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「ウィンドウズ8」、26日の発売以降で400万本販売米マイクロソフト<MSFT.O>のスティーブ・バルマー最高経営責任者(CEO)は30日、新たな基本ソフト(OS)「ウィンドウズ8」について、今月26日の発売以降400万本を販売したと明らかにした。販売の好調な滑り出しが示された。バルマーCEOはシアトル近くの本社で開かれたソフトウエア開発者の会合で、来年に数億本ものウィンドウズOSが販売されるとの見通しを示し、特に法人顧客からの高い関心がみられるとした。バルマーCEOは29日、ウィンドウズ8の発売当初の販売数が、3年前に発売したウィンドウズ7の同時期の実績を上回っていると明らかにしていた。---我が家には、パソコンが3台あります。私のデスクトップとノート、相棒のデスクトップです。私のデスクトップパソコンは、今年はじめにWindows7を導入しましたが、ノートと相棒のパソコンは今もWindowsXPです。相棒のパソコンは近いうちにWindows7を入れようかなと思いますが、ノートは使えなくなるまでずっとXPの予定。正直なところを言えば、私にはWindows7よりXPの方が使いやすいです。Windows7では動かないソフトがいくつかありますが、XPでは動かないソフトは一つもないので。ましてWindows8では、動かないソフトがもっとたくさんありそうな気がします。というわけで、現時点でWindows8を導入する予定はまったくありませんし、私の周辺でもWindows8を導入した人はまだ見たことがありません。だいたい、話題にすらなったことがありません。本当にそんなに売れているんでしょうか。
2012.10.31
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原発と活断層 リスクと利便折り合いを原子力発電所の真下に活断層があるかないかを確かめる調査が11月初旬から始まる。調査の主体は原子力規制委員会(田中俊一委員長)だ。島崎邦彦委員長代理ら5人の専門家で構成される現地調査団が、その任にあたる。関西電力の大飯原子力発電所(福井県おおい町)が最初の対象になっている。目下、原発が稼働している国内唯一の発電所である。予断にとらわれることなく、公正かつ冷静な調査を期待したい。福島第1原子力発電所の事故以降、原発に対して安全性の向上が強く求められている中での調査である。大飯原発に続いて、北陸電力の志賀原子力発電所など計6カ所の発電所で地層の現地調査が行われる。建設当時の基準では、6原発とも耐震設計指針に抵触するところはなかった。だが、平成18年に改定された現行の基準に照らすと、活断層を含む可能性が生じ得るとされ、再調査となった。活断層は過去の地震発生を物語る地層の古傷である。現行の基準では12万~13万年前までの古傷に注目しているが、島崎氏は40万年前までの古傷を活断層に含める考えを示している。政府の地震調査研究推進本部は以前から40万年を目安にしているので、学問上の整合性はとれる。だが、地質年代の幅が広がると地震を起こす活断層かどうかの判断が難しくなる事例も増えよう。その際に、安全優先の立場から「灰色」を「黒」と判定し、原発を片端から廃炉に追い込むような硬直した判断の愚は、あってはならないことである。日本列島は4枚のプレート(岩板)がせめぎ合う会合点に位置している。そのため、地下にはひずみがたまって多くの断層を抱えている。日本人は現代社会においても、活断層のリスクと暮らしの利便性の折り合いを上手につけている。高速道路しかり、新幹線もまたしかりである。活断層は千年に1度、長ければ2万年に1度という頻度でしか動かない。だからといって原発直下の亀裂を軽視してよいことにはならないが、同時に日本がエネルギー資源の極貧国であることを忘れてしまっても、取り返しのつかない災厄を招く結果になる。規制委には思慮深く、均衡のとれたリスク判断を求めたい。---思慮浅く、均衡の取れないリスク判断しかできない産経新聞に、そんなことを言われてもね、と思います。産経(に限らず原発推進派全般)は、電力不足のリスクは極大に、地震のリスクは極小に見積もることで、今もなお原発推進を叫び続けているわけです。「建設当時の基準では、6原発とも耐震設計指針に抵触するところはなかった。」というのは、はっきり言ってうそです。志賀原発についしては、以前に記事を書いたことがあります。当時の報道で、「三人の専門家が『典型的な活断層だ。あきれてものも言えない』と、地震で動く可能性を指摘した。」と報じられています。つまり、「耐震設計指針に抵触するところはなかった」のではなく、当時の指針にも抵触するのに、それを隠して抵触しないことにしていただけ、という可能性が高いのです。それを「建設当時の基準では~抵触するところはなかった。」と、ミエミエのうそをつくのだから、まったくタチの悪い新聞です。ちなみに、本来は「活断層」の定義は新生代第四紀に動き、今後も活動する可能性がある断層を言います。第四紀というのは、おおむね200万年前以降の時代なので、実は40万年前以降という新しい基準ですらも、まだ甘いのです。「活断層は千年に1度、長ければ2万年に1度という頻度でしか動かない。」ともありますが、これも果たしてどうでしょう。ひとつの活断層が動く頻度が仮に産経のいうとおりだったとしても、50基の原発のすべてが活断層近辺にあると仮定すれば、20年から400年に1回はどれかの活断層が動く、ということになります。しかも、現在の日本列島は明らかに地震の活動期に入っており、地震の発生確率は高まっています。去年の震災の後、全国の11の活断層帯の地震頻度が、震災以前と比べて10~70倍上昇したという報道があります。それも考え合わせれば、活断層が動くのは1000年か2万年に1回などと、お気楽に構えていられる状況ではないでしょう。「原発直下の亀裂を軽視してよいことにはならないが、同時に日本がエネルギー資源の極貧国であることを忘れてしまっても、取り返しのつかない災厄を招く結果になる」つて、結局どうしろ、と言うことでしょうね。結局は、原発直下の亀裂なんか軽視しろと言外に言っているに等しいとしか思えないのですが。
2012.10.29
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長野県、「入山税」検討へ…遭難や環境負荷増で長野県が11月から、日本アルプスをはじめとする山岳の環境保全や遭難対策の費用負担を見直す検討を始める。「山ガール」や中高年の登山ブームに伴って遭難や環境への負荷が増え、公費負担に限界があるためだ。登山者から「入山税」を一律徴収することも視野に入れている。世界遺産の白神山地(青森、秋田両県)や屋久島(鹿児島県)などで、任意の「協力金」を集める例はあるが、総務省は、登山者から徴収する税の本格的な検討は「聞いたことがない」としている。2011年に長野県を訪れた登山者は63万8000人。10年から4万2000人増え、8年ぶりに60万人を超えた。同時に遭難も増え、今年は21日現在で238件(計261人)と、1954年の統計開始以来、すでに最多となっている。登山ブームに伴い、地元の費用負担は年々増している。県警ヘリは来年2月、救助態勢の強化で2機に増える。年約1億5000万円の燃料費や修繕費は倍増する見込みだ。県警山岳遭難救助隊の活動費は年3500万円前後かかっている。同県松本市は今年度、安全確保のために登山道維持費を前年度の10倍の500万円に拡充した。山小屋のトイレでは、し尿のヘリ輸送などに「年300万~400万円」(山小屋経営者)かかり、従来のチップ制から有料化に切り替えた山小屋もある。昨年9月の県の事業仕分けでは、一部の登山者に税金を投じることに批判も出ていた。このため県は11月、山岳経費の見直しを諮問機関の県地方税制研究会に諮り、入山税や協力金の導入などを含めた新たな財源確保を検討する考えだ。---山登り大好き人間の私としては、入山税導入というのは何とも複雑な思いです。金額がいくらかにもよりますが、よほどとんでもない金額でない限りは、入山税が導入されたからといって山登りをやめることは、もちろんありません。積極的に賛成とは言いかねますが、そうなってしまったら、それはそれで仕方がないかな、とも思います。ただ、地元の費用負担が年々増しているというのは事実でしょうが、登山者が地元とに落とすお金も、それなりの額であるはずです。し尿のヘリ輸送に莫大な費用がかかることも確かですが、それは山小屋として営業する上での必要経費でもあります。山小屋の営業は、そんなに儲かる仕事とは思えませんが、しかし営利活動なんだから、個別にはともかく、総体としては赤字ではないはずです。テントで山に登る時だって、キャンプ指定地に幕営するときは一人1泊500円の使用料を払うわけです。もちろんそれとは別に、山でトイレを使うときは、100円程度のチップを求められます。。県警のヘリだって、何も山岳遭難救助のみに使われているわけではないでしょう。とは言え、ガソリン税が道路特定財源に当てられるように、登山道整備に要する費用は入山税を充当すべきだといわれたら、それもそうかな、とも思います。ただ、これを突き詰めていくと、では海のレジャーはどうなんだとか、地元住民が近所の裏山に登るのも山登りなのか、とか、線引きが難しい例が多々ありそうです。だいたい、どうやってお金を取るんでしょうか。登山口に徴収人を配置するか(マイナーな登山口や冬季の入山にはどう対応するの?)山小屋の宿泊料や幕営場の使用料に上乗せするか(日帰り登山からは徴収できない?)、いずれかということになるんでしょうか。
2012.10.27
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夜行日帰りで、北アルプスに行ってきました。1日で簡単に登れる山って、北アルプスにはそんなにありませんが、目星をつけたのは、焼岳です。上高地に行くと、いつも写真を撮るのですが、これまで登ったことがありませんでした。いつもの感覚だと、バスが上高地に着くと夜が明けているのですが、今日は朝5時に帝国ホテル前(上高地バスターミナルのひとつ手前のバス停)に着いたら、まだ真っ暗。10月も終わりですから、夜明けもかなり遅くなっています。で、ヘッドランプを頼りに橋を渡って対岸へ。そこで朝食を食べて、少し明るくなってきたので歩き出しました。しかし、すぐに、大いなる失敗をしたことに気がつきました。これは、だいぶ登ったところの写真ですけど、見て分かりますね。すでに積雪があるのです。しまった!!と思いました。雪は想定していなかったので、アイゼンもピッケルも持ってきていないのです。完全に、無雪期ハイキング感覚(笑)。考えてみれば、この時期は雪が降って不思議はないのですが、しかし根雪がつくには早すぎるので、雪に対する装備は考えていませんでした。この時点で、山頂までたどり着くことはほぼ不可能とあきらめました。が、とりあえず登ってみることにしました。カラマツの黄色と白い雪がなかなかいい感じです。登山道途中に長いはしごがあるのですが、そこより下は雪はなく、その上も焼岳小屋(2100m)までは、ごくわずかの積雪しかありません。しかし、稜線付近の焼岳小屋に着くと、そこからは登山道にも雪がありました。小屋から少し登ると、焼岳展望台に着きます。目の前に、ドーンと焼岳の勇姿が。笠ヶ岳(左)と抜戸岳(右)穂高連峰。左端が西穂高岳。その右側に連なっているのが、奥穂高・吊尾根・前穂高のはずですが、どれがどれだかよく分かりません。ちなみに、焼岳は活火山です。以前は、この展望台より先は入山禁止だったようですが、1962年以来噴火がないので、1990年に登山禁止が解除され、現在は北峰には登頂可能です。(南峰の方が標高は高いが、こちらは今も登山禁止)でも、やっぱり活火山は活火山。モクモクと、あっちでもこっちでも噴気活動が見られます。まだ山頂までは少し離れている展望台周辺でも、3箇所くらいで噴気が上がっていました。そのひとつを覗き込んでみると・・・・・・、なんと、噴気の噴出孔にタバコの吸殻を投げ捨ててあった。どこのばか者がこういうことをしたんだか。取り除こうかと思ったけど、噴気の温度が分からないので、火傷したくないですしねえ。白い湯気が立っているのは、雲じゃないですからね、みんな噴煙(噴気)です。手登山道のすぐ脇から、何箇所も噴気が上がっています。もし急に噴火したら・・・・・・、即死だな。で、アイゼンはないけど、とりあえず登れるところまでは登って見ました。雪があるとは言え、積雪量はわずかなので、岩場では雪の上に岩の角が頭を出しているので、案外アイゼンなしでも登れるものです。逆に言うと、これだけ雪が少ないと、アイゼンつけたら登りにくい。どのあたりまで登ったかというと正確ではないのですが、まるで囲った地点か、その近辺までは登りました。そのあたりまでは、アイゼンなしでもさほど危険ではなく登れます。しかし、さすがにその上は、そこそこ急な斜度だし、気のせいか岩の露出も少ないような。登れないことはないような気もしたのですが、滑落したら仕事に差しさわりが大きすぎる。それに、明後日演奏の予定があるのに、「山で滑落して怪我したので笛が吹けません」なんていうわけには行きませんから、引き返すことにしました。雪があるから滑るけど、アイゼン付けるには積雪が少なすぎる、という中途半端な時期で、むしろ本格的な積雪がある時より登りにくいかもしれません。(本格的な積雪のある時は雪崩の危険はありますが)山頂まで、標高差であと100メートルあるかどうかというところでしょうか。展望台まで引き返してきて、ケーナを何曲も吹いてしまいました。そこから下山して、上高地付近に着いたのが12時過ぎ。下山中、上高地付近を上から撮りました。カラマツの紅葉はいいですねえ。これも下山中の写真です。ただ、このあたりの写真の色合いは、デジカメよりフィルム写真のほうが確実に上です。フィルムの写真は、後日アップします。降りてきました。12時過ぎなので、上高地まで降りてきたところで昼食。レトルトカレーとアルファ米です。体力的にはまだまだ余裕があるし、日帰りなので、もうちょっと歩きたいなあと思い、さらに明神方面に向かいました。本当は明神まで行きたかったのですが、さすがにそこまでの時間の余裕はなく、途中で引き返しました。河童橋の前でソフトクリームを食べていたら、マガモが観光客の間を練り歩いていました。こういう光景は、私は初めて見ました。誰か、カモに餌をやった観光客がいるんだろうな。ユーモラスでかわいらしいけど、国立公園の野生の鳥としては、これでいいのかなあ。もっとも、あと2週間もすれば上高地は閉山となり、餌をやる観光客もいなくなりますが。バスターミナル前より。焼岳の山頂にはたどり着けなかったけど、この紅葉を見られただけでも大満足です。しかし、やっぱり北アルプス夜行日帰りではなく、もう1泊すべきですねえ。
2012.10.26
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昨日の記事へのコメント欄で書きましたが、気象庁は、地震予知の可能性について、このように書いています。地震予知について地震の予知はできますか?地震を予知するということは、地震の起こる時、場所、大きさの三つの要素を精度よく限定して予測することです。例えば「(時)一年以内に、(場所)日本の内陸部で、(大きさ)マグニチュード5の地震が起こる」というようなあいまいな予測や、毎日起きているマグニチュード4程度以下の小さな地震を予測するような場合はたいてい当たりますが、それは情報としての価値はあまりないと考えます。少なくとも「(時)一週間以内に、(場所)東京直下で、(大きさ)マグニチュード6~7の地震が発生する」というように限定されている必要があります。時を限定するためには、地震の予測される地域で科学的な観測が十分に行われ、常時監視体制が整っていることが欠かせません。そのような体制が整っていて予知のできる可能性があるのは、現在のところ(場所)駿河湾付近からその沖合いを震源とする、(大きさ)マグニチュード8クラスのいわゆる「東海地震」だけです。それ以外の地震については直前に予知できるほど現在の科学技術が進んでいません。東海地域にはどのような監視体制がとられていますか?東海地震の前兆現象を捉えるため、東海地域及びその周辺に各種の観測機器が設置されています。これらの機器には気象庁が整備した地震計、地殻岩石歪計のほか、国土地理院、海上保安庁、独立行政法人防災科学技術研究所、独立行政法人産業技術総合研究所、東京大学、名古屋大学及び静岡県の各機関が設置したものがあり(地震、地殻変動、地下水等)、気象庁にデータが集められ、常時監視しています。東海地震は必ず予知できるのですか?必ず予知できるのかとの問いには、「いいえ」となります。東海地域の観測網により前兆現象をとらえることができた場合のみ、気象庁は東海地震に関連する情報を発表してみなさんにお知らせすることができます。どのくらいの確率で前兆現象をとらえることができるのかは、残念ながら「不明」です。東海地震予知の鍵となる前兆現象は、前兆すべりと考えられています。前兆すべりとは、震源域(東海地震の場合、プレート境界の強く固着している領域)の一部が地震の発生前に剥がれ、ゆっくりと滑り動き始めるとされる現象です。気象庁は、東海地域に設置した歪計(ひずみけい)で前兆すべりをとらえようとしています。逆に、このような前兆すべりがとらえられない場合(前兆すべりの規模が小さすぎた、前兆すべりが沖合で発生した等、観測網でとらえられなかった場合。前兆すべりが生じるとする考え方が誤りであった場合。)や前兆すべりの進行があまりにも急激で時間的に余裕がない場合には、残念ながら情報発表がないまま地震発生に至ることになります。 ---私の記憶が確かなら、この文章は東日本大震災以前から掲載されていたと思います。つまり、現状、地震予知が可能かも知れないのは、東海地震のマグニチュード8クラス以上だけなのです。それも、あくまでも可能「かもしれない」だけであって、必ず可能ではないし、どのくらいの確率で予知できるかも分からない、という程度です。上記の文中に「それ以外の地震については直前に予知できるほど現在の科学技術が進んでいません」とありますが、本当のところを言えば、東海地震だけ予知できる(かも知れない)のに、それ以外の巨大地震が予知できないというのは、科学技術の問題ではないだろうと思います。つまり、東海地震の震源域には地震予知のための観測体制が組まれているけれど、それ以外の地域にはそのような濃密な監視体制がない、ということです。突き詰めれば、日本全国に濃密な監視体制を引くだけの予算がない、というところにたどり着くのでしょう。だから、一番可能性が高そうで、かつ政治・経済・交通面での影響が大きい東海地震に絞って監視体制を引いているのでしょう。科学技術という面で見ると、現在の地震予知体制は前兆すべり現象を捉えるためのものですが、巨大地震の際に必ず前兆すべり減少が発生するかどうか、発生したとしても、それを事前に捕捉可能なのかどうかは、わかっていません。少なくとも東日本大震災では、前兆すべり現象の発生は確認されていません。巨大地震の直前に前兆すべり現象が発生したとされるのは、1944年の昭和東南海地震です。地震の前日から当日にかけて、陸軍陸地測量部が静岡県の掛川から御前崎にかけての地域で測量をやっていて、いくらやっても異常に大きな誤差が出るし、水準器がどんどん狂っていく、おかしいぞと言っているうちに、地震が起きたのです。このとき、地震直前の前兆すべり現象によって、標高が動いていたためにちゃんと測量ができなかったのだ、ということが後になって分かったわけです。それが前兆現象だとリアルタイムで気がついていれば、地震予知に成功していたところだったわけです。ただ、問題は前兆すべり現象が確認されたのはこのときの地震だけ、ということなのです。東日本大震災では前兆すべり現象は確認されていませんし、東海・東南海・南海地震でも、前兆すべり現象があったことがわかっているのは、昭和東南海地震だけです。それ以前の安政地震や宝永地震の時代には、前兆すべり現象があったかどうかなんて、分かるわけがありません。つまり、昭和東南海地震というただ一度の前例を頼りに、それ以前の地震でも多分前兆すべり現象はあったのだろう、と当たりをつけて予知体制を引いているだけなのです。そう考えると、東海地震が予知できる可能性は、「運がよければ」程度でしかないだろうなと思えます。では、そんな精度の低い予知のために、公費で観測体制を敷くのは無駄なことなのでしょうか。私は、そうでもないと思っています。地震の予知はできなくても、発生した地震と、その直前の観測データを付き合わせることで、地震の直前に何が起こったのか、後から検証することができます。そういったデータが蓄積されていけば、巨大地震の直前には何が起こるのかが、より具体的にわかってくる、つまり予測の精度が上がってくるだろうと思われます。次の巨大地震は予知できなくても、次の次の巨大地震が予知できる確率が高まるなら、地震予知のための観測は、社会全体としてみれば有益であろうと私は思うのです。
2012.10.24
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科学者らに求刑上回る禁錮6年=地震警告失敗で有罪判決―伊地裁イタリア中部ラクイラで2009年4月に死者309人を出した大地震で、事前に住民に警告しなかったとして過失致死罪で科学者ら7人が起訴された裁判で、ラクイラ地裁は22日、全員に禁錮6年の有罪判決を下した。科学者らの判断が「不正確かつ不完全、矛盾に満ちている」と指摘。検察側求刑の禁錮4年を上回る厳しい判断を示した。地元メディアによると、被告弁護士の一人は「判決は信じられない内容だ」と述べ、控訴する意向を明らかにした。裁判は技術的に困難な地震予知をめぐり、科学者らに責任を問えるかどうかが争点となった。世界各国の5000人を超える科学者らが「科学を裁くことはできない」「専門家は責任追及を恐れ地震リスク評価に協力しなくなる」と批判していた。訴えられたのは、自然災害リスクを評価する政府市民保護局の委員会メンバーだった著名地震学者、地球物理学研究機関のトップ、同局幹部ら7人。ラクイラで続いていた微震のリスクに関し、地震発生6日前に「危険はない」と公表、住民が逃げ遅れるなど甚大な被害を招いたとして11年5月に起訴された。検察側は7人が「不完全かつ的外れで犯罪に値する誤った評価」を行ったとして責任を追及。地震予知ができたかどうかが問題ではなく、中世の歴史的建造物が残るラクイラが地震に弱く、住民へのリスク警告を怠った責任があると主張していた。----これが有罪なら、「原発は安全だ」と言っていた日本の専門家も禁固刑、ということで。と、言いたいところですけど、しかしこれはさすがにどうかと思います。日本の話ではないので、決めるのはあくまでもイタリアの司法であり国民であるわけですが、これでは、地震の専門家は何も言わないほうが身のためだ、ということになります。問題のラクイラ地震の規模は、マグニチュード6.3です。東日本大震災の1万分の1程度の、きわめて小さな地震です。もちろん、地震の規模が小さくても震源が浅くて、ごく近くに人口密集地があれば大きな被害を生じる場合があります。この地震もそういう例の一つだったようです。しかし、マグニチュード8クラスの東海地震でさえ、予測できるかどうか不確かなのに、マグニチュード6.3の地震を予測しろというのは無理な話です。もっとも、Wikipediaのこの自身に関する項目を読んだところ、どうもこの裁判には別の背景が絡んでいる可能性がありそうです。というのは、この地震の発生を、グラン・サッソ国立研究所の技師が予告していたのですが、それはデマであるとして、この技師は市民保護局から処分を受けていたようなのです。「安全宣言」というのは、この「デマ」に対する対抗措置として出されたのでしょう。結果としては、この技師の「デマ」が正しく、対抗して安全宣言を出した市民保護局が間違っていたわけです。その技師を処分してまで安全宣言を出した以上、その間違いに対する責任を取れ、ということなのかもしれません。ただし、このグラン・サッソ国立研究所というのは素粒子物理学の研究所だそうで、素粒子物理学で、はたしてどうやって地震の予測に成功したのかは分かりませんし、この技師の地震予測も、「近々に地震がイタリア国内で発生する」という、きわめて曖昧な内容だったので、予測が当たったというのも単なる偶然かもしれません。※イタリアでの地震の発生頻度は知りませんが、日本で考えれば「近々に地震が日本国内で発生する」なんてのは予測の名に値しません。なぜなら、日本国内において地震が発生しない日などないからです。いずれにしても、仮にそういう背景があったのだとしても、やはり地震予知に携わる科学者を、予測失敗を理由に刑事罰というのは、問題が大きすぎるように思います。
2012.10.23
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放射性廃棄物の処分場、栃木の矢板市長が白紙撤回要望東京電力福島第一原発事故の影響で高濃度の放射性物質に汚染された「指定廃棄物」の最終処分場について、栃木県の建設候補地とされた矢板市の遠藤忠市長と地区の代表者らが22日、環境省を訪れ、白紙撤回を求める要望書を園田康博副大臣に提出した。地元の2団体が集めた計約4万2千人分の署名も渡した。要望書では、候補地が水源地で活断層にも近いことなどを理由に撤回を求めている。園田副大臣は、地元に相談しないまま候補地を選んだことについて「提示の段階でもう少し丁寧なやり方はあったと思う。大変申し訳ない」と話した。 ---高レベル放射性廃棄物の処分場所が決まっていない話は、過去に何度か書いたことがありますが、福島第一原発事故の指定廃棄物は、使用済み核燃料そのものに比べれば、まだしも放射能の量は少ないのです。いや、少ないというのは語弊があるかもしれません。拡散してしまったので、単位重量あたりの放射能は結果的に少なくなっているだけのことですが。ともかく、あの六ヶ所村ですら「最終処分地は嫌だ」と言っているのです。高レベル廃棄物の中間貯蔵施設を受け入れ、周辺自治体も含めて原子力マネーに経済が依存している「原子力城下町」でさえも最終処分場は嫌だと言っているのだから、最終処分場を受け入れる自治体があるとは思えません。結局のところ、事故で発生した廃棄物に関しては、福島第一原発の敷地内にでも保管する以外に、受け入れ先があるとは思えません。しかし、福島の事故で発生した廃棄物は福島で、という理屈は成り立っても、それ以外の高レベル廃棄物まで福島第一原発で、という理屈は成り立ちません。それにしても、原発推進派の人たちは、高レベル廃棄物の問題をどう解決するつもりでいるんでしょうか。日本海溝に投棄しろなどと阿呆なことを主張するブロガーもいますが、国際条約で禁止されている以上は、そんなことは実行不可能です。好むと好まざるとに関わらず、六ヶ所村の中間貯蔵施設も、各原発の燃料貯蔵プールも満杯で、これ以上使用済み核燃料が保管できなくなる時期までに、最終処分地が決定されて、施設が完成している可能性は、皆無に近いと思われます。つまり、いくら原発維持と叫んだところで、(原発を稼動させ続ける限りは)数年後には新たな核燃料を原子炉に入れられなくなり、否応なく停止させるしかなくなります。皮肉なことに、今大半の原発が停止していることで、そのタイムリミットは先延ばしになっているわけですが。
2012.10.22
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尖閣諸島をめぐる一連の騒動をめぐって、不意に思い浮かんだのは太平洋戦争直前の時期に起こった日ソ間の国境紛争、ノモンハン事件のことです。1939年5月、「満洲国」とモンゴル人民共和国(外蒙)との間に国境紛争が勃発、それぞれの宗主国である日本とソ連の前面衝突に発展します。結果は日本側の惨敗。1個師団がほぼ壊滅状態となり、日本軍は外蒙・ソ連側の主張する国境線まで押し返されて停戦となります。戦闘の細かい経過などは、ウィキペディアなどに譲るとして、互いに数万の兵力と重砲、戦車を動員しての激しい戦争によって、日本側もソ連側もそれぞれ8000人前後の戦死者を出しています。勝ったソ連側の損害もまた、大きかったのです。(戦死・行方不明者は日本側のほうが多いが、戦傷はソ連側のほうが多かった)ノモンハン事件を描いた映画がありYouTubeにも映像が上がっています。五味川純平原作、山本薩夫監督「戦争と人間 第3部」です。さて、それほどの大戦争に至る原因となった国境紛争が、いったいどれほど重大なものだったのでしょうか。対立の原因は、両国の国境付近を流れるハルハ河の川岸がどちらの領土か、ということです。「満洲国」側(日本側)は、ハルハ河が国境線であると主張していました。それに対して、モンゴル人民共和国(ソ連側)は、河の右岸側に少し入ったところが国境線である、つまりハルハ河は両岸ともモンゴル人民共和国側のものであると主張していたのです。モンゴル人民共和国(外蒙)側にしても、「満洲国」側にしても、この地域に住んでいるのはモンゴル人ですが、一口にモンゴル人と言っても一枚岩ではなく、いくつかの部族に枝分かれしています。外蒙に住み、清朝崩壊後にモンゴル人民共和国として独立したのは、ハルハ族と呼ばれる系統です。それに対して、現在の中国領内(内蒙)に住むのは、バルカ族と呼ばれる別の系統です。こちらは中国から独立する途を選びませんでした。この2つの部族は、同じモンゴル族とは言え境界線をめぐって、長く紛争を続けてきました。問題のハルハ河を巡る争いは、1734年(ハルハ族もバルカ族も、ともに清朝に服属していた時代)に、清朝の調停によって境界線が定められています。時が流れてハルハ族がモンゴル人民共和国として独立したとき、彼らは当然のごとく、この清朝の時代の境界線を以って国境線だと考え、一方のバルカ族の側はそんなものはご破算だと考えたわけです。では日本はどう考えていたかと言うと、何も考えていなかった。1933年に「満洲国」という傀儡国家をでっち上げたものの、日本の軍人の多くは、この地域の国境線がどういう経緯で引かれたのかはよく知らなかったのです。ただ、「満洲国」の「国民」であるバルカ族が、ハルハ河が国境線だというから、よく分からないけれどそうなのか、そのとおりにしたというだけのことです。外蒙側の宗主国であるソ連も、ひょっとすると事情は同じかもしれません。お互いにさほど深く考えていなかった証拠に、「満洲国」をでっち上げる以前の古い時代に日本が作った地図には、外蒙側の主張のとおりの国境線が引かれていたり、逆に帝政ロシア時代にロシアで作られた地図では、内蒙側の主張のとおりの国境線が引かれていたりしているのです。ただ、清朝の時代に引かれた境界線には、オボと呼ばれる指導標が作られ、それはノモンハン事件当時も厳然として存在していました。もっとも、十数キロごとに指導標があるだけで、その間には金網があるわけでも線が引かれているわけでもありませんが。はっきり言ってしまえば、当事者であるハルハ族とバルカ族にとってはともかく、日本やソ連にとっては、本来どうでもいいような話なのです。私はノモンハンに行ったことなどありませんが、無人でこそないけれど、それに近い、行けども行けども草原ばかりというところだと聞きます。5キロや10キロ国境線が動いたからといって、たいした話ではない。境界線付近に住む当事者にとっては、水の少ない地域にあって、川がどちら側に帰属するかというのは重い問題かもしれないけれど、そのために、当事者そっちのけで、宗主国同士が戦争を始めるような重大性など、何もなかったというのが実際のところです。そのために、日本軍は死者行方不明者8000人以上と、傷病者約1万人を出しています。更に、装備の面での損害も深刻なものがありました。当時の陸軍航空隊の主力戦闘機は、97式戦闘機でしたが、これがノモンハンでほとんど壊滅してしまい、紛争の末期には、複葉機の95式戦闘機の部隊が増援に投入されています。砲兵は、日本本土からも強力な野戦重砲(ただし、強力というのは「当社従来比」でしかなく、対ソ連軍比では、はるかに弱体)を送り込んだものの、これが文字どおり全滅しました。野砲以上の火砲で生き残ったものはただの1門もなく、全部が破壊されるか捕獲されました。戦車部隊は、投入した戦車2個連隊約80両近くのうち、損失は約30両ほどでした。それも、実質的に4日間の戦闘での損害なのです。ノモンハン事件は4ヶ月も続いているうちの、そのうちのたった4日間でこれだけの損害を出したため、関東軍首脳は戦車部隊をすぐに引き上げさせてしまいました。だから、それ以上の損害は出なかった。当時の日本陸軍が持っていた戦車連隊は全部で8個、関東軍には3個連隊しかなかったのですが、そのうちの2個連隊をノモンハンに送り込んでいます。それだけ貴重な部隊だったため、全滅が惜しくてあわてて引っ込めてしまったわけです。いったい何故、そんな草原のなかのわずか数キロの国境線を巡って、これほどの大損害を蒙ってまで戦ったのでしょうか。要するに、国家の尊厳に名を借りた意地の突っ張りあいです。敵に後ろを見せた、逃げたと言われたくないから、勇ましい強硬論を吐く。何しろ勇ましい強硬論を吐く人間が最前線で小銃を持って戦うわけじゃないんだから、いくらでも勇ましいことがいえるわけです。よく知られているように、ノモンハン事件は関東軍が、陸軍や政府の統制を無視して、勝手に始めた戦争です。関東軍作戦参謀の辻政信は、「満ソ国境紛争処理要綱」なる文章を作成して、その中で「国境線明確ならざる地域に於いては、防衛司令官に於いて自主的に国境線を認定して之を第一線部隊に明示し」と指示しているのです。政府でも、軍中央ですらもない、前線の防衛司令官が、勝手に国境線を認定して、それを侵す敵と戦えというんだから、こんなに滅茶苦茶な話はありません。にもかかわらず、軍中央はこれを追認してしまいます。ノモンハン事件は関東軍が勝手に始めたといっても、そのための航空部隊や砲兵の増援は日本本土から送り込まれているのですから、軍中央は、関東軍に対して事実上「勝手にやれ」とけしかけていたに等しいのです。結局、対ソ関係とか日本のその後の進む道などを対極的に考えた上での行動ではなく、功名心にはやった一部のエリート軍人が、目先の利益と感情に目がくらんで場当たり的に戦った、としかいうことができません。対するソ連側は、スターリンが全権を握っていた。スターリンは世紀の大粛清を行った凶悪な独裁者で、独ソ戦では軍事的にもずいぶん失敗を繰り返していますが、少なくとも戦略、政略という面では、関東軍のエリート軍人より何枚も上手だった。日本軍は、前線ではずいぶん健闘したけれど、そもそも戦場以前の段階でソ連側にまるっきり勝負になっていなかったのですから、戦場でいくらがんばっても、勝てるわけがなかったのです。しかも、この戦争を独断で企図した関東軍首脳部はほとんど何の責も問われず、前線で戦った連隊長・大隊長クラスの指揮官のうちの生き残りが、敗戦の責を負わされて自決に追いやられているのは、上記の映画の中で描かれたているとおりです。連隊長の中でただ一人、自決を拒否した須見大佐は、予備役編入つまりクビになっているのです。もっとも、映画の中で自決を強要する役になっている第23師団の小松原師団長も、史実ではその後すぐ病死しています。おそらくは実質的に自決に近いような状況だったのでしょう。唯一、ノモンハン事件に意味があるとしたら、それは戦訓です。ノモンハン事件は、日本軍にとっての「ミニ太平洋戦争」とも言われます。つまり、太平洋戦争での日本軍の弱点、犯した過ちのすべての原型が、ノモンハン事件に見られるのです。従って、この失敗をよく研究してその教訓を生かすことができれば、太平洋戦争によって同じ過ちを拡大再生産することもなく、そうであればノモンハンの過ちも無駄ではなかった、ということになったはずですが、結果はご存知のとおりです。ノモンハンの戦訓は、一応は検討委員会が設けられて研究が行われて、報告書も出されています。しかし、報告書を(それも極秘裏に)出して、それを部外費として金庫にしまっただけでおしまい。ノモンハンの教訓は、太平洋戦争にはなんら生かされることはなく、同じ過ちが繰り返されたのです。なんともむなしい戦いです。
2012.10.20
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先週の新聞報道ですが都知事の「中国と戦争やむなし」の強硬論懸念し決断 前原氏が明かす前原誠司国家戦略担当相は12日のテレビ朝日番組収録で、沖縄県・尖閣諸島めぐる野田佳彦首相と石原慎太郎東京都知事の8月の会談内容を紹介、購入計画を表明していた都知事が中国と戦争になってもやむを得ないとの強硬論を展開したため、事態を懸念した首相が国有化を急いだとの見方を示した。前原氏は、首相と知事が8月19日に公邸で会談した際の同席者から話を聞いたと説明。「首相は石原氏の発言にあきれ、国として所有しないと大変なことになると(考えた)」と話した。前原氏は「都知事がこういうことを言い出さなかったら、問題は起きていない。(都は)自衛隊も持っていないのに気合だけで言ってもらっても困る」と批判。政府の国有化の意図について「中国政府の上層部まで届いていたのは間違いない」と強調した。一方、藤村修官房長官は12日の記者会見で、首相と石原氏との会談に関し「2人だけで会話しており、誰も知らないはずだ」と指摘した。---そのように証言している前原自身が、一昨年の尖閣諸島での漁船衝突事件の際は、場当たり的な強硬策を振りかざした前科があるわけですが、その前原すら呆れるような強硬論を振りかざしたのが石原慎太郎、ということのようです。今のところ、石原自身はそのような発言はしていないと否定しているものの、石原が尖閣諸島に関して「自分の国は血を流しても守るべき。通常兵器の戦争なら日本が勝つ。これを知らないからびくびくしている」とか、「大事なことは、例えば一滴でも二滴でも血を流してでも私たちが守るんだという意思表示をすることです」などと発言していることは歴然たる事実です。私は、気は確かか?と思うのですが、今の日本は、石原の尻馬に乗って「そうだ、血を流せ」と言い出す人が続出しそうな雰囲気すら漂っています。私は、当ブログで一貫して書いてているように、尖閣諸島は当然に日本の領土だと思っていますし、中国側の言い分はまったく間違っていると思っています。が、しかしそれにしても所詮は無人島であって、人の住んでいる土地とはわけが違います。人の住んでいる土地を血を流してでも守らなければいけない、というのは否定しませんが、無人島と人の命と、どちらのほうがより大切かといえば、人の命に決まっていると私は思います。大体、「血を流す」と安易に言うけれど、誰の血を流させるつもりですか。石原が自ら隊長になって、「血を流せ」と叫ぶ国士様練習を引き連れて尖閣諸島に駐留して中国軍を迎え撃つ、真っ先に血を流すというならまだしも、実際にはそんなことはあり得ません。現実に「血を流す」可能性が高いのは、自衛隊員ということになります。御年80歳で、老い先もそう長くはない石原が、「戦場」からはるか離れた東京で、まだまだこれから様々な人生が開けるであろう20代の自衛隊員に「血を流せ」と言う、なんともグロテスクな光景と思わざるを得ません。
2012.10.19
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私がYouTubeにアップしている演奏のうちで、圧倒的に再生回数が多いのは、やはり「コンドルは飛んでいく」です。まったく同じ音源を、何故か2つアップしているのですが、片方は現在23万回、もう一方は18万回も再生されています。それだけ知名度のある曲、ということです。ところで、この音源は、ティエラ・クリオージャというグループの演奏です。2006年に結成し、中心メンバーの転勤によって、2009年以来休眠していたのですが、このたび、その中心メンバーが転勤で東京に戻ってきたため、3年半ぶりにこのグループも復活することになりました。10月28日(日)午前中中野区新井区民活動センター「あらいまつり」にて演奏(中央線中野駅から徒歩15分、西武新宿線沼袋駅から徒歩10分)時間は午前11時台で約15分間です。もちろん入場無料本来5人編成ですが、今回の出演メンバーは4人です。(笛担当が私だけかも)あらいまつりホームページ
2012.10.17
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<PC遠隔操作>「真犯人」メール 東京や横浜も関与認めるTBSに犯行声明とみられるメールが届き、インターネット上で犯行予告をしたとして逮捕された男性が釈放された問題は新たな展開を迎えた。メールは大阪府や三重県の事件だけでなく、これまで遠隔操作による成り済ましが指摘されていなかった横浜市の小学校襲撃予告事件についても関与を認めた。警視庁や神奈川県警は捜査のさらなる検証を迫られる事態となった。パソコンの遠隔操作ウイルス事件で、秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(6)が通う幼稚園や横浜市の小学校に襲撃予告のメールを送り付けたとして、威力業務妨害容疑で逮捕された男性2人が一時、捜査当局の取り調べに容疑を否認していたことが、捜査関係者への取材で分かった。2事件ともTBSに送り付けられた犯行声明で関与に言及している。 神奈川県警によると、6月に横浜市のホームページに小学校への襲撃予告を書き込んだとして、男子大学生(19)を逮捕。当初は「やってない」と否認したが、その後、横浜地検に「楽しそうな小学生を見て困らせてやろうと思った」と容疑を認めたという。すでに保護観察処分が決定しているが、県警は一連の経緯について調査を始めた。一方、8月に秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまが通う幼稚園への襲撃予告を送信したとして、警視庁に逮捕された福岡市の無職男性(28)もいったんは「同居の女性がやった」と関与を否定していた。しかし、その後は容疑を認め「就職活動で不採用になったのでむしゃくしゃしてやった」と具体的に動機を説明。さらに有名子役タレント事務所への脅迫メールを送信したことも認め、再逮捕されていた。ただ、地検の調べには否認していたという。警視庁はこれまで「容疑を認めており、大阪などの事件とは異なる」と強調していた。ただ、今回の「犯行声明」は、犯人しか知り得ない詳細な内容で、実際に送り付けられたメールと全文が一致していた。捜査の見直しを迫られる可能性もあり、捜査幹部は「動機もきちんと供述していたのに」と困惑した様子で話した。----怖すぎるのは、東京と横浜の事件について、「犯人」は最終的に容疑を認めている、という点です。「今回の「犯行声明」は、犯人しか知り得ない詳細な内容で、実際に送り付けられたメールと全文が一致していた。」というところから考えて、その犯行声明の主が真犯人である可能性が極めて高そうです。一昨日の記事で取り上げた2人は、一貫して犯行を否認していたようですが、今回の2人は当初は否認したものの、すぐに認めてしまった。しかし、考えてみると、世の冤罪事件の多くは、「犯人」は取り調べで犯行を自供しています。近年の事件として有名な足利事件がその一例です。いくら何でも今の時代に拷問はやっていないでしょうが、無実の罪でも、「犯行」を自供してしまう取り調べというのは、恐ろしいなと思ってしまいます。特にこういう事件は、誰に罪がなすりつけられてしまうか分かりませんからね。とりあえずは、パソコンのセキュリティーを厳にする必要はありますが。追記、この件について、京都弁護士会所属で、元検事だった「モトケン」こと矢部善朗氏は、ツィッターで、大阪府警と地検の対応を弁護する意見に対して、このように書いています。逮捕されただけで、起訴されなくても、会社を首になって家庭が崩壊したりして人生めちゃくちゃになってしまった人を実際に見たことのある人と見たことのない人の違いは決定的に大きいかも知れない。私も、冤罪で投獄されて人生をメチャクチャにされた人の実例は、知っています。しかし、逮捕されただけで起訴されなくても人生をメチャクチャにされた人の実例までは、見た経験はありません。見たことはありませんが、実名入りで「逮捕」とデカデカと報じられた後、小さな記事で「処分保留で釈放」という結末となった人が、指摘されているような悲惨な状況に陥る可能性は、容易に想像がつきます。想像がつかなければおかしい。
2012.10.16
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機内での盗 撮、立件に壁 「どこの上空」特定が必要飛行中の旅客機内での盗 撮容疑で全国で初めて逮捕された男が、処分保留で釈放されていたことがわかった。盗 撮した地点が特定できず、どの都道府県条例を適用すべきか確定できないと検察が判断したためという。警視庁は同様の事案に対する取り締まり策の検討に乗り出した。 ---うーーーーーん、これが法律に違反する行為であれば、飛行機がどこの上空を飛んでいようが立件することができるわけですが、条例となるとそうはいかない、意外な盲点です。ただ、盗 撮を処罰する規定って迷惑防止条例以外にないのでしょうか。軽犯罪法とか、何か法律で取り締まる根拠があれば、こういうことは起こらないわけですが。飛行機内だけ盗 撮が野放し状態でよいはずがありません。ただし、この問題の人物は逮捕された時点で兵庫県上空の機内で客室乗務員盗 撮 社長の男逮捕兵庫県上空を飛行中の航空機内で女性客室乗務員(27)のスカートの中を盗 撮したとして、警視庁東京空港署が兵庫県迷惑防止条例違反の疑いで、高松市楠上町、会社社長(34)を逮捕していたことが12日、同署への取材で分かった。盗 撮犯罪を取り締まる迷惑防止条例は各都道府県がそれぞれ別に制定しているが、同署は、飛行機が兵庫県上空を飛行していた際の事件と判断して、同県の条例を適用した。(以下略)---と、実名入りで報道されていますから(引用文は実名を削除しましたが)、法的制裁措置は受けなくとも、それなりの社会的制裁は受けることになるのでしょう。もっとも、これが公務員や会社員ならまず懲戒免職ですが、自分が社長では、それもおそらくは年齢から見て中小企業のオーナー社長でしょうから、クビにはなりようがない。名が知れ渡って、取引がとまって倒産、という可能性は大いにあるけど。その一方で、逆にこんな事件もありましたHPに殺人予告、第三者が遠隔操作か…男性釈放大阪市のホームページ(HP)に無差別殺人を予告する書き込みをしたとして、逮捕、起訴された男性(42)が使ったとされるパソコンが犯行時、第三者が遠隔操作できる状態だったことが大阪府警の調べでわかった。何者かがパソコンを使って書き込みをした可能性もあり、大阪地検は9月に男性を釈放。府警は第三者の関与も視野に捜査を進めている。男性は7月29日、HPの市政への意見募集欄に「(大阪・日本橋の)オタロードで大量殺人する」などと書き込み、警察官に付近を警戒させたなどとして8月に威力業務妨害容疑で逮捕された。任意聴取の段階から「全く身に覚えがない」と否認していたが、9月に偽計業務妨害罪で起訴された。ところが、起訴後、男性が書き込みに使ったとされるパソコンは、犯行時には第三者が遠隔操作できるプログラムが組み込まれた状態だったことが判明した。押収時にはプログラムは削除されていたという。府警は同地検と協議。同地検は「さらに捜査を尽くす必要がある」として、大阪地裁に男性の勾留の取り消しを求めて認められ、9月21日に釈放した。---こちらは冤罪による誤認逮捕です。その後の報道によれば、そもそも、問題の書き込みは本人の名前を名乗って(ただし、ふり仮名は誤って)行われていたそうです。状況証拠から考えれば、どう考えたって第三者が被疑者を陥れるためにやったことは明らかだし、警察もそうではないかと疑いながら、それでも逮捕してしまったというのです。結果的には冤罪が証明されてよかったのですが、そのために26日間も拘留され、起訴まで持っていかれているのです。被疑者が受けた打撃は、相当大きいのではないかと思います。そして何より、犯罪行為を犯した上にその罪を他人になすりつけた真犯人は、迷宮入りによって罪に問われることもないのですから、何とも理不尽な話です。ただ、この事件に関しては、パソコンを使っている限り誰もが被害者になる可能性があるわけで、自己防衛も考えておく必要がありそうです。言うまでもなくパソコンにはセキュリティーソフトは入れてありますけど、冤罪に問われてしまった二人の方だって、今どきパソコンにセキュリティーソフトを入れていなかったとは思えません。セキュリティーソフトが入れてあってもかいくぐられてしまったのか、アップデートを怠っていたのか(しかし、最近のセキュリティーソフトは、ユーザーが操作しなくても、自動でアップデートしてくれるはず)、アングラ系のサイトに出入りするために切ってしまったのか、そのあたりの経緯がよく分かりませんけど、ともかく気をつけたいところです。
2012.10.14
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原発防災指針 重点域30キロ圏は現実的か対象となる地域が広すぎるのではないか。肝心の安全対策が希薄化し、混乱を拡大する結果になりはしないか心配だ。原発事故が起きた場合に住民の被曝(ひばく)防護を確実なものとするための「原子力災害対策指針」についての印象である。原子力規制委員会によって示された指針の原案では、事故に備える重点区域(UPZ)が原発を中心とする半径30キロ圏内となっている。福島事故前の同8~10キロ圏内に比べて9倍の広さへの拡大である。この結果、関係する自治体は、従来の15道府県45市町村から21道府県135市町村に増加する。対象人口は現行の73万人から480万人に膨れ上がる。円滑な合意形成は可能なのか。限られた時間内で、政府や自治体、電力会社は、これだけ多数の住民に被曝を避ける情報を的確に伝え、各種の要請に応えられるのか。また、大勢の人が一度に動けば大混乱に陥りかねない。UPZを30キロに広げるのは、水素爆発で大量の放射性物質が拡散する事態などを想定したためだ。だが、水素爆発の防止などの過酷事故対策は、昨年6月の原子力安全・保安院の指示によって全原発で実施されている。各原発での安全対策への取り組みを考慮することなく、災害対策指針を作るのはいかがなものか。より高い安全性を目指す姿勢は正しくても、度を越せば目的とは逆の結果を招きかねない。規制委は今月中に指針を策定し、それを基に対象市町村などは来年3月までに地域ごとの防災計画を立てることになっている。法律に定められた手順だが、規制委は、もう一つの重要課題である原発の「新安全基準」策定を優先させるべきではなかったか。耐震性などで、より高い安全性を確保した後に、万が一に備える防災計画の立案に進めば、現実に即したUPZを導き出せたはずだ。日本の原発の安全性は、事故後の緊急対策でも向上がはかられたが、新安全基準ができれば事故はさらに起きにくい。現状を論理的に考えれば、今後、原発の過酷事故が起きる可能性は国内より一部の国外の方が高くなる。にもかかわらず、偏西風の風上側で起きる原発事故に対し、新たな原子力災害対策指針は無防備にすぎる。原発防災には、より現実的な視点が必要だ。---安全保障ということをやたらと叫びたがる産経新聞が、こと原発となると「安全だ」「過剰な安全対策は」と叫ぶのだから、話になりません。いまだに原発安全神話にしがみついている、というか安全対策が「過剰に」行われることによって原発の危険性がクローズアップされるのがいやだ、ということなのでしょう。文部科学省のモニタリングポストの数値を見れば、原発から約30km離れた地点で、現在もなお、空間線量が毎時10マイクロシーベルト(年間に換算して90ミリシーベルト)を越える地点が見られます。(浪江町葛久保集会所)毎時20マイクロシーベルト(年間180ミリシーベルト)を超える地点も、10km圏の外側に見られます。いずれも、事故から1年8ヶ月経った現在の数値です。この数値を見れば、事故に備える重点区域が原発から8~10キロ圏までしか設定されていなかったのは、あまりに狭すぎだったことは明らかですから、30km圏まで広げるのは当然の話なのです。「限られた時間内で、政府や自治体、電力会社は、これだけ多数の住民に被曝を避ける情報を的確に伝え、各種の要請に応えられるのか。」確かに、なかなか大変なことではあるでしょう。しかし、大変だから、あるいはできないから放置しておけばよい、ということにはならない。そういうことを言い出せば、想定される東海・東南海・南海連動地震による被災者の数は、480万人よりもっと多い可能性が高い。しかし、対策が難しいから想定の規模を小さくしておけ、なんてことがあり得ますか?「過酷事故対策は、昨年6月の原子力安全・保安院の指示によって全原発で実施されている。」それで原発事故はもう心配要らない、などと能天気に信じることができる人は、産経新聞に代表される原発安全信者以外にはいないでしょう。「原発の「新安全基準」策定を優先させるべきではなかったか。耐震性などで、より高い安全性を確保した後に、万が一に備える防災計画の立案に進めば、現実に即したUPZを導き出せたはずだ。」これはびっくりの理屈です。「新安全基準」を策定すれば、原発は即高い安全性を確保できると思っているのでしょうか。書類の上で新しい安全基準を策定しても、その安全基準に従って原発を改修するには更に時間が必要で、改修が終わるまではまだ安全ではないのです。「今後、原発の過酷事故が起きる可能性は国内より一部の国外の方が高くなる。にもかかわらず、偏西風の風上側で起きる原発事故に対し、新たな原子力災害対策指針は無防備にすぎる。」この理屈も笑ってしまいます。要は、韓国や中国の原発は危ないといっているわけです。韓国の原発位置を私は正確には知りませんが、釜山近辺(韓国の中では日本に一番近い地域)にあるとして、対馬までが約50km、本土までなら200km近く離れています。まして、中国はもっと遠い。日本の原発で30km圏内を防災重点区域にするのは大げさすぎると言っている同じ口で、それよりずっと遠方の中国や韓国の原発に対して「無防備すぎる」というのは、もはや理屈もへったくれもありません。現実問題として、対馬に関しては(釜山近辺に原発があるなら)事故対策はおそらく必要でしょう。しかし、本土に関しては、一番近い九州北部でも福島第一原発と関東くらいの距離があるという事実は踏まえるべきです。
2012.10.12
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田中慶秋法相が、就任早々台湾人から献金を受け取っていた事実が発覚し、続いて暴力団関係者との親密な交際が報道されています。私に言わせれば、外国人からの政治献金はたいした問題ではありません。知っていて受け取っていたわけではないだろうというのがひとつと、そもそも田中の出身政党は旧民社党であり、何十万円程度の外国人からの献金など小さく見えるくらい、真っ黒な歴史を民社党は背負っているからです。しかし、もうひとつの問題である暴力団関係者との交際は、見逃すわけには行かない。他でもない法務大臣という職責と、暴力団関係者との交際は、あまりに相容れない。さっさと辞任すべきでしょう。ところで、先に、私は「何十万円程度の外国人からの献金など小さく見えるくらい、真っ黒な歴史を民社党は背負っている」と書きました。民社党は、みなさんご存知と思いますが、旧日本社会党から右派が分裂して結成した政党で、1960年に結党(当初は正式名称を民主社会党と称したが、後に通称の民社党を正式名称とした)、1994ねんには、新進党に合流して解党し、その残党は現在、一部が自民党に、大部分が民主党に所属しています。「真っ黒な歴史」というのはどういうことかというと、この党が日本社会党から分裂した背景には、米国CIAの工作があり、結党時に75000千ドル、それ以降も1964年まで毎年同程度の資金援助を受けていたからです。1ドル360円時代ですから、日本円では2700万円になります。1960年当時の2700万円は、現在のいくらに相当するでしょうか。大卒初任給が1万数千円という時代ですから、現在の価値で言えばおおむね10倍前後ということになるでしょう。つまり、現在の貨幣価値で言えば2億から3億程度のお金を毎年受け取っていたわけです。付け加えれば、自民党もまた、CIAから資金援助を受けていました。その額は数百万ドルというから、民社党よりはるかに高額です。「台湾人飲食店経営者からの献金」なんてのとは、金額の桁が違うし、外国の諜報機関からの資金援助と分かっていた受け取っていたわけです。そして、自民党も民社党も、資金援助者CIAの意向に忠実でした。民社党は、結党以来右へ右へと転向し、ついには自民党より右といわれるまでになりました。そのことを如実に示す出来事が、1973年にありました。チリで、ピノチェト将軍がアジェンデ政権をクーデターで倒したとき、民社党は代表団をチリに派遣し、このあからさまに非民主的行動を「神の声」とまで賛美したのです。その後のピノチェト政権の強権的な弾圧と、それに対する激しい民主化運動、1989年の民政復帰については、当ブログの読者の皆さんは、ご存知の方も多いのではないかと思います。そのピノチェト軍事独裁政権を賛美した民社党の綱領には「左右の全体主義に反対し」と書かれていましたが、口ではそういっても、実際にやっていたことは、「左の全体主義に反対し、右の全体主義には賛成」だったわけです。民社党にとって、反共主義は民主主義より大事だったのでしょう。もっとも、CIAの資金援助にもかかわらず、民社党の議席数は、社会党から分裂した結党時が一番多く(40議席)、選挙でこの議席数に届くことは、一度たりともできなかったのです(1983年の総選挙で39議席を取ったのが、選挙での獲得議席の最高記録)。で、その民社党出身者のそうそうたる顔ぶれ。元委員長塚本三郎 解党後自民党に入党するも落選して政界を引退、現在はネットウヨク団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の愛知県本部顧問元衆議院議員西村眞悟 この極右政治家については説明不要でしょう。父親の西村栄一が民社党の委員長であり、本人自身も二世政治家として、民社党から衆議院に初当選しています中井洽元国家公安委員長 女性スキャンダルで有名そして田中慶秋法務大臣、というわけです。まったくすばらしき面々としか言いようがありません。こういう人たちが、現在の民主党において、有力な派閥として閣僚を何人も送り込んでいるわけです。そうそう、昨日の記事で取り上げた鷲尾英一郎(発言自体は特に問題となるような性質のものではないけれど)も、本人自身に民社党での議員歴はないものの、民主党内の旧民社党派閥である民社協会に所属しています。
2012.10.11
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尖閣「中国が所有したっていい」 農水政務官が発言鷲尾英一郎農林水産政務官は9日夜、都内で開いた自身の政治資金パーティーで、沖縄県・尖閣諸島について「尖閣諸島は日本の領土だ。誰が所有しようと関係ない。語弊はあるが中国政府が所有したっていい」と述べた。誰が所有者かということより、固有の領土として尖閣諸島を守る体制強化の方が重要だとの認識を示した発言だが、中国による尖閣購入を容認したとも受け止められかねず、誤解を招く恐れがある。政府はすでに尖閣諸島の国有化を閣議決定しているが、鷲尾氏は「誰が所有するかの問題ではない。(中国が所有するなら)日本の登記簿に中国政府と書いてもらったらいいだけの話だ。日本の領土として、われわれが断固たる決意のもと島を守り抜くことが大事だ」と述べ、海上警察権の強化などに取り組む必要性を訴えた。---これ以上中国との間で対立を拡大するのが望ましいとは思えないのですが、産経新聞の批判は、そっちの方向ではなく、「中国による尖閣購入を容認したとも受け止められかねず」という方向にあるようです。それは、ものすごく頓珍漢な批判としか思えません。土地の保有者が誰かと、どこの国の領土なのかは、まったく別の問題なので、この点に関する限り、鷲尾英一郎の言い分はまったく正しい。以前、石原都知事が尖閣諸島購入をぶち上げたとき、その問題を記事に取り上げたことがあります。そのコメント欄のやり取りで、中国が尖閣購入に350億円を提示したという地権者の弟の証言を取り上げて、中国側の動きはかなり挑発的だというコメントがありました。それに対して、私は以下のように回答しています。金で購入しようと画策することのどこが挑発的ですか。むしろきわめて穏便な策ですよ。金で買収しようとするということは、その地権者の所有権を認めている=日本における土地の登記の正当性を認めているということを意味しています。言うまでもなく、その土地の所有権が誰にあるかと、その土地がどこの国の領土であるかは別の問題です。中国政府が千代田区の土地を購入したからといって、その土地は中国の領土になるわけではありません。尖閣諸島も同様です。 中国が350億円で尖閣諸島を購入しようとした、というのは、今のところ地権者(売却済みなので、元地権者ですが)の弟だけが言っている話です。上記コメントで指摘したように、中国政府が尖閣諸島を購入するというのは、日本の国内法による土地の登記を認めるという意味であり、それはすなわち日本の領土であると認めるということです。領有権問題で負けを認めるに等しいそんな行為を中国政府が行うとは考えがたいので、この話は、買い取り価格のつりあげを狙った地権者側のブラフの一種だろうと私は推測しています。現実問題として、政府は尖閣諸島購入の契約を締結して国有化を行ったと、9月11日に報じられています。誰がいくらお金を積み上げたところで、もう尖閣諸島を買い取ることは不可能になっているのです。その状況を踏まえて、あえて「中国が所有したっていい」と言っているのは明らかです。
2012.10.10
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12月9日衆院選を念頭=全国幹事長会議で準備指示―自民・石破氏自民党は9日、新執行部発足後初の全国幹事長会議を党本部で開いた。安倍晋三総裁は「この麗しい国が危うくなっている。だからこそ政権を奪還しなければならない」と決意を表明。石破茂幹事長は衆院選の時期について「常識的に考えれば年内だ。12月9日投票を念頭に置いてやっていかねばならない」と述べ、準備を加速するよう指示した。---12月9日というのは、もともと公明党の党内事情で年内に衆院選にしてほしい、というところから来ているようです。まあ公明党や自民党が、少しでも早く解散してほしいと主張するのは分かりますが、解散を決めるのはあくまでも首相です。仮に12月9日投票とすれば、解散はいつか。解散の日から40日以内に選挙をしなければならないので、12月9日の40日前とすれば10月31日以降でなければなりません。また、衆院選の告示は投票の12日前なので、11月28日。つまり解散は最低限その現実以前でなければならない。現実には、まさか解散の翌日に告示と言うわけにはいかないので、多分遅くても11月20日頃まででなければならないでしょう。そのタイミングで、自民党や公明党の要望に沿って野田首相が解散するか。すべきか否かではなく、可能性の問題として考えれば、解散するわけないだろうなと思います。選挙をやれば確実に負けるとわかっているのだから、政権を握っている側としては選挙は少しでも先に伸ばしたいに決まっています。自民党最後の麻生内閣だって、そうやって、実質任期満了まで解散を先延ばししたんだから、民主党だって同じ事を考えるでしょう。それに対して、総選挙を12月9日に設定させるような秘策が、自民党公明党にあるのか、例の特例公債法を人質にする戦法がそうなのかも知れないけれど、それをやったら、「この麗しい国が危うく」なった元凶はほかならぬ自民党だ、ということにもなります。それに、一票の格差に違憲判決が出ている状態を放置したまま総選挙などということは、あり得ないわけです。それらのことを考えあわせると、、「一刻も早く解散を求める」と主張するのは野党の立場として当然としても、12月9日という具体的な日を掲げるのは、ほとんど絵に描いた餅ではないかと思います。では、解散総選挙はいつか。私にそれが分かるわけがないんだけど、野田政権に来年度予算を通す能力があるかどうか、というところじゃないでしょうか。予算は衆議院さえ通れば成立するので、理論上は衆議院さえ過半数を取っていればいいのですが、その衆議院の過半数も、今後更に造反者が出れば危うい。新年度予算成立の見込みがまったくないとなったら、そこで万事休すで解散するでしょうし、そうなる可能性が高いんじゃないかって思うのですが、どうでしょう。そうすると来年の3月あたり?まあ、素人のあてずっぽう予測ですけど。
2012.10.09
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先日の記事で予告したとおり、福島県川俣町で開催されている日本最大のフォルクローレの祭典、「コスキン・エン・ハポン」に参加してきました。去年は見に行っただけですが、今回は出演です。2000年以来、12年ぶりの演奏です。ところが、昨日の晩にちょっとした事件があって、大ピンチに追い込まれました。実は、子どもと遊んでいて、右手人差し指の付け根を突き指しちゃったのです。子どもが私の手の甲を叩いたのが原因なのですが、特に指を捻ったり、変な向きに曲げたりしたわけでもないのに、どうしてそうなっちゃったのか、よく分かりません。とにかく、指が痛い。湿布を貼って寝たけど、今日になっても痛い。ケーナやサンポーニャなら、突き指くらいたいしたことはないのですが、よりによって今日演奏したのはギターなのです。果たして大丈夫なのか?俺。とは言え、まさか今更「突き指したので演奏できません」なんて言えるわけもなく、これはもう指が千切れてもギターを弾くしかない、と(笑)これが左手の人差し指だったら、完全アウトになってしまうところですが、右手だったのは、まだしも不幸中の幸いです。今回演奏に参加したのは、「カスティージョ・デ・アンデス」というグループ。主催しているのは、広島の叶堂さん夫妻。最近は、「福島と広島をつなぐ会」という活動もされているそうです。叶堂さんとは、以前にお会いしたことがあり、ある資料を送ったこともあるのですが、一緒に演奏するのは初めてです。演奏曲の音源は事前に送っていただきましたが、広島と東京では、一緒に練習する機会はなく、当日練習のみで本番に臨みました。何でも、昨日地元の福島民友新聞の取材を受けたそうで、今朝の紙面に結構大きな記事が出ているんですね。ネット上に記事がないかと探してみましたが、残念ながらないようです。福島民友の「コスキン・エン・ハポン」の紹介記事はこちらです。とにかく演奏しました。デジカメは持っていったのですが、演奏直前に録画の準備をする余裕がなく、録音しかしていません。なので、例によって音声のみで、画像は無関係な山の写真になっています。演奏したのは、「インディオの泣くとき」と「水辺の花」の2曲。アップしたのは「水辺の花」のほうです。この曲の方が指の負担は大きかったのですが、私にとってはこのリズム(カルナバル)が、ギターで一番得意なリズムなのです。とりあえず、ちゃんと弾けましたし、皆様の足を引っ張るようなことにはならなかったようです。ただ、演奏後は突き指したところが赤く腫れています。しばらくはギターは弾けないかも。笛類は問題ないですが。それにしても、叶堂さんのケーナはなかなか上手いです。聞いたら、もともとフルートをやっていたそうで。私とは逆ですね。(私はケーナをやっていて、比較的最近フルートも始めたので)演奏メンバーは右端の女性は、「広島と福島をつなぐ会」のメンバーだそうですが、演奏には参加しておらず、演奏したのは残りの4人です。会場となった川俣中央公民館。文部科学省のモニタリングポストが、ここに設置されているのですが、いったいどこに設置されているのか、建物の周囲を探してみましたが、分かりませんでした。人目につかないところだとすると、屋上かな?あるいは駐車場の端のほうとかかな。去年は、測定器を人から借りて持っていったのですが、モニタリングポストが目の前にあるのが分かったので、今年はもって行きませんでした。もっとも、モニタリングポストの数字を見ると、去年の今頃と比べて、放射線量はまったく減っていないんですね。まあ、1日や2日の滞在で心配するほどの放射線量ではありません。前庭には屋台がいっぱい。左手には地元有志による出店。右手は、南米人による出店。この屋台のサルテーニャ※はおいしかった。日本で南米のエンパナーダを食べる機会は稀にありますが、ボリビアのサルテーニャを日本で食べたのは初めてかもしれません。※南米各国には、エンパナーダと呼ばれるミートパイがあります。見た目は、ロシア料理のピロシキによく似ています。日本でよく似た料理を探すと、しいて言えば餃子に似ていなくもない(もっと大きいですが)。ボリビアのエンパナーダは、特にサルテーニャと呼ばれますが、他の国のエンパナーダと違って、中にスープが入っているのです。多分、作るのはかなり難しいんじゃないかと思います。アルゼンチンのフォルクローレ舞踊のグループ、ダンサ・エレンシア。このグループの伴奏も、7~8年やったなあ。そして、実はまた新しいケーナを買ってしまいました。去年、このコスキン・エン・ハポンの会場で買った木管ケーナが、とても良い笛なのです。山で吹くと、驚くほどよく響く。ところが、残念なことに音程が高くて、ステージでの演奏には使えない。そこで、同じ製作者(かどうかは、刻印がないので定かではないのですが)の、比較的音程の低めの笛を探しました。で、買ってきたのが、これです。3本並んでいるうち、真ん中が今日買ったケーナです。上は去年買ったケーナ、下は現在メインで使っているケーナです。上2本は木管で、一番下だけ竹管。同じ写真のアップです。去年買った笛より、歌口から指穴までの距離の違いが分かりますね。でも、今使っている竹のケーナも指穴の位置は高めだけど、音程は高くありません。管の肉厚とか内径などの要素も音程に関わってくるので、こういうことも起こります。3本を上から撮りました。去年買った「魔笛」は肉厚がかなり厚く、現在使っている竹管は比較的肉厚が薄い。今日買ったケーナは、両者の中間くらいの肉厚です。さて、このケーナはちゃんと吹きこなせるかな。ちなみに、お値段は1万円以上です。
2012.10.07
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上関原発建設計画:山本知事「許可できない」と明言 埋め立て免許失効へ /山口山本繁太郎知事は5日、中国電力が同日申請した上関原発の予定地の公有水面(海面)埋め立て免許の期限の延長申請について記者団の取材に応じ、「申請は許可できない。不許可の処分とする」と明言した。県は今後、行政手続法に基づき、原則として32日以内に判断を示すが、「失効」の結論は揺るがない。免許は、県が不許可の判断をした時点で失効する。中国電力には原状回復義務が生じ、現地に設置したブイの撤去などを行わなければならない。不許可に対し、中国電力は国土交通省に不服を申し立てたり、県を相手取り行政訴訟を起こすことはできる。知事は、延長を認めない理由について、「国のエネルギー政策が明確ではなく、土地利用計画が明確ではないため」と述べ、二井関成前知事のスタンスを継承した。 一方、枝野幸男経済産業相が上関原発の建設は認めないとの見解を示したことについては「間接的に聞いている事柄なのでコメントは控えたい」としたうえで、「国のエネルギー政策を早く樹立してほしい」と繰り返し述べた。枝野経産相の発言は一閣僚としての見解にとどまり、政府全体の方針には至っていないという見方を示した。 ◇埋め立て許可を永久取り消しへ 市民団体が知事に要請上関原発計画を巡って、県高教祖や県労連など13団体と個人で作る「原発をつくらせない山口県民の会」は5日、上関原発建設予定地の埋め立て許可の延長を永久に取り消すことなどを知事に要請した。---中国電力は、今の情勢でもなお原発建設をあきらめず、埋め立て免許の期限の延長申請を行ったそうですが、知事は延長を許可しないといっているので、事実上建設は不可能になりました。山本繁太郎は、先日の知事選で反原発の飯田哲也を破って当選したばかりですが、旧建設省の官僚出身で、ある意味で自民党の古い体質を体現したような人物です。しかも、山口県という土地は、保守派の非常に強い土地でもあります。安倍晋三の地元だし。そのような土地で、およそ「反原発」とは対極の政治的立ち位置にいる知事が、原発建設に事実上ダメだしを突きつける決定をするというのは、それほど原発に反対する世論が強くなっている、ということです。先の知事選で、飯田哲也は負けはしたものの、強さを見せ付けたことで、勝った山本知事も脱原発を求める世論の流れを無視できなくなった、ということでしょう。もし飯田が圧倒的大差でのボロ負けだったとしたら、山本知事の選択は違ったかもしれません。そういう意味では、飯田哲也は選挙で負けたけれど政策で勝った、とも言えるかもしれません。これで、当面は上関原発の建設は不可能になりました。しかし、その一方で青森県の大間原発は、工事再開だそうです。当ブログで何度か指摘したことがありますが、去年の震災以降、原発が建設される自治体は原発を推進し、その周囲の自治体は反対する、という構図がよく見られます。原発を受け入れる自治体は様々な補助金や地方交付税で潤い、その周辺自治体はリスクだけを背負うことになるからです。もっとも、大間原発の地元青森県(下北)は、原発関連施設を受け入れている自治体が、大間町、東通村、六ヶ所村、むつ市と、いっぱいあって、どの自治体も、いわば共犯のようなものだから、青森県内からはあまり反対の声は上がらないけれど(しかし、津軽のほうは原発関連施設はあまりないけれど、どうなんだろうか)、津軽海峡を隔てた北海道の函館市から、工事再開絶対反対の強い意思表示が行われています。訴訟も辞さないといっているようです。どうなるかは予断を許しませんが、これだけ世論の原発に対する視線は厳しくなっているということは言えます。私はもちろん、原発の建設工事は中止すべきと思っていますが、仮に大間原発の工事再開が強行されたとしても、現在建設中(いずれも工事中断中)の原発は、この大間原発と、東通原発(青森)と島根原発の3基しかありません。それ以外に原発の新規建設なんて不可能でしょう。
2012.10.06
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一昨日の記事で南京大虐殺について書きましたが、それについてのコメント欄で、ルワンダ虐殺の名を挙げました。(文字どおり名を挙げただけですが)ルワンダ虐殺は、1994年アフリカのルワンダで発生した大量虐殺事件です。ルワンダの二大「民族」のうち、多数派のフツ族が、少数派のツチ族を殺戮し、犠牲者数は100万人にも達したと推定されています。この、ルワンダの虐殺の構図というのは、大量虐殺が何故、どういう経過で起こるのか、という点について、考えさせられる点が多々あります。最初に、二大「民族」と私はあえて「民族」にカギ括弧をつけました。ツチ族とフツ族、というルワンダの二大「民族」は、話す言葉も同じで、信じる宗教も同じです。文化的な差異はほとんど何もないのです。ツチ族は遊牧民で、ルワンダがベルギーの植民地だった時代には優遇され、フツ族は農耕民で、被支配階級だったのですが、実は二つの「民族」の差は、植民地支配の過程でベルギーが現地人を分断統治するために、人工的に捏造したものと言われています。だから、実際にはツチ族とフツ族は「民族」ではなく、社会階層の差と言った方が正確かも知れません。植民地時代は、前述のとおりツチ族が支配する側で、フツ族が支配される側でした。しかし、ルワンダが独立すると状況が変わります。人口比で多数を占めるフツ族が権力を握るようになったのです。この二つの「民族」は独立後もことあるごとに対立し、内戦も起こっていました。政権を握る多数派フツ族に対して、少数派ツチ族は、「ルワンダ愛国戦線」というゲリラ組織を組織して、武力闘争を行ったのです。1993年には、両者は停戦しましたが、フツ族の過激派はこのことに納得はしませんでした。フツ族の過激派は、フツ族が握る政府も一体になって、公然とツチ族大量虐殺の準備を行っていた、と言われます。準備というのは、具体的には民兵の組織化と、マスコミ、主にラジオを通じてツチ族への憎悪を煽る宣伝に努めることです。ルワンダ虐殺に果たした、ラジオのアジテーションの威力は、非常に大きかったといわれます。当時のルワンダには、国連平和維持軍が展開しており、彼らは、フツ族が不穏な行動の準備を行っていることには、もちろんすぐに気がつきました。それにもかかわらず、国連平和維持軍は、虐殺を止めることができなかったのです。平和維持軍には強制力がなく、米国を筆頭にして世界の主要国も、アフリカの小国の悲劇を傍観したのです。虐殺の最初の引き金を引いたのは、大統領搭乗機の撃墜事件です。ルワンダと、隣国ブルンジ※の大統領、そのほか両国政府要人の搭乗した飛行機が、何者かに撃墜されたのです。犯人はツチ族のルワンダ解放戦線か、フツ族の過激派か、今もって分かっていません。※隣国ブルンジも、ルワンダと同じくベルギーの植民地で、同じくフツ族とツチ族の二大「民族」がいます。人口比ではルワンダと同じくフツ族が多数派ですが、ツチ族が軍を握っているため、政治的にはルワンダとは逆にツチ族が支配的です。ただし、このとき墜死した大統領はフツ族出身でした。この撃墜事件が引き金となって、虐殺事件が始まるのですが、最初に血祭りにあげられたのは、実はツチ族ではありませんでした。最初はまず、ツチ族との激しい対立を望まない、フツ族の中の穏健派が標的とされたのです。アガート・ウィリンジイマナ首相がそういった穏健派の代表格でした。大統領の墜死後、法の規定では、首相であった彼女がルワンダの国家元首に昇格することになっていたのですが、実際には大統領の死の翌朝には、夫と、警護していた国連平和維持軍の要員ともども惨殺されました。これを皮切りに、フツ族内部の穏健派が皆殺しにされ、ツチ族虐殺への反対者を根絶やしにしたところから、ツチ族に対する大量虐殺が始まったのです。虐殺の被害者は、ツチ族の内部抗争も含めて約100万人、それだけの犠牲者を生むのにかかった時間は、約100日程度だったのです。しかも、これだけの虐殺にどれだけの大砲や機関銃、そのほか最新兵器が使われたかというと、実はそんなものはまったく使われていないのです。小銃は多少使われていますが、虐殺のほとんどは、棍棒や鉈、刀などの近代兵器とは呼びがたい凶器によって行われています。そういった凶器だけでも、これほどの規模の虐殺ができてしまう、ということなのです。しかも、その虐殺のやり方は、このブログに書くのがためらわれるくらいに残虐です。フツ族の(穏健派ではない)政治家や、果てはカトリックの司祭すら、虐殺に加担しました。おそらく、平時ならそんな残虐行為が誰にでも出来るはずがありません。しかし、憎悪と集団心理に踊らされると、多くの人が踏み越えてはならない一線を容易に踏み越えてしまったのです。ただ、この異常事態は長続きしませんでした。ツチ族の反政府ゲリラ、ルワンダ愛国戦線が攻勢に出て、政府軍を壊滅に追い込んでしまったのです。それによって、ようやくツチ族に対する大量虐殺はやみました。しかし、今度はツチ族による報復を恐れるフツ族が200万人も国外に逃れ、難民となる事態が生じたのです。当時、ルワンダの総人口は約700万人ですから、この虐殺事件で国民の1割以上が虐殺の犠牲となった計算になります。恐るべき割合です。それにしても、この虐殺事件における、メディア(ルワンダでは、もっぱらラジオが憎悪を煽った)の役割、「敵」を殺す前にまず「味方の中の敵」を殺すやり方、「民族」対立の根本、棍棒や鉈や刀でこれほどの規模の殺戮ができてしまう恐ろしさ、こういう状況になると誰もが(カトリックの司祭すら)虐殺に加担してしまうという、集団心理の恐ろしさ、そして国連平和維持軍が、このときはまったく平和維持の役に立たなかった現実(そのことが原因で、司令官のカナダ軍ロメオ・ダレル中将は後にPTSDから自殺を図っている)、そして、政権が妥当された瞬間、それまでの虐殺者フツ族が一転して難民となる変転の早さなど、考えさせられることの非常に多い事件です。
2012.10.05
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存在しなかった南京虐殺「虐殺」に触れなければ検定通らず日本「南京」学会が解散した。同学会は昭和12年12月、日本軍が当時の国民党政府の首都、南京を占領した際、市民多数が虐殺されたとの説を検証するために平成12年に発足した。12年間の研究の結果、非合法で殺された軍人、市民はほとんどおらず、「虐殺」は当時の国民党政府のプロパガンダであることがはっきりした。所期の目的を達したとして解散したのである。「南京虐殺」については同学会だけではなく、多方面から疑問が出され、河村たかし名古屋市長も「南京戦はあったが、南京虐殺はなかった」と述べている。今回の学会の調査でなかったことが結論づけられたわけだが、現在の多くの中学校社会の教科書は「虐殺」があったという前提で書いている。中学社会の教科書を作成しているのは7社。自由社は「日本軍による南京占領の際に、中国軍民に多数の死傷者が出た。のちに南京事件として喧伝(けんでん)されるものとなった」との内容で2年前に申請した。が、「南京事件があったとして記述」するよう、文科省から書き直しを命じられた。「事件」に触れないと検定を通らないのだ。育鵬社の教科書は「事件」があったとの前提で教科書を執筆している。他の5社は日本軍が市民を虐殺したという前提である。歴史教科書は必掲項目が決められている。例えば、「明治維新」が掲載されていない歴史教科書は検定を通らない。しかし、「南京虐殺」は必掲項目ではない。にもかかわらず、「虐殺」に触れなければ検定を通らないとは、どういうことだろう。思うに、中国政府の機嫌を損ねたくない日本政府が、教科書に「事件ありき」を書かせるように文科省に指示しているか、暗黙の指示があるのであろう。その結果、学問的に根拠のない内容を教科書に載せて、中学生に教えているのである。しかもその内容は自分たちの国家、先祖、先輩をおとしめるものである。いま、中国政府は、尖閣諸島は古来、中国の領土であると主張している。それが虚偽であることは、日本人ならみな知っている。中国政府は文化大革命の時、写真の改竄(かいざん)など、自分の都合のいいように歴史を書き換えてきた過去がある。中国の無理押しが通るようなことになれば、将来、日本の地理の教科書に「沖縄は中国領土」と書かせられる日が来るのであろう。いったい、どこまで中国のいいなりになれば、日本政府は気が済むのか。---タイトルを読んだだけで本文を読まないうちから話の筋と結論が予測でき、しかもその予測をまったく裏切らない、見事なまでに「お約束どおり」の内容の記事です。日中関係が悪化して、おおかたの日本人の対中感情が悪化している機会をついて、「中国は悪い、中国は嘘つきだ、だから南京大虐殺もウソだ」という、こじつけで南京大虐殺の歴史的事実を否定しにかかっているわけです。中国は中国で、侵略戦争の問題に絡めて尖閣諸島の領有権を主張するようなことを(それだけが中国側の領有権の論拠ではないですが)言っていますが、産経の言い分はその裏返しです。日本が中国を侵略した過去があるからといって、尖閣諸島に関しての中国の言い分が正しいことにはなりませんが、逆に尖閣諸島に関しての中国の言い分が正しくないからと言って、日本が中国を侵略した過去が帳消しになるわけでもありません。産経新聞がいくら否定したところで、1937年12月から翌年初めにかけて、南京周辺において日本軍が多くの中国人の投降兵、捕虜、一般市民を殺害したという歴然たる事実は、否定できるものではないのです。もちろん、人数に関しては諸説あるし、中国側の言い分(犠牲者30万人)が正しいとは言えませんが、少なくとも数万以上の規模であることは間違いない。「中国政府は文化大革命の時、写真の改竄など、自分の都合のいいように歴史を書き換えてきた過去がある」とありますが、そうだとしてもそれは文革の際の話であって、他の時期にも同じことをしていた、ということにはなりません。文革の時改竄したんだから中国の歴史はみんな改竄だ、という乱暴な理屈が通用するなら、日中戦争で日本は侵略したんだから日本の歴史はみんな侵略だ、と言われても仕方がないでしょう。そもそも、南京事件は、虐殺を行った側である日本軍の将兵や従軍記者の証言や証拠(陣中日誌)も数多く残っているのですから、仮に百万歩譲って中国側の証言・証拠が一切信用ならないとしても、日本側の証言・証拠のみでも充分にその存在は明白なのです。「自分の都合のいいように歴史を書き換えてきた過去がある」のは、他ならぬ産経新聞自身でしょう。話は変わりますが、その産経新聞は自民党総裁選に安倍が勝ったことが、本当にうれしくてうれしくて仕方がないんですね。【読者サービス室から】安倍新総裁 「日本再生に期待している」【正論】埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 時代が安倍氏に追いついてきたしかし、産経新聞とネットウヨクの盛り上がりとは裏腹に、世間一般は醒めています。本社世論調査:安倍自民総裁に「期待する」40%どまり自民党総裁に返り咲いた安倍氏に「期待する」との回答は40%にとどまり、「期待しない」の55%を下回った。内閣支持上昇34%、田中文科相51%評価せず自民党の新執行部の顔触れに関しては、安倍総裁の選出を「評価しない」53%が、「評価する」40%を上回った。その安倍に、カツカレー騒動というのがありました。何でも安倍が1食3500円の高級カツカレーを食べていた、とか。なんでそんなことが騒動になるのか、恥ずかしながらよく分からなかったのですが、総裁選の際の決起集会で、カツカレーを食べて見せて、それをネット中継までして見せたんだすね。恥ずかしいことに、安倍陣営がそんなことをやっていた、ということを今まで知らなかったので。安倍が日常生活で何を食べようが知ったことではありませんが、こんなのは総裁選のパフォーマンスとしてやっていることです。政治活動の一部として行われていることに論評がなされるのは当然のことで、値段に対する批判も、それはあるでしょう。政治活動としてカツカレーを食べて見せた以上は、その政治活動に対する批評は甘受すべきでしょう。嫌なら食事のシーンをネット中継などしないことです。そして、もう一つ思ったのは、カツカレーを完食することが「健康回復のアピール」って、全然健康回復アピールになっていないな、ということ。以前の「高尾山登山アピール」と同じです。高尾山に登れただけ、カツカレーが完食できただけで「健康回復アピール」というのは、むしろ、まだまだ健康状態はその程度なのね、という印象しか抱くことができません。
2012.10.03
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私は普段ほとんどテレビを見ないのですが、台風が関東を直撃していた日曜の夜、たまたま「世界の果てまでイッテQ」という番組を見てしまいました。イモトアヤコがマッターホルンに登頂する、という番組です。個人的なことを言うと、私はもともと無雪期の山しか登ったことがなかったのですが、その私に雪山の楽しさを教えてくれたのは、職場のある同僚でした。一緒に山に登った回数は、ほんの3回か4回で、以降再び単独行ばかりになってしまったのですが、ともかくこの人と出会っていなかったら、私は冬山には登っていなかったはずです。で、この同僚がマッターホルン登頂経験者でした。日本では、槍ヶ岳の北鎌、谷川岳一の倉沢、北岳バッドレスなどなど、名だたるバリエーションルートの数々を登っている人で、富士登山マラソンにも出場し、優勝者(富士吉田市役所から山頂まで2時間半から2時間40分程度)の1時間遅れくらいの記録を持っている人です。が、その人が、マッターホルンでは「ガイドが足が速くてかなわなかった」と言っていたことを思い出します。マッターホルン登頂では、それほどの脚力を要求されるわけです。ネットで検索したところ、マッターホルン登頂ツアーの案内を発見しました。マッターホルン(4,478m)登頂10日間:海外ツアー行動時間の目安:マッターホルン登山◆シュバルツゼー~ヘルンリ小屋:標高差677mを2時間30分◆ヘルンリ小屋~ソルベイ小屋:標高差743mを2時間30分◆ソルベイ小屋~マッターホルン山頂:標高差475mを2時間30分◆マッターホルン山頂~ヘルンリ小屋:標高差1218mを4~5時間一般の登山道なら、この標高差をこの所要時間で登るのは困難ではなく、私でもクリアできます。ただ、実際には一般の登山道ではなく岩場ですから、このペースは相当にキツイことは容易に想像できます。で、この山に、タレントのイモトアヤコが挑んだ、というのです。正直言って、あの画面を見て「私には絶対登れない」と確信しました。私のレベルの山登りで歯が立つような代物ではない。その、私だったら絶対登れないであろうマッターホルンに女性タレントが登った、というのはなかなかすごいことではあります。もちろん、一番すごいのは、彼女を登らせた登山ガイドですけどね。岩登りでは、トップとセカンドの困難度は大きく違うと言われますから。もちろん、私はたとえセカンドでも無理です(きっぱり断言)。それにしても、番組中で「体力的には問題ない」と言われていただけのことはあります。ただ、そうは言っても、下山にヘリコプターを使う前提というのはどうなんだろうか、というのは、多少の疑問はあります。まあ前例のない話ではありませんけどね。1978年、冒険家の植村直己が犬ぞりで単独北極点到達を果たした際は、あらゆる装備を飛行機で補給して、北極点からの帰路は飛行機で帰っています。(その足で、グリーンランド単独縦走を果たす)もっとも、極地冒険の場合は、行きも帰りも危険度に大差はありませんが、登山の場合は登りより下りの方が危険です。(初登頂に成功したエドワード・ウィンパーの一行も、下山時に4人が墜死)だから、下山を抜きにして登頂というのはどうなのかな、という気がしないでもありません。もっとも、下山のシーンはカットして、ヘリで下山した事実は伏せてしまう選択しもあったのかも知れませんが、あえて正直に放送した点は良かったのかも知れません。イモトアヤコの一行がアイゼン付けたのは、かなり登った地点からでしたけど、それにしても岩場をアイゼン付けて登るってのは、やだよーーーーー。私にとっては、岩場をアイゼンで登るほどの苦手はありません。アイゼンは鉄でできており、それを付けて岩の上を歩くと、ギギギギギって、とても耳に心地よい(笑)音がするわけです。あの音を聞くだけで、神経が逆なでされる感じです。やはり、アイゼンは雪の上を歩く道具で、岩を登る道具じゃありません。番組中で、来年は8000メートル峰(名は明示されませんでしたが、おそらくチョー・オユー)、再来年はエベレスト(チョモランマ)という、かなり凄まじい予定が発表されていましたけど、さすがにエベレストというのはどうでしょう。マッターホルンに登ったことを考えると、体力・技術的にはまったく不可能ではないでしょうが、命の危険がかなり高い。本人自身が登頂を熱望しているならともかく、テレビ番組の企画としてタレントにそこまでやらせるというのは、ちょっとどうかという気がしないでもありません。なお、イモトがこれまでにこの番組で挑んだ山は、モンブラン(4810m)、キリマンジャロ(5895m)、アコンカグア(6962m、失敗)だそうですが、この中でもマッターホルンはもっとも困難な山と思われます。技術的には(体力や高山病の要素は抜きにして)、難易度はおそらくキリマンジャロ<アコンカグア<<モンブラン<マッターホルンの順で、アコンカグアまでは体力と高度順応さえクリアすれば、特別な技術はいらないと言われます。私の場合、技術と体力以前に金と時間と家族の承諾が最大の関門ですが。
2012.10.02
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石原慎太郎 国家的喪失週末の金曜日時折都合で官邸の前を通ることがあるが、あそこで原発廃止のデモをしている連中を眺めるとふとあることを思い出す。私がまだ二十代の頃1960年の安保改定に反対して国会をとりまいていたデモの光景だ。安保の何たるかもよくわかりもしない手合いが群れをなし、語呂の良い「アンポ、ハンタイ」を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。一応知識人の代表を自負する文士の組織の日本文藝家協会の理事会でも、当時の理事長の丹羽文雄が、「議事も終わったがまだ時間もあまっているので、ついでに安保反対の決議でもしておきますか」と持ち掛け、理事でいた尾崎士郎と林房雄の二人から、「僕らは安保賛成だが、君はなぜ反対なのかね」と問われて答えられず赤面して会は終わりとなった。(中略)最近官邸前で盛んな反原発のデモは子供まで連れて、この子供の将来のためにもという道具仕立てでかまびすしいが、それへの反論説得のために政府は一向に的確な説明をしきれずにいる。大体脱原発依存のための三つのパターンをいきなり唱えてそのどれにするかなどという持ち掛けは粗暴で子供じみたもので、何の説得性もありはしないし、原発廃止を唱えてうきうきして集まっている輩(やから)も、放射能への恐れというセンチメントに駆られているだけで、この国の近い将来の経済の在り方、そしてそれを支えるべきエネルギー体制への具体案など一向に備えてはいない。(中略)私は先月、政治家を志し参議院に立候補した折のテーマにしていた高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を視察したが、この従来の原発とは全く異なる原子炉が何ゆえに運転停止したまま徒(いたずら)に時を過ごしているのかを知って愕然(がくぜん)とさせられた。青森の六ケ所村に蓄積されている核廃棄物を再燃焼させることの出来るこの炉は、機械のある部分の事故以前の、一部の故障によって停止し、それに怯(おび)えた手合いの停止訴訟によって十年を超える長きにわたって止められたままなのだ。その間機械は完全に修復補強されてもなお、裁判という手続きがこれをはばんでいる。加えてあの福島の事故ですべての原発は国民的禁忌となりはてた。その結果日本の原発技術の援護なしにはなりたたぬ韓国は、ウェスチングハウスを買収した東芝の後ろ盾でUAE(アラブ首長国連邦)の原発建設を落札しフランスに一泡ふかせた。韓国では、原子物理を専攻する学生の数は急増しているが、この日本では過去から背負った核トラウマと今回の災害による原発被害とあいまって原子力を専門に学ぼうとする学生の数は皆無に近く、またそれを教える先輩学者の数も激減している。韓国の大企業サムスンの繁栄も実は東芝が財政的理由で放棄した半導体の画期的プロジェクトをそのスタッフごと彼らが法外な給料で抱えて横取りしたことに発している。人間にとって新しい技術体系である原子力も、今またこの国の国民のトラウマから発したいたずらなセンチメントによって捨て去られようとしている。かつて反権威の象徴的存在でもあった吉本隆明氏は原発反対のヒステリーを批判して、「新しい技術を失敗を重ねて正統化しての進歩が近代精神の芯をなすもので、人間の進歩もそこにあった。それを無下(むげ)に否定してかかるのは、人間が猿に戻ることだ」といっていたが、センチメントに駆られて猿に戻ろうとしているこの国から、周りの、より人間たらんとする国々は容易に収奪しつづけ、日本は国家的喪失をつづけるのだろうか。---石原慎太郎のこういうくだらない言説を掲載しているのはどこの新聞か、説明するまでもないでしょうが、産経新聞です。「語呂の良い「アンポ、ハンタイ」を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。」という言葉は、「尖閣を守れ」「反中」という言葉に置き換えれば、そのまま石原慎太郎自身がやっていることに当てはまります。尖閣諸島を巡る危機的な状況は、明らかに石原の「尖閣購入」騒動が招いた出来事です。相手を挑発して喧嘩を売ることが「愛国」だと勘違いしたバカ知事と、それに賛同した募金者たちが、「尖閣を守れ」という「センチメント」に駆られて暴走したことが、尖閣諸島の領有を危機に陥れている現状について、反省は一切ないようです。反原発派に対する悪罵も相変わらずですが、センチメント、センチメントという言葉の連発を見ると、むしろ原発推進派の「センチメント」が透けて見えるというものです。石原にとっての「センチメント」は、核兵器を保有したい、ということなんだろうなと思います。「もんじゅ」について触れている部分などは、明らかに「センチメント」故に事実に対して盲目になっている状況が読み取れます。石原の認識では、「もんじゅ」は停止訴訟のせいで運転できないのだということになっているようです。もんじゅに関しては以前に記事を書いたし、石原のもんじゅについての発言に関しても以前記事を書いたことがあります。なので重複は避けますが、確かに「もんじゅ」に対する運転差し止め訴訟はありました。しかし、残念なことにこの訴訟は、差し止めを求めた原告側が敗訴しています。そして、2010年5月6日にもんじゅの運転は再開され、同年8月26日に炉内中継装置が炉内に落下する事故が起きています。落とした中継装置は、2度引き抜きに失敗し、事故の10ヵ月後、3度目の挑戦でやっと引き抜きに成功しました。石原が視察に行った時点でもんじゅが稼動していないのはそのことが原因であって、運転差し止め訴訟がどうこうという話は関係ないのです。それにしても、2度の事故とも、運転開始から3ヶ月程度で発生しています。この間、もんじゅが大きな地震に襲われたわけではありません。「平時」の状況でさえそうなのに、大きな地震がきたらどうなるのか。でも、原発推進を盲目的に信仰している石原の「センチメント」は、このような明瞭な事実を直視することすら妨げているようです。「放射能への恐れというセンチメントに駆られているだけ」という言葉もありますが、放射能(に限らず危険なもの)に対して恐怖心を抱くのは、人間としてもごく当然の反応でしょう。ただし、放射能は目に見えず、人間の五感で直接に危険信号を捉えることは出来ません。だから、知識というものから目をそむけていれば、放射能の危険を体感することはない。「見猿」「聞か猿」「言わ猿」に徹すれば、放射能は怖くない。しかし、それこそ人間が猿に戻ろうとする行為ではないでしょうかね。
2012.10.01
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