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南海トラフ地震「犠牲最悪30万人」 検討会トップ見解南海トラフの巨大地震対策を検討する国の作業部会のトップ(主査)を務める関西大の河田恵昭教授は28日、「最悪で30万人規模の犠牲者となる」との見解を示した。国の2003年時点の想定では約2万5千人とされており、その10倍を超える数となる。河田教授は28日に開かれた部会の後の記者会見で述べた。南海トラフは静岡県の駿河湾から九州沖に延びる海底のくぼみで、部会はここで東海、東南海、南海の3連動の地震が起きた場合の被害想定について検討している。河田教授はまず、昼間に発生した東日本大震災の死者・行方不明者は約1万9千人だったが、深夜だった場合は6万人規模になっていた可能性があると指摘。南海トラフ地震で被害を受けるとされる地域の人口は東日本大震災の被災地の約6倍に上るとの見方を示したうえで、「最悪で30万人規模の犠牲者になる」と語った。部会は6月以降に被害想定をまとめる方針。----犠牲者30万人、確かに充分にあり得る話です。東日本大震災で約1万9千人の犠牲者が出ていることを考えると、東海・東南海・南海連動地震の犠牲者が「最悪」の場合従来見積もりの2万5千人で収まるとはとうてい思えません。ただ、どういう季節・時間帯が「最悪の状況」なのかは、一概には言えません。東日本大震災の場合、あれがもし深夜に起きたら犠牲者がもっと多かったであろう、というのは容易に想像が付きます。津波が視覚的に目に見えなかったら、避難が間に合わなかった人はもっと多かったでしょうから。ただ、たとえば阪神淡路大震災の場合は、逆に未明の時間帯だったからあの程度の犠牲者数で済んだ、とも言えます。阪神淡路は、まだ公共交通機関がほとんど動いていない時間帯の地震でした。阪急伊丹駅は駅全体が潰れて、確か駅舎内の交番に勤務する警官が犠牲になったと記憶していますが、一般の乗客の犠牲者はなかったはずです。まだ電車が動いていなかったから。もしあれがラッシュアワーの地震だったら、あの1カ所だけでも千人単位の死者が出ていて不思議はありません。新幹線や東海道線、神戸地下鉄、高速道路なども、かなり倒壊していますし、神戸や三宮の商業ビルもずいぶん潰れました。電車が動いている時間、従業員が勤務している時間だったら、どう考えたって、もの凄い死者が出ていたはずです。そう考えると、日中の時間帯(ラッシュアワーだったら特に)に阪神淡路大震災があったら、実際の数倍規模の犠牲者が出ていたことは間違いない。そう考えると、どの時間帯に地震が起きたらどの程度の被害が生じるかという判定は非常に難しいだろうなと思います。地震の性質(津波が中心か、揺れが中心か)、被災地の土地柄(大都会かどうか)にもよるでしょう。一般的には、太平洋側の地震に関しては「冬の夕食時」というのが一番の危険時間帯と言われます。確かに、炊事している時間帯であり、ラッシュアワーでもあり、商業ビルに多くの人がまだいる時間でもあり、暖房が使われており、日は暮れているので津波が来ても視覚的には分からない時間帯である、という意味では冬の夕方は危険だろうなと思います。「地震だ、火を消せ」とは言いますが、去年の震災の時、東京は震度5強でしたけど、あの程度の揺れでも、とっさには頭が働かないものですね。私は机の下に隠れることすらできなかった。「いざ」というときの対処って難しいものだなと痛感しました。いずれにしても、去年のあの震災が、日本にとって「最悪の災害」かどうかはまだ分からない、ということは念頭に置いておく必要がありそうです。
2012.05.31
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尾瀬で落雷、1人死亡1人けが 大気不安定、各地で荒天大気が不安定な状態になった影響で、西日本から東北の各地は28日、激しい雨や落雷に見舞われた。気象庁は13都県に竜巻注意情報を出した。29日も東日本を中心に落雷や竜巻の恐れがあるとして、気象庁は警戒を呼びかけている。群馬県片品村戸倉の尾瀬国立公園では、28日午前10時半ごろに雷が落ちた。県警によると、登山中だった埼玉県上尾市の会社員佐々木幸明さん(59)が死亡し、同行していた東京都足立区の派遣社員の女性(51)が軽傷を負った。現場は尾瀬ケ原の「龍宮小屋」付近で、国立公園ではひょうも降っていた。 ---竜宮小屋って、尾瀬ヶ原のど真ん中に建っている山小屋です。本当の小屋の周囲には多少立木があったと記憶していますが、周囲一帯は湿原です。あんなところで雷が来たら、身を隠すところがない。立っている人間なんて、雷から見たら絶好の攻撃目標だから、土砂降りの雨だろうが何だろうが、木道の上にはいつくばるしか手がありません。山の遭難事故の中でも、落雷は結構あります。特に有名なのは1967年、学校登山で西穂高岳に登っていた松本深志高校生徒11人が亡くなった事故です。全員が感電死ではなく、落雷の衝撃で吹っ飛ばされての転落死も含まれるようですが。落雷というと、何となく夏の入道雲とセットのような印象がありますが、私はゴールデンウィークの白馬岳で、吹雪の中で雷に襲われたことがあります。雷雨ならぬ雷雪。頭上をドッカンドツカンと、絨毯爆撃状態。私はオオシラビソの木の下に座り込んで隠れてました。結局、吹雪も雷も収まらないので、それ以上登るのを諦めて、引き返してしまいました。引き返すときも怖かったですが。ところが、そのとき周囲の登山者は、そのまま平然と登っていくんですよ。「えっ、大丈夫なの?ひょっとして私が必要以上に臆病だっただけ???」と思いました。まあ、そのとき白馬で落雷により遭難という報道はなかったので、きっと誰も雷には当たらなかったのでしょう。その限りでは、私は必要以上に臆病だったのかも知れないけど、やっぱりあんな雷の下で普通に歩き続けるのは安全とは言い難いだろうと思います。
2012.05.28
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竹内洋岳さん、日本人初の8千メートル峰14座制覇世界で14座ある8千メートル峰の全山登頂を目指していた登山家、竹内洋岳さん(41)が日本時間の26日午後8時45分、最後に残った世界第7位の高峰、ダウラギリ1峰(8167メートル、ネパール)の山頂に立った。同日、竹内さんを支援している東京の事務局に連絡があった。14座制覇は1986年、イタリア人登山家のラインホルト・メスナーさん(67)が初めて成功し、過去30人近い登山家が達成しているが、日本人では竹内さんが初の完登者となった。日本人で竹内さんに続くのは9座で4人。うち3人は10座を目前に遭難死している。(以下略) ---これがどれほどの偉業かは、「日本人で竹内さんに続くのは9座で4人。うち3人は10座を目前に遭難死している」という言葉に集約されています。どれだけ危険か、ということです。8000メートル峰9座で遭難死した3人というのは、山田昇(登山家としては、冗談みたいな名前ですが)1989年2月、アラスカのマッキンリー冬季登頂をめざすも、3人のパーティー全員遭難死名塚秀二 2004年10月、アンナプルナI峰で雪崩により死亡田辺治 2010年9月、ダウラギリで雪崩により行方不明9座登頂して生存しているのは近藤和美(こんどうかずよし)ですが、もう70歳近い年齢なので、14座完登はまず無理。(ただし、まだ現役で高所登山を続けている模様)更に、すでに8000メートル峰14座完登を達成している世界の登山家を見ても、最初のラインホルト・メスナーは生きていますが、翌年達成したポーランドのイエジ・ククチカは1989年ローツェ南峰で転落死、3番目のエアハルト・ロレタン(スイス)は、昨年4月にスイスアルプスのグリュンホルン(4043m)で転落死、8番目朴英碩(韓国)も昨年10月アンナプルナで遭難死。これほど致死率の高い危険な世界はありません。竹内洋岳自身も、2007年に雪崩で重傷を負い、同行者が死亡しています。これから先も、この種の高所登山を続けている限りは、死の危険と隣り合わせと言うことになるのでしょう。そもそも、今回のダウラギリ1峰は、まだ下山も終わっていないので、これから遭難する危険だってなくはない(もう、だいぶ下がってきていると思うけど)。かつて日本で8000m峰完登に一番近いと思われた山田昇は、映画「植村直己物語」に、確か撮影スタッフとして参加しています。何で読んだか忘れましたが、主役の西田敏行が死ぬ思いで5~6時間かけて登ってきたところを、後から追いかけてきて30分で登ってきたということがあったそうです。まあ、西田敏行って持久力系のスポーツは苦手そうな体型ではあるけど、その当時はまだ30歳代ですからね。技術はいうまでもありませんが、体力的にも相当の持久力がなくては、8000m峰なんて登れません。私は、多分体力も持久力も無理だな。
2012.05.27
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石原知事「東京も薄情な街に」…五輪支持低迷で2020年夏季五輪の招致で国際オリンピック委員会(IOC)の1次選考を通過したものの、IOCの世論調査で都民の支持率が低迷したことについて、石原知事は25日の記者会見で、「東京も薄っぺらくて薄情な街になってしまった」とぼやいた。IOCの調査では、東京の支持率は47%どまり。石原知事は「いま日本人が何に胸がときめくかと言えば、ちまちました『我欲』の充実。痩せた民族になってしまった」と作家らしく分析し、「低ければ、それを上げる努力をするだけのこと」と、来年9月の最終選考に向けて世論を喚起していく考えを明らかにした。---自分の主張に賛同する市民が半数に届かないからと言って、「薄っぺらくて薄情」「痩せた民族」って、いったいどれだけ「自虐」な考えですか。民意は特にオリンピックを求めてはいないのに、知事は東京オリンピックを招致したいという、そこのところに「我欲」がないとでもいうのでしょうか。私自身は東京でオリンピックを開催することに、特に賛成でも反対でもありませんが、2度目の東京より初めてのマドリッドあるいはイスタンブールの方がいいんじゃないか、とも思います。大方の都民は、「今そんなことにお金をつぎ込む余裕なんてあるの?」と思っているんじゃないでしょうか。少なくとも、「東京でオリンピックをやりたい」という草の根の熱意を感じることはありません。2016年オリンピックに落選する直前も、同様でした。2009年に東京が落選したとき、オリンピック開催への支持率は55%と報道されていました。ということは、そのときより支持率はさらに下がっているわけです。これから広告宣伝費をぶち込んで支持率を上げるつもりなんでしょうが、果たして効果があるでしょうかね。そういえば、前回のオリンピック招致運動は、招致費用として公費だけで100億円と言われます。しかも集めた資金以上の招致費用をつぎ込んでしまい、赤字になって落選以降も寄付を募るという馬鹿馬鹿しい事態に至っていましたが、あの赤字は最終的にどう処理されたのでしょうか。2020年といえば今から12年後ですが、それまでに東海/東南海/南海地震が起こる可能性だって、決して低くはありません。そうなった場合、果たして東京オリンピックが開催可能でしょうか。極論すれば、今日明日に地震が起こって12年後、なら不可能ではないかも知れません。開催することが望ましいかどうかは別にして、可能不可能というだけなら、ね。だけど開催予定日の数年以内に地震が起きたら、どう考えても開催不能だと思いますね。そのあたりは、どう検討しているんでしょうか。
2012.05.26
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何日か前の記事ですが石巻がれき反対派抗議 北九州で搬入8時間半遅れる東日本大震災で発生した石巻市の震災がれき約80トンが22日、試験焼却のため北九州市小倉北区の不燃物保管施設「日明(ひあがり)積出基地」に搬入された。試験焼却に反対する人が激しい抗議活動を繰り広げたため、予定より約8時間半遅れの作業となった。反対派の2人が福岡県警の強制排除に抵抗し、公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕された。北九州市は予定通り23日から試験焼却を行う。がれきは19日に石巻市をトラック28台で出発。午前9時ごろ、最初の6台が施設前に着いたものの、反対派約40人が施設正門前で先頭のトラックを取り囲んで搬入を阻止。「市長を呼べ」などと大声を上げ、阻止活動を続けたため、市は午後になって「業務に支障がある」として、門の前からの移動を求めて警告。午後4時ごろ、同県警の警察官約40人が強制排除した。午後8時までに27台が施設内に入ったが、1台は施設入りできず、23日以降に荷卸しする。(以下略)---私は、このブログで度々意見を表明しているように、原子力発電には反対です。近い将来にすべての原発を廃止すべきだと思っています。私自身は「即時全面停止」は無理と思っているのですが、脱原発派の中で内部対立しても得になることなど何一つないので、「即時全面停止」という主張を批判しようとは思いません。が、しかし、被災地の瓦礫受け入れ反対というのは、そりゃいくら何でも、と思います。もし、原発の避難地域の、放射能汚染のある瓦礫を広域処理で遠方にもっていくという話だったら、そりゃ私も反対です。しかし、実際にはもちろん、そんな危険な瓦礫が広域処理されるわけではありません。今回北九州に運び込まれたのは、石巻市の瓦礫です。文科省の放射線量分布マップで確認すると、石巻市の空間線量は、ほとんどの場所で毎時0.1マイクロシーベルト以下です。この数値は、東京付近の空間線量と大差がないのです。毎時0.1マイクロシーベルトというのは、年間で0.9ミリシーベルト未満に過ぎません。これはICRPの聞く順を超えない数値です。これをダメだということになると、東京にも住めないという話になってしまいます。現実に、被災地には大量の瓦礫があり、それを処理しなければなかなか復興も進みません。もちろん被災地の中で瓦礫を処理する方が、瓦礫を運ぶ移動距離も短いし、地元で復興のための雇用もできるから、その方がより良いのは言うまでもありません。でも、現実的に被災地だけで全部の瓦礫を処理するなんてことは無理なのです。被災地以外でも瓦礫の処分をしなければ、とうてい間に合わない。それで良いんでしょうか。そういう意味で、私は被災地の瓦礫を広域処理するのは仕方がないと思います。私の住む東京も、瓦礫を受け入れる。それについても、特に反対ではありません。もちろん、放射能汚染のあるものでなければ、ということですが。石巻市の瓦礫程度でも受け入れ反対というのは、いくら脱原発派の私でも、さすがにそれはどうかと思わざるを得ません。ただ、それにしても石巻から北九州は遠い。1000kmを遙かに超えます。広域処理が必要とはいえ、できれば近い場所の方がより良いと思うのですが、なぜよりによって北九州なんでしょう。いや、もちろん北九州市が「受け入れOK」と名乗りを上げたからですが、名乗りを上げた自治体は北九州だけではありません。確か秋田市も受け入れるはずだし、私の住む東京都も名乗りを上げていたはずです。大阪も、橋下の例の「瓦礫を受け入れないのは憲法9条のせいだ」というトンデモ発言はあったけど、瓦礫受け入れを言っていたはずです。他にもあります。これらのどの自治体もも北九州よりはずっと被災地に近い。そんな中で、わざわざ遠い北九州に瓦礫を送るというのは、どうもちょっと違和感を感じることも事実ではあります。すでに他の自治体が目一杯受け入れているから、いよいよ北九州まで順番が回ってきた、というなら分かるけど、そのあたりはどうなのでしょう。結局のところ、まだまだ瓦礫受け入れに名乗りを上げる自治体が少ないから、どんなに遠くても名乗りを上げた北九州に、ということなのかも知れません。もしそうだとしたら、瓦礫受け入れに名乗りを上げる自治体が少なすぎる、ということが問題なのかも知れません。
2012.05.25
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元慰安婦の写真展、批判投稿相次ぎ中止東京で6月から開催予定の元従軍慰安婦をテーマにした写真展について、会場運営元のニコンが突然、中止を決めたことが24日分かった。インターネット掲示板には「ニコンに不買運動をすべきだ」「抗議電話をして売国行為をやめさせよう」などと開催を批判する投稿が相次いでいた。ニコンは実際に抗議が複数あったとしつつ「中止理由は諸般の事情を総合的に判断して決めたとしかいえない」と説明。主催者は「一方的に中止を通告され、納得できない」と話している。写真展は名古屋市在住の韓国人カメラマン安世鴻さん(41)が企画。安さん側によると、戦後に中国に取り残された朝鮮人元従軍慰安婦を撮影した38点の展示を昨年12月、ニコンに申し込み、今年6月26日~7月9日に東京都新宿区の「新宿ニコンサロン」を使用する予定だった。しかし今月22日に突然「理由は言えないが中止になった。おわびにうかがいたい」と通告されたという。ニコン広報課は「安さんには礼節を尽くしておわびしたいと考えている」としている。---戦術的な面で言えば、ニコンという一般企業の運営する会場を使うのではなく、公的施設を使った方がこういう事態への対策としてはよかったんじゃないかと思うんですけどね。それはともかくとして、従軍慰安婦を巡る問題について、議論はいろいろあるのは分かりますが、写真展を行うことすら妨害しようという輩には、開いた口がふさがりません。自分たちの主義主張の反する意見の存在自体を許さないというわけです。今回、例の在特会が動いたかどうかは知りませんが「俺たちの言論の自由を守れ、俺たちが奴らの言論を封殺する自由も守れ、奴らの言論の自由は剥奪しろ」と言っているに等しいという意味で、こんなことをやっている連中のレベルは在特会と何も変わらない。在特会と喧嘩別れした西村修平らの「主権回復を目指す会」は今回動いていたようですが、「似たもの同士」が喧嘩別れしても、やっていることのレベルはしょせん変わらないと言うことでしょう。それにしても、在特会、あるいはそれと同レベルの連中が騒げば、彼らの敵視する集会は中止される、なんてことが定着したら、日本の言論の自由は危機的です。
2012.05.24
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一見人当たりが良さそうに見えて、何か「スイッチ」が入ってしまうと激変してしまう人というのがいます。突然怒りだしたり、時には暴力をふるったり。詳細は書きませんが、私はそういう人たちを相手にする機会が割合に多いのです。その手の人たちに多くあるのは、境界性人格障害。で、この犯人もまた、何が原因かは知りませんけど、突然スイッチ入っちゃったんだろうなあ。 <渋谷駅刺傷>男を逮捕…殺人未遂容疑「ぶつかり頭にきた」東京メトロ副都心線渋谷駅構内で、埼玉県所沢市の新聞販売店の男性従業員(53)が男に刃物で刺された事件で、警視庁捜査1課は23日、埼玉県朝霞市溝沼7、職業不詳容疑者(32)を殺人未遂容疑で逮捕した。容疑者は「渋谷駅のエスカレーターで(被害者と)体がぶつかり頭にきた。刃渡り30センチ程度のサバイバルナイフで刺した。殺意はなかった」と供述しているという。---体がぶつかって頭に来たのでナイフで刺したって、どんだけ短慮だよって話です。で、この犯人もひょっとしたら境界性人格障害かな、何となくそんな気がするんですけどねえ。「体がぶつかった」ことでスイッチが入っちゃったんだろうなあ。こんなのがナイフを持ち歩いていて、スイッチが入るとカッとなって殴ったりナイフを振り回しているんじゃ、被害を受ける方はたまったものではありません。体がぶつかったくらいでナイフを振りかざすんだから、傷害くらいの余罪はゴロゴロわいてくる可能性もありそうです。だとすると、かなりの厳罰が待っているでしょう。ちなみに、境界性人格障害は、「障害」と言っても、精神疾患による心神耗弱や心神喪失は裁判で認められません。犯罪の事実に疑義がなければ、当然有罪になるでしょう。
2012.05.23
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富士山頂で身動き取れず=金環食見たさのドイツ男性―静岡21日午前10時ごろ、金環日食を見るため富士山に登ったドイツ人男性(40)が山頂で動けなくなったと、男性の妻から静岡県警富士宮署に通報があった。命に別条ないが、寒さと疲れで下山が困難という。山岳救助隊員らが救出に向かったが、強風で8合目付近から上に進めず、同日は中断。22日早朝から救助活動を再開する。男性はテントの中におり、電話連絡も取れているという。富士山は現在、冬季閉鎖中で5合目から上への登山は禁止されている。同署などは20日、5合目付近にいる観光客らに、日食観察の目的で入山しないよう呼びかけていた。---日食見物のドイツ人男性、富士山頂で動けず21日午前10時頃、金環日食を見ようと富士山に入った三重県四日市市のドイツ人男性(40)が山頂で動けなくなっていると、男性の妻から静岡県警富士宮署に連絡があった。県警山岳遭難救助隊が救助に向かったが、強風などのため捜索を中断。22日早朝から再開する予定。富士山は7月1日の山開きまで、5合目より上の登山が原則禁じられている。発表によると、男性は19日午後2時頃に富士宮口5合目を出発し、テントで1泊して登頂。山頂で日食を待っていて、寒さと疲れで自力下山できなくなったという。21日午後4時半頃、妻に携帯電話で「元気、食べ物もある」と話したという。---遭難自体については後述するとして、富士山の5合目から上の冬季登山が禁止と書かれていますが、私はまったく初耳なんですが、これって事実なのでしょうか。冬の富士山といえば冬山としても難易度の高い山ではありますが、それでも登る人は少なからずいます。山岳部や山岳会の雪上訓練のメッカでもあります。滑落停止訓練をやっていて、止まりきれずに本物の滑落になってしまったような話も耳にしたことがあります。近年では元F1レーサーの片山右京が冬の富士山で遭難し、同行者2人が亡くなったことが記憶に新しいところです。彼らはみんな登山禁止を破って富士山に登った、ということなのでしょうか。まあ、そんなことはないと思います。静岡県警の冬山情報のページがあります。富士山については冬の富士山は気象条件が厳しく、氷点下30度の気温、風速30mの強風も希ではありません。単独峰のため、突風による転倒事故が多く、厳寒期の8合目以上では青氷状態でアイゼンが効かないことがあります。毎年アイスバーンでの滑落事故が発生しており、ピッケルやアイゼンなどの冬山装備を使い確実な滑落停止や耐風姿勢の取ることができる高度な登山技術が必要です。アクセス道路の「富士山スカイラインから富士宮5合目に至る区間」並びに「御殿場口登山区間」及び「須走口のあざみライン馬返しから須走口5合目まで」は、積雪する11月下旬から4月下旬まで通行止めとなります。通行止め期間は、気象条件等により変更となる場合があります。スキーやスノーボードでの滑降は急傾斜面が多く、露出した岩場も多く見受けられることから、大変危険です。毎年転倒により生命にも危険が及ぶ大きな事故が発生しており、極めて危険です。宝永第一火口内は、上部からの崩壊があり、落石を受ける可能性が高いので、奥へ立ち入らないようにしてください。単独峰のために一定方向ではない強い突風が吹きます。平成21年12月には突風でテントが飛ばされ、2人が死亡しています。※引用者注 これって片山右京の遭難のことを差しているようですと書かれています。どこにも冬の富士山が登山禁止とは書かれていません。というわけで、これは誤報じゃないかと思うのですが、どうでしょう。実際のところ、厳冬期の富士山は、気温はマイナス20度以下、「体が宙に浮く」とも言われる猛烈な風と、全面アイスバーンのカチンカチンの氷で、かなり困難な山ですが、今の時期はさすがに気温も上がり雪もゆるんでいるので、そこまで危険な状況ではないと思われます。(とはいえ、昨日の山頂は最高気温-4.7度、最低気温-10.3度で、まだまだ寒さは厳しい)厳冬期の富士山には私はとても登れませんが、今の時期なら、冬山装備なら登れないことはないだろうと思います。遭難騒ぎになったドイツ人は、その後の報道によると、幸い無事救助されたようです。ただ、別の報道によるとアイゼンもピッケルも持っていなかったようで、それが誤報でないなら、いくら何でも無謀登山というものです。もっとも、逆に言えば今の時期ならアイゼン・ピッケルがなくても山頂までたどり着けるということでもあります。厳冬期だったら、登りとはいえ絶対途中で滑落している。しかし、下りのことを考えなかったのは、失敗ですねえ。せめてピッケルだけでもあれば、シリセードで下ることのできたでしょうが。検索したら、YouTubeに富士山をシリセードで下る動画がありました。私が穂高のザイテングラードを下りたときより、はるかにスピードが出ている感じです。斜度はザイテングラードの方がきつそうな気がするけど。もちろん、厳冬期にこんなことは不可能です。(雪の硬さが違うので、そのまま止まれずに滑落死する)
2012.05.22
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昨日の記事に「減光フィルタがいる」と書いたけど、デジカメにフィルタは装着できなくても、レンズの前にかざせば良いだけということに気がつきました。減光フィルタは持っていないのですが、その代用になるPLフィルタ(偏光フィルタ)は2つも持っているので、これを使うことにしました。もちろん、本当は一眼レフ用です。(フィルムの一眼レフで撮影すると現像までに時間がかかるし、出勤前後に大きなカメラを持ち歩きたくなかったので、コンパクトデジカメだけで撮影しました。)日食観測メガネをカメラの前にかざすことも考えましたが、のぞき窓がカメラのレンズより小さいので使えませんでした。もし快晴だったら、PLフィルタの2枚重ね程度では明るすぎたかも知れませんが、薄曇りだったのでうまく撮影できました。結果的に天気が今ひとつだったことが幸いしたかも知れません。撮影を開始した時点で、すでに金環食は始まっていました。ちょうど良い具合ですね。デジカメの最大望遠(12倍)です。太陽の部分だけトリミングしてみました。↓もう1枚。同じ写真のトリミングです↓残念ながら金環食はおしまい、あとは部分日食です。コツは、露出をマイナスに補正することだということが分かりました。もっとも、次に皆既日食や金環食を撮影する機会があるかどうかは分かりませんけど。東京では、私が生きている間に金環食も皆既日食も見る機会はないですからね。それにしても、金環食でも案外周囲は暗くなるものですね。暗闇というわけではありませんが、もの凄く雲の厚い曇天の日、あるいは日没直前くらいの明るさだなと感じました。追記2035年9月2日に能登から北関東にかけて皆既日食があるんですね。生きていれば私は70代後半。東京は皆既日食の範囲からちょっと外れるけど、つくばあたりがギリギリ圏内のようです。そのくらいの距離なら見に行ってもいいなあ、ただし、そのとき生きていて健康ならね。
2012.05.21
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どうも天気が今ひとつよくないみたいですね。さて、どうなるでしょうか。私は自宅で金環食を見てから出勤すると、始業時間ギリギリになってしまう(同じことを考えて出勤する人が多いとすると、電車が大混雑で遅刻したりして)ので、乗換駅かまたは職場付近で見ようと思っています。早起きしなくちゃ。それはともかく、みなさん、くれぐれも太陽を直接見ないように気をつけてください。私は、眼鏡をかけているときと暗い場所ではわからないのですが、明るい場所で眼鏡を外すと、視界にいくつか黒い影があるのです。このうち、少なくとも一つは太陽を見てしまったことが原因です。それは、この写真を撮影したときのことです。2004年のゴールデンウィーク、北アルプスの蝶が岳でのことです。映っている山々は穂高連峰ですが、その右端に太陽があります。丁度夕方、日没直前です。写真はずいぶん暗いですが、実際にはもう少し明るかったように記憶しています。いずれにしても、夕方だし、そんなに長い時間ファインダーをのぞいていたわけではないのです。よく覚えていませんが、数秒程度ではなかったかと思います。それでも、目に太陽が焼き付いちゃった。しかも、その代償に撮った写真がこんな程度ですからねえ。我ながら、バカなことをしたもんです。撮った直後から、目に黒い影がなかなか消えず、「これはちょっとしくじったかな」と思いました。ただ、翌日には影はなくなった(ように感じた)ので、その後しばらくはそんなことを忘れていました。しかし、確かその翌年だったと思うのですが、子どもとじゃれ合っていて、眼鏡のフレームを壊されてしまったことがあり、そのときになって、まだ目に影があることに気がついたのです。その位置が、この写真を撮った際に目に焼き付いてしまった影と同じだったので、「あのときだ」とすぐに思い至りました。一応は、「太陽を直接見るのはよくない」という意識はあって、カメラのファインダーごしの太陽を、長く見続けないよう意識したつもりでも、こんなザマですからね。まあ、眼鏡をかけているときは気がつかない、眼鏡を外しても暗いところでは気がつかない程度の影ですから、日常生活上の実害は(今の時点では)ないですけど、場所が場所だけに、一歩間違えて実害が出るほどのことになったら大変です。というわけで、このブログをごらんの皆様は、是非、私のような失敗は犯さないように気をつけてください。私も、今回は日食グラスを手に入れました。もっとも、デジカメならファインダーをのぞかなくても(というか、私のデジカメにはファインダーがないんだけど)、ディスプレイ越しに見ることができますけどね。・・・・・・そういえば、普通のデジカメで日食の撮影ってできるのかな。私のデジカメはF8までしか絞れないんだけど。本当は減光フィルターがいるでしょうが、そんなもの、コンパクトデジカメにはつけられないからなあ。まあ、いろいろと試してみます。
2012.05.20
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白頭山、20年以内に噴火?東北大の谷口宏充名誉教授(火山学)は19日までに、中国と北朝鮮の国境の白頭山(中国名・長白山、2750メートル)が、東日本大震災のプレート運動の影響で20年以内に99%の確率で噴火する可能性があるとの研究結果をまとめた。白頭山は10世紀に大噴火、北海道や東北地方にも火山灰を降らせたが、それ以外の噴火は十分な研究がなされていなかった。谷口氏は文献等を精査。14~20世紀に少なくとも6回、いずれも日本でのマグニチュード(M)8以上の巨大地震発生前後に噴火したと突き止めた。10世紀の大噴火も869年の貞観地震との関連が強いという。過去のデータからの予測で、平成31年までに68%、44年までに99%の確率で噴火するとの結果を得た。---白頭山といえば北朝鮮の最高峰であり、日本からは1000km以上も離れていますが、もし大噴火を起こしたとすると、日本にもかなりの被害が及ぶと思われます。白頭山の噴火の可能性は数年前から危惧されており、以前にも報道されたことがあります。韓国の中央日報(日本語版)の2年前の報道白頭山、4~5年以内に噴火か100年以上火山活動を休止している白頭山(ペクトゥサン)が4~5年以内に爆発する可能性があるという。これにより、気象庁も対策作りに乗り出すことにした。釜山(プサン)大学のユン・ソンヒョ教授(地球科学教育学科)は、最近、気象庁が主催したセミナーで「白頭山火山の危機と対応」という発表を通じて「中国の火山学者たちは白頭山火山が早ければ2014~2015年に爆発すると見ている」と明らかにした。ユン教授によると中国学界では1990年代の中盤から白頭山の異常な動きに注目して来た。白頭山周辺でだんだん回数が増えてきた地震が代表的な兆しだ。特に2002年6月、中国吉林省汪清県でマグニチュード7.3の地震が起きて以来、白頭山周辺で発生した地震が10倍増えた。白頭山頂上近くが少しずつ盛り上がっている事実も衛星撮影で確認された。90年代末から6年間、白頭山中心部が18ミリ上昇したというのだ。また白頭山天池(チョンジ)と隣近の森では火山ガスが継続的に放出されている。各種記録を見ると、白頭山はおよそ100年に1回ほど爆発した。最近噴火したのは1903年だった。ユン教授は「10世紀中盤、白頭山が大規模爆発を起こしたとき、推定される噴出物の量は約1170億立方メートルで、アイスランド火山爆発の1000倍水準だった」と述べた。また「もし白頭山が再び火山灰を噴き出した場合、その被害は航空大乱を起こしたアイスランドの場合よりずっと大きい」と予想した。(以下略)---10世紀の大爆発では噴出物の総量が、約1170億立方メートル(117立方キロメートル)だそうです。富士山の宝永の大噴火の噴出物総量は、約0.7立法キロですから、それと比べて桁違いの巨大噴火であることが分かります。もしそれと同じ規模の噴火が起こったとしたら。噴火の時の風向きにもよりますが、基本的には偏西風があるので大量の火山灰が日本に運ばれてくるはずです。いったいどのくらいの量でしょうか。熊本の阿蘇山は、後期更新世30万年前から9万年前にかけて、4回の超巨大噴火を繰り返しています。特に一番最後の9万年前の噴火は、噴出物総量が600立方キロ、火砕流が九州の半分と、海を越えて山口県にまで及んでいます。※※ただし、9万年前当時関門海峡が海だったか、陸続きただったかはよく分かりません。9万年前はリス-ウルム間氷期に当たるので、比較的温暖な時期ではありますが、現在と比べると多少寒冷だったかも知れないからです。関門海峡は浅いので、あるいは陸続きだったかも知れません。もっとも、火砕流は、関門海峡程度の距離であれば海を越えてしまいますが。いま同じ噴火が起これば、火砕流による即死者だけで500万人以上は確実という大惨事ですが、このときの噴火の火山灰は、阿蘇山から1000km近く離れた関東にも、大量に降下しています。関東ローム層にはこのときの阿蘇山の火山灰がはっきりと残っています。白頭山の10世紀の噴火は上記阿蘇山の巨大噴火の1/6程度の規模ということになります。日本までの距離は、阿蘇山と東京よりちょっと離れている程度です(特に北海道と東北が近い)。そこでこんな規模の超巨大噴火が起こったら、そのときの風向きにもよりますが、おそらく数センチから10センチくらいの厚みで火山灰が日本に降り注ぐでしょう。数センチの雪なら気温が上がれば消えてしまいますが、火山灰はどうやったって消えませんから、これによる経済、社会への影響(人間の健康への影響も)はかなり大きなものになるでしょう。もちろん、地元である北朝鮮と中国東北の被害は、想像を絶するものがあります。火砕流は周囲数十キロの範囲に及ぶし、火砕流におそわれた地域の住民は、まず助からない。火砕流の範囲をはずれても、降り積もる火山灰の量はとてつもない量になります。火山灰が何十センチも、まして何メートルもつもってしまったら、人間の生活は非常に困難になります。過去の噴火が日本で起きた巨大地震と連動している、という前歴は気になるところですね。ひょっとして東日本大震災と連動して・・・・・・、あまり考えたくない予想ですね。
2012.05.19
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市営地下鉄全駅、盛夏の昼間冷房止める?…大阪大阪市交通局が、深刻な電力不足が見込まれる今夏、市営地下鉄全133駅の冷房を正午~午後3時に止めることを検討していることがわかった。昨夏、設定温度を1度上げただけで市には苦情が多数寄せられたが、運転本数を減らす「間引き運転」を回避するにはやむを得ないと判断した。同局は昨夏、電力需要が大幅に増加する同時間帯を中心に、エスカレーターや券売機を一部停止した。冷房は駅構内29度、車両内28度と、設定温度をそれぞれ1度上げ、前年比8%の節電をした。政府が関西電力管内で15%の節電目標を設定する今夏は、さらに踏み込んだ節電策が必要だとして、7~9月、使用電力の2割を占める駅冷房の停止のほか、止めるエスカレーター、券売機の数を、前年より大幅に増やす方針だという。車両内の冷房は続ける。同局は「最も暑い時間帯にご迷惑をかけることになるが、電車を止める方が影響が大きい。午前中に冷房を使うので、極端には温度は上がらないのでは」として、利用者に理解を求める。東京メトロが昨夏、約100駅で冷房停止することを計画したが、実施しなかった。---この記事を読んで、冷房を止めることの是非以前に、ふと思い出したことがあります。今では列車内の冷房なんて当たり前のように思われますが、私が子どものころは、旧国鉄の、いわゆる国電区間の冷房化率はね山手線でも5割前後ではなかったかと思います。当時の山手線の主力103系電車には、屋根に冷房機器を載せているけど冷房が動かない「ニセ冷房車」というのがありまして、また同じ編成の中で冷房車と非冷房車が混在していることもありました(前と後ろの数両ずつが冷房車で、中間付近に非冷房車)。地下鉄となると、私が高校生のころでもまだ冷房化率は0%だったはずです。昨日の記事でも書いたように、冷房というのは室内の熱を室外に排出する装置です。しかし地下鉄は、室外というのはトンネルの中なので、列車にエアコンをつけてもトンネル内に熱がたまってしまうので、冷房が使いにくかったのです。今は、電車の低消費電力化が進んだことなどから、地下鉄でも冷房が当たり前のように導入されていますけどね。もつとも、電車というのは、暑ければ窓を開ければ風が入ってくるものですけどね。学校も、高校までは冷房なんてなかった。大学で初めて教室に冷房があることに感動した記憶があります。実家にも、父親が自営業で、父の仕事場にはクーラーがありましたけど、それ以外の部屋にクーラーが入ったのは、いつだったろうか。少なくとも小学生のころはなかった。高校生のころは、多分あったんじゃないかと思うけど。だから、私が高校生の時はクーラーのない電車でクーラーのない学校に毎日通っていたわけです。暑くなかったはずはないけど、あまり暑くて辛かったという記憶はありません。まあ、学校は7月下旬から8月いっぱいは夏休みだから、本当に暑い時期は通学していなかったわけですが、当時の大人たちは、クーラーのない地下鉄で真夏も毎日通勤していたわけですよね。そうそう、私が最初に就職したのは、あるスーパーマーケットですが、今はどうか知りませんが、当時私の勤務先のお店のバックヤードにはクーラーはなかった。売り場にはもちろんクーラーがある。それどころか、食品売り場は冷ケースがたくさんあるから、その冷気まで加わって寒いくらい。日中40度にも達しようというバックヤードと、25度以下(もっと寒かったかも)の売り場の間を行ったり来たり、醤油の特売でもあれば、40度のバックヤードから1日に3000本もの醤油(つまり3トン)を売り場に運んだりしていました。あの温度差は体に良いはずがなかったけど、若かったからでしょうか(22年も昔ですから)何だか乗り切ってしまったのです。今では、小学校ですらクーラーがある。(私の子が通っている小学校の教室にはクーラーがある)我が家は夏場のクーラーの使用頻度は相当少ない部類とは思いますが、それでも真夏の晴天の午後となると、やっぱりクーラーを使ってしまいます。基本的には、室内温度が30度まではクーラーは使わないのですが、32度くらいになってしまうと、やっぱりクーラーを使ってしまいます。やっぱり便利さというのは慣れるんです。それが良いとか悪いとかは言えません。一度味わってしまった便利さを手放すのは、確かに努力がいることではあります。で、記事の話題ですが、市営地下鉄の冷房を正午から3時まで止めることを検討だそうです。まず、同じ3時間止めるなら12時から3時ではなく1時から4時までの方が効果的です。なぜなら、12時から1時までの間というのは電気の使用量が急減するからです。昼休み中に営業活動が鈍る、電気を消灯する事務所などが非常に多い、などの理由があるのだと思います。だから、12時から1時までは、節電の必要性はあまり高くない。そしてもう一つは、先ほど書いたように、私が子どものころの国電区間では、1本の電車に冷房車と非冷房車が混在していた時代がありました。それと同じことをしたらどうだろうかと思います。つまり、冷房車と非冷房車を混在させるのです。編成内でそういう調整が可能なら、ですけどね。暑さ寒さの感覚は人それぞれで、これまでにも弱冷房車なんてものがあったのですから、どうしても冷房なしでは耐えられない人は冷房車へどうぞ(混んでいるけど)、耐えられる人は、暑いけど空いている非冷房車へどうぞ、と。
2012.05.18
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都心のヒートアイランド現象、節電で0.7度緩和東京電力福島第1原発事故に伴う節電の影響で、昨夏の東京都心のヒートアイランド現象は約0.7度緩和されたことが三上岳彦帝京大教授(気候学)らの分析で分かった。節電とヒートアイランドの関係を解明したのは初めて。茨城県つくば市で26日に始まる日本気象学会で発表する。ヒートアイランドは都市部の気温が郊外よりも異常に高くなる現象。エアコンの排熱や舗装道路からの放熱などが原因で起きる。東京都心では過去100年間で気温を約2度上昇させる効果があったとされ、0.7度は約30年間の上昇分に相当する。三上教授は「節電がヒートアイランドの緩和に効果的なことを実証した意義は大きい。暑いからとエアコンをつけ、気温をさらに上昇させる悪循環が起きているが、発想を変えるきっかけになれば」と話す。ヒートアイランドの影響が大きい東京都千代田区、中央区などの都心部4カ所と、影響がない郊外10カ所で測定した7月の気温を平成22年と昨年で比較。ヒートアイランドの強さを示す都心部と郊外の温度差と、東電管内の電力使用量の推移を1時間ごとに調べた。その結果、昨年のヒートアイランド効果は使用電力の削減率が大きい日中に弱まり、ピーク時の午後4時に0.67度低下。日照時間が8時間以上の晴天時は最大1.1度低下したことが分かった。道路の舗装化率などはほぼ変わらないことから、節電による排熱抑制が原因と分析した。---節電の思わぬ副産物ですね。昨夏の東京(大手町の気象庁)の最高気温は8月18日の36.1度ですが、節電がなければ36.8度だったという計算になります。あるいは、この日は日照時間が10時間以上あったので、節電がなければ37.2度だったかも知れません。歴史的猛暑だった一昨年夏の最高気温は37.2度なので、それと同じ気温という計算になります。確かに、稼働中の冷房の室外機のそばは、暑いですよね。私はいつも走っているランニングコース上に、室外機の暖気を直接浴びる場所があって、夏場のランニングはかなり暑い。それもそうです。冷房というのは、室内の熱を室外に排出しているだけですから、暑いのはもっともではあるんですけど。昨年夏の電気使用量は一昨年と比べて、東京電力管内でちょうど1000万キロワット少なかったのです。1000キロワットの節電で気温が0.7度下がったとすれば、更に後1000万キロワット節電すれば、気温は1.4度下がる??夏に冷房の効いた部屋は快適ですが、一昨年までは快適どころか寒過ぎと思っていた人も(特に女性では)多かったのではないでしょうか。エアコンを使えば使うほど気温が上がる、気温が上がれば更にエアコンの使用が増える、悪循環です。記事にあるように、「発想を変える」のは大事かも知れません。ただし、だいぶ以前にヒートアイランド現象について記事を書いたことがありますけれど、その中で指摘したことですが、ヒートアイランド現象の影響は、実は夏より冬の方が大きいのです。具体的には、そのとき掲載した、以下の気温を見ればわかりやすいでしょう。大手町 1月5.8度、8月27.1度、年平均15.9度(海抜6m)新木場 1月5.6度、8月26.0度、年平均15.3度(海抜0m)練馬 1月4.5度、8月26.9度、年平均15.2度(海抜高度約50mくらい)府中 1月4.1度、8月26.2度、年平均14.7度(海抜高度約60m)八王子 1月3.1度、8月25.8度、年平均14.1度(海抜高度約120m)青梅 1月2.7度、8月25.1度、年平均13.6度(海抜高度約180m)郊外に行けば行くほど1月の平均気温も8月の平均気温も下がりますが、下がり方は8月より1月の方が大きいことが分かります。電気の使用量自体は冬より夏の方が大きいはずですが(ガスや石油は冬の方が使用量が大きいでしょうが)、ヒートアイランド現象は夏より冬の方が大きいメカニズムがどうなっているのかは、私もよく知りませんけれど。
2012.05.17
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昨年の3月11日までは好感を持って読んでいた、あるブログがあります。コメントを投稿したことはなかったのですが、頻繁に見ていました。そのブログの名を「非国民通信」と言います。しかし、残念ながら去年の3月11日以降、このブログは原発大賛成を主張し始め、私の考えとは決定的に相容れなくなりました。主義主張は人それぞれだし、「原発は必要だ」というのはそれはそれで一つの意見ではあるので、黙ってみていたのですが、ついには「年間100ミリシーベルト未満の緩慢な被曝の影響」は「ほぼ0」とまで言い出すに及んで、私はこのブログにはじめてコメントを書きました。元になった記事はこちらです。確実なことは分からなくても、だいたいのことは分かるのにこれに対して、私は以下のようなコメントを投稿しました。---果たしてそうか (inti-sol)100ミリシーベルト以下の被曝による健康被害はよく分かっていないというのは、「ほぼ0だから」ではなく、放射能の影響を何年何十年にもわたって追跡調査することが非常に困難だからです。その困難な調査をやった広島の放射能影響研究所は、これ以下の被曝量なら健康被害はないという「閾値」は存在しないとしています。で、100ミリシーベルトでガンによる死亡率は0.5%上昇すると、被曝量がそれ以下なら発ガン率も0.5%以下なのは確かです。でも、「だからたいしたことはない」とは言えません。日本人の5割はガンで死にますが、一般に発ガン率は年齢が上がるほど高くなる。多くの人がガンになるのは70代80代のなってからのことです。若い人はあまりガンにならない。小児ガンの発生率は年間で1万人に1人程度です。しかし被曝による発ガン率は、若いほど大きい。100ミリシーベルトで0.5%というのは、全年齢層の平均値で、乳幼児の場合はその3~4倍と言われます。つまり、1.5%から2%ということです。20ミリシーベルトとすれば、その5分の1。先の小児ガンの発生率年間0.01%と比べて、相当の高率です。逆に50代以上は被曝による発ガン率は大幅に下がるので、50歳以上ならあまり気にすることはないかもしれません。小佐古敏荘内閣官房参与は、原発を推進する立場に立っている人ですが、学校の校庭利用基準を年間20ミリシーベルトにすることについて、「この数値を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず・・・私は受け入れることができません。(中略)自分の子どもにそういう目に遭わせるかといったら絶対嫌です」と言って辞任しています。確かに、ICRPの基準(年間1ミリシーベルト)をちょっとでも超えたら危険、というのはどうかと私も思います。年間1ミリシーベルトや2ミリシーベルトまで神経質になっても仕方がないと思います。だからといって100ミリシーベルト以下は「ほとんど0」という言い方は、逆に無神経そのものです。だいたい、それが通用するものなら、放射線管理区域なんて規制はそもそもいらないし、原発の厳重な防護もいらないという話になります。だけど、世界にそんな甘い放射能の基準を定めている国はありません。100ミリシーベルト以下でも被曝量に比例して健康被害があるだろうというのがICRPの見解であり、放射線防護に関して世界各国はICRPの基準に基づいて法律や制度を定めています。私は医学の専門家でも放射線の専門家でもないけど、ICRPの見解と「100ミリシーベルト以下は(ほぼ)安全だ」と主張している人たちと、どちらを信用するかと言えば、現段階では前者ですね。---それに対する「非国民通信」氏の回答---Unknown (非国民通信管理人)>inti-solさん小佐古敏荘氏はある種の人々から熱烈に歓迎されましたが、言っていることは支離滅裂で、あれを鵜呑みにする人がいたら良識を疑われる代物だったのではないでしょうか。学問上の見地等ではなく、単なるヒステリーでしかないわけで、ああいう情緒不安定な人を起用していた行政サイドは大いに非難されるべきなのでしょうけれど、発言の内容は全く信用できないものです。少なくとも、小佐古氏の発言にツッコミの一つも入れられないとしたら不勉強が過ぎるかと。また「閾値」は存在しなくとも、それは「0ではない」ことを意味するのみで、「0と大差ない」ことを否定するものではありません。それは本文で説明してありますしICRPの見解からも導けることですが、お読みになりましたか? そもそも生涯にわたる死亡リスクを、小児ガンとのみ限定して比較することがおかしい、比較は条件を揃えないと意味がありません。まぁ、放射線の影響を大きく見せかけて脅威を煽るためには、そういう誤魔化しをする必要があるのは分かりますがね。小児ガンさえ避けられれば不老不死のミュータントであるのならいざ知らず、子供は我々と同じ普通の人間なのですよ。それから放射線の基準も、必要以上に厳しく定めているのは、その影響を考慮してではなく「そこまで下げることに無理がないから」です。だから、原発直後など非常時には基準値を引き上げることが認められているわけで、その程度のことぐらい原発事故を経験した国の人間なら当然、知っておいて欲しいものです。ICRPとECRRを混同していませんか? ECRR説に立つなら、inti-solさんの見解が正しいのでしょうけれど…… ---ここまでは、リンク先のコメント欄に記載されているとおりです。それに対して、私はさらにコメントを投稿したのですが、残念ながらそれ以上の対話はとぎれてしまいました。私のコメントは公開されなかったのです。私とこれ以上対話する気はない、ということなのでしょう。「非国民通信」氏がどのようなコメントを許容するのも氏の自由裁量ですから、それは仕方がありません。ただ、せっかく書いたコメントがもったいないので、この場に記録として残しておこうと思います。なお、タイトルはバックアップを取っていなかったので改めて付けたことと、計算間違いの数値があったので修正したことをお断りしておきます。---算術的真実 > そもそも生涯にわたる死亡リスクを、小児ガンとのみ限定して比較することがおかしい、比較は条件を揃えないと意味がありません。「生涯にわたる死亡リスク」は100%に決まっています。この世に不死の人間はいませんから。だけど、80歳で死んでも20歳で死んでも同じというわけにはいかないのです。日本人の年齢別死亡率の統計があります。http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai05/kekka3.html4歳以下の死亡率は年間10万人あたり73.5人、5歳から14歳までは10人前後です。それ以降死亡率は次第に上がりますが、20歳までの累計で死亡率は約0.6%、30歳まで1.1%、40歳まで1.8%です。1000人の新生児が、おぎゃあと生まれて、40歳までに死ぬ人は18人ということです。一方、被曝によるガン発生率はどうか。100ミリシーベルトの被曝でガン発生率は0.5%増えるということですが、もっと多いという説もあります。とりあえずはあなたの主張どおりの数値を採用しましょう。年間20ミリシーベルトならガン発生率は5分の1の0.1%、ではありません。セシウム137の半減期は30年、その後も放射能汚染は長く続きます。累計の放射線量は最初の年の10倍を超えるでしょう。とりあえず10倍として年間20ミリシーベルトは累計では200ミリシーベルト、ガン発生率は1%になります。子どもに限定すれば3~4%に達します。もちろん、ガンになったから全員が確実に死ぬわけではありませんが、いったん治癒したとしても、ガンはその後の人生にきわめて大きな影響を与えます。この数値をどう見るかは、それぞれの主観ではあるでしょうが、私は相当に高い数字だと思います。少なくとも、自分の子どもをそんなリスクのある場所に永続的に住まわせたいとは思いません。(短期の滞在ならいいですが)> その影響を考慮してではなく「そこまで下げることに無理がないから」です。ICRP勧告(1990年)による個人の線量限度の考えのどこを見ても、そんなことは書かれていません。http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-04-01-08> 原発直後など非常時には基準値を引き上げることが認められているそれは知っています。しかし、それは引き上げても問題ないからではなく、守れない基準では意味がないから、例外的やむを得ない措置として、ということでしょう。「直後」はともかく、その後も半永久的に引き上げっぱなしでよいはずがありません。先のコメントを繰り返しますが、私も年間1ミリシーベルトをちょっとでも超えたら直ちに危険とは思いません。だからといって100ミリシーベルト以下なら0と同じという意見が正しいとは、まったく思えないということです。---他にもう一つ、こちらの記事にもコメントを書いたのですが、こちらも公開されませんでした。バックアップを取っていなかったのですが、おおむねの趣旨としては、元記事の東京電力管内の場合ですが、昨年の夏、大口利用者の電力需要(ピーク時)は29%、小口は19%それぞれ減ったものの、家庭は6%減にとどまったそうです。「節電すれば大丈夫」と豪語しつつも、実際は節電ごっこに励むだけの家庭レベルでは何もできていなかった一方で、大口利用者が相当な無理をしたであろうことが窺われます。(中略)なにはともあれ、大口利用者はピーク時の使用電力を大幅に削減しました。景気の低迷も影響したことでしょうけれど、単に「シフトさせた」部分も少なくありません。つまり、電気を大量に使う工場の操業を、平日の昼間から土日や夜間に移したわけです。という部分に対して、休日シフトによる節電の効果は100万キロワット(「非国民通信」氏が「節電ごっこに励むだけの家庭レベルでは何もできていなかった」と言い放つ一般家庭の節電幅と同じ)でしかなかったことを指摘する内容でした。まあ、非国民通信氏にとっては見たくないコメントだったのでしょう。仕方がありませんね。
2012.05.16
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私は44歳なので、沖縄が復帰したときは4歳ということになります。私は沖縄の音楽と料理は大好きなのに、実はまだ一度も沖縄に行ったことがありません。いつかは行きたいと思っているのですが。それにしても、沖縄返還から40年経って、まどほとんどの米軍基地がそのままになっているという現実には、暗澹たる思いを抱きます。よく知られているように、日本全国の米軍基地(専用施設)の3/4が、日本の国土面積の0.6%の沖縄に集中しています。逆に言うと、沖縄県の全面積の1割が米軍基地です。沖縄本島に限れば米軍基地の割合は18%に達する。感覚的には、地図の上の米軍基地の割合はもっと大きいように感じます。それはおそらく、島の中央部にまとまった面積で米軍基地が居座っているからそのように見えるのでしょう。普天間基地なんて、回りを全部住宅密集地に囲まれています。この基地の返還は沖縄の悲願だったのに、それがさっぱり進展しないのは周知のことです。島の面積の18%も米軍基地が閉めているというのに、その移設先が同じ沖縄本島の中、という解決策が「現実的」だと思っている人たちの感覚というのは、驚くべきものがあります。私の記憶では、かつて復帰前の沖縄には沖縄独立論というものがあったようです。現在の感覚だと、何となく左派が沖縄独立論なんて言い出しそうだなイメージがありますが、実際には沖縄独立論は保守派(親米派)が中心で、日本復帰運動を主導したのは左派だったようです。でも、日本に復帰しても米軍基地は何も変わらない、というのでは幻滅するのも仕方がないだろうと思います。もちろん、それでも日本に復帰できないままでいるよりははるかに良かったとは思いますけれど。ところで、例によって産経新聞が、こんな記事を掲げています。「自立」阻む被害者意識相変わらず、いかにも産経らしい記事です。「被害者意識」ですか。実際問題として、沖縄の「自立」を阻んでいるのは、本島の面積の18%を占める米軍基地そのものであろうと私は思うのです。あれだけの面積を基地に取られていて、経済面に影響がないはずがありません。その一方で、米軍基地には多くの日本人が働いているし、米軍人とその家族を相手にする様々な商売(飲食店など)もある。経済発展には足かせをはめられ、しかし米軍基地からお金は落ちてくる、この状態で自立しろというのは、覚醒剤を与えておいて中毒になるなというのに等しい。だいたい、口を開けば国家意識がどうの、主権がどうのと叫んでいる新聞が、相手が米軍となると、主権も自立もかなぐり捨てて、安全保障のためには在日米軍は大事、沖縄の基地を維持するのは大事と言い始める。こういうのをダブルスタンダードといいます。だったら中国との貿易だって大事でしょう。(今の日本で、中国との貿易が滞ったら経済は壊滅的なことになる)日本は世界でも有数の強力な軍事力を持っています。それでもなお米軍基地がないと安全保障が不安だというのでは、いったいどれだけの軍備を整えれば安心できるわけ?と思ってしまいます。
2012.05.15
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菅前首相:浜岡原発「再稼働確約」否定…「中部電の希望」(前略)中部電は停止要請から3日後の昨年5月9日、運転停止を決定。記者会見した水野明久社長は、海江田氏と電話協議したことを明らかにし「津波対策完了を確認すれば、運転再開を認めるとの確約をいただいた」と述べ、内容を確認事項として公表した。これについて菅前首相は「(中部電から)ある種の希望が表明されたことは否定しないが、日本のエネルギー政策の問題とは次元が違う。そこ(確認事項)で約束できるか、できないかを超えている」と述べ、「福島の事故は一企業が担いきれないリスクがあることを証明した。国民的に考える政策課題だ」との認識を示した。---浜岡原発:海江田元経産相「再稼働非常に難しい」中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)が政府の要請で全面停止してから14日で1年。当時経済産業相だった海江田万里衆院議員が毎日新聞の単独インタビューに応じ、内閣府の有識者検討会が南海トラフの巨大地震で同市に最大21メートルの津波が押し寄せるとした想定を出したことを踏まえ、浜岡原発の再稼働については「非常に難しい」との認識を示した。政府は昨年5月6日に中部電に対し停止を要請。それに先立つ5日に海江田元経産相は浜岡原発を初めて訪れた。「海岸の砂丘が一種の防潮堤になると説明を受けたが、素人でも防潮堤の役割は果たせないと思った」と振り返り、視察で最終的に停止要請の方針を決めたと語った。また、水野明久・中部電社長が停止発表記者会見で述べた「津波対策完了後の運転再開の確約」について、海江田元経産相は「津波対策をしっかりやってと(水野社長に)約束した」と述べた。この確約を巡っては菅直人前首相が毎日新聞に「(中部電の)ある種の希望」と述べ否定したが、海江田元経産相は異なる認識を示した。---津波対策完了後は再稼働させろという中部電力の意思表示があったことは間違いないようですが、それに対して政府側がどのように対応したかはどうもはっきりしません。ただ、中電とその件で直接やりとりをしたのは菅ではなく海江田のようですから、その限りでは海江田の言うことの方が事実に近いのかも知れません。「津波対策完了後の運転再開の確約」について、海江田元経産相は「津波対策をしっかりやってと(水野社長に)約束した」と述べた。これって、運転再開の確約に応じたのか否かという問いへの答えにはなっていないですよね。ただ、実質的には「津波対策をしっかりやれば再稼働して良いよ」という意味を言外に含めた答えなんだろうな、という気がします。毎日も「菅前首相とは異なる認識を示した」と書いているので、そういう意味だと解しているのでしょう。ただ、海江田と中部電力との間のやりとりがそのようなものだったとしても、「日本のエネルギー政策の問題とは次元が違う。そこ(確認事項)で約束できるか、できないかを超えている」という菅直人の言い分は、まったくそのとおりなのです。浜岡原発の危険性については当ブログで度々指摘していますので、詳細は繰り返しませんけれど、東海地震の想定震源域のど真ん中にあり軟弱地盤の海岸砂丘付近にあり津波の波高が高まりやすい岬の突端近くにある原発の東側(つまり風下側)には首都圏があるという最悪の条件の原発です。しかも、中部電力は電力各社の中でも原発への依存度が低いので、原発を止めた際の影響も比較的小さい。それらのことを考えれば、この危険な原発を再稼働させることなどあり得ないと私は思います。私は段階的脱原発論者つまり、今後10年くらいの時間をかけて原発を全廃すべきだと思っています。それはつまり、(廃炉の時期を確約の上でなら)いったん原発を再稼働することはやむを得ないということでもあります。だけど例外が二つある。それは浜岡ともんじゅ。この二つについては「即時廃炉」以外の選択肢は認めるべきではありません。本当なら直ちに核燃料を撤去すべきで、そうすれば防潮堤の整備にお金をつぎ込む必要もなかったのですが。それにしても、中部電力はそんな浜岡原発をそれでも再稼働させろとはね。東海地震が将来いつ起こるかは分かりませんけれど、それが起こって福島第一原発と同程度の事故が発生した場合、その影響は福島第一よりはるかに大きなものになるはずです。20キロ圏内の人口が福島第一よりずっと多いし、40キロ圏内まで広げれば静岡市もある。福島第一の事故でも常磐線が不通になったけれど、浜岡では東海道新幹線と東海道線、東名高速がいっぺんに切断されることになる。東海地震が来ればどのみち不通にはなるでしょうが、原発事故の場合は、その切断が数十年という期間に及ぶ可能性があります。それらの事態に対する補償、賠償を全部中部電力が他者の助けを借りずにできる、とでもいうのでしょうか。そんなはずがないことは明らかですね。
2012.05.14
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前回の続きです朝4時に起きたのですが、シュラフを片付けて朝食(インスタントラーメン)を食べて、テント内を片付けると、どうしても5時を過ぎてしまいます。前回記事で紹介したモルゲンロート(朝焼け)の山々の写真を撮っていると、出発は朝5時半になってしまいました。上記の写真は、まだ登り初めて間もないあたりで撮影したものです。登りでは左手にずっと前穂高岳(3090m)北尾根が見えています。かなり稜線近くまで登ったところで、振り返って写真を撮りました。涸沢ヒュッテとテント村が遙か下界にあります。穂高岳山荘に到着。目の前に奥穂高岳が。無雪期にはどうということにない山(一般ルートなら)ですが、今の時期は、単独行の私にはこれを登るのはちょっときつい。この写真ではわかりにくいので拡大写真を。岩場を越えた雪面にワイヤが張られているのが分かります。転落防止用のワイヤです。この雪面の登り(危険なのは下るときでしょうが)でスリップする人がかなり多いようなのです。このワイヤがなかったら、あるいはワイヤに引っかからなかったら、この下(滝谷側)は何百メートルもの断崖ですから、即死確実。私は肝っ玉の小さい登山者なので、こういうところは遠慮してしまうのです。涸沢岳は、穂高岳山荘からみて奥穂高岳の丁度反対に位置します。こちらは、特に危険なところはなく(アイゼンで岩場を歩かなければならないところが若干ありますが)、穂高岳山荘まで自力で登れる人なら誰でも登れます。ただ、今回はこの日の間に東京の自宅まで帰らなければならないので、山頂まで行くのは時間的に間に合いそうになく、断念しました。以前に登ったこともあるし。涸沢岳の方にほんのちょっと登って、奥穂高岳を撮影しました。先ほどの危険地帯を拡大してみると斜面は見るアングルで印象がかなり変わります。先ほどの写真(穂高山荘脇から見上げて撮影)ではかなりの斜度ですが、上から見下ろすとあまり急斜度には見えなくなってしまいます。前穂高の北尾根。ザイテングラートの途中からの写真では見上げるようでしたが、穂高岳山荘からは、ほぼ同じくらいの高さに見えます。山荘が3000mで、前穂高本峰が3090mですから、一応向こうの方が高いのですが。常念岳と大天井岳笠ヶ岳さて、とにかく涸沢まで戻ってテントを撤収して下山しなければなりません。翌日に予定がなければもう1泊したかったのですが、翌日は5月3日のよこはまパレード(雨天のため翌日に順延されましたが)の練習と、その後別のグループの練習があったので、どうしても帰らなければならなかったのです。ザイテングラードの下りです。登りは2時間かかりましたが、下りは1時間。多分雪がないときより、下りは圧倒的に速いです。ザイテングラートの下りから撮影した前穂高岳。----おまけ。2004年のゴールデンウィークに蝶ヶ岳から撮影した穂高連峰です。左が奥穂高岳、中央が涸沢岳、右が北穂高岳です。(涸沢のテント村は、手前の屏風の頭に隠れていて見えない)今回登ったコース(ザイテングラート)は奥穂高岳と涸沢岳の間、縦に並んでいる岩場の右脇を通ったわけです。(例年は左脇を通るらしいのですが、今年はまだ雪崩の危険があると山岳警備隊に言われたので)ところで、ゴールデンウィークの後半に、白馬岳で大量遭難がありましたが、それに前後して穂高でも2件の遭難がありました。1件は当ブログでも取り上げたのですが、私は彼らが一般ルート(ザイテングラート)で遭難したのだと思っていたのですが、そうではなかったようです。彼らが動けなくなったのは涸沢岳のD沢のコル、涸沢岳の北側(写真では右側)です。おそらく、穂高岳山荘からの稜線を経由せず、ザイテングラートより右側のコースを取って、岩場を直登したようです。いわゆるバリエーションルートです。亡くなった方はヒマラヤの8000m峰盗聴経験者だそうですから、一般ルート上で装備不良により遭難してしまった白馬岳のケースとは、性質が違いそうです。その後奥穂高岳で転落死した2人も同様です。新穂高温泉から入山して奥穂高まで縦走ということは、西穂高岳から奥穂高岳まで縦走してきたということです。一般ルートとしては日本最難関とされるコースです。無雪期でもそうなのですから、積雪期は推して知るべし。私なら、そもそもこんな時期の西穂高岳の山頂にたどり着くこと自体が無理(無雪期なら、いつか行こうと思いますけど)。彼らも、おそらくかなりのベテラン登山者だったのだろうと思います。
2012.05.13
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ゴールデンウィーク前半に登った涸沢~涸沢岳の写真(一眼レフで撮ったもの)をが、やっとパソコンに取り込みできましたので、アップします。もう2週間も経ってしまいましたけど。前にアップしたデジカメの写真と比較してみてください。明神岳、多分徳沢近辺で撮影したものと思います。(正確な場所を覚えていません)涸沢への登り。雪の上だけど暑かったのです。涸沢ヒュッテがもう見えているんですけど(この写真ではわかりにくいですが、写真のほぼ中央、気持ち下より付近です)、ヒュッテが見えてから先が長いのです。涸沢に着いて、テント村にて。登ってきた道を見下ろしてみました。上高地は標高1500m、涸沢は2300m、つまり高さ700mを登ってきたわけです。涸沢から正目名を見上げる。左側が奥穂高岳(3190m)、右側が涸沢岳(3110m)、二つの山の鞍部に穂高岳山荘があり、標高は3000m。つまり、あと700mほど登らないといけないわけです。北穂高岳(3106m)、3年前の9月に登ったことがあります。で、一夜明けて翌朝奥穂高岳のモルゲンロート(朝焼け)。前の記事にも書いたけど、気温は多分マイナス1度か2度くらいだったと思います。この時期の涸沢の明け方としては、あんまり寒くなかった。同じく涸沢岳のモルゲンロート北穂高岳のモルゲンロートで、いよいよザイテングラートの登り、というところで、続きはまた明日ということで・・・・・・。
2012.05.12
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韓国人CM女優が反日的…ロート製薬に因縁製薬大手「ロート製薬」(大阪市生野区)がテレビCMに起用した韓国人女優が「反日的」などと因縁を付け、同社に執拗(しつよう)に回答を迫ったとして、大阪府警捜査4課などは10日、右派系市民グループの元メンバー西村斉(43)(京都市右京区)、同荒巻靖彦(47)(大阪市北区)両容疑者ら4人を強要容疑で逮捕した。発表では、4人は3月上旬、同社に押し掛け、社員に「竹島は韓国の領土だと言っている女優を使ったらダメでしょう。見解を答えないと、また来ることになりますよ」などと、同社へのデモを実行することをほのめかし、同社社員とのやり取りをインターネットの動画投稿サイトで中継。さらに、「国益を損ねるのではないか」とメールで要求し、同月中旬、同社に見解などをメールで回答させた疑い。西村、荒巻両容疑者は容疑を認めているという。他に逮捕された無職松本修一(35)、会社員三好恭弘(39)両容疑者は、「一緒に行っただけ」と否認している。---最近、在特会関係の動きを追っていなかったのですが、今度はこんなことをやらかしていたんですね。ちなみに、逮捕容疑となった活動は↓ですほんと、相変わらずゴロツキやくざがクダ巻いているのと何ら変わるところがありません。しかも、それを自らこうやって堂々と公開しているんだから、どうしようもない。私の記憶が確かなら、西村斉と荒巻靖彦の両名は、すでに一度逮捕歴があり、執行猶予中だったはずです。次は実刑かな、そうすると執行猶予も取り消しかも知れません。下品きわまりない暴言の数々を撒き散らして周囲のひんしゅくを買うことが「政治活動」だと勘違いしているような連中は、何年か刑務所に放り込まれて頭を冷やしてくるといいかもしれません。最近は、この種の、いわゆる「行動する保守」と称する極右系諸団体も、内部対立、仲間割れが日常茶飯事のようです。数年前には在特会と、西村修平の「主権回復を目指す会」はいつもワンセットで行動していましたが、すでにこの両者は喧嘩別れ状態だし、その他にも各所で内紛を抱えているようです。そりゃ、ちょっとでも良識というものがあれば、こんなやくざまがいの「言論」には疑問を感じるのが普通でしょうからね。「主張が正しければどんな行動も許される」と彼らが本気で思っているなら(私は、もちろん彼らの主張が正しいとは、かけらほども思わないけど)、こういう「言葉の暴力」の次に来るのは、本物の暴力(テロ活動)かも知れない。そう考えると、ちょっと怖いものを感じます。
2012.05.11
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<チリ>天文台教授殺害、財布と携帯なく南米チリの首都サンティアゴで国立天文台(東京)の森田耕一郎教授(58)が死亡した事件で、チリ検察庁の当局者は8日、毎日新聞の電話取材に殺人事件と断定して捜査を開始したことを明らかにした。チリ検察庁によると、森田教授は7日午前2時(日本時間同日午後3時)ごろ、自宅のあるマンション前で頭部を殴られて倒れているところを発見されたが、普段持ち歩いている財布と携帯電話がなくなっており、強盗に襲われた可能性もある。マンションに設置されている防犯カメラは映像を記録していなかったが、近隣住民の一人が「不審な音がしたので外を見ると、走って逃げる人影を見た」と証言しているという。森田教授は発見後、病院に搬送されたが約6時間後に死亡した。---電波望遠鏡「アルマ」プロジェクトの関係でチリに赴任されていたそうですね。何とも残念な事件です。しかし、私はメキシコ3回、南米3回(ペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチン)旅行した実体験から言うと、ここに挙げた国の中でもっとも治安がよいのはチリです。おそらくラテンアメリカの中ではもっとも治安のよい国の一つだろうと思います。町を歩くときに、身構える必要がない、いや、それ以外の国だって、別に「人を見たら泥棒と思え」と言うわけではないのですが、それなりの注意を払っていないと、たちどころに泥棒さんにつけ込まれてしまうところはあります。しかし、チリではそういう経験をしたことがない。とはいえ、もちろん日本並みに治安がよい、というわけにはいきませんけどね。チリは、魚介類が豊富で、おおかたの日本人にとっては食事がおいしいと感じられる国です。北は広大なアタカマ砂漠、南は緑したたる南極ブナの森、アンデスの高峰もあり、自然が変化に富んでいて景色の美しい国でもあります。音楽もいい。私はもし日本以外でどこかの国に住むとしたら(もちろん、日本に住むのが一番良いのですが)チリかメキシコです。メキシコもチリに負けず劣らず料理がおいしいし(少なくとも私の好みでは)、やはり5000メートル級の高山から砂漠、熱帯のジャングルまで自然が多様で景色の美しい国です。ただ、一つだけ、メキシコは近年麻薬戦争の影響で治安状態がよくない。だから、今の時点ではチリだろうなあ・・・・・・。何となく、こんな事件でチリの名が大々的に報じられるのは非常に残念です。
2012.05.09
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竜巻:「ゴオー」突然真っ暗 のどかな街に黒い渦竜巻の軌道に沿ってポキリと折れた電柱、無造作にひっくり返ったまま積み上がった自動車、風の力でねじり取られた家屋の屋根。ゴールデンウイークの最終日、田園が広がるのどかな街を自然の猛威が襲った。「ゴオーとすごい音がした」「屋根瓦が空を舞っていた」。被害の大きかった茨城県つくば市北条地区で、住民が恐怖の瞬間を振り返った。「窓を開けて『ああっ、こっちに来る』と思ったら、すぐにバリバリッて音がして家のガラスが割れた。一瞬の出来事だった」。同地区の主婦(58)は、そのすさまじさを振り返った。南に広がる田んぼの方面から、見上げるほど上空まで伸びる竜巻が一気に押し寄せて来た。窓ガラスはすべて割れ、台所では皿やコップが宙に舞う。壁は穴が開いて断熱材が飛び出した。夫のトラック運転手(58)は飛散したガラスで背中を6、7針縫うけがをした。「雷が鳴ったと思ったらゴオーッて音がしてさ、空に渦が回っていた。気がついたら、竜巻が目の前に広がって急に真っ暗になった」と文雄さんは話す。---竜巻なんて、滅多にない自然現象かと思いきや、日本では年に15個も発生しているとか。台風といえども、風の力そのもので直接建物が壊れるということはあまりない(洪水や土砂崩れによって建物が壊れることはあるけど)のに、竜巻では鉄筋コンクリートの建物すら壊れる、自動車が空を舞うというのだから、非常に恐ろしいものです。ところで、実は私はかつて竜巻の写真を撮ったことがあります。場所は南米のボリビア。1989年10月のことです(私は大学4年だった)。ボリビアの事実上の首都ラパスから、オルーロという町に向かうバスの中で撮影したものです。窓ガラス越しなので、ガラスの反射が映り混んでいます。今回この写真のことを思い出して改めて調べたら、Wikipediaによると、竜巻によく似た気象現象に塵旋風というものがあるのだそうです。私は気象の専門家ではないので、この写真がどちらなのか、確実には判定できませんが、塵旋風は主に雲が少なく風が強い晴天時に発生する、竜巻は主にどんよりと暗く低い雲が立ちこめる荒天時に発生するとのことです。そうすると、この写真は曇天だし、つむじ風の上端が雲に達しているので、やっぱり竜巻だったんじゃないかなと思います。10月というのは、ボリビアでは乾期が終わって雨期になるかどうかの境目の時期です。自分の記憶の中では、このとき、あまり天気が悪かった記憶はないのですが、写真を見ると雲は結構多いんですね。ただ、このとき、私は「え!竜巻みたいだけど大丈夫なの??」と思ったんだけど、バスの車内は運転手も乗客も、いたって平静そのもの。実際、この竜巻(あるいは塵旋風?)がバスの方に向かってくることはなく、何事も起こらなかったんですけどね。もしこの竜巻がバスの方に向かってきていたら、タダでは済まなかったかも??それにしても、今回の竜巻被害に話を戻すと、被害を受けた中には、昨年の地震で原発災害から避難してきた7世帯20人が含まれるとか。なんというか、こういう悲惨な偶然もあるんですね。がっくりするだろうなあ。
2012.05.08
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維新の会、条例案提出を撤回 「偏見助長」など批判受け橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会の大阪市議団は7日午後、親の愛情不足が発達障害の要因とし、その「予防」をめざすとした条例案について、市議会への提案方針を撤回した。市議団が示した条例案の原案に対し、専門家や保護者団体から「科学的に誤り」「偏見を助長する」と批判が相次いでいた。条例案は「家庭教育支援条例案」。「親になるための学び」が必要との立場から、家庭教育の支援や伝統的子育ての推進を主張。「発達障害、虐待等の予防・防止」を掲げて、「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」と明記している。条例案を推進していた維新の辻淳子市議によると、条例案の文案は4月下旬、「親学」を提唱する高橋史朗・明星大教授から資料として提供を受けたという。辻氏らは1日、条例案の原案として提示。市議団の美延映夫幹事長は報道陣に「5月議会への提出を目指す」と表明していた。 ---「親の愛情不足が発達障害の要因」というのは、あまりにむちゃくちゃな理論です。ちょっとでも考えればそんなのおかしいと気がつくはずなのに、こんな発想をそのまま条例案として発表する以前に、誰か「これは違う」とストップをかける人が維新の会内部にいなかったという事実に驚きます。まれに、「自閉症」を引きこもりと混同している人がいます。両者はまったく異なった概念です。自閉症は脳の機能障害であり、その原因は先天的です。発達障害も、自閉症と同様脳の機能障害であろうと言われています。ただ、我々人類はまだ、自分たちの脳の機能についてごくわずかしか知りません。脳のどの部分の機能障害が自閉症につながっているのかはよく分かっていません。この条例案は、どう考えても自閉症(発達障害も)を引きこもりと混同してしまうようなノリで作られているように見えます。あまりにレベルが低い。それにしても、「伝統的子育て」というのが具体的にどういう内容を意味するのかは知りませんが、1人の女性が生涯に5人も6人も子どもを産んでいた時代と、1人かせいぜい2人の現在で、子育てのスタイルが同じにできるはずがありません。もちろん、「伝統的子育て」によって発達障害が減るということはあり得ないでしょう。確かに障害者(児)は増えています。しかし、これは二つの要因があります。一つは、医療の発達によって、昔は生き残ることができなかった重度の障害児が生き残るようになってきたことです。そしてもう一つは、昔は「障害」とは認知されていなかった軽度の発達障害が、社会の発展や教育水準の向上によって障害者と認知されるようになったこと、です。識字率が5割にも届かないような社会だったら、読み書きができない発達障害なんてのは、障害にならないのです。昔話に出てくる「ちょっと頭の回らない人」なんてのは、今の時代に連れてくれば、おそらくは発達障害とか軽度の知的障害ということになるだろうと思われます。従って、医療水準や教育水準を昔に戻すというのでない限り、「伝統的子育て」だろうが「近代的子育て」だろうが障害者の発生はまったく変わりません。しかし、この条例案のネタもとが高橋史朗だというのは、「ああ、やっぱりな」と思います。いかにも極右運動家の考えそうなことです。こんなデタラメな「子育て」論を掲げる人間が、埼玉県の教育委員であり、臨教審の委員を務めていたこともあるのですから恐ろしいことです。
2012.05.07
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昨日の夜11時頃に北海道電力の泊原発が停止し、日本中のすべての商業原発が運転を停止しました。一時的ではあるかも知れないけれど、日本は原発に全く依存しない状態になりました。一部のマスコミは、それを「異常事態」だと主張しています。「原発ゼロ」 異常事態から即時脱却を 安全技術の継承は生命線だ(5月6日産経社説)北海道電力の泊原子力発電所3号機が定期検査に入り、日本国内の全原発50基が運転を停止する「原発ゼロ」が現実になった。電力の3割を担ってきた原発の稼働が皆無という前例のない異常な事態を深刻に受け止めたい。定期検査を終えて再稼働を待つ関西電力の大飯原子力発電所3、4号機(福井県)の復帰見通しは立たないままだ。地元理解の獲得や最終的な政治判断の段階に至っていないためである。暮らしや経済を支える電力供給は、需要ピークの夏場に綱渡りを強いられる情勢だ。だが、こうした事態を迎えても、野田佳彦政権から一向に危機感が伝わってこないのは異様である。(以下略)---全原発停止 これでは夏の電力が不足する(5月5日付・読売社説)国内で1基だけ稼働している北海道電力泊原子力発電所3号機が5日、運転を停止する。全国50基の原発がすべて止まり、全電源の3割が失われる異常事態だ。原発の稼働がゼロになるのは、原発がわずか2基だった1970年以来、42年ぶりである。東京電力福島第一原発の事故の影響で、定期検査で止めた原発を、検査を終えた後も再稼働できなくなっていることが原因だ。事故の教訓を踏まえ、原発の安全性を再確認するのは重要だ。だが、政府の原子力政策が迷走し、再稼働への手続きにブレーキをかけた点は看過できない。菅前首相による突然の「脱原発宣言」など場当たり的な対応は、原発への不信を増幅させた。「やらせメール問題」をはじめ、電力会社や原子力安全・保安院の不祥事も、足を引っ張った。野田首相らは4月中旬、新たな判断基準で関西電力大飯原発3、4号機の安全を確認し、再稼働は妥当だと判断した。しかし、地元の理解を得られず、調整はなお難航している。枝野経済産業相の発言がぶれた影響も大きい。このままでは電力需要が膨らむ夏に間に合わない恐れがある。(以下略)---しかし、私はすべての原発が止まったことが異常事態だとは思いません。去年の震災による福島第一原発の事故こそが異常事態であり、あれほどの大事故が起こったにもかかわらず、そのまま漫然と原発の運転を続ける方がよほどおかしなことです。日本は地震列島であり、過去の例から言っても巨大地震は連動して起こる傾向があります。つまり、今後も近い将来別の巨大地震が起こる可能性は、決して低くはない。それにも関わらず今までどおり原発を稼働し続けようという感覚は、異常としか言いようがありません。原発は危険だから停止する、それこそが正常な感覚であると私は思うのです。読売の社説は菅前首相による突然の「脱原発宣言」など場当たり的な対応は、原発への不信を増幅させた。と言いますが、これはどう見ても「へりくつ」の類でしかありません。原発への不信は、福島第一原発の事故に最大の原因があり、その後明らかになった電力会社や原子力ムラの所業、安全「神話」の裏側の実態などが、その不信を増大させたのです。政府が浜岡原発すら止めず、これまでどおりの原発推進を続けていたとしたら、原発に対する不信と反発は更に大きくなっていただろうと思います。世論調査を見ても昨年6月の朝日新聞調査「原子力発電を段階的に減らして将来はやめる」ことに74%が賛成、反対は14%同8月の毎日新聞調査では原子力発電所に対し「今すぐ廃止すべきだ」が11%、「時間をかけて減らすべきだ」が74%、「減らす必要はない」は13%となっています。菅前首相の脱原発宣言は昨年7月13日に出されています。その内容は「原発即時全廃」というものではなく、「段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現する」という趣旨です。上記の毎日新聞の調査は脱原発宣言より後ですが、朝日の調査はそれ以前のことです。つまり、菅直人の脱原発宣言の前も後も、国民の原発への冷たい視線は、そう大きくは変っていないということです。ただし、このまますんなりと永続的な原発ゼロ状態に移行できる、とは思えません。おそらく近いうちに原発のいくつかは再稼働ということになってしまうでしょう。それ自体は仕方がないと私は思っています。以前から度々書いているように、私は10年くらい時間をかけて、段階的に原発を全廃すべきだと考えています。当然、その過程で、過渡的に原発(浜岡や「もんじゅ」など、立地条件や老朽化その他危険な原発はのぞき)が稼働するのは仕方がない。ただし、その場合は廃炉の時期を明文で定めることが再稼働の絶対条件です。上記の世論調査の結果から類推する限り、私と同様に「時間をかけて脱原発」というのが民意の多数派だろうと思われます。つまり、脱原発に向けたタイムスケジュールを明確にした上での再稼働ということなら、抵抗も大幅に減るだろうと思うのですが、原発推進派がそういう方向性に進む気配はありません。つまり、政府も電力会社もほとぼりが冷めるのを待って、もとどおり原発を推進する気満々だ、ということなのでしょう。冗談ではない、と思います。なし崩し的に原発推進に戻る前提なら、いかなる再稼働にも私は反対です。で、例によって電力が足りないキャンペーンが行われている反面、こんな報道もありました。関西電力:オール電化住宅なお促進今夏の電力需給が全国で最も逼迫(ひっぱく)する関西電力が、調理や給湯などをすべて電気でまかなうオール電化住宅の販売促進を続けていることが4日、分かった。政府試算で今夏の電力供給能力が最大需要より15%足りないと見込まれる同社管内で、需要を拡大させるオール電化推進には批判が上がりそうだ。関電広報室によると、完全子会社でオール電化機器の販売会社「かんでんEハウス」(大阪市)が関電管内の加盟店に取引量に応じて値引きし、事実上の販売奨励を行っている。昨年12月までは、オール電化を販売した電器店や施工会社に「電化手数料」も支払っていた。(中略)NPO法人「地球環境と大気汚染を考える全国市民会議」の試算では一般家庭がオール電化に切り替えた場合、年間の消費電力量は27.8~93.3%増加する。関電広報室は「オール電化を通じて、低炭素社会の実現と、ピーク需要の抑制に向けた取り組みを推進しており、継続していきたい」と、今後も推進する構えだ。(以下略)---東京電力は、さすがに震災の後オール電化住宅の新規募集を停止していますが、関西電力はどこ吹く風とばかりにオール電化を推進しまくっているというのです。片方の口で電気が足りないと言いつつ、もう片方の口で「もっと電気を使ってください」と言っているんだから、こういうのは「マッチポンプ」と言います。しかも、この期に及んでなお、オール電化推進を継続するというのですから、気は確かかと思います。こんなことをやっていて電力不足だから原発を再稼働させろというのは、あまりに虫が良すぎないでしょうか。現代社会において、電気は必要不可欠です。そのことは間違いありません。脱原発を言うと、時々「だったら電気を使うな」的な頭の足りない脊髄反射をする人がいますが、誰も電気を使わずに現代社会が維持しろと言っているわけではありません。原発のシェアは3割と言われますが、これは発電量に占める原発の割合で、設備そのものの容量では2割です。その、たった2割をやめにするために知恵を絞ろうと言っているに過ぎないのです。
2012.05.06
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ほんの1週間前に涸沢に行ってきたばかりですけど、そのときは天気は快晴、気温もぽかぽか陽気で、快適な(少々暑い)山登りでした。ところが、連休後半にはいると天気は下り坂、そうしたら、たちどころに遭難騒ぎが多発することになってしまいました。白馬岳遭難、6人全員の死亡確認 爺ケ岳の女性も死亡長野県の北アルプス白馬(しろうま)岳(2932メートル)で起きた男性6人グループの遭難事故で、近くの小蓮華山の山頂付近で県警ヘリが6人を救出したが、県警大町署は5日、全員の死亡を確認した。また、同日朝、北アルプス爺ケ岳付近で、意識不明で発見された女性についても、死亡を確認したと発表した。同署は、白馬岳の6人は北九州市の63~78歳のグループ、爺ケ岳は大阪市住之江区の女性(62)と見て、身元の確認を急いでいる。同署によると、同グループは3日から2泊3日の予定で、同県小谷村の栂池(つがいけ)高原から入山。4日に宿泊予定だった白馬岳近くの山小屋に到着しなかったため、山小屋が家族に連絡。家族が同署に捜索を依頼し、同署が5日早朝から捜索していた。同署などによると4日午後の白馬岳付近は強い吹雪で、気温も零下になったという。6人が3日に宿泊した山小屋の関係者によると、グループは4日午前5時半に出発。天気が良く暖かかったので、6人は春山登山の服装で出発したという。 ----岐阜の涸沢岳でも6人遭難、71歳男性死亡 5人は救助岐阜県警は5日、同県高山市の北アルプス・涸沢(からさわ)岳(標高約3100メートル)で、福岡県の登山グループ男女6人が遭難し、うち1人が低体温症で死亡したと発表した。県警などが同日、残りの5人を収容先の穂高岳山荘からヘリで高山市内の公園まで搬送。うち3人は低体温症で病院に運ばれた。(中略)6人は3日朝に長野県の上高地から入山し、4日は涸沢岳を経由して穂高岳山荘を目指した。だが吹雪のため身動きがとれなくなり、同日午後7時ごろ、携帯電話で同山荘に連絡し、救助を要請した。6人はまもなく救助されて同山荘に収容されたが、1人が低体温症で心肺停止状態になり、4日夜に亡くなった。残る5人も低体温症になっているが、命に別条はないという。 ----うーーーーーん。涸沢岳といえば、1週間前に私が登った山です。今回は山頂までは、時間の都合で行けませんでしたが、山自体は特に難しいところはありません。でも、吹雪になったら厳しいだろうな。そもそも、涸沢から奥穂高岳/涸沢岳への登り(ザイテングラード)は、降雪の直後は雪崩の危険があるので、長野県警の山岳警備隊に「登るのは止めてください」って言われるんですけどねえ。もう一つ、6人が亡くなった白馬岳も、実は数年前のゴールデンウィークに目指したことがあります。そのときは夜行日帰りの予定だったので、最初から小蓮華山を目標にしていたのですが、雷を伴った猛吹雪に加え、様々な予期せぬトラブルがあって、歩き始めて1時間と経たずに中止して引き返してしまいました。そう、今の時期の2000メートル超級の山は、まだ冬山です。晴れの日中はポカポカ陽気になりますが、夜間は通常氷点下に冷え込みます。標高1500メートルの上高地でさえ、ゴールデンウィーク明け方は霜が降りますし、雪が降ることだってなくはありません。まして2300メートルの涸沢や2900メートルの穂高岳山荘はいうまでもなし。別の記事によると、白馬で遭難死した6人は、夏用の雨具にTシャツの軽装だったそうです。実は私は2月の厳冬期の八ヶ岳だって、夏用の雨具(もちろんゴアテックス製)で登っています。だから、夏用の雨具であることは問題ないのですが、その下がTシャツだけ、というのは吹雪の下での行動にはあまりに軽装過ぎます。しかも、そのTシャツというのは、おそらく夏用の半袖Tシャツだったのではないでしょうか。私も、先週涸沢に行ったときは、暑くて「半袖Tシャツなら涼しくて楽だったのに」って思いましたけど、それでもやっぱり雪山は雪山なのです。冬山用の長袖Tシャツは必須です。それにしても、私なんかは山で悪天候になると、とたんに行動が臆病になります。常に「引き返せるかどうか」を考えながら(それは、荒天でなくても同じなのですが)歩くし、そういう悪条件の場合は体力の限界より遙か以前に恐怖心の限界(これ以上は怖いから、もう引き返そうという)が来てしまうのです。だから、吹雪のただ中で、身動きができなくなるところまで歩き続けてしまう人の心理というのはよく分からないところがあるんですけど、集団心理という要素もあるのかも知れません。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ってやつです。一人だったら引き返すのに、集団だと安心感があって、あるいは他の人が先に進むのに「引き返そう」とは言いづらくて、先に進んでしまう、というようなことなんでしょうか。追記 コメント欄に書いた内容を本文にも追記しておきます。夏山の軽装で出発、一転零下2度 白馬岳で死亡の6人(略)長野県警によると、白馬岳を目指した6人は、北九州市の小児科(75)の呼びかけで集まった医師を中心とするパーティー。3日から2泊3日で、長野県小谷村の栂池から白馬岳を往復する予定だった。3日夜は栂池ヒュッテに宿泊。4日午前5時半、全員が弁当を2人前ずつ持って白馬岳へと向かった。(以下略)----ここに、遭難現場の略図があります。小蓮華の少し先、三国境の手前で倒れていたようです。ちょうど小蓮華山と白馬の鞍部付近にあたります。海抜高度は2680m前後です。進むとすれば、白馬山荘は2932mの白馬岳の向こう側。引き返すにしても、2768mの小蓮華山まで登り返さなければならない(更にその先白馬乗鞍岳でも標高差80mくらいの登りがある)。進むも登り、戻るも登りという最悪の場所です。体力を消耗しきった状態ではもう登ることができなかったんだろうと思います。最悪、小蓮華の山頂で引き返していれば、少なくとも何人かの生存者はいたんじゃなかろうか。更に毎日新聞の報道によると、「6人の周りにテントのようなナイロンが散らばっていた。風で飛ばされたような状態だった」とのこと。それはおそらくテントではなくツェルト(非常用簡易テント)だろうと思うのですが、ツェルトがあってもその中に入れなかったんじゃどうしようもないし、さすがにマイナス2度の吹雪の中では、夏用雨具の下がTシャツ(おそらく半袖の)1枚だけじゃあ、いくらツェルトに潜り込んでも厳しいでしょう。ただし、気温マイナス2度というのは、この時期のこの高度の気温としては、特別な低温とは思われません。涸沢のテント内でも、例年は明け方には湿気が全部パリパリに凍り付き、登山靴が凍り付き、水筒の水も凍り付くのが普通です。当然吹雪に遭うことも珍しくありません(この時期に北アルプスで雨に遭ったことは一度しかない)。その前提の上で衣類は準備しなければならないはずなんですけどね・・・・・・。
2012.05.05
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先に告知したように、毎年5月3日に開催されている、「ザ・よこはまパレード」に参加してきました。昨年は震災の影響で中止となってしまい、今年も本来は昨日5月3日の予定だったのに、まさかの雨天順延。東京は今日も朝方はかなり雨が降っていたのでヒヤッとしたのですが、横浜はそれほどの雨ではなかったようで、今日は無事開催されました。参加しているのは「アンデス村まつり隊」というグループで、いわゆるフォルクローレの中でももっとも原初的な、「アウトクトナ」と呼ばれる笛と太鼓だけの音楽を演奏します。笛は、本来はいろいろな種類があるのですが、よこはまパレードではシーク(サンポーニャ)を使う音楽をいつも演奏しています。今年は「カントゥ」という、5度違いの2組のサンポーニャの合奏スタイルの演奏でした。山下埠頭で練習しながら順番待ちをしていたときの写真です。今日の演奏ではケーナは使わないのですが、練習用にケーナも持って行って、休憩の間にここで吹いたら、こんなオープンスペースにもかかわらず音がすごく響いてびっくり。多分、写真の壁が反響板になったのでしょう。山下公園に移って出発待ちをしているとき。きれいどころのお姉さんには、カメラマンが群がりますねえ。この衣装はボリビア・ポトシのものです。実は、当初予定では我々の出発は午後1時15分だったのですが、それが急に20分も早まることが判明しました。雨天順延のせいで不参加になったグループがあって、順番が早まってしまったようです。我々のグループでも、演奏メンバーは40人の予定から10人くらい減ってしまったんですけどね。我々の一つ前の出番の、鎌倉女子大学中・高等部のマーチングバンドとバトン隊。どうも吹奏楽のグループ系を見ると、とっさにフルートを探してしまいます^^部員の数がすごく多くて、演奏に参加できる部員とできない部員がいるようです。見ていると、演奏に参加できない部員(いわば二軍?)は、制服を着て通学鞄を持って、パレードの最後尾を歩いているんです。あれで楽しいのかな、とちょっと思ってしまいました。我々の二つあとの出番の横浜華僑総会。派手派手しく爆竹を鳴らしまくっていました。我々の後ろは別の学校の吹奏楽部でしたが、いつもはサンポーニャの音は吹奏楽に負けるんですけど、吹奏楽も爆竹の音量には圧倒されていました。路上に出て、出発の順番待ちの間。同じく出発の順番待ちの間。で、パレードが始まると、当然サンポーニャを吹いているので写真なんか撮れないのですが・・・・・・なぜかパレードの途中で写真を撮ってしまいました。ちょうど橋の上で前のグループが詰まってしまい、停止したところです。橋の上は観客がいないので、演奏もいったん止めています。これも同じ時の写真です。今日はずっと曇りで日差しはあまりなく、そのおかげで演奏中もそれほど暑くはありませんでした。気温的には演奏日和でした。そのおかげで、私は3.5キロのパレードコースの最後まで音量を保つことができました。(途中、所々さぼったところはありますけど)ところで、今日使った楽器の説明です。シークです。スペイン語ではサンポーニャですが、笛と太鼓だけの原初的な音楽(アウトクトナ音楽)では、あまり「サンポーニャ」とは呼びません。楽器自体も、現代的な普通のフォルクローレで使うサンポーニャ(私が普段使っているもの)とは、かなり違う楽器です。見た目管が2列並んでいるように見えますが、写真で分かるように、前の段は底が抜けています。これは風切り音を出すための共鳴管なので、実質は1列だけです。これはマルタと呼ばれるもっとも一般的なサイズ。同じくチュリと呼ばれる高音用のシーク。同じくサンカと呼ばれる低音用のシーク。数年前は横浜パレードで吹いたこともあります。でかいので体力を使います。このシーク(サンポーニャ)という楽器、このブログで度々紹介しているように、「ドミソ」と「レファラ」で分かれていて、それを2人の奏者が交互に吹きます。現代的なフォルクローレでは、二つの楽器を重ねて持って、1人で吹く奏法が主流ですが、アウトクトナ音楽では必ず2人一組。さらに、「カントゥ」という音楽は、前述のとおり5度違いの2組のシークを使います。つまり、「チュリ」「マルタ」「サンカ」という3つの音域で、それぞれ「ドミソ列」と「レファラ列」、さらに5度違いの上の音階と下の音階があるので、3×2×2=12。すべてのパートに1人だけ割り振っても、最低12人必要になるわけです。今回の演奏の参加者は30人。つまり1パート平均2.5人というわけです。5度違いの二つの調でおなじメロディーを吹いているので、隣の人は調が違うわけです。うっかりすると、自分を見失ってしまいかねない難しさがあります。コルテサと呼ばれる太鼓です。普通のフォルクローレでは、ボンボと呼ばれる毛の生えたままの皮を張った太鼓が使われますが、この太鼓は毛は生えていませんし、枠打ちもしないから枠もない。そしてもう一つ、「チニスコ」という1辺が30センチもある巨大トライアングルがあるのですが、残念ながら写真は撮り損ねてしまいました。それにしても、これらの楽器と衣装約40人分、全部このグループのリーダーであるkenta90さんが準備しているのです。このイベントに参加するための諸準備もすべてそうです。彼の熱意がなかったら存在し得ないグループでして、kenta90さん、そして奥さんのsatokoさんには、いつも大感謝なのです。演奏が終わって、撤収時に写真を撮りました。この後すぐ、雨が降り出して、衣装・楽器を車に積み込んでいる間に土砂降りになってしまいました。当初予定より出発時間が早まったので雨にあったのはパレード終了後でしたが、もし当初予定どおりの出発だったら、演奏中にずぶ濡れになっていたかも知れません。きわどいタイミングでしたが、運が付いているようです。それにしても、パレードの間はそれほど疲れを感じなかったのですが、演奏が終わって打ち上げも終わって、さあ家に帰ろうかというときには、やはり猛烈な疲労。帰りの電車がつらかった。※肝心の演奏ですが、当然ながら自分自身では撮影していません。検索したのですが、残念ながら、今の時点ではYouTubeにも今年の演奏はアップされていないようです。
2012.05.04
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本当なら今日はよこはまパレードに参加の予定でしたが、雨天で明日に延期となったため、今日は家にいます。今日は65回目の憲法記念日です。1947年の今日、日本国憲法が施行されました。それ以来65年間、日本は高度経済成長を遂げて世界有数の豊かな国となり、また戦争を行うこともなく戦死者も出さない平和な国でもありました。民主主義の国でもあるし、国民の基本的人権が保証されている自由な国でもあります。もちろん、すべてが完璧なわけではなく、問題点はたくさんあります。でも、大筋においては、まあ良い国と言って良いだろうと私は思います。世界で一番良い国とは言えませんが、かなり良い国の部類とは言えるでしょうし、同じ日本の中で比較すれば、1945年以前より1945年以降の方がずっと良い国だと断言できます。で、戦後の日本が大筋で良い国であったのは、日本国憲法のおかげである、とまでは私は言いません。だけど、憲法は「国のかたち」の根幹を規定する法律ですから、戦後の日本がおおむね良い国であった背景の一つにはこの憲法の存在があった、という程度のことは言えるだろうと思うのです。もし憲法第9条がなければ、日本はベトナム戦争に派兵していた可能性があります。お隣の韓国は、ベトナム戦争に派兵し、5000人近い戦死者を出すとともに、いくつかの虐殺事件まで引き起こしています。日本がもしベトナムに派兵していれば、おそらく似たようなことになったでしょう。そうならなくて済んだのは、まさしく憲法第9条のおかげなのです。この憲法を変えろ変えろという人が少なからずいます。しかし、私は今の憲法を変える必要はないと思います。前述のとおり、この憲法の体制下で日本はおおむね良い国であったし、現在でも内容的におかしなところはないからです。もちろん、前述のとおり、細かく見れば日本にも様々な問題点はあります。しかし、「憲法を改正しろ」と言っている人たちの主張や改正案の内容を見ると、それによって日本が現在より良い国になる、現在の様々な問題が解決するとは、とても思えないのです。たとえば、当ブログで度々バカにしている産経新聞は、本日の「主張」でこんなことを書いています。憲法施行65年 自力で国の立て直し図れ 今のままでは尖閣守れない(前略)占領下で日本無力化を目的に米国から強制された格好の現行憲法では、もはや日本が立ちゆかなくなるとの危機感が共有されてきたためだ。憲法施行65年の今日、はっきりしたことがある。それは自国の安全保障を他人任せにしている憲法体系の矛盾であり、欠陥だ。(中略)国の守りが危殆(きたい)に瀕(ひん)していることを指摘したい。2日も中国の漁業監視船が尖閣諸島周辺の日本の接続水域を航行した。問題は、日本の領海を侵犯しても、現行法では海上保安庁が退去を求めることしかできないことだ。仮に中国側が漁民を装った海上民兵を尖閣諸島に上陸させ、占拠しても、現行法の解釈では、自衛隊は領土が侵されたとして対処することはできない。代わりに警察が出動し、入管難民法違反などで摘発するしかないのだ。これは政府が自衛権の発動に厳しい枠をはめているためだ。「わが国に対する急迫不正の侵害」など、自衛権発動には3要件がある。それも「他国」による「計画的、組織的」な「武力攻撃」に限定している。(以下略)----産経は、片方の口では「日米同盟が大事」と壊れたレコードのように連呼しながら、もう片方の口では「自国の安全保障を他人任せにするのはけしからん」というのです。「同盟」というのは安全保障を(その一部を)他国に委ねることに他なりません。しかも、力関係から見て日米は決して対等ではありません。日本に限らず、米国は世界一の経済大国・軍事大国なのですから、世界のどの国であれ、米国と同盟を結べば、その立場は対等ではなく従属的なものになります。つまり、産経は思い切り矛盾したことを主張しているわけです。日米の経済力や軍事力の力関係は、憲法とはまったく無関係に存在します。従って、産経がやり玉に挙げるようなことは、憲法を変えたって何も変らないのです。「中国の漁業監視船が尖閣諸島周辺の日本の接続水域を航行した」ことをやり玉に挙げていますが、「接続水域」は領海ではありませんから、航行することは国際法上何も問題がありません。いや、領海だってそうなのです。国連海洋法条約の第17条は「すべての国の船舶は、沿岸国であるか内陸国であるかを問わず、この条約に従うことを条件として、領海において無害通航権を有する。 」と定めています。(漁船が漁を行うことは無害通航ではない)憲法をどう変えたところで、「接続水域」はもちろん、領海に入った外国の艦船を攻撃してよいことにはならないのです。「仮に中国側が漁民を装った海上民兵を尖閣諸島に上陸させ、占拠しても、現行法の解釈では、自衛隊は領土が侵されたとして対処することはできない。」というのは、いったい誰の「解釈」なのか不明ですが、漁民を装おうが何を装おうが、中国軍指揮下の民兵が武装して日本の領土(尖閣諸島)に上陸するなら、それは中国軍による攻撃なのですから、「他国」による「計画的、組織的」な「武力攻撃」ということになるでしょう。なお、自衛権発動の3要件というのは、産経が主張するようなものではなく1わが国に対する急迫不正の侵害があること2この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと3必要最小限度の実力行使にとどまるべきことの3つであるというのが歴代日本政府の解釈です。産経は、こんなことも主張しています。【欠陥憲法】(4)家族・教育 「個人」「権利」偏重で荒廃(前略)憲法の基本原則がことさら強調され、個人の「自由」「権利」を絶対視して「義務」を軽視しがちだったのが戦後民主主義だったともいえる。子供を産み育て、老父母の世話をする昔ながらの“義務”は置き去りにされていった。(中略)足立区の年金不正受給事件を受けた法務省の調査では、戸籍上「存命」しながら、死亡届の不提出などで「所在不明」の100歳以上の高齢者は約23万4千人にのぼった。「家族」は国や社会を構成する基礎単位であり、憲法に保護・尊重条項を設けている国は多い。しかし、日本国憲法にはその家族条項がなく、家族の“崩壊現象”に歯止めがかからない。しかも、民主党政権は、社会保障や税について「世帯単位から個人単位へ」という基本原則の大転換を打ち出し、配偶者控除など「家族」優遇制度の廃止を進めようとしている。(以下略)----子どもを産むことは「義務」じゃないでしょう、生まれた子供を育てるのは義務だけど。憲法というのは、先に書いたように国のかたちの根幹を規定する法律、別の言い方をすれば「政府をしばる法律」です。個人を縛る法律ではないのです。従って、憲法で個人を縛れなどというのはまったくおかしな話なのです。だいたい、ちょっと考えれば分かることですが、憲法が変ったところで、家族のあり方が変るわけがありません。憲法を変えれば家族の崩壊が食い止められる、と本気で思っているとしたら、阿呆過ぎます。憲法が家族崩壊の主因なら、日本国憲法制定から65年も経ってから家族の崩壊が起こるのはおかしなことでしょう。産経が嘆くような「家族の崩壊」は、はっきり言ってしまえば先進国といわれる国々はたいてい経験していることです。言い換えれば「豊かさの代償」とも言えます。もう一つ、都市化の進行とも関係しているでしょうね。だから、「昔の家族は良かった、昔に戻りたい」と産経が本気で思っているなら、日本が貧しい国に戻らなければ無理なのです。だけど「昔の家族は良かったから、昔の貧しい日本に戻ろう」とは、さすがの産経も言わないわけです。それに、昔はどれだけ「子供を産み育て、老父母の世話をする昔ながらの“義務”」が守られていたのでしょうか。それが守られていたなら、乳母捨て山も嬰児の間引きも、娘の身売りもなかったはずですけどねえ。程度の差はあったと思いますけど、結局のところは潜在的なものが顕在化した、ということではないのか、と思うのです。それにしても、常々思うのは、産経や右翼的思考の持ち主は「自虐史観」を非難して日本に誇りをという割りには、今の日本に対してはとことん「自虐的」で誇りを持っていないんだなあ、ということです。
2012.05.03
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昨日は、最近作った新しいグループの練習でした。まだ、3月に始めたばかりなので一度も人前で演奏したことがないグループですが、演奏したい曲を何曲か持ち寄ったら、その中にエクアドルの曲がありました。エクアドルの曲といえばマンドリンが必須です。さて、しかしマンドリンか・・・・・・我が家にはマンドリンもあるのです。マンドリンといっても、フォルクローレで使われるのは、一般に知られている丸底の楽器ではなく、南米のマンドリンはギターと同じような平底ですけれど。ボリビア製で、2001年にボリビアのラパスで購入しました。少し前にYouTubeにアップした多重録音の演奏に使ったことがありますが、10年間、ほとんど押し入れの肥やし状態になっていました。一度弦を張り替えたことがあるのですが、ボリビアで購入した交換弦は劣化していて、張り替えようとすると全部弦が切れてしまいました。やむなく、日本のクラシックマンドリン用の弦を買ってきたのですが、マンドリンの弦はギターの弦より高価な上に、2組必要なのです。普通のマンドリンは8弦(4コース複弦)なのに、ボリビアのマンドリンは12弦(4コース3複弦)もあって弦が多いからです。で、結局昨日の練習にはこのマンドリンを持っていきました。マンドリンの練習なんてほとんどしたことがないし、ピックを使った奏法やトレモロは苦手なのです。だから、ちゃんと弾けるかどうかは自信がなかったのですが、いざ弾いてみたら、案外何とかなるものですねえ。思い返すと、マンドリンの練習なんてほとんどしたことがないけど、一時期バイオリンを練習したことがあります。音階練習だけで挫折してしまいましたけどね。バイオリンとマンドリンは調弦はまったく同じなので、挫折したとはいえ、バイオリンの音階練習は、多分マンドリンの役に立ったのだろうな、と思います。実用的な話をすると、マンドリンはギターより小さい。だからギターを持っていくよりは少し身軽になれます。(もちろん、他のメンバーがギターを持ってくるなら、という前提の上での話です。マンドリンがなくてもフォルクローレはできますが、ギターがなくては話になりません)それにしても、ケーナ・サンポーニャ・ギター・チャランゴ・フルート・マンドリン・・・・・・(挫折したけどバイオリンも)、フォルクローレって音楽は、本当にいろんな楽器を使うものだなあと、改めて実感。
2012.05.01
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