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「創造論と進化論を信じる生き方」 2015年7月27日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年3月4日放映「信仰に成長する秘訣(1)」 「創造論と進化論を信じる生き方」 甲斐慎一郎 創世記1章26、27節 創造論と進化論は、生物学または生化学において科学的に正しいかどうかという問題に止まらず、人にとって最も大切な生き方の問題であることを聖書は教えています。 一、創造論を信じる生き方 聖書は、神は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。……神はこのように、人をご自身のかたちに創造された」。「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを創造した」と記しています(創世記1章26、27節、第二版、イザヤ43章7節)。 このことを人の生き方について述べるなら、次の聖書のことばがそれを教えています。 ▽「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心(原語は思い)の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12章2節)。 ▽「私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです」(ローマ15章2、3節)。 さらに人生の目的について述べるなら、次の聖書のことばがそれを教えています。 ▽「あなたがたは、食べるにも、飲むにも何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(第一コリント10章31節)。 ▽「生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです」(ピリピ1章20節)。 「創造論を信じる生き方」は、何と高尚で、すばらしいものでしょうか。このような生き方は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(第二コリント5章17節)と、キリストによる「人間の新しい創造」によってのみ可能なのです。 二、進化論を信じる生き方 進化論科学者は、生物の進化について次のように説明しています。 「自然選択説は、進化を説明するうえでの根幹をなす理論で、厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる突然変異を選別し、進化に方向性を与えるという説です。日本では時間の流れで自然と淘汰されていくという意味の『自然淘汰』が一般的です」。 このようなことから進化論科学者は、生物が進化する要素を三つ述べています。1.第一は「時間の流れ」、2.第二は「偶然と必然」、3.第三は「自然選択」です。すなわち、1.何もしなくても時間の経過とともに下等な生物が高等な生物に進化する。2.偶然と必然によって下等な生物が高等な生物に進化する。3.環境によりよく適応したものが生き残る適者生存により、強い者が生き残り、弱い者が死に絶えて、進化すると主張しています。 しかし現実の動物は、弱い草食動物が80パーセントを占め、強い肉食動物は、20パーセントしか存在していません。もし進化論が本当なら、弱い草食動物は死に絶えて、強い肉食動物しか存在しないはずですが、現実の動物は、そのようにはなっていません。 このことを人の生き方に当てはめるなら、人は、1.時間の経過とともに成長する。2.偶然と必然によって成長する。3.適者生存により強い者が生き残り、弱い者が死に絶える。 しかし現実の人間には、このようなことは起こりません。人は、 1.時間が経過すれば、成長し、向上するどころか、何もしなければ(努力しなれれば)、時間の経過とともに退歩していきます。 2.偶然にしても必然にしても、人間は罪深いので、何もしなければ(努力しなれれば)、堕落していきます。 3.適者生存の世界においては人を蹴落としてでも、自分が勝つこと、自分が得になることのみするようになるのです。 これが「進化論を信じる生き方」です。このような生き方は、何と浅ましく、怠慢で、しかも残酷な生き方でしょうか。 私たちは、「創造論を信じる生き方」と「進化論を信じる生き方」のどちらを選んで生きているでしょうか。 甲斐慎一郎の著書→説教集 次回は2015年8月3日「天地創造は六日か幾億年か(1)」です。
2015.07.26
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「進化否定の米博物館」 2015年7月20日 インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年1月20日放映「信仰の妨げ(3)世への愛着」 「進化否定の米博物館」 甲斐慎一郎 創世記1章26、27節 一、進化論--偽りの構図 無神論者でさえ、クリスチャンが進化論を信じることは聖書信仰と矛盾するということをよく知っています。 G・リチャード・ボザース氏が「アメリカ無神論者(The American Atheist)」誌に掲載した「進化論の意味」という論文を引用しましょう。 「キリスト教は、創世記に記述されている特殊創造論に立っており、またそうでなければならない。だからキリスト教は、進化論に対して手段を選ばず全力で戦うべきである」。 無神論者ジャック・モノー(分子生物学と哲学に貢献したことで知られる)は、「生命の神秘」と題する、1976年6月10日に放送されたオーストラリア放送協会制作の彼の功績を讃える番組の中で、インタビューに答え、次のように述べました。 「自然選択は最も盲目的で、新しい種へと進化するための最も残酷な方法です。そして生物をより一層複雑にし、純化していきます。進化は殺し、破壊する過程であるために、一層残酷になります。生存をかけての闘争、そして弱者を排除することは身の毛もよだつ過程であり、我々の近代的な倫理に反するものです。理想的な社会は非選択的な社会であり、弱者が保護される社会です。それはまさに、いわゆる自然法則に反するものです。ですから創造主が創造された際に、多少なりとも進化という残酷な過程を用いるように計画されたという考えをクリスチャンが弁護していることに、私は驚いています」(アンサーズ・イン・ジェネシス創設者ケン・ハム著『進化論、偽りの構図』クリエーション・リサーチ、123~125頁、1996年)。 二、進化否定の米博物館--週末は行列 人類など地球上の生物は、長い時間をかけて自然に進化してきた。日本を含む多くの国ではそれが常識だが、米国では必ずしもそうではないようだ。旧約聖書の創世記の通り、神が6000年前に6日間で万物を創り上げたと信じる「キリスト教保守派」の人たちが中南部を中心に少なくないからだ。ケンタッキー州では、天地創造をテーマに進化論を否定する博物館が人気スポットとなっている。 (ワシントン 中島達雄、写真も) 「アメーバは最初からアメーバ、魚は最初から魚。人類は最初から人類です。神が人類を創造したのです」。 ケンタッキー州ピーターズバーグの「天地創造博物館」で、地質史学専攻のテリー・モーテンソン開館研究員が「生物の進化の森」ど題された図を掲げてそう話すと、講堂を埋め尽くした約300人の見学客たちが大きくうなずいた。反論の声はひとつも出なかった。この博物館は、12万人の会員を持つキリスト教団体「アンサーズ・イン・ジェネシス(創世記の中の答え)」が、ピーターズバーグの敷地20ヘクタールに約33億5,700万円をかけて建設し、2007年5月に開館した。今年2月現在で230万人が訪問。週末は家族連れを中心に行列ができ、数十分間待たなければ中に入れないほどだ。 科学者らの批判はあるが、天地創造をテーマにした博物館は増加傾向にある。東大大学院博士課程で博物館学を専攻する小森真樹さんの調査によると、こうした博物館は2013年現在、米国に27か所、カナダや英国、オランダなどに9か所ある。アンサーズ・イン・ジェネシス(創世記の中の答え)は、ピーターズバーグの天地創造博物館から車で約40分ほどの場所に全長155メートルに及ぶ「実物大」の方舟も建設中で、2016年に開館の予定となっている。「天地創造ブーム」はしばらく続きそうだ。(2015年6月11日の読売新聞の朝刊より文と写真を掲載)次回は2015年7月27日「天地創造は6日か幾億年か(1)」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.07.19
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「創造論と進化論の功罪」 2015年7月13日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年1月13日放映「信仰の妨げ(2)物への執着」 「創造論と進化論の功罪」 甲斐慎一郎 創世記1章26、27節 人の起源については、人は神によって創造されたという「創造論」と、人は単細胞生物から進化したという「進化論」があります。 一、創造論の正しさ 聖書は、神は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。……神はこのように、人をご自身のかたちに創造された」。「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを創造した」と記しています(創世記1章26、27節、第二版、イザヤ43章7節)。 キャンベル・モルガンは、このみことばから「人は、神によって(by God)、神のように(like God)、神のために(for God)造られた者である」と述べています。 「ヒトゲノム計画」というのがありました。それは、ヒトのDNAの全塩基配列を解読するもので、2003年に完了しました。全世界の人々のDNAを調べ、遺伝子の地図(ヒトゲノムマップ)を作りました。ベンター博士と国立衛生研究所の科学者たちは、ヒトゲノムのすべての配列を完成させたと発表しました。彼らは、満場一致で、「人種は、ただ一つしかない」と宣言したのです。すなわち「すべての民族は、一組の夫婦(アダムとエバ)から生まれた」ということが21世紀の科学で証明されたのです。 二、進化論の誤り ダーウィンが「種の起原」を発売し、進化論を唱えたのは、1859年です。ダーウィンの時代に観察できた外観上の生物の進化の仕組みは、形態学的なレベルでしか研究することができず、もっと根本的な細胞レベルでは、何が行われていたか全くわかりませんでした。当時の最も強力な顕微鏡でさえ、細胞は単純なものにしか見えなかったので、それは、まさに「ブラックボックス」でした。 進化論者は、これまで140年以上、形態学的なレベルでの進化の説明をしてきましたが、DNAの発見と遺伝子の地図(ヒトゲノムマップ)の作製によって、形態学的なレベルでの進化の説明は誤っていることがわかりました。それで進化論者は、DNAレベルでの進化の説明をする必要に迫られ、今度はDNAが偶然にも突然変異を起こしたと、証拠もないのに憶測で進化したと言い始めました。 現に2015年のNHKのテレビ番組で、「生命大躍進」が放映されました。第1回は5月10日「そして目が生まれた」、第2回は6月7日「こうして母の愛が生まれた」、第3回は7月5日「ついに知性が生まれた」です。3回とも証拠もないのに憶測で、何億年前にDNAが偶然にも突然変異を起こし、進化して、「目が生まれた」「胎盤ができた」「知性が生まれた」と説明していました。 上の図は形態学的なレベルの、しかも古来の恐竜の系統図です。赤い所は、化石がありますが、白い所は、化石はなく、進化論者の想像(憶測)です。枝分かれしているところは、ミッシング・リンク(欠けた連鎖)です。 これは、これまでの形態学的なレベルでの進化が偶然の積み重ねによって起きたと、証拠もないのに憶測で進化したと説明してきた過ちをまたもや繰り返しているのです。 三、創造論と進化論の功罪 創造論は、神が人間を創造されたことを信じるものです。すなわち「人は、神によって創造され、神のかたちに似せて造られ、神の栄光を現すために形造られた」のですから、神の啓示によって、人間とは何であり、どこから来て、どこへ行くのか、また何のために生き、どのように生きるべきなのかということがすべてわかります。人が生きていくうえで、これほど幸いなことがあるでしょうか。 ところが進化論は、無から有を生じる自然発生という偶然から始まり、無生物から生物へ、そして猿から人間へ進化したことを信じるものです。すべては偶然の産物で、「人は偶然によって、偶然のように、偶然のために造られた」のですから、人間とは何であり、どこから来て、どこへ行くのか、何のために生き、どのように生きるのかということが全くわかりません。人が生きていくうえで、これほど不幸なことがあるでしょうか。 私たちは、人の生き方と科学の両面から考えて、「創造論」と「進化論」のどちらが正しいと信じるでしょうか。次回は2015年7月20日「天地創造は六日か幾億年か(1)」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.07.12
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