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ブログを読んでくださった皆様。1年間、ありがとうございました。 のんびり暮らす第二の人生は、少しお預けになってしまいました。これもまだまだ社会で 「揉まれなさい!」 と言われているのだと思っています。起こってくる出来事には、全てに意味があります。起こった時点でその意味が分からなくても、いつか分かる日が必ずやってきます。だからその時点では全部を判断しないで、ハテナマークを残しつつ、前に進むことを考えたら良いと思います。そして私たちは未完成だからこそ、助け合って生きていきたいと思っています。一人一人が波長を高めて、よりステップアップをした人生を送りたいですね。皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。
2012年12月31日
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今年を振り返ってみると、結構振り回された1年だった。心の問題も体の問題も、こういった最悪の運気の年にやってくるんだということを、骨身に沁みて感じた1年だった。人間って分かっていても、すぐに反応しない。どこか他人事のように感じてしまうところがあり、頭で分かっているぐらいでは、現実的になれないところがある。地震だって、あんなに恐ろしいものだって分かっている。だけどどこまで地震対策をしているだろうか?テレビで、地震の恐ろしさを映画で見せるという実験をしていた。参加者に、その直後の感想を聞くと、すぐにでも何らかの対策をとるという回答だった。それでスタッフが、地震対策グッズを売っているお店の、地図とパンフレットを一人一人に渡したのだが、その足でお店まで行った人は数えるほどだった。しかもそれから1週間して、買わなかった人たちの家を訪ねてその後を聞いてみると、それからでもお店に買いに行った人は、やっぱり少人数である。結局映画を見た直後は、恐ろしさを感じて地震対策をしようと思うのだが、時間がたつにつれて、その恐怖が薄れていってしまうのである。悲しいことに、頭で分かっていることと体感することとは、全く違う反応になってしまうのである。私も今年のことは分かっていたから、それから考えたら、もっと万全な準備をしておけたはずである。なのにこの有り様である。やらなければならないものを、ついつい引き伸ばしてしまう。危機感が感じられないから、すぐには動かないのだ。骨身に沁みて、ようやく動くのだから、人間って自分を甘やかす天才かもしれない。いや、私限定か~? ((+_+))
2012年12月30日
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昨日は雨で寒かったが、今日は雨で暖かくなりそうである。同じ雨なのに‥この差は何!?金沢は1度位でも雪だが、名古屋で同じ温度では雪にならない。この差も何だろうか!?北陸も愛知も同じ中部圏内なのに、北陸は雪となると、東北や北海道の仲間入りになる。太平洋側と日本海側では、全く違う季節が存在しているようだ。豪雪地帯の映像を見ると、つくづく太平洋側に生まれて良かったと思う。ただ、愛知県は湿気が多いことが嫌になるというか‥。不快指数が断然高くなるから困ったものである。夏は九州より暑く、冬は北海道より寒いという、なんとも住み辛い県である。それは暑さ対策も寒さ対策もできないからで、暑さ対策が万全では、冬の寒さを凌げないし、寒さ対策が万全では、夏の暑さを越せないからである。でも住めば都で、私はこの土地が大好きだ。ここに生まれて良かったと思っている。私たちは、時代や場所も選んで生まれてきているから、私の魂が選んだこの土地を、愛して生きていきたい。雨も、大地に恵みを運んでくれるもの。土に根をしっかり張ったグレープフルーツの木に、たっぷりの水を運んでくれるから感謝である。雨よ、美味しい果物にしてくれて有難う~。
2012年12月29日
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運気が最悪である今年のテーマは、「健康」 であった。いかに健康な心と体で生きていくか‥。今年を乗り越えれば、来年に続くしっかりとした道が出来てくる。私には守らなければならない家族が居る。自分の健康は、家族を守るための最低条件である。学生時代は毎月最低1回は、具合が悪くて学校を休んでいた。でも少なくとも今の会社に入って32年間は、病気で休んだことは一度も無い。どんなに大変な状態でも、会社には出勤してきたのだ。そう、たとえ交通事故にあった次の日でも‥。そんな私が、今は弱気になっている。調子が悪いと会社まで出勤できるだろうか?会社から家まで無事に帰れるだろうか? と弱気になってしまう。みんなに迷惑をかけるくらいなら辞めたい。元々今頃辞めているはずではないか‥、という考えが、頭をよぎってしまうのだ。でも仕事を続けることを選択したのだから、なんとしてでも、素晴らしい健康を手に入れたい。その為には、健康な体だけでなく心を手にいれなければならない。そして、いままでの考え方を変えていくことが必要なのだ。考え方は重要である。思い込みや勘違い‥、しなければならないという間違った考え。実は自分で自分を、数限りなく追い込んでいる事を知るべきである。たとえば会社に行くまでにするべき事‥、洗濯やら食事やら‥。それらだって今朝1回全部止めたとしても、誰も死にはしない。だから自分を追い詰めるな! と自分に向かって言っている。物事を臨機応変に捉えることも重要である。※※※※ ◆次回のレイキ交流(体験)会は、来年2月です ※※※※
2012年12月27日
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一時期、眠れないなぁ‥と思っていた時が有った。体調が悪かったのもあるのだが、だからってそれで眠れないのでは、悪循環が待っているだけである。目に入る光の明るさが重要である。光は体が起きることを誘発するから、少しでも暗いほうが良い。極力光を絞って寝る。私はタイマーを使っているから、時間になれば真っ暗になる。目に入らなくても、体が光を受けている状態は、睡眠時には良くないのじゃないかなぁ‥と思っている。そういえば、青い光が良くないと言っていた。携帯やスマートフォンやタブレットの光は良くない。まぁ、パソコンの液晶画面だって、実際は良くないわけだから、目の近くに持っていく光るものは、目に良くないと決まっている。眠れなくても、目を閉じるだけでも良いと思う。外部の光を遮断して、目を休めることは必要である。どうしても余計なことを考えてしまうが、それも受け流す練習だと思って、良しとすることにしている。最近、枕の下にタオルを敷いて、高さを調整してみた。ずーっと使っていると、頭の重みで枕が沈む。枕と顔の間に、無意識に手を入れている自分に気が付いて、枕が沈んで現在の自分の枕としては、高さが合っていないということに気が付いた。この調整をしたら、てき面に眠りに入れるようになった。結構侮れない‥、見直しは必要である。徐々に体が温かくなっていくと、私の体は寝ることを望んでいるんだなぁ~と思う。良い睡眠は、次の日の活力になる。すっきりとした気持ちで、一日を過ごしていきたい。
2012年12月25日
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グループホームの愛の家で、クリスマスが開かれる。餅つきもするというが、それは平日なので行くことができない。11月は父親の誕生日で、誕生祝いをしていただいた。毎月なにかと行事を開いていただけるのは有難いお話しである。誕生日会ではなくクリスマス会なので、他のご家族の方々も見えるだろうから、賑やかになるだろうと思う。といっても、私が平日出られないように、逆に日祭日に出てこられないご家族も、いらっしゃるかもしれない。秋祭りの時に来られた人たちがいらっしゃるだろうと思う。1階と2階、別々に行なうのだろうか?それはそれで、手間が倍になってしまうから大変だと思う。かといってこの寒い中、まさか外でするはずはないし‥。どういう風に開催されるのか、楽しみである。一時期クリスマスは家族で‥、という時期も有ったが、今はどうなんだろうか? 友達や恋人と一緒という人のほうが多いのだろうか?グループホームのように、大勢の人たちという単位も面白いと思う。何十人という単位でクリスマスを祝ったことなど無いから、物珍しさも手伝って、結構待ち遠しい気持ちでいる。きっと飾り付けも沢山するんだろうなぁ~。飾り付けなんて、いつ行ったのだろうか? 覚えていない。はるか遠い昔の話しである。童心に戻って楽しんでみようと思う。
2012年12月23日
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昔、私に向かって突然怒り出した人がいて、びっくりしたことがある。話しの前後に怒り出す要因が無く、普通に談笑していただけなのだ。その時、怒った相手が怒っている自分に一番驚いたのだから、一見すると本当に不可解な出来事だった。だから相手が慌てて謝ったわけだが、自分の感情が分からなかったと言う。本人に分からないことは、私に分かるわけがないはずなのだが、何となく理解できてしまった。私に問題が有るから怒ったわけだが、その時の私でなく、随分昔の私に問題が有ったのだ。昔の記憶が突然蘇った結果だと思う。記憶は良いことも悪いことも、無意識が保存してしまう。無意識はより好みをして、保存か否かを選択してはいない。余すところなく全てを自動的に保存しているのだ。だから本人も忘れてしまっている記憶が、無意識の中にはきちんと保存されているのだ。それが何かの折りに、表面にまで噴出してしまうわけである。例えばよく遅刻してくる人がいて、遅刻を良く思わない人がいると、その人は遅刻してくる人に対して、余り良い感情を持っていない。そういう前提が有ると、遅刻してくる人と楽しい話しをしていても、突然怒りの感情が湧き出して、話しの内容に関係無く怒り出してしまう。無意識の領域で腹を立てている場所に、アクセスしてしまったのである。結局これは、感情に蓋をしておいても、蓋の中には感情が存在するということである。全ての記憶を拾う私たち。無意識がさせてはいるのだが、感情の処理を間違えないで、保存しておきたいものである。
2012年12月22日
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プレゼンの順番はくじ引きで決めたのだが、私は最初に引いたにも関わらず、2番目になってしまった。でも今考えたら、早く済んで良かったと思う。他の人のプレゼンを、しっかりと聴くことができたからだ。これが最後のほうだったら、仲間のプレゼンが耳に入ってきただろうか?一人一人のプレゼンに対する感想を書くことになっていたので、全くうわの空で聴くことにはならないだろうが、それでも自分の番を考えると、気もそぞろで聴いたことになる。自分が大変だったこともあるので、みんなも苦労?工夫?したと思う。羨ましいと思ったのが、人前でお話しする機会の有る人が多いことだ。経営者、先生、人事関係者、等々‥。人前で話すことが多いというだけで、取りあえず度胸があるだろうし、場馴れしているだろうから、それだけでもスタートラインが私とは違う。みんな私の印象で、勝手に場馴れしていると考えているようだが、そんな機会なんて私の人生には皆無である。こうやってブログで文章を書くので、プレゼン内容のほうは多少マシなのだが、前に立って頭が真っ白になってしまえば、苦労も水の泡になってしまう。まぁ、有難いことに何とか無事話せたのだが‥。仲間の全てのプレゼンが素晴らしかったが、なかでもトリで話しをした、学校の先生のプレゼンが素晴らしかった。彼は最初に歌を歌い、私たちの興味を一瞬にして惹きつけてしまった。凄いなぁ~、 ‥全く、感心するばかりである。最後には奥様孝行の話しまで出て、素晴らしい終わり方だった。みんな拍手喝采、中々拍手が鳴り止まなかった。トリに相応しい、心温まるプレゼンだった。※※※※ ◆次回のレイキ交流(体験)会は、来年2月です ※※※※
2012年12月20日
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プレゼンも何とか上手くいって、(といっても時間はオーバーしてしまったが)とにかく無事終わることができた。もぅぅ‥、ホッとした!私にとっては、プレゼンが今年一番の課題だったので、終わって肩の荷が下りたものだから、今の気持ちは最高である。プレゼンしている最中は、喉が枯れてくるし、声が上ずってしまうしで最悪だった。話しながら、時々まだ終わらないかなぁ‥と考えていた時もあった。今は心がうきうきしている。私の心は素直なものである。NLPのプラクティショナーコースで10日間、マスターコースで10日間、合計20日間だが‥。どうだろう、過ぎてしまえば早いものである。私は来年の4月からのプラクティショナーコースを、再受講することに決めている。NLPに残る人の中では、サポート役としてこれからも携わっていく人もいるが、私はサポート役は窮屈なので再受講と決めている。再受講は、行けなかったら振替がきくから、気楽に考えて受講できる。もしかしたら将来サポート役で残るかもしれないが、再受講は安いので、いまのところお金を払って受けたほうが良いと思っている。とにかく終わったよ~、終わってしまったことが寂しくて泣いた人もいたが、私は満面の笑みである。良い形で、今年が終わりそうである。
2012年12月19日
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今日は大ピンチの日である。というのも、NLPの卒業前に通らなければならないプレゼンをする日なのだ。プレゼンって‥、私の人生には関係無かったんだよねぇ。会社の面接はどうだったかって? ‥全然面接らしい面接を受けてこなかったんだ。なんだか私って、適当にくぐり抜けてきたって感じかなぁ。人前で話しをするとかも、あまり縁が無かったし‥。NLPで、しかもマスターコースまでこなかったら、殆どするはずのない経験である。今日のことを考えるだけでドキドキしてしまう。心臓が私の体とは、別の生き物のようだ。いやいや、今からそんな気持ちでどうするのだ。まだ始まってもいないというのに‥。実はプレゼンテーションに関係する本も買って読んでみたのだ。その中に、「話し手・聴き手。主役はどっちだ?」という箇所がある。「自分が主役と思うと緊張する」‥そう、その通りだ。主役は誰かというと、聴きにきてもらっている人たちだという。自分の為に時間やお金を使ってわざわざ来る。そういう聴き手が居るから、自分もプレゼンできるわけである。主役は聴き手である。戴いた貴重な時間やお金に対して、責任を持たねばならない。少しでも良いプレゼンができるように頑張ろう。「これは私という人間が、変わることができるチャンスかも?」そう考えると、少し気持ちが落ち着く。落ち着いて、ピンチをチャンスに変えてプレゼンをしていきたい。
2012年12月16日
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昔お世話になった先生から、素敵なカードを戴いた。メッセージ付きで、先生の暖かさが伝わってくる。私とは全く違う生き方をしている先生で、とてもチャーミングで、でもどこか男らしくも有り‥。私に無いものを一杯持っている先生である。この先生と一緒に居ると、安心できるというか、構える必要もなく素直になれる自分が居る。見たくないものを沢山見てきた先生だというのに、それでも笑顔で良く笑う。子供のようなところも持ち合わせているので、なんだか放っておけないタイプなのである。今年のように色々なことが起こった年に、このタイミングで手作りカードを送ってもらえるなんて、私はなんて幸せものだろうか!まるで私の心を知っているかのようである。まぁ、実際そうかもしれない先生なのだが‥。 (^^)生まれた時から、いや生まれる前から私たちには役割が有る。けれど、その一部始終を忘れてしまってこの世にやってくる。お蔭で色々苦労することになる。この先生は、生まれる前からのことを全部覚えていて、この世に生まれてきたのではないだろうか?先生の役目を考えると、ふとそう感じることがある。知っているほうが幸せなのか、知らないほうが幸せなのか、私では判断できない。もしかしたら、どちらも苦労するのかもしれないけれど、お互いが出会って、新しい方向性が見つかるのかもしれない。なんとなくそんなことを思いつつ、カードを見つめていた。
2012年12月15日
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光は影が有ってこそ、光として存在できる。光を強く感じる時は、影も深い闇のようである。振り子の原理と一緒で、光の度合いと闇の度合いは一緒になる。周りへの影響力が強い人生を歩いていくと、光と闇とのコントラストもはっきりしていくのだ。スポットライトが当たる生き方をしていくと、ライトが消える深い影の部分が浮き上がってくる。それは栄光とどん底の人生が、表裏一体となっている人生である。平凡な人生は、一見退屈な人生のように思えるだろうが、波風のたたない穏やかで幸せな人生でもある。人間は幸せを求めて生きている。お金を得ることも、恋人を得ることも、結局は幸せでありたいから、貪欲に求めていくのである。幸せになることは、特別なことをするわけでない。毎日を感謝して生きていくだけで、幸せを得ることができるのだ。感謝することは無限にある。例えば、アグネスチャンは乳がんを克服した時から、毎日生きていることに感謝している‥、時々ではなく毎日の感謝だ。朝起きたら、「ハッピーバースデー!」 と自分に言うそうだ。毎日が誕生日、朝起きて生きていることに感謝しているのである。遠い昔、まだ学生だった頃の私。そうだ、こういう生き方をしていたのだったと思い出す。ただ単に、次の日が自分にもやってくるということだけで、幸せを感じて感謝の朝を迎えていた頃の自分を‥。社会に出て、自分にスポットライトを当てた生き方をしていくと同時にどん底を味わい、大きな波の中で本当の幸せを失っていく。目先のことで、毎日が謀殺されていく。だけど、「生きている」 そこに焦点を合わせると、そこには幸せが待っている。どうだろう‥「生きている」 と言葉にして、つぶやいてみては如何だろうか?心が幸せで広がっていかないだろうか?※※※※ ◆次回のレイキ交流(体験)会は、来年2月です ※※※※
2012年12月13日
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昨日の雪には驚いた。金沢から出張して来た人に、雪の心配をしている場合ではなかった。日曜の夜から降ったのだが、かなり水を含んだ雪だったので、全く積もらないと思っていたのだが、それでも断続的に降れば積もるわけで、昨日の朝は、底冷えのする朝になった。とはいえ、積雪量はそんなにたいしたことにはならなかったのだが、それでも朝は雪かきをして会社に出た。バスは当然のことながら遅れてくるので、いつもより早めに家を出る。それでも会社への到着は10分遅れたが、いつも30分前には会社に着いているので、遅刻になることはない。バスの乗客には変化がある。雨の場合、制服を着た学生が多くなり目に留まる。それに対し雪の場合、やはり学生が多くなるのだが、お年寄りが居なくなるのが特徴である。ここでいうお年寄りとは私が基準なので、70歳代を言うことになる。雪は転倒することに繋がるので、外出を控えることになる。お蔭でバス内は、思ったほど混むことにならなかった。私の降りるバス停になると、空席が目立っていた。いつもは空席など、殆ど皆無である。雪を見ると、本格的な冬を感じる。会社の窓から見る雪、家の居間から見る雪、同じ雪でも見る場所によって、違う顔をするから不思議である。私は昨日から夏布団から冬布団にチェンジした。「えっ! 今頃?」 と思うかもしれないが、私の中にあるレイキエネルギーは強力なので、レイキを学んでから、こんなサイクルである。まぁ、私の場合はチョッと特殊だろうとは思うのだが‥。お蔭様で冬でも毛布など使わない、有難いことである。
2012年12月11日
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木を数本、シルバーの人たちに切ってもらい処分をしてもらった。すると、なんて見通しが良いんだろう~、感動ものである。すっきりし過ぎにも感じられるが、来年の夏を乗り切るためには、少しでも雑草を取る作業を減らさなければならない。家の表と裏とに、小さな庭園があれば事足りるのだから、闇雲に木が有っても面倒なだけである。このすっきり感がホッとする、シンプルが一番だ。問題はお願いした相手がシルバーなので、木を切って処分しただけということである。根っこから抜いていないので、隅に有った木は良いが、庭の真ん中に有った木は、そこを通る時に根っこに躓く恐れがあるから、ある程度掘り起こして処理しなければならない。けれど会社に行っていて、休みの日に一人でやろうとすると、とんでもなく時間と労力がかかるので、こうやってシルバーの人たちに、やってもらえるのは有難い話しである。しかもたった一日で済んでしまうのだから、夢のような出来事である。見通しの良いことといったらない。万が一侵入者がいても、見つけることができる。弟に言わせると、私を見つけるのが楽になったと言う。全く、そんなにうろうろしてはいないぞ! (ーー;)個人的に買った土地に手間がかかるので、せめて家の庭は、最小限の作業にしたいと思っている。裏の家は木が生い茂っていて、泥棒に入られた過去がある。それでも庭をすっきりさせようとしないのだから、余程植物が好きなんだろうと思う。私は少しでも危険回避をしたいし、草取りの作業から逃れたいと思っているので、こうやって木を切って貰い、庭をシンプルに作り替えている。私は、シンプルが一番だと思っている。
2012年12月09日
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色々な親子関係がある。離れていても深い縁で繋がっている親子。数年に一回会うだけでも、昨日会ったように話せる親子も居る。時間も空間も関係無く、瞬時に心が一つになる。その逆で、いつまでたっても平行線の親子も居る。毎日顔を会わせているのに、心の距離は無限大に離れている。それでも互いを親として子供として縁を持つように生まれてきた。この意味は何だろうか?この間占ったお客様は、母親とも父親とも深い縁で生まれてきていた。でも本人は機会があれば、日本さえも離れて遠くに住もうとする。だけど縁は振り子のように両親の元に引き戻す。良い悪いではないのだ、縁が有るから戻るのだ。私からすると、お釈迦様の手から離れようとする孫悟空のようである。「結局戻ることになるのに、また行こうとするの?」合理的に考える私にとって、不合理を選ぼうとするお客様は不思議である。まぁ、それが感情なのだろう。よくよく考えれば、私も辞めようとした会社に残っている。他人事ではない、私も感情を切り離せない不合理な道を歩んでいるではないか。ただ、感情で選んだとしても、その後を冷静に眺められ、対処できるなら良いと思う。全く感情だけで動いて、周りも自分も不幸になるようではいけない。充分に吟味して、今後の人生が幸せになるよう考えてほしい。自分も周りも幸せになる道を歩んで欲しいと思う。私も星の別の見方で、母親との縁が深いと出る。だけど若い頃にそう言われたとしても、きっと軽く否定したように思う。人生のどこで、縁の深さを理解できるかは分からない。私たちは親を選んで生まれてきている。親子になったということを、もう少し掘り下げて考えるべきかと思う。
2012年12月08日
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会社のパソコンは「98」を使っていたのだが、さすがにこれだけ動画が増えると、フリーズする回数が半端なく多くなった。当然製造中止の機械だから、壊れたらそれまでである。なのでバックアップは細目に行なっていた。みんなからも化石と言われながらパソコンを替えなかったのは、会社を辞めるつもりだったから、使い慣れたパソコンと、最後まで一緒に仕事をしたかったからである。というのは言い訳で、本心は新しいものにチャレンジするのが面倒だったからである。でも仕事を辞めないと決めたなら、いつ駄目になってしまうか分からないパソコンは、逆に困った状態になってしまった。これからも仕事を快適に続けるためには、早く新しいパソコンに替えたほうが良いに決まっている。そういうわけで、「98」から一気に「7」である。そうなると、慣れている機能の場所が変わっているので、探すところから始めなければならない。そんな訳で、パソコンを使い初めた時のように、最近やたら独り言が多くなった。自分のことながら、うるさい。でも、これも最初の内だけである。その内どうしてもっと早く替えなかったのかと、言い出すに違いない。というのも、大切なものはUSBで移動したのだが、その速さの違いといったら‥、雲泥の差なのである。はっ、はやい! なんという違いなのか!そこで、文庫サイズの本を買ってきた。タイトルが、【ウインドウズ7 すぐに使える便利技「ぜんぶ」!】それを見ながら新しい機能を試してみたのだが‥。これが凄い! 滅茶苦茶便利で快適なのである。自分の中の、「新しいものは大変だ」 という間違ったプログラムを、もっと早く取り外すべきだった。凝り固まった既成概念やら固定概念は取り払い、新しい概念を受け入れていくべきだと思った。※※※※ ◆次回のレイキ交流(体験)会は、来年2月です ※※※※
2012年12月06日
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10月下旬に、ストレスから下血して体調を崩し一ヶ月以上たった。久しぶりにスポーツセンターへ行ったのだが、やっぱり筋力は衰えていた。さすがに全くの振り出しに戻ったわけではないのだが、以前と同じような負荷をかけてトレーニングをしたら、すぐにバテてしまった。なのでやむなく負荷を下げて、再度挑戦である。持久力も衰えていて、時間の過ぎるのが非常に遅い。時計と睨めっこ状態である。やっぱり、「好きでないスポーツはやりたくない~」 と思ってしまった。今年は最悪の運気なので新しいことは手掛けられないが、来年の2月節分からの運気になったら、コーラスをやろうかなぁ~と思っている。コーラスも複式呼吸をして体に良いから、スポーツと一週間交代なら、イヤなスポーツも続けていけるかなぁ‥。好きでないことも、我慢して続けたらストレスになるわけで、体のために良かれと思い行なっても、良くない結果になる場合もある。だけど純粋にスポーツをすることは、やり過ぎとか無理やりとかでなければ、体のためにはなるのだから、生活のどこかに取り入れる必要は有ると思う。やっぱりバランス良く、色々手掛けるのがいいよね。「やり過ぎ」 という言葉は、私が肝に命じて避けなければならない言葉だ。「やっぱり私は、余裕の無い人生を歩んでいるなぁ‥」私に本物の豊かさを身につける日が、いつか来るのだろうか?非常に疑問である。 (-.-)
2012年12月04日
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日曜の午後、国際交流棟で関東現代レイキ交流会が開催された。関東の交流会で会う人も居るので、顔を見ると嬉しくなる。去年の交流会で、ヒーラーとして体験会を出た時、ヒーリーとしてレイキを受けてもらい、私から不思議な体験をした人も来ていた。どうやら近くのマスターから、レベル3まで受けられたようで、その報告は自分のことのように嬉しかった。50人近くの人が参加されて、会場は人数分だけの熱気ではなく、レイキのお陰で暑い位だった。土居先生の談話は国際色豊かで、世界中の現代レイキマスターの様子を知ることができる。レイキ自体、日本より諸外国のほうが受け入れられているから、活躍の場は広範囲になる。でもレイキの発祥の地は日本である。だから土居先生を歓迎する国や人たちは、数え切れない。先生の活躍は、そのまま私たちには嬉しい報告となる。そんな先生が、5日前に一番最新のスマートフォンを手に入れ、もう使いこなしていた。 本当に凄い先生だよねぇ‥。交流会は滞りなく終わり、宿泊組みと土居先生とで夕食をご一緒した。「さくら」 という9階のレストランなのだが、ここから眺める東京タワーとスカイツリーは、とても綺麗である。そういえば二泊目の夕食時に、ドーンと下から突き上げるような揺れが有って驚いた。縦揺れの地震で時間としては短かかったが、9階だから揺れを大きく感じた。震源地の千葉は震度4だというから、この辺りは震度3だろうか?やはり東京のほうが地震が多い気がする。厨房のガスが一時止まり、料理提供に待ったがかかったが、私たちは早くから注文していたので、難を逃れることができた。但し帰りはエレベーターが止まったので、9階から下まで階段だった。交流会に関しての問題点などを話し合いながら、土居先生と楽しく食事をしてお開きになった。私は新宿で飲み直しながら、23時半の夜行バスを待った。合宿に来て良かったと心から思いつつ、ビールを飲んでいた。
2012年12月01日
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