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例えば、経営の本。本にハウツーものと,そうでないものがあります。 時代や時流、用途によりツールは変わる。当たり前のことです。しかし、これは前者。 繰り返します。世には変わらないもの、変えてはならないものがある。世のすべてのものは不変のものと変化するものとで成り立っている。この事を見落としてはなりません。 とりわけ経営では、然りです。 最近の経営者は、ころころと考えや言うことが変わる、といった声を耳にしまう。 政治家に似てきたね、といった声もあります。 あたかも新しいおもちゃを欲しがる幼児のごとく、経営ツールを次々と取り替える人もいます。 それも私から見たら、雨も降らないのに傘を指す、手の傷に風邪薬の類が、多い。 他の経営者が、あのスキルやツールを使っている。だから、俺も、我が社も、といった感じです。 このように、最近は、ハウツー経営者が多いようです。 信念も戦略もなく戦術(ハウツー、ツール)をかき集めて、いったいどうするのだろう、と呆れることしばしばです。 師や本に、ハウツーを求める経営者の先は、見えている、といっていい、と思います。 続く
2012.09.30
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[わかんない?事業がうまくいかなかったら、上手くいくようにしたらいいだけさね」。 「それをどうしてとおまわりして、経営のお勉強をというのさ。お勉強すれば、経営よくなるの?関係ないよ」。 「勉強する暇があったら、売場にいって接客でもやりなさいな」。 「資金繰り苦しいのに、資金繰りを楽にする本など読んでいたって楽になんないよ」 「どうせ読むのだったら、落語の本とか、池波さんとか、まあ何でもいいや。おもしろい小説読んだら、おもしろくなるから」。 「エッその手にしている本、なに!ダメだよ"。出来る経営者が読む経営の本100冊"だなんて。 「だって、できてないのだろ。あなたは」。そうしたつまらないおもしろくもない本。古本屋でも持っていって金にして、居酒屋ででも、いっぱいやった方が、気が楽になる。ちがう?」 「経営者は経営のお勉強をするのが、仕事ではないとよ。」
2012.09.29
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買って下さるから売れる仕入れたものを売ろうとするから、努力しなくては売れない。あるいは努力をしても売れない。 消費者が、購買して下さるから、売れるのであるから、買うお客を限りなく想定して仕入れる。その数が1枚だったら、1枚仕入れればいい。 それを、まとめて100枚仕入れれば、原価が安くなるからと余計に仕入れる。 当然、あとの99枚は、買うお客の見込みがないのであるから、当然残る。これを見込み違いという。残ったら、暖冬異変や不景気や、大型店のせいにして、バーゲンで数字を繕う。毎年、この繰り返しだ。 ここにも、売れるということは、買ってくださるお客様がいる、という当たり前のことすら検証しない謙虚さを忘れた自己中心、独りよがりな商人の姿が見られる。 一人のお客を大いに満足させて帰せば、その客が再来店してくれる可能性は高くなるであろう。知人にその店の良さを伝えてくれる可能性は高くなるであろう。再来店するときには新しい客を連れてくる可能性は高くなるであろう。 この可能性が高くなるであろう、確率を高めるための試行錯誤こそ、商いの営み、といえるのではなかろうか。 折角金をかけて宣伝して、客を集めても、受入れ体制が整っていなくては二度と客は行かない。かつそれだけで終わらない。 自分がどれだけ、いやな思いをしたかを3倍に誇張し、クチコミし始めるのである。このようにプラスにもマイナスにも働くというのが、クチコミ効果というもの。
2012.09.28
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在庫を絞るのでなく、流れを早くするところに、力点を置いて工程(流れ)を見てみると、必ずよどんでいるところがわかります。 そこを改善する、まぁそういったお話をさせていただきました。 恐れ入りますが、今社長は会議中なのですが」。自分から時間指定しておきながら、こうである。 なにごとも社内事情を優先し、その付けを外部に吐き出す。その一方で「お客様第一」、「人にやさしい」といっている。 白々しさとスローガンだけは立派である。 「いゃ、申し訳ないです。会議が長引きましてね」。全然わかっていない。 こんな調子で、多くの人たちに接していたらどうだろう。些細なことだからこそ口でとがめられないし態度に表せない。だから鬱積が蓄積され、そうした不満・不評を誇張してクチコミしたり、掲示板にカキコしたりしているのである。 うそと思われたら、そこらの会社、あなたのお店でもいい。検索エンジンにかけてみたらいい。2チャンネルみたいのが、ぞろぞろ・・・・・・。 そもそも事業の本質がわかっていない。事業はお客に役に立って何ぼであって、企業内のスケジュールをよどみなくこなすことではない。事業や自分の都合、段取り、事情、ルールに、消費者をはめ込んで言動といったことでは、事業の成立基盤を否定することになりかねない。 ここで我が身、我が社のあれこれをチェックしてみたら如何であろう。続く
2012.09.26
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人は戦略を共有した時のみ他の人のために動く。お客も社員も取引先も同じである。戦略を共有する「仲間」の数の多いほどパワーは大きくなる。事業はテクニック以前にこうした流れを創ることが重要である。お客は自分が得したいから店に来る。だから事業づくりの要諦はお客を喜ばすものが創造できるかどうかにある。売上はその「結果」である。経営者の関心が内実的には我が社が、あるいは自分がいかに儲かるか、といったことで、他の人が支えてくれるはずはない。あなたの企業を儲けさせようと思って来て、購買する客は一人だっていないからである。ところでそもそも売買の成約とは、こちらの売るという戦略と相手の買いたくないという戦略を協力関係、加えて売って幸せ、買って幸せの共感の関係にある。このことが本当に分かっていれば、今の経営のあり方がいかに自己中心で、それが故にあぶなかっしい状態にあるということに気づくはずである。もちろん量の追及を否定しているわけではない。量はあくまで、売り手と買い手の共感の結果だ、と申し上げているのである。人は一人では生きていけない。認めようが認めまいが、見える、見えないに関わらず無数の人々の支えのおかげで、生きている。その支えを自ら少なくする人生戦略であるとしたら破滅の道である。だから自分の事業を、この支えを大きくする一つの場ととらえ、事業発展への夢を育てていってほしいと念じている。
2012.09.25
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繰り返すが、消費者、取引先、従業員の3者から支えられることによってのみ、事業の永続的存続が許され、その関係は自分の利を主張した途端に崩れ、相手に利を与え続けると継続するからである。 こうした、3者のが支えてくれる人問関係の構築こそ、事業の本質である、というのが私の理解である。このこと、理解は出来たとしても、言うは易く行うは難し、勇気と根気がいる。相手の利は充足されても、当面自分の利は満たされないことは、はっきりしているからだ。だからこそ、その苦しさに辛抱できない多くの経営者が、即効性を求め、売り込みを行う。もちろんその時はそれなりに効果がある。しかしそれは一過性的であり、いくら積み重ねても、「売れる体質づくり」には結びつかない。むしろ折角育ち始めた体質そのものが崩れてしまい、挫折する事例のなんと多いことか。そうしたリスクをさけるために経営者自身が、事業を人との出会いと交流の場として捉え、縁ある人との信頼関係を再構築すること。そのために燃える思いでお客様のためを考え続ける。そうした苦心の過程で生まれる創造性のシステムが、我が社ならではのノウハウになると定義し、その思い(理念))を一人一人の社員全員に浸透させることだ。続く
2012.09.24
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昨日に続く。こんなせち辛い世の中で、しかも競争激化の中そんな悠長な考えでやっていけるか、という反論もあろう。たしかに一時的に、そしてより簡単に、増収増益を得る方法はいくらでもあるだろう。しかし、それらの方法で、繁栄し続けることが出来かどうか。一つの成功が、後々に大きな不幸や悲劇の誘因といった事例は、これまでの夥しい事例が表しているところである。 とくに消費者を結果的にだましたり、取引先をいじめたり、従業員の犠牲の上に得られた業績は、まさに砂上の楼閣に等しい。舞い上がった高さだけ落下することは必死で、会社や個々人に与える傷は往々にして致命傷になっている。真にその行動が「消費者のために」であるなら、消費者が支えてくれる。仕入先も良い取引先として支えてくれる。従業員の幸せを考える事業であれば、従業員は一生懸命働く。 きれい事で言っているのではない。倫理や道徳の話をしているのではない。人間の持つ本能、欲望からみれば、人は皆、自分が可愛いに決まっている。自分の利を欲する。だから、利を与え続ける人を求め、見つけたら放したくない。当然のことだろう。これが逆に経営者が「自分の儲けのため」、「会社のこと」だけを考える人であるなら、どうであろう。とくに最近の消費者は実によく商人の姿勢と行動を見ていて、いつも自分にとって、いわゆる「正義の味方」を支持している。かりに2つの目では、見逃すことがあったとしても、夥しい数の大衆の目をだまし続けることは、不可能に近くなってきているのだ。だから一時的に儲けを得ることは出来ても、儲け続けることはできない。続く。
2012.09.23
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生き残る、強い企業(家)はどんな条件を備えているのだろうか。第一に、消費者の支えの上にのみ企業はその存続を許される。だから経営者のなすべきことは、どうしたら消費者に支持されれつづけるか、という命題を立て、その範疇内で戦略を立案することになる。 第二に、それを手と足と口を使い、具体的に消費者に伝達する行動力が不可欠だ。どんな高遭な'念や戦略が採用されようとも、具体的に見える形で表現されないのではまったく無意味になるからである。第三は、消費者を含め、仕入先、取引先、それに従業員の協力をいかに有機的に結合させ、いわゆる組織力として機能させ得るか、以上の3点である。個々企業の業績は、好不況といったマクロ的外部要因にあるのではなく、正しい理念・戦略、そしてお客に支持される戦術を選択し、それを取引先や従業員の協力を結集し、具体的に示しえるかどうかの経営者の手腕にあることになる。続く
2012.09.22
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頑張ることによる機会損失の大きさを、考えたことはないか。 どうせ努力をしてうまくいかないのなら、努力をせずうまくいかないほうがましだ、時には考えてみたらどうだろう。 それでも、人は言う。 「それって、怠け者の論理じゃない?」、 「中小企業から努力をとったらどうなる?」 ところで、昔、誰が言ったのだろう。「日本は神国だから、負けるわけない」「そのうち、神風が吹いて・・・・」「努力したことは無駄になんないからね。そのうちきっといいことあるさ」。「苦労はきっと報いられるよ」。「現世でね、苦労していれば、あの世でいいことある。だから頑張れ、頑張れ」「これ、高いけど、後が楽になりますよ」 いろいろいうけれど、ほんとかね。空手形になることないのかな。 内心は、努力や苦労はそこそこで、楽しくやっていて報いられた方がいい。 そう思ったことはないのだろうか。こうし考えは、ふきんしんなのだろうか? 楽しくて愉快で、笑いが止まらない職場と、 縛りとむち打ちに歯を食いしばる職場と、どっちが良いのだろう。楽しい人生を送るための場として前者と後者と、どちらが望ましいのだろう。 教育TVで、都はるみの歌が流れるのを待つよりも,チャンネルを変えてみるほうが早い。 でも次々チャンネルを切り替えているうちに、 結局むなしく時間を過ごしてしまうこともあるしね。 人は自らで空を飛ぶことをあきらめたから飛行機が出来たともいえる。 その辺の見極めが難しいようだけど、要は、努力も、怠けも、継続も、諦観も、自分の人生の道具。自分が良いように自在に組み合わせて使えばいいこと。もっとしなやかに、自由自在に、 良い人生を自分で楽しく織りなす。そんな風に考えたらいかがだろう。
2012.09.21
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何事でもそうだが、物事には両面性がある。 だから二つに分けて考えてみる。 たとえば、これを自分でやるか。人にやってもらうか、といったように。 ある企業での話。 資金が無くて困っているのに、会議ででる提案は金がかかることばかりだ。「金なし人なし企業だ」、と、かねがね社長が自ら言っているのだから、自分で営業をやるより人に営業してもらうことを考えましょう」、 といった、話をしたら、みな怪訝な顔をしていた。 がんばって,頑張って、ここまで悪くなった。頑張りが悪いのではなく、頑張る対象、やっていることが悪くなる元凶だと、どうして思わないのだろう。 それでもっとがんばったら、もっと悪い結果になると思うのだが、経営者から出る言葉は、 「なんとか頑張ればなんとかなる」「みんなでがんばろう。必ず報いられるから」だ。 おかしくて、と通り抜けて,かわいそうに思える。 金がないのなら金のかからない方法を、どうして考えてみようとしないのだろう。 がんばりが足りないのならがんばればいい。 だが、がんばってダメになったのだから、 がんばるほど死に急ぐことになるとは考えないか。 がんばる方法なり、フィールドが、まちがっているのではと考えないか。 売れない物を、工夫と努力で売るより、売れるものを作り、仕入れることなぜ考え、やらないか。 頑張ることによる機会損失の大きさを、考えたことはないか。
2012.09.20
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情報は、手と足と口を使って自分で確認すること。これなしでの情報は,怪しげ、あやういものになる。表の見せてくれる面だけをみて判断するのではなく、手に取って見せてくれない裏も見せてもらう。疑問や矛盾があれば,口でを確認することで、情報は精度が高くなる。報道には、報道された情報と,されていない報道があり、後者が圧倒的に多いことを考えておかねばならない。「みんながそういっていますよ」、という「そう」は、その「みんな」は存在せず,そう言っている本人だけが「そう言っている」といったことは稀有ではないのである。行き先が分かっていてこそ,行く道が決まる料理が決めってこそ,材料が決まる。情報もまた,然り。以上、「情勢判断学」のほんのさわりを記した。師の城野宏から、情勢判断学を教えて貰った。この情勢判断学もまた,私が後世に伝え,残さねばならないものだ。出来れば、私なりにバージョン・アップして。
2012.09.19
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昔、その昔の話。そして今も存在し、これからも続く話。 20世紀から21世紀に変わる数年前から、「20世紀末に地球は滅びる!」とか、「21世紀はやって来ない」とかといったいわゆる世紀末論を説き、その類の本を出したり、講演したりしている人がいた。彼らはそうやって国民を恐怖や不安に陥れることによって、「利益」を得たはずだ。いわばそうやって儲けたい輩の、一方的な情報なのだ。 このように情報には、常にその情報を流す人の意図や恣意性、そこまでいかずとも情報には提供する人の立場かある、ということを承知しておかなければならない。簡単な例えで言えば、Aという商品を売りたい人は、その商品の良い点は情報として積極的に流すであろうが、不利な点、短所は、できれば伏せたいであろう。金を借りにきた人は「必ず期日まで返す」というに決まっている。相手の都合や立場から発進される情報を鵜呑みにすると、結局ばかをみて、後悔することになる。手形詐欺や結婚詐欺に引っ掛かった人は、決まって「あの人を信用していたのに」と泣き言をいう。騙した人も悪いが、一方的な情報を検証せず信じた方も悪い。
2012.09.18
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なにごとでもそうだが、変わる部分と変わらない部分とがある。変わるといっても、2020年0時00分1秒になったから、突然変化するといったことは希有である。つまり,変化するものがあるとしたら、それはこれまでと、そして今後5年余の間に,私たちが蒔いた種によって決まる。だから明るい職場にしたかったら明るい種を蒔けばいい。もし,今、暗い会社だ、ということであれば、それは暗い種を蒔いた結果である。朝顔の種を蒔けば、夕顔の花が咲くということにはならない。同様、これまで自分たちがが蒔き、育てたもの、すなわち私たちのひとりひとりの選択と行動の結実が、今の、明暗も盛衰をだということである。未来は,今の選択と行動が創る、といえる。
2012.09.17
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それでは、本文、スタートです。 販売促進には、大きく3つの原則があります。1は、最終到達点として、販促しなくても売れる状態の構築これを、理想としてそのためになにを今為すか、という戦略的側面。 2に、変化しないものをきちんと押さえること。これができないと変化するものはわかりません。変化しないものに,変化する対応は無用。いな逆効果です。対応は,変化するものに対してやるのです。 3に、限りなく個別対応を旨とする。個別対応こそ、周囲に喜んでもらうことで企業が支えて頂く、という企業の願望が成就するための唯一の途だと考えるからです。 この3つの戦略の具現そのための一つのツール(戦術))として、私は、販促カレンダーづくりを提案しています。 これには大きく分けて2つあります。まず人・企業別のカレンダーです。ケーキやさんが作っておられる「誕生日カレンダー」、お米屋さんがよくやられている「米びつカレンダー」など 最高のお手本はお医者さんのカルテです。 もう一つは地域カレンダーです。バレンタイデーとかお正月などのカレンダーではなく、自分たちの居住する地域行事や集落のイベント。 たとえば自治会、集落毎に、会合、お祭り、市町村選挙、運動会、結婚式などを押さえ、それに対応するためのカレンダーです。地域で運動会やお葬式があれば、売れる物も売上げも変わる訳ですから。 続く
2012.09.16
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台風16号に慌てて甑島から,帰ってきました。今年は夏が長かったのか、暑い秋だったのか、 人は自分の感覚に合わないと、「異常だ」と言っていますが、気候からみたら、「どうして人間どもの基準に、おいらが合わさねばならないの?」と言いたいところかもしれません。 なにごとにつけ、このように人は、まずは自分を中心に、自分を基準として、世の中のあらゆることを計りがちです。 その延長線に、売れないのは「景気のせい」、「天気のせい」と、自分は正義、自然を悪人と、擬人化して転化する習慣が存在します。 でも「変化するもの」を「不変のもの」に変えることはできません。だから不変のものをきちんと押さえ、さらに変化を読んで、こまかく対応するが、生きることでの大原則になっています。販売促進も、それに則することが、うまくいくコツです。 しばらく販促の話しを・・・・・・・・。続く
2012.09.15
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駐車場の駐車能力が80台,レストランの客席数が40席,厨房職員が5人いるレストラン施設を例にとろう。車一台で3人のお客が来られる。駐車場が満車ということは、240人のお客が40席に押しかけることになる。だから200人が並ぶ。行列ができるのはこうした場合である。その対策としてトップは、表向きには「お客を並ばせるのはけしからん」、内心では、「客席を増やせばもっと儲かる」と考え客席数を増やす。厨房を広げると水やガス周りのことがあり高くつくことは、アマでもわかるから、たいてい安くつく客席を増やことになる。そうすればお客が並ばなくなるだろうと考えるわけだ。ところが、これまでも厨房が追いついていない状態で、客席を増やせば、いっそう待ち時間が増える。当然である。そしてお客の不満は爆発ということになる。厨房が一定のままで座席数を増やせばどうなるかもわかっていない。それでも料理が旨ければまだしもなのだが、まずいものを並んでまで食べたいリピート客などいないから、やがてだだっぴ広い施設に閑古鳥、数年を経ずして閉じる運命になる。某氏曰く。「たしかそれ、「ザ・ゴール」(エリヤフ・ゴールドラット著)にもかいてありましたね」。これがアマ経営者。本から知識を得るだけ。プロは現場から得る。
2012.09.14
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お早うございます。お風呂に入ろうとして、手をいれる。「アッチー」これは、体感した現状認識です。だからこれを「冷めてぇー」と言うことはない。熱いと感じるからこそ、全身火傷を防げる。そしてお風呂に入るために、水で薄める対策を講じ、湯加減のいいお風呂に入れる。当然のことですね。ですからデフレだ、といった認識は大事です。でも、どの会にいっても冒頭で挨拶される人が判で押したように、「不景気、デフレ、不況、不振、、、」というのは癖へきします。政治家などその典型的な悪見本だとおもいます。あおって注目させ、対応はしない。もういいかげん「アッチー」はわかったから、対策を、と言いたくなります。そこで機先を制して、経営者の皆様方には、「不景気といった挨拶しないようにしましょうね」といいまわっています。それでも、そういった端から、「えー、昨今の不景気により、、、」。(^0^*今朝は、その対応のヒント、というか考え方の方向性を一言、ざくっと述べるに止めおきたいと思います。人は「マークスの山」{高村 薫著}の水沢の行動にみられるごとく、自分の生活圏からはみ出た行動をとりたがりません。ですからは,経営者は経営者圏、部長は部長圈、営業マンは営業圈、、銀行マンは銀行圈といったようにいわば檻に囚われ、そこを中心において言動を採っている。でそうした圈から脱し、ここでは経営者圈から消費者圏へ踏み込むこと。ここに経営革新の「革新性」の本意があると思っています。これが今朝の記したかったことです。
2012.09.13
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話しを本題へ戻す。以前ほど口にも顔にも出さなくはなつたが、「ナンジャイ。俺を軽く見ている」といった気持ちがわくのは、変わっていない。「そういえば、この人は、かねがねから、人を待たせている。懇親会、接待など遅刻、中抜け、早退、おれとの面談を部下に代理させたこともある」。忙しい人だし、そういう習慣を持っている人だと、寛容になろうと努めても、内心の怒りは収まらないのである。 続く上に触れた「口にも顔にも出さない」から、相手は気づかない。気づかないから、当然対応できない。対応できないから、それは継続される。高じて私の方、彼の相手方が、対応することになる。その対応の方向は、彼を避ける。敬遠する。背を向ける。といったことになる。それで、その人が、何で自分と疎遠になったのか、冷たくなったのか。商談を断ったのか、気がつかないのである。それどころか、「こんな商談を断るなど、冗談じゃない」」と言うことになる。経営は人が成すものである。経営は学問の一つである。だから、前者、人間のどろどろした側面そして、後者、アカデミックな側面とで構成されている、こうしたものが経営だ、と私は思っている。後者は、表向き、仮面、建前、バーチャルであり、前者こそ、内面、実態、人の心である。すべからく実態で動く。つまり、私が、「それは誤解だ」と強調しようがしまいが、それがその通りであろうが、なかろうが、相手にとっては、相手の心で感じたものが、彼にとっての正解なのである。また前者、実態と後者、バーチャルの葛藤で、最後に勝つのは、常に前者、実態である。うまくいかない裏面、側面、来店客が減じた理由には、そうしたことがそんざいし、もろにじわじわ企業の盛衰に多大な影響を及ぼしている。これが本稿で言いたい結論である。
2012.09.12
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文珍さんの話がおもしろくて、途中トイレに行きたいのに結局我慢してしまったのである。席を立つのは観客。立たないのも観客。その意思決定は彼ら。そしてその判断基準は・・・・。私の講演中にトイレに立ち,文珍さんのときは立たない。いや立てない。こ理由は、自分の話がおもしろくない。これは自分の話が役に立たない,そのせいだ、と解してみる。そう考えて、以来、密かに話家としてプロを目指している。そう決めた私自身のプライドに支えられ、話のやりかたなど精進したのである。かといって、なにも私が今プロかと問われると全くそうではない。とんでもない。理想として、目指している,ということである。その証拠に、以前として、普段、面談したり、訪問したり、といった折、私が話している最中、再三席を外す人などに対して、私の心中は消して穏やかなどではではないのである。話しを本題へ戻す。以前ほど口にも顔にも出さなくはなつたが、「ナンジャイ。俺を軽く見ている」といった気持ちがわくのは、変わっていない。「そういえば、この人は、かねがねから、人を待たせている。懇親会、接待など遅刻、中抜け、早退、おれとの面談を部下に代理させたこともある」。忙しい人だし、そういう習慣を持っている人だと、寛容になろうと努めても、内心の怒りは収まらないのである。 続く
2012.09.11
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通常、従業員がやっているようなことを、女将が手づからやり、それをお客が認識したとき、「ああ、私たちはおもてなしをうけている」と感じ、大袈裟に言えば、「感激する」。その逆。たとえば、人を呼んでおいて、待たす。あるいは、従業員に対応させ本人は出てこない。あるいは商談中に、5回も6回もケイタイが鳴り、その度、席を立たれる。時には、その席で誰かに電話を入れる。こうした場合、どう思うか。招かれた、という自尊心からの喜びが、「ああ、私軽視されているのでは」と気持ちが、ぐらつくのではないか。こうしたことで日常的に、同じお招きをしても人を感激させ舞い上がらせる人もいれば、逆にがっかりさせ、人を侮蔑し、相手の人から恨みを買い、結果として敵を作っていることもある。 同じことをしても人を感激させ舞い上がらせる場合もあれば、逆に、人を落胆、侮蔑し、恨みを買う場合もある。講演の最中に、席を立たれることが時にある。私の場合だが、昔は、結構気にして席を立つ人の背中をにらみつけたり声を大きくしたりして、暗に不快感をぶっつけていた。だが、ここで胸を叩いて言うのだが、それは以前の話。30年前のことだが、落語家の文珍さんの、落語ではなく講演を聴きに行ったとき、はっと気づいた。文珍さんの話がおもしろくて、途中トイレに行きたいのに結局我慢してしまったのである。
2012.09.10
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ささやか、ほそぼそだが無料経営相談を続けている。経営を一生懸命やっているが、空回りしうまくいかない。どうも、人から疎遠されている気がする。なんでだろ。頑張っているのにどうしてだろう。最近の相談ごとの中に、こうした相談があった。この相談を考える形で、経営の本質やおもてなし等について話してみたい。あるとき、観光セミナーのテキストを作成のため、江戸下町を舞台にした小説を読んでいて、「てずから 【手ずから】」という語が目にとまった。「自ら」はよく使うが、なぜここで「手ずから」なんだろう?なんで?「自ら」とは、どうちがうのだろう、と気になって、辞書で引いてみた。「自分の手で。直接、手を下して、自分自身で、みずから」、とある。わかった。「自ら」とは、微妙に違う。「女将が手ずから」とはいうが、「下女手ずから」といった言い方はしない。「女将手ずから」といった言い方は、普段女将は滅多に、そうした行動をしない。それをわざわざ、(私に)といったことになる。通常、従業員がやっているようなことを、女将が手づからやり、それをお客が認識したとき、「ああ、私たちはおもてなしをうけている」と感じ、大袈裟に言えば、「感激する」。それは女将に感激しているように思えるが、その実、「おれは高く評価されている」といった自己充足感に、感激しているのである。ここだ! これなのである。 続く
2012.09.09
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社員と差別され、信頼されていない、こうしたことを実感した従業員は力を発揮できるだろうか。 事実、彼女たちに何かを尋ねると、決まってこう答える。「私、パートですから」。 全部出す、全員に知らしめることで情報は共有され、共感者を得る。 またその判断を読む者に委ねてこそ初めて彼らの主体性を確立し得る。 繰り返すが、情報開示はエネルギーに方向性を与え組織力を強くするし、信頼している証として意欲とやる気を喚起する源になる。 自分の会社の従業員すら信頼していないところが、第三者の消費者を背に付けることは難しい。 そもそも従業員は100%消費者と重なっているのだから。そして従業員、それに消費者の両者が、企業の背に付き、経営者を後押ししてくれる形で、企業は発展するのである。このセオリーを無視した昨今の経営者のあり様に、「将来(さき)はない」と警告を発しておきたい。
2012.09.06
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A会社の年度方針発表会でのこと。壇上では額に赤い鉢巻きの社長が、マイク片手にスクリーンに映し出されたパワーポイントで作成された経営計画で説明。その会場には銀行や取引関係者、経営者風の招待客たちがズラリ。それにしても社員の数が少ない。 当社の総従業員数は142名のはずだがその半分もいない。ははあ、外向けのパフォーマンスだ、と解し、首をかしげた私に、「経営方針の発表ですから、参加は正社員だけです」とB総務部長が、言葉を足す。さもありなん、私の考えているとおりだった。 ことは社の年度方針の発表、この1年のいわば行き先を伝える大事なセレモニーである。それを全従業員の4割を占める契約社員、派遣社員、パート社員に教えないのだから、60人近い従業員が行き先知らずに歩むことになる。むろん社員を通して伝えるのであろうが、そうした断層を設けること自体、組織の弱体化を素因なのだ。こんなとで、経営者自らが、自らの組織を弱体化させている犯人なのだ。
2012.09.05
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依然、消費不況が続いている。売れない、ということを換言すれば、消費者がお店に背を向けたことに他ならない。 なぜ背を向けるか、といことを情報との関わりで考えて見たい。畢竟、国、政治家、大企業などが、自分たちにとって、都合の良いことを強調し、都合の悪いことを隠すといった操作された情報に、国民、消費者は、懐疑感、不安、不快、不満を抱き、そうした情報を発する輩や企業へこぞって背を向けた、といったことではないか。一言で言えば、まさに不信感が、消費不振を招いた、と私は、思っている。
2012.09.03
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1の問い。 イ お店が儲かる計算をしても客が集まることはない。 ロ お客が得をすることをやれば、お客が集まってくる。 どっちがおかしげ? あなたのところは、前者、後者、どちらをやっているだろうか。 2の問い イ 経費は惜しんだら客数が増え、売上が上がるのか。 ロ 経費は、それを投じて最大成果を得るためのもの。 どっちがおかしげ? あなたのところは、前者、後者、どちらをやっているだろうか。 3の問い イ 考えたり計算したりだけでは成果はゼロである。 ロ 実行すれば、うまくいくか、いかないか、いずれかだ。 だから実行する。 どっちがおかしげ? あなたのところは、前者、後者、どちらをやっているだろうか。 4の問い イ 自画自賛、自慢話は、人から敬遠される。 ロ 相手を褒めたら、その人から好かれる。 どっちがおかしげ? あなたのところは、前者、後者、どちらをやっているだろうか 5の問い イ 売ること肝心、だから売る努力を怠らない。 ロ 買ってもらうこと肝心、だから売ることはしない。 どっちがおかしげ? あなたのところは、前者、後者、どちらをやっているだろうか * 経営者は目ざとい。儲けに敏感だ。 一人でも余計にお客が欲しい、と言いながら、 実際は、どっちをやっているのだろう。 経営者って、実に不可解。おかしげな人が多い
2012.09.02
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