全31件 (31件中 1-31件目)
1
♪ バイ菌の入りて撹乱起すれば真夜に高熱悪夢のひと夜 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 真夜中の急な発熱に、昨夜は苦しくて四転八倒した。この歳になると九度近い熱は本当にしんどい。 医者へ行くと何らかのバイ菌が入ったらしいとしか分からない。今流行っている夏風邪とは違うらしい。 初め悪寒があり、窓を閉めてタオルケットにくるまったかと思うと、今度は暑くなって扇風機を掛ける。下半身が異常にだるく、腰から下が抜けるような苦しさ。それは出産の時の感じに似ていると妻がいう。 朝になっても熱は下がらず、この猛暑の中で床に伏せるはめとなる。 医者で、点滴受け抗生物質と解熱剤の飲み薬を処方されて帰って来た。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.31
コメント(5)

♪ 厳しかる時しのぎ来し様々なフィナーレありて夏過ぎゆきぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ どまつり(にっぽんど真ん中祭り)が28日・29日名古屋で開催され、総合賞の各チームが決定しました。 24時間テレビでは、「はるな愛」が24時間マラソン(85キロ)を走りぬき、無事時間内にゴールインしました。 この夏最後の日曜日、各地で最後を締めくくる様な様々な行事・大会が行われた模様です。 猛暑の中、苦しい練習に耐えて頑張って来た後の、最後の大舞台。 それぞれが力を出し切っての事でしょうから、結果はどうあれ参加者は充実の夏を過ごす事が出来て大いに満足している事でしょう。 高速道路も夏休み最後の”駆け込み行楽”でかなり渋滞したようですね。 私はというと、犬山の古刹で行われた一風変わったコンサートに行って来ました。場所は、1,270年の歴史を歩む犬山市最古の真言宗寺院・薬師寺です。背景に私の制作した衝立を並べ、舞台の演出に一役買いました。 住職のシンセサイザーの演奏あり、筑前琵琶、シンセドラムス、フルート、尺八、ギターにヴァイオリン、モダンダンスまでが登場して舞台狭しと踊りまくる。 全体の構成は、悠久の時の流れが自然の移ろいと人の営みのなかで展開していくという大きなテーマのなかで進んでいく。 住職のシンセは定評があり、自身の語りを入れながら全体を引っ張って行く姿は当寺院の名物でもある。大太鼓や銅鑼も交えての総合指揮に面目躍如の1時間だった。 構成だけ決まっていて、あとはそれぞれのメンバに委ねてほぼぶっつけ本番で進められたようで、打ち合わせ不足の感は否めなかったのが少し残念ではあった。 最後に登場したのが、何と、あのロカビリー歌手の「ミッキー・カーチス」だ。今年72歳となるというが声もよく出るし、こなれている歌はやっぱり上手い。 エルビスのナンバーありカントリーナンバーあり、またスタンダードナンバーありで、往年のロカビリーファンのみならず大いに楽しませてくれた1時間だった。本堂の祭壇の前でロカビリーを歌うミッキー ブルースハーモニカ(ブルースハープ)も自在に操りながらギター一本の伴奏で熱唱。お寺というおよそカントリーとは似つかわしくない場所での演奏にもかかわらず、自分の世界へグイグイ引き込んでいくのは流石だ。 決して手を抜いたりしゃべりで誤魔化すような事もなく、自分の為すべき事をわきまえた気持ちのいい舞台だった。 司会の「せんだみつお」も歌に参加し、多才なところを披露。話芸と共に大いに会場を沸かせてくれた。左端がせんだみつお 同じフロア(ここは畳だたが)で真近に聴けるのがお寺の本堂でのライブのいいところ。住職の岩田氏は、同門の若手育成の指導や、留学生のホームステイを受け入れたり、音楽を通してお寺を開放して庶民との交流をはかるなど、様々な方面で精力的に活動している。 当院の宗派である真言宗・豊山派の総本山の長谷寺で、青少年のための夏の合同合宿に参加し、記録ビデオの制作に参加した事が懐かしい。 本坊に寝泊まりし、修行僧と同じ時間に起床し、一日中ある様々な行事を逐一撮影する一週間。 何事にも代えがたい、貴重な体験が出来て良い思い出にもなっている。 梵字のタペストリーやステージ衣装を制作させていただいたり、このお寺とは何か因縁深いものを感じています。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.30
コメント(0)

♪ 交代の儀式に両者眼をそらし車掌乗務は引き継がれたり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 名鉄・神宮前駅でのこと。 ここで乗務員が交代することが多く、眼の前で行われる簡単な交代の儀式を見る事がある。電車が到着し、外で待機していた次の車掌が外側からドアを開け、降りて来た前任者と向き合って敬礼をする。 交代して降りた方が外からドアを閉めてその簡単な受け継ぎの儀式は終わる。 その時、何故かどちらも相手の顔をまともに見ず、目線を合わそうとしない。二度あった交代式の二度ともそうだった。 一度目の時は、敬礼すらせず顔を合わせる素振りも見せず、降りた車掌はさっさと行ってしまった。名鉄2000系電車 空港特急「ミュースカイ」 何か不自然で、あまりいい印象を受けない。 単に儀式化して本来の意味が形骸化の中に消えかかっている。この異常気象のせいで、人の心の歯車も狂ってしまっているのか。人命を預かる仕事には有って欲しくない惰性的任務。 車掌がこうだと運転手の方も心配になって来る。 どこかの地下鉄で停まるべき駅で停まらず、車掌が緊急ブレーキを掛けて大きくオーバーランして停まったというニュースもあったばかりだ。 国際空港線を担う重要な交通機関である事を肝に銘じて、気を引き締めて任務に当たって欲しいものです。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.29
コメント(2)

♪ 金麦もはや三缶となてまだ暮れやらずいる残暑というやつ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 水やお茶はそうたくさんは飲めるもんじゃない。 そこへいくと発泡飲料というのはのど越しがよくて、そのサッパリした味が幾らでも後を引く。 金麦は24缶入りの箱買いで、安いところでは2480円で買える。一缶がほぼ百円だ。これは優れた飲み物だ。ググッと一缶飲んでしまうともう止まらない。まだ日の高いうちに飲むんだからその味は格別だ。 今週もず~っと35℃の日が続くとのこと。最低気温だって26~7℃あるようだ。残暑というには桁違いの厳しさだ。 身体がもたない。否、心がもたない。 しゃべる元気も無くなって、犬小屋の犬のようにただだまりこくだけ。 息子が釣りの行ってボーズだった代わりに、水辺に生えている草を採って来た。 如何にも涼しそうなので、早速手持ちのガラスの大皿に水を張って活けてみた。玄関が少し涼しくなったような気がした。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.28
コメント(2)

♪ 新鮮でさわやか味のドレッシングはや分離して二層となりぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ まったく!!民主党はなっとらん。 国の事、国民の事よりも自分たちの事にしか関心が無いかのようだ。 この大変な時によくもまあ党首選などやっていられるもんだ。それも政治資金規正法違反の嫌疑も晴れず、今後どうなって行くか分からない人が首相候補だ。 東京第5検察審査会が再度「起訴相当」の議決をしても、首相本人が同意しなければ憲法75条の規定で起訴されないという点が念頭にあるとみられている。 こんなバカな事が本当だとしたら、日本は民主国家とは言えない。 小沢氏は出馬を決意するにあたり、側近に「菅政権の存続は国益に反する」と語った。この側近は「代表選で負けても、政界再編で勝てばいい。敵、味方を仕分けする」と小沢氏の胸中をそんたくしてみせたという。 小沢一郎は民主、自民両党を分裂させたうえでの政界再編を政治家生活最後の大仕事と考え、新党立ち上げを目論んでいるような様子があるようだ。 またまた裏工作の本領発揮で、主体性のない政治屋たちを牛耳って、政治活動という”お遊び”を始めるのだ。 首相には全く向いていないこの人が首相になどなっては、この国はもう終わりだ。国の運営なんて”絶対”に出来ない。 その辺の事は本人が一番よく知っているようで、過去に「自分のやりたい政治を実現するためには、むしろ総理にならない方がいい」とまで言い切っている。 首相になっても直ぐに後継に座を譲り、再び裏方に回って政界を引っかきまわすのは眼に見えている。 対外的に、日本は完全にダメ国家の烙印を押されかけている。 経済でも二流になり、政治は三流という情けないただの”極東の幼稚な島国”に成り下がりつつある。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.27
コメント(6)

♪ ひっそりと夏は去りゆくものならず蟋蟀の声いと恋しかり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「ひっそりと夏は去った」というフレーズが印象に残っている映画がある。 静かに静かに進行していく難解な映画で、物悲しい感じのこのフレーズで始まる詩が映し出される。 映画のタイトルは「ストーカー」 1979年のソビエト映画。ストルガツキー兄弟による小説『路傍のピクニック』を原作とし、アンドレイ・タルコフスキーが監督した作品。 映像が不思議に印象に残る映画だった。大昔に観た映画なので内容はほとんど覚えていないが、この詩が気になっていてノートにメモしてあった。 ひっそりと夏は去った 暖かいというだけでは 淋しい 楽しい夢が叶えられるとしても ただそれだけでは 淋しい 善も悪も明るく燃え上がる ただそれだけでは 淋しい 生は私をやさしく包んでくれる 幸せというだけでは 淋しい 葉は焼かれず枝も折られないで さわやかというだけでは 淋しい 詩の作者はアルセニー・タルコフスキーで、タルコフスキー監督の父親。 ある地域で“何か”(隕石が墜落したとも言われる)が起こり、住民が多数犠牲になり、政府はそこを「ゾーン」と呼んで立ち入り禁止にした。しかし、ゾーンには願いが叶うという「部屋」があると噂され、厳重な警備をかいくぐって希望者を「ゾーン」に案内する「ストーカー」と呼ばれる人々がいた。 ある日、ストーカーの元に「科学者」と「作家」と名乗る二人の男性が、その「部屋」に連れて行ってくれと依頼する。だが、命がけで「ゾーン」に入った後も、予想のつかない謎の現象(乾燥室、肉挽き機)で命を落とす危険が待っている。その道行きの中、「ゾーン」とは何か、「部屋」とは何か、信仰とは何かを 3人は論じ合う。 ウィキペディアより 今、もう一度見なくてはならないという気になっている。★ それにしても、例年なら虫の声が聞こえてくる時期なのに、蟋蟀の声さえ聞こえない。今年は虫の声も聞かずに済んでしまうかもしれない。 夏が長く、冬が早いという長期予報が発表された。秋が短く、一番良い季節が極端に少ないという最悪の予報だ。 この天候異変は、後々にも様々な影響を及ぼすだろうことが危惧される。 円も上がって、株価は暴落。民社党は分裂の一歩手前。 この先、日本はどうなってしまうんだろう?「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.26
コメント(2)

♪ 数独を解きて心を放ちゆく暑さの中に溶け込んじまえ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 何事も抵抗すれば軋轢が生まれる。抗うのではなく一体となることで、心は解放される。 例えばハードロック。 喧しいと思ってしまえばそれまでだが、心を開放してその音の渦に身を任せると、それが忽ち快感へと代わる。 暑さだって同じこと。暑い暑いと嫌がっていれば細胞もそのように反応して、益々耐えられないものになって行く。 世の中、多種多様で自分と波長が合わないものが多々ある。 その嫌いかも知れない諸々に、一々拒否反応を示していては身が持たない。そういうものでも心の持ちようでずいぶん印象は変わって来るものです。 心の受容体(レセプター)を開放して容認してしまえば、それはもはや排除すべき存在ではなくなるんですね。その存在を認めて、取りこんでしまうんです。 下手をすると自家中毒的な拒否反応が出るかも知れないが、その時点で中止すればいい事です。 小さな事でカリカリしている人は、この受容体の容量を大きくなるように努力するといい。それには「受け入れる心がけ」という訓練を、意識して積み重ねていくのがいいでしょう。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言って信長に焼かれていった僧侶。これは究極の話ですが、何かに集中している時はあまり苦痛を感じないというのは確かですね。 好きな事を一所懸命やっている時は、空腹も暑さも寒さも忘れ、まさに至福の状態にいます。 これはレセプターを開放するのとは正反対の、一切の情報から遮断されている状態ですが、これもまた心を開放している時と同じ快感をもたらすんですね。 「心を開放すること」と「心を集中すること」の両方が、脳内ホルモンを分泌させるのに一番良いことなんだと分かります。★< 数独 >タテヨコすべてに1~9の数字を一度だけ使って埋めるというもの。(9つの四角にも1~9の数字が一度づつ入ります。)最近は電車の中でやっている人も見かけますね。 これはそんなに難しくないので、暇な人はチャレンジしてみて下さい。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.25
コメント(2)
♪ さ夜更けて赤くただれしその星ゆ逃げておいでと月の呼ぶ声 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜中になっても熱の冷めないこの星から脱出したいと思う。熱帯地方並みの蒸し暑い夜が続き、何もかもがぐったりして生気を失っている。 蝉も何時もより静かだし、他の虫も少ない。蚊だって例年の半分ぐらいの印象だ。 犬は小屋の中で死んだように身動きせず、生まれたメダカの稚魚も全滅した。 扇風機も使わず、有るのにクーラーも使わずに熱中症で亡くなる高齢者が多々あって問題になっています。風は身体に悪い、クーラーは体に毒だという固定観念が、それらを使う事を躊躇させているという。 昔なら十分耐えられる暑さだったのが、ここ10年ほどの異常な高温に今までの常識が通用しなくなっている。 過去にも暑い年はあったがのに、今年の熱中症の発症数は異常に多い。湿度が高く、高温状態が長く続く事が原因と考えられる。 その影響は野菜や果物に影響を及ぼして、大変なことになっているようです。魚(さんま)も水温が高いために漁獲量が極端に少なく、高級魚並みの値段になっています。 老人はクーラーが無いと絶対に生き延びられない国になりつつあるようだ。 気温・体温の変化に鈍感で、対応能力も無くなっているのに本人にその自覚が無いのだから回りのサポートが必要だ。 それが独り暮らしとなると、誰にも知られないままに最悪の結果を迎える事となる。 部屋を閉め切って、下着を重ね着して亡くなった老人は、「もしかして、”未必の故意による自死”だったのかも知れない」などと不謹慎な事を思えるたりするのが悲しい。 ”行政が、暗黙のうちにその手助けをしている”という、映画を見ているような幻想が、脳裏をかすめる。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.24
コメント(2)

♪ 夕立のなくて何せむ猛暑日やクールジャズなど聴いてみたりぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 暑い時はそれに逆らってもしょうがないので、いっそもっと暑くして乗り越えようじゃないの。 猛暑の国のインドでカレーを食べるがごとくに、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(レッチリ)を大音量で聴くとかしたい。 しかし残念だが音源を持ってない。 それじゃってことで好みのジャンルのJAZZということになる。 どうせ聴くなら、その呼称にあやかってクールジャズでも掛けてやろう。 ビ・バップのホットな演奏とは違って、洗練された知的でクールなスタイルはスパイシーな熱い演奏の対極にある。 これはこれでいかにも涼を演出してくれそうじゃないですか。 大好きなリー・コニッツなんか聴いていると暫しの間、そのくそ暑いのを忘れる事が出来るんだ。音楽の力は偉大だねぇ。 リー・コニッツは、40年代末にはマイルス・デイヴィスとも共演し『@クールの誕生』を完成させ、クールジャズというジャズの新しい流れを作り出した。 49年に初リーダー作『サブコンシャス・リー』を録音の後、ソロイストとして各地で積極的な演奏活動を行いますが、大衆にはあまり受け入れられなかったらしい。 “レニー・トリスターノ”の流れをくむ、知的でかつ論理的な演奏が特徴で、”妥協を許さない孤高の人”というあたりがまたいいんです。 何せ最初に買ったジャズのLPがこれだったので、大変思い出深いんです。 マニアックなこれを最初に買ったというのは如何にもジャズ通の様ですが、何も知らずに視聴して、いいと思ったから買っただけなんです。 ジャズに詳しい知人に言わせると、”最初にこれを買ったというのは、なかなかのものだ”というような事を言われましたね。 マイルス・デイヴィスあたりがやり始めたクールジャズ。やたら熱く演奏すればいいってもんじゃない、クールに行こうぜ!って。 うん、やっぱり夏の宵にはピッタリな気がするね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.23
コメント(0)
♪ 油照り猫にシャワーもありとてや共に浴びらむ夕光(かげ)のなか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ カラッと晴れないだけに余計に蒸し暑い昨日今日。湿度は80%ぐらいありそうな感じです。 猫も横になって、ぐったりと死んだように身動きしない。 毛皮の服を脱がせてやりたいがそうもいかないので、今日もシャワーでも浴びせてやるか。 水が嫌いな猫だけに最初は声をあげて嫌がっているが、まんざらでもなさそうな様子がいじらしい。 そういえば、天気予報でいつから湿度について言わなくなったのでしょうか。以前は必ず気温と湿度がセットになって発表していたように記憶しています。 湿度の有る無しで随分体感温度も変わるわけだし、水分補給の目安にもなる。湿度が多ければ発汗した汗が蒸発しにくくなるめ、体温が上がり気味になってしまう。 そのため、湿度が高い時は水分補給を多めにする必要があるからね。 そう思ってネット検索してみたら、日本気象協会の運営する「tenki.jp」のポイント天気予報では、一日の湿度の予想が3時間ごとに出ていました。 因みに、明日(8月23日)の知多市の湿度は、0:00-92% 3:00-96% 6:00-96% 9:00-86% 12:00-74% 15:00-76% 18:00-84% 21:00-90% 最高気温ー34℃ 降水確率ー0 となっています。 夜から朝にかけて96%ですから、そりゃぁ寝苦しいはずですね。日中はさすがに下がりますが、夕方から再び上昇するんですね。 昔は盛んに言っていた不快指数というのも聞かなくなったが、こちらも気象協会の指数情報に詳しく出ていました。それによると、明日(8月23日)愛知県西部の指数は87で、「猛烈な暑さで、屋外にいられない」となっています。 一週間ずう~っとこの状態が続くようです。 計算方法 ・不快指数(DI) = 0.81T + 0.01U(0.99T - 14.3) + 46.3 T :気温(℃) U :相対湿度(%) 不快指数が75を越えると人口の一割が不快になり、80を越えると全員が不快になると言われている。 また、日本人の場合、不快指数が77になると不快に感じる人が出はじめ、85になると93%の人が暑さによる不快を感じると言われている。 この指数情報コーナーにはこんな指数まであります。 通年 * 洗濯 * 服装 * お出かけ * 星空 * 傘 * 紫外線 * 体感 * 洗車 * レジャー 夏季 # 熱中症 # 汗かき # 不快 # 冷房 # アイス # ビール こんなのを調べていたら、汗が吹き出してきました。 この地方の現在は、気温30℃ 湿度80%ですから不快指数は82.9だ。不快に決まってる。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.22
コメント(2)
♪ すぐそこで救急車の音止みにけり手を止めて聞く無音の気配 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 猛暑の今年、救急車の要請も相当数に上った事でしょう。 老人世帯の多い地域では救急車の音を聞くと、ドキッとします。 我が家の回りもその傾向にあるので、ピーポーピーポーの音が直ぐ近くで止まると聞き耳を立ててしまいます。どこなんだろう? 老人のいる家を思いめぐらすことになるのは、昨今の状況からして仕方ないことですね。その後近所で大した話題にもならなかったようなので、幸い大事には至らずに済んだようです。 消防庁によると、今年5月31日-8月15日の11週目までに熱中症で救急搬送された人の数は3万1579人。 集計が始まった一昨年以降のデータを基に、過去3年間の7月の搬送状況を比較すると、熱中症の搬送者数は一昨年1万2747人、昨年5294人、今年1万7680人で、今年は冷夏だった昨年の3倍以上。死亡者数も一昨年の33 人に対し、今年は94人だった。 都道府県別では愛知の2530人がトップで、人口10万人当たりでは新潟の37.01人が最も多かったそうです。 救急車をタクシー代わりに使う人がいるという話には唖然としますが、危険を感じたら遠慮せずに119番して救助をお願いするべきですね。 所ジョージも畑仕事をしていて、手がしびれてきたのでおかしいと気付き、動かない指で何とか119番して助かったとのこと。 くれぐれも熱中症には注意しましょう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.21
コメント(2)

♪ 独創を形と為して独走す確信ありて為せる革新 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ あの掃除機で名を馳せたイギリスの家電メーカー「ダイソン」が、画期的な扇風機を開発した。 もうご存知の方も多いでしょうが、私は最近知って大変驚きました。 かなり遅れてる (;一_一) ! 扇風機のトレードマークである羽根が無い「エアマルチプライアー」というもの。初めてみて、眼から鱗の新世界。 その仕組みは意外とシンプル。 輪っかの土台部分から空気を吸い込み、輪っかの前面からその空気を放出する。放出された空気の流れによって周りの空気も誘導され、吸い込んだ空気の量の15倍(最大で18倍)の空気が前面に押し出されるようになっている。 YouTubu 風船を使ったデモンストレーションなど。 従来の扇風機のように羽根がないため、断片的で不快な風ではなく、スムーズな風を生み出せるという。さらに、子供が羽根で怪我をするという様な事が無く安全に使用でき、手入れも至って簡単だ。 利用者の反応をまとめた動画。 独創性においてピカ一だね。 風を送るのにはファンが絶対必要だと思っていたのを根底から覆し、全く違う発想で風を吹き出して見せた。 あの掃除機の開発アイデアが発想の基になっているだろうことは、想像に難くない。 が・・・・購入者の意見は、押し並べて「う・る・さ・い」 とても寝室などの静かな部屋に置いて、ゆったりとした気分で使えるものじゃないと。 価格も、3万5000円以上するのはいかにも高い。 改良してこなれてくるまでは、一寸買うのを待った方がいいようだ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.20
コメント(0)
♪ 生かされて生かして共に生き来しの星は宇宙を今日も旅ゆく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 生物多様性の根幹が揺らぎ始めている。 世界の野生生物のリスト「レッドリスト」の2009年版が、IUCN(国際自然保護連合)により発表されました。 このリストでは、評価対象となった4万7,677種の野生生物のうち、1万7,291種が絶滅のおそれのある種としてリストアップされました。 評価の対象となった哺乳類のうち21%、両生類の30%、鳥類の12%、爬虫類の28%、淡水魚の37%、植物の70%、昆虫や貝などの無脊椎動物のうち35%が、絶滅の危機にあることを明らかにしました。 爬虫類は、1,677種。このうち、469種が絶滅の危機にあり、22種がすでに絶滅、もしくは野生では絶滅したとみられています。 「世界の爬虫類は、現時点で把握しているよりも、さらに悪い現状に置かれている可能性がある」との意見もあり、爬虫類の評価を行なうためには、さらに200~300万ドルの費用がかかり、現状では資金が不足しており究明には困難も指摘されている。 IUCNのレッドリスト部門のマネージャー、クレイグ・ヒルトン・テイラーは「これらの結果は氷山の一角に過ぎない。われわれはようやく4万7,662種の野生生物の評価を、何とか終えることができただけだ。深刻な脅威にさらされながら、いまだ評価が済んでいない種が何十万といる」と言う。 WWFのサイトより 「WWF」は人と自然が調和して生きられる未来を目指して、約100カ国で活動している環境保護団体です。 月々500円の支援金で環境保全に協力する事が出来ます。 レッドリストの詳細はこちら。 生物多様性の状況 (哺乳類、鳥類、維管植物) ★クリックすると拡大します。 これを見ると、メキシコがずば抜けて生物多様性に優れている事が分かります。 ♪ あの虫もあの植物も思い出のページの中にしかいぬ未来 人間の存在は自然の一員として成り立っているわけで、自然と「共生」しなければ生きてゆく事は出来ません。みんな繋がっている”仲間”なんです。 それなのに、自然の中で最も不自然な存在なのが人間です。 自然に支えられて生きている一哺乳動物の人間が、環境を破壊し、生物多様性を急速に奪っている。これ以上進行させてはまずいですね。 人間という種の存亡にもかかわっているのですから。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.19
コメント(0)

♪ 灼熱に燃え盛りいる溶鉱炉の扉を開けて朝日昇りく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 連日、めちゃくちゃな猛暑が列島を覆っていますが、今朝も早くからその容赦ない姿を現し始めました。am5:30ごろ、障子に映る核融合溶鉱炉の影 この1カ月間で東京23区内で熱中症が原因とみられる死者は100人に達した。そのほとんどが、室内で死亡していたことも明らかになった。年代別では、70代以上が83人にものぼった。 夕方の午後5時から翌朝の午前5時にかけて亡くなったとみられるケースがおよそ4割にのぼったという。 総務省・消防庁によると、この夏に熱中症で病院に搬送された人は、3万人(3万1579人)を突破した。 気象庁の調べでは、日本の年平均地上気温は100年あたり1.07℃の割合で上昇していて、特に1990年以降は高温になる年が多いそうです。 ちなみに世界の年平均地上気温は100年あたり0.67℃の割合で上昇しているので、日本の上昇は相当なものと言えます。 熱中症による死者数は、気象庁の調べによると1968年から2005年までの38年間で5433人にもなる。最も少ない年(1982年)だと26人、最も多い年(1994年)は589人にもなった。 ヨーロッパはというと、2003年が特に酷かったらしい。 早くも3月頃から高温が続いていて、8月に入ると熱波による死者数はフランスで約14802人、イタリアで 3134人、ポルトガルで2106人、イギリスで2045人(WHO世界保健機関調べ)にもなったらしい。今朝は快晴で雲一つない。♪ 寡黙にて明治生まれの堅物の父のごとくに晴れ渡りおり 熱中症の症状が見られた場合、適切な処置を行わないと生命に関わることになってしまいます。熱中症は先ず声を掛けて確認する事が必要。 「熱中症の処置」 意識があるかどうかを確認します。 ◇正常に応えるが、筋肉のけいれんや痛みがある・・・熱けいれんの可能性 ◇受け答えはできるが、めまい、頭痛、大量の汗、皮膚が蒼白、速く弱い脈を確認・・・熱疲労の可能性 ◇正常な受け答えができず、意識消失、発汗停止、皮膚が赤い、高体温、早く強い脈を確認・・・熱射病の可能性 上記の症状に対する、応急処置は以下の通りです。 ◆熱けいれん * 0.1~0.2%のナトリウムを含んだミネラルウォーターで水分補給 * 風通しのよい涼しい日陰に運び、ストレッチを施す ◆熱疲労 * 風通しのよい涼しい日陰に運ぶ * 顔が青白い場合は足を高くする * 着衣をゆるめ、冷水をかけ、風を送る * アイスパックなどで、首、脇の下、足の付け根を冷やす * 可能なら水分を補給する * 回復が困難な場合、医療機関へ ◆熱射病 * 救急車を手配 * 呼吸と脈拍を確認。ある場合は熱疲労と同じように涼しい日陰に移動させ、体を冷やす。ない場合は人工呼吸と心肺蘇生法を救急車の到着まで繰り返す とにかく小まめな水分補給と塩分の補給が肝要です。 塩分は水分の吸収を補い保水の役目もする。 水分補給だけでは汗と共に失われた塩分を補えず、ますます塩分濃度が低くなってしまう。体温の調節機能が壊れ(体温は著しく上昇する)、水分を補給しても追い付かなくなってしまうんだね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.18
コメント(0)

♪ 蜂の巣の未だ大きくならざりぬ あのラニーニャの戯(ざ)れが始まる ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本列島は16日も勢力の強い太平洋高気圧に覆われ、関東地方を中心に厳しい暑さとなった。 台風4号の影響で弱まっていた太平洋高気圧の日本付近への張り出しが強まり、今年3回目の暑さのピークとなっている。 ロシアや米国でも異常気象による熱波で多数の犠牲者が出ているという。 気象庁は7月上旬の米国、最近のロシアのそれぞれ一部地域は「異常気象」とする。原因とみるのが「偏西風の大きな蛇行」。その背景に昨夏から今春にかけて出ていた「エルニーニョ」がある。海面水温が上がり上昇気流が発生。その空気がインド洋に下降し高気圧の発達を促した。 北半球で偏西風は西から東へ吹くが、今年は南北に波打つように「蛇行」している。偏西風が北上する東側では高気圧が発達して気温が高くなりやすく、南下する東側では低くなりやすい。最近の偏西風の流れと気温I(※実線は偏西風の強いところ。)気温は、地上付近の気温と平年値との差。色が濃いほど差が大きい。 そして、今夏は太平洋赤道域で海面水温が基準値より0.5度以上低くなる「ラニーニャ」現象が発生しているとみられ、全国的に残暑も厳しくなりそうだという。夏に発生すると残暑が厳しくなり、9月にも厳しい暑さが続く事が心配される。 また、冬は冬型の気圧配置を強める働きをするため東日本から沖縄・奄美地方にかけて気温が低くなる傾向があるという。 一般に寒い冬になる事が多く、2005年の秋から’06年の春のラニーニャの時は、寒波と豪雪にみまわれた。日本海の水温が高めだと冷たい風に触れて盛んに蒸発するため、雪雲がいっそう発達しやすくなるのだという。 ♪ 年齢は幾つなのかと問いたかる 男(お)の子女(め)の子のいみじ悪戯 エルニーニョ(El Ni?o)とはスペイン語で「男の子」(イエス・キリスト)の意味。 一方、ラニーニャは「アンチエルニーニョ」と呼ばれていたこともあり、「反キリスト者」の意味から男の子の反対で「女の子(La Ni?a)」と呼ばれるようになった。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.17
コメント(0)
♪ 敗戦を終戦と呼びて始まりぬ 戦後や未だ、六十五年 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ お盆と終戦記念日が重なるというのは、全くの偶然とはいえ何か因縁めいたものを感じます。 戦争と言うものは、始めるのは簡単だが終わらせるのが難しい。 国全体が一色に染まって突っ走るようになれば、もはや誰にも止められない。勝ち続けたギャンブルのように、意識は勝利の一文字に占められてそれ以外の感覚が欠落していく。 破滅の道を突き進み始めれば、最後の最後まで行き着かないと終われない。無理だと気づいていても止められないのが恐ろしいところ。 有り金全部使い果たして、それでも息がある内は起死回生の大逆転を夢見て平気で借金をするような精神錯乱状態。これが国家単位で起こった。 日清・日露戦争の勝利以降、軍部が実権を握って身に着けたギャンブル癖で、侵略し続けていった末の太平洋戦争。 人の命など全く眼中にないゆえに、何十万人死のうが大して気にもならなかった。 降伏の勧告さえ受け入れず、それまでの損失を考えれば今更後には引けないという典型的な末期的症状の中で落とされた原爆二つ。 これがなかったら一体どうなっていたのか。 竹槍で迎え撃とうと本気で考えていたとは思えないが、いっそそのまま壊滅してもいいと思っていたとしたら・・・♪ 日本のいちばん長い日の明けて雲なき空に玉音流る 「日本のいちばん長い日」とは、昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から、国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を指す。 1967年に公開された日本映画。 大宅壮一の名で発表されたノンフィクション『日本のいちばん長い日』を東宝の35周年記念作品として映画化した。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.16
コメント(0)

♪ 発射音そして炸裂までの間の刹那に巡るうたかたの夢 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 隣の東海市の花火大会を観に行った。真近で花火を見るのは本当に久しぶりだ。 腹の底に”ずん”と来る炸裂音が、その醍醐味をいっそう引き立てる。 しゅぱーんという発射音の後、しゅるしゅるしゅるという音を上げながら上って行く。間があるという事は高く上がっている証拠で、きっと大きい奴に違いない。 そして、ドゥヴァーンと炸裂するまでのわずかな間が、なんとも言えずワクワクする。見上げる真っ暗な空間に、夢を見ている瞬間だ。樹々の間から眺める花火も悪くない。 常滑市の花火を、競艇場の建物の中から観た事がある。 ガラスで閉ざされているため音が殆ど聞こえず、まるで実感のない絵空事のよう。花火の醍醐味が全く伝わって来ない。 音と光の饗宴と言うぐらいで、あの炸裂音は絶対に不可欠のもの。また、距離が遠いとその音が遅れてくるので、これまた迫力が大幅に減衰してしまう。 昔観た小樽の「潮まつり」での花火の強烈な印象は、1970年の大昔の事ながら今でも消えることなく身体に焼き付いている。 公園で観る花火は、かなりの近距離で上げられていてほぼ真上に上がった印象がある。その音たるや大好きな雷の落ちたのに似て、腹の底をぶち抜く様な迫力があった。 今では多分、危険と言う事でそんな近距離で打ち上げてはいないと思うが、どうなんでしょう。♪ 大輪のうつつがゆめと散りゆきぬ白きけむりのかげに消えらむ 夕方に少し雨が降り、湿度90%もあろうかという中で上げられてゆく花火。 無風の空には白煙がそのまま残っているため、折角の色が煙に遮られて鮮明さを欠いていたのが悔やまれた。 いつもながら、お祭りや祭礼などの屋台は昭和そのもの。昔ながらの風情を頑固なまでに保っている。こればかりは現代的なものでは情緒が出ないんだなぁ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.15
コメント(2)

♪ 夏雲やパンツ一丁缶ビール憚りながら日本(にっぽん)男児 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「夕涼みよくぞ男に生まれけり」 宝井其角 これを実感するような生活をしている人は、今では少ないかもしれません。クーラーの普及した現代の生活では、あまりピンとこないでしょうね。「夕涼み」という言葉さえ死後になっている。 我が家ではクーラーがない江戸時代と同じような生活をしているので、この句の実感を毎日味わっています。 昔と違うのは、網戸が入っているし、褌がパンツに替わっり、「金麦」という発泡飲料が飲めるということ。 そうそう、シャワーを忘れては罰が当たる。 これがなかったら、昨今の蒸し風呂の様な連日をやり過ごす事は出来ない。場合によっては1日に3度浴びる事もある。 我が家は男所帯なので、幸い娘らから非難ごうごうというのはなくて済んでいる。そうでなければ、パンツ一丁でウロウロしていれば顰蹙を買う事間違いなしだ。 それでも多分止めないでしょうが・・・・。 そんな事を考えていたら、ふと、褌というものを締めてみたくなった。 おやじの代で完全に姿を消したものと思っていたが、いやいやどっこいまだ生きていた。ネット通販では幾つも店舗があり、女性用まであるという。 お祭りや神事などで使われるだけでなく、生活の中での愛用者が結構いるというので、これは試してみるのも良いかもしれないと・・・。 パンツのようにゴムを使わず、高温多湿の日本の気候には理にかなっている。 虚飾性を排し、単純な一枚の布で全ての機能が完結する「潔さ」が、日本人古来の「美意識」と共通するものがあり、古典的な理想の男子像にも例えられたりする。 下帯、締込みの他に、クラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれ、医療用の下着であるT字帯も越中褌の一種という。こんなカラフルなものもあるようです 前垂れが陰部をいい具合にホールドし、軽くて清々しい使用感や着脱が容易で布の使用が少ない経済性もある。 ひょっとして、かなりの優れものかもしれないぞ。 懐古趣味ではなく、現代が忘れている大事なものを気づかせてくれるものとして、その本来の価値を再認識するのもいいでしょう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.14
コメント(0)
♪ 年ごとに薄くなりゆく世と人の寿命ばかりが延びゆく不幸 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 年々、人間関係のみならず、全体の価値観や責任感がどんどん薄れていってる気がします。 人情も関係性も薄れ、水よりも濃いはずの血も今やしゃびしゃびの水のようになって来ている。自分の肉親がどうしているか知らないで平気でいられるなんて、ひと昔前では考えられないことです。 薄情という言葉の意味合いが増すばかりの現代社会。寿命ばかりが延びていくというのも何とも皮肉な話です。 日本人の平均寿命は、男性が79.59歳で世界5位、女性が86.44歳で世界一位。男女平均が83歳で断然1位。 男性の平均寿命1位はサンマリノで81歳。 最も平均寿命が短いのはアフガニスタンで40歳。 女性の平均寿命1位は日本で86.44歳。 最も平均寿命が短いのはジンバブエで42歳。 高所得ほど平均寿命が長く、低所得国ほど平均寿命が短いという一般傾向が認められるとか。(WHO加盟国193カ国を対象とした2008年時点のもの。) ♪ つつがなく死なないでいるそれだけで 幸せなんて言えないんじゃない 高齢者の所在不明が続々判明している。100歳以上の不明が分かっているだけで、279人までに上ってきた。90歳以上にすればその数は相当なものになるでしょう。 でも、たとえ4万が死亡していたとしても平均寿命に対する影響は、0.01(歳)程度だそうです。 もっとも、平均寿命は住民基本台帳のデータではなく、五年に一度実施している国勢調査をもとに算出するためほとんど影響がないらしい。 さらに男性では九十八歳以上、女性で百三歳以上の実データは、あいまいなため使っていないという。 平均寿命とは、年齢別の死亡率を算出し、その年に生まれた零歳児が今後何年生きられるかを予測したもの。 平均余命と言った方が分かりやすい。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.13
コメント(4)
♪ こんなことが出来ぬ自分にいら立ちて 筋トレ誓うアラカンとなりて ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ バイクを倒して、それを起こすのに手こずった。たった90ccのバイクなのに簡単に起こせない自分が情けない。 どうにか起こしたものの、無理がたたって腰を痛めてしまった。 気は若いつもりでいても、体力は悲しいほどに落ちている。普段使わない筋力はほとんど無いに等しく、簡単な事が出来なくなっている。 還暦も過ぎれば当然のこととは思うものの、何かが消えていくという事実を認めるのは辛い。体力のみならず、気力も粘りも集中力も、はたまた記憶力も、何もかもが永久凍土が溶け出すように徐々に徐々に減少していく。 ♪ 永久(とわ)ならず凍土溶けゆく。 常ならぬ過去と未来の絶対はざま 脳も筋肉も歳を取ってからでもある程度鍛えられるという僅かな望みに賭けて、筋トレを心に誓う。 公言するのは控えて、密かに密かに実行する方が良いのかも知れない。年寄りの何とかなんて言われないために・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.12
コメント(3)
♪ 緑陰の日ごとわびゆき山の端は一途の夏に翳りをみせむ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ この涼しい雨を経験すると、もうそのまま秋へのページがめくられていくのかと錯覚してしまう。 しかし、実際はそんなに都合のいいようには行かず、明日からはまたあの忌まわしい猛暑と熱帯夜がやってくる。 考えただけでもうんざりする。涼しさを経験した後だけに暑さが余計にこたえる。 ま、そうは言ってもピークは過ぎたので、日ごとに空は高くなりどことなく秋の気配を感じるようになってきている。 ♪ ながれゆく雲の変わりてひさかたの 空にこころを開きゆくなり 今年は少し早めの10日ほど前から、ツクツクボーシが鳴き出している。 子供のころ、ツクツクボーシが鳴きだすと夏休みも終わりに近づいたことを知り、やっていない宿題をあわててやりだしたことを思い出す。 ♪ 何事も終わりのあるを知りし夏 鳴いて悲しきツクツクボーシ「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.11
コメント(2)

♪ 山の辺に雲湧きい出て頂に野草の露にすそぬらしたり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 野辺山の南にあり八ヶ岳の麓にある飯盛山(めしもりやま)に登ってきた。 標高1643mの低い山ではあるが、高山植物の群生が見られるのと八ヶ岳を遠望するに絶好の山ということで、軽登山を十分楽しめた。 有名なニッコウキスゲは時期が遅かったが、他の多様な野草が充分楽しませてくれる。頂上には一体何種類の植物が生えているのか、その多様性に魅せられる。 マツムシソウ、シモツケソウ、ワレモコウ、ツリガネニンジン、ナデシコ、フシグロセンノウ、ウツボグサ、アザミ、ガクアジサイ、クガイソウ、キンバイソウ、ウスコキソウ、ヒヨドリバナ、名前が分かったものだけでもこれだけ確認出来ました。名前の分からないものがまだあります。釣鐘人参などこの画面だけでも4種類の花が・・・草木染めの材料・刈安は伊吹山が有名ですが、ここにもたくさん生えている。八ヶ岳赤石山脈(南アルプス)北岳を望む あの猛暑から逃れようと計画した信州への一泊旅行でしたが生憎の天気。 全国的な雨模様で気温も30度に至らぬ涼しい日々。山の天気も芳しくなく、少々がっかりの二日だった。 それでも晴れ男の面目を保ち降られる事もなく、何とか好きな八ヶ岳の山容も眺める事が出来たのは幸いでした。 ♪ 避暑せむと山訪なわば雨もよい 涼しき風の四方吹きわたり 「国立天文台 野辺山」が直ぐ近くにあるので立ち寄ってみた。 野辺山高原は、標高1,350mで水蒸気が少なく、周りを山で囲まれた平坦な地形であり、寒冷地ながら雪が少ないことなどから宇宙観測に適した場所として選ばれている。 45m電波望遠鏡 電波天文用アンテナで、45mという大きな口径でありながら、鏡面精度は0.1ミリメートルと非常に高精度に調整されてる。 波長が数ミリメートル(周波数は数10GHz)のミリ波では世界最高感度の電波望遠鏡。10m アンテナ 6 基から成るミリ波干渉計 他に、ASTE 望遠鏡、ミリ波干渉計、電波ヘリオグラフ、太陽電波強度偏波計がある。 今年の一般公開日は8月21日で、生憎イベントに参加する事は出来なかったが、世界に誇る宇宙観測基地のあらましを知る事が出来た。 ♪ 悠久に在りて待ちなむ山裾に 移ろいゆける避暑地や侘びし 賑やかだった昔の面影が感じられなくなって、ちょっと侘びしい清里・野辺山周辺。観光地も時代と共に移ろいゆく定めなのか。 今は、何処がそのメッカなのだろうか。 留守番の猫には好物のマタタビのお土産。 案の定、頬摺り寄せてはよだれをたらし、ごろりごろりと横になって戯れていた。さびしがり屋のこの猫も、思いがけない土産に淋しかった一日を忘れて、至福の時を過ごした。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.10
コメント(0)
♪ 四千余の一度限りの負け連ねその例外に優勝のあり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夏の風物詩でもある全国高校野球選手権大会が始まりました。全国の予選を勝ち抜いてきて、甲子園に参加できたのは49校。その陰に3979校の涙があります。 全国大会で5試合を勝ち続けたチームが優勝旗を手にします。それ以外のチームは、予選から本大会の中で、「たった一度の負け」を例外なく経験します。 その「たった一度の負け」を経験することなく、例外中の例外として最後まで戦い続けた「たった一つ」のチーム。予選から本線まで、14試合を連続で勝ち抜いて漸く優勝に辿り着く。 まぐれでは絶対不可能なことですね。 夏に帰るべきところ。そんな意味で、8月の甲子園はすべての野球好きの実家なのかもしれない。と、今朝の朝日新聞の「天声人語」にあった。 野球は高校野球と大学野球しか観ないという野球ファンがいる。 夏休みを返上し朝練を重ねて、青春のすべてを野球に打ち込んできた高校球児たち。ファインプレーを見る度に、どれだけの練習を重ねて来たのか、を思う。 勝ったチームも負けたチームも、その野球に掛ける情熱を随所に見せる真摯な態度は、私の眠っている青春の血を刺激してくれる。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.09
コメント(0)
♪ 里ごころついて懐かしふるさとは気楽でよかったもう帰りたい ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 期待された菅首相もまったくもって期待外れ。 言う事をコロコロ変えて、自分の信念というものが全くない。首相の器ではないのになってしまったこの不幸。 不幸なのは当人ではなく国民の方だ。 能力のない人を上司に持つことほど不幸な事はない。的確な指示もできず、責任逃れに終始して、その結果ツケがみんな末端にいく。 一国のリーダーがこうでは、国民は浮かばれない。 お盆の季節となり、今頃”ふる里の野党は気楽でよかった”と早く戻ってのんびりしたい心持でいるんじゃぁないのか。 早く解散して信を問え。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.07
コメント(2)
♪ 満ちゆかば静まりゆかむ水瓶のただあるままに平らなるべし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 識れば識るほど、人は無口になってゆく。 識るということは知らない事を識ることでもある。そうなれば安易に物は言えなくなるし、知識をひけらかすことも出来なくなる。 やたらと自分を語り、知っている事の有りっ丈を吹聴しないと気が済まない人がいる。自分を認めてもらいたくてうずうずしている。 難しい言葉を使いながら格言や先人の言葉を引用し、自慢げに知識を披歴しては盛んに同意を求めてくる。 相手の言う事に関心はなく、自分の話を押し通すことにのみ情熱を傾けてくる。誰かが言った、どこかに書いてあったことばかりで、自分の意見、自分の見識というものがない。 そういう人の根底にあるのは劣等感。自信がないがために湧いてくる焦りがそうさせる。 認めてもらいたいと思えば思うほどそれは強くなり、たとえ相手が同調してくれたとしても決して満足はできない。 自分に自信がないという状況はそう簡単に凌駕出来ないので、結局は堂々巡りに陥ってしまう。 大甕に水を流し込めば、満ちるほどに静まり返って行く。そして最後にはほとんど音も立てなくなる。満々と湛えた水は、何も求めず、何も語らず、ただ平らに光を放っているだけ。 明鏡止水の境地にはなかなかなれないものですが・・・・。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.07
コメント(0)
♪ 句読点打ちて明日になりゆかむその境目に黙然として ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一日があっという間に過ぎてゆく。 今日一日を無為に過ごして、時間だけが確実に過ぎていく。 西行の歌 ♪ 春風の花を散らすと見る夢はさめても胸の騒ぐなりけり 今日が明日になる頃は、こんな歌が脳裏をよぎる。 はらはらと散る花びらを思い、盛りは過ぎて後は散るだけしかないのだろうか。 西行は、兵法に通じ射術の腕もたった優れた武者で結婚して子供もいたのに、23歳の時突然に出家得度してしまったという。 厳しい修行もする一方で、歌を詠みつづけ歌人としての名を高めた稀有の僧侶。 「山家集」に、仏教の帰依者としてまた抒情詩人として、美意識に富んだすぐれた歌をたくさん残している。 上の歌も、情景が目に浮かび、美しくも儚い思いが湧きあがってきて、いつまでも余韻が残ります。達観した透徹の僧侶にしか出来ない歌の数々。端的でありながら奥深い。 明日はもう立秋だ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.06
コメント(2)
♪ 徒し世に個は孤となりて朝露に消えても人の知らざらぬなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 孤立、孤老、孤食のみならず孤育て(こそだて)なる言葉も生まれる昨近、親子の断絶を物語る信じられないニュースが続く。 本来持っているはずだと思っている親子の絆や情愛と言うものは、教えられないと分からないものなのか。 本能は、確固たるものとして備わっているのではなく、受け継ぐべく方法で伝授されて初めて発揮できるものなのか。 孤独は辛いものですが、本当に孤独を感じるのは相対するものがあってこそ生まれる感情なのかも知れない。 ずっと一人暮らしをしている人にとって、一人でいる事はそんなに苦痛ではない。人は本来孤独なものだから。一人でいても誰かに見守られてさえいれば、生きていける。ただ、存在を否定される事が一番辛い。 愛する対象を持って、初めてそこに生まれる感情が”淋しさ”だと寺山修司は書いた。 木という字を一つ書きました 一本じゃかわいそうだから と思ってもう一本ならべると 林という字になりました 淋しいという字をじっと見ていると 二本の木が なぜ涙ぐんでいるのか よくわかる ほんとに愛しはじめたときにだけ 淋しさが訪れるのです 寺山修司「愛さないの、愛せないの」 愛を知らなければ、本当の孤独の意味も分からないのかもしれない。愛された事が無ければ、愛する事だって出来ない。 愛という概念すらない、不毛の砂漠が広がっている。 居なくなっても誰も知らないという状況は、家族からも世間からも見捨てられて、存在そのものを否定されているのに等しい。 自分の事で精いっぱいなのではなく、自分の事にしか関心が無い。 それは、そういう育ち方をしたからに違いなく、核家族と個人主義、経済優先社会がもたらした弊害の一つでしょう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.05
コメント(2)

♪ 炎天に蝉のなきがら転がりて空蝉は未だ動かざるなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 蝉ほど浮世の儚さを感じさせるものはない。 7年にも及ぶ地中生活から這い出してきて、僅か一週間あまりの”蝉として”の生活。抜け殻がこの世に存在していた証と言わんばかりに、いつまでもその場所に残されている。 蝉となってからは、毎日毎日ただただ狂ったように鳴きつづける。そうして、ほどなくして死んでは、その武骨な死体をさらけ出す。道路にひっくり返って転がっている様は、無残でもあり、不様でもある。 地中から這い出して、不完全変態し、全身全霊で鳴き通してあっという間に死んでいく蝉は、短い期間の割に存在感はピカ一だ。 こんなにも必死で鳴かないと子孫を残す相手が見つからないというのも、何んとも哀れで不思議な話だ。この一週間と言う短い間に、必死で子孫を残すためだけに羽化したようなもの。 ホタルは光で、蝉は声でする集団お見合い。 もし昆虫にモラルがあったら、蝉は騒音防止条例違反で鳴く事を禁止させられるに違いない。他の昆虫にしたって、”あれは無いよな”と思うほどにその鳴き声は際立っている。 ♪ 亡き骸と抜け殻ありて徒(あだ)し世に 鳴いて過ごせし蝉の有終 ・・・有終には憂愁を掛けて・・・ アメリカの北部では、周期セミの中の13年ゼミ(13年周期)の発生周期が来年(2011年)に迫っています。 17年周期の17年ゼミは、再来年(2012年)に当たり、それ以降2021年まで北米のどこかの地域で発生する周期に入る。 来年の夏は、またそのニュースがマスコミで大きく取り上げられるでしょう。 地中から這い出して来た幼虫が道路を埋め尽くし、一気に蝉となって鳴き出すのですから、その鳴き声たるや物凄いでしょうね。 3歳で経験した子供が、二十歳になってその記憶を甦らせるというサイコ映画のネタになりそうな話です。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.04
コメント(0)

♪ 夜に来て喰うカナブンの憎からむ明けて寝込みを襲うべきなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今年は虫が少ないと油断していたら、葡萄の葉っぱが喰われて哀れな姿になってきた。 犯人は分かっている。過去にも奴らと戦った事がある。 そう、その犯人はカナブンだ。 奴らの性質が悪いのは、夜中にやってきて食い荒らすことだ。 夜中喰って満腹となり、それからひと眠りするのか、陽が昇って気温が上がるころになってどこかに飛んで行く。毎日それを繰り返すものだから、日に日に葉っぱが透けていくことになる。 その惨状を見つけた以上放っておくわけにはいかない。下を良く見ると糞もたくさん落ちている。 奴らがまだジッとしている早朝に捕まえるのが一番なので、今朝は5時に起きて捕獲作戦の敢行だ。葉っぱと同じような色をしていて、ちょいと眼には気づかない。が、棒で葉っぱを叩く様にして揺らすと、ポトリポトリと落ちてくる。 たくさんいるかと思ったが、たったの4匹しか捕獲できなかった。いつもなら10匹ぐらいは直ぐに捕まえられるのに、やっぱり今年は少ないようだ。どこでもカナブンには手を焼いているようで・・・これはパパイヤに集まったもの 葡萄が色付くにはもう少し時間がかかるようだが、色んで来ると今度はヒヨドリがやってくる。棚の上に乗って片っぱしから啄んでいく。今年はそれを警戒して袋掛けをしたので、その被害からは避けられるだろう。 一部に袋が掛けられなかったものがあるので、去年味をしめた奴らが今年もと期待して待っている事だろう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.03
コメント(0)
♪ たまさかの出会いに縁(えにし)仕組まれむ世間は狭きものと知るべし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夏休みの自由研究に染色をやりたいとのことで、母親と小6の女の子が我が家に絞り染めの体験に来た。 傍まで来たとケイタイで連絡が入り、迎えに出る。 実家がこちらにあり、帰省のついでに教室に参加したいとのことだった。それで実家がどこかを尋ねれば、いつも集まる飲み会メンバーの画伯の長女だとのこと。 これにはビックリした。 インターネットで検索していて、たまたま実家の近くに染色教室があるのを見つけて応募したのだが、それが偶然、ごく親しい親父さんの知人だったというわけだ。実家に帰って話をしてそれが判明したらしい。 奇遇ですね。 こういう奇遇に遇うと、初めから何かの意図があって運命に仕組まれていたような気がして、縁を感じますね。 悪い事は出来ないね~なんて言いながらやり過ごすわけですが、日常の中のちょっとした非日常は偶の事だけに印象深い。 運命の皮肉、運命のいたずら(the irony fate)なんてことになっても困りますが・・・・。 「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.02
コメント(2)

♪ ソファーには馴染み浅かり日本人 足を外して低くせばなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 我が家にも待望のソファーが入った。 日本人的生活の心地よさは、床や畳に直接座ったり寝ころんだりする、ぐうたら生活が出来ることにある。テーブルと椅子の生活は会社や学校だけで十分で、家では絶対和式でないと芯から休まった気にならない。 高度成長期に文化住宅なるものが盛んに造られ、どの家にも応接室という謎(笑)の部屋が必ずあり、そこには決まって応接セットが入っていた。パパは何でも知っている TVのホームドラマでアメリカ的生活へのあこがれが募り、あのソファーに寛ぐ家庭がなんと神々しかったことか。当時は、洋間を造って応接セットを置くことが、車を持つことと同義語となっていた。 しかし、そのソファーも使い慣れないから座っていても落ち着かず、ソファーの上で胡坐をかいたり横座りするような有様。ついには、ソファーを後ろに押しやって、ソファーを背もたれに使うという末路が待っていた。 今でもその傾向は消えず、ソファーの上に胡坐や横座りしている人も多いのではないでしょうか。現代では和室の無い家が主流となり、洋風の家に和室があることに違和感を感じる人も多い。 それでも床に直に座ったり寝ころんだりする快感は捨てきれず、絨毯を敷くことでそれを楽しんでいる。床暖房までしたりして・・・・。 ところで、体型だって欧米人とは違うし、日本的生活様式と体型に合った家具が日本で造られていないのは何故か。テーブルにしても椅子にしても基準の高さが高すぎる。 我が家では以前使っていたダイニングセットは、テーブルも椅子も自分で足を切って調節して使っていた。 ソファーにしても、未だに日本人の体型と生活様式に合っていないものが多い。 10畳以上のスペースの部屋であれば問題はないが、実際はもっと小さな部屋で使う場合がほとんどでしょう。 ソファーは奥行きが80cm以上あるものがほとんどで、かなり場所を取る。座面も高めで、長く座っていると疲れてくる。だから自然にその上に胡坐をかいたりするようになってしまうのです。 洋間の床に炬燵を置くという和洋折衷の生活スタイルも定着していて、我が家でもずっとそうだ。それで、足の取り外せるタイプを選び冬は足を外してローソファーにして使う予定でいた。 設置して座ってみるとやっぱり座面が少し高い感じがする。 それならと、思い切って足を取り外して使ってみるとこれがいい。非常に落ち着くのである。今まで床に直接座っていたわけだから、床に近いほど自然な感じがするのは当然なのかもしれない。 炬燵にソファーを組み合わせるという、欧米人が見たら何というか、如何にも日本的というべきか、不思議な生活スタイルではある。 冬は炬燵に足を入れて、身体はソファーにというのがどんなものなのか、冬になって見ないと分からない。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.08.01
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1