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天皇は元首・集団的自衛権…自民が憲法改正草案自民党は27日、第2次憲法改正草案の原案をまとめた。2005年に策定した草案を大幅に改定し、武力攻撃やテロ、大規模災害などの緊急事態が発生した際、首相の権限を一時的に強化する緊急事態条項を新たに設けた。天皇を国家元首と定めたほか、集団的自衛権の行使を認めている。原案では前文はすべて改め、日本国民は平和主義と国際協調に徹し、民主主義を基調とする世界の平和と繁栄のために貢献すると記した。第1章の「天皇」では、天皇を「日本国の元首」と定めるとともに、国旗国歌を尊重する規定も盛り込んだ。前回草案では改定しなかった9条1項については「自衛権の発動を妨げるものではない」との条文を追加。集団的自衛権の行使を認めた。自衛隊を「自衛軍」と位置づけ、軍法会議に当たる審判所を設置するとした。また、第9条3項を新設し、「国は、主権と独立を守るため、領土、領海及び領空を保全し、資源を確保し、環境を保全しなければならない」とした。第3章の「国民の権利と義務」では、基本的人権は「侵すことのできない永久の権利である」として、現行の「与えられる」という表現を改めた。選挙権については、日本国籍を有する成人による普通選挙とした。家族の尊重、在外国民の保護、犯罪被害者への配慮に関する規定も盛り込んだ。第4章の「国会」では、国会議員の選挙区定数は、人口以外の要素も勘案して定めるとした。第5章の「内閣」では、首相は最高指揮権者として自衛軍を指揮するとした。第9章の「改正」では、改正原案の衆参両院における議決要件を総議員の過半数に緩めた。緊急事態条項は、第8章の2として、新たに加えられた。首相は緊急事態を宣言し、内閣は法律と同一効果がある政令の制定、地方自治体の長に対する指示ができると定め、「何人も国などの指示に従う義務がある」とした。宣言が発せられた場合は衆院は解散できず、両院の議員の任期延長など特例を設けるとした。自民党は、党内議論を経て、4月28日のサンフランシスコ講和条約発効60周年までに成案をまとめる方針だ。---次の選挙で民主党はおそらく大敗するでしょうが、自民党が支持を回復しているわけでもなく、おそらく橋下の大阪維新やみんなの党(私自身はどちらも嫌いですけど)が勢力を拡大すると思われるので、自民党が憲法改正案を示したからといって、その実現の可能性は2005年当時に比べて著しく低下しているとは思います。が、それにしてもこの内容はひどいものです。集団的自衛権というのは、今更説明の必要もないかもしれませんが、同盟を結ぶ相手国(複数の場合もあり)に対する攻撃は自国に対する攻撃と見なして、共同で防衛する権利ということです。日本の場合で言えば、日米安保を結ぶ米国に対する攻撃は日本自身に対する攻撃と見なして、日本もそれに対して武力で反撃する、ということになります。しかし、それって日本が完全に米国の軍事戦略の一員となる、ということです。米国が戦争を始めれば、それが直接的には日本を標的としたものでなくても、日本も参戦するという道を開いてしまうことになります。日本が関わる必要のない戦争にも関わることになる、非常に危険なことだと私は思います。日本の天皇は、外交儀礼上は事実上元首として扱われているようです。それがよいのかどうかはともかく、元首についての規定を持たない国も多く(現在の日本もその一つ)わざわざ憲法で元首と規定する必要性はないでしょう。国旗、国歌は「国の表象」で国民に尊重義務なんてのは、教員を服従させるだけでは飽きたらず、全国民を国旗国歌に服従させるつもりかよと思います。「やなこった」と言っておきましょう。私は、日の丸にはそれなりに敬意をもっていますが、それを政府に強制される謂われはないし、君が代には敬意を表するつもりもないので。外国人地方参政権についても、完全否定という方向のようです。国会議員の選挙区定数は、人口以外の要素も勘案して定めるというのは、つまり1票の格差を放置しても憲法違反にならないようにしようということですか?自民党の地盤に厚く議員定数を配置できるようにしようということですか?緊急事態宣言というのも、それを振りかざせば事実上独裁権力を手中に出来ることになってしまいます。「何人も国などの指示に従う義務がある」というのは、濫用されたら大変なことになります。この記事には触れられていませんが、別の記事によると、「国民は国や地域や家族を責任感と気概を持って自ら支える」という文言が前文にあるそうです。憲法というのは、基本的には国家が国民を縛る法律ではなく、国民が国家を縛る法律であるべきだと私は思うのですが、自民党はどうやら国民に対して国や地域や家族を守れと命令する憲法にしたいようです。国旗国歌の尊重義務も同様ですね。責任感とか気概とか、そういう言葉を国家が国民に対して押しつけるべきものとも思いません。現実には、言われなくても多くの人は地域や家族を支えようと努力するものですが、どうにもそれが不可能な状況に陥る人も少なくない。そういう人たちは、こういう憲法の下では居場所がないではありませんか。下野して実現の可能性が乏しくなったから、憲法に関して言うことが一層過激化した、というところなのでしょうが、「保守化すれば支持が集められる」とでも思っているんでしょうかねえ。
2012.02.29
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<エルピーダ>自力再建断念 会社更生法申請へ半導体メモリー「DRAM」を国内で唯一製造するエルピーダメモリは27日、自力再建を断念し、東京地裁に会社更生法を申請する方針を固めた。エルピーダは産業活力再生特別措置法(産活法)に基づき、政府から公的資金による資本注入などの支援を受けていたが、半導体市況の悪化や急激な円高で資金繰りが行き詰まった。-----私がはじめてパソコンを手にしたのは、1999年2月、NECのバリュースターというパソコンでした。Windows98で、メモリーは64MB(SD-RAM)でした。それでも、メールとインターネットには特に支障がなかったのですが、CD-Rで音楽CDを作ろうとすると、結構な割合で失敗するので、64MBの増設メモリーを購入しました。今ならバルクメモリーを買うに決まっているのですが、その頃はメーカーパソコンにバルクメモリーを入れると保証が切れる、と脅されて、バッファローの対応メモリーを買ったら、1万円以上の値段がしました。もっとも、バルクメモリーでも当時は128MBで1万円くらいでした。その1年後くらいに、メモリー(DRAM)の価格破壊が始まったのです。128MBのメモリー(PC100)が5000円くらいになったので、思い切って2枚買ったら、その翌年には256MBが2000円くらいになっていた。更にDDR-SDRAMの時代になって、2005年に2台目のパソコンを自作したときは、512MBが5000円くらい(2枚買って1万円)、その3年後にメモリーを入れ替えたときは、1GBが3000円くらいになり、2010年に3台目のパソコン(ケース同じもので、中身を入れ替えただけですが)を作ったときは、DDR3-SDRAMが2GBで5000円くらい(やっぱり2枚購入)。それが今では8GBが1枚4000円。値段の下がり方に加速がついているように思います。一方、フラッシュメモリーの方はどうなんでしょうか。2年前に今使っているパソコンを自作したとき、インテル純正のSSD(80GB)は2万円近い値段でした。先日同じインテル製の80GBのSSDをもう1台購入したのですが、お値段は1万2千円くらい。USBメモリーが数年前(多分7~8年前)に秋葉原で1GB1000円という特価品に驚いて購入したことがありますが、現在は4GBで1000円くらい。DRAM1より多少マシかもしれないけど、やっぱり価格が下がっていますね。こんな値段の下がり方でパソコン業界はやっていけるのかなと思ったら、やっぱりやっていけなかった。エルピーダの苦境は少し前から盛んに報道されていたけど、結局は倒産という結果になってしまった。買う立場だけで言えば、値段が下がるのはうれしいけど、作って売る立場から言うとたまったものではありません。そうやって、どんどん値下げ競争の挙げ句に、メーカーが体力消耗して倒れていく悪循環は、何とかならないものかなと思います。
2012.02.28
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話題の公務員ランナー川内優輝選手に、少々期待して、東京マラソンの中継放送を見てしまいました。と言っても、テレビをつけたときにはすでに先頭が39km地点。その時点で川内選手はすでに脱落していたようです。ちょっと期待していたので残念な結果ではありますが、まあ順当な結果ではあるのかもしれません。「市民ランナー」とは言っても、学生時代には箱根駅伝にも出場経験があるくらいですから、「元セミプロ」と言えなくもありませんが、いずれにしてもマラソンを専業にしている実質プロの実業団選手とは練習環境に大差が合ったことは事実です。実質プロの長距離選手は、少なくとも月間1000km以上の走り込みをします。それに対して川内選手の月間走行距離は、たった600kmだそうです。「たった」と言っても、600kmというのは普通の市民ランナーから見れば、とてつもない距離ですけどね。私はかなり甘っちょろい市民ランナーなので、月間走行距離の最大記録は200km、年間の最大記録は1350kmです。多分、私の1年分の走行距離がプロの1ヶ月分だろうなと思います。そう考えると、やっぱりマラソンのトップ選手というのは人間ではない、機械人間の一種じゃないかと思ってしまいます。山内選手だって、半機械人間です。私は、もともと子どもの頃体育全般が非常に苦手で、中でも長距離走は一番の苦手でした。校内マラソン大会で、1学年の男子生徒が120人くらいのうちで、100番以内に入ったことはありません。それが大人になってランニングをするようになるとは思いもしませんでした。元々は、山登りの体力作りと笛を吹く肺活量作りが目的だったのですが、次第にランニング自体が目的化してきているような・・・・・・。しかしタイムは全然ダメです。20kmマラソンの最高記録が1時間40分01秒(1999年の記録)、ハーフマラソンのタイムは忘れましたが、1時間52分か3分くらい(2005年頃)です。いつだったか、あるフォルクローレのコンサートに出演したとき、開演2分前に、楽屋に忘れものをしたことを思い出したことがあります。革靴で演奏するはずだったのに、ふと足元を見たら白いジョギングシューズのままだったのです。大あわてで階下の楽屋に駆け下りて、靴を履き替えて猛ダッシュで駆け上がって、ステージに立った瞬間に緞帳が上がった。「コンドルは飛んでいく」でステージが始まったのですが、とくに何とも思わず吹いたのですが、後で考えてみると、あれだけ猛ダッシュで階段を駆け上がっても、「コンドル」のイントロのケーナのロングトーンが何の苦もなく吹けたのは、やっぱり普段走っているおかげだろうなあ。休みの日、朝10kmくらい走って午後からグループの練習とかでも、さほど苦しくないですし。ただ、フルマラソンは走れないな。あのハーフマラソンの倍の距離を走るって、ちょっと想像できません。
2012.02.27
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今日2月26日は、2.26事件の日です。今から76年前の1936年2月26日、「皇道派」の尉官級の若手士官たち(多くが歩兵第1師団の第1・第3連隊所属だった)が岡田啓介首相・斎藤實内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎陸軍教育総監・鈴木貫太郎侍従長・牧野伸顕元内大臣らを襲撃、斉藤内大臣・高橋蔵相・渡辺教育総監、松尾伝蔵予備役大佐(岡田首相の義弟で、容姿が似ていて誤認された)が殺害、鈴木侍従長重傷、さらに警視庁、陸軍省、参謀本部、朝日新聞東京本社を襲撃、国会議事堂も占拠されます。クーデター計画としては稚拙の極みであり、結果は失敗に終わります。しかし、この事件が日本の政治・社会に与えた打撃は致命的に大きかった。何しろ軍の意に反することをやると、いつ暴発するか分からないというので、これ以降軍の意に反することを言う政治家が誰もいなくなったのです。皇道派シンパの将官が大量に予備役編入(実質クビ)に追い込まれたことから、彼らが陸軍大臣に就くことを阻止しようと(という名目で)、軍部大臣現役武官制、つまり陸軍大臣・海軍大臣を現役の大将・中将のみに限定する制度が復活しました。これによって、軍は政府を思いのままに操れるようになります。内閣が軍の気に入らない政策を行おうとする、あるいは気に入らない人物が首相になると、陸軍大臣・海軍大臣を辞任させる、または大臣を出さないことで内閣を倒すことができるのです。実際、それによって1937年宇垣内閣が成立を阻止され、また1940年には米内内閣が陸軍大臣辞任によって倒されています。より根源的は、政府が軍を指揮・統制することができない、「統帥権の独立」という明治憲法の致命的欠陥が招いた事態、とも言えます。では軍内部ではどうだったのかというと、軍の内部でさも、勇ましい「積極論」を述べる声ばかり大きくなり、冷静な声は次第に小さくなっていきます。2.26事件で渡辺教育総監(現役の陸軍大将)が殺害されていますし、その前に相沢事件(陸軍省内で、統制派の永田鉄山少将を皇道派の相沢中佐が日本刀で斬殺した)も起こっていますから、声がでかくて勇ましい積極論に反対して暴発されるのは、軍人すら怖かったのでしょう。その結果、日本は日中戦争そして太平洋戦争という破滅に向かって、押しとどめる者もなく転落していったのです。それから76年経って、何となく昨今の時勢が2.26事件の時代に似ているような気がしてしまうのです。幸いにして、目下のところ2.26事件のように具体的なクーデターの動きはないと思います、いや、少なくとも私は知りません。しかし、世の中は不況、不安定な政党政治、声のでかい強硬論ばかりがもてはやされ、とりわけ対外強硬主義ばやり、土壌は充分にあるんじゃないかという危惧を抱いてしまうのです。--話は変りますが橋下大阪市長が、憲法第9条改正を主張しているそうです。橋下徹のツィッター書き込みより世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。(2012年2月24日13:16)毎日新聞の報道より橋下市長は記者団に9条は「他人を助ける際に嫌なこと、危険なことはやらないという価値観。国民が(今の)9条を選ぶなら僕は別のところに住もうと思う」と述べた。私自身は、がれきを被災地以外で受け入れることに、必ずしも反対ではありませんが、それにしてもこれは酷いこじつけです。嫌なこと、危険なことは他人を助けるためでもやりたくない、それは、人間の心理のある一面に必ず存在します。逆に、嫌なこと、危険なことでも他人を助けるためにやる、これもまた人間の心理の一面です。どちらも人間の持つ本質の一部であって、憲法第九条がどうこうということは関係ない。まして、がれき受け入れに関して言えば、必ずしも「自分が」危険だから反対というわけではないでしょう。私個人について言えば、自分自身は多少の放射能の危険は構わないと思っています。放射線によるリスクは年齢とともに下がっていくものだし、仮に放射能のせいで30年後にガンになったって、そのときには私は74歳だ(私の父がガンでなくなったのは73歳の時)。でも、子どもはそうはいかない。子どもの方が放射線の健康被害のリスクが高い上に、残りの人生もずっと長い。今5歳の子どもの30年後は、まだ35歳。その年でガンになっても仕方がないとは、とても言えませんし、そのような危惧からがれき受け入れに反対するのは、憲法第9条とは関係ない。そういえば、こんな報道がありました。----米美術館、福島だけ貸し出し拒否 ベン・シャーン巡回展米国で活躍し、核の問題や戦争、貧困などをテーマにした作品を残した画家ベン・シャーンの国内巡回展のうち、6月から開催を予定している福島県立美術館(福島市)に対し、米国の美術館7館が所蔵作品の貸し出しをとりやめていたことがわかった。東京電力福島第一原発事故による放射能への不安などが理由だという。(以下略)----橋下流に言えば、放射能が怖くて美術館が作品を貸出さないのも「憲法第九条のせい」ということになりかねませんが、言うまでもなく米国の憲法に第9条のような戦争放棄条項はありません。憲法第9条は、軍事力によって道を踏み外し、周辺諸国に大きな被害を与え、最終的には我が国自身も焦土と化した、その反省に基づいて定められた条文です。つまり、軍事力によって他者に迷惑をかけないための条項であって、他人のために嫌なこと、危険なことをやらないための条項ではありません。それを、このような意味の通らない難癖を付けて排除しようとする。どうも、声の大きな「積極論」で国を破滅の方向に導いていく傾向のように思えて仕方がないのです。そういえば、2.26事件の首謀者たちは「昭和維新」を呼号していました。橋下は大阪維新ですね。
2012.02.26
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皆さん、パソコンのキーボードを打つときは、ローマ字変換ですか、かな変換ですか。おそらく、現在では9割方の人がローマ字変換を使っているのではないかと思うのですが、どうでしょう。私自身は、実は両方を現役で使っています。つまり、職場ではローマ字変換、自宅ではかな変換なのです。もともとは、かつてのワープロ専用機の時代はかな変換一筋でした。就職して、最初に勤務した会社(ある流通関係企業)では、正確な記憶はありませんが、それで苦労した記憶はありませんので、多分社内的にかな変換が多数派だったのだろうと思います。まだ、黒画面に緑の文字のディスプレイの時代でしたが。かな変換で立ち往生したのは、転職したときです。最初に配属された部署には、旧式のワープロ専用機(富士通のオアシス)が1台しかなかった。人数のごく少ない部署でしたから、それ自体は仕方のないことですが、問題は、そのキーボードが富士通の独自規格「親指シフト」だったことです。キーがどこにあるか、まったく分からない・・・・・・。親指シフトキーで打つか、ローマ字入力で打つか、否応なくどちらかを選ばなければならなくなりました。経験者に言わせると、親指シフトはJIS規格のかな入力よりも打ちやすいそうですが、職場で一からキーの配列を覚えている余裕はなかった。ローマ字変換なら、さすがに英文を打ったことくらいはありますからね(早くはなかったけど)それ以来、職場ではローマ字変換に転向しました。何年か経ってパソコンの時代になると、ノートパソコンでは外付けのテンキーをつけない限りは、ローマ字入力が必須になりました。テンキーがないキーボードでも、ローマ字入力なら数字を打ち込むのはそんなに困難ではありませんが、かな変換では、いちいち「英数」モードに切り替えなければならないので、とてもじゃないけど実用にならないのです。もっとも、ローマ字入力といえども、数字を大量に入力するときはテンキーなしでは不便なので、やっぱり外付けのテンキーを買い足して使っていますけど。で、自宅でも一時はローマ字変換に転向したことがあります。でも、何が契機だったかは覚えていないのですが、なんとなく自宅では再びかな変換に戻ってしまったのです。多分、「両方使えるほうが便利だ」と思ったんじゃないかな。かな変換に再転向したとき、慣れるのに数十分を要した記憶があります。それ以来、もう10年以上「自宅はかな変換、職場はローマ字変換」という両刀遣いです。でも、帰宅直後には間違えてローマ字変換でキーボードをたたいてしまうことが稀にあります。でも、逆に出勤直後に間違えてかな変換でキーボードをたたいてしまうことはないんです。どちらの方が早く打てるかというと、多分どっこいどっこいだと思います。キーボードをたたくスピード自体はローマ字変換のほうが早いのですが※、かな入力のほうがひとつの文字を打つために要する手数が少ないから、結果的には文章を打つスピードはあまり変わらないんじゃないか、と。ただし、残念ながらどちらもタッチタイプはできないんです。見続けではないですが、キーボードの手元をちらちらとは見ないと打てない。※職場では切羽詰って全力で打たざるを得ないことがあるけど、自宅ではそこまで急ぐ必要は、あまりないですからね職場では、どのパソコンを使っても、みんなローマ字変換に設定されているので、おそらく同僚でかな変換を使っている人はいないのではないかと思います。自宅では、相棒はローマ字変換です。こどもはまだローマ字は読めないのでかな変換です。しかし、マウスを持つ手が逆(私は右利きなのにマウスは左手、子どもは左利きなのにマウスは右手)なので、子どもは私のパソコンは使わないのです。相棒のパソコンをいちいちローマ字入力⇔かな入力で切替ながら使っています。余談ですが、以前に、「右利き、左利き、両手利き」という記事を書いたことがあります。その中で書いたように、私はマウスを左手に持っています。(ただし、クリックは左右反転させていません) ペン 箸 マウス 電卓私 右 右 左 左相棒 右 右 右 右こども 左→右 左 右 右?なんだか右利きか左利きかよく分からない家庭ですね。(相棒だけは完全右利きです)くだらない実験をしてみました。この記事の最初の段落を入力する所要時間を計ってみたのです。「東京都が都庁舎(新宿区)で使う電力について中部電力(名古屋市)から購入できるかどうか、中部電に打診していることが分かった。都は東京電力が企業向け電気料金を平均17%値上げする方針を示したことに反発してきた。都が中部電に購入を打診した背景には、購入先を広げて電力を安定的に確保するとともに、東電に値上げ方針の見直しを促す狙いもあるとみられる。」数回打っての最速は、かな変換2分2秒・ローマ字変換2分20秒。どうやら、私にとってはかな変換の方が速く打てるみたい。どちらにしても、あまり早いほうではないですけどね。比較すると、ローマ字変換の方が明らかにタッチミスが多い。
2012.02.25
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<河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言河村たかし名古屋市長は22日、東京都千代田区の日本記者クラブで記者会見し、南京事件を否定する発言をした根拠について「目撃者がほとんどいない。(これが)かなり決定的」と述べ、撤回する考えのないことを強調した。姉妹都市提携を結んでいる中国江蘇省・南京市はすでに交流の一時停止を発表しており、両市の関係が一層、ぎくしゃくすることは避けられない情勢となっている。河村市長は20日、名古屋市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らと会談し、「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言。南京市は市民感情が傷つけられたなどとして21日、名古屋市との交流停止を発表した。河村市長は22日の日本記者クラブでの会見で、南京事件に関する自身の発言について「裏で言うより堂々と言うべきだ。うそだったら、その時にたたきのめしてくれればいい」と述べ、南京市政府に現地で討論会を開くよう引き続き求める考えを示した。また、数年前、米国の高校教科書副読本に「日本人が南京で数十万人虐殺した」と記載されていることを知り、「ショックを受けた。史実を明らかにすべきだと思った」と説明。南京事件の被害者数について「ロサンゼルスの副読本で数十万人、中国の主張は30万人、東京裁判は20万人、一部の学者が3万~4万人、庶民の虐殺はなかったと、いろんな幅がある」と語った。----「目撃者がほとんどいない。(これが)かなり決定的」だそうです。ダメだ、こりゃ。都合の良いものしか見ず、都合の悪いものには目を閉ざそうとする典型です。南京大虐殺にどれほど多くの目撃証言があるか知らない、知ろうともしない市長のようです。中国側の証言が信用できないというなら、日本側にも、証言や当時の陣中日誌や戦闘詳報など、動かしがたい記録が山ほどあります。日本側の証言・日誌は、下は兵士から上は師団長まで多岐にわたっており、その多くに捕虜や非戦闘員(民間人)の殺害が記述されています。松井石根司令官の副官であった角良晴大尉(敗戦時大佐)の証言によれば、松井司令官自身が折り重なる虐殺死体を目の当たりにしています。総司令官は明くる日の18日、下関を見に往くと言われたが、道という道はすべて延々2キロ(米千)地上が見えぬほど折り重なった死体の山である。この状態では絶対に案内できぬ。『治安が悪くて責任が持てない』と偽りを申し上げ、参謀長飯沼少将にお願いしたが、3日目、油をかけて焼き、土をかぶせただけであった。 4日目、総司令官は、 「おれは一人でも行く、車を用意せよ」と言われた。事ここに至っては如何ともしがたいので、私は出来る限り外が見えぬ位置に座り、出掛けた。 自動車は無理して土を盛られた屍体の上を走った。総司令官は、モノを言わずにただ泣いておられた。(「私の見た南京事件」奥宮正武 PHP研究所 P48)もっとも、虐殺が発生した大きな理由は、松井が補給を無視して南京攻略を急いだ(しかも独断専行で)ことにもあるのですが。松井は、後に東京裁判で死刑判決を受けます。その後、松井は教誨師の花山信勝氏に以下のような言葉を漏らしています。南京事件はお恥ずかしい限りです。・・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまった。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。 (「南京事件-「虐殺」の構造-」秦郁彦 中公新書795 P45-46)さて、では具体的に南京でどれだけの人が虐殺されたのか、実際のところは分かりません。でも、それは仕方がないことです。南京はそのあと8年間日本の占領下にあり、当然真相調査なんか行いようがありませんでしたし、その後は国共内戦もありました。それだけ期間が経ってしまえば、正確な犠牲者数を算定するのはきわめて困難です。しかし、日本側の記録(各部隊の戦闘詳報)に記載されている捕虜殺害の記録を積み上げていくだけでも、犠牲者の数は軽く10万人くらいにはなる。もっとも、「戦果」の水増しや重複が混ざっている可能性はありますが。一方で、戦闘詳報が見つかっていない部隊もあるし、捕虜殺害はともかく、一般市民の虐殺は当時でも戦闘詳報に記録されていません(しかし、多くの兵士が日誌に記録しているので、あったことは分かっている)。そんなこんなを考え合わせると、犠牲者数の下限は4~5万、上限は15万くらい、ごくおおざっぱに言って多分犠牲者数10万人というところだろうと私は推測しています。そりゃ、中国の公式見解である30万人よりは少ないけれど、とてつもない規模の大虐殺であることに違いはありません。
2012.02.23
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ドイツ:脱原発しても…電力輸出超過 再生エネ増、消費減で東京電力福島第1原発事故後に「脱原発」を決め、国内17基の原発のうち約半数にあたる8基を停止したドイツが昨年、周辺諸国との間で、電力輸入量よりも輸出量が多い輸出超過になっていたことが分かった。脱原発後、いったんは輸入超過に陥ったが、昨年10月に“黒字”に転じた。太陽光や風力などの再生可能エネルギーの増加と、全体のエネルギー消費量を抑える「効率化」が回復の要因だという。厳冬の影響もあり、電力不足の原発大国フランスにも輸出している。◇「原発大国」フランスへも欧州連合(EU)加盟27カ国など欧州の34カ国の送電事業者で作る「欧州送電事業者ネットワーク」(ENTSO-E、本部ブリュッセル)の統計。冬はエネルギー消費量が最も多いことから、ドイツ政府は「(脱原発決定後の)最初の試練を乗り切った」(レトゲン環境相)としている。ドイツは昨年3月の福島第1原発事故後、17基の原発のうち旧式の7基を暫定的に停止し、その後、1基を加えた8基を昨年8月に完全停止した。震災前は周辺国との電力収支が輸出超過だったが、昨年5月に輸入超過に転落した。フランスからの輸入が前年の3割増になるなど昨年9月まで輸入超過の状態が続いた。しかし、昨年秋に入ってから好天が続き、太陽光や風力など再生可能エネルギーの発電に有利な条件が整った。また、ドイツ政府が住宅の断熱化などエネルギー効率化を推進したのに加え、原油価格の高騰も手伝って、エネルギー消費量が前年比約5%減になった。このため昨年10~12月の電力収支は輸出超過を回復。11年の通年で約4200ギガワット時の輸出超過になった。今年2月に入り、欧州各地で氷点下10度を下回る厳冬になると、電気暖房が全体の3分の1を占めるとされるフランスで原発をフル稼働しても電力が足りなくなった。このため、2月の17日間のうち6日間は電力需要の多い午後7時ごろを中心にドイツからフランスへの輸出超過になり、電力の7割を原発に頼るフランスが脱原発のドイツに依存する事態になった。昨年のドイツの発電量に占める原発の割合は約22%から18%弱程度に低下する一方、再生可能エネルギーは約20%に上昇した。さらに、褐炭、石炭、ガスなどが微増しており、原発の目減り分を補っている。一方、日本では再生可能エネルギーによる発電量(10年度)は全体の約10%にとどまり、太陽光や風力など水力以外の新しいエネルギーは約1%に過ぎない。----以前に、「ドイツはフランスから電気を買って脱原発を言っている」という主張について検証する記事を書いたことがあります。もともと、ドイツとフランスの間の電力の需給関係は年によって変動し、ドイツからの輸出が多い年も、フランスからの輸出が多い年もあり、昨年に関しては(原発を一部停止したにもかかわらず)ドイツからの輸出の方が多いという結果になったわけです。ドイツがフランスから電力を輸入しているのは、足りないからと言うよりも出力調整のやりにくい原発(フランスは原発の出力調整運転をしているが、火力発電ほどには小回りはきかない)で余った電気を引き取っているという傾向が強そうです。ドイツはスイスとオーストリアに対しては常に電力を輸出している状態です。スイスとオーストリアは山国なので、揚水発電所がたくさんある。つまり、フランスから送られてきた電気は、ドイツ国内でもある程度は消費するけど、そのままスイス・オーストリアの揚水発電所に行く分も多いようなのです。で、スイス・オーストリアの揚水発電所からは、更に南の、慢性電気不足のイタリアに行く。そういうことのようです。結局のところ、出力調整が苦手な原発に依存するフランスが、ドイツ(を通じてスイスやオーストリアにも)に調整してもらっている、というのが実態でしょう。このあたりのことは、こちらのブログを参照しました。いずれにしても、「ドイツはフランスから電気を買って脱原発を言っている」という神話もまた崩壊したようです。ただ、今の日本の稼働原発は、そのドイツより少なくなっていることも事実ですが。
2012.02.22
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河村・名古屋市長:「南京事件というのはなかった」と発言名古屋市の河村たかし市長は20日、表敬訪問を受けた同市の姉妹友好都市である中国・南京市の共産党市委員会常務委員らの一行8人に対し、1937年の南京事件について「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言した。河村市長は旧日本兵だった父親が南京で45年の終戦を迎え「温かいもてなしを受けた」と話していたことを明かし「8年の間にもしそんなことがあったら、南京の人がなんでそんなに日本の軍隊に優しくしてくれたのか理解できない」などと述べた。さらに「真実を明らかにしないと、とげが刺さっているようなものでうまくいかない。一度、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。南京事件を巡り河村市長は09年9月の市議会一般質問でも「一般的な戦闘行為はあったが、誤解されて伝わっているのではないか」と述べたことがある。また、名古屋市北区名城の国家公務員宿舎跡地の中国総領事館への売却問題でも、南京市の一行に対し「できれば遠慮していただきたい」と述べ、売却に否定的な見解を示した。----一言でいって、話になりません。「通常の戦闘行為」とは言いようのない虐殺が、大規模に行われた事実は、他ならぬ日本側の将兵の記録からも明らかなのです。確かに、規模の大小については議論の余地はある。中国側が公式に言っている、南京市内で虐殺(不法殺害)の犠牲者が30万人という数字が正しい、とは言えないと私も思います。がしかし、少なくとも数万の単位以上の被害者があったことには、疑問の余地は全くありません。昨年3月11日の大震災の犠牲者は、概ね2万人前後でした。言うまでもなく日本の災害史上に残る大事件です。そのことから考えても、南京事件の犠牲者が少なくとも数万人というのは、とてつもない規模の大事件と言うしかないでしょう。河村の父親は、南京で45年の終戦を迎え「温かいもてなしを受けた」から、「8年の間にもしそんなことがあったら、南京の人がなんでそんなに日本の軍隊に優しくしてくれたのか理解できない」のだそうですが、8年も経ってから、漫然と住民の反応を見ただけで、何かの証拠になると思う方がどうかしている。1945年といえば、東京大空襲や広島・長崎の原爆がありました。合計すれば30万人もの犠牲者が出ました。戦時国際法に反する、これもまた歴然とした虐殺だったわけですが、その大空襲の8年後というと1953年になります。1953年に米軍の兵士が東京の下町や広島・長崎を歩いたからといって、直接的に面と向かって敵意をむき出しにした反応に出会うことなど、おそらく亡かったはずです。そんなことを根拠に「だから東京大空襲や広島・長崎の原爆で犠牲になった民間人はほとんどいなかっただろう」などという結論を導き出すとしたら、大馬鹿者でしかないでしょう。南京事件だって同様です。まして、河村はそんなことを、南京市からの表敬訪問団に対して語ったというのだから、どうかしています。こういう極右体質の人間が、腹の中で何を思ったにしても、それ自体は仕方のないことではありますが、政治家の端くれなら発言の場と相手は考えろよと言いたい。inti-solのサイト内の南京大虐殺の記事
2012.02.20
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以前、奥多摩の三頭山で撮ったデジカメの写真と一眼レフの写真を比較する記事を書いたことがあります。先週の八ヶ岳も、同じデジカメと一眼レフ(フィルム)を持って行きました。フィルムの方の写真もできたので、デジカメ対フィルムの比較第2弾をやってみたいと思います。一眼レフはカメラがEOS7、レンズEF24-85mm F3.5-4.5 フィルムはフジのプロビア100F、スキャナはエプソンGT-X750。デジカメはPowershotSX150ISです。デジカメの写真はすべて以前の記事と同じものです。一眼レフで撮影した赤岳(赤岳鉱泉より)同じ場所でデジカメ阿弥陀岳(一眼レフ 対応するデジカメの写真はありません)稜線上に出て、硫黄岳を望む(一眼レフ)デジカメ硫黄岳付近から赤岳・横岳を見る(一眼レフ)デジカメ硫黄岳の山頂(一眼レフ)デジカメ硫黄岳の山頂から火口の断崖を見る(一眼レフ)阿弥陀岳と南アルプス(一眼レフ)デジカメ硫黄岳山頂から赤岳。赤岳展望荘にヘリが接近中(一眼レフ)デジカメ硫黄岳稜線から樹林帯へ下りていくところ(一眼レフ)デジカメ赤岳鉱泉から横岳大同心と小同心(一眼レフ)デジカメ赤岳鉱泉から横岳(一眼レフ)デジカメこうやって比較してしまうと、やっぱりフィルムの一眼レフの写真の方が遙かにインパクトはありますね。もっとも、リバーサルフィルム(ポジフィルム)は、現像に1日、プリントに3日かかります。つまり、日曜日に現像に出して、写真ができたのは木曜日だし、計3回写真屋に足を運ばないといけません。デジカメならその場でいつでも使える状態。この利便性の差が絶大であることもまた事実ですね。写真の現像にはお金もかかるしね。それでも、私はまだ当分はリバーサルフィルムで写真を撮るつもりですけど、たいていの人はデジカメの簡便性の魅力に勝てないでしょうね。ただ、先の記事に書いたように、デジカメは酷寒だとバッテリーの電圧が下がって動かなくなるという弱点はあります。話は違いますが、カメラの露出は、白いものは暗く、黒いものは明るく測定してしまう傾向があります。少なくとも数年前まではそうでした。だから、雪山の写真を撮るときは、プラスの補正をかけて、通常より明るく露出します。私の場合は、補正なしとプラス1補正の両方で撮るようにしています。ところが、最新のデジカメの露出計は、どうやら白いものも黒いものも適正に測定できるらしく、雪山でも露出補正なしで撮影できるのです。フィルムカメラの感覚でプラス1補正をかけると、白く飛んだ写真になってしまう。露出計も進化しているんですね、でも感覚が狂うなあ。もっとも、フィルムのカメラでそうしているように、露出補正なしとプラス1補正の両方で撮っておけば問題ないわけです。たまに、どういう条件なのか補正なしだと暗くなってしまう写真もあります。
2012.02.19
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世の中に競争というものがある、これを全面否定することは出来ません。たとえば試験や成績表のない学校教育というのは、理念としては意義ありと思いますが、現実にはなかなか難しい。勝敗のない競技スポーツなんて意味がないし、社会のいろいろなところに競争がある、ということは否定できないし、否定しようとも思いません。がしかし、同時に社会のすべてが競争ではないし、そうであってはならない、ということも言えます。ある意味では、学校教育の場での競争というのは、様々な競争の中でも比較的公正な部類(完全に公正というわけではないにしても)です。社会に出てからの競争には、公正も公平もありゃしません。従って、競争の勝敗がイコール才能の優劣ではないし、もちろん人間性の優劣ではないことは言うまでもありません。実際問題として、競争の勝敗などというものは微妙です。たとえば、学校の試験で、50点と100点だったら言うまでもなく大差がありますが、70点と80点の差となると、長い目で見ればたいした違いがあるわけではありません。いや、50点と100点ですら、挽回はいくらでも出来るのです。人生万事塞翁が馬、などと言います。試験の点数が1点違えば、高校の合否が分かれる場合もありますが、そこで希望の高校に行けなくても、大学入試では逆の結果になったり、あるいは就職では逆の結果になったりということは、いくらでもあります。東大を卒業してもフリーターになってしまう人が結構な割合でいるということが報じられていますし、逆に高卒で高給を得る人もいる。更に言うと、大会社で重役に上り詰めて、不正経理で逮捕されるのと、そこそこの給料で逮捕もされずにそこそこの人生を送るのと、どっちが勝ちでどっちが負け、なんてことは言えません。人間の人生なんてものはそれぞれの人間のものですから、他人と社会に迷惑をかけない範囲で本人が幸せだと思える人生なら、それは幸せな人生といえるでしょう。それを他人がああだこうだと批評しても意味はない。そういった、ある種の曖昧さをすべて排除して、世の中のすべてを競争に結びつけようとするのが、競争原理主義の悪癖の一つだと私は思います。
2012.02.17
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新幹線100系ラストラン指定券、50秒で完売山陽新幹線「100系」と初代「のぞみ」として活躍した東海道・山陽新幹線「300系」のラストランになる3月16日の指定席券が16日、全国各駅などで発売された。このうちJR西日本の運行分は、100系が50秒、300系は3分15秒でそれぞれ完売した。JR西の100系「ひかり445号」(6両、岡山発博多行き)394席と300系「のぞみ609号」(16両、新大阪発博多行き)1323席。別にJR東海の300系「のぞみ329号」(16両、東京発新大阪行き)1323席も販売され、1分で売り切れた。また、3月16日が定期列車としての最終運行になる寝台特急「日本海」(大阪―青森)、夜行急行「きたぐに」(大阪―新潟)の乗車券も発売され、同様に完売した。----100系が登場したのは1985年のことで、300系は1992年です。しかし引退は同時。つまり、100系は27年間運行したのに、300系は20年で姿を消すことになります。一方、東北・上越新幹線では、1982年の開業時に登場した200系が、30年経った現在もなお上越新幹線で運行中です。ちなみに、初代の新幹線0系は、1964年に登場し、引退はついこの間、2008年ですから、44年間活躍し続けたことになります。つまり、見事なまでに、「昔の車両ほど長く使われ、最近の車両ほど姿を消すのが早い」という法則が成り立っています。そして、私の中では、新幹線の中での存在感は0形がもっとも大きい。新幹線を代表する車両を一つ選べと言われたら、0系以外にはあり得ない。何しろ、1964年から82年に東北新幹線の200系が登場するまでの18年間は、新幹線といえば0系しかなかったのですから。それにしても、在来線では20年前に登場してもう引退という車両はかなり珍しいと思うのですが、新幹線はスピードが速い分寿命も速い(単位時間あたりの走行距離が長いから)ですね。次に危ないのは、すでに「のぞみ」の運用からは姿を消している500系だろうか。500系は、たった一度しか乗ったことはありませんが、いまりに特異な外観で印象の強い車両です。まあしかし、私は高校の時は鉄研(鉄道研究部)に所属していた元鉄道ファンですが、さすがにラストランの列車に乗りたいと思ったことはありません。(そこまで筋金入りではなかった)
2012.02.16
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大阪維新の会:公約に疑問の声 政府や与野党「改憲必要」「性急」■「船中八策」の骨子▽統治機構・道州制の実現・地方交付税廃止と地方共有税創設▽行財政改革・国会議員定数・歳費、政党交付金の削減▽公務員制度・大阪府職員基本条例案の法制化▽教育・教育委員会廃止を選択できる制度の導入▽社会保障制度・年金を積み立て、掛け捨て制の併用に▽経済・税制・環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に参加・法人税、所得税率引き下げ、資産課税強化・脱原発依存、発送電分離▽外交・防衛・日米豪の関係強化、沖縄の基地負担軽減と抑止力の維持▽憲法改正・首相公選制導入・参院廃止、首長と国会議員の兼務を容認・改正に必要な衆参両院の賛同を3分の2から2分の1に-----この中で、私が支持できるのは国会議員の歳費、政党交付金の削減(削減ではなく廃止!)と脱原発依存、発送電分離の2点のみ。それ以外はほとんどが絶対反対の内容ばかりです。そして、賛否以前の問題として、実現性の疑わしい主張が数多くを占めます。多くの指摘があるように、道州制とか首相公選とか、参院廃止など、憲法を改正しなければ実現しない政策がたくさんあります。そんなものは、易々とは実現しない、遠大なる暴論です。私自身の賛否はともかく、政党として遠大なる理想を掲げるのは必要なことでしょう。でも、それだけではダメでしょうね。今山積している問題にどう対応するのか、という点についても政策を提示しなければね。それにしても、「首長と国会議員の兼務を容認」というのは、笑ってしまいます。大阪市長兼務で国会議員をやりたいんですね。きっと、本当は松井一郎なんて人に府知事をやらせるのではなく、自分が府知事と市長を兼任したかったんだろうなと想像してしまいます。でも、どう考えたって、市長も国会議員も(府知事も言うまでもなく)本来激務であるはずです。そりゃまあ、週何時間しか執務していない、どこぞの都知事みたいな人なら兼職も可能でしょう。しかし、そういう「手抜き」を前提に兼務を容認するのはどうなのでしょうか。
2012.02.15
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原発5基、予測超す劣化…運転延長基準に影響も国内の商業用原発全54基のうち5基で、原子炉圧力容器の脆(もろ)さの指標となる「脆性遷移(ぜいせいせんい)温度(関連温度)」が、予測値を上回っていたことが読売新聞社の調査でわかった。炉が予測より早く脆くなっている可能性がある。予測値のズレは圧力容器の劣化の正確な把握が困難であることを意味するだけに、古い炉の運転延長に向けた国の基準作りなどに影響を与えそうだ。原発を持つ電力会社10社に関連温度などをアンケートで尋ね、取材で補足した。鋼鉄製の圧力容器は、原発の最重要機器だが、中性子を浴びて次第に脆くなる。関連温度が高いほど、衝撃に対する強度は低い。関連温度は対象に衝撃を与えて破壊する実験で推定するため、圧力容器本体での測定はできない。電力各社は容器と同じ材質の試験片を炉内に置き、数年~十数年おきに取り出し実験している。-----鋼鉄は、通常は強い圧力をかけても変形するだけで、割れることはありません。しかし、ある温度以下になると強度が低下し、簡単に割れてしまいます。この、強度が低下して割れやすくなる温度が「脆性遷移温度」です。その温度は、通常はマイナス何十度という数字です。それが、脆くなってくると、だんだんこの温度が上昇してくる。比較的著名な例はタイタニック号の沈没です。タイタニック号の舷側は、あまり質のよくない鋼鉄が使われており、脆性遷移温度が27度だったと言われています。そのため、冷たい海水の中で強度が著しく低下しており、氷山との衝突で舷側が簡単に破れてしまったのです。もちろん、脆性遷移温度が上がったからといって、通常の稼働で直ちに原子炉がぶっ壊れる危険があるわけではありません。問題になるのは緊急時です。緊急冷却の際に、原子炉内の温度が急に下がると、圧力容器がぶっ壊れる可能性がある。たとえて言えば、非常ブレーキをかけるとモーターが爆発するかもしれない新幹線のようなものです。通常の運転では、非常ブレーキなどかけることはないから、確かに直ちに危険ではありません。非常ブレーキさえかけなければ問題ないんです。と、言われて、そのような新幹線に問題がないと、そのまま運行し続けて差し支えないと言えるでしょうか。私は言えないと思いますね。少なくとも鉄道や飛行機で緊急用の保安装置がぶっ壊れています、でも通常使用には差し支えありませんのでこのまま運行します、なんとことはあり得ないでしょう。この記事には、予測を超す劣化が進んでいる5基の原発の具体名は記載されていませんが、そのうちの1基は九州電力の玄海原発1号機であることは、以前から報じられていますし、私も記事に書いたことがあります。他の4基はどこでしょうか。おそらく、比較的老朽化した原発だと思われます。玄海原発1号機は、運転開始から36年経過しています。このような原発を稼働させ続けることは認めるべきではありません(幸いにして、目下のところは停止中のままですが)。そして、36年でこうなるのだから、原発の運転を40年間認める(場合によっては更にあと20年も認める)なんてことは、論外であると言うしかありません。
2012.02.13
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昨日の記事の続きです。冬の硫黄岳には過去何回か登っているのですが、山頂でアイゼンがぶっ壊れて写真どころではなくなったことが1回、カメラが壊れてしまい撮影できなくなったのが1回、吹雪で何も見えなかったのが1回と、実はこれまで山頂からの写真をまともに撮ったことは、これまで一度もなかったのです。だから、今回初めて、冬の硫黄岳山頂から、思う存分に写真を撮ることが出来ました。とは言っても、風が強いので姿勢が安定しないし、素手でいられる時間が限られるので、写真を撮るのも結構大変なのですが。硫黄岳山頂から見た八ヶ岳の主峰・赤岳です。盛大にガスが飛んでいます。あちらは硫黄岳よりもっと風が強そうだ。山頂での撮影の中心はフィルムの一眼レフで、デジカメではあまり撮影していません。寒さで電池の出力が低下してしまい、すぐにバッテリー切れになってしまうのです。小さなカメラなのでズボンのポケットに入れておくと、体温で暖まって、また電池が復活する。しばらく撮影すると冷え切って、またバッテリー切れ、その繰り返し。一方、フィルムの一眼レフは、元々電池の残量が少なかったにもかかわらず、安定的に撮影できました。途中でフィルムを入れ替えることもできました。もっとも、5年くらい前に、やはり冬の八ヶ岳で、一眼レフのシャッターが凍結して撮影できなくなったことがありました。だから、一眼レフといえども寒さに対して万能ではありません。今回はずっとシャッターが切れたということは、そのときよりは気温が高かったのかな。さて、山頂にはだいぶ長居をしましたが、下山にかかったら、突然風が止みました。これにはびっくり。下りはじめてすぐに、振り返って山頂方向を撮りました。登りでは、とてもカメラを出す余裕なんかなかったのですが。同じ場所から、これから下っていく(登ってきた)稜線を撮影。登山道は稜線づたいにすすみ、やや左よりの小さなピークから左下に向きを変えて、樹林帯へ下っていきます。遠景は、左側が南アルプス、右奥が中央アルプスです。風さえなければ、実に快適で、危険なところも何もない雪山です。ただ、冬場に風がないという幸運には、滅多に出会うことは出来ません。昨日の記事で、硫黄岳の写真を撮った地点(樹林帯から稜線に出たところ)まで戻ってきました。南八ヶ岳連峰を一望の下に。中央は赤岳(2899m)、右が阿弥陀岳(2805m)、左のギザギザは横岳(2829m)。登ってきた硫黄岳は、2760mです。こちらは無風ですが、赤岳・横岳方面は、まだまだ烈風が吹いているようです。阿弥陀岳と、その右奥の南アルプス。登山道は、ここから折れ曲がって樹林帯へと下っていきます。樹林帯にちょっと下ったところ。森林限界近辺なので、木の高さは低く、視界はまだまだ開けています。登山道、というか雪面上のトレースはこんな感じです。写真にしてみると、それなりに斜度がありますね。赤岳鉱泉まで戻ってきました。これは、アイスクライミング練習用の人工ゲレンデ。通称アイスキャンディー。足場を組んで、そこに放水するだけで、このとおり。(鉱泉だけあって、水はたっぷりある)でも、私はアイスクライミングはやったことがないのです。赤岳鉱泉から見上げる横岳の全景。横岳大同心と小同心。冬はアイスクライミング、夏はロッククライミングのメッカです。私は、ちょっと登れないなあ。ここから先は、北沢をひたすら下って、美濃戸→美濃戸口へ。登りは登山口からアイゼンでしたが、下りは途中までまでアイゼンなし、でもやっぱりカチカチに凍結しているところはアイゼンをつけて、しかし登山口に近づいた頃にはお昼を過ぎており、スケートリンク状だった登山道も一部ぬかるみに。アイゼンを泥まみれにしたくなくて、最後はアイゼンを外しました。そうしたら、よく滑ること滑ること。かろうじて転倒は免れましたが、一歩間違えれば、「アイゼンを泥だらけにしないためにズボンを泥だらけにしました」ってことになっていたかもしれません。中央線茅野駅まで戻ってきて撮影。ところで、今回のフィルムの一眼レフとコンパクトデジカメをもって行きました。結果的にデジカメでもそれなりの写真が撮れましたが、山での撮影、特に晴天の雪山では、ファインダーがなく液晶ディスプレイだけのデジカメは、ものすごく使いにくいというのが正直なところです。なぜかというと、周りが明るすぎてディスプレイがよく見えないのです。雪目対策でサングラスをしていることも理由の一つです。遠方の山を撮るときなんか、ディスプレイに何が映っているかも見えていない。かろうじて山のシルエットの一部が分かるかな、というくらい。ピントや露出はまったく分からないまま、とりあえずシャッターを押してみた、という状態です。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる式に、どんどんシャッターを切るしかないのですが、前述の通り、低温のためバッテリー(単三のエネループ使用)出力低下で、だましだまし使うしかない状態。結果的に、まあまあそれなりの写真が撮れたとはいえ、もしカメラを1台だけ持って行くとしたら、やっぱりファインダーのある一眼レフが必須です。
2012.02.12
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1泊2日の日程で、八ヶ岳に行ってきました。行き先は赤岳!と言いたいところですが、私の冬山登山の実力では、赤岳は少々手に余ると思われるので、過去何回も登ったことのある、冬山入門コースではありますが、硫黄岳にしました。実は、赤岳鉱泉ブログによると、2月7日に赤岳鉱泉で雨が降ったというのです。2月ですよ、しかも赤岳鉱泉の標高は2000mもあります。とんでもない異常気象です。もちろん、そのあとは普通に氷点下の気候ですから、解けた雪はみんなカチカチの氷になる。美濃戸口の登山道入り口は、「ここは山か、スケート場か」というくらい、雪ではなく厚い氷に閉ざされていました。とてもアイゼンなしでは歩けない。八ヶ岳で、登山道の入り口からアイゼンをつけるなんて、初めての経験です。もっとも、この登山道は途中まで車が入れるので、普段でも雪が硬く凍結して滑りやすいことが多いのですが。天気は、晴れたり曇ったり、でも山頂付近は昨日の時点では雲に閉ざされていました。美濃戸からは南沢に入り、行者小屋へ。先々週引いた風邪の影響か、体力が若干落ちているようで、登りがきついこときついこと。これは、行者小屋の直前あたりです。このあたりは、さすがに雪が解けたような気配は感じられませんでした。横岳大同心・小同心がガスにかすんでいます。これも行者小屋付近から。ちなみに、行者小屋は今の時期は営業していません。で、このあと、予定では赤岳鉱泉の山小屋に行くはずでした。行者小屋から赤岳鉱泉までは1時間もかからないはずなのですが、行けども行けども着かない。行者小屋でおやつを食べたら脚力が回復して、結構ハイペースで登っているのに、どういうことだ。というか、行者小屋から、こんなにひたすら登りばっかりだったっけ?おかしいなと思った瞬間、目の前に梯子と鎖場が。さすがに道に間違えたことに気がつきました。地蔵尾根をひたすら赤岳に向かって登っていたのです。なんと40分も登っていた。もっと早く気づけって話ですが。一瞬、このまま登って今夜の泊まりは赤岳展望荘にって考えが頭をよぎりましたが(赤岳展望荘は昨日から営業開始)、赤岳鉱泉に予約を入れているので、そういう訳にもいきません。あわてて引き返して、行者小屋から正しい道を赤岳鉱泉へ。結局、赤岳鉱泉にたどり着いたのは4時半頃。危ない危ない。赤岳鉱泉の山小屋は、過去に何回か使ったことがありますが、食事はおいしいし、室内の暖房も暖か。春~秋の時期なら、何と風呂まであるのです(もっとも、私は冬しか泊まったことがないので、風呂に入ったことはありませんが)。とてもサービスのよい山小屋です。さて、夜中から明け方にかけては、ずっと空は雲に閉ざされていて、「こりゃ、天気はあまりよくないかな」と思ったのですが、いざ日が出てみたら快晴になりました。気温は、やや暖かめ。(7時頃、小屋の玄関の温度計でマイナス10度)赤岳鉱泉から見た赤岳。山頂から左に下る稜線上に、赤岳展望荘がよく見えます。赤岳のアップ樹氷この先で、ニホンカモシカがいたのですが、残念ながらカメラを出す前に逃げられました。森林限界を超え、硫黄岳に続く稜線上に出ました。樹林帯は無風でしたが、稜線に出たとたん、猛烈な風。もっとも、日本の冬山では、これが普通です。冬の八ヶ岳には過去何回も登っていますが、1~2回の例外を除き、いつも風は強烈。硫黄岳です。以前にも写真をアップしたことがあるような。同じ場所から南アルプスを撮影。右から仙丈岳・甲斐駒ヶ岳・北岳。この先は、強風のため山頂までカメラを出す余裕なし。ただ、技術的には、南八ヶ岳で一番易しいコースだけに、危険なところはまったくありません。前にも何度か登っているし。山頂に着きました。山頂も烈風ですが、だだっ広いのでカメラを出す余裕がありました。冬の硫黄岳には何度か登っていますが、山頂でゆっくり写真が撮れるのは初めてです。山頂から中央アルプスを撮影。ちなみに、赤岳方向も盛大にガスが飛んでいました。その飛び方から察するに、硫黄岳よりもっと風が強そうです。続きは明日に。
2012.02.11
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南極の氷の下4キロに眠る湖、ロシアが掘削して到達南極の氷の下約4キロに眠るボストーク湖の調査のため、氷を掘り進めてきたロシアの研究チームのドリルが湖の表面に達した。AFP通信が6日、伝えた。湖の水は100万年前から今の状態を保っているとみられ、太古の微生物が存在するかが注目されている。正式な発表はまだないが、「深さ3768メートルで湖の表面に達した」とする関係者のコメントを伝えた。レーダー調査で、南極の氷の下には淡水湖が多数存在することがわかっている。ロシアのボストーク基地の下にあるボストーク湖はその中でも最大級で、広さが琵琶湖の約20倍ある。-----南極の氷床のボーリング調査は以前から行われていますし、氷床の下に湖があることも分かっていましたが、ボーリング調査のためのドリルのオイルが湖を汚すことを避けるため、以前はあえて湖に届かないところで掘削を中止していたはずです。汚染を招かない確実な方法が確立された上で行われた調査なのか、というところが若干気になります。それにしても、南極といえば酷寒の地。それも内陸部となれば一年中氷点下何十度という世界で、地上(氷上)の水分はすべて、氷としてしか存在しません。ところが、氷の下には液体の水が存在するのです。不思議といえば不思議な話です。氷河というのは、雪が圧縮されたものですが、雪には、多くの空気が混入しています。そのため、雪(氷河も)には断熱材としての効果があるのです。だから、むき出しの地表は寒ければ凍結しますが、ある程度以上の積雪の下の地面は、もはや凍結しないのです。たとえば、シベリア東部は降水量が少なく、積雪がほとんどないので、地表から500メートルもの深さまで地面が凍結します(永久凍土)。しかし、厚い氷床の下にある南極の地面は、ほとんど凍結していないのです。それにしても、琵琶湖の20倍ですか。琵琶湖の広さは670平方キロなので、その20倍ということは13000平方キロ。四国の7割くらいの広さということになります。でかいです。そんな巨大湖が、外界と完全に切り離された状態で100万年前から続いている、。というのにはびっくりです。ただ、100万年ということは、そのときすでにこの場所は厚い氷の下にあったはずです。そういう意味では今と環境はそれほど変わりません。そこに生物はいるのか、いるとしたら外界とはどのくらい違うのか、興味は尽きません。もっとも、バクテリア以上のものは住んでいないでしょうが。
2012.02.09
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冷却機能停止、大惨事と紙一重だった…福島第二東日本大震災で被災した東京電力福島第二原子力発電所が8日、震災後初めて報道陣に公開された。震災当時から現場を指揮してきた増田尚宏(なおひろ)所長は、報道陣に対し、「(大惨事を招いた)福島第一原発と同様の事態になるまで、紙一重のところだった」と震災直後の緊迫した状況を振り返った。第二原発と、メルトダウン(炉心溶融)に至った第一原発までの距離はわずか約12キロ・メートル。襲来した津波は第一原発の13メートルに対して第二原発は9メートルと低く、浸水は建屋の一部にとどまったが、海岸近くにある原子炉を冷却するための海水ポンプの機能が奪われた。4基中3基が一時危険な状態に陥り、「原子力緊急事態」が宣言された。しかし、外部からの高圧送電線が1回線生き残り、中央制御室で原子炉の温度や圧力、水位などのデータが把握できたことから、必要な対策を見極め、事故4日後の3月15日までに冷温停止にこぎ着けた。「原子炉の状態をつかめなかった第一原発とは大きく違った」と増田所長は指摘する。ただ、復旧までの道のりは険しく、切迫した中での総力戦だったという。----所長の話によれば、福島第一と福島第二の差は、外部からの高圧送電線が全部途絶えた(福島第一)か、1回線生き残った(福島第二)かという、その違いだけだったようです。別記事によると、もともと福島第二原発には外部電源が3回線あって、そのうち2回線が途絶したようです。福島第一原発の外部電源喪失は、高圧電線の鉄塔が倒壊したことが原因ですが、以前の記事に書いたように、倒壊した鉄塔の地点までは津波は到達していないので、倒壊の原因は津波ではありません。おそらく、地震の揺れそのものによって倒壊したのだろうと思われます。福島第二原発の場合は、外部電源が途絶した原因が何だったのかは分かりませんが、上記の記事によると、「電源復旧用の仮設ケーブルや冷却用のモーターをヘリコプターや自衛隊の輸送機で空輸した」とあるので、ケーブルが断線したことは間違いありません。その中で1回線だけが生き残ったのは、幸運な偶然でしょう。残る2回線も13日早朝に復旧したそうですが、福島第一原発ではその時間までに1号機が水素爆発を起こしていることを考えると、福島第二原発で外部電源が全部途絶していたとしたら、致命的な事態に至っるまでに電源復旧が間に合わなかった可能性が高いのではないでしょうか。そう考えると、確かに福島第一と第二の差は紙一重でしかなかったのでしょう。福島第一原発は老朽だから地震(津波)に耐えられなかったが、新しい原発なら大丈夫である、というようなことを言う人が、原発推進派の中にいます。確かに、老朽化した原発の危険性が高いことは事実でしょう。しかし、結局のところ運命を分けたのは、新しいか古いかではなく、外部電源が全部途絶したか、1回線でも生き残ったかの違いだけだった、ということのようです。つまり、「新しい原発なら安全である」とはとても言えないのです。
2012.02.08
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2月2日に、東京電力管内で今冬の最大電力を記録したそうです。そのときの記事によると寒波で暖房利用増、最大電力が今冬最高に全国的に厳しい冷え込みとなった2日、各地で家庭やオフィスなどの暖房利用が増え、東京電力や関西電力など電力9社管内で、最大電力(午後7時までの速報ベース)がこの冬の最高を記録した。東電管内は午後6時台に4967万キロ・ワットを記録し、この冬の最高を1万キロ・ワット更新した。供給力に占める電力使用率は93%まで上がったが、東電は「安定供給に支障はなかった」としている。大雪に見舞われた東北電力管内も最大電力が1360万キロ・ワット(午後5時台)と2日連続で今冬最高を更新し、北海道電力から電力融通を受けた。----4967万kwというのは、実は昨夏の最大電力の記録(4922万kw)より多いのです。しかし、「安定供給に支障はなかった」そうです。一方、現在稼働中の原発は、全国で3基のみ。うち東京電力は柏崎刈羽原発6号機のみです。記事によれば、関西電力の今冬の最大電力を記録したそうですが、その関西電力も稼働中の原発は1基のみ。関西電力はもともとの原発依存度が高かったことから、昨夏は「電力が足りなくなるのではないか」と言われましたが、目下のところはこのとおりです。もちろん、充分に余裕があるという状況ではないにしても、これだけの厳冬でも、原発なしで何とかしのげています。であれば、今後も原発なしでも電力供給は可能ではあるまいか。私は、「すぐに全原発を廃止するのは無理にしても、10年以内に段階的に廃止すべき」と言ってきましたが、春にはすべての原発が停止する見込みだそうで、どうも現実は私の主張よりずっと早く「脱原発」状態が実現してしまいそうです。私ですらも、電力会社の宣伝文句に騙されていたのかもしれない。もちろん、それも節電努力あってのことではあります。我が家は依然として節電継続中で、1月の電気使用量は昨年比で38%減でした。世間一般も節電はしていますが、昨夏ほどの規模ではないように思います。製造業が夜間操業したり、休日を土日以外に振り替えたりということは、私の知る限りは行われていません。現状程度の節電で原発が不要になるのと、電気をどんどん使って原発をどんどん動かすのと、はたしてどちらの方がよいでしょうか。私は前者を選びたいですね。
2012.02.06
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昨日は、実は私の誕生日だったのですが、午前中、パールフルートの「フルートアンサンブル倶楽部」に参加してきました。当ブログの常連であるたかさんから、前々から誘われていて、面白そうだなと思っていましたので。たかさんは中級者向けのコースに参加されているようですが、私はそんな難しいことはとても出来ないので、初級者向けのコースに申し込みました。結果的に言うと、初級者コースといえども、私の腕前ではかなり手に余る状態でした。1週間前くらいに譜面が送られてきたのですが、わたしは、譜面があまり読めないので、まず行った作業は、「ドレミファ」と音名を振ること。でも、譜面に音名をふったところで、それでメロディーが頭に浮かんでくるわけではないのです。とりあえず、しどろもどろになりながら練習してみました。「3つの音のメロディー」というのと「冬の童謡メドレー」の二つが課題曲でした。「冬の童謡メドレー」というのは「たき火」「雪やこんこん」「冬景色」の3曲のメドレーなのですが、「冬景色」という曲は実は今まで知りませんでした。「3の音のメロディー」も初めて聴く曲です。とりあえず、「3つの音のメロディー」「たき火」「雪やこんこん」まで練習したところで、私は風邪を引いてしまった(実は、まだ治っていません。昨日はちょっと無理して参加しました)ので、結局「冬景色」はYouTubeで音源を探して「こんな曲か」と知っただけで教室に参加する羽目に。その結果、どういう悲惨なことになったかは、あえて説明するまでもないでしょう。(冬景色以外の曲は、それほど悲惨ではなかったと思うのですが、何しろこの曲が一番メインだったような気がします)そもそもね、席に着いてみたら、楽譜にふりがな振っているようなレベルの人は、私以外にはいないんですよ。その時点で、「あっ、来るところ間違えたかな」って、ちょっと思いました。みんな、全然初級者じゃない。私は、ずっと譜面を使わない音楽をやっているので、耳で覚えているメロディーを笛で吹くことは、いくらでも出来るのですが、譜面があろうが、ふりがなが振ってあろうが、メロディーが頭に入っていなければ全然吹けないのです。と、いうことに、昨日初めて気がつきました。だって、今までは頭に入っていないメロディーを譜面だけを頼りに吹く局面になど、出くわしたことがなかったですから。フルートにしてもケーナにしても、吹いているときに流れ出吹いているので、自分が今出している音は何の音なんてことは、考えることもありませんし、逆に言うと、「ラ」と言われて(譜面を見て)ラの音をとっさには出せません。それでもケーナとフルートは、運指と音階を一応は把握していますが、サンポーニャに至っては、どの管がどの音ということはまったく頭に入っていません。そういう私にとっては、こういう教室はもっとも不向きだったかもしれません。が、しかし、ここで諦めるのはちょっと癪だし、次回の日程を確認したところ、ちょうど(今の時点では)予定の入っていない日だったのです。今から準備すれば、多分すべてのパートを練習して当日に臨むことも出来るでしょうから、もう一度参加してみることにしました。さて、次はどうなることやら。
2012.02.05
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「東京でやることはやった」石原都知事 新党視野に国政転身に意欲示す東京都の石原慎太郎知事は3日、国会内で行われたたちあがれ日本の全国拡大支部長会議に出席し、次期衆院選に向けて結成を目指す「石原新党」を念頭に、「東京でやることはやった。皆さんに命を預けるから一緒にやろうじゃないか」と訴えた。新党を旗揚げし、国政転身とも受け取れる発言は、民主、自民の二大政党の選挙戦略にも影響しそうだ。石原氏は「私たちが今、努力しなければ、子孫に顔向けできない」とも述べた。同時に「日本をダメにしたのは官僚だ」と酷評した上で「日本を良くするためにまず今の中央集権の官僚制度をぶっ壊さなければ絶対にダメだ」と述べ、大阪市の橋下徹市長や愛知県の大村秀章知事との連携を示唆した。また、核保有問題に言及し、日本も(核の)シミュレーションぐらいやったらいい。核をもっていなかったら、あるいは核を持つかもしれない国でなかったら大きな声で(他国に)モノが言えない」と述べた。日本が核兵器を保有した場合にも触れ、「持ったとしても使えない。使えないけど持ってないと、(他国は)言うことを聞かない変な世の中になった」と持論を述べた。---石原が都知事に四選されたのは昨年4月。それからまだ10ヶ月しか経っていないのに、もう「東京ではやることはやった」などと言い出すなら、そもそも知事選になど出るべきではないでしょう。当時78歳の人間が更にもう1期都知事をやるというのもちょっとどうかと当時思ったのですが、まさか1年も経たずに知事の座を放り出して、80歳を前に国政に再転進などと言い出すとは思いませんでした。もっとも、どの程度の影響力と勢力を確保できるのかは疑問です。記事によれば大阪市の橋下徹市長や愛知県の大村秀章知事との連携を示唆したそうですが、橋下は「先に誰と組むか、誰とつるむのか、そんな話では国民はすぐに冷めてしまう」などと述べ、色よい返事はしなかったようです。それどころか、「たちがれ日本」じゃなかった、「たちあがれ日本」の内部ですら、必ずしも石原歓迎で統一されているわけではないようです。もちろん私は石原慎太郎がもともと大っ嫌いですが、そのことを度外視して考えても、今年80歳になる人間が、今から国政に打って出て、リーダーシップをとろうというのは無理がありすぎるように思います。だいたい、都知事としての執務は週休4日で、1日の平均執務時間が1時間しかなうそうですが、国政に打って出てもそんな「勤務態度」だったら、周りが誰もついてこないでしょう。で、その「石原新党」の政策ですが石原新党 基本政策、保守色濃く 男系存続へ典範改正東京都の石原慎太郎知事が、たちあがれ日本の平沼赳夫代表らとともに結成を目指す新党の基本政策の草案が2日、分かった。「国のかたち」「外交・防衛政策」「教育立国」など7分野で構成され、憲法9条改正や、男系存続のための皇室典範改正、首相公選制-を明記。保守色を前面に押し出した内容となる。基本政策は、7分野29項目あり、項目ごとに具体策を明記。前文では「グローバリゼーション」や「地球市民社会」などを幻想と断じ、「一国家で一文明」の日本の創生を訴える。憲法改正に関しては、9条改正による国軍保持▽国会一院制と大選挙区制導入▽改正手続きを定めた96条の改正-を掲げる。外交・防衛分野では、「自立日本」を掲げ、日米同盟の深化▽防衛産業の育成▽「南西防衛戦略」推進▽核保有に関するシミュレーション-などを明記する。経済・財政政策は、100兆円規模の政府紙幣発行、国の財政の複式簿記化-など。エネルギー政策としては2040年までの原子力エネルギーゼロを掲げる。このほか、国家公務員3分の1削減▽平成版教育勅語(ちょくご)起草▽フラット税制-なども盛り込まれる。---もうなんというか、まるっきりお約束どおりの極右イデオロギー丸出しです。アナクロニズムの極致。皇室典範改正とか、憲法改正、核保有シュミレーション、100兆円の政府紙幣、平成版教育勅語、フラット税制(つまり、累進課税をやめるという意味でしょう)どれをとっても、滅茶苦茶です。だけど、それ以上に言えるのは、遠大な大言壮語ばっかりで、足が地に着いた政策ではない、ということです。震災からの復興、深刻な不況などの目前の問題を前に、「皇室典範の改正」って、どういう価値基準だよって思います。ま、だから極右なんでしょうけどね。
2012.02.03
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大雪、3日朝にかけて続く見込み日本上空が冬型の気圧配置となった2日、北日本から西日本にかけて降雪が強まり、気象庁が警戒を呼びかけている。2日午後3時現在、東北から近畿地方にかけての日本海側では、24時間降雪量が50センチを超えた地域も出た。大雪は、2日夜から3日朝にかけて続く見込み。3日は次第に降雪が弱まる見込みだが、四国地方の山地や九州北部でも大雪の恐れがある。3日午後6時までの24時間に予想される降雪量は、多い所で▽北陸地方50センチ、▽東北、関東甲信地方(群馬県、長野県)40センチ、▽中国地方30センチ、▽東海(岐阜県)、近畿、九州北部地方20センチ、▽四国地方15センチ――となっている。----今月中に八ヶ岳に行こうと思っています。八ヶ岳というのは、あまり降雪量の多くない山です。冬型気圧配置のときは、たいてい晴れる。それより太平洋寄りの南アルプスも同様です。現在の積雪状況を調べたところ、赤岳鉱泉で1メートル、小屋から上はラッセルだそうです。うーーーん、単独行で要ラッセルというのは「無理」と同義語ですから、現時点では赤岳鉱泉より先は無理っぽい感じです。ただ、今週末に登る人がいるだろうから、トレースは付くでしょう。でも、山頂まではあきらめる前提のほうが無難そうです。雪崩に巻き込まれたくもないですしね。そして、気温。1月30日にマイナス22度を記録したそうで。こりゃ寒い。で、山の中はともかく、下界でも寒いですね。私は東京では日常生活に手袋を一切使わないのですが、この冬は、夜ランニングに行くときに何回か手袋をしています。今までは、たとえ雪が降っているときでも手袋なんかしなかったんですけどねえ。寒さのせいか、私が老化したせいか・・・・・・。この寒さの原因は、ラ・ニーニャ現象と、ジェット気流が例年より南に下がっていること、ベーリング海に高気圧が居座って日本上空の寒気が東に抜けにくくなるブロッキング現象が原因と見られているようです。東京の寒さなんてたいしたことはないのですが、それでも、この1月は月間平均気温が4.8度を記録しています。厳冬として記憶に新しい2006年の1月は、東京の月平均気温は5.1度でしたから、その年を上回る寒さだったのです。東京で月平均気温が5度を下回るのは、2001年1月以来11年ぶりのことです。が、さらにその前の気温の記録を見ていくと、実は1980年代までは1月2月の月平均気温が5度以下なんてのは、ごく当たり前のことであって、5度以上あるのはむしろ暖冬の部類でした。中でも1984年は1月3.7度、2月3.0度という酷寒の年(雪の多い年でもあり、20センチくらいの降雪が3回か4回あった)でした。冬日(最低気温が氷点下)の日数は、1984年が32日、2006年は11日、今年はまだ3日です。2月にどれだけ氷点下を記録するか分かりませんが。私の手元には中学のころ(1980年代初頭)の副教材の地図帳があるのですが、そこに載っている東京の平均気温(1941年から71年までの30年平均)は、1月4.1度、2月4.8度です。この1月といえども、その当時の平均気温より高いのです。もちろん、これはあくまでも東京(大手町の気象庁の観測点)に限った話です。日本中の殆どの地点が温暖化する傾向にはありますが、それでもこれほど急激に気温が上がっているところは東京だけです。大都市のヒートアイランド現象が、いかに猛烈かということです。
2012.02.02
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「巨額エステ通い」ウソ情報でソウル市長選敗北? 美貌の与党女性候補に致命傷【ソウル=黒田勝弘】野党系の市民運動家が当選して話題になった昨年10月のソウル市長選で、対抗馬だった美貌の与党候補を敗北に追い込んだ「巨額スキンケア」説はウソだったことが分かり、ウワサや扇動に弱い韓国社会の体質をあらためて浮き彫りにしている。この“事件”は、市長選の終盤で週刊誌が与党ハンナラ党の羅(ナ)卿●(ギョンウォン)候補(47)に対する批判として「彼女は年会費1億ウォン(約700万円)のエステに通っている!」と伝え、この“情報”がネットなどで一気に広がり、落選の決定打になったというもの。彼女は当時、虚偽情報として捜査当局に告発、その捜査結果がこのほど「あれはウソだった」と発表された。エステに通っていたのは事実だが問題の「1億ウォン」は事実無根という。(中略)政治的な虚偽情報による宣伝、扇動は左派勢力が得意とする。近年、韓国社会はネットを通じた虚偽情報で揺さぶられることが多い。今回の「豪華エステ」説もネット上の交流サイト「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」で一気に拡散、選挙情勢を左右した。韓国では4月に国会議員選挙、12月に大統領選挙が予定されている。政治の季節を迎え、こうした虚偽情報を含む手段を選ばない政治宣伝が、SNSを通じ威力を発揮することになりそうだ。----記事の中身については、私は検証していませんので、真偽についてはわかりません。それよりも私が驚いたのは、ウワサや扇動に弱い韓国社会の体質をあらためて浮き彫りにしている。という文面です。ウワサや扇動に弱い産経新聞が、自分を棚に上げて何を言っているの?と思います。昨日も、百人斬り裁判の判決文を都合のよいところだけフレームアップして、負けた裁判をさも勝ったかのように見せかけようとする態度を批判したばかりです。当ブログの常連Bill McCrearyさんのブログで知ったのですが、元社民党で現在民主党に入党した辻元清美が、産経新聞と阿比留瑠比記者を名誉棄損で訴えているそうです。産経新聞が、阿比留瑠比貴社の執筆した、以下のような記事を掲載したからです。それならばぜひ聞きたい。なぜ辻元清美衆院議員を震災ボランティア担当の首相補佐官に起用したのか。カメラマンの宮嶋茂樹氏の著書によると、辻元氏は平成4年にピースボートの仲間を率いてカンボジアでの自衛隊活動を視察し、復興活動でへとへとになっている自衛官にこんな言葉をぶつけたという。「あんた!そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう」(2011年3月21日)辻元氏は平成7年の阪神淡路大震災の際、被災地で反政府ビラをまいた。2人の起用はブラックジョークなのか。(2011年3月16日)裁判の結果がどうなるかはわかりません。しかし、少なくともこの記事がデマであることは確かです。カメラマンの宮嶋茂樹氏の著書には、ピースボートの関係者が上記のような発言をしたとは書かれていますが、発言主が辻元とは書かれていないからです。被災地で反政府ビラをまいた、というのも、ネット上に垂れ流されている根拠のないデマです。実際に当時ピースボートが神戸で配布したビラの現物は、このサイトで見ることができます。「反政府ビラ」かどうかは読んでそれぞれに判断してもらうしかありませんが、私の目には、反政府ビラでも、批判を受ける内容でもないように見えます。産経新聞出身(亡くなるまで客員編集委員の肩書きを持ち記事も寄稿していた)の花岡信昭は、月刊WiLLに、「土井たか子は本名『李高順』、半島出身とされる」というデマを書いて、名誉毀損で敗訴しました。これもまた、ネット上で垂れ流されている無根拠なうわさ話に、真偽も確かめずに飛びついてしまったものです。2004年に起きたイラク日本人人質事件でも、やはりネット上に垂れ流されていた「自作自演説」に飛びついている。マスコミはいずれも多かれ少なかれ、誤報やミスリードの前歴はあるものですが、近年これほど意図的なデマを連発しているマスコミは、さすがに産経新聞以外にはないでしょう。「政治的な虚偽情報による宣伝、扇動は左派勢力が得意とする。」というのも、それが事実かどうかは私にはわからないけれど、少なくともこの日本では、政治的な虚偽情報による宣伝、扇動をもっととも得意にしているのは産経新聞と右翼勢力であることは歴然としています。
2012.02.01
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