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エドガー・ケイシーの日本支部会長である光田氏が、夢日記をパソコン上でつけているというので、私も真似をしてみようと思う。とはいえ、続けられるか‥ちょっと不安である。エドガー・ケイシーの講座では、聖書講座は続くけれど、夢判断は長く続かない。夢判断の講座が終わっても、続けていけるのかが心配なのである。いつブログに載るかは定かではないが、気長に考えてほしい。しかも、内容には全く自信がない。ヘミシンクでも最初はそうだったのだから、同じように考えればいいかなぁ‥と思っている。結局向こうの世界にアクセスして、情報を持ち帰るわけだから、ヘミシンクと似ているわけだ。違うのは、夢というのが自分の為のアドバイスが殆どで、後は親族とか身近な人に限った情報だということ。ヘミシンクの範囲は広く、個人に固執していない。宇宙にだって行けるから、出会いは無限大である。ただ、ヘミシンクは経験を積んで理解を深めていかなければならないが、夢を判断する材料は、ケイシーのリーディングで沢山残っている。だからある程度の経験で、理解できるだろうと思っている。まぁ私の場合はその前に、夢を覚えていなければならないから、他の人より出発地点が遠いという難点があるのだが‥。だいたいが私が何かを始める出発点は、いつもゼロ地点ではなく、マイナス地点であることが多い。しかしプラスから出発するものも有るわけだから、マイナスの出発も受け入れなければならない。今世で学んだことは来世に持ち越されるのだから、少しでもプラスにしておくことが、自分のためである。とにかく、始めなければ何事も進まない‥ので頑張ってみる。ということで、取りあえず「始める」という宣言をしておく。夢からのアドバイスは、なんといっても自分の為なんだもんね。アドバイスを貰えるのだから、耳を傾けないとね!
2013年06月29日
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昨日の話しなのだが、結局890円払うのが正解。高い商品から1割引きますと言われて提示された金額が千円。もし1割引きが無かったとしたら900円。1割引きをして高くなるって、どういうこと??結局高い商品を、機械がどうやって認識しているかがカギだった。どうやら機械は買ったもののなかで一番高いものを、レシートの一番下に持ってくるようである。千円か百円か‥というと千円が高い。だから一番下にきた千円の商品を一割引きにしてしまったのだ。折角2割引きにしたものを、1割引きに変更させてしまったのだ。本来ならレジの人が気づくべきではないか‥とは思うのだが、次々に来るお客様の相手をしていかなければならない中で、そこまでは無理かなぁ~とは思っている。実際私も商品を、2点でなく数点買っているし‥。一回合計金額を見て、その後1割引くと言っているのだから、引いた後のほうが高いことに変だと思わなければならない。私は合計を見ていたものだから、店員さんが1割引きます、と言った後に支払う金額が増えて、びっくりしてしまったのだ。取りあえず払って、明細をじっくり見た。そしてレジの人ではなく、サービスカウンターへと行って、この変な支払いをもう一度一緒に確認してもらった。勿論お金は返金してもらったが、機械は応用が効かないものだから、こういうことは人間が管理しなくてはならない。会社でも、結局最終的なチェックは人間である。融通が利かない機械は、人間が目を光らせなければならない。こういうことに遭遇する度に、機械の限界と人間の素晴らしさを感じるのだが、もしかしたら、もっと未来にいけば、機械の優秀さを伝えられる日が来るのかもしれない。まぁだけど、まだまだ人間が目を光らせる必要があるようだ。
2013年06月27日
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あるお店に行って食料品を数点買ってきた時のことである。会員向けと称して、時々期間限定ということで、買った商品の中で一番高い商品から一点だけ、1割引くというハガキがくる。私は常々不思議に思っていたのだが、沢山の商品を買った人からでも、どうやって一番高い商品がどれなのかを、瞬時に見分けられるのだろうか?‥と。まぁそれが、今回間違った計算をしたレジのお蔭で、そのからくりが分かったわけだが‥。何が問題だったかというと、商品の中で2割引きだったものが、私の買った物の中で一番高かったことである。簡単に例えると‥千円と百円の2点の商品を買ったとする。千円の商品が2割引きで800円、千円は2割引きをしているから、残りの百円が一番高いものになる。百円から1割引きで90円なので、合計すると890円だ。これは私が支払う正式な金額である。ところがレジではどうなったかというと、千円の商品が2割引きで800円までは一緒。百円は百円でレジで打ってから、「高い商品から一割引きます」と言って合計すると、「千円お願いします」と言われたわけだ。一割引きが無ければ、2割引きで800円と100円の商品で900円支払えば良いのに、1割引きをした為に実際より高く支払うことになってしまうという結果。しかも、千円って何!?明細を見て驚いた。目の前で間違いなく2割引きしたはずの商品が、1割引きに変わっているのだ! ‥どういうこと?? 続きは明日☆
2013年06月26日
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今回の勉強会で、一番印象が強く胸に響いたところは、創世記4の「カインとアベル」のところだった。カインは兄でアベルは弟の名前である。カインは弟であるアベルを襲って殺してしまったのである。何故そうなってしまったのか?というと、自分よりアベルの貢物のほうを神様が選んだことに、兄のカインが腹をたてたからである。嫉妬というか‥劣等感というか‥、こういう人間の感情が、殺人にまで発展してしまう一例である。今の時代でも、親族間で骨肉の争いから、悲しいことに創世記で出てくるカインが起こしてしまったような、悲惨な結果に発展してしまうケースをニュースでよく聞く。カインはどうして神様がそういう行動に出たのか、ということを考えるべきだった。神様が弟のほうを受け取ったのは何故か‥、自分に落ち度は無かったのかを、もう一度見直すべきだったのだ。聖書の記述はこうである。神がカインに尋ねた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか」それに対してカインの答えはこうだった。「知りません。私は弟の番人でしょうか」弟の番人って‥、こういう言い方ってある?しかも神様にむかって言うんだよ?私たちも親にむかって、こういう皮肉っぽい言い方をしてこなかっただろうか?決して聖書の中での、別の次元での話しではないのだ。結局、カインはアベルを弟として見ていなかったのだ。弟として見ていたのならば、弟が褒められたことを、自分のことのように喜ぶべきではないだろうか?嫉妬とか劣等感というものが、悲惨な結果をもたらす可能性が有るということを、私たちは忘れてはいけないと思う。
2013年06月24日
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ケイシーの勉強での夢判断は、より具体的になってきた。それぞれが自分の夢を持ち寄ってきて、それをみんなでシェアしあう。シェアし合う中で、光田会長がケイシーのリーディングでのヒントをくれる。そこからまた発展していき、色々な意見を出していくのだ。一人で考えたとしたら、きっと偏った方向からの見方しかしないだろう。色々な人が考えるから、違った角度からの意見を聞くことができる。それが夢からの正確なメッセージに近づく良い方法だと思う。私はあの勉強会から一度、夢を見ていることを自覚できた日が有った。これは貴重な体験だったと思う。最後の場面を覚えていて、でもその覚えている時に夢と自覚できていない。夢の中で夢と自覚していないのに、寝返りうっている自分を自覚できている‥、なんだ?これは??寝返りうっている自分が自覚できているのだから、今見ているのは夢だと理解するのが普通なのだが‥そこに意識がいかない。今回のこの変な体験で、次回からは寝返りうった時に、今見ているのが夢だと認識できるようにすれば、夢として自覚できるようになるのではないだろうか?と思った。これには訓練がいるが、まずは第一歩ではないだろうか。きっとこれは、夢というものに関心が向いたお蔭だと思う。だってみんなはきちんと夢日記をつけて、勉強の場で発表できるんだもん。私は2ヶ月の間、全く夢を認識できなかったし‥、もぅ駄目じゃん。だからこんな一歩でも嬉しかったなぁ~。その夢なんだけど、私の誕生日に剣道の道具一式を貰う夢なんだ。それが私以外にも10人もの人が、同じようなプレゼントをされている。実は、それ以外に思い出したことがあったんだけど、それはその夢の前に、何十倍もストーリーがあったということ。気のせいだとは思うけれど、1時間近くも夢を見ていたような気分だったと思う。ずーっと夢を追っていた自分を思い出したわけで、内容は?というと、全く覚えていない。これには悔しくて仕方がなかった。夢という自覚がないから仕様がないのだけれど、その間寝返りを何度もしたという自覚が有った。寝返りの回数を考えると、超大作の夢だったことになる。あぁ~、どんないきさつで剣道の道具一式貰ったんだろう~。10人もの人が、一緒のものを貰って着替えていたよ!‥う~む、分からん。今度の8月の勉強会までに、一つでも良いから夢を持ち帰って、発表ができるようにならねばと思う。さて、頑張りますかっ!
2013年06月22日
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NLPプラクティショナー5日目は、ワークで満載だった。ワークで始まりワークで終わった一日だったと言っても良い。振替の人が二人も参加したものだから、楽しさ倍増だった。でも、二人一組のワークが殆どだったので、ワーク内でご一緒出来なかった人もでてきてしまった。まぁ、それは次回7月受講の時に期待しよう。今回の失敗‥いやいや、失敗ではないよね!経験だよね。モデリングのモデルの選択を間違ってしまったようだ。なのでそのワークが上手くいかなかった。ただの憧れでは上手くいかない‥。そうなれればいいなぁ‥でなくて、そうなるのだ!少しでも近づくのだ!というそんな憧れの人でなければならない。自分を高めていく‥、自分を高めた先に居る人がモデルだったなら、その人をモデリングすることで、自分がもっと早く成長していけるのだ。私がそのモデルに選んだ人というのが、私の中には「全く無い性格の人」を選んでしまったのだ。自分の対極に居る人を選んでしまったので、マネをしたところで、私自身の行動には結びつかなかった。私がそのモデルとなる人の行動が出来なかったなら、モデリングしても、ただのモノマネで終わってしまう。それではNLPで学んだことにはならない。ただのモノマネである。でも、この経験は私にとって良いものになった。私とその間違って選んだモデルの間には、とてつもなく長い距離が、横たわっているのだということを、改めて教えてもらった。そして、私は私なんだということ‥。私は私の中で、一歩でも成長していくことが大切なのだと‥。私は私として、地に足が着いた成長をしていこうと思う。
2013年06月20日
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基準が自分であると、いつまでたっても見えてこない場合がある。たとえ夫婦であろうとも、相手の目線で物事を見ることができない。分かるところもあるだろうが、全てが分かるわけではない。そこからすれ違いが始まってしまう。どんなに仲が良くても、考え方をすり合わせなければ、最初は小さなすれ違いであっても、何年もそれを放置しておいたなら、そのすれ違いは大きなものへと変貌していくことだろう。人の考え方は、細かいところまで聞かなければ分からない。分かったと思っているのは、自分の勘違いなのかもしれないのだ。人が羨むように仲の良い夫婦が、元は些細なことだったというのに、年月を経て亀裂に発展していく。折角良い巡り会いをしたというのに、勿体無いとしか言いようがない。努力、気遣い、感謝、無償の愛‥。それらを常に念頭に入れて、私たちは実践していかなければならない。そうすることが、良い関係を長く続けていく秘訣である。与えられた環境は色々ある。家族だったり、学校や職場だったり、或いは友達同士かもしれないし、恋人か夫婦かもしれない。環境や関係は違っていても、人として学んでいくことは一緒である。様々な感情を味わい、経験として積んでいくことが重要である。億単位の人間社会の中で、出会える確率は極端に少ない。折角の出会いであり縁である。縁を与えていただいたのだということを肝に銘じて、関係を大切に育んでいきたいものである。
2013年06月18日
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最近はサボることなく、週に一回足を運んでいる。真夏や真冬のようなサボる言い訳が少ない今が、一番まともに出勤している。言い訳は言い出すとキリが無い。人間は言い訳を考える天才ではないだろうか?‥って、私だけじゃないよねぇ。ここ二週の間に、スポーツセンターの備品が何かしら増えている。微妙に場所が移動していて、新しい備品がいつの間にか増えているのだ。アキレス腱を伸ばすものだったり、体全体に横揺れを起こして、日頃使わない筋肉をほぐす物だったりと、変わった物が増えていて面白い。そうそぅ、足の裏や足のふくらはぎや腰をほぐす機械も有った。スポーツというより、ストレッチやリラクゼーションに近い。これも幅広く住民に来てもらうための作戦なのか?それにしても合併しそこなった大治町としては、予算が大丈夫なのか心配してしまう。ここには近隣の市町村からも施設を利用しにやってくる。スポーツを始める前に、名前等を記帳するのだが、そこには近隣の住所(市とか町程度の記帳)が書いてあるからだ。実際1回200円なのだから安いと思う。定期も1ヶ月2千円だから、運動が好きな人は定期の人も居る。まぁ、私はそこまではとても出来ない。結構お得だと思うので、近い人は来たらいいと思う。というか、大治町にお金を落としていって欲しいという気持ちだ。人が一杯で思い通りの器具が使えない、ということは一度も無い。少なくとも、会社帰りに寄っている私の時間帯では無い。衰えていく筋力のためにも、続けていきたいと思っている。
2013年06月14日
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現代レイキの土居先生に会いに行ってきました~。‥って、先月関東交流会でお会いしていますが‥。 (^^)やっぱり交流会と違って研修会は勉強体制になるから好きだ。2日間も勉強できて、幸せである。でも、土居先生の声はとても良い声なので、ついついほのぼのとして、内容を聞き落としそうになってしまう。いやいや、せっかく芦屋まで来たのだから、一言も漏らすまいと、姿勢を正しての二日間だった。遠いところで青森からお二人来ていたが、愛知に居る私としては一泊二日で済むところを、三泊四日しなければならないというのだから大変である。そうだよねぇ‥、飛行機なのだから10時現地入りは無理な相談だ。8時の新幹線で10時には余裕で着けるのだから、愛知県民で良かったよ~。久しぶりに土居先生の奥様にも会えたし、購入したかったテキストも、手に入れることができた。関東の交流会に来ていた最高年齢の男性も(先生より年上)、勉強に来ていて、それが何と!マスターを受講されたから驚いた。どうやら、お孫さんたちに伝授したいらしい。凄いなぁ~、90歳近くても勉強されるのだから、私も見習わないといけないなぁ~。しかも、芦屋まで関東方面から一人で来られている。見習わなければならないことが山ほど有る。歩く姿もシャキッとしていて、録音しつつメモを取りつつと、全く手抜かりがない。長くマスターをやっているからと安心してはおれないぞ。私も何歳になっても、ずっと勉強していたいな~。
2013年06月12日
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この世に生を受けた理由は、自分が生まれる前に理解して生まれてきている。でも、生まれた途端に忘れてしまうんだよね。占いから生年月日で導き出された性格等を見ると、そこにヒントがあると思う。「何故こんなに偏った命式で生まれてきたのだろうか?」偏っているということは、不足する星や多過ぎる星があるわけで、「体験を重ねて成長していこう」というメッセージである。生年月日のままの性格で生きていくのが正しいのではない。持って生まれた性格から成長して、そこにプラスをしていくのである。けっしてそのままで生きていこうというものでない。そこから変わっていくことこそが、生まれてきた意味である。性格を変えないと、周囲の状況に負けてしまう。それが病気を生むことを、私は知っている。でも無理に変えることは、心のバランスを欠く行為だから、それは逆効果になってしまう。そこが難しいところである。心の奥底から変わろうと望み、そのために生活を見直すことがあって、そこで初めて変わっていける。それが運勢を変えていける道である。この世に生まれてくるのに、早い場合と遅い場合とがある。遅くなってしまったとしたら、今回の生が貴重な生となるわけだ。どうなるか分からないならば、今回の生を大きなチャンスと捉えて、変わっていきたいと思う。勿論それは、簡単なことではないのだが‥。どんなに遅い歩みでも、一歩でも前進できるよう生きていきたい。
2013年06月10日
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メガネ屋に行った時の話しである。いつもメガネを買う時は、会社帰りにバス停を一つ前で降りて寄っていた。だから一日が終わる頃なので、目が疲れているから検査しようとも思わない。「前と一緒でいいから作って」なんて調子だ。でも今回、さすがにそんなことばかりやってきたから、これはまずいと思って反省し、休みの日に出かけていき検査することにした。店長に「私はどれだけ検査していないんだっけ!?」と聞いたところ、「そうですねぇ~かれこれ10年以上ですねぇ~」「アハハハッ!」 笑うしかない私である。だって、その間に幾つ買い換えたことか‥。本当、私ってよく壊してメガネ屋さんに貢献しているんだよ~。まぁ、遠視も入ってきているので、度数を落として事務用のメガネも作り始めたことも手伝っているのだが‥。検査したくないことの一つには、時間がかかるということがあった。でも今回検査してみてびっくり!「早っ!」検査時間が滅茶苦茶早くなっていたのだ。しかも店長に、「近視が一つ進んで、乱視が少し良くなってますよ」という言葉にこれまたびっくりである。「乱視が良くなる~???」私の頭はハテナマークで一杯になった。店長の話しだと、乱視が無い人は球体に光が屈折しているから、同じ角度で情報が飛び込んでくる。でも乱視の人は球体でなく楕円になっているから、その楕円に光が入れば、角度が違う屈折した情報が入ってくる。屈折率が違うから、目には二重、三重になって情報が入ってくるわけだ。その楕円が‥店長の話しによると‥。「加齢と共に身体もたるんできますよね?だから楕円もたるんで球体に近くなっていくんですよ」「ええーっ!乱視って加齢で治っていくのぉー??」これって喜んでいいのか? 素直に喜べない話しだよねぇ。複雑な気持ちで検査を終えた私。まぁ、歳を取っていくことは、悪いことばかりでないのだという証明か?ハハッ‥(~_~;)‥ハァ‥。
2013年06月07日
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私は結構乱暴に扱うので、メガネを壊しやすい。という話しを友達にしたら、「あり得ない~」という返事が返ってきた。その友達曰く、「もう少しお洒落なメガネにしたいのだけど、中々壊れないから替えることもできない」と言っていた。えーっ! 私は良く壊れるんだけど‥。もしかして「安物買いの銭失い?」なのか~?「どういう基準でフレームを決めるの?」と言われて、「丈夫な物」という私の答えには、女を感じられないだろうねぇ‥。今回も暗闇の中、ドアの近くにある照明のスイッチを手探りで見つけようとして、そのドアの角でぶつかってしまった。その拍子にメガネのレンズが飛んだのである。いきなり視界がぼやけてびっくりした。暗闇でも視界がぼやけていることとは別の感覚なので、一瞬どうなったのだろうかと茫然としてしまったのだ。照明のスイッチを押して、ようやく事態が呑み込めた。もう片方のレンズで、下に落ちているレンズを発見したわけだ。「ヤワなレンズやなぁ~」と、自分が慌て者であることを棚に上げて言っている。「メガネ屋に行ってレンズをはめてもらうことになるなぁ‥」そうつぶやいてレンズを拾い、掛けているメガネとレンズを合わせてもう一度びっくりした。なんと、レンズの周りのフレームの一部が欠けているではないか!フレーム自体に欠けが生じては、もう使い物にならない。修復不能である。ぶつかったといっても大したことは無かったのだが、メガネの打ちどころが悪かったということみたいだ。でも私自身コブも作らず、全くケガをしなかったのだから、メガネが身代わりになってくれたのだと思う。短い間だったけれど、メガネさん!ありがとう~
2013年06月06日
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いじめって怖いよねぇ~。こんなに怖いものかと、最近テレビを見ていてつくづく感じる。テレビのドラマも、いじめ問題をテーマにしたものがこの頃多いと思うのは、私だけだろうか?命を脅かすような内容のものまであり、直視できないような構成になっていたりする。とはいえ映像の世界であっても、そういう類のものが多いというのは、現実世界を反映しているのだろうと思う。子供は純粋な反面、随分と残酷にもなる存在である。それが集団ともなると、手がつけられなくなる。集団心理で、考え方がマヒしてしまうのだ。私は学生時代、一匹狼的な存在だった。もし今の時代だったのなら、いじめの対象になっていたかもしれない。自分の意思に反して、誰かに合わせることが出来ない人間だったからだ。一緒にトイレに行くとか、一緒に昼食をするなんて、私には無理な注文だったのである。まぁ言うならば、協調性の無い人間なのである。でも別にいじめられはしなかったから、良い時代だったのだろう。今の時代、同じことをしていたらどんな結果が待っていただろうか?昔でもいじめのようなものは有ったが、今のような、陰湿でエスカレートしたいじめではなかったように思う。生きるということは、子供も大人も大変なことである。なんとか少しでも楽に生きられないかと、いまだにこの年齢になっても探っている。心理学の勉強が、義務教育から有ったとしたら、少しでも生きやすい世の中になっているのでは?と思うのだが、どうしてそういう世の中にならないのだろうか、‥とても残念である。
2013年06月04日
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前回学んだNLPで、葛藤の統合というワークをした。ワークは色々行なっているけれど、このワークは大好きだ。葛藤することって沢山有るよね?「○○したいけど、できない」事って、みんな幾つか抱えていると思う。私は今回、「新しく勉強したいことがあるけれど、中々踏み込んで始められない」という葛藤をテーマにワークをした。出てきた答えは、自分でも予期せぬことだった。私の無意識なのか、私の超意識なのか分からないけれど、的確な答えを出してくれたのである。意識の上での私では、決して導き出されない解答である。葛藤が自分の中に有ると、心も体も優れなくなる。まるで鉛でも埋め込まれているような、そんな重い心身を引きずって生活しているみたいだ。こういう状態が続くと病気を引き起こすのだと分かる。知らない内に、自分で病気を呼び込んでいるのだが、でもどれだけの人が、自分で病気を連れてきたと感じるだろうか?病気は外からだけでなく、内からも忍び込んでくる。だから心の点検を、時々したほうが良いと思うのだ。このワークは、考えもしない第3の答えがやってくる。なんて素敵なんだろう~。ワークの前にデモをしてもらうのだが、そのデモを見ている間は、ハテナマークや疑惑の目だったみんな‥。そのみんなが自分もワークを終えた時には、それぞれの頭に、疑問も疑惑も無くなっている。ホンと‥不思議だよねぇ~、でもそれが現実である。私たちの現実は、私たちの心の世界が創っているのだから‥。私はこれでまた、肩の荷を下ろさせてもらった。NLPに感謝、私の潜在意識に感謝である。
2013年06月02日
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