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確か‥最初はヒプノの勉強をするだけのはずだった。それがヒプノの中で取り上げるNLPの内容が、恐ろしく多くの情報量だったものだから、ヒプノの中で勉強しただけでは不足で、消化不良をおこしてしまった。それで改めてNLPの勉強に行ったわけである。そして今度はNLPの中のコーチングの勉強が問題となった。頭の回転の悪い私ではすぐに身につかないものだから、結局コーチングの勉強に行くことにしたわけである。ヒプノの勉強で終わるはずだったのに‥、何故か連鎖を生んでいる。しかもコーチングの基礎は分かっているから、もういいや~と思い、10月からの実践を申し込んだ。ところが途中からでも入れるシステムのようなので、それじゃぁ、最後の基礎2回だけ出てみようかと思い、基礎を2回だけ申し込んだ。今年の夏の暑さに閉口して、中々行動に移せないでいたのだが、9月になって、多少暑さが和らいだものだから、ようやく動く気になった状態だ。それが基礎を教える先生との出会いとなった。授業が始まった最初は、知っていることのほうが多かったものだから、やっぱり実践申し込んで良かったと思ったのだが‥。家に帰る頃には、この先生と縁を持ちたいと思ったのだ。なにせカルチャーセンターなどで、授業後お茶する時間をもうけて、色々な話しを伺えるような先生に、私は出会ったことがなかったのだ。先生に「実践は教えないのですか?」と聞いたのだが、このカルチャーセンターでは、基礎だけが担当のようである。結局手数料を払って実践をキャンセルして基礎を申込みなおした。こういう魅力のある先生に出会うと嬉しい。10月からの月2回半年間の勉強が、とても待ち遠しい。まぁ実践は来年4月からになるが、急ぐわけでもないわけで、これも流れなんだろうなぁ~と受け止めている。
2013年09月28日
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奇跡が起こる前世療法 ブライアン・L・ワイス 著 山川紘矢・山川亜希子 訳 PHP出版この本は「前世療法」「前世療法2」を書かれたワイス博士の、最新版ではないか?と思う。博士はキャロル夫人と一緒に、世界中でワークショップを開いている。ワークショップで退行催眠をして、多くの人々に過去生を体験させている。そのワークショップで体験した人達の話しをまとめたものがこの本だ。ここに書かれた体験は、非常に多岐にわたっている。過去生を体験することによって、現世の心や体に癒しが起こり、場合によっては体の痛みも、すっかり無くなってしまうのだ。心も縛られていたものから解放され、感情も解き放されていく。私がヒプノセラピストを目指したのも、退行催眠によってクライアントに癒しが起こるからである。ここには、多大な体験が寄せられている。個人的なものから、人間のルーツに関係するもの‥。そして地球から宇宙までと、幅広い体験記録である。P353~ 科学者は天気を命のないものとして扱っているので、 天気をコントロールすることができません。 シャーマンや自然を理解している人々は、 違う方法で自然と付き合っています。 この人たちは自然の力を人格化し、友人とみなします。 するとこれらの意識が私たちに好意的に反応するのです。私たちは本来、上記のようなことが出来る存在である。それを忘れてしまっているから、自然の驚異に踊らされているのだ。集団的意識は大きな影響力を持っているのだから、私たちは本来の自分を取り戻して、自然の猛威を減らしていきたいものである。色々なことを考えさせられる本である。この本は、375ページという読み応えのある1冊となっている。
2013年09月26日
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東海テレビ開局55周年として、8月9日~10月1日までの間、名古屋市東区のテレピアホールで、アートアクアリウム展を開催している。学び仲間に誘われて、この催し物を見に行ってきた。平日の夜だというのに、沢山の人たちが来ていて、来場者みんなが、展示されている金魚の写真をとって盛り上がっていた。そこでは様々な種類の金魚たちが、色々な形の器に入っていた。なかには「これは金魚じゃないだろう‥」と思うような、形だったり色だったりする金魚も泳いでいた。背景や照明を巧みに変えて、見せ場を演出している。金魚って、クルクル変わる照明が平気なんだろうか?圧巻だったのは、千匹入っているという水槽である。その水槽はホールの真ん中に有り、天井近くまで場所を使っていた。みんな見上げながら写真を取っていた。私が一番気に入ったのは、屏風に見立てた水槽の中を泳ぐ金魚である。さすがの私も、思わず写メを取った。本当に綺麗だった、まるで別世界である。しかし金魚は、ストレスを感じていないのだろうか?狭い空間に目まぐるしく変わる照明の数々、チョッと可哀想にも思った。私が金魚だったら、「ここから出してくれ~」と、泣き叫んでいるだろうと思う。でもそこに触れないのなら、美しいものを見させてもらったと思う。そんなに広くない会場なのだが、たっぷり時間をかけて周り、全員が充分に満足して外に出た。時には目に美しいものを鑑賞させるということも必要に思う。私は誘われないと、自分からは行こうと思わないので、こうやって誘ってもらえたことを有難いと思う。良き仲間に囲まれて、私は幸せ者である。
2013年09月24日
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考えてみれば、最近は会社で二次会になることが無い。昔は飲むともう一軒行こうとなったのだが、今は飲む人のほうが少ない上に、飲んでいる人も二次会へ行こうという気力が不足していた。だから、すぐ解散というパターンである。それを考えれば、会社での打ち上げが終わったら、NLPの仲間の飲み会に合流出来るということになる。そこに考えがおよばず、そのままバス停に向かっていた。そしてバス停まで後少しというところで、仲間からの電話である。このタイミング! 素晴らしい~。私はすぐに引き返して仲間と合流し、そこでまた新しく飲み始めた。このタイミングは、飲みたい一心である私の執念か!? (^^)NLPの仲間は、まだ一次会で盛り上がっていた。私も飲んでいるので、全く同じ調子でその場に入り込んだ。場所はNLPの勉強で良く使う「ウインクあいち」の地下だ。よくお昼をこの地下で食べることが多い。なので飲み会の場所には迷うことなく行くことができた。ひとしきり盛り上がって、その後二次会へ‥。結局12時まで飲み、ようやく帰ろうかと声があがりお開きになった。私は会社を含めると、3軒行ったことになる。いやいや、本当に楽しいひとときだった。勉強仲間との飲み会は別格である。エドガー・ケイシーの仲間とも、いつも楽しく盛り上がる。光田会長もお酒を好んで飲まれるからだ。考えてみれば現代レイキの土居先生も、ワインがお好きなわけで、私が慕う先生たちは、みんなよく飲んで陽気な人が多い。結局、心を扱う勉強をしているから本音で話しあうことになる。そしてそれこそが、楽しいひとときを与えてもらえるのだと思っている。
2013年09月22日
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先週の金曜日に、会社の打ち上げがあった。夏と冬の年2回に、ささやかながら打ち上げを行なう。会社に入ってもうすぐ2年という社員が、今回お酒を飲んだので、上司や私はびっくりした。多分彼にとっては、今回で4回目の打ち上げだと思うが、いままでずっとノンアルコールだったのだ。上司はその飲む姿を見て「安心した」と言ったのだが、これは昔人間の考え方だろうなぁ~、と思って聞いていた。今の人がお酒を飲まないのは、それほど不思議なことではない。私はよく若い人と飲みに行くから、飲まない人が多いことを知っている。みんな飲みに行くというよりも、食事を味わい雰囲気を楽しんでいる。それで飲んだ人と同じ位に盛り上がるのだから、必ずしもお酒を必要としていないのだ。私はその社員が、いままで会社で飲めなかったのだと思った。本人は「酒癖が悪いので、お酒を控えていた」と言ったのだが、別に酒癖が悪いと感じたところは無かった。だから会社という枠の中でリラックスできずに、お酒を飲めなかったのではないだろうか?と感じたのである。私からするとその新人さんは、チョッと問題のある人なのだが、そんな彼も新しい会社で緊張して、彼なりに一生懸命にやってきたのかもしれない。まだまだ社会人として、学ばなければならないことは多いが、それでも一生懸命だったんだなぁ~と感じた出来事だった。そして会社の打ち上げが終わり、経理の私が会計を終えて解散となった。店から出てそのまま真っ直ぐに駅に向かって歩いていた時のことである。電話が鳴ったので出てみると、NLPの仲間からだった。すっかり忘れていたのだが、近くで彼らも飲み会をしていた。私は日にちが重なるので、参加出来ないと思い込んでいたのだ。(‥続く)
2013年09月20日
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新しいことを始めようとすると、それに反対する意見が自分の中に生まれてくる。 「時間が勿体無いじゃないか」「体力を使うから疲れるじゃないか」そんな心の声が聞こえてきたりする。エゴは、せっかく始めようとしている気持ちを、簡単に萎えさせてしまう力を持っているのだ。「今のままで問題ないじゃないか」「何も不自由しないじゃないか」次から次へと新しい言葉を投げかけてくる。行動しないなら、出会いもなければ成長も無い。それなのに、新しいことを始めることを妨害してくる。現状からの変化を望まないのである。何故変化したくない心が現れてしまうのだろうか?新しく行動をすれば、良いも悪いも感情を動かされる。感情が良いふうに動けばよいが、悪く動いた場合はどっと疲れてしまうわけで、その結果に至った場合を想定して、変化を嫌うのである。平穏な環境が、変化を望まない。平穏な状態から、心を乱される方向へ行きたくないのである。過剰に身を守ることは、成長をあきらめることになる。いつまでも、幾つになっても冒険心を持ち続けたいものである。
2013年09月17日
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随分優しい季節になってきたと感じる。まだまだ日中は暑いけれど、朝夕の涼しさに救われる。涼しいから寝られるというのが一番だ。でも、そうはいってもまだ扇風機がなければ暑くて仕方がない。まだ夏であることには、代わりが無いのだ。最近、週末が雨というパターンが多いから、アウトドア派の人たちには、がっかりするような雨の降り方である。雨が降ってくれて嬉しいには違いないのだが、できれば週末を避けてもらいたいところだろう。思いっきり洗濯をしたい、と思う人たちも居るだろうから、週末が雨で困る社会人も多いだろうと思う。今年の夏は、夏の服でも2段階考えた。風呂やシャワーの使い方も、真夏と夏で変えている。夏という季節が二種類有るように感じるのは、私だけだろうか?災害情報も「警戒」という言い方から、もう一段階上げた表現が使われるようになった。今の世に、昔では予想がつかない領域が現れてきたのでは?と思うような出来事が増えてきた。でも今年の夏が、30年に一度の異常気象だと言われたが、過去にこれほどの暑さを感じたことが有っただろうか?私の記憶の中では無いのだが、歳を取ったから余計に暑さが堪えたのだろうか?それだけでは無いような気がするのだが‥。なんにせよ地球温暖化を考えたら、暑さ対策とゲリラ豪雨対策は、必須事項である。来年以降を乗り切るために、心身共に鍛えねばならない。
2013年09月14日
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NLP関係の勉強に行ったのだが、同じ受講生で大阪から一人お見えになっていた。見た感じ私と同じ位の年齢(?)の女性だった。大阪でも開いている講座なので、「どうして名古屋に?」と思ったのだが、大阪での開催が遅いから待てないということだった。「えーっ!私なら開催を待つのに‥」私にとっては、なんとも不思議な感じである。時間を惜しまないというか、遠いことが苦にならないというか‥。私はよく皆に「時間とか遠いとか‥関係無いよ」と言われる。「いやいや‥、大変じゃないか~」と私は及び腰になる。現に遠いところから来られるレイキ受講者は、私にとって驚きである。確かに私も土居先生に会いに芦屋まで行ったけれど、それは決死の覚悟なのだ。‥大袈裟でなく。しかも、結果的に生徒さんと行っているのだから、私はただついていっただけ‥という有り様である。その女性は社労士の人で、自分が関わる人たちのことを考えて学びに来られた。「背負っているものが私とは違うなぁ~」と感心したのだが、だからといって、私の行動範囲が狭いことの言い訳にはならない。まったく、中々この課題がクリアにならない私が居る。いつまでも驚いたり感心したりしている場合じゃないのに‥。考え方を変えれば良いわけで、それは簡単なようで難しい。私のどこにブロックがかかっているのだろうか?そのブロックを取り除いて、前に進んでいきたい。もっと色々な人に出会い、色々な体験を通じて変化させていきたい。生きていることは成長することなのだから‥。
2013年09月12日
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もっとあの世に聞いた、この世の仕組み 雲 黒斎 著 サンマーク出版「あの世に聞いた、この世の仕組み」は、2010年に出版されているが、これはその第2弾で、本の題名の頭に「もっと」がついている。前回この人の本は面白かったので、今回も買ってみた。今回は、私にとっては分かりにくかったかな?多分男性なら分かりやすいのではないだろうか。例えで出てくる例が、男性目線だからである。私たちが全体の中の一部だという説明は、書かれている図も手伝ってだが、分かりやすかった。第5章に般若心経について書かれているが、観自在菩薩(観世音菩薩)と舎利弗のやり取りは、人間調に書かれていて、面白いトークだった。時間の観念については、私たちには今しかないということを、やはり図を使って噛み砕いて書かれている。 P121の最後に 「過去の出来事の解釈や意味づけが変われば、 それに伴って未来の見え方も変わってきてしまう」とあるが、これはまさにヒプノやNLPで実証していることだ。私はあとがきの部分にじんわりときた。「お金がなくたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない? 頭が悪くたって、幸せになっちゃってもいいんじゃない? 体力がなくたって、才能がなくたって、努力が足りなくたって、 運がなくたって、計画性がなくたって、感謝が足りなくたって、 愛がなくたって、性格が悪くたって、誰も認めてくれなくたって、 君よりも恵まれてない人がたくさんいても、 君が幸せになっちゃってもいいんじゃない?」「不幸散る散る、幸せ満ちるー。 そう。あのチルチルミチルの 物語と同じ。幸せの青い鳥は、もとから我が家にいるのです。」幸せになっちゃいましょうよ、ねっ☆
2013年09月09日
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名古屋で水曜夕方に、土砂降りになった。その時私は会社にいて、3階の窓から下の道路を見ていたのだが、そこはすでに道路でなく、川のようになっていた。車が水しぶきを上げて、ゆっくりと通っていく。通行人は傘をさしながら、バシャバシャと水の中を歩いている。なかには、はだしで歩いている人もいた。この光景を見ていて、東海豪雨を思い出した。あの時は帰りのバスの中で外を見て、新川が決壊するのではないか!?と思い、ゾッとしたものだった。結果下流の私のほうでは新川は決壊しなかったが、上流のほうで決壊してしまった。但し、福田川というもう一方の川が決壊してしまったので、大治町も結果的に被害にあってしまった。あの時と違うのは、雨が数時間で止んだということ。止めば、すぐには無理でも水は引いていく。私は会社にいて、水が増していくのと引いていくのを見ていた。その日は初めての場所で、初めての人達と勉強をする最初の日だった。19時からの勉強だったので、何処かで時間を潰そうと思っていたのだが‥、なんのことはない、川のようになってしまった会社から出られなかったので、会社に1時間、足止めになってしまったのである。でも私はこれが功を奏した。最初は「雨の洗礼だ~」なんて思い、「もしかして私は、続けて勉強していけるのかを試されているのか?」と考えたのだけど、全く逆で私を支援してくれているのが分かった。というのも、雨のお蔭で受講人数が少なかったから、授業の内容が一人一人理解できるように、先生が解説してくれたからだ。そして授業が終わり帰る頃には、交通網も平常に戻っていたから、普通に家へ帰っていくことができたのである。幸いか禍かは、起こっている時点で判断するべきではない。幸いな事柄も禍に繋がる可能性が有るし、「禍を転じて福となす」ことも、充分に有り得ることだからだ。私たちは、目の前の出来事で右往左往することなく、起こってきた出来事は、淡々と受け止めて前に進むべきである。
2013年09月06日
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まだ社会に出たばかりの遠い昔、竜巻に遭遇したことがある。それはそれは、恐ろしい体験だった。だから埼玉や千葉のニュースは他人事ではない。その日私は、仕事が終わってバス停に降り立った。土砂降りの雨で、しかも風も強かったので傘があまり役にたたなかった。その日は友達のところに泊まる予定で、一緒にバス停に降りたのだ。どこか近くで食事をして、彼女の家に行くつもりだったのだが‥。バスを降りて傘をさし、信号を渡って空を見上げて凍り付いた。渦を巻いた真っ黒いものが、空の彼方へと回転しているのだ。その恐ろしい物体は、左手から右手へと移動していった。その距離は、丁度バス停一つ分位前方だった。二人で声もなく立ち尽くした。恐ろしくて声が出ず、体も硬直してしまったのだ。食事どころではない。二人で無言の内に家に走り出していた。彼女の家は、竜巻とは正反対の方向だったので、大丈夫だとは思いつつも、何かに追われるように走って帰った。家に着き、ずぶ濡れになった体を拭きながら二人は一言も喋らなかった。そして無言の中で布団を引いて、その中に潜り込んだ。話しをしたのは、それから随分たってからだった。‥本当に怖かったのだ。暗闇の中で黒い物体が、回転しながら空を突き抜けるようにそびえ立ち、しかもそれが不気味に横へ移動していくのを見たのだ。もし友達と一緒でなかったとしたら、どうしただろうか?今考えても恐ろしい。自然は素晴らしいと思う時もあれば、恐怖でしかないと感じる時もある。人間は自然の力の前に、なんと無力なことか‥。「今を生きる」この言葉をしっかり胸に刻んで、生かされていることを感謝して、今日も頑張ろうと思う。
2013年09月05日
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ある女優さんがテレビで話していたのだが、「あらゆる病気の元というのは、免疫力の低下からきている」その女優さんは、ご自分の病気の原因が分からないものだから、病院を何十件と回ったようである。原因が分からないと適切な薬が出ないわけで、そうなればいつまでたっても痛みが取れない。たとえ痛み止めを処方されても、痛み止めはその場凌ぎでしかないから、根治とはほど遠い状態である。最終的に時間をかけて原因が分かったようだが、それも医者からではなく、インターネット上の、個人サイトからの情報だったようである。2万人に一人の割合でかかる病気のようで、それを医者が発見するのは、よほどでないと難しいだろう。その女優さんは医者の治療と平行して、自分で出来ることに取り組んだ。それは、あらゆる病気の元が免疫力の低下からくるということから、その免疫力を上げることを始めたのである。まず食生活を正す。これが肝心で、正しい食生活を送ることは免疫力を高めるために、とても重要な要素である。他にも運動とかストレスとか、私たちの体は沢山の要因で免疫力が低下する。正さなければならないことは、山のように有るのだ。でも毎日が忙しいことを理由に、大切な体のことであるのに、多少のことは目を瞑ってしまい、後回しにしてしまうのである。全く困ったもので、病気というサインをもらって、ようやく自分の生活全般を見直す有り様だ。結局、いつまでも健康であるという幻想を、何故か抱いてしまっているのである。無病息災であるにこしたこはないが、一病息災であることも、より健康の大切さが分かるので良いように思う。健康で生き生きとした人生になるよう、日頃から気を付けていきたいものである。
2013年09月03日
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