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海金剛スーパーレインの登攀を終えて、再度ガレた山道をトラバースしている途中、蕗のとうが出ているのを見つけた。行く時に気がつかず、岐路に発見したというのはやはり気持ちに余裕が出たせいだろう。まだ出始めたばかりで丈も短く、地面にうずくまるように体を伸ばしている。硬くしまった蕾が密集し、自然のエネルギーが詰まっていることを感じさせる。この強さを主張する黄緑色が好きだ。この中にあの苦味があるのだろう。たくさんあったので採らせてもらった。帰宅したら茹でて食べようとささやかな幸せを味わいつつ、ザックにしまったのだった。
2012年02月29日
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眼下には青い海が広がる海金剛スーパーレイン2月28日、西伊豆波勝崎の海から立ち上がる岸壁・海金剛のスーパーレインを登攀した。ここはけっこうやりがいがあるルートだった。まず海を右手に見ながら崖やガレの山道を1時間ほどトラバース、草つきの断崖を懸垂下降し、ブッシュの中の取り付きに到着。装備を確認して8:45分スタートする。天気はまずまず、温かかくはないが、風もあまりないので耐えられる。 断崖を懸垂下降して海辺へ降りる 凹角の第1ピッチ 第2のピッチスーパーレインは全7ピッチのクラック中心のルートである。1ピッチ目はブッシュの凹角から始まる。その後少し徒歩でブッシュを登り2ピッチ目。核心は3ピッチ、4ピッチ、5ピッチできれいなクラックが続出、その攻略に知恵を絞った。手が届かなくて苦労した部分もあったがとても面白く登りがいがあった。 5ピッチ目 上部尖った岩が終了点 岸壁と広がる伊豆の海少し緊張したのは7ピッチめの出だしである。どうやってあのワイドクラックに乗り移ろうかと真剣に考えた。しかし案ずるより産むが安し、どうにか乗り移れて上のガバをとったら後は楽だった。 最終ピッチのワイドクラック 足が短い私にできるかしら?この所岩に触ってなかった私は登れるかどうかとても不安だったから終了点に到着した時はとても嬉しかった。伊豆の穏やかな海と波勝崎の奇勝が広がっていた。解放された。 波勝崎の海 反対側の烏帽子岩 山頂にて同行のMさんと足元に広がる海を楽しんだ後は4回の懸垂下降で海辺に降りる。これが予想以上に手間取った。ブッシュだらけなのであちこちの潅木にロープがひっかかったりして焦った。途中空中懸垂もあったりして楽しめた。 懸垂下降するMさん
2012年02月29日
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2月27日は城ヶ崎のシーサイドエリアに出かけた。天気はまずまずで岩の状態も悪くは無かった。民宿から少し歩いて、すぐ断崖の懸垂下降を1本して浜辺に降り立った。平日の月曜日だというのにもうクライマーが何人もポピュラーなルートに取り付いていた。まず大磯ロックの名探偵登場(5.8)、ハジノライン(5.10a)で肩慣らし。ついでサンライズエリアのイントロダクション(5.9)と腰痛(5.12b)を登った。ロッククライミングは11月後半からしてなかったので、散々だった。体が動かない、指に力が入らない、足で立ちこむことを忘れている。毎週やっている皆さんはとても上手だった。「腰痛」で敗退した。 イントロダクション スタート 々 中間部 々 上部クラックは苦手でいつも避けていたが、この頃は以前よりはやろうという気持ちは出てきている。最後にまたハジノラインと名探偵登場をおさらいして終了した。今日で帰る皆さんと別れて今夜の宿のある雲見に向かった。
2012年02月27日
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2月26日伊豆大仁の岩場・城山へクライミングに出かけた。久しぶりに新幹線に乗った。やはり早かった。城山に着くと水の染み出しで岩場が帯状に濡れている。その状態でも勇猛果敢に登っている人もいる。しばらく様子を見ようということになった。しかし降ったり止んだりで全くらちがあかない。参加者人数の関係もあっておいそれと都内のジムに転戦ということも無理。結局クライミングはできず、みんな行ったことがないというので城山のハイキングコースを歩いた。山頂から反対側に回ってワイルドボアゴルジュに下ると難しそうなルートを何人ものクライマーが取り付いていた。私たちはいつも下部のやさしいルートしかやってないので城山の岩場全体が俯瞰できてよかった。早々と終わりにして城ヶ崎の民宿に向かった。 濡れた岩場を登るクライマー
2012年02月26日
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2月26日1週早いひな祭りのお祝いをした。あいにくの雨の日になってしまったが、都内から娘夫婦が孫を伴って我が家に来た。孫の葵ちゃんははちきれそうにぴちぴちに太っている。手首のくびれが見えないし、指の1本1本が関節から盛り上がってお餅が膨れたように丸々になっている。肌がとっても滑らかでうらやましい張りである。ほっぺを押しても引っ込まない。娘もそうだったなあ。しばらく見ない間に顔も変わっている。前日に買い物に行ってささやかなパーティの準備を整えていたので、5人で昼食を楽しんだ。早くモノが言える様にならないかなと思う。 この子と会話ができるようになったらどんなに楽しいだろう。この子にどんなおいしいものをご馳走しよう。楽しい想像が膨らんだ。
2012年02月25日
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お雛さまを飾ったが、金屏風と右近の橘、左近の桜が無い。大きな箱を念入りに再度探したが入っていない。天袋のどこかに残っているのではないかと、脚立を使って捜索。結局そこには無いため、押入れも探した。古い洋服とともに出てきたのは、下の娘のお宮参りにもらった純白のドレスセット。上の娘には着物を、下の娘にはドレスを送ってくれたのだった。その奥には長男の端午の節句のお祝い鯉幟と吹流しもあった。その鯉幟は空に泳がせると十数メートルもの長さで田舎に行かないと使えないのだった。しかし長男はその長い鯉幟が青空に泳いでいた記憶があると言う。探し物を通して、両親がいかに私たちに愛情を注いでくれていたかを再確認する結果になった。苦しい家計の中でこれだけの物を嫁いだ娘に贈るのは並大抵の気持ちではないだろう。今、同じ立場になってみて身にしみた。切なかった。今更遅すぎるが「お父さん、お母さん、ありがとう」と心の中でつぶやいた。存命中に感謝の気持ちをもっと心を込めて伝えるべきだった。表面的なことばかりに気を取られて、親の愛情の深さをしっかり受け止めて感謝るすことができなかった愚かな私だった。 右近の橘 左近の桜
2012年02月24日
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ひな祭りが近づいてくる。娘の初節句の折、亡くなって久しいが私の両親から七段飾りのお雛様をもらった。娘たちが幼少の間は毎年飾っていたが、下の娘が小学校3年生の頃から忙しくてお雛様を出さないで仕舞いっぱなしになってしまった。そうしておよそ20年。今年は孫の初節句、お雛様を娘に譲ろうと思ったが、先方はコンパクトなマンション住まい、飾る場所がないというので我が家でひな祭りをすることになった。大きな箱2つと長い箱を天袋から下ろして、まず七段の骨組みを組み立てる。なかなか不安定で時間がかかる。その上に緋毛氈を敷いて段ごとに固定する。 そこまではよかったが、それからが大変だった。お雛さま一人一人を配置して、冠をかぶせ、持ち物を持たせなければならない。小さなお顔に小さな冠を結ぶのがもどかしいほど手間どった。持ち物もどれがどれだが判別しにくく、ものすごい時間がかかった。「これって父親がすることだよね」と娘婿に愚痴のひとつも言いたくなったが、何とか飾り終えた。しかし何と無くバランスが悪い。よくよく考えてみたら金屏風と左近の桜、右近の橘が無い。またもや天袋を探したがない、どこにもない・・・。疲れてそのままになっている。
2012年02月23日
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2月22日、水道橋にある文京シビックホールで夜7時からAG・近藤健司さんの「ヨーロッパのクライミング・氷河トレッキングのスライド&トークショー!」があったので、都内へ出向いた。温かい日でラッキーだった。この会場を使ったAGのイベントには何度か参加したことがあったが、いつもそこそこの参加者だったのでのんびり時間ジャストに着いたら、会場は座席も資料も既にない満員状態だった。???と思いつつよく考えればユーロ安、ヨーロッパ旅行は有利だ。そうかと納得。いつものエネルギッシュな近藤さんのヨーロッパ名峰登山に関する説明とスライドが次々と映し出されてアルパイン気分満喫。モンブラン、マッターホルン、アイガーなど4000mを越える急峻な岩稜、氷河の山々を攻略するために何が必要かを熱く語った。 タイトロープの実演 マッターホルン山頂この夏ヨーロッパを訪ねる予定は無いが、久しく近藤さんにも会ってなかったので参加した。彼は常に忙しく、いくら超人でも働き過ぎのように思う。元気な顔を見てほっとした。しかし彼自身は「脳が壊れかけている」と言っていた!!。エベレストなど酸素の薄い高所で働く人の後遺症である。彼だけでなくもうおひとかたこの種の後遺症が気になる人がいる。
2012年02月22日
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柳沢勝輔著「私のエベレスト峰」を読んだ。柳沢勝輔さんは昭和11年3月20日生まれ、平成19年5月にエベレストを71歳2ヶ月の世界最高齢(当時)で登頂に成功した方である。 本の表紙 写真撮影はガイドの倉岡裕之さん柳沢さんの登頂当時そのニュースを聞いてはいたが、著書など詳しいことはほとんど知らないままに次の最高齢登頂者三浦雄一郎さんが華々しく現れて、そのままになっていた。柳沢さんの食事に対するストイックなまでのコントロール、忍耐強さなどを知って長い高所の遠征で何が求められるのかを知った。地道な日々の健康管理である。そして登頂させるためにサポートする側のガイドやシェルパ、ラッセル・プライス率いるHimex隊の様子も描かれていたので、なかなか興味深かった。柳沢さんは長野県上田市で農業をしていらっしゃるとこのことで、何度かその地を訪ねたこともあるし隣の町は夫の出身地なので一層親しみが湧いた。長年教職について自分の職務を全うし、退職後にこのような冒険を力まず淡々と成し遂げていく柳沢さんに日本の70代の底力を感じたのだった。
2012年02月21日
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今日は日差しも出てほどほどに温かく、空の色が春の到来を感じさせる一日だった。眼科に行って検査をし、白内障の薬をもらった。ドクターは独身で若い美人女医、幼少の頃からバレエを習っている人で、とても話が会う。看護婦の非難がましい顔をものともせず、しばしバレエの話題で盛り上がった。次に歯科に行った。こちらは中年の美人女医。山と体重と膝の痛みの話題で盛り上がった。歯科衛生士も混じってたわいもない話に興じてしまった。その後、歯石を除去し、歯の空洞を埋めたりと口の中も工事中のような音だった。月曜日は医者も混んでないせいか、ちょっとした楽しい時間が持てた。
2012年02月20日
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当たり前のことではあるが冬は寒いので、普通の絨毯の上にホットカーペットを敷き、朝はその上でヨガをする。背中があたたかくて大変快適である。最後のシャバアーサナで眠り込んでしまうこともある。夜はその上に座って本を読んだり、テレビを見たり、ぼんやりしたりする。そうするとほとんどそのまま眠ってしまう。背中が温かいと無防備になって身も心も緩みっぱなしになるのだろう。ふと、我にかえると夜が更けている!!眠って一度起きるともう眠れない。こうして早寝早起きのリズムを狂わしてしまったことが何度もあった。 そんなだらしないことは絶対しないぞと思いつつ、今日も同じ轍を踏み、ブログもアップせず眠った。
2012年02月19日
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4番目の氷瀑F4を登攀し、終了点を通過して上に向かうと荒船山艫岩展望台に出る。クレヨンしんちゃんの作者が亡くなった現場で、ここから落ちれば確実に死ねるだろうが、200mの大絶壁の下は全く見えないため、飛び込むにはよほどの覚悟が必要だろう。 荒船山艫岩の避難小屋 荒船山頂に続く平らな雪道避難小屋があったので一休みし、ついでに荒船山山頂までハイキングしようということになった。山麓からも一別できる平らで巨大な山容のその平らな部分を延々と歩く。やっと尖った山頂が出てきて一登りで到着。小さな祠があった。ここにも和歌山青眼渡寺の修行札が納められている。 荒船山(経塚山1,422m)山頂 注連縄が張られた小さな祠 この頃から雪がちらちら降りしきるので2:55分山頂を後にする。再び延々と雪道を歩いて艫岩避難小屋に到着。さらに雪の下が凍っている道を飽きるほど歩いてやっと4:55分頃、出発地点の内山峠についたのだった。昇天の氷柱アイスクライミングに荒船山スノーハイクと1日で2種類の山を楽しめて充実の一日になった。
2012年02月18日
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2月17日昇天の氷柱アイスクライミングに出かけた。長野新幹線に乗って佐久平で下車。車で内山峠まで行き、身支度を整えて取り付き地点まで雪山登山する。途中の道で荒船山艫岩が見える。荒船山は軍艦に例えられる巨大で山頂が平らな山である。昇天の氷柱というかっこいい名前の氷瀑は荒船山山頂付近艫岩展望台に突き上げる滝である。 荒船山艫岩の大絶壁トレースがほとんどなくなっている登山道を1時間ほど登った一杯水地点からルートを外れた道なき斜面に入る。急斜面なのでアンザイレンし、ハーネス、アイゼンでギシギシと雪と岩のミックス斜面をトラバース。やっと取り付き地点に到着。アプローチが長い。 最初の氷瀑 F1 3番目の氷瀑 F3 核心部最初の氷瀑はしっかり凍って状態はよかったが、ものすごく硬くてアックスを打ち込んでもなかなか刺さらず、氷の表面をつるりとかすってしまい、力の無い私は少し苦労した。何とかビレイポイントまで登り、2ピッチめの確保を終え、解除しようとしてカラビナを緩めようとすると回らない。凍ってしまったのか?何度も力いっぱい緩めようとあがいたがどうしても回らない。焦ってしまったが、止むを得ず解除しないまま昇った。3番目に出てきた氷瀑がかっこよかった。垂直で細く氷質が均一できれい。ここが核心部らしい。バーチカルアイスで見た目は難しそうだったが、昇ってみると案外リズムを作れた。氷の幅が狭くて両側の岩も使ってバランスを取った。 4番目の氷瀑 F4 上部に空洞ができてハングしている4番目の氷瀑は上部が欠けて空洞になっていて少し被り気味だ。これをどうやって昇るか思案したが最悪なことにその空洞部に入ってしまい、そこから外に出るのに苦労した。でも何とか昇って終了点に到着。昇天の氷柱は自分の技量じゃ昇れないのでは?と思っていたが、そう困難なく昇れてほっとした。この日ここに来たのは私たち2人ともう1組、そのもう1組の女性は何とあのピオレドール賞を受賞した谷口けいさんだった。ほとんどノーメイクで顔が小さく、引き締まったクライマー体型できびきびした話し方が快活な印象だった。
2012年02月17日
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冬物最後のセールという檄文が飛び交うはがきにつられて登山洋品店に出かけた。確かにあれこれ割引されていて欲しいと思うものがある。しかし冷静に考えてみると既に持っているのである。壊れたので買い換えるとか持って無ければ買える。私は使える物は何年でも使うのでほとんど買わない。しかしこの一流ブランドで上質の巻きスカートが4分の一の値段になっているのを見たら買わずにはいられなくなって身の程も考えず買ってしまった!!フリースなど何枚もあるのに真っ赤なフリースの安さに驚き、また買った!! モノトーンチェックの巻きスカート 真っ赤で柔らかく温かいフリース自宅に帰り、息子に巻きスカートを見せたら「若い子が履きそうなデザインだねえ」確かに!!後悔の一日。神様、この巻きスカートの出番がありますように。
2012年02月16日
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翌日2月13日、高見石小屋でパンやオムレツの洋風朝食を嬉しく頂いて8時過ぎ縦走に出発。天気は下り坂だが下山するまでは持つだろう。高見石→丸山→麦草峠(2127m)→茶臼岳(2383m)→大石峠→縞枯山(2403m)→雨池峠→坪庭→ピラタスロープウエイ というルートを歩いた。雪は締まりアイゼンは安定してよく効き、歩きやすかった。エーデルワイスさんと存分におしゃべりしつつ、歩いた。 雪の麦草ヒュッテ 茶臼山頂 茶臼岳直下の展望台から突如南八ヶ岳の展望が開ける。シラビソの樹林帯が広がる北八つとは大きく違って主峰赤岳や阿弥陀・権現などごつごつした男性的な山が立ち並ぶ。南アルプスも見えたが雲も増えてきて、空が灰色になってきたのが残念だった。坪庭辺りまで誰にも会わず、私たち二人だけ、北八つ全山貸切状態だった。すごい!!これこそ平日の醍醐味である。 迫力ある南八ヶ岳の峰々雪が地面のでこぼこを隠してくれるので下り坂も膝への衝撃が少なく、安心して下れるのが嬉しい。縞枯山の縞模様も雪で覆われていた。 縞枯れの木にも雪 坪庭でエーデルワイズさんと順調に歩いて縦走の終着点ピラタスロープウエイに到着。一般観光客やスキーヤー、ボーダー、カメラマンなど多彩な人が雪を楽しんでいた。今回の山行でエーデルワイスさんの以外な面を発見、人物像を訂正したのだった。
2012年02月15日
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高見石小屋の一夜は最高だった。何しろ宿泊者はご夫婦の2人と私とエーデルワイスさんの4人だけ。建国記念日の昨日は70人の宿泊者だったと言う。居間には薪ストーブが燃えていた。小川山岩根山荘のバーモントキャスティング社の物とはデザインが違う。小屋番さんに尋ねるとダッチウエスト社製とのこと。堅固でどっしりと座っている。側面から薪を入れて燃やす。ストーブの中には紅蓮の炎が見える。 ダッチウエスト社のストーブが身も心も温めてくれる夕食には湯豆腐がついていて体が温まって有難い。コーヒーゼリーのデザートも登場してみんな喜んだ。ご夫婦と初対面とは思えないほど話が弾み、盛り上がった。小屋番さんも参加して小屋の歴史なども伺うことができた。これぞ夜の山小屋の醍醐味だ。 湯豆腐がついた夕食 4人の夕食風景 ご夫婦が個室に入られたので60畳ほどの大広間にたった二人で泊まった!!コタツの中に足を入れてぬくぬくと寝た。布団に寝て上を見れば1個だけ凍らなかったサンルーフのガラスが目の上、寝ながらにして凍てつく厳冬期の夜空にオリオンが輝いているのが見えた。あまりのグッドタイミングに興奮し嬉しくて「すばらしい!!」と歓声をあげた。月を見ながら眠るとか星を見ながら眠るのは大好きだ。エーデルワイスさんからお菓子をたくさん頂き、積もる話を存分にして心豊かに眠ろうとした。が・・・・・・。夜のデザートコーヒーゼリーのカフェインが効きすぎて眠れない私だった。!!とほほ。
2012年02月14日
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2月12日、岳友エーデルワイスさんと北八つにスノーハイキングに出かけた。天気は快晴、渋の湯で沢山の下山者とすれ違いながら今夜の宿高見石にむけて歩いた。風も無く雪は締まってアイゼンがよく効き、コンディションは上々だった。この日、このルートで登ったのは私たち二人だけだった。全山貸切状態である。 入山口 渋の湯 賽の川原北八つ独特の針葉樹の細道を汗をかかないようのんびり2時間弱歩くと高見石小屋に到着した。夏とは全く赴きが変わって雪一色である。周辺の樹林が輝いて美しい。 高見石小屋昨秋9月の八ヶ岳南北縦走の時、とても親切にしてくれた小屋番さんと再会。「また来ます」と行って帰ったが、まさか本当にまた来るとは彼も思ってなかっただろう。 すぐ小屋にザックを預け、アイゼンを着けたまま白駒池へ散歩に行った。けっこう急な雪道を軽快に一下りすると全面凍結した白駒池湖畔に出る。思わず「すご~い」と二人で歓声を上げる。池の上をストックで表面の凍結を確認しながら氷上を歩いて対岸に渡る。初めての池渡りでワクワクし、エーデルワイズさんとはしゃいでしまった。 白駒湖畔に立つ白駒荘や青苔荘もシックな姿を見せていたが、休業中だった。氷上散歩を楽しんだら、また登り返して小屋に戻り、高見石に登った。 長いツララと雪の高見石石の表面に赤いスプレーで○をつけた夏の高見石も今は真っ白な雪に覆われて、岩場でなく普通の雪道のトレースがついていて楽だった。そこのピークに上がると360度の展望が開けていて青い空に白い山が清清しかった。浅間山がどっしりした姿を見せていた。 凍結した白駒池 先ほど氷上散歩をした白駒池全景が見えた。小屋番の青年によると池は全面凍結していて、自動車が乗っても大丈夫らしい。昔はここで近隣の児童生徒がスケートの練習をしたという。すばらしい自然環境を教育に生かしていた訳だ。ここでスケートできたら最高だ。
2012年02月12日
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山に出かけるため、早朝5時20分頃にゴミを持って家を出た。駅に向かう途中の道脇に隣の班のゴミ集積場があるので今日はそこに出させてもらおうと考えていた。そこに差し掛かったら、男性がいた。「ここに出させてもらっていいでしょうか?」「ここの班じゃないんでしょ」「ええ、いつもは反対側に出してるのですが、今朝はちょっと駅に行くので便利だったものですから」男性は語気強く「それはまずいんじゃないですか!!」 私は狼狽し、「すみませんでした」とゴミを持ったままその場を去った。我が家に割り当てられたゴミ集積所は駅に向かう方向から逆方向50m程度の場所にある。町内会のゴミ集積場はブロックごとに決められているが、数ヶ月に1回あるかないかのこのような場合にも厳密に遵守されなければならないものなのだろうか。そこに男性がいなければ黙って置いていっただろう。上の娘が高校生時代、異なる班のゴミ集積場に出したらそれを見ていた道徳の塊のようなおばあさんにきつく叱られ、べそをかいて帰ってきたことがあった。めったにないことなのに許容されないものなのだろうか。疑問に思っている。
2012年02月11日
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今日は陽射しがあって比較的温かい穏やかな一日だった。気軽に幕張の美浜園にウォーキングに出かけ、閑静な池泉回遊式の日本庭園を散策するつもりでいたら大違いだった。地震の被害で泉水の水は全面的に枯れている。湖底は小石と泥が露呈していて、地面はでこぼこ、あっちもこっちも工事中で見学できる場所もわずかだった。かって海の底だった名残か潮の香がする。池泉回遊式庭園に水がないとこんな無残な姿になると思い知らされた。ここの雪吊が好きなのだがそれはちゃんとあってよかった。松の木は全く被害がなく緑を茂らせていた。松竹梅とめでたいものの喩えになっているがさすが松は強靭だ。 干上がった泉水の向こうに松籟亭(お茶席がある)、後方は幕張新都心の高層ビル 震災前の美浜園 雪吊と高層ホテル 雪吊細部一回りしても花も無く、わずかに椿がひともと赤い花をつけているのみだった。かっては大賀ハスが華麗に咲いていた池も工事中で見る影もなかった。 大賀ハスの池も復旧工事中 椿の木が1本だけ花の美術館も大々的に工事中だったが、湾岸沿いの地方はどこも被害甚大である。何だかわびしい気持ちになって美浜園を後にした。
2012年02月10日
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登山家・吉野満彦さんが亡くなった。享年80歳。心不全(心筋梗塞とも)だったらしい。私にとっては憧れのクライマーという以上に伝説的な人である。確か高校生の時、冬の八ヶ岳で遭難して、友人は凍死し、自分は凍傷で足の指を失った。その致命的障害にもめげず、日本人で初めてマッターホルンの北壁を登り、続けてアイガー、グランドジョラスの北壁を登った。当時、ヨーロッパアルプスの三大北壁を登ったのは彼が初めてだった。彼の創立したRCC2という先鋭的クライマー集団の名前を見るだけで憧れで陶然としたものだった。彼の著書「山靴の音」「新山靴の音」は何度も読んだ。八ヶ岳の遭難や冬の徳澤園で小屋番をしていた時の小屋番日記など記憶に残っている。分かりやすく書かれた『山に登ろう』を図書館で見つけたときは宝物を拾った気分だった。画家でもある彼は絵もすばらしく、山や生き方の洞察が深い。登山というような荒ぶることを極限まで極めた人とは対照的な絵や沈潜する思考に対照的で惹かれた。その両極を合わせ持っているのが彼なのだ。 山靴の音 展 より 盛夏の山植村直己も小西政次も長谷川恒男も山で死んだ。しかし彼らと同じく激しい登山に情熱を燃やし、燃焼してきた吉野満彦さんは80歳まで生き抜いて畳の上で亡くなった。
2012年02月09日
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年賀はがきが当たっているかどうかを調べるのはけっこう面倒くさい。遊びに忙しくほったらかしにしておいて初夏の頃、交換した年もあった。今年は当選番号表をもらったので早速調べてみたら、年賀状250枚余の中から切手セットが3枚当たっていた。早速郵便局で引き換えてきた。でも昨年のウサギ年の切手がまだ残っている。使用しないうちに年が変わることが無いよう、今年は優先的に使おう。
2012年02月08日
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2月7日久しぶりの雨、朝から一日しっかり降った。ウォーキングもできないので映画を観に行った。今の時期コレといった話題作や名作もないので、ジョニー・イングリッシュ~慰めの報酬~というパロディ映画を観た。冒頭からあの007を連想させるオープニング・・・、よく観ればローワン・アトキンソンはボンド体型で以外にカッコいいが何やら笑える。チベットのラマ寺で修行する姿などけっこう決まっているが、あの股間で石を引っ張る修行というのはラマ教に偏見を持たせないだろうか?私はチベットが大好きなのでちょっと気になった。『007』シリーズのほとんどを観てきた私には思わずニヤリな場面が連続。MI7専用工場で秘密兵器を提供する博士は義手、義足姿、本人だけの声に反応して動く最先端カーや変声キャンデーなどが登場。映画の中でも科学技術は進歩している。中国人の掃除屋婆さんは白髪でシワが一杯、えぐい顔で動きまくる彼女を一瞥してこれは自分の老後かと思ってしまった!!超高速の車イスの大活躍もハラハラしつつ楽しめた。 ジョニーの余りにも間抜けなドジには飽き飽きしたが、マジメにミッションに取り組んだ時には優秀なエージェントだった。ドジ・ボケの部分と真剣な部分と笑いを一緒くたにしながらバランスよくみせる感覚が絶妙だ。この映画、意外にもサスペンスアクションとしても楽しめる。伏線の張り方やサスペンスの煽り方が巧みである。終盤近くジョニーが薬品を無邪気にグイグイ飲む場面など笑いつつも「えっ、この先どうなるの?」とドキドキしてしまった。エンドロールが始まって殆どの観客が退場してしまった頃、再びジョニーが登場する。グリーグのペールギュント組曲の「山の魔王の宮殿にて」を大々的に響かせながらジョニーがリズミカルな動作で料理をする場面が出て来るが、あれは一体何のパロディなんだろう?
2012年02月07日
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翌2月5日も一日アイスクライミング三昧。明け方に冷え込んだものの日中は陽射しが出て氷瀑は場所によっては柔らかくなっていたが状態は良い。今日も昨日と同じ班でルートを変えながら練習に励んだ。 同じ班の皆さんと 中央は松原ガイド Y さん二日目で皆さん体も慣れてきてあちこちで力いっぱい頑張る若い皆さんやアドバイスと応援の声が行き交って雰囲気が盛り上がっていた。私は頑張らず気楽にやっていたが、基本だけはしっかり身につけたいと思い、適切な足置きができること、利き腕の真下に反対側の足をもってくること、腰を入れて上半身は開くことなどを意識して練習した。できた時もあり、混乱したこともあったが、時たま足のリズムを作ることに成功したルートもあった。 A さん 下を見て良い足場を探す今日はスタッフからぜんざいの振る舞いがあった。小さなお餅に小豆がとてもおいしかった。糖分を要求する疲れた体にぴったりの食べ物である。 イケメンの顔もほころぶおいしいぜんざい つららが伸びる軒下小川山山麓のここ岩根アイスツリー周辺は例年より雪は少ない気がしたが、つららが長く伸び、宿舎脇には室内で使用されているバーモントキャスティングの薪ストーブ用だろう、膨大な量の薪が積まれていた。無意識に薪を積んだのだろうが、石垣に似てとても造形的で面白くFさんとしばし見とれていた。でもこれだけの薪を作り積み重ねるのは相当な労働だろう。山での生活は外で見るほど気楽ではないと感じた。 ストーブ用の薪
2012年02月06日
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2月4日岩根アイスツリーにアイスクライミングに出かけた。中央線小淵沢から小海線に乗り換え信濃川上で下車。バスで小川山山麓へ入る。久しぶりに会った友人が沢山いて懐かしさ一杯だった。すっかり嬉しくなってみんなと近況報告に花が咲いた。天気もよくて無風、氷瀑は固く締まってコンディションは上々だった。17名くらいの参加者を3班に分けてそれぞれガイドがついて指導を受けながら練習した。私は同世代の熟年女性5名のグループだった。 参加者で賑わう岩根アイスツリー私は熱中すると年も体も忘れて頑張り、後で肩や背中の痛みに苦しむので、今回はほどほど7分程度にしておこうと固く心に決めていた。初日なのでのんびりゆったり昇って肩を慣らした。指導された通りにはなかなか出来なかったがそれでも少しづつ体が動くようになった。 アックスの真下に反対側の足 久しぶりに会った岳友 Kさんと アイスクライミングの主要ギアは二種類。両手に持って氷に打ち込むアイスアックスと足で蹴り込むアイスクライミング専用のアイゼンである。私は1本爪アイゼンは持っているがアックスはレンタルしている。一流メーカーの何種類ものアックスが集まり、重さや使い勝手、デザインもそれぞれで特徴があってなかなか面白かった。その中でも最新のクォーークは軽く鋭く素晴らしいギアだった。 標準的仕様 黒龍をイメージするデザイン 最新のクォーク午後2時半を過ぎると少し風も出て段々寒くなってきた。協賛会社のスタッフからお汁粉の振る舞いがあり、とっても甘く美味しく温かく、感謝した。 お汁粉を作るスタッフ夜は懇親会があった。気のあった友人や初対面の人たちが一緒に寛ぎ、ジャンケン大会で盛り上がり、穏やかな夜が更けていった。自宅から離れて上げ膳据え膳で家事から開放され、母でもなく妻でもない自分自身でいられることに最高の解放感を感じる。
2012年02月05日
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毎日寒い日が続いている。でも東北・北陸の皆さんが豪雪で大変な思いをされていることを思えば、雪も積もらないこの程度の寒さで寒いとか言うのは東北・北陸などの方に申し訳ない。風は身を切るように冷たいが陽射しはある一日、午後にウォーキングをしていたら蝋梅が黄色い花をたくさんつけていた。他所のお宅の庭先だったが思わずフェンスまで近寄って写真を撮らせてもらった。彩りがない今、春を告げるこの色を見ると何だか希望が湧いてくる。 今日は立春、今年は日本全国、穏やかでうららかな春になりますように。
2012年02月04日
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2月3日今日は節分。子供達が成長してしまい、行事を手抜きするようになっている昨今なのだが、さすがに今年は明日の立春を迎える前に鬼を追い払って福を呼びたい気分だった。まず恵方巻きを食べる。1.食べる前に今年の恵方(北北西)に向く 2.太巻きは切らず1本まるかじりする3.食べている時は話はしないというまるかぶり寿司の作法の通りにする。話をしないとかわざわざ書いてなくても活力のない男2人に元気すぎる私の3人家族の我が家では最初から話などたいしてしない。続いて豆まきをした。「おにわぁそと、ふくわぁうち」と隣近所に聞こえる声で唱えて威勢良く豆をまいた。どうぞ福が来ます様に。
2012年02月03日
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先日受診した乳がんのマンモグラフィーの結果が出る日なので病院に出向いた。今日は外科で触診も受けての診断結果である。マンモグラフィーの画像を見せてもらったが、「ふーん、これが私のおっぱいか」と思うだけで医学的なことは何も分からない。結果は異常なし、2年後にまた受診するように言われて終了した。帰宅して説明用紙をじっくり見ると片方の胸が二箇所、石灰化となっている。石灰化は乳腺の中にあるカルシウムが集まったもので、早期の乳癌(がん)が石灰化で発見されることがあるらしい。黒い影のようなものが映っているのが乳がんで石灰化は、白い粒のように写っているらしい。石灰化は自分で気づくことができないので定期的に検査を受けることが必要とのこと、それであのドクターは2年後に必ず受診して下さいと力強く告げたのだなと思った。まずは一安心。ほっとした。 ネットで乳がん関連記事を見ていたら上図を発見した。大豆食品が乳がん予防になるなら私は大丈夫だ。毎朝豆乳を1カップ飲むのはもう数年来続けてるし、主たるたんぱく質源は豆腐、味噌、がんも、厚揚げ、おから、納豆、などの大豆食品だからだ。更に安心した。
2012年02月02日
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パンプ2にクライミングに行った時、ヒラりんさんからとっても素敵な楕円形の缶に入ったキャンデーをもらった。帰宅して調べるとフランスのフラヴィニーという美しい街でかっては修道院で作られていたという由緒正しいアニスキャンデーだった。 可愛い少女の図柄 真っ白い中身グリーンアニスという植物の実を核にして天然の香料と砂糖だけでできているらしい。真っ白で美しいキャンデーを一粒食べてみるとかなり硬くていい香りがする。ローズやオレンジなど6種類あって缶のデザインも味も異なっている。私はローズをもらった。ステップアップスクールの最期の日にこれを持ってきて参加者全員にプレゼントという心憎い気配りのできるヒラりんさんは5.11後半から5.12をクライミングする素晴らしいクライマーである。何時も彼女の美しいムーブを惚れ惚れと見ていた私だった。どこかの山で再会することを楽しみにまた一粒アニスキャンデーを口に入れた。
2012年02月01日
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