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大手業者が合併するとなると、変更しなければならない書類が山と有る。しかもあまり早くから世間に知られるのが困るという業者もいる。そういう業者から言ってくるのは、合併間近となるから、こちらとしては大慌てである。大手なので、合併が決まったのは数ヶ月前のはずだ。 言ってきたのがあまりに間近過ぎると、ちょっとぼやきたくなる。せめてもう一日早く‥というのが本音である。合併は当事者間の問題ではあるが、その当事者から波及する業者は多いはず。そういう業者のことも、少しは考えて欲しいところである。しかもこちらは事務だから、情報が下りてくるまでには、もう少し時間がかかってしまうのだ。そして一番慌てるのが私たち事務である。まぁ実際はぼやいていても仕方がないので、フル回転で仕事を熟すのだが‥。終わるとドッと疲れてしまう。最近閉鎖が多く、時々は倒産ということもあるが、合併はあまり行われてこなかった。だから意外な出来事だった。こういうことも当事者ではないから、こちらはそれほど深刻ではないが、当事者の従業員としては、気が気でないだろう。大手だから大丈夫だという保証がない時代である。我が社のように大手でなくても継続していける会社もある。ようは、どんな状況下になっても、臨機応変に生きていけるだけの、鷹揚さが必要である。私たちは日頃から、どんなことでも受け止められるように心を鍛えて、潰しが利く人間でありたいと思う。
2013年05月31日
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今回の総会は、試みた事柄がどう動いたかが気になっていた総会なので、理事の方々からの報告を、固唾をのんで聞き入っていた。でも蓋を開けたら非常に良い結果だったので、こちらもホッと一安心である。NPO現代レイキの会の存在は、我々会員にとって非常に大切な存在である。現代レイキを盛り立てていく上で、会の運営が上手くことは重要である。午前中の総会は、安堵の中で終わった。その後、昼食を挟んで午後の交流会へ場所を移す。昼食も仲間と会話が弾み、場所が国立代々木オリンピックセンターなので、景色も最高に良く、食事がより美味しく戴けた。私は、今回理事になられた四国の方と、前回研鑽会で仲良くさせてもらった長野の人と、3人で昼食タイムだった。他には土居先生を囲んで食事をしているグループと、他の理事の方々を囲んでいるグループと、3ヶ所に分かれて食事した。新しい理事の人から美味しいデザートを戴いた。どのグループからも笑い声が聞こえてきて、みんな楽しんでいる様子だ。午後の交流会は、40名位だったと思う。ここでも仲間との再会に、あちこちで挨拶が飛び交っていた。現代レイキを広めるための仲間が、変わらず参加しているのをみると、諸手を挙げて嬉しい気持ちになる。仲間という言葉が、胸の深いところに沁みていく。まぁ、なんだかんだ言っても、会えただけで単純に嬉しいんだけどね。東京の交流会に来ると、とてもホッとする。良い時間を戴けたと思う。今回も有難いことに、夜行バスの出発時間まで付き合ってくれた仲間が居た。いつも誰かが傍にいてくれる、‥感謝☆
2013年05月29日
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良い歳の取り方をしたいというのは、殆どの人の意見だと思うのだが、世の中にはそんなことを考えない人も、間違いなく居る。会社への通勤途中での出来事だった。バスが止まって運転手さんが外へ出て行った。外に出たのは、車イスの人を乗せるためである。朝の通勤時なので、車内は4~50人ほど乗り合わせている。勿論通勤時とはいえ車イスの人でも乗車するわけで、多少手間取ってしまっても仕方がないことだと思っている。私は本を読んでいたのだが、途中から本の内容が、さっぱり頭に入ってこなくなった。というのも、怒鳴り声が聞こえてきたからである。最初は、運転手さんが手間取っているから、誰かから文句が出たのかなと思った。何せ通勤時間なものだから、会社に遅刻となってもいけないからだ。「実際何が有るか分からないのだから、余裕をもって家を出るべきだろう」と考える私だから、私は多少時間がかかっても焦ることはない。でも、よくよく聞いていると、文句を言っているのは、車イスに乗っている人なのだ。これには私のほうもびっくりした。しかも喋り方がヤクザのような口調なのである。一生懸命作業をしている運転手さんに対して、罵詈雑言を浴びせかけているのだ。聞いていても汚くて気持ちの悪い言葉使いである。多分私がそんなことを言われたら、平常心ではおれないだろうと思った。車内の空気はどんどん悪くなっていく。時計を見ながら舌打ちしている人も、私の目の端に入ってくる。みんな、苛立っているのを感じる。バスの運転手に、罵詈雑言を浴びせている車イスの人には、同情する気持ちが全くなかった。勿論その時の車イスに乗っていた人に限ってのことである。「てめぇの上司の名前を言え!」と最後に言っていたのを聞いたが、そういう言い方しかできない人に、同情しないのは当たり前ではないだろうか?車イスに乗っているからといって卑屈になる必要はないが、だからといって高圧的な態度を取るなんて、論外のように思う。話しは変わるが、同じバス停から乗る人の一人に足の悪い女性が居る。彼女は杖を使って一生懸命歩いている。その彼女は乗る時運転手さんに「よろしくお願いします」と声をかけ、降りる時には「有難うございました」と毎回必ず声をかけていくのだ。この違いはなんだろうか?病気や怪我は気づきであることを忘れないで、どういう生き方をするべきかを、自分に問いながら歩んでいきたい。
2013年05月24日
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そう、暑くなると蚊と蜂に悩まされる。蚊は雨が降った後に大量発生して、家の出入り口をうろうろしている。まるでここで待っていればご馳走にありつけるとばかりに‥。蜂ともなると、家の周りを点検して歩かなければならない。東や南の暖かい場所の軒先に、巣を作っているからだ。昨日無かった場所に、今日には巣が出来ていたりする。角度を変えて見てみると、見えなかった巣が見えてきたりして、思わずぞっとすることがある。前の家の人が、勝手口から出てきたところで会ったものだから、「こんなところに蜂が巣を作っている」と私の家の軒先を指さして見せた。その人がそれを見て「本当に困っちゃうよねぇ‥」と言って自分の家に戻る時に、あっと声を出した。その先を見ると、その人の家の勝手口横の配管の隅に、小さな蜂の巣が出来ていたのだ。その蜂の巣は、私の家から見ないと見つからない。それでいて家の出入り口近くに陣取っているのだから、何かの拍子に家の中に入り込んでしまいかねない。というか、そうでなくても動くものとして攻撃してくるかもしれない。だから見つけられたのはラッキーだった。「夜、涼しくなったら駆除します」と言いつつ、私にお礼を言って戻っていった。「えっ?こんなところに!」そう思うところにも巣を作る。以前、木の枝と葉の間に巣を作っていたことが有り、それを知らずに刺されたことがあった。それからは、枝と葉を密集させないということを肝に命じている。適度に隙間を作って、風を通すことにしているのだ。まぁ、それは木の為にもなっているから、一石二鳥である。もう蜂の巣は7ヶ所ほど見つけて駆除している。といっても駆除は弟がしてくれるので、私は見つけるだけである。「蜂が巣を作らないためのスプレーのようなものは無いかなぁ‥」或いは、蚊を家の入口付近から除去できるようなものは無いかと、弟と二人で試案している毎日である。
2013年05月21日
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今日はNLPの再受講なので、出勤前の一仕事というのは昨日の話し。雨が降ると、草むしりが出来ないうえに草の成長を促すことになる。それが嫌で出勤前の慌ただしい時間に草むしりをしてしまった。だいたい会社へ行く朝は、するべきことが多いから、本来これ以上仕事を増やさないようにしなければならない。それなのに何故手をつけてしまうのか。しかも私の悪い癖で、ついつい夢中になってしまい、あちこち範囲を広げてしまうのだ。一応時間を気にして、頭の中では(まだ時間は大丈夫か?)と自問自答している。キリが無いのは分かっているから、なるべく見ないようにするのだが、「後ここだけ‥」と言って、カニ歩きで横に移動している。結局ゴミ袋を一杯にして、ようやくキリをつけているのだ。それから家に入れば掃除、食器洗い、洗濯物と有り、それを見ながら「なんで今日草むしりしたんだろう‥」と嘆いている。でもそう言いつつも、爽快感に包まれている。朝の早い時間は、気持ちの良い空気感で心地良い温度だからだ。頬を伝う風も心地良い。じんわりとした汗も悪くない。時間の関係で食事ができなくても、全然気にならない。そうはいってもきっちり食べているのだから、時間配分はしっかり考えている私だ。会社はデスクワークだから、これも準備体操のようで良いかな?と思っている。
2013年05月18日
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昨日は暑かった~、名古屋は32度ですよ~。朝から20度近かったものだから、通勤する時からもう暑い。 会社は東側に窓が有るものだから、朝出勤してドアを開けると、部屋が暖められていて、入るとムッとする。すぐに窓を開けて空気の入れ替えをするのだが、暖められた部屋の温度がすぐに下がるはずもなく、どんよりしたままである。最初だけでもエアコンをかけたいところだが、上司がすぐに出勤してくるので、かけるわけにもいかない。 私と体感温度が違うようで、この位ではエアコンを嫌うようだ。私だってずっとかけるわけでなく、朝の暖まった部屋を数分間だけ、下げたいだけなのだが‥。会社でもこうだから、家族間で体感温度が違えば大変である。各部屋はともかく、食事をする場所では同じ温度なのだから、部屋の中で暑さ対策、寒さ対策になってしまう。私の体感温度は、2段階で変化してきた。一度目は30代の時で、食事の中心を根菜類にした時である。その時は会社に行く前に名城公園を散歩するという、軽い運動も始めていた。それで冬になるとボールペンも持てなくなる体質から、普通の人並みに体温が回復したのである。二度目はレイキを知ってからである。レイキエネルギーのお蔭で体内温度が上がり、女性特有の冷えに悩まされなくなった。有難いことに、冬でも毛布は使わないですんでいる。普通歳を重ねると、どんどん体温が下がるようだが、レイキのお蔭で体内温度は下がらずにいる。「これも若い頃病気と闘ったご褒美では?」と、勝手に解釈して喜んでいる私だった。
2013年05月15日
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今、会社が入っているビルで、トイレと湯沸し室の改装工事をしている。3階、8階、9階が改装の対象となっていて、8階と9階は工期が短かったので、すでに終わっている。3階は出入りが多い階なので、2倍以上の時間がかかっている。ただ、ゴールデンウィークを挟んで行なっているので、実質はそれほど影響がないが、それでももう3週間目である。コップ等を洗いにいくにも1階上がって4階に行く、もちろんトイレも同じことなので、せっせと階段を使っている。‥これって、健康的だよね。たかだか1階上り下りするだけなんだけど、普通はそれすらもしないわけだから、工事期間は体を動かすのに一役かってくれているわけだ。車も同じで、日頃車移動の人はあまり歩かないことになる。だから車を持っていないか運転できない人は、移動手段が自分の足となるので、車移動の人より歩くことになる。便利になるにこしたことはないが、不便なことにも利点がある。世の中切り捨てることばかりではないのだ。便利になると、不便になったことに不平や不満を抱く。でも不便が普通だったとしたら、便利になったことに感謝の気持ちが生まれるものである。便利なことに慣れてしまい、感謝の気持ちを忘れがちな私たちは、発想を変えて不便に感謝していきたいものである。それから、日頃別の階へ行くことがないものだから、同じビルなのに違う雰囲気を感じとれて、面白いなぁ~と思った。こんな発見も、工事をしているからだよね!
2013年05月14日
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長所を褒めたなら、その人の持つ短所も容認するべきである。人間は完璧ではないのだから、短所があるのも仕方がないことである。でも人間は長所に目がいくよりは、短所のほうをクローズアップしてしまいがちである。良いところを褒めずに、悪いところばかりを問題視してしまうのだ。これではせっかく努力しても報われない。頑張った部分が認められずに、終わってしまう結果となってしまう。まず褒める、まず良いところを認めてあげてから、次に短所に触れるべきである。そうすれば自分を認めてもらっている人の言葉として、自分の悪い面を受け入れられるからである。また、見方は色々あるから、私からは長所に見えるところでも、他の人には短所に映ったりして、その見方に驚くこともある。でもそれは、価値観の違いだろうから仕方がない。価値観ばかりは一致させられないから、容認するしかないのである。「へぇ~、そういう見方もあるのね」自分とは相容れられない考え方だが、それでも相手の考え方を認めてあげることが大切である。「仕方がないよねぇ、自分だって長所もあれば短所もあるのだから‥」自分も一緒、ただ長所と短所のあるべき場所が違うだけ。そう、互いに容認して手を取り合うことが大事である。 納得できなくてもいいから、認めてあげること。この世界は共存共栄なのだから‥。
2013年05月11日
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そうなんだよ~、苦手なものは好きなものと組み合わせればいいんだよ~。なんの話しかって? 大治スポーツセンターでのスポーツのこと。好きじゃないことを続けるって、大変なんだよねぇ‥。しょうがないからやっているって感じ。何故やるかって‥、体にとって必要だからだ。やればすぐに、やっただけの見返りがくるから良く分かる。良く分かるからこそ、やらざるを得ない。しかしここで葛藤が生まれるのである。好きじゃないから時間が中々過ぎていかない。それでも一定の時間やらなければ、効果が期待できない。それで嫌々やるという‥心の葛藤の時間である。体を動かすのが好きな人が羨ましい。私のレイキの生徒さんで、ダンスのインストラクターの人が居るが、まぁ、見ていると本当によく動く。動いてないと死ぬのはマグロで(泳ぎを止めると窒息するらしい)、人間は違うだろう~と突っ込みたくなる。お休みの日は、お休みをするもんだろう。彼女のブログを見たら、‥やっぱり動き回っている。君はマグロかっ!(笑)ある時、スポーツセンターで本を読んでいる人を見かけた。あ~ぁ、その手があったか‥「目から鱗が落ちる」とはこのことか。そこで思い出したのだが、そういえばスマホをやりながら自転車を漕いでいる人が居た。それでいいんだよね。必死な形相(多分そうだろう‥)でスポーツするのではなく、好きなことを組み合わせて、のんびりすればいいんだよね。一番大切にすることは、継続することなのだから、そして嫌々でなく継続することが大事なのだから、心にも体にも良い環境で続けていきたいと思う。
2013年05月09日
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光田会長に言われた夢に関する本を買いに本屋へ行ったのだが、どの本も書店になかったため、取り寄せとなった。まぁ次回の勉強会は6月16日なので、まだ時間はある。でも4冊だから、1冊でも早く手元に欲しいところである。エドガーケイシーの夢に関する記述は、かなりの件数になるらしい。それだけ相談者が自分が見た夢を重要視しているのか、ケイシー自体が重要に思っていたのか‥。しかし光田会長や家族が見た夢を聞いて、その重要さが理解できた。物事が生死にまで関係しているとなると、夢の判断ができるか否かは、命にかかわってくる。たとえそこまでのことでなくても、向こうの世界から的確なアドバイスを受けることができるのだから、そりゃぁ~随分と魅力的な話しである。ケイシーのリーディングの中には、些細な判断の夢もあるが、それでもアドバイスが聞けたら、人生が豊かになるに違いないわけで、夢を通じてアドバイスがもらえるなら、有難いことである。問題は私自身が、中々夢を持ちかえれないことだ。でも私のレイキの生徒さんで夢を良く見るという人がいるので、その人の夢解釈ができたら良いなぁ~と思った。そんな夢の解釈の仕方を、ケイシーを通じて教えてもらえる。嬉しい勉強の時間である。夢は向こうの世界からのアドバイス。潜在意識や超意識の世界から、私の人生にプラスとなるアドバイスを、発信してくれているのだ。少しでも夢を覚えて起きれるように、願いを込めて眠りにつくことにしようと思う。
2013年05月07日
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私は何年かに一度、本の処分をしている。そうでもしないと、収集がつかなくなるからである。服とかは、予算上迷って買うのを止めてしまう場合があるが、本に関しては、あまり迷うことはない。それでも3千円以上するものになると、「この1冊を買うことを止めたら、他の本が2冊か3冊買えるなぁ‥」と悩んでしまうことはある。私は小学校の頃から、本を読むのが大好きな子供だった。その頃は、隣り町に行かないと本が無い時代である。お小遣いをもらったらすぐにも自転車を走らせて、隣り町まで買いにいったものである。それが一番の楽しみだった。夏休みに40冊読んだことがある。一日1冊のペースである。というか、そんなお金が良く有ったもんだ。当時は普通の書店も無かったものだから、古本屋など有るはずもない。だから本は、正規の値段で買っていた。確か、お年玉を切り崩して買っていたように思う。本は最初洋書しか読まなかった。当時は日本物の感情表現が、どうも好きになれなかったのだ。抵抗が無くなったのが高校に入ってからだから、随分と時間がかかっている。その時代時代で読む物は変化している。真面目なものから、時間潰しで読むような軽い読み物まで。そういえば漫画も買って読んでいたなぁ‥。もう漫画類は処分してしまっているが、本は軽い読み物でも、処分するのに時間がかかってしまう。中々踏み切れないのだ、もう読まないと分かっていても‥。今回久しぶりに本の処分をすることにした。本の種類を見ると、自分自身のその時々を振り返るようである。「ここ(本)に歴史あり」って感じだなぁ‥。残すものと分けながら、一人感慨深い想いを抱いた。
2013年05月05日
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ケイシーの勉強会は、今回から新しく出発になる。いままでは「神の探求」で全24回‥、隔月だから4年越しである。ここでの勉強は、私にとって心理学で学んだり、レイキやヒプノやヘミシンクで学んだりしているから、びっくりするほどの斬新な内容ではない。でも今回からは違う、聖書の勉強ができるのだ。しかもプラスアルファーのオマケつきになる。そのプラスアルファーは、今回から暫くの間夢判断である。光田会長自身もそうだが、一緒に勉強する仲間の殆どの人が、ケイシー経由でキリストや聖書に入ってきている。私のようにキリストや聖書が前提で、「さてケイシーはどう言っているのだろうか?」という入り方をする人のほうが少ない。多分、教会に通っている人たちは、教会で学んでいる内容に、余り疑問を抱かずにいく人たちが多いのではないだろうか?だから、ケイシーのことが受け入れられないように思う。私はというと、若い頃講義もしていたものだから、疑問を疑問のままには出来なかったので、多角的に勉強をした。信者が言っていることを、言われるままに講義はしていない。ちょっと異端児だっただろうと思う。まぁだから結局長くは在籍できなかった。でも聖書は大好きだったので、高校生の頃からずっと読んでいた。旧約聖書は膨大な量なので、数回しか読んでいなかったが、新約聖書は、もうどれだけ読んだだろうか? 聖書がすり切れるほど読んで楽しんでいた。ポケットサイズのものを持ち歩いて、どこでも読んでいたと思う。一般のキリスト信者は、ケイシーの考え方に驚くだろうし、決して受け入れられるものではないと思う。いや、ケイシーは「考えた」わけではなかった。向こうの世界からのメッセージを、伝えていたのだった。でも元々の信仰がなければ、伝えることもできないわけだから、ケイシー自身が素晴らしい人だったと思う。私はというと聖書だけでなく、聖書に対して批判的な本も読んでいたし、様々な角度から関係する本を読んでいたものだから、普通の信者のように、聖書を鵜呑みにした解釈はしていなかった。勿論当時からケイシーの本も数冊読んでいたので、大いに参考にしていたと思う。今回は確認作業も多く、当時の自分が間違っていなかったことが分かって安堵している。光田会長が東京で聖書の勉強をしていた頃、33回かかったと言った。しかもプラスアルファー無しだということなので、名古屋ではどれだけかかるだろうか?まぁ、端折るかも?と言っていたから、同じ位かもしれない。それでも隔月なので、5年かかることになる。楽しいけれど終わる頃は、私幾つになるのかしら?と疑問にも‥(^^ゞでも楽しいからいいか!と思っている。
2013年05月03日
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良く分かっているさ~、こうやってNLPを学んでいるのだから‥。でもどうしても次の段階に行けないでいる。意識の第2段階から抜け出せないのだ。「分かっていても出来ない」状態で止まってしまっているのだ。勿体無いよねぇ‥、次にいければ、どんなに気持ちが楽になることだろうか?思考から行動段階へいくことが、本当の意味での「学び」であるというのに‥。まるで粘着剤のように、次の段階へ進めないでいる。自分の人生の邪魔をしているのは、紛れもなく私自身だ。もっと言えば、私の今までの「考え方のクセ」。思考は誰でも四六時中している。瞑想とかすると特に良く分かるが、人間中々「無」になれないものである。くだらないことから深刻なことまで、何かしら考え続けている。その私の考え方のクセが、私自身の行動を縛り付けている。おかしいよねぇ、あの人に出来て私に出来ない‥何故??考え方のクセを捨てて、私にもできるようにしなければ‥。新しい仲間は、色々な人が集まっていて楽しかった。大学生の男性から年配の人まで、‥って、一番上は私のようだけどね。大学生だなんてさぁ~。こんなに若い時から心理学の勉強ができるのは、羨ましい限りである。ほんと、レイキの生徒さんを見ても思うけど、私の20代なんて超現実主義で、目先のことしか考えられなかったよ~。若ければ修正もし易いだろうし、修正した人生を歩めるのだから、もっと豊かな人生を送ることができるだろう。まぁだけど、それぞれの歩みだから、今が私のベストタイミングなんだろうと思う。さて今回も、新しい自分に出会うために頑張っていこうと思う!
2013年05月01日
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