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昔、少しだけヨガをやったことがある。といっても、文化センターに行っただけなので、本格的なものではない。だからというわけではないが、呼吸法をあまり真剣にやらなかったように思う。レイキでは、技法の一つに呼吸法を取り入れている。それは、どれだけ吸ってどれだけ吐いてというような、厳密なものではない。でも、体のどこからどこへとレイキを満たすのかは、具体的に教えてくれる。吸った息が、どこを通って体の中を流れていくか‥、レイキの場合、それがそのままエネルギーの流れになる。呼吸をしているだけなのに、エネルギーの流れになるのが嬉しい。体内を新鮮なレイキエネルギーが、すーっと流れていく。本来普通に深呼吸をするだけでも、体内には新鮮な空気が流れていく。新鮮な空気は、体の隅々で喜びを感じる。それは心の喜びでもある。レイキエネルギーが流れると、体をメンテナンスしてくれていることが分かる。エネルギー自体は、誰に何処へと指示されたわけでもないのに、必要な箇所に必要な量が流れていく。だからこちら側は、呼吸をするだけで良いから簡単である。私はもっぱらバスの中と、テレビを見ながら行っている。時間や場所を構えなくてもできるので、とても手軽である。だから少ししか時間がなくてもやる気になる。健康の大切さを、ここ数年つくづく思う。呼吸法は道具も場所も必要がないから、気がついたらやりたいと思う。
2013年03月31日
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会社は雑居ビルなので、色々な会社が入っている。給湯室とトイレが共同になっているので、同じ階のほかの事務所の人たちと、お会いすることになる。時々男性の人が、給油室でコップを洗っていることがある。女性事務員が居ないのか、同じ事務員だからやっているのか、女性の事務員がたまたまお休みなのか‥。私のところは、私が休めば次の日までそのままになっている。まぁ、これは私の仕事と思っているから問題はないのだが‥。その男性がコップを洗っている時に、私はその場から少し離れて、洗い終わるのを待っていた。慣れていないのか丁寧なのか、洗い終わるまでが長かった。まぁ、それでも男性だからとじっと待っていたのだが‥。問題は洗い終わってから、一言も無かったことだ。普通、「お先です」 とか、「遅くなりました」 というような、待っている私に何か一言言葉をかけていくものではないだろうか?共同で使う場所なのだから、私としてはそれなりに礼を尽くす必要があると思っている。でもどうやらその男性には、待たせているという感覚が、全く無いようである。そうなると、この男性のしている行動が、慣れてないかも?丁寧なのかも?という考えが消えてしまう。果ては、「仕事はきちんと出来ているのか?」という疑問まで湧いてくる。共同で使う場所なのだから、ある程度の礼儀はわきまえて欲しいものである。たった一言なのだが、その一言が大切である。
2013年03月28日
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実は私の家の庭にも、小さいけれど桜の木が2本有る。玄関側と南側に1本づつ、そして南側の桜が咲いた。でもお花見は名城公園まで行ってきた。久しぶりの名城公園、変わらないところもあれば変わったところもある。30歳代のほどんとを、この名城公園の近くのマンションで生活した。だからこの公園は、30歳代の私にとって生活ベースだった。土の感触が優しかった。変なのだが、大治に帰ってきて土が無い‥、名古屋なのに土があるという不思議な現象だ。東京と違って名古屋はまだ桜はつぼみが多い。でも名城公園は桜以外にも沢山の花に囲まれているので、見て周るのに飽きることはない。ほぼ、丸一日ゆったりとした時間を過ごすことができた。一緒に周ってくれた人は、私の大切な「先生」と慕う中の一人。その先生につぼみが多い桜で申し訳ないと思ったのだが、この先生は向こうの世界が見える人なので、あまり人ごみを好まない。だから先生にとっては良かったことになる。やはりまだ寒かったので、二人で太陽を求めて場所を替えては、お花見とお喋りを楽しんだ。この先生とは、似てるところもあるので、話していても「分かる」というより「解る」という感じである。人間は、自分以外の誰かに理解してもらいたいという願望を持っている。表面的なことでなく、自分の核の部分を理解してもらいたいのだ。ただそれをやり過ぎると、人間関係が上手くいかなくなる。だから、自分の核になる部分を理解してもらえる人は、とても貴重な存在である。楽しいひとときだった。桜と名城公園と、そして大好きな先生に感謝の一日だった。
2013年03月25日
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ソフトバンクに行ってきた。久しぶりに行って、対応の速さや良さに驚いてしまった。「待ち時間によっては別の日にしようか」という感じで、どちらかというと、「多分人が一杯で別の日になるだろうなぁ‥」という先入観で行ったので、すんなり相談窓口に通されて、ドギマギしている始末である。「待ち時間無しなの?」 内心びっくりである。しかも途中でホールに居た別の人から、「何か飲み物をお持ちしますが‥」とメニュー表片手に言われて更にびっくりである。私は今回どこにもっていって良いか分からない相談なので、申し訳なくて即座に断ってしまったが、いままでとの対応の違いに、正直驚いていた。もしかして時期かも?子供が学校に行く4月を前に、子供をきっかけにして、家族ぐるみで携帯を乗り換えさせたいと、各社が凌ぎを削っている時期だからかもしれない。いつもより配置人数が違うし、対応の素早さも違っている。来店した私に、すぐさま駆け寄って言葉をかけてくるのだ。窓口の人も私の相談に根気よく付き合ってくれた。どこに問題があるかを、色々な視点で探してくれたのだ。最後は携帯の機種メーカーに電話してくれて、問題解決に向かって色々やってみた。結果、最終的に相手のサーバーが一杯で送信したメールが戻ってきてしまうのではないか? ということに落ち着いた。あぁ、言われてみればそれ有りだなぁ~と納得。私だって、迷惑メール等が来ると全部を受信しない。サーバーに置いたままで、ある程度一杯になれば消去する。自分でも良くやる作業なのに、逆の立場になると、こういう事実を思い出さない。全く、立場が変わっただけで考え方がストップしてしまうのだから、臨機応変という言葉とは、ほど遠い自分だなぁ~とがっかりした。あっ、でもこれで解決すれば有難い、相手に話してみようと思う。どうか、これで問題が解決しますように‥。
2013年03月22日
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知り合いにメールが届かない。彼女とは先月もメールしているから変だなぁ~とは思ったのだけど、場所や時間を替えて何度もするのだが、戻ってきてしまうのだ。幸いにもフェイスブック仲間なので、そちらからメールをして、新メルアドをお願いした。ところが戻ってきた回答が、「変更していない」とのこと。しかもその返信が携帯に入ってきたから、相手からは入るわけだ。じゃぁ??理由は分からないが、今なら入るのか?と思って入ってきたメールで返信!でも結果‥やっぱり戻ってきてしまった。相手はドコモ、こちらはソフトバンク。ソフトバンクに問題あるのか?メールは届いて当たり前だと思っているから、届かないとなると、すぐに不安になってしまう。全く、便利は不便の裏返しなのか?そういえばテレビの「寺子屋」で、サッカー解説者のセルジオさんも言っていたなぁ。「日本に来た40年前頃、九州に行くまで18時間かかった。滞在時間3時間の為に、往復36時間かけたのだ。これはヨーロッパのほうが近い距離だ。全く効率の悪いことをしていた時代である。でも、それを知っているから今の便利な世の中に感謝できる。そういう昔を知らない人たちは、遅いとすぐにキレてしまう。」私も不便を知っている年代だ。それでも便利なことに慣れてしまい、たまに不満が出てしまう。だからこの話しは耳が痛い話しだった。しかし、今回ばかりはフェイスブックに感謝である。フェイスブックは使い方が良く分からないので、あまり使いたくないというのが本音なのだが‥。さて、携帯メールの件をどうしようか?ソフトバンクに聞いたら回答を得られるのだろうか?
2013年03月20日
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ふと気がつくと、頭の中で組み立てていることが一杯ある。悩んでいるわけでもなければ、段取りを考えなければならないわけでもない。極自然に、頭が空っぽになっているはずの時間に、色々勝手に脳が組み立てているから驚いてしまう。本人はぼんやりしているつもりだというのに、脳内は工場の流れ作業のように、次から次へと何かを考えている。「あれっ?なんでこんなことを考えているんだろう‥」頭を休める時間だというのに‥何故???心臓とか呼吸とか‥、自然に動いていてもらわないといけない臓器は沢山有るけれど、脳には時々休んで欲しいと思う。でも、どうだろう。起きている時に本当に休んでしまったなら、危機管理ができなくて、命に関わることにもなるかもしれない。じゃぁ、仕方がないのかなぁ‥。何も考えないって難しい。これも個人差があって、私はそういう練習が、人一倍必要なのかもしれない。厄介だねぇ。望んでもいないのに、あちこちから考える事柄を拾い集めている。わざわざ集める必要が無いというのに、拾い集めている始末である。こんなことをしていたら脳がパンクする? 頭から煙が出るかも? (^^)「全てを手放す‥」 脳にそう言い聞かせて、有るがままを見て、有るがままを聞いて、有るがままを感じて、ゆったりとしようと思う。
2013年03月18日
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私は聴覚タイプなので、理詰めで理解しようとする。どちらかというと男性的な考え方をするわけだ。NLPのトレーナーに、「聴覚タイプなのにレイキマスター?」 と不思議がられたことがある。レイキという目に見えないものを教えるというのが、左脳人間より右脳人間のほうが分かりやすいというわけだろう。確かに私にとってレイキは、「分かる」 というものであり、理屈で理解しているものではない。それは申し訳ないが、「分かる」 としか言いようがない。「そこに存在する」 ものが、レイキなのである。有るもの‥、存在するもの‥、リアリティーに溢れるものなのだ。だから私にとって超現実的なものなのだから、左脳人間であっても受け入れられる。なのでレイキが理解できないという人のフォローは、色々な創意工夫をすることになる。でも、それはそんなに難しくない。感じる世界なのだから、目に見えなくても誰でも感じられるからだ。ところが最近男性の生徒さんが増えてきて、理屈でないものを受け入れることに、戸惑いを感じていることが伝わってくる。頭では理解していても、いざ感じると一旦否定しようとするのだ。多分私もレイキが現実的なものでなかったとしたら、同じような反応をするだろうと思う。だから生徒さんの反応は良くわかるのだ。そういう生徒さんに、見えない世界を理屈で教えなければならない。でも考えてみれば、私は女性で左脳人間なのだから、両方の気持ちが分かるところにいる。これって、ラッキーだよね。教えることに関しては、男女共に教えやすいわけだから‥。「在るがままの自分を受け入れる」全てに意味があって、今の自分が有る。短所も長所も大切な自分の一部分だから、全てを受け入れて、感謝しつつ周りに還元していきたい。
2013年03月16日
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流れが変わることが分かるのだが、それも表裏一体で、裏の部分の気持ちを味わってきたからである。辛いことがあるからこそ、嬉しいことが分かるし、苦しいことがあるからこそ、楽しいことが分かるのである。そして、辛いこと苦しいことを経験することは、他の人に共感することができるわけで、それは人としての幅も広がることになれば、副業にも生かされることだから、感謝することである。でも、感謝することって、苦しい時には中々できないものである。そんな時の感謝の言葉は、妙に宙を浮いていたりする。それでも言霊である、言うこと自体が大切なのだ。思っているだけよりも、言葉として言ってみることである。よく偽善だと言う人がいるが、偽善でも言わないより言ったほうが良いと思っている。それほどに、言霊は大切だと思うのだ。時には、言霊に自分が引っ張られることもある。感謝の言葉を言っていると、感謝の心が育ってくるのだ。本当は感謝の心が有って、感謝の言葉を言うという順序であるべきだが、心が荒んでいる時には、逆を辿っても良いと思う。自分の波長を高めよう~。高めれば、その波長に合ったことが周りに起こってくる。そして周りに高い波長の人たちが集ってくるのだ。全ては自分、自分が発信しているのである。自分が発信したことが、周りに起こってくるのである。
2013年03月14日
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昔、タモリが深夜にやっていた番組だったように思うのだが、外人の歌が全く違う日本語に聞こえる‥というようなことをやっていた。意味不明な日本語になるのだが、それが面白い。言われてみると‥という感じで、英語が変な日本語に聞こえるのだ。でもこれはどうやら日本人の特徴らしい。というのも、その逆をしても外人には伝わらないからである。専門家に言わせると、日本人というのは、聴き取れない部分を補って聞こうとするようなのだ。聞き取れずに欠けて聞こえてきた言葉を、頭の中の頭頂連合野という部分で、過去の記憶と照らし合わせて、イメージをつくって言葉にしているようである。どうやら日本人というのは、聞いたことが無い音に対して、様々な想像をする人種らしい。紛らわしい音に対して、色々なイメージを働かせることができるのだ。素晴らしい~。想像力を働かせてなんとか相手を理解しようと、日本人は一生懸命なのだ。そうなんだ~、私は自分のイメージ力の貧困差にいつも嘆いていた。でも貧困なイメージ力でも日本人なんだから、そんなに卑下したものでもないわけだ。そっか~、ちょっとは自信を持っても良いようだ。うん、日本人で良かったよ~。イメージ力は必要である。未来をしっかりイメージできれば、幸せが待っているからだ。この現実世界を創っているのは、誰でもなく私たち一人一人である。自分の未来は自分が創っているのだから、自分の幸せをしっかりイメージしよう。そう、平和を願って平和をイメージしよう。そういう人が一人でも多くなれば、本物の平和が訪れるのだから‥。
2013年03月12日
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頑張るって良いことだけど、その基準を他の人にも当てはめてはいけないよね。私がここまで出来るから、あなたもここまで出来て当然よね?という考え方は間違っている。そんなことは百も承知しているはずだけど、あまりに掛け離れた人を見ると、どうしても色々な感情が噴出してくる。私が頑張らなければ、相手の行動はちょっとだけ問題なだけだろうに、私が頑張ってしまうから、相手の行動が随分問題だと見てしまうのだ。どうしても自分が基準になる。自分は出来る、自分は出来ない‥、それによって相手を推し量ってしまうのだ。無償の愛を持つ親の気持ちになるべきだろうけれど、どうしても対等な人間として見てしまうのだ。頑張らない自分が想像できれば良いのだけれど、それも難しい‥、ずっと頑張ってきたからだ。頑張ってしまうから、どこから体調が悪いと言って良いのか見当がつかない。頑張ってしまうから、相手がすべきことにも、口や手を出してしまう。頑張ることも必要だけど、頑張らないことも必要である。影があるから光が分かるように、光だけでは光自体の存在が分からないのである。言葉の対極にある言葉は重要である。どちらも大切なもの、どちらも大事にしたいものだ。自分の対極にある行動をとってみるのも良いだろう。苦手な人の心が、理解できるようになるかもしれない。自分を外側から見つめて周りを眺めてみたら、違う基準が存在することに気づくだろう。基準を自分にしないですむ、良い方法だと思う。
2013年03月09日
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室内と室外の寒暖の差が激しくて、内臓がびっくりすることがある。体調が悪いわけでなく、いたって元気なのだが、表面温度が変わるのは当たり前だとしても、内臓のほうが驚いてしまうのだ。ゴミを捨てにいったり、洗濯物を干したりと、朝はどうしても家の出入りが多い。そんなに長い時間、外にいるわけではないから、その度服を脱いだり着たりはしない。室内にいる格好で、つっかけを履いてちょっと外に出るだけなのだ。そうやって外気に触れつつ暖かい室内を行き来する。その時は忙しくしているからか、体は普通なのだが‥。困ったことに家を出てバス停まで歩き、その後暖かいバスに揺られていると、腹部に変動が起こってくる。揺れも手伝うものだから、超大変である。慌てて腹部にレイキを送る。途中何度か降りようかどうしようかと悩んだけれど、レイキで結構落ち着く場面が多くなるものだから、結局いつも通りのコースで会社へ行った。私にとって、日頃レイキが当たり前過ぎて、感謝の念が薄れていることに気がついた。いやぁ~、反省、反省。お金を払ってレイキヒーリングに来るお客様のことを考えたら、もっともっと感謝しなければいけないよねぇ‥。当たり前だと思うことって、決して当たり前ではない。小さなこと一つ一つに感謝をして生きていかねば‥と思った。
2013年03月07日
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喫茶店で一人でコーヒーを飲んでいると、聞くつもりがなくても、隣りで話している人たちの内容が、聞こえてくることがある。私は本を読んでいるのだが、その人たちの話しの内容に引き込まれて、本の内容が頭に入ってこなくなることがある。どうやら主婦としての悩みの数々を、お互いが共感しているようで、随所で互いに同意をして、大いに盛り上がっていた。妻の目から見たお姑さんたちや、子供や夫‥。子供の話しは、学校の先生の話しや同級生の話し、果ては同級生のお母さんの話しにまで及んでいた。同じような立場であれば、苦労する内容もある程度分かり合える。話しをすることだけでも、報われる苦労があるのだ。喫茶店はコミュニケーションをする場所として最高である。私のように本を読むだけの人間もいるのだが‥。それぞれの家庭の中で渦巻いている事柄が、家庭を飛び出して他者と交流することによって、問題が問題でなくなることもある。自分一人で抱え込んでしまうと辛い出来事も、友達と話しをすることで、狭かった視野が広がっていく。同じことで悩んでいる人が居るという事実は、心を軽くしてくれる。コミュニケーションは大切である。人との繋がりは、自分の心の解放へと導いてくれるだろう。
2013年03月05日
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あるトーク番組で、60歳代の男性3人が喋っていたのだが、その内容が私の心にとても響いた。その人たちと私とは、年齢的に5歳位の違いなので、殆ど同年代といって良いだろう。何を話していたかというと、今後の夢についてである。彼らには隠居するという概念が無い。その3人はサラリーマンでないから定年がないわけで、だから確かに生涯現役で頑張れる立場ではある。でも、サラリーマンであっても、隠居しなければならないということはない。たとえ会社は定年で退いたとしても、第2の人生を違う形で、花咲かせることはできるだろう。いつまでも夢を持ち続け追いかけているなんて、素晴らしいではないか!夢について熱く語っている60歳代の、ちょっとくたびれた3人が、すごく素敵に感じたのである。この3人のトークが、もっと私の心に響いたのは、20歳代後半でのエピソードを話した時のことである。考えられないことを思い付き、それを躊躇なく実行に移していったようなのだ。お金も無く何の保障もない生活の中で、普通に考えれば無謀だと思うようなものを扱って、お金を得ようと頑張る。結局その無謀な行動はお金にはならなかったようだが、その時のその時間が楽しかったというのだ。今の年齢で過去を振り返り思い出して、「あれも思い出の一つで良かったなぁ~」 というわけではない。その時が、その時の行動が楽しかったというのである。なんだか聞いていて、生涯少年‥という気がした。こんなふうに歳を重ねていくと良いんだろうなぁ‥。私でもまだ間に合うだろうか?
2013年03月03日
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金曜日の朝、久しぶりにいつもと違うルートで会社へ行った。とはいえ一時期よく通った道なので、どれだけ歩けば信号が変わるか、感覚としてしっかり覚えている。ところが、ところが‥だ。信号機のほうの点滅の仕方が変わってしまっていたのだ。私は一瞬、どうして信号が赤なのか、全く理解ができなかった。前なら向こう側に渡れる時間配分で歩いていたからだ。良く見ると歩行者用の信号が、不規則な動きをしていた。訳が分からず、暫く周りを観察していた。そこは、三車線と一車線の信号である。いままでは三車線が青になれば一車線は赤という、極普通の信号。それが車を右折車だけ通すような時間を設けたのだ。必然的に歩行者も右折車が通らない部分だけ青信号になる。三車線側と一車線側のL字部分だけ青になるのだ。「こんな狭いところでどうして‥」最初はそう思ったのだが、一車線では右折車があれば直進車が動かない。それでなんだろうなぁ‥と納得した。昔、一泊か二泊かの旅行から帰ってきたら、いつも砂利道だった家までが、舗装されていたことがあった。あの時、玉手箱を開けてしまい、お爺さんになってしまった浦島太郎の気分になったのだが、なぜか今回もそんな気持ちになった。「いつまでも一緒という考えは、幻影だよねぇ」慣れ親しんだ日常生活でも、知らないところで変化している。頭を柔軟にしなければ‥、ネ。
2013年03月02日
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