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先週の木曜から土曜まで、家族で八ヶ岳山麓に行ってきたのですが、その際、行き帰りの列車内で元福島県知事佐藤栄作久の「福島原発の真実」(平凡社新書)を読みました。「えっ、まだ読んでいなかったの」と言われそうですが、実は読んでいなかったのです。読んでみて、驚きました。かつて自民党の参議院議員で、自民党に担がれて福島県知事になった人が、国(経産省)や東京電力に対して、ここまで戦ったという事実に対してです。それだけ、原発の「裏側」は醜悪だったということです。もう一つ、この本を読んで「そうか!」と気がついたことがあります。プルサーマル計画に反対する佐藤知事が、六ヶ所村の再処理施設を抱える青森県から批判を受けた、という話です。核燃料サイクルをグル問題点は、過去何回か記事を書いたことがあります。何故、このときに撤退しなかったのかここにも危険きわまりない原発が使用済み核燃料からプルトニウムを抽出して再利用するのが「核燃料サイクル」ですが、実際にはなまったくの絵に描いた餅に過ぎないのが現状です。プルトニウムを使う原子炉の本命だった高速増殖炉「もんじゅ」は完成以来20年間、ほとんど稼働していません。プルトニウムは原爆の原料になるので、その在庫を持たないことが日本に課せられた責務となっています。しかし、高速増殖炉がないとプルトニウムの使い道がない。使い道がないなら再処理などやめて核燃料サイクルなど放棄すればいいのですが、日本はそうせず、プルサーマル、つまり通常の軽水炉で、MOX燃料をウラン燃料と混ぜて使っています。そんなことをやったって、プルトニウムの使用量はたかが知れているんですけどね。だいたい、六ヶ所村に建設された再処理工場だって、2兆円もの予算をつぎ込んで、まだほとんど稼働していないのはリンク先の過去記事に書いたとおりです。コスト的には、とても採算が合わないような代物です。そのプルサーマルに反対した佐藤知事は、原子力村から総攻撃を浴びて、最終的にはスキャンダルによって知事の座を追われました。なんでそこまでして核燃料サイクルにこだわるのだろうかと考えると、理由の一つは、核武装の下準備ではないかと疑らざるを得ません。しかし、それだけがすべてではないことに、この本を読んで気がつきました。今や日本のプロトニウム保有量は、数十トンに達しています。長崎型原爆は、10キロにも満たないプルトニウムで22キロトンの爆発力を得ていますから、日本の保有するプルトニウムは、すでに長崎型原爆に換算すれば数千発分にも相当するのです。核兵器を作るにはすでに十分すぎるプルトニウムの在庫があるわけで、それでもまだ再処理によるプルトニウム抽出にこだわるのは、必ずしも核武装への布石が目的のすべてではないでしょう。ではもう一つの目的は何かというと、結局は問題の先送りのため、ということでしょう。何度も書いているように、日本は使用済み核燃料の最終処分場が決まっていません。いや、日本だけではなく、フィンランドを唯一の例外として、世界のどこの国でも決まっていないのですが。(米国は一回決まったが、後に白紙撤回された)では、実際使用済みの高レベル廃棄物はどこの保管されているかというと、青森県六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターです。ここは、中間貯蔵施設とされており、つまり六ヶ所村は高レベル廃棄物の一時保管は受け入れるけど、最終保管場所は嫌だと言っているわけです。どう考えたって、中間貯蔵施設を受け入れたら最終処分場の候補地としても狙われやすいと思うんですけど、中間貯蔵施設受け入れのためにもらえる補助金が魅力だったのでしょうか。核燃料サイクルを掲げていれば、使用済み核燃料はまだプルトニウム抽出のための原料ですから、廃棄物ではない、ということになります(もう、すでにプルトニウム抽出後の高レベル廃棄物の保管も始まってはいますが)。最終処分場の問題は、しばらくは先送りできる。しかし、核燃料サイクルをやめると、使用済み核燃料はただの高レベル放射性廃棄物ですから、最終処分場の問題を先送りできなくなります。六ヶ所村と青森県も、自分のところが最終処分場にされるのが嫌だから、この問題は先送りしてほしい。だから、佐藤栄作久がプルサーマルに抵抗することに、最終処分場を受け入れたくない六ヶ所村と青森県が反発するわけです。(再処理工場受け入れに伴う補助金が消えることも、反発の一因でしょうが)どう考えても破綻している核燃料サイクルに、日本がそれでもこだわる理由の一つが、この最終処分場を巡る問題の先送りのためであるようです。再処理しようが何しようが、最後には必ず高レベル廃棄物は残るのです。たとえ今すべての原発を廃炉にしても、これまでも廃棄物は残る。先送りしているうちに問題が消滅するならいいのですが、そうではありません。それにしても、「トイレのないマンション」とはよく言ったもので、廃棄物をどうするか考えないままで、それでもなお原発推進なんてのは、場当たり主義の極みとしか言いようがありません。まあ、中には高レベル廃棄物は日本海溝に投棄すればよいなどと、キチガイじみたことをいう評論家もいますけど、そんなことが絶対不可能であることは明白です。
2012.07.31
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昨日の脱原発国会大包囲に参加してきました。いや、実は家庭の都合でその前段の集会とデモ行進だけ参加して、国会包囲には参加できなかったのですが。だって、夕飯は家で食べると言い置いて出かけたのに、国会包囲が午後7時半からでしたから。すでに結構な人が集まっていました。ただ、7月16日の代々木公園の集会と比べると、だいぶ人数は少ないかな。今回の集会参加者数は、主催者発表で20万人、警察の情報では1~2万人とのことですが、これは国会包囲の参加者数だろうと思います。日比谷公園での集会の段階では、1万人にも届いていなかったと思います。とはいえ、すごい人並みであることは確かです。これは、全体のごく一部です。キューバ国旗にゲバラの顔を刷り込んだ旗があったので、思わず撮ってしまいました。先ほどのキューバ国旗とはまったく別の位置で、ゲバラの旗を掲げている人がいました。"Hasta la victoria siempre" 「いつも、勝利に向けて」「原発に反対する在日フランス人」だそうです。フランスは原発の発電比率が世界一高い国です。他国でやっていない出力調整運転までやっているし。原発の深刻な事故は、スリーマイル(米国)・チェルノブイリ(旧ソ連)・福島(日本)と来ているので、順番で考えると次の事故はフランスで起こる可能性が高いような気がします。原発問題に関しては、保守系・右翼系の間で意見が分かれていると聞きます。小林よしのりとか、かの「行動する保守」と称する狂犬右翼の西村修平なども反原発を主張しています。反原発集会にも、日の丸を掲げる保守系・右翼系の参加者が、数は多くないものの、必ず一定数存在するようです。まあ、別に日の丸を掲げるから右翼ってわけでもないのですが(私は個人的には日の丸は嫌いじゃないし、日の丸を背にして演奏したこともあるけど、勿論右翼でも保守でもないです)、この種の集会にあえて日の丸を掲げて参加しようというのは、やっぱり保守系・右翼系の人が多いのは間違いないでしょう。日の丸を掲げて集会に参加する集団を毛嫌いする人もいるのですが、私はいっこうに構わないと思っています。前述のとおり、私は本質的には日の丸は嫌いじゃないし、「脱原発」を本気で実現しようと思ったら、イデオロギーを越えて、できるだけ幅広く賛同を得られるようにしなくては無理と思っていますから。さて、そうこうしているうちに、5時過ぎにやっとデモに出発しました。で、出発してすぐに遭遇したのが、先ほどとは別の、日の丸を掲げる集団です。在特会と、その周辺団体の連中です。桜井がいるかと思って探したのですが、分かりませんでした。YouTubeの動画によく出てくる、声が甲高くて口汚い女性が、今回も「左翼!キチガイ!」とトラメガで叫んでいました。はっきり言って、ボキャブラリーが貧困。それにしても、先ほどの「反原発右翼」の人たちと彼らの間では、いったいどういう応酬になったのか、いささか興味があるところです。経産省前。聞くところによると、デモ隊の先頭が通りかかったときには、ビルのあちこちで電気がついていたのに、デモ隊が接近したとたんに、ぱーっとみんな電気が消えてしまったそうです。デモ隊は、日比谷公園から東電本社と経産省、新橋付近を巡って再び日比谷公園に戻ってきました。そしていよいよ国会包囲なのですが、前述のとおり、私は時間切れで、国会に向かう途中で隊列を離れて帰宅しました。日比谷公園の集会より、どう考えても人数が増えている。集会を抜かして、国会包囲だけに参加した人が、相当数いたようです。逆に、私のように集会とデモだけで帰宅した人もある程度いたはずです。日曜の夕方ですからね。なんにしても、この声が国会の中の人たちに、少しでも響けば良いんですけどね。大きな音、ではなく声としてね。
2012.07.30
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7.29脱原発国会大包囲---脱原発デモ:政党は距離感つかめず毎週金曜日夕方に、東京・永田町の首相官邸前で行われる原発再稼働への抗議行動に対し、各政党に危機感が高まりつつある。自発的に集まる人々がほとんどで、政党側には意思疎通のパイプがない。矛先が既成政党全体に向かうきざしもあり、「なめたらえらいことになる」(自民党幹部)という声も出ている。自民党の谷垣禎一総裁は、26日の記者会見で抗議行動について「不安を表現する道を探している人がたくさんいる。その不安感の根底にあるのは何か。そういう不安を払拭(ふっしょく)するのは、どういう立場にあっても政治の大事な仕事だ」と厳しい表情で語った。政府が原発の再稼働を進める方針は揺るがず、自民党も再稼働の必要性を認める立場だ。電力総連出身の民主党参院議員は「原発を止めれば料金も上がる。好き嫌いで語る人に説明しても理解されない」と突き放す。しかし、数万人単位の参加が続き、政党側も無視できない状況になり始めている。公明党の井上義久幹事長は27日の記者会見で「国会論戦で考え方を理解してもらうのが基本だ」としながらも、「国民の声のひとつの表れとして真摯(しんし)に受け止める」とつけ加えた。---首相官邸前の抗議行動が、次第に無視できない政治的効果を与え始めているようです。それにしても、「電力総連出身の民主党参院議員は『原発を止めれば料金も上がる。好き嫌いで語る人に説明しても理解されない』と突き放す。」そうですが、突き放されているのがいったいどちらなのか、よく考えた方がいいでしょうね。原発に反対している人間の考え方は千差万別でしょうが、事故の危険性や高レベル廃棄物の保管の問題といったリスクに基づいて反対している人が大多数であって、それを「好き嫌いで語っている」としか見られない人には、それこそ何を言ったって無駄と、こっちが「突き放したい」気分です。このような議員に対して言うべき言葉は、次の選挙で落選してくれ、ということだけ。いや、私がそんなことを書かなくても、次の選挙で民主党が大敗することは間違いないですが。引用されている発言を見る限りでは、他の各党(自民党も含め)の議員の発言の方が遙かに良識的です。(あくまでも、引用されている発言内容に関してだけの話です。自民党が原発推進に果たしてきた役割は、民主党よりずっと重い)ちなみに、電力総連出身の民主党参院議員というのは誰かと調べてみたら、小林正夫と藤原正司の2人が該当するようです。どちらが発言したのかは分かりませんけれど、2人とも民社協会(旧民社党・同盟系)所属だそうです。いかにも、という感じではあります。いずれも比例区で、小林は2016年、藤原は2013年の改選です。それにしても、たった3年前の、あの政権交代はいったい何だったのかと思います。私は、元々民主党など自民党の亜流でしかないと思っていたので、期待も幻想もほとんど抱いてはいませんでしたが、それでも、マニフェストの内容は(細かいところはともかく)大筋において賛同できるものが多かった。マニフェストのすべてが実現できるなんて幻想は、ハナからもってはいませんでしたけど、2~3割でも実現できれば立派だと思っていました。でも、結局民主党が政権を取って何を実現したのでしょうか。いろいろ考えてみたのですが、「私が賛同できる政策」としては高校無償化が唯一のものです(他にも子ども手当や高速道路無料化の部分実施などがありますが、これらの政策には、私はあまり賛成ではない)。鳩山首相は、掲げた政策を実現するための資質が根本的に欠けていて、実にがっかりしましたが、それでも掲げていた政策の理念は(大筋で)賛同できるものでした。もちろん、あくまでも「大筋」であって、すべてに賛同できたわけではありませんが※。※たとえば、原発に関しては鳩山政権は「増設」と言っていたはずです。その鳩山が脱原発抗議行動に参加したそうで、それ自体は大いに結構なことですが、自分が首相の座にあったときの原発政策に関して一言謝罪の言葉があってしかるべきではなかったかと思います。その次の菅首相は、民主党として掲げていたはずの政策のほとんどを捨て去ってしまいましたが、それでも震災をきっかけにして脱原発依存という方向に舵を切ったことだけは、賛同できました。しかし、野田首相は、賛同できる面が何もない。今の野田政権に「民主党としての(自民党とは違う)独自の政策」はない。消費税増税しかり、原発再稼働しかり、TPP参加方針しかり、です。要するに、「民主党」という看板を掲げた自民党、あるいは自民党野田派に成り下がっているわけです。自民党と同じ政治を「民主党」という看板に掛け替えただけの自民党の劣化コピーを「政権交代」と言われても、詐欺としか言いようがありません。その挙げ句に「好き嫌いで語る人に説明しても理解されない」というのでは、これ以上がっかりする言葉はありません。
2012.07.29
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木曜日から夏休みをとり、今日まで家族で八ヶ岳山麓の富士見高原に行ってきました。で、例によって途中で私1人で別行動を取り、八ヶ岳に登ってきました。登ったのは、この山です。八ヶ岳の最南端に位置する編笠山(2523m)です。例年、夏休みに家族旅行に行くと、途中で姿をくらまして1人で山に登るのですが、その種の「家族旅行の合間に登る山」の中で、高さだけで言えば最高峰です。泊まった宿(富士見高原のペンション)が、標高1200mあまりなので、そこから山頂まで標高差1300mほど。日帰りで登る高さとしては、まあまあというところでしょうか。予定では、富士見高原-編笠山-青年小屋-西岳-富士見高原というつもりでしたが、諸事情により、結果的には富士見高原から編笠山まで単純往復になってしまいました。チョウセンゴヨウの葉。名前のとおり、朝鮮半島から中国東北の寒冷地に多く分布する五葉松の一種です。日本では、最終氷期に多くの化石が発見されており、その頃には日本中に広く分布していたようですが、現在は中部地方と四国のほんの一部にごくわずかに分布するだけです。八ヶ岳南部はチョウセンゴヨウがかなり多く自生している場所です。同じくチョウセンゴヨウの幹。幹だけ見たら、アカマツと区別が付きません。標高1755mという標識のすぐ近くです。コメツガの葉。亜高山帯針葉樹林の主要樹種です。シラビソの葉。コメツガと並び、亜高山帯針葉樹林の主要樹種。これが、だいたい標高2000m付近です。日帰りなので、荷物はかなり軽く、しかも樹林帯を登っている間は登山道も斜度は緩く、足場もしっかりしているので、我ながら結構なスピードで登っていきました。宿を出たのが8時40分くらい、11時前に標高2200mを越えたので、標高差1000メートルを2時間10分か20分で登った計算です。ところが、森林限界に近づいて、地図に「シャクナゲ庭園」と書かれているあたりに来たら、結構なガレ場が続くようになって、少々ペースダウン。ちなみに、シャクナゲの花に少々期待して登ってきたのですが、残念ながら全然咲いていませんでした。ハクサンシャクナゲもキバナシャクナゲも、だいたい花のシーズンのはずなんだけど、おかしいなあ・・・・・・。しかも、まだお昼前だというのに、雷がゴロゴロ鳴りだしてしまったのです。うーーーん、こりゃまずいかな、引き返した方がいいかな、だけど、森林限界までもう少しだし、このまま引き返すのはしゃくだから、せめて森林限界まで行って考えることにしました。森林限界直下です。このコースで一番きつかった場所がここ。難所、というほどのものでもありませんけどね。なお、お断りしておきますと、この写真以降、森林限界を超えてから山頂に着くまでの写真は、実はすべて下山時に撮影したものです。登りはちょっと雲が多くて(雷が鳴ったくらいですから)写真を撮りませんでした。森林限界を抜けたところです。森林限界直下の「シャクナゲ公園」から、ずっとガレ場、この先山頂までずーっとガレ場です。先ほどの雷が気になったのですが、森林限界を超えてしばらくして気がついたのは、風下の方向で雷が鳴っている、ということ。つまり、雷雲がこっちに近づいてくる可能性はなさそう。なので、そのまま予定どおり山頂に向かうことにしました。樹林帯の下部はそれなりに暑くて、風も通らないのでバケツで水をかぶったくらいの猛烈な汗をかきましたが、森林限界を超えると、さすがに風は涼しい。登っているので汗はかきますが、樹林帯のように滝のような汗ではなくなりました。遠方に諏訪湖が見えたので撮影してみましたが、やっぱり写真では湖はよく分かりませんねえ。山頂まであと少し。登山コースとしては特に難しいわけではありませんが、ひたすらガレ場。で、山頂に着いたのは丁度お昼の12時。山頂に着きました。目の前に権現岳(2715m)がそびえています。もし早朝(朝4時半とか5時とか)に宿を出られれば、多分権現岳まで登れたかも。まあ、家族旅行だからそこまではやりませんでしたけど。南斜面は、だいたい標高2300~2400m付近が森林限界になりますが、山頂の北側は、ほぼ山頂まで、というかそれより高い高度まで樹林帯が続いていることが分かります。つまり編笠山は南側と北側で森林限界の高さが違うわけです。多分、あのガレ場のせいでも南斜面は高木が進出できないのでしょう。八ヶ岳連峰の全容です。左端が阿弥陀岳(2805m)、その隣奥側が横岳(2829m)、その隣が八ヶ岳の主峰赤岳(2899m)、右端が権現岳です。権現岳以外は、10年くらい前に全部登ったことがあります。赤岳のアップです。今年の2月に硫黄岳から赤岳の写真を撮ったことがあります。このときは、北側から赤岳(横岳・阿弥陀岳も)を撮りましたが、今回は南側からの撮影です。(季節も違うけど)山頂南側には雄大な南アルプスがそびえ立っている・・・・・・のですが、残念ながらこのとおり。雲が多くて、全然見えませんでした。一つ誤算だったのは、編笠山の山頂には花がほとんどなかったことです。八ヶ岳は高山植物の豊富な山ですが、花が多いのは硫黄岳から赤岳にかけてで、編笠山は例外みたいです。その中で、唯一目に付いた花がこれ。タカネバラです。西岳(2398m)。当初予定では、この山を越えて下山するつもりでした。しかし、実は登っている間、ちょっと腰が痛かったのです。もちろん、それほど深刻な痛みだったわけではありませんが(深刻な痛みだったらこんなハイペースでは登れない)。しかし、ここからさらにいったん下って、また西岳まで登り返して、さらに下って・・・・・・さすがにキツイかなあ。コースタイムでも、編笠山から直接下るより1時間以上余計にかかるし、何よりあっちの山は森林限界を越えていないのが一目瞭然だから、編笠山ほど視界は広くないだろうし。そんなこんなを考えて、西岳を回ることは諦めることにしました。たので、編笠山の山頂にはずるずると1時間近くもいました。その間に次第に天気がよくなり下山時の方が登りより天気がよくなったのは前述のとおりです。そうそう、例によってケーナを持っていったのですが、山頂では結局吹きませんでした。その代わり、下山時に吹いた。森林限界より上のガレ場の途中で1回と、樹林帯で2回。ガレ場は、風に息を流されるので、風下の方に向かって吹きましたが、それでも低音域はなかなか厳しいものがありました。しかし、樹林帯で吹いたら、びっくりするくらい音が伸びた。持っていったケーナは、去年10月に福島県川俣町の「コスキン・エン・ハポン」で購入した木製のケーナです。肉厚が厚くて若干音が出しにくい上に、ちょっとピッチが高めなので、グループでの演奏には使いにくいのですが、とてつもなく音量が出るのです。屋外で吹くと、本当に音がとおる。これは、魔笛かも知れない。それにしても、登りは一心不乱のハイペースで登り続けたのに、下りはあっちでケーナを吹き、こっちで写真を撮り、おやつを食べ、わき水に寄り道して、とやっていたら、宿に戻ったのが午後4時過ぎ。つまり登りと下りで所要時間があまり変わりませんでした。フィルムの一眼レフでも撮影したので、その写真も後日アップします。
2012.07.28
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日本財団会長・笹川陽平 漂着物処理に自衛隊を派遣せよ東日本大震災から1年4カ月。大津波で太平洋に流出したがれきが米国やカナダの西海岸に本格的に漂着し始めている。漂着物はたどり着いた国が処分するのが原則で、国際法上、日本に回収義務はない。しかし、大震災で日本は、米国の「トモダチ作戦」をはじめ世界各国から多大な人的・物的支援を受けた。今度は日本が行動で「感謝」を示すときである。目に見える行動こそ必要それには自衛隊の派遣に勝る策はない。東北の被災地と同様、漂着地で自衛隊と米軍がともに汗を流す姿が再現されれば、日本の誠意は米国民に伝わり、大災害における両国の末永い協力関係も確立する。その際は、われわれ日本財団もNPO(民間非営利団体)やボランティアを現地に派遣して全面的に協力する用意がある。東日本大震災では岩手、宮城、福島3県だけで2000万トンに上るがれきが発生し、うち約500万トンが津波で太平洋に流出した。内閣官房総合海洋政策本部のシミュレーションによると、このうち7割は近海に堆積、残る150万トンも偏西風に乗って漂流する間に大半が海中に沈むが、最終的に4万1300トンがアラスカ州からカリフォルニア州にかけた北米大陸の西海岸に漂着する。(中略)漁船は米沿岸警備隊が撃沈し、浮桟橋の処理にはオレゴン州が9万ドル(約720万円)を支出、米海洋大気局(NOAA)は今月、アラスカ、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、ハワイの5州に清掃費名目で計25万ドル(約2000万円)を拠出すると発表した。しかし、各州に対策費の備えはなく、米議会からは「日本に費用分担を求めるべきだ」といった声も出始めた。まず首相が意思表示を日本政府にも回収費用の一部負担を検討する動きがあるようだが、賛成しかねる。1991年の湾岸戦争で日本は130億ドルもの巨費を拠出しながら、国民の納得も外国の評価も得られなかった。理解と協力を得るには、目に見える具体的な行動こそ重要である。海外の災害では99年のトルコ北西部地震、2001年のインド西部地震、10年のパキスタン洪水などでも自衛隊が派遣されている。根拠となる「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」は、対象を「海外の地域、特に開発途上にある海外の地域」「大規模な災害」とするとともに「(当該国の)政府又は国際機関の要請」を派遣の前提としている。「米国が対象地域に含まれるか」「がれきの漂着が大規模災害に当たるか」「米国政府が果たして派遣を要請するか」といった疑問もあるようだが、法律が合わないのなら新たにルールを作れば済む。広範かつ長期にわたる膨大ながれきの漂着は、大災害以外の何ものでもなく、手を取り合って処理に当たれば、間違いなく日米両国民の信頼は強化される。まずは野田佳彦首相が自衛隊派遣の必要性と派遣に向けた明確な意思を表明すべきである。(以下略)---またまた産経新聞の記事(寄稿)です。書いた笹川陽兵にもね載せた産経にも驚くほかありません。自衛隊を災害派遣のために米国に送り出せ、というのですから。自衛隊(外国の軍隊)が米国本土で活動することを、米国が好ましく思うはずがないと私は思うのです。かつて、ハリケーン「カトリーナ」によって甚大な被害が生じたときだって、お金の援助はありましたが、いかに災害派遣とはいえ軍隊を米国に送り込んだ国は一国たりともなかったはずです。(消防など非軍事分野の災害救助隊については分かりませんが)米国は、世界中の国々に軍隊を駐屯させています。日本しかり韓国しかり、イギリス、ドイツ、等々。しかし、米国に軍隊を駐屯させている国は世界に一カ国たりともありません。「貴国の安全を守るためにね我が軍を駐留させましょう」などという申し出があったとしても、「いりません」と言われるに決まっているのです。ま、ここまではあくまでも私の推測です。しかし、漂着物の回収のために自衛隊を派遣してほしい、などと米国が求めていない、というのは明白な事実です。笹川も認めているとおり、国際緊急援助隊の派遣に関する法律は派遣対象を「海外の地域、特に開発途上にある海外の地域」「大規模な災害」とし、「(当該国の)政府又は国際機関の要請」を前提にしています。大前提である派遣要請がないにもかかわらず、「法律が合わないのなら新たにルールを作れば済む」という言いぐさには、開いた口がふさがりません自分が必要だと思えば、相手から求められなくても軍隊(自衛隊)を送り込むべきだ、なんてのは唯我独尊の善意の押し売りでしかありません。国際協力の基本は、他国に求められたら、その求めに応じることでしょう。勿論、無政府状態などで、政府として統一的に援助を求めることができないような場合はその限りではない(代わりに国際機関が援助を求める)としても、米国がそのような無政府状態の国でないことはいうまでもありません。そんな行為によって本当に「日米両国民の信頼は強化される」と本当に信じているのでしょうか。そうだとしたら、さすがに「世界は一家、人類は皆兄弟」などというお題目を唱えていた笹川良一の息子だけのことはある、と思いますね。もっとも、さらにもう一歩深く考えてみると、この手の「善意の押し売り」で他国に軍隊を送り込み続けてきた国の代表が、他ならぬ米国であるわけです。そういう側面から考えると、自衛隊を米国に災害派遣というのも面白いかも知れないと、思わないでもありません。まあね受け入れてくれるはずがないので机上の空論ですが。
2012.07.25
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産経抄7月21日いまどきのおしゃれな文化人になるためにはどうすればいいのだろうか。若いときに電気をふんだんに使ったコンサートをやって人気者になり、ニューヨークの高級マンションに住む。もちろん税金は大好きな米国に払って日本には払わない。▼菜食主義を一度は試し、電気自動車のコマーシャルに出る。還暦を過ぎれば流行の「反原発デモ」の先頭に立って、アジ演説をぶって拍手喝采される。目立ちたいのは文化人の業だが、もう少し本業に専念しては、と望むのは古くからのファンのないものねだりだ。▼いままで書いてきたのは架空の人物の話。ただ、ミュージシャンの坂本龍一さん(60)が、16日に17万人集まったと称する(実際は7万5千人程度だったが)反原発集会での演説は、おしゃれな文化人そのものだった。▼彼は、「たかが電気のために、この美しい日本の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」とのたまった。確かに、たかが電気である。命には代えられない、と思わずうなずきたくなる甘いささやきではあるが、「たかが電気」がどれだけ多くの命を救ってきたことか。▼東日本大震災でも17年前の阪神大震災でも真っ暗だった被災地に明かりが蘇(よみがえ)ったとき、どれだけの人々が感涙にむせんだことか。大震災直後の昨年春、たかが数時間の計画停電で、病院に影響が及び、どれだけの病人が困ったかを坂本教授は知らないのだろう。▼昨日の首相官邸周辺でのデモには鳩山由紀夫元首相も参加した。原発への恐怖心を利用して騒ぎを大きくしようと画策する左翼団体や金持ち文化人、それに選挙目当ての政治屋どもに踊らされていることに参加者はそろそろ気付かれた方がいい。---例によって惨傾新聞、いや産経新聞のヨタコラムです。「いままで書いてきたのは架空の人物の話」って、ウソも大概にしろよって感じです。このコラムに限らず、坂本龍一の「たかが電気」発言が各方面で批判を浴びているようです。私は、この集会に参加していたので、問題の発言を生で聞いています。メイン会場は人が多すぎて入れなかったのですが、スピーカーから流れている声だけは聞くことができました。「言ってみれば、たかが電気です」という発言も、確かに聞こえました。私も、発言の最初からちゃんと聞いていたわけではないので、一瞬このフレーズにはびっくりしました。でも、その後を聞けば、まったくおかしな発言ではない。ただ、前後関係を切り離してこの単語だけを取り出して、批判する奴がいるかも知れないなとそのとき思いました。案の定の反応です。参考までに、演説の動画をYouTubeから貼り付けます。坂本龍一の発言は30秒過ぎから、「たかが電気」発言は4分20秒頃からです。その前あたりの部分からの発言の要旨です。長期的にはなりますが、すぐ止めろと言っても止めないので、我々にできることは何かといえば、電力会社への依存を少しでも減らしていくと言うことですね。こういう考が彼らにもプレッシャーとなって彼らに届きますし、電力会社の料金体系の決め方の問題とか、発送電の分離とか地域独占とか、そういうものがどんどん自由化していけば、原発に頼らない電気を我々市民が選ぶことができるわけです。また、家庭や事業所が自家発電をしていくと、そうやって電力会社への依存を減らせば、私たちのお金が電力会社に行って原発などの施設になるわけですから、そういうところに払うお金を減らすことが大事だと思っています。それで、言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のために、なんで命を危険に晒さなければいけないんでしょうか。いつ頃になるか分かりませんが、2050年くらいには、電気などというものは、各家庭や事業所や工場などで自家発電するのが当たり前、常識という社会になっているという希望を持っています。たかが電気のためにこの美しい日本、そして国の未来である子どもの命を危険に晒すようなことは、するべきではありません。お金より命です。経済より生命、子どもを守りましょう、日本の国土を守りましょう。最後に、福島の後に沈黙していることは野蛮だ、というのが私の信条ですまったくそのとおりだと私は思います。坂本龍一が、電気なんていらないと言っているわけではないことは一目瞭然です。手段と目的を取り違えてはいけないのです。確かに電気は現代文明を維持する上で非常に重要な要素です。しかし、それはあくまでも人間の幸せな生活という目的のために必要な「手段」なのです。坂本龍一は「お金より命、経済より生命」と書きますが、勿論人間が生きていくためにお金も経済も大事です。でも、それはあくまでも人間が(幸せに)生きていくための「手段」なのです。それがいつの間にか逆転して、「電気」「お金」「経済」が目的と化して、そのための手段として「人間の命を危険に晒しても仕方がない」ということになったら、本末転倒も甚だしいと言うべきでしょう。産経コラムは「『たかが電気』がどれだけ多くの命を救ってきたことか。」と書いています。まあ、それも事実ではあります。だけど、その電気の供給手段が原子力であらねばならぬ、なんて決まりはないのです。私も「たかが」という言葉を使わせてもらうなら、原発が発電した電気は、たかが3割です。その3割を、ある程度の時間をかけて※0割にもっていくことが、そんなに難しいことか?否、現にこの5月から6月まで0割だったわけですし、この時期を除いても、震災以降の原発の発電割合は非常に少ない。少なくとも、残り7割を占める火力発電(石油の割合は少なく、LNGと石炭が大半を占める)を0にするより、遙かにたやすいことです。我が家の昨年4月から今年3月までの電気使用量は、その前年度に比べて3割くらいは減っています。※坂本のスピーチを聴けば、現実にはすべての原発を廃止するには一定の期間が必要だと認めていることは明らかですし、私自身もそれと同意見です。「東日本大震災でも17年前の阪神大震災でも真っ暗だった被災地に明かりが蘇(よみがえ)ったとき、どれだけの人々が感涙にむせんだことか。」ともありますが、果たして本当にそうなのでしょうか。もちろん電気は重要なインフラで、それが復旧することは大事ですが、それが復興のすべてではないし、それだけで多くの人が感涙にむせぶ、というものでもなかったのではないかと私は想像しています。命あっての物種、です。自分と家族の命があって、その上でのその他諸々でしょうし、電気のある避難所と停電している自分の家とどっちの方が良いかっていうと、一概には言えないのではないかと思います。私は被災者じゃないので、実体験に基づいた意見はいうことができないのですけどね。まったく余談ですが、坂本龍一といえば、私にとってはこの音楽ですよ。王立宇宙軍 オネアミスの翼この音楽は坂本を含む4人で担当していますが、この曲は多分坂本の作曲だと思う。(サウンドトラックに入っていないので、確実ではないけれど、多分そう)
2012.07.24
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「いじめ」ゆがんだ糾弾 ネット書き込み過熱、別人標的大津市立中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題で、いじめたとされる少年や学校関係者らを実名で糾弾するインターネット上の書き込みが止まらない。誤った情報もあふれ、無関係の人が標的にされるケースもある。滋賀県警は「看過できない状況だ」と捜査に乗り出した。「人殺しの親族を病院が雇うのか」「今から行くから待っとけ」――。滋賀県栗東市内の病院には6日夜から匿名の電話が殺到した。「加害者の祖父が滋賀県警OB。病院に天下り」という掲示板への投稿がきっかけらしい。芸能人のブログにも引用され、一気に広まったとみられる。「いじめ問題と一切関係がありません」。職員が説明しても聞く耳を持つ人はわずか。一方的に話して電話を切る。「言い分はわかった。でもネットが事実だと思う」と言い残す人も。電話は最初の3日間だけで200件。ほかに無言電話が500件。救急患者の受け入れにも支障が出そうになった。メールなどでの抗議は200通を超えた。名指しされた病院職員の男性は元警察官で、中学校近くの交番に勤めたことはある。しかし、生徒とは全く無関係で、7日、県警に名誉毀損(きそん)容疑で被害届を出した。「貴女の顔に濃硫酸をぶっかける」。大津市内の女性のもとには19日と21日、ワープロ打ちされた封書の手紙と手書きのはがきが相次いで届いた。県警によると、インターネットにさらされた「加害少年」と名字が同じで、それぞれ東京都と静岡県内の郵便局の消印があったという。19日には、やはり名字が同じ別の男性にも「お前に殺された」と手書きのはがきが届き、大津署がそれぞれ脅迫容疑で捜査している。 ---大津市のいじめによる自殺問題、いじめたとされる同級生たちの行状は、読めば読むほど腹立たしい思いです。私も子どもをも親ですから、もし自分の子があのようにいじめられて自殺に追い込まれたらと思うと、慄然とします。同時に、逆にもし自分の子がいじめる側に回って、人を自殺させるようなことになったら・・・・・・、これもまた慄然とします。中学生のいじめは、いじめる側もいじめられる側も紙一重のところがあります。ほんのわずかな偶然で、いじめの標的が誰になるか分からないし、いじめっ子の中の一員がある日を境にいじめられっ子に、ということもあるし、それまでいじめの標的になっていた子が、いじめの標的が他の子に変わったとたんに、そのいじめの尻馬に乗っていた、なんてこともあります。私自身は、かろうじていじめっ子にもいじめられっ子にもなりませんでしたが、いじめられっ子一歩手前の危ういことが何回かありました。子どもの頃の私は、どちらかというと内向的で引っ込み思案でしたから。そういう意味では、加害者の中学生もさることながら、いじめの状況に見て見ぬふりをした(と報じられている)学校にも大きな問題があったのだろうと思います。ただ、あくまでも報道(とネット情報)のみですから、真相がそのとおりなのかどうかというところが気になりますけれど。それはともかくとして、この騒動はあちこちに飛び火して、いじめっ子とたまたま同じ名字というだけの無関係な人たちが、デマに踊らされた人たちから激しい嫌がらせを受ける事態になっています。これもまた酷い話です。インターネットには国境がありませんから、こういう事態が起こったとき、周辺住人とか関係者という枠を越えて、止めどなくいくらでもバッシング行為に参加することができてしまいます。歯止めも限界もない。1人1人は軽く登山道から足を踏み外しただけのつもりでも、それが何百人何千人と続けば登山道脇のお花畑は丸裸になってしまう。それと同様に、1人1人は軽く「電凸」したつもりでも、それが何万人何千人も集まれば、標的になった人の生活に致命的な影響を与えます。その「社会的制裁」がいじめっ子本人に向かうのは、ある程度自業自得の面もありますが(それだって、程度というものはある)、あらぬ他人が巻き添えを食うのでは、たまったものではありません。これもまた立派ないじめです。しかも、学校や地域でのいじめは、犯人が誰かが分かっているわけですが、この種のネット起点のいじめは、犯人が誰かが分からない。これは、標的になる側は恐怖です。記事によれば「言い分はわかった。でもネットが事実だと思う」と言い残す人もいるとか。「ネット上で真実を知った」人たちというのが、特にネットウヨク系には多い。もちろんネットウヨクだけではなく、イデオロギーを問わずある程度は存在するようですが。自分の頭で考えずに、ネット上の「真実」を検証なしに信じてしまう人たちというのは、どうしようもないなあと思います。「信じる」ところまでは本人の自由ですが、その挙げ句に、自分自身がいじめっ子になっているのでは、どうしようもありません。
2012.07.23
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日時 8月18日(土) 第1部 午後6時30分/第2部 午後8時会場 港区赤坂 アンベ・クアトロ料金 2000円 料理(ラテンセット)付・ドリンク別・チャージ等はなし出演 ブランカ・ロサ(第1部)・キラ・ウィルカ(第2部)※追記 8月7日時点で、予約が満杯になったとの連絡をいただきました。まだ予約されていない皆様、申し訳ありませんが、次の機会に。今回は、ジョイントライブです。キラ・ウィルカとしては演奏曲目を9曲(他にブランカ・ロサとの合同演奏1曲)用意していますが、そのうち3分2には新曲という、無謀な挑戦・・・・・・。そうそう、PA付の場所なので、マイクを使って演奏します。最近生音でのライブが多かったので、PAを使うのは久しぶりです。正直言って、50人前後の会場なら、笛とギターに関してはマイクなしでも演奏可能なのです。(私のギターは、腕前はともかく音量だけはでかいのですケーナ・サンポーニャは言うに及ばず)ただ、歌だけは、お客さんの数が多いとちょっとね・・・・・。1人でギターで弾き語りをしても、自分の歌が自分のギターでかき消されてしまうのですから、どうしようもありません(声が小さいのか、ギターがでかいのか、多分両方でしょうけれど)---それとは、まったく別のフォルクローレの宣伝も一つグルーポ・ノルテ・ポトシ 初来日公演9月14日(金)午後6時30分開場/7時開演9月15日(土)午後1時30分開場/2時開演場所 R'sアートコート(労音大久保会館内)主催 東京労音入場料 前売4000円/当日4500円詳細はこちらボリビアのポトシ北部地方は、かつて銀鉱山で世界史にその名を残し、フォルクローレを代表する弦楽器チャランゴの発祥の地と目されています。この地域の民謡を専門に演奏する「グルーポ・ノルテ・ポトシ」の初来日公演です。※北ポトシの民謡は、かなり癖が強いので、好みは分かれるかも知れません。ケーナやサンポーニャなどの笛類はほとんど使われません。
2012.07.22
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線量計に鉛板、東電下請けが指示 原発作業で被曝偽装東京電力が発注した福島第一原発の復旧工事で、下請け会社の役員が昨年12月、厚さ数ミリの鉛のカバーで放射線の線量計を覆うよう作業員に指示していたことがわかった。法令で上限が決まっている作業員の被曝(ひばく)線量を少なく見せかける偽装工作とみられる。朝日新聞の取材に、複数の作業員が鉛カバーを装着して作業したことを認めた。役員は指示したことも装着したことも否定している。厚生労働省は、労働安全衛生法に違反する疑いがあるとして調査を始めた。朝日新聞は、福島県の中堅建設会社である下請け会社「ビルドアップ」の役員(54)が偽装工作したことを示す録音記録を入手した。昨年12月2日夜、作業員の宿舎だった福島県いわき市の旅館で、役員とのやりとりを作業員が携帯電話で録音していた。役員はその前日、作業チーム約10人に対し、胸ポケットに入るほどの大きさの線量計「APD」を鉛カバーで覆うよう指示した。だが3人が拒んだため、2日夜に会社側3人と話し合いがもたれた。役員は録音内容を否定するが、この場にいた複数の作業員が事実関係を認めている。---これが、この下請け会社だけの問題なのか、他にも同様の例があるのかは、私には分かりません。しかし、鉛板という面倒な手段ではなく、もっと単純に線量計を付けないで作業するというやり方がまかり通っていることは歴然たる事実です。しかも、驚くべきことに、昨年7月には、当時の経産大臣海江田万里が、「線量計を付けずに作業するのは日本人の誇りだ」などと公言しているのです。大臣がが率先して「作業員の被曝量をごまかせ」と言ったにも等しいのですから、そりゃこういうことをやろうとする会社が出てくるのも当然の話です。「私も、被ばくした」――蓮池透が語る、原発労働の実態私は福島第1原発に、計7年ほどいた。そして、被ばくもした。通算で90~100ミリシーベルトほど、あびている。もう私の命もあまり長くはないかもしれない。現場では放射線量をたくさんあびた人間は「女の子しか生まれない」という噂がある。私も子どもが3人いるが、全員女の子。もちろん噂話のレベルだが、このほかこんな実話がある。作業員は放射線の異常を知らせるアラームメーターが鳴ると仕事ができなくなる。なのでアラームメーターを外に置いて作業していた。昔は頻繁に、こうしたことが行われていた。つまり、原発の現場で働いている作業員の被曝量として発表されている数値は、まったく信憑性がない、ということです。先日の記事に書いた、将来のエネルギー政策に関する意見聴取会で、中部電力の課長氏は福島第一原発事故で「放射能でなくなった人はいない」と発言したそうです。報道されている限りでは、原発事故の復旧作業現場ではすでに6人の死者が出ていますが、確かに、いずれも被曝が原因の死亡ではない、ということになっています。しかし、発表されている被曝線量に信憑性がないのでは、本当に死因が被曝ではないのかどうかは分からないというしかありません。さらに言えば、被曝による確率的影響(長期的影響)は、1年程度の短い期間では出ない可能性が高いので、「現時点までに」放射能で亡くなった人がいないのが仮に事実だとしても、将来にわたって放射能で亡くなる人がいないと断定することなど不可能なのです。さらに言えば、直接の被曝による死者はいなくても、被曝の影響から逃れる過程での死者(避難所での死亡)は大勢出ています。事故から1年3ヶ月経った先月の時点でも、原子炉建屋内の最高放射線量は毎時10シーベルト以上に達しているたと報道されています。20分弱で半数死亡、40分あまりで全員が死亡する放射線量です。建屋内とはいえ原子炉格納容器の外側に、それほどの高濃度の放射能がまだ残っているのです。そしてそれほどの放射能と隣り合わせで作業しているにもかかわらず、線量計を外したり、鉛板で覆ったりという不正を行っているのでは、今後作業員からどれだけの死者が出るか分かったものではありません。
2012.07.21
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エネルギー聴取会 多様な意見を封殺するなエネルギーと環境の基本政策について国民の声を聞く政府主催の意見聴取会の運営方法が見直された。電力会社社員らが原発利用に関する考えを述べたことが批判されたためで、今後はこうした発言を認めないことにするという。だが、意見聴取会は原発を含めて将来の最適な電源構成を検討する場であるはずだ。電力会社社員が自らの知見を生かし、原発の必要性を訴えることが、なぜ問題視されるのか。野田佳彦政権は、エネルギーに関する多様な意見を封殺することがあってはならない。政府のエネルギー・環境会議は平成42年の原発比率を「0%」「15%」「20~25%」とする3つの選択肢を示した。8月初旬まで全国11カ所で意見聴取会を開く。グループで議論する「討論型世論調査」を経て、来月末には新たなエネルギー政策を決める。15日の仙台市と16日の名古屋市で開かれた聴取会では、電力会社社員が意見を述べた。「原発0%は(経済的に)破綻したシナリオだ」「原発比率は20~25%が望ましい」と主張した。これに対し、脱原発派の批判が集まり、聴取会を担当する古川元久国家戦略相は、首相の指示を受けて「電力会社社員の意見表明はご遠慮願う」と新たに制限する方針を示した。次回から意見表明者に対し、事前に「電力会社社員かどうか」を確認するという。しかし、意見表明は国民の応募を受けて政府が無作為抽選によって決めたものだ。出席した電力会社社員は自ら所属を名乗った上で意見を述べている。原発の安全性などについては技術的知識も必要だ。問題化した「やらせメール」とは全く次元が異なる。政府は、意見聴取や世論調査を「国民的な議論」の一環と位置づけている。それならば、脱原発や反原発だけでなく、原発の維持・推進を求める意見も公平に聞く必要があるのは当然だ。原発利用の3つの選択肢そのものにも、産業界の反発は強い。経団連は、「たとえ25%の原発利用が認められても、経済成長に必要な電力は確保できない恐れがある」と批判している。電源構成は国の将来を左右する重要な問題だ。野田首相は国民の意見を聞きながら、最終的に安価で安定的な電力供給を確保できる道を選ぶ責任がある。----また、例によってネトウヨ新聞いや産経新聞お決まりの原発ムラ擁護記事です。同様の主張は他にもあります。聴取会、いろんな意見を=橋下大阪市長池田信夫ブログ「電力会社の社員に表現の自由はないのか」実に都合のよい主張だなと思いますね。電力会社の社員に表現の自由はないのか、ですって?現実に、ないじゃないかというのが私の答えです。東京電力思想差別事件というものが、かつてありました。リンク先のウィキペディア記事に詳細がありますが、共産党員の社員に対して、東電が賃金や昇格について差別的な取り扱いをした、という事件です。裁判は原告側(共産党員の東電社員)の実質勝訴の和解という決着を見ていますが、東京電力という会社が、社の方針と異なる思想信条の持ち主に対してどういう扱いをするかが、実によく分かる出来事です。もちろん、これは東京電力の話ですが、中部電力や東北電力だって、実情は大同小異と考えて間違いないでしょう。つまり、電力会社の社員は、社の方針と相反する言論の自由を事実上奪われているのに、そのことには目を閉ざしたままで、社の方針と一致する言論の自由だけは擁護しろなんてのは、ダブルスタンダードでしかないのです。いくら口で「個人としての意見」と言ったところで、それは事実上会社の意見の代弁でしかありません。まして、所属会社名を名乗っての発言、それもいずれの例も管理職で、仙台の例に至っては役員だそうです。いったいどこが「個人としての意見」なんだと思います。実際、仙台の事例では、個人の意見ではなく「我が社の見解」を堂々と発表したと報じられています。この意見聴取会は、さいたま市、仙台市、名古屋市の3回しか開かれていません。それぞれ、原発0%、15%、20~25%の3案を支持するものがそれぞれ3人ずつ、計9人が抽選で選ばれて意見を述べるという仕組みになっています。つまり、これまでの3回で27人しか意見を述べていないわけです。そのうち、仙台では1人が東北電力執行役員、もう1人が元執行役員で現在は原発推進団体の理事、名古屋では1人が中部電力課長でもう1人が日本原子力研究開発機構の職員だというのだから、いったいどういう確率ですかと言いたい。全国の10電力会社(沖縄電力含)の、関連会社を含む従業員総数は約20万人です。日本の人口1億2800万人に占める電力会社社員の割合は、0.15%に過ぎません。それに対して、意見聴取会に選ばれた電力会社員の割合は、27分の2、つまり7.4%、元社員と原子力関係企業の従業員も加えると14.8%。異常な割合としか思えません。これが「無作為抽出の結果」だというのだから、笑わせてくれます。産経新聞は「政府は、意見聴取や世論調査を「国民的な議論」の一環と位置づけている。それならば、脱原発や反原発だけでなく、原発の維持・推進を求める意見も公平に聞く必要があるのは当然だ。」と書いていますが、今更何を言っているのかと思います。なぜなら、前述のとおり、この意見聴取会は3つの案それぞれを支持する3人ずつが意見発表すると決まっているからです。電力会社員が排除されると、その分は電力会社員ではない原発推進派(20~25%を支持する意見)に発言の機会が与えられるのであって、20~25%を支持する意見が排除されるわけではないからです。「原発の安全性などについては技術的知識も必要だ」ともありますが、この意見聴取会はそもそも一般国民の意見を広く聞くという趣旨であって、技術的知識を持つ専門家の意見を聞く場として設けられているわけではありませんから、技術的知識は必要不可欠ではないのです。応募の要件にも、技術的知識を持っていること、なんて条件はないはずです。人数制約のないパブリックコメントなら、どんな職業の誰がどれだけ意見を送るも自由です。もちろん、電力会社の社員が「組織票」で意見を送ったとしても仕方がない。だけど、たったこれだけしか発言者の枠がない中で、利害関係者である電力会社員の発言の機会を、ここまで優遇するってのはいったいなんなのかと思います。
2012.07.19
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志賀原発直下「典型的な活断層」「不適格」廃炉可能性北陸電力志賀原発1号機(石川県志賀町)の直下を通る断層が活断層であると指摘されている問題で、経済産業省原子力安全・保安院は十七日、専門家会議を開き、断層の断面図などを再検討した結果、「典型的な活断層の特徴がある」などの意見が相次いだ。保安院が再調査に踏み切る見通しになった。 原発の耐震安全審査指針では、活断層の真上に原発の重要施設を建てることを禁じており、再調査の結果によっては、志賀1号機は「立地不適格」として廃炉を迫られる可能性がある。志賀原発1号機原子炉建屋の南西角には、「S-1断層」と呼ばれる断層が走る。北陸電力は「浸食の影響などでできた断層で、地震とは関係ない」と従来の考え方を説明したが、三人の専門家が「典型的な活断層だ。あきれてものも言えない」と、地震で動く可能性を指摘した。一方、再稼働の準備が進む関西電力大飯原発(福井県おおい町)4号機の建屋直近の断層についても、再検討された。関電は新たに3、4号機増設の安全審査に使った写真を提出したが、いずれも断層の様子が分かりにくく「資料が不十分で安全と断定できない。さらに調査が必要だ」との意見が相次いだ。会議後、保安院の黒木慎一審議官は「複数の専門家から指摘を受けた。重く受け止める。月内に保安院の対応を決める」と発言。両原発の再調査が確実になった。---大飯原発にも敷地内にある破砕帯が活断層ではないかと言われて問題になっていますが、この志賀原発に至っては、敷地内というレベルではなく、原子炉建屋の真下に活断層が走っています。正断層か逆断層か、建てずれか横ずれかは、この図だけでは分かりませんが、いずれにしても、この断層が動けば、原子炉はタダでは済まないことだけは間違いありません。建屋が斜めに傾くか、左右で引きちぎられるか。それにしても、北陸電力は「浸食の影響などでできた断層で、地震とは関係ない」と称しており、保安院は安全審査で「見落とした」と報じられていますが、私はそれは絶対ウソだと確信しています。浸食でできた断層か地震でできた断層かなんてことは、現物を見れば確実に判断できるはずです※。そして現地を見た3人の専門家は、全員一致で「典型的な活断層だ。あきれてものも言えない」と言っている。北陸電力は、原発建設時に、ド素人に地質調査を委託したんでしょうか。いくら何でもそんなはずはありません。おそらく、地質調査で「活断層あり」という報告が出たにもかかわらず、それを握りつぶして建設を強行したのでしょう。で、保安院は、「見落とした」のではなく「見ないふり、気がつかないふり」をしていただけのことでしょう。そうでなかったら、あまりに目が節穴過ぎる。北陸電力は、どういう理由によってかは分からないけれど、とにかくこの場所に原発を作りたかった。おそらくは、地元との関係とか、建設コストの問題とか、その他諸々の「大人の事情」で建設計画が決まって、それを動かせない、あるいは動かしたくなかったのでしょう。だから、安全面の懸念は見ないふりをした、ということでしょう。そして、保安院はそれを黙認した。日本で本格的な商業原子炉が稼働してから、まだ40年ほどしか経っていません。志賀原発に関しては稼働から20年にも満たない。志賀原発が稼働した時点では、まだ阪神淡路大震災も起きていなかったし、この地域が大きな地震に見舞われるの事態を、深刻には考えなかったのでしょう。どんなデタラメをやったって、地震が起こらなければそれが露呈することはないし、しばらくは地震なんてないだろう、と関係者だタカをくくっていた面もあるのではないかと疑っています。原子力「安全神話」の実態はそのようなものだったということです。このようなデタラメな原発は、問題の断層が活断層と確認され次第、直ちに廃炉にならなければなりません。※浸食による断層って何だろうか?と、ちょっと考えてみましたが、おそらく、地層の一部が浸食によって削り取られ、そこに新たな地層が堆積したことによる、地層面の不整合のことを言っているのだろうと思います。そのような地層の不整合と、地震による断層を、地質の専門家が見間違えるわけがないのです。
2012.07.18
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脱原発集会:17万人参加、最大規模に 東京・代々木公園脱原発を訴える「さようなら原発10万人集会」が16日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた。猛暑の中、主催者発表で約17万人、警察当局の集計で約7万5000人が参加。東京電力福島第1原発事故後に広がった脱原発運動の中で最大規模の集会となった。市民団体や労働組合などでつくる「さようなら原発一千万人署名市民の会」が主催。作家の大江健三郎さんや音楽家の坂本龍一さんらが呼びかけ人となった。福島県や、関西電力大飯原発が立地する福井県の住民も参加、毎週金曜日に首相官邸前で抗議行動を続けている市民も加わった。坂本さんは集会で「電気のために子どもの未来を危険にさらすべきでない」とあいさつした。参加者はその後、新宿、原宿、渋谷の3方向に分かれて行進し、「原発いらない」「再稼働反対」などと訴えた。市民の会は昨年9月にも同様の集会を開き、主催者発表で約6万人、警察当局集計で約3万人を集めた。---私も参加してきました。会場の代々木公園は、時々笛の練習に行く場所で、いつもなら原宿方面から行くのですが、今日は原宿からでは人が多すぎてとても無理という情報で、千代田線の代々木公園駅から現地に向かいました。1時過ぎの時点ですでにこの人出です。おおむね、写真右側はデモ出発を待つ人たち、左側はこれから集会に向かう人たちです。メイン会場のサッカー場ですが・・・・・・人混みをかき分けてかき分けて接近しましたが、このあたりが限界、とても中には入れませんでした。もっとも、中に入った人の話だと、外側よりサッカー場の中の方がむしろ空いていたらしいのですが。外側から、望遠で、ステージを撮ってみました。とにかく人が多くて、デモは午後2時から出発だったのですが、何時に出発できるのか想像も付きません。ただ待っていても仕方がないので、道を挟んで対岸の代々木公園内に入って、笛の練習をしていました。待ち時間が長いことは想像が付いていたので、ケーナ、ケナーチョ、サンポーニャ(マルタとサンカ)、フルートと、いつも持ち歩く楽器類は全部持って行ったのです。本当は管楽器ケースに入れていきたいところでしたが、さすがに管楽器ケースをもってデモ行進というのも面倒なので、デイパックに押し込んで、かついでいきました。この3連休は、ちょっと風が強くて、笛の屋外演奏には少々厳しい条件でしたが、風向きが変わる度に風下を向いて吹けば、まあ何とかなりました。1時間くらい練習したのかな、再びデモの出発待ち集団に戻ってみましたが、全然進んでいません。列が動かない・・・・・・どうなっているのかなと、出発地点の様子を見てみました。デモは3コースに分かれています。そのうちの1コースだけでこうですから、3コース全部合わせたら、いったいどのくらいの人数なんでしょうか、想像も付きません。こりゃ、まだまだずっと待つな、という感じです。持っていった水筒が空になってしまったので、飲み物を買いに走りました。野音でも、今回の集会の一環としてイベントをやっていました。デモの出発を待っている間に、近くで誰かがトランペットを吹き始めたので、私も呼応してケーナを吹いていました。あれだけの人混みで、いったいどこまで音が通ったかは分かりませんけど。やっとデモのスタート地点へ。デモの開始は2時だったようですが、私が出発できたのは5時半。その時点で、すでにヘトヘトでした。日が傾いてきたせいもあって、この後、デモ中に撮影した写真は全部失敗。それにしても、とにかく膨大な人数でした。さすがにこの規模になると、一参加者の立場では、全体の規模が想像もつきません。3方向に分かれたデモ隊が、各5列縦隊で、出発に約4時間を要したというだけでも、もの凄い人数ですが、この暑さですから、デモ出発まで待てずに途中で帰った人も、かなりの人数だったに違いありません。この力が、少しでも脱原発への流れにつながっていくことを願っています。
2012.07.16
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・・・・・・三つ星のレストランに食事に行ってきた、と言いたいところですが、そうではなく、三つ星の観光地に行ってきました。つまり、高尾山です。過去数え切れないほどの回数登っている山であり、このブログにも何回か記事を書いたことがありますけど、実はこの三連休、本当は北アルプス方面に出かける予定だったのですが、直前に突発的な出来事があって、昨日は家を空けることができず、今日(昨日の晩から)夜行日帰りで強行することも考えたのですが、まだ梅雨末期の雨が続いていて、中部地方は天気がよくない、どうするか悩んだ挙げ句、今回は遠出を断念して高尾山に行ったわけです。正直なところ、高尾山に登るのに向いた時期とは言えません。どう考えたって暑すぎる。だから、そんなに混んでいないだろうと思っていたのですが、私の読みは甘かった。この暑いのに、あんな暑い山に登る人がこんなに大勢いるとは予想していませんでした。高尾山口駅に着いたのが11時過ぎで、そこから猛ダッシュで登り、行きは途中から自然研究路4号路(北斜面)に入って、山頂に着いたのが12時17分。1時間ちょっとかかった計算です。途中、ロープウェーの終点付近で都心方面の写真を撮りました。スカイツリーはどこでしょうか。湿気が多くて、あまり視界がよくないのでよく分かりませんでした。目一杯の望遠をかけてみましたが、やっぱりよく分かりませんねえ。表参道は舗装されているし、人が多くて「山登り」って感じではないので、山道らしい自然研究路に入ったのですが、こちらも人が多くて、道が細い分追い抜きがしにくいので、表参道を歩くよりむしろ時間がかかったかも。↓山頂です。写真に写っている範囲内だけでも結構な人だかりですが、全体ではもっとずっと多かった。あまりに混んでいるので、さっさと昼飯を食べてさっさと下山にかかりました。下山は、登りとは逆に南斜面の自然研究路3号路をとおりました。こちらは、北斜面とはうってかわって人通りが少なかった。あるいは、時間帯のせい(1時近い時間でしたから、これから登ってくる人は少ない)もあったかもしれません。登りも下りも相当飛ばしたので、頭からバケツで水をかぶったんじゃないかっていうくらいに汗でびしょぬれになりました。実は、昨日の晩10kmほどランニングしているので、そんなにハイペースでは歩けないと思っていたのですが、そんなこともなかったですね。静かだし、うっそうとした森の中の、良い感じの登山道です。何度も通っていますけど、こんなに明るい写真が撮れたのは初めてです。(デジカメの威力ですね)高尾山は、照葉樹林の北限に位置していて、表参道(尾根筋)を境にして、その南斜面は照葉樹林(暖温帯常緑広葉樹林)、南斜面は冷温帯落葉広葉樹林、山頂付近には両者の中間に位置する中間温帯林(暖帯性の針葉樹林)が広がっている、とされています。異なる植生帯の境界線付近に位置しているので、植生が豊富で植物の種類も多い。でも、そういう学術的な話は抜きにして考えても、ミシュランのガイドブックを編集した(おそらく)欧米人の編集者が、この山に三つ星を付けたというのは分かる気がします。東京という超巨大都市から、電車で1時間もかからないところに、まるで熱帯のジャングルのような(高尾山は温帯の森ですが、ヨーロッパ人の基準からは熱帯ジャングルのように見えても不思議ではありません)うっそうとした森と山が広がっているのは、ある種の驚きでしょうから。中間温帯林の代表種、モミの葉です。こちらは落葉樹のコナラの葉。道ばたのアジサイ。我が家にもアジサイは咲いているのですが、そろそろ花は終わりです。が、高尾山のアジサイはまだ満開。やっばり東京23区よりは少し気温が低いんでしょうね。これもアジサイ・・・・・・ですよね。こんな色のアジサイは見たことがないのですが、隣には普通の色のアジサイも咲いていたので、多分間違いないと思うのですが。それにしても、外国人の登山者(高尾山で「登山者」という表現が適切かどうかは分かりませんが)がかなり多いことにも気がつきました。以前はこんなに多くはなかったように思います。ざっと見たところ、中国系、韓国系、東南アジア系、南米系、欧米人と、ありとあらゆる国の人々を見かけました。改めて思い出したのは、日本の国土面積に占める森林の割合は67%以上だという事実です。つまり、日本の国土面積の2/3は森なのです。世界の主要国の中で、日本より森林の割合が高い国はスウェーデンとフィンランドの2カ国だけだとされます。ただし、この2カ国より日本の方が植物の多様性は遙かに豊かです。それ以外の国々は、韓国が6割強なので、日本より若干低い程度ですが、それ以外はロシア5割弱、カナダ、米国、ドイツ、スイスがいずれも3割台なので、日本がどれだけ緑豊かな国か分かります。ただし、その過半は人工林というのが、惜しいところではありますけれど。だいたい、日本では、よほど特殊な事例を除けば、山=森です(森林限界以上の高山帯を除く)。はげ山なんてものは滅多にない。しかし、たとえばアンデス山脈なんて、全山はげ山みたいなものですからね。日本の自然というのは、実は世界的に見ればとても貴重なものなのです。
2012.07.15
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私が小学生の頃は、音楽の授業は1~2年生はハーモニカ、3年からリコーダーでしたが、最近は1~2年生は鍵盤ハーモニカ(いわゆるピアニカ※)、3年からリコーダーとなっているようです。で、うちの子も音楽の授業でリコーダーを始めたようです。夏休み近くなったので、家にリコーダーを持って帰ってきて、ピーヒャラピーヒャラと吹いています。私が子どもの頃もっていたリコーダーと、大筋では変わらないデザインで変わらない材質(ABS樹脂)です。ちなみに、我が家にはドイツ製(多分)の木製のリコーダーもあります。我が家で撮影して、ウィキペディアにアップした写真です。リコーダーも、高級なものはかなり高価で、銀座の山野楽器で見ると、ソプラノリコーダーでも数万円から10万円くらいまでの楽器があるようです(それでも、フルートやピッコロに比べればずっと安いかな)。ちなみに、上記のドイツ製のリコーダーは、そんなに高価なものではないようです。自分で買ったのではないので正確な値段は知りませんが、日本円で1万円はしなかったように聞いています。(母がドイツに行ったときに買ってきた)木製のリコーダーとABS樹脂製のリコーダー。どちらが本物かと言えば、もちろん木製の方が本物(よりオリジナル)です。音色も、どう考えたって木製の方が良いと私は思います。だけど、平均的日本人が「リコーダー」と言われてどちらを思い浮かべるかといえば、おそらく9割以上の人はABS樹脂製のリコーダーを連想するでしょう。学校の音楽教育で使われるイメージがあまりに大きいからです。それにしても、リコーダーは、学校の音楽教育以外の場では、楽器としてあまりポピュラーではないと思うのですが、何で学校の音楽教育で、リコーダーがこれほど重視されるようになったのでしょうか。いろいろ考えてみると1安く作れる(ABS樹脂製のソプラノリコーダーなら1000円前後)2誰でも音が出せる(息さえ入れれば、とりあえず音は出る)3メンテナンスがほとんど不要(多少は手入れをした方が良いとは思うけど)という、学校教育向きの条件が揃っているから、ということなのだろうと思います。で、このリコーダー、実はよく観察してみると、ケーナの親戚だということが分かります。音の出る仕組みは、ケーナと(ということは尺八やフルート、篠笛なども)まったく同じなのです。この歌口の切り込みに直接口を付けて息を入れて音を出すのがケーナ(尺八やフルートも)です。リコーダーは、歌口の上にさらに吹き口をもうけています。ケーナやフルートは、唇で息をコントロールしないと音が出ませんが、リコーダーは吹き口からの気道が、音の出る空気の流れになるように調整されています。だからリコーダーは誰でも音が出せる反面、音量や音色のコントロール、表現力は、ケーナやフルートなどの方が一枚上手です。それとケーナやフルートは基本的にほぼ同じ唇の形(アンブシュア)で音を出せますが、リコーダーは、吹き口を加えるので、唇の形がかなり違います。そのため、私にとっては、リコーダーを吹いた直後にケーナを吹くのは難しいのです。非常にスカスカした音になってしまいます。いや、実際リコーダーに比べてケーナはスカスカした音なのです。というのは、息を音に変換する効率は、リコーダーの方が高いからです。ケーナでは、音に変換されない息がスースーと風切り音になって、それがまたケーナの音色の魅力なのですが、リコーダーにはそういう風切り音はあまりありません。そのような楽器の特徴の差に加えて、前述の唇の形の差があるために、リコーダーを吹いた直後にケーナを吹くと、極端に音が出にくいように感じられるのです。ケーナを吹いた直後にリコーダーなら、まったく問題ありませんが。ただ、私がリコーダーを吹くと、やっぱりビブラートがかかってしまうのです。だから、多少音色に違いがあっても、やっぱりケーナみたいな音になってしまう。本当は、リコーダーの音楽を聴くと、ビブラートはあまりかけないようです。そのうち、子どものソプラノリコーダーと私のアルトリコーダーでも合奏できたらいいなあ。それにしても、私が小学生の頃より、うちの子の方が遙かに音楽的素養がありそうです。
2012.07.14
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昨日(7月11日)は、この夏2度目の真夏日(最高気温が30度以上)であるとともに、この夏初めての熱帯夜(最低気温が25度以上)だったそうです。日本気象協会によると、「初熱帯夜」の平年値は7月11日だそうなので、まさしく平年どおりの記録ということになるようです。ただし、2009年から去年までの3年間は、いずれも平年より早く熱帯夜を記録していますし、真夏日も今年よりずっと多いのです。気象庁の統計を見ると、6月の気温は平年より低め、7月上旬の気温はまったく平年並みとなっています。つまり、去年と一昨年はそれだけ平年とかけ離れた猛暑だったということです。今年は、どうやら猛暑の可能性は低そうです。冷夏の兆し?エルニーニョ現象発生の可能性大気象庁は10日、ペルー沖の太平洋で今夏、「エルニーニョ現象」が発生する可能性が高いと発表した。エルニーニョ現象は、ペルー沖の赤道付近で海面水温が平年より0・5度以上高くなり、これが6か月以上続く状態。日本では冷夏や暖冬になる傾向が強い。同庁は9月までの気温を、沖縄・奄美と西日本で高温傾向、東日本でやや高温傾向、北日本で平年並みと予想しているが、今後、修正される可能性があるという。2009年夏にこの現象が発生した際は、日照時間が短くなるなどの影響が出た。---まだ確実に冷夏になると断言ができる状態ではありませんが、少なくとも猛暑の可能性はほぼないと言えそうです。これまでのところは、私個人としては「暑くて耐えられない」という日は一日たりともありませんでした。だから、我が家はこの夏、まだ一度もエアコンを稼働していません。節電のために我慢しているわけではなく、今のところはエアコンが必要と感じる暑さになっていない、というだけのことです。我が家に限らず、私の周囲では、やはり「まだエアコンは使っていない」という人の方が多いように感じます。(サンプル数はあまり多くありませんけど)中には扇風機もまだ使っていないという人もいますが、我が家はさすがに扇風機は動いています。個人的に、今年は去年に比べて若干節電の取り組みが甘くなっているようで、5月6月の電気使用量は去年よりちょっと多いのです。もちろん、一昨年よりはずっと少ないですけど。しかし、このまま平年程度の暑さなら、夏の電気使用量は去年より少なくて済むのではないかと思います。今晩も、ただいま現在室内の気温計は30度をわずかに下回る温度(29.8度くらいかな)を示していますが、エアコンを付けたいと思うほどの暑さは感じません。暑いのに無理して節電すると熱中症が怖いところですが、去年夏の熱中症による死者数は、一昨年よりかなり少なかったとの資料が発表されています。消防庁「平成23年夏期( 夏期( 7月~ 9月) の熱中症による救急搬送の状況」平成23年夏期の全国における熱中症による救急搬送人員は39,489人でした。これは、平成22年夏期の熱中症による救急搬送人員53,843人の0.73倍(中略)死亡は59人(0.1%)で、平成22年(167人)と比較し大幅に減少しました。---これを見る限り、去年の熱中症による救急搬送人員も死者数も、一昨年よりずっと減っています(一昨年よりは多いですが)。つまり、熱中症に関しては節電の影響はあまりないと考えて良さそうです。それでも、さすがに夏場にエアコンを一度も使わないでは済まないでしょう。我が家のエアコン、それに冷蔵庫も、結婚したときに購入したので、ちょうど10年経過しています。そろそろ寿命かなと思うし、最新の機種の方が消費電力は少ないそうですが、どうも壊れていない電化製品を買い換えるのは、もったいなくて抵抗があります。どうしたものか。
2012.07.12
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7月13日も官邸前へ!(inti-sol自身は所要により、多分終わりまで参加することはできませんが)---「非現実的」と批判=政府のエネルギー政策に―経団連経団連は10日、政府の「エネルギー・環境会議」が提示した中長期エネルギー政策の三つの選択肢全てを「非現実的」と批判する見解をまとめた。代案などを検討した上で、今月中に正式な意見書を政府に提出する。政府は8月のエネルギー政策決定に向けて、2030年時点の原発依存度を「0%」「15%」「20~25%」とする三つの選択肢を示している。経団連は、まず政府の政策が国内総生産(GDP)を実質0.8~1.1%増と想定していることについて、「日本再生戦略」で目標とする名目3%増、実質2%増と「整合性がない」と指摘。「戦略で示した経済成長に必要なエネルギーを確保できない恐れがある」としている。---3つの案が非現実的ということは、どういう案が現実的だというのでしょうか。5%ですか、10%ですか、17%ですか?おそらく、そうではないのでしょう。30%(震災前の原発比率)あるいは、下手をするともっと高い割合が「現実的だ」という主張なのでしょう。でも、実際にはそんな数字の方がよほど非現実的なのです。なぜなら、放っておいても今後原発の新規建設へのハードルは極めて高くなるからです。電力会社が原発維持にこだわるのは、「もう建てちゃったから」というのが最大の理由だと思われます。何度か書いているように、原子力発電に要するコストは、発電所の建設費が大部分を占め、燃料代は相対的にはわずかな割合しか占めていません。一方、火力発電のコストは燃料代が大部分を占めて、発電所の建設費用は相対的に見てわずかな割合です。ということは、すでに建ててしまった原発は、建設費のモトを取るまでは稼働させたいというのが電力会社の本音でしょう。しかし、これから新たに原発を建設するとなると、話は変わって来るはずです。発電コストに占める建設費の割合が大きいだけに、事故が起きて発電所が壊れた場合の経営上のリスクもまた増大します。しかも、地震・津波に対してはこれまで以上の対策が求められるわけですから、当然建設費もこれまでより上昇します。電力会社にとって原発の新設のリスクは、今まで考えていたよりずっと大きいものになるはずです。しかも、地域の住民からの反対は圧倒的に増えます。原発が設置される自治体そのものは、カネが落ちるので原発賛成派が多いですが、周辺自治体はお金は落ちずに放射能だけが落ちるのですから、話はまったく変わってきます。というわけで、今後原発の新規建設を次々と進める、なんて想定はどう考えたって非現実的なのです。原発が新規建設できないのに、原発3割を維持し続けるとしたら、今ある原発をずっと動かし続けるしかありません。40年経っても50年経っても60年経っても老朽原発を動かせという、とんでもない話にならざるを得ません。政府案のうち、「20~25%」という数字は、これまでどおりの原発政策を継続した場合の想定だろうと思います。それでも、老朽化で稼働停止する原発より新規建設できる原発の方がずっと少ないから、この程度の数字に下がることは不可避という判断があって出てきた、可能な限りの一番高い数字でしょう。15%というのは、脱原発のポーズを多少取ってみた、という程度の数字というところでしょうか。このいずれの数字も、私は容認することができません。今年来年に全廃しろとは言いませんが、長期的には原発割合は0%しかあり得ない、と私は思っています。まして、経団連の提示する(であろう)数字は、まったく論外。
2012.07.10
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実家のパソコン(ウィンドウズビスタ)が不調になってしまい、新しいパソコンに買い換えたい、と言い始めたのが1ヶ月くらい前のことでしょうか。「起動しなくなった」と母に呼び出されていくと、何故か私が触ると起動するのです。ところが数日後に再び同じようなことが起こり、私が操作すると再び起動したのですが、母は「毎回こんなことじゃ困る」と、とうとう新しいパソコンを購入してしまいました。再インストールすれば直るんじゃないかなという気がしないでもなかったのですが、何しろ私もウィンドウズビスタは操作したことがないし、自分のパソコンでさえも再インストールは面倒なのに、実家のパソコンまでとなったら、とても手伝い切れないので、私もつい「じゃあ、買ってしまえば?」と言ってしまいました。まだ4年半しか使っていないパソコンだったんですけどね。それはともかく、パソコンを購入したら光ファイバーまでついてきたのです。「光ファイバーに加入すればパソコン2万円割引」というキャンペーンに、母は乗ってしまったんですね。それで、先週末から実家は光ファイバーになってしまいました。が、工事業者は電話の設定だけやって、「インターネットの設定は自分でやってください」と言い置いて帰って行ってしまったようです。結局、またまた私が出動する羽目に。まあ、すぐにインターネットの接続はできるようになったのですが、それまでのADSL比べて快適になったかというと、うーーーーん、あまり差はないような。YouTube動画は、HD画質だと今まではカクカクしていたのが、なめらかに再生されるようになりましたが、これは回線の問題ではなくパソコンの性能の問題です。しかも、母は動画などは特に見ませんから、大したメリットはないのです。さて、それにしても、実家が先に光ファイバーに乗り換えてしまったので、我が家はADSLで取り残されてしまいました。実家はこれまでADSL8Mコースでしたが、我が家は50Mコースです。もちろん実際の速度はそんなに出ませんが、それでも速度測定サイトで調べると、下りは20M/上り3Mくらいはある。YouTubeでHD画質の動画を再生するときも、問題はまったくないし、HD画質の動画をアップロードするときもさほど不便は感じません。毎日何本も動画をアップロードするなら、遅いと感じるかも知れませんが、一度には1本か、せいぜい2本ですからね。というわけで、まだ光ファイバーにしたい、という欲求は特にないのですが、気がつくと、ADSLのシェアは2割強まで落ちています。(今年3月時点)別に、ADSLの最後の1人になったって構わないのですが、あるところで突然「サービス終了のお知らせ」がきても困るし、あと2~3年のうちには光ファイバーに乗り換えた方がいいのかな、とも思い始めています。56Kbpsのアナログモデム、ADSL(下り1.5M→50M)と経験して、100Mの光ファイバーも使ってみての感想ですが、もっとも革命的な変化はアナログモデムからADSL1.5Mへの移行でした。これは、それまでのインターネット接続環境とのあまりの違いに感動したものです。それ以降は、50Mだろうが光ファイバーだろうが、体感的にはあのときほどの違いはありません。
2012.07.09
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福島第一原発の国会事故調査委員会報告書が発表されました。報告書は、完全版・要約版とも国会事故調ホームページからダウンロード可能です。事故の根本原因については、こう書いています。事故の根源的な原因は、東北地方太平洋沖地震が発生した平成23(2011)年3 月11 日(以下「3.11」という)以前に求められる。当委員会の調査によれば、3.11 時点において、福島第一原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱な状態であったと推定される。(中略)東電及び保安院は、新指針に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1 ~ 3 号機については、全く工事を実施していなかった。保安院は、あくまでも事業者の自主的取り組みであるとし、大幅な遅れを黙認していた。事故後、東電は、5 号機については目視調査で有意な損傷はなかったとしているが、それをもって1 ~ 3 号機に地震動による損傷がなかったとは言えない。実に明快に断じています。さらに本事故の直接的原因は、地震及び地震に誘発された津波という自然現象であるが、事故が実際にどのように進展していったかに関しては、重要な点において解明されていないことが多い。(中略)しかし東電は、事故の主因を早々に津波とし、「確認できた範囲においては」というただし書きはあるものの、「安全上重要な機器は地震で損傷を受けたものはほとんど認められない」と中間報告書に明記し、また政府もIAEA に提出した事故報告書に同趣旨のことを記した。(中略)事故の主因を津波のみに限定すべきでない理由として、スクラム(原子炉緊急停止)後に最大の揺れが到達したこと、小規模のLOCA(小さな配管破断などの小破口冷却材喪失事故)の可能性は独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)の解析結果も示唆していること、1 号機の運転員が配管からの冷却材の漏れを気にしていたこと、そして1 号機の主蒸気逃がし安全弁(SR 弁)は作動しなかった可能性を否定できないことなどが挙げられ、特に1 号機の地震による損傷の可能性は否定できない。また外部送電系が地震に対して多様性、独立性が確保されていなかったこと、またかねてから指摘のあった東電新福島変電所の耐震性不足などが外部電源喪失の一因となった。(要約版13ページ)とも書いています。つまり、福島第一原発は、そもそも耐震補強工事を怠っていて、地震にも津波にも耐えられる状態ではなかったこと、津波だけではなく地震の揺れそのものによって事故が発生した可能性があること(特に1号機)を、明確に断じたわけです。このことの意味は重大です。何度も書いているように、東日本大震災は、地震の揺れそのものによる建物の倒壊被害はかなり少なかったのです。それにもかかわらず、原発は揺れそのものによって致命的な被害を受けていた(可能性が高い)ということは、つまり原発の耐震性は世間一般の建築物より下だった、ということでもあります。もちろん、建物の外壁や構造そのものが地震で壊れたわけではありません。しかし、内部の配管類や外部電源の鉄塔(報告書は長いので、記載があるかどうかは分かりませんが、外部電源の鉄塔は津波の到達範囲外にもかかわらず倒壊していたことが報じられています)が破損してしまえば、外壁だけが無傷でも無意味なのです。なぜなら、原発にとっての心臓部は建屋の外壁ではなく、その内側だからです。さらに、このような規制官庁については本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。本来原子力安全規制の対象となるべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけてきた。この圧力の源泉は、電気事業の監督官庁でもある原子力政策推進の経産省との密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位置付けられていた。規制当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、事業者の主張する「既設炉の稼働の維持」「訴訟対応で求められる無謬性」を後押しすることになった。このように歴代の規制当局と東電との関係においては、規制する立場とされる立場の「逆転関係」が起き、規制当局は電気事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる。(要約版12ページ)としています。要約すれば、「規制」官庁が規制される側とズブズブの関係になって、機能を果たせなくなっていたというわけです。そのような悪しき現実が明確に指摘されているにもかかわらず、未だに原子力規制委員会に反原発派を入れるなと叫ぶ産経新聞や読売新聞は、話にならないということです。電気事業者は事故前より放射線防護規制を緩和させようとしていた。そのために、放射線の健康影響に関する研究については、より健康被害が少ないとする方向へ、国内外専門家の放射線防護に関する見解については、防護や管理が緩和される方向へ、それぞれ誘導しようとしてきた。(本編522ページ)ともあります。「低線量被曝は安全だ」と主張する御用学者が幅をきかせている背景には、こういう事情もある、ということです。いずれも、私にとっては「意外な新事実」ではなく、「当然の結論」ではありますが、当然の結論について、ごまかしたり言葉を濁したりしなかったということは、この事故調査委員会はかなり公正な立場で結論を出そうとしたと考えてよさそうです。
2012.07.08
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アルゼンチン元大統領に禁錮50年 軍事独裁下で赤ん坊を奪った罪でアルゼンチンの裁判所は5日、1970年代後半から80年代前半に軍事政権が国民を弾圧した「汚い戦争」の時代に反体制派の囚人から赤ん坊を奪ったとして、軍事独裁政権の指導者2人に有罪判決を言い渡した。軍が政権を握った76年のクーデターから81年まで大統領を務めたビデラ被告には禁錮50年が言い渡された。82年から83年の民政移管まで大統領だったビニョーネ被告は禁錮15年だった。両被告は組織的に政治犯の囚人から赤ん坊を奪い、新たな身元を付与した罪で有罪となった。2人は未成年者を略取、隠匿し、その身元を書き換えたとして罪に問われている関係者のなかでも、最も大物として知られている。裁判では34人の乳児が親から奪われた事件への関与が争われた。5日、法廷は傍聴人で満杯になり、ビデラ被告に有罪が言い渡されると喝采が起きた。判決後、同国のテレビ局カナル7の取材に応じた被害者家族は判決に満足の意を表した。「これこそ私たちが求めていたものだ。私たちは復讐を求めたことはないし、憎んだこともない。求めたのは正義だけで、そのために36年間戦ってきた」とある父親は語った。ビデラ被告は昨年12月に大統領在任中の人権侵害の罪で終身刑の判決を受け、現在服役中だ。ビニョーネ被告も56人を誘拐、拷問したとして、今年4月に禁錮25年の有罪判決を受けている。---1970年代後半のラテンアメリカには、軍事政権の独裁政治の嵐が吹き荒れていました。その中でも、アルゼンチンは血の凍るような弾圧が行われていました。正式な逮捕や裁判によらず、「死の部隊」と呼ばれる非公然の治安部隊が、夜な夜な左派の活動家や労働組合員などを拉致しては、闇から闇に葬り去っていったのです。「行方不明者」の数は3万人といわれます。(公式に認められている人数はそれよりずっと少ないのですが)記事にあるように、妊娠中の女性を拉致してきた場合は、出産と同時に子どもを奪い取って、軍人の家庭に養子に出したのです。記事には書かれていませんけれど、母親は全員、出産直後に殺害されたようです。そうやって奪われた(=母親を殺された)子どもが、400人くらいいるとされます。その一部は、最近になってDNA鑑定で身元が判明しています。彼ら彼女らは、すでに30代を過ぎていますが、その年になって「両親」だと思っていた人物が、実は本当の親を殺害して自分を奪い取った人物だと(もちろん、直接的に養父母が殺害の実行犯だったとは限らないにしても)知った衝撃というのは、相当に辛いものがあるだろうと思います。アルゼンチン軍部による反体制派狩りは、実はアルゼンチン一国だけの問題では収まりませんでした。当時はラテンアメリカの主要国が軒並み軍政下にありました。アルゼンチンの軍部は、自国で培った反体制派弾圧のノウハウを、他国の軍事政権に売ったのです。各国の軍部は反体制派弾圧のために秘密裏に協力しあっていました。「コンドル作戦」と呼ばれます。そんな恐怖政治に対して、公然と異を唱えたのが「行方不明」となった人たちの母親です。首都ブエノスアイレスの5月25日広場で抗議を始めたのです。彼女たちの活動が始まったのは、苛烈な軍政のまっただ中の時代です。一歩間違えれば、彼女たち自身だって闇から闇に消されかねない危険の中でのことですから、並大抵の勇気ではありません。やはり「母は強し」なのでしょう。結局、アルゼンチンの軍政は経済政策が無策で、狂乱インフレを招いた挙げ句、国民の不満を逸らそうと、無謀な対外戦争に走ります。マルビナス(フォークランド)諸島のイギリスからの奪回を叫んで侵攻したものの、イギリス軍の反撃の前に惨敗を喫します。この敗北によって、アルゼンチンの軍政は民意の支持を完全に失い、アルゼンチン軍降伏の2日後には軍政は崩壊しました。ところが、軍は政権を引きずり下ろされたものの、軍政時代の人権侵害には頬被りを続け、民政復帰後の歴代政権もまた、それを追認して免罪し続けたのです。流れが変わったのは2003年、ネストル・キルチネルが大統領に当選して以降です。キルチネル自身も軍政時代に投獄された経験があったからです。「地球人間模様」「5月広場の女性たち」この時代に敢然と戦った音楽家を2人まず、メルセデス・ソーサ。アルゼンチンの「国民的歌手」でしたが、2009年に亡くなりました。軍政時代に彼女自身は国外亡命していましたが、夫は「行方不明」になっています。1980年、ちょうど「汚い戦争」の最中で、彼女は亡命していた時期です。そして、レオン・ヒエコ。この人も、軍政の最盛期に軍部を公然と批判する曲を発表しています。その代表曲が「ただ神に祈ること」。ただし、この曲の発表直後、彼もまた命の危険から1年間国外に身を隠しています。---余談ですが、今日(日付はもう昨日)は、朝8kmのランニング、午前中はパールフルートのフルートアンサンブル倶楽部、午後はエストレジャ・アンディーナ(3月に作った新しいフォルクローレ・グループ)の練習、ほぼ体力の限界でした。
2012.07.07
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予告したとおり、首相官邸前の大飯原発再稼働抗議集会に行ってきました。改札を出てから地上に出るまでが、まず大変。地上に出ても、ここはもう人がいっぱいで留まることができず。その後、別の場所で列に加わったのですが、その場所はすぐに移動してくれということになり、最後の場面はぐるっと回って国会議事堂正門前付近。日も暮れたし、先頭からどの程度の距離なのかもよく分かりませんでしたが、大変な人数だったことは確かです。途中から土砂降りの雨。折りたたみ傘しか持っていなかったので、ずぶ濡れになってしまいました。ケーナも持っていったのですが、この雨では、吹く機会なしです。諸事情により、この先、7月中の金曜夜は参加できそうにありません。8月に入っても、まだ続いていれば、また行こう。とりあえず、次の集会は、7月16日(月祝)代々木公園です。
2012.07.06
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原子力規制委 適材確保へ「国会同意」見直せ(7月4日付・読売社説)原子力安全行政の立て直しの成否は、新設される原子力規制委員会の人選にかかっている。政府には、適材の選考に万全を尽くしてもらいたい。与野党も国会同意人事のあり方を見直さねばならない。政府は、原子力規制委の人事に先立ち、人選の要件(ガイドライン)をまとめた。過去3年間に原子力事業者や関連団体の役員と従業員だった者を委員に起用しない。事業者から一定額以上の報酬を受けた者も同様に扱う、などとしている。原子力安全行政の中立性と公正さを確保するため、事業者と癒着した人物の起用を避けようという狙いは、理解できる。だが、原発事業に携わった人を過度に排除するようでは、適切な人材を確保できまい。原発などの現場の事情を熟知していることは重要な要素である。委員長と委員には、事故時の危機対処に加え、事務局である規制庁の統率、政府内や自治体との調整の手腕も求められる。そうした専門知識を併せ持つ実務家を選ぶことが望ましい。規制委はエネルギー政策を議論する場ではない。過激な「脱原発」派を起用すれば、規制委内で原子力の是非を巡る対立が起き、原発の安全性確認など規制委本来の業務に支障が出る恐れがある。政府が委員長と4人の委員を任命するには、国会で同意を得なければならない。問題は、人事案が国会に提示される前に報道されれば、原則としてその人事を認めないルールがあることだ。2007年、野党だった民主党の要求で衆参両院の議院運営委員長合意に明記された。規制委の人事は、国民の関心が高く、提示前でも報じられることは十分あり得る。実際、今年3月には、事前報道された日本銀行審議委員の人事案が撤回された。この規定は早急に削除すべきだ。この規定を悪用し、報道機関に漏らして人事案をつぶすことも可能となる。政府が最善と考えた人事を、事前報道を理由に撤回させれば、人事が混乱し、原子力安全行政は停滞しかねない。野党時代の民主党のように、同意人事を政争の具とすることは許されない。国会同意人事である日銀総裁の場合は、衆参の議院運営委員会で候補の所信聴取と質疑を実施している。規制委の委員長と委員についても、その重要性を考えれば、国会の場で適格性をじっくり見極める工夫も必要ではないか。---原子力規制委員 バランス欠く人選心配だ(産経新聞社説)原子力の安全規制を担う新組織として9月までの発足を目指す「原子力規制委員会」の委員長ら5人を選ぶためのガイドラインがまとまった。原子力規制委員会は、国家行政組織法第3条に基づく機関で、極めて高い独立性と強い権限を有する。それだけに、バランスの取れた委員の人選が何よりも重要だ。選任される顔ぶれ次第で、日本のエネルギー利活用の将来が決まるといえる。エネルギーの安定確保は、国の安全保障や将来世代の生活の質を左右する問題だ。それほど重要な委員会であることを、共通認識としておきたい。政府がまとめた委員人選のガイドラインは、直近3年間に原子力関連会社などの役員や従業員であった人物は不適格などとする除外条件と、任命時における情報公開の範囲を定めた内容だ。公開の対象は、原子力関連会社などから得た寄付額などで、期間は同じく直近3年間となっている。大事なことは、このガイドラインの用い方だ。排除のための手段に用いられると、適任者の就任が阻まれ続けることになる。そうならないためには、ガイドラインを人材登用のための手段として活用することだ。原子力規制委員に選ばれるには国会の同意が必要だが、その際に、3年以前の経歴などを理由に拒否されることがないことを保証するための指針として受け止めたい。原子力規制委が立派に役割を果たせるかどうかは、5人の委員の資質にかかっている。とりわけ過酷事故の発生時には、早期収束や健康被害防止のために原子炉制御や放射線管理の高度な知識と技術が求められる。大混乱と極度の緊張の中でもパニックに陥らなかった、吉田昌郎・前東電福島第1原発所長のような胆力も必要だ。平時における原子力規制委員会の職務も事故時に劣らず重い。原子炉の新増設や廃炉に関わる高度な判断がその仕事だ。脱原発志向の委員ばかりが多数を占めることになれば、規制のための規制に暴走しかねない。独立性が高いだけに、外部からの軌道修正は難しい。電力会社の自発的な取り組みを促しつつ、安全性をより向上させていくことが肝要だ。それだけの器量と覚悟を備えた原子力規制委員会の発足を期待する。---読売と産経が、そっくりの内容の社説を書いています。いろいろ長々とありますが、要するに核心部分は「過激な「脱原発」派を起用すれば、規制委内で原子力の是非を巡る対立が起き、原発の安全性確認など規制委本来の業務に支障が出る恐れがある。」(読売)「脱原発志向の委員ばかりが多数を占めることになれば、規制のための規制に暴走しかねない。独立性が高いだけに、外部からの軌道修正は難しい。」(産経)という部分でしょう。本音が丸見え。脱原発派に発言力なんか与えるな、ということに尽きます。だけど、脱原発派を排除した原子力ムラ内部の人間ばかりの「規制委員会」では、なんの規制にもなりません。そもそも規制委員会を何のために作るのかといえば、推進派が作り出した「安全神話」が誤っていたことが、福島の事故で露呈したからです。津波による全電源喪失事故の可能性は、共産党の吉井議員が以前から指摘していたことが知られています※。それに対して、原子力安全・保安院長は「そういったことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしている」と国会において答弁しています。結果において、吉井議員の指摘が正しく、原子力安全・保安院の回答は誤っていたわけです。※現在は違いますが、東日本大震災以前の共産党は原発全廃とは主張していませんでした。だから、震災以前の共産党は狭い意味での反原発派とは言えませんでしたが、少なくとも原発推進派でなかったことは言うまでもありません。つまり、推進派ばかりで固めた安全・保安院は、原発の安全と保安を守る役目を、てんで果たしていなかったということです。その反省に立って規制委員会が設置されるというのに、その人選は原発ムラの内部からなんてのは、仏を作って魂入れずの典型です。常識的に言って、加害者の身内を検察官に任命したり、逆に被害者の身内を弁護人に任命する裁判なんかあり得るはずがないのに、規制委員会についてはそれをやれと読売新聞と産経新聞は臆面もなく主張しているわけです。言葉を換えれば、規制委員会なんて骨抜きにしろというわけです。もう一度大きな地震で原発事故を起こしても構わないってことなんでしょうか。
2012.07.04
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目指せ「日本版ティーパーティー」! 片山さつき議員、「愛国」応援デモに熱弁吉本興業所属タレントの親族の生活保護受給問題をめぐり、問題追及に力を入れる自民党・片山さつき参議院議員を応援するデモが2012年7月1日、東京・新宿駅前であった。集合場所には片山議員本人も訪れ、「日本版ティーパーティー運動が始まった。皆さんは本当に素晴らしい愛国者」などと参加者を激励、およそ30分にわたり対話した。「私は参院でじっくり憲法改正やる」片山議員は参加者に囲まれながら、「民主党政権になってから、生活保護の不公平が見逃すことができないところに来ている。外国人の不正受給に関しても、まずは日本人の、真面目に義務を果たしている人が優先。今は特に、韓国なんてすごく豊かなんですから」と持論を展開し、「私に対してもいろいろ嫌がらせがあったが、どこから来ているかはわかるんですよね。私たちの日本を愛するマグマの方が強いことを教えよう。日本が正直者が報われる、本当に強い国にもう1度なれるように、私たちががんばりましょう」と呼びかけると、参加者からは大きな拍手が起こった。一部からある「売名」との批判に対しては、「私の行動を『売名』と言うバカな人もいるが、今売名して(次の改選がある)4年後に覚えている人はいないでしょ。衆議院選に出るならともかく、私は参議院でじっくり憲法改正をやるんですから」と強い口調で否定。デモ隊に対しては差別的な発言をしないよう繰り返し注意しつつ、出発する隊列を笑顔で見送った。「片山議員と私たちはともに戦うぞー!」片山議員はJ-CASTニュースの取材に対し、「草の根保守が日本でも始まると思います。普通に日本人として義務を果たしている人が『もう、こんなのおかしい』と声を上げるときが来ている。それを制度改正・憲法改正に冷静につなげる。決して変な差別にならないよう、ガンディーのように無抵抗無服従運動でがんばりたいと思います」と語った。 デモは昨年のフジテレビデモに参加したメンバーらが中心となり、ネットを通じて呼びかけたもの。百数十人が集まり、「テレビ局は不正受給問題に切り込む片山さつき議員を不当に攻撃するなー!」 「片山議員と私たちはともに戦うぞー!」などとシュプレヒコールを上げながら、新宿駅周辺をおよそ1時間に渡り行進した。---とうとう片山さつきは在特会系のデモに参加してしまうところまで墜ちてしまったようです。行き着くところまで行き着いてしまった感じです。片山のやっていることが「売名」だとは私も思いません。彼女はにしても、この「デモ」に参加した「行動する保守」という連中(在特会とその周辺の諸団体)にしても、確信犯でしょう。本気で「自分たちは愛国者」だと思っているのでしょう。確かに、生活保護制度にはいろいろと問題はあります。きれいごとの「弱者の味方」というだけでは済まない問題が山積しているのは間違いないでしょう。親族が受給していた吉本の芸人も、道義的な面ではどうかと思う部分はあります。しかし、そのことと、政治家が公的な立場にあるわけでもない一個人に対して個人攻撃を行うことの是非は別の問題です。公的な立場にある人の行動ならともかく、一私人の行動に関して、違法でも不正でもない(道義的には問題があるとしても)のに、政治家が名指しで個人攻撃を行うことは、ある種の思想警察じみた行動といわざるを得ません。「愛国心」を掲げれば何をやっても、何を言っても許されると思っているのが在特会の連中であり、片山さつきもまた同じ、ということのようです。まさしく「愛国無罪」って奴です。で、日本版ティーパーティーだそうで。じゃあ、片山さつきは日本のサラ・ペイリンってところでしょうかね。確かにそうかも知れない。かつて、「アフリカを大陸の名ではなく国の名だと思っていた」と公言したサラ・ペイリンと、いいお似合いかも知れませんね。ちなみに、その「愛国者のデモ」の参加者数は、たった180人だそうです(主催者発表か警察発表かは知りませんが)。
2012.07.03
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7.6緊急!大飯原発3号基を停止せよ!首相官邸前抗議【日時】7/6(金)18:00~20:00 予定【場所】首相官邸前(霞ヶ関駅より徒歩7分、虎ノ門駅より徒歩10分)※千代田線・丸ノ内線の国会議事堂前駅は大混雑が予想されます。---7・16は「さようなら原発10万人集会」へ!日時:7月16日(月・休)午前11時より(各会場ごとに開始時間が異なる)会場:東京・代々木公園B地区全体(サッカー場、イベント広場、野外音楽堂、ケヤキ並木周辺)わたしinti-solは、代々木公園は時々笛の練習に行っているので、雨天でなければ公園内の適当な場所で練習しつつ、途中から集会に合流予定です。
2012.07.03
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当ブログで以前に取り上げた従軍慰安婦の写真展を、今日見に行ってきました。諸事情から、今日以外に、開催時間である午後6時半までに新宿にたどり着ける可能性がなかったので。間に合うかどうかギリギリでしたが、とにかく行ってみました。幸いなことに、何とか間に合いました。さらに幸いなことに、私が見に行ったときには、変な連中は見あたりませんでしたので、落ち着いて鑑賞できました。しかし、警備員が3人くらいいて、荷物の開封検査に金属探知機まであるとは、空港や裁判所並の警備だなと思ってしまいました。で、写真展の中身ですが、いったいこの写真展のどこが、そんなに騒がなければならないような問題があるのか、私にはまったく理解できません。個別の写真にはキャプションは一切ありません。全体の解説文はありますが、そこにも日本軍の関与がどうとか戦争犯罪がどうというような話はまったく書かれていません。要するに、かつて従軍慰安婦だった韓国・北朝鮮出身の女性たちの現在の姿を撮影している、というだけのことです。ただ、彼女たちの姿は、いろいろな意味で考えさせられるものであることは確かです。いずれの写真も中国で撮影されたもので、ということは彼女たちは戦後も故郷から遠く離れた異国に置き去り状態であったわけです。その人生が苦難に満ちたものであったことは容易に想像できます。彼女たちの現在の生活がどのようなものかは分かりませんが、部屋の様子や家の様子から見て、どう考えても豊かな生活、満ち足りた生活でないことだけは分かる。以前にも書きましたがこの問題が日韓の国家間の立場の代理戦争みたいな様相になっていることに、私は大いに違和感を感じています。彼女たちは、若い人でも80歳を超えています。おそらく残り少ないであろう人生の最後だけは、せめて平穏で幸せな生活であってほしいと願います。
2012.07.02
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大飯原発3号機の原子炉起動 国内全停止から57日ぶり関西電力は1日午後9時、大飯原発3号機(福井県おおい町)を再起動した。昨年3月の東京電力福島第一原発の事故後、定期検査に入った原発が再起動するのは初めて。一方、政府は夏の電力不足に備え、2日から沖縄電力をのぞく9電力会社の管内で「節電期間」をスタートさせる。国内の原発は、5月5日に北海道電力泊原発3号機が定期検査に入り、50基すべてが停止した。大飯3号機の再起動により、約2カ月で「原発稼働ゼロ」の状態が終わった。関電は1日午後9時、3号機の原子炉内で核分裂を抑えていた「制御棒」を抜き取る作業に入り、原発を再起動した。3号機の再起動は、昨年3月18日に定期検査に入ってから約1年3カ月ぶり。 ---「大きな音」(野田首相の言)の反対運動を無視して、とうとう大飯原発が再稼働されてしまいました。非常に残念です。折しも、原発に依存しない社会をめざす与野党の超党派議員で作る「原発ゼロの会」が、全国の原発の危険度ランキングを発表したと報じられています。危険度ナンバーワンと認定されたのは、この大飯原発の1・2号機(今回再稼働された3号機は26位)。評価基準は「経過年数や炉のタイプなどに5点、耐震性や地盤状況に3点、周辺人口に2点をそれぞれ配分し、計10点満点で評価」だそうです。何と言っても敷地内に活断層が走っていること、津波の波高が高くなりそうな立地なのに、堤防の高さもあまり高くないのが致命的です。免震棟もないし。3号機は1・2号機に比べて新しいので順位が低い、ということなのかも知れませんが、立地については何も変わりません。とはいえ、原発を巡る問題は、これで終わりではありません。以前から書いているように、私は脱原発にむけて明確なタイムスケジュールが定められるのであれば、それまでの間原発を動かすことには、必ずしも反対ではありません。今回の再稼働に反対なのは、原発推進に回帰するための一里塚であることがミエミエだからです。この再稼働を原発推進への一里塚にさせないためには、これからもしつこくしつこく、脱原発を叫び続けるしかないでしょう。
2012.07.01
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