全30件 (30件中 1-30件目)
1
「GSハイ・イールド・ボンド・ファンド」運用報告会というチラシが舞い込んできた。連れ合いが関係しているらしい。この手の講演会には今迄参加したことがなかったが、第1部に手嶋龍一氏の「オバマ大統領の変革と日米関係の行方」という講演会がセットされていたので、連れあいと共に参加することにした。手嶋氏はあの9・11事件の時テレビに良く出てきた元NHKのワシントン支局長を務めた人だ。アメリカびいきでもあるから、内容はオバマ新大統領を絶賛するものであり、麻生首相などは「みぞうゆう首相」と揶揄して憚らなかった。氏の話し出しは、ハイ・イールド・ボンドの話を聞きに来た人を前にしてだけに、手持ち資金の運用について、現在の経済状況はかの有名な経済学者ケインズを引用して、近未来の経済動向を予測するのは難しいと言う事から始まった。その時初めて、ケインズは偉大な経済学者であるほかに、有能な投資家としても有名であることを知った。美人コンテストを例えにして、「個々の判断に基づく投資より投資家全体の投資を考慮した投資の方が有効であると説明した」という話があるそうだ。何だか競馬のオッズみたいな感じだ。彼はまた、投資に関して、インサイダー情報を当てにせず、朝起きてベッドの中で新聞の金融情報を読み、電話取引を行うだけであり、その方法で母校キングス・カレッジの運用資金を十数倍にした手腕もあるとのことであった。手嶋氏は、公演当地におもねることは言わない主義だと前置きしながらも、「大阪のおばちゃん」のしたたかさと。「大阪の小豆おじさん」の経済視点の鋭さなどを賞賛してから、オバマ大統領の演説の素晴らしさに話を移していった。アメリカの大統領制では、今回の共和党ブッシュから民主党オバマに変わることにより、日本で言えば、本庁の課長クラス以上に相当する約5000人のスタッフが全員入れかわるという現実をひいて、それでこそ大変革が出来るのだという持論を展開していた。氏は「オバマ大統領就任演説」の中の危機への決意で、新大統領が、今迄のアメリカを「greed and irresponsibility」と表現し、一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。という点を強調していた。日本は今正にそういった事態のまっただ中にあり、一部事業家だけではなく政治家までもが金にとりつかれている事に思い至り情けなく感じた。「みぞうゆう首相」の言ではないが、そう遠くない時期にこのアメリカ的な変革が起こるのか否か、非常に関心があり、またそれが為されないような判断を日本国民がするならば、それこそ、そう遠くない段階で日本は沈没するであろうと考えている。オバマ大統領はまた、「new foundation for growth」新しい発展に対する基礎作りで雇用を創出するとの考えを述べ、そこから、ミシガンでの演説では、今迄のGreed capitalismではなく一文字違いではあるが大きな違いである、Green capitalismを提唱し、1929年以降の世界大恐慌を救ったルーズベルトのニューディール政策を念頭に入れた、グリーン・ニューディール政策を遂行しようとしているとの話になった。引用された内容は全て演説の中にあるが、次の4点を強調していた。1.今後10年間で1500億ドル投資し、500万人の雇用を創出する。2.2015年までに1ガロン(約3.8リットル)当たり150マイル(240km)走る米国産プラグインハイブリッド車を100万台走らせる。3.再生可能な資源(バイオマス・風力・太陽光・地熱)からの電力を -2012年までに全発電量の10% -2025年までに全発電量の25% とする。4.温室効果ガスを2050年までに80%削減する。と言う事である。日本にはリーダーが不足しているというか、不在だということも言及していたが、果たして、このオバマ大統領の演説通りになるものかどうか、私の生きている間に確認できるかどうかのものもあり、京都議定書を批准しないアメリカが、そこまで言うかという変わりようである。クリントン大統領時代の財務長官であり、現政権の経済会議の委員長である、ローレンス・サマーズ(この人物は、自分よりも頭の良い奴はいないといった類の嫌な性格らしいが)をして、オバマ大統領は自分より頭が良いのではと言わしめたほどの持ち上げ振りであったという。また。「みぞうゆう首相」を最初にアメリカに招いたのも、実は日本をあまり好きでないクリントン国務長官が最初に日本を訪問したのも、アメリカー中国関係だけでは不安定な、ドルの威信を、日本を加えることによって三角形の安定さを保とうという意図があったからと言うことだった。アメリカの債権を多く持っている中国と日本と言うことから考えれば当然の事と言えるが、私はアメリカの真の意図は、その多くが中国に向いていることを忘れてはいけないと思う。第2部で、こちらは本番であったのだろうが、「ハイ・イールド・ボンド」に関しての運用報告であり、要は、ハイリスク・ハイリターンの社債であると言うことで、ムーディーズが格付けしたBBBからCCC間のデフォルト率(債務不履行の割合)は少し高いものの、結構利回りがよく、巧くいけば儲かるよと言うような内容の話であった。この手の話は、手持ちバジェッドがない私にとっては、そう言うものかと思うと同時に、よくまあ、物を製造していない人種は、金を転がして金儲けをすることを考える達人であるものだと感心させられると同時に、あのホリエモンや村上世彰達の顔が頭をかすめた。会場に集まったおじちゃんやおばちゃん達は、そう大金持ちという風体ではないが、小金を持っていそうでなにやら一旗揚げたそうな雰囲気の大盛況な会場であった。
2009.06.30
コメント(0)
そろそろお昼でも食べようかと寝そべって新聞を眺めていると、消防自動車の独特のサイレンと半鐘の音が聞こえてきた。いつもならすぐ遠ざかるその音が、段々と近づき大きくなってくる。見晴らしの良い7階に住んでいるので、現場がどの辺りか分かるだろうと起き上がり窓に近づくと、何と道路を挟んですぐの所の民家の屋根から白い煙が出ているではないか。消防自動車は次から次へと到着する。白い煙は段々と多くなってくるがその時にはもう既に消防自動車の1陣は到着済みであったのだろう、赤い火が外から見えるほどではなかった。火元はどうやら小さな商店街通りのうちの食堂兼飲み屋のようだった。近くには平屋の民家が沢山ある。そこは、いつも姫が遅く帰った時には食事に行くところだ。これは確かめておかねばと、ついでにゴミ出しもあったので、カメラを持ってのこのこと出かけた。表通りは、それほどでもなかったが、一本裏に入ったその商店街の通りには沢山の人が出ていた。通りの向こうは小さな用水路がありその向こうは団地になっている。そちらの方は先ず安心だが、隣の住人は気が気でなかったろう。私が現地に到着した頃には、既に赤い車は7台を数えていた。その内の1台が放水をしていたが、火元はどうやら2階の奥まった部屋のようだった。防災服に身を固めた消防士が、火元と見られる2階に何人か見られた。近所の人に交じって、どうやらそこのオーナーらしい人も見ていたようだ。煙も治まって、2階から水が屋根伝いに落ちてきていた。消防士に促されてその家のご主人らしき人が家の中に入り、表のシャッターを開けていた。火事自体はぼや程度でたいしたことはないらしく、1階の飲み屋の部分はどうやら無事だったようで、家にこもった煙を抜くためにシャッターを開けたようだ。救急車では、なにやら担架で人が搬入されているのを見かけたので、誰かが怪我でもしたのであろうか、私が着いた頃には既に病院へと向かっていた。赤い車といっても皆が放水車ではないらしい。「因調」と書かれた車もあったので、おそらくは原因を調査する車ではないだろうかと一人考えた。消火に当たる防災服の人とは別に、近所の人達に事態を聴取する所員らしき人も見えた。警察のパトロールカーは2台集結して、表通りからその裏道に入る道路を封鎖していた。内部までは見えないが、相当水を掛けられてはいたものの、2階の部分で治まったようで、まあ、何よりというところだが、野次馬としては少し拍子抜けした感じだった。近所の並びの商店の人達も心配そうに見ていたが、どうやら外観上はたいしたこともなく鎮火したようで、三々五々帰って行った。私が引き上げようとする時にはまだ消防車は残っていたが、パトカーは、引き返しているところだった。大事に至らなくて良かったものの、この程度のぼやであっても7台の消防車、2台のパトカー1台の救急車とその関連の人達が出動するのかと改めて家事の恐ろしさを感じた。ところで、1階の店そのものは無事だったようだが、果たして商売を再開できるのかどうか、ちょっぴり気になるところだ。部屋に帰ってその店を振り返ると外観上は何の変化もなく、何事もなかったような風景であった。
2009.06.29
コメント(0)
今回の2泊の楽しいドライブ旅行には、ゴルフと美術館という2大イベントが加わったので、とても充実した旅行となった。旅に温泉は欠かせないものだが、今回はそれも組み込まれていて、申し分のない旅になった。その間、1回新聞を読んだだけで、持っていた文庫本も開くことはなく過ごした。何処に出るのも本を持っては行くのだが、あまり外出先で開いたことはない。今日は、旅行中溜まっていた新聞にざっと目を通したけれど、じっくり読む暇がない。テレビに釘付けになったからだ。日曜日は大概朝の番組からずっとテレビにかじりつくのだが、今日はそうもいかなかった。旅行に出かける前に手がけていた連れ合いの学校の期末テスト作成の仕上げをしなければならなかったからだ。連れ合いは知人との夕食会があるというので、原稿を置いていったのだが、これを、昼過ぎの「新婚さんいらっしゃい」までに仕上げなければならない。この番組は、何となく見続けている番組で、時々奇想天外な夫婦が出てくるので面白い。最近はマンネリ化しているとは感じながらお義理で見ている。それが終わると、「たかじんのそこまでいって委員会」を見ることにしている。取り上げるテーマにも面白さはあるが、パネリストと呼んで良いのか、ひな壇に並ぶ面々の歯に衣着せない意見交換は時々放送できない言葉も含まれているのだろう、カットされてはいるがなかなか面白い。今日は、地球温暖化とCO2の話題に花が咲いていた。本当に温暖化で困るのは、ロシア、アメリカ、中国であり、日本は周りを海で囲まれているので、その影響は最後に蒙るだけであるとの、高田教授の説に皆質問やコメントを述べあっていた。ダイオキシン無害説については、前からよく引用されているが、今日もそれが話題になっていた。ダイオキシン自体が毒性は思ったほどではないということから、ゴミの分別の不要さが今回も話題になっていた。要するに大型最新鋭の焼却炉で燃やすと、殆どのものが燃えてしまうのである。それで出てくるCO2ガスは、さほど問題ではないというのだ。最近導入されたエコポイントは、古き物を使い続けることを政府か止めさせて、排出ガスを軽減しようとしているというもので、何故に、自動車産業と電機産業にのみ政府が肩入れするのかが分からないとの意見もあった。相変わらず国政にかみついている橋下大阪府知事が出演していたが、自治体の首長が、少々かみついてもなかなか国は動かないということを赤裸々に語っていた。最近はなりふり構わぬ自民党の選挙対策で、東国原知事を利用しようとして逆に課題を突きつけられて困惑しているという態である。笹川堯辺りには、馬鹿馬鹿しいと一蹴されていたり、松浪健四郎辺りに顔を洗ってで直せとかいわれているが、彼らの自身の出自からしてそんなことが言えるのか、という感じすら受けた。政治家の怠慢が霞ヶ関を増長させていることには一切触れず、さも自分は国会議員であるという事を誇示し、新しい勢力や、新しい動きを拒否する自民党の体質にはうんざりする。そんな話に溜飲を下げるわけではないが、一時の娯楽にはなる番組だ。それが終わると石川遼の出るミズノオープンよみうりクラシックだ。番組が始まるといきなり、石川選手が、OBを2つ叩いて、+5となり、2位の韓国の選手に追いつかれたという状況だった。はらはらして見る事しばし、16番で劇的なイーグルを奪うなどいかにもスター性のある選手である。見事全英オープンへの切符を手に入れたようで楽しみである。それが決着付くと女子のプロミスレディスでの諸見里の小気味よいショットとパットの連続を見て、あーぁ、ゴルフとはかくありたいと思ったものだ。そんな風にテレビを中断することもなく、合間合間に試験問題の作成の手伝いをしたが、一日外出もせず、座り込んでいると、それだけで身体がなまってしまうような気がする一日だった。
2009.06.28
コメント(0)
国際大塚美術館は、姉や、友人達が行って良かったと言うことを聞いていたので、一度は来てみたいと思うところだった。前々日のウェスティンホテルで前売り券を買い、せめてもの消費税を浮かせたが、通常3150円の入館料は、美術館としては破格の値段である。連れ合いとパリで2デイパスを購入し、多くの美術館への入館が2日有効であったことを考えると、いかにも高く感じる。こういったところが、芸術がなじまない国というか、芸術は構えて見に行くものという発想の日本ならではのことではないかと思ってしまう。芸術が身近にあり、簡単に安く鑑賞できるということであれば、時折に訪問することも可能かと思うが、こう高くては、そう度々来られるものではない。南淡路ロイヤルホテルで朝風呂を浴びて、ゆっくりと出発した。淡路島南ICに入るまでに少し海沿いを走る。インターチェンジを入るとすぐに大鳴門橋だ。下りの道路からはかろうじて鳴門の渦潮を垣間見ることが出来る。潮流の原因となる潮の満ち引きは、月と太陽の引力によるのだが、渦潮のできる理由は、次のような点が原因があるといわれている。 1.流れが狭いところから急に広いところへ出た場合。 2.浅いところから急に深くなった場合。 3.速さの違う流れがすれ違った場合。播磨灘と紀伊水道側の水位差が1.3mともなり、かつ海峡幅が狭いことも相まって、渦潮が発生するのだそうである。橋を渡るとすぐに徳島県で、鳴門ICで降りて淡路島側に少しバックする形の所に国際大塚美術館はある。正面玄関には万国旗がはためいているし、ここも安藤忠雄のデザインに似たコンクリートむき出しの建築様式である。正面玄関を越えてしばらく行かないと駐車場はない。その駐車場に車を止めてシャトルバスで、美術館に通うことになっている。私たちが到着した時には、まだ車の数は少なかったようだ。館内にはいると、丁度ボランティアのガイドが中世の絵画からバロックまで位を2時間近く掛けて説明しながら歩いてくれた。宗教画が多くシスティ-ナ礼拝堂を模した最初のシスティーナホールは圧巻である。エル・グレコの部屋、ルーベンス、ミケランジェロ、ベラスケス、レンブラントといった巨匠に名画が陶板の上に描かれ焼かれている。この陶板の基本の大きさは1m×3mだそうで、殆どの大きな絵画は、これらをつなぎ合わせて1作品となっている。連れ合いと訪れた、イタリアポンペイの壁画が、秘技の間として手で触れることが出来るのもまた感動的である。世代を超えた有名な芸術家が一堂に会しているという点では、ある意味懐かしさが一杯の所がある。時あたかも、17世紀から18世紀の美術講座を受けているので、講師の先生に紹介された絵画を等身大で見ることが出来るのはまた素晴らしい。オルセーで貸し出し中のミレーの「落ち穂拾い」や「晩鐘」を見られたことも大きかった。中世美術がルネサンスを迎え、やがてバロックからロココへと移り、その過程で、宗教画の中に光や、色彩の変化が見られると共に、やがて厳かさから、日常の生活描写などを経て、最後に我々二人が共に好んでみる印象派に行き着くまでを実際の絵画を目の前にしながら体験できるわけだ。絵画集や、時折催される日本での展覧会、実際パリやローマで見てきた絵画が眼前に同じスケールで描かれていることに感動すると共に、大塚製薬75周年の記念行事で建造された国際的なこの美術館では、1枚の絵画を描くということと共に、それを陶板にて制作し、1枚の絵画として仕上げる難しさに感心させられる。ルーブル美術館ではないが、本館収納の1000点の作品というのは決して少なくなく、おそらくは全部ゆっくり見てこなかったかと思うが、見応えのある作品群であった。4時間も館内でいただろうか、疲れて、シャトルバスで駐車場に戻った時には、駐車場は車で一杯になっていた。おもむろに帰途についたが、帰りは自宅をカーナビに入れると、阪神高速への誘導となり振り切って中国自動車道に出て帰ったのだが、宝塚付近で2件の交通事故があり渋滞していたので、だらだらと進む内、自分もすんでの所で居眠りが付いて、接触事故を起こしそうになったのは迂闊だった。そこを過ぎると一気に名神の大山崎ICまで飛ばし、何事もなく無事連れ合いとの楽しい2泊の旅行を終えることが出来た。
2009.06.27
コメント(0)
朝はゆっくりの朝食を取り、連れ合いが予約してくれていた、淡路島中央部にある播磨灘沿いのホテル兼ゴルフ場に出かけた。スプリングゴルフ&アートリゾート淡路という結構長い名前のゴルフ場だった。淡路夢舞台のウェスティングホテルからは、国道28号線をさらに南下、東浦ICから神戸淡路鳴門自動車道に入り、2つめのICである津名一宮ICでおりた。ゴルフ場の案内は、播磨灘沿いの道を示していたが、カーナビは近い方の島の中央を抜ける道を指示していた。県道66号を通るまでは良かったが、県道44号との分かれ道の交差点である鮎原を疑心暗鬼のまま通り抜けてしまった。というのも、カーナビにインプットした名前では、直接ゴルフ場への道の指示が出なかったことに原因があったのだ。突き抜けたところは都志という海沿いの町がある。そこに出るまでに途中どうも不安になって、ゴルフ場に電話をするも、ゴルフ場は、播磨灘から方面から来ることを想定しているらしく案内がちぐはぐになってしまった。結果、もう少し我慢して進めばゴルフ場の大きな看板があったのだが、内陸から行くとすれば、鮎原交差点にも看板が欲しいものだと思った。ゴルフ場に着くと、ホテルも併設してあるところで、男女2体のゴルフスウィングの像がスタートホールの各所に建てられているなかなか綺麗なゴルフ場だった。ゴルフ場紹介の意見欄には、劣悪だとの意見が多かったので、大して期待もせず行ったのだが、期待は良い方に裏切られた。ウィークデイでもあり、後ろから追い立てられることもなくプレーできたことも良かった。しかし、このコースは池越えが多く、かつフェアウェイに丁度フィリピンのチョコレートヒルズに似たような凸凹が作られているなど変化起伏の多いコースだった。こんなところが、こき下ろしの評価に繋がったのかも知れない。我々二人は、一庫カントリーを経験しているので、特別驚くほどではなかったが、初めてのコースなので、途中の川や溝を避けてのボールの落とし所が分からないホールもあった。連れ合いには厳しい谷越えと池越えが2ホールあったが、1ホ-ルはもう数十センチ伸びていれば、届いたところと、後1ホールは眼前が広い池なので、それに気をとられて、しかも迎えるグリーンが狭いため1回池ポチャの後諦めてしまった。私はというと、18ホールを通じて1回だけトリプルボギーとなった他は、9個のパーと後はボギーとダブルボギーで治まったのは気分が良く、6071ヤードと若干短いコースではあったが、87と今迄に出したことのないスコアを出せたのは嬉しかった。私がトリプルを叩いたホールは、連れ合いが、すんでの所で届かなかったホールでもあり、打ち上げのフェアウェイアンジュレーションが大きなホールであった。15番のミドルホールでは、ティー位置の違いこそあれ、私の球と連れ合いの球が並んで良い位置にあるなど、連れ合いの腕も上達している。私はロングパットが決まり、連れ合いもダボで治まるなど良かったので、次の16番のティーグラウンドが隣にあるのを見過ごし、17番ホールまで行って気がついて戻るという有様だった。こんな風に一つ一つのプレーに満足できるラウンドだった。連れ合いも、ミドルで最後のアプローチを7Iで見事グリーンを捕らえること出来素晴らしいアプローチだったが、そこで3パットを叩いてしまい、パットの重要性が身にしみたことであろう。また、フェアウェイが狭く、谷底に落ちるケースがあってもつれ合いはPWで巧くリカバーする場面が何度か有り、ショートアイアンの使い方も上達している様だった。ショートホールは概して短いこともあり、殆どが1オンできた。難点は、熱かったことで、前半を終わると、私のズボンは、腰の辺りはお漏らしをしたようにぐしょぐしょになっていた。少し風があったのと、プレー中はさほどにも感じなかったが、私の場合は汗が最大の敵と言っても良いかもしれない。私も良い成績だったが、連れ合いも、ベストボールチョイス的なところがあったものの、124という結果で上がれたことは、段々ゴルフらしくなってきたというべきであろう。プレイが終わり、ロッカールームも綺麗で、風呂もまずまずの雰囲気だったのがとても好印象だった。さらに特筆すべきは、2サムで回るには一人1020円の割り増しが必要とのことだったが、今日はそれがついていなかったことだ。オープン1周年と銘打つ特別企画に、我々はさらに得をしたことになった。また来たいと思いながら、車で、播磨灘沿いに南下、次の宿泊地南淡路ロイヤルホテルに向かった。ここは夕食はないが朝食付きで、無料宿泊の権利があっての利用だ。南淡路温泉(渦温泉)に身を浸し、筋肉痛にも効くという露天風呂を楽しむことが出来た。明日は前から行きたいと思っていた大塚美術館である。
2009.06.26
コメント(0)
今日は月例ゴルフの日だが、終了後すぐに淡路島に渡ることを計画していた。いつもは表彰式が終わるのが、3時前であるので、連れ合いとは3時に高槻駅近辺で待ち合わせることにして早朝、ゴルフ場へと出かけた。昨日は、姫が遅くまで来てビールを飲んでいたので、ついつい付き合って寝そびれてしまった。早朝目覚めて、少し早めに出かけたので、着いたのは一番乗りだった。この月例会は、1-3位までは、ハンディーが下がり、それ以降は毎回1つずつハンディーが加算される事になっている。内心ハンディーが、30になるまでには3位以内にはいらないとと思いながらのスタートだった。組み合わせは、先輩とその友人、さらにゴルフ歴は長いが、上達しない女性の4人でインからのスタートだった。出だし10番のティーショットは、前が木で覆われているが池越えである。今迄この池を意識したことはなかった。この日も同様だが、当たりが左に飛び、フェアウェイ横のラフに掛かった。いつものように右にスライスすることはなかったのは良かったが、その後、バンカーに入ったり、出そうとしてトップして再び奥のバンカーに入れるなどさんざんで、トリプルボギーとなってしまった。11番のショートは、少し力みチョロしてしまい。2打で乗ったものの、パーは取れなかった。12番の打ち下ろしミドルは、何かいつもスムースには行かない。今回は4Wで真っ直ぐには飛んだが、距離は出ず、そのためドラ短を取れたようだ。でも自慢にはならない。そこからいつものようにグリーンを狙ったがグリーンの右にそれた。それを見て、グリーンは左だよといわれ、初めて気がついた。ここは左右2つグリーンがあるが、いつもは右なので無意識に右に打ってしまったのだ。馬鹿馬鹿しい。さらに、右グリーンと左グリーンの間のバンカーに落としてしまいその上3パットと散々だった。14番は打ち上げ右に若干ドッグレッグ、ティーショットはフェアウェイで、いつも置いて行かれる先輩をオーバードライブしたのは気持ちが良かった。それにはしゃぎ過ぎて、2オンを狙って力みすぎ2打目はチョロしてしまった。3打目も若干グリーには届かなかった。15番の打ち下ろしパー3でここも左右にグリーンがあり、今日は左グリーンで、一人だけワンオンに成功した。これは成長の跡が見られるとほくそ笑み、1パットで沈めこの日1つめのバーディーとなった。16番ドライバーはまずまずなのだが先輩には置いて行かれる。アプローチがなかなか突っ込めないので、短めになり3パットだ。17番右ラフへのティーショット後は、チョロもありまたまたダボ。18番のロングはフェアウェイ真ん中で、結構飛んだと思ったが、先輩の友人に置いて行かれた。ドラコンホールだったが、私にはドラコンという言葉は関係ないようだ。2打目でグリーン手前の池の前に持って行くべきところを何と4打目でやっと池の手前に届く始末。アプローチは良かったが矢張りダボ。前半51と矢張り100は切れぬかと弱気になる。後半のアウトは1番でティーショットを引っかけてしまい、左の一寸した林の中に打ち込んでしまった。抜け出そうとして木に当たり、バンカーに落ち、さらにグリーンをオーバーするなど身体がまだ眠っていた。出だしは常にトリプルボギーだ。2番は真っ直ぐ飛びフェアウェイだが先輩にはまた負ける。その後もあまりしっくりした当たりにはならず、グリーンを越えるなどでまたまた3パットだ。3番ここが超悲惨で、いつもなら真っ直ぐ飛んで何と言うことはないのだが、左の土手に打ち込んでしまった。よせばいいのに前方に出そうと前下がりの姿勢で、チョロを繰り返した。グリーン横に持ってこれたのはやっと6打目だった。9つも叩いて万事休すになってしまった。4番のショートは、クラブの選択を8Iか9Iで迷うが、今日は8Iでワンオンしたが3パットだった。5番は良い当たりでフェアウェイの左の好位置だが、矢張り先輩には届かない。2打目は右に出て木に当たりラフに落ちた。しかし3打目は5Iでグリーンを捕らえたのは嬉しかった。今日2回目のバーディーで、ロングホールのバーディーは嬉しい。6番いつものパターンに戻り、トップ気味のティーショット、右ラフから2ンドで、残り60Yまでは良かったが、アプローチでグリーンを越えてしまった。グリーン周りにも課題が残る。7番ここは最悪のホールだった。ハンディキャップ1のミドルホールだが、距離が長いだけのホールかと思っていたが、それだけではなかった。打ち下ろしのドラコンホール。私の球は少し左に出て、距離は1番飛んだのだが、ドラコンの権利はなくなった。2打目を打つと右へ大きく突き抜けてどうやらOB、打ち直して振り切ると今度はどうやら左に突っ込んだようで、キャディさんの「もう1球」という声を聞いて落胆した。ここで罰打4をやってしまったのだ。8番ショートホールは、少し芝を噛んで、1オンせずしかも3パットと後遺症が残った。9番の最終ロングホールのティーショットは先輩に負けたものの、フェアウェイ真ん中で良かった。2打目も、前方傾斜部を越え、グリーンのあるフラット面に運ぶことが出来た。ここで、3オンをと握ったクラブに力が入り、何と、ボールの手前をザックリと削り、球は動かないという有様。結局は打ち直しもグリーンに届かず、ダボになってしまった。後半は59と哀れな結果で、しかも表彰式では、飛び賞にも当たらず、ドラ短とバーディーの賞を取れたのがせめてもの救いであった。表彰式を終え、一目散に連れ合いの待つ高槻駅に急いだ。途中ガソリンが少ないとの警告灯を見ながら、山道を降りて、すぐ給油し、連れ合いと合流、茨木ICから名神に入り、中国道を通り、山陽道から分かれて、明石海峡を渡った。淡路島に渡ってすぐの淡路ICで鳴門自動車道路を降り、国道28号線を少し南下、淡路夢舞台という安藤忠雄設計の公園に隣接したホテルに到着した。綺麗に整備された人口公園を連れ合いと散歩したが、敷地は広大だった。大阪湾は波静かだった。温泉がないのが玉に瑕かと、この日は、明日のゴルフに備えて、早めに寝た。
2009.06.25
コメント(0)
ここ2-3日旅行をしていたので、日記も書けなかった。(従ってこれは、28日に書いている)「郵政混乱 幕引き急ぐ」と、23日の新聞にあった。麻生首相が、事実上盟友といわれ、支えてきた鳩山総務大臣を更迭してから、10日以上経過している。首相の優柔不断に任せておいては、選挙にかかわると自民党幹部連中は躍起になっているのであろう。2005年の総選挙の時の小泉元首相は「改革無くして、成長なし」と郵政民営化を旗印に、「自民党をぶっ壊す!」と強烈なアジテートで、選挙を大勝に導いた時に、どれほどの国民が、郵政事業の内容を理解していたのか疑わしいと思う。民営化に反対するなら、去れとばかりに踏み絵を踏ませ、新たな小泉チルドレンなる言葉を作った。その後は2人の首相交代があったが、どれも皆途中で投げ出してしまった、といっても3人目もその時の大勝をバックの麻生政権である。自身では総選挙を戦ったことがないのである。郵政事業を民営化すると、おそらくメガバンクの強大な競争相手になることは目に見えていた。そこで、百戦錬磨で辣腕の三井住友銀行の西川氏に白羽の矢を立てた。競争相手となるメガバンクを押さえ込む、には全国銀行協会の会長を歴任した西川氏が適任と踏んだようで、当時の小泉首相が、直々に就任以来をするという経緯がある。3代変わっても、自民党が衆議院で多数党である現在の根拠は、4年も前の衆院選挙の結果に他ならない。その後の参院選挙では民主党が勝ちねじれを来している。麻生首相は一旦西川氏の交代を認め、自ら、後任候補のリストを鳩山元総務大臣に渡したという。さらに、小手先のやり方で、西川氏会長まつり上げの案をも鳩山もと総務大臣に拒否されてしまった。麻生首相のブレは組閣後、例を引くのに苦労はしないほど多い。これほど、自ら考えない首相もまた珍しいであろう。最近では自民党支持率は20%を切って、最早死に体とも思える。不明瞭に西川氏続投を決めたための内紛が噴出してきた事も大きいわけだが、選ぶ国民の側には事態がより鮮明になったということも出来る。西川氏は旧三井住友銀行から優秀な人材を何名か連れて行ったが、その中には企画関係のエキスパートなども含まれていたはずだ。かんぽの宿売却についても、そのまま放置すると年何十億かの赤字を積算することになるという事もそうした人達によって数字がはじき出され、売り飛ばすことを決めたのだろうが、そのやり方が、実にドラスティックというか、自分正義という名の下に誤っていたといわざるを得ない。なぜ2400億円も投入したものが109億円になるのかについては、武士の商売や親方日の丸経営で、理解できないこともないが、これを作らせた、当時の責任者の責任論は問われないまま、さらに、昨年4月に一括売却に向けて公募を行い、27社が応札したようだが、何故一括なのか、何故オリックスなのかという疑問が出るのは当たり前である。オリックスの宮内氏は政府の有識者会議で郵政民営化を促進してきた故の『出来レースだ』と疑念を抱くという鳩山元総務相の疑念は国民の共通の疑念であると思う。いずれにせよ、火種の方はそっちのけで、西川氏か鳩山氏かとの2択を突きつけられての麻生総理の決断である。西川氏の報酬30%カットとチーム西川の三井住友銀行への復帰など小手先の修正で決着を早期に図ろうとしている。かんぽの宿問題を含めた郵政民営化の早期幕引きをしたい自民党のようだが、当の麻生総理は、唯一残る「解散権」を盾に、いつまでも地位に恋々としているのは全くもって国民感情を逆撫ですると共に、時間の無駄であることをわきまえて、政権の早期幕引きの方こそ先にやるべきだと思う。
2009.06.24
コメント(0)
昨日自民党の選挙対策委員長の古賀誠氏が宮崎県の東国原知事を訪問した。県政の清新さを学ぶためだという、全く煮ても焼いても食えない嘘を平気でつきながら、結果は、公正選挙への出馬依頼であった。どうしてすぐに分かる嘘であっても平気で付けるのか、それが政治家のやり方なのかというのが、この古賀氏の記者会見言動を見ても明かである。平気で嘘をつく、その嘘は聞く側も十分に理解しているというへんてこりんなツーカー会見になっているのかも知れない。大阪府の橋下知事にはまだ要請は来ていないという。本当か?橋下知事の場合、知事出馬直前まで、2万%出馬はありませんといった舌の根が乾く間もなく正式出馬表明があったという前例もある。どんなところで、どんなことが起こっているのか余人には知りうる訳がない。しかし自民党という党は、全くなりふり構わない党であるということを今回も知らされた。人気のある者なら、どんなお笑い界の芸能人でも刈り取るのだ。その人の資質が問題ではなく、480人の定数の半数以上を取れればそれで良い訳だ。古賀委員長が黙って承ったという東国原知事の国政選挙出馬の条件は、1.東国原知事が掲げている(多分地方分権など)標榜を自民党のマニフェストにそのまま一字一句の修正無く組み入れること2.東国原氏を総理大臣にするという前提で対処するとの2つの条件だったそうである。この見方を、両面からまじめに見てみると。【東国原知事がまともな場合】これほど馬鹿げた条件を出せば、引き下がるであろうという、お笑いタレント出身を彷彿させる、確実に乗らないという意思表示。この場合は自民党(古賀委員長)はこけにされたことになるわけだ。【東国原に色気がある場合】本気で受け入れられるほど自分の人気が高いと勘違いしているか、よほどのうつけである。私は、勿論前者のケースだと思っているが、人の決めることだからどうなるかを見守るしか手がないわけだ。何にしろ、経歴が立派とか人柄がどうだとかはその人の周囲にいる人しか分からないわけで、日本は全く平和故か、とにかく名前が売れて面白い人なら誰でも言いようである。やらせてみたらええやんか、という程度のものである。国政でも、嫌になったり、行き詰まったら投げ出す首相の例もあることだからということが根底にあるのかも知れない。何処の馬の骨か分からせる前に、テレビで見た顔だということの方が重要な意志決定の根拠となるらしい。「行列の出来る・・・」で面白い判断をしていた弁護士さんが、国を大きく変えるのだと息巻いて国政に打って出て見事当選を果たしたが、その後彼は何をしているのか?再びテレビでくだらない番組に出てあい変わらず下らないことをやっているだけのようにしか見えない。彼の場合は、弁護士プラスタレントを続けるためにもと国会議員という箔を付けたかったに過ぎず、その彼を陣笠として受け入れた自民党だったという構図なのである。こういった輩が国会を跋扈しているのもまた事実である。その点では、国会議員を辞め、名古屋市長に当選した元民主党の議員などは、その反対のケースとして、またユニークな存在として注目していきたいと思っている。自民党を構成する議員は、無色の者は少なく、何らかの族議員と呼ばれる利益団体の後押しで成り立っている。農林族、郵政族、道路族等々である。これらの族議員は、すべからく利権と甘い汁で繋がっている。こういった、日本の政治体質を変えるには、一旦この連鎖を断ち切り、初心に返って国民が今何を必要としているかを判断しなければならないと思う。骨太2009という「経済財政改革の基本方針2009」案が示された。2004年から社会保障費の見直しを掲げてから2006年には、2011年度における国・地方のプライマリーバランスの黒字化を掲げ、社会保障費まで削減目標としていたのを今回見直して、自然増加を認めるということになった。赤字国債を出しながら、選挙対策と大衆迎合ばらまき対策を平気でやりながら一方では歳出を減らすのに、国民の命と生活を引き替えるということがまかり通る自民党の現政権では、この骨太の方針変更は、苦肉で、待ったなしの所であろう。これを機会に本当の膿を出す方向に向かえば喜ばしいが、一向既得権を離そうとしない自民党政権は、ここらで一休みし、利害で繋がる前に、天下国家を論じる人材の登場を待つしかない。
2009.06.23
コメント(0)
今日は最後の最後に車の接触事故を起こしてしまった。何の言い訳も出来ない独り相撲で、駐車中の相手の高級車にぶつけてしまったのである。朝から時折雨がざっと来るかと思えば、晴れ間が広がりむしむしして不快指数が100%ではないかと思われるほどの天気だった。連れ合いは今日も授業がある。雨も降っているし、疲れているということで学校まで送っていった。授業が終わる頃に二人分のゴルフバックを積んで迎えに行き、そのままゴルフの練習をすることにしていた。いつも行く練習場は、普段通りだが、良い夫婦(いいふうふ=11と22日)の日はいつもの半額になるという対岸の八幡ゴルフ練習場に行くことを予定していたのだ。私は3日後の定例のゴルフコンペのための練習と、ゴルフコンペの後連れ合いと淡路島へのドライブ旅行の傍ら、1ラウンドすることになっているので、連れ合いはそれに照準を合わせての練習である。さすがにペアで来ると半額になる日だというので、駐車場は満杯で、1階の練習打席も一杯のようだった。距離感とかを考えると1階の打席の方が良いのだが、我々は2階の打席を選ぶことになった。今、全米オープンで、惜しくも崩れてしまったが矢野東が日経に書いているゴルフのコラム「マイゴルフ」では練習場ではバランスと出球のチェックであると書いてあるのを思い出した。彼の持ち玉はフェードボールで、出球を大切にすることから、練習打席は左側ではなく右打席を選ぶと書いてあった。私の場合は、フェードというよりはスライスが良く出るのだが、それに倣って、右側打席を選んだ。そこでのチェックポイントは、グリップを初め、アドレスや身体のターンなどが主たる目的だという。出球は目標ラインよりは左にボールが出るとOKで曲がりの幅は全く気にしないのだという。プロの目標と、ずぶの素人の目標が一緒であるわけはないのだが、何らかの示唆があると思いながらいつもこのコラムを見てきているだけにそのことを大事に考えて練習した。連れ合いは、左肩が上がらないほど痛い時があるので、休み休み練習をしていたが、私の場合は、右肩というか右腕三角筋の辺りがしびれているものの、打つ段にはさほど支障がないので目一杯汗をまき散らしながら球を打ち続けた。ここの練習場の欠点は球が汚いことである。いついっても補充の球が入っているのを見たことがない。たまに色白の球を見ると、おやっと思うことがあるくらいにどの球も茶色く汚れているのだ。おそらくこの球ではクリーンにヒットしても通常の球よりは10ヤードは短めだろうななどと考えながら自分の球が飛ばないことの慰めとしている。でも、アプローチの練習には有利である。打ち放題であるから、短い15-30ヤードのアプローチをふんだんに練習できるからだ。そんなこんなで、3時間を打ち続けたが、260球というインジケーターの数字だった。このインジケーターも殆どの打席では壊れているので、正確かどうか分からない。ただ、いつもの平日行く練習場では、160球で一人1400円だと考えると、安いことは安い。そこまでは良かった。ゴルフ場を後にして、連れ合いが郵便局に不在時配達物を取りに寄るということで、向かったのだが、連れ合いを玄関でおろして、方向転換をしようと奥の駐車場に入り、すれ違う軽四車を気にして、それをやり過ごし、方向転換しようとバックしたのがいけなかった。私の運転している車は座席が高く、相手の車は外車の背の低いオープンカーだった。いつもよく起こるのだが、その時も、近接する障害物を知らせる警告音が鳴らなかったのだ(というか、聞こえなかったのかも知れない)。さらにバック時はカーナビのモニターに後方の様子が映ることになっているのだが、その時に限り、カーナビはブラックアウトしてしまっていた。理由はどうあれ、全く私のミスで、よもやそこに背の低い車がいるなどとは考えなかったので、後ろで接触音が聞こえても、はてなんだろうと、しばらくは事の真相を掴め無かったくらいである。事故証明を取るために警察を呼び、処理をしたのだが、人身には影響はなかったし、ぶつけた相手も唖然としたのか、とても気のよさそうな人だったことが不幸中の幸いであった。これで都合3回も同様の事故を起こしてしまった。今日は最後の最後に気の重いことになってしまった。今でも、「何で、そんな基礎的なことを注意しなかったのだろうか?」と後悔先に立たずで、自分で自分が悔しくてならない。連れ合いは、「これから注意しなさいよという警告だ」といってくれるのだが、先例を生かし切れていないのが、悔やまれるそんな一日だった。
2009.06.22
コメント(0)
あと1ヶ月後の来る2009年7月22日に日本でも日食を観測できるという。今回の日食は皆既日食で、見かけ上、月の直径の方が太陽の直径より大きくなるというものだ。日本では奄美大島辺りで皆既日食が見えるのだと言い、そのためのツアーなどもあるのだという。これほど大騒ぎになるのも至極当然で、近年では、1963年7月21日の北海道東部などで見られた皆既食以来46年ぶりの日本での観測と言うことにある。その後も、 1987年9月23日に沖縄本島などで金環食を観測できたようであるが、今回は皆既日食で、いわゆる月の中に遠方の太陽がすっぽりと入り込んでしまうのだ。日本で見られる次の皆既日食は2035年9月2日で中部や関東の一部などで観測できるという迄待たねばならない。勿論日本中で、部分日食を観測することは出来るといい、隣の京都では正午近くに、ほぼ8割方の日食を見ることが出来る計算になるようだ。 しかしこの日食だが、望遠鏡や双眼鏡で見ることは勿論、サングラスや昔そうした記憶があるのだが、すすを付けたプラスチックなどで直接見ることは危険なのだそうである。これも程度問題で、じっと見つめると網膜が焼かれることになり危険なだけで、普段我々が太陽をちらっと見るようなことでは大丈夫なのであろう。今日では、いつ何処でどの程度の日食が起こるのかは容易に計算できるようで、天文学のすばらしさに感心するが、一般民衆がまだその詳細を知らない時、日食を経験的に知っていた村の祈祷師が、これを利用して一般市民を統治したというおとぎ話を納得できる気がする。しかしながら、周期的に起こるものでもなく、数年間隔で起こる日食を当時どのように予測したかの方が返って疑問であり、これらおとぎ話は後から造ったお話であろうと思う。しかし、古代の日本神話の天照大神のお隠れになった天の岩戸神話も皆既日食を描写したものであるとする解釈があるようだ。計算上は、邪馬台国の時期に日食が2回起きた可能性があると現在の科学では推定されているが、ハッキリしたことは分かっていないようである。最近、月周回衛星「かぐや」が任務を終えて月面に落下する間に7枚の貴重な写真を撮ったという。地球から近くの、そう高温でない月のしかも表面だけでも観察がこれほど難しいのであるから、太陽に関してはなおのこと何が起こっているのかを知ることは至難であろうと思う。しかし、現在では、半径70万kmの太陽光球の表面温度は6000度であり、その表面の彩層と呼ばれる2000~3000kmの間の温度は1万度であるという。そしてそこからプロミネンスと呼ばれるループ状の炎がめらめらと高さ数万mまで燃え上がり、これら太陽を取り巻く薄いガス層のコロナの温度は100万度以上にもなるのだという。この彩層部分が月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見えるのが金環食と呼ばれるものであろう。今や太陽光発電など、自然エネルギーを実用化するために多大な努力が続けられている。皆既日食を見ることにより一般の人がロマンを感じる以上に、太陽が如何に人類にとって不可欠であるかを考え直す良い機会である。コロナの研究で太陽が作る磁場の研究が分かり、また黒点の影響や、太陽風などの研究にとっても日食はまたとない機会だという。技術者も手ぐすね引いている今回の日食でまた何が発見されるのであろうか?
2009.06.21
コメント(0)
世界4大ゴルフトーナメントの1つである全米オープンゴルフが始まった。歴史的には1895年初開催と、全英に次ぐ歴史的な大会である。今回はニューヨーク州のベスページ・ステートパークで行われている。7000ヤードを超える長いコースでしかもパー70と言う事だから先ず驚く。勿論プロのトーナメントだから、俗に言うバックティーからのものであるが、日本ではバックティーといえども、それほど長いコースはあまりないだろう。しかもパーは70だというからさらに驚く。日本人では私などが生まれる前の1932年に宮本留吉という選手初出場したとある。それ以来、ゴルフを少しかじり始めた、1980年に青木功が2位に食い込んだのが全米オープンの日本人最高記録であるという。この頃から世界の青木と日本で騒がれ初め日本でのゴルフ熱も盛んになったようだ。日本では敵無しとまで言われた尾崎将司(ジャンボ尾崎)も全米オープンでは6位が最高で、予選落ちなどの辛酸を何度かなめている。私などが馴染みの深い選手といえば、傘のマークのアーノルドパーマーや、ゴールデンベアのジャック・ニクラウスである。ホワイトシャークといわれたオーストラリアのグレッグ・ノーマンなども当時活躍した選手として記憶に残っている。現在は様変わりして、タイガー・ウッズの世界となっている。有色人種が活躍し始めてからゴルフ界にもその並みが訪れたという感じである。今回日本からの出場は矢野東、横尾要、今田竜二、甲斐慎太郎の4選手である。アメリカと日本の時差の関係で、日本での放送は朝の5時頃からとなる。予約しておいて、寝ぼけ眼で見る羽目となる。朝早く起きてテレビのスイッチを入れるとなにやら様子が違う。雨がざーざーと降っているのである。初日のラウンド中に降り出した大雨でどうやら途中でサスペンデッドになったようだ。見ればグリーンは既にプールのようになっている。さらにティーグラウンドからグリーンまでを見ると、フェアウェイといわれるところも決して平坦ではなくかつ幅が狭い、ラフは意識して、刈り方が虎刈りのように雑で、深く、フェアウェイの落とし所の両側にはこれでもかという位にバンカーが多くて、通常の日本のコースでは見られないほどの難コースのように見られた。コースが違えばスコアも違うのが当たり前だが、このコースでアンダーパーを維持することはかなり難しそうである。そんな中、最初は今田が好発進をしたようであるが、途中から崩れ、昨日現在(正確には21日の放送では)矢野東が好位置に付けている。タイガー・ウッズは雨にたたられてか、なかなかスコアを伸ばすことが出来ないでいる。また、愛妻のガン発病を知り出場辞退を考えたという、フィル・ミケルソンもなかなか好位置で頑張っているようである。プロの試合を見ていていつも思うのだが、ショットはいとも簡単に軽く振っているようでありながら、飛距離は相当なものであり、その正確さは素晴らしい。ところが、このコースのラフは、大変なもので、時に芝生の下に埋もれた球を芝生ごとねじ飛ばすというような荒技が必要である。こんな時には如何にプロといえども思うようにボール・コントロールが出来ず、グリーン手前のバンカーにまた捕まるというような、一見すると素人がやるようなことが起こるわけである。しかし、その後のバンカー処理がさすがにプロと思わせるような、そんなプレーの連続である。外国での放送であるため、録画をも交え、画面が度々に切り替わり、サスペンデッドの続きをプレーしたり、インのスタート組などもあって、注意深く見ていなければ現在の最新状態がどうなっているのかが分からなくなるほどである。今や、矢野東に上位食い込みを期待する以外にはなくなったようである。他の3選手は予選落ちと言うことになりそうである。矢野東選手は、日大出身で32歳、脂ののりきった状態である。今、正に、日経新聞で「マイゴルフ」のコラムを担当、執筆している。学生時代からのゴルフの関わりから始まって、ウッド、アイアン、アプローチ、パターなど細々としたテクニックの細かな注意を的確に表現してくれていて、沢山出されているゴルフハウツー本にはない小気味よさが感じられる。今は、第14回目の練習場でのバランス・出球チェックという項であり、もう少しで連載も終わるであろうが、連載を終了する頃には、この全米オープン好成績の結果という輝かしい結果と共に終わって欲しいものである。雨で順延していることもあって、明日の朝も早起きしなければならないが、矢野が何処までスコアを伸ばすかが楽しみである。
2009.06.20
コメント(0)
NHK17~18世紀の美術(バロック~ロココ)の3回目の講座があった。今日のテーマは「ヴァトーとロココ美術」という内容で、時代はバロックの17世紀を過ぎて18世紀のロココといわれる時代に入った。バロックとロココという時代や美術様式は耳にしたことはあるものの、実際にロココ美術の芸術家を知ったのは初めてだった。ジャン・アントワーヌ・ヴァトーは18世紀のロココ時代を代表する芸術家である。バロックからロココへといわれるように、18世紀に入ると17世紀のバロック様式に代わって、曲線的、装飾的で甘美なロココ様式が全盛となり、絵画の主題も歴史画や宗教画から、男女の愛の駆け引きを主題にした風俗画が目立つようになる。ロココとはやさしく、エレガントかつ繊細で装飾的といった風に当時の貴族階級の社交界文化が生み出した芸術である。最初に紹介された「キテラ島への巡礼」(シテール島とも言われる)はエーゲ海、クレタ島の北西にある島で、神話では愛の女神ヴィーナスの島とされた島をモチーフに3組の男女の愛の形態を描いている。出会って口説く組から、話がまとまった組そして、二人で共に旅立とうとする組の変遷が一枚の絵に連続して書かれている。どの人物を取っても、17世紀のバロック時代の代表作家であるルーベンスのものよりも、人物は小さく控えめで、迫力には欠けるものの繊細でエレガントで可愛らしく表現されている。最初ヴァトーは舞台芸術家に弟子入りするものの才能を嫉妬され、辞めて建築画家の挿絵などを描くようになったが、時にルイ14世により創設されたアカデミー会員に推され人物画を描くようになったと言うことである。ルーベンスの「愛の園」やカルラッチの「エジプト逃避」などに影響を受けながら人物は小さく控えめで繊細さと優雅さを加えていった。やさしい画風は「ブランコ」に見られるように、可愛らしくふんわり感のある作品となり夢のような穏やかな表現となって彼の作品に多く見られる。銀行家のクロザに依頼されて描いた「見晴らし」は当時の富裕層の生活、社交振りをかいま見せる作品となっている。ジョルジョーネとティツィアーノの共作とされる「田園の奏楽」にも影響を受けていることが伺えるが、和歌における「本歌取り」のようなオマージュを持って意識的に作品を取り入れているケースもある。当時の貴族の間ではサロンという社交の場があり、スポンサーのお金持ちが、仲間と音楽を楽しんだり、おしゃべりに花を咲かせたりすることが多かったが、これが後には、大勢の人がお金を出し合ってコンサートを聴くなどの芸術の大衆化への元になったという。「ラ・フィエット」では当時のサロンでの服装を丹念に細やかに描いている。着衣は木綿製ネルの生地で、派手ではないがしっとりとした風情と華やかさを合わせて巧く表現している。晩年に描かれた「フランスの喜劇役者たち」は当時の悲劇が歴史に基づいた重い作品が多い中、喜劇という形で軽く表現するという点で、ヴァトーの有名な作品の一つである。また、ヴァトーは37歳の若さで結核のため亡くなるが、亡くなる少し前に書いた「ピエロ」はヴァトーの秀逸作と言われ、ピエロという境遇と自分を重ね、ピエロであっても高い理想を持つことを真ん中に直立した姿で描くことによって自分とも重ね合わせて表現したものでないかと言われている。ヴァトー亡き後ロココのその後は、フランス美術界の第一人者となったブーシェで20歳でアカデミー会員に推されたり、ローマ賞を受賞するなど若くから注目されていた。ルノアールも師事したと言われるこの人は、彼の作品の人物像に現れている。「ヴォルカノスを訪れるヴィーナス」などの作品に見られるように、女性のヌードの美しさを描いた作品が多い。当時美しいヌードを描く芸術家として、つとに有名となり、綺麗な間に自分も描いて貰いたいという要望が多数出るなど、一種の社会現象にまでなったとのことである。もっとも、身体に自身のない人は、身体はプロのヌードのものを借用し、頭だけ自分と言うように、していたと言うちゃっかりしたこともあったようだ。稀代の色事師であったジャコモ・カサノヴァの恋人であったルイーズ・オマフィーを描いた「黄金のオダリスク」はやや児童ポルノ的要素もあるが、作品自体は、美しく描かれている。ブーシェの有名な作品に「ポンパドール夫人」があるが、ポンパドール夫人は、平民の出ながら、その教養と美貌で、ルイ15世の公妾の地位まで上り詰めた。また、ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ、サロンを開いてヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家と親交を結んだ女性であった。また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、様々な芸術家とも交流した。ポンパドゥール夫人の時代はフランスを中心に優雅なロココ様式の発達した時代になった。ポンパドール夫人を描いた芸術家は、他にもラ・トゥーレらがいるが、夫人は常に本を携えている絵が多い。百科事典の制作にも意を注いだ女性としても有名である。ロココの全てを限られた言葉で書くことは出来ないが、色々な切り口で美術を学びながらヨーロッパの歴史を垣間見ることはとても面白いと感じる。
2009.06.19
コメント(0)
「地球46億年全史」を今日やっと読み終えたというか、ページを繰り終えた。2月初めに買って、今日まで延べ2ヶ月足らずの期間を要した事になる。著者は「生命40億年全史」と同じリチャード・フォーティーだと言うこともあり、方や、生命史、方や、地球史と言う事で、私が引きつけられそうな本の題名に引き寄せられるように手に取ったわけである。前作品の「生命40億年全史」の内容は全くといって覚えてはいないのだけれど、読後感は結構良いものだった記憶がある。前回は多様な生命体のことだったが、今回は地球すなわち鉱物を相手の話であるために出てくる名称も聞き慣れない言葉が多く読み進むのに苦労した。語り初めはイタリアのベスビオス火山からだ。2年前連れ合いとイタリア旅行に行った時のことを思いだした。暑いその日にポンペイの遺跡を訪れ、ベスビオス火山の噴火で壊滅した都市と、その時の人間の死んだ瞬間を石膏の形に固めて残しているのを見たあのベスビオス火山の噴火灰に埋もれた街だ。その結果は、ローマ時代に起きた火山噴火の死者の約2倍もの死者を出したと言うことだ。続くハワイの火山についても同様のことである。キラウエア火山などは既に観光化されているが、その昔はベスビオス火山と同じく地球内部の溶岩噴出口と言う事では変わりがない。日本列島も同じだが、こういった地球の内部からのマントル対流の噴出口が世界中の至る所に存在するということである。噴出した岩石を含む溶岩が堆積し、それが褶曲して現在の地球の表面を形成したというのである。神が地球を造り賜うた時、最初海と陸を分けられたと創世記にはあるが、、ビッグバンから創造された地球にはやがて超大陸である巨大なゴンドワナ大陸があり、それは現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸や、アラビア半島、マダガスカル島を含んだ、かなり大きな大陸であったという。それが地球上の表面のほんの卵の殻に相当する岩石層(リソスフィア)にある何枚にも分かれたプレートに乗っかって移動し、やがて北のローラシア大陸にぶつかりパンゲア大陸となったということである。そう言った陸地の離合集散を繰り返し、地球が何度かの氷河期を迎え今日の地球が形成されたというのである。遠く月や火星にまで人工衛星が飛ぶ時代となっても地球の中は殆ど分かっていないことが多い。地球の表面を覆う岩石層の厚さはわずか100km程度の厚みしかないのに、そこまでも全て解明されているとは言い難い状況である。しかし超音波というか電波の探査で、岩石層の下のマントル部や、そのまた中心部の外核コアと呼ばれる液体状の層と、最後に内核コアという個体の中心部で構成されていることは既に研究結果として判明しているとのことである。地球は卵と同じ割合で考えると丁度うまく理解できると言うことである。表面の岩石層が卵の殻に相当し、卵の白身がマントル部、そして黄身の部分がコア部と言うことである。その昔地球全土が「スノーボール」と呼ばれる氷で覆われた時代には、卵の殻は巨大な氷の重量で押しつぶされそうになっていたわけで、この氷が溶けた段階で、液体の上に乗っていた地殻の部分は、その反動で隆起するなど、地球の表面は多様な形になったというのである。土を被せられたその下は、数枚の形状が様々なプレートによって支えられている。日本などは太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートさらに北アメリカプレートの4つのプレートが交錯する点に位置している。岩盤層を突き破る玄武岩の熱いマグマが吹き出したり、太平洋プレートがフィリピン海プレートやユーラシアプレート内に引き込まれる沈み込みと呼ばれることにより、火山や地震が頻繁に起こるのである。イタリアやトルコなどの地震の多発地帯はユーラシアプレートと、アフリカプレートのせめぎ合いで起こっているのであろう。その点で言えば、チリなども、南アフリカプレートと、ナスカプレートの狭間にあることが地震の多い原因と考えられる。サウジアラビアにいた時、私がドライバーをしてくれた学生に何故、「このような灼熱の砂漠の国にいるのだ」と冗談を言ったら、「日本人は何故あんなに地震の多い国にいるのかの方が不思議だ」と反論されたことを思い出した。そう言う目で見ると、サウジアラビアは国中そっくりアラビアプレートに乗っかっており、沈み込みなどのフリクションは起こさないのであろうかと考えられる。その分アラビアプレートとユーラシアプレートに挟まれたトルコでも地震が多いことが頷けるのである。ヒマラヤ山脈は、インド亜大陸がローラシア大陸にぶつかり、なおぐいぐい押した結果の地球の皺であることは良く言われるところだが、アメリカのグランド・キャニオンは、明らかに水中で積層された気の遠くなるような期間の地層が、隆起と浸食により、地球の成り立ちを理解するに好都合な、行儀の良い地層断面が見られるとのことである。この膨大な内容を含む本を簡単にまとめることは無理があるが、地球の成り立ちがよく理解できると共に、まだまだ人知の及ばない大自然が、足下にあるのだと言うことが認識できる、一寸難解ではあるが、面白い本であった。
2009.06.18
コメント(0)
イランでは先週12日に大統領選挙があり、その結果が13日に公表された。現職のアフマニネジャド大統領が再選されたということだが、改革派のムサビ元首相側が選挙の不正を主張している。イランでは、イラン共和国の全般的政策・方針の決定と監督について責任を負うという最高指導者がいる。1979年のイラン・イスラーム革命の時に創設されたもので、当時のホメイニ師についで今は2代目のハメネイ師がその地位にある。最高指導者はまさしくイスラム、シーア派(十二イマーム派)における最高権力者であり、身分は終身である。イラン・イスラーム革命以前は、イランは王政であり、私などにも馴染みのあるパーレビー国王がその最後の王朝の皇帝として君臨していた。我々の時代ではまだ歴史上の人物ではないこの国王も、西欧化政策や世俗化政策を推進しようとしたが、特に女性の解放を象徴する黒いかぶり物である「ヘジャブ」の廃止を断行しようとし、これらをきっかけとして、イスラム戒律に厳しい、初代のホメイニ師などの反発を買って亡命を余儀なくされ、失脚したのである。こういったイスラム原理主義に基づく保守のホメイニ師の流れを汲むハメネイ師は、今回の選挙の正当性をいち早く認める声明を出して混乱を収拾しようとしている。イランではこのように、大統領は一介の行政府の長であり、イスラムの法学者の頂点であり、三権をも統括する最高指導者の動きは見逃せない。アフマニネジャド氏は、今回の選挙で徹底した「ばらまき」と「強いイラン」を標榜したのである。「ばらまき」、それは今回の日本の特別給付金など足元にも及ばないような選挙買収であったと想像される。特に低所得者層に手厚い政策を取ってきたようで、大統領が実際何をしてくれたかを身をもって感じる南部の低所得者層が、北部の富裕者層を押さえ込んだ形の選挙結果となったようだ。日本の政策とは全く逆の流れではないかと思われる。日本は、格差社会を造り、その勝者が敗者である低所得者層を引き上げ国際的な地位を確保するという目論見の政策に破綻を示しているのである。そして対米追従外交である。金を握った富裕者層がそう簡単に敗者に再分配することはない。握ったらもっと欲しくなるのが人の常である。例えば、企業が大量の内部留保を持ちながら、世界的経済不況の名の下に平気で従業員解雇(特に不定期労働者)を行う点を見れば明らかである。小泉ー竹中ラインは人間の心理や業と言うことを見落とした結果ではないかと考える。それはさておき、「強いイラン」を標榜する強硬派アフマニネジャド新大統領は選挙の不正を表明するムサビ元首相の改革派を弾圧している。既に、この争乱で7人もの死者を出しているということだ。アフマニネジャド大統領のポピュリズム的「ばらまき」政策は現在イランでは評価を得ているが、驚いたことに、世界第4位の石油生産国であるイランがガソリンに関しては国内消費量の1/4を輸入しているというのだ。核問題などで、経済制裁を受け、精油所建設がままならないからだという。そこで、輸入価格との差額を石油の輸出収入で、国が補填してきたというが、その補填を減額し、そのお金を低所得者層に「ばらまい」たというのだ。また、食料輸入でも、小麦の輸入がエジプトを抜いて世界1位になる見通しで、その1割をアメリカからの輸入に頼っているというのだ。石油が出るというだけで、それに頼る政治が、いつ何時崩壊するか知れない。精油所すら自前でままならないくらい産業育成を怠り、いわば天の恵みのみに頼ってきたイランが、変わるチャンスをこのままでは逸する可能性がある。せっかくオバマ大統領が、中東政策に前向きに対応し、対話路線を敷こうとする時に、イラン自身が変わらなければ前に進みそうにもない。中国当たりが、国策的にアフリカに続き、中東へもその手を伸ばしつつある。数の大国、一党独裁の国が、仮面を脱ぎ去って進み、牛耳られることがないように中東も心せねばならないと思う。
2009.06.17
コメント(0)
NHK大阪文化センターでの2巡目講座の第3回目の講義があった。今回は「暦と年中行事」についての話だ。ムスリムでは時間は神が与えたものとの考えで宗教的には線状的時間経過があるのみで、直線的に時間は進みやがては終末の日が来るという発想である。終末の日に最後の審判が行われ、それまでの途上で死んだ人間はそのまま土葬され土中で最後の審判が下る日に一括して審判を待つのだという。その終末は今日、明日突然来るかも知れないし何年か後に来るかも知れないというわけだ。この辺りの思想は、ユダヤ教やキリスト教なども同じ考えであり、仏教における生まれ変わりとか輪廻転生などという教えはないらしい。とはいえ、人間が社会生活を形成していく以上、1日、1週間、1年という風に、時が循環するということに対応する暦というものが必要になってくる。(循環的時間)すなわち、新年を迎え気持ちを新たにして事に臨むというような小さなリセットの時間が実生活には必要になって来るというわけだ。暦の歴史は古いが、朔望月(月の満ち欠けの周期)を1ヶ月とする太陰暦や地球が太陽の周りをまわる周期を用いた太陽暦、太陰暦を基にしつつも閏月を挿入して実際の季節とのずれを補正した太陽太陰暦という3つのカテゴリーに分けられる。西欧ではカエサルが制定したというユリウス暦を用いていたが、閏月や閏年といった微調整の違いの不都合さから現在も使われているグレゴリウス暦となった。この時も、グレゴリウス的考えはカトリックの発想であり、英国のプロテスタントや、ロシア、ギリシャなどの正教会では正式採用までに若干のズレがあったという。混乱の例としては、ある旅行家が、ヴェネチアを1245年元旦に出発してフィレンツェに入るとまだそこは1244年でありさらにピサを訪れると1246年となっており、そこを通り過ぎて南仏プロバンスではまた1245年に戻り最後のパリでは1244年に戻ったという事実もあったようだ。近代において西欧の力が強大になり、暦法は統一の波にさらされた。日本もその例外ではなく、太陽太陰暦を元に造られていた暦も、明治の改暦により、明治5年12月3日が明治6年(1873)年1月1日と再定義され、暦作成者をはじめ多くの混乱を招いたというわけだ。ムスリムの世界では、ヒジュラ暦(イスラム暦)を今でも使っているが、さすがに西欧の波をかぶり、グレゴリウス暦との併用がなされている。ヒジュラ暦の元年は、ムハンマドがメッカからメディナへ移住した日を起源としているためヒジュラ暦元年1月1日は西暦では622年7月16日となるらしい。これはイスラム社会が広大化する中、徴税の都合などにより統一の必要性に迫られた結果だということだ。ヒジュラ暦の最大の特徴は、月の満ち欠けを長老が集まり目視で確認して決めるという点であろう。ここで1週間の定義は、集団礼拝の曜日こそ違え、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も7日間であったことはせめてもの救いのように感じる。もし1週間がそれぞれ違っていれば、この暦の世界は、大混乱になっていたことだろうと想像した。イスラム教ではキリスト教でいう安息日(日曜日)という発想は無く、また1日の初めは日没から始まるというのも興味深いことである。例えば、キリスト教におけるクリスマスイブは24日の夜であるが、イスラム教的には、既に夕刻であるから25日は始まっておりクリスマスイブも25日で、キリストの誕生日であるということになるわけだ。各地方では太陽暦の採用をせざるを得なくなったものの、それまでに用いられてきた暦である、アンワー暦やコプト暦などとの併用が見られる。エジプトで採用されているコプト暦などは、ナイルの氾濫の時期を新年として、母なる大河ナイルの恵みが、その年の豊かさをもたらすという意味で、エジプト人にとっては欠かせない暦であるという。イスラムの年間行事はさほど多くなく、・シーア派のフサイン殉教の日を痛み鉄の鎖で身体を叩きながら町中を練り歩く「アーシュラー」、・預言者ムハンマドの生誕祭、・断食(ラマダン)、・メッカへの巡礼(ヒジュラ)、・アブラハムが進んで息子のイシュマエルをアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する犠牲祭(イード・アル=アドハー)などがある。等であり、犠牲祭などは、ユダヤ教やキリスト教も、イスラム教も、旧約聖書に依拠していることを伺わせるものである。また、ラマダン月は1ヶ月の長きにわたり日没まで飲食は一切許されず、過酷な日々ではあるが、日没後は、家族の団らん、主婦は腕をふるって食事を作り、返って通常月よりも肉の消費量は倍増するということのようである。また、夕食後街に繰り出すと、日本の夜店の如き賑やかさで、ムスリムにとっての「時の標識」であり、ムスリム同士の深い連帯感を生む重要な儀式である。
2009.06.16
コメント(0)
一昨年のサブプライム問題を震源とし、昨年のリーマンブラザーズの破綻が追い打ちを掛け、世界各国に深刻な経済問題が波及していった。そしてビッグスリーといわれ、半年前の新聞紙上では世界の目標企業とまで言われていたGMの破綻など、何処がより所なのかが分からない、経済混沌の時代になってきた。それを受けるかのように各国の雇用問題について様々な記事が新聞紙上を賑わしている。震源地のアメリカでは、失業者は360万人にもなるという。GM47000人、バンカメ35000人などを筆頭に、日本でもソニー16000人、日産15000人等々、業種や国を問わず、解雇、人員削減の記事が毎日のように新聞紙上を賑わせた。何処で打ち止めになるのか分からないが、この機に不要人員を整理しようと悪のり企業もあるのではないかとさえ思われる。その昔は、企業単独か、その業種が低迷する時にそっと早期退職者優遇制度などを掲げて、いわゆる肩叩きをしていたが、現在はもう何処の会社も威張って、「百年に一度」の枕詞を付ければどんな非道なことも自由自在に行えるという感がある。国を挙げての経済対策で、この3月頃から日経新聞に掲載された、欧州の雇用状態と、日本の雇用危機の記事をまとめて見直してみた。【オランダ】緊急雇用対策で、時短、一時帰休採用の企業に政府が補填、従業員はそのままの状態で仕事が続けられるという制度だが、その予算も底をつきそうだとのこと。パートの活用や、転職支援で、失業率は2%台である。世界初のワークシェリングを試みを含め、失業の増大とインフレ進行を阻止するため、賃金上昇率の抑制を取り決めた「ワッセナー合意」で政府は減税、労働者は賃下げ、使用者は雇用の維持と三方一両損の施策で乗り切ってきたが、それも頭を打つような状態になりつつある。【ドイツ】政府が時短の67%まで補填する。その申請企業数は2万件、対象従業員は70万人にも達する。企業経営者は熟練労働者は会社の財産と、人員削減による人材の散逸を極力回避しようとしている。失業率は7.3%、失業しても2年間は所得の60-67%を保険がカバー、その後生活保護の道がセーフティーネットとして設けられている。国民負担率は52%と、日本の36%より高い。その分、還元率は日本より20%は高いのだが。【フランス】失業率は他の欧州諸国と比べ8.3%と高く、若年層の失業率は25歳以下で21%と極めて高い。しかし、失業者は勤続年数に応じて最大3年間の失業手当を受給できるという。また、職業訓練のための「連帯手当」が生活保護の前段階として制度化されている。税のくさび(国民負担率と似たもの)は日本の26%に対し50%を越え、高福祉高負担である。日本とは逆に新卒ですぐ雇用されることは簡単ではなく、30歳でも定職に就いていない人が多いという。「あなた自身をあなたが雇え」という起業を勧奨する風潮にある。【スペイン】建設・不動産が牽引して、1990年後半から10年成長率3%を維持してきたが、これが金融危機の直撃を受けた。そのため失業率はEU最大の17.3%で、失業者数は400万人台に上ったという。政府の失業対策は一時的な痛み止め効果くらいでしか無く、日本と同じく、正規・不正規間の二重構造が大きな問題となっている。大学は出たけれどではないが、この国で学卒者の8割はすぐ就職できない状態である。雇用保護指数が高いため、フリーターでも雇用を確保できるという点が上げられるのかも知れない。【イギリス】国内のBMW850人、ウールワース破綻で27000人、BT10000人、RBS4500人など2008年の解雇者数が60万人を超え、全国で240万人と多くの失業者数を抱えることになった。失業者数はドイツやフランスより低い6.7%だが、これら2国より事業整理のための解雇が簡単に行える。このため経営者側の悪のりも見られ、リストラに拍車が掛かる。1998年導入の「福祉から就労へ」を掲げた英国ニューディール政策で、失業率が5%を切るまでに改善したが、それも足りず「ゴールデンハロー」政策や、2009年度の雇用対策積み増しなどを行っている。【スウェーデン】国家版職業訓練プログラムを自治体と企業が共同で取り組んでいる。バルト海のスウェーデン最大の島ゴットランドでの風力発電や太陽温熱パネル技術者教育などに注力している。エリクソン5000人などを初めとする人員削減で、失業率は6%から8%に跳ね上がった。GMの煽りを食った自動車のサーブに対する支援を、政府は拒否し、これからは自動車以外で生きるという政策の転換が見られる。勤続年数の少ない方から解雇する規制があるので、若者に対する教育訓練は、待ったなしのようである。【ポーランド】ドイツと旧ソ連に挟まれた歴史的に苦難の道を歩んできたこの国は、さしたる企業がない。建国の英雄で後に大統領となりノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサは造船所の技師であり、連合を結成民主化の道を歩んだが、2004年EU加盟後は海外に労働者を輸出する大国(2003年には230万人移住)と化してしまった。失業率も11%と高く自国を空洞化させ、EU内で貢献するという変則的な国となっている。社会保障費は4割近くで、西欧諸国に比べて負担が重い。出生率も1.24と日本をも下回る。イギリスにエンジニアとして渡り失職しても母国に帰るよりドイツでアスパラガス農場で働く方が好条件だという話からも状態は見て取れる。東南アジアの、フィリピン、インドネシア、パキスタン、インドなどの国に似た状態であろう。国の魅力を高めるという、国家の基本作業を模索しなければならない状態である。【日本】失業率=4.4%(因みにアメリカは8.5%)、雇い止め19万人有効求人倍率=0.6非正規雇用率=34.1%(人件費の抑制)過剰雇用未消化:バブル時の過剰雇用をまだ整理し切れていない年間労働時間=1792時間(但しパートも算入故数字は低めに出ている)派遣労働者(製造業)=104万人(卸小売りの47万人を遥かに超える)雇用保険=離職前1年間に6ヶ月以上加入と改訂雇用助成金=対象従業員数529万人に対し、支給はたった25万人求人・求職:保安・専門技術・サービス業は高く、事務・生産労務職は低い春季賃上げ率=2003年は最低の1.63%(ベアゼロに止まらず定昇凍結の動きも)フリーター数:新卒時の労働市場により左右。ニートが増加(約62万人)早期離職(就職3年までの)=中卒約7割、高卒約5割、大卒約3割労働分配率=労働者への還元は低く、グローバル企業への投資に重点(横ばい)企業規模と賃金:大企業は微増、中小企業は一貫して減少傾向正規非正規の格差:非正規の給与は正規の52%性差と賃金:女性の男性に対する賃金比率は上昇(勤続年数長期化、高学歴化)労働組合:組織率低下と春闘形骸化、非正規社員の組織化が課題定年制:65歳定年制を視野に法改正、実際の作業環境とのズレ働き方の多様化:個人満足度や定着率向上、少子化対策、生産性向上等の利点評価処遇制度:大企業の3/4が採用だが、年功との絡みで高コスト化の傾向
2009.06.15
コメント(0)
かねて白血病で療養中であった友人が、一通りの治療を終えて最後の検査で悪性のガンは全て無くなったとの診断結果が出たというので待ちかねて会った。高校時代からのバスケット仲間で、昔はスマートであったが今は巨漢である。会社時代は仕事柄よく飲む機会があり、体重は3桁になっていたが、入院生活で一時2桁に落ちたものの、退院後再びリバウンドして3桁に戻ってしまったということだった。室内で見る限り体格といい、顔色といい、病み上がりだとはとても思えないくらいに元気だったので安心した。ただ髪の毛は、抗癌剤の副作用で、まだ5mm程度しか生えていなかった。もう一人のバスケット仲間の友人も駆けつけてくれたので3人で話すことが出来た。その友人も、一時期80キロを超えるほどの体重になったそうだが、以来節制して、今では65キロ程度にまで落としたという。山道をランニングしたり、冬でも水をかぶる等我々の年齢では出来ないことを今も続けているという。闘病生活から復帰した友人は、昨年の12月12日、その日の朝身体に鬱血した部分を見つけ、予定していたゴルフをキャンセルして病院の戸を叩いたところ、即入院と言うことになったらしい。そのまま気づかずにゴルフをしていたら、危険な状態になっていたかも知れないというから恐ろしいものである。初診の医師から血液内科を受診するように言われ、怪訝な気持ちで奥さんと二人で説明を受ける時に、医者は白い紙に「白血病」と一字一字書きながら説明を始めたという。その時の驚きとショックは相当なもので、奧さんは涙ながらにそれを聞いていたという。それから去る5月14日の退院まで4回の抗癌剤投与のサイクルを続けたそうである。途中特別な計らいで、面会に行った時には思いの外元気であったのだが、通常は、抗癌剤の副作用で38-39度の高熱に10日も悩まされたことがあると述懐していた。白血病といっても8種類ほどあるらしく、たまたま友人が入院した病院にこれも高校時代の同期生が医者で残っていたが、その友人医師から友人のガンは治るタイプだと聞かされ、それが大きな支えとなったようである。先行きが不安な状態で、半年という長い月日を病院で過ごすと言うことはなかなか大変であるが、医者の友人の励ましと、絶対に治るとの意志で、克服したと言うことだった。慢性の患者や、入退院を繰り返す患者は、半年をゆうに超えて入院生活を送っている人もいるという中、きっかりと半年で寛解(医者は完治とは言わないらしい)したことはむしろ希なことのようである。去る11日に最終の検査結果を聞いたそうだが、悪性のガンは残っていないとの結果にホットしているところだという。しかしながら、今はまだ再発防止のために高価な薬を毎食後飲んでいるという。そして、2年間は、再発の可能性があるので、注意深く検査をする必要があるとのことであった。今や日本人の死因の上位は、男性の場合ガンが1位で、続いて心疾患、3位が脳血管疾患だと言うことであり、そのガンからの生還は、何とも喜ばしいことであった。今まだ赤血球の数値が、基準値まで回復していないと言うことだが、赤血球はの回復は時間が必要だと言うことで、リハビリをしながら徐々に回復を待つつもりだということだ。一緒に会った同期生の友人も、意志の力の重要性を強調しながら、生きるのだという信念を持つことの重要性を熱っぽく語っていた。ゴルフの復帰にも意欲的で、話はなかなか尽きなく、まだ酒は控えていると言うこともあり、駅前の喫茶店で軽食を取りながら3時間ほど話し込んで分かれることになった。私はいつものように一駅を歩いて帰る事にし、友人宅へ立ち寄り、奧さんに挨拶して、友人のガンからの生還を喜びながら、汗を拭き拭き、気分良く帰路についた。
2009.06.14
コメント(0)
昨夜急に思いついて高速道路1000円を利用して少し遠くへ出かけようと言うことになり、長浜へ行くことになった。時間的に、日帰りでおつりが来るぐらいの所だし、一寸遠出の気分を味わえるというのがその動機である。連れ合いは、友人と長浜の「盆梅展」に行ったことがあると言うことであったが、私の場合は初めての長浜であった。長浜といえば、豊臣秀吉の最初の居城のあったところである。名神高速道路から米原JCTを左に取り北陸自動車道を一つ入ったところが長浜である。そのもう一つ向こうは賤ヶ岳で、羽柴秀吉が柴田勝家を破り信長の天下を完全に継承した合戦場があるところだ。また近くには、織田と浅井の戦いで有名な姉川の合戦場がある。そして、最も有名な天下分け目の戦いである関ヶ原はこのすぐ近く東の伊吹山の麓の山あい平野にある。こんな風に、北国からも、東国からも京に上る要衝の地として長浜は地勢的に重要な地点である。この長浜を築城地に選んだ秀吉は、なかなか優れた才能を持っていたと言える。長浜に着く前には、こういった漠然とした知識しかなかったが、この地が、西軍の将である石田三成の出生地であることを知った。何処に行っても石田三成で一杯であった。ご当地故も手伝って、石田三成は忠義の武将としてあがめられている。そこに今NHKで放映されている直江兼続との友誼に満ちた話が加わるから、その故事も合わせて紹介されている。少なくとも、関ヶ原の合戦について詳しく知りたければ、ここに来るとその全容が両軍の布陣や武将の名前など詳しく分かるというものだ。私は関ヶ原の戦いのキーポイントである小早川秀秋の裏切りを知っていたが、ここに来て、その他の武将、小川祐忠、脇坂安治、朽木元綱、赤座直保、吉川広家も小早川秀秋に呼応するように西軍から東軍に寝返ったと言うことを知った。小早川秀秋の無様な腰抜け振りはつとに有名であるが、これほど多くの武将が時に西軍に利あらずと大儀を捨て利に走ったことはいかにも残念である。大谷吉継や安国寺恵瓊等の凄まじい活躍振りを知るだけに、安易に勝に横滑りしたこういった輩は許されないと思う。歴史にタラレバはないけれど、もしこの時小早川らの裏切りがなければ、歴史は変わっていたかも知れないし、案外、戦国時代がもう少し続いていたかも知れない。こういった歴史の勉強とはまた趣を異にする、黒壁スクエア内の黒壁美術館には、沢山のガラス製品が展示されていた。古くは1880年から20世紀を超え、21世紀の作品までが陳列されていた。信州諏訪の北澤美術館のエミール・ガレの作品とは少し趣は違うガラス製品がこんな所にこんなものがという感じで展示されていて、若干の感動を覚えた。長浜はまた、曳山でも有名なところであり、曳山博物館に飾られた大きな山二体も見事なものであった。昔の長浜城は今は再建され博物館になっているが、ここでも主人公秀吉よりは、当地の三成が多く紹介されていた。あいにく、天守閣からの眺望は、霧のため視界は悪かったが、各古戦場の位置関係が正にこの長浜を中心に展開されたと言うことが分かり、歴史の生きた勉強になったと感じた。都市圏からの出発なので、高速道路は1000円とは行かなかったが、天気の良く、何となく来てみて良かったと半日近い長浜散歩を楽しんだ。行き帰りに彦根城を遠望したが、ここ長浜城の大部分が彦根城に移されたと言うことを聞き、立ち寄りたくもあったが、またの機会とした。
2009.06.13
コメント(0)
鳩山総務大臣がついに詰め腹を切らされた。麻生首相も憮然としてぶら下がり記者会見に応じていた。郵政株式会社の西川社長と天秤に掛けられての事実上の罷免である。郵政株式会社といえば100%財務省が株式を握る名前は民営化されたが、実質はまだ国営企業である。その株主である財務相の与謝野大臣は続投を容認していた。正に閣内不一致を絵に描いたようなものである。総務大臣である鳩山邦夫氏は任免・監督権を握るとして西川社長辞任を迫り、これが通らなければ辞任・罷免もあり得ると事前に発言していた。そして、麻生首相は盟友とも呼ばれた鳩山邦夫氏を切り捨てたのである。諸葛亮が泣いて馬謖を斬ったが、鳩山氏は麻生氏の馬謖であったのかも知れない。それとも、3人の閣僚をすげ替え何ら臆することもない麻生首相のことだから、体制の動き流れを見て後出しじゃんけんのように機械的に切ったのかも知れない。何が何でも任期一杯引きずり、俺は総理大臣だったと誇示したいお坊ちゃま宰相のすることだから内実の所は分からないし、言えることは、麻生首相は国民の声など全く聞かない奇妙な首相であるという点だ。鳩山邦夫という人は並み居る国会議員の中でも一段と変わった人物のようである。文部、労働、法務、地方分権改革担当、総務大臣等を歴任しているが不思議と党の要職には就いていないのである。少し変わった人物であることはその言動を見てもうかがい知ることが出来る。何しろ優秀な人で、予備校時代の模擬試験成績は常にトップで、東大の専門課程進学試験でもトップ通過したという。あの身体で、大学時代はゴルフに明け暮れたというから、矢張り庶民とはかけ離れた存在だったのであろう。都知事選での落選頃から兄である現民主党代表の由起夫氏と摩擦を生じるようになったと報じられている。その後は真意は別として軽率な発言で世間に「変人」という印象を与えてしまった。曰く、「友達の友達はアルカイダ」「法相が絡まなくても自動的に死刑執行がベルトコンベヤー式に粛々と行われればよい」「志布志事件は冤罪と呼ぶべきではない発言」「地デジキャラクターの草薙が裸になったことで、最低の人間と表現したこと」等々枚挙にいとまがないほど、話題の多い人ではあるが、今回の「東京中央郵便局建て替え事件」「かんぽの宿売却事件」や「障害者郵便悪用事件」など目に余る旧郵政省の負の遺産の処分や職員の不正の管理不足などを巡る今回の一連の事件では、よほど腹に据えかねたのであろう、西川社長にその責任を感じるべきだと迫ったわけだ。私もこの意見には大いに賛成である、それでも西川社長は、国に頼まれたからとの一点張りで、責任のせの字も感じている風ではない。あの経済格差を誘導した小泉首相ー竹中平蔵氏当たりに担ぎ出されたのだが、今後どのように巨大会社を真の民営化に誘導するのであろうか?最後までその抵抗を止めず辞任に追い込まれた鳩山大臣だが、この件を見ても、最近の大臣の格が大きく下落したことを物語ると言える。私などは、今回の事件もそうだがこの人は何か面白いところがあるという感じを持っている。時の総理が御しきれない、また時流に流されないで、自分を表に出し、生きていく様は、永田町の人間としては破天荒である。元はといえば、郵政民営化がその原点であるが、党内に郵政民営化とこれに反対する勢力を再び顕在化し、自民党を割る火種を造ったと言っていいのではないか。来る衆院総選挙では自民党は負けるであろう。また負けて貰わなければ、積年の膿が出きらないから是非そうなって欲しい。そうなった時、政界は激震すると予想される。権力を握ると言うことは、独裁政権でない限り、自らの信条と合う人間を如何に多く造るかと言うことであるから、今のままの自民党、民主党の形態を保つわけにはいかないであろう。断末魔の麻生政権だから麻生首相にとっては、最早痛くもかゆくもないのかも知れないが。国民としては、国税の使い方についてしっかりと見極めなければならないほんの一例である。日本国民を馬鹿とは思わないが、「不作為」という点についてはもう少し反省しなければならないと思う。江戸時代ではないのだから「御上がやっていることは間違いない」と言うことではなく、今や「御上がやっていることだから正しいことはない」くらいの見識が必要である。
2009.06.12
コメント(0)
入梅したというのに朝から雨も上がって気持ちの良い日であった。今日は月例の歩こう会の予定であったが、昨晩遅く、歩こう会の幹事をしておられる先輩から、どうも今日は雨になりそうだからと歩こう会の中止の電話を貰った。ところが明けてみれば、気持ちよく晴れていたのでせっかくのウォーキングのチャンスが無くなってしまったことは残念だった。昨日は雨が降っていたのできっと地面が乾ききっていないだろうということで諦めることにした。それよりも何よりも今日は急性白血病で6ヶ月入院していた友人の最後の検査結果の診断が降りる日と聞いていたのでいつその知らせが入るのかとそのことが気になっていた。抗癌剤でガン細胞を叩きまくって、その際に健康な細胞をも痛めつけてきた、苦しい闘病の生活はいかばかりであったろうかと考えると、最後の診断で、もし万が一ガン細胞が残っていたらと考えると気が気ではなかった。どうせ朝から病院に行き、色々と手続きなどがあって、結果が分かるのは昼頃であろうかと、連れ合いと久しぶりに映画を見に出かけた。今回は同じ映画を見るのではなく、お互いに違う映画を見ることにした。連れ合いは「60歳のラブレター」が見たいと言い、私は「消されたヘッドライン」の方を選んだ。始まる時間は20分程度しか違わず、同じ頃に終わるのも都合が良かった。映画は権力に対する新聞記者の飽くなき追及という構図であった。さぞかしウォーターゲート事件の記者の活躍も然りと思わせるような、警察はそっちのけで新聞記者の緻密な証拠の積み上げと、追及という形で進んでいった。新聞記者の名前はカル・マカフリーで、地元新聞紙ワシントン・グローブの敏腕記者である。物語は、ワシントンD.C.でふたつの事件が相前後して起る事から始まった。ひとつはドラッグ中毒の黒人少年が何者かに射殺され、偶然現場を通りかかったピザ配達人までも口封じのため殺されるという事件と気鋭の国会議員スティーヴン・コリンズのもとで働く聡明で美しい女性職員ソニア・ベーカーが、出勤途中の地下鉄で突然死亡するという事件だ。何の関係もないと思われたこの二つの事件には実は重大な関係があったのだ。国防総省の一部事業民営化に関する公聴会の委員長を務めていたコリンズ議員の秘書として働いていた女性職員ソニアの死亡直前の携帯電話記録に殺された黒人少年の番号があったのだ。コリンズと、ソニアは仕事を通じて愛人関係に陥っていた。実はこのソニア、若くて有能をうたい文句にコリンズを失脚させようと、業務の受託を目指す民間軍事企業であるポイント・コープ社の差し金で、コリンズに接近させて、情報を得て、失脚を目論むために送り込まれていたのだ。これには、コリンズが所属する党の院内総務が一枚加わっていたから話がややこしくなる。利権が絡むアメリカの政治構造をかいま見せる一面であった。辛くも一命を取り留めていたピザ配達人がICUで意識を回復した時、敏腕記者カルと奇妙な立場で協力する若手女性記者デラが取材のため正にICUで聞き取りを行おうとした時、暗殺者によって、ピザ配達人は帰らぬ人となってしまう。デラの記憶で、病院ですれ違ったその暗殺者らしき男と、ソニアが地下鉄で殺された時に監視カメラの映像に映っていた男が同一人物だと分かる。ポイント・コープ社の元軍人と接触したカルは、同社がイラク戦争で莫大な利益を得ている上に、国内の軍事業務で数百億ドル規模の利権獲得をもくろんでいることを聞き出す。コリンズやカルらが敵に回した相手は、あまりにも巨大で危険極まりない存在だったのだ。巨悪な陰謀を図るポイント・コープ社と送り込まれたソニアの双方に接点を持つドミニク・フォイという広告PRマンに接触、脅迫もどきでドミニクから、ソニアをポイント・コープ社に紹介したこと、またソニアが、コリンズの子供を身ごもっていたことそして、院内総務のフォーカスが関与していたことを次々に聞き出す。民間軍事企業ポイント・コープ社と現職大物議員が軍事利権をめぐって癒着し、一連の殺人事件に関わっていたという信じがたい図式が明白になり、超大国アメリカを激震させる世紀の一大スクープとなったわけだ。最後のどんでん返しは、ソニアを愛人とし、正義感に燃える若き議員コリンズが、その野望のためか全ての殺人の黒幕であったというのは、どうにも飛躍があり、少し消化不良であった。殺人者は、コリンズが湾岸戦争の時にその若い命を助けた兵士であったことで、以降のマインドコントロール下に置かれてしまうと言う事であり、ここでも戦争の悲惨さをかいま見せているのである。カルとコリンズは学生時代からの親友である。親友同士の葛藤、アメリカの巨悪な部分、謎解きのサスペンスなど飽きさせない内容であったが、欲張りすぎた面も否めない。映画館を出て、オフにしていた携帯の電源をオンにしてしばらく歩くと、友人からのガン細胞撲滅(全快)との知らせを受けた。悪いガン細胞は完全になくなったというのだ。「よかった!」すぐに電話でおめでとうを言った。帰りは今日歩こう会が中止になった事もあり、連れ合いに重い荷物を持って電車で帰ってもらい、私はいつもの慣れた道を心うきうきとウォーキングしながら帰ってきた。
2009.06.11
コメント(1)
これも日経新聞の日曜版にシリーズとして取り上げられている。世界の政治家や著名な学者にインタビューをする形で書かれている。一週間おきに「世界を読む」というタイトルに変わる。こちらの方は海外駐在員の手による世界分析のようだ。先週の「世界を語る」はフランスの外相を務めたユーベル・ベドリーヌ氏へのインタビューであった。ヨーロッパは過去幾多の戦争や戦乱によって離合集散を遂げ、現在の国家が形成されているのであるが、現在はその約半分がEUという緩やかな連邦を形成している。アメリカ、ロシア、中国等に対極するものとして、主に経済面での合理化を図ろうとするものだ。これに日本とインド、ブラジルなどの新興勢力の台頭が著しい。ソ連が崩壊して以降、冷戦の終局は即西欧流の民主主義と市場経済が世界を席巻するかに考えたようだが、市場経済の方は、なし崩し的に取り入れられるものの、なかなか民主主義というものは簡単に根付かないようだ。一時独裁の善し悪しを論じられたことはあったが、独裁=悪の構図となるのは、如何に有能で慈悲深い独裁者といえども所詮は人であり、最初に掲げた理想もやがて長年の慣れと共に腐敗の道を辿ることになるからである。独裁者といえども、全ての情報が集まるわけではなく、周囲の誘導により、曲がった情報を与えられると、目しいてしまい正しい判断が出来なくなるからである。西欧の人達は世界を統治できるのは国際社会の参画による国際法に基づくものだと単純に考えたらしい。これも巧くいかないことは、国連が一定機能を越えて力を発揮できないところからも明かである。さらには、新興諸国の台頭で、G7に1ヵ国を加えただけの国際会議では事を決せられなくなり今やG20と言う風に、新興国の台頭を無視できないものとなって来ているわけである。ここに来て中東の勢力も侮りがたくなった。資源ナショナリズムといわれるように、多様化した社会は、石油・ガス・鉄鉱石の他にも、レアメタルなどの鉱物資源にも脚光を浴びせることになった。世界の多様化は、1国の良識を他国にそのまま当てはめることは出来ないことを明らかにした。ロシアや中国の理想とするところの考えをアメリカが如何に説得しても変えられないし、またアラブ諸国のようなイスラム圏の考えに対しても然りである。オバマ大統領は、自分の出自を生かして、イスラム諸国との対話を進めようとしている。ユダヤ教のイスラエルに最も影響力を持つアメリカが、イスラムの国に乗り込んで接点を見いだそうとする点は大いに期待したいところである。ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も辿るところ、神は一つなのである。その原点は旧約聖書に発する。エジプトでのオバマ大統領の「コーラン」を引用した演説は、かたくななイスラム教徒にアメリカの変化を感じさせたことだろう。私がサウジにいた時に、ムスリムの学生が、「アメリカは嫌いではないが、アメリカ政府(当時はブッシュ大統領)は嫌いだ」といったことを思い出す。そしてあの9.11事件の日に「今日はムスリムのお祝い日だ」という発言を聞いた時に、アメリカの政策が如何にイスラム諸国に受け入れられていないかを痛切に感じてしまった。多極化した世界を自国のエゴや主張をただ押し通すのが現実的でなく回り道であることを早く知るべきである。ハマスの攻撃が先かイスラエルの空爆が先かを論じていては収まらないように、北朝鮮のトップの横暴を止めることに躊躇していることが世界の不安定を助長して行くことを知らなければならない。中国が最後にやっと少し歩み寄ったようであるが、何故に中国が、あの横暴集団を養護するのか私には分からない。
2009.06.10
コメント(0)
中国の軍事費がついにアメリカに次ぐ世界第2位にまで増強された。昨年の記事までは、軍事費ではなく国防費となっていたが、今年の記事では軍事費になっていた。マスコミの言葉のあやであればいいのだが、国防費と軍事費では大きな違いがあると思う。前者は、防衛という意味であり後者は攻撃も含めると取れるからだ。もっとも日本も防衛費といいながら、なし崩し的に使徒が乱れていく方向にはあるのだが。それにしても中国の軍事費の伸びは激しいものがある。ストックホルム国際平和研究所調べでの軍事費ランキングではダントツであるアメリカの6073億ドルは別として、中国は849億ドルとフランス、イギリスを抜いて2位になっている。2007年の公表国防費は約500億ドルであったが実際の軍事費は1400億ドルであったとのアメリカ議会の報告もある。では2008年の公表849億ドルはこの比率で実際の軍事費に換算すると、約2380億ドルにもなるということだ。たまたま手元にあった2002年の新聞記事では、中国の国防費は前年比17%アップで、約250億ドル程度であった。そのグラフによると1996年は105億ドル程度だから、12年間に8倍もふくれあがったことになる。(日経新聞では過去10年間で3倍との計算を出しているが)このように1996年から中国は軍事費を前年比で10%以上の増加をキープし2007年には何と25%近くアップするという凄さであった。中国とロシアの軍事費の値は、あくまで推定であり、どの統計を使うかによって違いはあるものの中国が約2000億ドル(20兆円)をつぎ込んでいるであろう事は間違いのないところであろう。決して好ましいことはないのであるが、アメリカの6073億ドルは世界各国での紛争介入や、太平洋といわず地球全体をカバーするという意味で膨大な数字になっていることは定性的には理解できるが、中国のそれは現在はあくまで内政的なものと、当面の国内事情とする台湾との問題だけであり、海外での軍隊の展開は目に見えるものがない。にもかかわらず、過去10年以上軍事費を10%以上伸ばし続けて、アメリカの1/3の軍事費を有する真の意味は何かというところである。過去既に中国は、アメリカに対し、地球を2分割し、東を中国が担当し、西をアメリカが担当するという事でどうかと提案したそうである。アメリカのみを対象国に考えていることはこれでも歴然である。その昔は、イデオロギーの対決が主で、旧ソ連との蜜月関係が続き、対米牽制という点で両国は結びつきを強めていたが、アメリカの最大債権国となった中国はアメリカの不利は中国の不利と、NATOの拡大やMD構想などで対米強硬を激化させるロシアとは別の路線を歩み始めた。一方、中国が世界の耳目を集め、何が何でも成功裏に終わらせようと国内不満分子を徹底的に弾圧しながら開催したオリンピックの最中にロシアは、グルジアに侵攻、南オセチアやアブハジア自治共和国を独立させようとしたわけで、中国にとっての当面のチベット自治区やウィグル自治区などの独立機運抑圧とのかねあいから到底容認できる行動ではなかった。こういった中国の軍事費は次のようなものに使われているという。(1)短・中距離の弾道ミサイルの配備増強で合計1000基を超えた。(2)米国本土に届く大陸間弾道核ミサイルの質を向上と増強。(3)航空母艦の自国での建造に着手。(4)宇宙への軍事がらみの進出に積極的になってきた。(5)新鋭潜水艦の開発から建造に注力、海軍力増強のペースを高め始めた。(6)空軍でも攻撃機にB6機を加え長距離の爆撃や攻撃の能力を高めた。等である。中国の中華思想の再現と言っても過言ではない状況であり、世界におけるプレゼンスを確固としたものにしようとの強い意志の表れである。呑まなければ呑み込まれる、中国の過去の戦いの歴史のDNAが今も息づいているようである。中国の軍事力強化の目的は、台湾攻略や米国との競合を初めとして、自国の国家主権の発揚があげれれるが、日本との尖閣諸島の領有権紛争や東シナ海でのガス田開発をめぐる排他的経済水域(EEZ)の権益争いをも軍事的解決で行おうとすることもその主目的の一つであることは間違いのない事実である。
2009.06.09
コメント(0)
日経のコラムシリーズ「揺らぐCEO神話」が6月5日から掲載されてきた。最初はこの度破産法の適用を申請したGMに関してだった。GMのCEOであるワゴナー氏は、氏が理想としたGM中興の祖と呼ばれたフレッド・スローン氏を範として経営をしてきたという。だが、どうやらフレッド・スローン氏時代の株主は比較的大人しい存在であったらしい。最近はCEOといえども会社の利益追求を自己の責任において長期的視点で遂行することが必ずしもうまく行かないということのようである。会社は誰のものかと一時話題になったように、その昔新入社員の頃は、入社式で所信を述べられる社長が一番偉いのだと単純に思っていたが、最近はなかなかそうでも無く株主至上主義と言う事が鮮明化されてきたようだ。GMもその例外ではなく、約100万人の株主が株価の上昇と配当を求める一方、世界中で働く23万5000人の従業員の労働組合は待遇改善を要求し、50万人の退職者は安定した年金と医療費を求めるという構図に対面しなければならなかったというのだ。如何にCEOといえども、これら当面の利益や待遇改善を求める力に、長期的視点での環境配慮の車などへの先行投資をすることを怠らせた。ここで、金のない者にも特別ローンで車を売り焦げ付かせるなどの問題もあったようだ。CEOの力をしてもいかんともしがたい状態になるのだという感じだ。これでは取締役会や、監査役の力など及ぶはずもないと言えるだろう。この株主の圧力を受けなかったのがサントリーである。いわゆる大企業の株式会社は即上場企業だと思っていたが、サントリーは非上場企業なのである。創業者鳥井信治郎氏を継いだ佐治敬三氏がビール事業に英断を持って参入してから45年間のビール事業は赤字の継続であったという。この度46年目にしてやっと黒字化を達成できたのも、目先の利益にやかましい株主からの圧力を受けなかったためだといわれている。サントリーはまたサントリー美術館などの文化事業にも理解がある企業であるが、こういったメセナ活動が地道に出来たのも非上場企業であり、会社方針を理解する者のみが株主であるというところが大きかったのである。やがて、このビール事業は、清涼飲料事業の成功への道をも開いたことになる。こういった長期的視野に立てるCEOこそが真の経営者と呼ばれるのであるが、就任中はなかなか理解されない場合も多い。次はソニーであるが、井深大氏や盛田昭夫氏により創業され、技術のソニーとして世界に冠たる企業となり、その後、米国ソニーで実績があり、出井氏にリクルートされたハワード・ストリンガー氏が現在のCEO を勤めている。アメリカでは今やカリスマ型の経営者は少なくなってきているというが、このハワード・ストリンガー氏もカリスマ的存在ではなく、協調型経営姿勢を取っている。それが是と出るかどうかはこれからの問題であろう。最後は39歳で今や億万長者のラリー・ペイジ氏と36歳のセルゲイ・ブリン氏が創業したグーグルである。マイクロソフトのビルゲイツ氏のようにIT産業で巨額の財を成したこの2人の方針は、経営を第三者に任せ、市場や株主への対応にはタッチせず、目先の利益にとらわれない技術革新に全力投球をするというスタイルを取っている。集まる従業員も株価には無頓着で自らのインセンティブはストックオプションを得ることではなく、偉大な天才と共に革新に参加することであるという具合だ。とにかく市場に受けること、目先の金儲けに走って、今や牢に繋がれる身となったホリエモン達とは大きな違いである。これからはマネーゲームに走るのではなく、地道に物作りの道を進むことが肝心であるということであろう。締めの言葉に、かの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑に書かれた「ここに自分より優れた人々を集める術を知っていた男が眠る」という言葉は、これからのCEOのあり方を暗示するかのようである。
2009.06.08
コメント(0)
3ヶ月に一度集まる高校時代の同期生のゴルフコンペが今日は滋賀県の日野ゴルフクラブであった。高槻の友人が私をマンション前で7時30分にピックアップしてくれて、大山崎から京滋バイパスを通り、名神に合流して、八日市ICで降り、南に下って田んぼの真ん中を走る農免道路の先に日野ゴルフ場はあった。日曜日ということで高速料金は割引で片道1050円だった。日野ゴルフクラブはキングコースとクイーンズコースとに分かれており、今日の我々はクイーンズコースのセルフカートということになっていたようだ。到着したのは、私の家からほぼ1時間であり、スタートまでは約1時間あった。このスタート前の時間をパター練習ひとつしないで、久しぶりに会った仲間同士でコーヒーを飲みながら話して過ごすのだ。私も参加して3回目になるので段々様子が分かってきた。出かける前に十分なストレッチや柔軟体操をしておかないと、現地では出来ないということだ。今回参加したのは12名で3組に分かれてのインからのスタートとなった。このコンペは既に139回を数えていて、当初はウィークデイにやっていたというが、なかなか人が集まらないということで日曜日開催となった経緯があるようだ。既に殆どが停年退職しているので、そろそろウィークデイにして貰った方が割り安になるのにと思うが、新参者はなかなか口を挟めない。始めた当初に比べれば、プレー比も安くなっているようだが、それでもウィークデイに安い練習コースでやっている身の上では、相当割高に感じる。今日は何故か白ティーを使わずに青ティーを使ってのプレイとなったため、距離が通常のコースに比べて、300-500ヤード長くなっている。とは言ってもドバイのモンゴメリーゴルフクラブに比べると100ヤードは短いのだが。そのためか、セカンドショットやサードショットで、2オン、3オンできそうなところでグリーンまで届かないことが多かった。白ティーだったら、もう少しみんなのスコアも上がっていたことだろう。一概にコースの長さだけで決まるわけではないが、プレーを終わってみんなのスコアを見ても情けないことにベストグロスが102という体たらくであった。私も最近では一番悪いスコアになってしまって内心優勝をと思っていたのが4位に甘んじてしまった。ドライバーは午後のアウト11番ホールで引っかけて左隣のコースのバンカに入れ、そこから元に戻すのに林の中で2回も叩いて、大苦労をしてしまった時以外は、まあ無難に出来たのだが、フェアウェイウッドではなかなか芯に捕らえることが出来ず、少々不本意であった。その代わりといっては何だが、短いアプローチショットはことごとく巧くいった。このコースはバンカーが多く、グリーン手前は必ずと言っていいほどバンカーがガードしている。私の場合、コースの距離が長いためかよくバンカーの手前に落ちて、バンカー越えのアプローチとなったが、そのためにバンカーに吸い込まれるという今迄のようなミスはなかった。しかし、パターがくせ者で、3パットを何と6回もやってしまった。1/3が3パットでは1パット1回とでは相殺されるべくもない。寄せ1でいけるところを2回も失敗するなど、短いパットを外すことも多く、パットをまだまだ磨かないとスコアは下がらないという感じだった。またパー3のショートでは、1オンは一回あったものの、他の2ホールともグリーンの80cm手前の所までで止まり、惜しくも乗らないケースがあったのも残念である。コースが違えば、雰囲気も違うし、攻め方も違う。池が多いコースやバンカーがやたらと多いコースなど、色々である。止まった球を打つのであるが、ライやスタンスの違いなど、1回として同じように打てないから不思議である。この次までにはきっと良いスコアを出そう、100を切ろうというのが目下の目標である。表彰式を兼ねて話が弾み帰る時間が遅くなってしまった。前回ホールインワンをした友人が全員に会の名前を付けた帽子を配ってくれた。今回はその帽子と参加賞の卵2パックをさげての帰還となってしまった。
2009.06.07
コメント(0)
国際学会に協力して貰った友人達を慰労する会を行った。家電エレクトロニクスの国際学会(ISCE2009)が終わり、期間中司会や雑用の手助けをしてくれた友人と連れ合いの大学の同期生であり、姫の中学時代の先生だった人、それに連れ合いと私が姫の慰労会をかねて夕食を共にした。京都駅構内にはたくさん食事処がある。外観は奇をてらうというか、古都京都には似つかないという論争があった客船をイメージしたもので、かなり高いビルであるが、中に入ってみるとなかなかモダンでしゃれた造りになっている。駅の中段の回廊沿いには、高級そうな料亭の名前が並び、そこを抜けると、京都駅の表玄関と改札口、さらに昔からの北ホームが眼下に見えるガラス張りの通路がある。そこからは、下を歩き改札を出入りする人たちが睥睨できる感覚である。その通路を抜けると、駅の北詰になり、今日の会場はその端にあった。約束の時間は午後6時半であったが少し早めについたので、予約の店の前の広場で待つと、やがて友人が現れ、なにやら昨日飲んでふらふらと歩いているときに電信柱とぶつかって左目の上を切ったという。サングラスで目隠しをしていたが、まぶたの上の傷がまだ生々しく残っていた。そして、目の周りは少し黒ずんでいた。まぶたの上を切って血がしたたり落ち大騒ぎだったという。一晩経ってもうだいぶ癒えていたので飲むのは心配なさそうであった。店の係員が中に請じ入れてくれたが、迷路のような通路を周り廻って、奥まった堀こたつ風の部屋に通された。フラットな座敷に座るのはつらいが、之なら足を折曲げることもなく楽である。京都駅の構内であるという利便性もあって、机と椅子の部屋や、カウンターの席など、すべての席は予約客で一杯のようである。土曜日の夕方ともなると、結構な人が出てきている。国際学会の開催さえも危ぶまれ、キャンセルも大勢出た例のインフルエンザの騒ぎなどは何処吹く風であった。酒豪の姫と、そこそこ飲む友人、付き合う私という組み合わせであったので、飲み放題というコースを選んだ。ほとんど飲まない連れ合いの同窓生と連れ合いではあったが、3人で元を取るべくしっかりと飲んだ。兎にも角にも学会はインフルエンザ騒動や、それによる基調講演者の参加取り消し、さらには、特に日本の関東の企業の不参加などはあったものの、学会自身は大盛況の内に終了できた。昨今の大学生気質や、国際学会だけに英語に関する話題に花が咲いた。特に英語に関して、ニューヨークに駐在していた友人を除いては、さほど流ちょうにしゃべれるわけではないので、日本の英語教育についての不備が話題になった。アメリカでは小学校からディベートが盛んに行われるという。一方、日本では日本語でさえもディベートをする習慣がないために自己を主張するという点で劣っているのではないかという話も出た。日本人はあからさまに自分の意見を主張するのは憚られるという教育を受けてきた気がする。あうんの呼吸や、目で話すとか、以心伝心という類のものだ。英語の幼児教育と言うが、日本語ででも、自分の主張がちゃんと出来て、相手の意見も客観的に聞けるという訓練を積むことが大事だということに落ち着いた。姫を除いて、我々4人は、同じ年の同学年である。しかし、過ごしてきたキャリアは、それぞれ違っている。連れ合いとその友人の同期生は教師の道をひた走ってきたわけで、私や、私の友人とはひと味違った感覚で物事を捉えているようだ。友人と私の間でも、同じく一般企業に勤めてきたとはいえ、文化系と理科系の違いがあり考え方も違ってくる。友人は広報を一筋にやってきたとかで、私のような堅物の鉄鋼を相手にしてきたのとはひと味また違うのである。もはやあと数ヶ月で前期高齢者の仲間入りになろうかという4人ではあったが、連れ合いの同期生は動脈剥離という奇病にとりつかれて、海外でのボランティア活動を断念されたそうだが、現在も放送大学に通い、本人は無聊を慰めていると言うが、まだまだ向学心を失っていないようだ。連れ合いは一旦退職し、延長講師を終え、さらに1年という契約で、未だ教師を続けているし、私の友人は、仕舞や謡に力を注ぎ、時に野鳥や野草の観察に時を過ごしているという。私は仲間内のゴルフや先輩の主唱するゴルフと連れ合いとの二人で回るゴルフや時々の小旅行を楽しんでいる。またNHKの講座で、美術とアラビアに関する講座を受けているが、之もまた楽しみのひとつである。姫は、私など夢想だにしなかった工学博士号を取得し、国際学会を切り盛りして成功させた。素晴らしいことだと思った。人はそれぞれの道をそれぞれに全力を尽くして生きていくことが、自分にとっても周りにとっても素晴らしいことだと思う。色々な話題に時の過ぎるのも忘れ、規定の時間が来たので解散することになった。国際学会も老人の援助もあって成功裏に終わったことは何よりであった。
2009.06.06
コメント(0)
明後日に高校時代の同窓生とゴルフコンペがある。4日ほど前に連れ合いは別の用があり、私一人クリニックへ行った帰り、クリニック近くの練習場で60球2籠の練習をしたが、その時から、今日ゴルフに行こうという約束になっていた。例の安い一庫コースだ。最近オーナーが変わり少しずつコースは整備されているものの、基本的にはフェアウェイは狭く山が迫り崖がある難しいコースである。オーナーが変わった時から、インターネットで予約すると少し料金は安くなることもあるらしい。実際には、オーナーが変わり料金の値上げがあったようで、インターネットの予約で、元の値段でプレーできるというのが本当のところらしい。それでも2サム保証と料金付加がないのが有り難い。前にも一度二人で行ったことがあるので今回は二度目ということになる。数日前に見た、気になる週間天気予報では、昨日は雨が少し降るが、今日は曇り空であるということだった。ところが朝起きるとしょぼしょぼと雨が降っている。出かける時には少し小振りだったが、しばらく走ると全天灰色で、雨がざんざんと降ってきた。車のワイパーは動きっぱなしである。とにかくゴルフ場に着いたが、雨は止まない。連れ合いはちゃっかりと雨具を購入していた。待っても雨は上がりそうにないので、二人でスタートした。雨のお陰でプレーする組は少なかったのがせめてもの救いである。身体慣らしもせぬままいきなりのティーショットはOBだった。2ホール目のティーショットは一寸左目のカート道で跳ねたらしく、どうやらその向こうの次のコースの池に入ったのかと思われ見つからなかった。連れ合いはというと、レディースティーからではあったが、連れ合いのドライバーショットは小気味よく私の球を追い越したかのようにフェアウェイに残った。いきなり今日一番が出たようだった。次の3ホール目もドライバーはまずまずの出来だった。このように、ドライバーは4ホール目まで、なかなかいい当たりをしていたが、その後がなかなか繋がらないようだ。私自身のドライバーも段々よくはなったが、雨が酷くなり、グリップが滑り出した。さらにグリーンに乗ってからが大変だ。水たまりが随所にあるため、どこから球を打っても水にじゃまされるということも度々だった。そのため、3パットは多くなり1度は4パットもしてしまうという有様である。さらにバンカーの砂が締め固まっている上、2-3ホールほどはあごが極端に高く、脱出するのも容易ではない。二人ともそんなバンカーに一回ずつ入れたからそこで相当苦労した。そんなことで、私はパーを取れたのはショートホールの2回だけで、後はボギーが関の山だった。ティーショットがドライブが掛かったような飛び方をすることがあったり、左右に散らばって方向性が定まらない上にアプローチが、グリーンに少し届かないといったケースが多かった。連れ合いは、日頃2桁をマークするホールが多いのに、今日の前半は何とか一桁台に止まったようだ。前半で上がるかと思っていた雨も後半開始早々からまた激しくなり、スコアメイクを考えるよりも、雨の時の練習という感じになってきた。後ろが迫ってこないのを良いことに、2-3球練習球を打つこともあった。だが、そんなときに限って、あまり巧くいかないものである。連れあいの目の覚めるようなドライバーも後半はなりを潜め、なかなか巧く当たらなくなった。その代わりアイアンで球を捕らえることが出来るようになり、小刻みに前進していった。前後とも2人組であったようで、それも際だって巧いという感じでもなかった。矢張りここに来る人のレベルは、少し低いのかも知れない。上がり2ホール目くらいから雨はやっと小降りになり、風呂から上がっていざ帰ろうという頃やっと雨が止むという皮肉な結果になってしまった。まあ、雨の日の練習と思えば納得がいくし、何はともあれ暑くはなかったのが良かったと思えば良かったのかも知れない。こんな時、週間天気予報ででたらめを言い、それを謝らない気象予報士を、腹立たしく思う。
2009.06.05
コメント(0)
日本の出生率が3年連続して回復上昇傾向にあるという結果が発表された。正確には「合計特殊出生率」というらしいが、15-49歳の女性を対象に、各年齢ごとに産んだ子供の数をその年齢の女性人口で割って出生率(出生数÷年齢別女性人口)を計算し、合計したものである。現在の人口を維持するためには出生率が2.07を維持することが必要であるらしい。過去、1975年頃まではこの値は2.1程度を維持してきたが、それが年を追う毎に漸減して、2005年には過去最低の1.26にまで落ち込んだ。それがここ3年は上向いてきて2008年には1.37に回復したというのだが、人口減少傾向に歯止めが掛かったというわけではない。政府は時流に乗って、何の役にも立たない「少子化担当大臣」まで造って見せかけの対策を行っているふりをしているが、その努力でこの数字が上昇したわけでないことは明かである。景気が上向いたことが数値上昇に一役買っていると言うことらしいが、現在の経済状況を見てもこの値が飛躍的に拡大するとは思えない。2008年は特に閏年であったために3年連続上昇したが、これが平年であれば、一昨年を上回ったかどうか分からないとも報告されている。景気の影響もさることながら、女性の晩婚化がますます進んでいると言うことが大きい。以前に比べて初婚の平均年齢が男性で、30.2歳、女性でも28.5歳という風に高齢化していることが上げられる。女性の復権に伴い、女は子供を産む道具ではないなどとアジテートするエキセントリックな、元議員などがいることも大きな影響力を持つのではないか。子供時代には、女の娘の方が成長が早く、やがて体力的にも、社会環境や構造的にも男が優位を示し始めてきた時代は過去にあったが、昨今の男女機会均等法などが徐々に浸透してきたお陰で、女性が優位であることがそのまま受け入れられ、男性の地位が徐々に低下してきたことが伺える。その結果、「草食系」と「肉食系」なる言葉が生まれ、一部の男性を除けば、総じて「草食系」の男性が増えたように思われる。自分から積極的に女性を得ようとする風潮が無くなり、むしろ積極的なのは女性の方で、女性からのアプローチを待つという形態が増えているというのだ。職場環境でも、女性の上司が段々と増え、「○○君」などと呼ばれて指示を受ける男性を観て、周りの女性は、それを頼もしいとは思わないのであろう。クジャクの雄など、動物世界ではどちらかというとオスの方が、きらびやかで豪華に造られている。それを見定め、種を保存するにふさわしい雄を雌は選ぶんであるから、文化や周囲の環境が、女性を力強く華やかになることを推奨する人間社会では、こういった本来の動物社会のメカニズムを壊す方向になっていることもまた事実であろう。その昔、私の親によく聞いた話であるが、当時は「産めよ増やせよ」の時代であったという。私の場合は9番目の末っ子であるが、遠く、源の九郎義経は別としても、坂本九や、橋幸夫なども同じく9人兄弟であるというほど、兄弟が多いのはごく自然なことであった。最も当時の政府の考えは、人=兵力という構図が大きかったに違いないが、明治時代の親に育てられたそれ以降も、昭和16年の閣議では東亜共栄圏を建設する要諦として産めよ増やせよの政策が再び登場している。「増殖力及資質に於て他国を凌駕する」や「兵力及労力の必要を確保する」等の言葉が並び、そのための施策として「婚姻年齢を現在より三年早める」とか、「一夫婦の出生数を5児にする事を目標とし計画する」といった内容なのである。ここではまた「母性の国家的使命を認識せよ」とまで言っている。現在ではそう言った大上段的なことは言えるべくもないが、政府の社会保障の対策の稚拙さや、社会保険庁のような国家的詐欺を一掃しない限りは、如何に景気が回復しようとも、国家そのものの信頼を無くし、人的な国力増強を図ることは至難であろう。しかし根本的に人口増加が必要なのだろうか?という疑問が湧く。何が国民にとって幸せなのか、国家の本来の姿を今一度根本的に考えることも必要でないかと思う。
2009.06.04
コメント(0)
アメリカのガイトナー財務長官が中国の胡錦濤国家主席と会談した。その時の会談で、アメリカ国債の最大の債権国である中国に、サブプライム問題に端を発し、今回のGMの破綻騒動などによる財政赤字をオバマ政権の4年間で半減するとの公約をしたようだ。昨年まではアメリカの国債の最大保有国は日本であった。それが中国に取って代わられ中国が最大の債権国になったからだ。中国というのは、国益に叶うとなれば何をさておいても邁進する。なりふりを構わないところがある。アメリカの国債が下落すると中国の資産が減少するし、かといって早期に手放して損害を被ると言うことは避けたいと言うことであろう。経済のことはよく分からないのだが、ODAに目を向けると、中国は日本の援助支援相手国の中で、無償供与(ドネーション)では2000年代には上位6位で、円借款(ローン)では2位、技術協力では何とトップなのである。中国はその供与されたお金を回り回って、自国の資源獲得のため、海外、特にアフリカに注入してきたことは記憶に新しい。普通の家で考えると、よそ様からお金を借りながら、子供達には貧しいものを食わせて、そのお金でもっと貧乏なよそ様に貸し付けるというようなものだ。スーダンは長く続いた内戦で、人権問題を問題視され、世界の何処もが援助や投資を手控えていたにもかかわらず、中国は、自国が人権に無頓着な故か、強引に進出している。アンゴラへの強引な進出でも、石油利権をかすめ取るようなことをし、エチオピアではあまりに強引な中国のやり方に反抗した現地で、中国人の殺害と拉致の問題を引き起こしている。日本でも「ひも付き」といわれる援助方法があるが、中国ではほとんどが「ひも付き」のローンである。すなわち、開発には中国企業を採用することが条件であり、地元企業へ利益が落ちないことや、さらに建設現場労働者を中国本国から連れてきて働かせるケースも多く、地元の雇用にもつながらない等の問題がある。従って、中国人は地元で敵視されやすく、エチオピアでのような騒動を起こすのである。私もジンバブウェで、6橋の無償援助と技術供与のODAに関係したことがある。勿論かの国の資金力や技術力だけでは到底なしえないところを6橋の内2橋は現地の技術者養成する意味で技術を供与しながら工事は進められ、残りの4橋は、供与国日本が主導して完成させた。今、荒れたかの国で、それらの橋がどのように使われているか興味があるところだが、増水して通れなくなる旧来の低いアーチの渡川橋に比べて安心して使われていることであろう。中国にはこのような、無償供与という本来のODAの考え方は無いようである。すなわち、自国に利益がないと思うところにはお金を貸し付けしたりはしないのである。勿論無償で何かをすると言うことはない。アフリカ進出も巨大化していく中国経済に必要な資源を得るための強引な政策の一端である。東シナ海の日本との境界にある楠(中国名断橋)、樫(中国名天外天)、白樺(中国名春暁)ガス田等の問題などもその現れである。アメリカは、オバマ新政権で、いち早くクリントン国務長官が日本を訪れるパフォーマンスを行ったが、真のねらいは中国であることは論を待たない。日本人は、日米同盟をかさに、ほぼアメリカの言いなりで過ごしてきているし、アメリカも日本抜きでは考えられないと巧くおだてるものだから、有頂天外交が身についてしまっている。遠くはニクソンが日本に何の事前通告もなく頭越に中国を電撃訪問し、米中関係を構築するなどを見れば明らかである。今回のGMショックで100を越える日本の部品供与などの関連会社がどれほどの被害を被るのか知れないが、その点の説明が日本側になされたのだろうか?英語がしゃべれる麻生さんも、英語がしゃべれて冗談を言えるだけが外交でないことを知って欲しい。
2009.06.03
コメント(0)
NHKのテレビ番組で、インドの特集をやっていた。不明にもダリットという言葉を初めて聞いた。インドにはカースト制度が今も残っている。そのことは知っていたが、我々が教えられてきたインドのカーストは、1.バラモン 2.クシアトリア 3.バイシャ 4.スードラという4階級だった。そのまだ下層の階級に位置するのがダリットであるのだという。インドはブラジル、ロシア、中国と並んでBRICsと呼ばれる新興大国の注目すべき国の1つに数えられている。インドは、人口10億3000万人(世界第2位)、国土面積は世界7位という世界地図を広げても一目瞭然の大国である。人口も国土も広大であり、従って民族もインド・アーリヤ族、ドラビダ族、モンゴロイド族等多様であるほか、その宗教もまたヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%と多様である。この国のカースト制度は有名であり、我々も子供時代からその存在を教科書などを通じて知らされてきた。しかしダリットという名前や存在は今日初めて知ったのである。映像では、土の家に住み、おそらく識字率はインド全体で65%程度であるというから、この階層の人のそれはもっと悪いのであろう。勿論テレビどころかラジオや電気さえも通っていないところに住んでいるという。この度の第二期シン政権の選挙では、下層民が支持する政党を正に戸別訪問で投票を依頼して歩くのである。今回は、下層民の人が自分たちの悲惨な生活から抜け出ようとしてボランティアで、象をシンボルマークとする政党に入れましょうと歩く姿を描いていた。世界で最も大人数の有権者約7億人が投票するという民主選挙である。世界中で職業や門地に基づく身分階層(カースト)差別を受けている人口は約2億5千万人から3億人いるのだそうで、インドだけでは1億7,900万人に上るということだ。この数は日本の総人口を遙かに超える、想像を絶する数と言わなければならないの。正に日本中の人間が新宿の通路等で路上生活を送っている様なものである。現在では世界1位の人口の中国も一人っ子政策を取っているので2050年にはインドに追い越されると予測されている。この時最下層のスードラやダリットと呼ばれる人達も比例して増えていくのであろうか?カーストにおける差別の例としては、次のようなことがあるという。1.高位カーストの人たちと同じカップから飲むことや、井戸などを共有することが許されない。2.異なるカースト間での結婚禁止。3.死や汚物を扱う伝統的な職業に就く。4.カーストが低い人の仕事は低賃金であり借金を抱えて、その借金返済のために奴隷のような条件で働かされる。5.文盲、貧困、土地を所有しない割合が高い。6.低いカーストに対し罪を犯した場合、適用する法律が存在してもほとんど処罰されない。7.清浄と穢れ(けがれ)という概念に基づく偏見8.女性は、性、階級、カーストの三重の差別を受ける。インドでのダリットに対する犯罪は法律にかかわらず、いまだに処罰されないという。上位カースト達によるダリッドへの如何なる残虐行為もほとんど有罪にならないというのだ。そして、1時間に2人のダリットが暴行を受け、毎日2人のダリットが殺され、そして毎日3人のダリットの女性が乱暴され、ダリットの家が毎日2軒焼き打ちにあっているというのだ。こういった民族差別や、同一民族間の差別は世界中に存在するようだ。勿論日本も今は程度の差こそあれその例外ではない。つい先日のハンガリーにおけるロマ族(通称ジプシーと呼ばれた)への差別などもこの一連のものであろう。このロマ族も元はインド北西部にその源を発するものと聞く。インドは多種多様な国家であると共に、中国に次いで日本に近い新興大国である、これからもう少し注意を向けていかなければならない。サウジやドバイで共に仕事をした工場管理者や、労働者達、特にサウジでタミル語を教えてくれた青年や、ドバイで運転手をしてくれた青年はインド人だったのだ。これからはインド人もビックリなどといっている場合ではない。
2009.06.02
コメント(0)
定年退職後復活したゴルフだが、なかなか巧くならない。元々どん欲さに欠け、レッスンプロにも付いたことはなく、見よう見まねでやってきた我流であるからなおさらだ。ゴルフ歴はとよく聞かれるが、正確な年は忘れたが、おそらく入社3-4年からクラブを買ってやり始めたのではないだろうか?それも記憶では、荒物屋さんに近い何でも売っているスーパーマーケットのようなところで、ハーフセットを安く手に入れたのを思い出す。その時はウッドは勿論パーシモンのちっちゃなヘッドだし、アイアンは正にアイアン(鉄の鋳造品)であり、使わないと錆びた。練習は勿論打ちっ放し場で、国道30号線の急激な下りにループ橋がありその場所にある練習場や、玉野から30号線に出る途中の練習場、そして児島の海に向かって打つ練習場など練習場には事欠かなかった。当時から割合有名な玉野ゴルフクラブがあり、結構高級で、入社早々で、素人の我々がおいそれと行ける場所ではなかった。しばらくして瀬戸内海ゴルフというのが出来たが、瀬戸内海を見渡せるのは1ホールほどで、それもフェアウェイは砲台状になっていて、真っ直ぐ飛ばないとすぐロストかOBになるあまり評判の良くないコースだった。始めたばかりの私は、練習場へ行く前の練習として紐付きボールを買って近くの空き地で練習をしたものだ。練習だけでは面白くないと言うことで、少しコースらしきところへと岡山近辺のカバヤゴルフと言うところに出かけた。ここは、ウッドは使えないショートホールばかりで、アイアンの練習が主だった。続いて、旭川の河川敷に1ホールウッドが使えるという練習コースがあるというので、そこにも何度か行ってみた。コースでの様子も段々と分かってきた頃、いわゆるゴルフブームが来て、先輩達は岡山の山奥のゴルフ場の会員になっていったようだ。練習場ではプロまがいの上級者が教えてくれるのだが、なかなか思うように身体が動かなかったことを思い出す。「こうやって打つのですよ」と言いながら軽くクラブを振るその人の球は矢のように飛んでいく。真似をして力を抜いて打つのだが思うようにはいかない。そんな日々が続いた。時々行われる、部内のゴルフコンペに参加はするものの、入賞はおろか、ブービーにならないかと出足のティーショットが一番緊張する。その頃に少しましなクラブセットを買ったのだろうか、後先は忘れてしまったが、あまり頻繁でもなく、止めるでもなく何年間か続いた。思い出に残るスコアもなく細々と付き合い程度のゴルフをしていたが、千葉転勤を言い渡された。千葉では、協力会社の社長を含めて、上司となった同期生とよく近辺のゴルフ場でラウンドをした。樋口久子のホームコースであった浜野ゴルフクラブなど結構有名なコースにも出かけたが、スコアはいつも芳しくなかった。当時の記録は残っていない。そして、フィリピンに滞在する時に事務所の人がやるというのでその人に頼んでセットを持ってきて貰ったのだが、1回目のラウンド中にその人は腰を痛めてしまい、たった1回のプレーで終わってしまった。次はジンバブウェである。ここは、さすがにイギリスの統治下だっただけに美しいコースが何カ所かあった。かのニック・プライスプロはこの国出身のプレーヤーである。近くのポリスコースは全くの練習コースであるが、首都のウインゲートコースやロイヤルハラレコースは、実に美しく年期の入った良いコースだった。ハラレ郊外のもう1つのウォーレンヒルでは日本人会のマッチプレーで優勝した思い出があるが、沢山のハンディーを貰っての初めての優勝経験だった。その他モザンビークとの国境近くのムタレのコースも尖った山を回る、景色の良いところだったことを思い出す。ジンバブウェで十二分にゴルフを楽しんだし、また日本では高いグリーンフィーを払ってまですることもないだろうと、道具一式を商社の駐在員に買って貰って、帰ってきた。そのまま推移するかと思ったが、次に行ったドバイで、ゴルフ仲間が出来、灼熱の中、時間つぶしに貸しクラブで始めたのが今日まで続いている、帰国早々新しいセットを買って、たった1回の使用で終わるのかと腐っているときに、定例のゴルフコンペに入会させて貰い、また、高校の同級生のコンペにも参加することになって、家族の内輪のラウンドを含めると今まで以上にゴルフ場通いをすることになった。こんなに長くやっているのだからもう少しちゃんと練習や、取り組みをしておけば良かったと今頃悔やまれる。今日も病院の帰りに近くの打ちっ放し場に行ったが、停年を過ぎたおじさん達(中にはおばさんもいる)が揃って白球を飛ばしている。似たり寄ったりの感じの中に、さしてフォームが綺麗だというわけではないが、私のドライーバーを遙かに超して、飛ばす人がいた。しばし見とれていたが、何か秘密があるのであろう。そう言えば、昨日見ていた女子プロも、240ヤード近く飛ばしていた、これは絶対腕力じゃないと思うのだが何としても極意を得るまでには至らない。
2009.06.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1