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♪ 小夜更けて冴えかえりゆく大宇宙(おおぞら)を 突き進みゆくホモ・サピエンス ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜はよく晴れて、周りが明るくて星なんかあまり見る事が出来ないこの田園都市でも、かなりの星が見えました。 今、モンゴルの大平原の夜は、満天の星が饒舌なまでにさんざめいていることでしょう。地平線から180度満天の星空。 怖いくらいに空一面に星が瞬いて、人間の存在なんて消し飛んでしまいそうな圧倒的な美しさ。そんな情景を、死ぬ前に一度は見てみたいと思う。 宇宙船地球号はこの宇宙を、時速=10万km/h 秒速=30km/sのスピードで突き進んでいます。秒速30万km/sの光には及びませんが物凄いスピードです。 「光より早いものは存在しない」とアインシュタインは言い、光の速度で移動できれば年を取らないという。♪ 冴え返る小夜の時空を突っ走る刹那刹那に過去を連ねつ しかし、実際の日々は矢のごとく過ぎていき、今日は早や11月も最後の日となりました。 12月に入ると途端に気ぜわしくなり、何だか忘れ物をしてるんじゃないかと、妙に落ち着かない気持ちになります。 気ぜわしくなる前のひと時、今日はのんびりその忘れ物を思い起こしてみましょうか。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.30
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♪ 短日(みじかび)の早や暮れゆきて やんわりとクラリネットのジャズを響かせ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ クラリネットの音はどこか物悲しい。 ニューオリンズ・ジャズからスウィングにかけて花形だったクラリネットは、今や凋落の一途で演奏する人もいなくなってしまった。 モダンジャズの華やかな音の饗宴について行けず、ビバップ時代に辛うじて残っていた名手も、追従するものがなくなって、とうとうクラリネットの奏者は絶えてしまった。 日本人では鈴木章治の「すずかけの道」の大ヒットで、クラリネトのジャズと言えばこの人の名前が浮かぶ人も多いでしょう。 また、白髪で洒脱な語り口でも人気のあった北村英冶のクラリネット・ジャズも定評があり、TVにもよく出ていました。 私の好きなジャズ・クラリネット奏者は、隠れた名手といわれる「トニー・スコット」。久し振りに聴きたくなって、LPに針を落とした。 ベニーグッドマンなどの演奏とは一線を画し、クールな音色とフレージング追っていた他の奏者とは全く違う。チャーリー・パーカーの影響を受けたヴァイタルな演奏スタイルは、例外的な稀有な存在だ。 「私にとって、チャーリー・パーカーは神のような存在です。」「私は、どこへ行っても、演奏する前にチャーリー・パーカーのことを語り、そして彼に捧げるブルースを吹きます。」 ズバリ「TONY SCOTT QUARTET」というタイトルのアルバム。 ’53年の絶頂期の躍動感に溢れた演奏は、当時の最もエクサイティングなアドリブ・プレーヤーとしての真骨頂が収められている。 1921年、ニュージャージー州モリスタウン生まれ。2007年85歳で亡くなった。世界各地で活動し、日本でも多くの演奏家と共演、禅をテーマに日本の尺八演奏家、山本邦山氏と共演したレコードを出したりし、日本に住んでいた(1960年~65年)事もある。 春には聞きたいと思わないクラリネット・ジャズ。その音色は秋にこそ相応しい。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.29
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♪ 千回はまさに畏怖なり万回となれば遥けきかすみとなりぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 富士山に千回登ったという人がいる。 実川欣伸(じつかわよしのぶ)さん67歳。’85年の初登頂以来、毎年数回から数十回登って来たという。 静岡県側(富士宮口・須走口・御殿場口)と山梨県側(吉田口)の四つの登山道の五合目から頂上まで登るのを一回と数え、六十二歳の定年前までに約三百五十回の登頂を果たしたそうです。2007年に退職したのを機に「誰もやったことが無い事をやろう」と記録づくりを思い立ち、初登頂以来26年目の快挙。 1千回目の先月9日夕の登山には仲間6人も同行。「標高0mからの富士登山」を目指し、田子の浦港を出発して約21時間をかけて10日午後4時ごろに頂上に立ったのだそうです。 ’08年248回、’09年203回、今月21日現在205回を重ねる。1シーズン登頂200回を10年重ねて「富士山のイチロー」になるのが目標とか。 5合目から登り始め、山頂に立って戻ってくるまでに4~5時間。 標準的な人の倍のスピードで、いったん5合目に戻ってから再び登る「1日複数回登頂」も珍しくなく、4往復した事もあるという。 常人ではとてもまねが出来る事ではないですが、この方はやはりただの登山好きではなかった。世界7大陸最高峰を制覇する「セブン・サミッター」にチャレンジしており、残すはチョモランマのみとなっているという猛者でした。 「この山は一回きり」と思っていたのが、勤務先の会社に来る中国人研修生や同僚に先導役をせがまれ、いつしか年間五、六回は登る富士山の常連になっていて、回数を重ねるうちに、同僚から「記録を目指せ」とたき付けられて発奮したんだそうです。 それにしても1000回というのは凄い数字です。100回はわりと身近な数字の気がします。私も、縄跳びの「2重跳び連続100回」を一昨年達成しましたから100回という数字は実感として分かります。 それが千回となると、もう驚きと畏怖さえ感じる数字です。それも、そうは簡単には出来ないことを千回積み重ねるという凄さ。何かを成すときの限界に近い数字のように思います。 「千日回峰行」を二度も達成した天台宗の僧侶・酒井雄哉(さかい ゆうさい)さんも凄い。「それでも悟りなんか開けるもんじゃない」とおっしゃっていますが、そのモチベーションの凄さは想像を絶しますね。 毎日の積み重ねで1000回というのなら、元気でいられれば何とか続けられるものです。 2006年5月10日から続けている「短歌日記」も中断することなく未だに続けることが出来ています。 5年続けるつもりでいますのであと半年で達成というところですが、まあ、無事生きて来られた証程度の事でしょうか。 それが、「万」ともなると、もう手の届かない憧れの世界だ。もうただただ多いという概念の中に、個々のことは埋没してしまうような、人事を越えた世界に入ってしまう。金剛山に咲く花 特例がありました。37年間かけて金剛山(1125m)登頂を、2002年についに1万回目を達成された方がいました。藤井寺市のバス運転手、平野次男さん(当時64)。 結婚して家庭を持った四十四年ごろから、「健康になり、気軽に楽しめる趣味を持とう」と本格的な金剛山の登山に取り組んだ。休日や仕事の合間を縫って、朝四時に起床し、頂上まで片道二・八キロの道のりを往復一時間十分ほどかけて歩いた。 多い年で年間三百五十日は金剛山に登り、一日八往復したこともあったとか。2009年には12000回を達成されている。 この偉業は、このぐらいの山が身近に有るという事が絶対条件でしょうか。凄いと同時に羨ましい気もします。 「千」で多さ、長さ、大きさを、「万」で計り知れなさを表す言葉の数々。 千秋万歳(せんしゅうばんざい) 千辛万苦(せんしんばんく) 千波万波(せんぱばんぱ) 千変万化(せんぺんばんか) 千軍万馬(せんぐんまんば) 千客万来(せんきゃくばんらい) 千軍万馬(せんぐんばんば) 千姿万態(せんしばんたい) 千言万語(せんげんばんご) 千差万別(せんさばんべつ) 千山万水(せんざんばんすい) 千紫万紅(せんしばんこう) 千思万考(せんしばんこう) 遺憾千万(いかんせんばん) 笑止千万(しょうしせんばん) 千万無量(せんまんむりょう) 無念千万(むねんせんばん) 無法千万(むほうせんばん) 慮外千万(りょがいせんばん) 千、1000、という数は心を刺激してやみません。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.28
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♪ 頂きは茫漠として霧深し立ちて我が身の無知なるを知り‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 民社党の力の無さ無能力さがつぎつぎと露呈して、菅総理はあたふたと取り繕う日々が続いています。 その場に立ってみて初めて知る責任の重さと、要求される物の大きさに押しつぶされそうになっている。 野党にいる時は気付かなかった、問題の多さ複雑さに辟易しているのではと、ニュースを見る度に思えてくる。 相変わらず軽口のつもりの、「失言」という名の「本音」を漏らす大臣がいる。大臣になった事で、政治家としての目的を果たしたような幼稚な人たち。 引退すると宣言した金持ちのボンボンが平気でそれを翻す。その厚顔無恥の神経は到底理解できない。それを誰も指摘し、撤回させる事が出来ない呉越同舟的集団。 首相は鳩山氏に政権運営への協力を求め、27日、都内の中国料理店で昼食を共にしながら約1時間半会談したという。 仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決されるなど、菅政権を取り巻く環境は厳しさを増しており、どうしていいのか分からないらしい。 なんという体たらく。菅内閣の6月8日から10月30日までの推移 中国には足元を見透かされ、北朝鮮にも何にも言えない弱腰政権。支持率は23・6%と低落に歯止めがかからない。政権維持の「危険水域」とされる30%を大幅に下回った。 「共同通信」が今月の23、24両日に行った世論調査で、菅内閣の支持率は今月初旬の前回比で9・1ポイント低下し、自民党の支持率24・6%を下回った。 首相は「(支持率が)1%になっても辞めない」と言っているらしい。 野党になった自民党も、自分の座る場所を取られた駄々っ子のように、ただただ上げ足を取るばかり。長期政権で培ったノウハウを活かすような協調路線をとる素振りもない。 仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決されても辞任しないつもりのようだが、野党は審議拒否に出るのは必至の状況だ。 建設的な方向で議論するという発想が無く、混迷のまま年が明けそうだ。 高給取りのプロなら、プロらしいちゃんとした仕事を見せて欲しいものです。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.27
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♪ 失いてそれが力となりぬべしすべて揃いし吾の無力さ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 身体に障害を持っている人たちのスポーツに賭ける情熱には凄いものがある。 先日、あるパラリンピックの選手を取り上げたTV番組が合った。もともとは健常者だった男性が、仕事上の事故で左腕と残りの腕の指2本を失い、足にも障害が残る大事故に遭い、失意の中に落ち込んでいた。野球少年として育ち、長じてもずっと野球に打ちこんできた。就職して間もなく結婚し、その矢先の事故だった。 晴天の霹靂とはこの事。自暴自棄になり生きる意欲を失っても不思議ではない。 そんな彼が、障害者の野球チームがある事を知り、自分の生きる目標を見いだしていく。そこからの努力が凄い。片腕で捕球と送球をしなければならない。片腕で、それも3本の指でバットを持たなくてはいけない。 努力の甲斐あって、チームのレギュラーを掴み取っていく姿にはただただ感服するばかり。 障害者スポーツは、片足のサッカー、義足をつけての短距離走、椅子に座ってのスキー、車いすのバスケットなどなど、どれをとっても生易しいものではない。 当たり前に有ったものを失ってからのモチベーション。失くしたからこそ気付く「努力することの意義」、「やるっきゃない」覚悟と、もう失うものはないという開き直り精神と。 義足の代わりにバスケットボールをつけ、パラリンピック出場を目指す10歳の少女がいる。 --2008年12月のデジタルマガジンより-- チエン・ホンヤンちゃんは、3歳の時に交通事故に遭い両足を切断。両親は義足を買うお金がなく、代わりににバスケットボールをチエンちゃんの下半身として与えたらしい。チエンちゃんの夢は、水泳の選手として2012年にロンドンで開かれるパラリンピックに出場すること。彼女は1日に2000メートルという距離を泳いで特訓に励んでいるという。 練習を始めてから彼女は多くの困難にぶつかった。でも、決してそのことに対して不平不満を言わないとのこと。 1組の義足を持っているが、彼女は義足よりも動き易いバスケットボールの方が好きだと言う。2012年のパラリンピックでは、バスケットボールに乗った選手の姿を見られるかもしれないと、記事は結んでいる。You Tube 画像 無い物ねだりの正反対に在る世界。 障害者スポーツは、観ていて清々しいほどの感動を与えてくれる。 健常者にさえ簡単には出来ない事をやって見せる彼等に、ただただひれ伏すばかりだ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.26
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♪ そこここの悲鳴をあげて如何にかを知らされている経年劣化 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 南の角にある古い「南天」の木が、そうでなくても狭い庭の日当たりを悪くしている。それで、この際思い切って抜いてしまうことにした。 「ナンテン」は名前から「難を転ずる」に通ずると縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどといわれている。南の角にある必要もないし、もう一本別のところにあるので抜いてしまってもいいだろう。 ナンテンの根元にアオキとテイカカズラが絡み合っていて、そのどちらもそのままにしておきたいので、一気に掘り上げるというわけにもいかない。 幸い自然薯掘りの道具があるので、そいつで少しづつ削るようにして根を掘って行った。道具というのは偉いもので、アオキもテイカカズラも無傷でナンテンだけを取り除く事が出来た。 我が家には色んな道具が揃っていて、何をするにも重宝している。今回は、「スコップ」と「自然薯掘り」と「鉄の棒」を使った。 「鉄の棒」は直径2cmほどあり、その重さを利用してコンクリートなどを取り除く時に使うもの。先がとがっている方と平たくなっている方を使い分ける。硬くてスコップが入らないようなところを、先ずこいつでつっいてやると後が楽だ。 狭い場所で、普段あまり使わない筋肉を使っての作業は結構大変だ。 年経れば劣化するのは当たり前とはいえ、ちょっとした労働をするだけであちこちに筋肉痛が出るのはかなわない。 経年劣化は何も器械だけじゃない。あらゆるモノが年と共に古びていくのだからしょうがない。 それが電気製品の場合は深刻だ。 製造後30年以上たった扇風機で、古くなった部品がショートし、火災になるケースが多く見られると、調査機関が17日に発表した。公開された実験映像では、使用中の古い扇風機の羽根が突然停止し、胴体部分から煙が立ち上った後、火が上がり、下の座布団に燃え広がる様子が映されている。 実験を行ったnite(製品評価技術基盤機構)によると、過去5年間で扇風機の火災は105件あり、死者も出ている。事故原因の大半は、製造後30年を超えて、内部の部品が古くなってショートするといった経年劣化だという。 ”人間の身体も劣化する”といっても、使わないから衰える訳で、器械と違うのは「鍛えようがある」という事。 時々、普段やらない事をやると、身体を如何に使っていないか事が良く分る。気分転換にもなるし、たまにはそんな事をやってみるのも、色んな意味でいいことだとつくづく思う。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.25
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♪ 失せモノが出てきたことの嬉しさを失くした訳が凌駕してゆき ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ いざ使おうと思ってバッグを開けたら、大切な一眼レフカメラが入っていない。 フィルム式なのでここの処あまり出番がない。確か使いかけのフィルムが入ったままになっているはずだ。使うつもりでカメラバッグから出して、そのままどこかへ雲隠れ。 どこを探しても見つからない。第一、そんな変な所に仕舞い込むはずもないので探すあてが無い。いつかの旅行に持って行って、どこかに置き忘れて来たんだろうか。宿の中で忘れたのなら連絡があるはずだしとか、誰かに貸したんだろうとか、様々な憶測をしてみても埒が明かない。 神隠しにでもあった様な心持だ。 小さなものでもないので、忘れたり無くしたらその時点で気付くはずなんだけど、そんな事があったという記憶もないのだ。 カミサンは”又か”とばかりに取り合ってくれない。 もう2~3年は使っていない気がするが、情けないことに最後に使ったのがいつだったかも全く思いだせない。健忘症は今に始まったことでもないが、この失せモノにはちょっと堪えた。 それが、「別のものを探していて見つかった」という、良くある話で一件落着。意外なところから出て来たのであ~ります。 まさか、こんな所に仕舞ってあるなんて、誰かのいたずらか、はたまた神の陰謀か。 そんなところから出てきたことの驚きと、そんな所へ仕舞ったはずがないという自分の記憶の無さが情けなく、喜び半分、自己嫌悪半分。♪ 晩秋と言うには少し暖かき日暮れの庭に菊花のかほり こういう探しもの騒動が日常茶飯事ともいえる吾が健忘症が、次男にも受け継がれていて、彼も大事なものを良く失くす。家のカギを失くすこと2度、自転車のカギや色んなものを失くしているらしく、先日はメガネを失くしたと言っていた。 こんな資質を受け継いでくれなくてもいいものを、と思うのですが・・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.24
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♪ バーチャルに和洋折衷グローカル サブカルチャーに日本が見える ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 第83回アカデミー賞長編アニメーション部門にエントリーされ長編アニメ「SW(サマーウォーズ)」を観た。昨年封切りされ、今年8月に金曜ロードショーでも放映されたらしいが、アニメにはあまり興味がないので気が付きもしなかった。 今回はアカデミー賞にノミネートされたということで、物は試しと思い早々にDVD借りて来た。これがなかなか面白かった。 観た人も多いでしょうから内容には触れませんが、「つながる」をテーマに大家族を舞台しながら、ネット上のバーチャル世界「OZ」を仲立ちとして世界中が繋がっていること、「諦めない事」をからめながら大いに楽しませてくれた。 筋立てやストーリーはありきたりだと言ってしまえばそれだけだけど、今の日本には薄くなった家族の絆や、威厳と滋味あふれる家長の存在の意味などのテーゼは共感を覚えた。 目に見えないバーチャルの世界をビジュアル化してみせる表現力。 日本のアニメをはじめとするサブカルチャーは、そのアイディアの「多様性と完成度の高さ」「ち密さと美しさ」は世界中で称賛されている。「SW」も日本人の感性や心情、美意識や価値観がストレートに表現されていることが、アカデミー賞でも評価されることになるのだろう。 デジタルな空想世界に着物姿の美女が立ち向かうという、日本アニメならではのビジュアル感覚。 外国を意識してそれを真似る時代はとうに過ぎ、日本的なものを堂々と自信を持って出していけば充分通用する時代になった。 アポロ11号の月面着陸の同時通訳をやった「鳥 飼 玖 美 子」さん曰く、日本人は英語に細かい事を言いすぎる。LとRの発音なんて気にすることはない。前後の文脈で分かるんだからと・・・・ 「もっと自信を持って、日本的英語で話せばいいのに」と言っています。♪ 豊穣の日出ずる国や四方の海ひかりあふれてありにけるかも 今必要なのは、「どれだけオリジナルで本物か」というこ、と元ソニーの社長の出井伸之氏は言う。 ローカルで閉鎖的な地域で醸造された独自の文化が、世界に躍り出た時、逆に普遍的価値が生まれる。ローカルに徹してこそグローバルに開かれるわけで、それを「グローカル」という言い方で表現する。 ここに日本の生きる道がある。日本の文化は層が厚く、奥が深い。争い事を好まない和の精神、伝統に裏付けされたクオリティーの高さ、繊細な美意識やきめの細かさ、礼節や礼儀を重んじる丁寧な暮らし。 これらの「良さ、悪さ」を点検し、再確認し再認識すべきであると。 全く同感です。 総合的に言って、世界中でこんな優れた文化を持った民族はいないと言っても過言ではないでしょう。 国内でも方言が見直され、大分県日田市出身の「コージー大内」という歌手は日田弁で「角打(かくち)ブルース」を歌う。ギターの上手さがそのスピリットの裏付けとなって、異例のヒットをしているらしい。オヤジブギ。 近いところから「日本人の良さ」を知って行くというのも良いんじゃないかな。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.23
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♪ もう一つ何かいい事ありそうな名古屋YEARは残り四十日 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今年は名古屋にとって盆と正月が一緒に来たような年だった。 野球では日本一を逃したものの「中日ドラゴンズ」がセ・リーグ優勝を果たした。「点を与えなければ負けない。投手力で勝つ」という落合流「守りの野球」は、今の日本を象徴しているような見事な采配だった。 Jリーグでは「名古屋グランパス」が18年目にして悲願の初優勝。ピクシー監督3年目の快挙だ。またとないW優勝の快挙に、名古屋は大いに沸き、デパート、量販店などでバーゲンセールの花が咲いた。 また、女子フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第4戦のアメリカ大会では、今季からシニアに転向した名古屋出身の村上佳菜子(16)が初優勝。 シリーズ第5戦、モスクワ大会では、安藤美姫が第3戦の中国大会に続いて優勝。12月のGPファイナルの出場権を獲得。名古屋のスケートレベルの高さと層の厚さを証明して見せた。 名古屋で行われた、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)では、「名古屋議定書」の内容と2010年以降の多様性保全目標「愛知ターゲット」の内容に合意にこぎつけた。遺伝資源の利益配分ルールを定めた新たな国際協定で、難航の末にかろうじて合意に持ち込んだ。 環境保護に取り組む俳優のハリソン・フォードも参加して、「生物多様性は地球上のすべての生命の基盤。難しい交渉だが世界が力を合わせてほしい」と訴えた。世界193カ国・地域が加盟する生物多様性条約を米国が批准していないことに触れ、「参加すべきときにきている」と強い口調で述べた。 46万人余りの市議会リコール署名が、じわじわと議員を追い詰めている名古屋市議会。川村たかし市長の主張する10%恒久減税と議員報酬半減は実現するのかも大いに興味のあるところ。 今年も残り40日。もう一つぐらい何か「大きなハッピー」があるような気がしてりるのは、私だけではないでしょう。 「年末ジャンボ宝くじ」はもう買うっきゃないね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.22
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♪ 着流しのをんな歩める槇尾のなだりは秋のいろにみちをり ♪ 洛北の三尾めぐりて空海のみそぎたるらむ清滝の川 ♪ 栂尾の鳥獣戯画や鎌倉の往時をしのぶ幽すいの中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 朝から良い天気に恵まれた昨日、紅葉を見に洛の北西にある三尾(高尾、槇尾、栂尾)を訪れた。 多分日本全国の紅葉の名所はどこもかも凄い人でにぎわった事でしょう。渋滞(往路)、渋滞(駐車場)、また渋滞(復路)。 その中には入りたくないので、時間を早め早めに設定したお陰で終始スムーズに行く事が出来た。ただ、東名阪の亀山JCはどうにもならず、11キロの渋滞に掛かってしまった。 その他はまったく問題なく、最高の紅葉を満喫して来た。今年は夏秋の高温が幸いしたのか、例年になく美しい紅葉となっているようですね。 あの真っ赤に色づくモミジは何と言う種類のモミジなんだろうか。葉っぱが小さくて品があり、結構な大木になるようだ。多分、イロハ紅葉(もみじ)じゃないかと思う。 楓(かえで)と紅葉(もみじ)は植物分類上は同じだが、 楓のなかで特に紅葉の美しい種類を「もみじ」と呼ぶ説がある。また、盆栽や造園業の世界では、葉の切れ込みの数、切れ込み具合によって両者を呼び分けているらしい。 ★かえで → 葉の切れ込み(谷)が浅い ★もみじ → 葉の切れ込み(谷)が深い 300種もの園芸品種が江戸時代から作り出されているらしい。 楓科の代表種は「イロハ紅葉(もみじ)」で、てのひら状に5~7裂する葉の先を「いろはにほへと」と数えたことから、その名が付いたんだとか。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.21
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♪ 明星の昇り来りし朝まだき目覚めし吾を清めたまいぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日の朝、5時に起きて東の空を眺めると、煌々と輝く金星を見ることが出来ました。夜明け前の清澄な空に見る「明けの明星」は、メランコリックな夜を過ごしてきた頭をリフレッシュしてくれる。 18日がピークだった「しし座流星群(毎年11月14日~24日にかけて出現)」が東から南の方角へと昇ってくると知って、眺めてみたものの一つも見ることが出来なかった。 2001年の出現時には1時間に数千個の流星が観測されたのに比べて、今回は1時間に数個という予報だったことを思い出した。 それにして宇宙は面白い。 望遠鏡が進歩する度に新しい事実が判明して、宇宙の謎が次つぎに解明されつつある。いや、逆に謎がどんどん膨らんでいると言った方がいいのかもしれない。 私たちが住む銀河の中心を挟む形で、ガンマ線を強く出す巨大な「泡」状の構造があることが、NASAノフェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡の観察で分かったらしい。 この構造は、銀河系の核から上下に2万5000光年延びているという。 ガンマ線は電磁波の中で最もエネルギーが高い。宇宙では、超新星のようなすさまじい現象や、ブラックホール、中性子星など極限の天体から放たれる傾向があるらしい。 今回新たに発見された泡は、電荷を帯びた熱いガスから成る。このガスが放つエネルギーは、10万個の星が爆発したときのエネルギーに匹敵するらしい。ここで問題となるのが、「銀河系のどこからそれほどのエネルギーがやって来たか」ということだそうだ。 望遠鏡が手元にあったら、どんなにか楽しいだろうと思う。 今、木星も深夜3時ごろから昇ってきている。ガリレオのように土星の環をじっくり眺めてみたいと思ったりする。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.20
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♪ 通じない息子(こ)のケイタイにふつふつと心配の芽が育つ一日 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 妻は、たった一日ケイタイが繋がらないと言っては、離れて暮らす二男の身を案じている。 大の心配性で、いつだって先へ先へと心配の種を播いて、それを自分で育ては憔悴している。何故、わざわざ未来を悪いイメージで迎えなくてはならないのか、どうしてもその感覚がわからない。 聞くと、悪い方へ考えていないと余計不安なのだという。逆に良いことばかりを考えていて、悪いことが起こった時のショックが嫌なのだと言う。 悲観論そのものじゃないか。 全てを悲観的に捉えることで精神の安定を図ろうとする。鍋の底にいて天井を眺めているような状態は、傷つくのを恐れ一歩も外へ出ようとしない手負いのアナグマみたいなものだ。それじゃあ美味しい獲物にはありつけない。 先日亡くなった作詞家の星野哲郎氏のうた「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね。」「一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。」の様に、幸せを掴むために前向きで一歩一歩進んで行く。 楽観主義でなければ一歩も出ないし、幸せはやってこないんじゃないか? 何事も悪く捉えていては運だって逃げていく。 多少の不安があってもプラス思考で考えれば、マイナスもプラスとして捉えられるようになる。そうすればマイナスのイメージが頭に残る事もなく、さらに前へ進むことが出来る。 先のことなんか誰にも分からない。自分の手ではどうしようもないことを、あれこれ詮索してもしょうがない。成るようにしかならない。 しかし、どうなってもいい様にとの心構えだけは持っている必要があるだろうけど・・・。 仮に娘がいたとして、もしこの繋がらないケイタイが娘のだったら親父は心配せずにいられるか、と言われれば、多分無理だろう。母親と末っ子、父親と末娘。この関係はちょっとばかりややこしい。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.19
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♪ バスタブに身を沈めれば絶え間なく地球に生きるものの音せり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜10時過ぎは人々がまだ活動を止めない時間帯なのか、様々な音が聞こえてきます。近くから遠くから車の音がひっきりなしに聞こえていて、夜の世界全体を音の膜で包んでいるかのようです。 この田舎の田園都市でさえそうなんです。 眠る事を知らない都会に住んでいると、「しじま」とは全く縁のない騒音の中に24時間を過ごすことになる。 余ほどの田舎に行かないと味わえない「静かさ」というのは、もう贅沢の一つになりつつあるのでしょうか。 バスタブに浸かって黙然としながら音の無い音を聴き、その静謐の中から僅かに聞こえてくるものに耳をすませる。奥深い山の温泉にでも行った心持で毎夜を過ごすなんて、やはり最高の贅沢ですね。♪ 小夜更けてバスタブに身を横たわばいずくに聞こゆ口笛の音 夕べは車の騒音に交じって、何処からか口笛の音が聞こえてきました。誰が? 良くよく耳を澄ませて聞けば、どうやら読むべき本を読み終えて時間を持て余したカミサンが、変な時間に観ているTVからのものだったらしい。 どこもかも、いつもいつも文明とやらが、人間を自然から遠ざけている。 無音の闇がなつかしい。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.18
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♪ 夕風に欅の枯れ葉せりせりと鳴りて落ち葉となりにけるかも ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 街路樹が色づいてきて、あたりが華やぐ季節を迎えています。 好きな欅の葉も色づきに初め、個体差を見せながら頼りない日差しの中にその端正な裸形を見せる時を待っています。個体差があって同じ場所に植わっているのに、未だ緑を残しているのがあるかと思うと大分色付いたのあったりして面白い。 真赤に紅葉するわけでもないが、小振りな葉が特徴の樹形は独特の風情があって美しい。♪ ほらほらと憂しきこころに歩めれば欅の枯れ葉さりさりと鳴り 歩道に植えてあるものはすでに枯れ葉を散らし、靴うらにまとわりながらカサコソとか弱い音を立てています。 欅はやはり、すべての葉を落として放射状の枝を空に広げている冬の姿が一番いいね。 トウカエデも朝日の当たる上面東側から色づき始め、真赤な葉と緑の葉のコントラストが美しい。その割合が日に日に近付き、やがて逆転して木全体が真っ赤になる。 そんな日が間もなくやってくる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.17
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♪ ウラノスもガイアも越えてこの星を語らんとして石転がれり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「河原の石一つにも宇宙の全過程が刻印されている」という言葉で始まる奥泉光 著の「石の来歴」。 散歩の途然に何気なく手にとる一個の石は、およそ五十億年前、後に太陽系と呼ばれるようになった場所で、虚空に浮遊するガスが凝固してこの惑星が生まれたときからはじまったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。 石に心魅かれるわけが分かった。石には宇宙のロマンが凝縮されているのだ。 一般に岩石はでき方の違いにより、火成岩、堆積岩、変成岩に大別される。 ●火成岩 マグマからかたまってできる。 1) 岩石の組成と組織を基準にした分類 マグマの種類と冷え方で変わってくる 2) 岩石の成因を基準にした分類 安山岩溶岩、玄武岩岩脈 ●堆積岩 ふりつもったものがかたまってできる。 起源を持つ粒子で、ふつうの堆積岩は 粒子のサイズで分類される 生物起源の堆積岩は個別の分類がある * 礫岩 礫を主体とする岩石 * 砂岩 砂を主体とする岩石 * シルト岩 シルトを主体とする岩石 * 泥岩 シルトや粘土を主体とする岩石など 生物起源の堆積岩の例 * 石灰岩 石灰質の殻をもつ生物 (サンゴ・有孔虫など) * チャート 珪質の殻をもつ微生物 (放散虫・珪藻など) ●変成岩 強い熱や圧力をうけてできる 既にある石が新たに高い温度・圧力を 受けること(変成作用)によってつくられる *熱変成岩(または接触変成岩) 主に強い熱をうけてできたもの *広域変成岩 熱と圧力を同時に受けてできたもの *動力変成岩 断層活動に伴ってその周辺の岩石が 変形・破砕されてできたもの マグマの熱により変成したもの # ホルンフェルス 主に泥岩が熱を受けて緻密になった岩石 # 結晶質石灰岩(大理石) 石灰岩が再結晶して粗粒になった岩石 地下深部の熱と圧力により変成したもの # 千枚岩 主に泥岩が熱と圧力により剥離性を持つようになった岩石 # 結晶片岩 熱と高い圧力を受けて縞状の組織を持つようになった岩石 # 片麻岩 高い熱と圧力を受けて縞状の組織を持つようになった岩石 # 蛇紋岩 かんらん岩が熱と圧力を受けた岩石 (かんらん石・輝石が蛇紋石化してできる) 岩石は天然の生成物なので分類基準の規格に必ずあてはまるわけではなく、中間的な種類や例外が多数存在する。 成分や構成のしかたで様々なバリエーションが生まれ、色の違う種々の美しい宝石が誕生することにもなる。 ♪ 来し方を肌に刻みてもの言わず原始を知りし石と語らむ 河原で拾う石ころはどんなによそよそしく疎遠にみえようとも、君と無縁ではありえない。君自身を一部に含む地球の歴史の総体を君は眺めているのであり、いわば君は君の未来の姿をそこに発見するのである。同書 この文書を読んでいて、自分が石に梵字を書きたくなった訳がよく理解できた。 宇宙の歴史そのものである石と、古代の仏教を起源として存在している梵字とは密接なつながりがあるように感じたからだ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.16
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♪ ドライブに余暇つぎ込みて本州の四端極めてまだ飽き足らず ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 旧友に随分久しぶりに会う機会があった。トヨタ関連の企業に勤める彼は、ドライブが趣味らしい。本州の主だったところはほぼ走破したと言う。機会を作っては長距離ドライブしているようだ。 本州の最北端・大間崎(おおまざき)、最東端・?ヶ埼(とどがさき)、最南端・潮岬、最西端・毘沙の鼻、全てを攻略したと言う。山口の最西端には3回も行ったとのこと。「本州四端踏破ラリー」というのがあるらしい。 すべてを訪れた人に、本州四端踏破証明書を交付するとともに、記念品が贈呈されるらしい。 彼に、一日に最高どの位の距離を走ったことがあるかと聞くと、何と!”1300キロぐらい”だと平気な顔をしてのたまった。仕事が終わってその足で、愛知から竜飛岬まで一気に走ったというから驚く。 余ほどのドライブ好きでなければこんな事は出来ない。自分が経験したのはせいぜい2日間で1000キロ程度。それでもお尻が痛くなった事を思うと、これはもう苦行としか思えない。 以前、他の知人に同じ質問をして”1000キロ走った”と聞いて驚いたものだ。自分が一日どのぐらい走れるかを試してみたのだと言っていた。 しかし、1300キロには驚いた。完全に脱帽だ。 歩く事の楽しみを知ってしまった私は目的地まで車で行っても、そこで歩くことを目的にしてウォーキングコースの設定をする。山に登るのもその一環だし、ただ車に乗って往復するだけではつまらない。 彼は、奥さんと二人で「道の駅」を使って、車の中で寝ながらドライブするのだと言う。「道の駅」は各地に整備されていて、温泉があるところも少なくないので、それで十分快適な旅ができるんだとか。 車種を聞くのを忘れたが、後ろのシートを回転させるとフラットに出来るらしく、寝袋さえあれば快適だと余裕の表情だ。 日本には、余ほどの田舎でない限りコンビニがあるし、トイレや食料調達にはほとんど苦労しない。自分も10年ほど前に、当時乗っていた「ラルゴ」で北海道から愛知の自宅まで帰ったことがあるが、何と便利な国かと感心したものだ。 吾が二男も、待望の車(一年落ちのデモ車)を購入し、毎日快適な日々を過ごしている様子。大阪にいるので観光地も近く、休みの日はあちこちへドライブしているのだろう。清水寺のライトアップが、すごく綺麗だったと言っていた。 我が家には車を買い与えるような余裕はないので、全て自分の貯金で賄った。うちの子は二人とも偉い。親が”へ”なので子は自分だけが頼りだ (#^.^#)。 事故にだけは充分気を付けて欲しいね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.15
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♪ 外連(けれん)なく打って拾ってフルセット大和撫子刹那を舞いぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜の対ブラジル戦は惜しかったですね。2セット先取からの逆転負け。 2セット取った段階で”もしや勝てるかも”と誰もが思ったでしょう。選手にもそんな思いが頭を過ぎったかも知れない。概ねこういう展開になる事が多いんだよね。 決して油断してはいないし、それを意識していっそう気持ちを引き締めたりするが、そこに微妙な硬さが出るんだろう。その点リードされている方は、気遅れさえなければ却って物凄い集中力を発揮することになる。 昨夜のブラジルは集中力が途切れる事もなく、世界ランキング1位の意地と絶対に勝つというモチベーションと体力が、日本を上回った。 私が応援している江畑幸子のスパイクも凄かったし、エースの木村沙織もさすがと思わせる大活躍。あの小柄な竹下がブロックポイントを挙げ、不利な体制からの正確なトスの数々。強烈なアタックをファインプレーの連続で拾いまくった佐野。ついでに、井上 香織も好きだなぁ。あの目がいいね。 第二セット、どちらも譲らずジュースへと突入して息をのむラリーの奪い合い。33-33までもつれ込んだのは大会新記録となった。取って取られてまた取って、どこまで続くかのこのシーソーゲーム。これは凄かった。 ここでの消耗戦が、体力的に有利なブラジル側へ有利に働いたのかも知れない。 先日の日本シリーズといい、昨夜の世界バレーといい、諦めない闘志と粘りの根性は日本中を感動の渦に巻き込んで、スポーツのだいご味を十二分に味わわせてくれた。 恥ずかしい話しだが、バックアタックの意味を今回初めて知った。 今まで何となく「ネットから離れて打つスパイク」ぐらいに思っていた。ところが、そうではなくて「後衛の選手はアタックラインを越えてはいけない」というルールがある事を知らなかったのだ。 また、後衛はブロックすることもできないんだねぇ。 我々の世代は9人制で教わったので、実際に6人制のバレーの試合をしたことがないせいだ。というか、バレーボールという球技があまり好きじゃなかったので、私にとっては関心が薄いスポーツだったのだ。 今日は、銅メダルを掛けてのアメリカとの対戦が17時から、ロシアとブラジルの決勝戦が19時半から行われる。≪速報!!!≫ やりました! 32年ぶりのメダル、銅メダル獲得です! 世界ランキング2位(北京五輪銀メダル)の米国に第1セットを先取され、第2セットを石田の強打などで奪い、第3セットを取られた後も木村、荒木の活躍で第4、第5セットを連取。悲願のメダル獲得です。 昨日の疲れもあって苦戦を強いられたが、粘りに粘っての勝利は今後の自信となる大金星と言っていいでしょう。 決勝ではロシアがブラジルを3-2で下し、2大会連続7度目の優勝を果たした。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.14
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♪ そそくさと陽は去りゆきてゆうぞらに ジェットの軌跡細くひかりぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夕暮の雲一つない西の空を、短い白線を引きながらジェット機が気持ち良さそうに飛んで行った。 まだ明かるさの残った空を、東に向かって伸びる細い軌跡は、描かれるとすぐに端から消えていく。そのカラッと晴れた夕空は翌日の天気を保証してくれている。 名古屋地方では、昨日今日と、この時期では5年振りの黄砂が降り注ぐ。東京ではこの時期としては初めてのことらしい。 黄砂は東アジアの砂漠など乾燥地域から、強風で舞い上がった黄砂粒子が上空の風で運ばれて降下する現象。風などの条件から日本では毎年春に観測されるが、ここ10年では2002年、05年、09年の秋にも西日本を中心に観測された。12日黄砂でかすむ福岡市内 12日は長崎、熊本、福岡、下関、松江で視程が4キロまで低下した。これは、10日ごろにゴビ砂漠で発生した低気圧が砂を巻き上げたのが原因らしい。 地球を循環している気流や水は、地球の血液でもあり体液でもある。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.13
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♪ そこそこの健診結果そこそこの生活なりてこそこそとせず ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一か月前に受けた住民健康診断の結果が届いた。 おおむね良好だが*印が幾つか付いているが大したことはない。この歳になれば当然何かには引っかかるもので、そんなこと気にしていたら生きていけない。 「かかりつけの医師に相談してください」のところにチェックが入っていても、治療を要するというわけではないのでうっちゃっておくことになる。 それでも、ちょっと気になる項目がない事もない。血糖値が200と高いのだ。 HbA1cは「5.2」と5内に留まっているのでまだ治療を要する糖尿病にはなっていないが、要注意というところ。 そんなに数値が上がるようなことに心当たりがなく、原因がよく分からない。血糖値は食事によって大きく左右されるのであまり神経質にならなくてもいいといわれるが、食後2時間経っての検査なので少しは気になる。 調べてみれば、食後3時間以上経ってからでないと正確なデータは採れないようで、その誤差の内だと言えない事もないので、まああんまり気にしない方が良い様だ。 最近、年をとったせいか喰い意地が張ってきて、甘いものでも何でもだべる。涼しくなって食欲もわいて、食べる量も増えた。「栗きんとんロール」 こんなものにも目が行ってしまうのだ (;一_一) 血糖値を上昇させるのは食物中の炭水化物(糖質)なので、炭水化物に注意する必要があるという。麺類好きにとっては一大事だ! 血糖値を上昇させるのはカロリーではないので、カロリー制限を守っていても血糖がコントロールできない場合があるとか。 アルコールは、焼酎をたしなむ程度なら却って血糖値を下げる効果があるらしい。 ウォーキングの回数も減っているので、咽・鼻の粘膜を鍛える事も兼ねて、今からその習慣をつるようにせねばと思う。 やることやって、喰いたいものを堂々と食う。それが分別のある大人というもの。 どうせすぐ忘れるだろうけど・・・「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.12
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♪ 跳躍し横っ跳びして回転す体操競技のようなる球技 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2010女子バレーボール世界選手権で、連日、日本チームの活躍で大いに盛り上がっています。 会場の一つの名古屋の「ガイシホール」で、実際の試合を観たいと思って調べたら、日本選手が出るのは東京の代々木体育館の方だけらしく残念ながら観ることが出来ない。 バレーボールは見るからに激しいスポーツだ。跳んだり飛びついたり回転したりと、全身を使った反射神経と瞬発力を要求される。 バレーボールをこんな激しいダイナミックなスポーツにしたのは、東洋の魔女を育てた大松博文監督だ。 東京オリンピックでバレーボール全日本女子チームの監督として、それまでとは全く違う手法を編み出し、世界に衝撃を与えた。「鬼」のようなトレーニングで、日本女子バレーチームに奇跡の175連勝を成し遂げさせ、日本女子バレーチームは「東洋の魔女」と恐れられた。 この大松博文監督が体格差をカバーするために編み出した「回転レシーブ」や「時間差攻撃」は、今では当たり前のように世界中で使われるまでに普及している。 時間差・一人時間差攻撃、A~Dの4種類のクイック攻撃、移動攻撃(ブロード)、バックアタックなどなど様々な攻撃が生まれたことで、当初とは比べ物にならない激しい見ごたえのある球技に変わった。 ジャンピング・トスにジャンピング・スマッシュ、そしてフライング・レシーブでコートに這う。飛んで跳ねて飛びついて、直ぐに体勢を立て直しての応酬は、指先からつま先までをフル回転してのハードワークだ。 昨日、2次ラウンド最終戦が行われ、日本は、前回優勝のロシアに1―3で敗れ、5勝2敗のE組2位で準決勝に進むことになった。 あの2m以上の長身が、パワー全開で打ち込んでくるスパイクには手も足も出ない。平均身長で約17cmの差が「これまで戦ったことのない高さ」と監督も嘆く。28年ぶりのベスト4進出を喜ぶ選手たち パワーと高さに劣る日本が本当に良く頑張っているなぁと、感心と感動をもって応援している。 7戦全勝のロシアがE組1位、5勝2敗の日本が同組2位で準決勝に進出する。F組では北京五輪金メダルのブラジルが同五輪銀メダルの米国を破り、ブラジルが同組1位、米国が2位で準決勝進出を決めた。 13日の準決勝では、日本はブラジルと、ロシアは米国と対戦する。 それにしても、日本のアスリートは可愛い人が増えたねぇ。どの競技にもかわいい人気者が必ずいる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.11
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♪ 一服の所作なく寂し労働の句点に覗くケイタイ画面 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ お勝手の収納棚を整理していた家内が、昔、誰かに頂いた南部鉄の四角い灰皿を引っ張り出してきた。 大きくて重いので一度も使った事がなく、箱に入ったまま長い間そのままになっていたもの。 今更誰かにあげようにも、煙草を吸う人が減って思い当たる人が浮かばない。自分も50を目前に止めているので灰皿の出番はない。 捨て去るのには忍びなく、何かに使えないかと考えてみた。それで思いついたのが「時計」で、思い立ったが吉日とばかりに早速作ってみた。 手持ちの自作の時計をリメイクする事にし、梵字を試作で染めた丁度いい布のがあったのでデザインはそれで決まり。ベースのアクリル板をリサイズし、布を張って見ると色目も灰皿の緑色にぴったり合って申し分ない。 最近はどこもかしこも禁煙になって、たばこ関連のものはすべからく無用のものになりつつある。「一服する」とか「紫煙をくゆらす」とかの言葉もいずれは死語になって行くのでしょうね。 「ちょいと一服」なんていい言葉で、気分転換にちょっとだけ休憩するという心持がよくあらわれていると思う。 これからは仕事の手を休めて「ちょっとケイタイ」しませんか?なんて言うんでしょうか。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.10
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♪ 今年もやり残したこと多々ありて栗きんとんもその一つなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 有難いことに暖かい日が続いてきましたが、立冬に入り(11/7~11/21)、いよいよ本格的な冬の季節に入りました。今日はかなり寒い一日になりそうです。 寒くなってくると、未来よりも過去へ気持ちが動くのは何故なのでしょう。 ああ今年もやり残したことが一杯あるなぁと、妙にメランコリックな心持になりあれこれと思いめぐらすことになる。 色々やり残したことが有るのに、先ず思うのは食べそこなったモノが多いなぁということ。貧乏人のささやかな楽しみは、特別なものなんてかではなくごく普通の食材を「旬」に食べること。それが、年をとると時間の過ぎるのが早いせいか、うっかりしていると時期が過ぎてしまうんです。 葡萄も桃も今年は猛暑のおかげか大変に美味かったのですが、大好きな栗を食べそこなったのが一番悔しい。九州か四国産のものをたっぷり買って、「栗きんとん」を作りたかった。去年は少し水気が足りなくて失敗したので、今年こそはと思っていたのに・・・・。 もっとも、作る作業の大半は家内がやるのであまり偉そうなことは言えませんが、気持ちは共同作業なんです(笑)。 子供のころ、家の裏庭にあった栗が大変美味しい栗で、その味が忘れられない。4~5本あった栗の木はそこそこ大きく、そこに板など渡して木上の基地みたいなのを造って遊んでいたことを思い出す。 私にとって、栗は子供のころの思い出がいっぱい詰まった特別なものなのです。 中学1年まで過ごした自然しかない田舎の生活と、会う事もない幼馴染との思い出の数々が「郷愁」と言う形で、「栗」というあの独特の果物に詰まっているのです。 あの不思議な花の形、あの独特のにおい。 大きな栗毛虫が這いまわるノコギリ状になった葉。小さかった「いが」が徐々に大きくなり、緑の先が裂けて茶色の実が顔をのぞかせる。 そうして台風などの大風が吹いた後に辺り一面に散らばっている「いが栗」を、両足で踏んで実を取り出す時の楽しさ。 栗は私の原点そのものなのかもしれません。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.09
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♪ 吾がさ庭に松を植えろと言いし父は五輪塔なる墓を残せり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 我が家の狭い庭に”松を植えると良い”と何度も言っていたおやじも亡くなって早や24年が経ちます。明治40年生まれの硬物は、家相や墓相に凝っていて色々研究していたようです。 先祖代々の墓石を「五輪塔」型のものにしたのは、おやじの亡くなる前の指示だったようだ。かなり古くなった変哲のない墓石がどうしても気になっていて、自分が入る時には「五輪塔」型のものに替えたいと目論んでいたらしい。 先日その墓参りに入って来た。 亡くなる時に新しくなったその珍しい墓石は、青色の文字が彫り込んである。 この青い色の意味がよく分からず、周りを見回してもそんな色のものはなく残された身内のものは皆少々困惑している。 「五輪塔」は供養塔ともいい、古いお墓を整理しまとめて合祀(ごうし)墓にする場合に用いられ、石碑(墓石)と並べて建立される。浄土真宗では用いないらしい。参考写真 右側が「五輪塔」 ここの正面に書いてある梵字は「五大種字」と言って、宇宙を構成する五つの要素(物質)を表しています。 上 空(キャ) 団形または宝珠形・・・・・・・虚空の意 風 (カ) 半月形・・・・・・・・・・・・因の意 火 (ラ) 三角形・・・・・・・・・・・・塵染の意 水 (バ) 円形・・・・・・・・・・・・・語言の意 地 (ア) 正方形・・・・・・・・・・・・本不生の意 下 「五大種字」は胎蔵界の大日如来を五つの梵字で表わした「真言」でもあります。 宮本武蔵が書いた「五輪の書」は、この五大の要素の五字をそれぞれの章の表題にしています。 私の作品の中に、これをローケツ染めで作品に仕上げたものが有ります。「五大種字」麻100% サイズ30×100cm「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.08
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♪ リモコンを5バ1野6ス(ごばいやろす)とつぶやきて 繁く切り替う日曜の夜 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ スポーツの秋を満喫した昨日の夜。スポーツ番組がゴールデンアワーに打ち並んで視聴率争いを繰り広げた。 東海の当地では、5チャンネルの世界女子バレー、1チャンネルの日本シリーズ、6チャンネルの男女フィギュアスケートといずれも興味深いものばかり。 区切り区切りに切り替えては、あっちをチェックこっちをチェックして忙しいこと。どこもがCM中だったりすると損した気分になったりする。 バレーボールは、予想通りと言っては失礼だが、完敗してしまった。フィギュアスケートは男女アベック優勝とその実力をいかんなく発揮してくれた。 注目の日本シリーズは、後がない中日が踏ん張り、延長15回の5時間を超す死闘の末、規定により引き分けに持ち込んだ。持ち駒を使い果たす総力戦は見ごたえのある投手戦に終始し、目を離せないまま最後まで見ることとなった。 スポーツ好きにはたまらない夜でしたが、スポーツ嫌いにとっては厄日のようなゴールデンアワーでした。 今日は、夫婦で所用で出かけた先から自分だけ復路を歩いて帰る。約12キロの道のりは久し振りの足には少々堪えた。4時に出発して途中で日没を迎え、後半は真っ暗な中を歩く。1キロ10分のペースは時速6キロ、丁度2時間ほどで歩ききった。 少し休めば疲れは取れた。 ビールを飲んで快い疲労感のうちに、今日も絶対負けられない中日を応援するべく日本シリーズの始まったTVの前に陣取った。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.07
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♪ 「お帰り」と返してくれる人のいる何てことない秋の夕暮れ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 晩秋は、一人身にとってつとに寂しさを感じる季節でしょうか。 私の周りにも30代40代の独身男性が何人もいます。未だ親と同居しているためことさら一人身が淋しいとは言いませんが、一人でいる時にはそれを感じているかも知れません。 長い不景気での就職難で、まともな仕事に就けない状況にあって結婚さえも許されない、厳しい社会の現実に弄ばれています。また、結婚願望が希薄だというのも原因の一つにも挙げられています。 親がそこそこ裕福なため、大人になったにも拘らず抱え込んだままずるずると年を重ねているという姿も目に付きます。 ♪ 周りにはすべてあるのに何もない 夢と希望と仕事と妻と 高度経済発展のリバウンドと言ってもいい状況にあって、世の中全体に危機感の無さ、問題意識の欠如が目に余ります。安定志向で争いを好まず、甘くて刺激の少ない味覚を好む傾向がずーっと続いています。 酸味、苦味、渋味、という味に深みを与える要素を排除して、果物や野菜の味まで変えてしまった。 自立心、独立心の欠如は国の中枢にまで及んでいて、その危機感の無さを事あるごとに露呈しています。ぬるま湯にどっぷりつかって、今や「ゆでガエル」にでもなってしまいそうな体たらく。 何ですか、あの尖閣列島での中国漁船衝突事件のビデオ映像の流出は。呆れてものが言えません。 ♪ なんとなくあると思っていたものが ないと分かって秋更けゆきぬ 人間には計り知れない機能と能力が備わっています。 あらゆる内的・外的障害から身を守るための、細胞レベルで気の遠くなる様な繊細でち密な働きをしています。 あたかもそれを発揮する必要が無いような文明という玩具を発展させ、その高度な機能を壊しては逆にしっぺ返しを受けている様な有様です。 COP10で生物多様性を語るのもいいですが、人間回復も同時に進めていかないと今後の人類は恐ろしいことになる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.06
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♪ 太陽に生かされている吾らにて主と仰ぐべししかと見るべし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 太陽は我々地球上のすべての生きものの命そのものです。 如何に太陽に依存しているか、例えば曇りの日や雨の日に太陽の光りを遮られていることが何日も続くと気がめいってきます。北国の冬はどんよりとした雲に覆われて、たまにしか太陽を拝むことが出来ませんから、どんなにか毎日が鬱陶しい事ことでしょうね。 太陽光、正確には紫外線B波にさらされると、体内でビタミンDが生産され、これが不足すると骨軟化症(くる病)を生じさせ、骨の痛みや、体重増加時にはが曲がり「X脚やO脚」などの症状を生じさせる。 NASA(米国航空宇宙局)のウィリアム・グラント博士は、屋外で働く人や、日差しの強い地域に住む人は、乳癌、大膓癌、前立腺癌、卵巣癌、膀胱癌、子宮癌、食道癌、直膓癌、胃癌など各種の癌死亡率が少ない事を報告しています。 自然の光りを如何に取り入れるかで、先人たちは様々な工夫をしてきました。京都の町屋の中庭もその一つでしょう。 昔の我が家は茅葺の家だったわけですが、奥の御勝手や”つし”の一角に天窓が設置してありました。煙を抜く換気とともに明かり採りとして付けてあったと記憶しています。 平らな瓦の様な板に長い棒を取りつけて、下からその棒で開け閉めしていました。電気が貴重だった頃の生活の知恵ですね。 そんな瓦の屋根に取り付ける明かり採り用の天窓が、改良されてて紫外線をカットしたものが有るんですね。瓦施工の業者が開発した昔の天窓式の採光装置で、ここでは「太陽光照明」と呼んでいます。スカイライトチューブ 屋根面に設置したドーム内のシェル型の反射鏡により、固定式のまま太陽光を朝から夕方まで効率よくキャッチしてチューブの中をプリズム反射しながら、室内に柔らかい自然光を届けするシンプルなもの。 確かに廊下の奥とか北向きの窓のの無い部屋なんかにはいいでしょうね。雨漏りとかが心配なのと、経年変化にたいする耐用年数がどのくらいなのかが気になるところ。★ 太陽と言えば、「ニチレイ アセロラ」シリーズ新TV-CMがいいね。 あのトップで踊っている「仲里依紗 なか りいさ」の思いっきりのいい伸びのびした踊りと、はじけるようなキュートな笑顔。明るく健康的なキャラクターが真赤な衣装と相まって将に太陽をイメージさせて・・・・ 「赤」という色は心を明るくさせ、新陳代謝を促してくれそうな気がして、見ているだけでも嬉しくなってきます。 アセロラとは、果実の外見は、ヘタのついたトマトのようで、サクランボほどの大きさの中に種が3つ入っている。ビタミンCの含有量は100g中1700mgとレモンの約34倍、果実の中ではビタミンCの王様といわれいます。 発祥地はカリブ海周辺の西インド諸島。現在では、ブラジルがアセロラの世界最大の産地といわれていますが、ハワイ、グアム、ベトナム、そして日本(鹿児島や沖縄)でも栽培されている。 甘みが有っても酸味が結構強く、そんなにパクパク食べられるようなものじゃないらしい。ベトナムでは美容効果があるとして、塩をつけて日常的にそのまま食べる習慣があるのだそうです。★ この時期の朝晩の太陽はとてもきれいです。 特に夕日は、大きな真い溶鉱炉がそのまま沈んでいく感じで惚れぼれするほど美しい。 時間を作って、是非夕日を見て下さい。愛知県だと、今日の日没は14:55です。 日出没時刻・方位角計算ページ★「こよみのページ」 「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.05
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♪ いそいそと早や大掃除始めたる 捨てる当て所(あてど)へねじ巻く君よ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 掃除好きの家内が、異常気候のせいで遅れていた網戸の片づけをようやく終えた。 ついでに入ったのが大掃除のスイッチだ。暮れになってからでは間に合わないと、いま頃から順番に済ませて行くのが毎年の習いになっている。 そこまでは良い。問題はこちらにもその影響が及ぶことだ。 本人はやる気十分かもしれないが、こちとら掃除が好きな訳でもないしこんな時期から大掃除なんて意識は脳の隅にも塵ほどの欠片もない。 それが順番の都合かで、私の関係のものが入っている押入れの掃除をやることになった。 兎に角捨ててしまうのが家内の掃除のやり方だ。どうしてそこまで思いきってものが捨てられるのか、そのこだわりの無さと思い切りの良さには感心する。 男は、「モノ」に執着する癖が往々にして強いものだが、一般的に女の人にはそういうところが少ないようです。女性から見て、訳の分からないガラクタや様々なグッズやアイテムを嬉々として蒐集しているのはほとんどが男です。 どうして男は「モノ」に執着するのだろうか。何か空虚なものを心の中に抱えていて、その穴を埋めるために「モノ」に執着しているような気がします。 一方、生命を生み出すことが大前提にある女性にとって、もっとも大切なのは子の命でありそれ以外のものには執着している暇も余裕もない。 余分なものはない方が却って都合が良いのかも知れない。 男にはそういう根源的なものが無い。それ故に、その欠けた穴を埋めるための自分だけの何か、大事に出来る「モノ」が欲しくなるのではないか。 家の内部に執着するのも女性であって、男はあまり家には興味が無い。たとえ有ったとしても、構造物としての家あるいはステータスとしての家であって、間取りやディティールにはあまり興味がないものです。 こんなところも性差による違いが出ていて、面白いものだなと思う。 押入れの掃除は、しばらく温存していたが必要ないと思われるものを思い切り捨てたので大きな袋一杯のゴミがでた。そのたっぷりのゴミの量を見ただけで、もう充分に掃除人の心は満たされたのであります。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.04
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♪ 群肝の心の歌のそれぞれに 三十一文字(みそひともじ)のいざなへるもの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 事あるごとに会う人に、短歌の良さを話しています。 発見が有り、視野が広がり、感心ごとが増え、前向きになる、と。 一番の効果は自分を客観的に見られる様になることです。歌を詠むには一度対象から距離を置いて、見る角度を変えたり、ズーミングしたり、鳥の目で俯瞰したり、裏へまわって見てみたりと、常識的な視点とは違う角度からその切り口を探そうとしたりします。 自然詠しかり時事ネタしかり。 また、短歌は自分の心を表現するものですから、感情を歌に託して詠む事が多い。 最愛の人を亡くしたとか病気で苦しむとか、人生には様々な悲しく辛い事が起こります。不条理に無力感と絶望に打ちひしがれる様な事もあるでしょう。 そんな時に、もし短歌を詠む習慣が有ればどんなにか救われることでしょう。 癌に罹ったり交通事故に遭ったりして心が塞ぎ、その心の行き場所を失いそうな時に歌が有ったら、どんなにか救われるのではないでしょうか。 「乳房喪失」に代表される中城ふみ子は、離婚、恋愛、乳癌による乳房切除といった波瀾の人生を、奔放に歌に詠みました。 ♪唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲(わら)ふがにひそかに成さる ♪失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ ♪衆視のなかはばかりもなく嗚咽して君の妻が不幸を見せびらかせり ♪遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ ♪息きれて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし 先日、癌で惜しまれながら亡くなった河野裕子さんには、晩年の自分をこんな風に歌っています。 ♪この髪も脱けてしまふか一櫛ひと櫛わたくしの髪 ♪かうなれば体力温存猫二匹身体に添はせ昼より眠る ♪慰めも励ましも要らぬもう少し生きて一寸はましな歌人になるか ♪三時間かけて受けゐる点滴と六十兆の細胞、白兵戦を戦ふ石川啄木は ♪大(だい)という字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来(きた)れり ♪わが泣くを少女等(をとめら)きかば 病犬(やまいぬ)の 月に吠(ほ)ゆるに似たりといふらむ ♪鏡(かがみ)とり 能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ 泣き飽(あ)きし時 ♪まれにある この平(たひら)なる心には 時計の鳴るもおもしろく聴(き)く すべてが在りのままではないにしろ、その歌の心はまぎれもないその時の心情を表しているはずです。その時の心を如何に表現するかという作歌の時間が、自分を客観的に見るのと同時にその辛さから一歩離れることが出来る瞬間でもあるのです。 ただ悲しみのどん底に沈みこんだままでは歌は詠めませんから、力を振り絞って言葉を絞り出す。その行為がその辛さから救ってくれるのだろうと思います。 客観的に自分を観る事がどれだけ大事なことかは、誰もが認識している事でしょう。それは実際には難しいことであるが故に、悩み苦しみながら孤独の井戸に落ち込んで行ってしまうんですね。そ ういう落ち込んだ自分を気付くきっかけを作ってくれるのが歌なんだと思います。 その時になって急に歌を詠もうと思っても、そうそう出来るものではありません。普段からそれに慣れ親しんでいなければ、何をどう表現すればいいのかの糸口さえも見つからないでしょう。 切り口を見つけ、言葉を選び、表現の工夫をし、三十一文字に納めるというのは、慣れないとかなり難しい。また、難しいという気持ちが先に立っては一言も浮かんでは来ないでしょう。何事もある程度の練習が必要ですが、最初からあまり上手・下手を意識すると手も足も出ません。 まず始めてみる。そうするうちに少しづつ分かって来るのですから、言葉遊びのつもりで始めるのが良いと思います。 私も未だに言葉遊びの域を出られずにいますが、それでいいと思っています。日記を兼ねたものなので、あまり創作的な要素はいまのところほとんどありません。 そのうちそういう世界にも入っていけたらいいなとのんびり構えながら、続けていく事だけを念頭に置いて毎日の歌を詠んでいます。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.03
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♪ ホワイトの名を持つ餃子如何にかや はやの品切れ興の増しまし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 話題の「ホワイト餃子」の店を見つけ一度食べてみようと思っていた。 近くへ行ったついでに「生」を買う予定で、開店11時を30分ほど過ぎたころに行くと既に売り切れだと言う。仕方が無いので、「焼き」餃子を買って帰った。 夜、店のスタッフが言う様にトースターで焼き直して食べてみたが、これがあんまり美味くない。バリバリの熱い皮につけてある甘みが、具の味に勝って肝心の餃子の味がしない。どうしてこんなものにああも人が押し寄せて買いまくっているのか分からない。 ボリュームがあるので一人10個も食べると結構腹に堪える。あんまりだった事もあって半分近く残したものを、翌日の朝、今度は電子レンジで温め直して食べてみることにした。 今度は、中までしっかり熱が通って本来の餃子らしくなり、もっちり感が戻った感じ。 しかし、確かに普通の餃子とは違うとは言うものの、いまいち納得できるものではなかった。これだったら小さいながら「百老亭」の餃子の方がよっぽど美味いし、家内が作るものだって遥かに勝っていると思った。 やはり本来の焼きたてのものを食べないとその実力は分からないのかもしれないと思いつつも、大量に「生」を買って帰るほど美味いものかと言えば、どうしてもそうは思えなかった。 話題が口コミで広がり、TVでも取り上げられるようになって、そのブームに便乗する日本人気質が「世間の評価」を妄信しているとしか思えない。 また、あんまり普段美味しいものを食べていないんじゃないかと思ってしまう。それは高級なもの、高価なものという意味ではなく、本来の味を備えたちゃんとした作り方をした本物という意味です。 日本人の味覚は世界一であることは、「うま味」という味覚成分を発見したことからも充分うかがえるし、料理のダシの使い方などにも充分発揮されている。 そんな日本人が、昔からの日本食が如何に素晴らしいものかを知らないでいる人が多いのも事実。 今、日本食が見直されつつあることはいいことですが、自分の舌で判断できるまでに味覚を鍛えるには、子供のころからの食生活に掛かっていると思う。 手抜きをしないで、ちゃんとダシを取って下ごしらえをして、旬の食材を使った料理は値段なんか関係なしに美味しいものです。勿論、味付けのセンスが無ければ料理にはなりませんから、ちゃんとした”いいもの”を一杯食べてセンスを鍛え上げるしかない。 一般的に言っても、「あの店の・・・は美味しい」と聞いて、行ってみても美味しいと思ったことがない、と、ほとんどの人が言うぐらい味覚には個人差がある。 皆がみんな美味しいと言っている「ホワイト餃子」の実力のほどはどうなのか、未だ結論は出ていません。 ブームになると競ってそれを手に入れようとし、あっという間に忘れ去って行く。本当においしいものは競争して手に入れるものでもなく、自分の好みの味を食べたい時に食べてはじめて満足するというものでしょう。 飽食の時代と言われている今、何を食べても感激するという事が少なくなっているのも確か。 美味しいものは、たまに食べるから美味しいのである。”空腹に勝る味付けはない”とも言うし・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.02
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♪ どどどどっと真夜に響(とよめ)くいかづちの 光(かげ)やり過ごし猫帰り来ぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜来の雨が強くなった夜の真ん中あたりで、やにわに雷鳴が響き渡り、レム睡眠中の瞼の裏に閃光の影を感じていた。 その光と音が遠ざかったと思っていると、昼間に出たまま帰らなかった猫の「アンリ」Boyが帰って来た。窓の外で悲しげな小さな声を上げている。開けてやると雷の余韻を漂わせるように、サッと飛び込んできた。 濡れた身体で布団の上に載って来るので慌ててティッシュの箱を引き寄せる。 やっと帰れた安堵の後は、腹ぺこを訴えるいつもの態度。ゴロゴロゴロと声震わせて、冷えた身体を摺り寄せて来る。真夜中に起こされるこっちの気持ちも察して欲しい。 階下に降りて餌をやって早々に布団にもぐり込むと、間もなく夜食を終えた「奴」が布団の中に入ってきた。ぐるぐるぐると咽を鳴らしながらの毛づくろい。 それも終えて眠ることになれば、凭れて眠る甘えん坊。寝返りの度にどんどん真ん中へ寄って来る。 途中で暑くなったのか布団から出て、真ん中辺りに乗っかってきた。こっちは漸くうつらうつらしかけたところなのに。可愛いさ余って憎さ千倍、迷惑至極。 まともな姿勢も取れないまま朝までず~っと窮屈な状態で寝る。 目覚ましの音も憎らしい朝になれば、猫はもういなくなっていて、雨は完全に上がっていた。何だか夢でも見ていたのかと思うような今朝の心持。寝ざめの悪い身体をゆっくりと起こした。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.01
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