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♪ 飛ぶように三十日(みそか)重ねて 大晦日 ぜーんぶチャラには出来ぬもがもや ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今日一日で諸々の良くない事など、み~んな忘れてしまいましょう。 ひとり静かに、除夜の鐘など聴きながら座禅など出来れば一番いいんでしょうが、なかなかそうもいきませんね。 昔の人のように、襟を正して新年を迎えるのも悪くない気もします。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.31
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♪ 穴倉に籠りて 一人よこ歩き おろおろ生きし蟹の人生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今朝がたの夢に珍しく同級生が出て来た。 夢から覚めて、つらつらと自分の来し方を考えてみれば、東海の小島の磯の蟹のような人生だった。 仮住まいの様なつもりで買った古家に居座り、清貧を気どっては穴に潜り込み、偏屈のままの横歩きで、家族を養う術もないまま、ろくに脱皮ましないで生きて来た。 あっという間に過ぎ去った今年一年を思い返せば、記すべきものは何もなかったことが淡い筆致で過ぎって行く。 年末だというのに何だがちっともそんな気もしないが、一年を振り返ることでそれなりに歳の暮れを意識させてはくれる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.30
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♪ オリオンの 見下ろす宇宙(そら)に夢の無き 地球はさぞや寒々しかろう ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥どこもかも私利私欲でがんじがらめになっている感のある、昨今の人間社会。個人に限らず人間の関わるところは、すべからく我田引水的自己中心がまかり通る世の中になっている。国連はその機能を充分に発揮できずにいる。 ♪ 考える葦は私欲の泥の中 俺が俺がという声響くカネの正しい使い方が分からない政治家が党利党略私利私欲で、ぐちゃぐちゃにしてしまった国が地球上に溢れている。この国も歳入の倍の予算を組んで、またぞろ借金を積み重ねようとしている。揚げ句の果てに、取れるところから吸い上げる税のために、悪知恵を働かせようと企んでいる。カネが無いカネが無いと散々吹聴して、増税の機会をうかがっているお上は、ピンはねする「やくざ」と変わらない。お上には楯突かない国民性を利用するのだから性質が悪い。選挙で投票する政党が無くなってしまった今、個人はどこでどう民意を伝えたらいいのか。乱世のどさくさに紛れて、金もうけしようと企んでいるのはどこのどいつだ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.29
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♪ 未だ書けぬ 賀状の束を眺めつつ思えば ろくな年じゃなかった ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ♪ またしてもお騒がせする宇宙人 顔がい出らば目をつむりたし ♪ 中国の二つの顔の見え隠れおまえは一体どっちなんだい ♪ スポーツに救われ元気付けられて憂さを晴らした一年のゆく ♪ 職安に長蛇の列や暮もなを仕事を求む人の絶えざり ♪ 貧困は民には有らずこの国の中枢にこそ病巣のあり ♪ 機械さえ愛しきこころ「はやぶさ」に涙流せし飢えたる心 ♪ 粛々と地球は回る紛争の絶えざるままに生々流転「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.28
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♪ あらたまの年に向かいて また一つ 齢(よわい)の記録更新となる ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1月15日生れの自分は、新年を迎えるとすぐにまた一つ歳を重ねることになる。 決して充実した年だったとは言い難い。万人がする自己記録更新という快挙。こんな事でしか果たせないのがちょっと寂しい。 昨夜の全日本フィギュアスケートはまれに見るハイレベルの戦いで、日本の水準の高さと層の厚さを見せていた。こんなに粒が揃ったのも珍しく、選手にとってはライバルが多いのが幸いなのか不幸なのか・・・。 優勝した安藤美姫はまだ23才にも拘らずベテランと呼ばれる。本人はそう呼ばれる事が不本意の様子。小学校の低学年ごろから始めて、14~15年のキャリアからすれば確かに永い間スケートに精進して来たベテランだ。 そんな彼らやアスリート達が自己ベストの結果を出す事の意味は、計り知れないほどの喜びに違いない。すべてを投げうって、一年をこの一つに賭け続けて来たことの意味は大きい。 今の自分にそれほどのものが有るかと言うと、この数年そういう境地から離れてしまっている事に後ろめたさを感じたりもする。70歳になってから新しい事を始める人もいる。60歳なんてまだまだ鼻たれ小僧だと思えば、まだまだやれる気も起って来る。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.27
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♪ じいちゃんと呼ばれる人に ならぬまま おやじのままで年を越えらむ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 我らの同級生は、孫を持つ歳になっても若い頃とちっとも変らない。 団塊の世代最後の我々は、年寄りになることをほとんど信じていない節がある。 若いものに道を譲るなんて発想がそもそも根本にない。 兄弟も多い事から新家を構えているということもあるし、昔のような隠居という概念がないし、世間体を気にすることなく自由な価値観で生きている。 着ているものも若い時とあまり変わらないし、じじ臭いものを避けてさえいる。 Tシャツやトレーナーは勿論、Gパンやスニーカーだって穿くし、息子のジャージのお下がりを着たりもする。 自分は晩婚だったので同年に比べれば子供が比較的若く、未だ結婚すらしていない。当然、孫なんていない。 もし孫が出来たとしても「おじいちゃん」なんて呼ばせないだろう。 私は、サラリーマンではないので定年もなければ退職金もないし、年金も微々たるもの。老後の生活を悠々自適に過ごすなんて、夢のまた夢の話だ。 ”老けこんでなんていられない”というのが厳しい現実でもあるのだ。 ウルマンは「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。」と。 そう、好奇心と向上心をもって前だけ向いて生きて行くしかない。 サムエル・ウルマンは「青春の詩(うた)」を70代で書いたとされる。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.26
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♪ 閉店の知らせに 巡る走馬灯 宿場の跡に木枯らし抜けゆく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ お世話になっている雑貨や「クリエーターズこらぼ」が、来年の2月13日をもって閉店することになったとのメールが届いた。 2003年に絞り染め産地の有松で古民家を改装して始めた店は、多くの作家や手作り愛好家と交流し作品を紹介して来た。 扱うものは小物が中心で、古民家の中は様々な個性的な作品が所狭しと並んでいる。行くたびに新しい作品が登場し、楽しませてくれる。 様々な情報雑誌にも取り上げられ、斜陽の絞り産地に異色の存在として彩りを添えていた。 不況のあおりをもろに受け、時代の流れによる製品離れと重なって、本業の絞り製造・販売の方がおもわしくないという話は聞いていた。 こちらの業績が足かせとなり、小物販売で高い家賃と諸経費を賄って行くことは困難との事なのでしょう。 本当によく頑張っていただけに残念でならない。 二階には展示スペースも有って個展や企画展を展開していたし、手作り教室も幾つか開いて喜ばれていた。 世は、大資本による大型店の氾濫、大企業への優遇税制、円高による下請け泣かせの値引き・締め付け、工場の海外移転による空洞化などで、まともな状態ではなくなってしまった。 政治の貧困と無責任な政治家のために、この国は滅びようとしている。 龍馬のような風雲の志が現れることで、国家の根底から大転換しない事にはどうにもならない。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.25
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♪ 東雲(しののめ)のほがらに夜の明けゆきて 支那へとなびく草木(そうもく) 栄枯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今や中国はあらゆるものを飲み込んで、益々熱くなったマグマを貯め込んでいます。 日本の大企業はこぞって現地法人を設け、生産・営業の拠点にしようとしています。 日系企業2010年11月現在の状況 中国発によると、ぜいたく消費は現在アメリカを抜いて2位なのが、3年後には日本を抜いて、1位になると予測。 今、急速にぜいたく品が中国市場に投入され、中国の消費者を意識した製品がうち出されるようになってきている。 フランスの高級皮革ブランド・エルメスは中国風の味付けをした中国向け新ブランドをうち出した。イタリアの高級車フェラーリは中国伝統の青花磁器をモチーフにしたスポーツカーを売り出した。 西側市場の低迷にともない、ぜいたく品ブランドの多くが中国に照準を合わせてきている。 ここ3年で中国はぜいたく品消費市場の成長が最も早い国となり、西側のぜいたく品生産は中国人の審美眼に焦点を当てて設計されるようになった。 今後5年間で、中国ぜいたく品消費市場はより急速な発展を遂げる見込みだという。 中国は優遇的な融資で自国企業を助けているほか、自らの意図だけで人民元レートを決定していて、とても公平な競争は出来ない。 そう言いつつも、中国を無視する事が出来ない以上中国に進出せざるを得ない状況は、今後も続くと思われる。 かつて華僑は世界中に出て行った。今は黙っていても世界中が中国に向かっている。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.24
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♪ 相見たる錯視の果ての 二世の縁 七年ごとの山越えゆきぬ ◇二世の縁・・・夫婦の縁 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 感性アナリストの黒川伊保子さんは「趣向や体質の変換は7年周期」だと言っています。 随筆家でもある黒川伊保子さんは、民間企業にて14年間に亘り人工知能(AI)の研究に従事した後、(株)感性リサーチを設立。脳機能論とAIの集大成による語感分析法『サブリミナル・インプレッション導出法』を発表し話題に。感性分析の第一人者となる。 「趣向や体質の変換は7年周期」は、人間の骨髄液が入れ替わっていることが原因とも考えられるらしい。骨髄液は生体の免疫システムに密接な関わりがあり、7年サイクルで入れ替わっているのでそういう事が起こるのだという。 この「7年周期」は夫婦関係についても同じことが言えるのだそうです。 一定の刺激に対して、7年で飽きるという特性があり、7年、14年、21年、28年と7年周期で趣味、嗜好、考え方などが変わり、夫婦の関係も形を変えていく。 「7」は「マジカルナンバー・セブン」と言われる不思議な数字で、人間は7つ揃うとやり遂げた気がするし、パッと見て覚えられる数字は7個まで。 転職が多いのも7年目で、離婚するカップルも結婚7年の場合が多いという。nightrainbow 最近の「熟年離婚」も7年周期が深く関わっていて、人間は「7年の周期を4回重ねると、正反対の感性傾向を示す」らしい。 「優しさが好き」だと思って結婚したのに、28年目には「優柔不断さがたまらなく嫌」となっていたり、「男らしくて頼もしい」と思って結婚したのに、「強引さがたまらなく嫌」となったり。配偶者を自分の一部のように感じているのに、いっそうイライラする、というのが結婚28年目の夫婦の、特に妻側に起こる「脳の気分」だと言うのです。 それでも、これも3年くらいするとウソのように収まり、また夫婦は同化していく。この結婚28年目を無事にやり過ごすことが末永い夫婦関係のためにはとても大切だということ。 この28年目の危機は、相性がよく、仲がいい夫婦であればあるほど訪れてくる。遺伝子的に異質なことも作用し、深く愛し合ってきた男女が20年以上かけて同化し、それが28年目にして異質に感じられるようになる。そして、相手を警戒するようになってしまう。 これは、多くの夫婦の場合、感情とは関係なく、脳の警戒機能によってパートナーを異質に感じるようになってしまうからなのだそうです。この時期はお互い干渉せずにやりすごすことが大切で、これを乗り越えれば、さらに深く愛し合う30年目が待っていると。少しづつ離れて眼を細めてみるとあらららら・・・アインシュタインがマリリン・モンローに この「7年で飽きる」という脳のサイクルを「ブレインサイクル」と呼ぶ。長年、研究を続けてきて、このサイクルは「神」と呼ばれるものの一部なのかもしれない…と最近感じるようになった言う。 感性マーケティングを続けるうちに、個人だけでなく、大衆という集団になったときにもこの「7年で飽きる」というサイクルがあるのだとか。 ここ数十年の流行を分析すると、画一企画で直線的なものがもてはやされる「デジタル期」と、グラマラスで独自性の強いものがもてはやされる「アナログ期」が繰り返されていることでも分かるという。 「アナログな気分の脳」は、自然を愛し、個性やばらつきを愛しいと思い、感じることを大切にし、直感で判断したがります。そして自然素材や複雑な形状、紆余曲折あり意外性のある展開や、他者と共感することを心地よく感じます。まさに、現代のトレンドは「アナログ気分」です。 「デジタルな気分の脳」は、合理的で論理的な事象を心地よく感じ、自然よりも都会を好み、シンプルな形状を好みます。そして、誰もが納得するひとつの正解に、最小コスト、最短パスでたどり着くことが好ましく、必然性のある展開が心地よく、他者と競争することを好ましく感じる。 個人でも集団でも、脳が起こす法則に左右されて生きているというのが良く分かりますね。 その脳の為せる本質的な特性を分かっている人が、真の紳士であり淑女なんでしょうね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.23
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♪ 教え子が還暦となりし老画家の 生(あ)れし昭和に わが家建ちけり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 知人の画家は今年喜寿を迎えたそうだ。 大学を卒業してすぐに教職に就き、最初は小学校の先生をしていたらしい。担当した教え子が還暦となったと感慨深か気に話しかけて来た。 幾つの時に画家に転向したのかは聴きもらしていて、詳しい来し方は知らない。そここにガタがきていることを訥々と嘆いて、私の話しにも一々相槌を打って聞いてくれる。 私が還暦を過ぎた事を言えば、随分遠くなった教員時代を思い、体力が落ちるのもむべなるかなという話しになった。昭和のボンネットバス 考えてみれば、この知人の生れた昭和7年ごろにわが家は建てられたのだ。 昭和と共に同じ時代を生きて来たことを思うと、遠くなった昭和という時代が如何にも愛おしく懐かしい思いが湧いてくる。 あと何年この家に住む事になるのか分からないが、自分たち人間と同じぐらいの寿命を生き続けていくこの家に愛着がいや増すばかり。 親切な大工さんのお陰で、様々な材料を破格に提供して頂く事が出来た。そしてそれを基に、自分達の手があちこちに入っている事も愛着の増す由縁となっている。 家も、人間と同じようにちゃんとケアとメンテナンスをして、天災にさえ遭わなければまだまだ生き永らえる事ができるのだ。 今まで、幸いなことに災害には遭わずに来れたが、先の事は分からない。 昭和元年が1925年、それから85年経ったわけですね。 あと15年で100年だ。本当に目まぐるしく変わった昭和時代。 平成になって22年経った事が嘘のように、40歳までを過ごして来た昭和の記憶が生々しい。ボンネットバスの方向指示器 アポロ式と言うんだそうな「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.22
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♪ 猫好きの 身勝手許す寛大は すさぶ心の慰めなるや ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 映画「危険がいっぱい」の挿入曲に使われた「ザ・キャット」。 アラン・ドロンとジェーン・フォンダの密話のシーンで子猫が登場し、そのバックに使われた曲。 サスペンスの陰に猫あり。フランス映画には時々猫が登場する。微妙な心理状況の中で、猫の存在が意味深な雰囲気を醸し出す。 時には凶悪犯の束の間の心を癒す役目ともなる。 アルバム「THE CAT」は、私の大好きなジミー・スミスのハモンド・オルガンと、ブラス・アンサンブルの競演による最高に楽しいアルバムだ。最も脂の乗り切った’64年に録音された彼の代表作。 マイルス・デイビスに八番目の奇跡と言わしめたジミー・スミスの実力が如何なく発揮されている。そのファンキーでドライブ感のあるハモンドと、トランペット6、フレンチ・ホルン4、トロンボーン4、チューバ1というブラスと絶妙のコラボレーションがたまらない。 それまでのオリバー・ネルソンに代わり、ディジー・ガレスピー・コンポ出身のラロ・シフリンが編曲を担当し、スミスの実力を最大限に引き出した名盤になっている。 二曲入っている内の「危険がいっぱいのテーマ」も編曲者ラロ・シフリンの作曲によるもの。 ジミー・スミスは誰もが認めるジャズオルガンの開祖。今なを、ジミー・スミスのコピーを超えるジャズオルガン奏者は見当たらないと言われているほどです。 オルガンという楽器はパイプオルガンにしてもハモンドオルガンにしても、指で鍵盤を抑えている間中音が出ますが、指を離した瞬間に音が途切れてしまいます。そのため、いわゆるレガートで弾く必要があり、常に鍵盤を押さえ続けて弾かなければなりません。 これは指に相当の負担がかかり、やわな手指では腱鞘炎になり、この楽器を縦横に駆使することなど出来ないと言われています。 ピアノから転向したジミーは2年間、昼夜を分かたず血のにじむような猛特訓の末に、ペダルと鍵盤を駆使した彼独特の驚異的な奏法を身に付けました。 ’56年に初リーダー・アルバムを発表し、世間の度肝を抜いた。以来、オルガンの王座に君臨し多くのアルバムを残している。 ご存じない方は、一度YouTubeで聴いてみてください。サイコーにご機嫌になれますよ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.21
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♪ 一日が無事過ぎゆくを 一杯の口実として 今日も過ぎゆく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ なかなか休肝日が作れない。毎日、何かの口実を作っては一杯やる。 昨日は衝立を買って頂いたお祝いに一杯。年末の大掃除の一部、染色場の掃除を入念にしたし、夜は「キムチの本漬け込み」をしたので、それでまた一杯。 一昨日は義兄のPCの間違っていたメール設定をやり直してあげて一杯。 夜には、この時期恒例のキムチの「下漬け」をして一杯。 その前の日は知人から「モヤシの詰め合わせ」を送っていただいたお祝いに一杯。 そのまた前の日はハガキサイズの三面大黒天を染めたものに 落款を刷り込んで一杯。 その前の前の前は頼まれていたシャツの染め替えを苦労して仕上げて一杯。 その前の前の前の前は何だか忘れたけど一杯。 ウォーキングで10キロ歩いて一杯。 風邪ひいて眠り薬として一杯。風邪が治って一杯。 観たDVDが面白くて一杯。 面白くなくても一杯。 ブログの訪問者が多くて一杯。よその猫に擦り寄られて一杯。満月なので一杯。 予報の雨が降らなくて済んで一杯。世話をした庭の花が咲いて一杯。 星がきれいで一杯。ジョウビタキがやって来て一杯。 け躓いて転んで一杯。 飛行機雲を見て一杯。夕焼けが綺麗で一杯。 腕立て伏せが30回出来て一杯。 飲み助にとって、飲む理由は何でもいい。 もうほとんど依存症のようだけど、無いと絶対困るという程じゃない。そこに酒があるから飲む。 「全日本酒飲み音頭」(歌 バラクーダ) ♪酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ(酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 一月は正月で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 二月は豆まきで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 三月はひな祭りで酒が飲めるぞ(酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 四月は花見で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 五月は子供の日で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 六月は田植えで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 七月は七夕で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 八月は熱いから酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 九月は台風で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 十月は運動会で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 十一月は何んでもないけど酒が飲めるぞ(酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) 十二月はドサクサで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ) ♪北海道は毛ガニで酒が飲めんでないかい 酒が飲める飲めんでないかい酒が 飲めんでないかい 秋田はキリタンポで酒がのめる~ぞ 酒が飲める飲める~ぞ酒がのめる~ぞ 山形はサクランボで酒が飲めんだの 酒が飲める飲めんだの酒が飲めんだの 茨城は納豆で酒が飲めっぺよ 酒が飲めっぺ酒が飲めっぺ酒が飲めっぺょ 静岡はお茶と一緒に酒が飲めるズラ 酒が飲める飲めるズラ酒が飲めるズラ 京都は舞子はんと酒が飲めるどす 酒が飲める飲めるどす酒が飲めるどすえ 富山は越中フンドシで 酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ 岡山は吉備団子で酒が飲めるゾナ 酒が飲める飲めるゾナ酒が飲めるゾナ 愛媛は伊予カンで酒が飲めるでの 酒が飲める飲めるでの 酒が飲めるでの 長崎はカステラで酒が飲めるバッテン 酒が飲める飲めるバッテン 酒が飲める バッテン 鹿児島は西郷隆盛と酒が飲めるとよ 酒が飲める飲めるとよ 酒が飲めるとね 沖縄は行った事ないけど酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ 日本全国どこへいっても酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ 酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ カミサンも息子も義父も下戸で、酒の話題は皆無の我が家。 一人で飲んで、一人で浮いて、こんなにいいものの良さが分からない奴らは可哀そうだと、心の奥でつぶやく毎日です。 「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.20
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♪ 松籟に耳を澄ませば聞こえ来る 汝(な)のことづてに こころ開きぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「風の声」 静かに流れる風に耳を澄ますと 何かが聞こえてきます。 透明な光りの中を流れる風には 神霊の無言の詩(うた)が託されています。 澄んだ風の声は 静かに心の中を通り過ぎて 何かを残していきます。 私は、そんな風の声を いつも聴いていたい。 -- kyu -- 風は多くのものを運んできます。風が動けば気も移り変わる。 また、我々は風によって様々な恩恵と影響を受けています。 日本語にはそれが如実に表れていて、風の字を使って精神的な事柄までも表わそうとしています。風は心の風景でもあります。 風土、風流、風光、風物 風味、風俗、風紀、風采、風趣、風雅、風格、風習、風情、風韻 風貌、風刺、風評、風潮、風説、風聞、風体、 ラテン語の 「spiritus」 は神の吸気のことであり、文字どおり英語の吸気 「inspiration」 に当たる。また、風と霊の双方を表す 「anima」 という語源から、魂を表す 「animus」 、息を吹き込むという意味の 「animare」 などの語が生まれ、それが英語の 「animal」 まで来ている。 「息をする spirare 」という語源からは「霊魂 spirit 」「熱望する aspire 」、さらには「霊感、鼓舞 inspiration 」という語が派生している。 ギリシャ人は風と精神をともに 「pneuma」 と呼んだ。 ヘブライ語とアラビア語でも 「ruh」 は息と風の両方を意味する。 「風に真っ向から吹かれると賢くなる」と、ある詩人は行った。 人間にとって、風は「精神」と密接な関係にある事が良く分かりますね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.19
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♪ 今朝もまた どんぶり飯をかき込みぬ 支配者として指揮官として‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「我は吾が魂の支配者であり、我は吾が魂の指揮官なのだ。」 ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「征服されざる者」 活かすも殺すも自分次第。 そして、その全責任を負って生きているのが大人というもの。その自覚が全くないような人間が増えている。 27歳の男がバスの中で包丁を振り回し、女子高校生ら14人にけがをさせるという事件が有ったばかり。「自分の人生を終わりにしたかった。不特定多数の人を包丁で刺したことに、間違いありません。殺すつもりはなかった」と馬鹿な事を言っている。 幼児のまま体だけが大人になった。 「現状に非常に不満を持っていて、もう(人生を)終わりにしてもいいんだけど、1人で寂しく死んでいくのも嫌だ」というわけだ。言語道断だ。 民主党にもその無自覚で幼稚な輩が、己を支配できず律することも出来ないまま、無責任な形だけの政治を取り繕って蠢いている。 マニュフェストをことごとく捨て去って国民を欺いている。 あれもこれも場当たり的な施策で、辺野古への米軍基地建設、法人税の減税、農家への個別保証、子供手当、企業献金、八ッ場ダム、小沢問題などなどまともと思えるものは一つもない。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.18
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♪ 凍て染めし夜のしじまに、 饒舌の星のまたたき。 捨てたもんじゃない。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ どんなに地球が汚れようが、どんなに政治が疲弊しようが、満天の星は何事もなかったように輝きを放っています。 この饒舌な夜を越えれば、必ず朝日に輝く明日がやって来ます。 地球にとっても生きものたちにとっても、初めて迎える一日がやって来ます。 必ずやてくる未知の一日。過ぎ去っていく過去の反対側に、未来という明日が待ち構えている。生きるって、捨てたもんじゃない。 冬は大気も澄んで、寒さが身を引き締め、心身共に研ぎ澄まされる季節です。 「ジェットストリーム」、この懐かしいフレーズ。 朝型にシフトしてからは聞く事も無くなって久しい、午前零時のFM番組。 今は亡き初代の「城達也」の声が、今でも耳に蘇ってきます。 特に海外旅行をして夜間飛行を経験すると、より一層このフレーズが身近に感じられ郷愁をそそります。 「遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、 はるか雲海の上を 音もなく流れ去る気流は、 たゆみない宇宙の営みを告げています。 満点の星をいただく、はてしない光の海を ゆたかに流れゆく風に心を開けば、 きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂(しじま)の、 なんと饒舌なことでしょうか。 光と影の境に消えていった はるかな地平線も 瞼に浮かんでまいります。 日本航空があなたにお送りする音楽の定期便 ジェットストリーム。 皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは私、 城達也です。」「信州自慢の水と空」より 御嶽山の夜明け 瞬く星を眺めながら、夜という一日のフィナーレで過去をリセットする。 そうして迎えた今日一日。楽しく愉快に過ごせたらどんなにかいいでしょう。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.17
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♪ 情報に絡めとられて 雪だるま 便利の原を彷徨っている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 携帯でのやり取りに疲れ果てている若者たち。 恋人との交信に「束縛されてウザイ」と聞き、そう思われたくなくて、頼まれた時以外は電話もメールもしない。 そんな思いを誰かに聴いて欲しくて、携帯ブログに愚痴を書く。 前彼に、別れた後になっても交流サイトを見られて「お前、あいつと付き合ってるのかよ」と絡まれる。 「めんどくさい」の一言で片づける言葉の裏に、本音が言えない悩みを抱える。 言いたい事も言えず、「全部誰かに話せたら楽だけど実際そんなことできない」とブログに綴り、その心を吐露することで保とうとする。 便利なはずの携帯が逆に自縄自縛の足かせになっている。 百人二百人のメルアドを登録して、そのやり取りに辟易しながら抜けだせない携帯地獄。 いっそ失くしてしまえばいいものを、孤独になるのが怖い。無視されるのが怖い。 非常に浅い関係で、その浅さを数で補っている感じ。 他人という存在からしか自分を確認できないことが、その悲劇を生んでいるようだ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.16
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♪ 列島を表裏に分かち 襲いくる 北の夷人の縦じまの服 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 北の大陸から、いよいよ本格的な寒さがやって来るようです。 これから春まで日本列島は、裏日本と表日本に色分けされて明と暗の二重構造と相成ります。 西高東低の気圧配置が顕著となって、天気予報の画面に北の夷人の襲来を思う。連日、あの縦じまの模様が日本列島を覆い、北海道には渦まで巻いていよいよ憎らしくなってくる。 ナポレオン軍を敗退させた冬将軍が、裏日本の人々を白い凶器で苦しめる。 今年の冬は厳しい予測が出ていました。あまり酷い大雪は遠慮してもらいたいものですね。 雪を思うと「白い恐怖」という映画を思い出します。 医師の白衣、白いテーブルクロスの筋、雪の上の橇の跡。フロイトの精神分析に基づく夢の分析、サルバトーレ・ダリ監修のシュールな映像。 長くのびた影、無限の距離感、あらゆる線がおどろくべき遠近法に収斂されて見事な空間をつくりだしている構図、形のない顔・・・・・。 悪夢のシーンにダリの美術を使った理由をヒッチコックは、視覚的にシャープで明晰なイメージ―それも映画そのものよりもシャープで明晰なイメージ―がほしかったから・・・と。 物理的に真犯人を追いかけるのではなくて、主人公の心と深層心理の中に事件の真相を追い求めるという、ヒッチコックならではのサスペンス映画。 白黒映画ならではの陰鬱で奇怪な、それでいて印象に残る映画でした。 好きなイングリッド・バーグマンが出ていることで、私のベスト20に入る映画です。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.15
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♪ 不易なる法(のり)と出会いて 流行の究極の音 一期に弾けり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜は、とても珍しいとてもエキサイティングなものを鑑賞できて、一期一会の醍醐味を味わった。 お寺でフリージャズと聞いて、そのミスマッチな企画に驚くとともに、昔聴いた小山彰太の率いるトリオが出ると言うので、物は試しとばかりに犬山の薬師寺へ。 これがなかなか面白かった。同宗派の青年会のメンバーも参加して、声明あり大太鼓衆の披露あり、理趣経の唱読あり散華あり、大般若転読あり、の盛り沢山な趣向。 単独で、あるいはそれぞれとフリージャズとのコラボレーション。 変えてはいけない伝統と教義の世界と、変わるべく変化していくジャズの世界。 せめぎ合い絡み合い、一期の刹那を共有しながら作り上げていく、偶然と確信の綯い混ぜとなった音の時空間。 観る側も巻き込んでの緊迫のひと時は、魂を解放すると同時に本堂に渦巻く音が脳を揺さぶって、得も言われぬ心地よさがあった。客席に入っての散華大般若転読 すべてが初の試みばかり。 声明も大般若転読も本来は正面のご本尊に向かって奉納するものだけど、今回はお客さんに向かって行うという型破りな形式がとられた。 声明とサックスの融合、大般若転読とのフリージャズの響演。ヴァイオリンのフリージャズというのを初めて聴いたが、他の楽器に負けず劣らずいい競演となっていた。 最後は大太鼓も加わって「般若心経」を観客も加わった全員で唱える大団円。正に不易流行を地で行った、犬山・薬師寺の「お寺でコンサート」でした。 今回の、フリージャズ・トリオ「林栄一(Sax)、國仲勝男(六弦)、小山彰太(Dr)+Azur(Vi)にもう一人ヴァイオリン(イトウカズヒト)が加わっての演奏は、かなり良い出来だったと思う。 実力派の演奏だけに、緊迫感とスピード、密度とバランス、濃厚な音の競演は最後まで飽きさせなかった。 急に決まった話で、打ち合わせも不十分だとご住職が言っていたけれど、そんな不安を感じさせない素晴らしい夜だった。ご住職にとっても将来に向けて、新しい可能性を見いだしたイベントだったのではないだろうか。 身も心も存分に刺激を受け、小雨の降る寒い夜にも拘らずホットな気分で帰って来た。*背景には私の衝立をあしらって、和洋折衷、異分野交流の特異な空間を演出するお手伝いが出来たのは幸いだった。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.14
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♪ 平成のあるいは篤志 引き換えのされぬジャンボの 数多眠りき ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨年の年末ジャンボの当選券で、未だに引き換えられていないものが沢山あるという。 11月15日現在で、一等2億円5本、2等1億円4本、1等の前後賞5千万円25本と、とんでもない数の当たり券がそのままになっているらしい。3等500万円以下も多数残されたままで、1月4日の期限を控えている。 信じられないことだ。 一体どういう事なのか、その事実に想像力が付いていけないでいる。 今年の年末ジャンボは、1等・前後賞合わせて3億円ですが、当せん本数は1等が74本、前後賞が148本。さらに2等の1億円の賞金の当せん本数は370本で、1等と2等の本数を合わせると、444人の億万長者が誕生することになる。 これは昨年の倍以上で、年忘れラッキー賞3万円が7万4000本(74ユニットの場合)もあって、盛んに射幸心をTVで煽っている。 「宝くじは確率を知らない人間から税金を取る最良の方法」だと誰かが言ったそうだ。 今年の発売予定額は2220億円。 宝くじの売り上げを大まかに分類すると、45.6%が当せん者への当せん金、約15%が経費、そして40.2%が収益金となっている。 半分以上をむざむざ盗られているわけだ。 事業仕訳で、協会の役員報酬が多すぎるとして話題になったばかりだ。 収益金は、教育施設、道路、橋りょう、社会福祉施設の建設改修費や国際交流、文化振興、環境の保全に係る事業等の財源として、購入した都道府県と指定都市に、発売額を基準に納付される。 期限を過ぎた宝くじは、同じ様に公共事業に充てられることになる。 宝くじを買うというのは、444人の億万長者ために供託金を払い、役員報酬に貢献し、公共事業に寄付をしている様なものだ。 それでも我々庶民は一縷の望みを持って、なけなしの金で儚い「夢」を買うんですね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.13
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♪ 夕まぐれ 枝垂れし枝のはらほろと さくらは風に身をさらしゆき ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 芽吹いて萌えて爛漫の、 枝垂れし枝に紅の、 花を咲かせし桜花。 葉叢の陰を誇りしの、 やがて色づき身を染めて、 赤黄茶色に黄緑と、 柳の腰のあでやかに。 雨をくぐりて秋風の、 そよろに吹けばはらほろと、 一つ二つと落ちにけり。 散り敷くほどに舞い下りて、 細身をさらし冬空に、 しだれ枝垂れて、静まれり。 今様風に七五調で書いてみました。 「今様」とはそれまでの五七調に対して、「現代風、現代的」という意味で、平安時代中期流行った当時の「現代流行歌」だった。「今様歌」の略。歌詞が、7、5、7、5、7、5、7、5で1コーラスを構成するのが特徴。様々な歌詞が生み出された。 後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』の一部が現代に伝わっている。 遊びをせんとや生(う)まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生(む)まれけむ 遊ぶ子どもの声きけば わが身さへこそゆるがるれ 七五調は、明治時代の文明開化以降に作られた唱歌や寮歌、軍歌を中心に見られ、現在でも校歌に七五調を採用する学校は多い。「鉄道唱歌」や「荒城の月」が七五調が使われているし、演歌などには結構多い。 八代亜紀の「舟唄」や都はるみの「北の宿から」など、韻を踏んだメロディーは覚えやすいし自然に入ってくる。 「北の宿から」 あなた変わりは ないですか 日毎寒さが つのります 着てはもらえぬ セーターを 寒さこらえて 編んでます 女心の 未練でしょう あなた恋しい 北の宿 吹雪まじりに 汽車の音 すすり泣くよに 聞こえます お酒ならべて ただ一人 涙唄など 歌います 女心の 未練でしょう あなた恋しい 北の宿 あなた死んでも いいですか 胸がしんしん 泣いてます 窓にうつして 寝化粧を しても心は 晴れません 女心の 未練でしょう あなた恋しい 北の宿 47抜き(よなぬき=ファとシを抜く)でメロディーを書いて、七五調の歌詞をつければ直ぐにでも演歌が出来上る。 日本語文化って、実に面白い。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.12
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♪ 霧島に雪降るたより。 「あかつき」の惑星となりて、 銀河はめぐりぬ。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「霧島」に先日、初雪が降ったそうです。 鹿児島・宮崎両県にまたがる霧島連山。 「韓国岳」「高千穂峰」に代表される23座の火山群と、標高日本一の山頂火口湖「大浪池」を筆頭とする6つの山頂火口湖を擁し、世界でも珍しい名所としてその名を馳せている。 山紫水明、風光明媚、また温泉の地としても有名。スキー場もある。 また、高千穂峰は「天孫降臨」神話の地として知られ、日本書紀、古事記などの古書にも登場している。神話と融合するはるか太古からの歴史と大自然が、変わらぬままに現存している。 折しも7日、金星探査機「あかつき」の金星周回軌道への投入が失敗した。 あかつきは、逆噴射が短時間で終わったため十分な減速ができず、金星付近を通過して遠ざかったとみられる。 太陽を回る楕円軌道に入り、6年後の最接近時に再度挑戦するという。夢が先延ばしにされた感じ。 金星は、大きさや太陽からの距離が地球に近い惑星と考えられていて「地球の兄弟星」と言われてきた。しかし、実際には高温の二酸化炭素に包まれ、硫酸の雲が浮かぶ地球とはまったく異なる環境なんだそうです。 なぜそうなったのか原因がわかってくれば、地球の誕生や気候変動を解明する手がかりが得られる。つまり地球環境を理解する上で最も重要な探査対象というわけなんですね。2010年5月、金星に向かった「あかつき」が撮影した離れ行く地球の姿♪ とめどなく地球は巡り季も巡る。吾も巡りて星のきらめき。 太陽系は秒速220キロ(時速80万キロ)のスピードで、2億年かけて銀河系の中心を1周している。そして、銀河系自体も秒速600キロ(時速216万キロ)の速さで銀河団の周囲を獅子座の方向に動いているという。 すべてが留まることなく、少しずつ形を変えながら永遠に巡り続けている。 永遠に変わらないものと思っているものでも、知らず知らずのうちに移り変わっていくものなのですね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.11
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♪ 夜の道を 一人占めしてゆく空に GPSの巡りいるらむ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜中の9時過ぎに血糖値を下げるためにウォーキングに出る。 体調が良いので自然に距離が延びて、9キロほどあるコースへ回った。日頃のスクワットの効果を知りたくて、登り坂を走って登る。なかなか快調で4つある登り坂を、久し振りに全部クリアした。 誰ひとりすれ違う人もおらず、夜を独り占めした状態で北風に向かって突き進んでいく気分は最高だった。 空には星がまたたき、その星の間にはGPSが回っている。端末を持っている訳ではないが、そう思うと何だか心強い気もしてくる。 様々なものにGPS機能が付き始めていて、ケイタイは勿論のこと遂にカメラにまで組み込まれた。 ソニーのコンパクトカメラ 「サイバーショット DSC-HX5V」に標準装備されていて、付属ソフト「PMB(Picture Motion Browser)」をインストールしたパソコンに撮影データを投げ込んだ途端、それは驚きへと変わる。 取り込んだ画像を選択し、マップビューにドラッグするとGoogle Earth?上にGPSデータが落し込まれ、撮影画像が地図上にプロットされる。しかもコンパス機能も備えているため、撮影方向も同時に表示されるというもの。 また、ゲームにもGPSを使ったものが登場して話題となっている。 「コロプラ(コロニーな生活☆PLUS)」は、携帯電話のGPS機能を利用した新感覚の携帯コミュニケーションゲーム。 コロプラは、“コロニー”と呼ばれる自分の島を運営していくゲームで、コロニーを発展させるには仮想通貨“プラ”を使って水や食料を手に入れなくてはならない。 この“プラ”の入手にリアルが結びつきく。実際に1km移動すると1プラが獲得できま、毎日の通勤・通学、営業でお客様を回るなどの“いつもの移動”がプラ獲得になる。自分の位置情報を使って様々なグッズをゲットしながら自分の好みの街を作っていくというもの。 また、ゲームにタイアップしているリアル店舗で「レア土産」の買い物すると専用のカードが貰える。旅行会社とタイアップしてリアルな旅行をしながら、ゲームを進めていくという風にどんどん進化していて、2010年4月現在、登録ユーザー数は約100万人以上を誇っている。 今後あらゆる移動するものに、GPS機能は標準装備されるようになるでしょう。 良いことなのか悪いことなのか・・・・・。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.10
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♪ 孤を求め 魂(たま)彷徨える悦楽に 入り浸ってる満員電車 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「iPod」ほど孤独になれる世界はないと言う人がいます。 周りと隔絶した状況を作り出し、自分だけの音の世界に浸っていられるというのは有る意味でとてもいいことなんでしょう。 通勤・通学の鬱陶しい満員電車の中で、そのストレスを少しでも軽減できるというのは幸せなことです。最近は、本を読んでる人よりもケイタイを覗いているか音楽を聴いている人の方が遥かに多い気がします。登校や出勤の前に、脳を緊張から解きほぐしておけるというのは良い事に違いありません。 ウィークデーだけでなくウォーキングやジョギングの間も、車や自転車に乗っている間も聴いているとなると些か気になります。危険だという事の他に、常時、脳の中に音の刺激が与えられつづけている状況は良くないと思うんです。 騒音なんてのは論外ですが、音の無い静かな状況というのも脳は必要としてるんじゃないかと思うんです。脳を休めて、瞑想するような空白の時間が”情緒を養う”のだとしたら、それを無視するわけにはいかないのではないでしょうか。♪ 大衆の中に孤独でありながら耳を塞いでなを孤に浸りをり 生れた時からTVが点いていて、TVに子守りをさせている様な状況が有りました。そんな中では情緒は育たないし、落ち着きのある子供に育つはずがありません。 自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害、注意欠陥・多動性障害などはっきりとした原因は特定されていませんが、幼少期の発育段階でなんらかの影響が関わっていることは想像できます。 愛情不足もあるでしょうが過剰情報もあるんじゃないか。常に何かが鳴り続けている環境。いちじくりん(山元加津子)さん撮影 静かな日だまりで雀のさえずりを聴く、「虎落笛(もがりぶえ)」に冬の寒さを想像する、しんしんと降る雪を思う夜、等などイマジネーションの広がっていくような時間を持つこと。 今、益々少なくなっていく自然との対話の中で、その機会を努力して作らないといけない。 無音の中の”何と饒舌なことか”を知ってこそ、音楽の素晴らしさもいっそう理解できるというものです。 溢れるモノに埋没することに慣れ過ぎて、”空っぽ”を恐れる現代人。 絵画の世界に「空間恐怖症」といわれるものがある。空間を恐れるためにどんどん書き加えていって、空間を埋め尽くしてしまう。そんな状況を想像させる昨今です。 脳は、高齢者になるまでずっと成長をし続けます。その過程で脳の置かれる状況と在り方は、非常に重要なのは言うまでもありませんね。 ★虎落笛(もがりぶえ)・・・冬の烈風が柵・竹垣などに吹きつけて、笛のような音を発するのをいう。冬の季語。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.09
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♪ 待ち伏せを喰らったように 玄関でまくしたてられ 吾は煮凝り ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ しゃべる相手がやっと帰って来たとばかりに、「ただいま」と玄関に入るや否や用件をまくしたてられる。 おいおい、もう少し待ってもいいんじゃないか? 一刻を争うような事かい? 昼飯も食べずに腹ペコで帰って来て、特別に急ぎでもない用件を靴を履いたままの状態で言われても聞く気にもなれない。返す言葉も見つからずただ固まって、「煮凝り」のように”ぷるっ”とするぐらいが精いっぱいだ。 「話を聞かない男、地図が読めない女」によると、女は一日に二万語しゃべらないといけないように出来ているらしい。家にいて消化できなかった残りの言葉を、堰が切れたようにまくしたてるのはごく自然なこと?なのかも知れない。 女の二万語に対して男はたったの七千語でOKだ。 その大部分を外で使い果たして帰って来て、妻の消化話に付き合わされるというわけだ。 何を言っても「うん」とかしか言わない男に、もうしゃべる言葉が残っていないのです。そうでなくてもロクでもない(失礼)話題が多いんだから、男にとっては災難に遭っているようなものだ。 おしゃべりな男も無口な女も世の中には沢山いて、例外と言うのはどこにでも転がっている。 男でも女脳的なのが12%、女では10%が男脳的であるらしい。「明石家さんま」はその例外中の例外だ。 たいがいのお笑いタレントは家に帰ると無口になるのが多いと聞くが、「さんま」だけは違うらしい。四六時中しゃべっているらしく、回遊魚のようにしゃべり続けていないと酸素が取り込めないのかもしれない(笑)。 もしかして、寝ているあいだも口を動かしているんじゃないのかな。 他人の笑いをとれるというのは確かに得なことで、事あるごとに人を笑わせてる話術に長けた人が職場に一人や二人いるもんですね。 私なんか、そんな人にただただ憧れてしまう。 笑いを取って、その場を明るい雰囲気に換える才能のある人って得ですよ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.08
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♪ 屯(たむろ)より をりをり聞こゆ 外国語 冬の夜中に屈託もなく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨今のわが市では夜の9時過ぎに、コンビニ前や交差点角、その辺を歩きながら聞こえてくる話し声に外国語ばかりがやけに目立つようになった。 そのほとんどはラテン系か中国系のもので、大きな声でまくしたてるように話をしているので否応にも目につく。発音や発声が根本的に違い、小さな声で日本語のヒソヒソ話しの様にはしゃべれないのかも知れない。 知多市には人口83,000人余りの市に2000人近くの外国人が住んでいる。日本語が話せない人も多く、そのための日本語教室なども開かれているようです。赤いところが知多市 中部空港の有る常滑市の北にあります青が名古屋市でその南が東海市です 知多市国際ネットワーク協議会(AELU Chita)では、日本を含めて6カ国出身の知多市民のメンバーが集まり、外国籍市民の暮らしを応援する楽しい事業を行っています。また、「Ada-coda」という知多市市民活動センター内にあるカフェとタイアップして、世界の料理シリーズとして、フィリピンやブラジル、インドネシア、ペルー人のシェフが母国の料理を披露したりしています。 名古屋まで急行で30分の距離に位置する田園都市。これからも人口は増え続け、外国人の居住者もますます多くなって行くのでしょう。市の玄関口 朝倉駅前の今年のイルミネーション 今年、知多市は市制40周年を迎えました。3万人で市になれる制度に則り、1970年9月1日、私が放浪している間の出来事でした。出発の日は「町」で帰った時は「市」になっていました。 40年で人口が約2.5倍になったんですね。 名古屋高速も延長工事が進んでいて、西知多産業道路に繋がれば交通の便はますます良くなる。いずれ近い内に、名古屋高速が中部空港・セントレアまで延長される。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.07
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♪ 表現の 自由は何をもたらすや 自由は時に足かせとなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 友人知人の作品を観に、県の芸術文化センターに行って来た。 一つは「主体美術」展。 正直、この団体の主義と方向性が分からない。「自由美術」から独立した経緯も良く知らないが、一貫して流れているものがなく何でもありの様相だ。 行動美術協会と合同で、「作家にとって公募団体とは何か」の問題にとり組んだりし、「デッサン会と研究会を定例化し、研究面では文化・社会などについて広く現代の創作営為に関連する問題の提起を試みたり」しているが、イマイチ明確なテーゼが伝わってこない。 作品のレベルにも差がありすぎで、先ずは「数有りき」のお体裁を感じてしまう。 それに比べて、もう一つの展覧会「表現者たち」展は、タイトル通り表現したいものを自由に表現するという単純明快な「表現者」の熱気があふれていた。今年で18回目を迎え、創立メンバーとして参加していた事があるだけに愛着もある。 メンバーは随分代わっていて、当初から参加しているのは22人中6人にすぎない。新陳代謝によって活性化が図られ、新しいメンバーが「表現者」の熱を新たに注入する役目を果たしている。それが長く続いている原動力になっている。 それと、当初から労を惜しまず諸々の世話を一手に引き受けている、人望の篤いリーダーの存在が大きい。 今回も多種多様で個性的な作品が並んでいた。その中でも、リーダーの作品には笑ってしまった。沖縄のフルマラソンに毎回参加していて、地元の人に案内された海岸で拾って来たサンゴで使ったシーサーだ。 こっちは「ひげラク商店」の名で、似顔絵、看板、ポスター制作、鳥瞰図制作などを独自のタッチで表現するノスタルジー満載の絵を描くマルチな画描き。彼は、テレビにも出演して街中で面白いものを探索して、その面白い風貌までを売り物にしている。ひげラク・ワールドこのホーロー看板も手描きだ 他にも陶芸あり、写真あり、きり絵あり、その上クラシック・ギターの生演奏まであった。 半分は堂々たる作品だが、残りの半分は参加する事で満足しているものだった。それらの制作者は、自由を享受しているとは言い難い。 「自由」と言うのは時に足かせとなるものです。 何でもいいというのはでたらめで良いという事にはならないし、本当に表現したいものが無ければ何も生まれやしない。 制約がある方が、遥かに楽な場合も多い。 例えば、まったく知らない土地に連れていかれて、「何処へでも自由に行ってください」と言われてもどっちへ行ったらいいのかさっぱり分からない。 その時、「北へだけは行かないでください」と言われれば、選択の幅は狭まり少しは動きやすくなる。また、「南の方へしか行ってはいけないと言われれば、そっちへ向かってそこで可能な限りの自由を駆使することが出来る。 丸っきりの自由は却って不自由なものです。 自由を与えられた若者が、行くあてが見つからなくてウロウロしているのは当然の帰結です。 戦前戦後の不自由だった頃の方が、よっぽど自由の有難味を感じていた。「なけなしの自由」ってやつこそが、自由のだいご味なんだと。 どこにでも転がっている自由なんて蝋でできた食品見本みたいなもの。立派そうに見えても喰えやしない。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.06
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♪ あんなにも憎いと思い続けしの 今は待たれむ 白日のかげ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ どうやら気温は平年並みになって来たようですね。 来週の中ごろには今冬初めての本格的な寒気が南下して来そうで、いよいよ冬本番を迎えようとしています。 あんなに苦しめられた夏の猛暑も、今になってみれば懐かしい感じさえして、遠い記憶の片隅に消え去ってしまいました。 今では毎日朝から晩まで、いや夜さえも何ものにも邪魔されることなく顔を出して欲しい太陽、その恵みを存分に与えて欲しいと思う。 太陽が顔を出すだけで体中の細胞が喜んでいるのが分かります。 暖かいというだけで心が軽くなり、体力の消耗も少なくてその一日は得した気分になります。 北国の冬のづ~っと続くどんよりとした日々は、太平洋側に住む人間には想像のできない世界です。3~4日曇天が続くだけで心が萎えて来るようでは、とても日本海側での生活は出来そうもない。能代の冬 tada-takaさん撮影 日本の日照時間は長いとされる地域でも世界平均にすら届かない地域が大半で、総じて日本は”日照時間が短い国”であると言えるらしい。 夏至の日(6月22日)が最大で、冬至の日(12月22日)が最低な訳ですが、実際に照った「日照時間」と照る可能性を表す「可照時間」は違っています。 夏至の頃は梅雨があるため、実際には冬至のころの方が日照時間は長いんだそうです。 東京における可照時間と日照時間を比べると、可照時間では夏至の時期である 6月は冬至の時期である12月に比べてが圧倒的に長い(31日換算で 147時間)。 しかし、日照時間となるとこの関係が逆転し、冬至の頃である12月のほうが31日換算で15時間長いことになっている。 可照時間 6月:435時間(※449時間) 12月:302時間 日照時間 6月:149時間(※154時間) 12月:169時間 (「※」は実際の値を 31/30倍したもの。 6月と12月の日数調整) 暦のページで調べてみました。 日照時間の可照時間に占める率で見ると、日照時間/可照時間(×100%) 6月:34% 12月:56%で、夏至の頃は冬至の頃より日(日照時間)が短い事がよく分かります。 太陽電池は、夏・冬の発電量があまり変わらないのだそうです。 気温が50℃を越えると発電効率が10%以上落ちるため、真夏の発電量も下がってしまう。春先や晩秋のように、気温が低く太陽高度が適度に高い時期が一番効率がいいのだそうです。 ああ「お天道様」その満面の笑みを、これからもずっと吾らに届け続けて下さいますように。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.05
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♪ 思ってる言と口から出る言の一致しないで諍いとなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「日頃思っている事が上手く言葉に出来なくて、ついつい違う言い方になってしまう。」というのはよくありそうな話ですが、私の場合はそうじゃないんです。 「Aは・・・」と言ってるつもりが、口からは「Bが・・・」と言ってるようなことが時々あるらしい。指摘されて気が付く事も有れば、言われても「そんなはずはない」と思う事もある。 これはどう見ても諍いの元だよなぁ。言った、言わない、の水かけ論で些細な事で言い争いになったりする。相手の”耳が少し遠い”というのがそこに加わってくるから、余計にややこしくなる。 この悪癖はだいぶ以前からあって、「言い間違いは聞き手の粗相」だなんてうそぶいたりして来た。しかし、「聞き間違いは言い手の粗相」と言うのもある訳で、謙虚に間違いを認めておいた方がいいのかもと思ったりもするが、相手の出方次第で変わってしまうところが情けない。夜光貝 家でこんな風だから外でもこんな言い間違いをしているのだろうか。指摘されたことが無いので分からないが、多分あるはず。変なこと言ってるなぁと思われつつも、それを本人は気付かずにいるわけだ。 何にしても良くない事が有ったら指摘してもらえるというのは有難い事です。知らないでいる事の不都合を思えば感謝しなくちゃいけないね。 それを注意してくれる人というのは親切な人なのだと思う。口が悪そうに見えても悪気はなく、根に持つ事の嫌いな心やさしい人が多いもの事実。 同じ間違いを「しないためにも」「させないためにも」、相手の心を酌んだ上でそれを伝えてあげること。言い間違いしても相手の言わんとすることをおもんぱかる余裕が欲しいものです。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.04
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♪ 純白の哀しきまでに輝けば無垢なるものの悲しみの見ゆ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 白鳥はなぜ純白の色を選んだのでしょうか。 時々、決して美しくはない水路で餌を漁るコサギを見かけるのですが、その白さが如何にも不似合いなのです。 この汚染にまみれた地球で、汚れることなく真っ白な姿を維持して生きていくのは大変なんじゃないか。そんな事を思ってしまう。 若山牧水 「白鳥はかなしからずや空の青海のあおにも染まずただよふ」 この歌は、それらの気分が全て歌い込まれている気がします。この歌を越えるのはなかなか難しい。さすが名を残した歌人の歌は奥が深いですね。 全ての色を反射する白から連想するのは「善」「純潔」「清廉」。進化の過程でこの色を選んだ理由が知りたいものです。 因みに余談ですが、紅白に別れて戦う時の紅白は、源氏・平家の対立を扱うときに源氏を「白」で表すのだそうです。これが紅白歌合戦や運動会などの対抗試合に受け継がれたとされるんだそうです。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.03
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♪ 腰痛に微熱鼻水続く日の添い寝の猫は鼻炎抱えて ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 口の端が切れてちっとも治らないと思っていたら、首の中央寄りの小さなリンパ節が痛み出した。 その内、鼻水が出るようになり、今度はそれに腰痛まで加わった。 多分、風の症状なのだろうけど熱がガッと上がらないのは、体力が無いからなのか。熱がウィルスをやっつけてくれる訳だから、熱は出るべき時には出た方がいい。それが無いためにぐずぐずと何時までも治らず、色んな症状が出てくるようだ。 医者はあんまり好きじゃないので、これしきの事で医者にかかる気にもならず、スッキリしない日々を送ることになっている。 風邪は2~3日の潜伏期間の後、1週間ほどで治るのが普通。私の場合は3週間(いや2週間ちょっとかな)ほど続いていることになる。 鼻炎の酷い猫が布団にもぐりこんできて、布団の中で速射砲の様なクシャミを連発するのでたまらない。朝見てみると、飛び散った鼻がこびりついている事がある。 こいつにしても鼻は詰まるしくしゃみが酷いので、あんまり元気が無い。 アラカン・オッサンと猫の、まるで様(さま)にならない今日この頃です。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.02
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♪ 道の端に良からぬ萩のたむろせり 忍び足して絡みつかれて ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日が短くて暗くなるのが本当に早い。 冬至の日が、日の出が一番遅くて日暮れが一番早いわけではない。朝日が昇るのが一番遅い時期は一月の上旬、日暮れが一番早いのは十二月の上旬と聞けば納得です。 夕方前に散歩に出たら、途中で日が暮れてしまった。山を削った比較的新しい住宅地を抜けてショートカットしようとした。まだ家はまばらで整地されたまま雑草が生えている。 そんな空地の横を通った時に何やら足にまとわりついてきた。街灯の下で見てみると枯れ草の一部ような茶色いものが沢山付いている。良く見ると、その辺によくある「ひっつき虫」だ。 名前を「盗人萩(ぬすびとはぎ)」という。この名前は最近知ったばかりで空き地などによく生えている小さな萩の仲間で、勝手に山萩か何かだと思っていた。 晩秋になると、「ひっつき虫」となって小さな鞘えんどうのような実が衣服に付いてくるあれだ。盗人萩(ぬすびとはぎ) 「盗人萩(ぬすびとはぎ)」なんていう名前がどうして付いたのか、その由来を調べてみるとこれが面白い。秋になる実の形が ”盗人の忍び足の足跡”に似ており、萩の花に似ているところから「盗人萩」の名になったらしい。 「ひっつき虫」は別名「泥棒草」とも呼ばれ、実が付かないようにしてそーっと歩く姿が泥棒の様だからこの名が付いた、という説もある。 これとは別に、「荒地の盗人萩(あれちのぬすびとはぎ)」という種類があり、「盗人萩」実が二つなのに対して、こちらの実は袋の数が多い。 荒地の盗人萩(あれちのぬすびとはぎ) 花は蝶々の形をしていて本家「盗人萩」よりこちらの方をよく見かけるとある。 確かにひっついて来たのは実が3つ付いてる奴だったし、花もこんなのが咲いていた気がする。 「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.01
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