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「創造論か進化論か(2)」 2015年7月6日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2015年1月6日放映「信仰の妨げ(1)人への恐れ」 「創造論か進化論か(2)」 甲斐慎一郎 創世記1章26、27節 聖書は、人間は神によって創造されたと教えています。これに対して多くの人々は、人間は猿から進化したものであると考えています。前者が「創造論」であり、後者が「進化論」です。どちらが正しいのか、信仰と科学の両面から考察してみましょう。 一、創造論と進化論の前提について 多くの人々は、人間がどのように生まれたのかということについて、「創造論」は、信仰的または宗教的なとらえ方であり、「進化論」は、科学的なとらえ方であると思っています。しかし事実は、どちらも信仰的なとらえ方なのです。それは、なぜでしょうか。 二、科学には二種類あることについて 1.観察科学・実験科学(Observational/ Operational Science) 繰り返し実験することによって検証が可能です。 2.歴史科学・起源科学(Historical / Origins Science) 過去の出来事に関する仮説を立てる科学で、実験して検証することはできません。 研究の対象と方法が異なる二つの「科学」があるにもかかわらず、多くの人々は「進化論は、観察科学であり、科学的事実である」と考えています。実際には「進化論」も「創造論」も、歴史科学の範疇にあって、観察科学のように検証し、証明することはできません。「観察できるものの仕組みを調べ、その仕組みを用いて技術を発展させよう」とする営みは、観察科学の分野ですが、「観察できるものがどうして存在するようになったか」という起源を知ろうとする営みは、歴史科学の分野であることを知る必要があります。 ところが「歴史科学・起源科学」の範疇にあるもの――人類の始祖は、だれなのかということは、過去の出来事に関することですから、繰り返し実験することによって検証することはできません――が「観察科学・実験科学」によって証明されたのです。それは「ヒトゲノム計画」です。 三、ヒトゲノム計画について 「ゲノム」とは、ひとつの生物が持つ「遺伝情報全体」のことで、ヒトならヒトゲノム、イヌならイヌゲノム、大腸菌なら大腸菌ゲノムがあります。 1989年に1億ドルの予算でアメリカの国立保健研究所を中心とした「ヒトゲノム計画」をスタートさせました。さらに一年間の準備期間を経て、1990年に本格的に国際的なプロジェクトとしての活動が始まりました。プロジェクトの中心となっているのはアメリカ、日本、フランス、イギリス、ドイツといった国々です。これらの国をはじめ世界各国が協力し、膨大な情報量を持つヒトゲノムの解析に励み、2003年に完了しました。 全世界の人々のDNAを調べ、遺伝子の地図(ヒトゲノムマップ)を作りました。ベンター博士(セレラ・ジェノミクス社の社長)と国立保健研究所の科学者たちは、ヒトゲノムのすべての配列を完成させたと発表しました。彼らは、満場一致で、「人種は、ただ一つしかない」と宣言したのです。 四、ヒトゲノムマップの公開について 2006年(平成18年)4月14日に文部科学省が平成18年度(第47回)科学技術週間にあたり、一家に一枚ヒトゲノムマップ「ここまでわかった! ヒトゲノム」を作製し、公開しています。 一家に1枚ヒトゲノムマップ(A3判対応版)(PDF 4.0MB) 五、ヒトゲノム計画によって証明された人類の始祖について ベンター博士(セレラ・ジェノミクス社の社長)と国立保健研究所の科学者たちが満場一致で宣言した「人種は、ただ一つしかない」というのは、言い換えれば、「すべての民族は、一組の夫婦(アダムとエバ)から生まれた」ということであり、人類の始祖は、一組の夫婦であることが、21世紀の「観察科学・実験科学」によって証明されたのです。次回は2015年7月13日「天地創造は6日か幾億年か(1)」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.06.24
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「創造論か進化論か(1)」 2015年6月29日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年11月26日放映「神が求められること」 「創造論か進化論か(1)」 甲斐慎一郎 創世記一章26、27節 聖書は、人間は神によって創造されたものであると教えています。これに対して多くの人々は、人間は猿から進化したものであると考えています。前者が「創造論」であり、後者が「進化論」です。 人間は、どのようにして生まれたのかということについては、おもにこの「創造論」と「進化論」の二つの考え方があります。この二つのうちどちらが正しいのか、信仰と科学の両面から考えてみましょう。 一、創造論と進化論の前提について 多くの人々は、人間が、どのようにして生まれたのかということについて、「創造論」は信仰的(または宗教的)なとらえ方であり、「進化論」は科学的なとらえ方であると思っています。 しかし事実は、どちらも信仰的なとらえ方なのです。なぜなら創造論は、神が人間を創造されたことを信じるものですが、進化論も科学的に証明することのできない前提(ある物事が成り立つための前置きとなる条件)を信じるものだからです。それは具体的に述べるなら、次のように言うことができます。 二、創造論と進化論の成立について 「創造論」は、天地万物を創造された全知全能の神が人間をも造られたことを信じればよいのであり、まことに単純明快です。これに対して「進化論」は、多くの前提(ここでは次に述べる七つのこと)をすべて信じなければ成り立たず、しかもこの七つのことは科学的に証明することができないだけでなく、現代の科学の教えに反するものです。 1.無から有を生じる自然発生があった――しかし現代の科学は、自然発生はないと教えています。それで進化論者は、最初にして最後の自然発生があったと述べています。 2.地質現象は、いつも同じように起きる――進化論者は、「すべての地質現象は、過去も現在も同じ経過と営力で起こる」(『ウェブスター辞典』)という「斉一説」を信じています。しかし化石や地層は、地球上に激烈な大変動があったことを示しています。 3.単純なものから複雑なものへ変化する――しかしエントロピー増大の法則(熱力学第二法則)は、自然の過程は無秩序が増大する方向へ進む、言い換えれば複雑なものから単純なものへ変化すると教えています。 4.突然変異によって生物は進化する――しかし現代の科学は、突然変異は有害であって、生物を退化させると教えています。 5.生物は、時間をかけて少しずつ器官を獲得していった――しかし現代の科学は、細胞の中にすでに、その生物を組み立てる遺伝情報(DNA)がすべてはいっていると教えています。 6.移行段階の中間形が存在する――しかし中間形の化石はなく(ミッシング・リンク)、今も生きている生物と全く同じ形の化石が発見されるだけです。 7.進化の途上の不完全な生物が生き延びて繁殖する――しかし生物は、完全な姿の時にのみ生き続けて、子孫を残し、現在も存在していることができます。ですから、たとえ中間形の生物がいたとしても、存続することはできず、一代で絶滅するでしょう。 三、創造論と進化論の功罪について 創造論は、神が人間を創造されたことを信じるものです。ですから神の啓示によって、人間とは何であり、どこから来て、どこへ行くのか、また何のために生き、どのように生きるべきなのかということがすべてわかります。これは人間にとって最も大切なことです。 ところが進化論は、無から有を生じる自然発生という偶然から始まり、無生物から生物へ、そして猿から人間へ進化したことを信じるものです。すべては偶然の産物ですから、人間とは何であり、何のために生き、どのように生きるのかということが全くわかりません。これは人間にとって最も不幸なことです。 私たちは、信仰と科学の両面から考えて、「創造論」と「進化論」のどちらが正しいと信じるでしょうか。 甲斐慎一郎の著書→説教集 次回は2015年7月6日「創造論か進化論か(2)」です。
2015.06.24
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「欠けた連鎖に見る進化論の誤り」 2015年6月22日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年11月21日放映「神を求めなさい」 「欠けた連鎖に見る進化論の誤り」 甲斐慎一郎 創世記1章21~25節 一、欠けた連鎖(ミッシング・リンク) もし進化論が事実なら、単細胞生物と無脊椎動物の間、無脊椎動物と脊椎動物、魚類と両生類、両生類と爬虫類、爬虫類と鳥類または哺乳類、または下等な哺乳類と霊長類などの間に「中間型」(移行型)化石が見出されなければなりません。しかし実際のところ、いずれの間にも、そうした中間型化石は全く見出されません。進化論者が「中間型」と主張したものはありますが、いずれも結局のところ、あとになって否定され、中間型ではなかったことが明らかになっています。 「中間型」は、種と種のすべての間において、「欠けている」のです。この欠けていることを英語で「ミッシング」といい、また中間型が見出されないことを「ミッシング・リンク」(つながりが欠けていること)と言います。すなわち、この「欠けた中間型」――「ミッシング・リンク」は――「そこにあるはずなのにない」というものです。生物学者ジェフリー・シュワルツ博士は、「ミッシング・リンクは、すべて、いまだにミッシングである(欠けている)。それは将来も決して発見されないだろう。なぜなら、そんなものは、もともと存在しなかったからだ」と述べています(米国の権威ある科学誌『サイエンティフィック・アメリカン』1999年9月号)。 図の1は、魚から陸上動物への理論的進化の過程です。左の魚の化石は大量に発見されます。右の両生類(トカゲ、イモリ、ワニ)の化石も大量に発見されます。しかし進化が行われたなら、中央の魚と両生類の中間の型の化石も両者の化石と同じように豊富に存在するはずです。しかし魚と両生類の中間の変移の型の化石は、一つも発見されません。 その下の図は、恐竜の系統図ですが、赤い所は、化石がありますが、白い所は、化石はなく、進化論者の想像です。枝分かれしているところは、ミッシング・リンク(欠けた連鎖)です。 二、中間型が存在しない理由 図の2は、コウモリの空想上の進化の経路です。進化論は、コウモリが数百万年の期問に、ネズミ、またはある地上動物から、ゆっくりとした目立たない変化によって進化したと言います。コウモリは何百万の中間の段階を通ったに違いありません。ところが進化中の動物が、2、3、4、5、6、7、8の中間の段階にある時、生活し得たとは考えられません。その時期には前足は走るための足でもなく、飛ぶための翼でもなく、その持ち主に食物を獲得することも、取りまく何千の敵から逃げることも許さない足の付属物にすぎず、まして中間型の時は子孫を残すことはできません。このことは、同じ説得力をもって、翼が理論上、爬虫類の前足から進化してできたと言われている鳥にも適用できます。 三、進化を否定する油虫の化石 図の3は、石炭紀の地層から出た50億年前に生存していたと想像されている油虫の化石です。この化石と全く等しい油虫が今日生きています。「化石と現在、生きている動物との唯一の違いは、後者は生きているが、前者は長い間,死んでいることだけです」(ハックスレイ、ロシイ著『生物学とその開祖たち』335頁、スミソニヤン博物館所蔵化石)。 次回は2015年6月29日「創造論か進化論か(1)」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.06.08
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「化石と地層の形成について」 2015年6月15日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年11月10日放映「神を信じなさい」 「化石と地層の形成について」 甲斐慎一郎 創世記7章17~24節 この創世記の7章は、大雨が40日40夜、地の上に降り、大洪水が起こったことを教えています。神による天地の創造や聖書の記事を信じていない人たちは、世界的な規模の大洪水が起こったことを否定しています。それは、このような大量の水は、地球上のどこにもないという理由からです。しかし聖書の記事が真実であることは、次のような確かな証拠によって説明することができます。 一、化石と地層の形成について 前回述べたように創造された当初の世界は「大空の上の水」(創世記1章7節)が地球全体を覆っていて温室のような状態にありました。北極や南極にも植物が繁り、多くの動物が生息していました。40日40夜の大雨は、この水が降ったのであり、その結果、地球は急速に冷えて、北極や南極は氷の世界になったものと思われます。 このことは「熱帯植物や動物の化石が北極圏で発見されること」(トーマス・F・ハインズ)によってわかります。進化論者は、ノアの大洪水のような激烈な大変動を否定して「すべての地質現象は、過去も現在も同じ経過と営力で起こる」(『ウェブスター辞典』)という「斉一説」を信じています。しかし斉一説では、化石や地層がどのようにしてできたのかを説明することは不可能です。 化石は、進化論者が言うように何万年も何億年もかけて、できたのではなく-―土の中は酸素があるので、時間が経過すれば、必ず腐敗してしまい、決して化石はできません--動植物が大量の土砂によって、腐る間もないほど、短時間のうちに、急激に、しかも高圧で埋没させられることによってのみできます。「化石は高圧の条件下で、しかも水中においてできること」です(トーマス・F・ハインズ)。水平に何重にも重なっている地層は、水のふるい分け作用によらなければできません。 このようにノアの大洪水という激烈な大変動によってのみ、化石や地層がどのようにしてできたかを説明することができるのです。 二、化石と地層が短期間で形成された証拠 上の右の写真は「子供を産んでいるイクシヤサウルスの化石」と「魚を飲み込んでいる魚の化石」です。このような短時間の姿をとらえた化石は、進化論者が言うように、何万年も何億年もかけて化石になったのではないことを証明しています。ノアの大洪水による大量の土砂によって腐る間もないほど急激に、しかも高圧で埋没させられることによってできたのです。 上の左の写真は、フランスのサン・エチネの近くで発見された「何層にもまたがったまま埋もれた木の化石」です。このような化石は、進化論者が言うように、木が異なった時代を何万年も何億年も生き続けたのではないことを証明しています。ノアの大洪水による水のふるい分け作用によって水平に何重にも重なっている地層が形成され、そこに大量の土砂によって腐る間もないほど急激に、しかも高圧で埋没させられることによってできた木の化石が違った土質の地層にまたがって縦に埋もれたのであり、そうでなければ、決してこのような「何層にもまたがったまま埋もれた木の化石」にはならなかったでしょう。 次回は2015年6月22日「欠けた連鎖に見る進化論の誤り」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2015.06.08
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「人間の行動を決定する世界観」 2015年6月8日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年9月24日放映「御霊による思いと肉の思い」 「人間の行動を決定する世界観」 甲斐慎一郎 ヨハネの黙示録11章15節 「この世の国は、私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される」(15節)。 一、思想(物の考え方)について 1.近代的な思想や物の考え方 近代は明治維新以後、第二次世界大戦終結までです。これは不変的な正義や真理、すなわち偏見や先入観を捨て、客観的で合理的な知識や正義を追及した時代です。デカルトは、すべてのものから自由になった「個」というものを考えました。すなわち神からさえも自由で縛られない自律的な個人というものを追及しました。しかしこのような近代合理主義は不可能であるという批判が出て来ました。すなわち中立性、不変性、客観性を否定しました。近代合理主義の死滅、行き詰まりです。 2.現代的な思想や物の考え方 現代は第二次世界大戦以後、現在までです。これは中立的、客観的、不変的なものを徹底的に批判し、人間は必ずある枠組みから物を見ているのであって、神や伝統や権威から自由になることは不可能であり、このような抽象的な人間は存在しないという考え方です。 パラダイムとは、前提となっている理論的な枠組みのことで、人間はこのある枠組み(パラダイム)を基準にして、物を見たり、考えたりしているのです。現代哲学は近代哲学を否定し、人間は必ずある視点に立っていると教えています。すなわち万人に共通した中立的な考え方など存在しないというのが現代哲学の教えです。 このことを分かりやすく図で示したのが、デンマークの心理学者エドガール・ビーンが1921年に発表した図です。 上の左の図の黒い部分を背景として見れば、白い部分は杯に見えますが、白黒を反転して、上の右の図の黒い部分を背景として見れば、白い部分は向かい合った二人の人の顔に見えます。黒い部分を背景として見るか、対象物として見るかによって白い部分が全く違ったものとして見えます。黒い部分を背景として見ることと対象物として見ることとを同時に行うことはできません。どちらかに焦点をあてなければ、見ることはできません。これがパラダイムです。 ですからパラダイムを変更することは、宗教を変えるという「改宗」の問題なのです。 二、「法律」と「倫理・道徳」と「思想・信条・宗教」の三つの関係について 「法律」は、個人の権利と利益、また公共の福祉と安全、そして国家の秩序と平和を守るために制定されたもので、人間の外側に表れた行為を取り締まります。その「法律」を守るようにさせるものが「倫理・道徳」であり、その「倫理・道徳」を守るようにさせるものが「思想・信条・宗教」です。 三、人間の行動を決定する世界観について 上の最も右の図は、一番外側の円は「行動(習慣)」であり、その内側に「 価値(観)」があり、さらにその内側に「信念 」があり、最も奥の円が「 世界観(歴史観)」です。言い換えるならば、その人の「世界観(歴史観)」が「 信念」を決定し、その「信念」が「 価値(観)」を決定し、その「価値(観)」が「行動(習慣)」を決定します。世界観(歴史観)が最も大切なのです。 四、主な世界観(歴史観)について 1.キリスト教世界観(歴史観) 神は天地万物を創造されたが、人間は神に背いて堕落したので、神はイスラエル人を起こし、その民族を通して救い主キリストを遣わし、十字架と復活において罪の贖いを成し遂げ、その救い主を信じる者を罪から救い、世の終わりにご自身のみこころが行われる神の国建設されるという世界観(歴史観)です。 2.イスラム教や仏教などの他の諸宗教の世界観(歴史観) 3.無神論的世界観(歴史観)または進化論的世界観(歴史観) 宇宙は大爆発(ビッグバン)によって誕生し、人間は最も単純な単細胞生物から少しずつ進化して現在の姿になり、未来に向かって限りなく進歩していくという神を信じない人たちの世界観(歴史観)です。 4.皇国史観 5.共産主義の世界観(歴史観) 貧富や階級や搾取のない社会が実現するという左翼の人たちが信じている理想郷(ユートピア)の世界観(歴史観)です。 ほかにも様々な世界観があるでしょう。いずれにしても人間は、必ずどれかの世界観を持ち、それがその人の行動を決定し、それに基づいた国家を形成していくのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集 次回は、2015年6月15日「化石と地層の形成について」です。
2015.06.01
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