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ナムチェバザールには高度順化を兼ねて2泊しました。このヒマラヤンシェルパロッジを根城に小さな街の中をあちこち歩き回りました。その風景をいくつか紹介します。まず子どもたちから。 カズー・エンジェルフェイス・Vicky おいしそうだね。おばさんにも頂戴よ。 素敵なお帽子被ってるね。 ボク、ちょっと洋風の血が混じってない? 若いパパと一緒でいいなあ。 路地裏で無心に遊ぶ子どもたち・・・・かっては日本でも普通の光景だったが。 ロッジとロッジの隙間に建つ民家に集う若者たち~恋も生まれる?~ ちょっとした空き地に子どもたちがたくさん遊んでいる・・私たちが失ったものがここにある
2012年05月31日
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パクディンから長い橋やパーミットチェック所、急坂を昇り降りしてエベレスト街道随一の大都会ナムチェバザールへ到着です。 日本では見られなかった桜がこんなに爛漫と咲き乱れている エベレスト街道名物 タルチョー・チョルテン・マニ石・トレッカー パーミットチェック所の小門の天井にある曼荼羅2点 中央の男女神融合図、深遠な宗教的意味があるという 人も動物もドード・コシ川に架かる長い長いつり橋を何個も渡って チョルテンの仏像の4つの目に睨まれながらやっとたどり着いたナムチェバザールの入り口
2012年05月30日
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早朝ルクラで朝食をとり、いよいよエベレスト街道のトレッキング開始。今日はひとまずパクディンまで。 シェルパによる荷物の仕分け ルクラメインストリート 同じみ巨大なマニ車が随所に見え始める。その頃から雨と雹が突然降り始め、人も動物も酷い目に遭う。荷物に青いカッパを撒き付けたゾッキョ。 これも同じみお経が一面に記された巨大マニ石日本人が忘れ去り失ったようなのどかな農村風景を見ながら歩くこと、およそ2時間、今夜の宿パクディンに到着しました。 パクディンのロッジ外観 中のテーブルでくつろぐ若手3人組とお目付け役
2012年05月29日
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4月2日夜、突然今をときめくギリギリボーイズ(名だたる世界の高峰を少人数かつ最小限の装備、そして冒険的なルートで挑む「 アルパインスタイル」で登攀に成功している若手クライマー集団、「ギリギリボーイズ」)の青年たちと飲み会をすることになり、夜のタメルの繁華街に繰り出した。若く意気の良い3人の青年たちがいた。そのうち1人はいつもパンプ2で見ていた通称KUROHIGE君だった。彼らのテンションについていく為に私もシラフではいられず、ワインをたくさん呑んで泥酔してしまった。 翌朝は3時半起床4時半出発でルクラ空港へ。飛ぶかどうか常に不安定なことで有名な路線だが、無事飛んで幸先良いスタートだった。 小さな航空機の内部ルクラに着いたらそこはもう別世界だった。 ひしめくネパールの人々・・・・。 ルクラ空港
2012年05月28日
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エベレスト2012~南東稜ルート~の始まりです。4月2日同好の士がカトマンズに集結しました。 左からインドネシアチーム・ファジリー(27歳)、日本人 カズー(29歳)、エンジェルフェイス(65歳)、vicky(50歳)、インドネシアチームリーダー・アルデシール(28歳) 同 ジミー(50歳)、メンバーはインドネシア・日本二カ国6名、それに隊長の倉岡裕之。隊長を筆頭として大変個性豊かなメンバーでした。
2012年05月27日
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ご報告が遅れましたが、5月20日帰国しました。エベレストはローツェフェースにタッチしたあと、とても疲れたので黙っていたら、脳浮腫だと言われ、撤退を言い渡されました。それまで高度順化も順調で体調も悪くなかったし、何より脳浮腫の自覚がなかったので(頭痛、吐き気、運動障害などを感じない)納得できませんでした。でも結局撤退せざるを得ない状況に追い込まれてしまい、シェルパ1人を連れてエベレストBCからルクラまで歩き、カトマンズ~成田と帰国の途に着きました。今でもアタックできなかったことは納得がいっていませんが、別の観点から見ればこうして無傷で生還できたことは案外ラッキーだったかもしれないと思います。今年のエベレスト周辺(ネパール側)は20年に一度と言われる悪い状態だということでした。まずアイスフォールが雪崩と流動がひどくてなかなか取り付けなかったこと、ローツエからの落石が酷くてC3から上のルート工作ができなかったことがその二大トラブルです。 毎晩、テントの中でエベレスト側、プモリ側からの雪崩の轟音を聞かない日はありませんでした。また緊急ヘリもしょっちゅう飛来していました。エベレスト登頂21回という経歴を持つ名サーダープルバ・タシはあまりに危険でフィックスロープを張ることができないと言うし、落石による死者も出ていました。このためエベレスト遠征の最大手ヒマラヤン・エクスペリエンスのラッセル・プライスは5月6日という早期にエベレスト、ローツェ、ヌプツェからの全面撤退を発表し、優秀なシェルパ、サーダー、ポーターなどのスタッフとその客80名ほどが下山してしまいました。 下山した日本人の中には写真家・冒険家の石川直樹君や島田知恵子さんがいました。このような状況でしっかりしたフィックスロープが頂上まで固定されないまま、残されたチームが協力してフィックスロープを張り、登頂しようという稀に見る不安定な状態でした。 情報が届かない中ですが、私のいたグループはその後アタックし、シェルパの一人がローツェからの落石で負傷し緊急ヘリで救助されたという話をもれ聞きました。 まさに命がけです。山はエベレストだけではないし、人生は山だけでもないと考えると子どもたちを悲しませるような事がなくてよかったかなと正直思います。 でもこれで一区切りつきました。この休養期間に今後自分がどう生きていくかをじっくりとつかんでいこうと思っています。お訪ね下さった皆様、応援・励まし有難うございました。落ち着きましたら写真などをアップしていきたいと思っております。
2012年05月23日
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5月1日深夜12時半フル装備でBCを出発。あのアイスフォールを登攀。カラビナとユマーリングでフィックスロープを使いながら登って行くが、ものすごく大変だった。行けども行けども尽きないアイスフォール。随所に出てくるジェラルミンのはしご。はしごの下は奈落のように深い裂け目のクレバス。まるでサーカスの綱渡りのようだった。精根尽きたところでやっとC1に到着。ここで一泊。5月2日、C1からウエスタンクームを延々と登ってC2に到着6450M。ここは酷く寒く、空気は一段と薄く息切れして眠れず、辛い夜を過ごした。5月5日C2から更に高度を上げ、ローツエフェイスにタッチした。しかしその後体調不良に落ち入りエネルギーを失い、翌6日シェルパと一緒にC2から再びアイスフォールを通ってBCに帰還しました。今は体調も回復してガンガン食べています。年齢を考えると高所に少し長くSTAYして順化と同時に体力の衰退が起こっていたかなと思います。これで高度順化は終了です。結構疲れました。薄い空気が人間の意欲を確実に奪っていき、何をする気力も無くなってそこにいるだけで精一杯の状態になってしまいます。改めて酸素の心身両面への力を身をもって認識しました。
2012年05月09日
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