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C1に着いた日は一日中強風が吹き荒れ、テントの外に出るのが辛かった。カレーやラーメンを食べながら丸一日を休養し、と言っても標高6200mの高所ではもう休養というものでははない。エベレスト、ローツェ、ヌプツエを見上げながらあそこまで行けるのだろうかと不安が募った。 翌日は快晴の良い天気でウエスタンクウムというエベレストとローツェの谷間を登ってC2に向かった。アイスフォールのような激しい登りはなかったものの、決して楽でもなく、新しい高度に馴化するようゆっくりと登った。でも梯子もクレバスもしっかりあった。 出発する6人衆 梯子にも大分慣れた 標高6400mのC2はしんどい場所だった。ヒマラヤでは午後遅くになると決まって雪が降るが、この高度での雪は寒い。一段と低酸素、低気圧になっていて体は悲鳴を挙げそうになっていた。ここで初めて高所服を着た。トイレに行くのが一苦労だった。 エベレスト ヌプツェ
2012年06月30日
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プモリC1へ2度、ロプチェピークと高度馴化をして準備万端でししたが、アイスフォールの状態が良くないのでずっとBCでステイでした。やっと5月4日アイスフォールの状態が酷くないことを確認していよいよエベレストC1からC3への高度馴化に入りました。1日目はBCを深夜12:30に出発して、ヘッドランプの光でアイスフォールをよじ登り、朝方C1に到着しました。クレバスにかかる梯子の通過やユマリングの練習などはしてきましたが、実際に登ったアイスフォールは傾斜がきつく長く、登攀につぐ登攀で一生懸命でした。さすがはエベレスト、甘くはありません。 軽食を摂り、漆黒の闇の中、フル装備に身を固め、ヘッドランプの光を頼りに出発。途中で夜明けを向かえ、高い峰に朝日が輝いているのが爽快でした。 どこまでも続くアイスフォールに苦闘しました。途中クレバスの先の着地面に足が届かなくてアイスフォールの中に転落しました。幸いあまり深くなかったので全力を振り絞ってユマリングして地上に出ました。 横の梯子、縦の梯子と梯子も続き、何とかクレバス帯を抜け出した後も急傾斜の連続でただひたすら忍耐の登攀が続きました。その間にもどんどん夜は明けて太陽が降り注ぎ、やっと大雪原の中にあるC1に到着しました。 C1に到着。一人1テントがあてがわれラッキー。正面に見える岩山が世界第4位標高 8516 mのローツェ
2012年06月29日
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標高5350mのエヴェレストBCにおよそ1ヶ月ステイしました。その間に有名・無名の方たち何人もの人との出会いがありました。懐かしく振り返ってみました。 エベレスト登頂21回のシェルパ プルバ・タシとヒマラヤン・エクスペリエンス(Himex)の最強ガイドエイドリアンです。みんな身長が高くというより自分が短く小さく、この身長差!エイドリアンは細身でハンサム、ガイドというより男性ファッション雑誌から抜け出してきたようなかっこよさでした。 Himex社長 ラッセル・プライス氏と 同 ガイド Shinjiさんです。ラッセル・プライスさんも身長高く恰幅も良く圧倒される巨大さでした。座ったラッセルと立ってる私がたいして変わらない。Shinjiさんは日本人で何時もはスイスにお住まいで、とても素敵な紳士でした。みんなブルーのジャケットを着てますが、これはHimex隊の制服です。 最後は石川直樹くんです。倉岡隊長に挨拶に見えました。日本から持参したおいしい羊羹をみんなに頂きました。なかなか礼儀正しく物静かな好青年でした。昨年はエベレストに登頂、今年は隣のローツェ登頂の計画でしたが、ラッセルが5月6日に総撤退を決断したので名残惜しそうに下山されました。隊長もカズも「ちょっと世界のてっぺんまで」という彼の本にサインしてもらってました。本を持って来なかった私は地図にサインしてもらいました。
2012年06月28日
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本土寺でさまざまな種類の紫陽花を愛でてきましたので紹介します。最初の4種意外は種名が分からないので調べたところ、膨大な数の品種があり、これかな?と思う品種はあったものの確定できませんでした。 墨田の花火 柏葉あじさい 渦あじさい アナベル 純白にインクブルー !! べに山紫陽花 本あじさい (?) コメット(?)
2012年06月27日
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梅雨の晴れ間に松戸市にある本土寺に紫陽花を見に行った。ものすごく遠くにあるような気がしていたがJRを乗り継いで380円で行けたのが意外だった。房総のアジサイ寺と言われる寺で駅前から寺まで人の行列が続いていたので、全く迷うことなく着いた。ウワサに違わずたくさんの紫陽花が咲き乱れ、五重の塔と見事にマッチしていて見応え十分だった。お寺なので山門、五重の塔や弁財天、一茶の句などもあり、苔むした地面が床しかった。また渦あじさい、柏葉あじさい、墨田の花火などに混じって見た事もない新品種もあり、名前を調べる楽しみができた。 朱塗りの山門に新緑が映える 五重の塔と紫陽花 一茶の句 琵琶を奏でる弁財天 本土寺はまた菖蒲の名所でもあり、菖蒲と紫陽花が妍を競っていたが、菖蒲はすでに最盛期は過ぎているので紫陽花の勝ちである。
2012年06月26日
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アイスフォールの状態が少しましになったという情報の元、アイスフォールの下見とトレーニングに全員で出かけました。BCから見るとあのアイスフォールのどこに登れるルートがあるのだろうととても不安ですが、実際に現場に着くと斜面にトレースが見えました。出始めは雪だけですが、傾斜が急になるあたりからすぐフィックスロープが出てきて、まずカラビナワーク、次はクレバスに渡されたジュラルミンのはしごの登場、その次がユマーリングが必要な厳しい登りになりました。 はしごの下は何十メートルというクレバスが切れ落ちていて、それがイヤでも目に入ってしまいます。足が小さいので梯子の横棒の真ん中に靴が来るように位置を決めなければなりません。ものすごく緊張してアイゼンの歯をギシギシ言わせながら梯子を1歩1歩渡っていきます。靴とロープを掴む手のバランスの取り方にコツがあり、安心して一歩踏み出すまでに慎重にロープの張り方や姿勢を工夫しました。 2連の梯子を渡る トレーニングを終えてほっと一息です (All Photo by K.Kuraoka)
2012年06月25日
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帰国して1ヶ月が過ぎた。毎日が静養日で身も心もふやけた生活を続けてきたが、やっと山に行こうという気になり、リハビリを兼ねて奥多摩の御前山に出かけた。全山、新緑の清新な息吹きに満ち、心が洗われた。ずっと呼吸器周りが正常に戻らなくて喉も鼻も耳も具合が悪く不快だったのが清浄な空気をたくさん吸って清められた気がした。 花は端境期になっていてあまりなかったが、鳥足ショウマが優雅に咲いていた。奥多摩湖→サス沢山→惣岳山→午前山→非難小屋→栃寄り大滝→境橋のルートで歩いたが降りの渓谷美が素晴らしく、新緑の緑やふかふかの苔に白い水しぶきが映えて爽快感たっぷりだった。 渓谷は清冽な流れ 涼やかな鳥足ショウマ
2012年06月24日
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久しぶりに香澄公園に行ってみた。したたるような緑が溢れている中、冬来た時は無残な姿だったジャブジャブ池も菖蒲園も復旧なっていて元の姿を取り戻していた。ジャブジャブ池で大勢の子どもたちが元気に水遊びに興じていたのが、平和の象徴のようで嬉しかった。 したたる緑 ジャブジャブ池以前はこのような風景を見ると、過ぎ去った子育て時代と自分の高齢を思い出し、一抹の寂寥感を感じたものだが、今は違う。「葵と一緒にこの池で遊べる」という思いが湧いて元気になれる。菖蒲園は少ししぼんだ花もあったものの先日の実籾本郷公園とは異なる種類の菖蒲がたくさん咲いていて見事だった。震災前は当たり前だと見ていた景色が決して当たり前ではなかったことを思いつつ、のんびり散歩した。 菖蒲以外にも市の花アジサイや美容柳の黄色の花なども咲いていて季節を感じた。 美容柳 あじさい
2012年06月23日
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ロプチェイーストの肩で一晩テント生活をしました。Vickyちゃんと二人でしたが、彼女は世界を股にかけて困難な登山をたくさんしてきているし、クライミングもものすごく上手なのでいろいろ話を聞けて貴重な一夜でした。翌日も素晴らしいヒマラヤ晴れ、ロプチェイーストのピークを目指しました。「こ、この斜面を登るの?!」と思わずため息が出るものすごい雪の急斜面でフィックスロープをユマーリングで登りました。 テントサイトから見るロプチェイーストのかっこいい山容と稜線 それにしても今日もまた空がぬけるように蒼い テントを後に出発 登ったトレイル 山の形がよく分かります エベレストもはっきりと見えて少しファイトが湧きました。急斜面をかなり詰めた所でこの先はフィックスロープが見つからないという事態になり、登頂はここで終了。360度の眺望を心ゆくまで愛でて下山にかかりました。下山も相当ハードでした。降りなのでユマーリングは無しでカラビナワークで安全確保して下山しました。 急斜面をフィックスロープの助けをかりて降ります。 雪の急斜面をやっと乗り切っても岩と雪のミックス地帯、岩場に懸垂下降とさすがはロプチェです。この山一つだけ登りに来る遠征もあるくらいですからそれだけのものはあります。やっと平地まで降りて一安心でした。本格的高度馴化が終わりました。 トップの写真意外、すべて倉岡裕之隊長撮影の写真です。
2012年06月22日
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娘夫婦が転居することになり、その手伝いに行った。手伝いと言っても私の役目は娘夫婦が引越しのあれやこれやの作業をしている間、孫の葵ちゃんと遊ぶという気楽なもの。葵ちゃんは先日も会ってるし、私とは相性がよくて全くむずかったりしないので私もストレスにならない。今日も二人で玉ころがしに興じた。お座りはとても安定しているがハイハイをしない。少し手を出してハイハイができるような足の形にしてやるとハイハイができると思ったのも柄の間、何と前進しないでバックしている!!どうも腹ばいが嫌いらしい。太ってお腹が飛び出しているからか? 最近は男の子のような顔になって何でも口に入れるが、娘夫婦も神経質に注意せず機嫌の良いままにさせているので、この子はしごくおっとりしている。離乳食よりもまだママのおっぱいが好きだ。
2012年06月21日
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氷河トレーニングの数日後、ロプツエイースト(6119m)に高度馴化登山に出かけました。6000m台の雪山でフィックスロープが張られた本格的登山になります。まずエベレストBCから一日かけてロプチェBCまでトレッキング。私たち倉岡隊のロプツエBCはラッセル隊のBCよりずっと上の方にあり、遠い。こじんまりしたBCが設営されていた。翌日C1(5300m)まで登る予定だったが、C1で宿泊せず一気にピークまで登ることに変更。登頂日は早朝の出発。すばらしい晴天で眺望は完璧だった。本日の写真はすべて倉岡隊長から頂いたものです。 スタートしてしばらくするともう岩の急登、毎日練習したカラビナワークが試されます。何回か岩場を乗り越えてやっとC1に到着。ちょっと荒涼とした平らな岩が広がっています。 C1ここで一休みして更に登ります。この辺りからは岩と雪のミックスになり、アイゼンを装着。 道は益々急勾配、雪も増えてピッケルにユマールを使って登るがなかなか苦しく、真剣に1歩1歩登る。手が短いためぴったり合わない手袋でユマーリングするのがやはり順調にいかず隊長のサポートの指導の下、一生懸命でした。C1に泊まらずBCからダイレクトに登るのはやはり厳しくどこまで登ればピークなのと思いつつ頑張って雪の急斜面をフィックスロープ添いに登ってやっと肩に到着。テントの中に座った時はしばし陶然かつ呆然としていました。落ち着いて外に出て見ると360度の大展望が待っていました。 ロプツエピーク肩よりエベレスト方面を見る ALL Photo by H.Kuraoka
2012年06月20日
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毎日高度馴化という名目でだらだらしたテント生活が続くと体がなまるので今日は氷河トレーニングをすることになった。近くのそこそこの高さの氷河に隊長がロープを張ってユマーリング、カラビナの掛け替え、懸垂下降などのトレーニングをした。重装備で氷河を昇り降りしてヒマラヤに来た気分になった。 ここで発覚したのは私のユマーリングがとても不慣れで遅いと言う事実!!そう言われてもユマーリングしたのは3年前のチョー・オユー以来だし・・・。と言い訳していいわけがない。明日から毎日練習ということになった。
2012年06月19日
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ベースキャンプ(5350m)に到着してしばらくは5000m台の高度に慣れなくて、顔がむくんだり息苦しかったりしました。5日目辺りに近くのプモリC1に馴化に行きました。プモリはBCの背後に重々しくそびえている三角錐の山ですが、取り付きは少し戻ったモレーンの土手のような場所から急坂を登ります。 中腹から更に高度をあげてやっとC1へ到着。テントを設営したと思われる平らな跡がいくつかありました。少し高度が上がっただけで見る景色は大違い!!BCを俯瞰できたし、荒々しいプモリの氷河を真近に見ました。 上から見るBC プモリの氷河
2012年06月18日
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エベレストBCに着いて数日後、登山の成功と安全を願う儀式プジャが行われました。朝からシェルパの皆さんが大勢集まって綱を張ったりお供え物を運んだりしてお祈りのシンボルになる小さな塔を造りました。お酒やお菓子などお供え物をたくさん備えられてちょっとしたお祭り気分です。 たくさんのお供え物が備えられ、私たちのピッケル・アイゼンも安全祈願のために備えました。 本来なら僧侶が祈祷文を読むところですが、本日はサーダーのプルバ・タシが中心となって全く意味は分からないけど有難いお経を1時間ほど唱えました。プジャの終わりには、ツァンパ(ハダカオオムギの粉 チベットの伝統食)を顔と右肩に塗って、登山の安全を願いました。 5色のタルチョーはためく下でインドネシアの3人。それにしても空が蒼さが際立っている。
2012年06月17日
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梅雨も本番となり、雨や曇りの毎日です。梅雨の合間に近くの実籾本郷公園に花菖蒲を観に出かけました。ありのままの自然がたくさん残る素朴な公園です。菖蒲田の中に紫や白の花菖蒲が今を盛りとたくさん咲いていてとても豪華でした。 園内には小川が流れていて、子どもたちがはだしでザリガニ(?)を取っていました。近くには蛍の里があるので偵察に行きましたが、まだ飛んでいる様子はありませんでした。
2012年06月16日
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私たちのベースキャンプの概要を紹介します。 まず、共有施設です。中央の大きい四角いテント、左から食料保管庫1棟 3棟連結してシェルパテント・キッチンテント、濃いオレンジ色のダイニングテント、少し離れてトイレテントとなります。共用テントの手前(モレーン側)に並んでいる楕円形で黄色いテントが私たちゲストの個人テント、それ以外の氷河側に点在しているのはシェルパやキッチンボーイ達の個人テントです。 キッチンテントの中 ダイニングテントの中 電気はパネルから調達 マイテント 食料保管庫 トイレテントちなみにマイテントはなかなか広く、荷物も十分に置けました。ダイニングテントも快適でガスストーブもあり、寒い夜は赤く燃えるストーブの熱に助けられました。また電気はソーラーパネルから調達するので、天気が良かった日はカメラ、携帯、PC、アイ・ポッドなどの充電ができました。
2012年06月15日
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ロプツェで1泊した翌日は、ゴラクシェプでPC休憩した後、一路エヴェレストベースキャンプ目指して最後のトレッキングを続けました。両サイドをモレーンに囲まれた広い川床のような低地を歩いたり、石段を登ったりしているうちに巨大なプモリと土色のカラパタールの丘が姿を現し、更に歩くと遥か向こうにBCのテントサイトが見えてきました。見えてきてからが遠かったけどついにここまで来たという充実感に満たされました。4月3日にルクラをスタートし、途中馴化のため、連泊しながら、10日かけて4月13日の到着でした。高度馴化は大変順調で全員快調でした。さすが、高所登山のエキスパート倉岡裕之隊長の計画は万全でした。私もノーへディック、ノーストマックエイク、ノー下痢で、かってない快調さでした。 いよいよ堆積するモレーンが顕われ、始めは川床のような低地を歩きました。 ついにモレーンだらけになり、その中を登り降りしていきます。 巨大なプモリ(7165m)と茶色のカラパタール(5545m)の丘~ゴラクシェプ付近にて ほれぼれするかっこいい山々 エベレストBCのテントが見えてきました。手前はラッセル・プライスのBCで、白い丸型の大テントが有名なホワイトポッド。 私たちのテントサイトよりエベレスト方面。手前のアイスフォールのずっと奥に世界第4位の高峰ローツェ(8515m)が顔をのぞかせている。到着した当初は結構寒かったです。
2012年06月14日
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4340mのディンボツェで3泊した後はまたトレッキングを続け、途中のツォクラ(4590m)は水が悪くて必ず下痢になるので休憩もせずパスして、4930mのロプツェまで歩きました。この辺りからはタウツェなどこれまでと違った山々が姿を現し、天気もよかったので大迫力の山岳風景を堪能しました。これぞヒマラヤという感じでした。 巨大な山を見上げながら一休み 人が小さい!! 石造りの素朴なカルカ こういうものに惹かれます Himexs(ラッセル・プライスの会社)隊のロプツェBC テントがきれいです途中、丘の上にたくさんの慰霊碑が集められている場所を通りました。 生涯一ヒマラヤニスト 丸山芳雄慰霊の碑 2005年建立 秋田海外登山隊有志一同 と読めました。ちょっと胸に来るものがありました。 ロプツェのロッジ 嬉しそうに女性と話すシェルパのラムさんここまで来るとこれまでのようなチョルテン、マニ車、マニ石、お寺等は見当たりません。もう常住して生活する場ではないのでしょう。ロッジの周辺も殺風景です。ロッジの中に欧米系の女性で胸元を広く開けた魅力的な女性がいて、私とVickyはこの寒い中でよくあんなに胸元を出していられると驚き、男性は喜び、ちょっとしたトピックでした。
2012年06月13日
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ディンボチェでは馴化のために3泊したのでいろいろな体験ができ、荷造りも無いので寛げました。でも高度馴化のために近くのナガルジョンピークに登りました。高度は4700程度でしょうか。 ナガルジョンピークにて グリーンのウエアはインドネシアのアルデシール 4340mの村のカフェでこの品揃えは立派!! どういう訳かこんなものがロッジにありました
2012年06月12日
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親友のお兄さんが監督した作品「テルマエ・ロマエ」をやっと観に行った。この映画は全く奇想天外、驚天動地の物語、とてもおもしろく、かつおかしかった。場内からは笑い声がしょっちゅう聞こえていた。 日本人が一方では古代ローマ人に扮し、一方では平たい顔族(いわゆる普通の日本人の顔立ちの皆さん)に扮しているのだがこれが全く違和感がない。と言うより同じ日本人でこうも顔が違う!!と感心してしまった。キャスティングが巧みである。阿部 寛が真面目に演じていることから出てくるおかしさが随所に出てきたし、日本のお風呂なんて当たり前と思っていたが、その素晴らしさや良さを再認識した。阿部 寛が惜しみなく見事な肉体を見せてくれるが、肝心の部分は見えないカメラアングルがこれまたよく工夫されていた。それと全編に流れるオペラの名曲、これも素晴らしかった。アイーダなど聴きほれてしまった。物語は後ろに進むほどまっとうになり、最後はそれなりにきちんと落ち着く結末が心地よかった。
2012年06月11日
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中国政府がチベット自治区への外国人の入境を当面、事実上禁止した。昨日のブログに登場した村、ディンボツェでは馴化のため3連泊した。村のカフェに入ると下のようなポスターが貼ってあった。丁度チベット出身の男性がいて彼は熱くダライ・ラマと祖国チベットへの思いを語った。 昨今は中国側からチョー・オユーに登るのも大変困難になり、代替案としてマナスルに登る人が増えている。3年前に見たチベットのラサはチベット固有の文化は片隅に押しやられ、大通りはピカピカの漢民族の店が立ち並んで中国の街になっていた。いたるところに小銃を肩にした警官がいて、絶対にカメラを向けるな、向けると撃たれるぞと言われた。チベット民族のあの悲惨な状況が一刻も早く解決して、誰でも安心してチベットの山に登れる日はいつ来るのだろうか。 チベット自治区ラサで焼身自殺・ チベット自治区ラサで僧侶2人が焼身自殺、中国 - チベット情勢に詳しい米コロンビア大学のロビー・バーネット氏はAFPの電話取材に、27日の焼身自殺はチベット各地に抗議行動が広がるきっかけになった2008年の大規模暴動以降のラサでは初めての重大な抗議行動で、中国当局にとっては大きな打撃となるだろうと語った。AFPBB News(5月29日)中国政府が5月末から、チベット自治区への外国人の入境を当面、事実上禁止したことが8日わかった。同自治区の旅行当局が明らかにした。5月27日に同自治区ラサでチベット族2人が焼身自殺を図り、政府が警戒を強めていることが関係しているとみられる。 同自治区は、外国人が訪れる際は政府の許可が必要な地域。旅行当局によると、同自治区共産党委から通達が届き、外国人の入境審査を厳格にするよう求められた。入境手続きの再開時期は未定という。(上海)
2012年06月10日
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翌日は高度3800mのポルチェから4340mのディンボチェまでトレッキング。高度が500mほど上がるので景色を堪能しながらゆっくり歩きました。 途中にお寺があり、中に入って見せてもらいました。私は信仰心というものは全くないのですが、宗教の周辺にあるもの即ち宗教音楽、宗教建築、宗教美術、修行法などに大変興味があります。同じ様式なのですが何度でも見たいのです。そのうえ、それらを見るとなぜか興奮してしまい、直ぐには立ち去れない厄介な性格なのです。今回もしっかり見ました。 経典がたくさん積まれている 読経する僧たち 寺の隅っこで埃にまみれておいてあったチベットホルン。我が家にも1本あります。
2012年06月09日
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雪のクムジュン村でのどかな2日を過ごし、宮原さんのホテルエベレストビューも訪れてドリップコーヒーを呑んで分化の香りを嗅ぎつつ、なおもトレッキングは続きます。トレッキングにもロッジにも慣れてマンネリ気味です。今日からは初めて歩くルートでタンボチェ方面ではなくモンラを通過します。クムジュン→モンラ→ポルツェタンガ→ポルツェと歩き続けてポルツェのロッジに泊まりました。この辺りから少しづつ高度が上がり、馴化を意識するようになります。 ホテルエベレストビューにて モンラにてタムセルクをバックに 修行中の少年僧たち ヤクの糞は大切な資源 多分1000年ほど前にできた坂道をゆっくり登ります。何時でも名峰が随所に見えます。
2012年06月08日
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終電ぎりぎりの電車に乗り、タクシーで娘のマンションを訪問。午前さまでした。いやな顔をしない娘婿に感謝しつつ、久しぶりに孫のaoiちゃんの様子を見ると丸々・むちむちは一層加速。でも風邪気味で鼻が詰まって苦しそう。全員が一晩中眠れませんでした。翌日、熱を測ると38.5度!!。医者に行き、孫の世話をし、偶然ながら病気の時に訪問して娘には感謝されました。 このたくましすぎる足!!、何もこんな所まで似なくてもいいのにね。
2012年06月07日
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近藤さんからメールがあり、急遽、エルブルースへ登り,滑った皆さんの打ち上げ会に乱入。神楽坂で呑み放題・食べ放題という中華料理屋さんで、若い皆さんのエネルギーに打ち負かされました。 それにしてもすごいパワーでした。呑み放題・食べ放題したつけが回って今日もまだお腹が重い!!ネパールに出発した時は40.2キロだったのに帰国したら42キロ、さらに怠惰な生活を続けて43キロ!!もうクライミングできないような体重になってきました。
2012年06月06日
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クムジュン村には高度順化を兼ねて2泊しました。まずは静かな村の風景です。 クムジュンハイスクール 校内にあるヒラリーの銅像 サイバーカフェ パン屋さん兼カフェ クムジュンの立派なお寺 マニ車の列この寺にはイエティの頭皮が(?)あり、若干の寄付で拝観できます。 夕暮れ時に学校の前の空き地でバレーボールに興ずる青年たち
2012年06月05日
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ここまで歩いて来て追に一度見たら忘れられない特徴ある山容をしたアマダブラムが姿を見せる。やはりエベレスト街道と言えばこの山です。カンテガも丸い帽子を被ったような姿をさりげなく見せます。 アマダブラム(母の首飾り)6812m カンテガ (6685m ) クムジュン村の守護神 圧倒的なタムセルク(6623m) 逆方向には 聖山クンビラ(5761m)
2012年06月04日
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ナムチェでのんびりした話題でくつろいだ後は、シャンボツエを超えてクムジュン村までトレッキングしました。出発の朝、ナムチェは一面の雪景色、雪道を踏んで植村直巳さんが愛したクムジュンへ着きました。 雪のナムチェ 雪のクムジュン 村の入り口にある古いチョルテンの前で ロッジ内部 二人部屋ですこのベッドの上でシュラフを使用して寝ます。このロッジはタシ・フレンドシップロッジと言い、エベレスト登頂21回のプルバ・タシの家族が経営しています。
2012年06月03日
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登山に来ているのに関係ない写真ばかりでしたね。やっと山です。 クスムカングル(6367m)とタムセルク(6623m) 見飽きないタムセルク コンデリ(6,187m)
2012年06月02日
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頭が働かず、毎日ただ食べて寝てボーとしている間にもう6月!!焦ります。 ナムチェバザール(Namche Bazar、Namche Bazaar)は標高 3440mに位置する、ネパール・クンブ地方最大の集落。今回はそのお店を紹介。 小さな売り場にあらゆる物が満載 整然と美しく陳列された菓子類 整髪料等衛生用品も豊富 ここは秋葉原か? メインストリートにあるillyカフェ 上段にはアルコール類、下段にはケーキ類 カフェモカ(ホットで洒落てました)とアップルパイ 美味しかったですよ 好きなマスクが揃っている。帰りに買おうと思っていたが、買い損ねた!!
2012年06月01日
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