足したショットなりパットがないと、次への励みにはならない。近く別々のコースで別々のパーティーとプレーをする事になっているが、その時にはもう少し進歩していたいものである。
2009.04.30
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色々な分野でビッグスリーはある。いわゆる御三家である。ここでは、アメリカの自動車業界のビッグスリーである、GM、フォード、クライスラーが存亡の危機にある事についての理由を新聞コラム子が書いているのを見てなるほどと思った。リーマンブラザーズやAIGなどの銀行や証券会社の破綻については、日本でも似たケースがあり、想像に難くない感じだが、製造業であるビッグスリーが何故破綻しそうにあるかについては首をかしげるばかりであった。コラムでは、これらビッグスリーのトップは全て財務畑出身であり、対象はたまたま車だったというだけの事だったと書いている。何を売っている会社のトップなのか分からないという雰囲気なのだそうで、とにかく金儲けをする媒体が車だったというだけで、車に今何が求められているのか、車というものがどういったものであるべきなのかは一切考えられていないというのだ。これでは至極当然な結果だと思った。金勘定のつじつまと、どれだけの投資をしたらどれだけのリターンがあるのかは、造れば売れるという単純な考えに基づくものだろうからだ。そこには消費者は不在なのだ。財務上の数字との格闘が見て取れる。気がついた時には、手頃で性能の良い、そして環境にやさしいといわれる日本車などに置いて行かれているのだが、そこで保護主義的な政策で切り抜けようとの事になる。さらに元祖車社会であるアメリカでは、車産業は今や国策産業に等しいわけで、銀行などと同じように崩壊する事の影響が極めて大きな裾の長い産業なので、公的資金導入も考えられている。しかしながら、契約社会でもあるアメリカでは、会社が如何に窮状にたっていようとも、トップの役員達は高額の報酬やボーナスを受け取る仕掛けになっている。さすがにアメリカ国民も、政府もこれを許さないという方向にはあるようだが、間違いなく日本とは発想の違いがあるわけだ。振り返って日本の自動車産業のトップは、概して技術屋が多かったり、技術内容を大切にする現場密着型でやってきている。この中でもかつてはトヨター日産と言われていた日産は、ゴーン氏をトップに頂いてから、崩壊寸前で立ち直ったのかそれとも悪くなったのか、とにかく日本の会社でありながら、実質は外国の会社になってしまったようだ。ソニーでもかつての創業者の井深氏や盛田氏のような技術屋が消え、トップが、M&Aや財テクに手を染める間に業績をおとしめ、ついに外国人トップのハワード・ストリンガー会長兼CEOを迎える外国企業のようになってしまった。私が勤めていた造船会社は、歴代の社長は、技術屋であった。それはそれで、財務、経理の知識が弱い事もあり、為替の変動に一々一喜一憂する有様ではあったが、技術を置いてきぼりにはしなかった。それが結果的には大きな飛躍には繋がらなかった点もあるが、今のところ細々とやっているようだ。破綻寸前で、金融機関からトップを迎えた造船会社や、破綻の申請をした会社もあるが、要は、技術的な多様化と、市場を見据えた有効な技術開発が出来るかどうかが、企業存続のキーになるのではないかと考える。いたずらに堀江もん流のお金を転がして、真空を造るやり方では、やがて滅んでいく事は必定と考えている。
2009.04.29
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メキシコを発信源とした豚インフルがついにWHOの警戒フェーズ4になった。どうやら、豚を離れて、新型インフルになり、人から人への感染が懸念されるという段階に入ったと認定されたようだ。政府や成田、関空など空港を有する地方では、声高に危機管理を叫んでいる一方、風評を恐れ混乱する事を、各大臣が個々に沈静化させようとしている。この混乱振りは何なのだろうかと改めて思う。農水大臣は自分の立場で、豚肉は大丈夫だといいたいのだろうし、消費者庁の長官は、個人消費家に豚肉は安全だから食べて良いのですよと言いたいのは分かる。しかし、政府として首相自らが本部長となって、対策室を設置しておきながら、各大臣が勝手に鉄砲を撃つような事をしては、これで本当の危機管理かと疑ってしまう。政府見解なりをまとめるのは、この対策本部か、厚労省ではないんだろうか。昨日やっとWHOが警戒フェーズを4に挙げた段階で、厚労省が新型インフル発生宣言を出した。万全の水際対策を取ると言って、アメリカやメキシコから帰国する航空機の機内検査を始めたようだ。しかし、多くの航空機が帰着する成田での機内検査は大変な時間を要している。30分程度で済むならまだ良い方で、2時間も機内で待たされるという状態もあったようだ。テレビに出ていた乗客の一人は、あんな程度の事はもっと簡単に出来るのにと、息巻いていた。確かに、どんな検査をしているのか詳細は知らないが、サーモグラフィーを持って係官が、乗客の熱を計測していくというもののようだ。その係官の数が極めて少ないので、一度に着陸する飛行機が多い時には、移動時間やその他で、実際の検査が追いつかないという事が実態のようだ。ここで、パスしたとしても、潜伏期間があるために、国内に入って発症すると言うケースはおそらく検知し得ないだろうという事である。豚インフルの風評が始まった数日前の時点でも、検疫係官が、航空機から降りてくる人にサーモグラフィーを当てて、発熱の疑いがあるものを詳細に調べるという手段を取っていたようだ。その時、なにやら疑わしい外国女性がいたので、別室に連れて行って詳細を検査しようとした時、その外国人は「問題ない」と振り切って入国してしまったとの話をテレビで放映しているのを見た。法的な拘束力はないのだろうか?もしあの女性が、豚インフルの感染者で発症手前の潜伏期間であったなら、これ以降の努力は何なんだろうと思う。どうも、我が政府は、対応が後手後手になっている。これぞ危機管理と題目だけはまともなのだが、実際やっている事や、その内容は危機管理とはほど遠いものがある。テレビでは、メキシコの豚は映らなかったが、エジプトの豚がどんなところで飼われているかが、何故か映し出されていた。9割がムスリムであるかの国で何故と思ったが、ムスリムでないキリスト教徒や海外向けに飼っているのだという。その汚い事と言ったら、ゴミ箱で豚を飼っているかまたは豚のいるところにゴミを捨てたのかと言うほどの劣悪なものであった。やせ細った豚も可哀想だが、あんな所の肉を食べるのを考えると、それだけで気持ちが悪くなる。メキシコの養豚場はどうなのかは分からないが、いずれにしろあまり清潔なものではないように思われてならない。人に感染した豚は元々パンデミックを起こす媒体としては本命であるのだという。鳥型と、人型の両方のインフルエンザウィルスに感染すると言うからだ。メキシコでは既に152人が死亡しているという。かの国では、新型ウィルスに効くと言われるワクチンの「タミフル」や「リレンザ」が不足しているという。幸いに日本では、これらワクチンの備蓄は3000万人分あるとかで、一応の安心材料ではあるが、どの段階で、どういう対応を取ればいいのかについては、何らの示唆はない。とりあえずは、メキシコはもとより、アメリカ方面への渡航を自粛したり、取りやめたりする事で大童のようである。旅行会社が、大痛手を食った反面、マスク製造会社などの株価が上昇しているのを見ると、複雑な気持ちになる。何としてもパンデミックだけは回避したいものである。
2009.04.28
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次の選挙で、世襲制に関する何らかの規制が大きな争点になるようである。一把一絡げで論ずるには抵抗があるだろう事は予測できる。しかしながら世襲議員の何と多い事かとビックリする。国会内で石を投げて、世襲議員に当たらない確率の方が少ないのである。現総理の麻生太郎も遠く大久保利通の流れを汲み、昭和の大宰相といわれ、戦後唯一国葬された吉田茂の孫に当たる。さらに岸信介、佐藤栄作兄弟宰相とも縁戚にあるという。誰が聞いてもそりゃあたいしたものだと思うような家系である。しかし当のご本人は、帰国子女にありがちな国語関係は、どうもあまり出来がよいようには思われない。その麻生政権が支持率を伸ばして今や32%に回復しているという。敵失を利用してのこの反転攻勢に民主党も手をこまねいている感がある。その民主党党首の小沢一郎も二世議員であり、父は吉田茂の側近であった人だ。このように血族であり、仲間同士で固まった集団は他の社会にはそうはないであろう。国民も、政治内容がどうあろうと、地元の政治家が何をしようとも、地元に利を為す事をしてくれる人なら、こぞって推するのである。大都市圏の人の流動性が高い地域では、この傾向が少ないのは当然の事であるが、地方では、おらが村さのから、おらが地方の偉い人を選ぶ感覚なのである。それも、本人がどうこうと言うものではなく、本人が先ずまともな人間であれば、それでよく、政治の才能や、志は全く関係ないのである。政治家ではなく政治屋集団なのである。イギリスなどでは、靴屋の子は靴屋という風な徒弟制度に裏付けられた世襲制度は有名であったが、こういった政治家の世襲制度はないそうである。勿論選挙という洗礼を受けるわけであり、投票してくれる人がいなければ、議員にはなれないのだが、土壌がこのようになっている限りは、永遠にこの制度は続くであろう。疲れて、政権を放り出しても、議員は辞めなくて済むわけで、ころころ猫の目のように首相が替わっても何ら臆する事がないのは、いずれにせよ、おらが地方に人材がいないのか、それを選ぶ国民が悪いのか、このままでは既に世界から馬鹿にされている日本の政治・外交を元に戻す事は至難の事であろう。一旦選ばれてしまえば、最早先生である。あらゆる特典を有し、ふんぞり返っている。今回の定額給付金というのもそうである。給付という言葉自体がおかしく、取りすぎていた税金をお返しする、税の還付金なのであるが、これを有り難い政策だと勘違いしてまた国民は、そんな党を支持するのである。日本の島、四島内では通じる事であるが、グローバルを叫ばれている現在の世界情勢からは、とても考えられない事である。金日成から金正日そして今その後継者を自分の子供から選ぼうとしている北朝鮮の状態を見るように、海外からは日本をそんな目で見られている事を意識すべきではないだろうか。そのうち、世襲とタレント、其れ以外には国会議員はいなくなるかも知れない。地盤、看板、鞄という手段を難なく手に入れられるだけで、志のない人には国を代表して欲しくないと思う。国会議員の定数を減らし、意志や行動が全て国民の目に透明化されるようにする事と、絶対にこの人にはなって欲しくないという人を選べるネガティブ一票を投じる事が出来るような制度は出来ないものだろうか?
2009.04.27
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メキシコで豚インフルエンザが発生したという。最初の報道では既に死者は60人を超えるという事で、夕方のニュースではその数が81人にもなっていた。さらに感染者は1300人を超えるという。「豚よおまえもか!」という感じである。鳥インフルエンザウィルスののタイプはH1N1型からH16N9型まで144種類あるというが、豚インフルエンザウィルスは、H1N1型とH3N2型の2種類があるのだという。症例は、アメリカのカリフォルニア州や、テキサス州にも数例観測されていると言うから、この航空機社会の中パンデミックの可能性もあるのだという。メキシコに工場などを置く日本の会社では当面の出張を取りやめたりしている。日本の飛行場でもメキシコ帰りの旅行者などの検疫を強めているようだ。インフルエンザとは昔流に言えば、流行性感冒であり一時期「流感」と呼ばれたものである。流感は「ウィルスなどのあらゆる種類の病原体の感染によって、より高等な動植物に生じる病気の総称」だとのことである。昔は「流感」に掛かったと言ってもさほど騒いだ記憶はないが、「インフル」というハイカラな略称が使われ初めて急になにやら怖いものに変わってしまったような気がする。そして一頃はというか未だにそうだが、鳥インフルの方は日本でも馴染みが深く、多数の養鶏が処分された事は記憶に新しい。ウィルスの分類はなにやらわかりにくいが、最近のウィルスは鳥だけや、豚だけに留まらず、人にまで感染し、また人から人へと感染するのだそうで、大変始末が悪い。新聞によると過去に起こった新型ウィルスによるインフルエンザでは「スペインインフル」で4000万人の死者が出たという。さらに、、「アジアインフル」で200万人以上、「香港インフル」では100万人以上の死者が出た記録があるようだ。(本当に万人なのか??)現在の状態は、世界保健機関(WHO)による現在のパンデミックインフルエンザ警報フェーズ 6段階の3に当たるという。これは、「ヒトーヒト感染はないか、または極めて限定されている」状態なのだそうだ。しかし、既に81人の人が死亡、1300人の感染者がいるという状態では、フェーズが3から4にまたその先のパンデミック(フェーズ6)に広がらないとは言えない。人から人へは咳などで感染するという、手洗いやマスクが奨励されている、しかし最も有効なのは、むやみに人混みに出かけない事だそうだ。今から始まるゴールデンウィークに、ロスアンジェルスや、はたまたメキシコ遺跡周りを計画している人は、相当の勇気が要る事だろう。幸か不幸か、何の計画もない私どもは、返って幸せなのかも知れない。冗談はさておき、鳥に始まり、豚までも広がり、かつての狂牛病なども合わせると、主要な動物タンパク源が、全て危険をはらむ恐れがある事が分かった。文明が進化し、色々な疾病が根絶されていく中、文明故の疾病が増えていく可能性もあり、気の抜けない地球である。加熱した豚肉を食べても問題はないという事らしいが、豚の刺身を食う事は聞いた事がないので、豚肉からの直接感染はあまり心配しなくても良いのではと思っている。イスラム教徒の人には無縁の事なのかも知れない。
2009.04.26
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アメリカのオバマ新大統領が「核兵器無き世界」を目指す宣言をした。現在の世界の核保有国は国連で拒否権を持つ、核拡散防止条約(NPT)加盟の五大国である、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスと中国の他、NPTには加盟していないインドと、パキスタンがある、さらにイスラエルも保有していそうだし、リビアは、今回放棄したと報道されている。これと共に今回核開発を再開したとされるならず者集団の北朝鮮がやがて持つ事になるであろう。資料によって異なるが、これらの数の総数は、3万発を超えているとも言われ、その95%はロシアとアメリカが保有している事になっている。相手が持つからこっちも持たねば力のバランスが取れないという論理から、核弾頭の数は飛躍的に膨張の一途を辿った。アメリカの前大統領ブッシュはイラクに大量破壊兵器があるとの事で、深く陰惨な戦争に突入したが、結局はイラクに核はなかったようである。今ある核弾頭を全て使ったら、地球はグリーン政策どころか、生物が一つも住めない破壊と汚染の惑星になってしまうだろう。ここらで、大幅な核軍縮と包括的核実験禁止条約、核のテロ防止などの必要に迫られている。第一次戦略兵器削減条約(START1)では米ソの保有する核弾頭数の上限を6000発に制限していると言い、今日に至っているという。それぞれの国は核弾頭数を本当に削減したのかどうかは分からないが、このSTART1も今年末には失効するという。そこで、新たな核軍縮の歯止めを設ける必要が、米ロ両大国間に共通の問題として存在するというわけだ。今考えられているのが、START1の6000発の上限を一気に1000発にしようとのことらしい。政権が変わるという事はこういう事であって欲しい、1000発をやがてゼロにするという事が最終目標ではあるが、まずこの目標を達成して欲しいものだ。インドはまた違った考えと実際の脅威を感じているようだ。まず、核保有を許されているのが、5大国だけだというのは不平等条約であるという点だ。その昔、巨艦巨砲時代に、日本に割り当てられた艦船の数が不平等だと感じた事に似ているかも知れない。インドのもう一つの懸念は隣国パキスタンの核保有と、そのパキスタンからテロ集団に核物質が渡るということだ。人間の歴史は、生存の戦いから、その安定化を図る覇権の時代へと辿ってきた。ローマ、アレキサンダー、モンゴル、オスマントルコ等々である。そのたび毎に世界地図の色は様々に塗り変わってきた。これらを今の世界に当てはめて、もしその手段として核兵器を使うとしたら、前にも述べた悲惨な結果になる事は必定であるし、一体誰が、何千もある核の最後のボタンを押すのだろうか?数発の発射で、既に決着は付くであろうし、多くの核兵器は全く無駄といわざるを得ない。そして、もし世界地図を書くとしたら、全球が灰色の焦土と化している事だろう。銃による無差別殺人が横行するアメリカ社会で、銃の根絶を都度叫ばれながらなしえないのが現状である。銃製造側からの大いなる反対があるのは分かるが、どこかで断ち切らないと事は進まない。今回の核兵器の縮小も、製造側の既得権益を侵すという事もあるかも知れないが、問題はこういった兵器産業で潤う会社が存在する事かも知れない。原子力発電とも通じる核燃料を世界で一元管理する「国際核燃料バンク」構想もあるという。原子力発電自身にも大いなる問題点があり、電力大量消費の現代のジレンマとなっている。いずれにしろ、核軍縮に取り組む世界の動向に注目したいところだ。
2009.04.25
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今日は朝からとても良い天気だ。連れ合いはやり残した仕事があるといって、学校へ出かけた。家にいるのが勿体ないような気がする暑いくらいの陽気である。昼からは出かける用事があるというので、午前中はたまっていた新聞を読んだり、ゴミ出しやら洗濯をしているうちにあっという間に時間がたった。連れ合いが帰るのに合わせて出かけ、この間、名前を入れて貰うように頼んでおいたゴルフバッグのタグを取りに出かけた。いつもさほど気にならないが、ゴルフショップまでは結構遠い道のりである。西国街道から、物集女、桂を経由して京都市街の西南の端までのドライブとなる。近くには桂離宮があるが、ついぞ行った事がない。1年ほど前の日曜日に連れ合いと桂駅で降りて、嵐山まで歩いた事を思い出す。ゴルフショップを挟んで道路向かいにファミリーレストランがあり、そこの割引券を持っているというので、連れ合いが出来上がったタグを受け取りに行く間、そのファミリーレストランの駐車場に車を入れた。以前に2回ほど入ろうとしたが、どの日も駐車場は一杯で、レストランも待ちが出るほどの盛況であったが、今日は何故か空いていた。近頃の外食産業は充実していて、こってりした洋食ばかりではなく、和食も味わえるようになっている。昼間からこんなに立派な食事をしても良いのかと思うほどの美味しい和食のセットをいただいた。連れ合いが受け取ってきたタグは黒地で、裏に白い犬の足跡のような肉球をデザインしたのものに名前は白くくっきりととても感じよく掘られていた。これで、バッグも、中身のクラブもそして名前のタグも真新しくなったので後は腕を磨くだけになったわけだ。必要な文房具があるというので百円ショップに寄る事にした。そこに併設された、マクドナルドのコーヒーショップの無料券を貰っていたので、そこでコーヒーを飲んでから百円ショップに入った。私などはコーヒーの味の違いは殆ど分からない方だが、そこのコーヒーは元々100円ながら美味しい。市中のいわゆる喫茶店で飲むと5-600円もするところがあるのを考えると、この差は一体何なんだろうと思う。百円ショップといっても百円のものばかりではないが、とにかく安く品物は何でも揃っているという感じだ。一寸した文房具などを買うにはもってこいだ。所要の物を買って、帰途についたが、この間早朝に内子町にドライブに出かけた時に車の前面にたたきつけられた小虫の残骸を落として貰うべくガソリンスタンドで洗車をして貰った。ガソリンスタンドを通るたびに思うのだが、都心に近づくほど安く田舎に行くほど高めである。それも2-3円の差ではあるが、同じ道路で、数キロしか離れていないスタンドでも値段が違うのである。最近航空会社は原油の値下げのため、燃油サーチャージを廃止するという事だが、ガソリンスタンドは一旦急騰後、値段が急激に下がり100円を割るところも出てきたかと思えば、今は、以前よりは高値で安定してしまっている。この辺のからくりと、タイムラグはなかなか消費者にはわかりづらいところである。室内まで綺麗にして貰ってこざっぱりした車は、何とも気持ちがよい。帰り道に、焼き増しをお願いしていた写真を引き取って、溜まっていた仕事を終えて帰ってきた。連れ合いはそれからも町内の会費を集めるとかでまた出かけていった。週末はどうやら天気も下り坂のようだが、再び歩きに出る気はなくなっていた。
2009.04.24
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一ヶ月に一度のコンペは結構早くやってくる。私が参加して早8回目である。既に慣れたコースではあるが、頭の中にそらで浮かんでくるまでには至らない。そのコースのティーグラウンドに立つとどこに打てばよいかは判断が付くが、かといってなかなかその方向に飛んでくれないから始末に悪い。今日は、二人の先輩のうち。私よりもハンディーの多い先輩と同じ組のインスタートだった。同じ組には私よりもハンディーの少ないが、まずまずの腕の人と、今回久しぶりらしく、私は初めての方も同じだった。インのスタート10番ホールでダブルボギーと、朝開始にしては、結果はまずまずだが、アプローチでショートするなど矢張り内容はお粗末である。スコアシートにも1番の欄に書いていると、キャディーさんがインからのスタートですよとそれとなく教えてくれて、書き直す有様だ。次の120ヤードのショートホールも9番アイアンでショートしてしまう。私はどうも人が持つ番手より一つ大きな番手を持たねば届かないのかと嫌になる。1パットのパーで何とか凌ぐ。ところが次のドラ短ホールでは、3人が3人ともフェアウェイに届かないほぼ同じ所に落ちたミスショットである。そこから、7Wの当たりが悪くグリーン前のクリークに入り、結局ボールが見つからなかった。また、クリーク手前からの打球はトップしてしまい、向こうのネットに掛かって止まったが、そこは白杭の外だった。打ち直して何とかオンさせたが、罰打は3打となってしまった。今日はティーショットで、どうも今までの悪い癖でスライスボールばかりが出る。距離も稼げないし、2打が非常に打ちにくい。フェアウェイバンカー手前までしか飛ばず逆に良かったかと思うと、2打目にチョロしてそのバンカーに入れる有様だ。パー3ではことごとくグリーンを外してしまった。これではニアピン賞の対象にはなれない。ドラコンホールでは、前半と後半の2回フェアウェイ上に旗を立てる事が出来たが、これもスタート組だったので、続く3組のうちの誰かに塗り替えられてしまった。それもそのはずベスグロ80で上がる人がいるのだから、叶わないのも当たり前である。もしその人がミスしてわずかでもフェアウェイを外してくれたら権利はあったかも知れないが・・・。今まで8回参加して、過去の記録のうちで、私が各ホールのベストスコアを出したと仮定しても、私のベスグロは79止まりである。まあ、これでは勝負にならない。ハンディーは矢張りハンディーの特典があるが、私にとってドラコンは決して見果てぬ夢であろう。同じ組に以前からの参加者だが、今は股関節当たりの複雑な病気で歩くのさえおぼつかない人がいて、当たりも悪くゆっくりしたプレーを我慢強く待ちながらプレーをしていた。その人がバンカーから脱出しようとする時、その前にレーキがあるのを見て、これは当たるかも知れないと思い、取り除いたのが気に入らず、大声で私はなじられた。確かにプレー前に目障りだった行為は、反省するものがあるが、人前でのあの大声は何なのか?そのホールをホールアウトした後すぐに、大きな声を出して申し訳ないと言われたが、とても残念で、その人をいっぺんに嫌いになってしまった。こんなクラブコンペで、参加し、何とか歩いてクラブを振れる事に喜びを感じているそんな集いに、あれ程の怒りは何だったのだろうか、私自身も反省するところ大であったのだが・・・。それにしても、ドバイ時代にあれ程通って鍛えたはずのショートホールが、なかなか届かず巧くいかないのは困ったものだ。ドバイのたった44ヤードの池越えで島のようなグリーンにも載せる事が出来たのに、池越えとなると日本では必ず吸い込まれてしまう。また、114ヤードの一寸長めのホールでも1オンは出来たのに、日本では距離通りに飛ばない。気温のせいかなとも思うが、体も十分に温まっていたという事や、一人で回る練習の気安さからだったかも知れない。しかし、ドバイで共に働いていた人と同じコースを遊びがてら回った時には、全9ホールをパーで上がった事があったのだが。今日の反省点は、ドライバーが何ホールかを除いて、スライス系のボールとなってしまった事、アプローチでほんの少しの距離をショートしてしまう事が多かった事、またトップしてホームランも出たように、短いクラブの使い方が巧くいかない事である。アプローチで、グリーンエッジに近いところに落ちるからパターでのアプローチとなり、1パットになる事が多いがこれはほめられた事ではなく、アプローチや、ピッチングでオンして2パットという常道が出来なかっただけである。前半の終了前の17番ホールでは、とてつもない大きなグリーンの端に乗ったのは良いが、パットの感覚がつかめず3パットをしてしまった。でもこれが今日唯一の3パットだったのは、まず良しとしなければならないだろう。そんなこんなで、結果は前半の悪さを後半では5打も改善できたものの、100を切るまでには至らなかった。5打も改善なら、大波賞の候補かと思いきや、何と6打改善が多数いて、中には10打改善の人もいるなど、結局何の賞品にも該当せず、飛び賞や、当月、当日賞からも外れ、参加賞のみになってしまった事は残念であった。優勝と準優勝の人はグロスが、88で有りながらハンディーは20前後であるのにはビックリしたが、その方達は、今回から70歳になられゴールドティーからのプレイだったとかで、これはやむを得ないと言うしかない。まあ、また次回という事で、プレー自体は楽しかったが、賞品は何も取れず寂しくゴルフ場を後にした。
2009.04.23
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ジンバブウェで一緒に働いた友人から今度はスーダンで学校を造ってみないかとの誘いのメールが来た。仕事がなかった頃、その友人からの紹介で、サウジアラビアへ行く事になり、オマーン、イエメンを除くアラビア半島に出かけるきっかけを作ってくれた人である。その時は鉄骨の生産管理的な仕事であり、まんざら未知の分野でもなかったが、今回は学校造りのほぼボランティア活動である。彼は元々JOCVで働いた事もあり、今回のNGO団体であるJEN(特定非営利活動法人)でも2回ほどアフガンを経験している強者である。自身は、長いモザンビークの仕事を終えて、先の仕事がないかも知れないという懸念を持ちながら、既に19日にはスリランカで次のプロジェクトで活動を開始しているというフットワークの軽い男である。私よりは10歳ほど若い彼ならではの事と思うし、アフガンでの戦火の中をくぐり抜けての仕事を経験しているだけに最早世界中怖いところはないという感じなのであろう。今回も彼を通じて適当なエンジニアがいないかとの打診らしいが、全く畑違いである上、あの政情不安なスーダンと聞いて、どうやって断ろうかと思慮中である。私ももう少し若かった頃、JICAの募集でトルコでの仕事に応募した事があるが、専門を「溶接」と有ったのを頼りでの応募も、相手方のスペックに合わず流れてしまった経験がある。今回も仕事上では、断られるのはほぼ間違いないが、友人の顔をつぶさずに断るのが一番問題である。ジンバブウェを皮切りに、サウジアラビヤを経験し、その仕事の関連で世界一の天然ガスの産出国、カタールのラスラファンにも出かける事が出来、バーレーンは、毎月のように出国していた。カタールのガス田も、大きなプロジェクトは一段落し、私がUAEでサウジとは別のカタールのプロジェクトに携わっていたのも引き渡しを終わったようである(どうやら大きな赤字になったようだが)UAEも現在はやや立ち直ったかに言われているが、度肝を抜くような大型プロジェクトは一時凍結しているようである。今回のスーダンで思い浮かぶのは、サウジ時代の一番最初の運転手のフセイン君だった。ようやく運転席に座れるくらいの巨漢であり、敬虔なムスリムであった。車の中で、サラー(お祈り)への誘いを口まねで私が唱え出すと、ラジオを切りじっと聞き入って、最後に「ベリーグッド」とたどたどしい英語でほめてくれたものだ。ジェッダの近くのラービグという次のプロジェクトの場所に連れて行ってくれたのも、またメッカの近く(中にはムスリム以外は入れない)まで行ったり、その先の保養地であるターイフに連れて行ってくれたのも彼であった。その彼は、自国の国土の大きさを自慢していたが、スーダンは、日本の5倍もあるサウジよりもさらに広いアフリカ一の国土を持つ国家らしい。如何せん西部地方のダルフールではアラブ系民族が非アラブ系民族を大虐殺をしているところである。かつては200万人以上の死者を出す激しい内戦に明け暮れたところでもある。学校が欲しいのは理解できるが、一寸尻込みをするのが正直なところである。もっとも学校を造るところはどうやら、白ナイルの上流ウガンダに近いジュバという所のようであるが、こことて、ウガンダでの民族紛争やエボラ熱による多数の死者など、問題の多い国に隣接しているのであり、難民問題などの問題も有るようである。興味本位で出来る仕事でもなく、丁重に断る事にしている。
2009.04.22
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これまで受講してきたNHK大阪文化センターの「中東・イスラーム世界と日本」の6回にわたる講座の続きとして、再び半年間の講座を受講する事にしていた。その第一回目に出かけた。講師は前と同じ若い先生が担当される。外国語学科でアラビア文学を専攻されただけあって、さすがにアラビア語の読み書きはお手のもののようである。講師は早口で喋られるので、聞き取りにくい点もあるが、質問などには丁寧に答えてもらえるので、講座の雰囲気は大変良い感じである。初回に当たる今回は、前回から引き続き受講されている人の他に2名新しく受講されているようである。今日は「コーランと伝承」についての解説だった。コーランはクルアーンとも呼ばれ、預言者ムハンマドに下された神(アッラー)の言葉(啓示)そのものであるという。ムハンマドは、それまでの預言者である例えばモ-ゼやイエスなどの後に出た最後の預言者であり、ムハンマドに下された啓示こそが、最新最終のものであるというのがムスリム達の立場であろう。コーランは、読誦されるものであり、詠む事で得る事が出来るとされ、確かにムスハフという書物の形態を取ったものもあるが、基本的には暗唱朗詠するものだという。 イスラム社会では、何事もコーランに基づいた生活をしており、全ての人間生活の問題はコーランで解決されるという。人間と神の関係、惰眠の戒め、礼拝の勧めなど、全てが事細かく記載されており、ムスリム達はこれを忠実に守っているのである。コーランは、読誦するものであり、テキストだけの理解は忌避されたという。講師の経験でも、ムスリムでなくてもコーランの読誦に耳を傾けると荘厳な気持ちになるとの事であるが、私などもサウジで、金曜日に流れるコーランの朗詠のすばらしさを身をもって感じたものだった。また、コーランの読誦コンテストなどもあるようである。日本では幼児から英語教育を始めようとか、道徳教育がどうとかを議論しているが、イスラム圏では、コーランの読誦を幼い時からはじめ、コーランを丸ごと暗唱した人はハーフィズといわれ尊敬されそれだけで生計が立つとの事である。(どこかの国の僧のようなものかも知れない)ズィクルとは神の名前を唱える事であり、ムスリムは常に神の名前を唱えるべきであるとの教えもある。サラー(礼拝)の義務、書物化された「ムスハフ」への丁重な扱い、ラマダン(断食月)の教え等、私がサウジ時代に見聞きした事に総まとめ的な説明が加えられ、断片的だった知識が、何か統一されるような気がした。バスマラ(ビスミラー)と呼ばれる、何事を始める前に唱える言葉、「慈悲深く、慈悲あまねき神の御名において」は、運転手が何事か喋っているあの「ビスミラーマン、イラッヒーム」と言う事だったのかという事などだ。そのほかにも、「アラーハ・アクバル」(神は偉大なり)とか、「イラーハイッラッラー」(神は唯一ただ一つ)などもそうであった。ハーディーズは、ムハンマドの行動や言葉などを事細かに記し、善悪の基準と為した第二の聖典と呼ばれるもので、コーランに次いで重要な聖典である。「ハンドレラ」などもよく耳にした言葉であるが、物事を始める前に「ビスミラー」というように何事に付けても「ハンドレラ」をよく使う人がいた事を思い出した。質問の時間も少し取ってもらえるので、今まで疑問に思っていた事を聴いてみたいと思うのだが、講座が始まる前にはまた忘れるという繰り返しをしている。「インシャ・アッラー」(神の御心のままに)である。
2009.04.21
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「公共工事が止まった」と題する新聞記事があった。今までは、行け行けどんどんの大型公共工事が最近になって見直されたために、中断する道路工事が、全国で18道路あると言う事だ。近畿地方の知事連合が「不要!」と談判した「大戸川ダム」は何となく知事が交代するまでは凍結らしい。反対が有れば賛成もある、持ち場、立場が違えば色々な意見が出る事は必至だ。「高知の命綱あと180メートル」と副題された、地芳道路というのがあるらしい。今使っている道路の写真が掲載されている。私はその道は走った事がないが、道幅は3.5mだそうで、写真の箇所は、マラソンの折り返し点のように180度方向転換しなければならないところらしい。ここに新しい道路が有れば誰でも便利だと思うだろうが、だがしかし、一体何人の人が恩恵に浴するのだろうか?そして、緊急の救急車が通る時に急げないという切り口なら、東京や大阪のように、時間が短縮できても(渋滞などで往々にして時間通りには行かない)受け入れ拒否などで死んでいく人が後を絶たない事と比べればまだましではないか?私は、この18日に愛媛県の内子にある弓削神社に行き損なって、細い山道をくねくねと回り、峠を越えた事があったが、その時確かに対向車が来たらどうしようかと思いながらの運転だが、それはそれ、随所に離合する拡幅部があるので、何とかなるだろうとは思った。こんな所は私の住む地域での旧西国街道ではざらである。交通量の少ない道に、しかも緊急性がさらに低い道をどんどん造る事の意味は、矢張り、費用との関係で、見直さねばならないと思う。地域住民の利便性という事なら、地域に住む人が負担の額を増せばよい。それが出せないなら、今ある道路でしばし我慢をせねばならないと思う。東京1284万人、大阪881万人に比べて、高知の人口は77万人である。しかも高知全土に平均して分布しているわけではなく、私は地芳町の人口は知らないが、利便を受ける人はそれほど多くはないと思う。有れば便利で、作り始めたのが悪いと言わざるを得ない。造り始める時の予算は小さく見積もり、一旦工事が始まると、工事費は数%どころか何倍にもふくれあがるという、国交省の見積もりの甘さというか体質に根ざすところが大きい。こんなやり方で、民間企業が成り立つわけがない。いっぺんに倒産である。くだんの道路で一体何台の車が通るのだろうか?どれほどの渋滞で、時間をロスするのだろうか?私には疑問である。また道幅が狭いというなら、立派な道路は諦めてでも、拡幅部を何カ所か増設したり、カーブミラーなり、ゴルフ場での先行カートを知らせる赤の点滅ランプを付けるなどで当面対処すれば済むと思うのだが・・・。また180度転換しなければならない道は全国ここだけではない、その部分を多少山を削るなりしてすます事は出来ないのか?色々疑問が起こる。高速道路導入対策知事のような東国原宮崎県知事だが、現状の道路事情を知らない私が何とも言えないが、高速道路はなくても日南海岸を走る国道が有るではないかという感じだ。宮崎県民114万人は、どのように分布して済んでいるのだろうか?今回の不要な道路を造るな!と言う事に対しての国交省の道路建設条件は費用としての道路建設費とその50年間の維持費に対して、便益である、走行時間短縮、走行経費の削減交通事故の減少との比較だそうであるが、一体何台が通るのか、一体何人が使うのかを全国レベルで見直しても欲しいものだ。それが国税を使う意味ではないだろうか?道州制に変わっても、その意義は変わらないと思う。わずかな人間のために、他にすることがあることに優先して道路を造る必要があるとは思えない。新聞の切り口は、後180mを何故最後まで造って完成させないかに力点があるようだが、むしろ、何故工事予算を少なく見積もって工事を始めたのかを問うべきである。国交省の大臣の責任はさておき、予算を見積もった責任者は糾弾されるべきである。とにかくやり始めろ、そうすると、何故ここまでで来ているのに完成させないのだという流れになるのは人情であるが、冷徹な予算管理が必要な事は論を待たない事実である。この度自民党のばらまき政策の一つ1000円で高速道路乗り放題(実際は一寸違うのだが)にあやかって、高松、松山道路を走ってみたが、松山道の空いている事と行ったら、都会から見れば天国のようなものであった。有れば確かに便利で、時間は短縮されるし使う側には利便性は大きいが、一生に一度も使わない人も日本国中にはいる事を忘れてはならないと思う。
2009.04.20
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前日の続きです。前夜ホテルに帰着した時、日頃飲まない私は地ビールで、結構良い気分になっていた。温泉好きの連れ合いは、もう一度温泉にはいると言って部屋を出た。私はテレビを見るともなく、布団に横になりながら待っているうちに、どうやら寝込んでしまったようだ。翌朝連れ合いに聞くところによると、部屋に帰ったら鍵が閉まっていて、ノックすれども応答が無く、ホテルの人に合い鍵で開けて貰ったという事だった。オートロックでもなく、中からわざわざ鍵を掛けたわけでもないのにいぶかしく思ったが、こっちは少し眠気眼であったので、事の次第は判然としない。朝早く起きて、朝風呂に入った。どこの温泉旅館も、大体男女の風呂を真夜中当たりで切り替える事が多い。ここでも昨日とは違って、昨日の女性用風呂に入ったが、少し小振りな感じがした。朝風呂の出来る贅沢さに、身を浸しながら、今日はどうするかなどを考えて、さっぱりとした気分で風呂を後にした。部屋からの眺めは格別良いと言うほどではないが、眼下に道後温泉の正面玄関と坊ちゃん広場が見える位置にあり、そこらで朝から写真を撮る人がちらほらと見られた。久しぶりに和食の朝食バイキングを済ませ、チェックアウトしたのは、8時だった。どこのホテルでも同じようだが、駐車場は狭いので、ホテルにキーを預けホテルの人間が立錐の余地無きまでに車を詰め込んでいる。やがて、車が出され、昨日買う予定であった、地ビールの詰め合わせを売る店に出向いたが、昨夜は、明朝8時に開店するといっていたのが、まだ店は開かれていなかった。仕方なしに、連れ合いの次の目標地である砥部焼の町に出かけた。道後からは20分程度で砥部の町に着いたが、折良く砥部焼祭りが開催中であり、人で賑わっていた。会場は2つに分かれており、私たちは、車が多く入っていく第一会場ではなく第二会場へ向かった。砥部焼の素晴らしい大型の焼き物が展示されている中、小物から、一寸したお土産物まで売り出されていた。ここでも連れ合いのこだわりで、実際の窯元の、特に梅山窯を見たいというので、少し奥まった窯元まで車を乗り入れた。そこは既に観光バスも止まっているほどのところで、日用品の陶器が下の会場よりもさらに5%安く(といっていたが・・・)売られていた。あれこれと手に取り品定めをする連れ合いを待つ事しばし、結局籠に入れていたものを半分に減らして購入した砥部焼を記念にと窯元を後にした。砥部から松山ICまでは少し松山市寄りに戻る形になる。途中のマクドナルドで、コーヒーを飲み、まだ時間も早い事だし、もう一度地ビールを買いに帰ろうと道後に向かった。向かう道すがら、松山ICを越えた辺たりから、下ってくる反対車線が大渋滞を起こしていた。道後について、やっと地ビールを手に入れ、本格的に帰途につく事にした。このまま、また松山ICまで戻ると、先ほどの渋滞に巻き込まれるのだという事で、急遽帰りは、松山ICの一つ東よりの川内ICから乗る事にして、そこまでを国道11号線で向かう事にした。これは結果的によい判断だった。川内ICまでの国道は、さすがに11号線だという感じで広く空いていた。川内ICからは一気に松山道を経て、高松道を経由してひた走った。あまりにも空いている上に天気も良く、連れ合いも運転をしたくなった事もあり、途中のサービスエリアで交代をした。高松自動車道は私が最後に勤めていた会社でプレストレスコンクリート橋を緊張した数橋がある。どれがどれだか、高速走行ではハッキリしないが、そんな話をしながら、片側1車線の簡易高速道路を上っていった。鳴門大橋に差し掛かったが、橋の上からは渦潮らしきものを見る事も出来ず、そのまま淡路島を北上、淡路ハイウェイオアシスにて最後の休息を取った。そこから明石海峡大橋を渡り、垂水ジャンクションから三木ジャンクションを経て、元来た中国自動車道に入る神戸ジャンクション直前まで来たが、何と、そこから宝塚まで渋滞13kmと掲示されていた。なるほどこれが1000円効果かと思いながらじりじりと神戸ジャンクションで中国自動車道路に合流し、宝塚まで途中事故車の影響もあったようだが、ゆるゆると進んだ。宝塚を過ぎた辺たりからは、何事もなかったようにすいすいと走る事が出来、大山崎ICで名神高速を降り、我が家へと帰った。川内ICからは、鳴門のゲートで1000円、そして大山崎で、2500円の表示が出て、合計は3500円だった。どうも帰りの都市圏内の通行料は割引がないので、往路より高かったのだろうが、しっくり計算できない気がした。この2日間での全走行距離は870kmでガソリンの消費量は75リットル、要した全通行料金は、6000円だった。
2009.04.19
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自民党のばらまき政策の一つ、高速道路何処まで行っても1000円を利用して日本国の個人消費アップを図り、経済の活性化を図る一助として(?)連れ合いの念願であった内子町と道後温泉へドライブ旅行をする事になった。同じような考えの人達が多いであろう事を想定して、また深夜早朝割引を使うために朝は相当早くに出かける事にしていた。午前3時30分目覚ましの音が鳴ると、「え、もう起きるの?」という感じで、そそくさと朝食を済ませ、4時半には車はスタートしていた。茨木ICから名神高速道路に入り、中国縦貫道に分岐し、さらに山陽道に分岐したのはまだ夜が白々明けかけた5時10分頃であった。さすがにこの時間の渋滞はなかったが既に数台の車は走行しており、特にトラックが多かった。土曜日でも仕事をしている人達はいるのだと改めて思いながら、山陽道を一路西に向かった。私が昔岡山(玉野)に住んでいた頃に、帰阪する時にはまだこの道路は出来ていなかった。時々中国縦貫道路を通る事はあっても中国地方のど真ん中を走る縦貫道路での玉野往復はかなりな遠回りであった。その点この山陽自動車道路は海側を走るので都合が良い、今回も瀬戸大橋を通る予定であるので、接触不良のナビも、迷わずこの道路を指示していた。出発前にトリップメーターを0にしていたが、走る事225kmで瀬戸大橋の下津井瀬戸大橋に差し掛かった。瀬戸大橋は吊り橋であるこの下津井瀬戸大橋と、続く、斜張橋の櫃石島橋・岩黒島橋、さらに連続トラス橋の与島橋、そして再び、吊り橋である、北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋で成っている。道路を走っている限りでは、吊り橋よりも斜張橋の方が目立つ。我々は、与島のパーキングエリアで休憩を取った。私が造船時代に、私自身は直接は関係しなかったが、下津井瀬戸大橋の橋脚の下に沈んでいる基礎になるケーソンを建造した事を思い出した。当時はこんなにどでかいものをと感心したが、その上を走っているのだと思うと、なにやら感慨がひとしお深い。そんな感傷も出来上がってしまって車で通行したらあっという間の事である。高松自動車道路から、今度は松山自動車道路に入り、一路内子へと向かう。道中は、全くと言っていいほど快適で、朝早く出たせいか、混雑もなく、むしろ車の数は少なかった。1000円効果もあまりないのかなと思いながらの楽な運転だった。地方の高速道路もあればあったで便利だが、闇雲に作っても利用する人がいるのかと思わせるほどの利用車の少なさだった。しかし高速道路の威力はたいしたもので、9時には内子五十崎ICにつく事が出来た。休憩を入れても4時間余の行程だった。ここまでの走行距離390km、通行料金は瀬戸大橋でのチェックポイントで、1000円、内子ICで1500円と都合2500円だった。都市圏の割引が半額だった事が少し利いている。内子では、まず、「内子座」を見、内子町の保存町並みを散策した。「商いと暮らし博物館」で昔の商人の生活振りや「木蝋資料館」では櫨の実から和ろうそくの出来るまでや、日本のビール王と言われた高橋龍太郎の生家である「高橋邸」、町外れの大きな釈尊の涅槃像のある「高昌寺」などを見て古き昔を偲びながら内子の町の散策を楽しんだ。連れ合いが見たがっていた、マディソン郡の橋に似た屋根付き橋があるというので、その方面に出かけた。1車線や2車線が交互にある県道を北上すると、道路脇に果たして、「田丸橋」という屋根付き橋が見えた。「坂の上の雲」のロケで、俳優の本木や菅野、香川らが来たという手書きのメモが木札の上に貼られているのがおかしかった。さらにその奥に「弓削神社」があるというので走ったが、途中、町会議員選挙の街宣車が入る山道につられて入ってしまい、何の事はない、道を間違えたと気づいた時にはもう遅く、山の頂上付近での景観を見ただけで、一山を超えて、元の国道56号線に降りてしまった。仕方なく国道56号線を松山に向かうと、ここにも屋根付きの橋があったのには驚いた。「弓削神社」での屋根付き橋の代わりに見せてくれたんだと連れ合いと話しながら、愛想の良いサイクリング中の外人の笑顔を後に松山に向かった。松山では、「県立美術館」を見たいと思っていたが、連れ合いが目当ての、西洋美術ボナールの作品が丁度出品していなく、入館は止め、「松山城」に登る事にした。私も、連れ合いも初めての登城である。往きはロープウェイで登り、江戸時代以前から残る昔の三層平山城は、工夫を凝らした、造りであり、名城の一つに数えられている。天守閣まで登ると、松山市街が一望でき、落ち着いた町並みが文豪や俳人を引きつけた意味が分かるような気がした。帰りは、リフトで6分ほどかけて降り、今夜宿泊の道後温泉「古湧園」に到着した。「古湧園」の湯も予想していたよりは遙かに心地よく、名物の外湯である「椿の湯」にまでわざわざ出かける事もないとホテルの温泉を楽しんだ後、外出して道後温泉(通称坊ちゃんの湯)の隣で道後の地ビールを飲み、良い気分で、帰り道の無料足湯に足を浸して、やがてホテルに着いた。
2009.04.18
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今日はNHK講座受講の日だ。前6回に続くこれからまた6ヶ月の期間で「17~18世紀の美術ーバロックからロココへ」と題する内容の一回目だ。少し早めにと電車に乗ってメールが届いたので、それを開くと、白血病で闘病中の友人からのメールだった。最後のクールに入り、やや状態が安定しているので面会が出来るとの連絡だ。今度は医者の許可を取ってあるが、3日間だけの許可で、その後再びどん底の苦しみが待っているのだという。メールが届いたのは、病院のある高槻市駅を過ぎて茨木市駅に入る直前であった。明日と明後日は、土曜・日曜・祝日高速道路上限1000円を使って松山から内子方面に出かける予定をしている。しかも早朝に出かけようとしているので、会いに行ける日は今日しかないと、連れ合いだけを講座に向かわせて、私は茨木市駅からとって返し病院に着いた。病院について看護師に面会を求めると、丁度体を拭くので少し待てと病棟外の廊下で待たされた。やがて面会が許されて病室前に案内され、ジェル状の消毒薬で手を消毒し、備え付けのマスクをすっぽりとかぶり入室した。消毒が意外に簡単で、鞄などの持ち込みも緩やかなので一寸驚いた。去年の12月12日に発症を確認し、入院してから早127日目だと友人は言った。友人の頭や眉、まつげに至るまで、抗ガン剤投与のため、毛が抜け落ちていたが見た感じは、とても元気そうであり、何だかほっと安心した。しかし、ここ2日ほどが過ぎると、抗ガン剤の副作用で、またあらゆる数値が低くなり、免疫が薄れるので、一寸でも会えたらとメールをくれたのだという。巨漢だった友人も、顔はさほどやつれは感じないものの、筋肉がやせ、体重はおよそ10kg減少したという。今回が最後の抗ガン剤投与になるであろうと医者が言っていたそうで、この後、来月中には結果が良好に進んだら、あと少しの検査をして、来月の末には退院も可能かとのロードマップを描いているようだった。私もそうなる事を祈るし、今度は元気にリハビリをして、また再び一緒にゴルフをしようよと話した。友人はそうなれば言う事はないが、まずはこんな繋がれた、と点滴管を見上げて、状態から解放されて自由に外に出られれば、それだけで有り難いのだがとつくずく辛かった4カ月余に及ぶ闘病生活を振り返っていた。私も周りに闘病生活を送る人がいるので、その束縛されたつらさが大変である事は理解できる。しかし、こうなった以上は、早く克服して、また下界に出てこられるようにして欲しいと激励をしていると、なにやら点滴している部分の腕が漏れのためか膨らんでいるのを発見し、看護師が医者の指示で一旦取り外すというのを機に、「頑張ってくれよ!」といって退室した。カーテンの向こうでは「ありがとう」という声が聞こえた。病院を出てからNHKの講座に向かうには中途半端な時間になるので、連れ合いによく聞いておいて欲しいとメールを入れて、私は徒歩で、帰宅する事にした。いつもよく歩いて帰る道である。今日は、もう初夏のように暑い。汗を拭き拭き、また持参していたペットボトルのお茶を飲みながら、それでも健康で、青空の下を歩ける喜びをかみしめながら、足早に歩を進めた。前期高齢者に足を踏み入れようとする今、過去がどうであったかは最早どうでもよく、今健康でいられる事の有りがたさを改めて感じた一日だった。明日早朝から2日間ドライブ旅行に出るので、日記は帰ってから書く事にする。朝が早いので、もうそろそろ寝なければ・・・。
2009.04.17
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今日は高校時代の、特にバスケットボールで指導して貰った先輩で、最近は定例ゴルフ会や、「歩こう会」などでもお付き合いを頂いている先輩に誘われてゴルフのラウンドをした。パートナーは先輩と職場の同期であった人と、我が連れ合いも一緒の4人組だ。連れ合いはまだゴルフを始めて7ヶ月しか経っていなく、足を引っ張るからと言うのを押して、先輩は「そんな事関係ない、一緒に行こう」と言って下さった。連れ合いは、「歩こう会」の方で、先輩の奥さんとも知り合いになっている。また、ゴルフをやり始めた事はもう伝わっているので、多分この日のゴルフは、私も参加させて貰っている定例のゴルフ会への参入の是非を問う面接実技試験のようなものであったのかも知れない。もうひと方は、5年前に奥さんを亡くされて、今はやもめ暮らしをしておられるとかで、先輩は同期でもあるその人を慰める事も考えられていたのだろうと思う。高校時代はさほども感じなかったが、とても面倒見が良く、気配りの利いた方なので、私なども簡単にそう言った会合やコンペに参加を許して下さるわけだ。ラウンドのコースは、先輩がメンバーになっておられるゴルフクラブで、定例のコンペも1ヶ月に一度そこで行われる。次回は丁度1週間後の23日に開催することになっているため、その練習を兼ねてという事もある。何よりも有り難いのは、メンバーによるビジター割引を適用して下さる事だ。これが結構な額で、私の安い年金をおもんばかっての事であるようだ。他に同期のゴルフコンペもあり、高額なゴルフコンペ参加を毎月正規料金では行きかねるというのも本音であるから大助かりである。まあそれはさておき、連れ合いが、全くの他人であるゴルフの上手な男性とラウンドするのは初めての事である。通常は、嫌がらないまでもあまり歓迎されないのが普通であるが、先輩は、要所要所でアドバイスを与えて下さる。バンカーの打ち方などは、全く身についていなかったのを、フェースを開いて砂をすくうように出すのだというアドバイスを受けて、それ以後は1回で脱出しているのを見て得る物が大きかったようだ。グリーン近くの寄せについても、出来る事ならパターで寄せる方がより怪我が少ない事やフェアウェイウッドの使い方も膝に弾力を持たせるとよく飛ぶ事など、連れ合いも先輩から受けるアドバイスをすぐさま実行して、それなりの成果を出すので、先輩からも筋が良いとお褒めの言葉を頂いたようだ。連れ合いも既に練習コースのような所を含めて15回程度実戦の経験はあるのだが、まだ自分で、距離感を計ったり、グリーン近くになってもアイアンを使いたがらないなど課題は山積しているが、つい一週間前にドライバーとパターを新調し、ドライバーについては、一回練習場で使っただけのものだったけれど、フォームといい、飛距離といい、まずまずの結果が出たようだった。中でも、打ち下ろしの池越えパー3では、ドライバーでグリーン横に付け、2オン1パットとパーを取った事は立派だった。その時私はボギーで、唯一負けのホールだった。しかしこのくらいなら11Wでトライしてみて欲しかった。良い事ばかりは無く、何回か空振りをしたり、地球を削る事はいつもの通りである。16番ホールで、右はだらだらと下り、隣のコースとの間に白杭があるので、ねらいは左だよと言われながら、本人の意志とは無関係?にボールは右に出てOBラインを超えてしまった。その時の連れ合いの言い分がふるっていた。「一度プレーイング4で打ってみたかったの」である。プレ4の打球は素晴らしく、そこからの当たりもクリーンであったが、残念ながら狙ったコースが少し悪く、コースをクロスするように、左に再びOBとなってしまった。グリーン近くでの行ったり来たりもあり、とにかくバラエティーに富んだ内容だったが、先輩たちは辛抱強く見続けてくれた。最後のホールが終わっての先輩の一言「奥さんあと半年以内にコンペに参加しましょう」がもう少し安定したゴルフを期待している事と、1年未満でここまでよくやったという事への評価だと思って聞いた。連れ合いは、綺麗なコースでゴルフが出来た事に感激して、楽しんでいたようなのは何よりであった。私はというと、95と念願の100を大幅に切る事が出来て満足した。このペースを来週も維持できるとしたら、前回のようにネット61というお化けのようなスコアを出す人がいない限り、優勝戦線に食い込める感じがした。私は、グロス100を切り、それを維持するのを当面の目標にし、定例コンペでのハンディを10台にする事を目指そうと思う。過去数十年間、断続的にやってきたが、目標が達成されるときっともっと楽しいゴルフになる事だろう。あと6ヶ月以内に連れ合いを、そこそこゴルフといえる段階まで引き上げ、共にラウンドできる事もまた目標の一つである。
2009.04.16
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連れ合いが数日前に新しいドライバーを買っていたので、それを初めて使っての練習に出かけた。五日前の孫の入園式の時にパターと一緒に買った最新のものである。約半年前にゴルフを始めた時は、私の姉が使っていたセットを譲り受けてのおぼつかない練習であり、いきなり練習コースのような山岳コースのラウンドだったのが、今やマイバッグ、マイツールを持つ事になったわけだ。初めて2ヶ月間は、譲り受けたクラブを使って練習やコースに出かけていたが、姉より背が高い連れ合いには一寸アイアンは短すぎて、しかも鋳鉄製の古いものであったため、もっぱらドライバーとパターを除いては私のクラブを共有する事も多かった。共有していた時、一度クラブを前のホールに忘れてきて、取りに帰ったという苦い経験もあった。それも山岳コースの、カートでもかなりきつい登りの前のホールだったから大変だった。そんな事もあり、また、遅まきながらどうせ始めるならと、クラブとバッグを新調する事にしたわけだが、せっかく貰った道具の全てをすぐ放棄するのは気が引けると言う事で、ドライバーとパターだけは譲り受けたクラブを使い続けていた。それを今回は、以前に買ったアイアンやフェアウェイウッドと同じメーカーのものに揃えたわけだ。技量がおぼつかないからといって、古いクラブで練習をしていても、気分的にも面白くないという事もあり、特に最近のドライバーはヘッドが大きくなってスウィートスポットも広く、飛距離も出るようであるから、いっそう早いうちにと購入を決めたわけだ。買ってから、忙しい事もあって、なかなか練習にもいけなかったが、明日先輩がラウンドするのに誘われて、その時「奥さんもどうか?」と声を掛けて貰った。「まだまだ未熟で、足を引っ張りますよ」と言ったが、そんな事は先刻承知で、面倒を見てあげるからと言われ、図々しくもご一緒させて貰う事になった。先輩は、我々の高校の先輩であり、「歩こう会」でも一緒なので、顔や人となりは分かっていて、連れ合いも、では行こうかとの気持ちになったようだ。初めて家族以外の人とラウンドする事になったわけだ。それではというので、新調したドライバーを初めて試し打ちに出かけた。本来ならもう少し時間を掛けてという事が本筋なのだが、何せ、年齢的にも、残り時間が少ないという事もあって、早め早めの取り組みである。また、来月初めには今度は連れ合いがお世話になっている学校長からゴルフの誘いがあるので、ここらで上手な人とラウンドしておくのも良いだろうかという事になったわけだ。パターの勘も掴めないとか、心配は沢山あるが、それは先ほども言った通り折り込み済みなので、良いのだが、パター練習用の道具も買って、室内の絨毯の上でタッチの練習などはしている。練習場での初めてのドライバーは、私の予想通り、前のクラブに比べて当たりやすく、当たれば飛距離も少し伸びるようだったので安心した。これは、私がドバイで練習クラブを借りてラウンドした時に既に経験していた事だ。その時も初めて持ったデカヘッドは、今まで使っていたものよりも打ちやすかったからである。さあ、道具は万全のものが揃った。後は連れ合い本人の今までの成果を見る試金石となるであろう。何回から振りをするだろうか、何回地球を削るだろうか、パットは何往復するだろうかなど、心配する事は多いが、私も同じような事を今でもやっているので、人の事は言っていられない。明日は天気も何とか良さそうだし、そこそこ楽しめるのではないかと内心思っている。
2009.04.15
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住金がインドに合弁会社を作るために2000-3000億円の大形投資を計画しているという。他の製鉄業もブラジルやタイへの進出を計画中であるという。昔は産業のコメとまで言われた鉄が、国内では頭打ちになり、高炉を廃止したり休止したりの状態が続いているなか海外への進出計画が進んでいるようだ。鉄鋼といっても使用先は様々である。私が関係していた造船では中厚板鋼板や型鋼を使用し、橋梁などでも同じく鋼板を多く使用する。建築鉄骨やプラント鉄骨に関係していた時には、厚板もだが、H形鋼などをよく用いた。私の知らない自動車では薄板のホットコイルなどを使う。それぞれ違った分野での違った鋼材の生産を一手に引き受けているのが、製鉄業である。その製鉄業も世界を相手にしなければたち行かなくなっているのは、他の産業分野と同じである。世界1位だったミタル・スチールが、同じく2位のアルセロールを合併して巨大な製鋼メーカーが誕生したのはつい最近の事である。この1社で世界の粗鋼の10%を生産するという事は、日本全体の生産量とほぼ匹敵する。世界の生産量は一時13億トンを超えたが、現在はまた少し下降気味である。私が建築鉄構に関係した頃は、日本における建築鋼材の消費量は日本の粗鋼生産量のそのまた10%程度であったから、約1000万トンという感じであった。造船時代はよく掴んでいなかったが、370万トンぐらいではなかったかと思う。そんな事を考えると、造船という業界は鉄鋼の消費量においてもマイナーなのだという事を改めて感じさせられる。造船業の渦中にいる時は、世界の船舶建造量のトップであるという自負があり、意気軒昂に仕事をしていたが、度重なる造船不況に見舞われて、晩年は悲惨な状態になり、ドックなどの設備休止や、重工業からの造船の分離、合併などの試練を経てきた。私もその頃からスピンアウトされ、橋梁、建築鉄骨、さらにはプラント鉄骨などを転々とした。造船業界も今や韓国に抜かれ、追従する中国にも迫られるような状態であり、世界不況のあおりで、貿易量が減り、船舶、特に自動車運搬船やコンテナ船などの船腹過剰で廃船を余儀なくされている。かつて華やかな、国家の基幹産業であった鉄鋼、造船重機などの業界は、「重厚長大」と揶揄?され、IT等の「軽薄短小」産業がもてはやされ、産業のコメは鉄からICに変わった。いずれにしてもバブル期は好景気に沸いたし、その弾ける事を知らないがごとく浮かれたっていた。この「負の遺産」が災いのもとで、学力低下の問題でも、経済学者の佐和隆光氏が取り上げているように、当時の某経済評論家が言ったとされる「汗水垂らして金儲けをする時代はもう終わった。頭を使って投機で金儲けをする時代がやってきた。今時、投機をやらない輩は世捨て人だ」という言葉である。その経済評論家は(いや評論家というに値しないが)今どこで何をしているのだろうか?物作りを軽視した、空気を転がすが如き金儲け主義の世相が、ホリエモンや村上世彰などのうさんくさい?人種を生んだのだと思っている。話はそれたが、鉄鋼業の海外進出はこれからも進むであろう。中国や、インドなどの潜在需要のあるところや、やがて東南アジアもその道を辿るはずだからである。しかし、製鉄所の建設には数千億円という単位の巨額投資が必要であるために、危険を伴う事もまた人一倍大きなものがある。グリーンニューディールなどと、今は盛んにエコ産業がもてはやされているが、日本も国家百年の大計を持って事に対処しなければ、千葉のゴルフ場のような思わぬ落とし穴に落ちてしまうかも知れない。
2009.04.14
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連れ合いが講師を再開するに当たって、健康診断の結果を府教委に持参するという事で同行した。連れ合いが健康診断など所要をすませている間に、朝から貯まっていた新聞の切り抜きを読み始めたが、数日間貯めておいたスクラップは結構な量になっていた。中でも3月末から予告を発していた北朝鮮のテポドンに関する記事が多かった。国連決議も何のその、テポドン2号は予定より1日遅れの4月5日発射された。先頭が丸いのは人工衛星で、尖っているのが核弾頭であるといい、今回の先頭は丸いがあれは偽装だというような解説が長々と載っている。北朝鮮は発射は成功だといい、アメリカは衛星の発射は失敗であると結論づけている。日本では、発射が失敗したら迎撃するとの態勢を取らされて、その上誤報道で右往左往させられた人達がいる。殆どの日本人は「でも、そんなの関係ねぇ」と花見行楽のシーズンであった。日本人がどうこう言おうが、北朝鮮の将軍様の耳には届かないばかりか、相手にもされていない。日本などは自主性が無く、何も出来ないのだから、アメリカさえ押さえておけば十分だという意図がありありと伺える。アメリカも、日本との同盟を重視しているようで、差し障りのない情報はくれるものの、共闘する考えはないと思われる。ニクソン時代の対中外交で、突如日本を飛び超えて当時のニクソン大統領が対中外交に突入した例もあり、今回もいつ何時将軍様との話を日本抜きでやるか分からない。そんな記事の中に、2段の記事が伝えるところによるとスリランカでゲリラ420人が死亡したとあった。反政府武装勢力タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の戦闘要員政府軍が掃討した結果だという。20万人が人質状態でとらわれていて、今回の掃討作戦の結果まだ、4-5万人の民間人がとらわれ状態のまま留め置かれているというのだ。また、昨日は、タイのデモ隊の激しい場面がテレビで放映された。赤シャツの「タクシン派」、黄シャツの「政府派」それに軍が絡んでのバンコクの騒擾は激しいようである。元々タクシン派は貧困層に手厚い政策を執ってきたと言うが、数々の善政もさることながら、自分とその一族に対して甘く、個人財産を蓄財したという事で今回の政権交代と国外逃亡になったと記憶するが、国内では矢張りまだ根強い人気があるのであろう。飴をしゃぶらせられると、人は弱いものになるという事だろうか、個人蓄財の罪などどこ吹く風である。「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき 」と言う事でもあるまいが、汚職にまみれた政治家でも、一定時間が経てば、善政のみが思い出されると言うところ当たりは、日本の世情ともよく似ている。何故か今日、定額給付金の申請書が郵送されてきた。危ない、危ない。そんな記事を読んでいるうちに連れ合いが帰宅し、大阪府庁の別館に出向く事になった。昔は、直接天満橋までは行けなかったが、今は阪急と地下鉄の相互乗り入れで、乗り換えの不便はあるが比較的短時間に行く事が出来る。しかし、近郊からの電車賃が高い事に驚いた。というか、府の中心からそんなに遠くに住んでいるのかという感じである。経済効果、消費促進というなら、もっと都心に簡単に(安く)出られるようにして貰わないと、なかなか簡単に出ようとは思わず、足が遠のくのも道理だと思った。府庁そのものには行かなかったから内部は分からないが、別館の内部は薄汚く、こんなところで善政が出来るのかと感じた。部屋のドアには座席表が貼ってあったが、私も経験した、昔ながらの背面管理の座席配置で、偉い人は一般職員の背中を見て仕事をしているもう3-40年前の配置そのままだった。官公庁はどこもそうかも知れないが、薄汚く、二度と行きたくはない風情であった。
2009.04.13
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今日は、町長と、町議会議員の選挙である。朝は早くから起き、マスターズを見、片山が6位タイでホールアウトしたのを潮に、選挙に出かけた。選挙は近くの小学校であるのだが、その小学校は目と鼻の先に見えるものの、JR東海道線を挟んで反対側にあるので、どちらにしろかなり大回りで行かないとくぐれるトンネルはない。まだ朝が早いので、投票場に向かう人の数も少なく、投票所内は閑散としていた。この町内に住んで初めての町長、町議会議員の選挙を体験する。誰がどんな活動をしているかよく分かっていないので、勢い連れ合いの意見を参考にするしかない。連れ合いは、歩こう会や孫の入園式、また美山へのバーべーキューなどに加えて、講師再開の準備などもあり、私が選挙から帰った時にはまで寝ていた。ゴルフで世話になっている先輩からタケノコを掘ったので届けるとの電話があり、下の道に降りて待って、堀たてのタケノコを頂いた。今日は、いつもドライブや、一泊旅行をする友人と、姫を交えて、篠山市にあるインターネットで有名な「ろあん松田」というそば屋に出かける事になっている。運転はその友人が一手に引き受けてくれる。昨日も通った、京都縦貫自動車道を、今日は亀岡ICで降りて、やがて「デカンショ街道に繋がる、国道を、一路篠山市に向かった。予約の時間にはまだ早かったので、篠山で有名な「小西のパン」を買い、篠山城址を訪れた。初めて登る城跡で、平山城であるが、若干の高台になっていて、周りには堀が巡らされ、桜の木も植えられている、こじんまりした城跡であった。徳川家康の名で建てられた城だという。近くには400年記念の幟があちこちにひらめいていた。城跡からは、篠山市が360度俯瞰できる。城自体はこじんまりしているが、周囲は広く丹波の平野が眺望できる、立地条件の良い場所に建てられていた。そろそろ時間もきたので、そば屋に向かった。山奥と言うほどでもないが、市内とは隔絶された山間にぽつりと一軒、そのそば屋は建っていた。待つ事しばし、運ばれてくる温野菜に始まる、3種類のそばと、間に出るこれまた野菜の料理に、全員が舌鼓を打った。時間を掛けて出されるそばのコース料理を食べ終わった頃には、高かった日も西の方に沈みかけるまでになっていた。そば屋を出て、来がけに華やかに咲いていた桜の土手で、本日最後の桜を前にスナップを撮り、一路帰宅の途についた。帰りは、京都縦貫の手前を、茨木市に抜ける一般道路を通り、夜も更けた頃にマンションに帰宅する事が出来た。
2009.04.12
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連れ合いの友人の美山の山深い別宅でのバーベキューに誘われて出かけた。桂駅で、別荘の持ち主の奥さん先生と、もう一人の同僚の先生を乗せて、まず美山の中の大野ダム公園という桜の名所に案内された。洛西口から京都縦貫自動車道に乗り、快適に車を飛ばして、終点の丹波で降りて、国道27号線を通り、右に折れて、由良川沿いに大野ダム方面に向かった。途中の道は、丹波の山並みがのどかで、桜もあちこちに見られた。大野ダムに差し掛かると、当たりは一面の桜が満開である。美山町は南丹市にあり、その広さはかなり広く、大野ダムはその西の外れに位置していた。美山町を抜けるともうそこは福井県という、京都府と福井県の県境でもある。丁度春の桜祭りの最中であるが、朝早くに着いたので、まだ近くの駐車場も空いていた。ちゃっかりと駐車料金500円也を取られたが、200円の商品券を2枚もサービスしてくれるなど地域興しの人達が総出で運営しているようである。駐車場に車を置いて公園内を散歩したが、桜のうす紅色一色の並木道や、新緑の出始めた山裾の緑と織りなすコントラストが素晴らしい華やいだ桜公園であった。薄紅色の桜、一寸濃いめのピンク色の桜、葉っぱと共に咲く葉桜など、種類も豊富であるが、何と言ってもソメイヨシノの群生するうす紅色の一面の桜を俯瞰できたりダムの水面はさほど済んではいないものの、山裾の咲く桜の花を映し出し何とも雄大な花見公園であった。今年の桜は長い間咲いている。暖かい日が続くが、朝夕は寒いとか、雨が降らないとか色々な原因があるのだろうが、これほど桜を堪能できた年はあまりなかったように思う。昼も近くなり、いよいよ別荘に向かって車を走らせた。別荘への道をあわや通り過ぎようとしたが、かろうじて気づき左に道を折れて昨年も訪れた山深い別荘に着いた。別荘では、ご主人と息子さんが、山からの湧き水を通す溝でセメント工事をしていた。やがて焼き肉パーティーが始まり、野菜と焼き肉を腹一杯食べ、少しビールを頂いて、山間での楽しい一時を過ごした。後は室内で、女性3人は盛んに話し込んでいる間、私は少し居眠りをした。話は尽きぬようだが、外も暗くなり、帰る事になった。外に出て空を見上げると、最近ついぞ見た事もない北斗七星が大きく輝いて見え、そのひしゃくの先端から5倍の位置にはちゃんと北極星が見えた。空気も澄んで、空まで活き活きしている感じだ。ご主人の車の先導で、元来た道を丹後ICから京都縦貫自動車道をひたすら京都市内に向かった。ご主人はすごいスピードで駆け抜けていくので、付いて行くのがやっとだったが、やがて置いて行かれた。しかし、通い慣れた道であるので、後は自宅まで難なく帰り着く事が出来た。
2009.04.11
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今日は連れ合いと孫の幼稚園入園式に参列した。我が家からはJRで一駅と少し離れた場所に幼稚園はある。私は、あらかじめウォーキングで山崎駅まで歩く事にした。このところの陽光うららかな天候と、今を盛りの桜を愛でながらのウォーキングは最高だからである。土手や、道すがらの満開を誇る桜を写真に納めながら、いつもより速いペースでウォーキングをした。桜は美しいが、電線などがこれをじゃましている事に少し興ざめな部分もあるが、とりあえず、山崎駅まで50分で歩き終え、連れ合いや、孫一家の到着を待った。待つ事しばし、京都行きの東海道本線に少し遅れが出ているようだったが、太郎一家はそれを見越して一つ速い電車で来たようで、予定の時間通りの到着であった。一家で、山崎駅の西側の人しか通れない細いトンネルを頭をかがめながら通り抜けた。このトンネルは、知る人ぞ知るのトンネルで、一般の人は大きく回り道をするのが通常である。この洞窟のようなトンネルを越えると目の前が山崎幼稚園になっており、孫はそこに入園する事になった。少し早めに到着していたので、入園式の看板をバックに記念撮影をしたり、桜の下での記念撮影などを済ませた。帰りにはこの記念撮影をする親子が列を成して順番を待っていたので、早く済ませおいて良かった。入園式が始まると驚いた。我々もそうだが、どこも両親がそろった上におじいちゃんおばあちゃんらしい人達も集まっていたので、大きめの集会の部屋は立つ人もいる大盛況振りである。その親たちが、なりふり構わず我が子をカメラやビデオで撮る様は、一体誰のための入園式なのかと思わせるほどの興奮と雑踏振りである。思い起こせば、私の場合は、遠い昔、幼稚園などというところへは通った覚えはなく、むしろ連れて行かれて逃げ帰った記憶がある。幼稚園に行かなくても近所の悪ガキと遊ぶ事に苦労をしたわけでもないし、改まって幼稚園などというところに行く気恥ずかしさがあったのかも知れない。未だに人付き合いが下手なのはそんな幼少の頃の幼稚園未終了によるものかなどと思ってしまう。孫を含めて園児達を見ると、真新しい制服と鞄など、おそろいの出で立ちであり、後ろから見ると見分けが付かないほど、新しい制服はダブダブで、それがまた何とも言えず初々しい。既に園児の中には、おとなしく話を聞く子や走り回る子、怖いのか親を求めて泣く子など千差万別である。賑やかで、晴れがましい入園式を終えて、私は再び元来た道を歩いて帰る事にして、連れ合いや太郎一家を山崎駅に送り帰途についた。自宅近くのふれあいセンターで連れ合いと連絡を取り、ゴルフバッグの修理の連絡を受けたので、連れ合いが乗ってきた車でゴルフショップまで取りに行った。何と連れ合いは、その時、懸案としていた、自分のドライバーとパターを購入、名実共にマイバッグ、マイツールを獲得して、やる気満々となっていた。今日はあわただしくも、晴れがましい一日であった。
2009.04.10
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過去2回参加した歩こう会に、も早3回目の参加となった。今回は、JR四条畷駅から府民の森公園の室池までを往復する一寸した山登りの感じがある今までよりもきついコースである。前回までは手提げ袋で参加していたが、今回は少し山を登るところがあるので杖を持参する方がよいとの連絡だった事もあり、昨日、両手が使えるようにと急遽リュックを買った。大阪駅で集合だが、その前に弁当を仕入れなければならない。前回、皆さんおすすめの弁当屋で、美味しそうなのを2つ買った。集まったのは男性9人と女性4人で、後1人の女性は京橋で合流し、学研都市線(旧片町線)で四条畷に向かった。途中の放出(はなてん)や徳庵は私の小学校時代のJRでの最寄りの駅である。名前だけは懐かしいが、面影は残っていなかった。野崎参りで船で行く人、陸路を行く人の軽妙なやりとりで知られる有名な野崎を経て、四条畷に到着した。マスターズが気になるので、後刻記入する事にする。四条畷から、一寸した山道に掛かるまでは、なにやら住宅街をくねくねと曲がってたどり着く。途中四条畷神社など、長い階段を上るところは端折って一路、府民の森、室池公園を目指した。途中「権現の滝」でスナップ写真を撮り、一息入れる。最近雨が降らない割に、水量が多く、且つ下流は泥で濁っていた。結構喘ぎながら上り詰めたところに室池があった。何故こんな高いところ(海抜314mはあるようだ)に池があるのだろうかと一同不思議だとの感想を漏らしたが、広い土手の芝生の上で、持参した弁当を食べ、しばしの休憩を取った。昼寝をするには好都合な気候であったが、何しろ公園内にトイレが少なく、トイレを探すために休憩時間も短くならざるを得なかった。このあたりは金剛生駒国定公園になっているようで、桜も満開、こぶしも今を盛りと咲き誇っている。先輩が私の所に歩み寄って、「奥さんから、花が上を向いているのが木蓮で、下を向いているのがこぶしと教えられたよ」と言われていた。登る時も、下る時も、近くの人と話をしながらの行程はなかなか楽しい。幹事をしておられるもう一人の先輩は、自分が下見をした時には、道を探しながら行ったり来たりしたので、長く掛かったが、今回は意外に早く降りてきてしまったと言われていた。四条畷に帰り着いて一応の解散をし、有志だけ駅前の喫茶店で、さらにゆっくりと話す機会があった。知らない人とも段々と言葉を交わすようになり、正に色々な話題が沸騰した。四条畷から、大阪駅に出て、本格的に解散したが、何を思ったか連れ合いはせっかくだから大阪城公園の桜が見たいと言いだした。だったら京橋から外回りに乗ればすぐだったのにといいながらも、再び外回りの環状線でもと来た方向に引き返し、桜宮で降り、大阪城の公園を歩いた。ここではもう桜が散り染めているところで、近所から聞こえる声は、中国語や韓国語と覚しき言葉ばかりだった。考えてみれば、ウィークデイの5時前なのだから、日本人は働いているのだと、改めて、停年になった実感を味わった。そんな事で、今日はメインイベントが2つ重なったようで、帰り着いたら3万歩を超えていた。健康には良かったのかな?
2009.04.09
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連れ合いが再び臨時講師として教壇に立つ事になり、その中学の入学式に参列する事になった。伊勢から帰りのドライブで疲れているだろうにもかかわらず、学校の話となると何故かピリッとするから不思議である。朝は通常よりも早く起きて、せっせと準備をしている。正に待ちに待ったこの日という感じである。昨夜遅くから準備していた洋服を颯爽と着込んで入学式に向かった。いつものようにマンションから見送っていると、今日はなかなか現れない。「近い距離なのだから歩くか自転車で行ったら?」と言っていたので自転車で行くらしい。自転車だと現れる方角が違うのでそちらを見ると丁度自転車で手を振りながら出かけているのが見えた。私はというと、伊勢に出かけていた間の新聞を読んだり、要所を切り抜いたり、またブログを振り返って書いたりの結構あわただしい時間が過ぎて行く。あれ!?もうこんな時間かと思うともう昼前になっていた。午後からゴルフバッグの修理のため買った店にバッグを持って行く予定にしている。連れ合いが帰って普段の外出着に着替えるのを待って、外食を兼ねてゴルフショップに向かう事にした。外は相変わらず、桜の並木がどこもここも美しい。考えてみれば、落ち着いて桜を愛でるのは、久しぶりの感じがする。桜の時期、時に海外にいたせいもあるが、日本にいても桜を愛でる余裕がなかったからかも知れない。ゴルフバッグは、サイドのファスナーがダメになり、口を開いたまま動かなくなったのだ。店員に言わせると、「保証期間を過ぎているし、無償となるかどうかはメーカー次第です」という。「おたくの店としてはどうなんだ、一年一寸しか経っていない上、特別異常な使い方をしたわけでもないのに、壊れるというような粗悪品を扱っているのか?」と捨て台詞を残してとりあえず、メーカー送りを頼んだ。どうせ中国当たりで縫製したものなのだろう、海外へのアウトソーシングが進む中、品質管理はしっかりとしているといえども、矢張り純然たる日本製品に比べると落ちる事は考えておかねばならないのだろう。帰り道、連れ合いが、まだパワーが残っているという事で、近くの打ちっ放し場に出かけ、連れ合いだけ一籠打つのに付き合った。疲れているときでも、こちらが「大丈夫か?」と聞くと必ず「私は元気よ」と応える事になっているようで、実際には疲れている様子が練習を見ていてもよく分かる。もっとも、年齢をも加味すると、初めて1年足らずでなかなか飛躍的に上達するわけがないとも思うのだが、来月早々に連れ合いの通う学校長の誘いを受けて共にラウンドする事になっているので、何とか様になるようにしておきたい気持ちがある。本人は我関せずの感ではあるが、こちらとしては、もう少し磨きを掛ければ、何とかなるという今は最初のブレークスルーの時期に来ていると思うからついつい要求も過大になってしまう。アドレスから、ボールを打ち込むという感じなどを自分の感触でつかんだかどうか、一籠では足らないようであるが、矢張りさすがに疲れは隠せず、今日はそのまま帰る事にした。明日は、「歩こう会」で、四条畷の府民の森にウォーキングに出かける事になっている。帰りのスーパーで、背中に背負うバッグを購入した。簡単なトレッキングの時に皆さんが背負っているあのバッグだ。皆さんが背負っているのを見るたびに、私も背負ってみたいという希望と、何だか背負った時の気恥ずかしさが入り交じった気持ちである。というのも、私は、小学校時代から、ランドセルなどというものを背負った事がなく、考えてみれば、リュックを背負うのはこの歳になって初めてなのだという事に気づいたのである。まあ、そんなこんなで、帰って、明日持って行くものをリュックに詰め込んで、背中に背負って悦に入っている間に、連れ合いは、講師再開に必要だという事で、写真を撮りに出かけた。結構あわただしい時間が過ぎ、読み残しの新聞はまだ残っている。
2009.04.08
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昨日遅くまで話し込んでいた連れ合いであるが、私が起きた5時過ぎには一緒に目覚めたらしく、ごそごそと一緒に行動を開始した。姉たちは、6時に起きる事でまだ寝静まっている。なるべく音がしないように、階下に降りて、湯を沸かしたり、朝食の準備を始めた。やがて6時になると、姉たちも起きてきて、朝食をとる、予定では7時半に別荘を出ればいいとの事だったが、昨日のゴミを捨てる必要もあって、早めに出かけ7時20分頃にはゴルフ場に着いていた。スタートは8時17分の2番目と聞いていたし、先頭は8時3分との事であったが、我々の前には既に数台のカートがスタンバイしていた。パター練習もそこそこに、スタート準備が出来ましたと言われたのは7時50分だった。一体どうなっているのだろう?と思ったが、どうやらどこのゴルフ場も安くする代わりに大勢人を入れて薄利多売で儲けようとの考えらしい。庶民としては安くゴルフを楽しめるのは良いが、昔のようにゆったりと楽しめないという事になったわけだ。(この日は50組以上入っていたとの事)それはそれで仕方がないかと思いながらプレーを始めた。新米と年配の凸凹4人組である。勢い時間が掛かるのは仕方がない。予定プレー時間より30分近くスタートしているのに、すぐ後ろの組も時を空けずにスタートしたようだ。3番ホールが終わるか終わらぬかの頃、クラブの担当者が、カートに乗ってやってきた。「後ろから遅いとクレームが来ていますから、もう少し早くお願いします」とのことだ、「時間も掛かっていますので」という。何を3ホールでと思うものの、後ろの組はと見ると、中年だが、ゴルフ慣れしているような男性3人組である。こちらは凸凹4人組、あちらは颯爽3人組だから仕方がない事である。悔しいけれど、茶店のある4ホール目を境に前後を入れ替える事になった。それから後は、特に追われる事もなく過ぎたが、進んでいくうちに、くだんの組の前の組もまた詰まっていた。その前の組は男性ばかりの4人組であるから、くだんの組も遅いとクレームする事もしないでじっと待っている。こちらはおとなしい男(私)と女性3人であるからのクレームだったのだろう。一人はバックティーから打つほどの人であったが、後は並で、結構ミスもしているではないか・・・。全く気の悪い連中だった。田舎ものはこれだから困ると思いつつも、若干こちらもゆっくり目のプレーである事は否めないので、まあじっと我慢する事にした。姉たち歳よりは、女性としてというか、プラス年寄りにしてはそこそこのプレーであるが、如何せん動作が緩慢である。連れ合いは始めたばかりで、最近ようやくゴルフらしくなってきた。前半は、寝不足からか、なかなか乗れなかったようであるが、後半は、姉たちを凌ぐか、同等のスコアを出していた。私の連れ合いに対する要求度合いも段々と高くなって来る。遠くで聞こえない事もあるので、注意もついつい大声になる。注意するときには、コーチ気分だが、自分自身がその通り出来ているかという事とは全く別問題だ。人に言うほど簡単なら、とっくに私も良いスコアになっている。このコースは、狭すぎるという感じではないが、日頃の一庫CCに比べ、極端に狭くもなく、また、山が受けている箇所もあり、フェアウェイ、グリーンとも状態は良いので、結構楽しめる。私の前半は、後の組からのクレームで気分が悪くなり、50を切れなかったが、後半は、そのストレスもなく、44で上がる事が出来た。恥ずかしながら、100を切るのは数えるほどしか無く、94はおそらく自己ベストかも知れないと思いながらも、そこここで犯したミスを数えると、もう少しは好スコアで上がれる気がしている。ラウンド終了後、風呂に浸かって疲れを落とし、支払いをしたが、何と二人で10000円を切っていた。これは、姉が誕生月でありそのおこぼれに預かったという事であるが、日頃の汚い一庫コースに比べても安いので、このコースがもっと近くに有ればいいのにと思ったものだ。もっとも、近くに有ればあったで、もう少しは高くなるのだろうけれど・・・。帰りに姉がハーフ60を切った(これが目下の目標らしい)ので、記念に近くのロイヤルホテルでアイスクリームを振る舞ってくれた。帰りは、来た道をただひたすらに帰ったが、伊勢の五十鈴川の綺麗な桜並木の所では3人ともぐっすり眠り込んでいたのは残念だった。時間が掛かる事を覗けば、この凸凹4人組でのプレーは結構楽しいゴルフである。後は、連れ合いが、安定したプレーが出来るように早くなる事を願っている。そうしたら、2人でのプレーも沢山出来る事になるだろう。今回も、楽しいゴルフ旅行だった。
2009.04.07
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今日は伊勢志摩カントリーにゴルフを楽しみに出かける。以前にも姉の友人の持っておられる別荘地に伺い、翌日ゴルフをした事のある、ゴルフクラブである。今日は、昼過ぎから出かけて、その別荘に泊めて貰うだけのドライブとなる。桜が満開の中の高速道路を走るのであるが、ウィークデイなので、1000円効果もない代わりに、少しは空いていて欲しいと思っていたが、予想通り、車の数は少なかった。草津ジャンクションから亀山ジャンクション間の新名神は広くて快適な道路である。いつもは降りない甲南PAでトイレ休憩をした。最近、車のカーナビの具合がずっと悪い。機嫌の良いときにしか画面が出ないのだ。行く先は分かっているので、必要ないと言えば無いのだが、機嫌の良いときに目的地を入力しておくと、ずっとそこへ行くように音声だけが誘導してくれる。しかしこのカーナビ、ハードの具合が悪いので、ソフトも更新していないため、新名神はあくまで山の中である。どうも近くの一般道路を走っている前提での案内となるから返ってうるさい。また新名神がない前提だから、吹田から乗ると、近畿自動車道路から、西名阪道路を抜け亀山に行く道をガイドするようだ。途中でこちらの意図が分かると今度は旧名神高速から国道1号線に抜ける道を想定して案内を始める。そこから先の伊勢自動車道路は、早くから出来ていたために、ちゃんとした案内になるという具合だ。それはそれで適当に無視してドライブする。幸いにもこの一週間は好天気が続き、週末には5月頃の陽気にもなるという。阪急電車の駅には、沿線の桜の名所のこれぞという美しく咲き誇るポスターが各地の花の様子を伝えて、外出心を誘っている。昨日も、用があって近所の道を車で走ったが、脇道などに入ると背中にリュックを背負った人達が大勢歩いておられた。歩く事は健康のために良いばかりではなく、桜が咲く陽光うららかなこの時期は、家に閉じこもっているのがなにやら勿体ない気がするのは誰でも同じであろう。年金生活に入った我々は連れ合いの後一年の時間講師延長の合間を縫って平日に出歩ける楽しみを味わっている。そんな具合で、伊勢自動車道の両脇に見える風景や、山の中に薄紅色をちりばめた風景を見ながらの春のドライブはとても楽しい。お伊勢さんには一寸立ちよりたい気もするが、何度か来ているので、今回も通過するだけであるが、五十鈴川の河原に沿った桜の満開の様はそれは素晴らしい景色である。我々は、先を急ぎ、伊勢西インターで降り、ジャスコで買い物をして、再び、旧伊勢道路を志摩方面に向かった。無事別荘に到着、しばし歓談の後、近くのスペイン村の隣にある「ひまわりの湯」という温泉に入りに出かけた。この温泉は少しぬめりがあり、伊勢志摩の海が見える露天風呂を楽しむのが、今回のゴルフ旅行のもう一つの楽しみである。1時間ほど温泉を楽しんで、別荘に帰宅、ジャスコで買ってきた、焼きそばなどを食べ、ビールも少し入って、私は良い気持ちになって寝てしまったが、連れ合いや姉たちは、夜が更けるまで話し続けたそうである。まさに、女三人寄ればの態であったのだろう。連れ合いの、「明日がありますから」という言葉がなかったら、話は留まる事がなかったようだ。
2009.04.06
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本日午前中に北朝鮮から予告通りテポドンが発射された。幸いにも日本への落下物はなかった模様で、撃墜する対象はなかったのは良かったとほっとする。しかし、これから精査が行われるようであるが、1段目のロケットや、最終到達地点へのズレなど、どの程度であるのかが少し興味深いところである。日本の領域に落下物が有れば、2段構えで打ち落とすというシナリオはシナリオだけで終わったのだが、その内実は、極めてお粗末であったようだ。東北の1町村では、誤報に2回も悩まされたようである。まずは伝言ゲームのように数段階を経て警告を発する段階で、誤報を真に受けた係官が間違って発表した事、2回目は計器の誤作動だとかで、もうこれ以上続くと「オオカミ少年」になると言うていたらくである。誤って落下するかも知れないと覚しき地方の幼稚園などでは、外に出ずに屋内で待機という手段を取った所もあるようだ。巨大な落下物が落ちてくるときには、屋外も屋内もあまり変わらないだろうと思うが、まあ、心理的にその方が安全だと真剣に考えるわけだ。戦争を望むものでは断じてないが、北朝鮮の如き、ごろつき集団(上層部・軍部)のことだから、民草の事は考えていない事はもとより、権力を牛耳る一部が、その権力を維持せんがための行動であるから、いつ何時本気で日本を襲うかも知れない。その時は予告など無いわけだから、一発でも都心部にお見舞いされたら何を言ってももう後の祭りである事は誰でも分かる事だ。破片物などが日本領域内に落下しなかった事は、一般の国民にとっては喜ぶべき事で、その殆どは、花見や行楽に出かけていたのもまた事実である。ひょっとして、破片の一部が落下したときに2段構えの迎撃でどのように排除できるかを試したかった人達もいたかも知れない。あらかじめ申し合わせた試験でさえ失敗する事があるわけで、今回のように、実践さながらの申し合わせでない事態に対応できる危機管理体制が出来ているかどうかを試す機会にはならなかった。国連の安保理でも打ち上げを認めない決議があると言い、それに違反しているゆゆしき事態と言っているのは、日本やアメリカ、イギリス、フランスぐらいでロシアや中国は煮え切らないというか北朝鮮擁護派なのである。国連加盟国の中には国連決議には違反していない国もあるという。先端に核弾頭を付けたらミサイルで、衛星を付けたら、人工衛星だとするところもまた奇妙である。要は、北朝鮮はロケットを使って物体を遠距離まで正確に到達させるという所期の目的は達したようで、これからも精度良くもっと遠くまで届かせる技術を着々と進める事であろう。これら技術を、かつての悪の枢軸に売り込んだり、提携する事や、テロリストに渡る事が有れば、もう手が付けられなくなるであろう。日本はこれから、国連や、他国(特にアメリカ)の顔を横目で見ながら経済制裁を続けるのだろうが、如何に経済制裁を強めても、北朝鮮の国民が困るだけで、必要物資は中国などを迂回して来るので、北朝鮮幹部は、困らないだろうし、このテポドンの打ち上げ成功を元にこれらの技術を売って得られる莫大な外貨が入る事で、日本の経済制裁の意味もなくなるであろう。拉致問題を何とかして欲しいと願う遺族会の人達には何ともやりきれない思いであろうが経済制裁の理由の一つに拉致問題を追加して欲しいと願っても空しく響き、相手に届くどころか、日本の政府にも届かないような気がしてならない。
2009.04.05
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出身高校のバスケットボール部顧問の先生から、我々の先輩の所に部の窮状を訴える葉書が来たのが発端で、先月先輩と同窓である連れ合いを伴って訪高したのがきっかけである。我々はすでにOBの会なるものを有していたが、最近は会費を取るでもなく特別集まる企画もなく、過ぎていた。一方、我々から数年後の卒業生で新たなOB会を発足させたと聞いた。それを誰が運営しているのかを含めて全くわからなかったが、顧問の先生からそれらしき人の名前を聞いて、先輩がコンタクトを取った結果、一度会うことになった。共通の接点は高校のバスケットボール部OBというだけでもちろん会ったことはない。先輩の連絡で集合場所を阪急電車の高槻市駅改札前と思ってしまった。出かける1時間前に、なにやら打合せの相手の先生が生徒のことで問題が起こったと30分延期を告げる電話があった。雨がしょぼ降る中、先輩を待たせても行けないと少し早めに出かけた。ところが、約束の時間を過ぎても先輩も、今日打合せ予定のそれらしい人物も来ていない。5分過ぎても現れないので、連絡を取ろうとしたが、先輩はペースメーカーを使用されている関係で携帯は持っておられない。仕方なく、家の方に電話すると、奥さんは「もう出かけたけれど、さっき電話があって、誰も来ていないと言ってました」とのこと。近くの飲食店の名前も出ていたので、あわやその方に行かれたのかと、小走りに探しに行ったが見あたらない。仕方なく、もう一度お宅の方に電話すると、なにやら茨木市駅の方ではないかということだった。同名の飲食店はチェ-ン店で何処にでもあるわけだ。かってに高槻の方だと勘違いしていたのだ。こちらが早とちりしていたのか、先輩が正確に駅名を言われなかったのか、どうやら待ち合わせ場所が違っていたわけだ。すぐさま茨木市駅に向かう旨、奥さんに伝えておいて、改札を駆け上がったら、運良く準急電車がホームに滑り込んできた。高槻市駅と茨木市駅の間には2駅あるが、準急は止まらない、それでもこの駅の間隔をこれほど長いと感じたことはなかった。茨木市駅の改札口には、果たして先輩と打合せ相手の先生夫妻が立って待ってくれていた。先輩から今日の趣旨を説明して、何とかOB会らしき、後輩支援の会を結成しようという事になり、相手の先生は、比較的すんなりと何とかしましょうと快諾をしてくれた。相手の先生というのももちろん同じ高校の後輩筋に当たるのだが、すでに50を目前にした押し出しの良い先生であった。夫妻で来られたところを見ると夫妻はどうやら高校時代のバスケットボール部での知り合いで結婚されたような雰囲気であった。1,2ヶ月のうちに主だった人たちと詳細を詰めましょうとのことで今日は散会したが、忙しい中を引き受けてくれたことにほっとしながら帰途についた。上牧駅に着くと、連れ合いから電話で、姫と家の近くの飲み屋にいるということで、そこに立ち寄り、ビールをまた一杯飲んで、帰った。
2009.04.04
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つい一週間ほど前に昨年度の補正に続き、今年度の予算が通り、追加の経済対策が示された。民主党小沢代表秘書の逮捕起訴で、風向きが変わったというか風の強さが弱まったような状態で、麻生政権の支持率は上昇した。一方の自民党は二階経済産業相の西松建設からの献金疑惑を取りざたされ、自民党の方もなにやらきな臭くなったので、この件に関しては、あまり追及しない事にしたのか、その後マスコミは、際だった報道をしてない。よく調べると、二階氏は小沢氏の忠臣であったという。根が同じ所から派生しているのだから、今回も同じような結果になるのであろう。二階氏は、他にもグリーンピア南紀、二階道路として有名な那智勝浦道路など、要りもしないものをどんどん作った張本人である。如何に地元のエースといえども、このような人が、経済産業を束ねている事に大いなる疑問を感じる。麻生政権の断末魔の成長戦略の三つの柱というのは、1.低炭素革命2.健康・長寿3.底力発揮これも皆、有能な官僚が考え作成したものであろう。漢字の読めない麻生総理は、演壇でプロンプターを使っての熱演であったが、おそらく漢字にはルビを振っていたのではないだろうか?まあそれはそれとして、政治改革の「せ」の時も出ていないのは、全く絶望的というほかない。2兆円の定額減税の愚挙は、淡々と進み、なにやら既に配られているらしいが、私にはまだ届かない。高速道路1000円と銘打った料金値下げも、ふたを開ければ、都市圏はダメだの会社が違う有料の橋は違う料金体系だのとややこしい。走る本人達は、トータルで安くなって嬉しいのだが、結局は、税金をため込んでいたいわゆる特別会計の埋蔵金からの小出しの税還付でしかない。株式会社が内部留保をため込むのは訳があるが、一旦ため込んだら出さないというのは会社も国も同じであるようだ。私のような庶民はこういった直接関係する事には特に敏感であり、裏で何が行われていようと、ありがたがる傾向にある。最初2兆円定額減税を、「もっと他に使い道があるだろう」と言っていた声も、聞こえなくなったというか、聞かせなくなって、今はどう使おうかなど考えるまでになっているようだ。この点では、麻生政権、公明党の実質勝利なのかも知れない。ダメだダメだとコールする自民党の施策を覆すほどの力がない民主党も哀れであるが、とにかく一旦政権交代して、政と財の癒着を断ち切り、既得権を排除しなければ、腐敗や汚職がなくならない事もまた事実である。二階大臣のような、地元利益誘導型もまた自民党体質のまさに典型的現象である。田舎の大先生は、日本の国会では偉いかも知れないが、世界の日本となるためには全く不必要というか弊害以外のなにものでもない。低炭素化で学校に太陽光発電を導入する計画らしいが、学校の耐震補強は一体どうなってしまったのだろうか?国に2000台、地方に20万台もある公用車を次世代自動車に買い換えるという。一体そんなに沢山の公用車が必要なのだろうか?どうせ黒塗りのゆったりした車を想定しているのであろう。近所を走る公用車なら軽四のエコカーで十分ではないのか?健康で長生きしても老人が生きていて良かったと思う社会になりそうもなく、しょうがないから、介護の人を少し増やしたり、一寸手厚くする事や、駅をバリアフリーにする事ぐらいしか思いつかないのであろう。底力発揮では、休耕廃田化させた畑を復活するという前施策の愚かしさをここで取り戻そうという事か?中に、全国30の観光地での電柱の地下埋設化を計ろうとの内容があるが、これはこれとして評価できるが、何百年も掛けて計画的に作られた西洋諸都市を一気に追い越して、世界一の観光国になれると考えているのなら、大いなる幻想と言わねばならない。電線地下埋設で本当に必要なのは、昔作られた狭い地方道路で、車の行き来に支障を来している電柱こそいつもじゃまだと思うのだが・・・。
2009.04.03
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今日は急遽映画を観る事になった。今年度、非常勤の時間講師として授業を受け持った連れ合いは、最初の出勤日である今日学校から帰るなり、これから「相棒のあの映画を見に行こう」と言い出した。とにかく前々からの予告を見て、この映画は是非観たいというリストの中に入っていたものだから、すぐさま行動を起こした。一駅電車に飛び乗って映画館に着いたらすぐさま映画が始まるという慌ただしさだった。米沢守というのは、例の「相棒」で杉下右京と亀山薫を助けて鑑識活動を行い事件を解決に導く裏方の名脇役である。その名脇役振りと、とぼけたキャラクターが、今度は主役で活動するというものである。しかもこれが「相棒」の中の一つのエピソードであるから、私には少し違和感を感じた。と言うのが、事件に巻き込まれ、話が展開するのは、他所の所轄であり、米沢本人は個人的関わりから事件に巻き込まれるということで、担当刑事などが違うという設定ながら、当然警視庁の管轄であり、いつもの相棒達も他に事件を抱えているというわけでもなく、全く相談しないと言う違和感である。前回の東京マラソンを題材にした外国のテロリストに射殺された学生ボランティアの映画で、政府を皮肉る内容の映画を作った制作者は相当な反骨の人らしく、警視庁における縦割り組織の事を言いたかったのかも知れない。私も一度、同僚と弁護士を伴って警視庁に告訴状を持って出かけた事がある。弁護士にはこの程度では採り上げてくれないと言う事を言われながら敢えて行ったのだが、窓口に「聴訴掛」とか言う事務方の警官が出てきて、内容を聞く事は聞くのであるが、「受理」はされなかった事を思い出す。弁護士に依れば、「受理」というと次の行動が期待できるのだが、ただ訴状を預かるだけで、書類は顧みられることなく机に積まれ、時間が経過すると捨てられる運命にあるそんな扱いであるということだった。その後、それらの訴状の中に前の道路公団がらみの贈収賄と思わせる内容に気づいたのか、刑事が何組か、話を聞きたいと言ってきた。一度二人組に話したのだが、また次の組がやってきた事を覚えている。警察も全くの縦割りであり、事件の内容が、他の部署と共有されるどころか、同じかの中でも担当者の手柄の取り合いである事を感じたものだ。映画に戻ると、東京マラソンで写真分析をしていたときに米沢鑑識の目にとまった別れた女房によく似た女性を女房だと勘違いし、会いに行きそれが殺人事件になった事から映画は始まった。結局は人違いであり、他所の刑事の妻だという事が分かったのだが、何故か行きがかり上、米沢が鑑識を続けるのである。ここに「相棒」で馴染みの捜査一課の刑事が少し絡むわけだが、何故か杉下・亀山には声が掛からない。まず単純な自殺事件だと思われていたからであろうか、米沢守にとっては重大と思わせてもそれが個人的な関係であったからか、廊下ですれ違う「相棒」には相談の声一つ掛けない。何とも奇妙な設定であった。青年防災協議会とか言ういわゆる警察の外郭法人(いわゆる天下り先)が年度末に予算を使い切る必要から、見られもしない不要な印刷物や冊子を作り、放置している現状を知った古手女子社員が、どうせどぶに捨てるお金だし、税金の無駄遣いなのだから、それを横領しても発覚しないという事から、後輩の女子社員を使い架空の口座に振り込みさせると言う設定だ。若い社員がそれに気づき返すよう促したが、発覚を恐れた古手の社員によって毒殺されたというものだった。物語は単純だが、党の外郭団体は、一切無用な金の使い道(税金の予算消化)など決してチェックとか詮索はしないから、内部告発でもない限り事件は発覚しないという事が味噌のようだ。ここの理事長はセクハラでもなにやらきな臭い設定になっているが、セクハラについては親告罪であり、当人が提訴しない限り警察は動かないという事も昔を思い出して、気分が悪かった。その理事長が、自分に不利になると、部下を怒鳴りつける様など、私がいた昔の全くちっぽけな会社が、大きな組織に変わっただけだと思って、苦々しく見ていた。この映画の作者は、前回の東京マラソンの時もそうだったが、政府に批判的な政治上の問題を取り上げているのが面白いとは思うものの、本当に行われている中身はもっとどろどろしていて魑魅魍魎の世界であろうと思うと、何か物足りなさを感じた。捜査一課が殺人を犯した古手女子職員を逮捕して去るとき、これからは二課に受け継ぐ旨言っている中、二課の捜査員が証拠品である、テレビなどで良く見る、例の段ボール箱を運び出しているのを見て、あの理事長はどうなったのかは、観客の想像に任せられた。現在の天下り、渡りなどについても、法人のお金の使い方をもっと丁寧に追及して欲しいものだと思う。同じような無駄遣いが随所に転がっている事は、過去の事例を見ても明らかな事であり、これを放置したままで、税金を払い続けるのは馬鹿馬鹿しくなる。仮称青年防犯協議会とやらが何をしているのかは分からないが、理事長が大きな部屋で、セクハラ相手らしい女性にゴルフの手ほどきを手取り足取り教えているビデオを見ながら、自分は高級ゴルフクラブのドライバーを手入れしている様は、むかつく以外の何ものでもなかった。まあ、これは映画と思ってみる人はいるだろうが、架空の事件に名を借りた、日本の現状を見る思いがして、ごまめの歯ぎしりに似た感情を覚えた。ついでの事に、日本国詐欺集団「社会保険庁の実態」という映画が出来ないものかと心待ちする気持ちになった。勿論歴代長官はわかりやすく実名が望ましいが・・・。
2009.04.02
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不定期的だが、血液検査をして貰っている。大阪に来て環境が変わったせいか、停年を迎えてする事が無くなったせいでか一時やる気がなくなって、少し脱力感を覚えたので、カウンセリングのつもりで診療所を訪れた時に血液検査をして貰ったのが最近の検査のはじめである。自覚症状はこれと言ってないのだが、随分以前から、生活習慣病の宝庫のような結果が出ていたので、検査をするのが嫌であった。しかし、4年前にサウジアラビアに長期海外出張をするとき、契約先の健康管理のプログラム上、検査を要求された。その時の結果は、既に、総コレステロールと血糖値が基準値よりは高めに出ていたが、海外長期駐在に支障はないという事で出かける事を許されたが、約1年後に帰国したときには、体重は6kgも増え、血糖値も80%強増えていた。さらに中性脂肪は3倍以上の数値を示し、肝機能の数値も上がっていた。最悪である。まさに満身創痍、生活習慣病の宝庫のようになって帰国した事になる。サウジアラビアはイスラム圏の中心的存在であるために、アルコールは一切飲めなかったのに肝機能が低下している事に若干の戸惑いがあったが、肝機能は、アルコールだけで悪くなるのではない事を後で教えられた。異国では食べ物が違うし、サウジアラビアでは粗食ではあったが、自分で食事を作る事の出来ない身では、朝のホテルでの朝食がごちそうで、特にデーツ(ナツメヤシの実)は実に美味しく、それが多分に血糖値を驚異的に上げる結果となったのであろう。朝食時のデーツは、シロップ漬けや、乾燥したものまで、数種類あり、どれも美味しいのでついつい食べ過ぎてしまう事になったのを思い出す。まともな昼食を採る環境にはなく、いつもファストフードであり、夕食もピザや、ジェッダ特有のフライドチキン、サウジのバーガー、パキスタン料理?の持ち帰り、おそらく使い回しの油で揚げた紅海で捕れた魚等々・・・を続けたのが原因であろう。今日の検査結果では、肝機能は正常に復していた。これは、日本での禁酒と思うし、バランスの取れた食事のお陰であろうと連れ合いに感謝している。血糖値や、ヘモグロビンも少しずつではあるが落ちてきて、正常値の範囲になりそうな事が視野に入ってきた。元々血糖値は高めな方であり、自覚症状もないところから、さほど気にしていなかったが、異変は突如起こるとの話もあるので、これからも注意していきたいと思っている。ここに来て尿素や、カリウムが検査値の正常範囲を少し超えている。だからどうだとは医者は言わない。その程度の超過のようだ。自分の健康管理のため以前からデータを取ってきたが、正常値の範囲の基準値自体が変わっている事に気がついた。検査表には、その新しい範囲で、機械的に少しでもオーバーしたり、下回っていると警告の矢印が示されているのだが、それがそのまま危険という事ではないと書かれている。それを見て医者が総合判断を下すというわけだが、私の場合は、たちまち薬で調整することなく食事の療法や、運動に依る事で解消すべしとの診断であった。やれやれであるが、まだ課題は残っている事も事実だ。しかし、肝機能回復というのは私にとっては偉業といえる。血糖値については、あまり甘いものを食べないようにしようと決めているが、大福が好きな私は、検査前に食べていた事もあり、それが原因かなとも思って、当面控える事にした。中性脂肪は正常値に復したので気をよくしているところだが、総コレステロール(メタボ?)の値がまた高くなっているのが不満である。とは言っても、体を動かす事というと時々のゴルフしか無かったので、最近は一日一万歩を目標に歩く事にしている。血圧に関しても最近は高めであるが、これも血圧降下剤を飲むほどでもなく、聞くところによると、医者の使われる手動の水銀血圧計よりも電気式の方が高めに出るとか、計器のセンサーにもよるなど、結果に一喜一憂する事はないとの話であった。ちなみにサウジアラビアで入手した英語版のガイダンスでは140-90が正常のボーダーラインとされていた。それには寝過ぎも良くないとの事だった。今日の私の高い側の血圧はMiddle Stage 1だそうである。運動が効果的という意味では、月例のゴルフコンペや、同期の年4回程度のゴルフ、時々行く家族のゴルフは大いに励みになるし、それらを通じて知り合った人とこれも月一回の「歩こう会」も大いに喜ばしい事だと思っている。いつも思うのだが、月例会に来てゴルフをされている方は皆高齢にもかかわらずお元気である。聞いてみると、それぞれ若いときには手術を受けたり、心臓にペースメーカまで付けておられる方もいらっしゃる上に、ガンから立ち直った人も2人はおられる事を知った。さらに81歳で、レディースティーからではあるが、上位に食い込む人などもいて、この月例会に参加させて貰っている事が、どれほど前途に希望が持てるか知れない。そんな事を思いながら、血液検査の結果を見たとき、自覚がないだけに、これで良いのかと思う一方、何としても正常値範囲の中に収めたいと考えている。
2009.04.01
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