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[天地の創造(2)」 2015年10月26日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2012年7月23日放映「キリスト教の神髄」 [天地の創造(2)」 甲斐慎一郎 創世記1章 旧約聖書の開巻第一頁は、「初めに、神が天と地を創造した」ことが記されています(1節)。この神の存在と天地の創造こそ聖書が教えている第一の真理です。1.神は、ほんとうに存在するのか?2.天地は、どのようにして造られたのか?3.人間は、どのようにして生まれたのか?4.人は、どのように生きるべきなのか?5.人間は、死後どうなるのか? これらの質問を一つにまとめるなら、「真理とは何か」ということになるでしょう。この真理を知る方法については、全く正反対の二つの考え方があります。 一、人が真理を探究することについて 人が生きるためには、いわゆる「衣食住」が必要です。しかし、もし人が衣食住のためだけに生きているならば、他の動物と少しも変わりません。人の人たるゆえんは、「真理とは何か」、「人は、どのように生きるべきなのか」ということを考え、それを探究して生きるところにあるのではないでしょうか。このような人間の営みが、教育や科学であり、また倫理や道徳、そして哲学や宗教(異教)です。これらは、上の図のように現実の世界から究極の真理に向かって限りなく近づく赤い矢印として表すことができます。 この「人が真理を探究する」営みというのは、非常に大切なものですが、「科学の教科書は絶えず書き変えられる」ということばに代表されるように、これは、究極の真理に到達するまでの「部分的な真理」であり、「絶対的な真理」ではないという限界のあるものであることを決して忘れてはならないのです。 二、神が真理を啓示されることについて これに対して聖書は、人の探究ではわからない神と神に関する究極の真理を、神のほうから私たちに明らかに教え示しています。これが「神の啓示」です。これは上の図のように、究極の真理から現実の世界に向かっている青い矢印として表すことができます。 「人は、どのように生きるべきなのか」ということについては、究極の真理に到達するまでの部分的な真理を教える「人の探求」では間に合わず、絶対的な真理を教える「神の啓示」がどうしても必要ではないでしょうか。聖書こそ「神の啓示」の書です。それは、神が「究極の真理」を時間と空間を超越して、一足飛びに私たちに示されたものです。 ですから、天地の創造を初め、永遠の生命や復活また奇蹟等、人間の理性では考えられないような不思議なことが聖書に記されているのも当然ではないでしょうか。なぜなら、「人が真理を探究する」という科学の発明でさえも、それが発明される前の人々には、全く不思議で信じられないものだからです。 たとえば、電話やテレビ等を全く知らない大昔の人々に対して私たちが、電話は地球の反対側に住んでいる人とも話をすることができるもので、テレビは彼らの姿をカラーで動く絵として見ることができるものであると説明しても、彼らは全く信じられないでしょう。 まして20世紀の科学の発明よりも、はるかに高度な「究極の真理」が時空を超越して一足飛びに啓示されるならば、それが信じられないようなことであるのも当然ではないでしょうか。聖書は、創世記の1章から、この「神の啓示」が記されているのです。拙著「創世記の聖徒たち」2「天地の創造(2)」より転載 甲斐慎一郎の著書→説教集 次回は2015年11月2日「三つの創造」です
2015.10.25
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「天地の創造(1)」 2015年10月19日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2012年7月10日放映「聖書に基づく確かな信仰」 「天地の創造(1)」 甲斐慎一郎 創世記1章 旧約聖書は、創世記から始まっています。この創世記から申命記までの最初の五つの書は、「モーセ五書」と呼ばれ、モーセによって書かれたものです。ブリンジャー博士は、「創世記は聖書全体の苗床です。すべての芽がここから芽ばえるのです。聖書の各部分を本当に理解するためには、欠くことのできないものです」と述べています。 一、啓示の神 モーセは、この創世記を記すにあたって、何の前置きも説明もしないで、いきなり「初めに、神が天と地を創造した」と書き始めています(1節)。彼は、自分がこれから書こうとしていることは、人間の考えや思想ではなく、神の啓示であることを教えるために、このように記したのです。 啓示ということばは、もともと「おおいを取る」とか「ベールをはぐ」という意味があります。それは、人間の理性や人の探求ではわからない神と神に関する真理を、神のほうからおおいを取って、私たちに明らかに教え示すことです。 聖書は私たちに次のように教えています。 「神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(ローマ1章19、20節)。 二、創造の神 啓示の書である聖書は、神は万物の創造者であると教えています(1節)。「主が仰せられると、そのようになり」(詩篇33篇9節)とあるように(3、6、7、9、11、15、24節)、神は、権威のあることばによって、無から有を生むことがおできになる創造者です(ローマ4章17節)。 この創造者である神のわざについて、聖書は、次のような三つの創造を教えています。1.今の天と地の創造――「初めに、神が天と地を創造した」(1節)。2.人間の新しい創造――「だれでもキリストのうちにあるなら、そ の人は新しく造られた者です」(第二コリント5章17節)。3.新しい天と地の創造――「私は、新しい天と新しい地とを見た」 (黙示録21章1節、参照、第二ペテロ3章13節)。 第一は過去、第二は現在、第三は将来における神の創造のわざです。もし私たちが、第一の創造のわざを信じるならば、第二と第三の創造のわざをも信じることができます。しかしそれを信じなければ、あとの二つも信じることができないでしょう。 三 秩序の神 創造の六日間は次のようになっています。◆第一日、光 ◆第二日、大空、水◆第三日、地と植物 ◆第四日、太陽、月、星 ◆第五日、魚、鳥 ◆第六日、陸の動物、人 パウロは「神は混乱の神でなく、秩序の神だからです」と述べていますが(第一コリント14章33節、詳訳聖書)、この宇宙を造られた神は、秩序の神です。神は、形がなく、むなしく、やみがあったという混沌とした状態(2節)から、秩序正しい宇宙を創造されました。 このように混沌とした状態(カオス)を秩序のある世界(コスモス)に変え、おおいを取って(言い換えれば啓示の光によって)物事をはっきりとわかるようにさせるのが神の働きです。これに対して秩序のある世界(コスモス)を混沌とした状態(カオス)にしておおいを掛け、物事をわからなくさせるのが悪魔の働きです(第二コリント4章3、4節)。甲斐慎一郎の著書→説教集拙著「創世記の聖徒たち」1「天地の創造(1)」より転載次回は2015年10月26日「天地の創造(2)」です
2015.10.18
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「情報が物質を造る(2)」 2015年10月12日 インター ネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年10月1日放映「神を信じる人生と神を信じない人生」 「情報が物質を造る(2)」 甲斐慎一郎 コリント人への手紙、第二、4章18節 2015年10月6日に梶田隆章師が素粒子ニュートリノの重さを証明して「ノーベル物理学賞」を受賞し、その梶田隆章師が「物質起源の謎に迫りたい」と語った記事が新聞に掲載されていました。それで素粒子から「物質起源の謎に迫りたい」と思います。 一、現代科学は、物質の正体は、目に見えないエネルギーであると教えている 「物質はなにゆえに存在するのでしょうか。それは……原子が存在するからです。原子はなにゆえに存在するのでしょうか。それは、素粒子が存在するからです。それでは素粒子はなにゆえに存在するのでしょうか。……それは、エネルギーが存在するからです」(猪木正文著『物理学的人生論』)。 文部科学省が世界トップレベルの研究拠点として発足させた「東京大学数物連携宇宙研究機構」の初代機構長の村山斉師は、「宇宙は何でできているのか(副題は『素粒子物理学で解く宇宙の謎』)』という本を出版し、その中で次のように述べています。 「学校では『万物は原子からできている』と習います。……しかし実は『原子以外のもの』が宇宙の約96%を占めている。……宇宙の中で私たちが理解できた原子は4.4%にすぎません。宇宙のエネルギーの23%を占める暗黒物質は星や銀河ができるもとであり、……また宇宙のエネルギーの73%は、もっと得体の知れない暗黒エネルギーです」(村山斉著『宇宙は何でできているのか』)。 「エネルギーは現代物理学の基礎概念です」(猪木正文『物理学的人生論』)ということは、最新の研究と発見から考えて本質的に少しも変わっていません。梶田隆章師の「ノーベル物理学賞」の受賞に関して村山斉師のコメントがテレビで放映されていました。説教要約 957 生命の設計図と宇宙の設計図(1) 説教要約 958 生命の設計図と宇宙の設計図(2) 二、エネルギーは、なにゆえに存在するのであろうか 2013年9月22日にNHKのテレビで「神の数式」という番組が放映されました。それは「宇宙はなぜ生まれたのか」(最後の難問に挑む天才たち)という内容です。世界各国の天才物理学者たちがミクロの素粒子を完璧に表した「素粒子の数式」と広大な宇宙を支配する「重力の数式」(すなわち一般相対性理論)の二つを一つに束ねる「神の数式」を書き表すもので、まだ完全に計算することはできていませんが、この「神の数式」こそ「宇宙の設計図」または「神の設計図」であるというものです。「数式」という言葉を用いるのは、宇宙のすべては、数や量を表す数字で書き表せるからで、宇宙のすべては、一秒の狂いもなく、正確に動いているからです。これは、全知全能の神のみがなせるわざです。 この「神の数式」こそ「宇宙の設計図」であり、これがエネルギーを造り、エネルギーが素粒子を造り、素粒子が原子を造り、原子がすべての物質を造ったのです。 三、情報が物質を造る 聖書は「主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ」と記しています(詩篇33篇9節)。創世記の冒頭には「神は仰せられた。『光があれ』。すると光があった」と記されています(創世記1章2節)。この「光」は「可視光線」だけでなく、「可視光線」を含めた「電磁波」です。「電磁波」がなければ、動植物は生きられません。現に人間の「頭脳」は、五感でとらえた物理的あるいは化学的な刺激を神経インパルス(電気信号)に変換して脳に送って知覚そして知識に変換しているのであり、電磁波がなければ、「頭脳」は機能しません。 そしてこの「電磁波」は、音波(音エネルギー)、電波(電気エネルギー)、光波(光子エネルギー)、赤外線(熱エネルギー)、紫外線、x線、γ線、宇宙線(放射エネルギー)などの「エネルギー」です。「エネルギー」がなければ、何も造られないのです。 情報学者のヴェルナー・ギット博士が述べているように、「情報(神の設計図)」が「エネルギー」を造り、「エネルギー」が物質を形造っているのです。 次回は2015年10月19日「天地の創造(1)」です。
2015.10.11
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「情報が物質を造る(1)」 2015年10月5日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年9月21日放映「摂理と運命」 「情報が物質を造る(1)」 甲斐慎一郎 ヨハネの福音書、1章1~5節 先日、テレビの番組において、人を写真で撮り、それをパソコンに入力し、3Dプリンターに接続して、その人とそっくりの立体形の人形ができたのを見せて、「情報が物質を造った」と説明していました。まさにそのとおりです。聖書は、「主(神)が仰せられると、そのようになり、主(神)が命じられると、それは堅く立つ」(詩篇33篇9節)と記し、神のことばという「情報」が「物質」を造ったと初めから教えています。現代は、ITの時代です。ITとは「Information Technology」すなわち「情報技術」ということです。情報がなければ、何も考えられず、また何も造ることはできません。 一、初めに物理法則ありき 「宇宙は神によって創られたのではなく、物理法則によって自然に作られるのだ。この世界には完全なる法則の集合があり、現在の宇宙の状態を知ることができれば、今後宇宙がどのように発展するのかを予言することができる、という考え方です。このような法則はどの場所でもどの時刻でも成り立つべきで、そうでなかったらそれは法則ではありません。例外や奇跡もありません。神でも悪魔でも宇宙の発展に干渉することはできないのです」(『ホーキング、宇宙と人間を語る』258頁、239頁、エクスナレッジ、2011年)。 二、初めに情報ありき ヨハネは、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた」と記しています(1~3節)。「ことば」は心の表現、言い換えれば、人格を持つ者の表現です(マタイ12章34節)。 情報学者のヴェルナー・ギット博士は、この「初めにことばありき」というヨハネのことばを用いて「初めに情報ありき」という本を出版しています。すなわち「ことば」は、情報にほかなりません。 聖書は、「家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です」と記しています(ヘブル3章4節)。 ケン・ハム氏は、「背後に知性の存在を指し示すものの例として、建物、ラシュモア山の彫刻、車を挙げ、これらは決して自然にはできません。知性のある誰かが計画して作ったから存在するのです」と述べています。 地球には、自然と人工物があり、人工物は、人間が製造しました。人間には知識(情報)と技術(能力)があるからです。人間以外の動物は、知識(情報)も技術(能力)もないので、何も造ることはできません。知識と技術すなわちIT「Information Technology」こそ「物」を造ることができるのです。すなわち全知(すべての情報)全能(すべての技術)の神のみ万物を造ることができるのです。 ダーウィンの友人であったアルフレッド・ウォレスは、次のように述べています。 「我々が自然の他の構成員とともに永遠の盲目的な力の所産にすぎないとしたら、殉教者の苦悩も,犠牲者のうめき声も、悪も不幸も、自由への闘争も,正義への努力も、人間としての徳と幸せを求める情熱も、そういったものすべてが望むべくもなく、根拠もなく、役に立たないことになる。真実を愛し、美に感動し、正義を熱望し、勇気と犠牲的精神をもって行動し、歓喜に身を震わせる人間の精神の起源は、自然淘汰説には見出しえない」。 ウォレスは、猿のからだ(物質)は、人間の精神(情報)を造ることはできないことを150年も前から見抜いていたのです。 「ヒトの遺伝情報を読んでいで、不思議な気侍ちにさせられることが少なくありません。これだけ精巧な生命の設計図を一体だれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は『偉大なる何者か』という意味で十年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました」(村上和雄『生命の暗号』198頁、サンマーク出版、1997年)。 情報学者のヴェルナー・ギット博士は、宇宙には「情報」と「エネルギー」と「物質」があり、情報がエネルギー(物理法則)を造り出し、エネルギーが物質を形造ると述べています。情報がなければ、エネルギー(物理法則)はなく、エネルギーがなければ、物質は存在しません。 「初めに情報ありき」と「初めに物理法則ありき」のどちらが正しいでしょうか。私たちは、どちらを信じるでしょうか。 甲斐慎一郎の著書→説教集 次回は2015年10月5日「天地の創造(1)」です。
2015.10.04
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