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みなさん、みなさんにとってはどんな1年でしたか?私は去年の運気を乗り越えたことで、今年の運気はもっと楽に超えられました。こういう時に、占いをしていて良かったなぁ~と思います。出会いは沢山ありました。有難いのは、占いをやっているから、レイキをやっているから、そしてヒプノをやっているからこその出会いがあることです。秋にはヒプノ絡みで、思いがけない出会いがありました。これは女性でしたが、レイキ関係では男性が多かったですねぇ。そして占いは殆ど女性との出会いです。中には男性を占ったことも有りましたが、女性とは全く違った視点で色々聞いてこられます。それも面白かったですね。レイキは20代から60代までの出会いがありました。年代が違っても、レイキを受講に来られる人は、全く違う年齢(魂の年齢とでも言いますか)を感じさせます。だからこそ、こちらも力が入ります。私が学んだことを、一つでも多く差し上げたいと思うのです。出会いをありがとう~、とても良い1年間でした。感謝して来年を迎えたいと思います。ありがとう~
2013年12月31日
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認知症の人を受け入れてくれる施設「愛の家」で、先週の土曜日に餅つきが行われた。去年は平日に行われたために出ることができなかったので、今回が初めての出席である。確か去年はクリスマスが土曜日にあったので出させてもらった。今回は23日で祭日ではあったが、エドガー・ケイシーと重なったために、出られなくなった。まぁ、餅つきに出るからいいかなぁ~と思って欠席させてもらった。名古屋から5人の若者が、ボランティアで来てくれていた。こういうことをボランティアで行なっているということを、私は今回初めて知った。昔ながらの餅つきは、大変である。入居者のほうが餅つきのやり方が分かっているので、色々あちこちで口が出る。といっても体力は無いので、口が出てもやることはできない。だから一生懸命やっているスタッフやボランティアの人たちが、色々言われて少し可哀想だった。今、昔ながらの餅つきをやっている家庭は、どのくらい有るだろうか?餅は蒸すところから突くところまで、全部機械がやってくれる。それどころか、スーパーで売っているのしか知らないのが、今の時代の人たちではないだろうか?スタッフやボランティアの人たちは若いので、やり方を知らないし手際が悪い。スタッフは入居者の中で、比較的しっかりしている人に声をかけて、やり方を聞いたり軽いお手伝いを頼んでいた。頼りにされると嬉しいものである。口では無理だと言いつつも、嬉しそうにお手伝いをしていた。中にはお孫さんも餅つきで参加して、みんなから拍手を貰っていた場面もあった。こういう経験は、良い思い出になるだろうと思う。最後には出来上がった餅を、きな粉や餡子につけてみんなで美味しく頂いた。昔、家の土間のところで、一家総出で行なった餅つきを思い出した。大変だったけど良かったなぁ~と思い出す。家族で一つのことをするということは、貴重なことだと感じた。色々なことを思い出しつつ、楽しい時間を過ごさせてもらった。
2013年12月30日
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エドガー・ケイシーの勉強会が、23日だったのが良かった。クリスマス直前だったので、イエス・キリストの誕生秘話が聞けたからだ。この話しはその母であるマリアから、しかもそのマリアを誕生させるために300年の準備期間を用意した話しである。マリアはいきなり選ばれたわけではない。イエスを産むためのマリアが生まれるのに最適な環境を、300年という年月をかけて準備している。それだけイエスが特別な存在で、きちんとした背景が無いと、肉体を持って生まれてこられないからである。私たちと全く違ったオーラを持っていることを考えると、この地上に降り立つのは大変だろうと思う。オーラはエネルギーであり波動である。私たちも合わない場所に行くと違和感を覚える。その違和感を埋めるための、300年という準備期間なのだ。ついつい私たちは誕生したイエスのほうに意識を向けがちだが、その前の準備をエッセナの人々が、先祖代々かけて用意してきている。こういう地上での人間の努力も有って、誕生できたのである。 もちろん生まれてくるイエスも、様々な準備をされてこの地上に降り立った。いくつもの輪廻転生を繰り返しつつ、この地球を十二分に理解されての降臨である。多分私なら早い段階で「や~めた」と簡単に諦めてしまうことだろう。なにせ今でも、もう地球はこりごりだと思っているからだ。本当に愛が深ければ、私のような言葉は出てこないだろうと思う。それがイエスのイエスたる所以だと思う。無償の愛の塊だからこそ、努力と忍耐で人々のために生まれてきた人である。クリスマスを前に、色々な話しを聞けて良かった。お陰で今年のクリスマスは、とても意義のあるものになった。感謝☆
2013年12月28日
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今回のエドガー・ケイシーの勉強は、出エジプト記の最初から、モーセの有名な箇所‥杖で海を二手に分けて、その間に出来た道を渡ったというところまで学んだ。モーセって、結構ネガティブなんだよね。彼は何度天に向かって「私には出来ない」と言ったことか‥。自分の出来ないところばかりをクローズアップさせ、出来ない自分を必要以上に探して、出来ないアピールをする(笑い)しかも4回も‥。これって会社で上司から渡された書類を、「私には出来ない」と言って、4回上司に書類を突き返したことにならないだろうか?そんなん出来る?? ‥私は出来ないぞ~。何もやらない内に出来ないと決めつけて書類を突き返すなんて、サラリーマンとして、どうなんだろうねぇ。しかも相手は神様。ある意味「あっぱれ」というか、堂々たるものである。4章10節でモーセは神にこう言った。「わたしは口も重く、舌も重いのです」‥これはモーセがドモリだったから出た発言である。それに対して神は「だれが人に口を授けたのか」と嘆く。喋れないわけじゃないだろう、と言っているのだ。目も見える、耳も聞こえる、口も喋れる、どもることぐらい何だ!神は怒り嘆き悲しんでいる。このくだりは、私の胸にも突き刺さる。私もアガリ症で、時にはどもってしまうからだ。そうなると私より適任がいるだろうから、私でなく別の人で‥と、遠慮というか断わってしまうだろう。こうなるとモーセを批判できない。「その口は無駄口をたたくためのものか!その目はその耳は‥」神様としては、やり切れない気持ちだろうと思う。神が与えてくれた素晴らしい体を、人間は間違った使い方をしたり卑下したり‥。きっと創造主としては悲しいだろうね。そしてこの時モーセは80歳‥。う~む、年齢も考えると増々モーセ同様私も断わってしまうかも?‥って駄目じゃん。自分で自分の可能性を閉ざしてしまっては‥。「人事を尽くして天命を待つ」座右の銘を忘れないで頑張ろう。
2013年12月26日
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83歳の女子高生球児 上中別府チエ 著 主婦の友社マイケル・J・ローズの本、愛の目を通してシリーズ3冊の本の合間に、ちょっとした息抜きと言ったら失礼になるだろうか、この本の題名に魅せられて購入し読んだ。76歳で夜間中学に入学し卒業、その後夜間高校へ入学する。現在今年の6月19日で83歳を迎え、校内弁論大会に出場している。そんな素敵に歳を重ねた女性のお話しである。彼女は昭和5年生まれで、戦前の生まれである。7人きょうだいは、この位の時代に生まれた人とした一般的だ。だから貧しかっただろうと思う。農業に従事する両親だったから、比較的食べ物には恵まれていたようだが、それも戦争が始まれば、作った農作物は国に取られてしまう。戦争は全ての恵みや幸せを奪っていってしまう。今こうしている時も、世界のあちこちで戦争をしている。その背後には、罪も何もない人たちが不幸を背負っていくのだ。日本もその例外ではない。まだ戦争を体験した人が生きているのだから、生々しい話しである。戦争で私たちのような教育を受ける機会を失った彼女。特に英語は戦中敵国の言葉だから、学ぶことなど無かったわけで、それがずーっと彼女にとってコンプレックスとなっていた。それでも夫が生きている間は、そのことを忘れてしまっている。夫との時間をとても大切にしたからである。でも夫を亡くしてから、彼女の興味は家庭以外に向かっていく。やれなかった勉強を身に付けたいと思うようになったのだ。湧き上がる好奇心。幾つになっても好奇心旺盛で生きていくことの大切さ。それを彼女は教えてくれている。そして、私たちが当たり前に受けていた教育。それが当たり前でなかった時代が有るということ。それを忘れないで、感謝の心をもって生きていきたい。
2013年12月24日
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同じ質問でも、質問の仕方で答えを引き出す方法が変わってくる。例えば「何かありますか?」と質問すると、答えはイエスかノーになり、無いと答えてしまえば、そこから意見は広がっていかない。「何か意見を聞かせてください」という質問の仕方をすれば、そこから何がしかの意見を聞くことができる。イエスかノーかの答えになる質問の仕方を、クローズド・クエッションと言い、何がしかの意見を引き出すことができる質問を、オープン・クエッションと言う。どっちが良いかという問題ではない。広がりを持たせた答えが欲しいかどうかであったり、その時のメンバーの性格を考えて、どちらの質問の仕方でいくかを、考えていったりする。だから質問の仕方を工夫すると良い。工夫して会話に広がりを持たせると良い。そうすることで、どんどん話しが広がっていくことだろう。コミュニケーションが苦手だと考えている人は、あらかじめ幾つかの質問を、書き出しておくと良い。実際本番は、頭から質問が飛んでいってしまうかもしれない。それでもそういうことの積み重ねで、上手な質問の仕方が分かってくるだろうと思う。と言っている私も、苦手な人となると質問が浮かばなくなる。有難いことに苦手意識が働かない人には、有効な質問が浮かんでくる。まぁそうやって、いつか誰にでも出来るようになればよいだろう。コーチングの勉強は、忘れている大切なことを思い出させてくれる。短い時間に沢山の宝が詰まっている時間である。
2013年12月22日
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ざっと30名位だろうか、スタッフと現在受講中の人たちが中心に忘年会が行われた。私も今年の前半にはプラクの再受講に行っているので、スタッフの多くの人と馴染みが有る。その再受講で出られなかった回が2日目と6日目。その分を、来年の2月と4月に振替で行くことになっている。今年の夏は暑かったので、NLPで土日が潰れると体に堪えた。もし今後再受講をすることがあっても、夏は避けようと思うのだった。その時の仲間の内の三人が、どうやらマスターコースに行ったらしく、私の顔を見て「お久しぶりです」と挨拶をしてきた。その内の一人は、「きっとマスターには行かないだろうなぁ~」と思っていた人だったので、顔を見た時には純粋に驚いてしまった。でもマスターコースに行けて、良かったなぁ~と思った。なにせプラク受講時は、まだ学生から社会人になるところで、純粋なお坊ちゃんだったからである。普通社会人になって、悩んだり成長を望んだりして、戴いた給料を頑張って貯めてNLPを受講する。彼は恵まれているというか、父親の援助が有って受講している。だからある意味チョッと浮いた存在だった。それを本人も気にしていたし、NLPを自分から進んで受講したわけでなかったから、マスターコースへは進まないだろうと思っていたのだ。でも今度は自分の意思で受講したらしい。但し、まだお金は無いので父親にお願いしたという。まぁなんにせよ、早くから学べるということは無条件に良い。その証拠に、顔が生き生きしていた。出会いに乾杯だ!
2013年12月20日
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ひょんなことから「癒しのフェア」を、金山で開催しているということを知った。土曜日の午後なので、久しぶりに行ってみようかどうか迷っていた。丁度そこへ生徒さんからメールが来たので、時間が空いているかどうか‥、取りあえず誘ってみた。すると午前中は仕事だが、午後は空いているという話しだったので、一緒に行くことになった。その話しが決まったところに、別の人からメールがきて、土曜日に会わないかという誘いだった。 それで生徒さんとも面識がある人だったので、「癒しのフェア」へ行かないかと誘ってみた。すると快く承諾していただけたので、三人で行くことになった。場所が金山ということだったので、私は勝手に昔行ったような催し物だと思っていたのだが、実際は随分小さな規模の催しだった。なので行ってチョッとがっかりしてしまった。あまり見るところが無い上に、予約が必要なブースも有って、そうそうに退散してきてしまったという始末である。まぁ、それで3人が会うというのも久しぶりということで、金山でお茶することにした。金山は私にとって馴染みの薄い場所なので、お二人に任せて歩いたのだが、どこも満員だった。かろうじてデニーズが2組待ちで、そんなに待たなくて入れるだろうと言われたので、ここで待って入ることにした。「三人寄れば文殊の知恵」とか、「三人行なえば必ず我が師あり」とかいうことわざがあるように、三人集まれば、色々な考え方に巡り合える。お陰で有意義なお喋りの場所となった。三人ともNLPを勉強した仲間なので、話す内容はすぐ分かり合えるし、とても濃いものになった。「やっぱり仲間はいいなぁ~」それは正直な感想である。
2013年12月18日
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(1)愛の目を通して (2)多次元の新たなる旅へ (3)次元シフトのとき マイケル・J・ローズ 著 ナチュラルスピリット 私がマイケルの本を知ったのは、最後の「次元シフトのとき」の本からだった。読み始めると、どうやらその本がシリーズものだと分かった。 内容が私の求めていた本だったので、三冊目であるその本を読むのを止めて、書店へ行って前作2冊を取り寄せた。ざっくり言って向こうの世界の話しで、彼が光の体となって、体験してくる話しである。方法は幽体離脱でもチャネリングでも無い。極自然に向こうの世界と繋がって、魂が経験してきたものを書いている。私は彼がエネルギーを見極めてくるところに注目した。宇宙は、見える世界も見えない世界もエネルギーで成り立っている。そのエネルギーが二種類有るという記述に頷いたのだ。この世界で敏感な人は、良い気が漂っている場所を感じとることができる。また逆に、悪い気で溢れている場所へ行くと悪寒がするという。私の場合、そういう分け方を更に推し進めて、もっと違うものを感じる。それは柔らかいエネルギーと激しいエネルギーである。マイケルの本を読んだ時、私と似た捉え方をしていたので、「この人なら私のエネルギーの捉え方を、分かってくれるに違いない」と思ったのだ。二つのエネルギー。一つは静のエネルギーで、もう一つは動のエネルギー。この二つは正しくも間違いでもなく、良くも悪くも、ポジティブでもネガティブでも無いエネルギー。 ≪(1)愛の目を通して P64~67≫この二つのエネルギーのバランスが取れているのが理想。それは、どんなことにも言えることで、バランスが取れている状態が、一番良い状態に違いない。それは分かっている状態で、マイケルは静のエネルギーが好みと言っている。私も静の(私的には丸い)エネルギーが大好きである。ただ私が問題なのは、動のエネルギーを体が受け付けない時があるのだ。どうすれば両方のエネルギーを、受け入れられるようになるだろうか?それは私の一生の課題である。今、(2)の「多次元の新たなる旅へ」を半分ほど読んだところである。私の課題が少しでも解決することを祈りつつ、読み進めている。
2013年12月15日
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人には考え方のクセが有る。このクセは、そんなに簡単に直るものではない。クセは生きてきたそれぞれの人生で、時間をかけて良くも悪くも培ってきたものだからだ。自分の考え方は良くないからと、考え方を変えようとするのだが、頭で納得しているというのに、出てきた言葉はいままで通り。しかも考え方が変わっていないということに、自覚もしてない場合がある。平気で前のままの良くない考え方を、悪びれもなく繰り返しているのだ。まるで振り子のように、長年の考え方に帰っていく。良いと認めたことでも、習慣性の高い考え方のほうへ戻ってしまうのだ。染みついて取れない、悪しき考え方のクセ。長い年月をかけて、体に深く染み込んでしまっている。ついつい自分が知っているということで、自分目線で話しかけてしまった私。その人は素直に私の話しを聞いてくれたが、本来はその話し方が、押し付けになる可能性もある。きちんと距離を取って、相手を尊重して話しを進めなければならない。何度となく失敗をする。失敗をして気づきを得て反省し、軌道修正を繰り返す。時間のかかる作業である。でも時間をかけてクセを作ってきてしまったのだから、かけた時間を考えると、変えるにも時間はいるわけだから、何度も何度も言い聞かせるように、考え方のクセを修正していこう。トーマス・エジソンの名言に、「それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから、成功なんだよ」という言葉がある。そぅ、失敗はないのだ。そこには経験が有るだけなんだ。
2013年12月13日
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久しぶり~、スカイルのワンフロア全部が百円均一の商品である。随分広くて、商品全部を見渡せない。何年か振りにこのフロアに来たのだが、見て懐かしさを感じた。何年前だろうか‥、数年前に中区栄のスカイル近くで、整体を習っていたことがある。その時に良くここへ寄っていた。整体の勉強が始まるまで、時間がたっぷり有ったからだ。他のフロアに本屋も有って、そこにも良く通っていた。そこもワンフロア全部本屋だから、多種多様な本が揃っていた。今回そちらにまで寄る時間が無かったので寄らなかったが、本屋も一度はゆっくりと廻ってみたいと思った。栄は私の家と方向が真逆である。西から、家、会社、栄という順で東に向かっている。ほぼ家と会社の間を行き来しているので、家から離れる栄に足を伸ばす機会が無くなっている。今回コーチングの勉強をする為に、栄まで来ている。お陰でその勉強が始まるまでの時間に、栄付近を散策出来るというわけだ。基本、会社が終わってから栄まで40分歩いていくので、そんなに時間が残っているわけではない。ただ歩くのは健康のためなので、大雨とか雪とかに出合ったとしたら、バスか地下鉄を使って行くことになる。そんな時はたっぷり時間が有るだろうから、散策に時間を使うだろうと思う。とはいえ、そういう気象状況の時に、果たして授業が有るだろうかが、疑問と言えば疑問だが‥。百均は、何度見ても飽きない。しかも豊富な品揃えだから、全部廻ろうとしたら結構な時間が必要である。時々は目の保養に、ここに来るのもいいなぁ~ (^^)
2013年12月11日
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「聞いてみないと分からないものである」そう感じるのは、メールの返事を頂いた時だ。電話のほうが細かい部分まで伝えられ、微妙な感情を表現できるから良い、という人が多くいる。その中で私は、電話よりメールのほうが好きである。その理由が、一拍置いて熟考してから言葉を送れるからである。間が無くやり取りする電話は、時として言葉だけが一人歩きをする。思ったまま、感じたままに言葉となって相手の元へ到達してしまう。相手の言いたいことを噛み砕く前に、すぐ返事をしてしまうので、早とちりして受け取ったことに気づかないまま、応えてしまっている。そういうことが嫌だし、電話するタイミングも考えてしまう。だからといって、電話が怖いとかいう話しではない。第一それでは、会社で電話を取ることができない。でも出来ればメールのほうが、相手に自分の思いを伝えやすい。メールのほうが良いということを手助けしているのが、こうやって文章を書くことが好きだということ。逆に文章が苦手な人は、電話で済ませたほうが、想いが伝わるし、手っ取り早いことだろう。それに私は基本、短気なんだろうと思う。だから相手の言葉を良く噛み砕かないで、すぐに言葉を返してしまう。その結果、相手を不快な気持ちにさせてしまうことになったりして、それがまた電話から遠のかせてしまうのかもしれない。メールを見ると、どういう意味だろう?と冷静に考えて、相手に尋ねる時間が出来てくる。それが私の場合は、良い方向に動いてくれる。だから、やっぱりメールはいいなぁ~と思えるのだ。でも本当なら、どちらでも良いという視点で居るべきである。瞬時に熟考できる人間を、目指すべきだと思った。
2013年12月09日
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よく心理学の世界でメッセージの出し方について話される。アイ(私)メッセージと、ユー(あなた)メッセージである。懐かしい言葉だと思いつつ、再度自分がどちらで出しているかの確認をさせてもらった。このメッセージの出し方は、人と上手くやっていく方法である。例えば‥「その考え方はおかしい」というのはユーメッセージとなる。文の前に「あなたの」がつくからである。「あなたのその考え方はおかしい」という言い方は、自分の価値判断で相手を批判していることになる。これをアイメッセージに置き換えると、「私はその考え方はおかしいと思うんだけど‥」となる。こういう言い方をすると、私個人の考え方の意見を言っているわけで、決して相手を批判しているわけでない。受け取る側として、どちらが受け取り易いだろうか?これはラポール(信頼)が取れているかどうかで違ってくる。ラポールが取れていれば、「その考え方はおかしい」と言われても、どこがおかしいのだろうか?と考える体制になる。けれども、ラポールが取れていないと、「私のことを知らないのに、どうしておかしいと考えるのか?」と、守りや攻撃といった行動に出てしまう。相手の反感を駆ってしまうのだ。無難な方法として、アイメッセージが良いだろう。「私は‥‥‥思うけれど」という私目線で考えたことを協調する。協調することによって、考え方の多様化を相手に示すことができる。そうすることによって反感をかうことなく、相手に自分の考えを受け入れてもらえるのだ。じゃぁ、どんな時でもアイメッセージが良いかというと、そうはいかないので困ったものである。「急に何?そのよそよそしい言い方は!」という反応が返ってくる場合も有る。ラポールが取れている人にとって、いきなり他人行儀な言い方に、眉をひそめることにもなりかねない。臨機応変に使い分けることが望まれる。ただ、現在はどちらかというとユーメッセージが多く、それがトラブルの要因となってしまう場合があるから、相手に自分の考えを伝える時は、一度立ち止まって伝え方を吟味してから、伝えると良いだろうと思う。
2013年12月07日
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面白いことというのは、思わぬ繋がりである。私の生徒さんに、岐阜で整体院をやっていらっしゃる人がいる。その人は整体の先生でも有り、生徒さんは全国にいらっしゃるのだ。そしてその整体の先生の生徒さんの内の一人が、岐阜の生徒さんで、その岐阜の生徒さんがレイキをされている。その生徒さんのレイキの先生が、私のレイキマスター仲間なのである。会場でそのことが分かり、大盛り上がりである。懇親会まで参加しているので、4人で写真を取った。私は取るのを忘れてしまったので、ちょっと残念である。こういうことがあると、引き寄せの法則を考える。それぞれが引き合う相手が居るわけで、生徒さんたちは、それぞれ違うマスターを選んでいる。出会いとは、そういうものである。「どうしてこういう人と出会うの?」そう思うような人との出会いが有るとしたら、それは、そのまま自分を振り返ると分かることである。でも大切なことは、同じ場所を共有しているということ。同じ場所を共有できるということは、もっと大きな括りでみると、同じ次元に存在できているということなのだ。私たちは立ち止まってはいない。色々な経験を積んで、たえず前進している存在である。前進する歩幅が大きく変化してしまったとしたら、すれ違ってしまう知人が出てくることになるわけで、それは寂しい結果である。同じ場所を共有できる仲間は、それほど異なった軌道に存在していない。これこそが、魂の繋がりが深い相手なのだと思う。
2013年12月05日
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名古屋の体験会&交流会は、中村生涯学習センターで行なわれた。午前の部の体験会は20名ほどで、午後の交流会は50名ほど参加された。中村生涯学習センターは、私にとって馴染みのある場所である。なにせ名古屋市中村区は大治町とは隣りに位置する。中村区より西で、橋を越せば大治町だ。そういうわけで、お隣に行くという間隔だったものだから、専門正会員の会員証を忘れてしまった。いや忘れたというレベルでなく、頭の片隅にもなかったと言うべきだ。 東京に行く時は2度も確認するというのに、今回はこれっぽっちも思い浮かばなかったのである。 忘れても、そこは地元で仲間はみんな顔見知りである。融通を効かせてもらえたから良かった。東京から副理事の人が来られていた。いつもの人が居るということは、安心できる体制である。私の生徒さんも、二人ヒーラーで参加した。ヒーリングで受ける側では、二人参加していただいた。残念だったのは、お子さんを連れた生徒さんが参加できなかったこと。一番下の6ヶ月の子供さんが、熱を出してしまったらしい。お会いできなかったのは残念だけれど、これもタイミングなのでしょう。きっといつかタイミングが合って、土居先生ともお会いできるだろうと思う。なんか面白いなぁ~と思ったのは、レベル3まで受けた生徒さんのほうが、一人を除き来られなかったというのに、まだレベル1しか受けていない生徒さんのほうが、参加出来ているという事実。なにか有るんだろうかねぇ‥、面白い現象だと思った。お誘いした人たちも、なかには私の予想と違った人たちが来てくれた。いかに人間というのは、自分の思い込みで生きている存在かが分かる。なにはともあれ、沢山の人たちの参加があり、会場は非常に盛り上がった。そんな中で、またまた面白いことが‥。それはまた今度。
2013年12月03日
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