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今日のセミウォーキングは西国街道を梶原高架下まで歩いて帰りは線路沿いを歩いたが、作りかけの道路が中途で放置され、何時終わるのかさえはっきりしない。また山側の道路の建設は進んでいるようだが、終点が途切れていて、どのように繋げていくのかよく分からない。久しぶりにマンボウを抜けて帰宅した。***アジアのインフラ整備が着々と進んでいるようだ。ミャンマーについては先頃見てきたところだ。今日はタイの鉄道が紹介されていた。タイの首都バンコクでは東南アジア最大の鉄道ターミナル駅を建設中だ。1千万都市バンコクから各地に延びる高速鉄道の起点になる。タイ政府は3兆円を超える巨費を投じている。自動車に偏重した交通インフラを、環境に優しい鉄道にモーダルシフトしようとの目論見だ。バンコク北部では、東南アジア最大の駅舎「バンスー・グランド・ステーション」が60%の工事を終えて巨大な姿を現し始めた。開発地の総面積は3・7kmと東京丸の内の3~4倍だ。旧ターミナルのファランポーン駅から機能移転を始める。駅舎は地上3階、地下1階の4層構造で、3階が高速鉄道、2階が近郊線と在来線の発着となる。ホームは合計24線あって東京駅(20線)を凌ぐ。タイ国鉄の総延長は4000kmで東南アジアでは最大規模だ。ただ、単線が多く車両も古い。バンコクーチェンナイ間約670kmを11~14時間掛かる。現在はバスや飛行機に人は集まっている。高速道路は既に建設が始まっていて、バンコクーナコンラチャシマ間約250kmは中国が担当している。将来はラオスとの国境ノンカイまで延伸する事が念頭に入っている。中国はラオスで建設中の鉄道と繋げ、中国南部とバンコクを繋げる目論見だ。一方、バンコクーチェンマイ間は日本の新幹線方式を導入する。約3時間半で結ぶ計画だ。整備費に約4200億バーツ(約1兆4500億円)を見込んでいる。タイ東部の経済回廊(EEC)との連動して活性化する事を目論んでいる。いずれにしてもタイはバンコクと他の主要都市との格差が激しく、鉄道敷設で、沿線の活気を高めようとの意図もある。然し乍ら、バンコクーチェンマイ間の格安航空(LCC)は4000円強と日本の新幹線の4分の1程度と安価だ。高速鉄道敷設で、鉄道に人を呼び込むためには相当思い切った料金体系が必要になる。日本の鉄道会社はその辺りを危惧していて関心の盛り上がりは今一つだ。また、インドネシアではジャカルタ郊外の海上に第2スカルノ・ハッタ空港を建設する計画だ。ジャカルタ首都圏は1億人近い人々が住む。3大空港を備えてヒト・モノの流通を活発にしたい考えだ。空港が国の玄関口となる今、整備や新設は不可避で、アジアの国々も空港の建設は盛んだ。スカルノ・ハッタ空港の現状は旅客処理能力が全体で計4300万人止まりであるのに対し、2017年の実際の利用者数6300万人とは大きく乖離し、常に混雑状態である。現在は2滑走路だが、順次第3滑走路を建設予定でターミナルも4つまで増やす計画だ。2020年には処理能力を8600万人まで高め、シンガポールのチャンギ空港を凌ぐ予定だ。然し、2030年には利用者は現在の2倍以上の1億5000万人まで増加するとみられている。そこで、同空港の北15kmの海上を埋め立て、新しく新スカルノ・ハッタ空港建設を計画中だ。4000m級の滑走路2本とターミナルビルを備える。現在の空港とは高速道路と鉄道で有機的に繋げて一体化を図る。之にかかる事業費は約1兆1000億円だ。2020年代の着工を見込んでいる。問題は資金調達で、巨額の投資に応じる企業や投資家が集まるかどうかが懸念されている。首都圏では5月に開港した西ジャワ州のクルタジャティ空港があるが、同空港を約2200億円を投じて2000万人が利用できるように拡張も視野に入れている。之に呼応して、ジャカルターバンドン間の高速鉄道の延伸も考慮中だ。アジア各国が首都圏に複数空港を持つ動きが広がっていて、インドネシアもそれに加わる形だ。3つの空港を有効に活用するための、連絡高速鉄道・道路整備も併せて計画をしている。インドネシアでも首都圏と地方の都市との格差は大きい。特にインドネシアは東西に長く、多数の島で形成されているため、道路・橋梁での連絡も然りだが、空港による連絡通行も求められている。スラウェシ島やニューギニア島などにも10以上の空港を新たに設け、既存の6空港には貨物拠点を整えるとしてる。インドネシアは、各国との新しい航空路線の設置や乗り入れ等も進み国際線はますます充実していくとみられている。2035年の航空需要は2015年比の2・2倍の2億4200万人になると見込まれている。之に伴って航空会社が熾烈な競争を行っている。フルサービスで運航するガルーダ航空とシェアトップのLCCライオン、更にはその中間的なスリウジャヤ航空だが、近く、2位ガルーダが3位のスリウジャヤを吸収する話が持ち上がっている。ガルーダがこの合併で、どのように失地回復をするかが問われているが、一方でライオンは10月29日に墜落事故を起こしたばかりだ。機体は8月に受領したばかりの米ボーイング737MAX8型機であったが、機体に何らかの不具合が指摘されていたにもかかわらず飛行を強行したとの話もある。之が過当競争のなせるものなのかには言及されていないが、インドネシアの2017年の航空機事故発生回数は100万回の離陸当たり4・8回と世界平均2・42回の2倍の水準である事を考えると、旅客競争が、安全に影を落としているとも見られ、安心は出来ない。タイにしろ、インドネシアにしろ資金調達面での問題は共通している。そこに影を落とすのが、中国の一帯一路だ。インドネシア高速鉄道では一旦請け負った中国はインドネシアの土地収用計画をまともに受け取っていたが、実施段階でつまずき、計画に水が差された状況だ。工事中の事故も多発し、インドネシア政府はインフラ開発工事を当面停止せざるを得なくなっている。インフラ開発促進は、ジョコ政権の経済政策の屋台骨だ。インフラ開発の方針変更は2019年4月の大統領選にも影響しそうだ。目標とした2019年開業は絶望的で、建設そのものを危ぶむ声も出始めている。インドネシア側は条件だった土地収用の完了を待たずに資金を提供してもらえるよう中国主導とする案も出てきたようだ。中国への譲歩を模索し始めているという。このまま続けば、中国の思うつぼになりかねない。あらゆる事に問題を抱えて、インドネシアは今苦悩している。タイの鉄道・道路の建設も、中国の思惑に陥らぬようにしなければならないだろう。【古今和歌集】603.恋ひ死なばたが名はたゝじ 世の中の常なき物といひはなすとも (ふかやぶ)私が恋焦がれて死んでしまったならば、噂が出ないことはないでしょう、いくら世の中の無常と言いつくろってもあなたが評判になりますよ(たが ・・・ 誰の 、言ひはなす ・・・言いつくろう)
2018.11.30
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今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点下までを往復した。.連れ合いはフラワーアレンジメントに出掛けた。***日経の十選で、絵画とはいうものの、掛け軸や壁画といった常の絵画ではないものを取り上げて解説していた。標題に大航海時代とあるので、時代は限られているが、西洋から東洋まで、東京国立博物館の主任研究員の鷲頭氏の選による作品だ。博物館などを訪れることはある。展示されている1つ1つには壮大な背景があるのだが、細かく見ている暇は無いというのが正直のところだ。事前に少しくらいに案内があれば見方も少しは変わってくるのだろうが、何時もぞんざいに見過ごして、後から人に指摘されて初めて、それならもっと詳しく見ておけば良かったなどと考える事が多い。掲載された10作品を見ながら少し説明を聞いてみよう。1つ目は「聖フランシスコ・ザビエル像」だ。ザビエルはスペイン北部ナバラ王国に生まれた。ここで初めてナバラ王国という存在を知る。ピレネーの西の端のようだ。35歳でアジアに派遣され、インドや東南アジアで約7年間布教活動を行った後マラッカで中国の密貿易船に乗り込んで戦国時代の日本に上陸したのだ。日本での布教は2年3ヶ月だったとかで、その辺りから教科書で少し習った事を思い出す。その後明国に渡ろうとするが、海禁政策に阻まれて広東省沖合で熱病に倒れたとの事だ。ザビエルの伝記や絵画の大半は死後に作られたものだという。胸で手を交差するこの絵も1622年頃描かれたものらしい。新名神に千提寺というICがあるが、ここにこの絵画が隠されていたという話もあって、急に親しみを感じた。千提寺はキリシタン大名高山右近が統べていた。何時もコンペを行う、高槻CCには高山右近杯というのがあるが何やらザビエルとも関係が出来たような気分だ。2つ目は「麒麟沈度頌」だ。大航海時代の始まりはポルトガルが北アフリカのセウタ港を攻略したときが初めだという。1415年の事だ。歴史で習ったエンリケ航海王子がレコンキスタで、この地域一帯からイスラム勢力を駆逐し、キリスト教を振興させたのだ。ところが、その頃既に東アジアの明国では永楽帝が海外に力を侵攻しようとして周辺諸国に使いを送っていたのだ。有名な鄭和は大艦隊を率いて、東南アジアから、インドそしてアフリカ東海岸まで到達していたのだ。西も東も大洋に打って出ているのがほぼ同じ頃というのが面白い。「1421」という本を見つけて読んだが、コロンブスが活躍する頃には既に鄭和がアフリカに到達していたと言うわけだ。明の外交活動でベンガル王から朝貢としてキリンが永楽帝に送られた。永楽帝はキリンを神獣・麒麟と見なしこの「麒麟沈度頌」のような絵画を数多く作らせたのだ。この作品は故宮博物院にあると言うが、この間の台湾訪問では気づかなかった。先に読んでいればと思った。3つ目は「南蛮屏風」だ。大航海時代西洋から日本を訪れた外国人(宣教師や商人)は多い。その様子は屏風などに多く表されている。狩野派の狩野内膳の筆によるものだ。部分が示されているので全容は分からないが、南蛮風の衣装を着た一行や和装の男女が共に描かれていて、当時の西洋の日本への侵入の様子がよく分かる。こういった南蛮風作品は70~90点ほど現存しているという。狩野内膳は摂津伊丹城主・荒木村重の家臣の子だが、主家が織田信長に滅ぼされたため、狩野家の弟子になったという。のちに豊臣家のお抱え絵師になり、大作の豊公吉野花見図屏風を残している。また秀吉7回忌の祭礼を描いた豊国祭礼図屏風もその代表作だ。金屏風は豪華で、秀吉好みであったのだろう。海外の珍しい動物や貿易の品々、を緻密な表現法で表しているのは、狩野内膳の得意とするところだったのだろう。4つ目は「渡唐天神像」だ。学問の神様菅原道真が神通力で中国に渡り、無準師範へ弟子入りしたという伝説が禅僧の間で広まり、それを具象化したのがこの作品だ。中国風の頭巾と道服を着け、キリッと引き締まった表情で手には一枝の梅の花を持っている。中国人風だが天神さんだ。寧波の文人、方梅厓の称える文字が書かれていることからこの作品は寧波で制作されたようだ。寧波は日本の遣唐使の寄港地であり、遣唐使達は渡海のお守りとして先達の神像を求めたのであろう。様々な絵や像が残されている。5つ目は「クエルナバカ大聖堂の壁画」だ。1597年2月、長崎でキリスト教徒26人が磔刑に処せられた。この殉教は有名だとの話だが、不明ながら私は初めて知った。そんな状況を表した絵は多数制作されたが、そんな1つがメキシコにまで届いているというのは驚きだ。その理由は長崎で受難した26人の中に1人メキシコ出身のフェリペ・デ・ヘススがいたからだ。キリスト教徒にとっては、恐ろしい出来事であったに違いない。豊臣秀吉は日本に於けるとらえ方とは違った横暴な独裁者として海外では捉えられているのだろうと想像した。6作目は「長崎殉教三聖人」だ。ポルトガルのリスボンには急坂があり、そこにサン・ロッケ教会がある。イエズス教会の本部もここにあったという。日本からの天正遺欧使節もここに逗留したとある。スペイン・ポルトガル旅行ではきっとこの名前も聞いたのだろうが、既に忘れてしまっている。中央に祀られているのが聖母子像やイグナチウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルだが、両サイドの壁には東壁にヨハネ五島、ディエゴ喜齋、西壁にパウロ三木の3人の日本人の全身像が描かれているという。この3人は、5作目で紹介されている殉教26聖人の中にいる信徒だ。新聞の写真ではよく分からないし、ネットで見ても堂内でこの部分を撮った大写しの写真は、見かけなかった。日本では処刑された人たちがポルトガルでは聖人、キリスト教の持てる力の怖さと偉大さを感じるものだ。7作目は「坤興万国図(旧大陸図)」だ。地図を見るのは好きな方だが、この地図が何時描かれたのか、南北アメリカ大陸がそっくり描かれていないのだ。日本の鎖国時代はまだアメリカ新大陸発見前だから、存在がないのも頷けると言えばそうだが、今ではとても奇異な感じだ。地図の下に主にアジアの各地の港町がリストアップされているのだ。ご丁寧に、長崎からの航行距離や各港で取引された商品リストまであるという。説明文によると日本からの交易品も一旦マニラに運ばれて、そこで積み替えられて西欧各地に運ばれたようだ。時の将軍家光に提出するために描かれたとされているが、分からない事も多いという。改めてこの地図を見るとアメリカ大陸がないのは別としてデフォルメされているとは言うものの、現在の世界地図に極めて近い事にびっくりしてしまう。8作目は「帝鑑図屏風」だ。この図は、1572年に10歳で即位した明の万暦帝に帝王学を施すため、宰相の張居正等が編纂したものだ。中国歴代の君主の善行と愚行を挿絵付であらわしたもので、多くのバージョンがあるという。日本に輸入され、豊臣秀頼が、翻刻させて広がった。挿絵は、二条城、名古屋城、江戸城などの障壁画に描かれたとの事だ。幕府制作の安政版などは上海に逆輸入され、そこで模刻されたという。中国の模刻は既にこの時代から存在していたようだ。9つ目は「板踏絵(ピエタ)」だ。幕府の禁教令に基づいて、隠れキリシタンを摘発する道具として使われたものだ。キリスト教徒から没収して長崎奉行所で厳重に管理されていたものだ。背景にはエルサレムと覚しき町やドームが描かれている。彼の地では信仰の祈りの時に使われていたものが、日本ではその後棄教を迫るための道具に使われたのだ。今も中学生の教科書に見る事が出来る。10作目は「メキシコ副王宮殿図屏風」だ。5作目もメキシコだったが、この絵もメキシコに関係している。何といってもスペインの統治下にあった事でメキシコには多くのアジアの製品が存在するが、これらから東洋との間で早くから東西貿易が行われていた事を示している。かつて、日の沈まぬ国であったスペインは、ガレオン船を用いて、太平洋を渡り、マニラとの交易を行っていた事を示すものだ。フィリピンも、過去にスペインの統治下にあり、その後アメリカに統治が変わったそんな歴史の変遷を思い起こす。この屏風は、スペインのメキシコ統治がさも上手くいっている事をあらわすために、メキシコ先住民とスペイン風貴族がうまく共存している様を描いているのだ。
2018.11.29
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今日のセミウォーキングは西国街道を萩之庄まで歩いて帰りは楠薫堂で連れ合いの予約を書き込み帰宅した。連れ合いは楠薫堂で検診を受けたが、精密検査を受けるようにとのことで、その足で、高槻のすぎ内科の受診を予約しに行った。午後は私だけ小学校2年生の放課後学習会に参加した。21人の児童は皆意欲的に九九にまつわるプリントに挑戦していた。手際よく済ます子、少しおっとりやる子など既に個体差は出てきている。ボランティア側が用意したプリント3枚をやり終える子も何人かいた。***この所イギリスのEU離脱(Brexit)問題が再び取り上げられている。イギリスと欧州連合(EU)は離脱案で25日合意したが、英議会で過半数の賛成を得るにはほど遠い状況が続く。メイ英首相は反対派の説得を重ねているがなかなかすんなりとは行かない気配だ。反対派の方も主張の違いから一枚岩になっておらず、メイ首相の切り崩が続いている。イギリスがEUを離脱したいと国民投票をした結果、僅差で離脱派が勝利し、ほどなく離脱すると思われていたが、どうもそんな簡単なことでもないようだ。今更聞けないBrexitだが一から振り返る解説があった。まず、なぜイギリスはEUを出たかったのかということだが、2度の大戦を繰り返さないという考え方から生まれたEUなのだ。規模が拡大するにつれ、共通通貨ユーロの導入や、環境規制や競争政策などの共通化などで地域統合が進められてきた。こうしてEUが力を持つにつれ、そのルールを押しつけられているという不満が高まってきたのだ。そこに移民問題が起こり風は激しくなった。EUに加盟した東欧諸国の人々がより給料が高い英独仏に流れ、その人達を支える社会保障制度にも新しい負担が生じ始めたのだ。イギリス国民は彼らのせいで、雇用を奪われたり、財政難になったりする事が絶えられず、EU離脱の声に繋がっていった。シェンゲン協定というEU域内の出入りは自由だし、貿易の関税は無いなどのメリットはあるが移民が押し寄せてくるのは嫌だと云う事だ。かつて大英帝国は日の沈まぬ国と言われたように、世界に君臨していたときの潜在的プライドがこういった事への大きな抵抗となっている。通貨もユーロを使用せず独自のポンドを使い続けているのは、こうした過去の誇りの延長だ。何も、移民はイギリスだけの問題では無いが、シリアなどからの難民が押し寄せる様を見たとき、一層こういった気持ちが強くなっていったのではと思われる。そうした意見が強まるなか2015年、当時のキャメロン政権は国内にはEU残留勢力が多いことを踏まえてEU離脱を問う国民投票を表明したのだ。これには国内の離脱勢力の意見を盾にEUに対して、自国の要求を通す戦略であったのだ。総選挙で勝利したキャメロン政権が2016年に国民投票を実施した結果、政権の予想に反して52%-48%という僅差で「離脱」が勝利したのだった。残留を支持していたキャメロンはすぐさま辞任したのだ。之を受け、元々残留派だったメイ首相が就任し、離脱交渉を進めるはめになったのだ。メイ首相は2017年3月に正式にEUに離脱を申請し、2019年3月末の離脱までにEUと離脱条件をまとめるという役目を担ったのだ。これは「divorce negotiation」と言われているようで、46年間連れ添った夫婦がいかに円満に別れるかという離婚交渉に例えられているのだ。メイ首相は総選挙で選ばれた首相ではないので、国民の信を問うべく、2017年6月に突然、解散・総選挙に打って出て、逆に失敗してしまったのだ。保守党が議席を減らした分、政権維持のため北アイルランドの地域政党・民主統一党(DUP)と閣外協力を結ばざるを得なくなったのだ。離脱交渉は、1.離脱条件(離脱協定)と離脱後の2.EUとの関係取り決め(政治宣言)が必要になるのだ。それらを決めるまでは、おいそれと家(EU)を出て行くというわけにも行かず、企業や国民が離脱の準備をする「移行期間」を2020年末まで設けることでは合意したのだ。今回揉めているのは、来年(2019年)3月末の離脱までに2つの文書の交渉がまとまらないと「移行期間」の取り決めも無効だとするのが今回の英・EUの交渉の肝になるところだ。今日新聞紙上で、「合意なし離脱」とか「無秩序離脱」というのは、この2つがまとまらず、来年の3月に移行期間なしで離脱が有耶無耶に行われることだ。そうなると、関税が急に上がったり、通関検査がいきなり復活したりする状況となり、大混乱になることは避けられないわけだ。現在イングランド島の向かいのアイルランド島は、北はイギリスで、南はアイルランドと国境が存在している。英のEU離脱となると、現在EUの一員であるアイルランドとの境は、厳しい国境問題が再燃してくるのだ。この地は宗派対立による北アイルランド紛争の舞台であり、それでなくても揉めているところだから、なおさらうやっかいだ。英とEUの間でどうまとまったかというとアイルランド問題では「移行期間が終わる2020年末になっても解決していない場合は、英国全土を事実上、EUとの関税同盟に残す。製品の基準などのルールは北アイルランドだけEUルールに合わせる」という案だ。英がEUの関税同盟に残れば原則、アイルランド島の南北で税関手続きはなくなるので理想的な案に見えるが国内では十分納得を得られないのだ。与党の保守党内にもEUとの決別を望む強硬離脱派がいて「アイルランド問題が解決しなければ、関税同盟から永久に出られず、EUに縛られ続けるじゃないか」と反発している。之では離脱の意味が無いというわけだ。一方で、北アイルランド(DUP)は英国本土との一帯意識が強く、製品基準などで北アイルランドだけEUルールが適用されれば、英国から切り離されるのではないかと批判的なのだ。メイ首相は、平重盛の心境だろう。ここで批准という言葉を思い出す、メイ(政府)がいくらEUとで合意しても、英議会が承認しないと合意は成立しないのだ。2017年の総選挙で議席を減らしたメイ政権はDUPの言うことを聞かないと合意を承認する事が出来ないのだ。しかも保守党内にも反対派がいるのだ。今回、英・EU間では合意までこぎつけたものの、議会承認をクリアーするメドは立っていない。流石民主主義発祥の地だと感心している場合ではないが、隣の韓国の政府間の合意を反故にするかの如き最高裁の判決に規制が掛けられないこととの比較を思ってしまう。そこで現在は、メイ政権による議会の切り崩しが計られているのだ。ここから先は、個々の言い分は、それなりに意味を持っている。今では、EU離脱に対して再投票を望む声(元々親EU派)までで始めているのだ。英・EUは離脱後も英領北アイルランドとEU加盟国アイルランドの間で厳しい国境管理を避けることでは一致しているが、本格的な解決策は見いだせていない。問題は先送りされているのだ。移行期間が終わるまでに具体策がまとまらなければ、英国全体をEU関税同盟に事実上残すことで合意している。これに対して、英の強硬離脱派は「ずっとEUルールに従うことになってしまう」と反発しているのだ。欧州全体を戦火にまみれさす事の無いようにと言う理念で出発した、欧州連合(EU)だが、戦争の大きな旗頭の1つであったイギリスが、再度もめ事の中心になっているようで、何やらばかばかしさを感じる。難民や移民問題は、別途、それ相応の対応策を考えなければならないのは元よりだが、いつまでも大国だったという虚栄心を突っ張っていては、世界平和はほど遠いものになってしまうだろう。中東などの難民を発生させた元はと言えば、イギリスの3枚舌外交や虚偽の協定(サイクス・ピコ協定)が根底にあることを時々は思い起こして欲しいものだ。【古今和歌集】602.月かげにわが身をかふるものならば つれなき人もあはれとや見ん (ただみね)もしも我が身を月に変えることができたなら、つれないあの人も関心を持ってしみじみと見てくれるだろうか(あはれ ・・・ いとおしい )
2018.11.28
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今日は旅行中なので、ウォーキングは中止した。昨日、沢山飲んだようだったが、今朝の寝起きはすがすがしかった。早速朝風呂に浸かった。昨日とは浴槽が男女交代になっていて、今日の露天風呂は眼下に大聖寺川が見える。温泉旅行では、朝風呂が贅沢気分の極みだ。8時からの朝食で、今日は洋食と決めていた。眼前のテーブルではシェフが卵焼きかスクランブルエッグかオムレツかによって手際よく、パフォーマンスを交えながら焼き上げていった。8人揃っての朝食だが、横に並んでの食事だから、殆ど両隣の人との会話で終始した。私は、最年長の男性との会話が多かった。奥さんは、昔トライアスロンで優勝するほどの元気者だ。今はもうトライアスロンは卒業していると言うが、相変わらずの元気さは一番かも知れないゴルフも良くするとかで、月に5~6回と言うから、私よりも多いようだ。淡路島に旅行したときには鳴門GCで一緒に回ったのだが、どの程度のスコアだったのか忘れてしまった。年齢と共にあまり飛ばなくなっているとのことだが、之ばかりは、実際にラウンドしてみないと、案外飛ばし屋かも知れない。こう言う表現はゴルフをする人の表現の仕方が人によって違うからだ。海外旅行もよくするとの話だが、最近はその頻度も減り、国内旅行が多いとの話だった。娘さんがタイのバンコクの南に住んでいるとかで、タイへは今もよく行くとのことだ。また、自宅の近くに宅地並みの広さの土地を購入して畑をやっているとか。2人だけの生活では常に作物が取れすぎるので、近所に配るのが常だという。右隣に座った富山からの女性は、元市役所勤務だったとかで、聡明な人だ。然し、最近は、体を壊して手術もし、やっと回復して歩けるようになったとのことで、それぞれ年齢と共になにがしかの不具合を抱えているようだ。そんな話のうちに朝食を終え、9時には出発することになった。私はその頃から、帽子を忘れていることに気づいていた。朝食を終えて、車に荷物を運び入れて帽子を車に置き忘れているのではないことを確認した。思い返すと、昨日立ち寄って昼食を食べた朽木の蕎麦屋だと確信したのだ。名前を覚えていたので、電話番号は直ぐに調べることが出来た。電話を掛けると、まだ開店前なのか誰も出なかった。連れ合いは、店は11時からだというので後ほど掛けることにした。旅館の手土産はカニの筈だったが、急遽野菜と米に変わってしまったようだ。等価というから仕方がないものの、孫にカニを持って帰ると約束していた手前、連れ合いは、京都で買って帰ることにしたようだ。これで、帰りのルートは決まった。又、朽木経由のローカル道を走ることになるのだ。ともあれ、他の3組との土産交換などを済ませ、8人でこおろぎ橋に向かった。ホテルで、コロッケの無料引換券を貰っていたこともあって、その店に立ち寄ることもあり、連れ合いが昨日はこおろぎ橋には行かなかったからでもあった。朝のこおろぎ橋の周りの紅葉は、陽が強すぎたせいか、昨日ほどの感動はなかったが、それでも沢沿いに枝を出す紅葉は素晴らしかった。コロッケを獲得し、8人は那谷寺に向かった。那谷寺は若い頃にVZ750(ナナハン)を駆って能登半島を1人ツーリングしたときに、当時コマツに勤めていた友人宅を頼ってお世話になったときに訪れたことがある。最早30年以上前の話だ。すっかり忘れてしまっていたが、何やら奇岩がある寺だという点は少し印象に残っていた。ホテルからは加賀ICとは逆方向にほぼ等距離に位置している。3台の車で繋がって田舎道を走ること20分ほどで那谷寺に着いた。変形の駐車場は広いが、結構車で一杯だった。「自生山」と書かれた山門をくぐると、直ぐ左に金堂華王殿がある。特別拝観料が必要とのことでパスした。パンフレットには十一面千手観世音菩薩が祀られているとか。南北朝の戦火で焼失したものを建て替えたとあった。参道の周りの庭は幹の太い木が並び、地面は深い苔に覆われていて、如何にも由緒正しい歴史ある寺であることを感じさせる。ほどなく開けた奇岩遊仙境は池を隔てた対岸の奇岩と紅葉がえも云えぬ幽玄を醸し出していた。更にすすむと門があり、その向こうは階段になっている。連れ合いと富山の女性は大事を取って下で待っているという。私も途中まで昇ったが、降りて待つことにした。見上げると本殿(大非閣)があり、下から見ると清水寺のミニチュア版のようでもあった。そこには「いわや胎内くぐり」というのがあるのだそうだ。連れ合いは、そのことは知っていたようだ。残りの皆(5人)はぐるっと回って、三重塔を見て展望台鎮守堂を巡って降りてきた。なかなかの景観であったようだ。拝観後、帽子を受け取りに朽木の蕎麦屋に寄るため、そこで皆さんと別れる事になった。拝観中に電話が通じ、確かに預かっているとの確認が取れていたことと、蕎麦屋は3時には終了してしまうと云う事で、少々急がなければならなかったからだ。皆さんは、その後、昼食を採って、日本自動車博物館に立ち寄るとのことだった。別れを惜しみながら、我々は加賀ICに向かった。加賀ICまではホテルを頂点とする一寸平たい三角形の底辺を走る形になり、距離は12~13kmといったところだ。12時半に那谷寺を出て、加賀ICから北陸道に入った。後はひたすら走るのだが、カーナビは北陸道から舞鶴若狭道に入って若狭上中ICで降りていく道を示している。一見すると回り道のようなので、慣れた敦賀ICで降りることにした。それが反って誤りとは云わないが、遠回りだったようだ。高速道を走る代わりに一般山道を走るのだから当然なのだが、料金の問題もあり、さらには、朽木の蕎麦屋に何とか間に合うとの思いもあった。敦賀ICを降りたのは13:35で、ここまでほぼ1時間で走れたのは予定通りだった。然し、それからの山道は、来るときと同じなのに何故か遠い気がした。やはり気の焦りがあったからだろうか。弘川で湖北バイパスを離れ若狭道に入る。まだまだ着かない。保坂から、後一山越えることになる。この辺りの道は全面追い越し禁止の中央線が黄色表示なのだ。前ののろのろ車に少しいらつくが、途切れたところで追い抜いて何とか朽木に入った。ガソリンメーターが残量2山を示している。こんな所にガソリンスタンドはあるのだろうか。気をもむことばかりだ。蕎麦屋の手前にガソリンスタンドを見つけたので、少し安心できた。やっと朽木の蕎麦屋(旭屋)に着いた。時計は14:25を指していた。蕎麦の提供は14:30までと書いてあり、一目散に連れ合いが降りて帽子の確保と蕎麦の注文がまだ間に合うことを確かめてくれた。やれやれだ。また十割蕎麦を頼んで一息ついた。連れ合いは又山菜蕎麦だ。その後に入ってきた客は、蕎麦はもうお終いと断られていたので、ぎりぎりのセーフだったわけだ。帰りに土産にと鯖寿司を頼んだが、一番安いのでも2600円はして、最高になると何と12000円も値が付いているのでびっくりした。こんな田舎に鯖寿司1本12000円出す客がいるのだろうか。ともあれ店を出て、ガソリンスタンドに戻ったが、何とここではリッター153円ではないか。敦賀で見たときには147円だったので、みすみす損をしてしまった。まぁ致し方ない。そこから367号線をひた走る。最後は、京都でカニを買うことだ。連れ合いは七条で売っているのではないかという。ターゲットは七条通だ。途中を通過、土井の漬け物屋で休憩して、やっと京都市内に入った。ともかくも七条通に入ったが、時間も遅く、カニはなかった。連れ合いは、京都駅に降ろしてくれたら1人で探して買って帰ると言うが、そうも行かない。京都駅の最繁華街の伊勢丹駐車場に入れて、伊勢丹地下で、やっとカニをゲットした。之で約束が果たせるとやっと小安堵だ。何時もの道を孫のマンションまで辿り着き、お嫁さんに預けて帰ることになった。カニはお兄ちゃんとの約束だったが、明日の試験もあり塾に出ていたようだ。弟の方が降りてきて、顔を見せてくれたのはなんだか嬉しい気分だった。家に辿り着いたのは19:00を少し回っていた。今回の走行は453kmであった。【古今和歌集】601.風ふけば峯にわかるゝ白雲の たえてつれなき君が心か (たゞみね)風が吹くと峯から離れてゆく白雲のように、あなたとの関係がすっかり途絶えてしまった。なんとつれないあなたの心であろうか(たえて=「絶える」と「たえて(まったくの意)」を掛ける、つれなき=無情だ)
2018.11.27
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今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点までの往復だ。今日は淡路の会の日だ。今年も会いましょうとのことで、山中温泉に1泊してカニを食べようとの事になっている。宿は手配してくれている吉祥やまなかで14:00からチェックインとなっていた。そんなわけで中学校のテスト前学習会は不参加とさせて貰った。淡路の会は、2011年4月に行ったスペイン旅行の最終段階で知り合いになった4組の夫婦で構成されている。夫人同士の気があったようで、それ以降今日まで、年1回は会うことになっている。その中の1人はIT関係の会社を経営していて、淡路島に別荘を所有しているので、何度か泊まりで出掛けて親交を深めたことが名前の由来となっている。年齢は丁度私が最年少で、後は1歳ずつの差で、最高齢は77歳となる。女性はといえば、連れ合いが最高齢で、最も若い人でも3歳違いと似通った年齢だ。さて、山中温泉への道だが、スマートフォンのドライブアプリを検索すると、おすすめは当然一貫して高速道路を通ることを示している。それだと2時間51分ほどで着くことになる。逆算すると11時発で十分だ。高速をただ飛ばすだけではあまり面白くないのではと、一部一般道を走ることにして経由地に朽木を入力した。すると、朽木から若狭を通る道を案内してくれた。地図で見る限りは、敦賀ICから北陸道に入るのが良さそうなので、マキノ経由としたら所要時間は3時間21分と出た。高速道路で行くのもあまり時間的に変わらないではないかとその道を通ることにした。途中京都の北を通るルートは、今時分、紅葉が見頃の季節でもあるからのんびりと行こうとのことになった。余裕を持って10時前に出発することにした。出発して向日市に差し掛かる頃に早速忘れ物に気づいた。3組の夫婦に渡すべきお土産を玄関横の部屋に置いたままだったのだ。これから取りに帰るのは面倒なので、別な土産を買うことにしてそのまま進んだ。土産は大原の土井漬け物で買おうとのことになった。171号線から京都五条通までは良く通るコースだ。更に北上して、北大路通りを東に折れ、鴨川を渡り、高野川沿いに北に折れる。花園橋で、東の高野川沿いに走るのだが、そこから先はほぼ1本道だ。エクシブの八瀬離宮を通り、比叡山に登るケーブルカーの駅を右に見てひたすらに北上する。流石に京都の北山の紅葉は素晴らしい。運転をしながらでも十分に景色を堪能できる。暫く走ると土井しば漬け店がある。出発から40km足らずだが既に1時間半が経っていた。まだ今回のドライブ行程の4分の1ほどしか走っていない。そこで急遽土産物を買った。後はひたすら走るだけだ。先の目印は途中だ。連れ合いの親父さんのお墓がある比叡山大霊園への分岐点だ。その辺りまでは毎年通るので頭に入っている。途中を大霊園のある琵琶湖方面には折れずに、そのまま直進するのだが、この辺りからは道路も広く空いているので快適な山道のドライブになる。同じくらい走っただろうか、何時しか安曇川に出て橋を渡ると自然に右に折れる。すると朽木の町に入るのだが、そこに朽木旭屋というそば屋があった。丁度12時だ、昼をそこで採ることにした。出発から2時間余70kmの道のりだ。あと1時間半では到底山中温泉には到着しないようだが、そこで十割蕎麦を頂いた。連れ合いは、山菜の入った温かい蕎麦が美味しいと云った。昼食を終えて、そこを出て、鯖街道をひたすらに敦賀ICを目指す。マキノ町に差し掛かると、そこにはメタセコイアの並木道で有名な場所があるが、そこは立ち寄らないで進んだ。又山道に入るのだが、道路も空いていたせいか、殆ど時間の経過を忘れるほどであった。敦賀市に入り、敦賀ICに入る頃には2時近くになっていた。120kmの山道走行だったが、後まだ100kmほど残っている。ひたすら走って杉津PAで休憩を取りまた走った。武生、鯖江と過ぎ福井ICを通過した。福井は孫達と恐竜博に何度か来たことがあるので、差ほど遠いとは思わなかったが、それでも今日は前半が山道だったので結構時間は掛かっている。この辺りは雪が積もるのだろう。もう少し遅くなったらチェーン無しでの走行は不可になるだろう。トンネルに入ると路面がやけにがたがたするのは、路面がチェーンで削られているからだろうか。加賀ICを降りた時刻は2時半は過ぎてていた。それでも高速は早いものだ。そこから1時間弱、ホテル、吉祥やまなかに到着したのは15:12だった。出発から4時間余掛かったことになる。予定時間を1時間近く余計に掛かったのは、土産物店と朽木のそば屋での停車時間だ。走行距離は222kmだった。加賀は、山代温泉への江戸温泉物語という温泉バス旅行で2度ほど来たことがあるが、山中温泉は初めてのことだ。山代温泉より少し山に入ったところが山中温泉になっている。落ち合う他の3組は既に到着しているようで、館内でお茶しているところだった。男性が最高齢の夫妻は福井から車で、2番目の男性夫妻は富山から車で、そして、私の1つ年上の男性夫妻は、神戸から列車での参加だ。しばし、歓談し旧交を温めたが、殆ど変わりなく感じた。ただ、皆それぞれ腰の痛みや膝の痛みなどを訴えるのは仕方の無いことだろう。夕食までには時間があるので、散歩しようとのことになった。予て福井の女性が下調べをしてくれていたので、旅館下を流れる大聖寺川沿いの散策が良いとのことだった。吉祥やまなかの別館であるかがり吉祥亭までホテルのバスで行き、そこからこおろぎ橋に降りて川床を逆に歩いて帰る事になった。生憎、連れ合いは腰が痛むのでホテルで休んでいると云うので、7人での散策となった。こおろぎ橋は風雅な総ひのき造りの橋で、そこに下るまでの道沿いには鮮やかな真っ赤の紅葉が目を引いた。かつては行路が極めて危なかったので「行路危」といっていたのがいつの間にかこおろぎとなったとか、また一説には秋の夜に鳴くこおろぎの名前から来ているとも言われている。こおろぎ橋でも、途中の散策路でも紅葉の美しさにスマートフォンのカメラで写真を撮ったが目で見るようには鮮やかには撮れなかった。この辺りは芭蕉も散策したようで、「山中や菊はたをらじ ゆのにほい」」といった句碑が建っていた。近くには芭蕉の館もあるようだ。途中には、あやとり橋という鉄骨トラス橋があったが、それはそれなりに風景に溶け込んでいた、少し行くと小才橋という小さな木の橋があり、そこで川を渡ってホテルへの道を採った。この辺りは、鶴仙峡と呼ばれていて、四季を通じて、山中温泉の代表的な景勝地とのことで、観光客は必ず訪れるのだという。海外からの客ともすれ違った。川床の道は、湿っていて滑りやすくなっていたが、ゆっくりと談笑しながら歩いたので少し時間が掛かりホテルに帰り着く頃には暗くなっていた。ホテルに帰り、汗を流しに温泉に浸かった。今日の男性の湯は露天風呂が部屋のように囲まれていて完全な露天風呂とは云えない感じだったが、温泉は矢張り気持ちが良い。夕食は、豪華なコース料理で、カニは1杯姿で付いてきた。お酒もすすんで、豪華な夕食会になった。そして占めにカラオケと云う事になり、又かがり吉祥亭までバスで揺られて、その館内のカラオケルームで数曲歌った。この集まりもどうやらカラオケ好きが揃っているようで、なかなかの盛り上がりだった。元の吉祥やまなかに戻り、寝る前に再度温泉に浸かって、本日は就寝となった。【古今和歌集】600.夏むしをなにかいひけん 心から我も思ひにもえぬべらなり (みつね)火に自ら飛び込んで焼かれる夏虫のことを馬鹿にしていたが、今や私も自分から飛び込んだ恋の「思ひ」に身を焼かれている(心から ・・・ 自ら )
2018.11.26
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今日のセミウォーキングは本来(勝手に毎日東西方向に交互に歩くことを決めている)西に行くことになっていることを忘れて水無瀬堤の方に出てしまった。そこから西へ向かい堤防を河口から32.0km点まで歩いてシャルマンを経由して帰った。姫達は、今日は早めに帰るとのことで、一緒に乗せて貰って、途中の滋賀県にある、たねやの新しく開いたラコリーナ近江八幡という公園兼販売店に連れて行って貰った。通常のたねやでは販売していない商品もあった。のんびりした広大な庭園には家族連れが大勢詰めかけていて、名所の1つになっているようだ。少し散策して土産物などを買い求め、我々2人は近江八幡駅で降ろして貰い、そのまま、姫等は湘南へと帰って行った。久しぶりに連れ合いとの列車での小旅も味わえて、なかなか良かった。大学時代の友人が、タンゴの演奏会を奈良で催すとのことだったが、結局行けなかった。***世界の再生可能エネルギーで最も伸びているのが洋上風力発電だ。之を事業化する動きが日本でも本格的に始まったようだ。東電では、千葉の銚子沖3kmの海上で、実証試験を行っている。11月1日から地質調査を始め、2018年度中には事業構想を固めるとしている。日本の洋上風力発電は欧州に比べて導入そのものが遅れている。欧州では2010年頃から洋上風力発電に関心を持ち、2017年には洋上風力発電の能力は310万kWとなり、2016年の2倍になった。国際エネルギー機関(IEA)はこの先2025年の発電量(目標2700万kW)を2017年(約510万kW)比で、5・3倍に増加すると予測している。フランスの電力大手エンジーはすでに250万kWの洋上風力発電を開発中だし、ドイツのエーオンも10件以上の運営実績を持っている。日本政府もやっと思い腰を上げエネルギー基本計画で、再生可能エネルギーを主力電源に位置づけた。そのため、洋上風力発電の拡大は不可欠としている。それでも風力発電の割合を2030年度に1・7%と設定していて、まだまだ本格的な電力源にはほど遠い。これらの問題点は3つ挙げられている。1つはコストの問題だ。2つ目は規制の問題であり、3つ目のそれは送電線の問題だ。主な原因は、コストである。日本の建設費は欧州の1・5倍掛かるという試算がある。施工に対するノウハウ不足もあるが、日本の地形から来る要素も大きい。欧州の風力発電は、海底に設置する着底式が主流なのに対して、日本は遠浅な海岸が少なく、着底式の装置を設置する場所が少ない故だ。海上に浮かべる浮体式も考えられているが、コストは大きく膨れあがる。それでも東電は国内の洋上風力だけで、200万~300万kW分を開発しようと目論んでいる。現時点では原子力や火力発電を含めた総発電能力が約6000万kWだからその5%にすぎないが、原発の再稼働が見通せない今は他を開発する以外にない。尤も、東電は、福島事故の当事者であるだけに原発の再稼働にはより慎重な姿勢が求められるであろう。火力発電も脱石炭という世界の趨勢からみれば今以上の発展は望めないであろう事から、消去法的に再生得可能エネルギーに行き着いた感がある。世界展開する上で、再生エネルギーでの売上げ利益を1000億円とする目標を掲げている。低コスト化は焦眉の問題でもあるわけだ。次いで、法制度の問題がある。これは、洋上風力発電設備を建設するための法整備が遅れたことによる。国会での廃案になった経緯は良く知らないが、今の国会を見ていると、ただ大臣の資質を問うなどといった低次元の問題にかかり切り、ろくに審議をする時間が無いようで、やや空転している感が否めない。洋上風力を開発する地域の選定やさらには地元漁業関係者との調整もあるので、着手・完成にはまだ時間の掛かることが予想されている。3つ目の問題は、発電された電力を送電する容量が十分ではなく、蓄電装置も十分でないために、発電を止めなければならない事態もあるという根本的な問題だ。先の九州電力の場合には、太陽光発電の一時停止を発動するという事態になってしまったのだ。要するに電力は作ったが送電容量不足で発電を中止することが求められたのだ。之まで電力は地域内で発電し消費するといった考えであったために起こった問題であり、素人の目から見ると、何をしているのだと言いたくなる問題点だ。このことは洋上風力の場合も同様で、東電としても規模をむやみに大きくしても送電が付いていかない状況にある。電線を増強するためには巨額な費用が掛かるために計画が頓挫している状況だ。このように日本に於ける洋上風力発電はやっと緒についた感じだ。欧州では脱石炭が加速する分この洋上風力発電への移行が進むものと思われる。欧州連合(EU)は今月、電力以外の自動車や工場の燃料なども含めた総エネルギーに占める再エネの比率を2030年に32%にすることで合意した。従来目標の27%から引き上げた。ますます石炭火力から再生可能エネルギーへという流れは止まらない。ポーランドには現時点で稼働している洋上風力はないが2027年までにポーランドの沖合に4ギガワット、長期的には8ギガワットの洋上風力発電が導入される可能性がある。風力業界はエネルギー政策の転換かと盛り上がっている。さらに5月、国有電力最大手のPGEが陸上風力で同国最大手の民間電力会社ポレネルギアを買収すると発表した。ポーランドのエネルギー担当によれば、風力発電のコストは下落が著しい。エネルギー安全保障の観点から原子力を含めて見極めている状況だ。ロシアへの依存度を減少させる意味もある。ドイツのエネルギー戦略では2050年までに再生可能エネルギーの占める割合を60%に引き上げるという大胆な目標を掲げている。それ故に、脱石油・石炭には再エネルギーしかない。IEAなどでは、2020~30年頃から石油生産量は減少し始めると予測している。石油は今から20~30年後にはほとんど利用できなくなるおそれがあるというのだ。さらに、2050年までに化石燃料の50~80%を削減目標とするパリ協定も存在する。これら2つの制約により、石油や石炭に大きく依存してきた人類は脱炭素エネルギー時代へと移行しなければならなくなった。今後、石油の代わりに我々はどんなエネルギーを使うことになるのかという命題に対しては、結論的には再生可能エネルギーしか選択肢はないのだ。あらゆる環境の変化が、再生エネルギーの登場を待っているという状態だ。再エネルギーの中でもとりわけ、太陽光発電や風力発電の進展が華々しく報じられているのは世界的趨勢なのだ。然し、太陽光発電の電力の買い上げ問題で十分な準備無しに行われた結果、いびつな形で今日の状態を招請してしまったことも事実である。コストの負担や、法的な規制、又最大のネックであろうかと思われる送電設備の充実は、今後の問題として本格的に取り組まねばならない。老朽化した原発を何とか立ち上げようとして膨大なコストを費消するよりも、将来的に望まれる再生可能エネルギーのコスト削減に資金を投入すべきではないか。【古今和歌集】599.白玉と見えし涙も としふれば からくれなゐにうつろひにけり (つらゆき)白玉と思えた恋の悲しみの涙は、年が経つと、悲しみが募って唐紅の血の涙に変わってしまった(白玉・・・白珠、唐紅・・・鮮やかな赤、うつろう・・・様変わりする)
2018.11.25
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今日のセミウォーキングは大阪染工から宝寺踏切までで、島本駅を通って帰宅した。中学校の土曜スクールに参加した。連れ合いは、少し具合が悪いので、参加を見送った。今日はゆめ本部のスタッフが横浜に研修に出掛けたので、事務所は閑散としていた。何時も連れ合いが指導している女生徒から質問を受け、そのまま殆どその生徒と一緒に勉強することになった。Y=aX(比例)、XY=a(反比例)の徹底的な勉強だったが、少しは理解してくれたようで、今度の試験に活かして欲しいと思った。何となく迷っている子に対してそのホットな時に要諦を細やかに教えることの大切さを少し感じた。夕食時には連れ合いも体調が戻ったようで、姫達と4人で、高槻の「はるぴん」で夕食を採った。夕食と言っても殆ど飲むためのおかずで、干し豆腐とか水餃子はとても美味しくて紹興酒も又美味かった。帰りには、連れ合いが運転してくれた。***日経のサイエンス欄に書かれていた。人間の寿命は一体いくらまでなのか。日本人の平均寿命は毎年伸び続けているのが現状だ。2017年には女性87・26歳、男性81・09歳と過去最高を更新している。大ざっぱなデータで言えば、私が生まれた1944年頃の男性の平均寿命は50歳強だったからこの70年少しで、寿命が30歳は延びている勘定になる。平均寿命は各年齢の男女が1年以内に死亡する確率などを基に平均余命を算出して、零歳児の平均余命を「平均寿命」と呼ぶことから、1944年に私が生まれたときには、余命が50年即ち、1994年頃には死んでいると予測されていたのだ。これは平均と云う事だけれど、私が極めて健康だから今まで生きているわけではなく、衛生環境や食糧事情の改善などが寄与していることは論を待たない。現実に今でも、ナイジェリア辺りでは平均寿命は50歳前後という国もあるわけだ。もっと短い国もある。因みに最長寿国は男女とも香港だとのことだ。2016年生まれの人が将来、がん、心臓病、脳卒中のいずれかで死亡する確率は女性が46.45%、男性が51.15%と試算されている。医療が発展して、これらの病気で亡くなる人がいなくなると仮定すると、平均寿命は女性で5.74歳、男性で6.95歳延びると推定する事が出来るのだそうだ。この調子でいくと男は88歳までは生きそうな気がする。この感覚の裏付けは、iPS細胞によるリフレッシュや、オプジーボによるがん撲滅などといったニュースが雰囲気としてもあるからだ。人生100年時代到来というのはこういった技術の進歩や環境の変化(改善)があるからだが、では一体人は何歳まで生きるのかと言った疑問が出てくるのは当然のことだ。最近の研究(この研究も数年後には書き換えられるかも知れないと言う事だろうが)で想定される人間の寿命の限界は、およそ115歳とのことらしい。このことは、国内の最高齢者が男性は113歳、女性が115歳だ(11月20日時点)であり、世界で最も長く生きた人は1875年にフランスで生まれた女性で1997年に122歳で亡くなったのが公的な記録の最高齢者だ。120歳を突破した唯一の例だ。一頃コーカサスの人たちは130歳を超える人が沢山いるとか言う話も聞いたがどうも根拠が無いようだ。しかし、想定される(理想的な)寿命が115歳とするならば88歳で人生が終わるわけでも無さそうな気がする。そこで、この記事に書かれている科学の領域に入ってくる。東大の小林教授らは「Sir(サーチュイン)2」と呼ぶ遺伝子に注目している。細胞が分裂するとき、遺伝情報が書き込まれたDNAは同じ情報をもつ複製を作るが、その過程でわずかだが傷が付いてしまうのだという。Sir2遺伝子はDNAに傷が付かないよう複製を調整する機能をもつのだ。同じ仲間の遺伝子は人で7種類見つかっている。Sir2がうまく働かない酵母での寿命を検証すると、通常の酵母の半分の寿命に短縮し、逆にSir2の数を増やした酵母は、寿命が延びた。このようにSir2は長寿に関わる有力な遺伝子の1つだ。サルでカロリー制限をするとこの遺伝子が活発になり、健康に生活できる期間が長くなったという報告もある。寿命に関わる遺伝子としては、真核生物のDNAの末端部分にある二重螺旋構造で、対になっている2本の遺伝子を両端で繋いでいる「テロメア(末端小粒)」というDNA保護の構造も有名だ。テロメア以外のDNA末端は、感染したウイルスに由来するものや、DNA損傷による切断によって生じたものが多い。之に反してテロメアのDNA末端は正常なものであり、DNAの分解や修復から染色体を保護し、物理的および遺伝的な安定性を保つ働きをする。細胞が分裂を繰り返す毎にテロメアは少しだけ短くなってしまう。そして、そのテロメアが一定長より短くなると2本の遺伝子を留めておけなくなり、バラバラになる。これが、細胞分裂の限界、つまり「寿命」だと言うことだ。人間の場合、50~60回分裂するとテロメアはそれ以上短くならない。細胞分裂できなくなり、それが老化につながると考えられてきた。ただ体の中には新しい細胞を作り出す幹細胞がある。Sir2やテロメアだけで寿命が決まらないことも分かってきた。現在では1つずつの寄与度は小さいが、複数の遺伝子が寿命に影響を与えている説が有力で、その数は約300種といわれる。まだまだ未解明が多いと云う事だ。大阪大学の原英二教授は、細胞単位で老化現象をとらえ寿命との関係を探る研究を進めている。通常ストレスがかかって増殖しなくなった特殊な細胞(老化細胞)は異常を起こすと自ら死んで壊れるか免疫細胞に食べられて、体内から無くなる。ところが老化細胞はなぜか体内にとどまっている。体の構造を保っているため、老化細胞が寿命を延ばす方に寄与しているのではないかと考えている。老化細胞が生まれるときに働く遺伝子は突き止められているがまだはっきりした機能は見つかっていない。一方で老化細胞は、炎症を起こす様々な物質を周囲に出している。その量が増えると、がんや認知症など加齢に伴う病気の引き金になるとみられている。これらもまだ解明中だ。マウスは短命な割にテロメアが長いがマウスの実験で成果が出ても、人に当てはまるかどうかは分からない。当然のことだが寿命に関する研究は人間で実験できないのだ。長寿を探る動き(不老不死)は、古今東西変わらぬものらしい。永遠の追求課題のようだ。研究の成果なり知見は、少しずつ得られているようで、食事や運動などの生活習慣の違いの影響も遺伝要因以上に大きいといわれている。現代人は遺伝子の分析や細胞の詳細な観察、大規模な統計調査など科学的な手法を駆使してその答えに迫ろうとしている。今流行のビッグデータなどが、これらの研究の量的サポートになるのではないかなどと考える。老いがどのように訪れ、何が寿命を決めるのか、まだ決定打は出ていない。然し、こういった研究が発達して寿命の壁が段々と伸びていったら、果たして人間は幸せでいられるのだろうかともふと考えるメメント・モリという言葉がある。ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だ。古代ローマでは、将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われたと伝えられる。将軍の後ろに使用人が立ち、「メメント・モリ」ととなえることで、将軍に奢りすぎないようにと注意を喚起させていたという。これはまた、カルペ・ディウム(今を楽しめ)ということの裏返しの言葉でもある。現段階では、私は、この言葉を何時も思い出すようにしている。【古今和歌集】598.紅のふりいでつゝなく涙には 袂のみこそ色まさりけれ (つらゆき)眼も紅くなるくらいにつらい思いで泣く涙では、衣の袂の部分だけ、色が濃くなってしまう(ふりいづ:振り出づ・・・声を振りしぼるように泣く)
2018.11.24
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今日のセミウォーキングは上牧駅裏から上牧小学校を回ってシャルマンを通って帰宅した。姫達が帰阪するというので、急遽買い物に出掛けた。イオンのブラックフライデー前日であったのでシャツを2着も買って貰った。昨日間違って購入したインクも交換してもらった。夕方、姫達が帰ってきたが、私と連れ合いは連れ合いの知人との会合に付き合ったので、別々の行動となった。***日経の「迫真」のシリーズだ。日経5回のシリーズで中東を解析していた。先ず、サウジ関係で、ムハンマド皇太子の砂漠のダボス会議での話だ。サウジ記者の惨殺事件はムハンマドの指示であることはほぼ確定的であるにもかかわらず、之に対する釈明は早々に切り上げて国家革命談義に移り、それを出席者は総立ちで割れんばかりの拍手だったとか。どうもあの閉鎖的な国では、ムハンマド(権力者)に異議を唱えるとどうなるのかが身にしみて分かっているようである。そういえば、権力者の独裁化が目に付く最近だ。一方、この事態を憂える者達もいる。王室の連絡役を務めたハリド・ビン・ファイサル王子はトルコのエルドアンと協議して、トルコへの資金援助やカタールへの断交撤回などをつり玉をちらつかせたようだが、エルドアンに政治的賄賂だと一蹴された。その報告を受けたサルマン国王はやっと事態の深刻さを悟ったのだ。サルマンはどうやら裸の王様だったようだ。ムハンマドによって国王謁見の機会は制限されているのだ。これほどまでにムハンマドに権力が集中・浸透しているとはという感じだ。思えば、日本でも忖度という言葉が横行したが、今のサウジはこの忖度と締め付け、陰謀の最中にあるようだ。之を陰で支えているのがトランプの娘婿クシュナーだ。このクシュナーとムハンマドは同世代の仲良しだというのだ。この関係から、トランプは、クシュナーを対サウジの窓口とし、しばし駐サウジ大使を指命していなかった。こういったゆがんだ関係にあるのがアメリカとサウジなのだ。現在はやっと註サウジ大使を指名しているようだが2年の間は、クシュナーが全面に立っていたのだ。アラブ人とユダヤ系の交流は如何にも奇異な感じがするのだが。こんなゆがんだ関係で成り立つ両国だが、既にアメリカはCIAがカショギ記者の殺害指示はムハンマドから出ていると結論づけている。トランプはこの事件を有耶無耶にしてなし崩しに終わらそうとしているのだ。エルドアンは反対に徹底的にムハンマドを追い込もうとしている。そこに出てきたのがプーチンで、サウジに擦り寄る形だ。何時もロシアという国は、世の体勢に反する行動を取る国なのだ。残念ながらもうこうなるとカショギ殺しの犯人が誰かなどはどうでも良くなっている感じだ。イスラエルの話、アメリカが大使館をテルアビブからエルサレムへ移したが、その資金を出したのがトランプへの大口献金者でカジノ王アデルソンだ。ユダヤ人で熱心なシオニストだ。トランプのイスラエル重視の突出した動きに感謝の意を唱えている。エルサレムの高台の特設舞台でキリスト教福音派による平和のイベントが開かれたが、ここでもトランプの極端な福音派擁護に酔いしれている。エジプトのシシ大統領も、福音派の平和行動を支持するとしている。また、南米のトランプと呼ばれるボルソナロ次期大統領も又、イスラエルの大使館をエルサレムに移すと発言し、アラブ人の気持ちを逆なでしている。ボルソナロの出現も又現代の流れが産んだのだ。最近ドバイで開かれた国際柔道大会で、イスラエル選手が優勝し、UAEで初めてイスラエル国旗が流された。こんな風景は今までなかったことだ。イスラエルの文化相が、柔道連盟の幹部とモスクを訪れたときに友情と平和のためにとヘブライ語で記帳したと言うから、どうなっているのだろうと思ってしまう。最早混乱の境地だ。強権者を批判するメディアは徹底的な弾圧を受けている。カショギと同じく、イヤド・バグダディはアラブの国体を非難して命を狙われ、今はノルウェーに亡命中だが、カショギ事件以降、更なる身の危険を感じているようだ。エジプトのシシ大統領も、自分への中傷を更にきつく取り締まるように、取り締まりの強化を指示している。SNSはかつてアラブの春を引き起こした導火線であったが、今は権力者の監視下に置かれ、無数のボット(自動配信装置)で指導者礼賛の宣伝をまき散らしているのだ。同じくエルドアンも、カショギ事件では、サウジを徹底的に追い詰める姿勢を崩していない。対立しているサウジを牽制し、ムハンマドを揺さぶり続けている。しかし、一方では自らに振り掛かる言論弾圧に対する抗議の声を之でかき消そうと意図しているようだ。皆一皮むけば自画自賛、我田引水だ。イランとアメリカの対決構図では、アメリカのイラン制裁で、各国にイランからの原油輸入を止めるように依頼していたが、イラン産の原油に依存している国は多く、インドなど8カ国には、原油禁輸を緩めることにせざるを得なくなっている。イランのロウハニ大統領も、最高指導者のハメネイも強気の姿勢を崩していない。永年に亘る制裁に対して相当の耐性を有していると意気軒昂なのだ。イランはアメリカの制裁で疲弊しているやに思われるが、どうやらトランプの意図したとおりには進展していないようだ。ガソリンは密輸出され、密輸業者がほくそ笑むだけだ。イラン国民は、現在も対米強硬派の方が多くを占め、穏健派の力はそがれている。再びサウジだが、国内どのムハンマド皇太子の人気は絶大のようだ。とはいえ、権力で押さえつけているという点は否めないようだが。一般の国民にとっては、女性の解放の1つである、女性に閉ざされていた運転免許証の取得が解禁されたのは大きい。極めて象徴的な出来事で、かつては考えられもしなかったことなのだ。昔サウジでは、身内の女性をじろじろ見られることは好まれず、のぞき込むなどと言ったことは重大な問題になりかねないことだったが、今や、女性の解放は免許証取得解禁に集約されているように大変革をもたらしている。この改革も又ムハンマドの指導に依るのだからサウジ国内のムハンマドの評価は国外の批判を上回っているようだ。冒頭の砂漠のダボス会議には、日本の孫正義を初め多くの外国企業関係者は参加を見送ったが、サウジのエネルギー相であるファリハは「参加を見送ったほぼ全員が謝罪して、再訪を伝えてきた」と表明しているようだ。これは本当だろうか、はったりだろうか、我々が確かめる余地は無い。一方、アメリカの有力議員であるランド・ポールはトランプとは逆に対サウジに批判的だ。何でも言うとおりになると思っては駄目だと高圧的なのだ。背後にシェールガス革命で原油の確保が十分になったアメリカの対サウジの依存度が減少したことが挙げられる。アメリカの中東後退で、得をするのは(漁夫の利を得るのは)中国やロシアと云うところだ。更に宗教的過激派アルカイダ系は、こういった混乱をほくそ笑んでいるようだ。ムハンマドが起こした改革とカショギの殺害は中東に奇妙な混乱と変化をもたらしていることは疑いない。新聞の解説者は表面の動きだけを捉えていると裏側の大きな変化を見落としてしまうことになるので、注意を要するとしている。ますます目が離せない。【古今和歌集】597.わが恋は知らぬ山路にあらなくに 迷ふ心ぞわびしかりける (つらゆき)我が恋は、初めてで行方も分からないような山路ではないのに、道に迷うように途方に暮れているのが辛いことだ(まどふ…惑う、途方に暮れる)
2018.11.23
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今日は七草の会ゴルフコンペだ。場所は亀岡GCだ。残念ながら、連れ合いは腰の調子が今少し回復していないので、参加は見送った。前後で、今日だけ雨が降るという予報通りに、出掛ける前は小雨が降っていた。幹事である友人の奥さんは、午後から晴れるからと小雨決行を決めていた。高槻CCを通り、亀岡GCに着く頃には何とか雨が止んでいた。エントリーする段になって友人が急な発熱で参加しないとのことだ。雨が嫌だというわけではなく、風邪を引いたようだ。やむを得ないことで参加は6人になってしまった。前半はゴルフ場の「肉争奪戦コンペ」が組まれていて、自動的に参加した。友人の不参加で、組み合わせは急遽変更、私は年長夫妻と一緒だ。考えてみれば、友人不在なので、白ティーから打つのは私だけだ。雨予報もあり、2組がキャンセルしたとかで、30分早いインからのスタートとなった。No.10は、パー5。朝一のTSは先ず先ずで、FWCRだ。2打は良い当たりでFWCRをキープした。残り155YDを3Wだ。上手く花道を抜けてパーオンした。然し、ピンに遠く、3パットしてしまった(これは残念だ)。ボギーだ。年配の男性(以下男性)はダボで、その夫人は8打だった。No.11は2打(通常)を右ドッグの打ち上げだ。TSはあまり飛ばないで、レディースティーの少し前だ。2打もまぁまぁのFWCR。GRに届けばと打った3打はゴロでFWの凹んだところで止まった。4打もしっかり当たらなかったがゴロで結果はオンだ。2パットのダボだ。No.10でミスったのが続いたので、今日もこの程度かと一瞬思った。男性は、良い当たりを連続し3オンして、1パット目がカップを覗く惜しいボギーだ。夫人は最後のパットをこれもカップを覗く形で、結果は8打だ。No.12はだらだらの打ち上げ。TSは今までに無く真っ直ぐ飛んでFWCRだ。少し右目を狙ったのが良かった。残り145YD上りを3Wで何と転がり上がったのだ。しかも1パット目がカップを覗くバーディ逃しのパーだ。複雑だが良い感じだ。男性は、7打で、夫人は、ここを3オンしてボギーとしたのは良かった。No.13は中間が凹んだやや打ち上げショート。ピンは近い。TSは4Wで、少し左目に駆け上がったがGRを少し左に外れていた。2オンが上手く寄って1パットのパーだ。男性は、2オンして2パットのボギーだ。夫人は1オンしたが、ニアピンは取れなかった。惜しくも3パットしてボギーは痛かった。No.14は打ち下ろし池有り。TSは上手く飛んで、FWCRだ。軽く2オンと狙ったが、ダフってしまった。3オンをピン左に乗せたが、微妙なフックラインを1パットで沈めたパーだ。(これは気持ちが良かった)男性は、3オンのボギーで、夫人は2オンしながら3パットでのボギーだった。No.15は広いフラットコースだ。TSは少し右に出てしまった。2打を、チョロ気味で、カート道に助けられて前方へ。3オンして2パットのボギーだ。男性は4オンで、惜しいパットを外してダボだ。夫人は5オンながら1パットのダボだった。No.16は、パー5。TSは良い感じで、FW左だ。何時もより少し右を狙った。2打を同じく左に運び、ラフからFWに出た。3打でも良い当たりが出てGR手前だ。4オン2パットのボギーだった。男性はダボ、夫人は9打だった。No.17は打ち降ろし150YDのショートだ。DRで打ったが、少し右目でGRには届かない。2オンして2パットは平凡なボギーだ。男性と夫人は、2オンしたが共に3パットでダボとした。No.18は、TSはまずまずの当たりのFWCR。2打はこれも良い当たりで左バンカー手前だ。バンカーが気になりトップしてGRを越した。4オンで、2パットのダボは一寸悔しい。男性はトリプルで、夫人は1パットのダボだった。ショート以外皆FWキープで、前回FWキープ率22%に比べて格段に良かった。このため、「肉争奪コンペ」では86人中20位で見事肉を射止めた。グロスでは5位程度の成績だった。後半はアウト、早めのスタートだ。七草の会だけになった。No.1は、TSは普段より少し右目狙いで良い感じで飛び、特設のマウンドを越えたFWCRだ。初めてくらいの快挙だ。2打も良く、右ラフだ。3打は上手くオンできた。2パットのボギーだ。男性もボギースタートで、夫人はバンカーに泣いてトリプルだ。No.2のTSは右の方に飛んで少しラフに入った。2打を5Iで順当にFWCRに戻し、3打をトップ気味にGR向こうに外した。4オンで1パットのボギーに止めた。男性はアプローチで右のバンカーに入れ、悪戦してパットも3つの10打だった。可愛そうだった。夫人はトリプルで上がった。No.3(超打ち下ろし)は今日のピンは左GRの手前だ。TSを7Iで少し引きすぎて左ラフだ。7Iで転がしたがピンをかすめて越えた。返しが2パットとなってボギーだ。手堅く行くべきだった。男性も夫人もボギーだった。No.4は、HDCPが1のホールだ。TSはまずまずの感じで左ラフからFWCR左だ。2打でFWCRに戻し、3打もFWキープだ。残り110YDを6Iでオンした。2パットのボギーだ。男性もこのホールは良い感じで進みボギーだった。夫人はトリプルとしていた。No.5は表示が95YDとなっていて8Iでトライしたが砲台下だ。どうも表示が違っている上に当たり損ないだ。2オンして2パット、ボギーは先ず先ずか。男性は、又バンカーに泣いて、6打だ。夫人は1オンして2パットのパーだった。然しここも前の組がピン近でニアピンは逃した。No.6は、TSは良い感じでFWCRから傾斜で左に流れた。つま先上がりの2打をダフリ気味で、左ラフに入れた。やっぱり右を狙うべきだ。バンカー越えで、少し大きめとPWでトライしたが少し足りず、予想外の左に広がっているバンカーに捕まった。ここからが悪夢。トップでホームラン、返す球をチョロし、再度ホームランの行ったり来たり。やっと7オンして2パットの9打は泣けなかった。男性はボギーで上がり、夫人は2パットのダボだった。No.7は、TSは天ぷらでFWに届かない直前のラフだ。然し2打を超快音で挽回しFW左だ。PWで3オンしたが、痛恨の3パットだ。前を少し引きずっている。男性は、ここでもボギーで切り抜けた。夫人は4オンして、ここで4パットの8打だった。No.8のTSはFWCRだ。「安定している」と声が掛かったが、今日のTSはその通りだ。2打も快調にFW左だ。バンカー越えをPWでオンしたが、ここでも3パットだ。ダボは痛い。男性もダボだった。夫人は引き続き8打だった。No.9は、パー5。TSは良い当たりだったが左ラフだ。2打で残り195YDのFW左だ。3打はゴロになってしまいFWCRだ。4打はトップ気味だが結果はオンだ。そして最後、遊んだわけではないが、イージーに4パットしてしまった。トリプルだ。男性は、ボギーで上がっていた。私と同じ8打だった。No.6の9打以降、一寸緊張の糸が切れてしまった。以降の7打は余分だった。平行は無理でも46くらいでないと・・・。結果は、優勝となって、嬉しいやら残念(後半)やら複雑な気持ちだった。
2018.11.22
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今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点までの往復だ。中学校の放課後学習会に参加した。試験も近いので、皆真面目に勉強に励んでいた。***ミャンマーの特集記事があった。アウン・サン・スーチーが率いる政権発足後2年半が経過した。ミャンマーは民政に移管する前後から大きく変貌してきたが、その後は、ロヒンギャ難民問題などが硬直してなかなか思うように国家が安定な発展を遂げられない状況になっていた。しかし、ここに来て経済関係に人材を投入して、更なる発展を記す態勢が整ってきた。ロヒンギャ問題を抱えながらも、海外からの投資誘致で展望を開こうとの動きは衰えていないようだ。人口は5300万人余、経済成長率は6%と、発展に対する力は衰えていない。スーチー自身と政府は経済改革を推進しようと自ら先頭に立って改革を進めている。日本で開かれた日本・メコン地域諸国首脳会議後のカンファレンスで、スーチーはミャンマーへの投資を呼びかけた。そのために行政手続きを統一し、効率的な制度を作るとしている。(ワンストップ・サービス)窓口を統一して、海外からの投資をスムーズに行えるように法整備をしている。2018年8月には今後の経済政策の指針となる「ミャンマー持続可能な開発プラン(MDCP)」を発表した。251項目に亘る詳細なプランで、その根本は国内平和と行政改革で35項目から成っている。ロヒンギャ問題もこの中で解決を図ろうとしているが、仏教徒が88%を占めるミャンマーでは、イスラム教徒のロヒンギャは、イギリス統治下で流入してきた異民族として、国籍を与えられていないほどの扱いで、国民からは受け入れの共感は得られないのだ。当面はロヒンギャ問題を横に置きながら運輸インフラの整備に力を入れている。日本と中国は、個別にインフラの整備に参画し、推進している。中国は勿論一帯一路の一環としてインド洋に面したチャオピュー港の開発と、そこからミャンマー第2の都市マンダレーを結ぶ鉄道や高速道路の開発を計画している。チャオピューはミャンマーにとっても重要な港で、水深も深く大型船が入港できる良港であるし、中国としてはチャオピューからマンダレーを経て中国の昆明に至る経済回廊の建設は、中国の物資をマラッカ海峡を通らずに直接インド洋に運び込めるという利点がある。日本はODAでヤンゴン近くのティラワ経済特区を開発して、日本企業の進出を図り、ティラワからヤンゴンネピドー、マンダレーへと続く回廊の改修工事を始めている。この間の鉄道を改修することで、ヤンゴンマンダレー間が現在約15時間かかるところを、半分の時間で通行できるようにと計画している。ティラワと同じく、その南のダウェーでも経済特区を設けて、チャオピュー、ティラワ、ダウェーの3大経済特区を指定して、投資呼び込みを行っている。軍政時代に、中国に歩み寄って、中国からの投資を受けていたが、最近問題になっている、「債務のワナ」の懸念が広がって、チャオピュー港開発も段階的に行うこととすることに再交渉を行ったようだ。ミャンマーに進出している日本企業は2011年の53社から増え続け、2018年には400社を数えるまでになっている。ティラワ経済特区に集中し、更なる展開も計画されている。最初は投資対象とみられていたが、現在は実際のビジネスが始動しているようだ。外資による会社も国内会社法の規定を改正し、外資比率35%までなら国内企業と認めるという風に柔軟になってきた。之によって外国企業の進出が容易になっている。ティラワ経済特区について詳細に見ていくと、旧首都ヤンゴンの市街地から川を隔てて20km余り離れたところにある。軍政から、民政移管で軍出身のテイン・セイン元大統領はスーチーを釈放するなど経済については矢継ぎ早に改革を断行していった。この予想を超す変身ぶりに国際社会も経済制裁をほぼ全面的に解除し、今日の隆盛を招いたのだ。中国、インド、東南アジアに囲まれた立地と、忍耐強く細かい作業を得意とするミャンマー人(ビルマ族)が人件費の安い低コストの生産基地を提供する形になるのだ。ミャンマーは建設市場の成長力が大きいうえ、人件費はベトナムの半分。人件費が同水準のラオス、カンボジアと比べても「真面目さなど労働力の質がはるかに高い」と言った評判もある。なお、之までは小売・卸売り業については国内企業だけとしていたが、一定規模の投資を条件に外国企業の参入することを認めた。之により、イオンやユニチャームが進出している。こうした企業が集中する中、問題となるのは電力供給だ。電力供給網は脆弱で、この点も製造業進出ではネックとなっていたが、日本の円借款で整備した発電所・送電線・変電所が機能して電力状況は劇的に改善した。さらに、これらの都市や港湾開発を有機的に繋ぐための周辺国と道路網整備も行われている。タイとティラワを結ぶ新たな幹線道路の整備や、中国やインドとの国境を結ぶ道路の拡充も行われている。ミャンマーは東南アジアの国際道路網のボトルネックとなっていたが、国際物流の要衝に発展する可能性がある。第2の都市である北部マンダレーと中国国境の北東部ムセを結ぶ幹線道路の整備も始まっている。現在マンダレーームセの移動には10~12時間かかるが、2時間程度の短縮が見込まれている。インドとの国境周辺の道路も、関連する道路橋の改修とともに進められていて、インド国境タムとマンダレーを結ぶ道路はタイとも接続しており、インド-タイの貿易促進にも寄与する。ミャンマーは東南アジア諸国連合(ASEAN)、中国、インドの結節点となる要衝だが、軍事政権時代の停滞で国内幹線道路整備が遅れ、アジアの国際道路網の「ミッシング・リンク(失われた鎖)」と揶揄されてきた。道路網が整備されれば「一転してアジア物流のハブに転換するとの期待が高まっている。観光面でも、ミャンマーは日本人と韓国人とには観光ビザ取得を免除し、中国人については空港で取得できる到着ビザの制度を創設して、入国前に予めビザ取得のための申請手続きを不要として観光客の利便性を図っている。ミャンマーを縦走するエーヤワティー川沿いのバカン遺跡はカンボジアのアンコールワット遺跡、インドネシアのボロブドール遺跡と並ぶ世界三大仏教遺跡であり、国内外からの観光客が集まる。また、パガンには建立された3500以上のパゴダ(仏塔)は世界遺産の候補に挙がっていて、2019年にはその登録の可否が問われることになっている。ヤンゴンのミャンマー最大の仏塔「シュエダゴン・パコダ」はアラジンのランプを思わす巨大な建造物で、流石仏教国と言うに値する建物だ。ミャンマーの仏教の主流は、自己の修行により自己一人のみが救われる上座仏教で、上流階級が功徳を積むために建てたのがパゴダである。しかし、この歴史的な遺跡もロヒンギャ問題が影を落としていて、ロヒンギャ問題がクローズアップされてからは欧米からの観光客が激減(26%減)したとのことだ。ミャンマーから来日し滞在している人も多いようだ。日本在留のミャンマー人は2017年12月時点で、約2万2500人で5年前の約8000人から2.8倍に増加している。主に軍政下で弾圧を逃れてきた人たちが中心だったが、民主化を契機に留学生が5年で3.4倍以上に増加している。姫の学会にもミャンマー人が何人か参加しているようだ。国内でミャンマータウンと呼ばれる場所がある。新宿の高田馬場がそこで、ミャンマー料理・雑貨店などが点在していて「リトル・ヤンゴン」と呼ばれているようだ。都内に在住するミャンマー人は約1万人で、高田馬場付近と豊島区に約4500人が住んでいる。【古今和歌集】596.年をへて消えぬ思ひはありながら 夜の袂はなほこほりけり ((とものり)何年経っても恋しい思いは消えずにあるけれど、夜の衣の袂は依然として涙で凍っている(年をへて ・・・ 何年も)
2018.11.21
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今日のセミウォーキングは西国街道を、梶原を越え萩之庄まで歩いて折りかえし、帰りは楠薫堂を通り、予約シートに名前を書いて帰った。楠薫堂が開く時間には、通常診察を受けに出かけた。今日は我が誕生日だ。5年前から一念発起ウォーキングを始めて今日で23,000kmを歩いたことになる。三日坊主になら無いかなどと思って歩き始めたが、何とか今日まで続けられている。今日は連れ合いの運転免許証が交付されるので受取に行く。久しぶりのゴールド免許だとのことだ。途中、西武で昼食を済ませた。夕方には連れ合いは、知り合いとの外食で出掛けた。***今日はまさかというショッキングな記事が紙面のトップを飾った。日産会長のカルロス・ゴーンが金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで事情聴取を受け、逮捕される見通しだという。仏ルノー・日産自動車・三菱自動車の会長を兼務するゴーンだが、まさかとの第一印象は免れない。内容は自らの報酬を過少申告した疑いがあるとのことだ。さらに、複数の重大な不正行為があったと、言う記者会見を社長の西川が行っている。之を書いているのは23日だから、今日の日以降のことも一緒に書くことになる。だから実際にはすでに逮捕拘束されている。他に2人逮捕されている。ゴーンは1999年、経営危機に陥った日産を再建した(日産の業績をV字回復させた)人物だが、事それに関しては、偉大な業績として捉えられている。然し、考えてみれば、2万人ものリストラを断行しての荒技だけに、サラリーマンをして痛みにとっては、諸手を挙げて賞賛することは出来ないでいる。生まれはブラジル、レバノンに祖父を持ち、フランスで活躍、日本に乗り込んできた凄い国際人であることは確かだ。今のところ、ゴーンは日産の代表取締役のグレッグ・ケリーと共謀して、2010年度から2014年度の5年間で実際の報酬、計約99億9800万円を計約49億8700万円と偽って申告していたとのことだ。見せかけの報酬額を少なくするため、長年にわたり、実際の報酬額よりも少ない金額を有価証券報告書に記載していたのだ。一般のサラリーマンからしたら雲をつかむような額だ。さらには、日産側が数十億円負担して海外で複数の住宅を購入しゴーンが無償で利用していたとのことだ。V字回復で瀕死の日産を救ったとのことから、ゴーンがカリスマ経営者で日産に於ける帝王になったことは容易に理解出来るストーリーだ。然し、この額は巨大であるがやっていることは小企業のオーナー社長の行動と何ら変わらないという感じだ。小企業の社長なら、せいぜいタクシー代を誤魔化したり、牛丼の領収書を経費に入れたりするくらいのことだが、流石に(?)規模が違う。この不正に関わったと見られる者が内部告発をし、司法取引の下、この事実が明らかになったようだ。然し、西川社長を含む今の他の役員達は一体何をしていたのかと甚だ訝しい。内部告発があって、次々と準備していたかのように社長が暴き立てるゴーンの所業は、何故それまで問題視されずに済ませてきたのかと、逆に疑問が出てくるのだ。何やらもっと奥深いものを感じるが、それは追々明らかにされるだろう。私は幸い日産車には乗っていないが、日産の車を愛用している者なら、自分が払ったお金の幾ばくかはゴーンに流れて不正着服されていたことになり、気分的には許されない事だろう。日産は、先に完成検査時に未認定の検査員に完成車の一部検査をさせていた問題で販売済みの約121万台をリコールしたばかりだ。この時も、西川社長は検査の不備が一部で常態化していたことを明らかにしたがこの時以来、日産とはどんな会社なのか疑問符が付いた。企業統治が全くなっていなかったわけで、それが今回のゴーンの非常識な行動と逮捕に繋がったのだろう。この時、西川社長は「国交省から指摘されるまで(問題を)全く認識していなかった」と説明したようだが、あなたは何故社長という立場にいたのかと問いたい気分だった。全くよそ事のような発言に唖然としたのだ。更に、この無資格検査発覚後もこの状態が続いていたと言うから、何をか況やだ。テレビコマーシャルで、「やっちゃえ日産」というのがあったが、それをもじって今回のゴーン逮捕で、やっちゃった日産と揶揄され物議を醸したようだが、むしろ投稿した方が当たり前の認識のような気がした。そこで、問題発覚後も不正がなされたのは現場か経営者かといった意見もあったが、このときも経営者(西川社長)は現場の責任と押しつけたようだ。この体質こそが問題では無いかと感じた。自らは謝罪をして如何にも反省しているがごとくだが内実はもっと腐っていたのだ。そしてこのゴーンの逮捕だ。どう見ても日産内部のいい加減さがゴーンの独走を許したとしか思われない。ゴーンの不正を日産という会社が止められなかったと云う事こそが糾弾されなければならない。フランス辺りでは、日産を立て直した貢献者をかくも追い込むのは恩義知らずという発想もあるようだ。いずれももう少し冷静に判断しなければならない。こう言った経営サイドの不祥事は、後を絶たない。経営者の奢りが歴然としている。問題を提起すべき経営者が、黙りこくっていて、事件が発覚してから、遺憾に思うと過渡期に自らが至らなかったとか自責をアピールしている様は、むしろ滑稽であるし、不自然に映る。ゴーンの不正は糾弾されなければならないことは勿論だが、このことで、ルノー、三菱との関係に影響は与えないとするのは、ちと虫が良すぎる感じだ。そもそも日産がこれほどまでに窮したのは本来しっかりすべき経営者が、実は不在だったことにある。ゴーンに舵取りを頼まなくてはならない状況を作った経営陣に多くの責任存在を感じるのだ。勿論ゴーン自身の私利私欲の不正は、考えられないことだ。金を持てば持つだけで、更に欲しがるというのは人の常なのだろうか、そこまでして何を追い求めていたのかとゴーンに問うてみたい気がする。後付けの評価だが、今日の不始末を受けて、ゴーンの顔を見るとき、このような結果を想定できる面構えであったと思ってしまうのだ。現時点でゴーンの悪業を纏めると、(1)の報酬の過少記載・・・役員報酬約100億円を約50億円と記載、(2)投資資金の私的流用・・・ベンチャー投資名目で日産が設立したオランダ子会社などにゴーン会長の自宅用の物件を購入させていた、(3)経費の不正支出・・・家族旅行の費用など数千万円を日産側に負担させていた他にも出てくるのか、暫く成り行きを見てみたい。【古今和歌集】595.しきたへの枕の下に海はあれど 人をみるめは生ひずぞありける (とものり)枕の下に涙の海はあるけれど、そこにはあの人に逢えるという 「みるめ」は生えていない(しきたへの ・・・ 主に枕など寝具に掛かる枕詞、みるめ ・・・ 海草の名前)
2018.11.20
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今朝は歩こうと玄関を出たら小雨が降っていた。傘を差してまでは止めようと、ごみを出すだけで帰ってきた。昼は、高校時代の仲間とランチ会だ。梅田丸ビルの桂だが、入口前にいた人たちは、皆爺さん婆さんばかりだった。そういえば我々も彼等の仲間かと、改めて自覚した。お昼のおすすめ会席は茶碗蒸し、河豚皮、合鴨、海老、帆立、鰤、鮪、甲烏賊、長寿豚、牛、鮟肝・・・とまるで山海の珍味一同に会すといった感じだった。皆少量ずつなので、余すことはないが、お酒も手伝って、とりとめも無く話は弾んだ。同級生だから皆同じ程度に傷んでいるわけだが、7人集まった中でも、それぞれ少しずつ状況は異なっている。過去に大病をしたと言うことを含めると、皆なにがしかのトラブルはあるようで、元気で生きていることがそれだけで幸せという実感だ。とにかく美味しい物を食べることが今の目的という者もいる。足腰の衰えを押して、仕舞や謡いに励む者、老人の話し相手をボランティアで行っている者は、もう自分より若い人も老人施設に入ってきているという。病気を押してか、とにかく数え切れない(?)薬を飲んでいるとか言う者、住職をやる者、ゴルフを良くやる友人と我々といった7人組だ。梅田は丁度皆が訪れるにはいい加減の場所だ。たまに都会の空気を吸うのもまた良しだ。食事会を終えて、ヒルトンでお茶して、それぞれに帰って行った。我々2人は、皆と別れ、映画「華氏119」を観た。話題の監督マイケル・ムーアが、アメリカ合衆国第45代大統領ドナルド・トランプを題材に手がけたドキュメンタリーということだ。ぼんやりした内容は聞いていたが、映画のタイトルが何を意味しているのか知らなかった。それは、トランプの大統領が当選を確定し、勝利宣言をした2016年11月9日に由来しているのだという。以前に公開されたムーア監督の代表作であり、当時のジョージ・W・ブッシュ政権を痛烈に批判した「華氏911」に呼応するものになっている。「華氏911」はアメリカ同時多発テロの2001年9月11日を表し、今回の「華氏119」と共に日付を表していたものだ。数字が似ていることもあり、何か意味を持つのかなどと考えたが、案外単純なネーミングであったのだ。華氏119度はセ氏で言えば48度などと云うことは無意味な換算でしかなかったのだ。お酒も入っていたことから、テンポの速いフラッシュ的な場面の展開について行けない所もあった。我々が見て現状の破壊者のように見えるトランプだが、彼を生み出したアメリカ社会とは何かを改めて感じさせる内容になっている。クリントン(ヒラリー)候補へもオバマ大統領へも切り込んでいて、見ていると,アメリカ自身が既に崩壊しているといった風にも見受けられた。選挙当初はトランプの当選はあり得ないものとしていたが、その頃からムーアはトランプの当選を予想していたという。トランプなどあり得ない、そう思うことがアメリカの民意であるとしていたのが、結果は逆転だったわけだ。不明にも今回初めて知ったのがミシガン州フリント市(GM創業の地)の水質汚染の話だ。一寸うとうとしていて見過ごしてしまったかも知れないが、あれほどの汚染が隠蔽されていたなどとは、とても考えられないが、それも含めてアメリカの現状なのだ。このミシガン州知事となったのはトランプの支援を受けたリック・スナイダーだが、彼は財政破たんした町の立て直しで、自動車工場の閉鎖などを計画し、その1つにフリントの水道に安い鉛管を使用したのだ。フリント川は水銀汚染で、水道管の鉛が腐食し、人体に有毒な鉛入り水道水(それもコーヒー色)が給水されたのだ。鉛中毒による死者が出たり、子供たちに深刻な症状が出ていることも初めて知った。しかも、市は無害だと言い張って、健康診断の結果も改ざんしていたとか。どこも同じ事をするものだ。ここで、州知事(共和党)の怠慢で、対策が成されなかったことからあたかもトランプ批判一本かと思わせたが、そこに時のオバマ大統領(民主党)が来て、民衆は環境改善を期待したのだ。然し、オバマはろ過した水に口を付けるだけで飲まず、対策も有耶無耶、帰るときにはブーイングものだったようだ。繋がりはよく分からなかったが、後に軍の攻撃対象にされて村が破壊されていた。民主党も当てにはならないと言う事だ。当時の政権は、どっちにしろたいして国民のことは考えていないのだと云う事を明らかにしたようだ。マイケル・ムーアはトランプが泡沫候補のように云われていた頃から、大統領になるかも知れないと予想していたという。ヒラリーの当選確率が85%(トランプは僅か15%)だというニューヨーク・タイムズの発表時にもトランプ勝利を予想していたと言うから、アメリカの内部に隠された様々なことを知り尽くしている故かも知れなかった。マイケル・ムーア自身ラスト・ベルト(錆びついた工業地帯:人口は非常に多い)といわれる見捨てられた町フリント出身だとのことだ。トランプが歯に衣着せぬアジテートで、貧困労働者を擁護する発言をする度に、この地方でのトランプ人気が上昇してくるのを目の当たりに感じたのであろう。トランプがこの辺りを上手く利用したことは、今でも分析されているところだ。常に貧困者、労働者を守るというスタンスが、ひょうたんから駒を出したことになるわけだ。ここに住む人たちは、トランプが世界に非常識とも云えることを発表していても、自分たちを守ってくれるのはトランプだと云う事になるわけで、おいそれと支持基盤が揺らぐことはない。映画は又、アメリカの銃規制に及ぶ、2018年2月、フロリダ州バークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、退学処分になった元生徒がライフル銃を発砲し、17人が殺害される事件が発生。これに触発された高校生達が、銃の規制強化を求める「我らの命のための行進」を企画し、通りを埋め尽くす民衆が描かれている。アメリカには、こういった若い力が醸成されているのだ。彼ら高校生たちの大半は、このたびの中間選挙では投票を行ったのであろうが、結果は、ドラスティックな変更にまでは至らなかった。しかし、彼らは、2020年の大統領選でのトランプ再選を阻止しようと、すでに動き出しているのだ。この時の犠牲者を追悼する場面では、生き残った女生徒が檀上で、17人の犠牲者の名前を静かに読み上げていた。こういった運動が、何時実るのか、日頃の新聞報道を見る限り、なんだか乖離を覚えざるを得ない。さらに、この映画では、ナチスドイツのヒトラーの演説を導入して、そのトランプ演説との類似性をあぶり出している。トランプによる移民排斥をナチスのユダヤ人強制収容と比肩しているのだ。そして、解説の女性との話で印象に残ったのは、トランプはヒトラーのようにおよそ考えられないと言ったことでも過激に演説でぶち上げて、その反応を見、その後多少の修正を加えるというアジテート演説の手法を用いていると云う事だ。正にヒトラーと酷似しているように思えた。映画(マイケル・ムーア)の言いたいことは何なのか、彼はトランプを擁護しているのか、排斥しようとしているのか、今一つ理解出来なかったが、彼が、フリント出身だと聞いて、更に分からなくなってしまった。【古今和歌集】594.東路のさやのなか山 なかなかに なにしか人を思ひそめけん (とものり)どうして中途半端にあの人を恋しく思いはじめたのだろう(なかなかに ・・・ 中途半端に、なにしか ・・・ どういうわけで)「東路のさやのなか山」は、「なかなかに」の序詞。単なる語呂合わせだ。小夜の中山は現在の静岡県掛川市にある峠の名前
2018.11.19
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今日のセミウォーキングは高浜堤から河口32.0km点までで、帰りは楠薫堂経由だった。朝食もそこそこに、朝から孫の野球の試合のダブルヘッダーを観戦に出掛けた。残念ながら孫も不振で、優勝は逃したようだが、4年生中心の孫達が5年生が中心の他チームに負けるのは致し方のないことだ。夕方からは恒例のカラオケ大会があった。今日は16名が参加していた。中に2名知らない人が混じっていたが、いずれも常連さん達の知り合いであった。歌う順をくじで決めたが、トップを引いた。1曲目は「君こそわが命」で練習の時には、パネル(PN)が92点、テレビ(TV)が87点と比較的高得点であったから選曲したのだ。申告点は勿論179点とした。歌い終わると友人は必ず、「この歌は彼女の事を歌った歌だな」と連れ合いの名前を出す。この歌と「君がすべてさ」では何時もそうコメントされる。結果はPNが90点、TVが88点で、マイナス1点は、ほくほくの成績であった。PNは水ものとしても、TVは練習時より1点良かったことになるからだ。しかし、2番手の奥さんが「涙の操」を歌って、173点を出し何と申告点通りだったのだ。すぐさまトップを奪い取られてしまった。それから数名は、驚異的な得点は出ず、しかも申告点との差はマイナス6点が精一杯で、まだまだ2位の地位は安泰であった。丁度真ん中に歌った年配の女性は「白い海峡」182点という高得点を出したのだが、やんぬるかな、申告点は168点と低く、16点もオーバーしていた。次の女性は、申告点を180点と最高点を申し出ていたが、「懐かしのブルース」の結果は168点と奮わず、論外のオーバー評価であった。続いて歌った少し調子がズレる男性は、申告点を予め158点とみんなの中でも最低を申し出ていたが、「大阪箕面忍ぶ恋」で予想外の高得点173点を出したものだから15点もオーバーとなって敢えなく沈んだ。さて友人、完成された域の「尋ねて小樽」は172点あった。練習時には、161点だったから、その後少し練習したことを加味して申告点を165点としていたのだが、それをもオーバーしてしまったことになる。自己を過小評価したのだ。運転手を引き受けさせられた若い人(唯一28歳とかで若い)は流石に今風の歌「ロード」で、172点を出していた。続く連れ合いは、「南部蝉時雨」で結構な高得点176点(TVは90点)を出したが、何と申告点を1点オーバーして敢えなく沈没だ。悔しがることしきりであった。ところがその2人後の、2番目に同点を出した女性の旦那は「十九の春」を訥々と歌い165点の申告点通りで、夫婦揃ってドンピシャとなった。之には参加者全員が唸ってしまった。そして取りは若い人を運転手で連れてきた男性だが「カルムリ」とやらを歌って、何と本日の最高点である185点をたたき出した。最初の申告点は166点だったが、皆の得点経過を見て申告を185点と修正したかったようだが、却下され、申告点からも19点と最高のオーバーで敢えなく沈んでしまったのだ。なんともはや、小さなドラマがそこここにある1回戦であった。私は3位入賞となったわけだ。夕食が配られ、一息ついた後2回戦が始まった。2回戦は個人ではなく、2人の組み合わせで行おうとのことになった。その日の気まぐれでルールは任意に変えられる。1番と9番、2番と10番と言った具合に組み合わせは決められ、私の相手は1曲目に最高点を申告し、マイナス12点だった女性だ。頼むから2曲目の申告点を下げてくれと心に念じたのだ。さて私は「港町ブルース」を歌った。然し乍ら練習でPNが92点だったのだが、結果は79点と、全くの当て外れ、2回戦での希望は9番目に歌う相棒女性の結果に掛かった。2番目の女性も今度は奮わず「悲しい酒」でマイナス5点だった。1曲目に高得点が出た年配の女性は申告点を169点から178点へと事前に修正していた。「別離」を歌った結果は、165点であった、修正したがためにマイナス13点と私と同じ結果だった。修正しなければマイナス4点で、この時点ではトップだったのにだが、後の祭りだ。9番目の私と同じ組になった女性は「河内男節」で申告点165点を1点オーバーする166点だった。私と合算してマイナス12点となり、上位は覚束ない感じだ。友人の番になった。「細雪」で174点を出した。彼の歌は得点が安定している。プラス11点だ。しかし、同じ組の3番目に歌った男性は「黄昏のビギン」でマイナス17点となっていたため合算でマイナス6点と暫定1位に躍り出た。連れ合いは「おゆき」を歌い、申告通りドンピシャだったが、同組の5番目の男性がマイナス8点だったので、そのままマイナス8点となり2位に付けた。6組目の女性連合は、共に大きくマイナスになって合わせてマイナス30点と全くの論外になった。1曲目トップだった男性は「帰り船」でマイナス5点だったが、相棒がマイナス10点で合計マイナス15点の結果だ。取りの男性は「バスストップ」でプラス1点、相棒の女性がマイナス13点で結果はマイナス12点となった。合算した結果は、友人の組がトップで、2位が連れ合いの組、そして同率3位が私の組と取りの男性の組という結果だ。1曲目トップだった男性の組は辛うじて5位に入っていた。そこで一旦お開きとなったが、3回戦をするのが恒例になっていた。しかし、何時もは10人に満たない参加者だが、今日は社長を入れて13人の参加となった。めいめいが歌う歌を届けて、その得点を他の者が当てるという方式だ。近い点を当てた人が勝ちになる。13人が歌う歌に対してそれぞれが近いと覚しき点を申し出るのだが、之が結構時間が掛かる。採用するのはPNの得点であり、元々どういった点が出るかは未知という具合なので、はっきり言って当てものでしかないわけだ。それでも、順に申告していき、本人は最後に申告する。同点は許されないから先に言った人の点数は避けて申告することになるわけだ。まぁ、宝くじのようなものだが、外れくじはない。順に書くと1番目の男性は「霧子のタンゴ」で79点、当てたのは今まで賞にならなかった女性だ。2番目の運転手を連れてきた男性は「花は遅かった」で85点、当てたのは社長だ。3番目の運転手君は「又君に恋してる」で最高点の91点をたたき出し、当てたのが、1曲目トップの男性だ。4番目、何時も当たらない会長さんは「回り道」で85点、当てたのはこれも1曲目にトップだった女性だ。5番目の女性も最近当たりがない。「雨の船宿」で85点だ。之を当てたのが私だ。5番目には連れ合いが「奥飛騨慕情」を歌って90点を出した。何時も90点を下らない。当てたのは運転手を連れてきた男性だ。7番目に私が「おもいで酒」を歌って83点だった。練習の時と同じだが、最後に残っていた点は88点だったので空振だ。当てたのは2曲目に相棒だった女性だ。8番目の女性は「真夏の夜の夢」を一寸ねちっこく歌って90点だった。当てたのは運転手君だ。9番目は同い年の男性で「ダンスパーティ」で何と同点最高の91点だ。1曲目トップの男性が2回目のゲットだ。続く友人は「いたわり合い」で83点と私と同点だった。之を運良く私が2回目のゲットだ。11人目の女性は「さのさ」を歌い、歌いきらない間の節節でマイクを降ろすものだから69点になり、当てたのは1曲目トップの男性の3盾だ。12人目のその奥さんは「舟唄」で76点しか出なかった。当てたのは運転手を連れてきた男性だ。最後に社長が「ささやき」を歌って76点であった、当てたのは本人と云う事で、都合当たった人は8人、外れた人は5人という結果に終わった。我々2人としては、まずまずの成績ではなかったろうかというのが感想だ。【古今和歌集】593.よひよひにぬぎて 我がぬる狩衣 かけて思はぬ時のまもなし (とものり)毎晩寝る時に脱いだ狩衣を掛けておくように、夜の間もずっとあなたに思いをかけているのだ(よひよひ ・・・ 毎晩 (宵々) 、狩衣 ・・・ 元は鷹狩りの時に付けた、動きやすい服装)
2018.11.18
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今日のセミウォーキングは大阪染工から宝寺踏切までで、帰りは島本駅を通った。朝食もそそくさと、中学校の土曜スクールに出掛けた。12,3人がやってきた。思い思いに勉強するが、中にしゃべるばかりで、勉強中の友達を巻き込むのもいて、問題だとの話題になった。太郎君一家が連れ合いと私の誕生会を持ってくれた。勿論孫達も一緒で、恒例のサンマルクでのことだ。連れ合いの誕生日は11日で、私は20日だ。孫は野球、太郎君は出張続き、お嫁さんも勤めであったり野球ママ友との交流であったりと忙しい中、時間を割いてくれた。加えて、太郎君のお嫁さんは我々2人に暖かい部屋着をプレゼントしてくれた。何ともありがたいことで、私には望外の喜びというところだ。大切な連れ合いと共に過ごせることに加えて、温かい気持ちで接してくれる家族の温もりを感じる。大学時代の友人が言っていたが、「70過ぎたら、1年1年生きていることが幸せだ」との言葉が身にしみる。孫も自然に慕ってくれているのが又嬉しい。***中国に対するアメリカのペンス副大統領の演説はアメリカが抱える対中国の全てを物語るものだったという。アメリカの総意である。お調子者のトランプに対して、ペンスは冷静に中国に対する懸念や問題点を指摘している。かつてアメリカも中国の発展を支援してきたが、ここに来て冷徹な判断が蘇ってきたと云う事だ。アメリカの中間選挙が終わったばかりだが、野党である民主党からも中国の知的財産権の侵害に対して超党派で之に立ち向かうとの表明をしている。これに対して中国(習近平)も身構えている。この所習近平は過去の英雄毛沢東の路線を踏襲するかの如き動きをしている。毛沢東にしろ、習近平にしろ、何か拠り所の必要性を感じている。思想的バックボーンを必要としているのだ。1962年22歳で交通事故死した人民解放軍兵士雷鋒が自己犠牲の精神をその日記に書き連ねていた。そんな雷鋒の自己犠牲の精神が昔も今も精神的支柱の下支えだとの刷り込みを行っているようだ。かつての米ソ関係は確実に米中関係に取って代わられている。今はアメリカと中国は貿易戦争の真っ只中にいる。どれだけ互いに譲歩し合えるかだが、貿易面での折り合いが付いたとしても所詮根本的な覇権争いは何ら変わるところではない。アメリカが最も神経をとがらせているのが技術の盗用だ。トランプ政権発足後、この産業スパイ糾弾へのトランプの執念は大きい。中国には「千人計画」というものがあるようだ。海外の進んだ技術を中国に導入する(盗んでくるというばかりでは無いようだと言うが)中国共産党が公認した専門技術者の輩出で、過去10年間で8000人が送り出されているという。全員がスパイというものでは無いにしても、海外で得た技術を中国に持ちかえるというミッションは全く変わらない。アメリカはこの類いの技術漏洩を極端に嫌っている。勿論のことだ。人知れず黙々と努力して成し遂げたことを労せずして己のものにしてしまうなど、およそ文明国のやるべきことではない。その辺りのいらだちが、アメリカへの中国人の締め出し(ビザ発給制限)に傾いている。世界は5人に1人が中国人だ。極悪も居れば頭の切れる者も居るのが中国だ。折り合いが付かないのは政治体制であるとは言うものの、技術の正常な発展がアメリカのハイテク鎖国であるのは物議を醸すところだ。世界の工場と云われた中国だが、その生産地を中国からベトナムへシフトの動きがある。ベトナムで作った方が給料は半分だし、定着率も高いという。これは世の流れ、中国も安い賃金では甘んじられない時代になりつつあると言うことだろう。アメリカなど先進国の知的財産と中国の安い賃金の組み合わせが世界成長戦略のモデルであったのだ。アメリカが知を提供し中国が労を執る形で進められてきた関係が今や崩れようとしているのだ。中国NO.2の李克強も「中国2025年製造」を掲げているため、製造業が中国から離反することを大いに懸念している。それを見透かしてアメリカはこの所サプライチェ-ンを中国から切り離す(デカップリング)をちらつかせるようになった。現在の製造は単独に自国内でクローズしたものでは無いだけにこういった方針の動きによっては、甚だ難しい局面となる。9月末、中国艦船がアメリカのイージス艦を挑発する行為に出た。アメリカ軍が南シナ海のスプラトリーで、中国の軍事拠点化をけん制する目的で「航行の自由」作戦を実行したのに対し、中国が挑発行為を行ったのだ。なんと、中国の駆逐艦は13mの至近距離まで接近し、あわや衝突かとの危機に陥った。習近平の最小限の覇権確保のための行動だが、極めて危険な行動だ。一触即発とは正にこういった事を指すのだろう。元より、西太平洋は自国のものでアメリカと世界を2分して統治しょうとする目論見に障るからだ。トランプが中距離核兵器破棄条約を突然破棄した背景は、中国のこういった軍事行動に対抗するためだ。アメリカが旧ソ連を対象として結んだこの条約は、今や対象国が中国に変わってしまっている。米中衝突は、之まで経済活動だけに止められていたが、今や旧ソ連と同様に軍事面でも衝突の恐れが杞憂ではない事態になってきている。APECが開かれているが共同声明を取りまとめるには至らないようだ。米中の主張がこれほどまでに異なっていては、他の国がどう説得しようとまとまるはずもない。習近平は冷戦にも貿易戦争にも勝者はいないという。もっともなことだ。一方で、知的財産権などくそ食らえと言わんばかりに、技術革新の成果は独り占めすべきではないと、尤もらしいことを言いながら、労せずして他国の開発した技術を盗むことに何ら呵責を感じないメンタリティーだ。アメリカは開かれたインド太平洋戦略に力を入れているが、中国の一帯一路を評して、アメリカは締め付けるようなベルト(一帯)や一方通行(一路)であっては行けないと、中国に取り込まれて動きが取れなくなったアジア諸国に対し暗に中国の毒牙に掛からぬようにとの警鐘を鳴らしている。【古今和歌集】592.たぎつ瀬に根ざしとゞめぬうき草の うきたる恋も我はするかな (たゞみね)激流の瀬に、根をはるわけでもなく浮いて漂う浮き草のように、あてどもない恋を私はしているのだ(たぎつ瀬 ・・・ 水が激しく流れる川瀬)
2018.11.17
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今日は第18回北摂天神会ゴルフコンペだ。前回欠席したので、2ヶ月ぶりになる。朝行きがけにガソリンを満タンにした。原油不足とかサウジの減産構想とかが聞かれる割に前回給油時より少し安かった。どうも新聞とのタイムラグがあるようだ。更に高槻亀岡線を走って驚いたことに京都との境辺りで多くの木が根こそぎ倒れている凄い光景に出くわした。改めて自然の驚異を見た感じだ。連れ合いは、学習ボランティアに出掛け、その前にお仲間さん達と昼食会もしたようだ。私は欠席だ。ゴルフを終えて連れ合いを迎えに行ったときに学習会帰りの児童と出くわした。「何で来なかったの?」と声を掛けてくれた。認識してくれているのかと、一寸気分が良かった。ゴルフはと言えば、出足は良さそうな感じだったが、パットに苦しみやがて調子を崩してしまった。同組の人との話は面白く楽しかったが、ゴルフは悲惨だった。他の2人は振るわず、特筆することもあまりなかった。インからのスタートだった。No.10 TSは右目を狙った通りにややラフに掛かった。2打残り100YDの打ち上げを8Iで乗せた。幸先が良い感じだったのだが3パットしてしまいボギーだ。先に遠い下りの人がパットでグリーンからこぼれるほどだったので、少し手加減をして弱くなりすぎたのだ。その人も3パットだった。No.11 110YDショートでピンは上段だ。7Iの当たり損ないだが何とかGRに駆け上った。ピンは遠い。又3パットだ。又ボギーだ。何ともやりきれない。もう1人もボギーだ。No.12(クリーク) TSは、気楽に良いショットでFWを越えたラフだ。2打は当たりが良くなく、カラーにニアオンだ。そこから又3パットだ。何とかして欲しい。ショットは先ず先ずなのに、之では戦えない。ここは3人ともボギーだった。No.13 やや打ち上げ。TSは良い感じで、FW右だ。2打も良い当たりで一見乗っていったかに見えたが、やはり少し届かない。(ここは毎回届かない)。7Iで転がして、1パット目がカップを覗くというパー逃しの2パットでボギーだ。やっとパット2つで入った。他の2人はOBしたり、バンカーに泣いたりで9打だった。No.14 (打ち降ろし)左Gだったので、6Iで振ったら奥にオンした。やはりせいぜい7番で良かったのだ。この辺りに池越えの自信のなさが出ている。下りのパットにまたまた3パットとしてしまった。ボギーは情けない。他の2人はダボだ。No.15 TSの当たりは良い感じだが、やや左のラフに入った。安定していると声が飛んだ。しかし、ラフからの2打を一寸ダフリ気味で、思うように距離が出ない。3打もミスってGRに届かない。4つで乗る羽目になりしかも又3パットだ。ここで初トリプル。ボギーペースが崩れた。流石にここではダボの人にオナーを奪われた。No.16 TSは良い感じでFWCRだ。ここでも安定していると賞賛の声が飛んだ。TSは良い感じなのだ。2打も極めて良くFWの先端の途切れたラフまで飛んだ。バンカー越えの右池なのだが、左足下がりは嫌な感じなのだ。案の定とは云いたくないが、ここでシャンクを出してしまった。敢えなく池ぽちゃだ。考えられない。そこから罰打を込みで、5打目だが、これも振り切れずバンカーに捕まった。そこで焦ったのだろう、1度で出ず7オンだ。パットは2つで何とか入ったが何と9打だ。OBした人にも1打負けてしまった。情けない。このホール前回も同じくシャンクしている。誰か理由を教えて欲しい。No.17 ここは打上だ。TSは、良い感じでFWCRを捉えたが、オナーの人に1mほど置いて行かれた。2打も良い当たりだが砲台の下までがやっとだ。3mに3オンしたまでは先ず先ずだが、何とあろう事か4パットになってしまった。考えられない。貧すりゃ鈍するとはこのことだ。ここは同じく4パットの人が居た。No.18 (最後池越え)相変わらずTSは良い感じで飛んだ。FWCRだ。2打目も申し分なくFWCRだ。GRまで125YDで、4Wで楽にオンしようと振った球は当たりが悪く、後30cm位で池に落ちた。付いていないときはつくづく駄目だ。何と情けない結末だ。5オンで、2パットはダボにしてしまった。このホール調子の上がらなかったもう1人がパーで上がっていた。前半は振り返るまでもなく、3パット(4パットを含む)6回と、泣きたくなるような不始末であった。更に加えて、シャンクで楽にパーオンどころか、9打と4つも多くなってしまったことや、3Wのダフリなども加わって悲惨だった。タラレバは誰もあることと友人は言っていたが、打ちのめされた感じだ。救いはTSが安定していることだ。昼食時には店の展開(同組で社長だった人)の話やチベット5回目の旅行の話(健脚の人)などあっという間に過ぎた。ゴルフの談義はなかった。No.1 TSは良い感じで飛んだがやや左ラフに掛かった。2打を3Wでトライしたが左にそれてしまった。楽々3オンかと一寸ヘッドアップのトップはGRを越えた。4オン2パットの前半より悪い出足だ。ボギーの人もいた。No.2 TSは感じ的には今一つだが、まずまずのFW左だ。ここで3Wを持って良い当たりはGRの右カラー、ほぼオンだ。パターで2つのパーだった。やっとだ。No.3 TGはかなり前方の、サービスホールだ。TSは波に乗り安定のかけ声と共にFW左だ。残り95YDを9Iで見事オンした。1パットで沈めてバーディーは良い気分だった。他はボギーとダボだから尚更だ。No.4 フラットなショートで短い。勢いを駆ってと9Iで何とあと数cm足らずバンカーに入り、しかもあごの下ぎりぎりの目玉だ。2打は敢えなくGRに背を向けて脇に出した。そこから3オンの筈がダフって4オンとなってしまった。1パットだったが敗北感があった。ここでさっきボギーの人が1オンして下りを上手くねじ込むバーディーだった。No.5 このホールは何となく合う感じだ(今までは)。TSは一寸右目だが、まずまずの感じで、右ラフで止まった(前回と同じだ)。2打は3Wで、やはり少しダフリ気味になってしまった。ここは5Iで出来るだけステディーにいった方が良い感じでもあるのだがアイアン下手が悔やまれる。3打も当たりは悪かったが前に飛んで、残り55YDだ。4オンは上手く乗ったが、ここでも又3パットのダボにしてしまったのだ。今日は3パットの日、合計7回だ。No.6 何時も長く感じる、打ち上げ後フラットなミドルだ。TSは又安定の声が聞けたFWCRだ。2打は少し右に出て、土手で跳ねてラフだ。ここで3オンは当たり前なのだが届かない。2パットのダボになった。3オンの人は3パットで同じだった。No.7 長いミドル。ここはドラコンホール。TSは良い感じに飛んだが、先に立っていた先輩の旗を抜くことが出来なかった。2打も超良い感じでFWCRを捉えた。残り60YDで又もチョロして4オン2パットのダボだ。何とも煮え切らない感じだ。No.8 今日のピン位置はバンカー越だ。GR左端にニアピンの旗が立っている。GRに乗りさえすればニアピンという感じだが、5Iは右にそれて乗らない。2オン2パットのボギーだ。面白みがない。No.9 TSは真っ直ぐに良い当たりだ。これも善し悪しで、FWを越えてラフの傾斜部に落ちてしまうのだ。2打目の左足下がりは、どうも上手く打てない。3打目は良い当たりでFW右だ。然し4打をチョロして5オンだ。2パットのダボは空しい終了となった。前半最後をパーで上がった人はここでもボギーで終了していた。アベレージゴルファーと言って貰えるはずなのに、結果の悲惨さは素人並みだ。表彰式が恨めしかった。
2018.11.16
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今日のセミウォーキングは上牧駅から淀川堤防河口32.0km点に出て、高浜堤を通って帰宅した。明日の北摂天神会を控えて、連れ合いは焼肉を食べに行こうと勧めてくれた。イオン桂川の雨明に出掛けた。***国際エネルギー機関(IEA)が世界のエネルギー見通しを発表した。それによると将来原油の供給不足が深刻になるという。アメリカのシェールオイルの増産は2020年代半ばで頭打ちになるというのだ。従来の楽観論を否定する見解になっている。かくも真っ向から原油不足を言い出したのは一寸驚きだ。アメリカのシェ-ルオイルが脚光を浴びだしたのは2010年頃からで、それまで化石燃料は何時終わってしまうのかと言ったことが云われていたことに一石を投じたものだった。地中深くの固い岩盤、頁岩(けつがん=シェール)層に閉じ込められた天然ガスを効率よく回収する手法が確立されたのだ。頁岩の中にある無数のセル(小部屋)に閉じ込められているシェールガスを水圧破砕(フラッキング)の手法で取り出すのだ。この手法を確立するのに5~6年かかったという。頁岩層に天然ガスが存在することは誰もが知っていたが、経済的に取り出せる方法を見つけ出せずにいたのだ。採掘技術が進歩して、地中深くにある頁岩層のシェールオイルまで採掘が可能になったことで、一時の懸念は払拭した。原油の需要は新興国の発達に伴って増えているが、供給面の課題はシェールオイルの発掘で一息ついた形だと思っていたのだ。アメリカのシェールオイルは当面は活発な増産が期待できるようだ。2025年までにはこの勢いは続いて生産量は現在の2倍の日量920万バレルに伸びると予想されている。アメリカは世界の原油供給の増加分の4分の3を占めるまでになると見通されている。アメリカ南部パーミアン鉱区では2014年辺りから、生産活動は活発になり、大幅増産に弾みを付けたところだ。当時の新聞記事に依れば、「アメリカのシェールオイルの主力生産地域であるバッケン(ノースダコタ州など)やイーグルフォード(テキサス州など)での日産見通しが過去最高になるとか、それ以外のパーミアン(テキサス州など)などの地区も大幅増産になるなど、米シェールオイルの主力生産地域での生産活動の活発な状況が続く」とあった。2016年にはトランプの資源エネルギー政策が「環境保護」から「開発重視」へ大きく転換され、この開発に拍車を掛けている。トランプはエネルギーでも米国第一主義を掲げ、石油輸出国機構(OPEC)の減産により、原油価格が回復基調をたどる中、当面は中東に依存しない原油供給体制を目指してシェール開発を軸に米国内の原油増産を狙うとしていた。環境問題などの問題もあったが、オバマ前政権の軛をトランプが破る形で、シェールガス搬出のパイプラインなども整備されてきている。然し乍ら、IEAはその後既存のシェール油田で資源枯渇が進み、生産性が下がるとみているようだ。2020年半ばには生産量が頭打ちになり、2030年には日量150万バレルにまで落ち込むと予想している。之に反してOPECは順調に生産量を増やし続けるという。しかし、2018年2月の新聞記事では、アメリカにおける2017年の原油生産は約40年ぶりに日量1000万バレル突破したとあり、その意気軒昂ぶりを伝えていた。さらにパーミアン盆地は原油の余剰生産能力が最大100万バレルに上り、まさにサウジアラビアのようだとの見方も寄せられていたのだ。アメリカはシェールオイルを以て余剰生産能力を持つサウジに匹敵するとまで言われたのだ。この見通しの変化は何故であろうか。IEAの見る不安要因は、世界的な開発の遅れであり、原油掘削に要する投資額が十分ではないとの根拠だ。2040年までに10兆ドル(約1140兆円)必要とする額を大きく下回っているというのだ。このまま推移すれば、シェール革命で、一旦アメリカがOPECの世界支配に釘を刺した状態から、元の木阿弥になってしまうとの懸念を持っているのだ。IEAの予測ではOPEC加盟国の原油生産シェア(天然ガスなどを含む)は2017年の43%から2025年には40%に低下するものの、その後は1040年に45%まで再浮上するとしている。2040年までの増産幅はOPECが日量670万バレルであるのに対してアメリカは日量300万バレルに留まるとしている。IEAはまた2040年の原油需要予測も引き上げた。トランプが8月に打ち出した自動車燃費規制の大幅緩和の影響が大きい。然し、ここに来て、シェール増産に赤信号がともれば、アメリカが意図するOPEC支配からの脱却に水を指すことになる。こういった流れを受けてトランプは、サウジアラビアの原油減産の動きに対して懸念を表明している。トランプはイラン制裁で、イランからの原油の輸入を禁止する呼びかけを行って日本などもいち早くこれに呼応しているが、その背景にはサウジの増産が見込まれていたのだ。こういった意向をサウジは無視した形であり、イランからの原油輸入を禁止することでイラン制裁を行おうとしている方針が根底から揺らぎかねないのだ。トランプの次なる手は、サウジ記者カショギの殺害事件で、早期に幕引きを計ろうとするサウジに対して、長引かせることでサウジのムハンマド皇太子に圧力を掛ける思惑もちらつかせている。この件では、CIAがすでにこの殺害事件を命令したのはムハンマド皇太子であるとの報告を上げているが、トランプは政治的な意味合いから、このCIAの報告はまだ完全ではないとして、サウジの出方を待っている段階だ。トランプのもう1つのカードはイエメン内戦の軍事協力を縮小する手だ。内戦を主導するムハンマド皇太子に対してのもう1つの圧力を掛ける手段だ。トランプがCIAの報告を未了としている点や、イエメン内戦の協力縮小の意向を小出しするやり方はなどはサウジとの決定的な亀裂を避けるためである。何しろ、サウジはアメリカの軍事製品を大量に買い込んでくれる良好な顧客であるからだ。様々な思惑が絡む中、シェールオイルは本当に枯渇するのであろうか。2009年には、テキサス州にバーネット・シェールガス田が大手ガス会社や日本の商社の参画でアメリカ最大のガスフィールドに急成長している。さらに、2010年には、住友商事がアメリカのマセラス・シェールの権益を取得たとある。マーセラス・シェール・フィールドは、ウェストバージニア州・オハイオ州・ニューヨーク州・ペンシルベニア州の4州にわたる巨大ガスフィールドで、広大な地域に広がるシェール層であり、2005年から開発が始まっている。2012年には、アメリカから世界に広がる「シェールガス革命」と言った内容で、アメリカよりも中国の埋蔵量の方が遙かに上回るとのことが記事になっていた。アメリカが騒ぎ出す以前から中国は開発に着手していたようだ。そして、イギリスのBPが2013年に発表した内容に依ればアメリカの産油量がサウジアラビアを上回り最大になると予測していたのだ。BPによると、アメリカは2030年までにエネルギーを99%自給できるようになるとも言っている。そして、IEAは中間展望として、原油需給は危機を脱したと言った声明を出しているのだ。原油供給不足といったアドバルーンは、原油価格の問題や中東に於ける政治がらみの問題を含んだ結果であり、純粋に物理的な問題だけでは無いようである。【古今和歌集】591.冬河のうへはこほれる我なれや したになかれて恋ひわたるらん (むねをかのおほより)冬の川のように表面は凍りついているのが今の自分なのか、だからこれからも心の内で涙を流して恋い続けてゆくのだろう
2018.11.15
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今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点までで、帰りも同じコースだ。小学校の学習ボランティアは、今日から2年生がはじまる。21名の子供達が集まってきたが、皆それぞれ一生懸命に勉強していた。何といっても「九九」がベースだ。負担無くすんなりと覚えてくれたらと思う。夕方からカラオケの練習に出掛けた。なんだか久しぶりの気がする。歌も相当に行き詰まってきた感じだ。***政府の中央防災会議が巨大地震の発生が予想されている南海トラフ震源域で異常現象が起きたときの対応方針の骨子案を公表した。南海トラフの範囲は非常に広い。異常現象があった位置に近い所は勿論だが、離れているからと云って傍観できるわけではない。どのように対応したら良いのかという指針が明らかにされたと云う事だ。(と思って読んでみた)先ず南海トラフ地震とは、東海地方の東海地震と紀伊半島を中心にした東南海地震、四国などで起こる南海地震の3つの地震が同時もしくは連動して起こる場合を言う。東海沖から九州の海底に至る溝状の地形(トラフ)に沿って起きることが想定されているため、その一部で地震が発生したとき、このトラフ沿いに連続して地震が発生する可能性が高いのだ。之までの歴史の例からもこのことは実証されている。因みに私たち近畿に住んでいる者でも東海沖で地震が発生したとき、連動して起こる可能性のある地震に対して備えておかなければならないと云う事だ。内容は、ハード面(交通機関停止など)ではなく、社会生活上の安全を確保しながら自助や地域の共助を重視したものになっている。骨子案によると、臨時情報を出すケースは大まかに3つのケースを想定している。1つは、南海トラフの震源域の東側か西側の半分でマグニチュード(M)8級の揺れが襲う「半割れ」のケース、2つ目は、震源域の一部で巨大地震の前身と疑われるM7級の揺れを観測する「一部割れ、」のケース、3つ目は住民が揺れを感じないプレート境界面で地殻変動が起きる「ゆっくりすべり」のケースの3つだ。「半割れ」の場合は、津波や土石流が起こる可能性がある地域では住民全員を対象に事前に避難を行う。まぁ、ごく自然なことだが、なかなか徹底しないのかもしれない。その他の地域(津波や土石流の可能性が低い地域)では自主避難や警戒レベルの引き上げで対応するとし、通常の社会生活はできる限り維持するとある。一般には、こういった対応が予想されるが、その(津波や土石流の可能性の是非)境界をどう考えるかが迷うところだろう。「一部割れ」については必要に応じて自主避難するとあるが、これは通常の地震と同じレベルの警戒と云う事だろう。この「半割れ」でも「一部割れ」でも警戒は1週間程度持続して行うとしている。熊本地震のように、後から本震が来るケースもあるようで、大きな揺れの後に小さな余震が来るといった従来の常識では計り得ない現象が起こると云う事だ。「ゆっくりすべり」の場合には、期間を定めずに、警戒レベルを上げて観察を怠らないと云う事だ。臨時情報が出ると混乱が起きる可能性があるとしているが、当然のことであろう。あるいはパニックになるかも知れない。いずれにせよ、予め安全な知人宅や親類宅を自ら確保しておくことを推奨しているが、このようなことは、誰しも考えることであり、むしろそういったことが出来る人たちばかりでないだろう。食糧なども予め確保しておけと言う。之までも襲ってきた巨大地震を経験した後でさえも、幸いにも当事者とはならなかった人たちが、こういった事前準備をどれ程の人が行っているのだろうか。食糧備蓄などと簡単に言うが、生鮮食料品は駄目なのだから、個人ベースで食糧を入手することはかなり困難だと思われる。どうも、この骨子案は企業や大病院などを対象のようにも見える。企業では、半割れで従業員に生命の危険が見込まれる場合には、回避するように決めているようだが、いずれも、被害軽減や早期に復旧できるように可能な限り事前準備を行うとしている。これもただ常識的な側面を文章化したに過ぎず、特段の留意点であるとは云えない。更に、多数の人が出入りする病院や商業施設、交通機関や大規模工場等は、関係省庁と調整して個別に対応方針を協議する必要があるとしている。なんだか、具体性に乏しい、総花的な骨子案である。この取りまとめは年内目標で、年明け以降に報告書を纏めて住民や企業に個々に対応すべきガイドラインを作成するとしている。この骨子案を見る限り、肌理の細かいガイドラインが示されるのかどうか甚だ心許なく感じる。巨大地震がどのようなものなのか、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震などなど多くの悲惨な地震を経験して、多くの知見を得ているはずなのに、出てきたアウトプットは、これほど梗概的なものでしか無いというのはやや残念な感じがする。それほどまでに、防災というものは難しく包括的にしか押さえられないものであると言うことなのだろうか。元より地震の発生予測など出来るものでは無いとする見方もあり、自然の驚異相手では、人類が想定するなどと云う事はおこがましいとは常日頃思うところだ。包括的な注意喚起や防災意識の再確認という意味ではこの骨子はそれなりの意味を持つものかも知れないが、具体的な地域要素を絡めた肌理の細かい対策案としては到底十分ではない。この南海トラフ巨大地震は全てが連動して起こる可能性があるとされ、その時にはM9レベルまで達することも考えられている。しかも、南海トラフの配置を考えると、巨大津波が想定されることも又自明だと思う。そんな時に、津波の高さベースでも良いから、影響が及ぶマップなどが作成されてしかるべきだと思うのだ。時折、散発的に大阪湾に押し寄せる津波は府下のどの範囲まで遡上するかなどについて述べられたものもあったように思うが、今回はそれすら示されていない(僅かに図示したところがあるようだが主旨が判然としない)のは、どういうことなのだろうか。政府の試算では、大津波による死者が最大で30万人としているようだ。更に経済的被害は220兆円だとも推定している。では、どの場所で、どれ程の人が死ぬと想定されているのか、どの建物やどのインフラが倒壊するからこの被害額になるのだとか言った具体的な算定過程が分かれば、もう少し身に積まされるような気もするのだが。このままでは荒唐無稽とは言わないが「へぇーーー、そんなに沢山死ぬのか・・・」程度で終わってしまう気がする。具体的には、我が島本町では、どの辺りに住んでいると何人が死を免れないのかとかが示されれば、隣人や、親戚を安全な避難場所と設定する際に、より具体的にできうるとも思うのだ。このままでは、近くの知人宅も同じように死に直面するのであれば、そこを避難場所と設定していても無意味と云う事になるのだから。【古今和歌集】590.わが恋にくらぶの山のさくら花 まなくちるともかずはまさらじ (坂上これのり)私の恋にくらべると、くらぶ山のさくらの花が、たとえ絶えまなく散ろうとも、とても数はおよばないであろう(くらぶ・・・暗いと比べるを掛けている)
2018.11.14
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今日は第179回九人会ゴルフだ。場所は大津カントリー西で、どうやら初めてのコースだ。過去2回大津には行ったが、東だったようで、フロントの状態から初めてと云う事が分かった。その間、連れ合いは、姉とその友人を歌舞伎の襲名披露を見に行くために南座に案内して連れて行ってくれていた。九人会では、仲間も故障者が多くなり、予定していた2人も欠席とかで、今日の参加者は9人(正に9人会だ)であった。行きは大山崎ICから高速に乗り笠取ICで降りたが、要領の良い友人は、宇治東ICから笠取IC間だけ高速を利用して安くあげていたようだ。ともあれ、アウトからの8:45スタートで、1組目のトップを引いた。過去に3回連続優勝者(A)と前回優勝者(B)との3人の組だ。No.1(5):フラットで最後にやや右ドッグだ。上手くいけばと軽く振ったら、先ず先ずFWCRだ。2打も先ず先ずで、左のラフに入った。ラフからのウッドは矢張り天ぷら気味となってしまい、左の木の間に入った。木間を縫う4打でGRには少し届かなかった。5オンし、2パットのダボスタートだ。AはTSは良く飛んだが、GR近くのアプローチで、つまずいて6オン1パットのダボだ。Bは5打でGR左にニアオンし、そこからパット3つだ。No.2(3):手頃のショートだが左右にバンカーがある。TSを左バンカーに入れてしまった。2打は出るだけでカラーだ。そこから2パットでボギー。AはGR右奥に外し、ボギーで、Bは私と同じバンカーに入れて3パットのダブルだ。No.3(4):真っ直ぐでFWの中間部は凹んでいるようだ。TSはダフって左に引っかけて距離も出ない。バンカー手前だ。2打は低いが、先ず先ず前だ。残り90打ち上げを7Iで軽く振ってオンした。2パットのボギーだ。AもTSの当たりは悪く、上がって同スコア。Bはダボであった。No4(5):前方GR近くの右に池があるが、これは余り気にならない。然し、ここでもTSはダフリ気味の天ぷらでさえない。つま先下がりの2打はまた左のラフだ。3打目もつま先下がりだが、今度は上手く運べて、FWCRだ。4オンしたのが下りの9m。下りを意識しすぎて弱く、3パットしてしまった。ダボだ。(△1打)Aは右にOBしてしまい、最後もトップでGRを越すなど、トリプルだった。Bは私と同じダボだ。No.5(4):素直なミドルでほぼ真っ直ぐだ。TSは又引っかけ気味で飛ばない。2打は右に飛んで右ラフだ。然し3打で見事GRを捉えた。2パットのボギーだ。AはTSが日頃と違って天ぷら気味になる。3パットも手伝ったトリプルだ。BはOBしてトリプルだった。No.6(4):小さな谷越えのドラコンホールだ。良い当たりでFWCRを捉えた。2打も良い当たりでGR少し手前だ。之が乗らないとなぁ。3オンはAから「上手いなぁ」と声が掛かった。惜しい1パットが外れボギーだ。そのAはここで本来の当たりを取り戻し、ドラコンを取った。上がってボギーだった。BはTSは飛んでいたが2打を右ラフで、そこで空振りをしてた。3パットでダブルだった。No.7(3):右池沿いの中間が凹んだショートだ。150YD程度なのにアイアンが苦手とくる。それでも5Iを握ったが、矢張り振り切れず届かない。ここでも上手いと言われて2オンできた。矢張り2パットのボギーだ。AもTSを打ち損なって届かず同じスコアだ。Bはダボだった。No.8(4):見たところ左にドッグかと思ったら、2打目で右ドッグだと分かる始末。TSをトップ気味のチョロで情けない。何とここで、先ほどのBと同じく、空振りしてしまった。笑えない。しかも動転し、3打でゴロ気味だ。ようやく4打で良い当たりの左ラフだ。つま先下がりでやや打ち降ろしの5打は上手く打ててカラーにニアオンだ。2パットのトリプルは痛かった。AもBもここはボギーで上がっていた。(△2)No.9(4):やや打ち降ろして2打は打ち上げのミドルで、FW右に木が2本立つ。TSは飛ばないが、まぁまぁのFWだ。然し2打をチョロして、FWの木の直ぐ左までだ。3打はうまく当たって左ラフだ。アプローチは少し飛びすぎてGR向こうのカラーだ。パター2つでダボとなった。AはTSは良く飛んだが2打でダフって同スコア、Bはトリプルだった。アウトでは、空振りやイージーミスもあったが、3打は損している。午後インに回った。No.10(4):なだらかな打ち上げだ。良い感じのTSはFWCRだ。2打の当たりはあまり良くなかったが、まぁまぁだ。アプローチは上手く乗り、2パットのボギーだ。Aは何と7打。Bは8打だった。No11(5):打ち上げて左ドッグで打ち降ろすロングだ。ここで先行組はその先が詰まっているらしく動かない。一寸いらついた。そのせいでもないがTSは当たらず、やっとFWに出た程度だ。2打は上手く当たってFW左だ。3打も当たりは良かったが、やや右にそれてラフだ。4打を頑張ったが手前のバンカーに捕まった。トップ気味のバンカーショットは出なかった。6オンし、2パットのトリプルだった。ここはTSがもう少しまともならと云う感じだ。Aも8打、Bは9打叩いていた。待たされて皆、リズムを狂わせていた。(△1)No.12(3):101YDとある。少し打ち降ろし、右の池は気にならないが、ガードバンカーが待ち構えている。TSはGR左に僅かに外れた。7Iで転がそうと一寸引っ掛かった。結局ボギーで終わってしまった。Aは考えられない右の池にOB。プレ4からも引っ掛かって、7打だ。Bは左隣のGRにオンして、乗せ直し、3パットのダボだ。.No.13(4):これも右の池はあまり気にならない。然しダフリ気味に矢張り左ラフに飛ぶ。2打は良い当たりでバンカー手前で止まってくれた。3オンしたが、イージーパットを3パットして残念だ。Aはここでボギーだった。Bは私と同スコア。(△1)No.14(5):なだらかに打ち上げて、打ち降ろすロング。TSは良い感じでFWCR。2打は低いが、先ず先ずFWだ。3打もミス無くFW左だ。4打も良い感じのGR向こうのややラフだ。ここで痛恨は7Iでチップしたが引っ掛かってしまった。6オンになり1パットで沈められたがダボは痛い。Aはここで素晴らしいTSをした。ドラコンHと間違えて名前を書いたぐらいだ。流石にボギーで上がっていた。Bは打つ球、打つ球トップチョロで10打だった。(△1)No.15(4):真っ直ぐのミドルだ。TSは良い当たりで、カート道に跳ねたのだろうAとほぼ同じ位置でバンカー手前だった。2打を4Wでニアオンは良い感じだ。バーディートライは、ピンをかすめて過ぎた。然し、簡単パーを落としてボギーはこれまた痛恨だ。情けない。Aは2打以降狂って、1パットで、結果ボギーだ。Bは3パットで7打だった。(△1)No.16(4):ここがドラコンホール。谷越えで、やや打ち降ろし。TSは当たらず、左ラフだ。いよいよ旗には縁が無い。2打はまぁまぁのFW左。3打で良い当たりのFW右だ。4オンして2パットのダボだ。Aは3パットのダボ、Bはボギーだった。No.17(3)は中間が凹んだショート。何とオナーのAと同様にその凹みに落としてしまった。しかし打ち上げを9Iで見事オンした。1.5mのパットを外してボギーは残念だ。Aも2打でカラーに乗せたが、3パットでダボだった。Bは左のGRに乗せてダボだった。No.18(4):前広のミドル、やや打ち降ろし真っ直ぐだ。こういう所ではどうも振り切れていないのかTSは右に出てラフだ。ラフからウッドは駄目と5Iだったが、当たりが悪く少しのゲインだ。3打を4Wで良い当たりだったが一寸バンカーに落ちた。4つで乗せて2パットのダボだった。Aは最後に230YDのポールを越える良いショットで、2打はカラーにニアオンだ。バーディー狙いは少しはずれてOKパーだった。Bは私と同スコアだった。(△1)前半3失点、後半は5失点と言ったところだろうか。上手くいけば優勝は出来ただろう。その優勝は天神会で一緒の友人で、グロス100切りは1人だけだった。伏兵の女性が2位で、私は3位に留まった。
2018.11.13
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今日のセミウォーキングは上牧駅裏から梶原高架下下までで、帰りはマンボウを通った。連れ合いは三人会で京都の伊勢丹に出掛けた。***中国に「一帯一路」政策があり、世界を席巻しようとの試みだが、之に対して対抗するのがインド太平洋(FOIP:Free and Open Indo-Pacific Strategy)だ。自由で開かれたという枕詞が付いていることから必ずしも中国を除外したものでないと言いたいようだ。しかし、内実は形の上で日本が提唱して、アメリカも之に乗るような形で進められていることから中国(一帯一路)牽制であることは間違い無い。この中に組み込まれているのは、オーストラリア、インドであり、民主主義を標榜する4カ国が、安全保障も共同で担うことになっている。日本がこのFOIPを発表したのは8月にケニアで開催されたTICAD VIにおける基調演説においてだ。ともすればこういった外交のキーになる政策は外国に於いて成されることが多い。この演説は元はと言えば、トランプが初のアジア歴訪中に再三日本に対してぶち上げていたことを元にしている。どうも、日本はアメリカの言いなりに動くことが多いが、こういった構想の背景に常にアメリカの意向があると言うことは残念ながら事実だ。中国の一帯(陸)はどうにもならないとしても、一路(海)は日本も看過し得ない原油やガスの供給ルートにもなっているインド洋各国の一方的な中国化を抑制するための意図が大きい。インド洋は、その中核的な位置にあり、太平洋に比べてアメリカとの競合もやや低いこともあって、中国の独断で、一方的な進出を許せないという意味合いだ。名目上は日本が位置する太平洋と、インド洋とに繋がりを持たせることで世界の安定や繁栄に寄与するとしているが、これは中国のインド洋及び太平洋での覇権化に楔を打ち込むためだ。既に中国は「一帯一路」の名の下、インド洋に面した各国で港湾や鉄道の大型整備の支援を打ち出し、アジアやアフリカに莫大な資金を投入して攻勢をかけている。そのやり方は、熾烈で、途上国の返済能力を無視した貸し付けで借金を負わせ、代わりに経済権益を奪うというものだ。2017年12月にはスリランカの南部ハンバントタ港の99年分の運営権を中国企業が取得。同年8月にもアフリカ北東部ジブチに軍事基地を設けた例がある。こういった被支援国の国情や経済状態に関わりなく強引なやり方で、アジアやアフリカに支配権を拡大しようとの思惑が「一帯一路」の手法である。こういった構想からみると、インド洋を中心とした広がりはアジアを含めてアフリカ大陸の東端は欠かせない場所になる。ケニアでの構想発表は、そういった狙いもあったことだろう。私もかつてジンバブウェの政府間援助(ODA)に参画したが、日本は之までも多くの海外援助をアフリカ各国で行ってきている。中国がアフリカに経済援助に名を借りた見境のない進出に対する危惧もあってのことだ。アフリカに於ける民主主義的な発展は、日本が提唱するFOIPのほかにないと臭わせている。「アジアとアフリカの交わりを、力や威圧と無縁で、自由と、法の支配、市場経済を重んじる場として育て、豊かにする責任を担う」との言葉の中に、中国のごり押し的なアフリカ進出を揶揄したことは誰しもが感じるだろう。今やアジアに於ける産業の発展を2つの大洋(太平洋とインド洋)を繋いでアフリカに繋げなければならないとし、今がその機会だというわけだ。アフリカ独自の潜在力をこのFOIPによって引き出そうではないかとしている。アフリカには大きなパワーが秘められてる。人口、大陸の広さ、有望な鉱物資源などまだまだ秘められた力は十分に発揮されていないことは確かだ。一方ではテロと疫病、貧困にあえいでいる国は多い。そんな国を政治的な押しつけや介入で独善的に行うのではなく、独立国家としての形態を尊重しつつ発展に寄与しようとの表明である。既に東南アジア及び南アジアでは民主主義・法の支配・市場経済が根付き、自信・責任・リーダーシップが目覚めて行き渡っている。そのアジアの成功履歴をFOIPを通じて中東やアフリカに広げてその潜在力を引き出すというのが、この目論見の主眼とするところだ。すなわち、アジアと中東・アフリカの「連結性」を向上させることで、地域全体の安定と繁栄を促進していこうとするものだ。世界地図を少しずらして、インド洋を中心に据えることでこれらのことは至極理にかなったアプローチであることが分かる。そこで注目される国はインドと云う事になる。ここで、インドはこのFOIPを追認しているが、インド独自の「アクト・イースト政策」と連携させて相乗効果を高めることで、インド太平洋地域の安定と繁栄を主導していくとしている。こうしてみると、各国は独自に自らが中心となってリーダーシップを握ろうとしていることが分かる。インドはFOIPには「不即不離」に対応していこうとのことだ。日本の外務省予算のうち6割は政府開発援助(ODA)が占めている。2016年のODAの実績はといえば、7割超がインド太平洋地域に集中しているのだ。然し、最近まで、日本は中国に最大のODAを行ってきた。そのお陰で、急速な経済発展をしているのだ。現在の状況は、人の褌で相撲を取らせているようなものだ。流石にこの機に日本は対中国ODAを終了したものの既に中国の経済力は世界第2位にまでなっていて、単純な資金規模では中国に対抗できなくなっている。そこで、日本はアメリカやオーストラリアとも連携し、インドを巻き込んで、インド太平洋地域で質の高いインフラ整備を推進することにしたわけだ。港湾整備や人材育成などでも協力しあうことで、資金や事業規模でも中国に対抗できる枠組みの必要性に迫られたわけだ。勿論中国もこのFOIPには強い関心を持っている。アメリカ(トランプ)の一国主義で、一旦はアメリカの影響力が軽減したかに思われたインド洋に於ける中国のステータスが(中国の思惑としての)このFOIPによって、減じられることになるからだ。中国はこういった動きに呼応するかのように太平洋のパプアニューギニアやサモアなど島国8カ国との首脳会議を開催して、「一帯一路」を再認識させ、誇示しようとの動きにできている。中国得意の太平洋諸国への経済援助という形だ。中国の太平洋地域での存在感を再認識させる動きだ。既に、中国は近年、太平洋諸島への援助を通じて影響力を強めている。2006~16年の援助総額は17.8億ドルに達し、オーストラリアに次ぐ第2位で、米国、日本をしのいでいる。勿論この援助金はこれら被支援国が「債務漬けになる(債務のわな)」といった懸念をもつものなのだ。中国の焦りとも採れるが、FOIPの今後の推進の仕方や成果には、十分な注意を持っていなくてはならないだろう。【古今和歌集】589.露ならぬ心を花におきそめて 風ふくごとに物おもひぞつく (つらゆき)露のように浅くはかない心ではありませんが、あなたを思い初めてから、風の噂で聞くたびに、物思いが心から離れません花が風に散らされるのではないかのが気になるように貴女を思い始めてから、噂が心を悩ませるとのことだ
2018.11.12
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今日のセミウォーキングは大阪染工から宝寺踏切までで、帰りは島本駅を通った。朝から孫(弟)の野球の試合を観戦した。9時半から1試合、中が飛んで、13時から2試合目が始まり、1日中の野球観戦になった。***衰えるニッポンの工場と言ったショッキングな記事だ。この所引きも切らず起こっている日本企業の品質検査不正の問題だが、留まるところを知らないといった感もある。日用品ではないのだから、品質が不十分であることで大きな事故や、人身にも関わる問題となる可能性もあり、正に看過できない問題だ。鉄鋼、自動車に続き、油圧機器メーカーのKYBが免震装置で検査不正を公表した。戦後日本の驚異的な復興は製造業に携わる人たちの営々とした努力があったからではなかったか。少なくとも製造業に携わる者は皆誇りと自負を持っていたはずだ。それが何故この機に爆発的に不正が噴出したのだろうか。日経新聞ではその点に言及していた。なぜ品質の根幹である検査データを偽るのかについてスバルや日産自動車などの調査報告書を読み解くと、一つの共通点が浮かび上がる。設備の老朽化と人手不足と言った問題であり世界に冠たる工場が今や「衰える工場」になってしまったという。記事をそのまま引用すると、「建屋や空調機の老朽化で燃費・排ガス検査の際に湿度の基準を満たせず、検査員がドアに目張りし、電気ポットの蒸気で湿度調整していた」(スバル)とか、「アルミの検査不適合品を合格と偽って出荷したのは、再検査のための保管スペースが1日で埋まってしまうため」(三菱マテリアルグループ)とかが挙げられていた。この記事を読んで、「おいおい、まさか」という気持ちになったが、どうやら現実らしい。然し、私が之まで感じてきた工場の姿は、老朽化したとは云え、検査結果を改ざんするような風潮にはなかったはずだ。技術屋にとって、品質と性能の確保が何よりも大切な問題であるからだ。最近工場を歩くことはなくなったが、工場には先ず「安全第一」が挙げられ、それに次いで「品質第一」と書かれているはずだ。退社後私が経験した、ISO9001についても、品質管理の徹底であり、各社こぞってこのISO規格を取得するために血道を上げてきたはずだ。そうして「品質」を最大の強みにして築き上げてきた日本の工場がこのような凋落を何故許したのか、未だに信じられない。そこで記事を読み進むと、日産やスバルの例に代表されるように、基幹の工場はどうやら海外に移転して海外で稼ぐスタイルになってきていることだ。従って、新規の投資は主に海外の工場建設や効率化、改良に向けられてきて、国内工場はあまり顧みられてこなかったとのことだ。そんな例として、約10万台のリコールに発展したスバルの群馬製作所(群馬県太田市)の検査建屋は1960年代に建てられたものだし、日産の栃木工場(栃木県上三川町)の排ガス試験室の空調機も1977年に設置され老朽化した設備を用いて検査を続けていたというわけだ。稼いでいる海外を重視し、投資を海外に集中して、最新鋭工場を作ったが、国内の工場はその余った金でせいぜい改修することで済ませてきたとのことだ。経済産業省によれば、新設からの経過年数である「設備年齢」は大企業で90年度と比べて1.5倍に増えたとのことだ。工場が薄汚くなることに伴って、内部で働く人の気持ちもすさんできたと云う事だろうか。少なくともそこで働く者は、例え設備への不満は感じただろうが、それがすぐさま検査結果の改ざんなどに結びつくとも思えないのだが。人への投資もおろそかになっていたという。報告書に依れば、日産は経営危機に陥った1999年以降、カルロス・ゴーン現会長の指揮下でリストラを断行し、「国内技術員が人手不足に陥った」とのことだ。やはりそうか、これは会社建て直しを華々しく行った見えざるつけが回ってきたものだ。矢張り人であったかという感じだ。直近の不正を指摘されたKYBは、検査員は延べ8人しかおらず、一時は1人で作業にあたっていたこともあるという。それでも基準を満たした製品ならば、問題にはならなかったかも知れないが、もし、基準を満たさない製品が検査に回ってくると、是正するのに、5時間を要したという。出荷の時期と量は既に決まっているわけで、作業者はここで止めたら(基準に達しない製品を差し戻したら)納期割れは確実で、すぐさま表面化してしまう。そうなりたくは無いという気持ちになったのだろう。前の工程が、いわば粗悪品を出してきているのだが、検査を通さないことが(納期遅れを起こさせるのが)自分の責任だと思ってしまうのかも知れない。品質保証部門というのは、製造部門などから独立して、例えば工場長直轄組織になっていることが多い。対外的に品質を保証するために、建前上は製造部門とは一線を画す、そういった組織になっているのだ。ここで疑問に思うことは、実際に検査データを不正に書き直したのがどの程度有ったのかだ。勿論全品が検査に合格することが必要なのだが、ロット検査の場合、中に不具合が紛れ込むことはあり得る話だ。全品検査でどの程度規格落ちがあったのかで、その工場の品質保証以前の品質管理、即ち製造工程の緩みなどが摘発されなければならない。検査の場合、最初の1歩(不正の)を踏み出したことが問題である。規格を少し下回ったからと言って、すぐさまその結果不具合が生じることにはならないわけで、安全率の下にカバーされるのだ。それに甘んじることで、検査自身を無意味ならしめたことになり、最初の1線を超えてしまったとき、品質保証という部署は消滅してしまったも同然なのだ。後は営業優先で、会社の利益(当面の)が何事にも優先されることになったわけだ。日産のケースは、「マーチ」の製造を追浜工場(神奈川県横須賀市)からタイ工場に移し同時に多くの技術者が海外に派遣された。国内に残った人材が不足したと云う事だ。そこに上層部(経営層)からの利益優先の指示が加わったとき、行き着く先は最早見えていると言っても良い。売上至上主義の弊害は、2017年10月にアルミ製部材のデータ改ざんが発覚した神戸製鋼所も同様だ。納期が遅れること即ち、営業成績が振るわない結果となり、それはひいては工場の操業停止に繋がるといった懸念は誰しもが共有する。事実ある従業員はそういったプレッシャーを感じたと証言している。海外でも2015年に独フォルクスワーゲン(VW)で排ガスデータの大規模改ざんが発覚した。それは波及し、ダイムラーやアウディまでトップが関与して排ガス規制を不正に免れようとした。こういった風に、欧米では経営層が不正を指示するケースが多い。流石に日本企業はトップそのものが違反を直接指示する形は取らず、現場をそういった切羽詰まった形に追い込むか、現場が上層部の意図を忖度する形で不正に発展することが多いようだ。カイゼンやコストダウンの名の下に問題の解決を現場に任せてきた日本企業だが、コスト削減を掲げるだけで現場のひずみに目をつぶり、不正に追い込んだ経営の責任は重大だ。各社の報告書でもコストや納期を守るために、現場の判断で不正に手を染めたケースが目立つ。もちろんそれが経営陣の言い訳にはならない事は明白である。日産は6年間で測定装置などに1800億円を投じ、検査部門に670人を採用するとしているし、スバルも5年間で1500億円を設備更新に充てることを表明した。しかし、こうした場当たり的な対処方針で、抜本的な品質管理が行えるかどうかは甚だ疑問だと指摘されている。品質管理のあり方とか、経営陣の思想の転換など、根本的に見直さなければならないことは必至だ。かつての企業の不正と言えば、脱税(所得申告漏れ)や不正なカルテル、粉飾決算などが主であったが、この所の技術部門が噛んだ不正は由々しき事態になっており、この辺りで、物づくりの原点に立ち返り、抜本策を講じなければ日本の製造業は、再起できないところまで追い込まれることになるかも知れない。ドイツは、製造業のデジタル化を目指す「インダストリー4.0」を掲げている。生産から検査までロボット技術を使った最先端工場で本国に生産回帰する動きが始まった。同国のアディダスは2017年にロボットが靴を自動生産するラインを導入し、24年ぶりに生産を自国に戻したとのことだ。今後は、職人の勘に頼った製造ではなく、ビッグデータを解析して、AIでコントロールする時代がやってきたのだ。膨大な情報を自動で分析する技術は、検査工程や品質向上にも活用できる。生産年齢人口が減少するなか、現場の感覚や頑張りだけに頼ったものづくりは限界を迎える。日本が製造業で、世界に復権するためには、不抜本的な生産の革新が必要になるとしている。【古今和歌集】588.越えぬまは 吉野の山のさくら花 人づてにのみきゝわたるかな (つらゆき)山を越えて行かないうちは、吉野の山の美しい桜のように、人の噂にのみ貴女の噂を人づてに聞いているだけです
2018.11.11
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今日のセミウォーキングは高浜堤から淀川河口32.0km点まで歩いて帰りはシャルマンを通った。中学校の後期の土曜スクールに参加した。集まった人数はそこそこだったが、皆熱心に勉強していた。その後、車(SOTA) の定期点検に出掛けた。38325kmタイヤもそろそろ替え時だと言われた。保険も見直しを行った。***京都大学がiPS細胞から育てた神経細胞をパーキンソン病患者の脳に移植した。凄いことだ。iPS細胞の実用化が刻々実現されていく過程を見ると、何となく心が軽くなる気がする。既に7月には治験を監督する医薬品医療機器総合機構(PMDA)に計画を届け出ていて、この機に国が治験実施計画を了承したとのことだ。世の中に難病と呼ばれる病気にさいなまれている人がいる。突然そんな難病にかかることすら予想だにしなかったことで、罹患した患者の絶望感は並大抵ではないだろう。私の周りにもパーキンソン病を煩っているという人のことを何件か聞くことがある。そんな難病に光が射してきたような感じだ。医師主導による臨床試験(治験)の世界発の例だ。是非成功裏に進めて貰いたいものだ。新聞紙上で、新薬の効き目などの発表があるが、ともすればラットでや動物での成功談だったりして、人間への適用はまだ先のことだというのが殆どだが今回は対象が人間だ。10月に50代の男性患者にこの神経細胞の移植を実施したとのことで、患者は術後も脳出血などの問題も無く手術前と同じように過ごしているという。このまま良好に推移して完治されんことを祈るばかりだ。iPS細胞の移植は国内では目の網膜の難病(加齢黄斑変性)に続いて2例目だ。どんどんとそんな応用例が進められることを期待したい。今回の治験が上手くいけば、保険適用も可能になると云うことで、一般の市民には大きな朗報となるだろう。先の本庶先生のがん対策と云い、ノーベル賞の成果が実際面で人類の役に立つことを実感できる。治験では、あらかじめ備蓄しておいた他人のiPS細胞から神経細胞をつくり、約3時間かけて患者の頭蓋骨に穴を開け、特殊な注射針で移植したとのことだ。本人の細胞でないことが今後安く、普遍的に使えることになりそうで、期待はますます膨らむ。今回はまず脳の左側に細胞を約240万個注射して移植し。問題が起きなければ半年後に右側にも移植するという。今回の患者がパーキンソン患者としては1例目で、今後は、合計7人の患者に移植し、その効果を確認することになるという。約3年をかけて、経過を観察し、安全性と体の震えなどといった症状を軽減する効果があるか確かめ、2022年度までに全員の治験を終える遠大な計画となっている。勿論、移植した細胞ががん化する恐れもあるために慎重に観察が進められることになる。そうした治験が順調に進めば、その結果をもとに大日本住友製薬が国に製剤化を承認申請する手はずとなっている。将来的には治療費「数百万円くらい」で治癒できることを目指している。パーキンソン病は手足などが震えたり、こわばったりする神経の病気で、主に50代以降に発症し、厚生労働省の推計では国内に約16万人の患者がいる。神経伝達に欠かせないドーパミンという物質を作る脳の細胞が減少することによって発症するとされるが、詳しいメカニズムは不明だ。パーキンソン病が進行すると、認知機能の低下がみられる。今回の治験で期待できるのは運動障害の回復についてであり、認知認知機能障害についての改善は期待できないという指摘がある。根治に向けてはドーパミンを出す神経細胞を移植するだけでなく、ほかの治療法との併用など、今後様々な選択肢を検討する必要がありそうだ。現在は対処療法で不足したドーパミンを補う薬を飲んだり、脳に電極を埋めて電気刺激で症状を抑えたりする治療があるが、効果が持続しないなどの課題がある。特に脳などの中枢神経疾患は実験が難しく研究が進みにくいため創薬開発に結びつきにくい。神経細胞そのものを移植出来ることになれば、再生医療への期待は高まるであろう。京大ではこれまでに、動物実験で効果や安全性を確認してきた。人のiPS細胞から作った神経細胞をパーキンソン病のサルに移植、移植後1年間観察すると、徐々に手足の震えなどの症状が軽減する効果がみられた。2年たっても腫瘍はみられず、有効性や安全性に問題ないと確認できた。海外では、中絶した胎児の神経細胞を患者の脳に移植する治験が進み、症状の緩和などに効果が出ているという。ただ、これは倫理上の問題や、移植に使う細胞を大量に調達するための高額費用の面から難しい。これは何度も言われ、専門家の間でも議論を尽くされたことであろう。血液などから作られて、ほぼ無限に増えるiPS細胞の場合にはそういった問題は大幅に軽減される上に、他人のしかも脳細胞以外から出来るiPS細胞が使えるとなると、今後の一般への適用は大いに進むことだろう。今後、移植した細胞が神経細胞になってドーパミンを出し、パーキンソン病の症状を和らげるか効果を確認する段階だ。最終的には、薬が必要ないくらいに回復することが最高だが、少なくとも服薬しながらでもコンディションの良い状態が保たれることが追求されているという。iPS細胞を使う再生医療の臨床応用は現在の所目の難病に続いて今回の脳に依拠したパーキンソン病の2器官であるが、他にも、脊髄の損傷、角膜の損傷、iPS細胞から血小板を作り輸血する臨床研究(9月に認可)、重症の心不全(臨床研究が5月に認可)など、様々な分野で試みられようとしている。企業でも、取り組みが加速しており、富士フイルムは2019年にも白血病などの治療で実施する骨髄移植で起こる重い合併症の患者を対象にした治験を始める計画もある。目の難病の治験では、一時問題となることもあったようだが、概ね順調に推移しているようだ。今回の脳の再生医療は、素人から見れば更に難易度が高いように思われる。この治験の対象になる事を承諾した男性(及びその後に続く6名の対象患者)の勇気は永久に称えられるであろう。そのためにも、この治験が大きな障害無く良い結果が得られることが肝要だ。振り返ってみると、2014年に京都大学がこの臨床実験を2016年に開始すると発表していた。開始してから2年と云う事になる今回の治験だ。すでに、iPS細胞から神経細胞の一歩手前の「神経前駆細胞」に分化させる際、培養皿の底に敷く基質に特定の人工たんぱく質(ラミニン)を使うと、従来の20倍以上の量が培養できることを発見している。ともかくも臨床治験の成り行きを厳かに見ていたいと思う。【古今和歌集】589.まこもかる淀のさは水 雨ふればつねよりことにまさるわが恋 (つらゆき)真菰を刈る 「淀の沢水」が雨が降ると増水するように、雨の日にはことに恋しさがつのる(まこも ・・・ 真菰イネ科の植物、沢 ・・・ 水たまり )真菰草に降りしきる雨は、理性では抑えきれぬ恋の激情の表象であった。
2018.11.10
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今日のウォーキングは雨のため中止した。台湾から帰って、睡眠も十分でない故に恵みの雨と言ったところだ。夕食には、魚を食べようと、連れ合いと共に蔵鮨に出掛けた。***仮想通貨のことが特集されていた。宴の後と言うからどうやらブームが去っているかのようだ。元々見えないお金と云う事で、実態が分からないし、個人的には何やら暗いイメージしかない。そんなことで個人的には何も関係していないのでどうなろうともあまり関係の無いことだ。それでも今流行の言葉でもあるし、分からないなりに関係記事を読んでみた。仮想通貨の最盛期には(2017年12月)売買代金が200億ドル(2兆2500億円)を超える程であったが、今やそれが5分の1になっているという。(新聞ではピーク時の25分の1という表現があるが、今一つ理解しがたい)新聞の図で見ても、2017年末から2018年初にかけてバブル期であったことが一目だ。この逆風はどこから来たのかと言えば、相継ぐ不正流出だという。そういえば、今年の初めにコインチェックから仮想通貨ネムが約580億円不正流出する事件があったとの報道があり、一度取り上げて勉強したつもりだったが、その後どうなったのだろうか。そもそもお金に関することには才覚が無いというか、あまり興味が無いので、その後の追跡はしていなかった。かの流出事件がコインチェック側の犯罪であったのかはたまた被害者だったのかさえ明らかではない感じだ。当時は流通していた代表的通貨ビットコインの価格価値も1割低下したとあったが、今では更に落ち込んでいる。仮想通貨で資金を調達したレストランが廃業に追い込まれたとのことだ。仮想通貨技術を使った資金集めのことをICO(Initial Public Offering)というらしい。企業が資金を調達する際にオンライン上で多くの人から資金を募るクラウドファンディングや新規株式公開(IPO)などに似た仕組みだというが、簡単に資金調達できる分、リスクも高いとの説明だ。しかし、そんなところに投資すると云う事自体私には信じられないことであるのだが。ネムの流出後も9月にはテックビューロの仮想通貨交換事業(Zaif)から、仮想通貨67億円分が不正流出した。こんなことが1年に2回も起こるのだから信用失墜するのも当然のことと思う。まして、コインチェックの事件後直ぐの2月にはイタリアでも、仮想通貨交換業者「ビットグレイル」から仮想通貨「Nano(ナノ)」が1億7千万ドル(約184億円)流出したとの報道もあった。これらの通貨の払い戻しは困難だとされた。日本の場合も、イタリアの場合も経営陣は辞任したとのことだが、それだけで済んでしまったのかどうか、損害を被った側にとっては間尺に合わないだろうと思うのだがどうなっているのだろう。ましてや、こういった登録業者は金融庁なりから業務改善命令を受けていたというから、何やら意図した犯罪と言えなくもない。この時の説明ではホットウォレット(ネットにつながる)の状態で多額の仮想通貨を管理していたことが問題だと言うことだった。何やらハイカラな名前で呼んでいるが、外から見える場所で金庫のドアを開けてそこには金塊が黄金の光を放っていたと云う事と同じなわけだ。一般には見えないものも、ハッカーなどから見ると、手を出せば届くところに大金を転がしているようなものなのだ。犯罪が起こらない方が不思議なくらいだ。こうなるとさしもの投資家も二の足を踏むのは当然だろう。一時は2万ドルを超えていたビットコインの価格は3月頃には1万ドルに低下し、その後は、6000ドル台で膠着状態となっている。2017年後半に1年間で15倍に値上がりしたことを受けて参入した個人投資家も大きな含み損を抱えた状態だ。仕方ないから10年は塩漬けにしようとの人もいる。このような状態でも参入するところもあるようだが、一体どのような商機を見越しているのだろうか。Zaifの場合もおかしくなったら直ぐ売りに出すといった節操のないやり方の中で不正流出が起こったと言うから、何をか況やである。こうした側面を見る限り、これは完全なマネーゲームであり、顧客の安全性とか、本来的な資産運用といった考えは微塵も感じられなく、ただただ架空のお金を使った博打のような代物だ。被害に遭った業者は業者こそ最大の被害者だといっているようだが、本来のICOとは株式投資を新規未上場で広く売り出して資金調達を行うことを目的としているもので、それ自体でも十分リスキーな上に博打紛いのもののようだ。今日の業者の林立を見るとき、如何に規制緩和とは言いながら一定の秩序の出来るまでは、統制を必要とするのではなかと思われるのだ。世界のICOの内8割強で不正があったとの報告があるようで、なかなかの投機対象になっているようだ。本来の目的から逸脱し、簡便で縛りの少ない資金集めに群がる投資額は今年7月末までに142億ドル(約1兆6000億円)にも達しているという。こういった簡便資金集めを単純に規制で追い出してしまうとそこには資金が集まらなくなると云ったジレンマがあるようだ。今時のお金が物を対象にした対価であると言うところから利殖のための対象に変わってしまっているような気がする。既に中国や韓国ではICOを禁止している。かの国を思いやれば、それも又当然のことのように思える。一方で、日本はと言えば、こういった事にあまり慣れていないと思えるので、正しい発展が見込めるかしっかりとした法規制が出来るまでは、一定の規制が必要ではないかと考える。仮想通貨による簡便な資金調達、海外への自由な送金とその時間的な短縮など利点は多いもののまだまだ使いこなせるまでの土壌が出来ていないと云うべきでは無いだろうか。色々追求はされているようだが結局コインチェックから流出した約580億円分の仮想通貨「NEM(ネム)」も匿名性の高い「ダーク(闇)ウェブ」のサイトを介して、ビットコインなど他の仮想通貨に交換された疑いがあると言ったことで、有耶無耶になってしまっている。この対策として、「ブロックチェーン(分散型台帳)」技術が有効だとの話だが、なかなか本来の目的通りに機能していないようだ。日本に於いて、仮想通貨やブロックチェーン技術が本来の目的通りに機能するのはまだ先のような気がする。【古今和歌集】586.秋風にかきなす琴のこゑにさへ はかなく人の恋しかるらむ (たゞみね)秋風に誘われて誰かが掻き鳴らす琴の音にさえ、何故かあの人が恋しく思われるのです(かきなす ・・・ かきならす)
2018.11.09
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台北での同窓会を終え、昨日の台北観光も終えて、今日はもう帰国することになっている。どうせ海外に行くならもう少し長くとの気持ちもあったが、同窓生は皆それぞれに忙しいらしく、とんぼ返りの人も居て、2泊するのがスタンダードであった。今朝は7時前に朝食を済ませ、チェックアウトもして8時にはロビーに集合した。現地の新聞には「川晋輸了」という字が躍っていた。川晋はトランプの意味のようで、アメリカの中間選挙のことのようだが、意味は分からない。この旅行で過分な接待をしてくれているRNさんにもう一度、幹事から、せめてツアーの小型バス(巴士)のチャーター費くらいは支払いたいとの申し出をしたようだが、以前に聞いていた費用以上は一切受け取らないとのことであった。我々日本から来た同窓生は遊客(Visitor)と言うわけだ。今日まで残った遊客は10名で、その内の1人(Mat)は、今日は単独で行動し、台湾の地下鉄サーベイをしたい(乗ってみたい)とのことだ。その君に送られる形で午前中の台北観光に出掛けることになった。RNさん夫妻の案内で、日本からの9名が観光の参加者だ。向かう先は野柳の野(野柳地質公園)と呼ばれる奇岩で有名なジオパークだ。昨日訪れた九分と同じ方向だが、やや北寄りで、通る道路は違うようだ。土地勘もないので、何処をどう走ったかは分からないがともかくも海岸に出た。遠くに大型の船舶が航行している。後で地図を調べると、100km程度で与那国島があるようだ。9時15分に我々が公園の駐車場に着いたときには、バスが数台止まっていただけだった。岬の方まで、砂岩が隆起し浸食された形の岩が多数散在していた。連れ合いは、地質学を専攻していて、説明してくれた。数日前まで雨の予報だったのが、良い天気に変わってラッキーだったが、その分とても熱くて、暑がりの私など手持ちのハンカチが絞れるほどに汗を掻いてしまった。半島の先まではかなりあるので、途中で引き返したがそれでも歩く距離としてはこの旅行で最長だった。遊歩道があり、手すりもあったが、更に危険な箇所には赤線で侵入禁止を警告していた。しかし、話によるともう少しバックと言いながらカメラを構えて海に落ちて亡くなった人が過去に3人もいるとのことだ。それは中国人だとのことで、なぜか一寸安心した。中でも女王の頭という岩がパンフレットに取り上げられていたがそういえば、クレオパトラの頭部に似ていなくもなかった。細い首は、今にも切れそうであったが、この浸食があと何年続いたら、女王の首はどこかに行ってしまうのだろうか。女王の首2というのが公園内の木々に囲まれて単独であるのもまた、面白かった。九州からの友人(Kod)と、数枚スナップを撮った。集合時間の11時に公園入り口に集まって、再びバスに乗った。駐車場は来たときと違って大型バスで満車の状態だった。途中運転手の良く利用する食堂という店で、昼食を採った。海に近いので、海産物が美味しかった。今回の旅行は、とにかく食べる事が主眼のような旅行であり、ともかくも食べまくった気がする。件の九州からの友人の奥さんは台湾に行ったら太るからと云う事で参加しなかったと言っていたが、あながち誇大では無いような気がする。再びバス上の人となる。海岸沿いの空には、ハングライダーを楽しむ姿も見られた。再びハイウェイを台北方面に帰るのだが、感心するくらいにモータリゼーションが発達している感を受けた。ドバイからアブダビに向かう路線も5車線あったと記憶するが、ここ台湾でも車線が5つもあるのだ。勿論日本でもそんな箇所はあるだろうが、郊外で、かくも広範囲に広い車線を採れるのは素晴らしいと思った。ふとミャンマーのティワラ工業地帯の10車線以上ある道路の写真を思い出した。東南アジアの東西、南北の回廊は、かくあるのかなどと思い、かつて私が赴任した玉野の町の道路の狭さを思い出した。その道路にバスが行き交う様を見て後の人が発した感想に「今日の交通の輻輳を見て感慨ひとしおだ」と言ったとか。日本人の発想は、かくも矮小なものなのかとこれも又ふと思い出してしまった。昨日の広大な自由広場に対して、日本の坪庭を愛でるメンタリティーの差は、こう言った所にも出てくるものなのだろうか。台湾の高速道路は殆どが、コンクリート製のようで、外面は何となく薄汚い感じだ。その点は日本の橋梁の方が、一寸美しい気がする。桃園近くのICは広範囲に整備されていて、日本のように近くまで民家が迫っていると云う事も無く、周囲の植え込みも又綺麗に手入れされているようだ。斜張橋のデザインも変わったものが多い気がした。台北近くになると、遠くに101が見える。なるほどランドマークにふさわしい目立つ建物だ。台北市に入ってから(桃園近くまで来ていたのかも知れない)、今日松山空港から16:50発で、羽田に帰る友人(Tan)を途中の道路で降ろし、彼は別のバスに乗り換えた。このバスもRNさんが手配していたもので恐れいる。ここで、9人になった。お土産物を買うには空港よりも安いだろうと次に訪れたのはカルフール(家福楽:Carrefour)だ。14:45、そこで、我々関空組よりも2時間早く16:55発福岡行きに乗る友人(Kod)と別れ、我々8人が買物をしている間にRNさんが桃園空港を往復してくれるのだ。連れ合いと私は、そこで所謂バラマキ土産を購入してトランクに詰めた。カルフール辺りになると、そこが台湾であるかどうかなど忘れてしまう。徐々に日本に帰る心準備的な店だ。16:00にはカルフールを出て、関空組8人を載せて、桃園空港に着いた。桃園空港は、当初国内線専用であったが、日本にだけは国際線の乗り入れが許可されているとのことだった。チェックイン(16:35)は、今度はフェース・トウ・フェースだった。ブースは空いているが、ピーチ故か受付カウンターは少ない。ここでも並んで、やっと航空券をゲットした。往路の簡単なスリップと違って今までのような切符だった。乗ってみて分かったのだが、レッグルームの広い13番であった。姫の手配の手際よさを改めて感じた。全ての人がチェックインを終わり、搭乗口に消えるまで、RN夫妻は見送ってくれた。夫妻は、1年の内に最低1ヶ月は日本に滞在すると云う事だ。長崎に家を持たれているとかで、グーグルアースで紹介してくれた日本の自宅は赤い屋根の2階建てで瀟洒な感じの大きな家であった。矢張りお金持ちに違いない。友人も言葉では感謝の言葉を見いだすことが出来ないと言っていたが、正に、そういった気持ちで、別れを惜しむときには、連れ合いは少し目頭が熱くなったと言っていた。特に奥さんは、連れ合いと歳も近く、経歴も似た感じであったからか特に良く話が弾んだようで、RNさんの子供さんのことなど細やかな心情までも語ってくれたとのことだった。台湾にこれ以上無い好印象を持って帰国できることは望外の幸せである。同窓会を異国の地で開催するなど、一寸他に自慢しても良いくらいな幹事の取り計らいに改めて感謝したい。ゲートでは、飲み残していたペットボトル2つを取り上げられたが、想定内のことであった。出国のイミグレーションでは私はすんなり入られた(出られた)が、連れ合いは、指紋が認証しづらいと言って、何度かやり直しをさせられたとか。同じく友人の奥さんもそんなことを言っていた。さらに空港内を歩いているときに、持っているはずの荷物が無いと慌てて取りに戻った(イミグレは済んでいた)奥さんも居て、一寸したハプニングだった。加えて、搭乗口で待っている間に、パスポートのスタンプがないのはおかしいと、ピーチの係員に問い合わせる奥さんが居るなど、最後の最後まで、気の抜けない旅であった。私の場合は、桃園空港ではかなり認証システムが進んでいて、パスポートに押印しないと言ったことを聞いていたので、その点では慌てなかったが、それでもパスポートを見るだけでは、出入りが分からないのではと一寸訝しくは思った。帰りは、往路よりは時間が短かったように思うが、実際は帰りの方が、15分程度搭乗時間が長かった計算(予定時間で)になる。1時間の時間差が単純な引き算では済まないことは分かるが、アメリカの往復などでは更に日付変更線を通過するので、ややこしさは増すのだろう。機内でハプニングはもう1つあった。私のバッグが、後ろの席に落ちていた(抜かれていたのだと思う)のだ。慌てて探して後ろの席の男に声を掛けると、やっとそのバッグを押し出してきたのだ。素知らぬ顔の中国人だったが、何とも危なっかしいことであった。飛行機を降りるまでに機内では、関税の有無にかかわらず、通関手続きのスリップを書かなければならないが、最近は目も悪くなってきたので、更に嫌な作業になってきた。過去に一度もトラブったことはないのだから、等と思うものの、税関を通過するときにどきどきする輩も多いのだろうなどと考えた。荷物の受け取り場所で、6人とそれぞれ別れの挨拶をして今回の同窓会の旅は終了した。同行の友人の1人は、機内で通関書類を書いていなかったのか、税関前のデスクで急遽書いていたようだった。ゲートを出ると、神戸空港行きの連絡船は24時発だとかで、神戸空港に車を置いてきた友人夫妻は1時間も待ち時間があったようだ。我々は、すぐ前の空港の駐車場に置いてきただけに帰りはすんなりと帰る事が出来た。然し、連絡橋への道で、少し迷って空港を1周しなければならなかったのは愛嬌と言うべきか。高速道路を元来た道なりに帰ったが、夜中のせいもあって、それほど車の量も多くはなかったものの、深夜でもトラックが行き交っていることに驚いた。自宅に戻ったのは日が変わってからだった。それぞれの家にみんな無事帰り着いたようで、そんなLINEが飛び交っていた。台湾にいるときに靠(こう)という字が書かれているのを見た(交通標識だったか)ことがあった。RNさんに意味を聞いたところ子が親に頼る、寄りかかるなどの意味だと教えてくれた、正に今回の旅行はRNさんに靠の旅行であった。謝謝。
2018.11.08
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台北のホテルでの同窓会を終えて今日は1日台北を観光した。台湾の同級生(RNさん)夫妻の他、日本からの同級生は12人だが、1泊してとんぼ返りする友人が2人いた。12:10桃園発のバニラ航空(Miz) と18:55桃園発の関空行きのピーチ航空(Aka)だ。6:30から始まる朝食をレストランで採り、午前中の観光の時間もないMizを皆で送りがてら市内観光に出掛けた。バスが発車して間もなくMizが忘れ物をしたと言って騒ぎ出したが、それでは戻ろうとのことになったときに「いや、あった」となったので、そのまま市内を走り、RNさんの住まいに向かった。そこで待つ娘さんの車でMizを桃園空港に送り届けることになっていた。まぁ、何から何までアレンジをしてくれているので、我々としては何ら心配することがなくお任せで済むのだ。実にありがたく、きめ細やかだ。そこで別れて残りの13人は龍山寺に向かった。仏教・儒教・道教など100の宗派を統合した寺院とのことだが、壮麗な屋根は見応えがある。連れ合いは、日光の東照宮と比べて格段に綺麗だと称し、感心していた。私はまだ日光には行ったことが無いので比較のしようはなかったが、およそ類推することが出来た。邸内の右手には自然を模して造られた滝が流れて涼を採れるようになっている。中に入ると多くの人が読経していた。皆、厚めの経本を見ながらそれを唱えているのだが、なかなか荘厳で、思わず帽子を脱ぐ心境になった。訪れた人たちに見習って、線香を1本(無料)貰って、鉢の中に刺した。この辺りは日本と似ているが、無料というのが良い。建物の中には衣を着た女性が多くいた。今日はなかんずく特別な日のようで、読経をする人の多さにびっくりした。ひとしきり写真などを撮って、寺を辞した。バスに戻る途中で、横断歩道を渡るのだが、歩行者専用の信号機の人形が残り時間が少なくなると歩きから走る姿に変わるのは面白い。何となくそれに釣られて走り出す人もいるようだ。メインの通りの脇道には「長者歩歩辛」と書かれていた。その下には「駕駛請耐心」とあった。年寄りは歩くのが辛いので、運転手は十分に注意をして欲しいという意味のようだ。ここ台湾も歩行者優先の建前になっている。RNさんはそこを出ると、バスは、一寸急ぎ気味に中正紀念堂に向かった。大忠門に着くと、早く行きましょうと皆をせき立てたのは、1時間毎に衛兵の交代式が行われるからだ。大きな蒋介石の銅座像の前でそれは行われていた。銃剣を持った5人の衛兵が2人ずつ入れ替わるための儀式で、操り人形のように厳かに端正に交代の儀式を行っていた。2人の衛兵が蒋介石座像を衛る形で両側に立ち番するのだが、1時間は微塵も動かないと言うから凄い。RNの奥さんは、蒋介石が多くの人を殺したと云う事で、あまり評価していないのだが(後の二・二・八事件のことだ)と言った話を連れ合いにはしていたようだ。然し、ここを訪れる人は多いようで、白亜の堂内はかなり混み合っていた。正面の広場は自由広場と呼ばれていて、両側の綺麗な建物は、音楽堂(演奏庁)と芝居のための建物(戯台茶館)だとのことだ。さてバスに戻ろうとすると1人見えなくなっている、何処だ、何処だと探す内にひょっこり出てきて、堂の周りを1周したのだとか、自由広場故に自由行動であった。バスに乗り次に向かったのは台湾の新ランドマーク101だ。ドバイのブルジュ・アル・ハリファが完成したので世界最高の地位を譲ったが、しばらく(2017年まで)は世界1の高層ビルであった。101階建て、地上からの高さ508m(最高端は509.2 m)という。我々が昇ったのは展望台のある382mの高さまでで、見下ろすと眼下のイエロー・キャブが豆粒のように並んで見えた。展望台に上るまでのエレベーターだが、全て東芝製だとか。上昇速度は毎分1010mというから時速60.6kmで、世界最速としてギネスブックに認定されていた。(その後、2016年に上海中心のエレベーター〈三菱電機製〉に記録を破られた)それを誇るようにエレベーター内にディスプレーがあり、上昇時、下降時共に、階層、高さ、分速、カウントダウンタイマー(計時器)がリアルタイムに表示されていた。また建物内には、巨大な(全体の重量は660トン)チューンドマスダンパー(TMD)が設置されていて、風(特に台湾は大型台風が頻繁に直撃する気候だ)による振動を最大40%緩和する仕掛けになっていた。大きなダンパーがデモンストレーション表示され、見学できるようになっていて、なんだか安心感を演出しているようであった。然し、之がKYBのようなまやかしのダンパーであったらと考えると、一寸背筋が寒くなる気もした。周囲の展望は素晴らしく、特に北方向には松山空港に離着陸する飛行機がまるでおもちゃのように見えた。この街の素晴らしさは、電柱がなく、皆地下に埋設されることだ。日本も東京の一部で無電柱化の動きがあるものの、早くから無電柱化を実施した台湾の為政者の先見の明を評価したい。マンゴービールというのがあって、連れ合いが買ってくれたが、マッチングの是非はともかくビールの中にマンゴーがフロートしている代物だ。連れ合いの分も併せて2杯飲むことになって少し良い気分になった。さぁ、そろそろ降りようかという時点になって、点呼すると1人足らない。Sugの奥さんの姿が見えなくなっているのだ。展望デッキを隈無く探し、トイレ、その上の展望デッキまで昇ったが見えない。ついに館内放送をしたがそれでもコンタクトは出来なかった。後で聞くと、急にみんなの姿が見えなくなったので、置いて行かれたと思い込み、ひとり、タクシーに乗ってホテルまで帰ったのだという。そんな発想になるものかといった話になったが、どうやら思い込んだら人間の行動は想像外のことをするものだとの落ちになった。海外での携帯電話は、WiFiが繋がらないと法外な金額請求が来るなどといった事が書かれているので、夫婦2人とも携帯電話をホテルに置いてきたのだと言う事だった。ホテルに着いた奥さんが何とか部屋から携帯電話で連絡があったから事の次第が分かったのだ。よもや拉致などと云ったことは無いだろうが、文明の機器が無ければ、もっと混乱していたことだろう。昼食時間が少なくなったとかで、101の地下で購入した小籠包をバスに持ち込んで、食べながらホテルに戻り、奥さんをピックアップした。最初は怒っていたSugも最後には真剣に顔色が蒼白になっていたようで、所在が分かってホッとしていたが、それは皆も同じだ。観光計画は元に復した。次は、九ぶん(人偏に分)の山に向かうことになった。バスは東に向けて高速道路をひた走る。基隆を過ぎて九分までは結構な距離を走った。台湾の高速道路は日本の1.5倍くらい進んでいるように見えた。低速でICが多い道路と、高架になっていてICが少ない、いわば特急電車的なハイウェイが並行して走っているのだ。九分は何やら千と千尋の映画のロケ地であったとか。アニメに疎い我々は、それがどうしたのだと云う感じだ。歴史的には金鉱で開けた町だとのことだ。それまでは寒村であったのが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えたとのことだ。金鉱が閉山されてから町は急速に衰退したとのことだが、再び脚光を浴びてきたのか、とにかく狭い通路(山の中の)はぎっしりの人であり、クネクネした山道には観光バスが引きも切らず往来する有様であった。この地はまた、二・二八事件を映画化したロケ地でもあったために台湾屈指の観光地にまでなったのだという。この事件のことは後で知ったが、1947年2月28日に台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権(外省人(在台中国人))による長期的な白色テロ(当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と日本人)を弾圧・虐殺した事件とのことだ。事件の犠牲者数は1万8千〜2万8千人とする推計が公表されているというが、之に関わった蒋介石が、一方では嫌われているのだと云う事だった。(前述のRNさんの奥さんの言)そんな混み合った狭い道の両側には、食べ物屋や土産物店は延々と続く。何も買いたい物や食べたいものなど無かったが、連れ合いは、孫(弟)用にと高い毛筆(1000TWN$)を買っていた。孫の書の力はなかなかのもので、このまま書を書き続けて欲しいとの願いもある。連れ合い自身かなりな書の達人である故もあった。ここは時間通りに出発できた。バスでの山の下りは少し混んだが、それでも元来たハイウェイは、順調に走れた。台北市内に戻り、我々は、エバーグリーンの博物館(長栄海事博物館)で降り、残りの限られた時間で見学をする間に、今日関空に帰るAkaを送ってバスは桃園空港に向かった。バスの運転手は桃園の近くなので一緒に帰したという。海事博物館は、東洋1のコレクションを誇るのだと言うが、それぞれ高額の絵画や模型を展示してあるのに驚いた。担当の案内者は日本語がたどたどしく、何を言いたいのか分からないという友人もいたが、端折りながらも、一生懸命説明してくれた。トラファルガーの戦いに始まり、タイタニックや最後には戦艦大和、潜水艦などに至るまで、およそ海事にまつわる模型と絵画の陳列であった。連れ合いは、私の親父が戦艦大和の速射砲を設計したことをことさらに案内人に言っていた。閉館が5時なので、そそくさと博物館を後にして、夕食のレストラン(京星港式飲茶)に向かってタクシーを飛ばした。ここでもお腹いっぱい食べて、更に紹興酒もごちそうになった。あれもこれも皆RNさんの持ち出しだ。何とも太っ腹というか、あまりに行き届いた接待(本当は同じ卒業生なのだが・・・)に酔ってしまった。明日は夕方帰途に就くが、午前中の予定の概略を聞いて、ホテルのラウンジに8時に集合することを決め、ホテルまでタクシーを飛ばして、それぞれの部屋に引き上げた。9時を回っていただろうか、充実した1日であった。また修正があるかも知れないが取りあえずアップする。
2018.11.07
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台北で大学同期の同窓会を開くというので、今朝3時15分には台湾に向けて出発だ。台湾から留学していたRNさんの勧めもあって卒業後50年ぶりの海外同窓会だ。昨晩からほんの少し仮眠をした程度で、車で関空まで出掛けた。関空へ車で行くのは初めてのことだ。朝のフライトがあまりに早すぎるので、丁度良い時間に関空に着くバスも列車もない。梅田で1泊することも考えたが、どうせなら自由度の高い、車にしようとなったわけだ。カーナビ任せで走るのだが、イメージとしては吹田ICから近畿自動車道に入って、松原から高石方面に抜けることを想定していた。何やら堺筋線が全面通行止めとの報もあったので、少し心配ではあった。大阪に住んでいるとはいえ、ここ島本では、市内の様子など知る由もなく、更に南の方については、その位置関係すら十分に認識していないのだ。カーナビは、吹田で近畿道に入ることを勧めない。そのまま名神を直進するようにアナウンスする。周囲は真っ暗なので、カーナビを信用して、とにかくフォローする。豊中ICから豊中南ICへと南に折れ曲がる。加島から塚本と過ぎ、淀川を渡って、そこからは何処をどう走ったのか、とにかく湾岸線と天保山という聞き慣れた道路を走った。岸和田を過ぎ、貝塚を通る頃には、関空の名前が出始める。ここまで来ると飛行機のマーク(道路標識)通りに走れば言い、1本道だ。(豊中までは伊丹空港の飛行機マークもあった)りんくうJCTで間違わなければもう大丈夫、連絡橋に入る。この間の台風でタンカーが橋桁に衝突して車線が規制されているはずだなどとスピードを落として走ったが、若干赤い誘導ランプが気になる程度で、勿論渋滞などもなく、無事通り抜けることが出来た。予めだいたいの位置は地図で調べてあったし、カーナビの到着点を第2ターミナル駐車場と入力していたので、迷うことはなく到着した。4時30分には駐車場内に入った。1時間半は掛かっていない。駐車場内には車は止まっているが、まだまだ広いスペースが空いている。国際線の出発ドアの真ん前に止めた。之までの通行料金は\2820円だった。中は、だだっ広いが、何もない倉庫のような空間だ。何人かがベンチで寝ていた。3時間以上余裕がある、こんな時間に来るのはよほど慎重居士だ。KIXカードを2人分作ったり、スマートフォンを充電したりと、まぁ、何となくやることはあるし、既に海外旅行のモードに入っているので、別に辛くもなんともない。それでも5時50分からのチェックインには、相当数が並んでいた。チェックインは完全に機械に対して、行うことになる。あれこれ心配もあったが、まぁやってみれば簡単だ。イミグレを済ますと結構広い、やっと空港らしい一角に出て、そこで搭乗時間を待った。大阪から同じ便で行く、同期の友人達1夫婦(Sug)と友人2人(Aka、Ari)に会った。いよいよ88番ゲートを抜けて駐機場に入る。何しろLCCだから、待合場所から延々と通路を歩かなければならなくなっている。外が見えない通路を何分か歩くと、やっとピーチのMM023が待つ出口に出た。地面から階段を昇って搭乗するのは久しぶりだ。我々2人は姫が間際に取ってくれた最前列に座った。(ビジネスや、ましてファーストクラスがないシンプルさが良い)最前列はレッグルームが広く、疲れない。流石の飛行機に慣れた姫のことだと感心する。姫はついこの間も学生を連れてパリの学会に行ってきたばかりだしと、少々うらやましいが、我々は初の台北だ。テイクオフは、やや遅れたものの、順調に出発した。後はLCCのピーチなので、何事にも料金が掛かる。それは事前に知っていたので、ずっと目をつぶって寝ていた。スマートフォンは機内モードにしていたので、何処でどう台北時間(1時間の差)に切り替わったか分からず、予定した時間通りに着いたのかどうかあやふやだ。着陸態勢に入って窓外を見ると、眼下にため池が多く見える、台北の上空だ。暫く地上を眺めていると、桃園空港に無事ランディングした。機外に出て、連れ合いは、早速イミグレ前の空港内で両替(1万円=2621TW$)をしていた。之が実に悠長に時間が掛かって先ずイライラした。更にイミグレは、これほど非能率な国があるかと言うくらいにのろのろとしていた。ともあれ台湾入国をやっと済ませて、荷物を取って空港外に出た。少し探したら迎えのRNさんが見えた。大阪からの同行者も皆集まったが、ここで私が予め作っておいた全員の行動予定(到着予定)が役に立った。大阪からは8人が一緒だった。そこで30分遅れて着く福岡からのバニラ航空を待って、友人(Kod)と合流した。RNさんがチャーターしていて呉れていた小型バスに乗って、昼食を採りに市内に出た。「海覇王」という勿論中華料理店だ。ビールも飲み、食事は出て来るは出て来るは食べきれないくらいに品々が次々襲いかかってくるほどだ。聞けば、残さず食べようとすると次々出てくるのだとか、余らせるのを勿体ないという日本の感覚では駄目なのだそうだ。食事を終え、再度桃園空港に向かい、成田からバニラ航空で来る、もう2人の友人(Mat、Miz)をピックアップして、台北市に戻り、今度は松山空港で最後の羽田からANAで来る1人(Tan)を拾って、すぐさま故宮博物館に向かった。17時まで見学したが、昔の宝が集約された、流石に世界的な博物館だと感心した。書、陶器、銅製品、掛け軸など多数だ。連れ合いは、世界に3点しかないとかの白磁の皿を見つけて喜んでいた。博物館は広い。全館の展示物をくまなく詳細に見るには時間が足りない。お目当てのものを見たら、外に出て建物をバックに記念撮影をした。建物の周りはとても綺麗に清掃されていた。チャーターバスの来る階下に降りて、多くの観光バスが着くのに混じってチャーターバスは到着した。このバスは3日間同じに来てくれるという。これもRNさんの計らいだ。故宮を後にして、このままホテルかと思っていたが、RNさんは、夜の台北が一望できる猫空ロープウェイに案内してくれた。そのロープウェイは、日本のそれと違って何しろ距離が長く水平距離で、4033mもあるという。高低差は、およそ300mである。丁度高槻カントリーの高さよりもやや高いのかなどと思いつつゴンドラに揺られていくと、途中に駅が2つ(峰が2つある)あり、時々降下するなど都合2つの山を越える行程になっているのだ。所要時間も30分近く掛かるので、夜景の観賞には十分の時間があり、ゴンドラ内も広いので十分楽しめた。山自体も低いので、車で登頂する人たちもいるようだ。遊歩道などもあって都会の喧噪から逃れるには格好の憩いの場所のようだ。とはいえ、台北という街は緑が多く、それほど摩天楼に遮られることもないので、日中の都会生活も潤いが感じられるようだ。辺りも暗くなり、再びロープウェイで山を下り、いよいよホテル長栄桂冠酒店(エバーグリーン)に到着した。荷物を各人の部屋に入れて、そのまま同窓会(台湾では同学会と呼ぶようだ)だ。大きな丸いテーブルの部屋に集まった。何しろRNの若い頃からの知り合いで、共に遊んだという間柄がオーナーと言うから、丁寧にもてなしてくれた。提供される食事も豪勢で部屋も1人や2人にかかわらず1泊1万5千円、2泊は2万5千円と破格であり、同伴の奥さん方は皆招待だという。結構な予算オーバーの筈なのだが、RNは一向に追加など集める気配もなく、どれだけRNさんが持ち出しているのかさえ分からずじまいだ。皆で追加払いを申し出たが、何しろ一旦決めたら、とことんもてなすのが流儀だと言わんばかりに、徹底的に歓迎してくれたのには恐れ入った。そしてこれは、最後まで譲らず、同窓生全員は超破格な旅行を楽しむことが出来たのだ。昼の食事でたらふく食べたので夜は食欲がないかと懸念していたが、何の、紹興酒も頂いて、昼食以上に飲んだり食べたりと、盛り上がった。口々にRNさん夫妻のもてなしに感謝を述べるが、RN夫妻は、ただにこにことさも我々が喜んでくれることが楽しいと言わんばかりの笑顔を見せていた。事実、皆さんが遠い台北まで来て呉れたことがとても嬉しく、感謝しているとの言葉を聞いたときに、何と裏表の無い正直で真面目な人だと改めて感じ入った。台湾に於ける成功者はかくあるのかと感じた次第だ。楽しい内に同窓会(同額会)in Taipeiはお開きとなった。連れ合いと共に部屋に帰り、私は酔いを覚まそうとホテルの玄関を出て、2ブロックほど歩いて往復し、再びホテルに帰って、シャワーを浴びて就寝した。斯くして、台湾1日目は暮れた。一旦ここで、アップするが、又気がついたら追記して修正することにしよう。
2018.11.06
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今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点までで、帰りも水無瀬堤を通った。姉が我々2人の誕生会をしてくれた。久しぶりの美濃吉だった。その後、フランソアで珈琲を飲んだが、相変わらずの混みようだった。日が変わると直ぐに台湾旅行に出掛けるため、荷物の準備だ。2泊しかしないのだが、久しぶりの海外とあって、少し緊張気味だ。姫が、ピーチの座席を少しレッグルームの広い1番の席に変更する手続きをしてくれた。遠隔であろうが、ネットで何でも直ぐこなしてくれるのは凄いし、ありがたいことだ。***元徴用工へ賠償確定との記事があった。韓国の最高裁が第2次大戦中に強制労働させられたとして、新日鉄住金や三菱重工等に賠償を求めた裁判の結果だ。それだけを見たら、なるほどと思うことかも知れないが、之には深いわけがあるのだ。この問題は、既に政治的解決を見ているとする日本と、韓国の司法の判断が食い違っているのだ。それは、「日韓請求権協定」と呼ばれるもので、日本の植民地支配の賠償問題解決のために日韓が1965年に締結し、日本からの経済援助などを決めた事に対して、韓国司法は之を有効で無いとし、日本は既に解決済みだと主張していることだ。韓国司法も二審までは請求を棄却する判決が出ていたのだが、2012年に最高裁で差戻され、再審議の結果での最終判決だ。日本政府は韓国政府との間で、韓国に賠償金(無償3億ドル、有償2億ドル)を支払うことで、個別の請求権はこの問題を解決済みとして「日韓請求権協定」を結んだのだが、之を蒸し返したことになる。訴えているのは4人で、最高裁の判決は4人に4000万円を払えとの判決だ。金額だけ見ても、550億円は支払っているのだから、そっちで何とかしろよと言いたいところだ。三権分立と言うが、国同士が、納得して交わした協定も韓国では通用しないようだ。解決金だけはせしめておいて更に要求をし続けるのは、どうにも納得がいかない。国同士が決めたことなのだから、その解決金を持って韓国内部で収めれば良いことのように思うのだが、どうもその辺りが腑に落ちないのだ。三権分立が国際的に政治をも含めて存在するとなると、一体国(政府)というのは何を意味しているんだろうか。日本の常識が、韓国では通じないと云う事なのだろうか。分からない。韓国は、大統領の権限が絶大だと言いながら、大統領を務めた後で、俄に罪人になってしまう例が後を絶たないわけで、之では、国としての体を成していないとしか云いようが無い。こんなことを許していたら、この後も次々同様の訴えが起こり、判例があるからとドミノ倒し的に事が大きくなって、収拾が付かなくなるだろう。そもそも、日韓請求権協定は過去を清算して未来志向で両国間の良好な関係を築こうとの意味を持つのだが、どうも韓国としては、いつまでもそのような関係にはなりたくないと言う事なのだろう。別の大きな問題である慰安婦問題をとっても、韓国が之を事ある毎に蒸し返して、折角良好になりかけた関係を進んで破壊しているように見える。「不可逆的」といった言葉をよく使われるが、もう蒸し返さないという意味だと思っていたが、どうやら韓国人にはそんな言葉はないようだ。よく加害者は忘れるが被害者は忘れることが出来ない、というが、そんなことを言い出すと収拾が付かなくなるのは必定だ。最高裁のこの判決も、どうやら13人全員の一致した見解ではないようだ。内2人は、協定で、個人的な請求は出来ないとしているようで、むしろこの2人の方が当然だと思うのだが。日本政府は当然韓国政府に対して強く抗議をしているが、韓国はどうやらすんなり応じる気配はないようだ。韓国では大統領が認めていることなのにどうも再三蒸しかえしているのは詰まるところ、大統領は見せかけ的に強大な権限を有しているにもかかわらず、国民を抑えきれないと云う事なのか、はたまた、裏で糸を引いて、国民を扇動しているのが大統領であるのかだ。まぁ、いずれにせよ、国民性としては、未熟を画に描いたようなところがある。どうも韓国は金をせびり取ることと国威を高揚させることのために日本を大いに利用しているように思える。一旦は納得して引き下がるふうを見せながらその実国民(を先導して??)が騒ぎ他立て、之に追従している感が強い。これは既に日本に対する宣戦布告に近い。むろん歴史の1点に於いて、不条理なことがあったのは事実であろうが、それを盾に営々として築き上げた14年間という修復の歴史を完全に否定しているのだから、これはもう手が付けられない。最も近くに位置して最も近づきがたく、底の知れない民族性である。負け犬根性の最たる国で、最も仲良くしたくない国の最右翼だ。然し乍ら、訪日韓国観光客は訪韓日本人客の3倍だとの数字もあるようだ。これらの人たちや、ゴルフで荒稼ぎされる韓国人などを、全て受け入れないとした方がスッキリするのではないだろうか。そうして、最も近くで最も疎遠な国になってしまう方が、いくらか気が楽だと云う事だ。何もインバウンドの中にこういった国民性の人たちを含める必要は無いのでは無いか。私は幸か不幸か、韓国には行ったことが無いし、今後も行きたいと思う気持ちはない。慰安婦の問題でもそうだが、何しろ韓国の政府というのが全く当てになら無いと云う事だ。早くその辺のことを理解しないと、いつまでもこの問題(というか互いの国の関係)は良くはならないだろう。日本から賠償金をせしめ、技術を教えられて、国を豊かにし、生活も楽になったところで、造船を奪い、ぬくぬくと成長したのは、自国民の努力であったと錯覚しているようだ。そんなことも理解出来ないようでは、この先仲良く付き合って行くことなど出来ない。いや、我慢して付き合っていけば必ず又どんでん返しを食らうことになるのは必定なのだ。現大統領の文在寅こそが、裏で糸を引いているのではないか、そんな気もしてくる。何やらこの流れの根底には文在寅の「積弊精算」という考え方があるという。積弊精算というのは、長い間に積もり重なった弊害即ち、李明博、朴槿恵と続いた保守政権の徹底的排除と云うことのようだ。何だ、国内のいざこざを日本に腹いせとしてぶつけているのかと云う事に行き当たる、最高裁の長官もそういった類いの人物らしいこうなると如何ともし難く、国際的な感覚など持ち合わせていないというしかない。哀れと言うにはあまりのお粗末な国だ。やがてこの文在寅も獄に繋がれる日が来るに違いない。トランプが、自分に刃向かおうとする(自分の悪事=ロシアスパイ事件を追求しそうな)司法長官を解任したのと全く同じ思考回路である。之が、自国第一というか自分第一の思考の類型だと云う事になる。そんな国際社会故に正しいことに賛同する国がどれ程居るのかさえ曖昧だ。従って、早いとこ、このような国とは付き合いを止めることが肝要ではなかろうか。よしんば、韓国政府が国同士の関係悪化を望んでいないとしても、国民感情が国を(司法)左右する国民性の人たちとは絶対にあわないであろう。韓国には憲法の規定の上に「国民情緒法」と言われている。何という国なのだろうか、改めて驚きを禁じ得ない。もうこれ以上表面的に友好を見せかけるのは止めようではないか。【古今和歌集】585.人を思ふ心は雁にあらねども 雲ゐにのみもなきわたるかな (ふかやぶ)恋しい人を思う心は、それは雁ではないけれども、ただ雲のかなたに遠く離れて、泣きつづけていることです(雲ゐ ・・・ 雲の遠く)
2018.11.05
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今日のセミウォーキングは大阪染工から宝寺踏切で折りかえし、島本駅を通って帰宅した。帰り際に駅で、孫が学校の野球部が高槻2中で試合をすると言って集合していた。***サウジアラビアの王室が激しく動揺しているようだ。サウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏の殺害事件以来、国際社会からの批判が強くなって対策に苦慮しているのだ。サウジの最高権力者はサルマン国王ではあるものの、高齢故に国王の意向もあって実質的にはムハンマド皇太子が権限を一手に集めている。サウジの王室の関係は極めて分かりづらいので記事のおさらいのつもりで、新聞を転記しながら感想も併せ書いてみる。今回のカショギ記者の殺害も、元はと言えば、ムハンマド皇太子を批判した記事を書いた故に起こった事件である。それにしても気に入らなければ前後の見境無く殺害すると言った野蛮な風潮が未だに残っているのかと、驚くのだが、彼らはそれで平気なのであろう。ここに来て、おそらく国際的な反響がここまで大きくなるなどとは思っていなかったと云う事かも知れない。トルコのエルドアン大統領の追求が意外に尾を引いていると見える。トルコの追求にトランプも座視できかねる状態になってきた。サウジは対イランでアメリカと同調すると共に、トランプの家族とサウジ王室との良好な関係もあって順調だったが、この所そういった対米同盟にも亀裂が見え始めている。経済改革を進めるため外資導入を目論むムハンマドだが、企業のサウジ離れで孤立のおそれが強まっている。それが、権限を一手に集めてきたムハンマドへの不満となって表面化している。数カ月にわたり国を離れていた有力者のアハマド王子が10月末に帰国。サルマン国王と国の将来について議論を始めた可能性があるとされる。アハマド王子はサウド家のアブドルアジーズ初代国王と、有力豪族スデイリ家出身のハッサ妃の間に生まれた男子7人「スデイリ・セブン」の一人。7兄弟のうち生存しているのはサルマン国王とアハマド王子だけだ。(詳しく調べないと、息子の数が多すぎるし、名前も似たようなのが多いので、なかなか理解出来ない)アハマド王子はおそらく76歳だろう、ムハンマド皇太子の叔父に当たるわけで、10月30日にロンドンからリヤドに到着してムハンマドの出迎えを受けたとのことだが、サウジの国営メディアはこれを報じていない。アハマド王子は当然のことながら、皇太子への権力集中に不満を持つとされる。9月、ロンドンでイエメン内戦に抗議する反サウジのデモ隊に向かって、アハマド王子が「国王と皇太子に責任がある」と発言する動画がネット上に公開され、物議をかもした。考えてみれば40歳も年下の若造が、親父の威を借りながら、やりたい放題を仕掛けてくるのだから、面白いはずはないだろう。まして、近隣国との平衡を破る方向なのだからなおさらかも知れない。一方、カショギ殺害事件後には駐米サウジ大使で、ムハンマド皇太子の弟であるハリド・ビン・サルマン王子も国に呼び戻されている。皇太子への権限集中批判をかわすため、空席となっている副皇太子にハリド王子を起用する説がささやかれる。あくまでもムハンマドの関与を否定し続けるサウジ (というかまだ権力の座にあるムハンマド自身) はカショギ殺害をジュベイル外相に押しつけて、スケープゴートに仕立て上げようとしている。実行犯らが権限を越えた行動をしたのはジュベイルの指図であり、皇太子に責任はないという立場を貫いている。ここまで来て、ムハンマドが関与していないことを信じるものはおそらく誰も居ないであろう。国の未来図を描いて、強引なまでに反対する王族をホテルに軟禁するなどしているわけで、そんな言い訳が通るはずもない。新聞では、ムハンマドは国営石油会社サウジアラムコの新規株式公開(IPO)から、未来都市建設「NEOM」事業まで、細部にいたるまで部下の説明を求め、日常的に介入してきた人物であり、軍事・情報機関をたばね、絶大な権力をにぎっているのだから、ムハンマドが、15人で構成する大がかりな作戦(殺人メンバー)をまったく知らなかったという説明の苦しさは否定できないと控えめだ。この事件を受けて、泣く泣く国外で暮らす事になった王族の一部は、メディアなどを通じて皇太子への批判を強めている。サウジの改革を標榜して、颯爽と国際社会に登場したムハンマドは、当初、長年の慣習になっていた女性蔑視に一矢を投じ、運転免許取得を許すなどのサウジとしては勇断とも云える施策を採ったばかりだった。そんな、清廉な若き改革者は今や、殺人鬼に成り下がっている。サルマン国王になってから、それまで兄弟で受け継いできたサウジの国王をサルマン家の直系が嗣ぐという方向性を打ち出してきたわけで、そのやり方は、どの国も採っているので、違和感はなかった。しかし、、サウジ国内的に見れば、大きな変革であり、なかなか納得できうるものでは無かっただろう。特にムクリン前皇太子などは、順調にいけば自分が国王になるはずであったのだから、先の強制辞任は、怨念の残るものであったに違いない。王族達は、それぞれ、サルマン家の支配を嫌って国外に居を移していたのだが、この機に反撃に出ることも予想される。新聞によると、サウジの王室は、2001年の米同時テロ後にも深刻な危機を経験したとある。学校の教科書に異教徒を敵視する記述があるなど、不寛容で非近代的な体制の性質が浮き彫りになり批判を浴びたというのだ。私の経験でも9・11事件に対して公に拍手を送る国民を見たことがあり、矢張り強烈な違和感を覚えたものだ。王室はその後、地道な信頼回復の努力で危機を乗り切ったとあるが、どういった手だてを講じたのであろうか。サウジアラビアは「サウド家のアラビア」という意味で、家の名前が国名の一部になっている特異な国だ。国民はサウディアと称している。初代のアブドラアジーズが偉大であったことは間違い無いが、この国の支配体系に石油の産出がなければ、今日のようなサウド家による支配が長続きしていなかっただろうとも言われている。ここに来て、カショギ事件は自ら招いたものとは云え、サウド家(サルマン家)の最大の危機と言って良い。再度国を揺るがす内乱になるかも知れないが、サウド家の危機に貧した際の結束という伝統の強みをふたたび発揮できるかもしれないとしている。但し、その時には、ムハンマド皇太子が犠牲にならないという保証はない。最早そこまで来ているのかという感じだが、中東の盟主であり、日本との関係も原油の最大の輸入国であるサウジがこの先どのようになっていくのかは注目しなければならないだろう。トルコのエルドアン大統領は世界に向けたテレビ演説で、この事件の不当性を訴え、ムハンマドの関与を暗に追求している。ムハンマドも、トルコの駐在大使館での犯行で、トルコが何も知らないという風に考えていたというのは如何にもお粗末だ。殺害後は、カショギに似せた男を総領事館から出すことで誤魔化せると思ったとしたら、如何にも稚拙であろう。エルドアンは、音声も、下手をしたらビデオまでも保持しているのではないかと思われる。それでもムハンマドを名指しで非難することはなかった。エルドアンの真の思惑は何処にあるのか、アメリカとサウジを適当に転がすことで、トルコの存在感を際立たせようとしている風にも見える。げに国際社会の関係は、一本筋では行かないもののようだ。【古今和歌集】584.ひとりして物を思へば 秋のよの稲葉のそよといふ人のなき (みつね)秋の夜、一人物思いに耽っている時は、悲しくため息が出ても、稲葉がそよぐ音だと、慰めてくれる人はいない(「そよ」は葉が風にそよぐ擬音と、「そうであるよ」ということを掛けてある)
2018.11.04
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今日のセミウォーキングは上牧駅裏から河口から32.0kmまで歩いて帰りは高浜堤を通る、常の逆コースを採った。***日経の十選だ。三菱美術館の安井学芸員の紹介だ。1. は、ミレーの「夕暮れ」だ。残念ながら、この作品をネット上で見つけることは出来なかった。この作品は、とても暗い感じだ。「夕暮れ」と検索すると、「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」が出てきて、又そればかりなのだ。ともあれ、「夕暮れ」に現れる動物は羊だ。ミレーは動物表現が得意で、羊の他に、牛、馬、豚、馬などを手がけている。さらには、鴨、鶏、犬猫、鳥獣果ては草上の蝸牛までも描いている。ミレーは、バビルゾンに定住した農民画家だ。ミレーの生き方を真似て農村に移住したゴッホは短期間に挫折したとある。そんな農村に長期間の本格的定住者ミレーならばこその動物描写だと云う事だ。冴え冴えした三日月の下、家路に急ぐろばと羊が描かれている。2. は、ドガの「田舎の競馬場で」だ。競馬場だから動物は馬だが、紹介者の視点は、少し変わっている。地平線から飛び出た、馬の耳とシルクハット、更に犬の頭に注目している。人の視線は皆馬より馬車の乳児に集まっているが、それを馬車の上の犬によって遠くの馬たちに視線を変更させているというのだ。変わった見方もあるものだ。このドガが描いた背中を向けた一匹の犬がこの画に驚くべき深みを与えているというのだ。私など、彼方で疾駆する2頭の馬から、ジェリコーを思い出した。確かに競馬場と言うより視点は家族に向けられた愛情が漂う作品だ。3. は、マネの「タマ、日本犬」だ。収集家チェルヌスキが日本旅行中に大和郡山で買い求めたのがこの絵のモデルのタマ(狆:ちん)だ。旅行中に何で犬を買うのかと、摩訶不思議な感じだが、それはさておき、マネはどちらかというと都会派で猫派という感じで、粗暴な犬を好まなかったようだ。この絵は、チェルヌスキに頼まれて描いた画なのだろうか、散々もてあそんで壊した人形を前に平然とするタマを描いている。アトリエを粗暴に走り回る犬に嫌悪を覚えたであろう、この作品はそれが感じられるという。4. は、ルノワールの「ゼラニウムと猫」だ。ルノワールは実は馬に関心を持っていたとか。然し、ルノワールの作品では、馬はあまり出てこなくて、犬や猫が多い。モネとイーゼルを並べて描いた作品には、ルノワールの方には犬が描かれているが、モネにはその姿はないという。ルノワールの方が動物好きだったようだ。中国風の大きな鉢にゼラニウムが植えられ、猫がその傍に描かれている。ルノワールに資産家から注文が増えるにつれて絵画に優雅な犬猫が頻出するようになったとのことだ。猫はゼラニウムが嫌い(むしろ猫避けに使う)だとの記事もあるがどうなのだろうか。5. は、ゴーギャンの「3匹の子犬のいる静物」だ。ゴーギャンは後期印象派に分類されるが、印象派の達成点から出発した新しい領域に踏み込んだ第1世代の画家だという。画の中の子犬は牛乳を入れた器を囲み1匹が鼻で嗅ぎ、1匹が舌で舐めようとし、1匹は既に鼻までも中に入れて飲んでいる図だ。ゴッホが弟に宛てた手紙で、ゴーギャンとベルナールが子供のような作品を描こうとしているといっていることから、この子犬たちは、これらの画家を擬したとも考えられている。手前に3つのグラスが配されていて、3にまつわる儀式的な仮説を内包させているとも解釈される。印象派時代にはこのような解釈の生まれようがなかったが、ゴーギャンはその流れに一石を投じたのだ。6. は、ゴッホの「ドービニーの庭」だ。ゴッホは画商、牧師、伝道師を目指して挫折し、画家になったのだとか。最初にミレーの作品を模写したという説明がある。そのゴッホが取り上げた動物は、僅かに馬と飛ぶ鳥だけだったとか。この絵には面白い話があって、スイスのバーゼル美術館にある絵には描かれている黒猫が、ひろしま美術館の絵にはないというものだ。放射線を使って分析した結果、左端の色調が異なるところには黒い猫が描かれていたとの結論に達したようだ。他の画に取り上げられた動物の意味とは若干ニュアンスの違う趣旨の絵画だ。7. は、ヴァロットンの「フルート 2」だ。ポスト印象派の画家ゴーギャンに影響を受けたナビ派の画家だ。この絵は木版画で、パリで開催された浮世絵展の影響受けている。彼の版画は、黒と白がはっきりしており、中間のグラデーションは見られない。白く切り取られた猫の丸い背は実に雰囲気を醸し出している。フルートを吹く女性に比して、猫の方が主役のような感じもする。私には,ヴァロットンと言えば赤いボールを追う麦わら帽子の少女が直ぐ浮かんでくるのだが。8. は、ルドンの「ペガサス、岩上の馬」だ。ルドンはドラクロワの「ライオン狩り」を模写している。裕福な家庭に育ったようだ。ルドンは当初(前半生)、モノ黒の作品が多い。最初は黒の画家とも言われていたようだ。1890年代になって色彩豊かな作品を発表し始めた。黒で描かれた「ペガサスとベレロフォン」では木炭の暗闇は、修正によって作られた光のパターンと混ざりあい、白のハイライトは、ルドンが培ったある種の神秘性をもたらしていると評されている。この絵では、ペガサスが色彩を帯びているのだ。画家の抑圧からの解放を意味しているとも言われる。ルドンは、モネと同年であるが、印象派に色彩を学び、ロマン主義を踏襲して夢と夢想の世界にその領域を広げていった画家だ。9. は、ボナールの「犬を抱く女」だ。ナビ派の一員ボナールは同じナビ派のヴュヤールと共にアンティミストと呼ばれる親密派である。ボナールも又、モネの住んだジヴェルニーの近くに住んでいた。この絵の女性は、パートナーのマルト・ド・メニリーで心を病んでいたために表情は何時もうつろだ。描かれた犬も又独特の憂いを秘めているようで、パートナーにかわいがられている様子が良く伝わる表情をしている。色彩の画家、ボナールにこのような一面があったとは。入浴姿でよく描かれているマルトの犬を抱いたくつろぎのひとときなのだろう。10.は、ブラックの「鳥」だ。キュビズムをピカソと共に先導したブラックは晩年に多くの鳥を描いている。ここに出ている鳥は、ネットでも見いだすことが出来なかったが、同じような画は沢山出ている。恥ずかしながら、私はブラックの画を理解することは出来ないが、ルーブルの天井を飾るほどの画家だから凄いのだろう事は分かる。パリに住んだ晩年、故郷ノルマンディーへの郷愁が鳥を描かせたのか(鳥になって飛んで帰る)ここで取り上げられた画家は、各時代、各派の画家を広く取り上げている。中には有名な(個人的に)絵画もあるが、日頃身近に感じていなかった絵画もあった。画を見て、背景を調べて、画家の生い立ちなどを知る事は楽しいことでもある。【古今和歌集】583. 秋の野に乱れてさける花の色の ちぐさに物を思ふころかな (つらゆき)秋の野に乱れ咲く花の色のように、さまざまなことに思い乱れているこの頃なのだ
2018.11.03
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今日のセミウォーキングは水無瀬堤から堤東終点下(河川敷)までで、帰りも水無瀬堤を通った。昨日から冬時間(5時半起床)に切り替えたので、歩く人の数は増したようだ。10月末には、それまで見えなかった北斗七星が大きく見えて感動的だった。その前は確認できなかったので、何処に行っていたのだろうか。11月になるといよいよ朝が暗くなるので、冬時間に切り替えたが、その分星はあまり見えなくなる。地震と台風による屋根の破壊について、何でも屋さんに相談した。***今日も日経の4日間の特集記事だ。1日目は、ビッグデータとか言われるデータ世界がやってきた。膨大なデータはそれだけで大きな富になる。各国はそのデータの争奪戦を行っている。このまま手をこまぬいていたら、日本は確実に取り残されてしまう。そんな書き出しだ。かつて国の力はヒト(労働力)、モノ(天然資源や生産設備)、カネ(金融資本)で表せるとしていたが、今ではそれにデータが加わると云う事だ。このデータは使い方によって国の経済力が猛スピードで高まるというのだ。かつて、石油が国家の経済力の基盤だったが、新たなデータ資源が世界の勢力図を大きく変える要素になっている。今では、アメリカからTPPに変わる枠組みとしてデータ版TPP構想を日本に提案してきたとのことだ。TPPを袖にしたトランプが何を言うのかと、その身勝手さに呆れるのだが、国境を越えて国が持つ個人データを自由にやり取りしようとするのは、明らかに中国を意識してのことだ。データのやり取りは即ち機密事項の流失を生む。中国は、海外に於けるデータ取得のために海底ケーブルを自前で敷設している。中国の拡大路線は、一帯一路に象徴されるように、データ面でも世界をコントロールしようとしている。海底ケーブルには世界の通信の99%が通る。アメリカは海の情報ハイウェイとして太平洋から東南アジア、インド洋を経てアフリカまでの敷設を行っているが、これは明らかにこの中国の一帯一路を意識したものだ。アメリカでデータの世紀を生み出した象徴的企業がGAFAと呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブックとアマゾンだ。この4社の時価総額は400兆円を超える。世界の40%を占めるデータ資源国のアメリカも最近では中国の追い上げを受けている。人口13億人の7割近くの9億人が国内ネットの利用者だ。インドなどもアメリカを追い上げていて、アメリカのシェアは30%台に低下する見込みなのだ。西側の欧州でもEU主導で、「一般データ保護規則(GDPR)」を導入して、GAFAに迫る勢いだ。石油が世界を支配していたときも、石油資源保有国が世界を牛耳ったのではなく、高度な技術で石油をベースに産業をはぐくんだG7が利を得たのだ。データ資源も、之を活かす技術が伴って初めて国を豊かにする事が出来ると言うわけだ。2日目は、米老舗カジノのシーザーズ・エンターテイメントの例だ。ここが持つ総合顧客データベース「トータル・リワーズ」が財務諸表を越える意味合いを持つ宝の山と見られた。5500万人の顧客がどのような思考とサービスを求めているかが詳細に記録されている。このように今では、従来は対象でなかった企業が持つデータの資産価値が評価されてきているのだ。アメリカのSNS大手のリンクトレインは学習サイトのリンダを買収したが、之をすぐさまマイクロソフトが飲み込む(M&A)などデータを求める熾烈な合併競争が行われている。そこで世界的にデータ課税の動きが出てきた。従来の法人税は支店や工場などがなければ掛からなかったが、今では国内に支店などがなくても、ネットサービスを提供すれば課税対象(データ課税)となるのだ。データにどれだけの価値があるのかはまだまだ不透明だが、之を見越して、日本も対応を考えないとまたしてもこれらの課税合戦に後れを取ることになりかねないというのだ。3日目は、忘れられる権利だ。過去の忌まわしい(とばかりではないが)写真や個人情報を掘り返して今日明らかにされることを望まない人たちがいる。そんな人たちが、求めるのが忘れられる権利だ。かつてグーグルに280万件の削除要請が届いたのに対し実際に削除されたのは、半分以下の100万件だけで、それもEU域内に限られているという。グーグルを使えば、個人情報は吸い上げられるが、検索で使わなければ仕事にならないと言った面もある。こうしてネット上に蓄積されたデータが次なる企業に利益を生み出すという仕組みなのだ。実在の人間に変わるAIで作られた人格が出来上がり、消費者の感情の動きや好みなどを表すようになってくるのだ。スマートフォンやSNSを使用することで、その代償として個人はそのプライバシーを提供することになる。そんな世界を改めて見直すときが来ているとも言う。そんな今日の記事で、GAFAの一角フェイスブックが、情報流出の事件が響いて、コンテンツが不法に利用されないために監視を増強したコスト増で、欧州での利用者が減少したことを伝えている。4日目はインドの国民総背番号制「アーダール」だ。顔写真、指紋、そして虹彩の登録で政府の生活支援が始まる。銀行口座も携帯電話も使えるようになる。個人情報の提供だけで何故こういった事が可能になるのかの仕組みが今ひとつ理解出来ないが、アーダールはインド13億人の9割が登録する世界最大の生態情報付個人データベースだ。インドの国内総生産(GDP)は2023年に4兆ドル(450兆円)に2014年比の倍に成長するとみられている。この辺りにからくりがあるようだ。ドイツで、倍増までの時間が26年掛かったのに比べて半分の時間で達成するというのだ。インドの最高裁所はこのアーダールを合法と認めたが、使用は慎重にとの押さえをしている。然し、通信履歴や講座情報が政府に筒抜けになることを恐れる富裕層は反対の意見が根強い。エジプトの例では、SNSに新しい規制を導入した。偽のニュース対策を名目に5000人以上のフォロワーを集めるサイトを監視対象にしたのだ。逆にエストニアでは全てをインターネットで処理可能な事を利用して、2017年に4.9%の経済成長を手に入れている。エストニアの場合、政府が個人のSNSサイトに何時どのような形でアクセスしたのかが可逆的に追跡できるようになっている。その際何故アクセスしたのかという理由開示請求も行えるとのことだ。ここまで見てきて、データの凄さが何となく理解出来たものの、データエコノミーが富をもたらせてくれるのと裏腹に負の側面が何となく感じられる。強いて云えば、貧乏人で殆ど何も失う物が無い場合には、それ相応の余禄に預かるかも知れないが、巨額の富を有していたり、大きな事を行おうとしたりする所謂富裕者には、何となく煩わしいものを感じされるだろう。さらには、国が国民の全ての情報を握ることから、徴兵制やその他の国レベルのコントロールがしやすくなるであろう事も懸念の1つではある。いやはやとんでもない時代に突入したものだと、少々の不安を感じる。【古今和歌集】582.秋なれば山とよむまでなく鹿に我おとらめや ひとり寝る夜は (よみ人しらず)秋であるので鹿は山に響くように鳴くけれど、私もそれに劣ることはない、独り寝る夜は(山とよむ ・・・ 山が響く )
2018.11.02
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今日は第20回七草の会ゴルフコンペで佐用リゾートゴルフに来ている。朝は5時くらいから起きてごそごそしていた。7時に皆とホールで待ち合わせて一緒にゴルフ場に向かった。朝食のバイキングはゴルフ場で採ったが、韓国からの女性客が多かった。ここは、在日の韓国人が経営しているとかだ。後で聞くと120人くらいのエントリーの半分が韓国人であったようだ。南から東コースに回る。東は初めてだ。前の2組の夫婦に続いて、友人夫妻と3人で後からスタートした。前回9月に来た時には、ラフの草はぼうぼうで、球を探すのに苦労をしたが、今日はよく刈り込んでいた。私にとってはほぼ1ヶ月ぶりのゴルフなので、成績は前以上に悪く、昔に返った感がある。友人はミスもあったがほぼ完璧なTSで87と断トツだ。まぁ、反省のしようも無いが乱れたプレーを書いてみよう。No.1は、やや打ち降ろしの右ドッグ。TSはチョロ、2打も殆どチョロだ。3打でやっとFW左だ。アプローチをGR向こうに外し、5打で乗せて1パットのダボだ。(前回はパーだったのに)友人は3オンをピン近に乗せたが、3パットでダボは信じられなかった。ここから慎重になったようだ。夫人は何故か狂って9打のスタートだ。No.2は、左に池で、FWが中間で盛り上がりGRは見えない。TSは狙い通り右土手からFWだ。2打を良い感じでGR手前だ。3オンの2パットは持ち直したかに見えた。(前回は池ぽちゃの9打だ)友人は2オンは成ら無かったが、1パットでパーとした。夫人は、2打をOBかと思ったがセーフで、3打を前のスプリンクラーの出っ張りに当てたので打ち直して、結果はボギーだった。No.3は途中が凹んだ、ショートだ。TSはDRでニアオン(左カラー)だ。そこからPTで2つパーだ。友人は1オン(NPだ)してパー。夫人はニアオンだったがボギーだった。No.4は、ロング。正面に別荘が見え、途中池が有る。TSは左で、先ず先ずだ。(前回右にOB)然し2打がトップ気味で敢えなく池に。池横から4打をチョロだ。5打を左ラフで、6打を又トップ気味のゴロでカラーだ。そこからPT3つの9打だ。(結果は前回と同じだ)一寸気落ちだ。友人はTSも、2打も良かったが、3打でGRを越え、4オンで3パットのダボだ。夫人はOBしたりの10打だった。No.5は小さな谷越えミドルだ。TSは狙い通りの左土手からFWだ。然しここで、2打、3打、4打とチョロだ。(一寸考えられない)やっと5オンで、1パットだ。これはいけない。友人はここを2オンしてパーだ。(凄い)夫人は、私の言を入れ土手を越える良い感じのショットでFWCRだ。然し2打3打とミスして、ダボとしていた。No.6は、左にカート道を囲ったフェンスが見える。距離は短い。TSは前回同様右へチョロだ。(体が起きている)そこから、チョロが続き、5オンで3パットの8打だった。(駄目が決定的になった)友人は、ここも難なく2オンのパーだ。夫人はダボだった。No.7は、打ち出しが谷越えの右ドッグのロングだ。最後の右の池も気になる。TSは何と向こうの土手に当たって下へ落ちた。気の毒に思った友人は、崖上からプレーするようにと言ってくれたが、2打目をチョロだ。3打目も又チョロで、4打で初めて良い当たり、残り150YDだ。5打を4Wでニアオンし、そこからPT3つでトリプルだ。友人は、前回同様に、ロングホールが凄い。順調に3オンしてパーを取った。夫人も快調に進めてボギーで上がった。(これも凄い)No.8は右の池は差ほど気にならないショートだ。しかし、TSはDRであと少しだが奥の繰り込んだ池に落下した。(いやはや)特設ティーから3オンで、ダボだ。友人も乗らず、3パットのダボだ。夫人のみ1オン(NPだ)してパーを取った。No.9は、打ち降ろし、右ドッグの最後は砲台のGRだ。TSは今日初めての右へのOBだ。(フォームを変えてトライした結果だ)伸び伸び広いのによりによって右に飛んでしまった。プレ4はGRの手前だ。5オンして2パットのトリプルだった。友人は2打をバンカーに入れ、ダボだった。夫人のみ、3オン2パットのボギーで上がった。前半がやっと終わり、夫人に3打差のビハインドだ。どうもゴルフにならない。昼食も食欲はあまりなく、ざる蕎麦だけを食べた。後半は東コース、初めてだ。No.1は、緩やかな打ち降ろしで、又打ち上げだ。TSは良い感じで、FWCRだ。2打を右ラフに入れ、3打で、ニアオンだ。ショットは先ず先ずなのにここで4パットだ。信じられない。友人は2オンして、パーだ。ますます開く。夫人もダボでのスタートだ。No.2は2打の向こうは見えない。(何やら西と似ている)TSを又右に出してOBだ。プレ4から良い感じで当たって、FWCRだ。5オン2パットのトリプルだ。(ここは楽に攻められたのに)友人は、ここで、3オン乍ら、1パットで沈めパーだ。このPTは絶妙だった。夫人は何故か8打を叩いていた。No.3はなだらかな打ち上げだ。TSを右のバンカーに入れてしまった。2打は3Wでトライ、トップ気味でやや出ただけに終わった。3打は良い感じで、GR左に飛んだ。4オンはピンに近く1パットでボギーとした。友人はここで、同じく3オンで2パット、同じになった。夫人は同じく3オンながら4パットで、トリプルだ。No.4は正面右から池がせり出すショート。DRで当たり悪く左のバンカーだ。2打で出きらず、3打でGR向こうのカラーだ。そこからPT2つでダボだ。友人も夫人も、TSをGRオーバーのカラーだ。友人はパーを取り、夫人はボギーだ。No.5は打ち降ろして打ち上げる、思ったより中間のそこが深い。TSは良い感じだったが、右の木に当たって距離をそがれた。2打で左のラフに入れ、3打では良い感じだがGRには届かない。4オンで1パットのボギーだ。友人はここでアプローチを失敗し、4オンで2パットのダボとしていた。初めて勝ったホールだ。夫人は私と同じくボギーだった。No.6は手前に谷があるが、それほどでもない。向こうはFW迄が遠い。TSは良い当たりだが、そのFW手前の土手で止まる。2打は左足上がりでチョロした。3打は良い当たりで、左のカート道の左だ。4打で、良い感じに打てたが届かない。5オンして2パットのダボだ。友人のTSを以てしてもFWには届かなかった。然し4オンで2パットのボギーは流石だ。夫人はここが魔のホールで、トップを連続して11打だった。No.7は、打ち上げてその先が見えない馬の背のようだ。左が狙い目とか。その通り良い当たりのTSだったが、何と左ラフだ。このガイドは的を射ていない。2打で前方のFWCRに戻した。しかし、3打では届かなかった。4オンは良いところだったが惜しい1パットを外してしまった。ダボだ。友人は、TSをやや右だが、その方が正解だった。3オンを果たし、2パットのボギーだ。パットを慎重に沈めている。夫人は私と同じくダボだった。No.8は谷越えで、目先の木々が気になるショート。DRで打ったが、当たりは良くなく少し届かない。2オンして2パットのボギーだ。友人もGRを外して、ボギーだ。夫人は1オンして、2つ目のニアピンを取った。しかし、3パットのボギーだった。結果は皆同じだ。No.9は、クラブハウスを前方に見る超打ち降ろしで、最後は打ち上げだ。TSはシャープに当たり、初めて友人を越した。2打を一寸ミスって右ラフだ。3打をFWに付けて、4打で乗せようと5Iを握ったが、気負って右にミスした。5打でダフリ、6打でミスり、7オンだ。疲れた。しかも最後に3パットのおまけも付いて今日のゴルフを象徴した。友人の2打は、右土手下のフラットに落としたが、3打でGR前に戻して、4オンと回復、2パットのボギーだった。こう言った所が上手いものだ。夫人も疲れてか3パットの9打だった。表彰では友人が断トツの(87)トップで優勝、私は4位だった。ぐうの根も出なかった。1組の夫婦を佐用駅に送り(列車で帰る)そのまま高速で帰宅したが、140kmほどを1時間半で走った。
2018.11.01
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