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「人類の新しい始祖であるキリスト」 2015年3月30日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年3月4日放映「苦難の意味するもの(1)」 「人類の新しい始祖であるキリスト」 甲斐慎一郎 ローマ人への手紙、5章12~21節 一、アダムの堕罪と死の支配 パウロは、キリストの贖罪による恵みが時間と空間を超越して全人類に及ぶというすばらしい事実を示すために、アダムの堕罪によって生じた罪とその結果である死が、時空を超越して全人類に及んでいるという厳粛な事実を述べています(12節)。 赤線の三角形は、人類の古い始祖であるアダムを頂点とし、そのアダムの堕罪によって世界に死がはいり、その死があらゆる人を支配して、代々にわたる全人類という底辺に及んだことを表しています。聖書は、アダムが罪を犯した時、すべての人は、彼の「腰の中にいた」(ヘブル7章10節)、すなわち彼の支配下にあったと教えています。 ヒトゲノム計画は、全世界の人々のDNAを調べ、ヒトゲノム(人の遺伝情報全体)のすべての配列を完成させました。ベンター博士と国立衛生研究所の科学者たちは、満場一致で「人種は、ただ一つしかない」と宣言しました。換言すれば、すべての人はアダムの「腰の中にいた」、すなわち彼の支配下にあったことが現代の科学で証明されたのです。 二、キリストの贖罪といのちの支配 青線の三角形は、人類の新しい始祖であるキリストを頂点とし、そのキリストの贖罪によって世界にいのちが与えられ、そのいのちがあらゆる人を支配して、代々にわたる全人類という底辺に及んだことを表しています。 パウロは、人類の新しい始祖であるキリストとキリストのひな型(模型)であるアダム(14節)とを比較して、「本物に対してひな型(模型)であるアダムの堕罪は、世界に死をもたらし、その死があらゆる人を支配して、代々にわたる全人類に及んでいるのです。とすれば、なおのこと、人類の新しい始祖であるキリストの贖罪は、どうして世界にいのちを与え、そのいのちがあらゆる人を支配して、代々にわたる全人類に満ちあふれないわけがあるでしょうか」とキリストとそのいのちの優越性を述べています(15、17節)。 DNA(遺伝情報)は、いのちの設計図(情報)、また生きているいのちであり、新しいいのちを形造り(複製し)ます。パウロは「私のうちに啓示(神の情報)」されるキリスト(ガラテヤ1章12、16節)と「私のうちに生きておられる」キリスト(同2章20節)と私の「うちに……形造られる」キリスト(同4章19節)について述べています。 聖書は、「血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。聖書に『最初の人アダムは生きた者となった』と書いてありますが、最後のアダム(キリスト)は、生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人(アダム)は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人(キリスト)は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです」と教えています(第一コリント15章44~49節)。 これをDNAという言葉を用いて言い表すなら、次のように言うことができます。 アダムには肉(肉体、人間性、罪の原理)のDNAがあり、全人類は死の支配下にありますが、キリストには霊(御霊)のDNAがあり、キリストの贖いを信じるすべての人は、いのちの支配下にあるのです。「アダムはきたるべき方(キリスト)のひな型」(14節)であるように、「アダムの肉(肉体、人間性、罪の原理)のDNAは、キリストの霊(御霊)のDNAのひな型」です。 三、死の支配からいのちの支配への移行 すべての人はアダムの子孫として生まれるので(第一の誕生)、彼の堕罪による死の支配からのがれることはできませんが、だれでも罪を悔い改め、キリストを信じて新しく生まれるなら(第二の誕生)、主の贖罪によるいのちの支配下にはいることができるのです。 一家に1枚ヒトゲノムマップ第3刷について A3判対応版 説教要約 725 次回は2015年4月6日「全人的な救い(1)」です。
2015.03.29
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「創造論は進化論よりも奇なり」 2015年3月23日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年1月28日放映「平安と将来と希望を与える神の計画(2)」 「創造論は進化論よりも奇なり」 甲斐慎一郎 創世記1章26~27節 エマソンは「事実は小説よりも奇なり」と言いましたが、至言です。これは、「この世に実際に起こる事柄は、作り話の小説以上に不思議な巡り合わせや複雑な変化に富んでいるもので、現実には作家の空想も及ばないような意外なことが多い」という意味です。 一、「理科系」と「文科系」について 1.理科系は、おもに自然界を研究の対象とする学問の系統で、自然科学系統のもので、 (1)数多くの確かな証拠で証明することができる客観的な事実に基づいて物事を考える。 (2)あらゆる法(則)を厳守する。 (3)その法則を駆使して、真理・原理・合理・道理を探求し、技術を習得し、真理を見出す。 2.文科系は、おもに人間の活動を研究の対象とする学問の系統で、人には、個性があり、十人十色で、同じ人はひとりも存在せず、十把一絡げにすることはできないので、 (1)個性を重んじる対応をする。 (2)そのために周囲の法則に拘束されず、自分で法則を制定し(すなわち善悪の規準を設けず)、自由な発想で物事を考える。 (3)文学や芸術や音楽などに見られるように、その人にしかできない独創的なものをつくる。 二、「事実と小説」を「理科系と文科系」に適用するなら、どうなるでしょうか 「事実」は「ノンフィクション」で、「小説」は「フィクション(作り話)」ですから、事実と作り話ということだけを取り上げて、これを理科系と文科系に適用するなら、「事実」は「理科系」で、「小説」は「文科系」です。 三、「事実と小説」を「創造論と進化論」に適用するなら、どうなるでしょうか 1.「創造論」はノンフィクションです 「ヒトゲノム計画」というのがありました。それは、ヒトのDNAの全塩基配列を解読するもので、2003年に完了しました。全世界の人々のDNAを調べ、遺伝子の地図(ヒトゲノムマップ)を作りました。ベンター博士(セレラ・ジェノミクス社の社長)と国立衛生研究所の科学者たちは、ヒトゲノムのすべての配列を完成させたと発表しました。彼らは、満場一致で、「人種は、ただ一つしかない」と宣言しました。すなわち「すべての民族は、一組の夫婦(アダムとエバ)から生まれた」ということが21世紀の科学で証明されたのです。 2.「進化論」はフィクションです 「進化論」は生物学で「理科系」ですので、科学的な検証をする必要があります。 ダーウィンが「種の起原」を発売し、進化論を唱えたのは、1859年です。その時代に観察できた外観上の生物の進化の仕組みは、形態学的なレベルでしか研究することができず、もっと根本的な細胞レベルでは、何が行われていたか全くわかりませんでした。当時の最も強力な顕微鏡でさえ、細胞は単純なものにしか見えなかったので、それは、まさに「ブラックボックス」でした。 「進化論」は、「形態学的なレベル」ではなく、「生化学的なレベル(DNAレベル)」における仕組みを解明することによって「フィクション」であることがわかったのです。 古来の進化論の系統樹は、単細胞生物→無脊椎動物→脊椎動物→魚類→両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類です。しかし古来の系統樹は、今では、だれも信じておらず、ダーウィンが進化論を唱えてから実に150年が経過しましたが、進化論の科学者は、それぞれ違った「系統樹」を作成し、確定した系統樹はなく、混乱しています。 しかし哺乳類が頂上にあることに変わりはありません。コウモリとイルカは、哺乳類なのに、その形態と生活が「鳥類」または「魚類」に戻ったのは、なぜなのでしょうか。しかもコウモリは「口」から超音波を発するレーダー(電波探知測定器)飛行をし、イルカは「口」から超音波を発するソナー(超音波探信機)遊泳をしています。これは、「進化論」では全く説明は不可能で、「系統樹」を作製することはできません。「創造論」が教えている、それぞれの「ゲノム(遺伝情報全体)」、すなわちコウモリゲノムまたイルカゲノムによってしか説明することはできません。 「進化論」はフィクションで、「創造論」はノンフィクションですから、まさに「創造論は進化論よりも奇なり」なのです。 一家に1枚ヒトゲノムマップ第3刷について A3判対応版説教要約 879 「生命の設計図と宇宙の設計図(2)」説教要約 878 「生命の設計図と宇宙の設計図(1)」 次回は2015年3月30日「全人的な救い(1)」です。
2015.03.22
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「神への信仰と自然科学(2)」 2015年3月16日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年1月20日放映「平安と将来と希望を与える神の計画(1)」 「神への信仰と自然科学(2)」 甲斐慎一郎 ローマ人への手紙、1章19、20節 二、神の存在についての聖書の記述 多くの人々は、「もし神がいるなら見せてみろ」とか「もし神がいるなら、その存在を科学的に証明してみろ」と言います。 確かに無知・無力な人間には、全知全能の神の存在を科学的に証明することなどできません。それでは、神の存在を科学的に証明する方は、どこにもいないのでしょうか。いや、います。それは神ご自身です。 聖書には、次のように記されています。 「神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性(神の全知全能)は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(19、20節)。 「被造物によって知られ、はっきりと認められる」というのは、言い換えれば「自然科学」によって知られるということです。自然科学ほど、神の存在と全知全能を教えているものはありません。私たちは、自然科学を学ぶなら、そこに神の存在と全知全能を見ることができます。これこそ「神が明らかにされた」ということで、これは言い換えれば、神の存在は、神ご自身が科学的に証明しておられるということです。 三、神の存在を科学的に証明している例 アメリカの教育界では、「進化論」と「知的計画(インテリジェント・デザイン)」の論争がされています。「知的計画」は、地球誕生や生命誕生は、進化論では説明できず、現在の自然界を見ても、「知的な計画」の存在を多くの科学者が認めているというものです。 「知的計画」をはっきりと見ることができる例を三つほど挙げてみましょう。 1.「コウモリ」のレーダー飛行 「コウモリ」は哺乳動物ですが、光のない真っ暗な洞窟の中も暗黒の空も飛ぶことができます。「コウモリ」には「目」があり、見ることはできますが、その目で見て、飛んでいるのでありません。「口」から超音波を発して、レーダー(電波探知測定器)飛行をしているのです。飛行機で言えば、「有視界飛行」ではなく、雲の中でも夜でも安全に飛ぶことができる「計器飛行」をしているのです。 2.「イルカ」のソナー遊泳 「イルカ」は哺乳動物ですが、光のない真っ暗な海の中を泳ぐことができます。「イルカ」には「目」があり、見ることはできますが、「目隠し」しても、目で見ているかのように正確に泳ぐことができます。「口」から超音波を発してソナー(超音波探信機)遊泳をしているのです。現在の船は、海中や海底にあるものを超音波を発するソナーで見て、航海しているのです。 3.生物を生かす「水」の固有の性質 「水」は、摂氏4度で、密度が最も高く、凍ると体積が増え、水に浮くので、川や海は、表面から凍り、海中の生物は生きていくことができます。もし「水」が他の液体のように、温度が下がれば下がるほど、密度が高くなるなら、氷は海底に沈み、次々と氷が海底で重なって、海底から海上まで氷に覆われ、地球上の生物は死に絶えてしまうでしょう。 また「水」には、「毛細管現象」があり、細い管を地球の重力に逆らって上っていくので、植物は「根」から水分を吸い上げて生きていくことができます。 さらに「水」は、摂氏100度になると水蒸気になり、上昇して雲になりますが、上空で冷えると、雨として地上に降ります。その時、空気中の炭酸や塵などを吸着して地上の土に染み込ませて肥沃な土壌にするだけでなく、「雨水」は「海水」ではなく「真水」なので、地上の動物は、それを飲み、植物は、それを吸収して生きていくことができます。 このように「水」は、動物や植物などの生物が生命を維持するために計算し尽くされた固有の性質をもっているのです。 神の存在は、「全知全能の知的な計画者」である神が創造された「被造物によって知られ、はっきりと認められ」、「神が明らかにされた」、すなわち証明されたので、私たちに「弁解の余地はないのです」(19、20節)。次回は2015年3月23日「全人的な救い(1)」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.03.14
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「神への信仰と自然科学(1)」 2015年3月9日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年1月9日放映「新しい事をされる神」 「神への信仰と自然科学(1)」 甲斐慎一郎 ローマ人への手紙、1章19、20節 医者であるとともに歴史家でもあるルカは、イエス・キリストの復活を述べる時、「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された」と記しています(使徒1章3節)。 ある事柄を事実であり真理であると主張する時、当然のことながら、その証拠を求められ、証明することが要求されます。キリスト教は、数多くの事実と真理を主張していますが、それは確かな証拠があり、証明することができるからです。 神の存在についても、聖書は「数多くの確かな証拠をもって、ご自分(神)が生きていること」を私たちに示しています。 一、自然科学が教えるもの 「神が私たちの目を開かれる時、私たちがかつてはこの世の中では神なきもの、いやむしろ無神論者であったことがわかる。私たちは生来、神についての何らの知識もなく、面識もないものである。しかし理性を用いはじめると、私たちは『神の、目に見えない本性、すなわち神の氷遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる』(ローマ1章20節)ことは事実である」(ジョン・ウェスレーの説教『原罪』)。 科学とは、何でしょうか。国語の辞書には、次のように記されています。 「一定の目的・方法・原理のもとに様々な知識を集め、整理して、体系的・原理的に統一する学問。特に自然界の現象を研究し、その法則を追求する自然科学のこと(山口明穂、秋本守英編『詳解国語辞典』旺文社)」 科学は、最先端を行く理性・知識・知性であり、自然科学を研究するなら、自然界に働いている自然法則は、支離滅裂でも滅茶苦茶でもなく、秩序正しく理路整然としたもので、目的と計画性があることがわかります。 宇宙のすべてが1秒の狂いもなく、正確に動いているので、数式で表すことができる例として皆既日食を取り上げてみましょう。 皆既日食は、太陽と月と地球が一直線に並んで、地球から見ると、太陽の前に月がすっぽりとはいり、真っ黒い太陽に見えるというものですが、地球の自転と公転の速度、そして月の自転と公転の速度は、非常に複雑です。地球の軌道は真円(まんまる)ではなく、少し楕円であり――そのために皆既日食だけでなく、金環日食も起こります――月も移動速度は、一定ではありませんが、決してランダム(気まま、行き当たりばったり)ではなく、数式で書き表せるものです。それで皆既日食と金環日食の起こる日時を一秒の狂いもなく計算することができるのです。 この自然法則が秩序正しく、理路整然として、目的と計画性があることは、その背後に「知的な計画者(インテリジェント・デザイナー)」が存在していることを教えています。「デザインのあるところには、デザイナーがいる」という言葉のとおりです。 「ヒトの遺伝情報(DNA)を読んでいで、不思議な気侍ちにさせられることが少なくありません。これだけ精巧な生命の設計図を、いったいだれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間わざをはるかに越えている。そうなると、どうしても人間を越えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は『偉大なる何者か』という意味で10年くらい前から『サムシング・グレート』と呼んできました」(村上和雄著、生命の暗号、198ページ)。 自然科学を学び、自然法則を駆使するなら、神の創造のわざを模倣して、たとえば飛行機や船舶、自動車や電車、レーダー(電波探知測定器)やソナー(超音波探信機)、携帯電話やコンピューター、テレビ・冷蔵庫・洗濯機などの家庭電化製品、MRIやCT等々、昔は想像することもできなかった驚くべき精密な機器をつくることができるのです。次は2015年3月16日「神への信仰と自然科学(2)」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.03.08
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