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♪ 久方の光あふれし春の日の輝き満ちて音響み(とよみ)をり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 春の日差しの戻った公園は、春休みということもあって、子どもたちの歓声が賑やかに響いています。 子供たちの遊びまわっているそこだけが、明るさを増してキラキラと輝いて見える。 そんな姿を見ているとなんだか嬉しくなってきます。 少子化のせいか、外で子供の遊ぶ姿を見ることが少ない昨今ですが、ここだけは別世界の感じです。 若い未来と希望が春の陽を受けて、生き生きとして溢れています。 桜は3分~5咲きというところでしょうか。 どこからともなく聞こえてくるブラスの響き。 音のする方へ行ってみると、グランドの隅でブラスバンドの部員らしき女子高校生数人が、頻りにロングトーンの練習をしていた。 如何にも春らしい一駒ですね。初々しさが漂っていました。 彼女らの周りには未知の未来が待ち構え、可能性が満ち溢れています。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.31
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♪ 春の日の急降下して保冷庫に閉じ込められて足踏みしてる ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 何という目まぐるしき変貌の春でしょうか、今朝は0度まで下がった様子。 ー60度のシベリア寒気団が南下して真冬並みの寒気が列島を覆った模様。 咲きかけた桜をいたぶる様に、冷たい強風が吹き荒れました。 こんな夜にもお花見を予定していた人達は、予定通りシートを広げたのでしょうか。宴会どころじゃなかったと思うのですが、いるんですねそんな人が。 山で遭難するような人に共通の、無計画の正反対の性格の人たちが。 計画を立てた以上、絶対にそれを実行しないと気が済まない。融通が利かないというか、無鉄砲というか。その困難に立ち向かうことに喜びさえ感じるようなところがある。 意地張って我を張って独りごちている姿には、マゾっ気を感じたりもする。 他人に迷惑さえかけなければいいですが、常識を超えるところまで行くとちょっと問題ですね。★ 今年もどこかに桜見物に行きたいと思っていますが、この不順な天候に計画が二転三転して目標が定まらない。 この寒気が去れば漸く本当の春が訪れるらしいので、ターゲットは絞れそうな気はしてきました。 良いところは人が多いし渋滞も付きものなので、それが逡巡する原因にもなる。 高遠か高山か、はたまた円山の糸桜にするか。 吉野は昨年堪能したし、根尾谷の淡墨桜は今みたいに観光地化する前に行っている。新聞・雑誌やバスツアーの広告も桜情報満載で、”さくら、桜”とけしかけてくる。 情報が氾濫した中、煽動に乗りやすい国民は、人の多いところへ多いところへと行きたがる。 ゴールデンウィクークを分散させるという案が出て、賛否両論のようです。 他人と同じことをしたがるという主体性のない国民性は、そう簡単に変わりそうにないので、この案に私は賛成です。 桜に限っては、期間が短い分どうにもならないと思いつつ、どうにかならないものかと思う今日この頃です。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.30
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♪ さくら花たなご蒲公英春うららパスタ思いて土筆を摘みぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 土筆がガーリックパスタに合うということを知って、居ても立ってもいられず、いそいそと押っ取り刀で、昔採ったことのある場所へ。 時期的にはもう遅いかも知れないと思いながら・・・ あるわ有るわ。ツクシが一面に生えている場所がある。しかしよく見ると、もう殆ど笠が開いてしまっている。時すでに遅しか。二週間ほど遅かった様だ。 それでも一帯を探せば、まだそこそこのものがあって、かなりの量を摘むことができた。 喜び勇んで持ち帰り新聞紙に広げてみると、最初に摘んだものの中にどうにもダメそうなのが沢山ある。半分ほどを捨てるが、それでも十分の量だ。 土筆の風味は好きで、あの苦味は正しく春の味だと思う。 折角採ってきたのに時間が遅く、食事のメニューもすでに決まっていると言う。袴を取るのに時間がかかる。好きなパスタでペペロンチーノと洒落こもうとと思ったが、そうは問屋がおろさなかった。 仕方がないので、一部を天ぷらにして食べた。 シコシコとした歯ざわりが何ともいい。笠が開きかけたものが多いせいか苦味はあまり感じず、土筆らしい味わいは若干薄かった感じ。 残りは、軽く湯がいて冷凍庫へ。 来年は是非、ツクシ・ペペロンチーノを作ってみようじゃないか。 二週間ほど早めに行って・・・・★ スギ花粉症にはつくしエキスが効果的として、つくしエキスを混ぜたアメが2006年に発売されている。 日大が開発し「つくし飴」(20粒入り1箱2000円)という名前で、漢方薬などの製薬会社「池田薬草」(徳島県池田町)が発売しているんだとか。 日大文理学部の島方洸一学部長は山菜採りを趣味にしている。自身が重度の花粉症で、98年春、採ってきたつくしを調理して食べたところ、症状がピタリと止まったという。 2000年に薬学部が研究に乗り出し、抽出したエキスに抗アレルギー物質があることを確認。しかしこの物質と即効性との因果関係は分からないという。 ちょっと説得力に欠ける感じがしないでも無い。 実際、(どんなモノでもそうですが)効く人と効かない人がいるそうで・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.29
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♪ 春冷にふるえて咲くを待つさくら門出に飲まむ苦きコーヒー ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 花冷えに、咲きかけた花も縮こまって、身震いするような今日この頃。 来週は、最低気温が1度の日があるという。寒暖の差が激しくて、桜ならずとも戸惑うばかり。着るものにも困ってしまう。 この時期は新入社員も入社の時期となり、期待と緊張がない交ぜになった不安な朝を迎えている事でしょう。もうすでに研修期間が始まっていて、出社して頑張っている若者も多いことでしょう。 新卒の大学生の就職内定率(2月1日現在)が、調査を始めた2000年以降で過去最低の80%前後という厳しい状況。前年同期より男子が6.4ポイント低い80.1%、女子が同6.3ポイント低い79.9%だった。 高校生の就職内定率(1月末現在)に至っては、81・1%で、この10年で5番目の低さ。下げ幅は高校生も大学生同様に過去最大となった。 そんな中、運良く就職できても企業の経営は不安定要素を抱えたままで、前途は多難の様相です。その為か、学生に安定志向が強く、中小企業を敬遠する傾向がみられるという。 新しい環境に向かって、意気込んで出かけようとして飲む朝のコーヒーは、きっと苦いに違いない。 仕事の楽しさとは、最初から味わえるようなものではなく、経験を積んで苦労を重ねた上で初めて見えてくるもの。楽しい仕事につきたいと思うあまり仕事を選び過ぎていることも、就職難につながっていると言えます。 楽しいことが前提にあっては、苦労を乗り越えることなんて出来るはずがありません。今の状況、簡単に辞めてしまっては就職浪人になるのがオチでしょう。 どんな仕事でも奥が深いものです。 やっていくうちに分かってくるもの、見えてくるものがあります。それが分かって初めて”仕事の面白さ”というものが理解できる。 ”大志を抱く”ことが出来ない以上、歯を食いしばって仕事を覚え、その上に自分の目標を見出していくしかないのです。 若者よ、”生きることは大変なこと”なのだと理解せよ。 ”大変なのだ”と思っていれば、”大変な事”は乗り越えられるはずだから・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.28
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♪ 新しき頁をめくる春となり海馬にあらた餌与えべし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ サイドの仕事の担当エリアが変わり、新しく一から覚える必要が出てきた。錆びついた脳に刺激を与える意味ではいい機会だと思い、前向きで取り組もうと思う。 記憶は海馬に入って整理され、強い刺激のあるもの、繰り返し情報が送られるものだけが側頭葉に送られて記憶される。それも扁桃体の刺激によって増強されるのだという。 扁桃体は、海馬のすぐ横にある1cmほどの情動を司る器官で、喜怒哀楽に関係し、新しい環境や出来事の刺激に反応する。記憶はその扁桃体が活動するような情況でより発揮されるというわけだ。脳は海馬からθ波というα波と同じような脳波を出し、一秒間に五回ぐらいの周波数(5ヘルツ)で規則正しいリズムを打っている。 新しいものに出会ったり、初めての場所に行ったり、初めてのモノに遭遇したりするとθ波が出て、その物事を記憶しようとする。 その時、海馬の歯状回という部分の顆粒細胞が活発に増殖し、記憶力が増強されるのだ。 ”使えば使うほど、さらに使えるようになる”のが脳というもの。感動や興味を持って事に当たれば脳はますます活発になるというわけだ。 また、モノを覚えるためには、そのモノを自分に関連付けることが必要になってくる。何事にも興味をもち、経験として取り入れることで、その情報を総合的に関連付けた結果が「エピソード記憶」として記録される。 「エピソード記憶」に如何に持っていくかが記憶するための鍵で、自分をどう関わらせられるかが問題というわけだ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.27
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♪ 艱難のくしゃみ鼻みず鼻づまり春はアンリに辛苦を与えむ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨年同様、今年も我が家の若ねこは風邪を引いたらしい。くしゃみを連発し鼻水は出るわ、目が開かなくるほどの目やにが出るわで、ひどい状態。 花粉症かと思っっていたが、どうも違うみたいだ。ふんふんと息を吐いて鼻を出し、くしゃみをすれば飛沫が飛び散る。治りかけてくると、今度は青っ洟が飛び散って周りを汚すことになる。 体調も悪いのか、家に篭りっきりで一歩も外へ出ず、炬燵の中で寝てずっといる。まだ寒いので炬燵が点いていないと、居場所がなくてウロウロしている。 餌を食べる時以外は寝ている感じで、23時間は寝ているんじゃないかと思えるほど。幸い食欲は有るので、人間と同じようにある時期がくれば治っていくのでしょう。 猫風邪の中に、猫ヘルペスウィルスと猫カリシウィルスが引き起こす猫ウィルス性呼吸器疾患というのがあるそうな。 【猫ウィルス性鼻(腔)気管(支)炎】 *潜伏期間:2~6日 *主な症状:クシャミ、咳、鼻水、涙目、目ヤニ、充血、結膜炎、発熱、食欲不振、沈鬱 *注意:生後2~2.5ヶ月に発病すると致命的になり得る 子宮内感染の可能性もあり 【猫カリシウィルス感染症】 *潜伏期間:3~5日 *主な症状:クシャミ、咳、鼻水、目ヤニ、発熱、食欲不振、口内炎、鼻腔・口腔内の表層性潰瘍、肺炎、跛行、倦怠 猫のほとんどは生涯の中、特に幼年期にこの二つのウィルスのいずれか、あるいは両方に曝される。一旦感染するとそのウィルスを完全に排除することはできないという。 キャリアとなった猫は、生涯にわたってウィルスを飛散させ、他の猫への感染源となる可能性があるんだそうな。 アンリも野良猫だったわけで、子宮内感染の可能性の可能性もある。今後、毎年この風邪に罹って苦労することになるのだろうか・・・・。 治療は、ウイルスを押さえるためにインターフェロンという薬を注射をしたり、脱水症状や食欲不振がある場合は、補液や点滴をする。場合によっては流動食を与えたりする必要があるのだとか。 喧嘩の傷がまだ治らないのに、今度は風邪だ。猫も春という季節はなかなか大変だ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.26
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♪ 累乗に増加してゆく能力の果てに立ちいる凡夫 天才 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 能力は幾何級数的なカーブを描いて上昇してゆくのだという。 1が2になり2が4になり、さらに訓練していくと8になり16,32,64と累積効果を示していく。 目標を1000にして始めても64辺りで伸び悩むことがある、そこを我慢してもう少し頑張れば一気に128へと上昇できる。 この64辺りで1000の位置にいる人を見ると、天才じゃないかと思えるほどかけ離れた存在に見える。が、さらに努力を続けると128、256,512と上昇していくことができる。ここまで努力して、ようやくその努力の効果が現れるというのです。 ここまでくれば、あともう少しの努力で1024となって目標に達することができる。この辺まで来ると急に視界が開けて物事がよく見えるようになり、「悟り」のような境地にもなれるのだという。 こうなると2048まで伸ばすことも、あともう少しの努力で可能になる。ここまで来た人は、ほとんど大天才と言われるような存在となる。 また。1024の人と2048の人の1024という差は、64の凡人から見ると物凄い差といえるが、天才どうしとなるとその差はもっともっと大きいものとなる。 イチローと松井の差は意外と大きいのかも知れない。 子供の頃に基礎を身につけ、その上に努力に努力を重ねた結果、あるレベルからは凡人の及ばない勢いで能力を積み上げていったのが「天才」というわけだ。 しかし、凡人にも努力の仕方、効率的な能力の伸ばし方さえ分かれば、かなりの成績を収めるところまでは行けるというのだ。 そういうことを子供の頃、学生時代に教えて欲しかったなあ、と思うばかりです。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.25
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♪ 誰からも嫌われるなんて嫌なんだ曖昧模糊と日の過ぎゆきぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題。 ”国民も沖縄県民も米国もすべてを丸く収める”ことなんて不可能なことは誰でも分かっているのに、それらを納得させる案を吟味しているという。 最終的には当初の案に落ち着くことが予想されるのを、さも他に妙案があるかのごとく言いふらす。「これから真剣勝負で、選択肢を定めたときは、生きるか死ぬかの論争、激論になる。最終的に国民の皆さん、沖縄の皆さん、米国の皆さんに理解いただけるものに仕立て上げたい」。 ここまで言っておいて、その期待を裏切るというのは双方にどれほどダメージが大きいか分かっているのだろうか? もちろん分かってはいる。分かっているが、誰からも嫌われたくないし怒らせたくないので、ずるずると結論を引き伸ばすばかり。期限が来てどん詰まりにならないと、とても言い出せない。 国を治める最高の地位にいる人間が優柔不断では、国民は浮かばれない。 あれこれ言っているうちに、皆が、多分無理だろうと諦めの境地になるのを待つ時間稼ぎ。自信のない弱い人間のとる常套手段だ。 小沢幹事長のカネの問題、首相自身の脱税問題、小林議員への献金問題、生方議員の解雇問題。何一つ指導力を発揮出来ず、不信と落胆のドミノ倒しで支持率は下がる一方だ。 小沢幹事長は国政よりも選挙のことしか頭になく、裏舞台での活動の日々。 民主党内部には「しらけ鳥」が飛び回って、やる気で頑張っていた若手のホープ達も憔悴しきっていることでしょう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.24
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♪ 水温む小川のつつみ歩みゆき翡翠のとぶ幻を追う ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ コンポストで野菜を育てようと、歩いてネギのタネを買いに出かけた。 その帰り道、あの感動をもう一度味わいたいと思い小川沿いの道を歩く。以前、カワセミに出会ったことのあるので、もしかしてあの美しい姿が見られるかも知れない。 そう思いながら歩く気分はなかなかいい。 名も知らぬあの美しい娘(こ)に、また会えるかも知れないという期待を胸にしていた、あの青春の日に戻ったような気分だ。 カワセミは、本来は青くなく光の加減で青く見えるのだそうだ。構造色といい、シャボン玉がさまざまな色に見えるのと同じ原理らしい。 「渓流の宝石」などと呼ばれる。両翼の間からのぞく背中の水色が鮮やかで、光の当たり方によっては緑色にも見えることから、ヒスイと同じ字を当てて翡翠と書くようになった。 この日は残念ながらカワセミに会うことはできなかった。 時間帯が悪かったのかな。暖かくなったとは言え水路に魚の姿はなく、キングフィッシャーとしての出番はまだ来ていないのかも知れない。 田圃の畦道には、「日本タンポポ」らしき小さめのタンポポがたくさん咲いていた。 西洋タンポポ 日本タンポポ 花のすぐ下にあるつぼみを包んでいた葉の1つ1つを総苞片(そうほうへん)といい、これが外側に反り返っているのが「西洋タンポポで」で、反り返えらないのが「日本タンポポ」。 タンポポ属は主に北半球の温帯から暖帯に400種類があり、日本には20数種類が自生していると言われています。 外来種に押されて数が減っているのはタンポポも同じ。 最近では、交雑種が増えていてそれらの判別は難しいそうですが・・・。 昆虫にしても小動物にしても、どうして外来種は概して日本のものより強いんでしょうかねえ。 オリンッピックでなかなか勝てない日本人も、これと同じなのかなァと妙に納得してしまうのは仕方のないことか。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.23
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♪ 北に雪 南に桜 西の使者の東へ渡る彼岸中日 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 南からは桜の便りが届き、お彼岸の中日になるというのに、北日本では雪が舞う日本列島。今年の気象は少しおかしい。 昨日は猛烈な強風が吹き荒れて大きな被害が出た模様。電柱が倒れたり、開花間近の桜の木が根こそぎ倒されたり、阪神高速道路工事用の足場が壊れたり、建物が倒壊。 最大瞬間風速は、留萌管内増毛町37・4メートル(午前9時17分)、千葉県で最大瞬間風速38.1メートル、金沢で25・4メートル、輪島市三井で24・7メートルを観測と、各地で大型の台風並みの暴風となった。 北海道旭川市では午後1時40分ごろ、10分間の平均風速の最大値を示す最大風速が24・6メートルに達し、1918年に観測した従来の記録を92年ぶりに更新した。 また、同時に偏西風に乗って大陸からは黄砂が日本列島を覆い、春霞のように視界を遮り視界2~2mとなり、各地に被害が出た模様。 日本でこの被害が出るのだから発生源に近いところではどんなものなんだろう。 中国北部で19日夜から20日にかけて、黄砂が発生。北京市内でも空がかすみ、地面には黄砂が積もった。河南、河北など6省にまたがる約180万平方キロで、今年最大規模で、約2億7千万人が影響を受けた。 北西部の新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区から冷たい強風が吹き込んだのが原因だという。 中国では、強い風によって沙塵暴(シャチェンバオ)と呼ばれるような激しい砂塵嵐になる場合があるらしい。 瞬間風速25m/s以上で視程が50m以下の砂塵嵐を「黒風暴」(カラブラン, Kara、 Bran)または「黒風」と規定しており、俗に「黒い嵐」などと呼ばれる。黒風暴は、寒冷前線の通過時などで大気が不安定になったときに、ダウンバーストやガストフロントなどの局地的な突風をきっかけに発生する。 水平方向の大きさは数百mから数百kmに及び、大きな渦を巻きながら移動し、これが押し寄せてくると、高さ数百mの「砂の壁」が迫ってくるように見える。参考画像・北京で発生した「黒風暴」 1998年4月18日に新疆ウイグル自治区ジュンガル盆地西部の塔城、裕民、托里、克拉瑪依附近を襲った黒風暴(ダストストーム)のフロントは高さが300-500mに達し、 盆地南部の昌吉から奇台へ移動するとともに、視界ゼロ、最大風速35~>40m/sに達した。 この時に発生したダスト雲は気流に乗り、北海道の北方上空から太平洋を横断し、1週間後の4月25日には北米西海岸上空まで到達したことが確認されたという。 黒風暴の発生はごく稀だそうですが、この年のものは1993年5月5日に発生して甘粛省に大被害をもたらした砂塵暴を上回るものだったらしい。 「砂の壁」の中に入ると、急激に周りを飛ぶ砂の量が増え、(昼間であれば)次第に周囲が黄み・赤みを増しながら暗くなり、風も強まってくる。数十分ほど屋外は真っ暗となり、歩くことさえままならない状態となる一方、屋内に避難していても砂の進入によって日常生活が難しいほどになるらしい。参考画像・イラクで発生した砂塵嵐(地域は異なるが黒風暴と同じ現象) 黄砂は、地球をグルリと一周するように偏西風に乗って地球を巡っています。 これらの自然現象は、グローバルなのは経済だけではなく、自然そのものが地球規模で関わり合っているということを教えてくれる。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.22
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♪ 手の込こみし料理を食(は)みて腑におちず 胃にもたれいて滋味をおぼえず ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 映画「シャーロック・ホームズ」を観てきた。 テンポが早くて追ていけない感じ。 今までのシャーロック・ホームズものとは全く違う設定は良いとしても、ストーリー展開が「悪魔と天使」に似ていて、少し食傷気味で、私としては不満が残った。 最近の映画を観ていつも思うことは、本当の意味で”人間”を描いていないので、見終わった後に余韻というものが残らない。内容も映像も凝ってはいるが、随所に類型的な部分が出てきてステレオタイプな感じがしてならない。 テーマにしても黒魔術を使って権力を握り、世界征服を狙うという設定の話は過去にいくらでもあり、新しい感じがしないのも確か。ストーリはよく見ると単純で、一見豪華な料理に見えて味付けは脂っこいばかりで、奥深い滋味とか旨みとかいうものがない。 私が年をとったせいなのか、要求するものが多すぎるのかとも思うが、単にそういう映画が好きだということなのかもしれない。 私は、人間の心の内面や深層心理をサスペンスタッチで描くヒッチコックのような映画が好きなので、いくら豪華な手の込んだモノを出されても、その肝心なところが抜け落ちているものにはあまり満足できない。 人を殺すにしても葛藤があるべきだし、心の弱さや邪心と戦うところに共感を覚えもする。「ジキル博士とハイド氏」や「白いドレスの女」、「ミザリー」や「太陽がいっぱい」、「サイコ」や「白い恐怖」などなど好きな映画は沢山ある。 人間の”心の裏側に潜む何か”を表現したような、スパイスが効いていて、あっさり味でもダシの効いた深みのあるものが好きなのだ。 最近はそんな映画が少ないのが悲しい。金をかけるなら、その心を表現するための裏付けになる場面に思いっ切りぶち込んで欲しいと思ったりする。 今回の映画では、主役がいい味を出している。 ワトソンとホームズが登場した最初の画面で、一瞬でどちらが主役かが分かるほど「ロバート・ダウニー・Jr」の存在感が「ジュード・ロウ」を凌駕している。 それによって、この映画は新しいタイプの「シャーロック・ホームズ」として成り立っているといえるでしょう。元々は独自に編み出した武術の達人というホームズの隠れた姿を全面に出して、新しいシリーズとして提示してきた。 本国、イギリスのシャーロッキアン達にも賛否両論が巻き起こったらしく、従来の古典的なイメージを打ち破ったことは、快挙と言ってもいい。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.21
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♪ 亡骸を医療に捧ぐ人の増え見送る人のなきぞかなしも ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 献体の登録者が、全国の大学でこの20年間で倍増しているのだという。希望者が多く、登録を制限したり、一時停止したりする大学も出てきたらしい。 広島大は10年ほど前から登録を抽選にし、「倍率」は約2倍だそうだ。東京大は5年ほど前から登録者を制限。近畿大は2年ごとに50人前後を登録する。現在は約200人が登録待ちだという。 増加の理由について、篤志解剖全国連合会会長の坂井建雄・順天堂大教授(解剖学)は「口コミで増えている。社会的に認知されるようになったほか、家族関係がクールになったのも一因では」という。 家族の遺体にメスが入ることに抵抗感を持つ人が減り、近年は本人の意思を尊重する傾向が目立つという。 朝日新聞より 高齢者から「身寄りがないので献体したい。遺骨を大学の納骨堂に入れてほしい」との要望も一部あるという。一人暮らしだったり、墓の世話で家族に迷惑をかけたくないという事情が見え隠れする。 こうした場合、献体の趣旨に反すると、登録を断ることもあるそうだ。 歌手・さだまさしが04年に発表した小説「眉山」では、献体登録する母親が登場する。徳島で一人暮らしの母が末期がんになり、東京に住む娘に内緒で献体登録するというエピソードがある。 07年には映画にもなった。 ロケ地になった徳島大では01年には登録者が少なく、解剖実習も危ぶまれていた。しかし、現在は1千人が登録、年間の登録者数を40人に制限しているほどだそうだ。 「死」に対する考え方が変わって来た事は確かでしょう。「死」は誰にでも訪れるもので、忌み嫌うものではない事。「死」そのものが日常の中に、(間接的にしても)溢れているという現実。 独居老人の死や無縁仏の数も近年増加傾向にある。どうせ死んで灰になるなら、その前に何かのお役に立ちたいという思いもある。 馬鹿みたいにかかる葬儀費用や、金もうけばかりが目立つ法要に嫌気がさし、お寺離れが進んでいるのにも遠因があるでしょう。 墓石ではなく墓碑として樹木を指定した「樹木葬」や、火葬した後の焼骨を粉末状にした後、好きな場所に(海、空、山中等)撒く「散骨」を希望したりと、お墓にこだわらない人も増えている。 私の身内にも既に登録している人がいる。私もそうしたいと思っていたが、登録さえできない状況というのには驚きです。まるでブームのようだ。〈献体〉 大学の医学部や歯学部で行われる人体解剖の実習用教材などとして、自分の遺体を無条件、無報酬で提供すること。 解剖は人体の仕組み、構造を調べるもので、死因などを調べる病理解剖とは違う。登録には配偶者、親や子ら肉親の同意が必要。 遺体は大学が火葬し、遺骨は遺族に返還される。ただし、防腐処理のほか、一般的に解剖の実習期間は数カ月に及ぶため、遺骨の返還には2~3年かかる。 遺族がいない場合、大学などの納骨堂に収蔵される。 「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.20
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♪ ひたぶるに傷負いし猫と留守番の春の夜に聴くレフト・アローン ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ マル・ウォルドロンがビリー・ホリデイの書いた詩に曲を付けた、渋い名曲「レフト・アローン」。 彼女亡きあとに、マルがジャッキー・マクリーンと共に彼女を忍んで1976年に吹きこんだもの。 悲しみを湛えたメロディーをジャッキーのアルト・サックスが切々と奏でる。これを聴いていると、酒を飲まずにはいられなくなってくる。 この曲の歌詞は1959年春、サンフランシスコへ向かう飛行機の中で書かれたという。 7時間もかかるフライトの間、ビリーはマルと語り合いながら歌詞を書いていった。ビリーはマルの付けた曲を大いに気に入り、しばしばステージでも歌っていたそうです。 しかし、残念ながらビリー自身の録音は残されていないんだとか。 私としては、ビリー自身の歌を聞いた事がないのは片手落ちだと思っていたら、録音されたものがないんですね。どうりで聴いた覚えがないわけだ。 マル・ウォルドロンはビリー・ホリデイの伴奏者としても知られていて、1957年4月からビリーの他界(1959年7月)直前まで行動を共にしていました。 15年ほど前だったか、彼が家族と共に常滑市に来た事があった。反戦のための演奏活動中で広島に来た折に、知人の住職等の招へいで訪れたのだと記憶している。 公会堂で、娘のマラ・ウォルドロンとの共演コンサートを行い、、その記録映像の撮影に参加。ピアノの横でのアップ撮影のカメラマンを担当した。 打ち上げには大勢のスタッフと共に大いに盛り上がり、スタ・シャツに親子のサインを貰ったりしたが、そのTシャツも今はもうない。 ☆Left Alone lyrics by Billy Holiday 心満たす愛は何処 決して離れずに傍らに居てくれる人は何処に 誰もが心傷つけ、過ぎ去ってゆく なすすべなく残され、私は独り 安らげる家はなく どこにいても彷徨うばかり 小さな街もどんな都会でもただ惨めなだけ 私は残され、いつも独り 探し求めれば見つかると 誰もが言うけれど 叶わぬ願いと今も思い知らされるだけ 残酷な運命の手で 私の前を きっとただ貴方は通り過ぎた それとも死の訪れる前に 私たちは出会えるのだろうか その時まで 心を閉ざして 私は残され、いつまでも独り ☆ Left Alone lyrics by Billy Holiday Where's the love that's made to fill my heart where's the one from whom I'll never part first they hurt me, then desert me I'm left alone, all alone There's no house that I can call my home there's no place from where I'll never roam town or city, it's a pity I'm left alone, all alone Seek and find they always say but up to now, it's not that way Maybe fate has let him pass me by or perhaps we'll meet before I die hearts will open but until then I'm left alone, all alone ★鬼畜眼鏡×下克上★の訳詞をお借りしました 一人の夜でないと、なかなかゆっくりJAZZを聴けないので、たまにカミサンが居ないのも有難い。 オスの縄張り争いで、連日のように怪我をして帰ってくる”アンリ”と過ごす、ちょっとセンチな月の無い夜でした。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.19
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♪ ふんわりと包む曇天さくら花ほほまるときぞ春やあけぼの ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ”春に三日の晴れなし”と、めまぐるしく変わるこの頃の天気。 どんよりと雲に覆われた日も少なくない。そんな日こそ、天蓋のような雲にいたわるように包まれて、木々は新芽を、桜は蕾をじっくりと育むのです。 暖かくなったと思ったら、また冬に逆戻りのこの寒さ。 何んとなく咲いてしまうのではなくじっと、じっと待って、やっとやって来た”その時”に満を持して、一気に花を咲かせる。 その花こそが美しい。 ぷっくりと紅をまとって膨らみかけた桜花のつぼみは、あかい頬をした幼子のよう。今にも笑い出しそうで、可愛いったらないね。 *含まる(ほほまる)・・・・・つぼみのままでいる。 *労し(いたわし)い・・・・・大切に思う。重んじて大事に思う。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.18
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♪ 白昼の横断歩道に宇宙人コーヒーショップの裏側に消ゆ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 身長約1m10cm。スーツにネクタイ姿の痩せた老紳士が、街角の横断歩道を歩いていった。 その姿はまるで宇宙人だ。トミー・リー・ジョーンズが小さくなったような、不思議な雰囲気を漂わせていた。 いわゆる小人症の人らしい。近くの会社の重役さんで、近所では昔から知られた存在だとか。きちんと背広を着た痩せた大人がそのまま縮小したような姿に、驚きでじっと眼で追ってしまった。小顔で、いわゆる小人症の体型とは違って、全体のタイのバランスがとれているのだ。 会社の役員ということもあって、子供の服で間に合わせる様なわけにもいかず、きちんとしたオーダーメイドのスーツを着ているのでしょう。 電車で見かける人にも小人症の婦人がいる。 その人は頭の大きさは普通に近く身体だけが小さい感じ。顔だけ見ていると普通の人で、座っているシートの下まで足が届いていないのでそれと分かるぐらい。 先きほど亡くなった「藤田まこと」と、”てなもんや三度笠”で共演していた「白木みのる」も子役がよく似合う小人症の人だった。左が白木みのる 昔、「小人プロレス」というのがあった。全日本女子プロレスの前座として「ミゼットプロレス」の名で人気を博していた。コミカルな面が強く、彼らを笑い物にしているとして一部の人権団体からは非難があるとされ、これによりテレビ中継でもほとんど扱われなくなった。 こちらがメインで、女子プロレスが前座扱いであった時期もあり、ミゼットの選手達は「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていたらしい。 みんな脚が短いのが特徴で、不思議で面白くて何だか悲しかった記憶が有る。 小人症の70%は「軟骨無形成症」が原因で、「特発性低身長」 (ISS:idiopathic short stature) と呼ばれる。 家族性と孤発性があり遺伝的要因はあまり高くなく、親が小人症だからといって子供も小人症になるというわけではないらしい。 「特発性低身長」と診断するには、内分泌性低身長のほか、奇形、骨系統疾患、慢性疾患、ステロイド治療など医原性の低身長や、情緒障害、心身症、また虐待・低栄養のような劣悪な発育環境による低身長など各種要因を除外する必要があるという。 他に、胎内発育不全性低身長、成長ホルモン分泌不全性低身長、染色体異常による低身長、ラロン型低身長症、と様々な要因で起こるものらしい。 世界には著名な小人症の人も沢山いるようです。 * エディー・ゲーデル(野球選手) * ビリー・バーティ(俳優) * ケニー・ベイカー(俳優) * ワーウィック・デイヴィス(俳優) * ヴァーン・トロイヤー(俳優) * トニー・コックス(俳優) * ピーター・ディンクレイジ(俳優) * ジェイソン・アキュナ(俳優、テレビ司会者) * ゲーリー・コールマン(俳優、「アーノルド坊やは人気者」主演) * エルヴェ・ヴィルシェーズ(俳優) * マーティン・クレバ(俳優) * メレディス・イートン(女優) * ブリジット・パワーズ(ポルノ女優) * ブッシュウィック・ビル(ヒップホップ歌手) * ゴッデス・バニー(ドラァグ・クイーン) * ミシェル・ペトルチアーニ(ジャズ・ピアニスト) * ディラン・ポストゥル(プロレスラー) * 山田孝野次郎(社会運動家) * 白木みのる(俳優) * マメ山田(マジシャン) * グル・モハメッド(ギネスブック認定の世界一背の低い人物) * ポーリン・マスターズ(ギネスブック認定の世界一背の低い女性) * 何平平(世界一背の低い人物) 『ウィキペディア(Wikipedia)』より これも個性の一つ。あまり好奇な目で見るのは失礼だね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.17
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♪ 早々に鳩とびだせし洞(うろ)奥に二匹の貉が外(と)をうかがえり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 参院選後だと思っていた「自民党分裂」劇が、早々と始まったようです。 先ず鳩山邦夫が飛び出した。おっちょこちょいの目立ちたがり屋が先鞭を切った形になった。 与謝野馨・元財務相が新党結成を視野に谷垣総裁の辞任を求めて以来、自民党内は、党の現状を憂え、執行部の刷新など改革を求める意見が噴き出している。 世論の民主党離れが進むのに、その受け皿に自民党がなりきれていないという危機感からだ。 政府・民主党の菅財務相は、邦夫氏が新進党、旧民主党などの入・離党を繰り返してきたことを「何回目の離党だったのかな」と揶揄した。 それもそのはず、所属政党は(新自由クラブ→)(自由民主党→)(無所属→)(改革の会→)(自由改革連合→)(新進党→)(民主党→)(無所属→)(自由民主党→)そして(無所属)と、その軽さを武器に渡り歩いてきた人だ。 学生時代から秀才で知られ、勉強しなくても東大に入れると言われるほどだったらしい。しかし、言動を見ているととてもその片鱗を見る事は出来ない。それどころか、馬鹿じゃないのと思えるような言動が目立つ。 記憶力は抜群のようで勉強の成績は良かったのだろうが、それと頭の良さは別の問題だ。 第52・53・54代内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の長男である父・威一郎(福田赳夫内閣の外務大臣)の二男として、潤沢な資金と後押しで政治家になったが、政治家しかなれないタイプのボンボンと言えるだろう。 料理と蝶の蒐集で有名だとか。報道陣の質問に答える鳩山邦夫氏 「与謝野馨」元財務相や「舛添要一」前厚生労働相の名前を挙げ、「薩長連合ができれば最高だ。接着剤的役割ができればいい。与謝野さん、舛添さんが代表になって私が支えられれば十分だ」と語った。 「与謝野・舛添」の両氏も間違いなく離党するでしょう。 しない事には何ともならないんだから。谷垣総裁にけん引力は無いし、自民党内部はもうガタガタ、バラバラ。先行き不安で、お尻ムズムズでしょう。 民主党・小沢幹事長はパラサイト政党を懐柔し(先方もそれを望んでいた)、参院選後の体制を盤石なものとしている以上、もはや政権奪取は絵に描いた餅。自民党は解党するしかない。新しい党でも作って、一から出直すしかないのは自明のこと。 ぽっかりと空いた洞(うろ)からは次々と、鳩ならぬ貉がぞろぞろと這い出してくるのは時間の問題だ。そうなってくると民主党を脅かす存在がない状態が続く事になる。 村意識、あなた任せの無責任で、白けてなんかいられない。無党派層が50%という現状でも、国民が主導権を握る時が来ている。投票いかんで、どうにでも変わる緊張感のある時代となったのです。 今後は、今まで以上に、自分たちの将来を見据えながら支持政党、応援する政治家を見極める必要が有る。 国家存亡・崩壊の危機にあって、知らんぷりは出来ない。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.16
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♪ たっぷりと白を含みて木蓮の翼ひろげり 脱皮せよ!春だ。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 毎年この季節になると、焦燥の混じったような倦怠感に苛まれる。 春という何もかもが新しいスタートを切る季節を迎え、生き古した生活に倦んだ自分も何か新しい時を迎えたいと思う。頭では思っているのに心がついてこないという感じかな。 春という季節の変わり目にホルモンのバランスが変り、自律神経にも変調をきたす。それによって心と身のバランスも崩れているというのが原因でしょう。 長めの眠りが必要な冬の時期から、短めの眠りに切り替わる夏に向けて、睡眠時間を短くしていこうとする途中。やたら眠いのも困るね。「春眠 暁を覚えず」だ。 ともあれ、せっかくの春だ。木々が芽吹く様に、古い葉っぱと新しいそれに入れ替わる様に、古い上着を脱ぎ捨てて、隠れていた新しい自分を出しましょう。 そう脱皮するのです。 海馬にある脳細胞の中で唯一増殖できる歯状回の顆粒細胞のように、歳をとっても鍛える事が出来るものがある。筋肉だって鍛えられる。 沢田研二は還暦コンサートで80曲・3時間のステージをこなしたという。 *訂正 3時間は間違い。6時間だという指摘を頂きました。お詫びして訂正いたします。ザ・ワイルドワンズと(2月8日 NHKで) 私も、まだまだ老けこんでる場合じゃぁ無いね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.15
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♪ つちふるにかすみし野辺の日だまりのさくらはけふも命をもやし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 黄砂(つちふる=霾)が漂ってぼんやりと霞んでいる早春の日、木々は芽吹きの時を今や遅しと待っています。 桜もまたその花を咲かせるために、休むことなく命を燃やし続けてかわいい蕾を少しずつ膨らませています。 何にもしないのに毎年花を咲かせる木々は凄いなぁと思います。どこからその養分とエネルギーを吸収しているのか、不思議に思ったりします。 僅かな養分を吸収するために細い沢山の根を広く遠くまで張っているのでしょう。そうして何十年何百年と生き続ける木樹の姿を、人は時に畏敬の念を持って眺めます。 岡山県の天然記念物に指定されている「醍醐桜」は樹齢1000年といわれ、毎年4月10日前後に、かわいらしい微紅色の花を木いっぱいに咲かせます。 ヒガンザクラの一種、アズマヒガンで、後醍醐天皇がこの地に立ち寄られた際、「見事な桜じゃ」と賞賛したと伝えられています。 ただ一本、丘陵に咲き誇る桜が、武蔵の力強さと孤独を象徴しているということで、NHK大河ドラマ「武蔵」で武蔵が幼い頃を振り返る場面に登場したそうです。 他にも全国に有名な桜の沢山ありますね。 それらを誰もいないような静かな雰囲気で味わえたらどんなにか素晴らしい事かと思います。 しかし、現実は大渋滞と人人人で、押すな押すなの悲しい状況で観る事になるのでしょう。 僅か100年前まではそんな事もなかっただろうに。 あまりにも早い世の変化に桜は何を思いながら、毎年花を咲かせているのでしょうか。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.14
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♪ タダというブラックホールが口を開け あれよあれよと飲み込まれゆく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ インターネットの世界では無料ビジネスが花盛り。優れたFreeソフトが幾らでも手に入るので、私も非常に助かっています。なぜ無料で提供できるのかが不思議です。 今までは広告を乗せる事で収益を上げていた。Googleは広告から大きな利幅を得ているが、そこで提供されているコンテンツは全て他社のものでどれもGoogleが所有しているものではない。他人の無料コンテンツに相乗りして金銭を生み出すビジネスを構築したことことが成功したのだ。 しかし、今ではその広告さえ取らずに高収益を上げているらしい。 その仕組みは、Freeソフトの他にグレードの高い有料版を提供する事で高額な収益を上げるのだという。 無料とは、金銭を払う見込み客を集める餌としての無料であり、ただ単に無料でサービスを提供するという話ではない。 製品の一部をマーケティングのために無料で提供し、残りを売ろうとするのではなく、製品のほとんどを無料で配ってしまいわずかな部分を売ることで収益を上げる。これは、生産と流通の限界費用が「端数として切り捨て」できるほどゼロに近い、オンラインの世界でのみ可能になったビジネスなのだ。 NHK TVの「クローズアップ現代」で面白い話を聞いた。 ブランド品と廉価商品が価格競争をしている場合、両方が同じ金額だけ値下げしてもその価格差は変わらないため、ブランド品の方が売れる続ける。それをもっと引き下げていって廉価商品がタダになった途端に、ブランド品には目もくれずそちらに購入者が殺到する逆転現象が起こるのだという。 「タダ」のもつ魔力。「タダの法則」と言うようなものが働くらしい。 ここへ来て公立高校の授業料の無料化が現実味を帯びてきた。これが実現すると、この「タダの法則」が働くであろうことは当然考えられる。 そうなるとどうなるか。 公立高校に生徒が殺到し私立は定員不足に陥り、経営が立ちいかなくなるところが出てくる。公立の競争率がアップし、過当競争は塾通いに拍車をかける。 実際、大手の学習塾はそれを見越して教室を増やしているという。 やっぱり金持ちが有利となり、低所得者の子供の行き場がなくなるという本末転倒の馬鹿げたことが起こるのは間違いない。 目先の事ばかり考えている民社党に政権を担う能力はないことがますます露見していく。 高校は義務教育にするべきです。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.13
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♪ 夕暮れの田園都市に電飾の灯るごとくにラテンの響き ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夕方になると、古い住宅地の一角がにわかに賑やかになる。 一軒の民家にラテン系の人が住んでいるらしく、夕方になると仲間が集まってくるらしい。ラテン音楽が流れ甲高い声が聞こえてくる。 名古屋への通勤圏内とはいえ、郊外には田園風景が広がる田舎町だ。ラテンのリズムはちょいとばかり違和感がある。近所の人はどう思っているのだろうか。 昔の日本は今よりもずっと開放的で、窓も開けっぱなしのままで声も外まで聞こえてくるようなところがあった。しかし、今ではそんな家はほとんどなく、隣近所との付き合い方も希薄になっている。 そんな中に現れたラテン語圏の異文化社会。相当違和感が有るだろうと思えるが、どうなのか。意外と一緒になって踊ったりしてるのかもしれないが・・・。 この知多半島の付け根にある知多市は周辺に臨海工業地帯が有り、高度経済成長時代はそこそこ裕福だったが今ではその面影もない。 当時から外国人の姿を時々みかける事があった。昨近の人件費抑制のために外国人を雇う企業も幾つかあり、そこそこの人たちが住んでいるようだ。 中部地方は圧倒的にブラジル系が多く、名古屋の市営住宅にも何人も住んでいて早口のラテン語が飛び交っていたりする。少し前の人身事故を起こしたのもブラジル人の窃盗団だった。 サブプライム問題以降は減ったものの、今後も増えていくのでしょう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.12
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♪ 街灯が車道を照らしこの国の夢と希望が走り過ぎゆき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ついこの間まで、車はこの国の発展のシンボルだった。 先日、夕暮れに歩道を歩いていて妙な事に気付いた。比較的新しく出来た田舎道で人通りが少ないせいか、街灯が50m間隔ほどにしか点いておらず、暗くてかなり足元が不安だった。 やっとの思いで明かりの点いている場所まで近づくと、何んとその貴重な街灯が車道を照らしているのだ。歩道と車道の間にあるそれは、あろうことか車道側に向けて設置してあり、”車が通る道路を照らすために”点灯しているのだ。 これは一体どういうことだ? 車にはヘッドライトが有るんだから、街灯なんて無くたって困らない。困るのは歩行者なのだ。正面から車が来れば、眼つぶしになって何も見えなくなるし、通り過ぎれば真っ暗だ。 この道路を設計した人間は、歩行者の事が全く頭になかったと見える。 多分、予算が有るから街灯を設置したに過ぎず、新しい道路を誇示するための道具として活かそうと思ったのに違いない。 まったくばかげた話だ! この国はすべからく車優先で発展してきた。車は経済発展のシンボルであったし、庶民のステータスでもあった。車は憧れであり希望と夢を乗せる夢の乗り物だった。 経済の発展のためなら多少の犠牲は仕方ないという風潮で、人が我慢を強いられてきた。歩道のない道路、階段を長々と上らせられる横断陸橋、やけに短い歩行者信号などなど。まるで邪魔者扱いだ。 この小さな国に「トヨタ、日産、マツダ、三菱、いすず、ホンダ、スバル、スズキ、ダイハツ、日野」と10社を数える。世界でも珍しい車王国だ。 その経済力が政治を動かし、道路族を肥大化させ、高率の自動車税で得た有り余る金を湯水のごとく道路につぎ込んできた。 ”そこのけそこのけ、お車様のお通りだ。”この横暴ぶりがこの奇妙な街灯の設置に現れているのだろう。 「お客様のために」と言いながら、売りっぱなしで自然破壊のお先棒を担ぎ巨万の富を築きあげたトヨタ。ここへ来て陰りを見せ、ツケが回って来ている。 甘い汁を吸うだけすって、後は野となれ山となれと好き勝手にやって来た政治家と官僚。それに群がる財界と企業家たち。 ”おんぶにだっこ”体質と”右に倣え”の性格は、今後も変わりそうにない。一億総何んとか・・・・民族が、一緒になってこの国を歪んだ国にしてきた。 目先のことしか考えず、自己中心的で自分の利益だけしか頭にない国民性。 まさしく村意識そのもの。日本人の根底にある絶対的で悲しい民族性だ。その事は「和辻哲郎」が「風土」に詳しく書いている。 首相が国会で、母親からの資金提供を追求されてしどろもどろの答弁を繰り返しているのを聞いていると、腹が立つやら情けないやら。 どうしてこうも簡単に国民は騙されてしまうのか、マスコミにも責任が有るだろう。 アジア諸国にどんどん追い抜かれ、財政は破たん。 又もとの貧しい国に逆戻り・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.11
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♪ 音もなく忍び寄りくる大津波 財政破綻に警報は出ず ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本の財政がひっ迫している。このままでいくと10年足らずのうちに破たんする可能性が有るという。 2010年度予算案では歳出92兆円に対して、税収を37兆円しかないと見込んで、44兆円もの国債を発行した。戦後初めて、当初予算で税収より多い国債を発行したのだ。このままの枠組みが推移すると11~13年度も50兆円を超える税収不足が続くという。 既に2010年末で、国や地方自治体など全体の公的債務残高は949兆円にも達するという。GDP(国内総生産)の1.97倍で先進国の中で際立って大きい。国民一人当たり約750万円の借金を背負っている事になるらしい。こんな国に誰がした? 国債の9割以上は国内の金融機関(ゆうちょ銀行、一般銀行、保険会社、年金基金など)が主な買い手で、その資金を出しているのは一般市民だ。預金や生命保険料の形で間接的に国債を買っている事になる。 この借金頼みがいつまで続けられるかというと、2019年に公的債務残高が個人金融資産を上回り、家計が借金を引き受けられなくなるらしい。 一般家庭の株や預貯金は1400兆円余りあるものの、実際には住宅ローンなどの負債もあるので実質1千兆円にすぎず、高齢化で貯蓄を取り崩す人が増え、資産の目減りも見逃せない。 これを埋め合わせるためにか、マル優の限度額を今の2倍にしようという案が出ている。 今は景気低迷で企業がお金をあまり借りなくなって、金余りの金融機関が国債を買ってはいる。しかし、国債が順調に売れる現状は「国債バブル」であって、何時まで続けられるか分からないという。 米国の大手格付け会社が日本国債の「格付け見通し」を引き下げ、債務不履行リスクが中国を上回っているらしい。 政府の信用が弱まると、国債が値下がりする。買ってもらえるように利回りを高くすると長期金利も上がる。これが続くと利払い費の膨張で財政が悪化。企業が借金する時のコストもかさみ、また住宅ローンの金利も上がる。 円の価値も下がり輸入品が高くなる。景気が悪いのに物価上昇が続く「悪性インフレ」になりかねない。国債が値下がりすれば金融機関の損失が膨らむ。もし倒産すればペイオフで1千万を超える預金はカットされ、保険の配当や年金も減る。 最悪の場合、円が売られ、株が暴落し、国債が投げ売りされ、長期金利が高騰。貨幣価値が下がりガソリンも高騰、買い物にカードが使えなくなり、超インフレと不景気で会社は倒産し、銀行に預金を引き出す人が殺到。 こうなるともう手がつけられない。 これが現実になるかもしれないという事に対して、政府はどう答えるのだろうか。 2000年のアルゼンチン、最近のギリシャのような財政危機が日本にも起こる可能性が高いという事実に・・・・ 今、国民は民社党に失望しかけている。NHKの世論調査で「支持しない」が50%を超え、「支持する」を大きく上回っている。 ばらまき政策の人気取りで評判を落とした麻生元総理と同じことをやろうとしている。マニュフェストに固執するあまり柔軟性を欠き、意地と見栄を張りつづける事で体面を保とうとする目いっぱいの状態だ。 こんな滅茶苦茶な予算を組んで、今後どうやって責任を取っていくんだ?「国民の負託に答えただけだ」なんて絶対言わせないぞ。 朝日新聞3月7日の記事より抜粋「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.10
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♪ ブレーカー飛んで消えゆく電脳の文字はミクロの痕跡もなし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 折角書いた今朝のブログ、あと少しの所でブレーカーが飛んで一瞬のうちに雲散霧消のカタストロフィー。 何の痕跡も残さず、「無」が残った。 電気容量を一杯食う電器製品を一斉に点けたのが原因だ。我が家は未だ驚異の20Aのままで、トースター、電器ストーブ、アイロン、ドライヤーなどの幾つかを同時に点けると、もうひとたまりもない。 今朝は息子が”朝シャン”の後に無配慮にドライヤーを点けたのが原因だ。 長々と書いた文章が一瞬のうちに消えて、元の黙阿弥何もなし。もう立ち上がれない。もう二度と同じ文章は書けないし、書く気も起らない。がっくりときて暫く何も手に付かない状態だ。 クーラーが嫌いなためにこんな電気容量でいられるわけですが、その事が抑止力となって、電気の使用量を抑える事が出来ているのは事実です。 クーラー以外は他のお宅と変わらない電化生活をしているわけですが、使用電力はかなり少ないと思う。 しかし、時々こういう事が起こるので不便だと思う事は有るが、いずれは二人だけの生活になるのでこれで十分だと思っている。 これからの時代、省エネをとやかく言うならこういう家庭に報奨金でも出せば良いのにと思ったりします。税金を安くするとかね。寒い朝はいつもアンリが膝の上 焼きかけだった食パンを焼いて食べ、新聞を読み、息子が車から荷物を運ぶのを手伝ったりして、ようやく気持ちを切り替えた。今朝の短歌は当初の内容は先送りして、このブレーカー事件を詠んでその顛末を書くことに。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.09
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♪ 静かなる雨音の中語り合う平凡であるそのことの意味 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 若いころに抱いていた、平凡が退屈だという思いはさすがに最近は影をひそめ、平凡の貴重さを自然に口にする今日この頃です。 様々な偶然の中で、吾ら人間も運命に弄ばれながら生き永らえている生物の一種です。 そんな中で、事故もなく大きな病気にかかる事もなく、偶然のいたずらに巻き込まれる事もなく平凡でいられることの幸せ。何もない毎日でいられる事は、幸運に恵まれていることに他ならない。 足るを知り、その状況を受け入れる。欲望にはきりがない。 現状を受け入れることが怠けものというのには当たらない。そのもう一歩上を目指すという前向きの心持があれば、充実した毎日を維持できる。 また、不平・不満を言えばきりがない。 自分と同じ価値観を持った人間などこの世に存在しないし、自分のためだけにこの世が有るわけでもない。皆さんと一緒に生かせて頂いているという小さな存在に他ならない。 心安らかにいるために、私は次の二つの事をいつも心に念じている。 *人と自分を比べない。 *自分以外のものに期待しない。 この二つを肝に銘じていれば裏切られる事も、ひどく落ち込む事もない。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.08
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♪ もぞもぞとミミズ蠢くコンポストに生ごみ入れむモクレンの花 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日3月6日から3月20日まで、春分の日の前日までが啓蟄に当たります。 啓蟄とは、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也(暦便覧)」。冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃という意味だそうです。 縮こまってほとんど活動していなかった「ミミズコンポスト」のミミズも活発に動き出しました。腹をすかしているでしょう、慌てて生ごみを集めて投入してやりました。中断していた生ゴミ処理作業の再開です。 暮れからずっとゴミに出していましたが、これからは全てこの”生ごみ処理班”に任せる事になります。3人家族の生ごみ程度なら、与えてはまずいものを除いてほぼ全部をこのミミズたちが上等な肥料に変えてくれます。こんな感じになってます。発砲スチロールには水性塗料を塗ってあります。 一挙両得のまさしくこれぞ”エコ”です。 「ミミズコンポスト」の効用について、こちらのページに詳しく丁寧に解説されています。 参考にして是非、あなたの家の生ごみを優秀な堆肥に換えて、家庭菜園、鉢植えの栽培などに有効利用してみて下さい。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.07
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♪ しののめに車出でゆく砂利音のしじまに紛れそろーりそろり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 線路を挟んだ道路の向うにある駐車場は、砂利が敷いてある。 まだ暗いうちに出勤する人があり、車のタイヤが砂利を踏んむ音が聞こえてくる。静寂の中、結構大きな音がするものだから随分気を使っている様子が伝わってくる。ゆっくりゆっくりと出ていく。 変な時間に目覚めた朝は、起きる時間までの間そのタイヤの出すジャヮジャヮジャヮという砂利音を聞いている。 この音はけっして嫌いな音ではない。 今では砂利を敷いた駐車場なんて珍しくて滅多には聞けない。こういう得も言われぬ音って好きですね。 郷愁を誘う音だなぁと思って聞いている。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.06
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♪ 脳内の人と話して日もすがら孤をまといいる寂しきうさぎ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 世間には色んな人がいるもんで、たまに見かける人の中には、相手もいないのに一人でしゃべりながら歩いている人がいます。 そんな人に同じ日に二度も遇った。 一人はオバサンで、自転車で通り過ぎたのですが、何んと口汚く「バカヤロウ~」と叫んでいる。他にも何か言っているようだったが、「バカヤロー」の印象が強くて何を言っていたのか聞きもらした。何度も叫んで通り過ぎたが、余程腹を立てているらしく、顔も険しく近寄りがたい空気を発散していた。 もう一人は、作業服を着てマスクをした中年のちょこ肥りの男。 前を歩きながら携帯電話をしているのかと思ったが、電話を持っている様子がない。架空の相手と電話しているらしい。 「ふんふん」「そうか」「まあなぁ」とか相槌を打っていて、いかにも誰かの話しに耳を傾けている風だ。自分の意見を言うことはなく聞き役に徹していて、優しくソフトな口調はいかにも人柄を表しているようだった。 多分、これらの人の脳の中には小人が棲んでいるんだ。そいつが時々小さな問題を起こしたり、怒らせるような悪さをしたりしているんだろう。 こういう脳の状況になるにはいろいろあるのだろうが、一つには「孤独」が原因になっているのではないだろうか。 多重人格は虐待が要因になる場合が多いと聞いた事が有る。その苦痛から逃れるために、別の人格を登場させる事でその苦痛から回避しようとするらしい。五重人格という驚くべき事例もあるらしい。 人間の脳は極限を迎えると、実際には無いものを作り上げて、あたかも存在しているかのような虚像を作り上げてしまうのだ。 孤独もまた、人によっては耐え難い一種の極限状態なのでしょう。独り言をいったりするようになり、それがいつしか独り言ではなくなっていく。そうなると、いつの間にか誰かが棲みついたごとくにその第二者が常時顔を出すようになっていく・・・・・。 これは飽くまでも私の想像の域を出ません。 大人の独り住まいの人に見られる、「孤独」を抱えながら寂しい生活をしている人に、こういう人が多いんじゃないかということからの私の推測です。 いわゆる知恵遅れなどとは違う、正常な人の中にいる脆くて弱い部分を持った人達。 孤独は人を変えてしまう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.05
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♪ 前歯さえ失くして吹けるサックスに立ち上がりくるジャズの魂 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜、久しぶりにJAZZのライブハウスへ行って来た。名古屋覚王山の「STAR☆EYES」ライブハウスの老舗だ。 「出前JAZZ」で名を馳せたフリューゲルホーン奏者・故鈴木尚氏の13回忌記念ライブ。往年のメンバーによるクインテットで、往時を知るファンが70人ほど集まった。 私は全く知らない連中だ。ジャズを聴いていた時期がずれており、80年代の後半以降のジャズのライブはほとんど聴いていない。当時、活躍していた連中とは全く接点がないのです。 行くのが遅かったため良い席はすべて埋まり、どうにか座れたのがドラムスの横。ステージを真横から見るという厄介な席だった。 今回、驚いたことがあった。演奏が始まる前にサックス奏者の前歯がない事が判明。おまけに彼は3年ほど前に胃を切除したという。 そんな事を知ってからの演奏は、違った意味の緊張感が有った。 だって前歯がなくて上手くマウスピースが咥えられるのか? 胃を切除した人がサックスなんて吹けるのか? という思いが頭を占拠してしまった。 しかし演奏が始まると、最初の頃は少し違和感が有ったものの徐々に往年の力強さ、彼特有らしきフレージングと展開を随所随所に聴かせてくれた。 彼は、なかなかいいサックスを吹くんだと、鈴木尚と親交が有ったその往時を知っている同行の義兄から聞いていた。 その片鱗を聴かせてくれたが、やはりかなり無理があるらしく完璧という訳にはいかない。歯のない口に咥えたサックスでよくもまああんな音が出せるもんだと感心はするものの、先入観も邪魔をして心もとない感じも否めなかった。 ドラムスの真横の席ということもあって、その演奏状況がまさに手に取るように分かり、そのテクニックはなかなかのもの。30年以上やっているベテランですからね。 ピアノが向う側にあって、マイクがオフになっていた事もあってあま良く聞こえず残念だった。早いフレージングに指が付いていけなかったり、アドリブのフレーズが少し平凡であまり伝わってくるものがなかったのも残念だ。 ベースはまあまあ上手い方かな。伝えたいものはちゃんと持っていて、メンバー次第ではかなり良いものを出すんじゃないかな。 もう一人のサックスは、フレージングが平凡でスーッと流れてしまう感じが有り、上手さから言えばやはり歯のない彼の方が数段上だ。 でも、やっぱりライブはいいね。 コンサートホールやドームなんかで聴くのとは違って、目の前で展開する生の迫力と、その息使いや表情が直接伝わってくるのが何んとも心地いい。ジャズはライブが一番と、改めてその楽しさを再認識した夜だった。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.04
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♪ すれ違いて5歩ゆき過ぎて振り向けば奴も同時に振り向き返し ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 知った顔とすれ違い、挨拶をするも返事が返ってこないのでどうしてかな?と思いながら、少し行き過ぎたところでおもむろに振り返ると、相手も同時に振り返った。 何がそうさせるのか、たまにこんな事を経験します。 車に乗って二車線の道で並んで走っている時など、隣の車の運転手が気になって何気なく見ると、必ずと言っていいぐらいに相手もこちらを見返してきます。 気を感じるというか、何かの気配を感じる不思議な能力が人間(動物)には有るようですね。そこそこ距離が離れていてもそういう事が起こります。 第六感とかそういう類のものではなく、何かのセンサーが働くという感じ。視線を感じるセンサー。教室で好きな子を何気なく見ていたら、振り返られてどぎまぎしたとかいう経験有りますよね。これって何なんでしょうか? そう思って調べてみたらやっぱり何かあるようで、視線を研究している人が世界にはいるらしい。 「X51.ORG」人間は視線を感じる能力を持っている で、この記事に対して”この記事は見当違いの実験をしている”という意見が載っていましたので、付記しておきます。 27. NONAME 2004/07/06 09:49:18 [RES↓] [TOP↑] これあれじゃん。「視線を感じるかどうか」の実験じゃなくて、完璧にテレパシーの実験じゃん。 視線を「感じる」能力の有無なら、知らない視線に「気付く」主観を問題にすべきだろ。 被験者に「自分が見られているか否か」を当ててもらう実験では、何人で何度やっても単なる偶然でしかない正解率しか出なかったそうな。 真相は”まだよく分かっていない”というところらしい。 「気のせいだ」とは思えないのも確かですよね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.03
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♪ 一瞬のきらめき残し還りゆくアースを巡る水の精霊 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 天から舞い降りてきた六花(雪)の精。 樹上へと舞い降りたものは、しばし結晶のまま時を過ごす。やがて結晶は徐々に形を変え、元の液体に戻っていきます。 その儀式の途中、精霊の姿となって透明な光を放ちます。虹を纏い、あるいは逆さまに景色を映しながら、名残惜しむようにゆっくりと地上へ還っていきます。 その最後の一瞬、命を燃やすようにキラッと輝いて・・・。 こんな素敵な写真を撮る人の心は純真無垢に違いない。そしてきっと、こんな精霊たちといつも交感しているに違いない。 この「風の記憶」の主は、「スノードロップ」と言う花の写真も載せています。雪中に咲いている珍しい写真は、上の「雪の雫」と呼応するかのようですね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.01
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♪ あけらけし夕日燃えたり東(ひむがし)にまろらの月の出し吉日 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ♪ 十重二十重うち連なりて梅の花 湖(うみ)を背にせばなを映えにけり 気心の知れたいつもの連中が、集って佐布里(そうり)の梅林へ、梅見のうたげと洒落こんだ。前夜の雨も上がりをり、天の采配感謝せむ。風は強くも暖かで、雲なく晴れて心地よし。月の終わりの日曜とあって賑わう名所なり。 もう終わりかと思えども、散った紅梅僅かなリ。ほんの一部が散りたるも、紅梅・白梅ほぼ満開。つぼみのやっと綻んだ種類もありてこの先も、まだ暫くは楽しめそう。 「ひつまぶし」ならぬ「はちまぶし」舌鼓打ち賑やかに、口も滑らか沸々と、冗談、猥談、梯子段。批判、対論、甲論乙駁。口に自信の輩なり。腹も心も満ち足りて如月最後の一日を、楽しく愉快に過ごしたり。 夕暮れ前に腹ごなし、ウォーキングと決め込めば、真っ赤な夕日沈みゆく。これはこれはと歩きつつ、坂の途中に眼をやれば白き椿の咲くところ。思わず手折る吾ひとり花盗人となりにけり。椿ひっさげ帰り道、はたと見上げるその空に、あれ満月が今昇る。 ああ、佳き日なり良き夜なり。全て吾らを祝福し、森羅万象輝きぬ。花に嵐のたとえもあるが、まん丸夕日に満の月、これ吉日といわで何とす。 かくあるごとく日は過ぎて、今日から弥生の3月だ。 *あけらけし=赤い まろら=丸い「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.03.01
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