全42件 (42件中 1-42件目)
1
![]()
ここ数日、震度5弱以上の地震を観測することもなく、仕事の方も多忙すぎるぐらいの多忙という状況になってきました。来週いっぱいは多忙な時期が続くかな? 義援金代わりにわが社の製品を買って下さる方が、全国津々浦々にいらっしゃるようです。有難いことです。表面上だけ見ると、歯車がかみ合っているなという感じがします。が、地震の回数自体は、ここ3日ほど増加傾向にあるようです。全国各地で発生した有感地震を拾ってみると、なんとこの3日間で100回以上! 大きな揺れがないだけの話で、東日本大震災の余震とおぼしき揺れはむしろ増加傾向にあるようです。今日もまた、2時台に遅い昼休みをとっていたら、震度2~3程度の揺れが複数回…「好事魔多し」と言うように、良い流れの時は思わぬところに落とし穴があったりするもの。そのうち大規模な余震に襲われるんじゃないかと若干の不安を覚えます。杞憂であって欲しいんですけどね。【単四電池3本付き】電池付きなのですぐに使えます!税込です!夜中の余震対策に枕元においておけば安心です。5本まとめて注文の場合10%OFF【防災対策】 9灯LED 懐中電灯 いざという時に便利です。
2011.04.30
コメント(0)
![]()
今日本拠地開幕となったベガルタとイーグルスは、共に快勝でしたね。被災地を代表するプロスポーツチームとして、被災者に勇気や復興への活力を与えてくれたと思います。阪神淡路大震災時のブルーウェーブのようにプロアマ問わずスポーツチームや選手の活躍が被災地を励ましてくれる事例は結構見られますよね。やはり、平時とはモチベーションが大きく違うのでしょう。ここで思い出したのが、福島県はJヴィレッジを本拠地としていたなでしこリーグのTEPCOマリーゼ。親会社からしてあの状態だし本拠地が福島第一原発事故の影響で使用不可能なので、今シーズンは活動自粛を余儀なくされています。東京電力に対して怒りを訴える福島県民の方は多いですが、マリーゼに対してはどのように考えているのかなぁ? と思うことがあります。選手は東京電力の社員だから同じ穴のムジナと考えている方、あるいは活動自粛に追い込まれた選手もまた原発事故の被害者だと考える方、十人十色だと思います。私自身は、マリーゼの組織は残し、福島県を本拠地とするサッカーチームとして、来シーズン以降再起して欲しいと考えています。なでしこリーグの中には岡山湯郷ベルのように地域密着型で頑張っているチームもあるし、同じようなスタイルを取れないものだろうかと思うのです。半ば強制的だったかもしれないけれど震災前まで福島県の地元マスコミはマリーゼの活躍を逐一報じており応援ムードを煽っていたし、選手の中にも、福島県に愛着を持ち、福島県のために頑張りたいと思っている人がいるかもしれません。一県民としては、彼女達を応援したい気持ちです。今後活躍するステージに県内を選んでくれるのならばなおのこと… アメリカ アトランタ五輪記念 50¢白銅貨 「女子サッカー」 1996-S Pfoof
2011.04.29
コメント(2)
![]()
さて、我が家もキックオフ。まず決行したのは、上の子の誕生会。本来ならば、3月13日に行う予定だったのだが、震災の影響で延び延びになっていたんです。久しぶりの家族揃っての外出に、上の子も下の子も、この日を楽しみにしていました。まず立ち寄ったのは、福島西道路沿いにあるすたみな太郎。ここの食べ放題メニューで、腹を満たします。私は初来訪だったのですが子供達は過去に訪れたことがあったので、手慣れたもの。焼肉を始め、お寿司やらスイーツやら、思い思いのメニューをテーブルに運んでは、おいしそうに頬張っていました。私はあまり食べられずひょっとしたら払った値段の元を取れずじまいだったかもしれないのですが、子供達のプライスレスな笑顔を見、連れてきて良かったと思った次第。福商通り沿いにあるシャトレーゼでケーキを買った後は、鎌田の佐周書店へと向かい、プレゼントを購入。ここは福島市周辺におけるトレーディングカード販売店のメッカ的存在であり、上の子が大好きなバトルスピリッツやヴァンガードをはじめ、遊☆戯☆王やデュエルマスターズなど、数多くのシリーズを網羅しているのが特徴。店内には、これらのカード目当てとおぼしき小学校高学年から高校生ぐらいまでの男子が多数群がっていました。女子は皆無に等しい状況で、店内からはある種のむささというか男臭さというか、妙な雰囲気が漂っていました。栴檀は双葉より芳しと表現していいのかどうかはわかりませんが(笑)少年がオトコへと変わっていく場所と、言えなくはないようです。上の子もまた、そんな雰囲気に溶け込みつつ多数展示されているリストを前にしばし逡巡した結果、何と1枚1,000円以上するカードを複数所望し、購入してました。この子も今後数年間この店に入り浸るようになるのかなと、レジに並ぶ後ろ姿を見ながら若干複雑な思いにとらわれました。 【中古】バトルスピリッツ/R/緑/スピリット/Xレアパック【魔龍帝ジークフリード】 BS04-031 : (Mレア仕様)陸帝フォン・ダシオン【10P22Apr11】【画】
2011.04.29
コメント(2)
![]()
今日は、震災から49日目。仏教で言う四十九日で、いわゆる忌明けであります。当ブログもまた、震災発生以降これに関連したネタばかりを書いておりましたが、多くの犠牲者の方が仏様になられた本日をもって、「震災○○日目」というタイトルをやめ、通常の内容に戻そうかと思います。もちろん、犠牲者の方やそのご遺族、あるいは福島第一原発事故の影響で避難生活が長期化必至となっている方々のことを、忘れた訳ではありません。が、犠牲者や被災者のためにも、一日も早い復興に向けて、自分にできることを頑張ろうと思います。起きてしまったことをいつまでもグチグチ言いたくありません。奇しくも、明日29日は、宮城県内において「震災復興キックオフデー」と題し、数々のイベントが開催されるとのこと。東北新幹線や仙台市営地下鉄が全線復旧し、イーグルスやベガルタがホーム開幕戦を挙行します。その影響か、私の勤務先でも、ここ数日仕事量がかなり増えてきました。経済が回り始めているのを実感します。福島と仙台を往復している立場から見ると、仙台および宮城県の回復力、復興力の強さには、本当に驚かされます。東北地方全体を営業基盤とする大企業の支店が集中し国の力に頼らずともマネーや物資が届きやすいロケーションはありますが、この地は過去にも数々の自然災害、あるいは戦災を経ておりその都度復興してきた過去があるから、復興へのノウハウもまた蓄積されているのではなかろうかとも思うのです。妙な話ですが、復興を「楽しんでいる」ようにすら見えます。県を率いる村井知事もまた、復興に際して積極的に動いているように思います。元々「富県宮城」を標榜し、県の将来像に対し明確なコンセプトを持っていたからこそ、並々ならぬ情熱を注げるのでしょう。リーダーと言えば、今回の大震災ほど、リーダー力の大切さを思い知った機会はなかったでしょう。具体的には「国家を、地域をどうしたいのか」というビジョン。菅政権にはそれがあったとはどう考えても思えないし、近年の政権で良くも悪くもこれをきちんと示したのは「美しい国」を標榜した安倍政権ぐらいではないでしょうか。仮に今回の震災が安倍政権下で起こったならば、もう少しマシな対応をしてくれたのではないかと思ったりもします。地方のリーダーもまた心許ない限り。先に述べた村井知事には一定の評価はできるでしょうが、岩手県の達増知事は小沢一郎との関係が深すぎる故どこまで実力を発揮できるかは正直未知数。小沢もまた、今回の震災で「どんな事態になっても政策より政局に重きを置く」政治家ということがわかっただけに、復興に際し国と岩手県とがきちんとスクラムを組めるのか懸念を感じます。そして福島県の佐藤知事に関しては… 語る言葉がないですね。正直。県知事も県組織も、国の言うことに聞き従うだけのロボットだということがハッキリしたように思います。国に対して文句は言います。でも対案がない。自治組織としてはお粗末極まりないし、福島県の迷走が被災者を更なる窮地に追い込んでいる事例は、かなりあるのではないでしょうか。あ~あ、また語ってしまった(苦笑)こんな感じで、震災や原発事故に対して言いたいことは、まだまだ山のようにあるんです。けど、できる限り通常の内容に、戻そうと思います。通常の生活を続け、通常のブログを綴っていく中で、もし震災や原発事故に対して関心が高まるような機会があれば、それについて書く。そんなスタンスでいくつもりです。だもんで、またマニアックでバカバカしいネタばかりが続くと思いますが、読者の方々には「こんな奴だから仕方がない」と諦めて(笑)お付き合い願えればと思う次第です。そうそう。言い忘れてた。実は今日は、我々夫婦のアルミ婚式(あるいは錫婚式)だったんですよ。個人的にも、新たなディケイドに向け、気持ちを新たに臨まなければ、ですね。東日本大震災復興の為に売上の一部を寄付いたします。2011年4月30日まで【送料無料】【義援金】【地震】【チャリティー】【東北地方太平洋沖地震】【ダイヤ毛糸 編み物用手編み糸】せんたくっ子 731番色 割引クーポンあり【手芸同好会-sou】【手芸同好会-hayari】【手芸同好会-osusume】【ポイント5倍】【送料無料】【手芸同好会-1oshi】【手芸同好会-sa】05P22Apr11
2011.04.28
コメント(2)
![]()
今日もまた東日本大震災ネタを書く予定でいたのですが、思うところがあり、無理矢理震災前の文体、そしてマニアックな内容の日記に戻して、一題書いてみます。たまにはこんな内容で息抜きしないと、気が狂っちまいそうですし…一昨日行われた田中好子の葬儀ですが、あれだけ震災やら原発で埋め尽くされたニュース番組の中を割って入って、一部の番組ではトップニュースで扱ったところもありましたね。つまりそれだけキャンディーズというグループが偉大だったというか、それとも各マスコミのトップのオヤジ共に彼女たちのファンが多かったというか(笑)一昨日は月曜日でプロ野球の試合もなかったせいか、昨日のスポーツ新聞もスーちゃん一色でしたね。「日刊スポーツ」を買って読んだのですが、トップ欄や芸能欄は葬儀の記事で詰め尽くされ、かつてのキャンディーズのメンバーだった伊藤蘭や藤村(尾身)美樹の弔辞が全文掲載されていました。そんな紙面の中、全く別の訃報が一つ、掲載されていたのが、妙に印象に残りました。「成田文男氏 死去」成田文男と言われても正直私の世代でもピンとこないのですが、1960年代から70年代にかけてオリオンズでエースを張り、最多勝2度を含むシーズン20勝を4度もマーク、通算でも175勝とあと少しで名球界入りを果たせる実績を残した大エースなのです。ところが、引退後はコーチにも解説者にも就任しなかったため、妙に印象が薄い。亡くなった時ぐらいもっとクローズアップされても良かったのに、田中の葬儀の影響で訃報が霞んでしまったのは間が悪すぎるとしか言いようがありません。ついでに言えば、亡くなった日も田中の命日と同じ21日だったりします。更についでになりますが、田中と成田には命日の他にもう一つ共通点があって、なんと、卒業した中学校が同じ足立区立第四中学校なんですよ(成田の方が10学年年長)。この偶然を発見した時には、冗談抜きで驚きました。同窓生が同じ日に旅立って行ったとは…改めて、田中、成田両氏のご冥福を、お祈りする次第です。[CD] キャンディーズ/ゴールデン☆ベスト キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション
2011.04.27
コメント(2)
4月12日の記事でも書いたが、私の勤務先では、震災を機にパートやアルバイトを大量リストラしている。おかげで、現場の人数も激減。一人二役どころか三役、四役をこなさなければ、仕事が回らない。私もまた、連日複数のセクションに跨っての作業が当たり前になってしまった。リストラの波はパートやアルバイトだけにとどまらず、清掃や社員食堂の業務を委託していた業者にも及んでいる。我々残された社員は、今、当番制でトイレ掃除も行っている。社員食堂は、調理師免許を持つ社員が専任スタッフとして腕をふるうことになった。今まで自分だけが忙しいと勘違いしてしまうことも少なくなかったけれど、我々はいろんな人に支えられていたことを、今更ながら実感している。変な話だが、周囲の人のありがたみを身をもって知ったという点では、震災に遭って却って良かったとも思う。震災がなければ、傲慢なまま老境を迎えていた可能性が高かっただろうし。こんなふうに考えていくと、逆にリストラされた仲間達の今後の行く末が心配になる。新しい仕事を探すといっても、今の東北地方で建設、土木あるいは福祉業界以外の職にありつくことは、例えパートやアルバイトであっても困難なように思う。ましてや今回リストラされた仲間達は40代や50代が大半だから、さらに狭き門となるに違いない。気の長い話かもしれないが、我々残された社員がもっと頑張れば、仲間達を呼び戻すことができるかもしれないとも思う。こんなことで落ち込んではいられない。明るい明日を信じて、前に進むしかないと痛感する。
2011.04.26
コメント(0)
午前中に銀行で所用を済ませて帰宅した直後、雨が降ってきた。時間が経つごとに雨は激しくなる一方。そのうち雷まで鳴り出した。ピカピカゴロゴロ。雷鳴が地震の音と似ているような気がする。久々に間近で聞く雷鳴に、少々ビクビクしながら過ごす。3月11日の震災以降、電車の通過音やら屋内で子供が騒ぐ音やらに敏感になっているだけに、成人してから初めて、雷鳴を「怖い」と思った。「地震雷火事親父」とはよく言ったものだ。正午前に雷は止み、晴れ間がのぞいて来た。これで一安心… かと思いきや、今度は風が強まってきた。近所に生えている樹木が揺れ、自宅の窓ガラスが音を立てる。揺れこそ感じないが、ある種の「臨場感」はある。今日の私は、子供達の通う学校の下校時の通学路で、見守り隊の担当となっていた。2時過ぎに下校するということなので、少々厚着して外へ出る。震災によって破損した瓦屋根にかぶせられていたブルーシートが、強風に揺られている。今にも吹き飛ばされそうな家もある。その補修のために屋根に登って作業している人もいる。改めて見ると、震災から1ヶ月半も経つのに本格的な修理に至らない家が多いことに驚かされる。破損家屋があまりにも多いために修理業者が多忙を極めていることや福島県内には瓦を製造するメーカーがなく瓦自体が不足していることが、主な原因だという。そんな寒々しい風景をよそに、住宅地の外れに広がる桃畑では、その名の通り桃色の花が咲き誇っていた。今日はこんな天候だけど春は着実に訪れているのだと実感するが、福島第一原発の事故により飛散した放射性物質の影響が果たしてどこまで及んでいるのか、栽培してみないとわからないというのが実情のようだ。それでも出荷できる可能性があるのならば、農作業は継続しなければならない。摘花に精を出す農家の方を、何人か見かけた。
2011.04.25
コメント(0)
行程記については別館をご覧ください。手抜きで申し訳ありませんが、ご了承願います。
2011.04.25
コメント(0)
福島第一原発の事故以降、にわかに注目を浴びるようになった人物の一人に、前・福島県知事の佐藤栄佐久氏がいる。知事在任中の2002年に福島第一原発におけるプルサーマル発電計画受け入れの白紙撤回を表明したこと、そしてその4年後の2006年に収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕されたもののその後の裁判で「収賄額0円」という不可解なな有罪宣告を受けたことも相俟って、「国家権力に盾突いた結果陰謀により抹殺された知事」というイメージがすっかり定着してしまった感がある。ネットではいろんな噂が飛び交っているが、彼の過去の言動を報じる国内メディアは殆どなく、むしろ海外メディアから取材攻勢を受ける機会が多いらしい。そして、福島県内を地盤とするマスコミも、どういう訳か彼の話題を一切報じない不思議…それはともかく、佐藤栄佐久氏の現役知事時代を知る立場から彼に関する個人的な印象を一言で言うと「ワンマン知事」。1988年の初当選以来5期途中足掛け18年にかけて県政を引っ張ってきた実績を後ろ盾に単なる「県知事」ではなく「県王」の雰囲気が濃厚に漂っていた。当然、自民党も民主党も支持するオール与党体制だ。先に述べたプルサーマル発電計画白紙撤回の件も、発言自体は非常に勇気あるものだが、この時点で既に4選を成し遂げていたこともあり「自分の発言なら誰でも聞き従う」という良くも悪くも多少の思い上がりがあったからこそ、口にできたのではなかろうか。プルサーマルの危険性云々は後付けで、それよりはむしろ「自分の言うことを聞かないから」反旗を翻したのではないかと推察する。逆に、当選回数2回と経験が浅い現知事の佐藤雄平氏は、今回の原発事故ではオロオロするばかり。多選の首長は行政組織の停滞や腐敗を招くというステレオタイプの批判がよくなされる~佐藤栄佐久氏の逮捕劇に際してもこのレトリックが多用された~が、強者に対して物申せるリーダーを育成するためには、多選という手段もアリなのだろうか。イマイチ自信を持って言い切れないけれど。
2011.04.24
コメント(2)
昨日に引き続き、今日もまた、未明に余震があった。浜通りの広野町で震度5弱を記録。また眠れぬ夜になってしまった。震災から一月半が経過しようとしているのに、まだ余震に悩み怯える日々が続いている。切れ者ない不安、そして恐怖…そう言えば、震災当日以降「震災○○日目」で統一している当ブログの記事タイトルも、かれこれ44日目。こちらもまた、切れ目なく続いている。震災前日、3月10日の記事を振り返ってみると、坂上二郎の訃報ネタを書いていた。以降、記事の内容の大半は震災と原発事故のオンパレード… 文体を「ですます」調から「だ、である」調に変えてしまったこともあり、読んでいる方も嫌になる内容ばかり続けているんじゃないかと思う。もし震災がなかったならば、今日は田中好子の訃報ネタを書いていただろうか。彼女が所属していたキャンディーズが解散したのは私が6歳の時のことだが、解散コンサートが小学校の入学式の二日前に開催されたこともあり、その様子はある程度記憶に残っている。「普通の女の子に戻りたい!」という名ゼリフもまた、「二十歳過ぎているのにどうして『女の子』なんだろう?」と幼心に疑問に思ったものだ。この場を借りて、心よりご冥福を申し上げる次第。私もまた、キャンディーズのように「普通の生活に戻りたい!」と叫びたいし、「震災○○日目」というブログの記事タイトルもいい加減終わりにしたい。しかし、切れ目が見つからないのだから致し方ない。誰にでも一目でわかる、スッキリとした切れ目が…
2011.04.23
コメント(0)
昨晩は、10時過ぎに就寝した。寝床に入った直後に、揺れを感じた。軽い揺れだったが長時間続いたので気になって枕元のテレビをつけると、千葉県旭市で震度5弱を記録したとのこと。まだまだ余震は収まらないのだなと、少し憂鬱になる。地震情報をひとしきり観てから、11時過ぎに仕切り直しの就寝。しばしウトウトと安眠を貪るが…日付が変わって午前1時すぎ、今度は強い揺れ。再びテレビをつけると、福島県沖を震源とする地震で最大震度は4とのこと。先ほどの地震より規模は小さかったが、震源から近いために揺れ方も大きかったようだ。また地震が来ないか身構えてしまう私。こうなるともう眠れない。東北本線が全線で運転を再開し、昼夜を問わず貨物列車が通っている。通過音がする度に「また来たか?」と思ってしまう。そんなこんなで、寝不足のまま、夜明けを迎えてしまった。余震の発生状況は、全体的には減少傾向にあるようだ。が、一度植え付けられてしまった不安は、そう簡単には払拭されない。一晩を通じて安眠できる日は、いつ訪れるのだろうか?
2011.04.22
コメント(0)
こちらの記事に、福島県民が受けた「人への風評被害」の一覧が、掲載されていた。大変悲しく、残念な話だと思う。これ以上の被害が起こらないことを願いたいのだが、被害の一覧を見ると、妙なことに気づく。大半が、関東地方の事例ではないか! これはいったい、どういうことだろう?県外避難先として最も多くの福島県民が避難しているのは新潟県のはずだし(参考)、それ以上に福島県内への避難者も未だ多数にのぼるのだが、新潟県や福島県で人への風評被害が発生した事例を未だかつて耳にした試しはない。巷間言われているように人への風評被害を誘発する要因が「放射線への知識の欠如あるいは過剰反応」であるのならば、避難者数に比例した被害状況になっていなければならないはずなのに…だから、記事中に見られる事例は、まだまだ氷山の一角という見方は、できなくないだろう。ところが、もう一つの可能性というか懸念も、実は考えられる。仮に、各地をくまなく取材しても関東以外で人への風評被害は殆ど見られませんでした、という結果が得られたとするならば、その要因は放射線への知識云々ではなく、関東の人間の気質の問題という話になってしまう。彼らのうちほんの一部の人間から時折仄見える排他的で田舎や地方を蔑視しがちな態度が、ともすれば人への風評被害をも招いてはいないだろうかとの疑念が湧きかねない事態ではなかろうか。福島県からの避難者を多数受け入れて下さっている関東の方には心より感謝したいのだが、人への風評被害でニュースになるのも関東の話題ばかりというのでは、かの地に対する福島県民の誤解を増幅しかねないようにも思う。マスコミや政府には、人への風評被害の実態を全国くまなくしっかり調査して、その分布状況や真因を明らかにして欲しいと、切に願う。問題の撲滅のためにも。
2011.04.21
コメント(2)
今日、菅首相が、福島県庁と田村市内の避難所を来訪した。避難者から掴みかからんぐらいの勢いで詰問に遭いタジタジになる首相。過去の災害では決して見られなかった光景だと思う。つまりそれだけ、原発事故に対する避難者のフラストレーションが爆発寸前だという証左だろう。ここでちょっとした懸念があったのだが、首相に限らず、政府の要人や東京電力の幹部が避難所を訪れた際に、まさか避難者に襲撃されるという惨劇を招かないだろうか。そのような事態だけは避けなければならない。避難者の気持ちは痛いほどわかるが、彼らを犯罪者にしてはならない。そのためにも、首相をはじめ政府や東京電力には事故収束に向けて全力で取り組んで欲しいし、またこれらと被災者とを仲立ちする存在として、県や市町村には今一度の踏ん張りを望む次第である。原発事故が長期化したせいもあるが、福島県民の言動は、日を追うごとに常軌を逸しているように感じる。怒りを誰かにぶつけなければやっていられないという雰囲気だ。この感情をいかにして氷解させるかが今後の政策的課題になりそうな気配だが、今日はその点で、喜ばしいニュースもあった。放射線量は落ち着いているのに風評被害の影響で観光客数が大幅に落ち込んでいる会津若松市を、お隣栃木県の那須町立黒田原中学校の生徒が遠足で訪れたという出来事だ。なんでも、生徒自身が中心となって、この遠足を企画したとのこと。大人のお仕着せではなく生徒が自主的に会津若松を選んでくれたのが、何より嬉しい。上手く言えないけれど、原発事故や風評被害でダメージを受けている福島県民が欲しているメッセージは、「助けなければならない」という義務的な使命感よりも、「助けたい」という相手を思いやる純粋な気持ちなのだろうと思う。恐らく政府や東京電力は「助けなければならない」という雰囲気が濃厚に漂っているからこそ、避難者をはじめとした県民の支持をなかなか得られないのではなかろうか。もっと問題は、県知事だ。彼からは「助けなければならない」という雰囲気すら伺えず、ひたすら「助けてくれ~」と自らSOSを発している始末。そんな人物を、誰が頼りにするのだろうか?
2011.04.21
コメント(0)
昨日、今日と地元紙をチェックしてみると、読者の投書欄において、佐藤福島県知事の対応、特に東京電力の清水社長との面会を拒否した件に関して、いろいろと意見が出ているのが目立つ。「拍手を送りたい」という賛成派から、「会って県民の代表として意見を述べて欲しかった」という反対派まで、同じ福島県民でも様々な意見があることがわかる。ちなみに、私自身は「会って意見を…」の意見に一票。理由はどうあれ、先方からわざわざ訪れてきたのだから少なくとも会わない、居留守を使って接触を避けたというのは礼を失した態度だし、清水社長に意見しなかったのも、そもそも佐藤知事には語るべき言葉がない、もっと辛辣な表現をするならば知事としての能力が欠けているのではないか、とも邪推してしまう。今回の震災における県知事をはじめとした県の動きに対しては、正直言って呆れている。個々の職員は一所懸命に動いているとは思うのだが、トップの決断力が著しく劣るのは否めない。いつも二言目には「政府が、東電が…」と感情論的に言い放つだけだし、自ら動こうという意志が殆ど感じられないと感じるのは私だけだろうか。仮に原発事故がなかったとしても、この知事のもとでまともな復興が行われるようにも思えない。ここでふと思ったのだが、内閣において定期的に支持率調査が行われているのと同様に、都道府県知事にも同様の調査は行われないのだろうか。いや、過去にそういったデータは取っていなくはない(参考)のだが、あまりにも不定期過ぎなのである。当選したらあとは4年間安泰というぬるま湯ムードではなく、定期的な支持率調査のもと常に県民の厳しい視線に晒される緊張感が、もっと欲しいところだと痛感する。そんなことを言うと、県庁と密接過ぎる関係にある地元マスコミが反対するだろうし、総理大臣と県知事との選ばれ方の違いを盾に反対の論陣を張る知識人もいるだろう。が、県知事と同じく住民の手で直接選ばれたアメリカの大統領だって、定期的な支持率調査に晒されていることを考えると、県知事に対する支持率調査は、今後の県運営に対してプラスになる部分が多いと思うのだ。是非とも、検討してもらいたい。
2011.04.21
コメント(2)
昨晩のテレビでのニュースや今朝の朝刊で既にご存知の方も多いと思うが、文部科学省が、学校生活で注意すべき放射線量の暫定基準を設けた。これによると、毎時3.8マイクロシーベルト以上の放射線量を測定した学校では1時間以上の屋外活動を制限するよう求めるとのこと。内容については特段含むところはないが、私が非常に気になったのは、特に新聞において、全国紙と地方紙とにおける報じられ方が著しく異なっていたことであった。私が今朝目を通したのは、全国紙の読売新聞、東北地方のブロック紙である河北新報、そして福島県の地元紙である福島民報、福島民友の4紙なのだが、読売新聞では文部科学省の定めた基準が簡単に紹介されていただけなのに対し、河北新報、福島民報、福島民友では基準に伴い屋外活動の制限対象となる学校についても「福島、郡山、伊達3市の小学校6校、中学校4校、幼稚園・保育園が計3園」とより踏み込んだ記述が見られた。ただし、河北新報では具体的な学校名についての記述まではなかったのに対し、福島民報、福島民友では、制限対象の学校名をトップ記事でデカデカと列挙していた。しかも、制限対象にはならなかったもののギリギリで基準未満に収まった学校名まで、相当数書かれている。もう一度、整理してみると、全国紙…基準のみ紹介ブロック紙…基準に加え、これの対象となる学校がある旨を紹介地元紙…基準に加え、これの対象となる学校やギリギリで対象を免れた学校名を公表という対応になる。この違いを目の当たりにし、各地域における福島第一原発問題への関心度の温度差を感じてしまうのだが、その一方で、学校名までを掲載した地元紙の手法については、いささか情報公開をし過ぎなのではないかとの感がなくもない。実は、公表された学校名をつぶさに見ていくと、不思議なことがわかる。同一地域内でも、対象となったA校のすぐ近くにあるB校が対象外だったりと、決して均質ではなくまだら状に分布しているのだ。とすると、対象校の生徒が習い事その他で非対象校の生徒と接する機会がある際に、いわれなき誹謗中傷を受けないかというのが、非常に気になる。放射線への恐怖感からか福島県民への差別的扱いがあるとの話をしばしば耳にするし地元福島県選出の玄葉国家戦略相も是正指導を要請していたが、学校名の公表に伴い同じ福島県民、同じ市民の間で、本来「学校の敷地内」の問題であるはずなのに「学区の問題」にすり替わった挙句、不毛な地域間対立を煽る危険性があるようにも思う。そういう芽はできる限り摘んでおかねばならないのに、自らタネを撒くような行為をしている福島民報、福島民友両紙の見識を、強く疑ってしまう。文部科学省も表面上の数字だけで判断せず、毎時3.8マイクロシーベルトを超えた学校の隣接校までを対象とするとかできなかったのであろうか。また、こういったきめ細かい配慮ができるはずの県教委や各市教委もまた、同省に物申せなかったのだろうか。それともう一つ、同じく地元紙上で公表されている対象を免れた学校の中には、本当に基準ギリギリの毎時3.7マイクロシーベルトを記録した所が、8ヶ所もある。対象の基礎となる調査は今月14日に文部科学省が行ったというが、0.1は3.8の3%弱に過ぎないから、これらの学校では翌日に測り直せばひょっとしたら毎時3.8マイクロシーベルトを超えてしまうかもしれない。一発勝負ではなく3回測っての最大値にするとか、もう少し数字の信憑性を高めることに力を注いで欲しかった。今のままでは、生徒も保護者も人体実験をさせられるような不安な気持ちではないだろうか。ところで、今日の朝刊では、原発絡みの記事でもう一つ、全国紙とその他の新聞との大きな違いを発見した。読売新聞で報じられていたのだが、原発の定期検査の際に核燃料を原子炉に装填した時点で課税される仕組みの核燃料税という地方税があるのだそうで、何事もなければ今年度福島県では44億7,000万円の税収が見込まれていたのに原発事故のせいでこれがなんとゼロになるとのこと。「原発事故の対応で出費がかさみ、核燃料税が入らなければダブルパンチだ」との県担当者の苦慮の弁まで掲載されていた。ところが、河北新報、福島民報、福島民友の3紙は、揃ってこの話題をスルー。どうしてなのだろうか? 掲載をためらうような、やましい背景でもあるのだろうか?追記21日の福島民友には、核燃料税の記事が出ていました。ただし、共同通信社から配信されたものの丸移しのようです
2011.04.20
コメント(0)
いささか唐突な話になるが、私のハンドルネームであるCAPTAINは「キャプテン翼」に因むものであり(参考)、私自身が部活動などでその役に就いていたという訳ではない。なお、まともに部活動に所属していた経験も、中学時代のテニス部のみだったりする。でもって、当時のキャプテンはというと、結婚し陸前高田市に転居したとのこと。実は、その話を今日、初めて耳にした。そして、あの震災直後から今なお行方不明だということも…私に教えてくれたのは、中学時代の同級生で唯一連絡が取れる人物。彼とキャプテンとは、近所に住む幼馴染でもあった。彼らの実家は仙台港のすぐ南、海に近い地域にありここも津波で壊滅的な被害を被ったのだが、まさか陸前高田で… 嘘だろう? 青天の霹靂としか言いようがない。キャプテンと最後に会ったのは、確か1993年。テニス部の同窓会が行われた時のことだったか。別れ際に「また遊ぼうね」と言われたのをよく覚えている。それが、こんな形で消息を知ることになるこになるなんて…いや、行方不明だから、厳密に言えば消息はわからない訳だ。ひょっとしたら、どこかで元気にやっているのかもしれない。そう願いたい。願いたいが… いろんなことが頭を駆け巡る。見知った人間が行方不明という現実がこんなにも苦しいものだと、初めて知った。長らく会っていなかった私ですらそうなのだから、ご家族や同僚、親しい友人の心痛はいかばかりだろうか?前の日記で「たった一冊だけしかない本をゲットできたのが、何より気持ちいい。きっといいことがある。とりあえず、そう信じよう。」などとと書いてしまったが、直後に受けたこの連絡。大喜びで「ケロケロエース」を読み耽る上の子とは対照的に、虚脱状態に陥る今夕の私なのであった。早く出てこいよ。今、どこにいるんだい?
2011.04.19
コメント(0)
今日は休日。外は雨だから一日中自宅に籠っていようかとも思ったのだが、子供達は学校、妻も所用がありクルマで外出という状況。一人留守番しているのも気が滅入りそうなので、電車で福島の街へと出た。午前9時半に、福島駅に到着。相変わらず、淋しい駅前だ。震災があろうがなかろうが変わらない。これで本当に30万人近い人口を有する都市の玄関口なのかと思うぐらいだ。しかし、未曾有の大災害に見舞われた今、福島市中心部に賑わいを取り戻すための施策は、二の次三の次にならざるを得ないだろう。悔しいが、仕方がない。全国チェーンの飲食店やコンビニだけが開店している駅前アーケードをしばし散策し、午前10時に迫った市内唯一のデパート・中合の開店を待つ。ほどなくしてシャッターが開く。開店待ちの客はわずかであった。客より店員の方が多い状況だ。これもまた、震災があろうがなかろうが変わらない。先月31日の日記で北東北地盤の百貨店・中三が倒産した話を描いたが、中合もその二の舞にならないかどうか心配になるほどだ。なお、私はただ漠然と、中合に入った訳ではなく、それなりの目的があって来訪したつもりであった。子供達にちょっとしたお土産が買えればと思ったのである。震災がなければ3月25日に発売していたはずの「ケロケロエース」5月号を上の子に、先日下校途中にハローキティのハンカチを失くしてしまった下の子には代わりのハンカチを買ってあげるつもりであった。ハンカチは店内にあるサンリオショップで売っているのだろうが、「ケロケロエース」は、売っているかどうか正直自信はなかった。一応上の子には、「5月号は買えないと思うから我慢してね」と言い聞かせている。上の子も心得たもので、「うん、わかった」と了承してくれていた。サンリオショップでハンカチを買った後、同じく店内にある岩瀬書店に立ち寄る。コミック誌自体の売場面積が狭く多分売っていないだろうなという心境にさせられたのだが、意外なことに一冊だけ販売していた。ラッキー! これで上の子も喜ぶぞ!! たった一冊だけしかない本をゲットできたのが、何より気持ちいい。きっといいことがある。とりあえず、そう信じよう。そんな感じで機嫌良く福島駅へと戻る。切符を買い跨線橋を登ると、トレンチコートを着た集団がいるのに驚く。実は彼ら、郡山以南から仙台へと向かうビジネスマンたち。現時点で東北新幹線が福島駅までしか運行再開していないため福島駅と仙台駅との間を臨時快速が結んでおり、彼らはその乗り換え客という訳だ。それにしても、ビジネスマンで埋め尽くされた福島駅というのも、あまりお目にかかれない風景だ。新幹線が仙台まで復旧するのは今月25日の予定だから、あと数日は見ることができる。天候、あるいは臨時快速の到着時刻が予定より多少遅れたせいもあるのだが、彼らは皆一様に暗い表情で、しかも暇を持て余している風でもあった。考えてみれば、福島駅の在来線ホームや跨線橋には、売店が一つも存在しない。90年代にはJR、福島交通・阿武隈急行双方ともホーム上に売店があったはずなのだが、いつの間にやら消え失せた。キオスクが一つでもあれば、多少はマシだったかもしれないが。
2011.04.19
コメント(0)
一昨日の未明には新潟県と長野県との県境で震度5弱を観測したが、今日の夜明け前には秋田県内陸南部に位置する大仙市刈和野で震度5弱を観測したそうだ。この地域もまた、3月以降細かな地震活動が活発なだけに、今後の趨勢が少々心配だ。秋田県の地震というと1983年に沖合で発生し津波により多数の犠牲者を出した秋田県内陸地震が思い浮かぶのだが、調べてみると、内陸部でも1896年の陸羽地震、1914年の秋田仙北地震(別名・強首(こわくび)地震)と、大規模な地震が発生した過去がある。油断はできないと思う。と、ここまでは深刻な話を書いていたのだが、刈和野と言えば、柳葉敏郎が住んでいるということで知られている(町内にはこんな施設もある)町である。彼は今朝、かの町で地震に遭遇したのだろうか? また、3月11日の地震以降太平洋岸の交通網が不完全な状況において、東京との往復に支障をきたしていないだろうかと、余計なお節介とは知りつつも、気になってしまう。秋田県と首都圏とを結ぶ旅客の流れとしては飛行機、新幹線、高速道路の3パターンがある訳だが、新幹線は盛岡と福島との間で未だ不通のまま。柳葉に限らず、ビジネスなどで不都合を感じている秋田県関係者は少なくないと思うのだ。いや、秋田県ばかりではなく、青森県、岩手県と北東北全体が同様の事態に陥っていることだろう。新幹線自体は今月末までに全通の目処がついたと報じられているが、気になるのは今後。ゴールデンウィークや夏休み期間中の観光需要に、どれほどの悪影響があるのか、ちょっと予測がつかない。箱根や日光など外国人の需要が高い観光地が原発事故の影響で閑古鳥が鳴いているというが、それは極端な話「内需」で満たすことができる。ところが北東北に関しては、行き帰りの途上で東日本大震災の震源地や福島第一原発に近い地域を通過することになるため、その内需に不安があると言わざるを得ないのだ。被災地の方々にそういう視点を求めるのは非常に酷な話だと思うが、北東北のためにも、一刻も早い震災からの復旧、復興や、原発事故の収束を、願わずにはいられない。
2011.04.19
コメント(0)
最低でも正月明けまでは原発の恐怖に怯えなければならなくなった我が福島県であるが、ものすごく楽観的に考えてみると、広島市や長崎市に落とされた原爆に比べれば、被害は著しく軽微なものである。そして原爆投下からさほど年数を経ずして両都市が見事に復興を遂げたことを考えると、原発所在地の双葉郡だって、首相が口を滑らせた(?)ように10年も20年も住めなくなるような事態には多分ならないだろう。実際に避難されている方からは66年前の出来事と比べるなとお叱りを受けそうだが、もう少し前向きに発想を転換してみるのも精神衛生上必要かなと考える。福島県在住、ないしは出身の方が書かれるブログなどをいろいろと斜め読みしてみると、総じて文体が暗すぎる。そう言えば、戊辰戦争における若松城下での激戦に際し「この日の地獄の展開は、一瞬にして十万人の生命を奪った広島、長崎の原爆の惨劇に及ばなかったであろうか。」 などと寝言のような一文を記した会津の郷土史家もいたっけ。福島県人は総じてネガティブ志向の持ち主なのかなと思ってしまう。ネガティブついでに言えば、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーを務め放射線に対してどちらかと言えば楽観論的な意見を展開している長崎大学大学院教授の山下俊一氏に対する県民の風当たりも、ここのところ強まっているようだ。昨日伊達市内で開催された山下氏の講演会を妻が聞きに行ったのだが、会場には「危険だと言われた方がよっぽど安心する」といった雰囲気の受講者が一定数いたらしい。ネガティブに加えてドMなのかい? と、一応突っ込んでおく。そんなに心配するのだったら、そのエネルギーのいくばくかを、放射線への懸念が去った後の双葉郡をどのように復興していくかにも振り向けて欲しいとも思うのだが… 繰り返しになるが、広島だって長崎だって、見事に復興した。爆心地は今も市域の中心だ。双葉郡にだって復興ができない訳がない。しかし、何を軸に復興するかとなると、かなり悩んでしまう。世界有数の漁場が広がる三陸だとやはり水産業をテコにして多くの資本が集まるような受け皿をまず再建していかねばならないと思うのだが(参考)、双葉郡の場合は、下手すると主力産業が原発そのものであり、商店街にも「原子力 明るい未来の エネルギー」「原子力 正しい理解で 豊かな暮らし」と大書されたゲートが掲げられている状況。そう言えば、こんな銘菓もあったそうで、この状況から価値観を180度転換するとなると、双葉郡は将来一体何をウリにしていけば良いのだろうと頭を抱えてしまう次第。でも、双葉郡の将来にもっと多くの人が関心を寄せてくれるならばきっと妙案が見つかるはずだし、せめてその機会を増やせないだろうかと思う。究極的な案としては、10~20年の時限を定めて県庁の一部機能を双葉郡に移転させてしまうのはどうだろう。知事はもちろんのこと、県内各地から選ばれた県議会議員、あるいは県職員や彼らと接する各種業界の方々が双葉郡の空気に直接触れていくことによって、地に足のついた復興プランが練り上がるのではなかろうか。考えてみれば、広島も長崎も県庁所在地だからこそ早期の復興をなし得た面があると思うし、思い切ってやってみてはいかがだろう。原発事故に引き続き復興もまた国任せとあらば、県民の心が間違いなく県から離れていくだろう。せめて復興だけは、県がイニシアチブをとる形で、進んで行って欲しい。
2011.04.18
コメント(2)
ここ数日の好天続きで、桜の花もすっかり花開いた。通勤経路の東北本線沿線に展開する一目千本桜も見頃を迎え、早朝から中高年の見物客が散策したりカメラを構えたりしている。まるで震災などなかったかのように。しかし、晴れ渡る青空のもと花見を楽しむ人々を見ていると、無性に淋しい気分になる。この風景、放射線が飛び交う福島県内では見られない、あるいは見られたとしても推奨されないものだからだ。私の趣味は長距離散歩だ。それ専用の文章を綴った別館を設けるほど熱中していたと言っていい。しかし、これもまた、現時点では推奨されるべきものではない。いや、政府や県の放射線アドバイザーに言わせれば決行しても全然問題はないのだろうが、中通り北部の大半の学校で子供達が外での運動を控えている状況だ。親が道楽でそんなことをやっていたのでは、全く示しがつかない。当分の間、封印する他ないと考える。今日、東京電力は、福島第一原発事故の収束について、放射性物質の放出が管理され放射線量が大幅に抑えられる状態にするまで、6ヶ月から9ヶ月程度を目標とするとの行程表を発表した。この通りに事態が進展したとしても、来年の正月辺りまで不要不急の外出がままならない状態が続くという訳か。そして再度のトラブルがあった場合、下手すると来春も屋外での花見がお預けということにもなりかねない。羨ましいよな… 病気でもないのに、その辺の人がプライベートで出歩くのを横目にしてそんな風に感じる日が来るとは思わなかった。子供が元気いっぱい外で遊びたいのと同様に、大人だって戸外で発散したい時はある。私にとってはその手段が散歩だった訳で、たかが道楽とはいえ、機会が奪われてしまったのが非常に悔しい。
2011.04.17
コメント(0)
毎日毎日震災や原発のネタばかり書いていると、多少気が滅入ります。そこで今回は、少し明るい話題を(笑)文章もこの日記に限り、「だ、である」調ではなく「ですます」調で書きます。イーグルスの調子がいいですね。暫定的な拠点を関西に求めたために甲子園でホームゲームのこけら落としとなったバファローズとの3連戦でも、昨日、今日と1点差で勝って2連勝! 1995年に発生した阪神淡路大震災の時にも当時神戸市に本拠地を置いていたブルーウェーブ(現・バファローズ)がぶっちぎりでリーグ優勝した訳ですが、今年のイーグルスにもまた、同じ雰囲気を感じます。あの時は現在イーグルスの投手コーチを勤めている佐藤義則が40歳にしてノーヒットノーランを記録するなんて出来事があったけれど、今年のイーグルスも、43歳になる山崎がサイクルヒットを達成してくれるかな? なんて妙な期待を抱かせます。確か去年は開幕4連敗でスタートしたんじゃなかったでしたっけ? 未曾有の大震災がチームにもたらした影響は、かなりのものがあるのではないでしょうか。この調子で、ポストシーズンの最終戦まで、突っ走って欲しいと思います。序盤戦の快進撃において特に驚いたのは、長年固定されていなかったクローザーに、テスト入団の新外国人・スパイアーが、いつの間にやら収まっていたこと。今日も三者三振の快投を見せ、2セーブ目を挙げました。実際に投げるシーンを見たことがないのですが、聞いた話だと、元タイガースのウイリアムスが右投手になったような雰囲気らしいです。そう言えば、ウイリアムスがクローザーに定着してリーグ優勝を果たした2003年当時のタイガースの首脳陣は、星野監督、田淵チーフ兼打撃コーチ、佐藤投手コーチという布陣であり、現在のイーグルスとまるっきり同じ! この辺でも、不思議な縁を感じます。そのスパイアーですが、試合後のコメントで「2、3時間だけの間でも、辛いことから目を背けられる時間を作ってあげることが僕にできることだと思っています。」と、嬉しいコメントを残してくれています。果たして、彼の活躍は、どこまで続くのか? これまでの試合内容を振り返ると接戦が結構多いだけに、ペナントレースの今後を左右するキーマンとして、彼には注目していきたいと思っています。
2011.04.16
コメント(2)
今日の午前11時過ぎに、茨城県で震度5強を観測する強い地震があった。震源は茨城県沖かと思いきや、なんと栃木県南部。専門家の話だと3月11日の地震との関連性は薄いらしいが、どうにもこうにも、東日本一帯が地震の巣になっているような感覚に陥っている。だからYahoo!天気予報の地震情報なんて頻繁に見るようになってしまった。数時間おきに確認するとほぼ確実に最新情報が更新されているのだから恐れ入る。ちなみに、このサイトでは過去1,000件分の地震情報が保存されているのだが、3月11日の地震は既に1,000件以上前の地震となってデータが消滅しているのだから恐れ入る。で、この1,000件の地震情報を斜め読みしていると、東日本の太平洋沖以外にも小規模な地震が頻発している地域がいくつかあることがわかる。3月12日に大規模な地震が発生した長野県北部(あるいは新潟県中越)はその代表例であろうが、他にも、秋田県内陸南部や根室半島南東沖など、掲載の常連となっている地域がいくつか存在する。福島県会津地方でもまた、喜多方市熱塩加納町で小規模な地震が断続的に発生しているようだ。これらの地域で大規模な地震が発生しないことを祈りたい。防げるものなら防ぎたいが、こればかりは如何ともしようがないのが、非常にもどかしい。追記ところで、今日の福島県内は、北西からの強風が非常に強かったですね。木々や電線が揺れる様を見ていると、強風なんだか地震なんだかわからないぐらいでした。
2011.04.16
コメント(0)
私は、仙台への通勤者である。だから、福島第一原発の事故に関しては、仙台市やその近辺に住む同僚からの容赦ない視線に晒されることもある。「原発、大丈夫?」と普通に心配する声が最も多いが、中には「仙台に引っ越したらどうだ?」と言ってくれる人や、「おいおい、福島から仙台に通勤して大丈夫なのか?」と(冗談半分に)放射能汚染された福島県内から外に出ていいのかと問う人もいる。反応は、十人十色。実に多彩である。反応に接していて思ったのは、宮城県民の多くは、原発関連の情報に関して、全国平均並みか、下手するとそれ以下しか有していないということである。自県もまた大地震と大津波に見舞われたからそちらのインパクトの方がどうしても大きくなってしまうのは仕方ない部分があるのだが、隣県なのだから、もう少し、原発事故に対しても関心を寄せて欲しいものである。福島第一原発で再度の爆発があり、その際南東からの強い風が吹いていたならば、宮城県内にも大量の放射性物質が到達する可能性がある。原発事故によって関東地方の広い範囲で葉物野菜が出荷停止に追い込まれた事態は、決して対岸の火事ではないと強く主張したい。そう言えば、複数の従業員からは、こんな質問も頂戴した。「○○さんの家は、原発から何キロぐらい離れてるの?」「大体70キロぐらいかな?」だから安心なんだよと諭すように答えてはいる。同じ福島県内でも結構離れているのだが、宮城県民に限らず福島県外に住んでいる人の大半はこういった細かい距離感覚が理解できない。大体、福島県全体が風評被害に喘いでいる原因の一つには、当の原発が「福島第一原発」と県名を採った名前だという点が挙げられるのではなかろうか。郡名を採って「双葉第一原発」、あるいは町名を採って「大熊双葉原発」と名付けられていたならば、福島県全体を蝕む風評被害は多少軽減されていたかもしれないと、邪推してしまう。なお、純粋に福島第一原発を中心とした同心円的な距離で言えば、宮城県内でも角田市や山元町が私の居住する桑折町とほぼ等距離なのだ(いずれも役所役場との距離で計測)。だから、何度も言うけれど、原発事故は決して宮城県民、特に南部の住民にとっても、対岸の火事ではないのだ。もっと関心を持って欲しい。もっと危機感を持って欲しい。が、トップである宮城県知事の頭の中は既に復興一辺倒。原発被害への懸念はもちろんのこと、今なお被害に苦しんでいる隣県を思いやるコメントすら発してくれないのが非常に悔しい。県という組織、そしてこれに付随しともすれば県政翼賛的な報道を垂れ流ししかねない地元マスコミの存在が、ひょっとしたら震災からの復興を阻害する要因になりはしないかと、懸念する次第である。
2011.04.15
コメント(2)
ここ数日、福島県内の学校施設における放射線測定値が地元紙上に公表されているが、気のせいか、同一地域内の他の施設で測定した値よりも高めのように感じる。放射性物質が校庭の土壌に沈着しているのだろうか。子供達を登校させるのに対し、若干の怖さを感じる。そう言えば、原子力安全・保安院では、小中学校への登校の可否について、年間10ミリシーベルトを目安にしたいと話しているそうだ。これは、計画的避難区域の設定基準である年間20ミリシーベルトの半分。やはり、放射性物質は子供に影響があるということなのだろう。しかし、この基準を厳格に当てはめるとなると、恐らく福島県の東半分の地域の小中学校で登校不可能という事態になってしまうと思われる。これはちょっと酷過ぎる、何とかならないものだろうか。そこで、県外への自主避難を改めて検討する家庭も、ひょっとしたらあるかもしれない。が、リンク先のおばかんのさんのブログで紹介された記事によると、南相馬市から船橋市に避難した子供が船橋市の子供から「放射能怖い」などと偏見をもたれたケースがあったという。このような事態を懸念する声はかねてより福島県の内外から指摘されていただけに、この一件はひょっとしたら氷山の一角なのかもしれない。だから、「避難するなら福島県内だ」と思う人もいるかもしれないが、それもどうだろう。「同じ県内なら安心だ」とは安易に考えない方がいいかもしれない。避難先として主として検討されるのは県西部の会津地方になるかと思われるが、福島第一原発の事故によってこの地域にもたらされたものは、基幹産業である農業や観光への深刻な風評被害。浜通りで起きた事故でとばっちりを受けた挙句に原発周辺の地域の人まで受け入れなければならないとなると、いくら同じ県でも限界はあるだろう。「同じ県だから…」云々という避難者の認識は、受け入れる立場からすると「…だから我々を受け入れて当然だ」という、いささか脅迫じみたメッセージに受け取られる可能性がなくはないと思う。だから、避難先としては県外も視野に入れておきたいのだが、船橋市での事例を耳にすると、単独で自主的に、というのはやはり躊躇してしまう。となれば、第二次大戦中の学童疎開のように、各小学校ごとに子供達を集団疎開させるしかないのかもしれない。クラスメイトはもちろんのこと、担任の先生も一緒。だから先生方にはかなりの負担を強いることになるかもしれないが、未来を担う子供達を放射線やPTSDから守るためには、そのぐらいのことは検討しても良いのではなかろうか。
2011.04.14
コメント(0)
今日も、始発電車で出勤。仙台駅からのバスがまた混んでいるのではないかと心配だったが、昨日ほどではないようだ。道路もさほど渋滞しておらず、勤務先の始業時刻にも悠々間に合った。また、昨日のように満員の車内で緊急地震速報が鳴らないかとても不安だったのだが、こちらも何事もなし。ひとまず安心するものの、鳴らなかったら鳴らなかったでまた心配。地震が発生しなかった分地下でエネルギーが溜まった揚句M8クラスの大地震となって一気に放出されないだろうかと考えてしまうのだ。ひょっとしたら東日本の広い範囲に住む人にとっての共有認識になりつつあるのではないかと思うのだが、3月11日以降、我々は「地震が発生して当たり前」の生活に突入している。嫌だな。こんな認識。妻の話によると、自宅の近くに「予言者」がいるそうだ。「前回の地震から○○日後の××日に大きな余震がある」とか言って、見事的中させたらしい。勤務先にも「今日は余震がない」「明後日は余震がある」と予想を立てる従業員がいたかもしれない。恐らくそんな人が、東日本のそこかしこにいるに違いない。その中には、昨年のワールドカップで大活躍した予言タコのパウル君のように、「驚異の的中率」とか言われつつ周囲の注目を浴びる人もいるのだろう。非常に不謹慎な話かと思うが、こんな具合に地震を「楽しむ」姿勢がなければ、もはややっていられない。やっていられないと言えば、これも妻の話だが、自宅近くのスーパーでは、最近アルコール類が品切れ模様になっているとのこと。酒でも飲まければやっていられないということか。いずれに転ぶにせよ、震災を境に、多くの人々が、人生を狂わせてしまった。ここでふと、こいつの人生は今どうなっているのか? と気になる人物の顔が思い浮かぶ。大学時代の同級生のことだ。北茨城市出身の彼は、大学卒業後いわき市役所に入庁し、主に福祉畑の業務に従事していた。仕事ぶりは、多分真面目だったと思う。ただ、学生時分から、精神的にやや不安定な部分を抱えていた。そのせいかどうかはわからないが、一昨年に体調を崩し、休職してしまう。その休職期間中、医師の許可を得て一人出掛けた九州旅行の道中で、彼は犯罪を犯してしまう。罪名については武士の情けで書かないが、実刑判決が言い渡され、現在服役中の身となっている。つまらない罪を犯していなければ、彼は今頃、故郷の北茨城市や勤務先のいわき市のために、身を粉にして働いていたはずなのである。北茨城市では今日発生した余震でまたも震度5弱を記録。一昨日は5強、昨日は6弱。三日連続で5弱以上の揺れというのは異常という表現を通り超している。また、あまり報じられていないが放射線量も会津若松市より高い数値を示しており、一部の農産品も出荷停止を言い渡された。地震、津波、原発、風評被害と、福島県と同様の多重苦に見舞われているのが現状なのだ。塀の中では情報がどの程度伝わるものなのか私には経験がないからわからないが、普通の人なら、話を耳にしたら飛んで帰りたいと思うだろう。そして、犯した罪を心から悔いているであろう。果たして、今の彼の心中は、いかばかりだろうか…
2011.04.13
コメント(2)
昨夕にいわき市で震度6弱を記録した余震の影響で今朝の福島県内におけるJR線は大半が運休という状況であったが、幸い福島以北は通常通り運行されていた。桑折駅発午前6時29分の始発電車に乗って、5日ぶりの出勤。仙台駅には定刻7時39分に到着した。仙台駅もまた、7日深夜に発生した余震の影響で福島方面への東北本線以外は未だ運休中。まるで盲腸線の終点のような扱いだ。そんな中、私が通勤で利用する区間だけが動いている。不気味なぐらい順調な立ち上がりと言える。ところが仙台駅から先が曲者で、勤務先へと向かうバスがステップにまで客がひしめく大混雑の上に、道路もまたうんともすんとも動かない大渋滞。なんと、仙台駅前から若林区卸町までのわずか4キロほどの区間を通り抜けるのに1時間を要した。結局、午前9時の始業には間に合わず… 4月に入ってから5度目の出勤だが、うち2度が遅刻。この高確率ぶりは「遠距離通勤だから仕方ない」と言い訳できない恥ずかしさを伴う。そんな満員のバスの中で、突如として誰かの携帯から緊急地震速報が鳴り響く。身動き取れない状況で勘弁してくれよと境遇を呪ったが、特段揺れを感じない。ひょっとしたら福島で揺れているかもと慌てて妻にメールすると、さほど間をおかず「千葉で震度5弱の地震があったよ」との返信。ひとまずホッとするが、千葉の方にとっては災難に違いない。今朝はこの他にも長野県北部でも震度5弱を記録する強い揺れがあったそうだ。昨日に引き続き「揺れる日」である。勤務先で仕事…と言っても、7日の余震の影響で生産活動はなかなか軌道に乗らず今日もまた商品収納用のバットをひたすら洗浄するという地味な作業を数人で行う。でも、仕事があるだけまだマシだ。実は私の勤務先でもパートやアルバイトのリストラがあり、今日の昼休みに、そのうち何人かが挨拶に来ていた。解雇を宣告されたパートさん達の大半が「この状況じゃ仕方ない」と比較的サバサバした表情なのに対して、残された社員は彼女たちの境遇を慮ってか人目もはばからずに涙するというシーンが、あちこちで見られた。こういう形での別れは、本当に淋しいし、悔しい。彼女たちの分も頑張らなければと思いながらも思うように仕事ができない我が立場に多少の苛立ちを感じながら洗浄を続けていると、一緒に作業していた社員の携帯から、「キュー キュー キュー」と緊急地震速報が心臓に悪そうな音を発している。今度は警報が鳴り終わらないうちに揺れが訪れた。震度3から4ぐらいであろうか。それほど強くはなかったが、長く続いた。「震源はどこだろう?」「福島か?」社員同士でそんな話をしている。なんと、昨日に引き続き、いわき市で震度6弱を記録したとのこと。自宅が気になって、妻に連絡をとる。「地震大丈夫か?」「うん、大丈夫だよ」地震発生当時は下の子の下校に随行しており、外を歩いていたこともあってか特段大きな揺れは感じなかったそうだ。それにしても、心配なのは、震源に近い福島第一原発の状況である。奇しくも今日、原子力安全・保安院が同原発の事故の深刻度を最悪の国際評価尺度であるレベル7に引き上げると発表したばかり。弱り目に祟り目? いや、そんな形容が可愛らしく思えるぐらい、いわき市をはじめとした浜通りの状況は、悲惨を極めている。2日続けて震度6弱なんて、普通あり得るか!? これ以上、浜通りをぶち壊さないで欲しい。頼む。
2011.04.12
コメント(2)
夕食前のひと時、民放のローカルニュースを観ながら家族でまったりしていたら、いきなり緊急地震速報が鳴り響いた。同時に揺れを感じたので、「早くコタツに潜れ!」と子供達に指示。ずいぶん長いこと、揺れていたと思う。早速チャンネルをNHKに変えて情報を確認すると、M7.0のいわきで震度6弱!? またも大規模な地震に見舞われたものだ。いわき市内では、広い範囲で停電が発生した模様。となると、福島第一原発は大丈夫か? いわき市周辺の方には申し訳ないが、地震の被害そっちのけで原発情報が早く流れないかと身構える。ほどなく画面が変わり、東京電力の記者会見。先ほどの地震で外部電源がダウンしたとのこと。やはりか… しばし落胆するが、ほどなくして電源復旧の報が流れたので、一安心。NHKを観ている間も、何度か「余震の余震」があった。群発地震と呼んで良いほどの短い間隔で、いわき市近辺を震源とする最大震度3~4の地震が頻発する。揺れを感じる度にコタツへと潜る子供達。「なんでこんなに連発するの?」と、上の子もおかんむりだ。いや、上の子が不機嫌になのは、これだけ地震が続くと各局ともニュースばかりを報じるようになり、楽しみにしていたバラエティ番組がカットされるのではないかとの懸念からきているのかもしれないのだが。いわき市から100キロ以上離れた桑折町でもこんな具合だったから、いわきの方はさぞ怖い思いをされたかと思う。月並みすぎる言葉で申し訳ないが、お見舞い申し上げる。ところで、先ほど「群発地震」と書いたが、今日のいわき市近辺での地震活動は、厳密な意味での群発地震と言えるのだろうか? なにしろ数分置きに揺れるのだ。3月11日に発生した地震の余震ではなく、全く別な系統の地震なのではないかと邪推してしまう。群発地震と聞いて真っ先に思い出すのは、1960年代に長野市松代で発生した松代群発地震。この地震はなんと5年半もの間続いたという。いわき市近辺もまたこのような事態になってしまったらと思うと、背筋が凍る。大地震、津波、原発事故、農水産物の放射能汚染、風評被害、そして群発地震… これだけ災難が続いたら、この地域の住民は何を拠り所にして生きていけばよいのだろう? 神が与えた試練は、あまりにも過酷だと言わざるを得ない。
2011.04.11
コメント(0)
今日の昼前に行われた枝野官房長官の記者会見において、東京電力福島第一原発事故の避難指示地域拡大についてこれまでのように距離でなく地形、風向き、放射線量などを考慮して地域ごとに指示を出す方針が明らかにされたとのことだ。原発から30キロ圏外にあり国から特段の指示を受けていなかった飯舘村の全域と川俣町の一部(山木屋地区か?)には、期間を設けて計画的に避難するよう要請があったという。放射線量を考慮というのは、累積放射線量のことらしい。なんでも、このままの放射線量で推移すると、国が避難の目安としている年間20ミリシーベルトを超えるとの話。飯舘村や川俣町で放射線量が高くなった要因には、福島第一原発で水素爆発があった当時、原発方面から風が吹きこんでおり、しかも雨が降っていたため、他地域よりも多い量の放射性物質が降り注いだからだという話を、以前耳にしたことがある。となると、たまたま風が吹き雨が降っていたから避難という、全くのとばっちりの結果だ。何と言ったらいいのか言葉が見つからない。つまり、当日の風向きや天候が少しでも変わっていれば、飯舘村や川俣町のような状況は、原発からの距離に関わらず、どこででもあり得た訳だ。例えば福島市や郡山市でこのような事態が起こってしまったらと思うと、末恐ろしい。県内の行政、経済の機能は、完全にマヒしてしまうではないか。そこでちょっと気になって、県の資料を使いながら、県内主要都市の中でも放射線量の測定値が高い福島市における累積放射線量を独自に集計してみた。放射線量が急激に上昇した3月15日からのデータで調べてみると、昨日の段階で3.3ミリシーベルトを超えるぐらいのようだ。ここしばらくは1時間当たり2マイクロシーベルト前後をうろついているから仮にこの状況が丸一年続いたとしても年間20ミリシーベルトにはギリギリ到達しないようだが、福島第一原発において再度の水素爆発があり放射性物質が大量飛散したとなると、話は違ってくる。何十万という市民が一斉に避難しなければならない事態となったらと思うと、恐怖感に襲われる。今一所懸命に頑張っている作業員の方々には、是非ともこれ以上の放射性物質の流出を食い止めるべく、更なる奮起をお願いしたい。【参考1】福島市における3月15日以降の累積放射線量(単位=ミリシーベルト。筆者集計による)3月15日 0.156 3月16日 0.5863月17日 0.901 3月18日 1.1753月19日 1.416 3月20日 1.6303月21日 1.810 3月22日 1.9673月23日 2.101 3月24日 2.2203月25日 2.325 3月26日 2.4173月27日 2.506 3月28日 2.5863月29日 2.662 3月30日 2.7343月31日 2.798 4月1日 2.8604月2日 2.923 4月3日 2.9834月4日 3.037 4月5日 3.0904月6日 3.141 4月7日 3.1914月8日 3.239 4月9日 3.2874月10日 3.334【資料2】福島市で今後1年間2マイクロシーベルト/時の放射線量を継続して記録した場合における3月15日以降の累積放射線量(単位=ミリシーベルト。筆者集計による)2011年4月30日 4.294 2011年5月31日 5.7822011年6月30日 7.222 2011年7月31日 8.7102011年8月31日 10.198 2011年9月30日 11.6382011年10月31日 13.126 2011年11月30日 14.5662011年12月31日 16.054 2012年1月31日 17.5422012年2月29日 18.934 2012年3月15日 19.654
2011.04.11
コメント(2)
東日本大震災から、1ヶ月が経過した。私はというと、4月1日から一旦職場復帰したものの、4月7日深夜に発生した余震で、風金経路が再びダメージを受けたため、今日は自宅待機。とりあえず、明日から運転を再開するそうだ。比較的早期の復旧に対し、胸をなで下ろす。前にも書いたが、3月11日の本震より、4月7日の余震の方が、ショックが大きかった。本震の影響から東京電力福島第一原発の事故が発生し、反原発を唱える動きが大きくなっていたにも関わらず、私はこの動きには同意できない部分があった。原発「推進」ではないが「現状維持」のスタンスである。理由は二つ。まず一つは、3月11日の地震では、福島第一原発より震源地にはるかに近い東北電力女川原発が、大きな被害を受けていなかったことである。この原発、なんと地域住民の避難所としても活用されていたとのこと。となれば、福島第一原発の事故は、「政府の原子力政策の失敗」ではなく「福島第一原発単体に対する管理体制の杜撰さ」が問われるべきだと考えた。福島第一原発は今から40年前の1971年から稼働を開始し、当初想定されていた耐用年数(16年)を大幅に上回る年数を経ている。そのこと自体が問題だと思ったのだ。従って、当ブログでも、政府や東京電力、そして福島県の対応を批判的に書き綴ってきた。前者については他の多くの方が批判されているので、当ブログでは福島県批判の度合いを強めることとなった。県知事や県を基盤とするマスコミは揃いも揃って国や東京電力を批判する傾向が強いのだが、福島県に責任がなかったとは、絶対言わせない。例えばこの施設など、今回の事故においては何一つ役に立っていないし、施設を管轄している部署のサイトも、2月28日で更新が止まっている有様だ。一体何をしているのだ? 「福島県が国や東京電力から呆れられている」構図は、少なからずあるのではないか?もう一つは、我が国の電力供給量のうち、原子力発電の占める割合が30%近くに及ぶという現実である。これが一斉に廃炉という方向になったらどうなるか。東京電力管内の計画停電の事例でもわかるのだが、経済活動の停滞が容易に想定される。結果、失業者が街にあふれ、国中大暴動になる危険性だって大いにあるだろう。だから、原発反対を唱える人たちは、従前の電力供給量を賄えるだけの代替案を提示するのが筋だと思う。妙案があれば従うが、今のところ、そういったものは見当たらない。ところが、4月7日の余震では、あろうことか女川原発や震源から北に遠く離れた青森県の東北電力東通原発においても、外部電源が遮断され、非常用電源が故障するという事態が発生してしまった。幸い原子炉の冷却は継続できたものの、一歩間違えば福島第一原発の二の舞だったのだ。この一件で、さすがに目が覚めた。付近でM7級以上の地震が短期間で連続して発生した場合、原発は耐えられない。そしてその可能性は、特に東日本太平洋沖においては、決して低くはない。我が国の原発は、段階的にすべて廃止するしかないと思う。ただ、原発に代わる発電手段をどうするかとなると、私などに妙案が浮かぶはずもなく、ここで立往生。我が国の原発を全廃するとなると、特に原子力発電による電力供給比率が高い関西(48%)、中国(38%)、九州(41%)の各地方など、どうやったら代替手段を得られるのか想像もつかない。地震国であると同時に火山国でもある我が国はその特性を活用するのならば地熱発電の新規開拓がもっと進められていいと思うのだが、関西や中国には活火山そのものが殆ど存在しないから、九分九厘需要を満たすことはできないだろう。あと、風力発電も有効な手段へと昇華させ得る可能性を有するが、原発廃止分の電力供給量をどこまでカヴァーすることができるのかは未知数だ。また、地熱、風力両発電とも、海辺や水辺に設置場所を求めざるを得なかった原発とは異なり、安定的な電力供給のためには山岳地帯に発電所を設置する必要性に迫られるので、景観や生態系への影響も気になるところだ。疲弊した我が国をキャンバスとしてどんな未来を描き得るのか… 昨日の日記でも書いたが、今は、子供達の教育に、力を注ぐべき時だとも感じる。
2011.04.11
コメント(0)
妻の実家から、自宅に電話が入った。7日あるいは昨晩の余震の影響か、あるいは昨日一日中シトシトと降っていた雨の影響かは分からないが、今朝起きてみたら敷地内の石垣が崩れているのが見つかったという。落石した結果、自宅や周囲の住宅には被害が及ばなかったものの、自宅へのクルマの進入経路が塞がれてしまったとのこと。東日本大震災は、本震の大きさもさることながら余震の規模や回数も桁外れに多いのが特徴。相次ぐ余震によって被害が増大したり、あるいは新たな被害があったりといったケースも、少なくないと思う。余震はいったいいつ収まるのだろう?夕飯は、その妻の実家で御馳走になった。石垣の崩れ具合は我々素人の手では修復不可能であり、改めて、今回の震災や余震のすさまじさを肌で感じる。そんな不安な気持ちを和らげてくれたのは、上の子の「言いまつがい」であった。BGMでSMAPの「夜空ノムコウ」が流れるACのCMを観ていた時のこと、「これ、『あれから 僕たちは 何かを信じて これだから』って歌ってるんだよね」と、素朴な質問。いえいえ違います。「これだから」じゃなくて「これたかな」だよと妻と私とで教えたのだが、よくよく考えてみると、「これだから」だと意味深な内容にならないか? 「何か」の部分を政府や東京電力や原発や福島県庁に置き換えてみると… 無批判に「何か」を信じた結果が「これ」だとしたら、何という皮肉なんだろう!!その後も、皆でテレビを観る。「真相報道バンキシャ!」だったか、業務再開へ向けて奮闘する陸前高田市の老舗醤油醸造業者の映像が流れた。その時、誰かが一言。「あっちの方は復興に向けて進めるからいいよな。こっちはまだ遠くへ避難しなければならない人がいっぱいいるのに…」それはそうなのだが、地震や津波での死者数は、「こっち」よりも「あっち」の方が明らかに甚大なのだ。住民が被った被害は「あっち」も「こっち」も悲惨極まりないものなのだが、特に今月に入ってからの県内世論に触れると、復興に向けた前進が始まっている「あっち」よりも現在進行形で被害が続いている「こっち」の方がより悲惨だという論調が、だいぶ目立つようになってきた。だからこそ、こちらの日記で批判的に書いた「I love you & I need you ふくしま」が多くの県民に受け入れられる素地があるのだろう。「他県のことなんか目を配る余裕なんかない!」そうかもしれない。しかし、被災地に優劣などない。あるのはあくまで「質」の違い。同じ被災者だからこそ、他県の被災者への温かいまなざしもまた、忘れてはならないと思う。
2011.04.10
コメント(0)
午前中に、地元の子供会の会合があるので、行ってきた。話の内容は昨年度の決算と本年度の予算についてだったのだが、話題の中心はやはり、今年の子供会や学校の行事はどうなってしまうのか? について。子供達が所属する学校や子供会では、今年の前半だけでも、これだけの行事があるのだ。5月中旬 小学校運動会6月上旬 小学校学年保護者対抗球技大会(ソフトボールとバレーボール)6月 小学6年生宿泊学習7月下旬 子供会行事これらのすべてが、例年とは違う対応を余儀なくされることになりそうだ。そもそも桑折町の小中学校では、放射線の影響を考慮して屋外での体育の授業や部活動を自粛している。だから当然運動会などもできないし、球技大会もまた、ソフトボールは恐らく不可能。宿泊学習については候補先の一つである相馬海浜自然の家が津波で甚大な被害を被った上に、その他の県内宿泊施設もまた放射線の影響から屋外での活動を自粛せざるを得なくなる可能性が高い。子供会行事は例年だと日帰りでの小旅行や屋外でのバーベキュー大会を開くのだが、これもまた大幅な内容変更が検討されてしかるべきであろう。また、表中には記さなかったが、中学生の部活動もまた、運動部については各種大会が開催されるのかどうかすら微妙な情勢ではないかと思う。6月や7月になれば、ひょっとしたら情勢が幾分好転しているのかもしれない。が、その保証はどこにもないし、各々の施設に予約を入れておく必要があることを考えると、結局、今現在の情勢で判断を下さざるを得ない。恐らく、どの学校、子供会とも、頭を悩ませているのではなかろうか。悩む分にはまだいい。一番の被害者は、子供達自身である。そんな感じで妻と話していたら、妻が「これからの福島県の子供達はスポーツ面での活躍が期待できないだろうから、今のうちからきちんと勉強して、頭の良い子が沢山育つといいんだけど…」というようなことを言っていた。確かにその通りだと思う。今回の震災後に福島県で「災い転じて福となす」ことができるのだとするのならば、ひょっとしたらここに賭けるしかないのかもしれない。しかも「東大現役合格」といった類の単に受験勉強が得意な人材ではなく、自然科学、人文科学、社会科学の各分野において世のため人のために貢献できるだけの見識を有した研究者や実践者の育成が必要ではなかろうか。二度と県民、そして国民が酷い目に遭わないためにも、是非そうして欲しいと願う。我々保護者の世代にはもう立ち直れないぐらいのダメージを浴びている人も少なくないが、それを次の世代に連鎖させないための方策の必要性を痛感する次第だ。
2011.04.10
コメント(0)
先月末あたりから福島県内のテレビ局においてしきりに流れている曲に、猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」がある。TOKYO FMのサイトを通じて楽曲の配信も行われており、福島県外にお住まいでも既にお聞きになった方が多いかと思う。この曲を聴いて、あるいは全国すべての都道府県出身者がこの曲を歌う映像を観て涙した方も少なくないだろう。特に福島県在住ないしは出身となれば、尚更のことと多くの人は考えるのではなかろうか。ところが私は、この曲を耳にしても、率直に言ってこれといった感慨が湧いてこなかった。映像を観ると、いかに多くの方々が福島県を応援していることは理解できるし感謝もしたいのだが、心を揺り動かされることがないのだ。我ながら、冷たい人間だな… と思う。しかしその現実を認め難く、いろいろと言い分を探してるもう一人の自分もいる。気になることの一つに、この曲の歌詞が挙げられる。冒頭からふくしまに ふくしまに ふくしまに置いてきたんだ 僕は 本当の自分をと歌っているのだが、そもそも私は東京生まれの仙台育ちで30歳を過ぎてから福島県に移住してきた人間だから、「本当の自分」は福島ではなく東京や仙台に置いて来たんじゃなかろうかと邪推してしまう。しかし、仮に東京や仙台の賛歌が流れたとしても、果たして落涙に至るだろうか? シチュエーションをいろいろ考えてみたが、ちょっと想像しがたい。やはり、私の心が動かないのは、自身の冷たさに起因するのだろうか?が、それを認めたくないものだから、またいろいろと愚考する。そもそもこの曲は、昨年9月に裏磐梯にて開催された風とロック芋煮会というイベントにおいて、即興で発表されたものである。このイベントの主催者が、TOKYO FMの一番組である「風とロック」(ちなみにこの番組のパーソナリティが、郡山市出身で猪苗代湖ズのリーダー的存在でもある箭内(やない)道彦)と、地元新聞社の福島民報社であることが、個人的には気になった。なあんだ。巷間言われているように故郷へ恩返しするために箭内らが立ち上がってこの曲が配信されたのではなく、黒幕に福島民報がいるんじゃないか。そして福島民報は、ほぼ100%、福島県庁と繋がっている!!このことが分かった時点で、変な話だが、「私は冷たい人間で結構!」との、妙な開き直りがあった。つまりはこうだ。「I love you & I need you ふくしま」は、恐らく、県庁サイドからの要請があって、配信が行われた曲なんだろうと思う。でなければ、どうして複数の県に跨る被災地全体の中で福島県に限定したセクト主義的な応援ソングが配信されるのか、また配信の収益全額が福島県に寄付されるのか、説明がつかない。県でもちゃっかり、この曲の宣伝に努めているし。まあ、それはそれで構わないのだが、一番の問題は、この曲の配信に伴い県民の郷土愛が高まることによって、今回の震災、特に福島第一原発の事故における「福島県の責任」を問う声がうやむやになってしまわないかとの懸念があることだ。西田敏行ではないが「美しい福島を汚したのは誰だ! 誰が福島をこんなにしたんだ!」という怒りの感情は、私も当然持っている。が、汚した側の一員に、原発を誘致した「地方公共団体としての福島県」がいることを、私たちは決して忘れてはならない。感情に左右された揚句、批判すべき敵を見失ってはならない。そして、真に福島県が復興するために、なすべき総括を怠ってはならない。…ここまで読み返すと、自己正当化のために激しく妄想を展開しているなあ(苦笑) ただ、私は冷たい人間であります。それは十分認めます。ハイ。
2011.04.09
コメント(2)
今朝から雨が降っている。あの中にも放射性物質が含まれているのだろうか… と不安に思いながら、雲が垂れこめる空を見上げる。新聞もまた空に歩調を合わせるかのごとく、個人的にショックを感じる記事が二つ書いてあった。まず一つは、私の住む桑折町を含む8市町村(福島市、桑折町、川俣町、本宮市、大玉村、田村市、三春町、鮫川村)において、体育や部活動など学校における屋外活動の自粛を決定したこと。うちの子供達もまた、体育の授業場所が体育館内に限定されるし、上の子が所属している町のソフトスポ少の活動もまた、非常に限定されたものにならざるを得なくなる訳だ。保護者としては非常に悔しい話である。子供達にとっても、恐らく同様であろう。ただ、その一方で、東京都内に住んでいた私の幼少時代(1970年代後半)のことを思い出してもいた。かなりうろ覚えなのだが、当時確か「光化学スモッグ警報(あるいは注意報だったか)が発令された時、屋外での体育やプールの授業を中止する」取り決めがあったと記憶している。実際に中止された経験も、一、二度あったかもしれない。光化学スモッグが社会問題になったのは1970年代前半のことだったから、年代がもう少し上、1960年前後に生まれた方だと、その記憶はより鮮明なものだと思う。その記憶を、福島県の小中学生や先生方にむけてアドバイスしてくれると嬉しい。当時の経験談はひょっとしたら、未知の世界を手探りで進んでいく我々にとって何らかの指針になる可能性があるかもしれないから。もう一つは、一昨日せっかく復旧したのに余震で再び不通となってしまった東北本線の再復旧予定が、今月中旬とされてしまったことである。中旬と言われても11日から20日までの広い範囲に及ぶ訳で、具体的な期日が明らかにされない点が、不安を増幅させる。こればかりは、一刻も早い再復旧の実現と再度の余震が発生しないことを祈るしかない。JR東日本のサイトを見ると、余震の影響で、復旧したのに再び運休に追い込まれたり、あるいは復旧間近だったのに復旧予定日が先延ばしされた区間は、少なくないようだ。新学期がスタートしているだけに、私と同じ不安を抱いている通勤通学者は、相当数いるのではないかと推察する。
2011.04.09
コメント(0)
先の記事にも書いたように午前中いっぱいブルーな気分で過ごした私だが、いつまでも落ち込んではいられない。また、前を向かねば… 自身に言い聞かせる。昼食後、午後1時半に下校する下の子を迎えに通学路まで出る。今日は1、2年生だけ昼食(今日は給食ではなく弁当持参)先行して下校し、上の子を含む3年生以上は午後の授業を終えて午後3時過ぎに別途下校するというスケジュール。一応集団で下校するのだが、低学年だけの下校はやはり心配だ。通学路まで出てみると、新入生も一緒の下校ということもあり、下の子の担任の先生が同行していた。挨拶を交わすと、その先生「○○ちゃんのお父さんが歩いて来たよ」と子供達に紹介。「歩いて」が妙に強調されている。先生にとって、私は「歩く人」としてインプットされているのだろう。だから私も、「いや~、昨晩の地震は大きかったけど、自宅で被災したから仙台の職場から歩いて帰らずに済んだのが不幸中の幸いでしたよ」などとコメントし、あくまで「歩く人」として先生に接する。これはネタではなく、心からの本音。70キロ近い距離を一日がかりでもう一度歩けと言われても、特に今日の精神状態ではできるかどうか覚束ない。午後4時前には上の子も帰宅。とりあえず、今日は家族全員無事自宅に揃った。その安心からコタツでウトウトしていたら、子供達にパソコンを占領されてしまう。暇潰しが必要となってしまった夕暮れ前のひととき。ここでふと、今の時期どうしても読んでおきたい漫画があることに気がついた。日頃から愛読している「ゴルゴ13」において1984年に発表された「二万五千年の荒野」という作品なのだが、その内容が、福島第一原発事故の現状と酷似しているのだ。はてさてどこに置いたっけと家中探してみたものの、なかなか見つからない。なお、詳しい内容はこちらを参照されたいのだが、秀逸なのは、水蒸気が立ちこめ視界がきかないなか例によってピンポイント射撃を決めるゴルゴ13よりも、物語のラストで展開される原発のパーマー制御部長の記者会見のシーン。原子力発電が危険なことだと認識しつつも、近い将来における石炭や石油の枯渇が必至の情勢の中、今更木炭やローソクの生活に戻るわけにもいかず… ラストで「我々はどうしたらいいんでしょう」と記者に問いかけるパーマーのセリフは、まさに現在の我々に対しても、ダイレクト過ぎるぐらいダイレクトに響くフレーズだと痛感する次第だ。
2011.04.08
コメント(0)
昨晩の地震の直後から関連ニュースを観まくった後、再び床に就いたのは、午前2時過ぎのことであった。3時間後、目覚ましが鳴り、起床。眠くて眠くてしょうがないが、最新情報は仕入れておかねばなるまい。特に交通情報。早速ネットにあたってみると、案の定、今日のJRは宮城県内全線で終日運休となるそうだ。高速道路もまた、多くの区間で通行止の状態。一応仙台までは受けるようだが速度制限がかかっており、高速バスが運行されていたとしても、大幅な遅延は必至である。一方、勤務先周辺のライフラインはどうか。東北電力のサイトにあたってみたところ、宮城県内で90万を超える世帯が停電とのこと。これでは、勤務先まで辿り着けたとしても、稼働していない可能性が高いから、行っても意味がなさそうだ。ここまでの情報を整理すると、今日の出社は、諦めざるを得ない。せっかく昨日から電車の運行が再開したというのに、花見は無理としても車窓から一目千本桜を堪能したかったというのに。ところで、東北電力のサイトを詳しく見ると、昨晩の地震による停電の範囲は、震源に近かった宮城県よりもむしろ岩手、秋田、青森の北東北三県で全戸停電と、深刻な状況になっているのがわかる。早速、秋田県南部で建設業を営む旧友にメール。やはり停電中であり、地震発生直後からインフラ被害の調査であちこち飛び回っているとの返答があった。未明から大変だ。一刻も早い復旧を祈る。一方、のどか過ぎる目覚めを迎えたのが、我が家の子供達。あれほど激しく揺れたのに、地震のあったことが全然記憶にないという。「そんなのあったの?」とか言われてしまった。ある意味豪胆だ。表現を変えれば無神経とも言えそうだが、「怖いよう~」と心細く泣き叫ぶよりは幾分マシだと思う。子供達を送り出した後、出社できない旨勤務先に電話。恐らく今日は出社しても散乱した機材類の片付けだけで終わるだろう(から無理して出社しなくてもいい)との話であった。明日以降の勤務体制については追って連絡するとのこと。せっかく皆で復興に向けて頑張ってきたのに、また振り出しに戻ってしまった感がある。さながら「賽の河原の石積み」のごとく。そして私は、3月中の自宅待機期間と同様に、昨晩の地震を報じる番組をハシゴしながら、テレビに向かってブツクサと文句を垂れる生活に戻ってしまった。いや、文句を言う元気も、多少減退気味になっているようだ。率直に言って、3月11日の地震の時よりもショックだ。「復興しても意味がない」との天の声を聞いてしまったような心境だ。
2011.04.08
コメント(0)
今日は福島と仙台とを結ぶ東北本線が運転を再開したという「ちょっと嬉しいニュース」を書こうかと思っていたのだが、家族全員寝静まっていた午後11時32分頃に宮城県内で震度6強の大きな地震を観測したので、執筆内容を変更せざるを得なくなった。桑折町内でも、震度5強と、強い揺れを記録した。寝ていた子供達を起こして安全な場所に避難させようとするが、寝入っていた彼らは事態を把握していなかったようだ。それが彼らにとって幸いだったかどうかは、今のところわからない。その後子供達は再び夢の世界へと入ってしまったが、私たち夫婦はもう寝られない。ニュースを報じるテレビ画面に釘づけの状態である。幸い、桑折町では、地震直後に停電となることはなかった。それにしても、3月11日の震災からもうすぐ1ヶ月。インフラも順調に復旧していたというのに、またこの揺れ… せっかく皆で一所懸命に「復興双六」をやっていたのに振り出しに戻されてしまったような心境だ。明日私は無事に出勤できるのだろうか? また子供達も怯えずに登校できるかどうか? とても心配だ。津波で大きな被害を受け防波堤も破損した状況にある東北地方沿岸部で、再び深刻な状況になっていないかも気になる。宮城県内では津波警報が出ているし、複数の県に跨る広い範囲で停電などのインフラ障害が発生したとの情報もある。仮に高速バスなどを利用して出勤できたとしても、電気が通っていないかもしれない状況下で果たして仕事になるのかどうか?そして、福島第一原発の状況は… ただでさえ過酷な状況の中懸命の作業を続けている作業員の方々が、放射性物質を含んだ水をかぶったりしていないだろうか? また、大きく損傷した原発建屋の倒壊など、更なる悪化を招いてはいないだろうか? 先ほどから始まった東京電力の会見ではしきりに安全が強調されていたようだが、暗闇の中本当にきちんと確認できたのだろうか? 非常に気になるところだ。それにしても、いつまでこんな事態が続くのだろう? もう沢山だ! 3月10日まで過ごしてきた平穏な生活を、一日でも早く返して欲しい。でも、誰にその思いをぶつけたらいい!? 「この地球奴!」と地団駄でも踏むか。傍目から見るとコントのような仕草になるかもしれないけれど。
2011.04.07
コメント(0)
私の住む桑折町では、3月11日の震災という暴力的な形をもって、2010年度の小中学校生活にピリオドが打たれてしまった。卒業式も終了式も、執り行われなかった。だからこそ、小中学生は学校の再開を、たいへん心待ちにしていたことかと思う。今日は始業式。うちの子供達も、足取り軽く登校していった。今日行われたのは始業式と入学式、あとは軽めの学級会程度で午前中には帰宅してきたのだが、子供達の話では、こんな出来事があったとのこと。(1)桑折町にも福島第一原発周辺など県内他地域から避難してきた子供達がおり、上の子のクラスにも転入生が一人入ったそうだ。ちなみに、町全体では、小学生13人、中学生5人の転入生があったとのこと(町広報号外の情報による)。(2)担任の先生は、上の子、下の子を含めて各学年とも前年度から持ち上がる形になった。そして、昨年度に6年生を受け持っていた先生が、1年生の担任になったこと。(3)どうでもいい話だが、上の子のクラスの学級会において、なんと、私が仙台から桑折まで歩いた話が紹介されたそうだ。それぞれの項目について、軽く感想を。まず(1)についてであるが、やはり、地域全体で避難してきた子供達を支えていきたいと思う。変な話だが、子供達が「桑折町に来て良かった」と思えるような環境づくりができればいいなと思う。私自身が小学校の転校を繰り返してきた結果内向的な人間になってしまった悪例のような存在だからこそ、その気持ちは折に触れて我が家の子供達に伝えていきたい。(2)については、子供達も保護者も、非常に安心したかと思う。校長先生や教育委員会の英断に感謝したい。ひょっとしたら、担任の先生方もまた、安心したのではないかと推察する。見慣れたいつもの仲間での再出発。であるからこそ、先の話の続きになるが、転入生が早く仲間の輪になじめるようにして欲しいとも思う。(3)については… 驚いた(苦笑) この話、実は妻の実家がある集落でもかなり広まっており、3日には屋根の修繕作業を手伝っている最中に近所の方から「いや~ あんだ仙台から14時間かけて歩ってちたんだって?」とか声を掛けられるし、当ブログを経由せずとも口コミで200~300人ぐらいの方が耳にしたのではなかろうか。町内での「変人度」が確実にアップしたな。こりゃ…とにもかくにも、新年度がスタートした。福島第一原発をめぐる情勢は未だ深刻な状況にあり、我が町でも特に農業に対する不安要素が大きく残るのだが、そんな空気を子供達に伝染させる訳にはいかない。例え空元気であっても、子供達の前ではつとめて明るく(というか、そもそも家庭でも地域でも、私は「ボケ役担当」のキャラなのだが・笑)振舞いたいと思う。追記学級会で先生が話した効果(?)が早速あったようで、妻がスーパーへ買い物に行った際、偶然会った上の子のクラスメイトから「○○君のお父さんって、仙台から桑折まで歩いたんでしょ?」と訊かれたとのこと。妻はその場で爆笑してしまったそうです。
2011.04.06
コメント(2)
今日も高速バスで通勤。明日は公休日、明後日からは東北本線が待望の復旧となるため、高速バスでの通勤は今日が最後となる。今日も仙台西道路が多少混雑しており冷や冷やさせたが、遅刻という最悪の事態にはならなかった。清掃活動に従事後、昼休みに休憩室で新聞を読む。宮城県のローカルニュースで、今回の震災で冷凍保存されていた魚介類の腐敗が進んでしまったため、海洋汚染防止法の例外規定に従い外洋に投棄する方針を県が固めた旨の記事があった。切ない話である。しかもこの話、ひょっとしたら今回限りでは済まなくなる恐れがある。先月末だったか、東北電力が発表したところによると、今回の震災で仙台、新仙台、原町と三つの火力発電所が甚大な被害を受け復旧の見通しが立たないため電力需要が逼迫する夏場に供給が追い付かず、被災地ですらも計画停電の対象となる可能性があるという。というか、ほぼ決定事項だとみて良いだろうと思う。首都圏における計画停電を「福島県に原発を押しつけてきた報いだ」と最初は軽く見ていたのだが、企業の生産活動への影響が顕在化していく実態を目の当たりにし、大変なことになったなと今では認識を異にするに至っている。ましてや夏場。東京電力でも計画停電は必至の様相であり、気の早すぎる在京マスコミを通じて家庭やオフィスにおける冷房対策が今から進められているのだが、より肝心なのは、特に食品産業における冷蔵、冷凍対策ではないかと思うのだ。4月2日のブログでも記したように、被災地、特に岩手、宮城の両県は全国でも屈指の水産県であるし、東北電力の管轄県全部が農業を産業基盤としてもいる。特に夏場においては安全、安心な食品を貯蔵、供給するために安定的な冷蔵、冷凍が不可欠なのだが、それが機能不全に陥ったらと考えると、大きな不安を感じる。まあ、仮に計画停電が実施されたとしても、2、3時間程度の停電であれば、冷蔵庫や冷凍庫の扉を締め切っていれば、大して鮮度は落ちないのかもしれない。が、「他地域産よりも鮮度が落ちる食品」との風評被害に晒される可能性はあるかと思う。復興への悪影響もあるのではないかと、危惧を抱く次第だ。厚生労働省や計画停電を実施する東北、東京の両電力会社は、その辺の対策にも力を注いで欲しいと考える。夏場における計画停電の実施が不可避ならば、せめて中部地方以西の食品倉庫のスペースを確保するとかそこへと運搬する専用の保冷車を手配するとかできないものだろうか。そうでなければ、産地が浮かばれない。
2011.04.05
コメント(0)
今日は3日ぶりの出勤日。高速バスの混み具合は相変わらずで、今日は補助席に乗車。景色が見れないので、道中ではずっと寝ていた。目が覚めると、仙台宮城インターチェンジの直前で、時計の針は8時12分を指していた。この分なら8時40分前後には仙台駅に着けるなと思いきや、仙台市中心部へと通じる仙台西道路がまさかの大渋滞。ギューギュー詰めで全く動かない状況であり、わずか5、6キロ先の仙台駅に着くまでに約1時間を要した。始業時刻の10時までに勤務先方面へと向かうバスは既になく、この時点で遅刻確定… 早く電車が復旧してくれないかなと思う。結局、勤務先についたのは、10時半ごろのことであった。清掃用の作業着に着替えて現場に向かう途中で、日頃よりお世話になっている静岡県の方とばったり出くわす。新幹線も空港も復旧していないのにどうやっていらしたのですかと訊ねると、今回はクルマで来仙したとのこと。来社に際しては勤務先の方がお願いしている経緯もあるだけに、非常に有難く思う。昼休みに、その方としばし雑談。テーマは、東京電力の「株価」について。福島第一原発の事故以来、この会社の株価は、当然のことながら急落傾向にある。事故直前では1株2,000円を超えていたのに、今では400円台まで下がってしまった(注・このブログを執筆している4月6日の段階で300円前後にまで下落)。実はこの方の知人に東京電力の株主がいて、頭を抱えているとの話。ついでに言うと、その知人の方は日本航空の株も所有して酷い目にあったばかりだったとのこと。私としてはお気の毒さまと声をかける他はない。ところで、その方がおっしゃるところによると、東京電力の株は株価が乱高下することも少ないうえに1株当りの配当金が高めに設定されているので、個人株主も相当数いるのではないか…とのこと。確かにデータを見ると、事故前2年あまりの株価は概ね1株2,000円から2,500円の枠内で推移しているし、1株当りの配当金はここ10年以上にわたって年間60円から70円をキープしていた。東京電力の単元株式は100株だから、20万円ちょっとの投資で少なくとも年間6,000円(源泉税徴収後で5,400円)の利益が得られた訳だ。そこらの定期預金よりも断然安定的な投資先だったのである。ところが、今の状況だと上場廃止も避けられない模様。株券も当然紙くずになり、天を仰ぐ個人投資家が続出するのは必至だ。ネットでの取引が常態化したことに伴い株式投資が富裕層以外にも手を出しやすいツールとなっていることを考えると、財産の多くを失ってしまった個人投資家も少なくないと推察される。原発事故の被害者は、ここにもいる。報じてくれるメディアは、今のところどこにもないけれど。
2011.04.04
コメント(0)
今日は終日、妻の実家にいた。ネットいじりも封印である。で、何をしていたのかというと、震災で被害を受けた屋根瓦の補修作業。とりあえず業者に依頼して応急措置を施してもらったのだが、屋根の被害個所にブルーシートをかぶせただけ。仕事が建て込んでいる上に瓦不足もあって、これ以上の措置は難しいのだそうだ。更に言えば、ブルーシートすらも不足しているらしい。そのブルーシート、さしあたっては土のうや壊れた瓦などを用いて押さえつけているのだが、強風の日など、ずれたりはがれたりして役に立たなくなってしまうことがままあったりする。だから各家に住む人が定期的に屋根に登り、メンテナンスをしなければならない事態になっている。私の住む桑折町では、旧家が多いこともあり瓦屋根の比率が高い。その大半が、ブルーシートで屋根を一部を覆っている状況が、今も続いている。東北地方においては瓦屋根の比率は積雪量に反比例して高くなる傾向があり、従って瓦屋根は非豪雪地帯のステータスシンボル的存在でもあったのだが、震災に弱いことが露呈されてしまうと、豪雪地帯の会津地方や山形県などと同様に、屋根のトタン化が一気に進む可能性があるかもしれない。作業が終わると、もう午後5時近くになっていた。そのまま妻の実家で、夕食、そしてテレビ視聴と、まったり過ごす。午後7時からは、子供達の希望で「世界1のSHOW TIME ギャラを決めるのはアナタ!」を観る。その中で、一組のパフォーマーの映像が、個人的に少し気になった。それは、福岡を拠点にサザンオールスターズのコピーバンドとして活躍しているKAWAMURA BAND。彼らの歌う曲目のうち「TSUNAMI」が大幅にカットされていたのだ。曲名のクレジットもなく、歌う場面が放映されたのはAメロのみ…確かに、時節柄流すべき曲目ではないだろう。タイトルそのものもまずいものだし、サビで「津波のような侘しさに」という歌詞が出てくるのも大きなマイナス。そもそも、作詞した桑田圭祐の頭の中で「東日本大震災の映像」と「侘しさ」とがリンクする概念だとするならば、彼の感性は異常という言葉では済まされないぐらい常軌を逸していることになってしまう。恐らくそんなことはないだろうし、桑田の感性を信じたい。だからこそ、彼が今回の震災についてどのような感想を抱いたのかを知りたいのだが、今のところ、特にコメントを発した様子はないようだ。口を開けば「TSUNAMI」について(恐らくネガティブに)取り上げられてしまうだろうし、曲名や歌詞に対する言い訳がましい釈明、そして周囲へのあらぬ誤解を招くのならば、ダンマリを決め込んだ方がいいとの判断なのだろう。その代わりと言っては何だが、所属事務所のアミューズが、被災地への義援金やマスクの寄付を行っているという。とりあえずは、それを桑田の「回答」と解釈したい。追記執筆後に耳にしたところによると、やはり、瓦屋根からトタン屋根への改装を望む家が多いとのことです。板金業者は震災後休みなく働いているとかで、さぞ大変なことと思います。ところが、トタンそのものも不足している状況にあり、改装工事も思うように捗らないという現実があるようです。いち早い復旧が待たれるところですが…
2011.04.03
コメント(0)
今日と明日は、公休日である。と言っても、過ごし方は一昨日までと変わりないのだが、自宅待機と公休とでは心理的な感覚は大いに異なる。少なくとも私には働ける職場がある。その安心感は、やはり相当なものである。しかし、今回の震災で津波の大きな被害を受けた地域では、それどころではない状況が続いている。勤務先の取引先に気仙沼市の水産加工業者があるのだが、社屋が津波で流出したため会社そのものを清算する意向とのことらしい。この企業は県外に親会社があり経営基盤はそれなりにしっかりしていたはずだが、親会社から見捨てられてしまったのだろうか。被災地の復興には被災地外、特に全国規模の営業網を有する大企業からの資本投入が不可欠なだけに、非常に残念な話だ。職場を失った社員の心痛はいかばかりであろうか。そんな事情も知ると心の中までは完全オフという訳にはいかないのだが、できるだけ平静に休日を過ごそうかと思い、自宅でまったりと過ごすよう努める。ブログの方は、昨日分を書き上げる。予想以上に量が多くなってしまった。400字詰め原稿用紙で14~15枚ぐらいにはなっただろうか。震災発生以降当ブログの文章量は激増傾向にあるが、そうでもしないとストレスが溜まってとんでもないことになりそうな不安がある。ただし、自宅に1台しかないパソコンを、私が独り占めする訳にもいかない。私がブログを執筆した後は、妻もまた、パソコンでいろいろとサイト検索を行っていた。特に興味を持っていたのは、震災当日にヘリコプターから撮影されニュースでも報じられた津波の映像。家やクルマが次々と呑み込まれていく姿に、かなり驚いていた。考えてみれば、震災当日は停電だったから、妻は迫りくる津波のリアルな映像を見ていない。携帯のワンセグを使えば見られたが、電源が確保できない中で無駄遣いはできないと、使用を控えていたそうだ。この景色を目の当たりにし、「津波からの復興と言ったって、どうすればいいんだ」と頭を抱える人も少なくはないだろう。だから、大胆な復興案が提示されたりもする。建築&住宅ジャーナリストの細野徹氏が提唱した「グスコーブドリ構想」は、その代表的なものであろう。その骨子は、主に三陸沿岸の街において、(1) 山を削って、高さが数十メートル程度の丘をつくる(新丘A)。(2) 削った土砂で、標高0メートルから10メートル地帯をかさ上げする(新丘B)。(3) 新しい街は、主に、新丘Aに建設。新丘Bは公園と緑地にする。(4) 海岸部には、港として必要な最低限の機能だけを残す。というものである。一見、もっともらしい主張のように見えるのだが、私は、この構想を支持しない。三陸の主幹産業である水産業への配慮が、著しく欠けているからだ。三陸の街は(製鉄業で栄えた釜石市のような例外はあるが)その多くが、黒潮と親潮とが出会う近海の漁場を舞台に生業を営んできた。それのみではなく、リアス式海岸の平時ならば静かな入り江というロケーションを活用した養殖漁業も盛んだし、気仙沼市や女川町のように遠洋漁業の基地となっている街もある。岩手、宮城両県は、全国でも屈指の水産県なのである(参考)。となれば、港として必要な施設だけでも相当なスペースを要するし、結局のところ、この構想は絵空事にしか思えないのだ。他にも、新丘Bの液状化現象の対策や河川や鉄道の付け替えの問題、また気仙沼市のNPO法人・「森は海の恋人」のように植林に励む水産業者もいることを考えると、まともに取り合う必要のない構想だと感じる。冒頭にも述べたが、被災地の復興には大企業からの資本投入が不可欠だし、それがしやすい環境を整備することが、何より大切だと思う。被災者を心配して下さるのは有難いが、「水産業の復興=三陸の復興」という視座が、まずあって欲しいと痛感する。もちろん、「津波に強い街づくり」は、被災地にとって非常に重要な課題である。以前にも津波の被害に晒されてきた三陸の街では長大な防波堤の建設などが進められた経緯があり、今回の震災でこれらがやすやすと破られたことを細野氏はグスコーブドリ構想の論拠に挙げているが、被災地にもまた、これらの構築物による安心感からくる過信がなかったろうかと感じる。例えば、高層建築物が少なく、幹線道路ですらも狭隘かつ直線区間が少ない現状は、大いに見直されて良い部分があるはずだ。私はいかんせん素人なので、妙案などそう簡単には浮かばない。土木技術の粋を結集し、被災地が真に復興するために、力を貸して欲しいと切に願う。会社を失い、途方に暮れている人々のためにも…
2011.04.02
コメント(0)
朝5時に目が覚めた。今日から出社だ。寝坊などしていられない。朝食をかっ込み、妻から弁当を受け取ると、福島市中心部にある勤務先まで出勤する義父のクルマに便乗し、福島駅まで送迎してもらう。本来ならば桑折駅から東北本線で仙台へと向かうのだが、同路線は本宮~仙台間で未だ不通となっているため、やむを得ない措置である。7時前に駅前広場のバス乗り場に着くと、既に200人以上はいるとおぼしき長蛇の列。列は二手に分かれており、右手が郡山行、左手が仙台行のバス乗り場へと連なっているのだが、驚いたことに仙台行の方が郡山行の5倍は長かった。私も含めて福島市周辺から仙台方面へと通勤、通学する人は少なくないと承知していたが、正直これほどまでの差があるとは思っていなかった。こんなことを書くと、福島県内各地から「やっぱり仙台市福島区だ」などと揶揄の声が飛んできそうだが、ちょっと待って欲しい。通勤者としてひとつ言い訳するならば、同じ仙台へと向かう流れでも「通勤」と「通学、買い物、レジャー」とは、一線を画してもらいたいのだ。前者は「仙台近辺で行われる経済活動の対価として給与を得、福島県や同県内の市町村において納税や消費活動を行っている人々」なのに対し、後者は「仙台近辺で消費活動を行っている人々」。キャッシュフロー的に言うならば、前者は「仙台で得た金を福島に落とす」側であり、後者は「福島でも落とせる金を仙台で落とす」側。立場は真逆なのである。加えて言えば、福島と仙台との交通手段が発達したおかげで、我々は仙台に流出ことなく福島県内に住んでいられるのだ。だから揶揄する人たちには、逆に感謝してもらいたいくらいだよ…と強要するのは、さすがに言い過ぎか。でも、福島第一原発の事故の影響で福島県経済が疲弊必至になる中で、我々仙台への通勤者が福島県経済を支えたいとの思いはある。閑話休題。通勤者(春休みだから通学者は皆無に近いだろう)を満載したバスは、福島駅をひっきりなしに発車している。だから列は長くても流れは比較的スムーズで、10分少々待てば乗ることが可能であった。私の乗ったバスもまた補助席まで乗客で埋まる盛況ぶり。60人以上は乗っているだろうか。荷物も含めれば乗客一人あたり平均70キロ前後はあるだろうから、単純計算して4トン超。バスの走りっぷりも、心なしか喘ぐような雰囲気がある。平時の高速バスならば福島市内で何ヶ所かのバス停に停まってから東北自動車道に乗り入れるのだが、今はすべてのバス停を通過する。福島駅を出た段階で満員なのだから、これは仕方がない。福島飯坂インターチェンジから東北自動車道へ。宮城県境までは登り勾配になるから、バスの喘ぎぶりも激しくなる。まさか途中で停まったりしないよな… そんな不安も抱かせるほどだ。県境を通過し宮城県内を通り抜けて、仙台宮城インターチェンジに到着。ここから広瀬通のバスターミナルまでは仙台西道路を経由して5キロ程度しかないのだが、その仙台西道路自体が非常に混雑しており、仙台駅に至るまでにはかなりの時間がかかった。正確な時間は測っていないが、東北自動車道を通っっていた時間と仙台宮城インターチェンジからバスターミナルまでの時間はほぼ同じぐらいではなかったかと思う。バスターミナルに着いたのは、8時半を少し過ぎた頃のことであった。バスから降りた乗客は、蜘蛛の子を散らすように仙台の街へと消えて行った。私もまた、バスに乗り換えて、若林区内の勤務先まで向かう。おっと、その前に、仙台駅でしておかなければならないことがあった。震災により電車が不通になった期間分の、定期券の払い戻しである。私の定期券は3月25日が有効期限だったので、その分を返金してもらおうと思ったのだ。窓口には10人前後の客が並んでいたが、比較的スムーズに処理が行われており、私もまた実にあっさりと、払い戻ししてもらえた。1万いくらかの現金が、懐へと入る。勤務先に着いたのは、9時40分過ぎのことであった。「元気にしてた~?」従業員と久々の再会。特に仲良くなかった従業員とも、いろいろと会話を交わしてしまう。みんなストレスが溜まっていて、この機会に放出したいのかなとも思う。私もまた、名取市内に住む従業員に「津波大丈夫だった?」と声をかけてみる。「あのねぇ、名取だからって、全部が津波に襲われた訳ではないんだからね!」とあっけらかんとした返事。各人とも情報収集は報道によるものしかなかったから、「どこどこと言えば○○」というステレオタイプな被害状況が染みついているはずだ。だから「福島と言えば原発」という視線に晒されることを半ば覚悟していたのだが、心配する声はあっても一部報道でみられたように福島だからと忌避されるような仕儀は、一度としてなかった。そのことは、素直に嬉しかった。「原発が爆発したら仙台だっておしまいだし」そう言ってくれた人もいた。恐らく、一部報道にあるような事態は、極めて限定的なことなのだろう。我々日本人は基本的に困っている人に対して手を差し伸べずにはいられない人種。そう思いたい。そんな仙台の人々の目下の悩みは、都市ガスが未だ復旧していないこと。電気も水道も回復したものの震災以降風呂に入っていないという人が、結構多いようだ。プロパンガス使用の我が家は風呂の利用が可能な旨を話すと、逆に羨ましがられた。出社した社員が一同に集められて、社長の訓示。状況は大変苦しいが一致団結して頑張ろうと野話があった。また、その中で、沿岸部に居住している従業員で家屋が津波で流され、家族が亡くなった人がいることも伝えられた。震災の悲惨さに接し、襟を正す次第。そんな従業員のために、義援金や支援物資を募ろうとの話もあった。できる限りで、協力していきたいと思う。こんな雰囲気でスタートした、勤務初日の業務は、終日掃除。勤務先はメーカーであり生産設備は一部で稼働しているもののまだ大多数では再開するに至っていない。本格的な再稼働を前に気持ちよく働けるように社屋内を磨きあげようとのこと。だから雑巾持参だったんだと納得。ちなみに、清掃期間は明日、明後日の休日を挟んで8日まで続き、その間の勤務時間は10時から17時までとのこと。10時出勤なのは、私にとっては有難い。その間に、東北本線が復旧すれば嬉しいのだが…1時間の休憩を挟んで都合6時間弱、清掃作業に従事する。工場の壁面をひたすら拭き掃除。手が届く範囲で高い個所も低い個所も満遍なく拭いたからスクワットしているのと同じような状態であり、作業終了時には両脚がパンパンになった。震災翌日に仙台から桑折まで歩いた時以上の疲労感が残った。帰途はバスで仙台駅まで。発着する列車は、JRでは東北本線の仙台~岩切間と仙石線のあおば通~小鶴新田間、あと地下鉄の台原~富沢間のみであるが、その割には構内を歩く客は多いような気がした。駅ビルもまた営業していた。ただし11時から18時までの短縮営業であり、特に食料品を扱うテナントでは商品の1、2割程度しか品物が並べられていなかった。震災の傷跡は未だ深いものがあると感じる。広瀬通のバスターミナルまで歩く。仙台駅北側にある(必需品を販売している訳ではない)パルコが開店していたのには驚かされたが、個人経営の飲食店を別にすれば、まだまだ休業中の店が多いようだ。意外に全国チェーンの飲食店が弱い。震災直後の無残な様相を晒しながら長期休業を余儀なくされている店舗が複数あった。17時55分発のバスに乗り、福島へと向かう。仕事帰りの時間帯だからか、この便も補助席まで満員であった。日がとっぷりと暮れ、暗闇の中を南下する。菅生や国見の休憩施設の灯りだけが、妙に眩しく感じた。19時過ぎに福島駅東口に到着。ここから桑折方面へは路線バスで帰ることになる。次の便は19時40分発の藤田行。1時間に1本程度の便数は確保されているようだ。地方のバスにしてはそんなに悪くないダイヤである。待ち時間の間、福島駅の駅舎内をぶらついてみる。この駅を発着するJRの路線は山形新幹線・奥羽本線のみ復旧しており、電光掲示板もその部分だけが稼働している。淋しい風景だ。駅構内で、暇つぶしにパンフレットを読んでみた。地元のものではなく、「旬巡り わくわく体感 水俣・芦北」というもの。どうしてはるばる南方の熊本県のパンフレットがこんな所にあるのか一瞬悩んだが、そう言えば3月12日に九州新幹線が全線開業したんだっけと思い出す。震災の影響もあり、すっかり忘れていた。九州新幹線は、水俣市内にある新水俣駅にも停車する。水俣と言えば私のようなかの地とは無縁の人間にとっては「水俣病」ぐらいしか連想できない。そのことは水俣の方々も強く認識されているだろうし、そこからの脱却、復活にむけて、日々努力されていると思う。パンフレットからは、太刀魚など不知火海の海の幸や、あしきた牛、デコポンといった農産物、湯の児(ゆのこ)、鶴の湯の温泉などがふんだんに紹介され「水俣・芦北は豊かな地域なんだぞ」と強く主張しているように感じられた。水俣病が公式に確認されてから、既に半世紀以上が経過している。が、市民の努力に水を差すようで申し訳ないのだが、「水俣=水俣病」のイメージは、未だ払拭し切れているとは言えないようにも思う。しかも世界的規模で。そう考えると、背筋に寒気が走る。今回の大震災でついてしまった「福島県=原発事故」のイメージ。恐らく、我々の子孫の代まで十字架を背負わせることになるのだろう。彼らに罪は全くないというのに…
2011.04.01
コメント(2)
全42件 (42件中 1-42件目)
1


