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今月24日から25日にかけて九州地方で副振動という現象が起こったようだ。全国的にはあまり聞く話ではないと思っていたが、全国でもちらほら起こる現象らしい。九州地方の特に長崎方面など地形が複雑な地方には毎年2-3月によく起こる現象なのだという。おそらく海底地形も海岸線同様複雑なのであろう。副振動というのは、低気圧の接近による気圧の変動と風、水温などの要因が重なって発生するという。例年、前線が九州南部を通過する際に、発生しやすいらしいが、予測するのは困難のようだ。新聞報道では、係留中の漁船が19隻も転覆して船底を上に向けている写真や、鹿児島湾に浸水し道路が冠水して車が水に浸かっている写真などが掲載されていた。この地方では漁業用の網が流される「網引き」が語源だということから「あびき」とも呼ばれているらしい。例年起こることで、しかも予測不能というから、始末に悪いと思う。台風接近や、低気圧の接近で起こるというから、おそらく九州地方の人たちの特に漁師さん達は潮の臭いとかで分かるのかも知れないが、とは言っても気象予報が出るわけでも無さそうなので漁船の転覆も未然に防げないのであろう。過去最大の副振動(あびき)は1979年3月31日に長崎で観測された振幅278センチのものであるらしい。湾の奥では470センチにも達していたと言うことだ。繋留ロープが切断された船が流出し、三菱重工業長崎造船所でドックのゲートが転倒するなどの被害を出している。私も造船に携わっていたが、不明にもこんな事件が起こっていたことを今まで知らなかった。当時の新聞報道を調べるまではしていないが、ドックのゲートが転倒すれば相当な被害が出ているはずだから話題になっていたはずなのに、全く記憶がない。新聞解説では、「海洋長波が、複雑な地形に影響され大きな振幅となる潮位の変動とされるが、詳細なメカニズムは分かっていない」と言うことだ。固有振動数による共振という言葉がすぐに浮かんだ。造船時代にはこの振動と言うことに大いに悩まされ、色々な対策や解析をした覚えがある。副振動は、海洋における共振現象ではないかと言うことだ。物体にはそれぞれ形状や大きさによって、それ自身が持つ固有振動数がある。船体の設計では、船体の形状や大きさ、また局部の構造が持つ固有振動数を、如何に起震源の振動数と一致させないかと言うことに腐心する。船体における起震源は、プロペラが回転することによる、プロペラの回転数×プロペラ翼数という起震振動数(ブレードフリケェンシーと呼ぶ)と、エンジンの気筒数×エンジンの回転数の二つがあり、その両方の起震振動数と船体の固有振動数を如何に外すかという事が課題であった。固有振動数の話では、海上に浮かんでいる船に、その船の持つ固有周期で、例えば子供が持続的に船腹を押し続けるとしたら、時間はかかるかも知れないが、巨大な船であって時間が経つとゆさゆさと揺れだし、やがて共振状態になって大きな振幅で揺れて、ついには転覆してしまうと言うことも理論的には起こりうると言うことだ。今回の副振動はどういうメカニズムかは分からないそうだが、どこかの海洋で起こったある波周期が、九州沿岸の複雑な地形の部分で、その場所の固有周期と一致して拡大されたものではないだろうか?九州地方の年配の住人は、何度か経験されているようであるが、今回のように家が押し流されるようなのは初めての経験だと言うことだった。いずれにしても3-4mもの大きなうねりがじんわりと襲ってくる現象を考えると2月や3月の低気圧の夜などおちおち寝ていられない気がする。
2009.02.28
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最近一日1万歩を歩くように心がけている。今日は朝から雨模様だったけれど、朝ゴミ出しの用事もあり、連れ合いも一緒に歩くことになった。このところ特に出かける予定もないので、ただ単に歩くと言うことだけで腰を上げるのは気が重い。傘を差しての歩行はなおさら億劫だが、一旦歩き始めると家でごろごろしているよりはさわやかな気持ちになる。阪急の上牧駅から京都に向かって二駅分のJR山崎駅までを何となく歩いた。往きは住宅街を通るいつものコースである。話ながら歩くと、いつの間にか進んでいることに気がつく。早朝で通勤通学時間と重なったため、駅から周辺の職場に向かう人や、学校通いの生徒達も歩いている。便利なもので、パソコンでは、マウス操作で簡単に地図上の距離を測ることが出来るうえに、平均80cmの歩幅での歩数、また消費カロリーなどが計算されて出てくる。もっとも、地図に示された道はかなり広い道しか描かれていないので、測った距離はやや少なめに出る。今回の往路は、地図上の計測では約3kmで3785歩で徒歩ならば、57分とある。(地図上の平均歩行速度は3.2km/hで計算したことになっている。私たちが歩いた時に携帯している万歩計では、歩数は、約5800歩だった。地図上では理想的に歩いていることになるからだが、約2000歩近い差があるのは連れ合いとゆっくり話しながら歩いたので歩幅が狭かったせいであろう。これもパソコンが計算してくれるのだが、消費カロリーは約250Kcalと言う事らしい。年齢と体重によって計算値が変わってくるようだが、その計算方法は不明である。どうやらおにぎり1.6個分のカロリー消化だそうだ。連れ合いはこのところ調子が悪い上に、雨も降っているので、山崎駅から電車で引き返すことにし、私だけが復路を再び歩いた。殆ど同じ道を今度はただひたすらに大股で歩き続けた結果、帰り着いたのは約25分程度で、万歩計の歩数も4000歩ほどであった。とにかく早足、大股で歩いたのだけれど、ちょっとした歩行の仕方一つで数字は全く違ってくることを実感した。ただ単に1万歩を目標に歩いているだけでは、なかなかカロリー消費は進まず、メタボ対策にも思ったほどの効果は出ないのだと言う事が分かった。しかしながら、家の部屋で何もせずテレビにごろ寝よりは遙かに体の調子は良いような気がする。歩行後の筋肉の疲れや、体のだるさは、若かった頃に比べると格段に感じるようになっているので、改めて自分が歳をとったことを感じる。健康でいられることは有り難いことだが、ただ健康を追い求めて、人生の消化試合を淡々とこなしているのかと思うと、なんだか寂しい気がする。
2009.02.27
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日経新聞によると2008年の全体の免許証取得数は約8045万人と国民の7割が免許を持っていると言うことだ。ところが、16-24歳の免許取得人数は、年々下がり続けて、2008年には683万人なのだそうだ。そして、16-24歳の全体に占める免許取得者数は、2007年では57.9%で2008年にはもっと少なくなるというものだ。少子化で若者の数が減っているので、全体数が減るのはある程度うなずけるが、免許を取る人間の割合が、5割そこそこだと言うことに驚く。新聞では、この若者のクルマ離れが低迷するクルマ販売に拍車を掛けると言うことだけを述べていた。40年も昔には、クルマを持つことは垂涎の的であった。昭和30年代には、テレビ、洗濯機、冷蔵庫を「家電・三種の神器」と呼んだ時代だった。その後、昭和40年代に入って普及が始まったカラーテレビ、クーラー、カーの3種類は、英語の頭文字から「3C」または「新・三種の神器」と呼ばれるようになった。この頃、我が家でもやっとカラーテレビが家庭に入ってきた。忘れもしない、今上天皇が皇太子としてご成婚され、パレードをテレビでカラーで放映するというので、その時に親父が無理をして購入したのがはじめだったような気がする。記憶間違いかも知れない。その時友人の家には既にカラーテレビが入っていたのを私が見せて貰いに行き、それを素晴らしく家で宣伝したから、その後我が家でも購入となったのかも知れない。当然クーラーはなく、扇風機がいつまでも四畳半の一角を占めていたような気がする。そんな時代だからにクルマを持てるなどとは全く考えもしなかった。そんなとき、大学で同じクラブ活動をやっていた友人が免許証を取りに行くと言って誘われた。私の家では、クルマを持つことは出来ないものと思っていたので諦めていたが、何故か親父は教習所に通うことを許してくれた。その時点では、当然クルマを購入するという前提ではなかったのだが・・・。私の大学の教養課程は1年半で、その後は学部に移行するという変則的なものだったので、1年分の単位を半年で取らないと留年も考えられると言うほど時間がなかったのを覚えている。それが最近は、猫も杓子もクルマに乗るのが当たり前で、またクルマがないととても不便を託つような時代になったと思う。40年前には、田舎では舗装道路も少なかったし、まして高速道路はほんの少ししかできていなかった。クルマも、時々エンストしたり、ラジエターが水漏れを起こすなど、何度もボンネットを開くことはもちろんだが、タイヤのローテーションといって、前後左右のタイヤを交換してタイヤの摺減りを万遍なくするために、予備のタイヤを組み込む様なことも、ジャッキ一本で自分でやったこともあった。勿論自分自身がする愛車の洗浄とワックス掛けは休みの主な仕事でもあった。それでも一旦郊外に走り出ると道路はさほど混んでなく、かなりすいすいと走れ、今の渋滞のように行き着く時間が分からないと言うことはなかった。それが今は国民の7割が免許証を持っている時代になってしまった。勿論その中には、取得が可能でない16歳未満や、免許証は持っているが、実際の運転はしないというペーパードライバー、そして、もう運転を諦めた高齢者も含んでいるので、国民皆免許証と言っても過言ではないだろう。そんな中で若者がクルマから遠のいているのである。既にクルマに魅力を感じなくなったのだろうか?それとも、クルマを持てるほどの余裕がないと言うことだろうか?はたまた、都会にあっては渋滞などで車は有効に使えなく、持っていても無駄と言うことなのか?其れ以外のことも勿論考えられる。クルマを持つためには、まず駐車場がいる。都会で間借りの身分では、その駐車場を確保するのに自らの家賃よりも高い駐車場料金を払わなければならないこともクルマを持てない理由の一つであろう。また、昔のクルマは、走りに重点を置いて、馬力がいくらとか、最高速度がいくら出るとか、また加速で0-400発進が何秒だとかを唱っていたが、それを試す機会も場所もなかった。最近は貧富の2極化が進み、高級車に乗れる人は少なく、だからといって、何はさておきクルマ命という若者がいたような気がするが、その熱が冷めたか、熱を満足させられ無い状況まで追い詰められたのか、こんな所にも経済の不況や社会のきしみがじわじわと出ているように思われる。
2009.02.26
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「脳研究の最前線」上下をやっと読み終えた。読み終えたと言うより、やっと字数を目で追い終わったという感じだ。理化学研究所で脳を研究する最先端の人達が執筆した本だから素人に分かるはずもないが、専門分野では今何を行っているのかと言うことが分かったという点では面白かった。脳を研究すると言うことはいったいどういった手順なのかと言うことにも興味が湧く。ラットなどの齧歯類で実験や解剖をすることがそのまま人間の脳に適応されないことは当たり前だが、だからといって人間そのもので実験をするわけにもいかない。またねずみが考えていることを如何に解明できたとしても、それですなわち人間の考えていることが分かるわけでもない。この本の紹介には、心の仕組みを理解することが究極のターゲットであるという。人間が今何を考えているのか、これから先どうしようとしてどの方向に向かっていこうとしているのかと言うことなのだろう。また心というものは一体何かと言うことなのだろうと思う。難しい中にも何点か興味の湧く箇所がある。快楽が脳を創るという項では、人間の脳は「快」という方向で形作られるというような意味のことだ。「快」とは学術用語らしいが、単純に「嬉しいこと」や「報酬」と理解すればいいと言う。好きな人に喜んで貰うことや愛する人の笑顔も「快」と言うことになると言うが、まず定量的に量れるものとして「報酬」を例に挙げて説明されていた。「快」を感じると、脳内にドーパミンという物質が出るらしい。ドーパミン神経細胞は脳の奥深くの比較的小さな領域に存在しているというのだ。具体的な名前が書いてあったが、それを聞いても何の事やら分からない。とにかく「快」を感じるとドーパミンが多量に出て、脳の各部位を刺激すると言うことらしい。そのドーパミンを出すのは「快」を感じた時だが、「快」そのものの絶対値よりも予測と実際の報酬の差によって決まるらしいと言うことである。すなわち、「報酬予測誤差」=「実際の報酬」-「予測された報酬」による「報酬予測誤差」が多いと言う事によるらしい。その先のことはよく分からないが、予測した時点での報酬に比べて実際の報酬が高いと「快」の値?が大きなものとなり、ドーパミンが沢山出て喜びやうれしさが増大すると言うことであろう。そしてその報酬を得ると、今度はさらに多くの報酬を得ることを予測することになり、予測を超えない報酬では、ドーパミンの出る量が少なくなりさほどの「快」に繋がらないという事になるのであろう。最近の世の中は、昔と比べると格段によいものが氾濫している。従って今時の子供はおもちゃや、学習道具、衣服や靴などふんだんに手にはいることになっているし、また親や祖父母もそれをふんだんに与えている。従って、子供の期待値、すなわち予測された報酬は、段々と高くなるのであろう。ある時点で自分の宝物であったものが次の報酬を得たとたんに忘れ去られる運命にあるようだ。快楽が脳を創ると言うことは、そう言った、心の流れにより、より快楽を感じるように進むことで脳がより良く形成されるのかと勝手に思ってしまう。本を読み間違っているのかも知れないが、専門家といえども、脳の解明にはいまだしと言わしめているのだから、素人が、心と脳の関係がどんな風に繋がっているのかは勝手に想像するしかないと言うことである。さらに10年後にはこの研究がどのようになっているのだろうと少し興味深く思った。
2009.02.25
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「おくりびと」と「つみきのいえ」がアメリカ映画界で最高の賞とされるオスカーを獲得したというニュースで持ちきりになった。どのテレビのチャンネルを回してもそのニュースばかりでうんざりするほどであった。「おくりびと」は納棺師のことらしい。恥ずかしくもこの時そんな仕事があることを初めて知った。そして英語名は「Departure」である。我が両親を送り出した時に果たしてそのような人がいたのかどうかさえ記憶にない。日本人のことだからこの映画に感動して納棺師志望の人が増加するかも知れない。もっとも納棺師という仕事は体力もいるなかなか大変な仕事であると実際の納棺師の方にインタビューしているのが放映されていた。「つみきのいえ」というのは短編アニメ作品らしく、全編で16分しかないという。世界における邦画界の存在がこれで見直されたのだという風に一斉に書かれているのを見てなにやら空々しさを感じた。海外で賞を獲得した作品は、他にも10編程度あるらしい。カンヌ映画祭での黒澤明監督による「影武者」やベネチア映画祭での北野武監督の「HANA-BI」後は、ベルリンと、ハリウッドでのアカデミー賞を取った「千と千尋の神隠し」などである。私は映画は好きな方だが、これら賞を取った映画をまだ観たことがない。見ればそれなりに感動するのであろうが、自らがわざわざ見ようとは思わない作品ばかりである。例えるのも変だが、アメリカが製作する映画を、広大な平原を舞台にするスケールの大きな庭と仮定すると、日本の映画はなにやら一坪の坪庭を愛でるような感じがするのである。大自然のグランドキャニオンに対する枯山水庭園のようなものである。坪庭や、枯山水にはそれぞれ素晴らしいものがあるのであろうし、水のない庭の砂がやがて太平洋に注ぎ、地球の至る所にくまなく通じていると言う解釈も聴いたことがある。日本人の精神構造に迫るという点ではきっと胸打つ何かがあるのであろう。でも私の場合は、華厳の滝よりもビクトリアフォールやナイアガラフォール、イグアスの滝の方が素晴らしいと思ってしまう。映画は所詮娯楽であるとの私の中の位置づけからすると、如何に「おくりびと」や「つみきのいえ」がアカデミー賞に輝いたとは言っても、それ故に見に行こうという気にはなれない。新聞記事の中に欧米の人は映画を観る時に字幕を見ないというくだりがあった。そして会話劇が多い日本の映画はなかなか大衆には届かないと言うことらしい。映画を芸術と観るか単なる娯楽と観るかのスタンスの違いでもあるのだろう。映画を観ていて引き込まれ、涙しながら食い入るように観、劇場を出てきた時になお残る感動・・・、そんな映画を観るよりも、奇想天外な設定であったり、考えられないような奇跡的カーレースであるとか、日本にいては観ることが出来ないようなスケールの大きな自然を取り入れた映画の方に矢張り惹かれる。とは言いながら、邦画がアメリカや諸外国の映画祭で段々と認められると言うことは日本人の精神構造を諸外国の人に分かってもらえるという点ではいささかなりとも効果があるのではないかと感じた。
2009.02.24
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恒例の日経就職ガイドが発刊された。それによると去年の12月から今年の1月まで全国の有名大学にアンケートを採った結果の4910サンプルの結果らしい。さらに文系と理系を分けると、サンプル数は文系3719に対し理系の1176と少ない。だから結果がこういう事になったのだと言うこともあるだろいうが、総合ランキングにいわゆる製造業と分類される企業はパナソニックの他には見あたらない。銀行、保険会社、輸送業ばかりである。理由で大半を占めるのが規模が大きいという点である。昔ながらに、寄らば大樹の陰と言うところであろうか?なかで、JTBグループを選んだ理由に、仕事の内容が面白そうだからと言うのがあった。私などが感じるのは、旅行の斡旋業かと短絡的に思ってしまうが、これも大型安定企業故の選択であることが理由の2番目に来ている。JRも東海と東日本は社会的に貢献している企業だという理由で人気が高いのだそうだ。技術系の人間から見れば、0系から、700N系さらに進んだ高速車両の開発など、華々しい気がするし、中国や東南アジアの鉄道敷設に食い込むチャンスもあって面白そうではあるが、その車両は自前で製造なのか、どこかの車両会社が作っているのかは詳しく知らないので何ともいえない。それがなければ、毎日客をこつこつ運ぶ運び屋家業ではないかなどと思ってしまう。全日空も世界を翔る航空会社だから国際性があると言うことで、おそらくは、凛々しいパイロットやキャビンアテンダントの颯爽としたユニホーム姿で海外の地に行けることを夢見ているような気分なのであろうか?よもやそんな短絡的なことではないだろうが、確かに、他の業務に比べると海外がより近い位置に感じるのかも知れない。後は銀行である。昔はいざ知らず、とにかく私が持つ銀行感は、他人のお金で儲けて、給料が高いと言うことである。融資も、信用の厚いところや担保のあるところには貸すが、其れ以外の儲からないところには貸さないという徹底的に儲かる仕組みを持っている。さらには、公共性が高いと言うことで、絶対につぶれないと言うことである。つぶれそうになると、パニックが起こると言うことで、公的資金(税金)が投入されるのである。窓口で愛想笑いをしている人たちと、その裏でやっていることはずいぶん違うのではないだろうか?サンプル数が少ないとはいうものの、製造業がトップテンに1社しか入っていないのは嘆かわしいことである。ソニー、日立、三菱重工などが50位以内にぽろぽろ入っているのが精一杯である、あの世界のトヨタはかろうじて50位以内に入っていると言うことも今時の世相を良く繁栄しているようである。今時の学生がどれほど将来を見通しているのかは知らないが、今も昔も直近の世相を反映したものになるのは当然のことだろう。各社とも、格調の高い理念や社風を喧伝するので入ってみるが中身はそれほどではないという現実にやがてぶつかることだろう。学門や頭のキレは勿論不可欠であるだろうが、それだけでは思うようにいかないのが現実というものである。如何に時流をつかみ時流に乗れるかの能力が問われていると思う。皆希望通りに就職したとして、どれだけの学生が、ここに選んだ就職先に対して、当初の期待通りであったといえるかどうかである。もっとも、入社試験があるので、この希望通りに入社できるかどうかは別であるが、数が多い分優秀な学生が集まる可能性はそれだけ高いことにはなるだろう。しかしいずれにしても5000人足らずのサンプル数で本当のことが分かるのかどうか必ずしも言えないかも知れない。ただ、製造業に携わったものとしては、物作りに対する関心が薄くなってきていることを心寂しく思う。
2009.02.23
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歴女とは何かと最初耳を疑った。歴戦の強者女性・・・か何かかと思うと、歴史好きの女性の事を歴女だというのだそうだ。どうやら家庭用ゲームに出てくる極端に美化された戦国武将のキャラクターが若い女性に受けているらしい。真田幸村や、伊達政宗、石田三成などが人気があるという。中には石田三成の盟友とされた大谷吉継(大谷刑部)の人気も高いという。負ける事が濃厚な石田三成に与して家康と戦うため西軍に付いたその友誼に満ちた行動が気に入られているのだという。今の世の中、ダメと分かってそれでも一緒に物事を為そうとする人間はいないという事の裏返しかも知れない。「歴史街道」とかいう本があるらしいが、読んだ事がないのでよく分からないものの、そう言った切り口で人物評価が為されているのではないだろうか?大谷吉継は俗にハンセン病で、戦場では面をかぶり、部下の担ぐ輿に載せられて采配したというのが一般的なドラマなどでの登場に仕方である。小早川秀秋の裏切りを予想して対峙したというあたりでは知略に富んだ武将として有名であるが、何しろ、連鎖して起こる西軍の相次ぐ裏切りに倒れるというあたりを、覚悟の上であるとしたら、義を重んじる男だという事なのかも知れない。歴女に小早川秀秋の評判を聞いてみたいものである。私も何年か前に、まだパソコンの基本ソフトがウインドウズでなかった頃に、「信長の野望」というパソコンゲームで遊んだ事がある。確か信長が天下布武で、各国の武将と戦い、全国を制覇する過程のストーリーであった。隣国との同盟や、味方として参戦した武将には俸禄や土地を与えるというバランスを保ちながら戦いを進めていくのである。もし褒賞を与えるのを怠ると寝返る事もあるというものだった。ただ、信長に天下を取らせまいと例えば今川義元や斎藤道三に加担しようとしても出来なかった記憶がある。こういったゲームは、歴史をゆがめて事を進めるようには出来ないのだという事を知ったものだ。バーチャルな世界の事であるから、もし今川義元が天下を取ったらという事が出来れば面白いのにと思ったものだ。そうするとゲーム製作には、あらゆるバリエーションが必要になるのでなかなか簡単にはいかないのであろう。歴史は男性だけのものではないだろうに、新聞では女性が男性に領域に入ってきたと評されていた。歴女達には小説そのものもそうだが、家紋であるとか関連グッズにも人気があると言うことらしい。歴史の流れは変えることは出来ないが、歴史の大きなうねりの一端を担いながら、流されて表に出なかった史実を作者の解釈でクローズアップされると、一躍勇猛な武将になったり、義に篤い武将になったりするのかも知れない。そんなところが共感を呼んでいるのかと思われる。このブームが何処まで続くのかは分からないが、女性達が、歴史の埋もれた人物像を現代のうだつの上がらない男どもと対照して比較するとしたら比較される男にとってはつらいことであろう。百姓から成り上がった豊臣秀吉の話は誰でもが知っているが、彼は例外中の例外で、歴史上に出てくる武将は、一国一城の主、現在で言えば、どこかの大会社の社長か世襲の代議士クラスであり、一介のサラリーマンと比べられるとちょっと不公平で気の毒な気がする。
2009.02.22
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「バイオ燃料トラブル続出」日経新聞にこんな記事が載っていた。環境などにやさしいという事で普及を進めている使用済みの食料油などで作るバイオディーゼル燃料を使う車でエンストなどが相次いで起きているという。原因は燃料の中に含まれている不純物がエンジンフィルターに詰まってガスがエンジンに送られなくなるために起こるのだという。目詰まりの模式図とその写真も掲載されていた。驚くべき事だと思った。当然このような事は使用以前に何回も実験して確認されていると思ったからだ。まさか成分だけを調べて、ほんの少し使ってみただけで、「環境に良い」という世間受けする大義名分だけのことでこのバイオ燃料の使用を進めてきたわけではあるまい。言い訳のごとく、少量を軽油に混ぜて使えば問題はないという事が記載されている。ところが経費削減ともっと地球に優しくと考えるて100%のバイオ燃料を使うとこういった目詰まり事故を起こしやすいとの事である。国土交通省は、フィルターの定期点検などを徹底するように運送業界に呼びかけているという。そんな事よりもこの原因除去のために一旦バイオ燃料を使う事を禁止する処置に出るべきではないだろうか?一旦進み出したものを途中で止めるのは大変な事である、しかし、これを放置していると、高速走行中のトラックやディーゼル車が急にエンストを起こして失速した時、後続車両はどうなるのか考えただけでもぞっとする。また、失速後巧く路肩に寄せて停車したとしても、十分な車線数のない日本の高速道路では、単なる渋滞を起こすだけで済まずに後続車の追突などの大惨事が起きないとも限らない。全ての運転手が、こういった予期せぬ出来事に対処できる技能を持ち合わせているとはいえないだろうし、また、高速道路では往々にして大型トラックがやたら高速で追い越し車線をがんがん飛ばしているのが現状である。想像するに、経済的な追求をするために違法といえる高速走行をするようなトラックであるからバイオ燃料が安くて、環境に良いというのなら100%使う事もあり得る話である。国土交通省でも既に「深刻な事故に繋がりかねない」と考えているというから、この呼びかけ程度の処置が生ぬるいものだと思われて仕方がない。記事の中には、集荷中のトラックのエンジンを掛けようとしても動かないというトラブルや、ゴミ収集車が突然作業中に止まるという事故を紹介しているが、止まった車が動かない事や、低速のゴミ収集車程度ならさほどの大事故にはならないかも知れない。2003年から100%のバイオ燃料を採用しているという岡山県玉野市の例では、潜伏期間は5-6年も経った事になる。これもおかしな話で、車検を受けていれば、フィルターのつまりは発見されたはずなのにと考えると腑に落ちない。環境に良いし、軽油引取税がかからない等、一石二鳥の上、100%使用の法的な制限もないという、バイオ燃料を何故使わないのかといったいけいけどんどんの政策の愚かしい一旦が見られる政治上の大チョンボである。それでも国土交通省はフィルターの定期点検などのまさに対処療法だけを示すガイドラインでしのごうとしている。これからは、私は周りの車が、環境にやさしい100%のバイオ燃料を使う事を追求する地球に優しいトラック会社の車でない事を願いながらハンドルを握らなければならない。
2009.02.21
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NHK大阪文化センターの17世紀美術の第6回目の講座があった。これで一応最終回であるが、次の半年も延長して聴講する事にしている。今回のフェルメールについての講義を聴きたかったのが一番最初にこの講座の聴講を決心したのである。連れ合いも姫もフェルメールについては特に思い入れがあるようだし、私も何故かつり込まれるように画集や解説本をあらかじめ読んだりしていたから、今日の講義は待ち遠しかった。フェルメールは現在のオランダ、デルフトに生まれ43歳という短い生涯をこの小さな田舎町で過ごしたという。彼自身はプロテスタントからカトリックに改宗したと言う事だが、当時改宗という事が画家にとってどういう事を意味するのかは、特別な解説はなかった。講師は、今の日本ではフェルメールは特に好まれているが、当時においてはフェルメールという画家は特に傑出した画家であったわけではなく、多くの画家の中の一人であり、特に祭り上げてみると言うほど気になる画家ではないとの講義の滑り出しであった。美術を講義する講師であるだけに醒めたその表現がまた新鮮なもののように感じられた。絵画に限らず、人それぞれが多様な好みを持ち、多様な発想と多様な印象を持つ事があるからこそ面白いのであって、誰でも画一された中に入れられる事が望ましいわけではないのは当たり前の事である。フェルメールは真作や真作でないものなど色々な議論があるようであるが、全点でも40作足らずしか現在は残っていないという希少価値もあって、人気が高い一つの原因かも知れない。フェルメール家はやがて破産し、彼の絵画もたいした評価を受ける事はなかったが、1860年代にフランスのトリビュルガーが再評価をしたのだそうだ。フェルメールの時代の絵画は風俗画が流行したという事で、市民生活の何気ない場面を捕らえた絵画が多く作られたようである。フェルメールと他の画家の違いは、カメラ・オブストラという、暗箱を使って、磨りガラスに対象を映し出すピンホールカメラの手法(広角画法)を用いた事だとの解説があった。この手法については、他の解説本で読んだ事がなかったので、ちょっと新鮮な驚きであった。当時の風俗画は、都会人が、羊飼いや農夫など、田舎の人を小馬鹿にする内容が多かったという事で、他の作者の数点が紹介された。今日のコメディドラマに様なブラウエルの「喫煙家達」、馬鹿馬鹿しい内容だが、カラヴァッジョ風の明暗は取り入れている田舎ものを小馬鹿にした「歯医者」などがその例としてあげられた。こういったように風俗画の原点は、同じ時代を共有して生きると言う事の楽しみを絵画として残した点にあるという。また、フェルメール達当時の画家も、カラヴァジオやレンブラントの時代から取り入れられた、光の技法をこれらの絵の中に取り入れる伝統的な手法を引き継いでいるのもまた見逃せない点である。またテル・ボルフの「手紙」などは油絵で描いたとは思えないドレスの質感が見事に描かれている。フェルメールの作品で最初に紹介されたのは、ゴヤの「マハとセスティーナ」に比較される「やり手婆」であった。この絵はフェルメールらしくはないとの解説であったが、娼婦→売春(風俗)への興味とともに、男の欲望が戒めの対象であるとの表現であるとの解釈も成り立つのだという。「牛乳を注ぐ女」では、田舎女のどっしりとした安定感で、日常の生活を映し出す中に、細かな静謐さとたくましさを表現している。フェルメールが好んで使ったウルトラマリンの青色の色彩がふんだんに使われている。ウルトラマリンは、当時金の価格よりも高かったと言うほどのラピスラズリを原料としているとの事であった。ゴッホが19世紀に感動したという「手紙を読む女」にもこの青は使われている。おそらく、旅(遠征)に出ている夫からの手紙を妊娠した妻が安心と喜びの表情で窓に向かって読んでいる様をとらえたものだ。「音楽のレッスン」では室内に男女が二人いる点や、女性が奏でるヴァージナルと、男性の楽器であるチェロに似たビオラダガンバが配されている事で、物語性はないものの、男女の関係を想像せずにはいられない作品である。「絵画芸術の寓意」では後ろ向きの絵描きが、フェルメール自身の自画像だという解説もあるが、定かではない。モデルは女神ミューズを現し、背景には古いネーデルランドの地図を掲げ、懐古的な画家の一面を表現している。フェルメール家が破産した後も、妻はこの絵を嘘をついてまで手放そうとはしなかったのは、このモデルが妻自身ではなかったかと推定されている故である。「士官と笑う娘」ではこの少女の屈託のない明るい笑いから、彼女が手に持つ酒瓶で男を歓待しているけれど、多くの解説者が解説するような、通常の男女の関係ではなく、例えば兄と妹であるとか、知人との語らいの一時かを想像させる。フェルメールの絵画には壁に地図が掛かっている事が多いが、この絵の地図は、男が兵士として遠征に行くという意味が込められているのであろう。「水差しを持つ女」では講師がプロジェクターで掲げた絵は窓が右手にある。通常のフェルメールに見られるように光が左から来るのではなく右から来ているのである。私は、一瞬この絵だけが何故右から光がと疑問に思った。連れ合いも疑問に思っていたらしく、帰って、他の解説本を調べ見ると、全て左に窓がある事から、スライドが反転していたものと思われる。窓辺にはおそらく花が置いてあり毎朝水を差す様を描いているのであろう。連れ合いも好きな絵の一つであった事もあり、どうも奇異に感じたようであった。「天文学者」では天球儀を見る学者の絵が描かれているが、画家が男を対象として描く場合は、自分とオーバーラップして描く事が多いとの事である。日本で人気の高い「真珠の耳飾りの少女」もウルトラマリンで描かれた青色のターバンを巻いている。私は、真珠もさることながら首に巻く白色のスカーフとの調和がすがすがしさを出していると思われた。このモデルに関する事やその他、全ての事情はあまり分かっていないようであるが、通常のフェルメールの作品から、全ての背景を削除した唯一の作品であるという事であった。「デルフトの眺め」は画家が住んでいたデルフトの町を川を挟んで彼岸に描くという事で、理想化して描き、大聖堂に光を当てて描く事で、神の恵みを理想化して絵画の中に織り込んでいる。この絵は生前からの評価も高かったが、死後の評価も高く、当時の価格は現在の貨幣で400万円であったというが、今なら一も二もなく皆が買いたがるであろうが当時ではどうだったのだろうか?最後に「デルフトの小路」が同時代のデ・ホーホの「デルフトの中庭」とともに紹介されたが、フェルメールとして、室内画でないのは、先の「デルフトの眺め」とこの「デルフトの小路」の2作だけである。私個人としては、風景画や、街角のちょっとした場面を描いたこの2作が他の作品よりも素直に心に入ってくる。フェルメールの絵画の魅力は、・一つの物語に固定しない点・説教臭さが無く現代人に受ける・そして勿論技術的なすばらしさがあげられる。絵画というのは、それぞれにそれぞれの感慨を呼び起こし、それぞれがそれぞれに心を豊かにすると言う意味でも素晴らしいものだと思う。後期の講義が楽しみである。
2009.02.20
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最近書店の店頭で脳に関する本を多く見かける。テレビなどでも良く出る脳学者の本などは溢れんばかりに書店を飾っている。脳内の事を知ってもどうなるものでもないという事からその人達の本は見た事がないが、脳の事を研究している脳科学者は何もその人達の専売特許ではない。たまたま、「脳研究の最前線」という上下2巻を手にし購入した。その中にはくだんの脳科学者の名前がなかったし、また何とかの壁という本を多く出版している人の名前もなかった。私のように全くの素人が脳の事を知ろうというのは購入した本からではとても分かるものではない。おそらくは、そんな専門家のやっている事を、面白おかしく解説したのが上記の著者達の解説本ではないかと想像するだけだ。世の中の事象で分かっている事はほんの一握りの事で、殆どの事は何も分かっていないのが現状ではないだろうか。まして、脳の働きなどというものは、今まで調べる術はなかったからなおさらの事である。DNAの二重らせん構造が、ヒトゲノムプロジェクトで解明されたのは8年前の事である。それ以来一時期はDNAに興味が沸きその後、ミームと呼ばれる文化的遺伝子についても興味を持った。奇しくも、今夜の外国映画「ボーンコレクター」で、親からの遺伝なんて信じない、親は文字が読めなかったが、私は今こうして大いなる能力を持っている、だから、親がどうであれ自分の人生は自分で切り開くべきだとの内容を悩める女性相棒に話している場面があった。その主役は、本当にそう思っているのか、その相棒を元気づけるために言っているのか分からないが、私は、「遺伝子と宿命」を読んだりしているうちにDNAによる影響からは逃れられないのではないかと感じるようになった。しかしながら、ダーウィニズムに傾倒する、リチャード・ドーキンスが唱える「ミーム」についてもなるほどと思って興味深く読んだ。私たちは遺伝子とその変異に環境とが加わって成り立っているというのである。DNAだけでもない、環境と言う事からも変わって来るというのだ。これがダーウィンのいう進化かも知れない。その点では、今夜の映画の台詞通りなのかも知れないとも思う。さて「脳研究の最前線」の下巻を読み始めた。アルツハイマー病が最初のテーマであった。アルツハイマー病はまた認知症と名前を変えたが、痴呆症という古い名前の方が実態に合っていると著者は述べられていた。1906年に5例の発症が報告されて以来の病気なのだそうだ。まだ100年ほどしか経たない、ずいぶん新しい病気なのだという事に驚いた。それというのもアルツハイマー病の最大の要因は加齢であるというからである。全世界の罹患者数は2000万人ほどだそうで、一番多い国はアメリカの500万人で、例のレーガン元大統領も自らをアルツハイマー病だと発表した事でも知られている。増加率の一番大きな国は、中国と、インドであり、これは人口も多く平均寿命が延びている事が原因なのだそうだ。日本もかつて、平均寿命が40歳程度であった時には、アルツハイマーの症例など無かったわけで、この意味でも飛躍的に寿命が延びた現在ではもっとも憂慮すべき病気ではないかと思う。65歳で約1割、85歳では5割、100歳以上では9割が発症するという。もうすぐ約1割罹病のゾーンに入る私などは、どうしたら防げるのか全く不安である。医薬品も出ているそうであるがあまりポピュラーではないし、「脳老化制御学」なるものが研究されているようであるが、これと言った決め手は今はないようである。アミロイドペプチド(Aβ)なる物質の蓄積が問題なのであるが、さてどうしたらこれを貯めないでおけるのだろうか?60~80年生きてきて、末節を自らの尊厳を壊すようなアルツハイマー病に改めて恐れを感じる。
2009.02.19
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中川昭一財務相が事もあろうか、G7の後、酔っぱらって呂律が回らないまま記者会見をした写真が全世界に流れた。それでも最初は続投をと麻生首相は言ったという。どっちもどっち、これが総理大臣であり、一国の国庫を預かる財務大臣であるから驚きである。自民党内にも良識派はいると見えて、やっと神妙に辞任に応じた(応じさせられた)ようである。しかし大臣は辞めても議員を辞めないという。北海道が出身地であるという事から、鈴木宗男氏と同じく郷里に帰れば大先生なのであろう。総理にしろ、中川氏にしろ国会議員の中に山のようにいる二世、三世議員の一人である。裏で何が行われているかは知らないけれど、こういった二世、三世にとっては国会議員というのは実に安定した職業だなと思う。一般企業であれ程の失態を演じた会社員(事業部長級か?)なら、即刻懲戒解雇か良くても出勤停止、降格ものである。ところが中川氏の場合は、きっとまた大臣に登用されるだろう。先頃の相撲界の大麻事件で、一旦降格した親方が、2回目の大麻事件では復帰したようなものである。人の噂も七十五日というが、日本では2ヶ月半もじっとしていれば、まず以前にあった事など忘れてしまう特技がある。中国との外交交渉で、日本が、「過去の事を水に流しましょう」と言ったら、中国側は、「中国にはそれほど大量な水はありません」とか言われたと記憶する。とにかく日本は、「まぁ、まぁ」でやってきているから、おそらくこんな事は末節の事で終わってしまうのであろう。今まさに国家の予算を決めなければならない時に、その担当大臣がまさかの醜態である。酒を飲めば人は変わるケースが多い、それもこの方は何度もそのような醜態をしでかしているのにまだ懲りないわけである。大臣失格はもとより、国会議員失格であり、ひいては人間失格の面もある。この後、麻生首相は、サハリンに出向き傀儡であるメドベージェフロシア大統領と北方領土の件について話し合ったらしいが、「新しい型にはまらない」解決方法を見つけなければと言っている。その後に、「向こうは2島、こっちは4島」と言っていては事態が進まないとも言っている。では3島だけ返して貰って自分の成果にしようとしているのか、とんでもない話である。そも絶対的権力を持つプーチンは、全く北方領土の返還など頭にないわけだから、今回の麻生総理のサハリン訪問は、サハリン=南樺太がロシアの領土である事にお墨付きを与えた事で、そのために利用されたピエロでしかないという事になる。北海道出身の中川昭一前財務相は奇しくも、北方領土問題に対しては、「北海道の政治家として、絶対に譲れない一線。領土というのは2島と言ってしまった瞬間に、2島以上のものは返ってこない」と断言して当時の外務大臣であった麻生太郎が唱えた「北方領土・面積二等分論」を激しく批判していた。今回は盟友とも唱われた、その麻生首相により解任された形になる。麻生首相が3島と言い出した時に、中川氏はどう対応するのだろうか?魑魅魍魎と言われる政治の世界、明日誰が何を起こすかは分からないが、今回の飲酒で呂律の回らない事態は、なるようにして成った結果でもある。そんな萌芽は、あちらこちらに見えるのだが、我々国民は何故かそう言った負の面には鷹揚で、目をつぶる傾向にあるのは情けないし、国家を為す国民として恥と感じなければならない。
2009.02.18
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NHK大阪文化センターの表記講座も5回目となった。講師が若く面白い内容なので、引き続き次の半年の講義も受ける事にして受講申し込みをした。今回の内容は「コーランとハディース」だった。前回の講義で少し残った預言者ムハンマドの生涯についての内容から講義は始まった。ムハンマドはメッカで、ハーシム家という名門に生まれるも決して裕福ではなく、父は生前になくなり、母も幼い時になくなるというあまり恵まれない境遇であったという。25歳の時に15歳も年上の裕福な未亡人と結婚する事で商人として生計は安定したのだそうだ。そして610年の40歳の頃に山で神の啓示を聴き、布教を開始する事になるが、その内容は、この世が終わる行程を語る終末論的なものであったらしい。(この世は仮の世界)そして、彼は現在でもムスリムの間で使われているヒジュラ暦の元年になる622年にメッカからメディナへ移住(これをヒジュラという)した。当時のメッカやメディナ近郊には、ムスリムだけではなく、多神教を信じるものや、ゾロアスター教、ユダヤ教などの多様な宗教の信者がモザイクのように点在する地域であったようだ。イスラム教の信者は共同体(ウンマ)を作り多宗教との間で、メディナ憲章と呼ばれる取り決めを行ったという。こうして聖地メッカとメディナの関係が出来上がった。私がサウジにいた時に、エジプト人の運転手が、地球から飛び立った宇宙飛行士が帰還する際に、滅び行く地球の中で、ただ2カ所光り輝く都市が見え、それがメッカと、メディナだと説明してくれた事を思い出した。コーランはクルアーンとも呼ばれ預言者ムハンマドに下された神の言葉(啓示)そのものであり、全部で114章からなる法源であるという。翻訳されたもので伝えるのではなく、読誦する事が必要なのであるというものらしい。講義で、まだ年端もいかぬかわいい少年が朗々とコーランを読誦するのをDVDで聴き、意味が分からないまでもその滑るような響きに感動を覚えた。こういった、読誦大会なるものが現在もあるらしい。キリスト教もそうだが、仏教において法を唱えるのは僧侶しかいない事を考えると、イスラム教が如何に信者に浸透しているかを伺い知れる。ムハマドは文盲であったと言われていて、ムスリムではその方が良いのだとされているのだそうだ。それは、なまじ字が読めると、他の邪悪な宗教を見て、それを勝手に解釈して流布するなどのよからぬ事を行うからだという。文盲であるムハンマドがコーランを伝えているのだから、それはねつ造されたものではなく、神の言葉そのものであるという証だというのだ。9世紀前半に確立されたとする、スンニ派の法体系としては、1)コーラン2)ハディース3)イジュマー(合意)4)キヤース(類推)から成っている。1)コーランは神の言葉そのもの。2)ハディースはムハンマドの言行録。3)イマージュは多くの人が合意した内容であり、少なくとも大勢が誤った点で合意する事はないであろうという性善説に依っているらしい。4)キヤースは類推であり、表現される事象を明示する直喩と、明示せずに別の意味にとれる表現に置き換える隠喩(メタファー)とからなる。コーランは人間生活の全ての問題に対する解決を与えてくれると言われているが、細かな事までも114章のコーランで書き尽くすことができるわけではないので、各種の解釈など2)から4)で補う形になっているという。コーランは最初はらくだの肩胛骨に書かれたり、羊皮紙に書かれたりしていたが、今や紙に書かれ本として出版されるばかりではなく、CDなどITのメディアにもなっているという。日本の詩吟のように、人によっては、色々な節回しがあり、同じコーランを唱えるのでも、1時間から果ては10時間も掛けて朗々と唱えるものまで千差万別であるようだ。以下に「開扉」と呼ばれるコーランの第1章(七節)を筒井俊彦氏の訳文から転載する。これにはコーランの全てが詰まっていて、礼拝時には必ず唱える事になっているらしい。慈悲深く慈悲あまねきアッラーの御名において、1.讃えあれ、アッラー、万世の主2.慈悲深く慈悲あまねき御神、3.審きの日(最後の審判の日)の主催者。4.汝こそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。5.願わくば我らを導いて正しき道を辿らしたまえ、6.汝のお怒りを蒙る人々や、踏み迷う人々の道ではなく、7.汝の嘉し給う人々の道を歩まし給え。これ以下は、私がサウジにいた時スーダン人でムスリムの運転手から口伝てで聴いた(まさにコーランの真髄)第一章である(本当かどうかは?)コロアーン(コーラン):一節ビスミィンラー・アラッハマーン・アラッヒームァッハンドレラ・ァッラップアラッミーン・アラッヒマーン・アラッヒームアーリキヨミティーン・ヤーカナアベドゥン・ヤーカナスタインエンディーナ・ァッサラート・アムスターティムサラートレジーナ・アナアムターリヒム・ワァィリーマクトビ・アレーヒムワラバァーリン・アーミンサダッカァラー・アラッアディーム
2009.02.17
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鳥取の砂丘を見るのと、粟倉温泉で温泉に入るというバス旅行に出かけた。これにはいわれがあって、連れ合いと私が時折通う近くのスーパー銭湯での企画に、この旅行が当たる応募用紙があり、それに何回か書いて出していたものが当たったというのである。最初は連れ合いのだけが当たっていて、同伴者は、一人前の参加費用が必要だという事だった。それでも行こうかと決めていた矢先、どうやら、二人とも当たったという知らせが来た。これには少し複雑ないきさつがあったようだが、連れ合いの工作で二人分の参加チケットが手に入ったわけだ。全く無料で二人とも参加できるというラッキーな事態になったわけである。その代わり朝が早く、6時前の電車に乗って梅田の待ち合わせ場所まで行かなければならない。少し早めかと思ったが、着いた頃には、あちこちから同じくどこか他で当選したであろう人たちが参集していた。矢張り女性の年配客が多い。そんな中一組だけ若いカップルがいたのと、一人で参加している男性も見かけた。大型バス一台で、最初に連れて行かれたところは、オパールを加工する工場兼直販所であった。何の前触れもなしに朝から唐突に宝石工場に連れて行かれても、ただただ時間を過ごすだけである。オパールにはいろいろ種類があり、オーストラリアの限定した場所でしか採れない事や、黒オパールの貴重さが分かった事など勉強になった。その後、中国自動車道を佐用ICで降りて、国道373号線を北上した。宮本武蔵の郷大原を過ぎ、あわくらんどで休憩をして、智頭町から最後は国道53号線と合流して、鳥取砂丘に着いた。砂丘近くの食堂で、例によって、これがメインだがそそくさと蟹づくしの昼食を食べて砂丘の入り口に足を運んだ。空は終始どんよりとしていた上に、砂丘では風が強く、立っているのも苦しい位だった。記念の写真を1-2枚撮るのが精一杯と言う位その時は激しく風が吹いていた。適当にお土産品を買って、帰途についた。帰りは同じ道を通り、西粟倉村で「粟倉温泉」に立ち寄り、1時間ほどの入浴を楽しんだ。露天風呂に入っていると、雪がこの時とばかり降り注ぎ、山は雪化粧をして、湯船に舞い落ちる白い粉は吸い込まれるように水面上で消えていった。雪景色を見ながらの温泉浴は殆ど経験した事がなかったので、しばしその贅沢さを満喫した。バスの出発時間が気になるので、日頃ゆっくり入浴する私もそそくさと上がり連れ合い待ったが、なかなか出てこず、最後頃にひょっこりと出てきて、日頃とは逆に長湯をした様だった。その後は、帰途につき、中国自動車道の赤坂SAで最後のトイレ休憩の後に、ひたすら大阪へと帰途についた。帰りのバスでは、大型テレビの付いた画面が出され。既に観た映画ではあったが、「釣りバカ日誌」を見ながらの車中は飽きさせないものだった。兎にも角にもカニ昼食と温泉つきバス旅行を、無料で出来た事に、ラッキー!だった。
2009.02.16
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毎年恒例の関西学院大のグリーを聴きに兵庫県立文化センターに行った。連れ合いは、咳が出るのでどうしようかと迷っていたが、あまり咳が出るようであれば会場の外で聴く予定で、とにかく一緒に出かけた。演奏会は私の友人の一人で、高校時代はバスケットボール部に所属していたが、大学では、関学のバスケットボールでやっていけない事もあり、元々好きな合唱を選んだ友人が出演する。関学のグリーと言えば、伝統のある男声合唱で、我々が学生での当時でも全国的に有名な合唱団であった。そこで一から始めた合唱だからなかなか厳しかった事だと想像する。元々バスケットボールで鍛えていたので、心臓や肺機能は十分だったのかも知れない。彼は、最初からベースを担当していた。学生の頃だったか、最初に演奏会を聴きに行った時には、合唱をよく知らないので、メロディーを唱わず、ただ、「ボン、ボン」と言いながら声を出しているのを見て、何とつまらないなぁと思った事がある。連れ合いも大学では混声合唱をやっていた事もあり、段々と合唱の良さが分かってきたものの、自分としては全体の中にとけ込み唱う事にはあまり魅力を感じない。彼が卒業後も何十年と合唱を続けて、今まで関学OBの「新月会」に入って唱い続けている事にまずは敬意を払いたい。演奏の組曲「月光とピエロ」などは、迫力のある音が館内に響き渡った。「身過ぎ世過ぎの是非もなく、おどけたれども我がピエロ」の所では何故か体が揺すられる感じだ。現役世代はどうやら50人足らずだが、過去に比べて人数が増えているようで頼もしかった。合同のステージでは130人余の歌声が統制されて館内に響き渡り、男声合唱ならではの迫力を感じた。彼は、このほかにも地域の合唱団のリーダーをやり、教会の合唱団でも指導的立場でがんばっている。それらの練習をこなすために、なかなか自由な時間がとれないので、親しく話をする機会が少なくなった。奥さんも合唱をされているので、地域の合唱や、教会の合唱にはともに出演されるという。そのことが幸か不幸か、奥さんとは殆どが同一行動しているようである。演奏題目はなかなか素晴らしかったが、あっという間に終演の時間となってしまった。会場から出て恒例の現役の場外合唱を聴きながら待っていると、いつも聴きに来ている(来させられている?)同じく高校時代の友人夫妻がいた。本人はしばらくして着替えて奥さんと一緒に出てきたので、演奏の素晴らしかった事をたたえて、会場を後にした。
2009.02.15
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高校時代にバスケットボール部で一緒に過ごした友人が奥さんとともに訪問してくれた。まじめな性格で比較的口の重い彼は、奥さんの要望もあってか転居を11回もしたという。高校時代にバスケットを始めたときは、体の硬いぎこちないプレーだったが、持ち前の真面目さと、練習熱心さでめきめき腕を上げていたのを覚えている。今の日本では、1に野球、2にサッカーとバスケットボールの入り込む余地がないくらいにマイナーなスポーツになっているが、当時というか、高校時代にはなかなかの花形スポーツであったように記憶している。当時の大阪府下の高校数は100校を切っていたと思うが、その府の大会でベスト4に2回もなったのだから、まあ良き思い出である。彼の奥さんも同じ高校でバスケットボールをしていた後輩に当たる。我々が卒業してからの時代であるから、高校時代にはあまり知らなかったと言うことで、卒業後にクラブの同窓会で出あったのがそもそものきっかけだと述懐していた。私も大学を出るまでは幸運にも自宅から通うことが出来たので、大阪にいたが、転勤などで、思い起こせば会社の両時代を含めると8-9回は転居している。今回大阪に帰ってくることで、彼の住居とは淀川を挟んで目と鼻の先になって、何日か前に彼の家を訪問したのが再び会うきっかけであった。それ以前にも高校時代のバスケットボールの同窓会で一緒に飲んだが、彼は今でも仕事をしているということで、其の後会う機会がなかった。車で走ると30分もかからないくらいでつく距離である。私のマンションは7階で、眺望は良いので、淀川の対岸を見ると、彼の近くの鉄塔が見えるほどの距離である。奥さんも、介護のアトラクション関係のお手伝いをされているとかで、まだまだなかなか忙しそうであった。結婚式以来何度か各地のお宅を訪問したことがあるが、私が単車で石川県時代のお宅におじゃましたときの私はあまり元気がなかったが、今は、大変元気そうで安心したと言ってくれた。仕事の重圧から解放されたこともさることながら、私の初恋の相手である、今の連れ合いと一緒に過ごす日々が安心と安穏に加えて、楽しみを与えられているせいであることを指摘された。全くその通りで、大阪で再びその友とこういう形で再会できるなどとは考えたこともなかったので不思議な縁を感じた。彼ら夫妻は結婚が早かったのでもう大きな孫がいるとのことであった。それもそのはずで、我々はもう60代半ばにさしかかっているのだという客観的な事実を改めて感じた。姫が彼の大学の後輩に当たると言うことも何かの縁であろうか?淀川の対岸で、直線距離にしたら歩くことも可能だと思われるが、何しろ淀川という大河がその間に流れているために大回りをしないと行けない地形にある。電車などの公共機関を利用するとすれば、彼の方は京阪電車で、一旦高槻まで出て、阪急電車かJRでやってくるという、極めて非効率な位置関係でもある。そんなことで、車でやって来たので、酒を飲むことは出来なかったが、懐かしい話をじっくりとすることが出来た。連れ合いは、のっけから、我々の初恋に水を差したのは、友人の言葉を馬鹿正直に伝えた私の一言にあるということを言い出して、一時ははらはらする場面かと思ったが、友人自身は全く覚えていないと言うことだった。そもそもその友人は、真面目を絵に描いたような男で、かつ一つ事を考えると何処までもその夢を追う様なところが未だにある、極めて希有な人材である。生産機械工学を修めたと言うだけあって、良くも悪くも真のエンジニアである。未だに英文の専門書を読み、その内容に感銘して、具現化できないかを真剣に考えると言ったことをやっているという。朝は、4時起きで、冷水をかぶり、犬の散歩をして、バスで6駅離れた最寄りの京阪電車の駅まで走って通勤すると言うことをやってのけているらしい。我々高校時代のバスケットボール部の仲間は6人だが、1人は早世し、1人は難病にかかり、また1人は今まさに闘病中という中で、残った3人ではあるがその中でも驚異的ながんばりを見せている。お互いに歳なのだからあまり無理をしないようにぼちぼちやろうということで、またの再会を約して、仲良く帰って行った。連れ合いの手配で、昼食と言うには十分すぎる食卓であったので、夕食時が来てもお腹が一杯で食べられそうになかった。連れ合いは、昨日雨で、中断していたこともあってか、「歩きましょう!」といいだし、昨日の春一番の名残がある淀川の堤を回るコースを話ながら1周して帰ってきた。帰ってから、彼女は昼あまり食べなかったと言って夕食を採っていたが、私は、たらふく食べたせいか、ウォーキングしたにもかかわらず夕食は抜きでも十分だった。寝る前にテレビを見ていると、なぜかすべてのディジタル画面がブラックアウトしてしまう。アナログ放送は受信しているのだが、ディジタル画面は全く反応がないのである。そのせいもあってか、早めに床についたが、何とも不可思議なことである。まだそれほど古くはないテレビなのにまた電気屋のお世話にならなければならないのかとうんざりする。連れ合いも、このところの咳風邪が治らず、かわいそうなくらいに咳き込むので心配である。今日はなにやら悲喜こもごもの一日だったような気がする。
2009.02.14
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アメリカとロシアがまた衝突した!と危惧したら、それは人工衛星の衝突だった。でもこれを読んで宇宙がより危険な状態である事を改めて思い知らされた。なんらかの意味がある活動を行うことなく地球の衛星軌道上を周回している人工物体のことを宇宙ゴミ(スペースデブリ)と呼ぶようだ。今回は旧ソ連製で、使われなくなって且つ制御不能になった人工衛星とアメリカの大型通信衛星との衝突らしい。ウィキペディアでは:「旧ソ連がスプートニク1号を打ち上げて以来、世界各国で4,000回を超える打ち上げが行われ、その数倍にも及ぶデブリが発生してきた。多くは大気圏へ再突入し燃え尽きたが、現在もなお4,500トンを越えるものが残されている。」と言う事である。産経新聞でも:宇宙ゴミの脅威は年々増している。約半世紀に及ぶ宇宙開発で、これまでに約6000基の衛星が打ち上げられており、地球の周りには1万3000個もの人工物が飛び交っているという。寿命が尽きた廃衛星やロケット最終段の残骸(ざんがい)などである。直径数センチのゴミを含めるとケタ違いの数量になるはずだ。と書かれている。宇宙ゴミ(スペースデブリ)には今回のように事故・故障により制御不能となった人工衛星や人工衛星などを打ち上げるために使われたロケット本体、切り離された部品や破片はもとより、デブリ同士の衝突で生まれた微細デブリ、更には宇宙飛行士が落とした「手袋・工具・部品」なども含まれるという。このほかに天然岩石や鉱物・金属などで構成された宇宙塵(微小な隕石)はが有り、これら隕石はデブリとは言わないと言うからさらに衝突の危険度は高まる。このように宇宙空間に野放図にばらまかれた宇宙ゴミや宇宙塵の中に有人の衛星が打ち上げられるわけである。近々、若田光一さんが、ディスカバリーで宇宙での医学実験に挑戦に出かけるという。宇宙飛行士と言えば、華々しく、ヒーロー(ヒロインもいる)であるが、こんなゴミが一杯の暗闇に出ていくのかと思うと、それほど華々しい事だとも言っていられない気がする。1万3000個もの人工物が飛び交っていてもそれらがある一定の制御の下に行動しているのならまだましであるが、地球上でも信じられないけれど、高速道路を逆走する車があったり、高速道路の軌道上に、トラックの積載物が散乱している中を走るようなものではないのかと思ってしまう。広大な宇宙空間で衛星と衛星との衝突事故はきわめて珍しいと言う事で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)でも初耳と言っているようだが、宇宙ゴミが他の人工衛星などにぶつかって起きる二次災害は既に何件か起こっているようである。というよりは、むしろ、現在、微小デブリとの衝突はきわめて日常的な出来事になっているらしい。直ちに大事故に繋がるほどのものは少ないにしても、最初に宇宙を飛んだガガーリンの時代よりも、宇宙交通事故の確率は格段に増えているのが現状であろう。中には人工衛星の動力源に原子炉を搭載したものもあるようで、これらが衝突して放射能を宇宙全体にぶちまけたらどうなるのかを考えると空恐ろしい気持ちになる。この宇宙ゴミに関しては、数がいくらあるのかとか、人工衛星がこれらと衝突しても小さいものであれば耐える強度を備えるなどの施策は取られているようであるが、根本的に、ゴミを出さないとか、ゴミを回収するとかの計画は今のところ無いようである。低軌道でのゴミと衝突する時のスピードは平均して毎秒十数キロメートルと言うから、これはもう気がついてからは遅いわけで、宝くじではないが、宇宙飛行士は、むしろ確率は低いが当たらないように願って出て行くしかないわけである。改めて、宇宙飛行士のミッションの危険さを感じる記事であった。
2009.02.13
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高校時代のバスケットボール部の先輩が主宰する「歩こう会」に初めて参加させて貰った。最近一緒に歩く事が多くなった連れ合いと一緒に参加した。ゴルフ以外ではこれと言って体を動かす事が無くなった今となっては、歩く事が唯一の運動である事、また歩くという事が案外疲れるものである事をようやく知る身になった。1月のゴルフコンペの日に「歩こう会」の案内を貰って帰り、早速に参加させて貰ったわけだ。この「歩こう会」にはゴルフのコンペにも参加されている方や、歩く事にだけ参加されている方がおられる。阪急の河原町駅に集合し、鴨川の河川敷をそぞろ歩きしながら、京都大学内に新しくできた「ラ・トゥール」というレストランで昼食するというコースだった。私自身は医者からの薦めもあり、歩く事を意識しだして、このところ毎日のように歩き回っている。この10日間では一日あたり1万歩は歩いている。4日前の山のトレッキングや、昨日の高槻までのウォーキングでは連れ合いも付き合ってくれた。このところ多少曇ったり小雨が降る日はあったものの、今日は良く晴れてすがすがしい気分だった。四条の橋のたもとから鴨川の河原に降りた。河原では、家族連れや、子供達、犬を散歩させる人たちで、結構賑わっていた。昼前の陽光に一人黙々と歩く人、お互いに会話する人が入れ替わりながら川を上っていった。話し込みながら歩き、振り返るとあれが三条かと思う橋は既に二条大橋だった。河原で少し休憩を取って、再び歩き始め、丸太町を越えて、荒神橋で鴨川を東へ渡った。すぐに近衛通りを通り、京都大学界隈に入り込んだ。私は京都大学に来た事はなかったので、良くは知らなかったが、私が通った大学とは違って、大変環境の良いのに感心した。高校時代にもう少し勉強をしていれば、ここに来たかも知れないと思い、遠い昔を少しだけ振り返った。医学部を通り過ぎ、東大路通りに出て左折した。右側の一角には大学の吉田寮が、昔の古い建物のままで残っているのを一緒に歩いている人が懐かしそうに見ていた。学生寮の近くには「橋下を倒せ 全学連」という看板が立っていた。昔学生運動が盛んだった頃に比べると、その看板は字体などは昔のようであったが、ずいぶんと小さく、遠慮がちに見えた。その一角を過ぎて右に曲がると、正面に吉田神社の赤い鳥居が見える。鳥居の向こうは吉田山で、大文字の「大」の字がくっきりと見えた。一時憧れて唱った三高寮歌「月こそ掛かれ吉田山・・」である。先輩は、学生時代にこの山には何度か登ったと話していた。京都大学会館は、吉田神社に行くまでの左側にあった。時計台も新しく作り直したようだ。その会館の一角のレストランで、フランス料理を頂いた。トレーナーにウォーキングシューズではフランス料理も感じは出なかったが、少しのアルコールが、皆さんの口を軽くさせ、めいめいの出来事など披瀝しあって和気藹々と時間が過ぎた。私のテーブルの一角では、空き巣の話が出て、ちょうど京都府警に勤めておられた方の空き巣プロの手口などについて話が咲いた。そこからは、東大路通りから百万遍に出て、御所に向かう事になった。食事中の会話で、梅の話になり、梅が見られるところと言う事で、北野天満宮の話が出たものの、さすがに遠すぎるという事で、連れ合いの提案で、御所の梅林に落ち着いた。今出川通りを通り高野川と加茂川が合流して鴨川になる出町柳をとことこと歩くと、右側に同志社の一角が見え、その左側には御所の外苑が見えた。御所はとてつもなく広い、南北の中央付近に建礼門があり、まだつぼみの桃林の向こう側に赤や白の梅林がかすかに見えた。しばし休憩の後、記念撮影をして、そこで解散する事になった。私と連れ合いは、そこからさらに下って、丸太町、小池と通過し、錦市場で巻き寿司用の海苔を買い、やがて朝出発した四条まで歩き着いた。この時点では疲れはあまり感じなかったが、帰宅後しばらくすると、体中が心地よい疲労感に襲われた。今日の歩こう会では、万歩計は初めて20000歩を少し越えていた。
2009.02.12
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麻生総理大臣の言う事がころころ変わる。サラリーマン川柳に次のようなのがあった。「子供らにまた教えてる総理の名」「投げ出すな!国とは違う学業は」である。何とも日本の総理大臣の軽くなった事かと思う。いやしくも一国の総理がと言うような言葉がもう聞かれないのははなはだ残念である。あー、また言っているというような事が、あちこちから聞こえてくるのに、当の本人は全く蛙の面に小便である。郵政民営化では衆院予算委で「私は郵政民営化担当大臣ではなかった」と発言したが、去年9月の自民党総裁選では「私が郵政民営化を担当した大臣」と発言して、両方とも忘れ貰っちゃあ困ると念を押している。 忘れているのは当の本人だけではないか?要するに郵政民営化に賛成なのか反対なのか自分でも良く分かっていないのではないか?それに対してご自身は小泉内閣で総務相を2期やって、1期目は間違いなく、郵政民営化を担当する所管の大臣であったが2期目は郵政民営化担当というのは外されて、単なる?郵政省所管の大臣でありましたとぬけぬけと答えている。「二つ分けてお話しにならないと」と訳の分からない答弁をしている。これを詭弁と言わずして何なのだろうか。 また郵政の民営化で国民の中に4分社化を知っている人は、ほとんどおられないというのが私の認識ですとまで言っている。これほど国民を馬鹿にした言い方も甚だしい。よしんばそのことを国民が知らないとしたなら、説明をすべきであって、国民に良く知らしめるべく説明もしないで、勝手に知る人ぞ知ると決めてしまったなら、国を挙げての詐欺ではないか?民主党の前原代表代行に「貴方はやるやる詐欺だ」とまで言われ、さすがに気色ばんではいたが、本当のところを突かれていることを自分自身でも納得しているのか、それでもなお自分は正統な事を言っているのかさえも分からなくなっているのか、それさえも国民には分からない。(無茶苦茶だ!)自分自身が答弁で読んだように迷走(まいそう)してしまっているのだ。あれだけ優秀な人材が集まった、選良達が、誰一人「貴方は実は裸なのですよ」といえないのだろうか?内閣支持率が14%にも下がったと言うが、まだ14%の人が支持している事に対して理解に苦しむ。過去に一桁台にまで低下してやっと辞めた先人がいるから当の本人はまだまだと思っているのかも知れない。「渡り」などでも最初は容認から追求されて少しその気になったように見せて、結局尻抜けになる方向だ。一国の総理が、選挙を経ないで、禅譲を続け、その間に前任者が言った事は、私の考えとは違うのだと平気で言う神経の図太さというか、稚拙さにはほとほとあきれる。解散権が、総理の専権事項だという事を盾に、政治を私しているようではなはだ迷惑である。お笑い番組ではないのだから、今度は何を言い出すのかという事だけに興味を持たれるような総理大臣は矢張り困る。テレビで、お祖父さんはバカヤロー解散だったが、孫は馬鹿野郎の解散だと言う事を言っている人いたが、その解散すら出来ない真の馬鹿野郎にならないで欲しい。誰も裸を裸といえない自民党の先生方は、軽い御輿ほど担ぎやすいのだろうか?
2009.02.11
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キヤノンの工場建設を巡って大分市にあるコンサルタント会社「大光」グループの脱税事件で社長の大賀規久容疑者達が逮捕された。この事件は「キヤノン」の関連施設工事を受注した大手ゼネコン鹿島からの裏金が大阪市のコンサルタント会社「浪速コンサルタント」に流れ、社長難波英雄容疑者達5人が逮捕され、その金が「大光」社長の大賀規久容疑者に渡ったという構図らしい。大賀規久容疑者は逮捕前には「鹿島からは表からしか金をもらったことはない。裏金はない」と語り「浪速コンサルタント」社長、難波英雄容疑者が鹿島や九電工とダイレクトで裏金をもらったのではないか」と語っていたという。ここまでなら良くある話であるが、ここに出てくる会社の名前がすごい。鹿島建設と言えば、日本を作り出すかと言われる超大企業であり、キャノンは、経団連の会長を出したこれも日本を代表する会社である。この「大光」グループの社長、大賀規久容疑者の兄と経団連会長の御手洗氏は同級生であるという。地方に行けばこのような関係は何処にでもあるように思われるが、虎の威を借る狐のように、大賀容疑者は、鹿島がこの工事を受注するようにキャノンに働きかけたという。そのときおそらくは御手洗会長と親しいという事を武器にしたのであろう。財界のトップを務める名前を出されて影響力がないわけはない。事は大賀容疑者の思うがままに進んだのであろう。問題は、そんな大賀容疑者を大分に帰った御手洗氏が手足のように使っていたという事である。勿論御手洗氏は、キャノンも、自身も関係はないと言っているが、それはこの時点ではその通りかも知れない。よしんば御手洗会長は直接関係ないとしても、その取り巻きが、御手洗会長にこのことを告げなかったのか、また告げていて知っていたのではないかという事が大問題である。会社のコンプライアンスが叫ばれてから久しい。日本の企業の総本山で、かつては財界天皇の座と言われた経団連のトップが、名前(現段階で)を使われている事を知る事ともできなかったのか?キャノンという会社のコンプライアンスというのはその程度のものなのかが問題である。日本の各社はこの不況期に、派遣切りや従業員削減に冷徹なまでに大なたを振るっている。この総指揮を執っているのが経団連である。しかも会長の御手洗氏の出身会社のキャノンは11000人の人員削減を率先して行っている。「裏金などの所得計約九億七千六百万円を隠し、法人税計約二億九千二百万円を免れた疑い。」と言う内容らしいが、事態はもっと大きな予感がする。働く場所はおろか、寝る場所にも困るほどの切り捨てにあった労働者達にとっては、いったい何処の世界の事だろうと思うだろう。渡りで何億もの金を貰い優秀な人材は必要とされるとうそぶく官僚。そのシステムを根本から変えられない政治家と金の掛かる政治。そして今回の財界の頂点をも巻き込む不祥事。日本の政、官、財三つ巴で自浄できないのだから、この国がどんどん世界から置き去りにされ、どれを取っても三流国になってしまいそうである。LD(学習障害:Learning Disorders)と言う言葉があるが、Disorderには無秩序, 混乱, 混雑, 乱脈と言う意味もある。詐欺や脱税をする人間は、どこかLDに似たところがあるのではないか、人間として真に学ばなければならない事を学び得られなかった結果ではないかと憂うる。自分の利益だけを考え、他を思いやる気持ちのない、乱脈、混沌の世界になってきたようで情けない気がする。
2009.02.10
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二日ほど前に日経新聞に次のような見出しの記事が小さく出ていた。「豪に熱波 最高47度に 死者十人に」オーストラリアの南東部ニューサウスウェールズ州がアフリカのサハラ砂漠を越え、世界でもっとも暑い場所になると言う記事だ年明けから南部で発生した「百年に一度」の熱波がシドニーまで及んだという。ここでも百年に一度という言葉が使われていた。大概の人は百年も生きたわけではないから、そんなきっかりとした周期で起こるわけではないと思うが、世界金融危機も百年に一度と言っているから、「未曽有」に変わる枕詞で使っているのだろう。それにしても大変な事が南半球で起こっている。異常気象によるものか、また放火という説もあるらしいが、山火事が発生して、まさに燎原の火のごとくあたりを炎が飲み尽くしているという。日を追う毎というか、時間を追う毎に死者の数は増え続けている。最初目にした記事では死者14人で40人を超える恐れがあるとオーストラリア当局は発表していたようだが、それが今日のBBCでは170人と死者の数が増している。テレビでも放映されているが、ものすごい勢いの炎に対して、消防士のあまりに細く貧弱な放水が映し出されたのを見て、人間というのは何と無力なものかという事を見せつけられた感じがした。逃げるために車で移動している最中に炎に飲み込まれて車ごと焼かれた人も多数いたようである。それでもまだ鎮火の目処は立っていないのか、いったい何処まで被害が広がるのか自然を相手の事だけに気がかりである。これが放火なら大量殺人だとオーストラリアの首相は言っているが、それが本当なら、まさに狂気の殺人である。新聞記事の最後には、北部のケアンズではサイクロンによる洪水被害が広がっていると皮肉な現象を伝えていた。少しずれていれば、鎮火に役立つものをと考えるのは単なる素人考えである。日本でもよく起こる、フェーン現象のための熱波でもあるらしいがハッキリしない。同じ、二日前の新聞記事には「中国 干ばつ深刻化」とあり、中国各地で干ばつが発生して小麦の生産に大きな打撃を与えているという。世界の各地で、全く違う現象がごく普通のように起こっているのだ。5年前の新聞記事には「今年の世界の異常気象」というのがあったが、それには「猛暑や豪雨、100年後には普通?」とあった。何でも百年と言っておけば、ごまかせると思っているのか、百年を待たず、もう地球のあちこちで異常気象は起こっているのである。このように異常気象は、毎年起こっている。日本でもっとも心配されるのが地震である。しかしこれら自然界の現象は、予知すらままならず、よしんば予知できたとして人間にいったい何が出来るというのだろうかと無力感に襲われる。地球環境の保全に世界各国は腐心しているが、これらの現象が、地球温暖化とどのように関係しているのか皆目見当も付かない。浅間山の噴火などは、日本の一般の市民が知る事の出来る一つのサインかも知れない。人知の及ばぬ天変地異が、毎年世界のどこかで起こっている事を考えると、この先地球という惑星がどのようになっていくのだろうかと案じられる。何はともあれ、オーストラリアの大火が早く鎮火して欲しいものだ。
2009.02.09
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昨日少し歩こうと思い何の気はなしに近くの水無瀬の滝までぶらぶらと出かけた。そこはちょうど名神高速道路が間近を通り、忘れ去られたような所になっている。名神高速道路はここから先、昔は渋滞で悪名が高かった天王山トンネルにはいる。天王山トンネルは、完全に上下線が分かれていて、水無瀬側から交差する下り線は、高架道路の下をくぐり、上り線は、水無瀬の滝へは高架下、それをくぐらずに大阪方面の坂を登ると上り線をまたぐ跨線橋があるという、ちょっと複雑な地形になっている。なにやら標識もなくその坂道を登っていくまでが昨日のぶらっと散歩の領域だった。日が暮れかかる事もあって昨日はその山道を登る事を止めて帰ったが、今日は連れ合いを誘って、山道にはいる事にした。その山道は、人が二人並んで通るにはちょっと狭すぎる周り全体が竹林であった。今日は好都合に良く晴れていたので、竹の林から漏れる太陽の光がひんやりとした空気を少し和らげてくれた。私は勿論、連れ合いもこの道が何処に続くかは知らずに登っている。急な坂に差し掛かっても、その道はずっと続いている。想定するコースの先は、柳谷観音の楊谷寺か、天王山、または長岡京市に至るであろうと期待しながら歩いた。竹林なのに、その小径には広葉樹の葉が枯れて一面に敷かれている。ややもすると坂道ではその葉のために足を滑らせそうになる。また明確に山頂という感じの所もなく、尾根を歩くかと思えばまた少し登るというような感じが続いた。あまりに何の案内板もない事に多少不安はあったところ、小さな字で元来た方を指して「水無瀬の滝」と矢印つきで書いてあるのを見てやっとほっとした。連れ合いも私も、簡単なウォーキングスタイルだが、冬とは思えない暖かな陽光と、山道を歩くために体がぽかぽかして、少し汗ばむ位だった。そうこうして、どうやら峠を越えて下りに差し掛かる頃に、向こうから歩いて登ってくるグループに出会った。その人達は山崎方面を経て天王山から登ってきたと言い、この道が、地図でも紹介されている遊歩道である事が初めて分かった。そのことで勢いづいていると、何人かのグループと出会い、またバトミントン部だと名乗る高校生が、ランニングで登ってくるのに出会った。そのあたりで初めて標識らしいものがたてられていて、左は柳谷観音、右は、天王山から山崎、真っ直ぐ降りていくと小倉神社とあった。我々は、小倉神社方面を下っていった。登り道の何の変哲もない林道まがいの道に比べ、かなり整備された、トレッキングコースである事が分かった。しかし先ほどの若者達はここを元気よく駆け上るものだと驚くような急な階段もあった。さらに驚いた事に、高そうなマウンテンバイクであったが、この急な坂道を自転車で登っている人もいてそれぞれたいしたものだと感心した。登りに比べて下りは返って膝に負担が掛かるし落ち葉を踏んで滑る事も考えられるので我々は慎重にゆっくりと下っていった。道幅が急に広くなだらかになった頃やっと小倉神社に到着した。山崎から山裾を回り込んだ所にある、この神社には初めて来たが、ここには、山歩きのコース地図が大きく書かれた看板が立っていた。知らない道を踏破したという満足感が少々の疲れを吹き飛ばした。それから先は、姫に迎えに来て貰って、車で帰る事になったが、昼食を食べユニクロで買い物をして、さわやかな日曜日を過ごす事が出来た。ちなみに山道ではあったが、万歩計は15000歩弱を指していた。
2009.02.08
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姫の友人が面白いと言っていたのを漏れ聞いて読んでみた。著者は永田和宏氏である。門外漢の私などには全くちんぷんかんぷんの内容ではあるが、読んだ証にと、目に付いた事を書いてみようと思った。この本を正しく理解するには知識がつたなすぎるが、思いつくままにただ、書いてみる。人体の60-70%は水から出来ているという事は、他の本からも見知っていた。汗かきの私などは、70-80%以上が水ではないかと思うほどだ。そして、固形物のタンパク質は約20%であるという。では残りの10%は何から出来ているのかと、算数上は考えてしまうが、そのことには触れていない。タンパク質には20種類のアミノ酸があるという。どれもこれも単独の名前は聞いた事があるがそれがどう繋がっているのかまでは考えた事がない。人体は約60兆個の細胞から出来ているという。そして直径約10-20ミクロンの核を中心にしたその細胞の中には、細胞1個中に100-2000のミトコンドリアなど物質を含む複雑な構造を為しているというのだ。元々タンパク質はアミノ酸が一列に繋がったものらしい。そのタンパク質たるや、80億個もあるというのだから驚きである。人体(生体)は階層構造を持って構成されている。すなわち、個体(人体)-器官(心臓など)-組織(神経組織など)-細胞(筋肉細胞など)-オルガネラ(ミトコンドリアなど)-分子(タンパク質など)である。細胞の条件は、1.膜で囲まれた独立存在2.自分の情報を元に自分のコピーを作れる(自己再生能)だという。またヒトゲノムの解読が成功したDNAはタンパク質の情報を記録したテープであるという。この二重らせん構造理論は、かのダーウィンの進化論やアインシュタインの特殊相対性理論にも比肩するほどの偉業だという。先ほどの、タンパク質はアミノ酸が繋がったものだと言う事だが、これをペプチドと言うらしい。しかし、繋がっただけでは単なるヒモでしか無く、タンパク質としての様々な機能を持つためには、ポリペプチドが織り込まれ(フォールディングという)三次元の構造を作る必要があるというのだ。ここで、新しい言葉「分子シャペロン」が出てきた。分子シャペロンとは、「未熟な状態のタンパク質に一時的に結合し、成熟するのを介添えする世話役タンパク質」と言う意味で、シャペロンの元々の意味は「社交界にデビューする若い女性が立派なレディーになるように介添え後見役をする婦人」と言う事から来ているらしい。 あのルノワール作の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に描かれた中央の二人の内、レディー(子供?)の後ろに描かれているのがシャペロンおばさんということだ。タンパク質を形成する上で、高温に曝されたり、外から変なストレスが掛かったりするのを防御したりして、タンパク質の形成を正しく導く役目がどうやら分子シャペロンとかストレスシャペロンという物質(これもタンパク質)らしい。分子の段階でもこのような葛藤があるのには驚いた。コラーゲンという言葉を良く聞く。歳をとった顔などのしわを伸ばすために入れるというあのコラーゲンだ。このコラーゲンはタンパク質の中でも最も多く存在するものでその約1/3を占めているらしい。このコラーゲンにはたくさんの種類があるらしく、細胞間を埋めるもの、また上皮細胞を正しく配行させるものなどいろいろだ。しかしこれをサプリメントとして吸収する事は出来ないらしく、直接注入する以外には方法がないと書かれている。テレビのコマーシャルもそう言う目で見た事はなかったけれど・・・。不老長寿は、人類の見果てぬ夢であり、洋の東西を問わず追い求めてきたものである。しかし若いままで生きながらえるのならば楽しい事も多いかも知れないが、老いてしまってただ生きていると言うだけになれば問題は違ってくる。障害などに苦しみながらただ生きている事は苦痛になり、死を望んだり、たまたま死んでいく人を羨ましく思ったりする事になると言う。体重の約2割がタンパク質と言うから、私など約70kgの体重では10kgがタンパク質と言う事になる。このタンパク質は、一日に2-3%(180g-200g)新旧が交代しているのだそうだ。従って3ヶ月もすれば全くの別人になっていると言う事にもなるわけだ。細胞レベルでも一年経つとその90%は入れ替わるのだそうだ。しかし残念な事に、神経細胞は死にこそすれ新しく補充される事はないらしい。60歳を過ぎると日に20万個、1年で1億数千万個が死んでいくのである。私はもう貴重な神経細胞を3億個以上なくしてしまった事になる。だが、60兆個もある細胞だから、まだ少しは大丈夫かなと思って慰めている。しかし、神経細胞の割合は、全細胞数の何%あるのかが問題だ。色々な病気がこの本の末章に語られているが、事故による細胞の死(ネクローシス)とは別に、ハンチンチンが凝縮して、神経細胞がアポトーシス(自殺・自然死)を起こすというアルツハイマー病など恐ろしいと思う。著者のあとがきに、「自然のおもしろさ。あるいは科学の醍醐味は、一つの事が分かると、それ以上に多くの謎がわいてくるところにある」と書かれている。こういった事をお裾分けしてもらえるのも読書の一つの楽しみである。
2009.02.07
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連れ合いに送られて阪急の東向日駅まで車で行き、そこから歩き始めた。連れ合いは孫の守で同行できなかったのが残念だったが、とにかく万歩計を買ったのと、医者に歩く事を勧められているのが歩く動機になっている。元々の動機は、血圧が高いとか血糖値が高いとか、中性脂肪が多いとか医者に行くたびに難癖を付けられるのが嫌だという事が本音である。近く先輩が主宰する京都を歩く会があり参加させて貰うが、最近は歩く人が随所に見かけられる。歩き始めるまでは、「今から歩くのだ!」と言い聞かせて自分自身を盛り上げる事がまず第一である。そして、どのコースを歩くのかを決める事になる。どのコースと言っても自宅から出て自宅に帰るというのは何度も経験しているので、どの道を通ってもあまり代わり映えしなく、新しい発見も少なくなってきている。万歩計とは良く言ったもので、通常意識しないで外に出て帰ってみると大体3000歩程度歩いているのが関の山だが、今日はちょっと歩いたかなと思っても5-6000歩が良いところである。一万歩を歩こうとすると矢張り少し自分自身に歩くのだという事を言い聞かせる必要がある。今日は電車で洛西近くまで行き、長岡京のあたりの洛西の寺を一つでも見ようかなとの漠然とした思いであった。それならと、連れ合いが阪急の東向日駅まで送ってくれる事になった訳だ。電車では東向日駅の近くで降りる事などはないので、はじめはどう歩いて良いのか見当が付かなかった。私の歩きは、地図もなく、当ても適当なので、思うがままの歩行になる。東向日駅からそのまま自動車通りを帰るのでは変化もないし、距離も中途半端になると考えて、まず京都に向かって歩き始めた。すると、昔の地図にはない洛西口駅が東向日駅からすぐ近くに出来ていた。西に洛西ニュータウンがあるので、その住民のために作られて駅であると思われた。駅の前には、ほんの数店舗しかないちっぽけな駅だった。西の方には、花の寺と呼ばれる勝持寺や大原野神社があると駅の観光案内地図には書いてある。とにかくそちらの方向に向かって歩き始めた。しばらく歩いて、この感覚ではそんな寺まで歩いては帰ってこられないかも知れないと思い、中途で帰り道である長岡京の方に向きを変えた。このあたりは竹林が多い。竹林を縫って歩いていると、洛西竹林公園(竹の資料館)がぽつんとあった。無料と描いてあるので何気なしに入っていくと、中から親父が出てきてぶっきらぼうに「記帳!」という。どうやら、入りたい人は記帳するシステムになっているらしい。ちょっとした竹細工のおもちゃを売っているほか、エジソンがフィラメントに使ったというここらあたりの竹の宣伝があり、色々な竹の種類が展示されていた。竹に興味があるわけではないが竹にもたくさんの種類(1200種)があるのだという事が分かった。しかし短い時間だが、私以外にそこに入ってくる人たちはいなかった。これを箱物行政の企画倒れというのであろう。竹に興味がある人は面白いかも知れないが、私はそそくさと出て、また歩き始めた。花の寺は諦めて、善峰寺は遠いし等と考えていると矢張り粟生の光明寺方面に戻り、長岡天神から電車で帰るのが体力的にも適当と考えてとことこと歩き始めた。車が多い道は避けて山伝いに歩いたものだから、変なところに出てしまって、大きく回り道になってしまった。その頃連れ合いから「何処にいるの?お土産を期待している!」とのメールが入っていた。山の中に土産を売る店など無いのだがと考えていると、光明寺付近に菓子屋があり、何度かそこに来て買って帰ったことがあることを思い出した。その菓子屋に行くのに通りを一つ間違えて迷子になりかけたが、やっとたどり着き、メールで「何が良いのか?」と聞くと「栗の入っていないどら焼き」だという。それを買って、また長岡天神に向かって歩き始めたが、そこらあたりは何度か歩いてきた事もあるのだが、疲れていたためか店から駅までが結構遠い感じがした。さすがに疲れていたので、長岡天神からは電車に乗った。家に帰って万歩計の歩数を見てみると18000余歩であった。良く歩いたようだが、ちなみにゴルフでラウンドして、なるべくカートに乗らないようにコースを歩くと大体そのくらいの歩数になる。しかし、一人黙々と18000歩を歩くというのは、なにやら味気ないものである。特に冬場は、花の色や、青葉などのみずみずしさもないのでことさら寂しく思うのかも知れない。しかしこれが健康のためだと思い、最小の投資で少しずつ成果を積み立てていく気分だけが明日に繋がるのだと思う。
2009.02.06
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南米コロンビア北東部の6000-5800万年前の地層から史上最大のヘビの化石を発見したと記事にあった。何とヘビの長さは大型バス1台分に相当する13m、全長で1135kgと推定されるという。カナダとアメリカの大学が共同して発見したという事である。椎骨数個から推定した大きさと言うが、現在南米に生息しているオオアナコンダやアフリカのナタールニシキヘビを大幅に上回る巨大なものらしい。ナタールニシキヘビについては余りよく分からないが、オオアナコンダの説明には次のようなものがある。全長400-600cm、最大は900cmにも達する大蛇で、アミメニシキヘビとともに世界最大のヘビとして知られる。また体重も重く、500cm以上の個体では100kgを超えることも珍しくない。体色は緑褐色や褐色で、黒い円形や楕円形の斑紋が入る。頭部は大型で、頸部も太い。眼は上向きで突出し、鼻孔は背面に空く。眼から口角にかけて黒い筋模様が入る。このアナコンダよりも全長で15-20倍、体重でも10倍以上というとてつもない大きさなのだそうだ。また記事には、これまでで最長のヘビは、アジアで発見されたもので、その化石から推定される全長は10メートル。体重が最も重いとされるヘビは、グリーンアナコンダで、推定227キロのものと思われる化石が発見されている。何も南米に限った事でもなく、恐竜と同じように世界中に分布していたのかも知れない。コロンビアと言えば、「チェ・ゲバラ」関係の最近の映画に出てきた、パナマと接する、チェ・ゲバラが友人とあのオートバイで到着した国ではないか。発見は世界最大の露天掘りの炭鉱で発見されたと解説されていたが、これも映画に出てきたところではないかと思われ興味深かった。恐竜は2億4000万年前頃から地球上に現れ、1億6000万年間地球上に君臨した。と言う事であるから、この巨大ヘビは恐竜の生息時期と外れているようだ。近くにはワニやカメの化石も発見されたと言うから、大きな湿地帯であったのだろう。何とこの巨大ヘビは、ワニなどをえさとして食べていたと言うから驚く。もっともアナコンダは牛などを絞め殺して食べたと言う事を聞いた事があるので、このくらいのサイズのヘビが、ワニを絞め殺すのはそう難しい事ではないであろう。すぐにサン・テクジュベリの「星の王子様」を思い出した。星の王子様ではウワバミが、何でもぺろりと飲み込んで、おなかの中で溶かすのだという事が書いてあったし、星の王子様が大人に帽子と間違えられた絵を、大人がよく分かるようにとゾウを丸呑みした中身を絵に描いていたあの絵を思い出したのです。この巨大ヘビなら、ひょっとして小型のゾウなら本当にあの星の王子様の絵ような状態になるのかも知れないと直感的に感じた。それはそれですごい事だ!ヘビのような変温動物が生息する気候環境はじとじとした熱帯雨林が想像できるが、この巨大ヘビが生息していた時期の熱帯雨林の年平均気温は30-34度と現在よりも3-4度高かったと推定されているという。地球は、氷河期があったり、今よりも温暖化した時代があったりしてそのたびに、生物の進化と淘汰が行われてきた。現在の地球温暖化は、その昔の温度の激変に比べれば微々たるものなのかも知れない。一気に温度が変わるような事が起こると種は絶滅したり、新種が出てきたりするのだろうが、「ゆで蛙」の話にあるように、熱湯の中に蛙を放り込むと熱さで飛び出すが、最初水に入っていた蛙が徐々に暖められると、熱さを感じないでやがては飛び出す事もなく死んでいくというように、現在の地球はCO2だ温暖化だと言いながら、徐々に地球を暖めていっているわけで、やがて気がついた時は、人類は絶滅しているか、もう少し高温に対応する新種ヒト科に変化しているかのどちらかであろう。数千万年はおろか、数億年前のこういった話が、超近代化された現在の地球のどこかにまだまだ沢山残っているという事でもあり、我々人間が、せっせと日々行っている事が如何に小さな事であるのかを思い知る出来事である。
2009.02.05
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国会中継で「かんぽの宿」の譲渡問題に関する質疑があり、日本郵政会社の西川社長が参考人招致で出ていた。郵政民営化がこのような根の大きな問題を含んでいる事を改めて知った。2400億円をかけて作った施設が、たった109億円のたたき売りをすると言う事である。中には1万円で売った施設を買ったところが6000万円で売るという所もあるらしい。国民の血税で作った公共の宿が採算不振である事を理由に単に郵政会社の体質を改善すると言うだけの安易な理由だけでもないらしい。私は見損なったが、2月2日の国会での国民新党自見庄三郎議員の質問を知って驚いた。日本郵政会社は、オリックスの業績不振を助けるが如き一連の譲渡を上記のような常識を外れた金額で売りさばこうとしている事が判明したのである。日本郵政公社の130兆円にも上る債権の管理業務を引き受ける日本トラスティサービス信託銀行がかんでいると言うから複雑というか巧妙なトリックの下に、国民の財産を一個人企業にやむなく譲渡せざるを得ないという形で共栄しようとの浅ましい考えのように見受けられる。そもそも、小泉ー竹中ラインが、自民党をぶっつぶすとまで言いながら派手なパフォーマンスで、小さな政府を目指して郵政民営化に走りここまで来たわけだが、どうもこれも、アメリカの年次教書で要求されて、小泉政権はまさに傀儡のごとくこれに従って行動したという事も明らかにされている。竹中平蔵氏の考えは、日本の国みんなが没しては世界に取り残される故にどこかを勝たせてそれに牽引して貰う形で経済を運営しようとしていた。ところが、勝った企業は、お金を懐に入れたままで、すわ世界不況となると、儲けた金はそのままで、現在の不況とこれからに備えるためだと安易に事務用品を処分するがごとく人員を整理し、その内部留保を崩そうとはしない。人とはそのようなもので、竹中氏の考えは、その人間の心理を解さない愚かな施策だったと言わなければならない。金持ちほどけちになる、金が儲かればもっと儲けたくなると言うのが残念なるかな、全てではないにしても人の心理であるように思う。現在の日本郵政会社社長の西川善文氏などは銀行上がりの経営者で、儲ける時には儲け、厳しくなると貸し渋りなどを率先して行い、そして経営に行き詰まると公的資金(税金)を投入されて生きてきた人種である。民百姓の事など考えず、己と己を取り巻く連中のみが頭にある、まさに殿様家業しか経験してこなかったわけである。だからこそ、国民の税金で作った「かんぽの宿」などにも特段の愛着も経営努力もしないで、いきなり2400億円をかけて作った施設を、たった109億円で得るという事に何の抵抗もないばかりか、一個人企業上がりのオリックスの宮内義彦氏にいとも簡単に投げ売る形になった模様である。この問題はとても根が深い、魑魅魍魎の世界であるようだ。「友達の友達はアルカイダ」だと時宜をわきまえぬ発言の鳩山総務相も今回だけは腹に据えかねているようである。これに対して、麻生総理大臣の答弁は何ら自分自身がコミットするという気はなく、自分は知らないという事を答えただけである。何とも情けないリーダーと言わざるを得ない。国を挙げての疑惑にならないように、鳩山大臣にがんばって貰いたいと思う。それにしても、このような事が、野党の指摘がなければ看破する事が出来ないこの国の体質はどうにかならないものかと中川金融財政担当大臣の答弁を聞いて嘆かわしい気がした。証券等監視委員会なるものは何のために存在するのかである。この国はこのままではスピードに多少のブレーキは掛かるかも知れないがだめな方向に向かう事は間違いないだろうと感じた。
2009.02.04
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またまた北朝鮮はテポドン発射の準備をしているという記事をどこかで読んだ。例の米軍事衛星が「円筒形の物体」と推定される部品を積んだ列車が、ミサイル発射基地に向かって移動する動きを捕らえたというのだ。おそらくこれから準備をするとして、発射する気ならば、1-2ヶ月後になると言う。北朝鮮は何を考えているのか分からない、も早壊れかけの狂人が支配する国家ともいえない「悪の枢軸」と呼ばれたところである。臨終の前に道連れのためにボタンを押すかも知れない。過去には1993年5月にノドンを日本海に発射しているし1998年8月には、テポドン1号を発射し、1段目が日本海沖、2段目は日本本土を越えて太平洋に落下している。また2006年7月には日本海に2発は失敗したものの合計6発のテポドンを打ち込んでいる。今回はどういう意図かは分からないが、オバマ政権にプレッシャーを掛けるために日本がスケープゴートにならないとも限らない。アメリカという国は如何に戦時中とはいえ、原子爆弾を2発も落とす事が出来る神経の国である。一方では人道的支援とか、一般人が犠牲になる事を憂うる様なことを言いながら、自らはイザとなるとそれ以上の事を平気でやってのける国なのである。一般市民が犠牲になっている事を十分承知でイスラエルがガザ地区を攻撃する事に賛成した唯一の国なのである。そんな国が、日本をまともに守ってくれるとは思えない。今回予定の北朝鮮のテポドン発射が、杞憂に終わってくれればいいがこればかりは神頼み以外にはない状態である。昔仮想敵国と言う言葉があった。必ずしも敵国というわけではないが、あくまで想定するという意味らしい。旧日本軍では「想定敵国」、自衛隊では「対象国」と呼んでいるらしい。北朝鮮は「対象国」になっているのかどうかよく分からないが、韓国がそう表現された時もあり、時により「対象国」は変わるようで、流動的であると言わねばならない。勿論テポドンが飛んできた時には、迎撃システムでちゃんと落としてくれるのでしょうねと言いたい。とにもかくにも、テポドンが発射されない事を祈るばかりである。威嚇とデモのために海に落とす事を考えていたとしても北朝鮮の国自体が信用できない以上にその技術力も信用できない訳で、誤って日本国土に落ちる可能性がないわけでは決してないからだ。例によって、国土のどこかに落ちてから、何時間も経って得意の「大変遺憾に思う」といった発言にはならないようにして欲しいものだ。2002年に日朝平壌宣言が為されたが、その中で、「双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動を取らない事を確認した」と言う事など全く考慮されていないという事は、日本という国は内外ともになめられた国になっていると言う事であろう。過去を振り返るニュースで、拉致問題に苦しむ人たちの当時の写真の何と若かった事だろう。国をあげての救出作戦が、何年経っても叶えられない国交正常化などあり得ない事だ。胸に青色のバッチを付けただけで済む問題ではない。そんな北朝鮮だから、今回の浅間山が噴火したように突然2ヶ月後にテポドンが発射されそれが日本に降らない事をただただ祈るばかりである。
2009.02.03
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朝一番で3部作の最後の1つである「チェ・ゲバラ39歳別れの手紙」を見た。今チェ・ゲバラについての映画が3本上映されている。その最後の映画であり、チェ・ゲバラが最後の革命を試みてから処刑されるまでの物語を映画化したものだ。オートバイに乗って南米大陸縦断12000余kmの旅に出て世の中の不条理さを感じその気持ちが醸成されたなかキューバの革命に加わり、これを達成したまでが前回までのストーリーだった。同じラテン民族とは言いながら、他国の革命に加わるだけでも大変な事であろうと想像するのに、その指導的立場に立って、カストロとぶつかる事もなく革命を成功させたと言うだけで十分だと思う人が殆どではないだろうか。現実にキューバでは革命指導者が政府を形成した時には、カストロに次ぐ地位が政府内において用意されていたのである。それを袖にして、彼は淡々と自らに与えられた義務を遂行しただけだと言いながら、「今世界のどこかに、私のささやかな助力を求めている人々がいる」と言い残したカストロへの別れの手紙を書き置いて去って行くのである。地位に恋々とする日本の政治家に爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいものだ。一度は、コンゴ民主共和国にはいり革命の指導を試みたが、兵士の士気の低さに失望して一旦キューバに帰ってきたのだという。コンゴ民主共和国と言えば、現在2億パーセントものインフレに苦悩し、南アに避難する人たちが充ち満ちているジンバブウェのほんの近くの国である。黒人の価値感と南米人のチェ・ゲバラとの間の温度差があったものとも思われる。時のコンゴ民主共和国はモブツが独裁政権を敷いていた時かと思われる。一旦ザイールと国名を変えたが再び今はコンゴ民主共和国になっている。チェ・ゲバラの出身はアルゼンチンで、アルゼンチンはご多分に漏れずスペインの植民地下にあったがコンゴ民主共和国はベルギーの植民地下にあり、その政情なりが違った結果かかも知れない。そんな事で、一旦キューバに戻ったチェ・ゲバラは、今度はボリビアに侵入し革命を試みるが、農民の完全な支持を得られないまま、ボリビアの共産党の支持も協力も十分ではなくて段々と追い詰められていく有様は、革命というものが如何に崇高な気持ちから発している事であってもそれに共感する人たちがいなくては成り立たないものだと言う事を物語っている。言い換えれば当時のボリビアの人たちは、その前からの革命に飽き、農民は一定の土地を確保して一応の満足を得ていたため、現状に対する飢餓感がそれほど追い詰められた状態ではなかったように映画からは感じられた。チェ・ゲバラは革命仲間内の抗争は許さず、また重大な節目には去りたいものは無条件に去って良いと寛大なやり方で、真の国民が求める革命に向かったようである。人格を重んじ、人間の尊厳を大切にする彼のやり方も、強大なアメリカの後ろ盾を得、潤沢な武器を背景にしたボリビア政府軍の敵ではなかった。それに加えて、地元民の中からも裏切り者が出るなどの悪条件の下に、革命は成功しないばかりか、彼自身も殲滅のための軍隊に包囲されやがて捕まり、むごたらしく処刑されてしまうのである。ナチス親衛隊上がりのボリビア政府軍のクラウス・バルビーにより、むごたらしい銃殺刑で処刑されてしまった。非常な指揮官は頸から下を狙えと命じていた。彼は追い込まれれば、「革命には勝利か、死しかない」と言い、神を信じるかの問いに対しては、「私は人間を信じる」と言うなど、チェ・ゲバラは、真実の情熱をかけて、人間愛があればこそ人間を救えるのだという信念の下、愛と理想に向かって戦い続けたのであろう。その気持ちは、オートバイで親友とともに南米を駆けめぐった時の体験が、彼の人間の中に深く根付いていて、それが最後の映画で見事に結実したような思いである。ただ外国に出向いて、「革命」と称して、一般市民を巻き添えにし、のうのうと生き延びているどこかの革命家かぶれとは凛として一線を画するものだと感じた。
2009.02.02
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麻生首相の施政方針演説を読んだ。この演説がテレビで流されたかどうかは知らないがもし流されていないのであれば、残念な気がする。テレビ局(と言ってもNHK位だが)もいかに先のない首相の演説とはいえ中継を予告し、中継するくらいのことがあっても良いと思う。民放では、町の声として誰に首相になって欲しいかを町行くおばちゃん達に聞いて、島田紳助や、橋本、東国原両知事、果てはキムタクなどの名前を挙げていた。彼女、また彼らは本当にそう思っているのだろうか。本当にそう思っている人たちが国民の代表意見ならゆゆしき問題とは言わないがこの国はダメ国家のまま進みやがて沈没するような気がする。そう言った人たちが集まるところを選んでか、またそう言う人たちを抽出してテレビで放映していたとしたら、マスコミの怖さをその点にも感じた。我々はどんな事件も身近に起こったとしてもマスコミを通じてしか知る事が出来ないし、外国の動静などまた然りである。マスコミが如何様にも誘導する事が出来る事になるのは恐ろしい事だ。さて、麻生首相の施政方針演説を聴いた野党の幹事長が、テレビでいつもと全く同じで、官僚の作文を読むだけの無味乾燥なものだといつもの国会でのインタビューで流された。私も全くその意見に賛成である。オバマ大統領の演説と比較するつもりはないが、全く首相自身の意志が入っているのかどうか、原稿を丸読みしているだけの感じを受けた。内容は頭の良い官僚が書いたものだから、個々の問題は別として、素晴らしいものにはなっているように思ったけれど、どこか絵に描いた餅の感が否めないのと、誰が首相であっても全く同じ文章になっていたであろうという感覚を受けた。この国は、政治家が政治を行う国ではなく、官僚が政治を司っているという事が如実に感じられる内容だった。世界第二位の経済規模を持つニッポンを強調されているが、それを成してきた働き汗を流してきた人たちに対する仕打ちが今無惨にも実行されようとしているさなかでは、空虚に響いた。この二世紀に二度の危機を脱したと言い、一つは開国・明治維新、二つ目は敗戦・戦後改革だという。そして今三番目の変革を迫られているというのだが、私には前二例に比肩するほどのものではないような気がしてならない。人が余っているから人を切り、人が足らないから人を雇うという事はある意味では当たり前の事かも知れないが、労働により得られた財の分配に大いに問題があるのだと思う。例えば敗戦では、一部を除いて皆ゼロからのスタートを余儀なくされ、国民全員が辛酸をなめたある意味平等な感覚があったが、今は極端な二極化と言われるように、持てるものと持たざるものをハッキリ二分化されて、苦しみなり、未来に向かって成すべき目標が完全に共有されたものではない事が問題である。高齢者を社会全体で支え合い、中福祉を目指すなら中負担が必要という。誠にもっともな事で、高負担無く、北欧の国のような高福祉を期待する気はない。しかし、おそらくこれを書いた連中は、そうなっても何ら痛みはないはずで、渡りなどに見られるように、自分たちの立場が揺るがないのだから高負担にもならないのではないだろうか。暗いトンネルの先に明かりが見えるようにするというのが政治だと唱っているが、その明かりを一方では消そうとしている。三段ロケットで、景気浮揚策として約75兆円を当てると言っているが、どうにも総花的で、迫力に欠けるところが多い。なのにものの怪に取りつかれたごとく、定額給付金は受け取れと言う。これで次期選挙は勝てると踏んだのなら甘いと言わねばならないし、また勝たせるようではこの国はやっぱりダメから脱出する事は出来ないだろう。政令で骨抜きにしている渡りの禁止なども、演説の文面から見る限りはもう起こらないと誰もが思うが、首相が替われば、政令は残ったままなのだから、如何様にも言い抜けられるわけだ。テロ対策もソマリア海賊について触れているが、今後アメリカから圧力が掛かるであろうアフガンのアの字もなく、相変わらずODAでアフリカを救い、資源外交についてはほんの一行触れただけのまさに今起こっている問題を羅列するのに忙しく、内容が全く不明なままである。それでいて、最後には、日本は諸外国から尊敬される成功したビジネスモデルであるとまで言い切っている。いつまでも過去の栄光にすがって歌い続ける、昔の演歌歌手のようなものだ。まさに、麻生という首相の底の浅さを見せつけられる演説内容である。戦後一時期を除いて続いた政権にこびりついた垢をこの際洗い流す事をしてから、この演説を聴いたならば、もう少し感慨も違うのかも知れないのだがと思う。
2009.02.01
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