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今日は定例ゴルフコンペがあった。私が参加させて貰って7回目、会自体は50回の記念の大会にあたるという。一昨日の同期会(九人会)でのOB多発にもかかわらず、準優勝から帰って、ホール毎にどこが悪かったのかを反省して、OBの事は勿論、セカンドでのチョロやトップ、アプローチでの不手際など数え上げると、7打は改良の余地があるという自分なりの解析が出来た。勿論タラレバではあるが、下手は下手なりに勘定してのことだから、可能性は大いにあると判断した。勿論念願の100を切るというのが当面の目標の私だ。推定最高グロスを92と踏んで、朝早く起きて、いつもの山道を車でゴルフ場に向かった。今回の事前に配られた組み合わせ表では、このコンペでのハンディーで、10以下の3人がパートナーとなっていた。勿論、先輩もその中に入っている、別に先輩と会う機会があったときに、「プロの皆さんと一緒では緊張します」と一言言っていたのが利いてか、朝配られた組み合わせ表には、一人最高に巧い人が外れ、うんとハンディーの高い人の名前が記入されていた。さらに、その表も、ハンディーの高い人が急遽欠席されることになったのであろう、その人に変わって、結局は、私よりも少ないハンディーのお医者さんが急遽入られることになった。このお医者さんは、病院の副院長というお方で、勿論私よりも年齢は5歳ほど上の方だった。例によって出だしから緊張したが、先輩も、その同期生の方も前に一緒だったこともあり、よく知っている上に、今回ご一緒させて貰った副院長先生は気さくで、紳士的であり、物腰の柔らかな話好きの方であったので、段々と心がほぐれていった。時には、健康についてのカウンセリングをゴルフそっちのけで喋ると言うこともあり、私としてはゴルフの出来そのものは別として楽しくラウンドが出来た。肝心のゴルフの方だが、前日の高校同期の会のOB3回を上回る4回のOBを打ってしまい、パーを取れた後の気負いからその次のホールのティーショットなどは大叩きという、まさにシーソーのようなゴルフになってしまった。気持ちよくパーを取ったその後は決まって大叩きをしてしまう。このパターンを解消しない限りは、試合前に目論んでいた100は切れないと悟った。ゴルフはメンタルなスポーツであることは論を待たないが、私の場合は、どうも人一倍その要素が大きい。練習のこつもあるのであろうが、まず実戦の経験が今までは少なかった。今は入院中の同期生や、今回の先輩、さらにはその友人という人は、年に50-60回というラウンドをこなしていると言うことだった。道理で、常に私の打球をアウトドライブされるし、ショートではワンオンをするのが当たり前で、必ずニアピンを取る事を念頭に考えておられるのだ。私などは、手前のバンカーや、池などが目に入り、直接ピンを狙うのが躊躇され、ただグリーンに乗れば幸いという風に、心構えから違っている。今日は腰のキレが悪いのか、右へ右へと押し出す事が多く、殆どがラフからの2打だった。しかし、2NDは良い時もあり2オンやパーオンすることもあるのだが、その後が3パットなどとしびれてしまう有様である。満足の行くホールはいくつかあったものの目論見のグロスにはほど遠いばかりか、100を切る事も出来ず、ハンディー通りか、それ以下の成績に終わってしまった。最初の参加時に大叩きし、ブービーとなり、そのお陰でダブルペリアでの大ハンディーを頂き、3回目の出場で優勝してからハンディーをカットされ、その後も鳴かず飛ばずのため少しずつのハンディーアップがなされ、今度こそは優勝できるまでは行かなくても、100を必ず切る、OBを含めミスの少ないゴルフをしたいと思っていたのだが・・・。さらに、幹事である先輩が、50回の記念大会という事で、通常の賞品の他、ゴルフバッグ一個、お米3袋、ゴルフボール1ダ-スを3つ、さらにゴルフ場からの一人半額チケット数枚という別賞品を公平にとあみだくじで決める事になっていたのに、結局何も当たらず、ただの参加賞に終わってしまったのは返す返す残念な事であった。しかし、諸先輩の方々と、楽しく回れた事、副院長先生に体の事など相談できたり、親しく成れたのは、ラッキーだった。しかし、皆さんは私よりも遙かに年上なのに、何でドライバーでも置いて行かれるのだろうか?ゴルフは力ではないのだという事も嫌と言うほど実感した。
2009.03.31
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この4月から連れ合いが元奉職先への時間講師としての新学期が始まる。一年のブランクはあったものの、まだ気力は横溢しているようであり、時間講師という限られた職務は、かつてのようなハードにはならないだろうこともあって、教壇での服装などを取りそろえるのに忙しい。昨日は、姫と一緒に買い物に出かけて買ってきた品物をそろえていた。とは言いながら、今年度は町内会の役員もこなさなければならないこともあって、早速のイベント会場の確保や、出し物を考えるのに大童である。まず、近くの住民センターに会場予約の件で出向いた。なにやら、借りるための書類が多くて、全くのお役所仕事丸出しの田舎の施設のようだ。また、寒い冬も終わり、桜も咲き始め、コート類をクリーニング店に持ち込むなどの仕事もある。コート類3着で安くなるとクリーニング店もセールの日を限定しているので、それにあわせて持って行かなければならない。前日は、私がゴルフ、連れ合いは姫と一緒に買い物と出かけていたので、郵便物配達時に不在だったので、投入された事を知らせる通知表をもって、ついでにそれも取りに回った。私はというと、前日のゴルフラウンド時に気づいたゴルフバッグのサイドのファスナーが壊れているのを修理して貰うためにバッグを車に積んで、京都近くのゴルフ店まで持っていく用事もあった。ゴルフ店では、バッグの保証期間は過ぎているので、無償は難しそうなことを言う。最近はどこともそうだが、おそらくこういった縫製は海外に投げているのであろう、計算したかのように1年経過後少し経って壊れるようになっているものが多いと感じる。私も製造業に携わっていたが、コストダウンを指示され、指示してきたことから保証期間を過ぎて早く壊れる方が理想的な設計、施工といえるのだと言うことは、理屈として分からないでもないが矢張り自分のこととなると別だ。それと、店の信用とのせめぎ合いになるわけだから、保証期間を過ぎて間もない故障はどうかと思う。今回はどうなるのか、メーカーに送らないと壊れた状態が分からないという回答である。一目してどの程度かを知ることは電話ででも、お互いに分かることであると私などは思うし、今はやりの写真を撮り、メールで送れば難なく判断できるものを、たいそうなことだと感じてしまった。しかし、今時のセールスだけの店員や、受けるメーカー側も受け渡し専門の営業マンとの間では、おそらく埒はあかないのであろう。議論をしてみても始まらないし、また明日もラウンドを控えているので、後日またわざわざ持参する羽目になってしまった。それをメーカーに送って、無償で修理出来るか、有償になるか、また時間は故障具合を見て決めるので、いつ出来るかもメーカーに送ってみないと分からないという素っ気ない返事だ。ゴルフショップに限らず、最近の店員は、ただ売らんかなの感じが見え見えである。言葉や態度は慇懃ではあるのだが・・・。今までなら少し大きな声で追及していたかも知れないが、近頃はそんなこともエネルギーの無駄な消耗だけとわかり、やむなく言いなりで帰ることにした。事の成り行き次第では、またクレーマーと言われても、粗悪品を売った責任を何とか取って貰うべくそのことを腹にしまい込んで帰った。簡単に手直しできるものと思っていただけに、やけに手数が要り、しかも時間も掛かりそうなのにがっかりした。永久に壊れないものとは思わないが、自然な使用状態で、1年を少し過ぎただけの商品を杓子定規に扱われることに少々憤りを感じたのも仕方ない。そんな煮え切らない結果で、ガソリン代を使ってこの店に何度も通わなければいけないのかとウンザリした。丁度昼時で、近くの若者に人気のファミレスで昼食をと入ろうとしたら、何と、店内の待ち行列は最高潮だった。従来から待って食べるほどの気力はないので、その近くの中華料理屋で簡単に昼食をすませた。自宅近くまで帰り、そこからは連れ合いと別れた。連れ合いは、先に亡くなった親友の納骨前の忍ぶ会に、友人達と行くための花を買いに行き、私は、駅前から歩いて帰ることにした。新しくできたJR島本駅の山側の線路際の道路が、そろそろ開通しているのではないかと、覗いてみると、皆がもう既に使っていた。一昨日までは両端に通行止めの衝立があったので、昨日か今日開通したのだろうと、早速渡り初めをして回り道で家路についた。連れ合いは、忍ぶ会の後、友人達と喫茶店で長い間おしゃべりに花が咲いたようで、少し遅くなって帰ってきた。今日は日常のことを効率よくこなした、まれに見る多目的な一日だったような気がする。
2009.03.30
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九人会として発足した高校同期生のゴルフコンペに参加させて貰って、2回目のコンペがあった。3ヶ月に一回と決めているようで、今回は、兵庫カントリーでのラウンドとなった。私は発起時には全く関係なかったが、今入院中のバスケットの同期生の紹介で入会を許された新人である。九人会の名のごとく、当時は九人で始めた会のようだが、今は発起当時のメンバーは2-3人になっているという。勤めの傍らに既に138回を数えるまでになっているこの大会は、今でも日曜日開催が原則となっていて、現在停年を過ぎた身の上では、平日の方が安くて簡単に出来るのにと言う声もちらほら上がっているようである。新人の私としては、そうなるのを願うしかない。今回の参加者は事前に花粉症で辞退したり、直前に辞退したりした3人を除く13人のコンペとなった。兵庫カントリーまでは、我が家からは茨木インターから名神高速ー中国縦貫道を通り、西宮北ジャンクションから阪神高速神戸線を経由して山の中に入っていく山岳コースである。このコースは結構歴史が古く、クラブコンペのボードでは、1968年優勝者からの名前が張り出されていた。九人会のメンバーはほぼ全員が初めてのコースらしく、キャディー付きで回った。山岳コースではあるが、結構フェアウェイは広く取ってあった。矢張りアップダウンが多く、打ち上げ、打ち下ろしの連続であり、風も強かったので、打ち上げでは風に押し戻されて苦労する場面も多かった。キャディーさんは歳こそベテランであったが、あまりゴルフを知らないというか、的確なガイドを期待できるほどではなかった。友人の打った第二打を前方で見ていながらロストにしたり、打ち下ろしでかなり伸びた私の球をショート目の白いものと見間違って「ここですよ」と言われたりであった。すり鉢状のショートコースでも、私はワンオンできたから良かったが、ティーグラウンドから見るとグリーン向こうがバンカーのようでもあり、ショート目のクラブを持った人達は、グリーン直前で届かず、全て手前のすり鉢の底に落ちていくという有様で、番手の大きなクラブ選択が有利なのを助言してくれるでもなくさっさとグリーンの方で待つ有様であった。またこの日は(この日だけかどうか分からないが?)他にもコンペが多かったようで、無茶苦茶詰め込んだためか、すんなりと打てたホールはほとんど無く、ティーグラウンドでの待ちや、フェアウェイで、グリーン空きを待つ状態が続いた。パー4の何ホールかは、グリーン上に前の前の組、フェアウェイにそれを待つ前の組、そしてティーグラウンドでそれを待つ我々と三重の待ちにもなった。そのせいで、前半41で回った我々の組の友人も待ち疲れでリズムが狂ってしまってミスショットをしてそれ以降、バックナインではスコアを伸ばせなかったようだ。私は私で、OBを3回も叩いてしまったが、初回の悪成績で、高ハンディーを頂いていたために準優勝をすることが出来た。優勝者と、ブービーが次回幹事と決まっているこの会では、正直、準優勝がベストだと内心密かに思った。前半41で回った優勝者のハンディーは低かったために、ネットは私と同じでありハンディー差での私が準優勝となったが、もう一つ良かったら等考えると、「あーぁ、幹事にならなくて良かった」というのが偽らざる気持ちであった。仲間内で一番ハンディーの低い友人は腰痛をおしての参加で、いつでも棄権すると言って始め、フロントナインは、案の定、日頃になく悪い成績であったが、バックナインの谷越えショートホールでホールインワンを達成してしまったから、最後の表彰式には、その話で持ちきりとなり、近いうちにまた祝賀会だ等と大いに盛り上がった。しかし彼は2回目のホールインワンで、初回は保険に入っていたものの、今回は入っていないそうで、一寸困ったという感じだった。私も当然保険などには入っていないが、こんなコンペがあと一つ有るわけで、ショートホールでまさかと言う事も皆無でなくなった今、どうしたものかと一寸心配になった。(心配ないかな?)準優勝の賞品と、ニアピンの賞品、参加賞を頂いて、朝出かけるときよりは機嫌良く帰れた2回目のコンペであった。
2009.03.29
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高校時代のバスケットボール仲間の一人である友達夫妻と花見をすることになった。お互いに、弁当は簡便に弁当屋で買ったものを持参でと言う事にした。友人は転勤などで各地を転々とした末に、我が家とは淀川を挟んで、対岸の八幡市に住んでいる。私は、矢張り各地を転々としたが、今は青春時代を過ごした大阪府に戻り連れ合いとの生活を楽しんでいる。そんなことで、私が友人宅を訪れたり、友人夫妻が我が家に来たり交流が再開している。この度は、友人宅と我が家を結ぶ橋の中間地点の土手に結構良い花見場所があるので、そこにでも行こうかという話になった。その橋は、丁度上流の木津川と宇治川、さらに桂川の三川が合流し下流の淀川になる箇所に架けられている。しかしこの時期、その土手の桜はまだ一部が咲いている他は花見をするには早い感じである。また、今日は少し冷えるので、その場所は適当ではないと言うことになった。そこで、我々二人が、友人宅に迎えに行き、京都方面に桜を求めてドライブすることにした。少なくとも、三日前に姫と通った祇園の小路の夜桜は綺麗だったことを思い出したからだ。友人の夫人は、平野神社がもう咲いていると言うことを聞いていると言うこともあって、とりあえず、京都方面を目指した。祇園の小路に入ったが、人通りに加えて、工事車両なども多く、昼間の桜は、少し風情に欠ける感じがしたが、ゆっくりと車を走らせ川縁の桜を楽しんだ。その後、円山公園の桜はどうかとの連れ合いの発案で、知恩院前の駐車場に車を駐め円山公園に抜けることにした。休日や、土日は満車でなかなか入れないのだが、今日は少し早いこともあって、下の段に駐めることができた。私と連れ合いは、円山公園には何度も来たことがあるが、京都工繊大に通っていた友人は京都に通っていた割にはあまり来たことがないという。公園内の桜はしだれ桜が多く、運良く今まさに満開という感じだった。メインの巨木の桜も、少し衰えを見せていたがまだその美しさは格別であり、特に奥の方のしだれ桜は見事な枝振りに薄桃色の花を一杯咲かせていた。買っていった弁当をベンチで並んで食べながら桜を楽しんだり、記念撮影をしたりして過ごした。円山公園の一角では、若い大道芸人が、観衆を集めて芸を披露し、釣られてみていたが、最後にご祝儀を払わされたのにはしてやられたというか、一興だった。友人の母校であり、姫の母校でもある京都工繊大に美術館があり、それを連れ合いはかねがね見たいと言っていたこともあって、北山通りまで車を走らせた。北山通りは、京都市内の最北端とも言える外周道路で、中央に分離帯があるとても感じの良い道路で、私は好きな通りの一つである。京都工繊大は、丁度北山通りから少し入ったところにあり、洒落た煉瓦の装飾が美しい大学である。遠くには比叡山を見ることが出来る、勉学には好立地の場所だが、友人は、当時は通うのが大変だったようである。校内の美術館はそれほどたいしたことはなかったが、友人は、40数年経って初めて訪れる母校に感激の態で、懐かしそうであり、四人そろって、校内をほぼ一周した。各校舎ともなにやら耐震工事を施工しているらしく、斜めのブレース(耐震材)が外面の窓を斜めに塞いでいるのが見て取れた。最後は友人の夫人の目標だった平野神社に、連れ合いの誘導で向かうことになった。その道中に連れ合いがガイドのごとく説明するのを、「何でもよくご存じですね!」と感心して応える夫人であった。平野神社は、御所の北端を通り、北野天満宮を回り込んだところにある。着くと、桜は七-八分咲きのようであったが、駐車場が満車でもあり、円山公園での花見に堪能していたので、外から眺めるだけで、ゆっくりと見ることはしなかったが、外から見る桜も結構美しかった。その後は一路帰途につき、友人宅に二人を送り、また度々会いましょうと再会を約して我々二人は、再び三川合流地点の桜の名所を見ながら、後一週間後くらいには見頃になるだろうかと話ながら我が家に向かった。
2009.03.28
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昨日連れあいが通っていた中学校の校長から、是非、連れ合いに時間講師を引き受けてくれという電話依頼が舞い込んだようだ。連れ合いは、教師が天職であり、その通り、謹厳実直に停年まで中学教師を続けてきた。そして、私と再会したときには、嘱託として延長の3年間、同じ学校に勤めてきた経緯がある。その40数年の教師生活の間の詳細は私の知るところではないが、人伝、また連れ合い本人から聞く限り、情熱的で迫力のある、親しみやすい先生であったようだ。そのことは、町で卒業生らに出会うと、必ず声を掛けたり、向こうから声を掛けながら駆けて寄ってくるのを見ても分かる。何週間か前に、夕方少し暗くなって、二人でウォーキングを楽しんでいると、二人連れの女生徒とすれ違った。向こうはすぐに連れ合いを恩師と認めて、声を掛けてきた、私は少し通り過ぎて、彼女たちの話が終わる数分間を暗がりで待っていた。その後、帰ってきた連れ合いは、女生徒達が曰く「子供さん大きくなりはったですね」と言ったという。まあ、それは一つのエピソードだが、それくらい卒業後の女生徒からも、男生徒からも慕われているようだ。教師仲間も、彼女のことを高く評価しているようで、よく会合に呼ばれたり、我が家にも訪れてくれる後輩や同僚達がいる。連れ合いの母校の校長からも、前々から、困ったら助けてくれと言われていたようだが、長年の教師生活を充足感と達成感を持って終わったことでほっと一息ついているので、この一年は再三の講師復活を固辞していたようだ。今回、連れ合いは私に不便を掛けるという気持ちで返事を保留して帰ってきたが、年齢や、これからやりたいことなど色々と話し合った結果、五分五分か、四分六で、断る方向で(その逆かも知れないが)校長に会って話を聞くことで出かけていったが、校長の三顧の礼とも言えるような依頼と、また、既に来年度の授業時間表に組み入れられていたことや、同僚教師の是非にという言葉やらで、自然に引き受けることで話が付いたようだ。私は、そのことは想定内であったし、私自身、声を掛けてもらえる時が華だと思う事もある上、まして、子供好きの彼女のこと、受けずにおれないだろうと思っていた。一旦引き受けた以上はおそらく時間講師といえども全力投球するであろうから、年齢のことを考えると、何かと疲れるのではないかと、心配と言えばまあそんなところである。私の想定していたように、決まってからの彼女は、実に活き活きとして、心躍り、内心はしゃいでいるのが表情からもわかり、また体中でそれを発散していた。逆の立場だったら私もそうだったかも知れないけれど、向こう1年間、雨が降っても、夏暑いときも、冬寒いときも決められた時間に通わなければならないことが一寸つらくなるかも知れないとの思いがするだけであり、とりあえずはエールを送ることにしている。
2009.03.27
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昨日、急に思い立って連れ合いと二人でゴルフをすることになった。いつもの山岳コースで、荒れたゴルフ場だが、現在もなおコースの改修とマスタールームの新設等、手を入れている最中の手軽でやる気のあるゴルフ場である。少し遠いが、慣れていると言うことと、早朝割引で安いと言うことが魅力の練習場のようなコースだ。今回は、昼食無しのスルーのプレーでしかも二人でのラウンドだ。8:26アウトスタートで、一寸早めに着くと、まだ閑散とした感じであったが、既に数組はスタートしていた。連れ合いと二人だけのプレーだから、姉たちと回るのに比べて、あまり気を遣うこともなくラウンド出来るのが気持ちの上でとても楽だった。トリッキーな名物ホールもあり、フェアウェイは狭く、グリーンも養生中など色々な不満もあるが、連れ合いも何回も通ったコースであり、ティーグラウンドに立てば、ねらい所などは自分で判断できるまでになっている。私も珍しく、月末にコンペが集中している最後の調整みたいな気持ちと、来月早々に、姉たちを含めた伊勢のコースのラウンドが控えているので連れ合いの調整を兼ねて出かけたが、なかなか上出来とはいかなかった。二人とも前日の夜が遅かったのもあるが、苦手なホールは相変わらずのチョンボが多く、また、OBも多発した。それでも、ティーショットの当たりはまずまずの感じで、コースが広かったら、大丈夫かなと思わせる程度であったのが少し救いであった。何よりも連れ合いとの二人であることがリラックスでき、殆ど付きっきりで、声を掛けていたので、彼女には迷惑だったかも知れないが、相当上達の跡が見えた。正直1ホールは負けて、2ホールはイーブンと、言う結果になってしまった。(喜んで良いのか、悲しむべきか??)負けた1ホールは、グリーン外からのチップインだったが、まぐれもゴルフの内である。連れ合いの課題は、ショートアイアンで、7番、9番を使ったことがないという普通の素人が通る逆の道の練習してきたことだ。其れ以外は勿論失敗もあるが、何となく自分でもある程度のフィーリングに納得しているようである。昨年の夏頃に姉のクラブを譲り受けてちょろっと始めたのがきっかけで、レッスンにも通わず、素人の手ほどきで半信半疑の練習から、やっと自分のクラブを買ったのが昨年末であることを考えると、よくぞここまで上達したかと、歳のことを考えなくても、素晴らしいことだと思う。もう少し風景の素晴らしい、綺麗なコースで、二人だけでラウンドするのが目先の目標である。私は目が悪い方ではないが、自分の打った球を時々見失ってしまうのと、連れ合いも目が良い方ではないので、今日はティーショットの感触が良かったにもかかわらずロストボールになってしまったのが2ホールもあり、悔やまれた。また、1ホール前のフェアウェイバンカーで、クラブを2本持って行ったのだが、その内の5Iをバンカー脇に忘れてきたことに気づき、走って取りに戻ったので、疲れてリズムを崩してしまった。連れ合いも、初めてのスループレーで、朝食が少なめだったので、おむすびなどを持って行ったが、なかなか食べられず、バックハーフの後半にはエネルギー切れで、体がふらついていたようだった。この時間帯のこのコースは結構素人が多く、また2ボールのカップルも多いようで、追い立てられることもなく標準時間でラウンドできたこと、コース内で、打ち直しなどの練習が出来たことなど、連れ合いとの二人のラウンドが、考えた以上にとても楽しいものだった。私が口うるさかった分、彼女がどう思ったのかは分からないけれど・・・。
2009.03.26
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中学、高校時代の旧友にお願いすることがあって、会食することになった。お願いとは、姫が今年5月に国際会議を京都で開催するテクニカルチェアをしている関係で、雑務である外国からの技術者達を京都のナイトウォーキングに案内することになったことから始まった。全員で300人も参集する大国際会議であり、その内の半数がその催しに参加するであろうと言うことらしい。20人くらいのパーティーに分かれての行動となるが、プロの案内を頼むにしても人員がそろうかどうかと言う事もあり、私の友人に頼んでみようと言うことになった。と言うのが、旧友は大阪外国語大学の英語科を卒業し、松下電器(現パナソニック)に入社、5月に行われる国際会議の内容の部門にも精通している上、ニューヨーク駐在4年などの経験を有する、英語の達人であると言うのがお願いするきっかけであった。さらに、京都に第二邸宅を有し、京都検定を受けようかという京都通でもあり当方にとっては願ってもないはまり役と踏んだからだ。また、彼は、仕舞や、謡の趣味を持ち、日本の古典文化にも通じていることもまた外国人に対して日本をアッピールするには好適である願ってもない人材な訳だ。丁度お願いする日は、彼の空いた日であることから二つ返事で引き受けてくれることになった。その打ち合わせで、京都三条のスペイン料理屋で、姫の散財で、打ち合わせを行った。百聞は一見にしかずと言うこともあり、また英語はしゃべれても人柄がと言う懸念も会って見て払拭したようだった。詳細が固まっていない中、積極的に案内のコースを何例か考えてみようとの有り難い申し出に、私は連れ合いとともに彼にお願いできて良かったと思った。彼は、私と同期と言うだけでなく連れ合いとも高校時代の同期でもあり、我々の頼みだからと気持ちよく引き受けてくれたことはとても有り難たかった。美味しいスペイン料理を頂きながら、事務的な打ち合わせを終えて、楽しい四方山話を和やかに交わした後、彼は、京都の自宅に帰っていった。残った3人は祇園の通りを抜けて歩いたが、川縁の夜桜がとても幻想的で、何故かその通りだけはほぼ満開の美しさだった事に感動した。帰える前にと、姫の馴染みの小綺麗なカウンターバーで、それぞれの好みのアルコールを少したしなんだ後に、阪急の最終電車で帰途について、自宅に帰り着いたときは既に日が変わっていた。明日は、早朝のラウンドがある、そそくさと眠りについた。
2009.03.25
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今日も一日部屋にいたので特に書くこともない。段々こういった日が多くなるだろう。このようにして時間の使い方が下手になっていくのかも知れないし、気がつけばどこかに出かけたくても手足が動かなくなっているのかも知れない。WBCの2度目の栄冠と、松阪のMVP、岩熊の好投、最後のイチローの2点打、その他の選手のきびきびした活躍は大団円に終わり、日本中が挙げて??喜びムードに浸っている。その中で、高校野球は、かすんでしまっていた。そんなテレビのチャンネルをあれやこれやと押し変えながらの生活になってしまうのだろうか?この3月28日から高速道路通行料金値下げが本格的に始まるという。こうなったのはどういう経緯かなどについては、一介の庶民には関係が無くなる。時限的なこの法律を利用しようと思うのは浅ましいことではないと思いながら、高速道路を使う旅行計画などを立てようとした。しかし新聞などで前もってこうなるだろうと言うことを参考に現時点で通行料金を計算するのは極めて難しいことが分かった。インターネットで調べようにも、なかなか複雑で、大阪から松山まで走るケースでも一筋縄で判断することが出来ない。と言うか、情報が多すぎるのもあるが、深夜早朝割り引き、平日、祝祭日、また通勤割引なども絡んでいるからだ。さらに、市街地とそれ以外、本四を渡る橋の扱いと一般高速道路等々の問題である。私の場合は、茨木から松山までのケースで試算しようとすると、茨木から西宮北までは大都市圏で、今回の割引対象ではなく、従前のものを適用することになり、早朝割引を使えば安くなりそうなので、朝6時前にはいると良さそうであることが分かる。その先、一旦降りるわけではないが、西宮北から早島までは、きっと上限1000円が適用されるのであろう。しかしそこから坂出までは、瀬戸大橋自動車道路で、会社が違うから、その通行料金はどうなるのだろうか?ここが1000円でなければ、大誤算である。なぜならここを通らなくては四国に渡れないからだ。坂出から松山までは、大都市圏外であるから、きっと上限の1000円で行けるのだろう。松山(道後)に泊まって、さてその先、内子を覗いてみようと考えると、その往復は、どのくらいになるのだろう?通常(現状)料金では片道1050円とあるから、矢張り1000円は掛かるのだろうか?それとも何らかの割引があるのだろうか?何かとややこしい規定になっているようである。最終的には3月28日に正確な計算が出来るようになるとインターネットでの案内は通知しているけれど、既に松山での宿泊は予約してしまっているから、何としても行かねばならない。瀬戸大橋が割引なしの通常料金を必要とするなら、明石鳴門道路のルートの選択の方が有利になるとこれは新聞テレビで報道されているから間違いないのだろう。それにつけても、かくもややこしい料金体系にしたのは一体誰なのだろう?きっと頭の良い官僚が、「通行料金が高いぞ!」という声の大きな要求を少しずつ慰撫するためにこんな料金体系になったのだろう。民主党が天下を取ったら、高速料金は無料にすると言ってたが、それとてまだ先の先で、これも空手形かも知れない。高速道路は、一旦走り出すと、おいそれと路肩で停まって行き先の選択を考えたり、方向を変えたり、一般道路と併用して進むというわけにはいかなくなる。もう一度、3月28日に調べ直す必要があるが、道路公団後民営化された、NEXCO西日本では電話での料金案内もあるけれど、当然のごとく混み合って、なかなか繋がらないのと繋がっても要領の良い返事がもらえない。年齢も年齢なので、若い頃のように、こういったことがいつまで出来るかは分からないが、如何に料金をセイブしていくかを考えなければ、高速道路を使っては、この先何処にも行けなくなってしまうだろう。「道路を造れ!」は一体誰のため、何のためなのだろうか?純粋行楽のための利用者はどのくらいの割合なのだろうか?一寸考えてしまった。
2009.03.24
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衝撃的な航空機事故が目の前で展開された。成田空港開港以来、30年間で初めての死亡事故だという。過去にあわやという事故は2回程度起こっているが、幸いにも死亡事故には至らなかった。アメリカの国家運輸安全委員会によると、航空機で死亡事故に遭遇する確率は0.0009%である一方、アメリカ国内で自動車事故で死亡する確率は0.03%なのだそうで、航空機の方が33倍安全なのだという事はよく耳にする。今回の場合は、30年間死亡事故がなかったと言うことと、年に約19万回の発着回数で利用者が3500万人を超えることを考えると、そのことは頷ける気はする。しかし目の前で滑走する航空機が、バウンドしながら反転し火を吐いて黒煙とともに百数十m滑ってやっと止まり、火だるまになっている様子の一部始終をカメラが捕らえていてテレビで放映されたのを見ると、矢張り戦慄を覚えざるを得ない。航空機事故の約8割が離着陸時に起こるという。私も飛行機に乗り始めた当初は、離着陸時、特に着陸時には高度が下がるたびにここで墜落したら生存確率はどうだろうかとよく考えたものだが、今回のように機体が火だるまになっては生存率どころか、どうしようもない。シートベルトの着脱などの問題ではないからだ。不幸中の幸いと言っては、機長と副操縦士には悪いが、貨物機であり、乗客がいなかったことがせめてもの救いである。この事故と同じ頃に、アメリカのモンタナ州では、小型機が着陸時に墜落して大半が子供達の17名が死亡したという事故があったという事が、成田の貨物機事故に比べて小さく報道されていた。死者の数ではアメリカの小型機の方が多いのだが、矢張り、目の前で起こったことと、遠く外電が伝えるよそ事の違いは大きく違う扱いになるようだ。この事故の原因は、ウインドシアであると報じられ、一種の乱気流であり、風向きが急激に変化する事によるものだという。この気象状態は、事前に事故機の機長にも通知はされていたようであるが、機長が肌で感じるところまで切実と思わなかったらしい。旅客機には、ウインドシアを感知するレーダがあると言うが、この貨物機にはそれがなかったのであろうか?それとも、機長の独自の判断で着陸可能と判断したのだろうか?事故について、フェデックス社の担当者は、調査中を理由に一切の答えを拒否していた。何が積んであったのか、特に可燃物がどの程度積んであったのかはいわゆる顧客情報に関わると言うことでの血の通わない対応だった。担当者は、日本人の名前で、どう見ても日本人なのかと思うが、日本語の問いに全て英語で答えていた。(日系二世なのだろうか?)ウインドシアは大抵地表面付近で発生する事が多く、ダウンバーストが伴う場合が多いため離着陸中の航空機にとって非常に脅威となると言うのが常識らしい。ダウンバーストは、上空から吹く極端に強い下降気流の事らしく、この貨物機は、着陸しようとした際は向かい風で、十分な揚力を得ていたが、ウインドシアにより風向が急に変わり、後方からの風を受け、所要の揚力が得られなくなったところにダウンバーストで、上から地面にたたきつけられたのであろうか。バウンドした際に機体が左に横転したのは右からあおられたからなのだろうか?可燃物が発火したからだろうか?水平な姿勢で、胴体着陸でも出来ていたら等と考えるのは素人判断であるが、飛行機は矢張り金属で出来て重力に逆らって飛んでいることを改めて知らされた。ハドソン川の奇跡は成田では起こらなかった。
2009.03.23
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今ある便利なものがなくなったら一体どうなるのだろう?程度にも依るが全く原始時代のような生活なら、きっともう少し歩く範囲は広がるだろうが、世界はそこまでに限られてしまうだろう。鉄道が出来、車が出来、船舶や航空機が出来て理論上地球上なら何処にでも行けるようになった。多額のお金を払えば宇宙旅行も可能になると言うし、昔のコロンブスのような人達なら既に月には到達している。情報はと言えば、昔は集落の間でのうわさ話と、一寸した好奇心の強い人が遠くまで歩いて得た知識を知るくらいのものだったのが、ラジオが出来、新聞が出来、テレビや果てはインターネットが世界中の今をリアルタイムに個々の家庭に届けてくれる。困ったことや緊急の時には、電話やメールで世界中何処とも交信が出来るので、葉書や手紙を書くことはほとんど無くなった。これらの便利なものがどれか欠けたらどうなるだろうかと考えたら面白いかも知れないが、おそらく想像できない状態になるだろう。しかし、確実に知らなくて良いことを知ることもなくなり、今よりは退屈だろうが、落ち着いた生活を送れるのかも知れない。世界の情勢とまではいかなくても、日本の置かれている問題を共有することは非常に簡単に出来るようになった。だからといって、多くの人間が考えることが通る(これを民主主義の原点というのだと思うが)かと言えば、なかなかその通りには行かないのが現状だ。連れ合いに聴けば、町内会の会合でさえ、意見が分かれ、意見が分かれるだけならまだ良いが、それが元で気まずい雰囲気にまでなったという。げに民主主義とは難しいものだ。麻生内閣の支持率が、ある調査では10%を切るとも言う。任意抽出のサンプル数が少ないので正確なことは分からないが、どの調査でも10%そこそこになっている。不支持率を見たら70%を越えているのだ。しかし、麻生首相は平気で首相の地位にとどまって、民主主義とやらを口にしながら、国民が今一番望んでいることは経済対策だの一点張りで辞めようともしない。国民は明らかに「もう辞めて下さいよ!」というのが一番望んでいることなのに・・・。方や、二大政党のもう一方の旗頭の民主党小沢代表は、公設秘書が逮捕され、起訴されても政治資金規正法違反程度ならまあ続けて良いよというのが党内の大勢の意見になるようだ。誰かが、今の日本の二つの政党は「弱者共存」だと言ったという。弱みを持つ同士が、お互いの傷をなめあい延命を図っていると言う構図である。言い得て妙である。民意に添って、とか民意に応えてとか、口ではきれい事を言っているが、すべからく保身に帰結する現状だ。麻生内閣は支持率低迷でも奇妙な安定を保っているという不思議な現象が起こっているわけだ。しかし、日本にこれほどまで人材がいないと言うことを感じたことはない。アメリカが良いというわけではないが、オバマ大統領は黒人である。またクリントン国務長官は女性で、オバマと大統領の椅子を争った人物である。今の結果がどうあれ、当時はどちらが大統領になっても、アメリカ建国以来の初の(方や黒人、方や女性)大統領だった。結果は黒人大統領が勝ったわけだが、今、敗者の女性大統領候補をナンバーツーにして国政を担当している。日本は大統領制ではなく議会制民主主義であることはよく分かっているのだが、今の日本の政治体制は本当に議会制民主主義を踏襲しているか疑問だと感じる。めまぐるしく変わる世界情勢に対応するには、地に足を付けた指導者が必要なのは言うまでもなく、猫の目のように変わる日本の首相を世界のどこもが内心さげすみの目で見ていないまでも、適当にあしらわれていることは悲しいことだ。麻生首相はオバマ大統領と会い、「世界で1,2位の経済大国が協力すれば何とかなる・・・」的なことを平気で言うほど愚かしいお坊ちゃまだし、クリントン国務長官が最初に日本を訪れたからと言って、日本を最重要視しているとはしゃぐ人達が政治を司っているのである。話は飛んだが、議会制民主主義というのは、選挙で国民の多数が指示する裏付けがあって初めて成り立つ。小泉首相誕生時に、強烈なアジテートで獲得した支持率を根拠に同じ党だからと言って3人もの首相が居座り続けるのはいかにも不可思議である。倒せない民主党もお粗末の一語に尽きる。だから「弱者共存」「国民不在」がまかり通るのであり、一人に1万2千円あげますよ、一家4人なら4万8千円ももらえますよと言うようなあめ玉でつられたり、民主党のパクリで考えた、たった2年間の時限立法で、高速道路値下げに単純な国民は驚喜するわけである。かくいう私も首相の言うさもしい方の人間であるが・・・。明治以来営々と築きあげた官僚のがんじがらめの巣窟を壊すことはなかなか簡単に出来ることではない。何しろそこの出身者だとか、色々お世話になった人が国会議員なのだし、官僚よりも頭の良い剛毅な国会議員はいないと言うことも言えるかも知れない。国民を食い物にして、栄耀栄華をむさぼる官僚や国会議員は、最早要らないと言いたい。禿げた頭の三宅氏はまず消費税アップと息巻いているが、天下りや渡り等の、既得権益を壊滅することがない限り、そしてそれを実際に確認できることにない限りは消費税アップには反対である。なにやら支離滅裂になってしまった。
2009.03.22
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なにやら怖い夢を見た。追いかけられているようで、それが何だかわからない。わからないというか、見たこともないもので、奇妙に怖い。怖さは、そのものが自分にとって何となく怖いと感じるというもので、正体は不明である。動物のようでもあり、自分が殺したわけではないが、死んだようでもまた襲ってくる。襲ってくるようで、あるが、とことん迫ってくるまでにはならない。というかなぜか最悪の危険な状態からは逃れている。しかしまたその得体の知れない怖いものはなおも襲ってくる。とぎれることが無く消えたようでまた現れるのだ。得体の知れないそれは、明らかに意志を持って動くもののようであるが、一般の動物ではない。何かスライムのような物のようにも見える。しかし、こちらに敵意を抱いていることを感じる。要は、それから逃れられないし、必死で身を隠しても見つけ出されるのである。しかし、脱兎のごとく追い詰められるわけでもない。手段は何か良く思い出せないが、罠のような所に導くと、それをすり抜けられずに罠にはまってしまうのだが、またすぐにある距離をおいて付いて来ているのである。私は、再び心臓が高鳴り、必死に身を隠そうとする。ごくごく短い期間なのであろうが、とても長い間追いかけられていたような気がする。連れ合いが肩に触れた気配で目が覚めた。追いかけられた物に捕まったという感覚ではない。布団から肩が出ていたからか、胸の上に手を置いていた故か、とにかく怖い物から追いかけられるのがその瞬間に終わった。夢から目が覚めたわけだから、当然のことであるが、そのとき大きないびきをずっとかいていたらしい。いびきと夢、それもなんだかオカルト映画の怖い夢とは何か関係があるのであろうか?連れ合いも私のいびきで寝られなく音量を絞ってテレビを見ていたようだ。私は、そのまま寝るとまたその怖い夢を見るか、再びいびきをかくかも知れないと起き上がった。しばらく、現の中にいると忘れるだろうと思ったからだ。しかし、今までの夢なら、起きたすぐなら、脈絡はなくともなにがしか覚えているものだが、今回は、思い出そうとしても、どんな相手が追いかけてきたのか、また襲われそうになったのか、全く思い出せない。ほとぼりが冷めるまで、インターネットで夢の話を検索したが、ぴったりと来るものはなかった。どれもこれもいい加減な占いめいたことしか書いていない。体の調子が悪いとか、仕事の重圧に押しつぶされそうになっているとか、通り一遍のことが書いてあるが、私の場合、そのどれも適用しないと思う。むしろ、昼間寝過ぎたことが原因なのだろうか?寝る少し前に連れ合いと近所を少し散歩して疲れたのだろうか?しかし、散歩は、ほぼ毎日のようにしているのだが・・・。フロイトの夢判断を勉強している暇はないので、ここで、インターネットに出ていた部分を転載させて貰うと、逃げると追いかけられる、そのキーワードは、トラブルの対処(解決・未解決)を強く表します。◆ただひたすら逃げる(逃げきれる)夢 トラブル発生時の早期解決を意味しています。◆逃げても逃げきれない夢 今もっているマイナス的思いが現実になる可能性があります。 (ストレスが多く関係しています)◆何かに追いかけられる夢 精神的な重荷に対する逃避を意味しています。ということを書いてあった。連れ合いのおかげで、逃げ切った(振り切った)ことになるので、トラブルの発生が早期に解決すると言うことだと、良い方に解釈しておこうと思った。それにしても奇妙な夢ではあった。
2009.03.21
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高校時代のバスケットボール部を訪問した。顧問の先生から先輩の所へ財政の窮状を訴える葉書が来たので、たまたま歩こう会で一緒になった折に、OB会の幹事を引き受けた関係で、一緒に同行することになった。その日は、丁度現役とOBとが親善試合をするというのだ。連れ合いも同じ高校の同期生だったので、一緒に出かけることになった。連れ合いの方はその後、教師として子供達にバスケットを指導していたこともあり、自分が指導した子供がOBとして来ているかも知れないという期待もあったようだ。私は、大学卒業後、大阪をすぐ離れたので、卒業後はほんの数年後にしか母校を訪問したことがなかった。その時のことをほのかに覚えている程度だった。今回最寄り駅から既に大きく変わっていて、通学時に何処をどう歩いたかと言うことすら覚えていないというか、道路も全く変わっていた。我々が通っていた時代の正門は、逆に裏門になっていた。昔は正門を入ると通路のような庭があってすぐ全面に3階建ての校舎がそびえていたのだが、今はそこはグラウンドになっていて、正門は真反対の方に移っていた。卒業数年後に訪問したときは、校舎の一階に狭い体育館があってそこで、細々と練習をしてきたのだが、その体育館は、その後新しい場所に新築移転されていたことまでは覚えている。その位置は変わっていないのであろうが、反対側の正門からは大きな前庭があり、体育館がどれかを即座に見分けることが出来なかった。丁度春分の日でもあり、校内は閑散としていた。体育館は2階建てになっていて、2階にバスケットボールのコートが作られている。そのコートも周囲は若干狭いものの、2面取れる立派なコートであった。くだんの顧問の先生に面会して、色々聞いてみたが、大阪府下の他の高校が80周年とか85周年とかの行事をやるという中、我が母校は、OB会すらまともに機能していないと言うことらしく、財政的にも苦しいのだと言うことだった。「ボール一つまともに買えない」という葉書の内容とは別に、ボールの籠には結構良いボールが入っていた。そのことを冗談めかして言うと、時代が違うのだそうだ。現役達が着ているユニフォームも、我々がプレーしていた頃とは格段に違うしゃれて、スマートなものを全員が身につけていた。そう言えば、我々の時には、校名も入っていないよれよれの緑に白襟のジャージと半袖のユニフォームは、番号が30,32,35,40,42などと変な跳び番号だったのを覚えている。さすがにキャプテン番号は決まり上4番であったので、その友人一人まともな番号を付けていた。それでも数少ない6人で大阪府下のベスト4まで進出したことが2回もあったのだ。話は、OB会の充実と言うより、支援する会を立ち上げる試みをするという話になって、同行の大先輩がその労を執ろうと言うことになった。その後、現役とOBの親善試合を観戦させて貰ったが、まず最初にボールを持ってからの制限歩数3歩以内というのが全く守られていなく(トラベリング)、殆どが違反しているのに驚いた。大先輩は、帰り際に「君らの方が強かったな」と外交辞令でもなく言われていた。現役は結構長身の者が多く、中でも190cmを越える生徒もいて、まだ1年生だとのことで、巧く指導したら強くなるだろうと皆で感想を話した。私は、日本のバスケットボールは世界的に見ても、野球やサッカーと違ってマイナーなスポーツだからと言うと、連れ合いなどの話では、中学、高校生の間では結構人気スポーツなのだそうだ。大先輩から見れば、殆ど孫とまではいかないが、ぴよぴよした子供に見えたことであろう。しかし、バスケットに対する情熱がそうさせるのだろうか、全員に発破を掛けることや、長身の子供に個別に話し込むなど短い時間に色々と動き回っておられた。懐かしの母校を後に、駅で、軽く一杯おごって貰い、その後は、連れ合いと一緒に徒歩で、一駅を歩いて帰った。晴れてはいたが、昨日と気温は10度も低いという今日の立春は、昨日の黄砂も朝方の雨で洗われていて、肌寒さを感じながらも清々しい気分だった。
2009.03.20
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今日は特別書きたいことが思い浮かばない。外は昨日同様に中国黄砂のためうっすらとかすんでいる。野球(WBC)を見ていたら、球場もかすんで見えた、こちらは黄砂ではなく霧が発生しているという。キューバに勝ってなにやら準決勝に進めたと皆安堵している。イチローも重い口を開いて、天国の方に行けると答えていた。国会中継は、沖縄出身の議員の、よく聴けば聞き取れるのだが、聞き取りにくい質問をはぐらかすような首相や法務大臣の答弁に時間を費やしている。追求する側のあまりにデーターの無さに、見ていて小馬鹿にされているだけの空しい気がする。その後の自民党議員の殆どよいしょ質問は、聴いていても歯が浮くようでチャンネルを変えてしまった。アメリカではAIGの巨額のボーナス至急についての公聴会に会長が出てきて、釈明をしていた。日本人の感情ではとんでもないことで、またアメリカ市民への街頭インタビューでも同じ反応である。オバマ大統領も盛んに怒っている、このためだけでもないだろうが、当選時の支持率がこのところ下がっている。しかし会長の説明では、アメリカ社会は契約社会であり、ボーナスを払うという契約を破棄したら、今払った倍以上の額を違約金として払わされるという危険があったからだそうだ。日本でも同じく銀行倒産を避けるためにと公的資金を投入したが、幹部達のボーナスはどうだったのだろうか?詳細は分からないが、おそらくは、一般企業より多額の給料やボーナスを取り続けているのであろう。上村春樹氏が柔道連盟の会長に就任し、「一本」柔道を求めていく旨の話があった。相撲は既に外国勢に押し切られ、わずかに三役に日本人がいるが、どれもこれもふがいないのばかりで見ていられない。柔道も、山下氏が世界の連盟から外され、日本がお家芸と言っていられるのはいつまで続くのかという状況だから、もう一度「一本」柔道の連発を見てみたい気がする。カラフルな柔道着、つかみにくい襟、技有りや有効を取ったら、なにやら逃げ回り尻を引き腕を張るような柔道は、あまり見ていても楽しくない。柔よく剛を制すというような、すかっとした技を見たいものだと、柔道が変わっていくことを期待しながら見ていた。いつもの年より桜が咲くのが1週間か10日程度早いという。これも地球温暖化であるのか、花見のシーズンが来たと言うことであるが、一緒に中国黄砂が来ているのでは、うかうかと外に出て思いっきり空気を吸うどころか肌を露出することも出来ない。目出し帽にゴーグルがいる感じだ。私はさほどに感じないのだが、外を歩く人は一様に白いマスクをしている。風邪を警戒しているのか、黄砂を意識してなのかよく分からないが、防御なしに外出は出来にくいようである。黄砂は、砂だけでなく、中国の汚染物質を運んでくる偏西風によるが、北朝鮮では、日本方面にミサイルを飛ばそうとしている。こちらの方は意図的に飛ばそうとしているわけで、迎撃態勢を取っているのかいないのか、打ち落とせるのかどうかなど、日本の対応策は全く見えない。北朝鮮の言いなりで、同盟国アメリカが何とかしてくれると言うことなのだろうか?定額給付金を配ることしか頭にない単細胞の総理大臣だから、計算違いで日本国土にミサイルの破片が落ちてきてから、これは防衛大臣の所管だからと言い訳をするのだろうか?
2009.03.19
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名古屋地裁判決で、3人の被告の内、2人は死刑、1人は無期懲役となった。何とも合点がいかない。殺された女性は、何の関わりもない、まさに通りすがりの人で、殺され方や、その時の状況を思えば、どれほどの苦痛であり、恐怖であったかを考える時、この男達への怒りが娘さんの母親と同じくわき上がってくる。判決の前例では1人を殺した場合死刑にはならないと言うことが原則らしい。おかしな判例があるものだ。凶悪=2人以上の殺人ということか?その意味で、2人が死刑になったのは逆に異例のことかも知れない。しかしながら、どうも首謀者らしき人間が殺人後自首をしたと言うことで減刑されて無期懲役となったと言うことが腑に落ちない。その判決理由は、共犯者の逮捕に繋がり、新たなる殺人事件を起こさずに済んだということだという。なんだか割り切れない。ネットで簡単に金儲けをしようと同意者を募ったのはこの無期懲役を受けた本人ではないのか?法廷では、口汚く、死刑になった2人に「おまえ達のせいで、こんな事になった」と罪をなすりつけるという場面もあったという。判決後も、反省はしているかについて、しているという一方で、更生するか否かは分からないという。今まで悪の道で生きてきたからだと平然と述べているのである。反省しているとは到底信じがたい。他の二人への死刑判決理由は、「社会を震撼させた犯行で、更生の可能性はない」と言いきっていて死刑だというのだ。これなら分かる。ならば、如何に自首をしたとはいえ、反省のかけらもなく、また更生の気持ちも感じられない無期判決を受けた男が、次に犯行を起こす可能性は極めて高いと言わざるを得ない。その言に依れば、「名古屋の人口の1人が消えたと言うだけで些細なことだ」との意味のことを言っているというのだから。殺された家族の煮えくりかえるような気持ちが痛いほど分かる。そんなことを平然と言い、しかも詐欺で執行猶予中の身でこのような無惨な、無差別殺人を平気で犯す男の方こそ、世の中から消し去って、何の弊害があるどころか、社会の益になり、それこそ名古屋の人口の1人が消えたに過ぎないと言えるのでは無かろうか?このような男を放置すると言うことは、近い将来必ず再犯を侵しまた同じ苦しみを受ける被害者が出ると言えるだろう。なぜなら、表面上まじめさを取り繕う以上、悲惨な事件も風化され、近い将来には、服役者自体のその時の振る舞いに更生の可能性有りとされ、仮出獄することは目に見えているからだ。これに対して、弁護側は、計画性は無かったと主張し、刑務所に服役した前科が無いことや、反省の言葉を述べたことなどを挙げて、「生きて償わせるのが相当。死刑を選択するべき事案とは到底言えない」と弁護し、また、拉致翌日に警察に連絡して自首したとして、自首した被告には「自首で捜査が容易になったのは明らかだ」と陳述しているらしい。闇サイトで呼びかけていて、何処が計画性がないというのか?服役した前科がないというのは当たっているが、執行猶予付きで、今度罪を犯したら実刑だよと言われていながらの悪質な殺人である、性根が治っているとは、その後の言葉からも全く感じられない。悪いことをして自首すれば罪一等が減じられるというのも時と場合による。このケースに当てはめることは断じて許し難い。警察が非力だからか、共犯者によるさらなる犯行が防げたと言うことや、自首で操作がやり安くなったと言うことでの扱いなら本末転倒である。また、自首したのに死刑では、自首する者がなくなり、危険であるという見解に対しても、無差別の計画的殺人はどんなことがあっても毅然と死罪に値するものであるということを示す方がまず先にあるべきではないのか。全く開いた口がふさがらない。日本の弁護人は一体どうなっているのか?こういう事件の裁判の経過を見るときどうしても払拭できない不快感を弁護団側に感じてしまう。えん罪でないことは明かであり、自らも認めているわけであり、弁護団側もそれを認識しているのである。人一人の命を何と考えているのかと言いたい。その被告も人だと言うことは当たらないと思う、鬼畜なのである。裁判員制度が始まることを意識しての色々な動きがある中、如何様に考えてもこの無期懲役の被告への判決は疑問が残る。それでいてこの被告達は控訴を考えているという、無期懲役囚に対する検察側の控訴なら理解できるのだが・・・。
2009.03.18
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NHK大阪文化センターの表記講座も前期最終回の6回目となった。イスラーム世界と日本という題目での話だった。受講の正式開始時間前に既に受講者が殆どそろっていたので講師はパワーポイントで昭和13年(1938年)当時の東京モスクでのムスリムと日本人の交流を撮った写真などを紹介してくれた。軍国主義時代の日本人のムスリムに対する考え方なども当時の新聞記事を通して色々と紹介された。当時から東南アジアや中国にいたムスリムを如何に国策的に使って防共の諜報活動や突破口に使うかという位置づけであったようだ。日本が正式にというか、大きくムスリムと関わった事件である「エルトゥールル号事件」から話は説き起こされた。1890年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、和歌山県串本沖、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難した事件がそのきっかけだという。この事件は、1887年に行われた日本の皇族のイスタンブール訪問に応える目的で皇帝アブデュルハミットが訓練不足のオスマン帝国海軍の練習航海を兼ねてエルトゥールル号を日本へ派遣され、その帰途起こったものだ。エルトゥールル号は老朽化した木造のフリゲート艦で、和歌山県串本沖において折からの台風に巻き込まれ沈没、乗員約650名の内司令官オスマン・パシャを含む殆どが犠牲になった中、69名が地元民や日本国政府の必死の救出活動で助けられたのだという。これを起点として、日本とトルコの友好関係が始まったのだという。ムスリムの言っても英領インド系と、トルコのようなタタール系と、今我々がよく知る中東アラブ系の3系統に分けられる。日本が最初に接したのは、どうやらトルコ人であり、タタール系の人たちであったようだ。これがきっかけで、1985年のイラン・イラク戦争でイラクのイラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言に対し、イラン国内に取り残された日本人をトルコ側がエルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を忘れず、トルコ航空機を派遣、215名の日本人全員が救出され、無事にトルコ経由で帰国できたと言う事に繋がったという。まさに情けは人のためならずである。それにしても、いかに、自衛隊の海外派遣不可の原則のためとはいえ、自衛隊機による救援が出来なかった、またしなかったというのは何とも情けない話である。そも自衛隊とは何のためにあるのかと言うことを感じる大きな事件だった。当時のトルコとしては、全く関係の無い他国民を、鶴の恩返しではないが、ちゃんと果たしたと言うことであり、日本の自衛隊といえば、自国民を自衛するために存在していながら全く機能しなかったというなさけないというか、全くお粗末な事件であったわけだ。ついでに調べたら、その時、国営企業である日本航空の組合も反対して日本航空機による救援もできなかったということだ。このことを思い出して、全く日本人として汗顔の極みと感じた。こうして、日本とトルコの親善関係が築かれたというjことだ。と言う事は、だらしない日本の自衛隊や日本航空が親善に一役買ったと言うことか??今回のソマリア沖によくぞ自衛隊を派遣する気になったものだと、感心したが、誰かが海賊に撃たれない限りは原則海賊を退治できないのが日本の自衛隊なのだそうだ。この時もしトルコの船が海賊に襲われたとしたら、日本はやっぱり、外国船だからといって、救助は出来ないのであろうか???タタールのくびきとして知られるその昔は、タタール系やトルコ系のオスマン帝国は巨大な権力でロシアを悩ましていたが、日露戦争以前からは、ロシアの勢力に逆に悩まされていた。日露戦争で、東郷元帥が率いる日本海軍が、ロシア艦隊を撃滅したのを喜んだこれらトルコ系の人々は、東の小国が大国ロシアを降したと言うことで、一躍有名になり、当時、トルコの子供達や、トルコの通りや建物の名前などにトーゴーという名前を付けるのが流行ったと言うことであった。私も、サウジアラビアにいた頃に、その話を聞いたことがあり、遠い昔のことが、人々に言い伝えられて今も残っていることに感動を覚えたものだった。この話は講義とは関係ないが、杉森久英の「アラビア太郎」と呼ばれたアラビア石油の山下太郎も近年には商売とは言いながら、冒険心を持ってサウジアラビアの石油権益を得るためにサウジのジェッダからリヤドに向かったという話を思い出した。講義に戻ると、日本で最初のモスクが建てられたのは、神戸だそうで、先の戦災の時も、阪神神戸大地震の時にも生き残り現在も昔のまま存在しているとのことである。写真で見る限り、焦土と化した周りの風景の中に、凛として焼け残らずに建っているのを見ると、これぞアッラーのおかげなのかと思ってしまうほどであった。このように東南アジアや、中東に開かれた港は神戸で、横浜港はもっぱらアメリカへの窓口として機能するだけで、日本のムスリムとの接点は神戸が主と言う事のようであった。講義の最後に、黒木時太郎という男が、ムスリムの如きいかがわしい人種を排斥すべきであると言ったことに対して、時の兵庫県知事がムスリムは宗教の範疇にはなく、モスクに集めておくことがよりよい扱いであると取り締まりの対象から外したのだという興味深い話があった。今でもトルコも然りだが、中東アラブは、石油の輸入先国やはたまたテロの国としてぐらいしか知られていなく、ムスリムの何たるかを殆ど知る人がいない中、幸い、私はかの地で幾ばくかの時を過ごせたことを得難い経験だと有り難く思った。講義は後期に続くが、連れ合いも、講師紹介のイスラムの本を行き帰りの車中で読みながら、若干の興味を覚え始めていることに何となく楽しいものを感じた。
2009.03.17
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今日、ほんの少し外気に当たっただけで一日中家でテレビを見て過ごした。最近は異常?に早く起きることもなくなったが、それでも外がまだ暗いうちに起きるのは習慣になっている。朝は大体NHKの朝の連続ドラマからテレビをつけ見始める。今日はその前からテレビのスイッチを入れたらWBCの中継をやっていた。3-0で勝っていると言うところだった。最近特に好んで野球を見ると言うことがないので、テレビが騒ぐ世紀の一戦だと言っていたのだろうが、気にもとめず見落とすところだった。そう言えば、野球の世界選手権のようなもので、イチローや、松坂が出ている野球だから、見ないと非国民のような気にさせる報道の過熱ぶりも手伝って、見ていた。選手の名前は大リーグで活躍している一部の人を除いて、やっと覚えた程度の野球マニアとはほど遠い存在だ。単純に日本が勝っていれば面白いという程度の極めて不埒な視聴者(国民)である。これまでの対韓国戦の第一戦はコールドゲームで大勝して、結果すごく気持ちが良かったのだが、その同じチームが、同じ対戦相手に、今度は完封負けするのだから、野球は面白いのだろうが、こちらは負けると、ちっとも面白くない。キューバ戦では、164km/hの豪腕ピッチャーを打ち込めるかというマスコミや解説者の盛り上げ方とは全く外れて、日本が打ち込んだと言うことのようである。解説者も勝てば日本をほめ讃えれば見ているものは納得するし何のクレームも来ない。ライブ時間の合間に日本が打ったハイライトを放映するのだが、敵失での得点に始まり、私にはどれも快打のようには見えず、どれも押された球がたまたまヒットになった様なあたりにしか見えなかった。世界ランキング一位のキューバを相手にとにかく完封し、得点を6点も上げたのだから、結果は打ち込んだと言うことなのだろう。そこに行くと、ハイライト放送でしか見なかったが松坂のピッチングは少し胸のすく思いだった。次回はまた韓国戦だと言うが、是非ともライブを見たいという気にはなれない。なぜなら、今朝のライブも、そのハイライトといえば、日に5回は放送するからである。私にとって、野球とはその程度のもので、結果と、何処で打ち、何処でナイスピッチングをしたかと言うことが分かれば十分なのである。それでも、まあ、負けたよりは、勝った方が気分は良いのだが、キューバのような国の選手は、一体いくら年俸を貰っているのだろうかとそちらの方が気になり、負けて帰った時には、中国や北朝鮮のように非国民扱いをされるのではないかなどと変なところに関心が行ってしまう。いつも思うが、日本のお昼のテレビ番組は何であんなに下らないのだろうという番組ばかりである。何故かよく見ていた「ムーブ」という番組が無くなってしまっている。裏の番組では芸能界でもあぶれたタレントや、売れない評論家や、暇な大学の先生が集まって、これもやる気があるのか無いのか分からないふにゃふにゃしたおじさんが司会をしている番組がある。私はこの司会者の顔を見たくないために、その番組を避けるほどだ。今日はたまたま国会中継をしていた。小沢一郎の公設秘書逮捕の問題があってから、民主党もなんだか剣先の鋭さが無くなっている。これと対照的な細田官房長官のはしゃぎ振りには笑ってしまった。民主党の追求に、官憲の追求は自民党には及ばないだろうと言った、あの漆間官房副長官の歯切れの悪い答弁と、最早開き直った答弁にはいらついた。天下りの件に至っては、麻生総理の何ともかみ合わない答弁に、本当にやる気があるのか(結局はないのだと言うことなのだが)とかみつきたくなるのだが、本人もそう言っている、相変わらずののらりくらりの答弁にはあきれる。「蛙の面に小便」とは良く言ったもので、支持率はともかく、貴方を積極的に支持しない人が7割を超えているのですよと言っても頑として動こうとはしないし、経済対策が一番と馬鹿の一つ覚えを繰り返すばかりである。まるで、子供に大好きなおもちゃを一旦与えたら、しっかりとそれを離さないといった感じなのである。そんなやりとりを歯がゆく思ったり、代理で答弁する官僚達のこれまたのらりくらりとした答えにいらつきながら野党の質問が終わり自民党の質問になったので、そそくさとチャンネルを切り替えた。与党の質問ほど下らないものはない、自分たちが押した人物達が組閣をしているのだから、これはもう茶番劇であり、全く掛け合い漫才のようになるのが落ちだからである。そして外国人に乗っ取られた相撲をちらっと見て、お定まりのクイズ番組で、さび付いた頭のスクリーニングをして、ゴールデンタイムは「TVタックル」である。もうタレントのようになった政治家が出てきてやり合うのだが、どうせ司会者達は、それを肴に茶化すだけでおしまいである。このような類似の番組を見て、なるほどと思ったり、こうすればと思っても、いっこうに変わらないのが今の政治であり、またそんな変わらないのを前提に物事が進んでいるむなしさがまた何とも言えず自虐的でつい見てしまうところがある。その後はまたWBCの焼き直しの、本日5回目のハイライトを見せられる。司会者は多分今日見られなかったサラリーマンを対象にしてしゃべっているのだろうが、こちとらはもう隅の隅まで知っているわけで、早くその時間が過ぎないかと思っているわけだ。またこの司会者、どの事件や報道にも、自分が世界で一番心配していて、自分が何とかしなければとの必死の雰囲気で話すのだが、どれもこれも、中途半端で「はい次のニュース」なのである。国会中継があったために、先刻承知の内容をまたここでも蒸し返しているだけだった。無力感の国民は、どうせ成るようにしか成らないのだからと、きっと裏番組の音楽番組やドラマを見ているのだろうなと思いながら、長かったテレビ漬けの一日が終わった。働いて帰って息抜きにテレビを見るのと違って、終日家にいて、いざりながらチャンネルのリモコンを操作するのが日課になれば、このような日に耐える訓練をしなければならなくなるのだろうというのが今日の感想だった。
2009.03.16
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今や世界の共通言語が英語であることに誰も異議を唱えるものがないであろう。ユネスコが発表した世界の言語は、消えゆく道を辿りそうなものを含めると何と6000語もあるという。その中には、10人以下しか使う人がいない言語が199もあるという。その中、最近アラスカで使われていた「エヤク語」を話すただ一人の人が亡くなり、「エヤク語」は絶滅したという。このように1950年以降、219言語もの言語が絶滅しているという。一人しか話さない言葉は、もう一人ごとだ等と笑い話ではないが、このほかにも消えゆく運命と見られる言語はランク分けされていて全部で、2000語近くあるという。それにしても今なお、4000語もの違った言葉が世界のどこかでコミュニケーションの道具として使われていることに驚きを感じる。地域のコミュニケーションに重点を置くと母国語が問題となるが、現代のようなグローバル化した世界で考えるなら公用語と言うことが言語数の基礎になるのだろうと思われる。ほぼ同じ傾向にはあるものの、母国語は人口に比例することは当然のことであろう。ここで、母国語の世界一は10億人の中国語である。中国の全体人口の残りの3億人は、多民族でありる事はこれを見ても明らかである。そして、中国語を公用語としているのは矢張り10億人なのである。これに反して英語を母国語にしている人口は、3億5000万人しかいないにもかかわらず、英語を公用語として使っている人口は、14億人もいるという事だ。次いで人口の多いインドにおける言葉であるが、これはもう地方によって使う言葉がばらばらで、それぞれに結構多くの人が使っている言葉がある。ヒンディー、ベンガル、パンジャブ、ビハール、テグル、タミール、マラータ語などである。インド全体の人口は10億人を超えているが、公用語としてはヒンディー語を使っているようで、この人口は7億人だそうである。私が学生の頃の主たる外国語教育は、英語であったが、第二外国語を履修しなければならなかった。その時は何とも思わなかったが、確か工学部系はドイツ語を、文化系はフランス語を取る人が多かったような気がする。過去のヨーロッパの威光がまだ流れていたからかも知れない。しかし実際には身につかなかったけれど・・・。私の兄などは外大でロシア語を専攻したようだが、就職してからはもっぱら英語での仕事が多かったようだ。私も晩年になってアラビア圏で仕事をする機会があって初めてアラビア語の存在を身近に知ったが、アラビア語を母国語とする人口は1億5000万人で、公用語とする人口は1億7000万人だとある分析には載っていた。現在アラビア圏の文化などを紹介する講座で聴いたアラビア語を話す人口は3億人いるとのことだった。これは、集計の仕方などで違ってくるのだろうが、日本語は勿論ドイツ語やフランス語、そして数えようによってはフランス語をしゃべる人口を遙かに凌駕しているのである。人類の多様化を保持するために、弱小言語を守ろうという動きもあるようだが、一方では、インターネットの普及で、使われる言語にも特異性が出てきている。デジタルデバイドといわれているが、インターネットが普及している国の言語が多く使用されているのは当然のことであろう。新聞によると、日本語の利用者数(これは殆どが日本人であろうが)は英語、中国語、スペイン語に次いで4番目であるという事だ。母国以外で働くインドや、フィリピンなどの外国人はインターネットを通じて世界の情勢を把握し理解している。それは勿論かつて英語圏が宗主国であったこともあるが、全て英語を通じてのことである。真実の所はよく分からないが、日本人が、インターネットを通じて得る情報は、日本のメディアが発信したものや、外国の情勢でも、一旦日本人が翻訳して掲載したものが殆どである。こんな事を考えていると、日本語を母国語とする人口は、日本人の人口1億2000万人であり、また日本語を公用語とする人数も1億2000万人であることから、如何に情報的にも一般の日本国民が鎖国状態にあるのかが分かろうかというものだ。その日本語も、今や若者言葉や外来語が氾濫して、日本語本来の良さが失われて行ってるのではないかと嘆かわしく感じることが多い。
2009.03.15
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水は生命の源であり、人体の70%が水で構成されている。とはよく聴くことであるが、テレビ番組「世界一受けたい授業」の特別授業と称して、オーストラリア生まれのリチャード・フラー氏による水汚染に侵されている国の現状の紹介があった。氏はニューヨークで新興国における汚染関連の環境問題のための非営利団体ブラックスミス研究所を設立。現在ロシア、中国、ザンビア、タンザニア、タイ、カンボジア、フィリピンを含む、14カ国でプロジェクトを進めており、新興国で最も汚染された場所の浄化作業に取り組んでいるとのことである。授業内容はただただ驚くばかりの事実の連続である。WHO(世界保健機構)の調査によると、現在世界で汚染の影響を受けている人は10億人以上いるのだそうである。また、世界の死亡者数のおよそ25%が汚染が原因だと報告されているそうだ。その中でも脳が成長途上で、体も小さい子供が一番影響を受けやすいとのことだった。矢継ぎ早に各国の汚染の状況とそれにより罹患した子供達の写真が画面に出てきて、目を覆いたくなるような状態だった。例えばインドのスキンダには、世界最大規模のクロムの採掘施設があり、これを取り出す工場から廃棄する煙突からの有毒なガス噴出と同時に、川にも廃棄物が流され、その結果、飲料水の約60%が猛毒の六価クロム化合物で汚染されているというのだ。六価クロムは触るだけでひどい皮膚炎にかかってしまい、体内に溜まるとガンの原因になる可能性があるといって、罹患した子供達の状況写真が流されるのである。そして、この汚染の被害者はおよそ260万人もいるのだという。また、ロシアのノリリスクではニッケルの世界最大規模の工場があり、世界の3分の1の量がここで採れるのだそうだが、ここでは、呼吸器系の病気の原因となる、銅・ニッケルが毎年500トン。肺ガンなどの原因となる二酸化硫黄が毎年200万トンが放出されていて、空気は硫黄の味がして黒っぽい雪が降るのだという。この汚染のため子供たちは、毎年2か月間療養所に送られて、人工太陽による日光浴や栄養を補うスープを飲まされて凌いでいるのだという。そして、この汚染の被害者はおよそ13万人に及ぶという。さらに、アゼルバイジャンのスムガイトというところは、かつてのソビエトの中心的な工場地帯であり、一時、街を繁栄させていた工場が汚染源となっているという。毒ガスが空気中に放たれ、汚染された水が川に流されたことで約1500トンもの水銀などが街を汚染し、その結果スムガイドは、世界で一番死亡率が場所のひとつになっているとのことだ。他でもブラジルでの話や、ウクライナのチェルノブイリの話など水や大気汚染による被害は目を覆うばかりである。化学物質に汚染された水(一見して泥水に見える)でも煮沸すれば大丈夫だと、湧かしてそれで紅茶を飲む老夫婦の姿を見ると無知ほど恐ろしいものはないと感じる。でも、生きるための水はそこにはないのである。何処だったか定かに覚えていないが、これらの汚染物質のせいで平均寿命が男42歳、女47歳と言うところもあった。 まさかと疑いたくなる世界の死亡事故の四分の一が、こういった汚染に基づくものだということが現実に目の前に示されれば信じないわけにはいかない。水の問題は今まで、中東砂漠の雨の降らない地帯の問題や、貧しいアフリカの住人達の問題かと思っていたが、これらの場所は水がないので苦労しているのが、今回紹介された場所では水はあるのだが、それを汚して人体をむしばんでいるというのだから、驚きである。日本でも重金属による汚染問題は過去にいろいろとあり、未だに後遺症で悩んでいる人たちがいる。日本の企業は、中東などで、海水の淡水化を蒸発法や、逆浸透膜法などで淡水化し飲料水に変えるというプロジェクトを盛んに行いつつある。アフリカなどでは水を掘るための井戸を提供するODAなどは盛んに行われている。しかし、この汚染水対策を行っているのが外国の非営利団体であるというところが何とも情けない気がする。日本は儲からなければ出て行かないのか?汚染に苦しむ10億人が何故救いの対象にならないのか?産業の発展、国家の国威掲揚の犠牲になっている人たちがこれほど沢山いるとは知らなかった。この日の夕刊に、9000年前の井戸がシリアで発見されたと掲載されていた。飲料水などの「浄水」が目的と見られると記事は語り、「人類の衛生概念の発展を示し貴重」と述べているが、この9000年の間、人類は一歩も進歩しているどころか、どんどん後退しているのではないか?地球を汚しながら発展して行ってると考えている人類はやがて、破滅の道を辿ることになるのだろうか?
2009.03.14
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フィリピン人強制退去の問題で、不法入国しそのまま滞在を続けていた親子が引き裂かれて娘一人が親戚の家に引き取られ、親二人はフィリピンに強制退去となった。これについて賛否両論があり、日経の社説では、政治的判断で残留できるようにすべきだと述べていた。こう述べている。たしかに不法滞在者には厳格な対応が欠かせない。しかしこの一家の場合、両親は地域社会に溶け込んで平穏に暮らしてきた。のり子さんもすっかり日本人として育ち、級友に囲まれて学校生活を送っている。中略 欧州諸国などでは、不法滞在でも平穏に過ごして子どもを育てている場合は柔軟に対応している。それだけに今回の問題には海外メディアも関心を示し、国連の人権理事会が調査を進めるなど国際社会も注目していることを忘れてはならない。日本は法治国家である、その法を破って、他人名義のパスポートで密入国してきたことを忘れてやろうということだ。日本国の法を破って来たものを何年か平穏に暮らしていれば超法規的措置ででも、心情的、人権的に認めよと言うわけだ。日本語しか話せない子供が可哀想だというのがその点だろう。子供がそうなることを考えずに親は心情的に受け入れて欲しいという。ニュースステーションの司会者も、その解説者も日経新聞の趣旨に近いニュアンスであった。ではその人達に聴きたい。未だに日本に不法滞在している外国人は20万人は下らないというそんな人たちは、どう扱うのか?良い人だったら認めるのなら、人道的な見地から認めるならその査定基準は何処に置くのか?殺人のようなものでも時効があるのだから、時効を決めてやればよいのか、これを超法規的に認めると、他の不法滞在者は勢いを得るだろうし収拾が付かなくなると思う。定額給付金の件でも、国民の相当数の反対を押し切って、自民党は配布の手続きを進め、ある時点で、「もうここまで来て引き返せない」と既成事実のように行っていた自民党議員がいた。これも同様な考えだ。一旦既成事実が出来てしまうと、それを破ることは難しいし、根本の議論に戻る事は帰って混乱を招くというものだ。ではそんな風になった原因を作ったのは誰なんだと聞きたい。海賊退治のため、ソマリア沖に警護に行く自衛隊艦船が最初は自国籍の船舶に対してのみ自衛(こちらから先に発砲は出来ない)というような悠長なことを言っていた。社会党の優等生おばさんは、断じて許せないと息巻いていた。堂々とした艦船が、アパッチのように縦横に無法に押し寄せる海賊に対しても、ただじっと見ておくというプレゼンスだけで、もし他国籍の船が襲われてもじっとしていろという方が、人道的にもとる行為(不作為)というものだろう。ソマリア沖にしろ、マラッカ沖にしろ、現代の海賊は人命を奪うのが目的ではなく、あわよくば高額の身代金をせしめようというのだから、対処する側もゆるむのかも知れない。これが中世の地中海の海賊のように、金品は奪うし、乗組員は拉致し奴隷か、海賊船の漕ぎ手にされ一生を終わるようなものだったら、多少は話が違っていたのだろうか?そんな場合でも今の日本では、対テロといえども自衛隊が先に発砲することは許さないのである。例えば店屋のお菓子に手を伸ばした取ろうとしたやんちゃな子供をじっとにらめ付けるが、それでも手を引っ込めず、お菓子に手を触れた段階で店の主人はぴしゃりと手を叩くと言うことなのだろう。何のための高額の防衛費を払っているのだろうかと疑問に思う。ミサイルを打ち落とすためのMDシステムを試すだけに高額な税金をなし崩し的に使っても、練習だから何も言わないのだろうか?今まさに北朝鮮が、ここに落ちるぞというミサイルの打ち上げを世界に公表している。先のニュースステーションの司会者は、打たせる前に何とか打ち上げを止めさせるようにすべきであると真顔で解説したような気分になっている。そんなことが出来る相手ならとっくにやっているだろう。馬鹿馬鹿しくて見ていられない。前にも思ったのだが、北朝鮮の人工衛星のためのと称するこの打ち上げ軌道の計算が、狂っていたらどうなるのだろうか、第一弾の切り離しが少し遅れたら、秋田県に落下する確率か非常に大きい気がする。ゴルフでスライスしたボールが隣のコースに打ち込まれ、「フォアー」というだけでは済まないのだ。ゴルフボールでも頭に直撃を食らったら死んでしまうのだから。ここはアメリカ軍に、思いやり予算の範囲内で、迎撃して貰うようにお願いしたらどうだろうか?そして北朝鮮が迎撃したら即戦争だと喚くのなら、これもアメリカ軍に北朝鮮の中枢部を先制攻撃して貰うのはどうだろうか?何せ、日本は攻められなければ先制攻撃は出来ないのだから・・・。これも日本は北朝鮮が打ち上げの事実を重ね、何回かの実験の後に既成事実があるから仕方がないかと言うことで段々と認めるようになり、あげくに本土に直接ぶち込まれるまで待つのだろうか?日本の事なかれ主義と、ここまで来たのだからと既成事実化、等、自らに火の粉が降りかからなければ何もしないという体質は一見おおらかのように見えるが、侮りを受け、羊のように飼い慣らしやすいと思われるのであろう。
2009.03.13
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毎月一回行っているという歩こう会に2度目の参加をした。もうこの会は、40回を数えるそうで、前回の京都ウォーキングから参加させて貰った私と連れ合いは、最近二人だけで近所周りを散策する程度なので、色々企画をして声を掛けて貰えることに便乗して参加を楽しみにしていた。前回は特別に京大の本館で昼食のフランス料理を頂くというものだったが、今回は通常通り(らしい)、各自が弁当を持ってきて食べるというものだった。今回のコースは、阪急神戸線の園田駅を下車、バスで20分程度揺られて、園田競馬場前を通り、猪名川河川敷に降りるところで下車、猪名川の河川敷を上るコースであった。参加者は我々を含めて合計16名であり、女性は4名の参加だった。どうやら、我々が一番若いようで、70を過ぎた方もおられたが皆めいめいの歩調で、時々休憩を取りながら猪名川の東側河川敷を上流に向かって歩いた。猪名川は、ほぼ大阪府と兵庫県の県境を流れている一級河川であるが、実際に水が流れている水路は狭く、かなり広い河川敷である。右には阪神高速の池田線が並行して走っていて、河川敷には所々に野球場や、サッカー場などがあったが、我が家の近くの淀川河川敷のようなゴルフコースを取るまでの広さはないようであった。晴れてはいるが風は冷たく、時々太陽が雲に隠れると肌寒さを感じるが、歩くにはもってこいの条件だった。しばらく河川敷を歩いていると、土手に上がった人が空港だというので駆け上がってみると、巨大なスペースの伊丹空港が眼前に現れた。巨大なジェット機に混じって、小型のプロペラ機も離陸したり、時には、新聞社のヘリコプターであろうか、ブルーに赤の彩色の機体が空港の隅にホバリングしていた。空港の端部を右手に歩いて回り込むと、下川原の公園があり、園児達が遊んでいた。この公園からは、飛行機の離着陸がよく見える。また、飛行機が今まさに離陸しようとしているモニュメントが公園の端に造られていた。公園にはテーブルつきのベンチがあり、ちょうど昼時であったので、そこで弁当を開いた。皆さんコンビニの弁当を買ってこられたようで、我々も、梅田の構内で買ったおにぎりとパンを食べた。しばらくの歓談の後、再び猪名川沿いを北上して、軍行橋を通り歩き始めた。お年を召された方達ではあったが、平地の河川敷であり、野生の芝の上を歩くので、皆さん健脚ぶりを発揮され、一時は先頭の人から、最後尾の人まで、2-300m離れたこともあった。話を聞いていると、2-3人の方がガンとかその他の大病を克服されたという話で、この会は、ガンの克服会なのだと説明されていたようだ。たのもしい。青空の下で、自分の足で、歩き回れると言うことを最近特に有り難いことだと思う。今なお、友人、知人の中で闘病生活を余儀なくされている人がいる。それに比べて、この自由なことはどれほどの価値があるものか、若い時には考えもしなかった、こういった普通のことが、とても有り難いことなのだと感じた。やがて、池田市の室町地区を通り、呉服(くれはと読むらしい)神社の前を通り、阪急宝塚線の池田駅で次回の再会を期して、解散となった。家にたどり着いて万歩計を見ると、17141歩だった。ゴルフワンラウンドをなるべくカートに乗らないで歩く距離に相当する歩数を歩いたことになる。心地よい疲れが残った。
2009.03.12
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私のオリジナル凸凹パーティーのゴルフラウンドがあった。75歳、76歳のやる気満々の姉とその友人、さらにゴルフを初めて数ヶ月の連れ合い、それと私のプライベートなゴルフラウンドだ。行き先はいつもと同じ、お世辞にも綺麗なコースとは言えないが、安いだけが取り柄の山奥のコースだ。つい三日前に、私の第二次凸凹コンビである、私と、連れ合いと、姫と、姫の友人の4人で回ったコースと同じ所だ。そこ、一庫ゴルフコースは、かつてインターネットで調べた時には、変化があって面白く、良しとする記述と、コースは狭いし整備が不良、グリーンもお粗末で、2度と行きたくないという記述の分かれる特異なコースである。山岳コースでは何処でも見かけることがあるが、鹿の糞が随所に見受けられ、アップダウンが激しく、カートなしではとても回りきれるものではない。さらに最近経営者が変わったようで、クラブハウス前の改修や、コースの改修も積極的に行っている。そんな改修途上であるから、ティーグラウンドが整備中で仮説ティーグラウンドから打つためにホールまでの距離が極端に短くなったり、またその逆で長くなったりしている。グリーンも小さかったが、拡張するように整備中で、まだ拡張部の半分は完全に芝が育ちきっていない。さらに、薄利多売と言うことか、入れるだけの客を入れるものだから、前は詰まり、後ろは待たせるという状態になるところが多い。しかし、我々も凸凹ティームであるから、むしろそんなところの方が気兼ねなくプレーすることが出来る。地球を何度も掘り返したり、空振りしたり、尺取り虫のように進んだりである。時にあごの高いバンカーなどにはいると五本指のクラブ(手)で脱出すると言うことも時には必要である。前を行く若者のパーティーも、フェアウェイそこのけで、山の上に駆け上がったり、一寸した谷底に降りていったりで、正々堂々とフェアウェイを歩く人は少なかった。また、2ボールもオーケーなので、我々の後の比較的上手そうな二人の男性コンビは常に私たちのプレーをじっと待つという案配だった。こちらも気は焦るが、焦れば焦るほどうまくいかないのがゴルフである。その点は仕方がないことと諦めてはいるものの、視力が衰えているため、自分が打った球さえ見失うという極めて不本意な状態でのプレーである。それでもワンラウンド終わってクラブハウスに向かう時には、歳をとってもゴルフが出来ることは素晴らしいことだと感じながら、安いとはいえ、ちゃんと料金を払っているのだからと、スタート前の木製看板に2時間半以内で回って下さいと書かれているのを横目に本人達は十分満足するまでクラブを振り回したのだった。来月には、伊勢志摩方面のコースらしいコースでやりましょうと約束して、凸凹コンビでも、長く続けられればいいのだがと思いながら帰途についた。
2009.03.11
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半ば定期的になろうかという高校時代のミニ同窓会があった。今回は大阪のホテルで和食を頂くという趣向であった。男性は、私の中学時代からの同級生であり、女性は我が連れ合いと、その友人である。連れ合いの友人の一人は、鎌倉に在住されているが、娘さんやお姉さんがが大阪におられるとかでちょくちょく来阪の機会があるらしい。そのたび毎に打ち合わせをして連れ合いともう一人の得度された女性とおしゃべりの機会を持つ事にしてきたようである。私の中学時代からの友人は不幸にして、高校3年生の時に病気で留年を余儀なくされ、入院中か退院後に連れ合いの友人に残念な胸の内を手紙にしたためて出したと言うことだった。それに対して、連れ合いの友人も身の上を心配して、心のこもった返信を返したと言うことだ。そんな話が、最初に私と友人の間で出てきたことから、連れ合いの友人だという関係もあって、それでは4人で会うことにしましょうというのが始まりであった。1-2回京都での花見などを楽しんだ再会の機会を持ったところ、もう一人の女性が加わることになったという経緯である。高校を卒業後は、年賀状だけの付き合いであったのだが、ひょんな事で再会を果たしてからはトントンと定期的に会いましょうかと言うことになった。会社時代は、それぞれに忙しく、ゆっくり会う機会など到底考えられなかった私だが、帰阪して定年を迎えてからというものは、連れ合いの伝手を頼りに交友の輪が広がりはじめ、今回のミニ同窓会になったものだ。連れ合いとその友人2人は昼から事前に女同士のおしゃべりを楽しみ、私と、私の友人は夕食時に合流するというのがほぼお定まりのコースになった。今回は最後に参加した女性は、町内会の役員会とかで夕食は一緒出来なかったが、オリジナルの4人のメンバーは、時の移るのを忘れて話に花が咲いた。人の記憶は曖昧なもので、自分に都合の良いことしか覚えていない。友人の病気の時のやりとりも一方は内容を覚えているが、一方は手紙で励ましたことは覚えているものの内容はすっかり忘れているというような具合だ。私の友人にとっては、手紙を出し返事を貰った人は「あこがれの君」であったわけだ。そんなことはつゆぞしらずに失礼なことを言ったのではと連れ合いの友人は話していたが、この歳になって、再び再会して話をする機会が出来たことに世の中、色々なことがありますねという話になった。高校を卒業以来、40数年を過ぎ、それぞれの道を歩んできたわけだが、若い頃に同じ学舎で学び、ほのかな気持ちもあった同級生というのは、かくも和やかにうち解けられるものかと、気の合う者同士の同窓会もまた良いものだと思った。早世した仲間や、今まさに病魔に苦しむ仲間もいる中で、元気に笑顔で会い、食事をしてしゃべることがこれほどまでに有り難いことなのだと言うことを私に感じさせた。
2009.03.10
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人工衛星の打ち上げと称した北朝鮮のミサイルが着々と発射準備を進めているようだ。過去2度も発射をした実績を持つ北朝鮮のことである、今回も発射は必至でないかと思われる。これに対して首相をはじめ側近は「日本に被害を及ぼす危険の可能性があるなら迎撃出来るしまた迎撃する」と言っているようだ。自衛隊の最高指揮官である首相がそう言っているのだから、間違いなく迎撃してくれるのだろうと思ってはいけない。何しろ、「私はあのときは賛成じゃなかったんですから・・・」と言って過去の弁を何度もひっくり返すいわゆる「ブレ」があるからだ。もっともブレが無く迎撃すると言っても、北朝鮮を正確に観察し、いつ発射するかが分かって、すわ発射といってから日本に着弾するのは、5-10分である。こんな時に、首相に発射されたからどうするかの指示を仰ぐまでに間に合うわけがない。昨年2月に海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」が衝突した事故の場合を考えても分かるとおり、それほど機敏に対応が為されるとは言い難いと断言できる。だからといって、アメリカの第七艦隊のイージス艦から迎撃してもらえるなどとは全く期待できない。日本は、「領空を飛んだら迎撃するぞ、迎撃するんだ」と何ども牽制しているだけなのだそうだ。昨夜も韓国とのWBCの野球中継があったが、例えダルビッシュ投手や城島捕手が走者を何度牽制しても走者が盗塁するといえばやるのである。その時、肩の良い城島捕手であれば2塁到着前に強肩で刺すことが出来るであろう。その時の城島捕手は、日本の監督ではない、現場の指揮官(担当者:侍)に過ぎない。走者が走り出してから原監督にどうしましょうでは遅いのであるから勢い現場の判断で事を進めなければ間に合わない。従って実際に迎撃するか否かの判断は事前に防衛相の事前命令で航空自衛隊の航空隊司令官が判断することになっているという。仮に発射され、迎撃に成功したとしても、その司令官の行為は正しかったのかどうかなど、事後の混乱が目に見えるようである。1998年唐突に発射された北朝鮮のミサイルが三陸沖に着弾した時の結末はどうなったのだろうか。まあ実害がなかったから手打ちで終わったように見えるが、あの三陸沖の着弾が北朝鮮の正確な計算上の着弾点であったのか、それとも軌道のズレで起こったのかの報道を見たことがない。要するに、今度のテポドンの発射が日本の領空や日本の領海の何もないところに落ちるのならまだ良しとしなければいけないだろうという悲しい現実である。もし彼らの計算が狂っていたら、また技術力が発展途上であり何らかの不都合で日本の国土に着弾した場合には、一体どうなるのだろうかと言うことだ。まして日本には現在52基の原子炉があるという。それも10県以上に分布しているのである。そのどれかに落ちないと誰が予想できるのだろうか?もし原発に落ちたら、その周辺住民だけの被害では済まないのは勿論のことである。北朝鮮は時期の独裁者を決めようとしている最中である、訳知りの大学教授や、評論家が如何に説明しようと、人間の心までは読めない。もしも北朝鮮の金正日よりもさらに狂信的な軍人がいて、テポドンを意図的に日本国土に落下させ、それを狂人金正日にかぶせたとしても、やられた日本はまったく伺い知れないのである。これは天気予報ではないのだ、天気予報なら、難関の試験を通った気象予報士が、昨夜は思わぬ低気圧が発生したために雨が降りました、当たらなくて済みませんで済むが、今回のはそうはいかないのだ。さらにMDシステムは導入済みというが、実際に3回行った試験で全て成功したわけではない。相撲の申し合わせのような試験でさえ成功の確率が万全ではないのに、狂人が発射するミサイルを短時間のどう撃墜するというのだろうか?雇用、福祉などの税金を犠牲にし、高い防衛費を払い続け、同盟国には基地を提供し、思いやり予算で贅沢三昧をさせているアメリカをもあまり当てにならないとなると、「どうか、神様ここら周辺には落ちないでください!」と祈るしかないようだ。
2009.03.09
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連れ合いと、姫、さらに姫の友人と私の男1人、女3人でよく行くゴルフ場に出かけた。連れ合いは初めて数ヶ月という初心者である上に姫はこれが最初のラウンドであり、クラブを握った回数も数えるほどしかない、机で毎日パソコンを叩く仕事を夜遅くなるまでしている毎日のずぶの初心者である。姫の友人はそれでも1年前位からゴルフスクールに通っていると言うことである程度安心して見ていられた。姫はこの友人の付き合いで参加したというわけだ。私自身はと言えば、大して飛ばない割にOBが出るというゴルフは好きであるが何年経っても全く巧くならないというのは変わらない。そんな凸凹コンビを受け入れてくれるちゃんとしたとは言い難いが、それでも18ホールを備えたゴルフ場が現在では出来てきたと言うことにまず時代を感じてしまう。その昔は、我流ながら打ちっ放し場に何度も通い、上手な先輩にアドバイスを貰い、さらに仲間内で近所のミニコースや、河原のゴルフ場などに通うのが初心者ゴルファーと言われる前の精一杯のゴルフだった。かつては、ゴルフが高級スポーツの流れを汲んでいたのと、折からのバブル景気とが相まってゴルフ場はどんどんと切り開かれて、かなりな数に上った。その頃のゴルフのグリーンフィーは簡単に行けるという感じでなかったことを覚えている。それが今では、パブリックコース並みのコースが増えて、会員の紹介や、それが無くても何回か通っていると優待券が来るなど平日のグリーンフィーはぐんぐんと安くなった。姫の友人がゴルフをしたいという事で今回のゴルフとなったが、姫も、その友人も平日は仕事があるので日曜日しかプレー出来ない制約があり日曜日に出かけることになったわけだが、何とか心配していた天候には恵まれたものの、ゴルフ場に着いてプレーヤー数の多いことにビックリした。ゴルフ場もクラブハウスを含め色々手を加えて改修中である。薄利多売でも儲かっているのだろうなと思った。こちらは下手揃いの組だから、後ろが来ない、最終出発を望んでいたが、何のことはない、最終に付けたとはいうものの、すぐ後から早朝ラウンドの先発組のバックナインの組がスルーで続々と続いてくるのである。後ろに追われるのが嫌であったが、前も前で素人組の青年が右往左往したり、山に駆け上ったりの有様で、前は詰まり後ろは迫るという、最悪のコンディションだった。私はというと、出だしがあまり良くなかったので、スコアを付けることは止めてしまった。素人の姫がどうなるのか、適当に3回打ってダメならもう諦めてグリーンに行くと行っていたのが最初のティーショットで快音を飛ばしたからビックリした。姫の友人の方は、時々地球を叩いたりはするものの前に進んでいく、連れ合いはいつもより調子が悪い。空振りや、チョロが多くて、焦って何度も立ち往生をする場面があった。連れ合いが時折見せる快音もかすむほど姫の快音が目に付いた。やはり、若いと言うことはすごいものだと思った。ゴルフがメンタルなスポーツであることを感じるのはこんな時である、連れ合いはおそらく初めてコースに立つ姫を気遣っていたために自分のプレーに集中できなかった点があったのであろう、一方の姫は、これはもう捨て身で、言われたとおりやることと、どうせ遊びの付き合いだと言うことで、気負いもなく心理的にはリラックスしていたのであろう。私はと言えば、これほど詰め込むゴルフ場を見たこともないし、それが素人が多いと言うことで開き直って、いつもはうまくいかないところも何となくクリアーできた点もあり、まずまずの上がりではあった。かくして、凸凹コンビのゴルフの一日は思ったよりもそれらしく終わることが出来たので楽しい一日になった。やれやれ。
2009.03.08
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連れ合いは思い立って映画「チェンジリング」を観たいという。60歳以上は1000円だという事で映画を観る機会が多くなった。「チェンジリング」は1928年ロスアンジェルスで実際にあった話だという。寡婦となった電話局に勤める女性の唯一の子供がある日突然いなくなり、数週間後に警察ににより連れて帰られたのだが、その子供と対面した母親は、一目見た瞬間、自分の子でないことを知り否定することから物語は始まった。彼女はその子を自分の子ではないと否定し続けるのだが、警察は取り合ってくれないどころかその母親を子供が失踪していた数ヶ月の間の子供の変化を受け入れられなくなった精神病患者として強制的に収監してしまう。これは警察への再三の訴えにもかかわらず、形式的に事件を終わらせようと画策する警察の怠慢を新聞社に公表した報復措置であった。数ヶ月間のことで、に如何に顔が似ていようとも、背丈が7cm低いとか、子供が通っていた学校の先生の名前も覚えていないとかを忘れたり、変貌したりすることはあり得ないことであっても警察は彼女の言い分を受け付けないというあたりは、実際にあったのだろうかといぶかってしまうほどだ。現在ならさしずめDNA鑑定と言うことであろうが、この時代には血液鑑定をも為されていなかったのだろうか?と考える前に、そう言うことが出来なくても、じっくり母親の話を聞く気さえない警察の横暴が事件をさらに発展させていく。物語そのものは単純な経緯を辿るのだが、その中にロス警察の堕落と腐敗と汚職の有様が市長を含め、警察本部長や警部を通して描かれているところがポイントではないかと観ながら思った。その時代のアメリカの東海岸では禁酒法時代に暗躍した暴力団アル・カポネの全盛時代ではなかったかと思うが、これと戦うニューヨーク警察のエリオット・ネスとは大違いのロス警察の警部であった。自らの保身と、賄賂、腐敗にどっぷりと浸かった警察とその関連者である精神病院の院長などを観ていると、もう一市民の抵抗等というものは何の役にも立たない上に、正義は為されないと無力感に襲われてしまう。ところがこの婦人は、教会の牧師の支えもあって、完全と権力に対抗するのである。その原動力の源は、子供への愛情ただそれだけである。かくも気高く子供への愛情を感じさせるのは映画だけの物語なのだろうか?最近簡単に子供をいじめたり、遺棄したり、殺したりする日本の現状と比べるとこの映画の母親の不屈の魂は素晴らし以上に崇高なものを感じる。実は子供は、連続殺人の猟奇魔である田舎の男に拉致されたことが、たまたまその殺人に手を貸すことを余儀なくされたカナダからの不法侵入の子供の捜索ということから発覚していくのであるが、そんな事実を見せられても、警察は何とかもみ消そうと躍起になるのである。警察の堕落と、市長の腐敗は、日本でもよく目にすることであるが、これまで酷くはないであろうと思いたい。時代も時代であったのだろうが、アメリカでは教会という救いの場所があったり、市民の公聴会があったり、少なくとも生活を改善していくという気概なり機関が存在していることを感じ、さて日本はどうであったろうかと思う時に、実態はどうあれ、内容の深さを問わなければ、官憲の傲慢さと、不遜さは変わらないのではないだろうかと感じた?この子供を拉致し、他に20人もの子供達をも次々と、なたで殺しなお地獄に堕ちたくないと、最後の母親の望みさえも拒否して絞首刑にされていく殺人者の異常さは、まさに猟奇そのものでおぞましかった。事は殺人ではないが、どこか日本全体の異常さ、おぞましさに通じるようで、見ていて錯覚に陥る気がした。映画の最後には、この殺人者の絞首刑、市長の次の選挙不出馬、ロス市警本部長と警部の解任などで一応の大団円的ではあるが、殺人者から逃れた3人の子供の内1人が事件後数週間して名乗り出たことで、他の2人の中にこの婦人の子供が入っているという希望を持たせながら、結局はこの婦人は生涯子供を捜し、待ち続けたと言う字幕テロップで終わった。実際にあった話だからみんな巧く終わったでは済まないが、これでロス警察は少しは良くなったのかなぁと言う感じだった。何かしら問題意識の残る映画であった。
2009.03.07
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久しぶりに連れ合いと一緒に高校時代の同級生と食事をした。私が卒業以来、大阪に帰ってから彼に初めて会ったのはクラブの同窓会に彼が飛び入り参加をした時だった。その時は久しぶりに会ったと言うことで彼は酔っ払ってしまったのを覚えている。その後2回ほど連れ合いとともに3人で食事をしたことがあった。過去2回は食事の場所は会ってから決めようと言うことで集まったのだが、2回とも彼の行きつけの場所と言うことで、勘定の時にはさっさと彼が払ってしまって割り勘にしようとしても受け取らなかった。連れ合いはそれを気にして今回はこちらで場所を決めて会うことにした。いつもの通り3人とも同級生だっただけに時間と待ち合わせ場所を決めればすぐに話に入っていける。私は単純なので、同窓会として同級生が一度に集まれば簡単に済むのにとは思うものの、実際はそんなに簡単ではないようである。数人のグループであるが、建前はオープンだとは言いながら、誰々が主催する会は行かないとか呼ばれないとかがあるらしい。そんな風なことを考えると、自分が高校時代に親しく話をしたのはクラブ活動を一緒にした連中以外はあまりいないことに気がついた。従って、その友達は誰とは馬が合い誰とは気が進まないかなどは考えたことがないから、勢い個別に会うことになる。会って話をすると、結構話がとぎれることはないけれど、さほど目新しいことは出てこない。昔話と言ってもこれといって共通点があるわけでもないので、内容が深くなることはない。ただそこに、何十年も前に青年であり、その時代に何を話していたかは全く覚えていないけれど、なにやら親しくしていた友の面影を残すおじさんがいるわけである。勿論こちらもおじさんからおじいさんやおばあさんに成っているわけである。お互いの健康のことや、仲間内の健康のことなどに話が向かっていく。彼もよく歩くらしい。自宅を出て体調により30分から2時間程度のコースを7つも持っているという。私もそうだが、歩いていると小さな路地一本でもこの道がこんな風に繋がっているのだとか小さな発見があるのが楽しいという。日頃は車で通りすぎるので、視界に入らないところも、裏から見るとこんな風になっていたのかという一寸した驚きである。そんな取り留めもない話をしているうちに時間は過ぎて分かれることになったが、今度は彼の奥さんも連れてくるよと言うことになった。我々よりは若いようだが、もし次回会えることになれば、こんな風に人とのつながりは増えていくことになるのだろうと感じた。外に出ると、懸念していた雨もやんでいたので、連れ合いと一緒に自宅までの夜道を歩いて帰ることにした。一人では怖くてこんな暗い道を歩けないという連れ合いであったが、農道まがいの裏道を一緒に手を繋いで歩くのはなかなか楽しい一時であった。
2009.03.06
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国際刑事裁判所は3月4日にスーダンの大統領に対して「大量虐殺」の罪で逮捕状を出した。スーダンの西部地区チャドに近いダルフールで、最初は反政府勢力と政府側の対立構造であったのが、アラブ系民族によるアフリカ系民族に対する大量虐殺や性的暴行に発展して、その間約30万人もが殺され、270万人が家を追われて、隣国チャドなどに亡命した事件に関してそれを間接的に指示していた疑いがあると言うことに対する嫌疑だ。この逮捕状に対してアラブ、アフリカ諸国やロシアが反対を表明しているという。何故反発するのかよく分からないが、客観的に観てこのような大虐殺が起こる背景をただそうとすることに抵抗する根拠は何なのだろうか?大量虐殺でまず思い出されるのはナチスドイツの約 500万から700万人のユダヤ人を虐殺したとされる事件。トルコの二度にわたるアルメニア人に対する虐殺で数百万人単位の犠牲者が出たとも言われるアルメニア人虐殺事件。100万人のウクライナ人が粛清され、数百万人がシベリアの極寒地に連行され強制労働につかされたホロドモール事件。最初30万人ほどいたアボリジニ人口は90%以上減少し、特に約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・アボリジニが絶滅させられた事件。現在法廷で裁かれつつある、カンボジアの旧ポル・ポト政権が、約170万人もの人を拷問や餓死で死に追いやった事件。ルワンダにおける民族紛争でツチ族とフツ族の対立などで、80万 - 100万人が虐殺が行われたとされている事件。最近のジンバブウェでの大統領選挙に絡む粛正での虐殺事件。ルーマニアおいて6万人の大量虐殺と10億ドルの不正蓄財などの罪に問われ妻共々銃殺されたチャウシェスク事件。ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで発生し推計8000人のボシュニャク人が殺害された大量虐殺事件。まだまだ隠れた虐殺事件は世界中でいくらでもあったと思われるが、これらは皆、民族関連人種関連に基づくものが多い。全知全能の神がこれらの地球上の問題を知らないわけがない。それでもこういった事件をあえて起こるのを止めるほどに神の力は及ばないのか、それともバベルの塔の建設以来神に逆らう人間どもへの時折見せるお灸のようなものなのか?お灸にしては、一寸度が過ぎるように思うのだが・・・。今回の裁判で、事の真相が明らかになり罪が適切に裁かれることを望んでいる。
2009.03.05
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明日から毎年一回開かれる中国の国会に相当する全国人民代表大会が開かれる。明日は啓蟄と言うことで、「蟄虫啓戸」と書いて、「すごもりむしとをひらく」と有り、冬蘢りの虫が出て来る日である。中国人を虫に例えるわけではないが、まさに虫も、中国人も動き出すのである。中国の憲法では「最高の国家権力機関」なのだそうだ。全国各地から集まった軍人を含む3000人が一堂に会して今後一年間の政治行動を決めていくわけである。あくまで建前上ではあるが。共和国であり、共和制を敷いているように見せかけているが、その実この全人代で国家主席から首相、最高裁判事、検察庁長官などを決める訳であるが決めると言っても、既に決まったことを追認するだけのことである。なぜなら、これら全ての国権の最高機関はすべからく共産党の支配下にあるからなのだ。日本はの人口は約1億3000万人、中国はその10倍の約13億万人を越える。この比率からすると、日本の両院をあわせた国会議員定数722人は中国全人代の定数3000人に比べて多すぎると言うことが分かる。(半分で十分だと言うことだ)日本にも大きな問題はあるが、常に問題の核心外の余分なことで議論がなされ本当に必要な議論が為されていないため、国会議員が多すぎるように思える。日本には、中国が無理矢理推し進めるチベット民族やウイグル族などの他民族支配問題に関しては、基本的には存在しないからである。全人代が如何に民意を反映することが出来るかという件について、党の機関誌がインターネットで調査集計したもっとも関心のあることは何かについて新聞に紹介されていたが、その結果によると、1位:反腐敗2位:医療改革3位:食品・薬品の安全4位:収入の分配5位:就業問題なのだそうだ。日本では今、派遣切りや、従業員の削減が進行しているが、中国でも都市部に出稼ぎに出ていた農村からの出稼ぎ労働者である農民工2000万人が農村に帰らなければならないほど世界不況の影響を受けているにもかかわらず、就業問題は5位であると言う事だ。1位の反腐敗については最早日本人の想像を絶するものであろう。公私混同や、接待、賄賂は日常茶飯事であるようだ。権力を持った側の非権力者に対する横暴の典型的な形であろう。ある記事では、守屋次官の接待ゴルフなど小さい小さいとのことであった。(もっとも容認するわけではありません)汚い仕事であろうが一旦金を手にすれば、その筋に取り入ることにより富は限りなく増え、同僚である仲間を支配するという、これが共産主義かと思える結果になるのである。中国もこの腐敗に対する取り締まり強化を唱い実行しているようであるが、何しろ一国総腐敗の国だから結果は期待できないであろう。2007年11月から1年間に汚職などで処分を受けた党員の数は15万人にもなるというから驚きである。市場経済主義導入で格差が広がることは目に見えているので、4位の収入の分配に対する不満があることはうなずけるし、自由主義の日本でもこの格差問題は同様に大きな問題となっているが、一旦地位や富を得たものから、その既得権を切り離すことがどれほど困難なことであるか、「天下り」や「渡り」の実態を見ても明らかである。3位の食品・薬品の安全については噴飯ものである。まだ完全な解決が得られていない「毒入りギョ-ザ事件」の時など、当初中国人は、日本人の胃腸が弱いからだとか、はたまた、中国人は自分で餃子を創るので問題ないとかへんてこりんな議論をしていたが、全てに対して、平気で毒であろうが何であろうが使う国民性だから、案外気にしていないのだと思ったら、矢張り中国人も命が惜しいらしく、3位に食品・薬品の安全が登場しているのは逆に面白いと思う。一方では国防予算を21年連続で二桁増をとげながら、日本と同じように個人消費を引き上げようと課税最低限度を引き上げることを考えているようだが、中国人は今までどの階層でも一攫千金を夢見て、なけなしのお金を株式に入れあげ目をつり上げていたが、市場経済の一方の問題である株価の低落に合い、矢張り社会制度の不備による将来の不安に備えて貯蓄してしまうだろうと言うことである。この点は日本で1万2千円を配って、如何に配った本人達が自分は消費に回すと言っても、持てる階層の言うことで、出すのならもっと出せ、この程度ならどうしようもなく中途半端だと言うことになるだろう。庶民は、経済立て直しを庶民自らは出来ないし、しようとしないであろう。中国全人代では「8%成長」維持で内需対策が焦点となっているが、どのような説明報告が、胡錦濤や、温家宝の口から出てくるのか興味深いことである。
2009.03.04
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2年半前に丹波の篠山層群で丹波竜の化石が偶然発見された話にまつわる講義があり聴講に出かけた。連れ合いは、理学部出身で特に地質学を専攻していただけに、学生の頃は発掘で色々と各地を回っていたと言うから特に興味深そうだった。私も恐竜に関しては壮大なロマンを感じる方で、映画「ジュラシックパーク」や、2006年に千葉の幕張メッセで開催された大恐竜博に出かけたものだ。今回はけやきの森市民大学講座と銘打っての1時間半ほどの話で、丹波竜発見当時の様子などを、発見者の一人である足立氏が講演された。発見されたのは2006年8月7日の午後のことだったらしい。肋骨の先端が地表から1cm突きだしているのを友人の村上氏が発見、2時間半掛けて長さ30cmの化石を発掘したのが始まりだそうである。それから遅れること半年して、各社の新聞が丹波竜の発見を報じたのをスクラップして持っていた。新聞によると、2日後、2人は兵庫県三田市の県立人と自然の博物館に持ち込み鑑定した三枝春生研究員が恐竜の化石で肋骨の部分だと確認され、博物館が化石を公開した2007年1月の14日間、通常の5倍以上の約8600人が訪れた、とあった。今日の講座には、本物はなく写真だけでの説明であったが、雨が降る中を約百人近くが講演に詰めかけて熱心に聴講していた。氏によると既に第2次発掘調査が昨年終了し、今は第3次調査を実施しているとのことであるが、第2次調査までに発見された尾の部分や、肋骨、頭部近くの頸骨など約3000点が見つかっているものの、未だに上半身や、脚部の発見は為されていないとのことだった。今年の7月から9月にかけて幕張メッセで「恐竜2009 砂漠に奇跡」が開催されるようであるが、この丹波竜も展示されるのであるかどうかは確認しなかった。恐竜にはどれほどの種類があるのであろうか?この丹波竜は竜脚類「ティタノサウルス」系類で推定体長は数十メートルとのことであったが、日本で発見された中では勿論トップクラスの巨大恐竜である。恐竜時代と言われる中世期の後期、白亜紀のその前期時代に生息していたらしいことが分かっているという。年代としては、約1億4千年前~3千年前と言うことらしい。足立氏は、また同地層で、国内最古級のほ乳類の化石を発見されている。ねずみ大の下あご右側前半分の化石は現在生存しているほ乳類の共通の祖先に繋がる「トリボテリウム類」か「ペラムス類」に属する小動物であるとのことであった。日本の国内では他にも恐竜の化石は発掘されているようで、そのうち富山、石川、福井、岐阜の4県にまたがる中生代ジュラ紀-白亜紀の「手取層群」が恐竜化石の宝庫だと言う事らしい。福井県勝山市で1980年代末に肉食恐竜と草食恐竜の化石が見つかり、それぞれ「フクイラプトル」「フクイサウルス」と学名が付けられたと言う事も新聞で発表されているし、また同県旧和泉村(現大野市)では1996年、大型肉食恐竜ティラノサウルス科の歯の化石が発見され、今回と同じ大型草食恐竜ティタノサウルス類の化石は、三重県鳥羽市で1998年、大腿(だいたい)骨などが見つかっているとのことだ。ティラ、とティタという「ラ」と「タ」の違いで肉食であるか草食であるかが違うという位に恐竜の種類は多いと言うことであろうか。考えてみれば、恐竜全盛時代にねずみのような大きさのほ乳類が我が祖先であり、そのほ乳類も何千種類もあるのだから当然のことかも知れないが、何ともややこしいネーミングにしたものだと思った。手取層群の富山県大山町でのアンキロサウルスの足跡発見や1968年、福島県県いわき市の白亜紀後期(約8500万年前)の「双葉層」と呼ばれる地層から発見された全長6~9メートルの恐竜と同じ時代に海で生息していた大型は虫類の化石である「フタバスズキリュウ」が見つかっている。恐竜に興味を抱き、やがては地質に目を向け、さらに地球の現在あるのはどのような経過を辿ってきたのかに思いを馳せ、その地球から、現在は宇宙へと進出していく飽くなき好奇心で人間というものを見つめ直す時、世事の煩わしさや、今世間を騒がせていることが、一瞬でもほんのちっぽけなことなのだと感じ、大きな気分に浸れる。この恐竜の発見を過疎の町篠山の活性化の一因にしたいと願う気持ちとともに篠山川の河床近傍の自然美を大切にしたいという講師の足立さんの気持ちが、裏腹な関係で、地球の発展と環境保護との関係を示す縮図のような気がしながら講義を聴き終えた。
2009.03.03
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久しぶりに映画を観た。この映画に関する私の予断は、実際の映画と少し変わった。予告編で観た時は、昔あった「クロコダイルダンディー」のようなオーストラリア育ちのいわば粗暴な男性と英国の淑女との奇妙な出会いから互いに惹かれて行くというラブストーリーと言うものだった。そんな中にも予告のシーンでは広大なオーストラリアの大地が描かれているので、その景観を大画面で観られるという期待であった。大まかには当初考えていたことは当たっていたが、物語の展開は内容も細かいことは良いじゃないかという風に何故そうなったかを考える余裕すらないほどにテンポは早かった。見終わって連れ合いは、単なる西部劇だと称していたが、考えてみればそうである。ただ場所がアメリカではなくオーストラリアのノーザンテレトリーの話だから、北部劇と言うべきかも知れない。どちらへも行ったことはないのだが、映画の舞台は写真などで見ると、アメリカのアリゾナ州にあるグランドキャニオンに似た地形をさらに広大にしたような岩山と平原が広がる素晴らしい景観で、おそらく、オーストラリアの代表的な自然景観で複合遺産として認められたエアーズロックがあるノーザンテリトリーのウルルあたりの地形の一端であろう。そんなところに入植した、いやさせられた?英国人が牧場を開き、牛を北部のダーウィン港に運ぶことに絡む物語である。アメリカがそうであるように、オーストラリアも広大な土地の殆どが砂漠やこういった荒れた土地であることがよく分かり、興味深かった。英国淑女と、アボリジニとの混血児であろう粗野なカウボーイ(映画ではドローヴァーと称していた)がアボリジニの孤児を通してまた、大自然の過酷な共同生活の中に徐々にうち解けていき、やがては大団円になると言うものだ。その間にはお定まりの悪役が、淑女の父が開発した農場をその父を殺すことで乗っ取るなどの話や、ダーウィンまで1500頭の牛をにわか仕立ての素人集団が運ぶと言う活劇が入る。1500頭もの牛が暴走するシーンは、おそらくCGではあろうが、場所が何故か切り立ったところを背景にしているだけになかなか迫力があった。またそれを止めるアボリジニの少年は、その前にドロヴァーの男に、牛は2本足で立つ人間を恐れるのだと教えられていた通りに崖っぷちで、呪文のように祈りながら勢いの付いた牛の群れをぴたりと止めてしまうのである。ここらあたりが娯楽映画の真骨頂と言うところだろうが、「何でそんなことが起こるの?」という感じは否めない。さらに時あたかも真珠湾攻撃のあった時代で、日本が南進してダーウィンあたりまで爆撃したと言うことが伏線になる場面が誇張されているようで、何となく単なる外国の娯楽映画と言うだけでは済まない感じがした。一貫してアボリジニの言い伝えや、要所要所に現れる、アボリジニの権化のような孤児のお祖父さんというのが、常に現実離れしていることや、アボリジニに対する一種畏敬の念を取り入れているところは、この映画のアボリジニに対する贖罪的な雰囲気を醸し出していた。映画の終わりに、字幕スーパーで、2008年オーストラリア政府はアボリジニに対する政策に対して正式に謝罪したと流れた。一貫して白豪主義を貫いてきたオーストラリアの懺悔の映画かも知れないとも思わせる、とにかく観ていて3時間あまりを退屈させない映画であった。
2009.03.02
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新聞記事に東京のベンチャー企業がiPS細胞を使った事業に乗り出すとあった。確か文部科学省が人間の胚性幹細胞(ES細胞)の作成研究を承認したのは2002年の頃だった。当時は大々的に「再生医療 切り札始動」と新聞で報じられた。難しいことは全く分からないのだが、ES細胞というのは、体のどんな臓器や組織にも成長する能力を備えた細胞で「万能細胞」とも呼ばれるとのことで、胚の段階から、胚のある一部分を切り取って、培養して得られたものをいうのだそうだ。その胚は元々受精卵から採取するということである。ねずみなどいくつかの動物では早くからES細胞の存在は知られていたようであるが、人間の胚からもES細胞が創られたのがちょうど7年前と言うことになる。当時は、胚から取って培養したこれらの幹細胞から様々な組織・細胞を創るという点については倫理的な問題があると言うことで国際的にも色々な適用規制があったようである。拒絶反応の問題や、クローンの問題などもそう言った問題の一つといえる。ドイツなどでは不妊治療以外についてはES細胞の使用を許していないと言うことだった。それを受けて山中教授達の京都大学が2006年に人工多能性幹細胞すなわちiPS細胞を発表したのである。アメリカの大学と発表が同時だったという因縁があるが、山中教授達のiPS細胞はそれまでのES細胞が卵子や猿などの動物の胚などを利用してしか作る方法がなかったのを、人間の皮膚から作ることができるので、危険性、倫理的な問題などを回避する事が出来るようになったことであった。女性から卵子を取り出す事は危険でもあり、また生命を扱う事に対しする倫理的な問題もあったが山中教授達が開発したiPS細胞の方法では、それらの問題が解消されて、飛躍的に研究に拍車が掛かったとのことである。その後はサルで研究が進められ、万能性が確認される事になったのが昨年の半ばであった。そして昨年末には製薬・試薬会社など20社に京都大学が作成した人iPS細胞を提供して事業することへの道がスタートした。今回初の事業化というのは、その時iPS細胞を提供された20社の中の1社のベンチャー企業である。この再生医療の切り札とされるiPS細胞は事故や、病気で失ったり傷ついた早期の機能を回復することであるが、これらに応用する前には安全であるかどうかの検証が為されなければならない。この企業は、iPS細胞を、心臓を動かす心筋細胞に分化させて新薬物質を投与することで、副作用の有無を確かめ、合格したものを臨床試験に使うと言うことらしい。安全に対する基準をクリアするためにはそのハードルが高い故に、新薬の開発までにはなお1千億円以上の開発費が掛かるようだが新薬の開発が成れば副作用を早期に見つけることが出来て、1-2割のコスト削減となるらしい。いずれにしても現段階では膨大な費用が掛かるようだが、人のやがては垢となっていくその個人個人の皮膚から、どんな臓器をも作れるこの再生医療が、着実に安く実用化する日が来ればよいのにと思いながら、期待しながら新聞記事を追っている。
2009.03.01
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