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だれでも心配ごとや気になることがあると緊張するでしょう。それにタイムリミットが近づいたりすると焦る。緊張もいい意味ならよくても、そうでないと飲み込まれてしまう。私の緊張はいろいろなことに支配されているので、すこしでも原因がわかると対策が立てられるのでやり過ごすことができる。今回は今一つ、なんでかが分からなくて困った。自分なりに、ひょっとしたら、胃ろうもれもれの原因となった物品が壊れてガス抜きができなくなったことへの心配が原因かと分析した。胃酸逆流防止の手術をしているので、げっぷができない。そのためのゲップ穴がなくなってしまったからだ。また吐くかと思う、と焦った緊張だったのだろう。ガス抜きにうるさい父は、すぐに病院で買ってこないと、という。買いに行くのは母で、自由に家を離れられない。そのための手配もめんどくさかったりして、手術効果もあんまりないなら自分でゲップすれば~と、乗り気でない。それで、手持ちの部品を引っ張り出して修繕に乗り出した。父は、すぐ、新しいのを買ってくるタイプ。母は、何かないかと工夫するタイプ。人によって対応は違うものだ。とりあえずあるもので、という母は、けち??(主婦はやりくりに気を配るのだそうだ)実はチューブの太さや、部品の大きさは、びみょ~に違うので、ぴったりさせるのは大変なのだ。入院中も看護師さんと苦労したものだ。私の利用している機械も数少ないのでよけいだ。で、ついに、完成!私はきっと天才だ~!と喜ぶ母はかなり笑える。というか、何より、私はガス抜きできので、すごくほっとした。試しにガス抜きの試運転。プスプスッと、いい音がした。こうして、私の心と体は音でつながるのであった。祝、開通!
2010.04.30
今日は一日あんまりおしゃべりできなかった。ので、ストレスでお腹がぱんぱん。のせいか、昨日の胃ろうもれもれのせいか、どうも朝から今一つでした。という記事を朝っぱらから読む人もいるのでしょうね。ごめんね。汗びっしょりになるくらい緊張が強くなった。どうしようもなくなり、とうとう緊張緩和の座薬を使いました。胃からだいぶ出血があった。緊張が強まるとこんな風になる。胃の出血がわかって、納得。すごく気持ち悪くなるいろいろな原因のうちでもこれは大当たりの方だ。「色を見る?」と聞かれたけど「けっこうです」と答えた。だいたいわかる。緊張しただけでどうして胃が出血するのか不思議だ。胃はストレスに弱い場所らしい。寝てもだめ。座ったもだめ。何をしてもだめである。自分では体調はいいと思っているのに、でっかい口内炎ができているし、身体の何かが疲れているのかなあ?とか、気温の変化についていけないのかなあ、とか。今のところ自分でもわかりません。自分で理由を言って、といわれても、わからないのだから言えない。聞かれるのがストレス!ので、とりあえず、深呼吸して寝ることにしよう。ぼやきにつきあってもらってありがとう。それにしても、胃液が黒くなった始めのころ、親は大騒ぎしていたのに、今じゃあ、けっこう赤いねえ、なんて言っている。慣れというのは恐ろしくもあり、頼もしくもある。やっぱり、たぶん、おしゃべり不足のストレスだと思う。待っているのは疲れる。明日はきっと良くなっているでしょう。みなさんも胃がむかむかしたら、おしゃべりがいいと思いますよ。
2010.04.29
すごい雨、寒い一日でした。が!福祉センター利用日の水曜は雨雪関係なし!本日はみなさん一緒にボーリング大会。というので、もちろん参加。大盛り上がりでした。遠くのピンは見えなくても、イメージでオーラ集中して、体中そっちに集中。なんか、当たるような気がしてくるわけ。ほとんど偶然もありますが、なんと!たくさんたおれて、1位。生まれて初めての優勝じゃ。記念すべき大会となりました。喜び過ぎたわけじゃない、と思うけど、胃ろうが漏れ出した。接続部が壊れてしまったようです。けっして、壊したわけではございません。・・・と思うけど。コーフンしてだいぶ緊張したもんなあ・・・。とほほ。人生、山あり、谷あり。一寸先は大洪水。で、夕方、またお腹がもれもれのびしゃびしゃになってしまいました。みなさん、ボーリングの興奮には気をつけましょう。って、わたしだけか!
2010.04.28
弟が自分と闘う様子をみていると、外と自分が単純に二つで、全身で丸ごと受け止めているのがわかる。励ましにも、注意にも、全てドカンと包みこまれているようだ。言葉だけではなく、外界の見えるもの、聞こえるもの、全てが大きな大きなフトンになって頭の上からバサリとかぶさっているようだ。その一刻、一刻、そのフトンの模様や、手触りや、重さや、香りに支配されているようだ。そのつど、周辺の世界がくるくる変わるのならば、一体どれくらい焦るだろう!と思う。次に何が襲ってくるか、ドキドキものだ。不安になってあたりまえ。だ。ついでに、難聴で、近視でもある。もはや、神経を研ぎ澄ますしかないではないかと、今なら他人のことを分析できちゃったりするのですが、かくいう自分も小さい時は外界の刺激に振り回されて自分というものを失ったものです。というか、自分があることすら自覚できませんでした。それほど、障害がある私たちは周囲のかかわりひとつで、どのようにもなる。育てられたように育つ。すでに育っちゃった人でも、周囲のかかわりひとつで人生がわかれるのだ。健康な人なら自分の中の宇宙で価値をあれこれ料理して、好きな環境を選択できるときもある。(仕事人、社会人には自分だけで決められないことも多いでしょうが)障害や病気があると、そのこと自体がもう逃れられない環境なのだから、なんとか折り合いをつけて仲良くするしかない。仲良くしたくなくても、一応、つきあわないと余計苦しい。服を着替えるように、嫌なことはチェンジできたらいいのに。ずっといるのだとすると、あとは自分の宇宙の中で病気や障害の正体を突き止めて、居場所をつくってやればいいのだと思うことにした。勝手に動く身体のマヒを相手に今では少しだけどコントロールできるようになってきた。やっと最近ですが、ざま~みろ!という感じ病気はずっと太刀打ちできないやつだと思ってきた。対決姿勢でいるうちは苦しかった。でも、どんなに状態が悪い時でも、とりあえず自分の芯がなくならないことを自覚したときから、変わってきた。苦しい時に勝手に緊張してしまう体も、ばかだねえ、と意識的には知らんふりしているというか、勝手にさせておく、みたいな気持ちでやり過ごすことができるようになってきた。ここへ来るまでそう、簡単な道のりではない。しょうがない、と思ったり、ば~か、と思ったり、ばかやろう!と怒ったりした。しょうがない、と諦める気持ちが大きいときは、必ず反対側に引き戻された。実は、本心ではなかった、というわけ。だんだんその行ったり来たりが小さくなってきたような気がする。ま~、しょうがないんだけど、もうちょっとしたら治るかな、とか、いろいろあるけどまあ、いいこともあるし、みたいな納得の部分が支えている。弟は自分の中の出来事とはいっても、周りの大きな影響に対抗するだけの心の納得を増やすことにまだ苦悩していると思う。何しろ、自分の心の中で思ったり感じたりすることは全部自分の出来事だろうし、自分の心に存在するある一部分は病気や障害がそうさせていることに気がつくなんて大変な仕事だなあ~と思うのだ。不安や心配でパニックになりそうな時、家族は、「心配病」とか「心配小僧」とか言葉で見えやすいようにしているが、心のある部分を冷静に受け止めるのにはすごく練習が実用だと思う。時間がかかっても、それが少しでもできればいいなあ、と思う。環境の一部となっている家族も、それぞれの心の中で悩んだり怒ったりしながら、家族全体と言うまとまりの中にいる自分にとって、病気や障害がどこにどのように居場所をつくったら落ち着くのかと試行錯誤している。過去にさかのぼって、子育て間違ったか~?とぼやく母も、全体のまとまりの中では、その一部にしか過ぎないと思えばいいのに、と私は眺めている。そうできるのも、弟の問題が私にとっては少し、他人の出来事だからなのだろう。親と兄弟は違う。色々な全体のマルの中に自分のマルがいるのだと思えば、私が弟にはなにもしてやれない、とがっかりすることもないか、と気が楽になった。どうでもいいや、と責任が薄れるのではなくて、みんなで助ければいいじゃない、と思う。一人の人にとっての病気も、内側に向かって自分のことと思うと同時にひとつのマルが一緒にいることを少し認め、居場所をつくってあげるといいかもしれない。仲良くしたり、喧嘩したり、そっとしておいたり、ムシしたりしているうちに、その時々の自分も整理され尊重されると思う。ま、近くにいる奴とは、ホント喧嘩もハデになるものだけど、その分、う~んと仲良くもなれる、というものだ。と、ここまで書いたら、母に、「今の世の中派手に喧嘩したら最後、後は決裂だよ」と言われた。そうなの?
2010.04.27
2010年宮城の書60人展が開かれます。この展覧会には私の書の師匠でもある紫雲先生が作品を出しておられます。なんと!私の詩を大きな作品にしていただきました!!これは是非とも行かなくっちゃ!!今でこそ、自分なりの書の書き方や楽しい感じを見つけられたわたしですが、始めのうちは、紙から何から悩みが多くて、教えてもらったのでした。私は筆も一人で持てないし、目も見えにくいし、腕もうまく動かないので、書といっても、ハードルばかりが高い感じがしていました。先生は「書きたいように書けばいいのよ!!」と言ってくださった。そして何より、白い紙に向かう集中の時間が好き、と聞いたことが、私もそのとおりだったのでものすごく気持ちが楽になったのであった。先生の教室の書の展覧会では、子供たちが楽しく好きなように書いているのだった。絵もついていたりして私も紙に色をつけることをやってみることにした。もちろん書の世界は私が知る以上に深く厳しく、やさしいのだろう。60人展にはきっとそんな集中がそびえたっているのだろう。その紙に囲まれた空間の真ん中に行ってみるだけで、紙に向かうまなざしの力を感じられるに違いありません。紫雲先生の書は読める字です!やさしい感じが伝わる文字。するっと肩に手をかけられるようなまなざしを感じる線です。大好き。みなさん、是非、出かけてみてください!!4月30日(金)~5月5日(水)午前10時~午後7時(最終日午後4時まで)5日午後1時半よりギャラリートーク開催予定せんだいメディアテーク5階ギャラリー a,b,c入場料200円
2010.04.26
四月の緊張が疲れになってだいぶたまってくる頃。弟がとってもとっても疲れている。週末になると崩れ落ちるようにSOSを出している。家にいられなくて父とよく散歩に行くようになった。 毎日学校に張り切って行っているのに?と、思ったりする。でも、これは、相当神経を張り詰めて頑張っていることなのだ。それほどに頑張っているのか、と見方を変えると、心の底から心配になる。私は何もしてあげられないのがよけい、つらい。母は、真正面体当たり勝負路線である。私にとっては、病気でつらい時にみんなが本心を語ろうとしない中でも、ストレートに勝負してくる方法にずいぶん助けられた。弟にも同じようにしていて、子育て間違ったかな、と近頃とっても落ち込んでいる。兄弟でも、性格が違うし、障害も違うのだから、方法が同じではないと思う。けれど、そうそう人格を豹変させることもできないだろうから悩む気持ちもわかります。父と路線変更の作戦会議をしていた。私の体アロママッサージにように、弟にも心アロママッサージを開始している。自分用のオイルをうれしそうに使っている。不安な気持ちが静まり、興奮が落ち着き、よく眠れるといいと思う。ついでに、私の部屋にもポットを置いて、いっしょうけんめい香りを浴びている。今日はラベンダーとべチパー。音楽はジャズピアノ。ついでに母は頭を冷やしに、一人で河北展に出かけた。きれいな絵を見て、元気になって帰ってきました。また家族みんな、それぞれに1週間過ごせるとよいと思う。
2010.04.25
介護にアロマテラピーを取り入れるようになってもう何年も経ちます。いい香りは本当にまったりするし、視覚障害や身体障害がある私には、すごく合っているリラクゼーションの方法のひとつです。ほとんど毎日、清拭ケアの最後にはアロマオイルのフットマッサージをしてもらう。毎回香りを選ぶところからとても楽しい。足つぼは本当に気持ちがよくなる。脳性まひの緊張で体のあちこちが痛いときも、とても楽になる。是非まひのない人でも試してください。その、気持ちよさを、在宅の障害者やケアする関係者の人に伝えたくて、年に一度アロマサロンを企画している。今年もそろそろそんな季節だ。今年で3回目の企画は、これまで音楽とアロママッサージ体験から進化して、ヒーリングアートとのコラボを考えています。香りを感じたら、是非、色で表現してみてほしい。障害がある私たちは日常の中で受け身でいることがつい多くなります。ケアはもちろん、自分の気持ちを解放して表現するという機会が少ないのではないかと思う。生活の中では、しなければならないことや、必要に応じて行動する時間が多いし、感情も出していい時とそうでないときを選択し、相手も選んでいる。そんな中で、私は、好きな色や模様に触ったり包まれていると(洋服はもちろんタオルケットやパジャマもそう)、それだけでほっとすることがわかり、描いたりするのが困難でも、見たり触ったり、近くにいるだけできれいな色の効果が体に働くのだ~!と感心しました。今回はヒーリングカラーアーチストの千葉ひろみさんと一緒に、アロマサークルのデコぽんさんと、香りとマッサージとアートを体験できるイベントを計画しています。夏頃の予定です。誰も参加できます。詳しく決まったらご案内します!お楽しみに!ちなみに、昨日の入浴のオイルは「トチ」。森の香りですっきりさわやか、でも頭の奥がまったり~という不思議な香りでした。寒い一日、よくあったまった。香りはイメージで作りだすというのもあるのだそうだ。いつか、そんなのも挑戦してみたい~。
2010.04.23
福祉センターの活動で昨日から新しく始めたのが陶芸。なかなか楽しい小さい時から粘土遊びはあった。でも、物を「つくる動き」が自分でできなくてストレスばかりが蓄積した。こねこね、にゅるっと、いくらやっても、マヒが邪魔して思い通りになったためしがない。結局介助の先生が成形して、形はきれいになる。で、ちっとも面白くなかった。私が作ったもの、という充実感がなかった。長いこと土いじりからは遠のいているうちに、すっかり別世界の活動になっていた。でも、私なりに色々な経験を通して、「物をつくる」という工程に私ならどんな風に参加できるか、どんなところに自分の居場所があるのか考えるようになった。「考える」ところならできそうだ。「一番初めにアイディアを出す」というはじめのはじめ、がなにより創造的!ということがおもしろい。ものつくり、の楽しみは、実は全行程に面白さがある。何をつくろうか考える時が好き、とか、材料を選ぶところが楽しいとか、手を無心に動かすところ、作品が完成したとき、人に見てもらったとき、使ってもらった時、売れた時、などなどいくらもある。でも、小さい時の粘土遊びは、手を動かして遊ぶ、触る、慣れる、という一点に色々なことが集中して、ほとんど訓練のようだった。というか、訓練だったのだ。やらせる親も必死だし、顔に出るし、私自身がやりたくてやる活動ではないのだから全然楽しくない。というか、むしろ、全身過敏で嫌でつらい活動だったともいえる。活動そのものの楽しさより、先生とかかわるとか、友達の声が聞こえるそばにいる、とかの興味があったからとりあえず参加したようなものだ。(見た目宇宙人状態の私たちに何をさせるか大人たちも必死に考えたのだろうからこんなこといったら悪いけど、けっこう本音)一番初めに考えて決めるわくわく感。をすでに体験済みの私は、身の周りのどの活動の中にそれがあることが驚きでもある。な~んだ、なんでもありじゃないの、という感じです。作業のは得意な人にまかせとくことにして、何をつくるか考えるとき、頭の中の創作工房企画室が動きだす感じがする。と、しつこく解説しましたが、福祉センターでまさか陶芸をやっていることを知らなかった。やったー!という気持ちです。しかも粘土が山のように眠っているらしい。お宝の山じゃない。手はじめに、香りが好きな私なので、香立てにチャレンジしてみた。焼き印でワンポイントにするのと、ローリエ模様の二つ。オーブン粘土なので家でもOKだ。ちょっとした作業や監督(!)は参加したけれど、きれいに作るところはスタッフのみなさんにお任せしました。考えたものが形になって見えるとき、ものすごく充実感がわく。そこが私のとってモノづくりの最も魅力的なところだ。いろんな形にしたらどうか、色を変えたらどうか、とどんどん妄想がふくらむ、というものだ。乾燥させた作品を、後は母がオーブンで焼く。もっとも危険な工程だ。火を使うからではない。うっかりして割ったりしないか自分の大切な作品を誰かにゆだねるというのは、どきどきするものだよ~
2010.04.22
仙台は半日とてもいい天気になった。おかげで桜もだいぶ開きました。やんや、やんや、と花見コールが騒がしかった母がやっと静かになった。センターの利用日の今日、送迎の道中ついに見た!と騒がしい。うれしそうである。一気に暖かくなって、あちこちで鳥の声が響いています。うちの近くには森があるので、けっこう野鳥が庭に来るし、毎年、鶯の発声練習にははじめから付き合っている。今朝は天気がよかったせいか、早朝から鶯が元気だったらしい。だんだんうまくなる泣き声に感心していた母も、5時から、ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ===!!!!とだんだん大音量になって目が覚めてしまったそうだ。何ごともちょうどよいのがよい。庭の赤い実も鳥に食べられてしまったらしくて、緑のドレスに赤いイアリング、と思っていたのにドレスだけになってしまった。多少残念だけど、みんな、あちこちで、春の暖かさを喜び、活動開始だ。私も福祉センターで、初めて陶芸に挑戦することにしたのでわくわくで取り組んだ(こちらのレポートは明日)。どうしてそんなに桜が見たいのかと、単純に不思議だ。花はみんな美しいと思うのだけど桜にこめる思いが格別なのは、日本人だからなのか。ちなみに母に聞いてみると、私が誕生して退院したのが今頃だったので思いだす、のかなあ?とかなりあやふや。今日は桜を見ていたら、雲がゆったりと流れて、花びらがはらりと散ったその上に白い月だったのだそうだ。たぶん、私を思い出したのではなくて、亡くなった双子の姉を思い出したのだろう。私は毎年、亡くなった友達を思いだす。桜はきれいだけど、はかなさの方が際立っている。なので、なんとなく、悲しくなる。桜の花は一斉に咲く生命力が際立つから、いなくなった命を思い出させるのかもしれません。
2010.04.21
カメラ王子特別講義中 今日はのっぽ隊長率いるクルーのみんなの訪問日。インタビューというので、私なりにどんなことを聞かれるのかな~と予想していました。のっぽ隊長にあらかじめ10個くらいと聞いたので、気持ちの準備もしながら、予想どおりの質問もあり、そうでないのもあり、でよく考えて答えました。今まですでに聞かれたことがある同じ質問でも、今の今の私が思うことはやはり今の言葉だった。出来事への振り返り度が変化している。今日はレフというぴかぴかの光を反射させる道具や、天井に当てるライトなども登場した。レフは美白効果というので、母喜ぶ。女優さんも使うのだそうだ。カメラ王子の一言でぴしぱしとしょうちゃんが準備する。コンビネーションばっちりだ。(こういうところが見えるようになってきた)一番心に残った質問は、「どんな人になりたいですか?」というものだった。これは、いつも考えていることでもある。ズバリ聞かれて、おお~っと思った。いつも心の中を見てほしい、と願っている私だが、体の中心をスポットライトのようにドドーンと覗かれた質問だ。たくさん言葉を使って心の細かいところを説明する必要などない感じがした。答えはヒミツ。だけど、よけいなものが見えなくなって、一つ残った言葉が答えでした。以前新聞記者の哲学さんが、インタビューは相手が現したいことをどれだけ最大限に相手の言葉で引き出せるかが難しいけれど面白いところ、と言っていたことを思い出した。相手を知らなければ、必要な言葉で質問もできないだろう。なので、のっぽ隊長の質問の意味やそれによって自分でも気がつかなかった自分出会えたようで、とてもうれしい瞬間でした。のっぽ隊長になら答えられる、きっと通じるだろうというやり取りでしたね。母のインタビューの方は何を言うのか気が気でなくて、超心配してしまった。痰を出さないように、不随意の緊張がでないように息をひそめていた。コメントにはへ~っ、とか、ふ~ん、と初めて聞いた話もあって、家族とは近くにいても、まだまだ知らないことがたくさんあるのだと思った。母という人物の全体像に一歩近くなった感じ。まあ、お互いに知らないことがあるから面白い、ということもあるのだろう!家族は近くて遠い。遠くて近い存在だった。今日のメインはカメラ王子による講習会!近くでカメラの色々を教えてもらいました。全部初耳。おもしろすぎ。何しろたっくさんいろいろついていて、横にも、後ろにも。あっちこっち見せてもらった。私の目はいつもぼんやりで、頭の中には色々な風景が飛んだり、浮かんだり、回ったり、色が変わったり、と自由自在だ。それは想像の世界で、何でもできてしまう。それを、カメラマンは現実の世界でやってのける。そりゃー、すごいことだと思う。ということは、きっとカメラ王子の頭の中にも私と同じような自由自在の映像の世界が動いていて、それを表現するために、一瞬に、あれとこれを、こうやって、そう動かして、こっちから、ああやって、と命令するのだ。これこそプロじゃどんな仕事の道具も人間が使いこなして初めて、その人の心の中の自由自在を表現する。私のように道具ナシでも、カメラのように道具アリでも、どんな仕事も心の中の自由自在を表現するためにある。そして、その自由自在を受け取った人が幸せになるのだ!ならば、仕事をする人が楽しくいられることが、すなわち、みんなを幸せにする。のっぽ隊長とクルーのみんなはいつもそんな幸せをかついでやってくるのだ。試しに私も逆取材でみんなにインタビューしてみるのだけれど、大変なことや、失敗談を訪ねるくらいで、まだまだ人から話を聞き出すのは下手である。のっぽ隊長の丁寧な仕事にじわ~っと伝わる暖かさの威力をまた感じたのであった。(みんなの失敗談は秘密にしておくのでご安心を)私はまたとない経験をさせてもらっているのだと思う。見ると聞くとは大違いだ。実際の人に会って、体験することの素晴らしさを実感する。全部を体験できなくても、話を聞くだけで、自分の時間が大切になる。とても小さなことでも、すごく大きな喜びに満ちる。今日はものすごくいい一日だった。自分でも気がつかなかった自分に会えて、私の知らない母に会えて、仕事に打ち込む楽しさに触れました。近所の桜はまだですが家の中は桜満開!の気持ち。これが花見オーラなのだろう!すんごくパワーアップした!クルーのみなさん、ありがとね~~~!!
2010.04.20
まだまだ寒い日が続いてなかなか花見ができません。ちょっと諦めムードが漂い始めている。天候がいま一つで、体調を崩している人も多いようだ。今週も皆さん元気に過ごせるといいですね。といいながら、私は、週のしょっぱなから反省文である。また、昨日、胃ろうをひっこぬいてしまったのである。今回は、母の留守中、父が焦りまくり、ちょっとした事件になってしまいました。母が美容室に行っている間に、ひょんな拍子にぽん、と抜けてしまった胃ろう。普段なら、はいはい、とすぐに入れなおしてもらって、私がしかられておしまい、というところだ。が、今回は父が一人である。普段のケアはよっぽど母よりきめ細かで、チェックがうるさい父である。が、トラブルにはからっきし弱い。先日のチアノーゼに引き続き、今回もかなり焦っていた。とりあえず、母に電話をかけるのだが、あわてているのでちっとも処置が進まない。聞いている私は、動揺が伝わり、不安が広がっていった。写メで送るから、なんて、言っているうちに、胃ろうの穴が閉じてしまう~!!!と心の中では一生懸命伝えるのだが、もちろん伝わらない。そうこうしているうちに、シャンプーしたままの母がすっ飛んで帰ってきた。穴はまあまあ、注入再開もまあまあ、無事に復活し再び美容室へ。近所の美容室へは私も行ったことがあるので、みんなで心配してくれたそうである。一気に事件が知れ渡ってしまいました。系列のお店に父も通っているのですっかりばればれである。チアノーゼに引き続きとほほ、な父であった。(こうして公開されてるし・・・)実はこの間、同じことをしてしまったので、見ているはずなのに、やっぱりできる人がいつもいると思うと、一人ではちゃんと見ていなかったらしい。と言うわけで、がっちり母から伝授されていた。う~ん、私的にはまだ不安が残るような。でも、近所の留守番でよかったけど、すぐそばにいないということだってあるのだ。そうしたら、まあ、やっぱり病院へ行くのですが。帰ってきた母と交代して気分転換に父と弟がドライブに出かけた。そのころになって、なんだかドキドキしてきてミルクをどっさり吐いた。濡れた紙の毛で走った母はくしゃみ連続中に、特大級の洗濯物。しこたま叱られた~。というわけで、反省文である。このところ、とほほ、な事件が連続している。父もとほほが多いし、弟もしかり、一応、なんとかクリアしているけれど、春のばたばたなのでしょうか。そこへ、天気もヘンテコなので、みんな生活のリズムをうまく作れないのかもしれませんね~。で、最終的には、わたしの自己責任にも戻ってきた。カニューレを抜いたのも、胃ろうに手が当たったのにも、できるところは対応しなさい、と。カニューレベルトもがっちりになり、胃ろうもばっちりバンソウコウになった。どちらもイズイ。(方言で今一つしっくりこないの意味)いつもやってもらえる、と安心してはいけない。父を笑っていたけど、私もである。ちょっとしたことも、ちょっとしたことでなくなるのでなるべく予防したほうがよい。というわけで、かなり素直に反省した月曜の朝でした。ついでに、周囲がどんなに気を配っても、どうしようもない事故で命を落とすことがある。そのときに家族は「あのときああしていれば、」と思い続けるかもしれないが、半分は自己責任ありだからね、と言われている。そんなとき一番無念なのは本人かもしれない。でも、命に対する責任は偶然という要素も含めて本人とまわり(環境)が半分ずつ背負っているのかもしれない。状況にもよると思うが、イザトなったら自分では何もできない私でも、自分のいのちを背負わなければと思う。というか、背負いたい。とも思う。う~ん、この命題はもう少し考えることにしよう。
2010.04.19
せいたかのっぽさん・パテさん ・カメラ王子 高等部卒業の初コンサートのころからお付き合いいただいている東日本放送のみなさんが番組を作ってくださるというニュースがあったのが2月の末のこと。番組はテレメンタリーというテレビ朝日系列のドキュメンタリーだ。のっぽさんが東京の会議でプレゼンして決定したという!知らせを聞いた時は、高等部の合格発表みたいにうれしかった6月初めの放送にむけて3月からちょくちょく撮影クルーのみなさんと過ごしている。これがまた記者のせいたかのっぽさんを隊長に超おもしろいメンバーばっかりで、毎回すごく楽しい時間をすごしています。はじめはもちろん私もド緊張で、自分のことだけでかなり必死であった。ので、いちいちどきどきしていたのですが、だんだんみんなと話をしたり、過ごすにつれて、すごく面白くなってきました。初めてカメラマンのメガネさんに会った時は、カメラにちょっとだけ触らせてもらって、その大きさやカメラという物体の存在ばかりにびっくりして、その後ろにいる撮る人のことを想像する余裕がなかった。転勤したメガネさん元気かな~などと思い出している。なんでみんなのことをクルーというのか?どうやら船の乗組員の意味からきているらしい。なんかわかる。同じ方向に向かって乗り込んだ同じ船である。一定期間一緒に過ごして一つ一つの仕事の終結が番組なのだ。番組やニュースを「作る」というチームでの仕事全体を一緒に体験する面白さや大変さを経験している。超面白い!!もちろんどの仕事もチームで取り組むし、目的や時間の区切りもあるけれど、なにしろテレビの仕事は時間刻みである。スタジオ見学させてもらったときに肌で感じた。毎日のニュースを意識して見る(聞く)ようになってみると、ますます短期接戦の凝縮感を実感する。詩をつくったり、コンサートをするのとも、また違う緊張感である。ひとつ一つ一回勝負の集合体だ。撮影のときには、記者、カメラマン、アシスタントの3人が一緒になる。その日の取材に応じてチームを決めるのだそうだ。私のときには大抵決まった人がやってくる。あだ名をつけて友達になった。すごく歳が近いパテさんやしょうちゃんに会うと、みんな頑張っているな~、私もがんばらなくちゃと思う。始まりと終わりにあいさつ握手をして、後は本当にみんながそれぞれ集中するのだ。私は撮られる人なのだが、、みんながあちこち動いたり寄ってきたりマイクが見えたりしてもだんだんみんなと一緒にゴールに向かって参加している感じになってきました。カメラの向こうにはカメラ王子を感じるし、マイクの向こうのしょうちゃんやパテさんを感じている。それをじ~っと見ている隊長のっぽさんのあたたかい目線をいつも感じる。集中の一体感。もうたくさんの場所に来てくれた。たくさんテープがたまったそうだ。それをこれから編集するのが大変だのだそうである。1分つくるのに1時間かかるそうだ。30分なら30時間以上だ~。今まで静かに監督していたのっぽさんはこれから集中する大変な時間を過ごすことになる。私はあとは応援隊長になる。ずっと自宅のベッドの上にいると、世の中とつながる窓はテレビのニュースだ。でも、ブラウン管の中で起こっていることはいつのまにか、映画みたいにどこかの誰かの話になりがちだ。私もクルーの冒険に参加するうちに、放送で流れる番組を作っているのが人間で、それ自体が作品で、何を伝えたいかという人の気持ちがものすごく支えているのだというのを実感するようになった。というか、そういう見かた(聞き方)に変わってきた。かも。顔をみるだけではなく、握手したみんなの手がカメラやマイクをもって行ってきたその場所から運ばれてくる空気や温度なんかが聴覚だけではなくて、実際に体験したことのように近く感じるようになった。さらに、休憩タイムの雑談を通してクルーの人々の素顔を知れば知るほど、よけいに面白くなる。私のトークにまじりたいのだけど、すでに撮影にエネルギー投入しているので疲れて、実は耳だけで参加して心の中で受けまくっている。(全部聞いてますからお忘れなく!)たぶん、ニュースで撮ってもらったのを「見せていただく」、というのから、みんなと一緒に参加した作品を「大変だったことを思い出しながら感無量で鑑賞する」という感じで放送日を迎えるのかなあ、と想像中である。この冒険にはもうすでにたくさんのメンバーが参加しています。取材に協力していただいた全員が乗り込んでいる。すでにけっこう大型船だ。港まであとちょっと。体調に気をつけてみんなで楽しい冒険にしましょう!!近くなったら放送時間をお知らせします。お楽しみに~。
2010.04.18
ようやく宮城も桜が咲いてきた。そうなるとニュース番組でも一斉に取り上げて放送されます。例によって花見にこだわっている母がそのつどいいなあ~、きれいだなあ~、いきたいな~、と大きい声で聞こえるようにアピールしている。時間刻みでスケジュールが決まっている毎日のどこに隙間を作って、誰をお手伝いにお願いすればよいか、しつこく考えては提案してくる。私のベッド回りは桜の写真ばかりになり、センターで染めた和紙も、桜いっぱいの景色にみえてくるらしい。(作者は夕焼けだといっているのに!)人間は見たいものを見たいように見ようとすると、本当にそのように見えてくる生き物らしい。こん感じでは私が譲歩して付き合うまで誘われ続け、もし応じなければ半年くらいしつこくぐずぐず言われそうである。そのめんどくささを考えると、今のうちに付き合っておいた方がいいかも、と思えてきた。(笑)あとは天気。ああ、こうして、寒い暖かいと、わたしも一喜一憂する数日に巻き込まれてしまった。
2010.04.16
庭にシュンランが咲きだした。葉っぱも緑で花も緑で、どちらかというと、ぱっと見は地味。春の色々な花が目立つ色で目を引く季節にマイペースで咲いている。花は見られるように美しく咲いて虫を呼んだりして、自分では動けないけれど子孫を残そうとする努力や知恵を生かしているのですが、花自身がそうと考えなくても、見る人間や生き物(虫など)に見られることで、その意義が生かされ、いのちがつながれたり感動したりすることに役立てられているともいえます。人間が美しいものを見て、きれいだな~と思うだけで、なんだか元気が出る。やる気が出て、頑張るぞと思って、いのちがつながれる。私自身がいつもそうしてありがたいと思っている。そういうことを感じとれるという人間のすばらしさしさやそういう心の動きを持ち、かつ、表現できることのとんでもないすごさについて「はっ!!」と気付くと、単にうれしいを通り越して、ちょっとビビってしまうくらい、生きていることと、生きていられることのすごさにたじろいてしまう。そんな朝だ。日常的に医療があると、ふっとそれを忘れるときがあり、そんなときにドジをやり、そのたびに、いい意味でもそうでない意味でも、「慣れている」ことに気がつきます。今朝は、家族が「今日は息をしてるぞ」とか、「今朝はちゃんと生きているぞ」とおはようを言うので、いやでも、いのちがいろいろなものに支えられて成り立っていると自覚する。昨日は病気と向き合うことがなければ、たぶん出会うことがなかったおじさまのいのちのすごさに出会い、自分のいのちにもある尊さとあっけなさ(それくらいあれっという危うさの上に成り立っている)がいっぺんに押し寄せている。みんなが桜の華やかさを待ち、お祭りのように開花を喜び、暖かい、寒いと大騒ぎし、そんなもろもろの中でも、庭のシュンランは今年も地味に咲くのである。いのちにはその個体そのものの中にあるものと、外とつながって成り立つものとがあるのだろう。私は自分の中にある宇宙を見つめては、感じるものを育てたり温めたり大きくしたりして、その意味にずいぶん助けられている。内面にある生きる喜びにずいぶん支えられている。表現してもしなくても、見てもらってももらわなくても、それはいつも心のなかにある自分だけの存在の意味のようなものだ。その思うところを外に向かって表現することは、外の宇宙とのつながりの中にしか存在しないもうひとつのいのちをみつける手段なのだろう。敢えて、意識して行う表現であればあるほど、多くの宇宙とそれぞれのつながりの中にだけあるいのちを発見することができる。見ようとして見えるものと、自然に目に入ってくるものがある。私はよく見ようとすると疲れるから、見たいものしか見ようとしない。(これは視覚の世界こと)でも感覚を全部使った心の目では、たくさん物をみて、たくさんつながり、たくさんのいのちを知ることができるし、そうしたい。毎日のそこ、ここ、にあるつながりの中には山のようにいのちがあふれているのがわかる。これがすごい。数えきれないくらいたくさんの個体が内と外へいのちの方向をもっている。自分が見たい方と誰かの見たい方向が一致したときそこに生まれたうまれたいのちにはすごい感動がある。関係の中にあるいのちは共感しやすいしわかりやすい。でも、見られる方向が一方通行で、もしかしたらその個体は見られていることにもまだ気がついていないとしても、やっぱりそこにはちゃんといのちがすでにあるのだ。それで、それで、もっと、もっと、どこかだれも知らないところで、だれも見たり、だれにも見られたりしないところにも、きっと宇宙のいのちがちゃんとあるのだと思う。ひょっとすると、それが、宇宙が存在する意味、というものなのかなあ・・・。とややこんがらがってきた。で、つまりシュンランがすごくきれいだ、ということがいいたかったのだった。
2010.04.15
昨日の出来事はあちこちに心配をかけてしまったようで、すみません。おかげさまで、元気復活。今日は一日センターで過ごすことができました。今日は以前からせいたかのっぽさんたちと取材の約束をしていたので、スタッフのあやさんとのいつもの染めを楽しみにしていたのでした。なので、一日休養したら大丈夫そうだったのではりきって出かけちゃいました!いつもどおり、というのに、なぜかカメラ王子とアシスタントのしょうちゃんが一緒だと、会話が静かめでおしとやかでしたね。みんな。(笑)が!作品はいつもどおり、イメージの色を決めて、すんごくうまくいった。これは三回シリーズで書いてきたひつじの詩のバックになる染めなので、雲、空、草原の三色を決めた。うまい具合に色の濃さが出て、書の墨に負けないと思う。しましまの作品は暖かい感じを長い色で表現できたと思います。次々に色々なことがつながってつながってまたはじめにかえるというイメージにできあがった。こちらには詩を書こうと思っている。久しぶりに染めてみると、一面に色が広がる感動をまた感じとれて、ハッピーになった。色に包まれるという感じ。すごくうれしい。実はおととい看護師さんの訪問の時に爪をオレンジにしてもらって、朝はヘルパーさんに編み込みにセットしてもらって、イメージばっちりで出かけたのでした。思った通りの二つの色ができて満足じゃ!!さらにすごくうれしいことがありました。センターの利用者の方の中に、私の本きもちのこえを読んてくださった方がいて、今日はわざわざ購入してくださったのである。父よりも年が上の人生の大先輩のおじさまが、2度も読んでくださったと聞いた。ものすんごくうれしかった。スタッフのみなさんのおかげで、実際に部屋まで行ってお会いすることもできた握手もできたやさし~~い手でした。一生懸命話をしてくれたので、思いっきり感動してしまった!みんな、みんな、一生懸命生きているのだと思ったら、じ~んとしました。センターは障害がある人々が利用している場所です。色々な年齢の色々な障害のある人がいますが、こうして直接出会うことができるのが本当にうれしいです。同じ水曜日に利用していることがわかったので、これからおじさまに会えるのも楽しみの一つになりました!また握手しようね!!今日は一回。今は一回。センターのみなさんとも、取材のみなさんとも、おじさまとも、どの出会いもすごく楽しい出来事です。うれしいことが一日のなかにたくさん集まって、ほ~んと笑いが止まらなくなってしまったよ~。ひゃひゃひゃ。
2010.04.14
朝家族が起きだすと、隣の台所で音が聞こえ出す。それを聞きながらいつも、ぼやぼやっとだんだん起きるのだが、今朝は、ちょっとく苦しくなって起きた。体の状態によく意識を向けてみると、どうやら、カニューレがとれたときの、あの、息苦しい感じである。いつもなら、ここで焦って、騒いでいるうちに、呼吸が乱れて、その音で気づいてもらえるという段取りなのだ。が、今朝はもうそれができないくらいぐったりしてしまっていたらしい。えっ!?と焦る間もなく、もうぼーっとしている中で、遠くで父が焦って母を呼ぶ声がした。すでにチアノーゼになっていたらしい。幸い酸素投入で復活したのだけれど、寝ているうちにチアノーゼというのは初めてのパターンなのであった。こういうこともあったのか。と、思う。やっぱり油断してはいけないのだと思う。私が油断しなくても、家族をまたひやりとさせてしまって、やっぱりいつもこういう危険と隣り合わせに生きているのだと再確認した。いくら元気で暮らしていても、危険ゼロではないのだ。弟がすごく心配してくれた。自分も大変そうなのに、感動した。冷たくなってしまった手を母と弟で一つずつ持ってくれた。心配しすぎてびっくりした弟は、ちょっとひきつって笑いが止まらなくなってしまっていた。人間はイザトいうと、ヘンな行動をしてしまうものだ。幾人かの友達は、こうして、寝ているうちに呼吸を止めてしまうこともあったのだと思う。そばで見ていた家族やスタッフも、見つめ続けるわけにはいかないのだから、ちょっとの隙間の時間に起きてしまうこともゼロではないのだ。自分自身でどうしようもない状態もあり、周囲のケアにもどうしようもない「ある1点のすきま」というのはゼロにはならないのだろう。誰にもどうしようもできない、しかたがないこと、というのいがあるのだと、すごく知った気持ちになっている。誰のせいでもない。なぜかいつもより、今は気持ちがすわってもいる。覚悟という言葉の本当の意味をちょっとだけ感じたのかもしれない。今日はびっくりした体を物理的に休ませようと思います。反対に、気持ちはよけいに淡々とすっきりとしている。できることをしたいといつもよりも思っている。こんな記事はみんなを心配させるよ、と母には言われたのだけれど、案外平らかな気持ちでいる自分にも感心したりしているのでやっぱりおしゃべりしていまった。話すととっても気持ちがすっきりするのである。平気を装って、心の深みではやっぱり焦ったのかもしれない。自分では本当はどっちかまだわかりません。多分、どっちも本当なのだろうね。では、では、おやすみな~い^^。大丈夫ですからね~~~。
2010.04.13
週の初めというのに、外は雨。しかも冷たい雨の中、息が白い~とぷるぷるしながら弟を登校バスに送った母が帰ってきました。ついでにカイロをはっていた。あんなにいい天気ぽかぽかだったのはおとといだけだったようだ。桜もどうやら、蕾から頭を出したりひっこめたり、忙しいことだ。開花予想がずれずれなので、特に母はぐずぐず言っている。花見がしたいのである。白石川の桜が見られなくて相当根に持っているようだ。欲深い。なんで、人はそんなに桜を見たいと思うのだろうな。いつだって世間は自然で満ち満ちているのに、ことさらさくらさくらとなぜか特別である。その調子でしつこく花見にさそわれるのだが、私は実は遠くの桜はよく見えないし、すでに暖かい春の散策を満喫したので、頭の中は満開の桜のイメージでいっぱいのうえ、団子も味見したので、十分満足しているのだ。それでも、本物の満開を見ないと!というので、一人で行きな、というのだけれど、一人じゃつまんないと、さらにしつこく誘われる始末である。というのも、私をヘルパーさんにお願いしておいて一人で花見というのは気が引けるらしく、自分の時間をわざわざ他人の労働によって生み出すというのに抵抗があるらしい。春の弟はやや不安定で対応に苦労しているうえに、ミシンを持ち上げてぎっくりになったとぼやいている。まあ、何事も限度というものがあるが、多少自分の好きなようにふらふらしてきてもいいのになあ、と思うのだ。というか、しつこく誘われる方がうるさい。そこで、ふと考えると、時間は全て同じように流れているのに、あるところは大切に使いたいとか、ぼーっとするためにとっておくとか調整用の予備、と言う具合に意味が生まれている。と気がつく。仕事で稼いだお金を無駄遣いするのはちょっと気が引けるような感じ。お金や時間の価値に、自分の中で配分や重い軽いをいつの間にか決めている。その意味の重さと、お互いのタイミングが一緒ならいいけど、同じ花見という行動を生活のどこにどれくらいの重さで配分するかによってしつこさが異なってくるというわけなのだ。ひと口のお団子にものすごく満足したように、ほんの1時間の出来事がその後の大変な時間を支えるということもある。ならば、これくらいしつこく言ってくる花見なんだったら、母にとっては相当意味がある、ということなのかも知れない。というわけで、今日も朝からぐずぐずと悪天候の中での一日のスケジュールを愚痴っているので、チラシの写真で少し気分を盛り上げてあげることにした。ちょっとかわいそうになってきた。近所の桜だったら花見散歩に付き合ってやろうかな、とちょっと考えなおしている。
2010.04.12
ぽっかりと暖かい週末の一日。宮城県の船岡というところにドライブしてきました。なんと、夏の海から9カ月ぶりの遠出である!船岡は白石川の河川敷に一面桜が咲く花見の名所で、毎年大勢の人でにぎわうところだ。一目で千本桜がみられるという、すんばらしい眺めの場所です。今日は、社会福祉法人はらから会の会報に文章を書かせていただいているので、今年のご挨拶に出かけた。はらから会の事務所に併設しているサロンそよ風で、会長さんと広報部長さんにお会いした。http://www.harakara.jp/私の連載の仕事も4月から新しいシリーズにしたばかり。ちょうど4月号ができたばかりである。読者の人々や、会の人たちがどんなふうに受け止めてくださっているのだろう???と気になっていた。ぶっちゃけ、広報部長さんからは「ローリエ節」とほめられ?、どんどんくだけていい、というので安心して今年も頑張るぞ、という気持ちになった。昨年も春に船岡におじゃました。その時は大雨で、桜も土砂降りの中に寒そうに立っていた。今年は晴れてる!事務所からすぐの河川敷へ散歩に出かけた。すごくいい天気!今年はもうすぐ蕾が開くところで、桜まつりのにぎやかさにはもうひといきだったが、私は人ごみが苦手なので、かえってすごく気持ちのいい風に吹かれてのびのびと息をした。はらからおすすめの花見団子もしっかり食し、鳥の声や、電車の音、詩と美とがのんびり歩く足音や、ときどきそよそよ吹いてくる風の声が春の喜びを合唱しているようでした。すごくすごく気持ちがよかった!半年ぶりの太陽で紫外線直撃の目が焼けてしまったくらいだが、家族と、友達と、取材のカメラさんたちと一緒に楽しい遠足だった。超~満足。なんと、東日本放送で番組をつくっていただくことになり、3月からしょっちゅう記者のせいたかのっぽさんやカメラ王子やしょうちゃん(朝青龍似の・・・)とご一緒している。今日の遠足はみんなで出かけて本当に楽しい一日だった。きっと忘れないできごとになります。みなさん、ありがとう!(放送予定日はまたご案内しますね!)一本に数千個の蕾として千本分だと数百万個分の蕾オーラが漂う空気をたくさん吸ってきたのだ吐くのがもったいない~~~^^。そのまま、家の中にもまだまだ春のオーラが漂っています・・・・。あ~~~~ほんと~に楽しかった!!!
2010.04.10
幸せ保存の法則 一生に与えられている時間は生まれた瞬間にもう神様が決めている今を生きる私は終点も経路も知らされないまま乗り込んだ列車の旅人だエネルギー保存の法則によって列車は時間を走る幸せ保存の法則によって私は希望を走っていく 一生に与えられている幸せは生まれた瞬間にもう神様が決めている全ての人に平等に行き先のわからない旅の途中で何を見ようと何を感じようと全て私の自由なのだ 幸せのありかはそこここにあり幸せは誰にわけてもけして減らない私の中に一定に保たれているという幸せを思う存分感じ取りたいどこにどんな幸せがあるのだろうかと 旅の終点で全てを知りつくして列車を降りたらそれが本当の幸せというものなのだろうか
2010.04.09
今日から弟は登校する。高等部3年。最後の学生生活だ。春休み中体調を整えるのにだいぶ苦労しているようだったのを少しずつ見守った。私も体調を軌道に乗せるのに苦労した2週間でした。シーズン始めにむけて自分の波を調整していくのは、野球選手のようだ。今朝の弟はにっこにこで、落ち着いている。よいスタートがきれそうだ。新しいクラスと先生に会うのを楽しみにしていられる様子だ。環境の変化を前に不安に覆われていた表情とは全然違うので安心した。庭のユキノシタが咲いた。ちょうどよく咲いた。すごく強い花なのだそうだ。玄関の門の前に咲いている。今年の弟の一年は大変だと思うけど、充実したよい1年になればいいなあと思う。登校の背中を見送る花の気持ちで私も応援しようと思う。
2010.04.08
薔薇一輪 画用紙に重なり合った花びらの道を色鉛筆が旅をしている好きな色が空白に温度を与え染まったときから息を始める色のまなざしと私は心にしまった特別な場所で響き始める 色鉛筆が歩く静かな音だけを聞く落ち着きの中で花びら一枚 昨日を満たす花びら一枚 今日を満たす画用紙の白い余白のむこうから明日の私が見つめている 薔薇一輪未完成という私の完成 弟と母が楽しそうに塗り絵をしている。私の注文で明日の目をかきいれてもらった。それを見ていたらできあがった詩。
2010.04.06
今日のギャラリーはおしゃれフクロウですきれいだ!新年度の生活が始まったみなさんにも、福が来るといいですね!今日はすごく冷たい雨です。春に着てみたいラベンダー色の服を通信販売のカタログで見つけて、私もおしゃれフクロウの予感!です。それにしては、仙台はまだ寒くて寒くて、早く暖かくなってほしいよ~!
2010.04.05
今年もいよいよとっておきの音楽祭が近付いている。あと2カ月になりました!今年はなんと10周年だそうだ。私が参加するようになって5年目。半分参加しているというわけだ。この音楽祭を通じて色々な人と出会った。音楽の力ですんごく元気をもらった。今回10周年記念イベントでいつも私の詩をすてきな音楽にして演奏してくれる人気夫婦デュオフェザーさんとご一緒することになったうれしすぎ!!!今までの名曲3曲と、さらに、世界の歌に詩をつけた曲を一挙まとめてライブ演奏なのじゃ!!超楽しみ。全部楽しみ。言の葉アーティスト渡辺祥子さんの朗読もあるし、私も祥子の部屋トークにはあとりえ・ローリエを手伝ってもらっている母と出ます。いつも、音楽祭ではお客さんになって作品を受け止める方だったので、自分が人前に出るのは高等部のステージ以来のこと。ちょっと緊張するけど、夢のコンサートだから是非たくさんの人に聞いてもらいたいと思う。美しい歌声と神様のすんでいるギターのすごくお勧めステージ!!まちがいなしでっす!!さらに、フェザーさんとは長町のレストランびすた~りのMONTHLYコンサート7月でもご一緒できることになった!!こちらはカラーアーチストHIROMIさんとコラボで計画しているアート展の最中にコンサートがあります。こちらはランチタイムとディナータイムの2回公演!期間中展示のテーマにちなんだサプライズなメニューもあるというのだから、こっちもすてきすぎ!!私は何としても体調を整えて全部参加したいと思う。昨日は自宅でみんな勢ぞろいして打ち合わせを行った。なんと、フェザーさんが目の前で!名曲を!生演奏してくれたのじゃ!!!!ちょうど、私は、アート展のテーマを書で書いている真っ最中。やる気ばかりが強くて緊張がなかなか落ちないところ。苦労の真っ最中。そこへ、タカさんのギターの音色が・・・・ひゅっと筋肉が柔らかくなって、頭の中に浮かんでいた字がすっとかけました。びっくり!ギターの音は脳性まひによいみたい!CDもいいけど、生演奏のスゴミである。ほんとにびっくりした。さらに!当日用衣装をHIROMIさんに描いていただいたのだ。目の前でしゅしゅ~~~、と出来上がるワンピース!イメージぴったり。これを着ると思うと、絶対元気でいなくちゃと思う。ほんと~~~にきれいなのができあがったのだ。コンサートの詳しいことはとっておきの音楽祭のページを見てね!コラボ展とコンサートのご案内ももうすぐ。おっ楽しみに~!!今朝はHIROMIアートのタペストリーを窓辺にかけてうんとよく寝ました。目が覚めたら青い光が降ってきた。この光の渦の中で楽しいことが次々と起こる。予感たっぷりの青。幸せスパイラル(言の葉アーティスト祥子さんのことば)はもう回り始めた。
2010.04.04
今日は弟ギャラリーの作品です。インタビュアーはローリエです。Q何をかいたのですか?Aホタルをかきたかったのです。Qホタルのどういうところをかいたのですか?Aホタルが星みたいなところをかきました。Q苦労したところはどこですか?Aこまかくかくところが大変でした。Q出来栄えはどうですか?A四角にしたところがポイントです。うまくいきました。 インタビュアーの感想 まるで夜空に星がきらきらするようで、星座のように見えました。絵は見ようとする人が見たいように見えてしまうものです。ついでに私は音の星座の音楽が聞こえてきて、この四角は天窓に見えてきました。絵を描ける人は、ほんと=====にうらやましいと思った!また、素敵な絵を描いてね。ギャラリーにもってきてください。弟はみなさんに見てもらえるのを楽しみにしていました。感想を是非コメントしてね!
2010.04.02
4月になった。今日から新しいスタートの人がたくさんいることでしょう。父も新しい職場に出かけていきました。初めての仕事でどきどきしているようだったけれど、母からすぐに戦力になれないからきっと大丈夫、とヘンな励まされ方をして出かけた。まあ、今日はエイプリルフールだから、何を言ってもいいのである!弟は今日から高等部三年の心意気で、だいぶ張り切っている。長続きしてほしい。私は・・・。今年はたくさんまた、新しいことに挑戦したい!これは本当です。すでに、栄養の注入も苦労しながら6年ぶりの挑戦が始まっている。何かに一歩踏み出す時は色々なタイミングが背中を押すということがある。この際、新年度の始まりということで、腹をくくることにした。いつも、戻れると思っていると、つい、ずるずると逃げてしまうもである。こうなったら、やってやる、という気持ちになってきた。これも本当です。機が熟しても、応援されても、データを示されても、結局、始めの一歩を踏み出すのは自分なのだ。と、弟がカレンダーをめくる音を聞いて決めた。 書の100枚プロジェクトを始めた。面白くなってきた。詩のことばを選ぶ作業は、詩をつくったときの気持ちの中から代表者を選ぶようで、けっこう悩む。読み返す作業の中で、時間とともに変化している感情を拾いながら、今書きたい字の形を選ぶことにした。ぽちっと書いたり、じゅわっとしたり、ぼたりとしみしみ待ったり。なかなかおもしろくて乗ってきた。乗ってくるころ、助手の母がくたびれてくるのが玉にきずだ。あーあ!乗ってきたときにおしまいにしなければならない、この、消化不良!胃も消化不良!う~~~中途半端!!スッキリするまで出しきらないと。というのは、便秘と同じである。が、消化不良でも明日がある。新しい年、みんなはりきって始めよう!
2010.04.01
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