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親友のAさんが茨木に栗拾いに行ったとかでお土産に栗をもらった。三分の二を茹で、残りは栗ご飯用に残しておいた。茹で上がったのを早速食べてみると、ほくほくしてとってもおいしかった。季節の味だ。娘にも持っていってあげよう。 もらった栗 茹でたてで湯気で曇ってしまいました
2012年09月30日
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10月3日やっとクライミングジムに行った。先月、転戦の転戦でパンプ2に行ったら全く昇れなくて超悲惨、これは酷すぎる、地道にやらなきゃ!と密かに決心していたのだった。しかしその後すぐにカナダで遊び、おいしい食事を毎日3食食べ、運動は超軽くでまたまた体重増という状態だった。ビレーヤー無しの一人でクライミングするとなると結局自動ビレー機のあるジムまででかけなければならないから、遠路西国分寺のランナウトまで行った。計算してみるとほぼ10ヶ月ぶりだった。そこで1年ぶりにiceさんと再会。彼はとても元気そうで難しいルートをリードしているのだった。平日の午後で天気も思わしくないせいか、ジムは空いていた。一人で黙々とショートルートの最も易しいルートから昇った。1ルート2回ずつ昇って下りはクライムダウンし、壁に慣れ、ホールドに慣れ、体にムーブを思い出させた。ショートルートで30分、6本ほど登り降りして体を慣らし、次に垂直ルート、次にゆるくかぶった傾斜のルートと少しずつ難度をあげた。とにかく動きがスムーズにできず、ホールドが遠く、脇や腕が伸びにくく、体側が緊張した。自業自得を言い聞かせ、練習した。2時間半ほどしていたら体が少しクライミングを思いだし、最初よりは動きがスムーズになりムーブを思いだした。しばらく週1回は練習しなきゃと決心した。 ランナウトのウォール
2012年09月29日
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9月23日、自動車で約1時間走って、いよいよアルゴンキン州立公園ヘ入る。ウエストゲートからイーストゲートへ道路がほぼ一直線に走っていて両側はメープルの紅葉が広がる。いわゆるメープル街道である。今日の天気はそこそこだが、メインの明日が雨模様ということで、急遽ルート変更して、今日、BOOTHS ROCk という約5.1キロのここでは高難度(?)とされる岩と展望のよいルートに行くことになった。 公園の入り口で カナダは英・仏二カ国語が公用語なので常に二カ国語表示緩やかな登り下りをこれまたのんびりハイキングした。行く先々で自然の地形や動植物との関わりを日本人でカナダ在住の現地ガイドがまるで理科の校外学習のように詳細にレクチャーしてくれる。全く学ぶ気の無い私は一番最後からのろのろ歩いていった。 現地ガイドの熱心な説明ガイドの説明によるとアルゴンキンはかって無限の木材供給地だった。今、歩いている場所に鉄道のレールが走って材木を運び、このルートの名前になっているブースという人は巨万の富を得た。しかし材木を切り尽くしてしまったあとに残ったのは楓がほとんどだったという。楓は主に三種類あって砂糖かえで(シュガーメープル)いたや楓(レッドメープル)瓜肌楓(ストライプメープル)である。その三種類の特長をあれこれ説明した後、ガイドは一人一人に「これは何メープル?」と質問してくるので、本当に林間学校のようだった。私はそんな学習など無視して自由に心を遊ばせながら景色を楽しんでいた。癒しの旅に来てるんだもの、勉強なんかしないよ! 砂糖楓は高木で縦に伸びている。瓜肌楓は小さくて余り高木にはならない。砂糖楓の勢力が強いらしい。色が鮮明なのはいたや楓である。黄緑色から赤に色変わりする時のグラデーションが殊の外美しく、日本では見られない色彩だった。 このルートを楽しんだ後、いったん今夜の宿舎キラニーロッジに入り、もっと歩きたいという人が多かったので次は2.1キロのROOK OUT に出掛けた。ショートルートだったが展望が素晴らしくアルゴンキン実感できた。 目印の青いマーク 生まれた年が私の下の娘と同じという素敵なツアーリーダーさんルートには青色のCDのようなマークがつけられていて迷う心配は無かった。最高気温17度、最低気温3度に風も少々あって、とっても寒くてダウンにニット帽、手袋、ネックウオーマーというスタイルで一日過ごした。
2012年09月28日
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カナダから帰国して2,3日後、冷蔵庫の野菜室の下のほうに何か箱があるのを見つけた。見慣れないので?と思って出してみると岳友Mさんから大分のカボスを送って頂いていたのだった。息子も夫も何も言わないので気がつくのが遅れてしまった。でもカボスは長持ちするので大丈夫だ。さっそく開けてみた。完璧なばかりのまん丸い緑色、みなぎっている中身が予測できる。高級食材である。有り難い。これで今年の秋から冬の自然の酸味が確保できた。 大分のカボスサンマに搾ってかける、鍋物、サラダ、スムージーとあれこれメニューを考えて楽しくなった。
2012年09月27日
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カナダに出発する前日、久し振りにゴボウ茶を仕込んだ。と言ってもゴボウを千切りにして天日に干すというだけだ。暑い日だったのでそこそこ乾燥したが、まだ七分目というところだった。カナダで遊んでいる間にも乾かそうと思い、日がよく当たる出窓にゴボウを置いて出発した。一週間後帰国してみると、完璧に乾燥していた。早速、鍋でから煎りして最後の仕上げをした。今年のゴボウ茶の完成である。以後ゴボウ茶を愛飲している。 千切りにしたゴボウ 乾燥中
2012年09月26日
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台風17号が関東地方を通りぬけるというので滅多になく、鉢植えを玄関に取り込み、懐中電灯を確認し、一応対策をして眠った。思ったほど酷くなくて安堵の胸をなで下ろした。ところが翌朝、庭に出てみると見慣れない半畳ほどのビニール様透明板が吹き飛んで来ている。これは一体何なんだ?どこから来たんだ?不審に思いつつ、何気なく上を見上げた。駐車場の天井というかカバーというかそれが1枚外れている。それが庭に落下していたのだ。 がっくり!!、隙間からは台風一過の真っ青な空が突き抜けている。これをどうやって修理復元したらいいものか思案中である
2012年09月25日
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9月23日、ナイアガラ・オン・ザ・レイクの美しい街を散策後、花時計や渦潮を見たりしながら前半のハイライト・ナイアガラ・フォールズへ。 花時計 ナイアガラの滝はアメリカとカナダの国境に位置し、滝もアメリカ滝とカナダ滝の二つがある。大きいのはカナダ滝で馬蹄形をしていて水量もすごい。滝に近づくと当然のことながらしぶきが激しく体にかかるのでブルーのカッパを着、霧の乙女号に乗船し、滝に接近していく。 アメリカ滝が見えてきた 一直線で下部は岩が露出している 更に奥まで船は移動し、馬蹄形のカナダ滝が現れる。しぶきが一層かかる。 巨大なカナダ滝が大迫力で迫ってくる 水しぶきの中、滝壺に果敢に接近する「霧の乙女」号 上から間近に見るカナダ滝の水、吸い込まれそうで怖い 展望台で滝を見る人々 カナダ国旗がひるがえる滝の巨大な流れが目の前に見える場所でランチ。その後は車でハンツビルまで長距離を移動して本日の旅程は終了。
2012年09月24日
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9月22日、朝、ナイアガラ・オン・ザ・レイクの街を散策した。これが予想以上、期待以上に素晴らしく美しい街だったのには感動した。街中、花が生き生きと咲き乱れ、誰がこのガーデニングプランナーなのだろう、配色、高低差など実に見事だった。花や樹木は日本で見るとほとんど同じなのだが、全般に大型で色が鮮明で見栄えがする。 目についた花は様々な花形のカンナ(日本よりはるかに背が高い)コリウス(これも色が鮮やかで多種類あり大型で見栄えがする)ベゴニア(これがベゴニア?と思わせる華麗な発色!)で本当に美しく心が癒された。いつまでもこの風景の中でぼんやり過ごしたい気分だった。
2012年09月23日
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9月21日成田で初めて顔を合わせる参加者9名と落ち合い、17:20分、エアカナダ直行便で出発。日付変更線を超え、同日午後16:10トロント着。 エア・カナダの食事はイマイチそのまま自動車に乗り換え、カナダ有数のワインの産地、開拓時代の面影を残すナイアガラ・オン・ザ・レイクの街に到着した。日本との時差は-13時間、11時間余に及ぶフライトと車移動を合わせてもまだ出発日と同じ日付だった。ホテルに着く前にもうワイナリーに寄って名物アイスワインの試飲をしたらすごく濃縮された甘味、おいしくてついつい小さいのを1本買ってしまった。 アイスワインの試飲 アイスワイン ヴィダル(白)今夜の宿は缶詰め工場を改築したPILLAR AND POST(ピラーアンドポスト)ホテルで部屋に行くまでが巨大迷路のようだったが、煉瓦の壁がクラシック、こじんまりしてとても素敵だった。 花で飾られた美しいエントランス 煉瓦の壁とナチュラルカラーで統一されたシックなダイニングルーム 古いピアノがあった到着した現地時間が既に遅く、夕食は8:30から。コース料理なのでゆうに2時間を要し、寝たのは12時頃だった。急激な環境の変化に頭が追いつかなかった。
2012年09月22日
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いつまでも暑い9月の中であれこれ頑張ってきましたが、今日から1週間ほどカナダへ癒しの旅に出掛けます。一度は観たいと思っていたアルゴンキンの錦秋の紅葉を観ながらトレッキングを楽しみ、ナイアガラフォールにも行きます。残暑の中でお仕事をされている皆様、いつも遊ぶ話ばかりで恐縮ですが、一生懸命遊んできますね。
2012年09月21日
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8月末に実家に帰省して田畑・山林・家屋敷を不動産屋に依頼してきたが、それがインターネットで紹介されている。さすがはその道のプロ、とても素晴らしく実家の画像を載せているのですっかり嬉しくなってしまった。四国は西予市の山あいの村で遠いですが、どなたか古民家いかがですか。具体的にはこちら。 屋根瓦は伝統特産品の菊間瓦を葺いていて遠目にも美しい 紅殻格子の軒先 荒削りの巨大な木材を釘を使わず組み立てている家の骨組み 昔ながらの作り付け建具 いやあ、こうして見ると実家ながら惚れ惚れしました。どなたかいかがでしょうか?
2012年09月20日
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渋谷の文化村ル・シネマで「バレエに生きる~パリ・オペラ座のふたり~」という映画を見た。パリオペラ座で1951年から振付師として活躍し、ロマンティック・バレエの復活に多大な貢献を果たしたピエール・ラコットと、かつてのエトワールでもあり、引退後も後進の育成を続けるギレーヌ・テスマー夫婦のバレエと共に生きた人生の記録である。バレエは好きなのですぐ観に行ったが、冗長でメリハリに欠け、ドキュメンタリーでもなくドラマでもなく、イマイチだった。バレエと言われれば何でもすぐ飛びつく自分が浅はかなのだ。ただ古典作品中心に沢山の名作バレエが上演され、古びたフィルムの中でルドルフ・ヌレエフが踊り、今をときめくマチュー・ガニオが跳躍する姿を見ることができて少しは楽しめた。
2012年09月19日
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9月16日から17日の二日間は八ヶ岳大同心雲表ルートを登攀するはずだった。このルートは8月に行ったのに天気が悪くて昇れなかったのでそのリベンジである。しかし今回も天気が悪く、小川山の廣瀬ダイレクトのマルチに転戦。小川山山麓に一泊した。しかし17日朝方雨が降り、またしても岩が濡れてクライミングは難しい状況になり、川崎の室内ジムのパンプ2に転戦した。私は1月末からジムでクライミングをしていなかったので全く昇れなかった。自業自得ではあるが、これほどまでに技量が落ちていることを突き付けられると惨めだった。同行のMさんの軽やかなムーブを見ながら自分を甘やかしてきたことを痛感した。
2012年09月18日
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フェルメールの重要かつ人気ある二つの作品が来日していて、どちらも今日17日で展示が終了する。東京都美術館では【特別展】リニューアルオープン記念「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」が6月から「真珠の耳飾りの少女」を公開。 真珠の耳飾りの少女 真珠の首飾りの少女一方国立西洋美術館ではベルリン国立美術館展「学べるヨーロッパ美術の400年」が「首飾りの少女」を公開している。 私は9月5日に耳飾りの少女を、9月8日に首飾りの少女を見にいった。どちらも大混雑、特に耳飾りの方はチケットを買う段階から延々と並び、入場に50分、以後自由に移動できない混雑の中であれこれ名作を見、やっと耳飾りの少女に対面した。最前列で少女を凝視しながらも「止まらないで下さい」という係員の声に従わざるを得ない。幸いにも二列目でゆっくり味わって見ることができた。青いターバンと大きな瞳が印象的でとても魅力的だった。学べルリンも混雑していたが待ち時間なしで入場できた。しかし日本の真面目に学ぶ人たちで1作1作混んでいて自由に進めず、やはり少女の前では黒山の人だかり、しかしきちんと見れた。人物が小さいし、横向きだし、主役は少女というより光だと思った。とても疲れた。しかし長年本物を見たいと思っていた作品をたくさん見ることができ、満足した。このところ私はやたらとアートづいている。タイトルの山への情熱・音楽への愛を 々 アートへの愛 にしたほうが内容とあってると突っ込まれそうである。
2012年09月17日
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9月14日は孫の葵ちゃんの1歳の誕生日だった。娘夫婦のイベントパターンはまず写真撮影である。今回もまず写真館へ直行。主役の葵ちゃんはご機嫌斜め。カメラマンがいろいろ笑わせる方策を駆使したものの表情はイマイチ。一升餅を背中に背負って撮影するのがなかなか大変だった。さらに撮影と写真の選択にかなりの時間を費やしてやっと娘宅へ帰る。私だって疲れて足指が腫れたんだから葵が疲れるのは当然だ。 わたち、タッチできるようになったのよ次は誕生パーティ。娘と娘婿がそれぞれ1品づつ作った料理を頂き、葵の誕生時からの成長の記録をビデオで見、大人はケーキを食べ、主役は離乳食を食べた。 本人は全く食べられないが バースデーケーキに一升餅1歳でこんなに生長を祝ってもらうなんて何て幸せな子なんだろう。願わくは健やかでたくましく心の美しい女の子になりますように。
2012年09月16日
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9月12日4時起床5時出発。昨日の雨もあがり、天気は上々、心軽く涸沢方面を歩く。岩小屋あとまえで渡渉ポイントへ横断。昨日の雨で増水を懸念したが思ったほどではなかった。しかし岩と岩を結んで飛び移れる状態ではないので、ネオプレーンの沢靴下に履き替えて渡った。対岸からは急なガレ道をT4尾根の取り付きまで登る。ここのガレ場は岩が固いので助かった。1ルンゼをつめる。次第に傾斜がきつくなりガラガラのルンゼから右に踏み後をたどり、上部はほとんど岩を攀じ登ってT4尾根の取り付きに到着した。屏風岩は前穂高岳北尾根の末端に位置し、横尾から垂直にそびえ立ち、幅1000m標高差600m。穂高連峰で最大のスケールを誇る。中でも最も急峻な東壁の初登ルートである雲稜ルートはフリーが多く、硬い岩と高度感満点の穂高を代表する好ルート、T4尾根まで4ピッチ、T4尾根から上部6ピッチ、そのうち人工登攀が1ピッチ含まれている。 いざ、雲稜へ それにしてもこの体格差!T4尾根は4級の岩場。ここから登攀開始する。ブッシュ帯含め4P。1P目、2P目の凹角、3P目は草つき帯で100m程登るとT4直下の露岩チムニー下へ出、ここを超えてT4尾根に着いた。ちょっとしたマルチである。テラスでエネルギーを補充し、いよいよここからが勝負・本番である。第1ピッチは50mのディエドール。直上する大凹角。一昨年楽しんだシャモニーは赤い針峰群・フリゾン・ロッシュメモリアルルートの縮小版に思えた。開脚し足をつっぱりステミングで昇った。上部に行く程傾斜が増し、最後はかぶり気味となりちいさな私は圧迫された。長かった。 50mの大凹角2P目40mは右上の小ピナクルを越えてテラスから少し右へトラバース。右に一歩出て細かいフェースを登る。さらに上のピナクルへ右上し階段状草付きを左上し扇岩テラスへ。3P目、ここが雲稜ルート核心部。フリーで5.11+のルート。垂直の壁にリングボルトが連打され、色あせたスリングがいくつも目に入る。昨夜夢に出てきた人工登攀部分である。4年ほど前に瑞牆山の大ヤスリ岩であぶみを落として以来、人工登攀はトラウマになっている。しかしそんなこと言ってる場合ではない。ここが超えられなければ敗退である。そんなことには絶対なりたくない。 第3ピッチ、アブミの掛け替えしかし案ずるより生むが易し。頭はアブミを忘れていたが、体が覚えていてくれた。落ち着いて一つ一つ手順を確認し、じっくり尺取り虫のように上に昇った。岩には下向きで抜けそうなボルトやリング、風雪に晒されて色あせ、切れそうなスリングばかりだった。その下向きのボルトにあぶみを掛け自分の体重を乗せる時はさすがに不安だったが、行くしかない!!足も手もどこもかしこも遠く、アブミの最上段まで足を入れなければ次のリングに手が届かない。真剣勝負だった。そうして遂に第3Pを乗り越えた。やったぁ!!しかし喜ぶのはまだ早い。次の4Pも出だしがお助けスリングをかけてもめちゃくちゃ遠く、もう何でもありの心境になって持てる物は何でも持った。だか剥がれ落ちそうなフレークが左上にあり、昨日のフレーク落下で懲りていた私は手を掛けるホールドに細心の注意を払って昇った。更に「慎重なトラバース」とガイドブックに必ず書かれているハング下のトラバースだが私はここは平気で難なく通過。 目がまわりそうな高度感だった。私は高い所はけっこう平気なのだが、さすがに自分が立っている岩の下が切れ落ちて見えず、遙か下の樹林帯しか見えないというのは宙に浮いてるような気がして、珍しく下を余裕をもって見れなかった。 5P~6Pは東壁ルンゼに入り草付きのフェースを直上する。最終ピッチのスラブには水がしみ出して濡れていて滑りそうだったが何とか乗り越えて終了点へ到着した。反対側の常念の山並みがのびやかに広がって、至福の一瞬を迎えた。 のびやかな常念・蝶が岳の稜線休む暇無くすぐに懸垂下降する。ほぼ50mの懸垂下降を5回繰り返しT4へ降り立った。更に取り付きまで4回都合9回ほど懸垂下降を繰り返した。時間との勝負なので素早い行動を求められるが私はとろくて自己嫌悪になった。取り付きに降り立った時は安堵した。やっと地面に立てた。岩もいいが地面は安定感がいい。達成感に満たされながら再びガレ場を下り、渡渉し、遂に横尾山荘に到着した。そこでザックを整理し、トレッキング体制になって、上高地まで下山。足親指がじくじくとうずいている。平日午後4時30分過ぎの上高地は閑散としていた。穂高連峰にはガスがたなびいてのどかだった。3日間の山旅が無事終了した。これで穂高三大岩壁の滝谷(ドーム中央稜)、奥又白(前穂四峰正面壁北条・新村ルート)、屏風(右岩壁・雲稜)を経験した。嬉しい。やればできる。 午後遅くの穂高連峰
2012年09月15日
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9月11日3時40分起床、4時40分出発。前穂の稜線が暗い空に見えている。天気予報は曇り・12時から雨という芳しくないものだったが、12時までには登攀は終了するだろうとと考えていたが、山間部なので心配だった。涸沢方面への道をしばらく歩き、岩小屋跡を右に見て更に登る。左手にさりげなく切れ落ちている白いガレ場の踏み後があり、そこを沢に向かって下る。沢に出たら右よりに少し登った地点が渡渉ポイント。今回のアプローチで気がかりだったのはこの渡渉だったが、ラッキーなことに水量が少なく靴を脱いでそのまま難なく渡渉できた。対岸に渡ってからがとてもいやなガラ場が延々と続いた。ガラガラと崩れるもろい石が積み重なっている。うかつに足を乗せると石と一緒に自分も落ちる状態でストレスフルなアプローチだった。最後にはブッシュも茂り、道は見えないし虫は顔の周りを飛び交うし蒸し暑いしで忍耐しかなかった。「これが私の選んだ道」と肝に命じ、心に言い聞かせる。ひどいガレを乗り切ってやっと取り付きに到着。岩が傘のようにハングしていて丁度よい。誰もいない。雲は厚い。反対側にみどりの常念岳がみえる。装備一式を身にまとい、クライミング開始。 1ピッチ目特に難しくもないが易しくもない。1ピッチ昇るとパラパラと雨が落ちる。「えっ、もう?」と思いつつ2ピッチ目を昇るとお日さまが出る。パラパラ雨、晴れの繰り返しだった。 天気の変化に一喜一憂しながら濡れ気味の岩を順調に昇った。全体的に濡れているせいもあってとても滑りやすし、浮き石が多く岩がもろい。3P目で大丈夫と思ってつかんだフレークが私の弱い力ですら剥がれてフレークごと落石!!下に人がいなかったから事なきを得たが、かなり大きなフレークだったので肝を冷やした。細心の注意が必要なことを思い知らされた。 またこんなに途中に支点がないルートはそうない気がした。小さなカムが2箇所使用されていたが、回収も頭を使わないと素直には抜けてくれなかった。こうして4ピッチまで昇った時、雨がまるで意志を持ってるかのようにしっかりと降ってきた。岩ももうかなり濡れてしまっている。スラブなのでこうなったらもう昇れない。結局登攀はここで中止。悔しいし残念だがお天気には勝てない。ここからは最近のクライミングにない悲惨さだった。雨の中で降りる懸垂下降は汚い状態になる。ロープもクライミングシューズも革手袋も何もかも濡れそぼった。4ピッチ分を懸垂下降してやっと取り付きに戻る。一息ついて雨具を上下着込んで再びあのいやな崩れるガラ場をそろそろ下り、渡渉し一般道へ戻った。雨はもう止まない。濡れねずみになって横尾山荘に着いた。まだ10時半だった。明日をどうするか決めなければならないがこの雨でファイトを奪われた。2時間ほど様子待ちする間にあの降り続いた雨は止んだ。とりあえず山荘前の丸太に濡れた物をすべて干した。ついでに自分も丸太に寝転がって日乾しした。 何もかも干したそうこうするうちにお日様が照り初め、ガスが上がって屏風岩も見えてくる。最終的に予定どおり明日は雲稜ルートに行くと言う結論になり、横尾山荘に連泊したのだった。いい経験になった。
2012年09月14日
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クライミングを始めてからずっと穂高屏風岩の登攀は憧れであった。横尾から涸沢方面に向かう途中にのしかかるような岩壁が見えてくる。それが屏風岩である。その威圧的風貌からなかなか近付けないでいたが、今、頑張って昇らないと一生昇れないような気がして決心したのだった。9月10日(月)ついにその出発の日が来た。あずさ号で松本まで行き、駅の売店で真っ赤なミニトマト「あいこ」と新鮮なリンゴを買い込んだ。沢渡でバスに乗り換えて午後2時頃上高地へ着いた。9月の平日でターミナルは空いていたし、河童橋の上にも人が少なかった。上高地→明神→徳沢といつもの通い慣れた道を歩いて4時半頃横尾山荘へ。今夜はここに宿泊する。雲がかかっていて屏風岩も前穂も見えない。 明神 徳沢横尾山荘も空いていた。ここは廊下が広く、床はぴかぴか、清潔なお風呂もよく乾く乾燥室もある。しかし食事がいまいちである。通過点の場所にあり、さまざまな人が来るためか、サービスも渋い。二段ベッド8人部屋で眠ろうとしたが、どういうわけか眠れず困った。こういう時は焦らず「眠れなくても私は昇れる」と言い聞かせて静かにしているしかない。
2012年09月13日
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かねてよりずっと足の親指周辺が痛い、歩くと足指が腫れるなどしていた。それでも山に行きたい気持ちを抑えられず、その足で八ヶ岳小同心も剱岳源治郎尾根も登っていた。登りはよいが、下りで足親指が痛むので下りで遅れてしまう。遂に決心した。8月末に整形外科に行ったら「今日は装具をつくる業者が来ている日だから足底板を作りますか」と医者に言われ、少しでもよくなるのだったら何でもする覚悟で「はい」と答えた。装具業者はとても親切で必要なことを全部手際よくしてくれた。まず素足を型どりして私だけの足底型を作る。いつも履いている靴を預ける。四国に行って居る間に作業が進行し、先日完成したマイインソールを手にした。代金は27500円、かなり高いが自分専用足形をその道のプロに依頼したのだから当然だろう。手続きすればその7割が戻ってくるとのことで早速手続きも済ませた。 素足で型どり 完成したマイインソールその後、毎日使用しているがなかなか具合がよい。既製の靴の中敷きを外してこれを敷けばどの靴にも使える。さあ、早速このインソールで屏風岩まで歩こう。
2012年09月12日
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炎天下、朝から直島を歩き回り、とどめを刺すように家プロジェクトで更にちょっとしたハイキング、地中カフェで飲み物は飲んだがろくに食べてなかったので、玄米中心のメニューを食べさせてくれる店に入った。ここも民家を改造しているので、お世辞にもしゃれた店内ではないが、それはそれ、田舎の自分の家のようだった。あいすなおセット(800縁)は私の食生活とぴったりだった。玄米、呉汁、野菜たっぷりの煮物などで普段よく食べるメニューに近かった。 玄米心食 あいすなお あいすなお セット食べながら思ったことは、家プロジェクトに登場する直島の民家より四国の実家の方が全てにおいて立派であるということだった。家全体の大きさ、太い柱の骨組み、黒光りする大黒柱の大きさなどなど。誰か有効利用してくれる人はいないものか?遊びに立ち寄った直島でこの旅の原点とつながったのが奇跡的だった。
2012年09月11日
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海辺にそった山道をシャトルバスで揺られ、農協前というバス停で降りた。ここは木村地区で家プロジェクトが展開している。家プロジェクトははしょって言えば、古民家の特性を生かしながら、それぞれのアーティストが現代作品に改築したものである。あちこちに散在しているので一通り観るのに時間と体力を要した。最も奇抜(?!)だったのは安藤忠夫建築の「南寺」、中に入るのに8人限定、中は完璧なまでの闇、手を壁に伝わせ不安に思いながらそろそろと手探りで進み、台に掛ける。そこで漆黒の闇を見つめること数分、うっすらと目の前に何かが現れてきたのだった。ジェームス・タレルの光を使った作品で地中美術館でも観た。安藤とタレルのコラボである。 南寺 角屋 角屋は民家の広間が無数の☆が輝いて目を惹いた。ここも暗闇なので水の中に☆が浮かんでいるような美しさだった。 護王神社 製塩業で栄えた石橋家石段を何十段も上り詰めた先にあった護王神社は地上から観ると特に何もない。しかし懐中電灯をつけて暗く狭い通路を歩くと地下室に降り、本殿と石室を結ぶガラスの階段を観ることができた。遠目にガラスなのか、氷(!)なのかわからないのでこっそり近寄って触ってみたら冷たくなかったのでガラスとわかった。 はいしゃ はいしゃの中に突如現れる自由の女神はいしやという作品もおもしろかった。民家の中すべてがアートになっている。しかしここはいわゆる普通のモダンアートで親しみ易かった。
2012年09月10日
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リ・ウファン美術館の次はベネッセアートサイト直島の中核、ベネッセハウスミュージアムへ行った。厳しい残暑が照りつける坂道を登るとモダンでシンプルなミュージアムが建っていた。建築はすべて安藤忠雄、直線とコンクリートと陰影が支配している。 下の坂道から見上げるベネッセハウス エントランス ベネッセハウスュージアムは3フロアーで展開し、付属して宿泊棟がある。ここの宿泊棟は世界でも珍しい美術館とホテルが合体したもので泊まってみたかったが、宿泊料が1泊最低でも35000円もするので諦めた。すべてが現代アートで固い頭脳を揉みほぐされ、刺激された。特にブルース・ナウマンの「100生きて死ね」を見た時は現代アートは描くのではなく着想だと思った。 ナウマン 100生きて死ね 一斉にすべてのネオン管が点灯した瞬間色とりどりのネオン管灯100本によって「○○ AND LIVE」「○○ AND DIE」という対のかたちで、100の言葉がある。それらの文章がひとつずつ、順序はランダムに、しかし一定の速度で一本ずつ点灯しては消え、一巡するとすべてのネオン管がいっせいに点灯する。しばらくするとすべてが消え、再び最初から一本ずつ、点灯と消灯とが繰りかえされる。始まりも終わりもあるが、これが反復して延々と続く・・・。何とも形容しがたい感覚だった。見たことのないたくさんの作品を見てけっこう疲れた。外に出て砂浜をゆっくり歩くとここにもアートが散らばっている。 大竹伸明 シップヤード ワークス 船底と穴 ニキ・ド・サンファール 「腰掛」 芝の上の強烈な色合いの奇妙な動物を見ながら、桟橋には黄色いカボチャを見、やっと家プロジェクトに行くシャトルバス停を見つけた。
2012年09月09日
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ゴーヤが豊作だった。それも昨年植えたゴーヤの種が朝顔の苗の間から芽を出し、放ったらかしにしておいたのが成長し、実をつけたのだからゴーヤは偉い!!感心した。誉めるべき植物だ。朝はグリーンスムージーにして夫と生で飲み、夜はチャンプルーにして家族3人で食べた。今年は爆発させないよう毎朝しっかり見て、早めに穫り入れた。
2012年09月08日
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地中美術館の次はすぐ近くにあるリ・ウーファン美術館(李禹煥美術館(Lee U-Fan museum)に寄った。直島の何の変哲もない野山の中に切り開かれた自然の中に作品が散在していて、美術館というより自然の一部になっている。ここは韓国に生まれ、日本を拠点として世界的に活躍するすばらしいアーティスト、李 禹煥さんの世界初の個人美術館らしい。入り口が素晴らしかった。三重の高い壁が際だって異次元空間を創っている。直線の高いコンクリートでできた日陰で狭い壁の間を歩くと何かの解説にあったけど、墓場に降りていくような雰囲気があり、安藤忠雄の世界だった。何より美しかった。 壁を出ると明るい陽光の先、緑の草原の中にオベリスクが天を突くように建っていた。独特の空間構成でしばし見とれてしまった。シンプルですごく潔い印象を受けた。 瀬戸内海の海と島々をバックに岩と鉄板の作品、誰にでもできそうだが実際にはできない。自然の中にすっかりなじみながら目立っている。そこからずっと炎天下の坂道を登るととても面白い作品が林の中にある。 リ・ウーファン 「文化大混浴 直島のためのプロジェクト」 ここは直島で最も気の流れがいい場所だそうで、岩の先の四角い物はジャグジー・バスである。複雑な形をした白い岩は中国産の高価な物で、それぞれが干支の動物の形状になっているらしいが何だかそう思えない。リ・ウーファンというアーティストの作品に初めて出会った。とても心に残った。
2012年09月07日
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直島の桟橋で草間彌生の赤いカボチャと対面した後は地中美術館を訪ねる。この美術館は安藤忠雄の設計により、瀬戸内海の美しい景観を損ねないよう建物全体が地中に埋設された珍しい美術館である。チケットセンターから正門へ歩いていく間にモネの睡蓮をイメージした睡蓮の池が広がっている。正門付近で写真を撮ろうとした外国人の女性に係員が「ノーフォト プリーズ」と叫んでいた。この入り口からすでに芸術作品なので写真禁止と安藤さんが言っているらしい。 睡蓮の池 地中美術館 正門 地中美術館全景 (航空写真による)館内にはクロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が安藤忠雄設計の建物に恒久設置されている。安藤さんの建築はシンプルで力強く、直線で構成される空間が計算しつくされたようでさすがだった。アーティストと建築家とが互いに構想をぶつけ合いながら作り上げたこの美術館は、建物全体が巨大なサイトスペシフィック・ワークといえる。 モネの作品5点が1室に展示されていて、素晴らしかった。またタレルの作品はまるで巨大空間で吹き抜けの窓からは青い空と白い雲、自然の光が入り、とてもよかった。ここは現代アートの最前線のような作品が多く、光を使った作品には驚いた。鑑賞するにも靴をぬいたり、人数制限があったりとなかなか面倒くさかった。一通り観て地中カフェに入ると、目の前は瀬戸内の海が凪いでいた。ここは若いカップルやグループが多く、熟年者は少なかった。韓国や台湾から来た若い人がめだっていた。
2012年09月06日
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高松で1泊した翌朝、始発のフェリーで直島に渡った。 直島へ行くフェリー 大きい 高松港直島は船から見ると何の変哲もない島だった。しかし、上陸した桟橋の端に草間彌生の巨大な赤カボチャが見える。私は興奮して足が腫れているのも忘れて走って観にいった。 草間彌生は水玉模様が強烈な個性を放つ作品が多いが、この赤カボチャも何もかも水玉だった。赤と黒の巨大な赤カボチャの穴の中をのぞいたら黒い穴の中にもまた水玉があって驚いた。 赤カボチャの中の水玉更にシャトルバスに乗ってベネッセハウスビーチまでくると桟橋の上に黄色い「南瓜」がある。背景は海と空。とっても風景になじんでいる。赤カボチャはエネルギィッシュでどぎつかったが、この黄色いカボチャは同じ水玉模様だけど洗練されてセンスがいい。 とても嬉しくなってこの桟橋でしばらくカボチャにもたれてぼんやりと時を過ごした。「触らないで下さい」などという規制がないのがいい。バックに瀬戸内の青い海と島々の影、空は青く雲は白く暑さで辺り一面光っていた。待望の直島に来れて至福の時だった。
2012年09月05日
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実家の様々な用事が予想以上にスムーズに進行したため、予定を早めて帰ることになった。妹と共に午後4時40分の特急で卯之町を出発、松山までは順調だった。妹と別れを惜しみ、やっと一人になって車窓から見えるのどかなミカン畑や四国山脈を見ていたら、「・・・駅と・・・駅間が大雨のため、この列車は新居浜で運転を打ち切ります。」と車内放送が入る。窓の外には雨など全く降ってないので「ウソでしょ?」という気がしていたが、新居浜に近づくにつれて窓の水滴が走るようになる。放送どおり新居浜で運転打ち切り。小さな駅舎は人で溢れ、さて、どうしたものかと思っていたら代行のバスが出るということでバスに乗り換えて伊予三島まで移動。そこからは特急が動いているという。要するにピンポイントのように大雨が降っているのだ。伊予三島で特急に乗ったはいいが、全車岡山行きだという。実は私は今夜は高松に泊まって明日は瀬戸内海に浮かぶ現代アートの聖地直島(なおしま)を訪ねる予定だったので、これは困る。結局、宇多津で快速に乗り換えて10時前にやっと高松へ到着。さあ、泊まる宿が決まってない!!予定通りいけば8時前に到着するはずだったので駅前の案内所で決めようと思っていたのに、観光関係の窓口はすべてクローズ。結局、息子にメールして駅に近いビジネスホテルを知らせてもらい、駅からすぐの「ルピナス」というビジネスホテルに投宿。いかにも田舎のおばさんという風情の熟年女性が家族的な対応をしてくれるのが気楽である。生まれて初めてビジネスホテルに泊まった。コンパクトにミニマムエッセンスの設備が整い、朝食付きで5000円。なかなか快適だった。
2012年09月04日
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美術館の次は宇和島のきさいや広場(方言で来て下さいねの意味)を訪れた。夏も最後とあって人々で賑わっていた。机の上にはコンテナに直に入れたたくさん海の幸・山の幸が溢れていて安い!!。実家で煮炊きが出来れば買いたいものが山ほどあったが、何しろガスがないので、ぐっと我慢。宇和島の文化と特産を展示している牛鬼館と真珠館に入った。子ども時代、秋になるとこの巨大な牛鬼が1軒、1軒家々を回ったものだった。子ども心にとても恐ろしい存在だった。怖がらせて悪いことはさせないというなまはげと同じ思想である。 これに似たようなものが仙台にもあるらしく、宇和島藩は伊達家の支配だったので、東北の文化が入ってきている。五鹿踊り(いつしかおどり)というのも昔よく踊られていてとても好きだったが、今では牛鬼も五鹿踊りも見る機会がない。隣の真珠館には本物の真珠がふんだんにディスプレイされていた。あこや貝から真珠ができるまでの展示パネルもあった。夫から婚約指輪として宇和島の真珠の指輪をもらったことや宇和島の病院で長男を出産した記念に真珠のネックレスを買ったことなど遠い記憶が蘇ってきた。ここの真珠は玉の大きさは特に大きくないものの、その光沢や玉のしまり具合など東京のものと比較しても遜色がない。指輪もネックレスも私の人生の節目節目にいつも役立って、私を輝かせてくれた。 すべて本物の真珠です 姪とその次女と牛鬼の前で
2012年09月03日
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不動産屋回りが効率的に進んだので、姪の車で三間町と宇和島を訪ねた。まず念願の一つ、三間町にある畔地梅太郎記念美術館を訪れた。学生時代から同じ郷里の版画家ということでとても親近感を覚え、北アルプスの燕山荘で沢山の版画作品やレリーフを見、いつか実家に帰省したときは必ず行ってみたいと密かに決意を固めていたのだった。この美術館が「道の駅三間」の中にあるというのも珍しい。 やっと本物の山男と対峙できた。素朴でぬくもりに満ち、見方によっては超モダンな作品が並んでいた。 山男 3 白い像 裏石槌 山の家族美術館のエントランスには郷里の彫刻家 藤部吉人さんの「森のさかな」という巨大かつユーモラスな石彫刻が設置してあり、楽しめた。姪は看護師をしているが、怪我で来院した無骨な男性に「ご職業はなんですか?」と聞いたら「芸術家です」とその男性が答えたのでどんな芸術家だろうと思っていたら、この藤部さんだったと言って笑っていた。確かに芸術家である。
2012年09月02日
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3年ぶりに見る故郷はあまり変わっていなかった。田んぼには黄金色の稲穂が頭を垂れ、刈り取られた稲は稲木につるされていた。心安らぐ昔からの風景だった。 民家や道のあちこちに野草や素朴な花がランダムに自生していて、強い紫外線にはっきりした色合いで咲いている。どれもこれも子ども時代になじんだ風景で潜在意識に焼き付いている。これが自分の原風景なのだろう、母の胎内にいるような安堵感を覚えた。 この薄紫の小さな花は高山で見かけるフウロによく似ているが、ゲンノショウコだろう。この植物は下痢止めに効くとかで、子ども時代にこのゲンノショウコを採りに行かされた記憶がある。
2012年09月01日
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