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お墓掃除とお墓参りに出かけた。私の実家は肱川に沿った山間部に位置し、狭い農地を最大限活用するためだろう、この村のお墓はほとんど山の上にある。そのお墓まで登っていくのが辛い高齢者だけが村に残っている。我が家でも妹が登れないので私一人でお墓まで登った。帽子をかぶり首にタオルを巻き、腰には蚊取り線香をぶら下げ、マムシ対策に長靴を履き、手には軍手と格好など気にしてられない完全武装で、部落を俯瞰しながらゆっくりお墓を目指す。近隣の人に依頼してお彼岸など節目節目に掃除をしてもらっているので、滅茶苦茶汚く荒れ果てているという感じはない。落ち葉を掃き、シキミを整理し、墓石に水をかけて磨いた。線香を立てて、お水をあげ、父・母・弟に元気でいることを報告していたら、苦楽を共にして暮らした日日が想い出され、涙がにじんだ。この3人が私を育て慈しみ大切にしてくれたのだ。この3人のおかげで今の私はあるのだ。父母は仕方ないとしても、なぜ弟は42歳の若さで先に逝かなければならなかったのか。何十年経ってもそれだけは辛すぎる。長男で跡取りの弟の死・それで我が家のすべてが狂ってしまったのだ。 ゆっくり霊を慰め、墓から下った。日当たりのよい道を蛇が1匹横切っていた。青大将だ。蛇は苦手で町にいたら「ぎゃあ」と叫ぶが、故郷で出会う蛇は自然と一体化しておっとりしており怖さを感じなかった。お墓参りが無事できて3年間の責務を果たした気がした。
2012年08月31日
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実家の家屋敷・田畑・山林をどうするか弟の娘も呼んで3人でいろいろ話し合った。問題は家の管理、固定資産税も電気・水道の基本料金も微々たるものではあるが、それがもう10年単位で続いている、さらに庭の草木が伸びるので人に依頼して代金を払って手入れしてきたがそれでもなかなか思うようにはできない、作物を作らない畑の前に住む人から草刈りをするよう厳しく求められる、例え無人の家であっても部落の様々な出来事に対応して処理をしなければならずその度に帰省しなければならない、部落内や親戚の冠婚葬祭(特に葬祭)に関わらねばならないことなど妹が様々な苦労を話す。本当に妹に甘えて申し訳なかった。さりとてこんなに遠くに住んでいては何もできない・・・・・。私は関東地方に住んでいて遠い、宇和島に住む姪は二人の子どもの養育と仕事で多忙、妹は松山でそこそこの距離なのでずっと管理してきたが体が悪くもう出来ないと悲鳴をあげている・・・などなど誰もこの家に住める人はいない。結局、売ろうということになったが、実際問題として、こんな四国の山間部の家が売れるだろうか? 昭和51年建築の隠居部屋 大正3年建築の母屋町の不動産屋を3店回った。私たちのような例はたくさんあるらしい。3店ともそれぞれ対応が異なるのが興味深い。そのうち1店が「明日、家を見に行きます」と意欲を見せてくれて少しほっとした。参考に母屋の屋根瓦が美しいとコメントを頂きました。この瓦は750年の歴史と伝統を誇る愛媛県の伝統特産品の菊間(きくま)瓦です。次のような特長があるとHPに記されています。 美 観独特のいぶし銀の美しさがあり、種類も豊富で表現も自由にでき、葺きあげた姿が優美です。耐久性堅牢で耐寒力があり、非常に丈夫です。防水性吸水率が少なく排水性が大変良いため、防水性に富んでいます。快適性夏涼しくて冬暖かく、快適です。低価格日本の気候風土に合った伝統の瓦だからこそ、長持ちして割安です。
2012年08月30日
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8月28日9:50分羽田空港から松山空港へひとっ飛びした。久し振りに国内線ANAに乗った。以前はサービスだった飲み物やスナック類がコーヒー以外は有料になるなど、サービスが変わっていたが当然だろう。松山空港は蒸し暑く、リムジンに乗ってJR松山駅で妹と落ち合う。妹は老け、足を引きずりながら歩いてきた。特急宇和海で1時間、新しく西予市になった卯之町からタクシーに乗ってスーパーで食料を買い、再びタクシーでわが故郷に帰省した。3年ぶりだ。 鍵を開けて住居としている隠居屋に入った。折から雨も降っていて全体に湿っぽい。冷蔵庫を通電し、窓を開け、すべての部屋に掃除機をかけ、やっとちゃぶ台に座る。水道と電気は通じ、ガスはない。テレビも地デジに変更してないため、ラジオだけ。父が亡くなり、弟が亡くなり、母が亡くなって無人になってほぼ10年。田畑・山林・家屋敷を妹が管理してきてくれていたが、その妹も体調を崩している。お互いの近況報告と実家の将来についていろいろ相談しなければならないことが山積していた。
2012年08月29日
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今回の源次郎尾根にはYさんという73歳の女性と一緒だった。Yさんとは2年ほど前に武蔵五日市の天王岩という岩場で一度ご一緒したことがあるだけで、山行は初めてだった。足がものすごく強い人だということは聞いていたが、実際に2泊3日同行していろいろな話を伺うとその余りの活躍ぶりに驚愕した。まず、65歳の私だって決して楽ではなかった源次郎尾根を、73歳の彼女は辛いとか疲れたとか一言も言わず登り切った。さらに13年前に既に日本300名山は終了し、今は海外の山にしょっちゅう出かけている、山だけでなく、四国88カ所、板東、西国とか私の知らない巡礼道もほとんど歩き通している。それで姿勢もよく、言葉も的確で社交的、いやあ、恐れ入りました。 源次郎尾根2峰よりロワーダウンするYさんさらに次がある。帰りのスーパーあずさ車中で隣に座っていた女性は77歳、一人で北アルプスを1週間ほど散歩してきましたと涼しい顔でおっしゃるので、よく聞いてみると笠が岳周辺を歩いて来たらしい。77歳で一人で北アルプス、それも笠が岳!!私は絶句した。私なんか今でも笠に登るなんて敬遠する。ほどよいスリムさで腕には筋肉が見え、顔はつやつや。いやあ、恐れ入りました。すごく刺激された。私はこのところ年齢に負けている。誰だって加齢とともに体は次第に故障がでてくるが、この女性たちはそれをカバーし、メンテナンスに励んでその年齢でもしたいことをしている。私もこの人たちのように70代になっても山に行けるようになろうと固く心に誓った。と決心したところでこれから四国に帰省しますね。
2012年08月28日
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剱沢小屋から這い松の小道を少し登ると小さな池があり、そこに逆さ剱が見事に投影する。そこは秘密の場所である。なぜ秘密かというと小屋にあれだけ大勢の宿泊者がいるにも関わらず誰もそこに来ないし、話題にもなっていないからである。と言うより小屋からは直接見えないので気付かないのだろう。地図上にその存在を示すものは何も無い。 逆さ剱を映す池これだけの景観を示す池の存在がほとんど知られていないので不思議に思い、受付にいらした友邦さんに尋ねた所、ずっと以前にカメラマンの男性が周辺に石を積んだりして長い間かかって池にしたものだという。名前もついてないので、あなたが付けてくれてもいいとのことだった。剱沢大池・・・うーん、白馬大池のもじりみたいだし、第一大きくないし。何かピッタリの名前はないものか。剱沢かがみ池なんかどうだろう?
2012年08月27日
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8月26日名残惜しいが下山の日が来た。朝3時半起床、4時半出発。とても涼しく気持ちがよい。剱沢をゆっくり登って剱御前小屋へ。最後の剱方面をじっくり見る。すべてがくっきりと見えて素晴らしい。何て恵まれた山行なんだろう。 剱沢のむこうにくっきりと 前剱・剣岳(2999m)・源次郎尾根・八峰 の勇姿そこからは雷鳥沢を下るが、下りが足親指に大きな負担になってうずき始めるため、丁寧に丁寧に着地場所を選んで下る。すっきりのびやかに広がる立山方面が俯瞰でき、這い松の緑色と残雪の白の対比が爽快である。あちこちにちんぐるまの綿毛が集団になって風になびいて秋が近いのを感じさせた。 雷鳥沢のテント群 ちんぐるまの綿毛予定通り室堂に到着。朝一のトロリーバスに乗ってアルペンルートを扇沢に向かう。楽しい3日間が無事終了した。
2012年08月26日
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8月25日いよいよ源治郎尾根の登攀日。源次郎尾根は南東から真っ直ぐ剱岳本峰へ突き上げる岩尾根(標高差約1000m)で途中には2つの顕著なピーク(1峰2709m2峰2770m)がある。剣沢方面からは美しいスカイラインが天を付く八ツ峰の方が目立ってあまり目立たない存在であるが、そのごつごつした山容は無骨な男性を思わせ、重量感に満ちている。またその傾斜の厳しさには登攀意欲をそそられる。 源次郎尾根 手前から1峰 ・2峰 左端の崖を懸垂下降して本峰剣岳に向かう朝2時起床、3時出発。空にたくさんの星がきらめいて心が澄むような美しさである。冬の空に見るオリオンも大きく4角形を見せていた。小屋まえから右手の細道を下っていく。地面はガラガラの上に右手は灌木や草、左手は雪渓で道はよく見えず、ひたすらヘッドランプの光を頼りに注意深く下る。ほどなく雪渓に乗り移る地点に達し、アイゼンを装着。剱沢雪渓をぐんぐん下っていく。アイゼンがしっかり効いて気持ちよく下れるがけっこうは急勾配である。かなり下った所で源次郎尾根への取り付きに到着。アイゼンをはずし、ヘルメットにヘッドランプをつけて45度の急勾配をほとんど四つんばいになって登ってゆく。這松と低い潅木類が隙間なく茂っている。それをかき分けたり、掴まったりしながら登る。そこに急に岩場が出て岩登りになったりもした。これがかなり長く続き、本格的岩場は少なくブッシュの急登が続いた。そのうち、夜が明け、周囲の風景がはっきり見えるようになった。眼下に雪渓が広がり熊の岩と呼ばれるテントサイトがしっかり見えた。さらに頑張って登りやっと1峰のピークに到着した。ここまでが核心部だった。高度を稼ぐにつれ、八峰がその鋭く天を付く姿がくっきりと見えて実にすばらしい景観だった。見るだけでもドキドキした。 豊富な雪渓と八峰・美しい空と雲1峰の下は激しく切れ落ちてコルになりその先に2峰、さらにその奥に本峰剣岳が圧倒的な姿をどっしりと据えている。真っ青な空に白い雲の下、すべての峰峰が惜しげなく姿を見せてくれ至福の時だった。2峰までは比較的楽だった。2峰の最終ピッチは崖の懸垂下降になる。ここまで一番早く到着して最初に懸垂下降しないと待ち時間が長くてげんなりするので、早発してここまで真面目に登ったのだった。 2峰からの懸垂下降 地面に降りたってほっとする私懸垂下降はいつでも緊張する。今日は諸般の事情でロワーダウンで下降した。そこから剱岳まで岩稜を詰めること小一時間、。剱山頂に人が沢山いるのがだんだん大きく見えるようになり、午前8時40分遂に剱岳に到着した。 剱岳山頂にて山頂は登山者であふれていた。天気がよくて周辺の峰峰はすべて見え、最高だった。しかし山の天気は崩れやすい。しばし休息してすぐ下山にかかる。しかしここからが問題、一般ルートなので岩場やカニの横ばい辺りで大渋滞し、そこそこ時間を費やした。前剱、一服剱と岩続きの急坂を丁寧に下って剣山荘前につく。ここも大勢の登山者で溢れていた。剱沢小屋到着12時10分。充実の源次郎尾根登攀が無事終了した。
2012年08月25日
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8月23日、夜8時に国立を自動車で出発し、夜中の12時に信州の扇沢に到着。そのまま車中で仮眠。朝、扇沢駅の洗面所で顔を洗っていたら山友のYukiちゃんとぱったり出会い、双方ともに驚く。彼女とは以前にも富士山のお鉢巡りで出会ったことがあり、奇跡的な出会い方をしている。彼女は針ノ木から烏帽子の縦走をするとのことだった。朝一のアルペンルートでスタートし、室堂へ。10時頃同行のYさんと落ち合って出発した。室堂平は登山者や観光客で大賑わいだった。天気がよくて立山連峰が美しくどっしりと見え、みくりが池が緑色の水をたたえて麗しい。硫黄の臭いを嗅ぎながらどんどん石段を下り、雷鳥キャンプ場へ。オレンジや黄色など色とりどりのテントが並んでここも賑わっている。 雷鳥坂から立山連峰方面いよいよ雷鳥坂の登りにかかり、暑い中、黙々と登る。途中水分補給をしながら登り続けて、剱御前小屋のある稜線に出る。すると立山方面とは逆の剱方面の視界がぱっと開け、剱岳、剱沢が目に入る。「おお!」と思わず声が出、嬉しさがこみ上げる。 一服剱 前剱 剱岳 その奥には八峰もかすかに見える 剱御前小屋まえにも沢山の登山者がいた。私たちも一休みして、劍沢を下る。しばらく下るとキャンプサイトになり、さらに進むと屋根を石で覆った剱沢小屋に到着した。なつかしの先代友邦さんや3代目新平さんの顔を見てマイホームに帰ったようで何となく安心してしまった。 参加者3人でパチリ夕食は超豪華、栄養満点だった。新平さんは料理の修業をしていたことがあり、食事にはとても気を遣っているとのことだった。「これを食べれば剱のどのルートでも登れる」と以前にも言ったような言葉を発しながら完食した。 剱沢小屋の厨房 ブルーシャツの青年はネパールから来たシェルパ・アンヌルさん、 夕食のメニュー ビーフシチュー 揚げたてのチーズコロッケ、キャベツ、サラダ、なすの素揚げ、漬け物、ごはん
2012年08月24日
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今夜から車中泊も含めると3泊4日で岩と雪の殿堂・剱岳(2999m)に行ってきます。23日 自宅→扇沢 24日 室堂→剱沢小屋 25日 源治郎尾根登攀 26日 剱沢小屋→室堂→帰宅今年の剱岳は雪が豊富で楽しめるようですが、足親指が心配です。剱岳から帰宅後1日おいて次は四国の実家に帰省します。両親・弟が亡くなって無人の家が残ること?十年、誰も住んでいない家や田畑の処理を真剣に考えなければならない状態です。四国には1週間ほど滞在するかもしれません。この間、ブログアップができないかもしれませんのでよろしく。 剱岳 Dフェイス Cフェイス 5・6のコル
2012年08月23日
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家でじっとしていると耐え難い暑さなのだが、長時間エアコンをつけることに罪悪感があり、避暑に図書館に行くのが最近の日課になっている。主に雑誌を読んでいるが、たまには本も借りる。今日借りた本は別冊太陽の「パリ オルセー美術館」 マネ 笛を吹く少年頭を使わず見ればよいだけなので、気楽だ。でも素晴らしい名作揃いだったので思わず熱中して見入ってしまい、しばし暑さを忘れていたのだった。痛む足をひきずって山に行くのは止め、ヨーロッパの美術館巡りでもしたい気分になってきた。
2012年08月22日
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今日も暑かった。特に変わったこともない一日だった。朝5時起床、バナナを1本食べ大麦若葉を1杯飲んでウオーキングにスタート。20分歩いてくじら公園に到着。雲悌にぶら下がって90秒×2本、懸垂10回×3回、ストレッチ3種類、ヨガで枯れ木のポーズ3分×両足、鷲のポーズ60秒×両足、股割り20秒、肩入れ60秒、踏み段昇降40回をこなして再びウォーキングを再開。森林公園へ。水蓮が華麗に咲く池の周りを歩きながら手指のマッサージと牛のポーズの腕部分だけをして自宅まで25分。身体メンテナンス・トレーニングの第一ステージ終了。自宅に戻り、植物の水遣り、道路への散水、簡単な掃除をして第2ステージのトレーニング。ヨガと筋トレと菊池体操を合わせて90分。その後汗だくの体をシャワーでさっぱりし、グリーンスムージーを作って夫と一緒にごくんごくんと飲む。おいしい!!デイケアに夫を送り出し、私は整形外科を受診。足底版を作ることになり足の型取りをして帰宅。玄米ごはんなどのランチを一口30回噛み噛みした後は昼寝30分。ここで午後2時半。気分転換を兼ねて日課になっている図書館に出かける。図書館はこの時期避暑地になっていて満員。座る椅子が無く、立ち読みし、本を2冊借りて帰宅。再度植物の水遣りと散水。夕食を作り、夜のシャワーを浴び、夫・息子の3人で夕食。平凡な夏の一日だった。そして今、その平凡な夏の一日をブログに綴っている。平和で幸せな一日。
2012年08月21日
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夕方植物に水をやり、家の前の道に打ち水をしていて、ふと軒下をみると蜂の巣がある。穴がいっぱい空いているからもう飛び立っていったのだろう。何だか毎年みているような気がするが、蜂が出入りしている様子を全く見たことがない。うかつと言えばうかつな話なのだが、花の水遣りに気を取られて上を見ないことが多いし、壁の色とよく似ていて目立たないのも気づかない一因だろう。四国の実家の軒下に巨大なスズメバチの巣があったのでスズメバチの巣の特長は良く知っているが、それとは全く異なる素朴でかわいらしい巣だ。足長蜂かな。
2012年08月20日
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暑いし退屈だったので上の娘の家を訪ねた。葵ちゃんは男の子のような顔になって一層やんちゃになっていた。離乳食の終わり頃なのだが、保育園ではなかなか離乳食を食べず保育士さん泣かせらしい。いまだにおっぱいが大好きで遊びながら飲んでいる。一種の精神安定剤だ。私が贈った離乳食セットの可愛いスプーンもおもちゃになっている。この頃はいわゆる玩具に飽きたらず、そこら辺にあるものすべてが玩具である。特に新聞紙が好きでよく口に入れている。インクが有害だと娘が阻止する。テーブルの下も好きである。自分の子どもではない気楽さで、一緒になって童心に返って遊んだのだった。
2012年08月19日
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今日は夜、夫がお世話になっているデイケア施設の納涼祭があった。毎年楽しみにしているイベントだが、昨年は震災で中止だったので今年は特に心待ちにしている風だった。夕方6時に園庭に行ってみるとぼんぼりの灯りが揺れ、たくさんの人で賑わっていた。和太鼓の皆さんが揃いのいなせな法被を着て、かっこよいパフォーマンスを披露し、祭りの雰囲気を盛り上げていた。ヤキソバ、炊き込みご飯、焼き鳥、枝豆、フランクフルト、ジュース、かき氷と夜店でたくさん買って一緒に食べた。馴染みの職員の皆さんにいろいろ声をかけて頂いてコミュニケーションが深まった。いつもは朝夕の送り迎えの挨拶だけなのでどうしても通りいっぺんになる。普段の様子なども聞けてよかった。
2012年08月18日
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下の娘が祭りにゆかたを着て行きたいので着付けを頼むと家に戻ってきた。私が若い時(40年前!!)に作った紺地に花模様のオーソドックスなゆかたと本人が買った今風のピンクのゆかたと2種類ある。どっちがいいかと悩んでいる。本人いわく、「もう若くないからピンクのはおかしいかも・・・。」「でもまだかろうじて20代なんだからピンクでもいいよね」と自問自答。結局ピンクを選び、ピンクの帯を締め、ひまわり模様の黄色い下駄を履いて出かけたのだった。何だかんだ言ってもまだまだ可愛小娘だ。
2012年08月17日
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今日は東京駅近くのブリジストン美術館で開催されている ドビュッシー、音楽と美術~印象派と象徴派のあいだで~という展覧会を見てきた。ものすごく内容が充実していて大満足だった。クロード・ドビュッシーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスを代表する作曲家で「月の光」や交響詩「海」などの作品で知られている。独特の軽く洒落た響きでそれまでの古典派やロマン派の音楽とは全く異なる響きや雰囲気を持っている。ドビュッシーが生きた時代には、音楽や美術、文学、舞台芸術が、互いに影響し合って高めていく時代であったが、彼は「私は音楽と同じくらい美術か好き」というほど美術が好きな作曲家だった。そのため交友が幅広く、彼を描いたり彫塑した肖像画も何枚も何体もあった。ルノワール、クローデル、ドガ、ロダン、ガレ、コロー、ルドン、ゴーガン、シニャック、シスレー、セザンヌ、デュフィーなど早々たる画家や彫刻家の作品が次々と展示され、さらに日本の葛飾北斎や歌川広重の浮世絵まで見ることができた。ドビュッシーはジャポニズムの影響を強く受け、自筆の楽譜の表紙にもあの有名な波しぶきの絵のコピーを使ったほど浮世絵が好きだった。先日訪れた両国の新大橋にちなんだ歌川広重の絵「大はしあたけの夕立」にゴッホが心酔して模写したこととも関連してとても誇らしかった。ブリヂストン美術館の所蔵作品を中心に、オルセー美術館、オランジュリー美術館、国内外から借用した作品約150点で構成されているとのことで本当に見たい作品が満載だった。絵の中に大好きな伝説のバレリーナ・ニジンスキーまで見ることができた。入館者もすごかった。フロアいっぱいに人が溢れている上、みんな見る意欲満々で圧倒されそうだった。さらにどの人も人品卑しからぬ服装と文化人らしい雰囲気が漂っていて、私だけがザック背負ったラフな井出たちだった。何だか異なる人種の中にいるような気がした。しかし美術や音楽を愛する気持ちは同じだと思いつつ、鑑賞したのだった。
2012年08月16日
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40歳のころ、中里さんという方から真っ白い皿を頂戴した。5枚セットで木箱に入っていて高価そうに見えた。皿のふちが菊の花びらのようにデリケートな形作られている。とっても清潔感があり、上品で素敵に思えた。能書きがあり、中里窯のようなことが記載されていたので中里さんの親戚の人が陶業をされているのだろうと気楽に読み飛ばして、以来すっかり忘れていた。素敵な頂き物はすぐに日常で使用するのが私の流儀なので、翌日から普段使いの器として使い始めた。以来25年、必ずしも丁寧とは言い難い扱いの中にあっても一枚も欠けることなく使い続けてきている。ところがそれと全く同じに見える皿を8月13日の紅柿荘の女将のブログで見つけた。なんという偶然。興味が湧いてきて改めて皿の裏を見ると「陽山」と銘がある。NETで調べたところ、中里陽山という白磁で有名な陶芸家の名前が出てきた。驚いた。そんな立派な陶芸家の作品を頂戴していたとは。女将さんはデパートに入っている器屋さんで買い求めていたとのことで料理の専門書の中によく使われているものと言う。量販されているのだろうけど、そんな立派な陶芸家のデザイン又はその窯によるものだったのか。道理で形が優雅でありながら堅牢で25年余使っても壊れないんだ。 痛く感心してしまった。 干し葡萄を入れた我が家の白い皿
2012年08月14日
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エーデルワイスさんと日光白根山に行った後から今月24日まで山の予定を入れていない。一つには種子骨症が直らないので少しおとなしく静養したいこと、お盆前後で鉄道も道路も混雑する、一年中暇な人間がこの時期しか移動できない現役の皆さんの邪魔をしなくてもという思いである。そこで毎日ヘルシーで栄養ある料理を作り、桃や西瓜のおやつを出すなどこれまでの罪滅ぼしのように家族に尽くしてきた。が、ちょっと変化つけに今日は外でランチにした。夫は大喜びで力いっぱい食べまくり飲みまくり、せっかく3キロも減量させてあげたのに台無しになっていた。 息子のメニュー チーズペッパービーフハンバーグステーキ
2012年08月14日
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今日は一日中ものすごく暑かった。午後ルミックスさんから頂いたあの大きなスイカを切った。目にも鮮やかな見事な赤い色で大当たりだった。夫、息子と私の3人で約四分の一を食べた。あまりの美味しさにみんな物も言わずにひたすら食べた。みるみる内にスイカの皮が積み上がった。食べ終わってからみんなで「おいしかったねえ!」と言いながら、西瓜の皮を見て笑い合った。お腹の皮もつっぱってしまったが、自然の甘みと水分が存分に補給できてとても気持ちがよかった。 これで4分の1
2012年08月13日
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今朝は日が照りつけず涼しかったので、ほったらかしにしていた花の手入れをした。雑草を抜き、徒長した枝を切り、花柄を取った。ついでに写真も撮った。 ジニア サルビア ルドベキア アゲラタム ペチュニア ポーチュラカ 朝顔 バーベナ 千日紅 ゼラニウム 自分で買ったのに名前を忘れている カンナ ブルーセージ(?) コリウスこうしてみると思いの他花数が多い。今年は朝顔、ポーチュラカ、ペチュニア、カンナ、名前を忘れた紫の花が美しく咲いてくれた。夏の花は水遣りを忘れるとすぐ半死状態になるので留守中何度か危機に見舞われた。最も値段が高く優雅に咲いていたサンパラソルを殺してしまったのが悔やまれる。昨年捨ててあったカンナをウォーキング中に拾って植えたのが見事な黄色い花を咲かせてくれて嬉しい。
2012年08月12日
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以前からナッツ類や種実類が大好きで、よく食べていたのだが、ここのところお盆で登山の予定も入れてないので、ひとつ自家製ミューズリーを創ってみようと思い立った。思い立ったが吉日、好きな材料を早速買ってきて調合(?)した。材料と分量は以下の通り。 カボチャの種 50g ひまわりの種 50g くこの実 30g 松の実 28g アーモンド 120g レーズン 80g オーツ麦 100gこれらをすべてミックスして出来上がり。自家製と言ってもミックスしただけ!! ミューズリー完成総重量458グラム総カロリー2218kCalで1グラム約5Kカロリー。1日に30g食べるとして150kカロリーである。どの材料も食物繊維と脂質が多く、カルシウム、鉄、ビタミン類も豊富である。高カロリーなのでおいしくてついつい食べ過ぎる私は要注意。クライミング時の行動食にぴったりである。
2012年08月11日
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今日は久し振りにルミックスさんとランチした。ルミックスさんは51歳から2年間同じ職場で働いた親友である。職種は少し異なるのだが、とても気があって彼女と話していると自分もまっとうな人間になってくる。近況報告とエベレスト遠征で話が盛り上がり、とても楽しかった。帰りに大きな大きなスイカ、オクラ、カラーピーマンをもらった。すべてご主人が育てて収穫した野菜たちである。昨年もいただいてとてもおいしかったので、有り難く頂戴した。 スイカは直径28センチ、長さ34センチもある巨大なものでショイカーゴでは2500円位の高値がついていたと記憶している。何だか申し訳ない気がしたが 自分で買うことはないのでとても嬉しかった。よ~く冷やして食べよう。
2012年08月10日
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今朝、フェンスの前に置いてあるプランターを水遣りしていたら、ゴーヤの実がなっているのを見つけた。今年はゴーヤを植えなかったのでこのゴーヤは昨年の種が落ちたのが実生で成長したものである。それも朝顔と朝顔の間に芽を出したので、初めのうちは朝顔の勢力に負けていた。しかし最近は朝顔も多少勢力が衰え、代わりにゴーヤがぐんぐんつるをのばし黄色い花を付けていたのだった。でも昨年の種だからよもや実がなることはないだろうと思っていたら実がなっている。小さいながらも3個もだ。けなげな植物だ、というよりやはりゴーヤは強い。
2012年08月09日
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日光白根山(2578m)の登山でシャレー丸沼に宿泊し、座禅温泉に入った。この座禅という名前は近くに座禅山という山があるので、そこから来ているのだろう。お湯の色が全く自然そのものでお湯質がおだやかで肌さわりもやさしく、とてもいい温泉だった。大きな岩風呂の露天風呂と、こじんまりとした石風呂の内湯があり、お湯は透明で少し熱め。 露天風呂は空に向かって広がっており、岩と岩の向こうに楓と白樺の木が風にそよいでいるのが殊の外、気持ちよく爽快だった。さらに白根山ロープウエイの山頂駅(2000m)には天空の足湯があった。広々とした開放的な場所に鳥が羽ばたくような形の足湯に勢の皆さんが足を浸して寛いでいた。 2000mの高さから上州の名山を見ながら足湯ができ、最高だろう。でもこんな高所に温泉を引いてくるのは大変だったろうな。
2012年08月08日
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8月6日から7日にかけて山友のエーデルワイスさんと日光白根山に出かけた。いざ出かけてみるとこの方面はものすごくバスの便が悪く、1日目は宿に着いただけだった。2日目は天気も回復し、朝いちのロープウエイ(と言っても8時!!)に乗って2000m地点まで高度を稼ぎ、その後は二人でゆったりのんびりいろいろな話をしながら登った。日光白根山までは2時間弱、あいにくのガスっていて山頂からはあまり展望がきなかった。 一瞬見えた日光白根山(奥白根山)の全景その後は五色沼めざして下った。時々男体山や中禅寺湖が見えた。山の斜面は一面の丸葉岳蕗のオレンジ色の花で摘め尽くされていた。駒草やふうろ草、車百合も少し咲いていた。 下りきった五色沼は緑色の水をたたえ、湖面からの風が吹き渡って涼しかった。さらに周回コースを歩いて元のロープウエイ駅に出たのだった。花も終わっているし、ガスが湧くことが多くて展望もいまいちだったが、のんびりと友との親交を深めた山旅になった。 丸葉岳蕗の大群落 駒草
2012年08月07日
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今日、新しく入ったジムに始めてスイミングに行った。正直言って前のジムとあまりに違いすぎてがっかりした。更衣室が狭くて中学校の脱衣場みたい。エアコンはもちろん扇風機もついてないので汗だく。でもまあ我慢できた。問題はプールから上がって来た時だ。シャワーがオープンで4個しかない。前の個室シャワーとは大違い。どこからも丸見えなので髪を洗ったり丸裸になって体を洗うことは不可能だ。戸惑いつつもお湯を浴びて更衣室へ。水着の脱水機も無いのでびちょびちょの水着をバッグにいれたままだ。塩素で干涸らびた顔のケアもできないまま早々に退散。真夏の太陽が直に照りつけて顔が痛い。散々だった。これは鈴木大地さんが通っていた何十年前と全く同じ施設設備のような気がした。やはり料金が安いだけのことはある。今日の唯一の成果は、生でシンクロナイズドスイミングの練習を見れたことだろう。みんな鍛えた体で美しかったが、コーチは怖そうだった。私と言えば、久し振りのスイミングで水が重くすぐ疲れてしまった。仕方がない。またまたやり直しだ。
2012年08月06日
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新しい娘宅は両国駅から少し歩いた新大橋にある。1泊した翌朝、いつもの習慣で早朝目がさめてしまい、知らない町を歩いてみようとウォーキングに出発した。マンションを出てまっすぐ歩くと土手らしいものが見え、犬を連れた女性が歩いていく。その人について歩くと隅田川テラス入り口という指示板があり、隅田川のほとりにでた。なみなみと水をたたえた隅田川が流れている。すっかり嬉しくなり整備されたテラスを歩く。何となくどこかで見たような風景だなあと思っていたら、確かにそうだ、この辺りは東野圭吾原作の映画「容疑者Xの献身」の舞台だった。路上生活者が住み着いているこのテラスを容疑者の堤 真一とガリレオの福山雅治が歩いている場面を想い出した。しばらく行くと新大橋が見え、そこを渡る。途中に大きな銅板画があり、思わずしっかり見る。古い絵柄で雨の中、橋を渡る人達がねずみ色に描かれている。これが後で知った歌川広重の錦絵(の複製)である。 隅田川テラス 東詰公園内にある旧新大橋の橋柱 隅田川にかかる現在の新大橋(施工 石川島播磨重工業)この新大橋が架橋されたのは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)である。隅田川3番目の橋で、「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている 驚くことに当時、この橋東岸の深川に住んでいた松尾芭蕉は橋が完成していく様子を句に詠んでいる。 「初雪やかけかかりたる橋の上」 「ありがたやいただいて踏むはしの霜」さらに歌川広重がその最晩年に描いた名所江戸百景の中に、新大橋は「大はしあたけの夕立」として登場する。ゴッホが特に影響を受けたとされるこの絵は、日本橋側から対岸を望んだ構図である。 歌川広重の錦絵とゴッホの模写その後何度も掛け替えが行われ、現在の橋は昭和52年(1977年)に建てられたものだという。こんな歴史があるとも文学、美術にその姿が登場してくるとも知らず、ただ大きい橋だなあ、配色がださいなあ、デザインもシンプルすぎるなあとぼんやり渡っていた無知な私だった。橋の深川側には芭蕉記念館がその屋根を見せている。さすがお江戸はどこも史跡だらけだと実感した。
2012年08月05日
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娘の復職に合わせて孫の葵ちゃんは7月から近くの保育所に入所し、馴らし保育を行っている。今日土曜日には保育所の好意で夏祭りがあった。可愛いじんべえを着て夏祭りに出かけた。小さな民間保育所だが、あれこれ工夫されて夏祭りらしい雰囲気になっていた。魚釣りやヨーヨー吊り、ボーリングなど遊べるゲームが可愛く作られていて、小さいながらも参加させてもらった。魚釣りがなかなかできず、結局は海の中で魚を下にして座っているのがおかしかった。園長先生や保育士さんとも2度目で少し「おばあちゃん」として顔なじみになれたのがよかった。
2012年08月04日
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孫の葵の顔を見に娘の家に泊まりがけで出かけた。やっとハイハイができるようになり、以前のまるまるムチムチのハム状のボディが少し引き締まってスリムになっていた。顔は益々父親似になっている。ケイタイやデジカメが好きでそれを見つけると、手に入れるまでハイハイして前進する。手に入れると口に入れるのがおかしい。 夕方、日が落ちてから近くの浜町公園に散歩に行った。たくさんの幼児が集まって母子で遊んでいた。ブランコが空いていて、乗せて揺すった。とってもうれしそうな表情になって、笑顔がはち切れた。子どもの嬉しそうな姿をみるとこちらも嬉しくなる。
2012年08月03日
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2,3日前からkazunokoさんのことが頭に浮かんでいた。バリバリの現役キャリアウーマンの彼女と夏になったら会いましょうと言いつつ、具体的な日時は決まってなかったのだ。そろそろメールでもしてみようかなと気にしていたら、今日、朝いちで彼女からメールが入り、本日早速会ってパスタ屋で近況報告をしあった。一方で下の娘のことも頭に浮かんでいたところ、午後メールがあってこれまた夕方会うことができ、カレーをご馳走になった。最近このようなことが起こる。先日小海線でKさんと再会する前にも彼女のことが頭に浮かんでいた。予感とか予知に近いようなものだが、それは意図しても現実化するものではない。玄米菜食、かつ断食に近いストイックな粗食でヨガのような修行をすれば予知能力が高まるようだが、このところ食欲旺盛だし肉類も食べてるから逆の食生活になっている。ヨガよりも菊池体操に凝っていて瞑想や呼吸法もしていない。自分自身には心当たりがないけど、偶然にしては回数が多いので興味深い。
2012年08月02日
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昨年からグリーンスムージーにはまっている。以前はリンゴ・人参ジュースなど野菜ジュースを作って飲んでいたのだが、後片付けに手間暇がかかるのと繊維質は捨ててしまうのでもったいない気がしていた。ある時、ミキサーでやってみたらドロドロで濃いけど、おいしく飲めたので以後スムージーに切り換えた。夫も「自分も飲みたい」と言うので最近は毎朝二人で飲んでいる。今朝のグリーンスムージーはツルムラサキ、パセリ、青シソ、リンゴに豆乳、レモン酢、ジャスミンティを加えたメニューである。冷蔵庫にある材料で分量などは適当である。必ず入れる材料はリンゴと豆乳とレモン酢である。おいしいくて止められない。材料の都合によってトマト、ブルーベリーをメインにしたピンクスムージーになることもある。これはグリーンよりもっとおいしい。朝、ウォーキングや筋トレやヨガをした後、スムージーを飲むと心身ともに蘇り、最高である。
2012年08月01日
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