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私は「あっ!」としか言葉が出なかったのだが、私の周りの数人の人は「危ない!」と声に出していた。危うく車との接触事故。横断歩道の真ん中で、車と電動車いすとが接触するところだった。前の車が動かなかったので、その車は横断歩道で歩行者を遮るように横たわっていた。信号が変わっても、前に車があるのでその車は動けない。私たち歩行者は青に変わったので、立ち往生の車めがけて歩いていく。歩行者は車を避けて二手に分かれたのだが、私は車の後方から周りこんで渡っていくことにした。でも障害者であるその人は、電動車いすを使って車の前に周りこんでいったのだ。ところがその頃には、前の車がスムーズに動いていったので、その車も前の車に続いて動こうとしたのである。横断歩道に止まっているから歩行者の邪魔になるということも有り、余計慌ててしまったのかもしれない。車いすは電動なので、思いのほか早く動く。そして座っているから、とても低いのである。その車は危うく電動の車いすを巻き込むところだったのだ。どちらもすぐにブレーキを踏んだようで、事故にならずに済んだのだが、周りの歩行者もみんな足を止めて、思わず凝視してしまった。思った以上に早く動く車いす‥そして車から見えにくい高さ。これって小さいお子さんと一緒だよね?こうやって事故が起こっていくのだと、目の前で見て怖いと思った。ちょっとした油断が大きな事故になってしまう。私は車を運転しないし、小さな子供も居ないのだが、それでも事故にあう可能性は、当然ながら有る。貰い事故という場合も有りはするが、それでもちょっと気を付けたら防げる事故も有るだろうと思う。いつも落ち着いて行動しなければいけないと、改めて思うのだった。
2016年09月29日
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前回の台風の時はヨガをやってからバスに乗ったのだが、いつもの倍も時間がかかって帰ることになった。今回の台風16号の時は、その時の教訓を生かして、ヨガをやらずに帰っていったのだが、なんと!台風真っ最中の時に帰ったようで、土砂降りに遭遇した。どうやら前回の時のことが教訓にならずに、逆に前回を反省したことで、今回失敗に終わったことになる。自然を相手にする選択の難しさだ。こうやって、やることが裏目に出てしまうことって有るよね?誰が悪いわけでもなく、運が悪い時って‥。お陰で土砂降りの中を帰ることになった。水はけも悪く、バスから降りた途端に靴や靴下はずぶ濡れである。分かっているけど、コンクリートの周りの水はけの悪さには、毎度ながら嫌になってしまう。極地的な雨に対処できないのは、なにも都会だけではない。家が次々に建っている今、田んぼが減っているので、急に滝のように降る雨には、対処しきれないのである。ローンで支払う利息が安い今だから、そして消費税が上がる前の今だから、家が軒並み建っている。同時に田んぼや畑が減っていく。昔はこれ位の規模の雨なら、水が溢れて困ることはなかったし、現状に回復するのも早かったように思う。家が建ち景色が変わると、災害の模様も変わると感じる。今回特に感じたのは、小さな道でも1本入るだけで、高低差が思っていた以上に大きいこと。東海豪雨のように、あちらもこちらもどっぷりと水に浸かってしまえば、多少の高低差など全く分からなかった。今回のように短時間で去っていく台風が相手の場合、そういう些細な違いを肌身で感じたのである。いつもは全く意識しない土地の高低差。短時間の大雨で、自分の家が低い位置にあるとはっきり分かる。家自体は高くして建ててあるから問題無いが、バス停からの道のりは、困難極まりないと感じた台風16号だった。
2016年09月27日
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私のヨガをする目的は、健康を維持するためである。健康を維持するためには運動が不可欠なわけで、運動が苦手な中で、ヨガなら続けられるというところからである。だから、そんなに積極的にやりたいというわけではない。出来ないポーズが有ったとしても、やれなくて悔しいとは思わない。やれたらいいなぁ~。いつかやれるようになるかも?そんな程度なものだから、やれないことが悔しいということには、繋がらないのである。運動音痴なのだから、やれなくても仕方がないよね?柔軟性は有るほうだと思うけど、筋力の低下は自他共に認めている。体幹も無いほうで、片足立ちをすると体がグラグラしてしまう。でもヨガを始める2年前よりは、体の芯がちょっとはしっかりしてきたほうだと思う。靴下だって立って履けるし、立ち上がるのも脚力だけで出来る。2年前は立ったまま靴下を履こうものなら、軸がズレて少しよろけて、すんなり履けなかった。それでも若い子たちには、どんなに頑張っても太刀打ちできない。昔は多分出来ただろうポーズが、腹筋、背筋等あちこちの筋力低下で、出来ないポーズが幾つか有るのだ。そうだとしても、がむしゃらにやれるようになりたいとは思わない。日常生活がスムーズにいけば、それだけで良いと思っているのだ。なので時々教えてくださる先生とのギャップを感じる。一生懸命教えていただいているのだが、出来なくても良いと思っている私にとって、なにがなんでもやれるようになろうというガッツがないのである。時には出来るようになれたらと、先生が色々試してみて、教え方を工夫してくれるのだが、私はどこか傍観者のように聞いていることがある。これが学びの講座だったら、きっと一生懸命頑張るだろうが、運動に関してはとても冷めた目なのだ。先生のお気持ちはとても嬉しいのだが、先生の情熱を、全て受け止めることは無いだろうと思う。充実感の頂点の違いを感じている。
2016年09月25日
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美容院で自分の番になって鏡の前に座ると、今回担当をしてくれる人が、私が注文するより先に、髪の切り方を、これでいいか?と聞いてきた。随分長い間別の人が担当していたというのに、その人は私のことを覚えていた。正確に言うと、私の顔というより髪の毛を覚えていたのである。前髪を眉毛まで下ろすことや横の髪の一部を顎の辺りで切ること。髪自体は切り揃える程度で、髪にボリュームがあり過ぎるので髪全体をすくこと。そんな細かいところまで覚えていてくれたのである。彼女は髪を触ると思い出すと言う。なので顔はうる覚えでも、髪の毛で思い出すそうだ。何者?‥凄いなぁ~。私には真似ができないなぁ~。私なんか名古屋駅で会う占いのお客様ですら、相手に探してもらう始末である。覚えていてくれる人たちばかりで、私は助かっている。(苦笑)それでも命式(生年月日を書いた式)を見ると、その人のことは思い出すから、これも髪の毛で思い出すという美容師さんと、ある意味一緒かもしれない。(一緒だと思いたい)笑凄いなぁ~と思うその人も、辞めた80歳近い人のことを、しきりに褒めていた。自分があの歳になって、現役で働いていられるだろうか?今でも立ち仕事が辛いと思っているのに、あのエネルギーを分けてもらいたい(笑)等々‥。自分の親位のお歳の人だというのに、そのバイタリティは、誰にも負けないものがあったという。身近に頑張っている人がいると、自分も頑張らなくてはいけないと思うし、力をもらえるものだ。辞められてしまった同僚だが、今後も良いお手本にしたいと言っていた。
2016年09月23日
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(あれっ?いつもの人が居ない。休み?)店の中を覗くと、いつも髪を切ってくれる人が居ない。お休みかな?と思いつつも、切ってくれる人が誰でも拘らない私は、そのまま中に入った。私が他の人に、昔から居る人はお休みかどうかを聞いてみると、「先月末で辞めました」という返事が返ってきた。辞めたと聞いても、ご年配の人だったのでびっくりもしなかった。辞めた理由はお歳だから?と聞くと、そうだと答えた。どこかお体を悪くして辞められたわけではないことに、一応ホッとしたのである。お幾つでした?と聞いてみると、70代後半で80歳近いという返事。えっ、そんなにお歳でした?‥とてもそうは見えなかった。それにしても立ち仕事の上、はさみを扱うわけで、手も足も丈夫でなければ続かない仕事だ。こういう仕事の場合、引退時期を自分で決めなければならない。サラリーマンは定年が有るので、辞める辞めないの話しでない。規定通りで辞めていくことになる。まぁ、それでも年俸制で残る人も居る。家庭の事情もあるだろうから、会社さえよければ残るのも有りだろう。私は特に生活に困るわけではない。年金もとっくに半分は出る年齢である。(男性は数年先になる)だから普通に辞めるつもりなので、後1年半だ。ただ問題になることが有る。それは私が家大好きなので、家に引きこもってしまうことである。運動嫌いだから運動不足になり、不健康な生活を送ってしまい、健康を維持出来ないのではないかと不安なのである。規則正しい生活は、お金以外にも大切なことがある。社会との接点も与えられるし、人との会話も不可欠になる。(午前中だけでも何処かで働こうかなぁ‥)今私は漠然とそんなふうに考えている。
2016年09月20日
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男性で45歳というと、中学高校辺りのお子さんを育てている場合が多いだろうと思う。現に我が社にも40代のお父さんが居るのだが、子供さんの教育費がまだまだかかる状況である。そんな中での転職は、きっとよくよく考えてのことだろう。アルバイトで食い繋いで、正社員になる会社を探せばいいだろうから、新しい仕事を決めて辞める人ばかりではないだろう。そうなると奥様の家計のやり繰りが大変である。我が社にもそういう経緯で入ってきた人は、過去を振り返っても何人かは居る。一番いいのが次の就職先がはっきりしていることだが、中々そう上手い具合には、事が運ばない。さてそんな中、私の知り合いで漁業関係に転職した人が居た。名古屋の、ど真ん中で働いていた人が、三重県の尾鷲市という田舎のほうの漁港で働くことを、決意したのである。持ち家さえも売り払ってしまったのだから、その覚悟は相当のものである。理由は、現在やっている仕事が自分に合わない。趣味が釣りで、知り合いに漁業組合への転職を誘われた。子供を田舎でおおらかに育てたい。‥というところだそうだ。次が決まっているというのは安心できる材料なのだが、独身と違い自分一人のことでないわけで、家族としっかり話し合っただろうか?と考えてしまう。いや当然話し合っただろうが、奥さんもお子さんも、快く賛成して一緒に行ったのだろうか?と懸念する。多分それは、私ならそんな田舎は嫌だという気持ちが強いから、そういう受け止め方しかしないんだろうと思う。逆に奥さんもお子さんも喜んでいるパターンかもしれない。私も若い頃転職を3回してきたが、独身の強みで簡単に転職してきた。家族を持ってしたとしたら、不安が大きくて踏み切れなかったかもしれない。子供のことを考えて夏休みに移動している。二学期が始まった9月の今、新天地で希望を持って自由に暮らせていることを、心から願っている。
2016年09月17日
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みんなが大好きなカレー。カレーは苦手という人は、少なくても私の周りには居ない。あの香辛料の匂いに食欲をそそられる。カレーは家庭料理の定番だが、だからといって外食でカレーを選ばないわけではない。私は特に「カレーハウス CoCo壱番屋」のカレーが好きである。安くてトッピングも豊富で、辛さも自在に注文できるし、ご飯の量も変更できる。自分好みの一品に出来るのが嬉しい。自分で作ったわけでもないのに、作った感が有るのが楽しい。実はヤフーのニュースの欄で、ココイチ(CoCo壱番屋)が載っていたので、思わず読んでしまったのである。ココイチが愛知県発祥だということは知っていたのだが、その店舗数に驚いてしまった。なんと!店舗数は5月末で、1444店舗だというのである。内訳は、国内が1282店で海外が162店。この数字が凄いと思うのは、2位以下が80店に満たないというからである。で、その記事を読み進んでいくとココイチが近年、“マンガ”に力を入れ始めていると書いてあるではないか。漫画?置いてあったっけ??まぁ、まだ全部の店舗ではないらしいし、都内のように大きく構えられない店舗では、置く場所があまり無いので、置けないだろうという話しだが‥。置いてある漫画の数に驚いた。1店舗につき平均して1500冊だというのである。郊外店では、なんと!4000冊ものマンガを置く店もあるという。桁違いだ。漫画喫茶の間違いでは?と首を傾げたくなる。喫茶店でもないのに、そんなにゆっくりされて大丈夫なのか?回転率が悪くならないのだろうか??どうやらアイドルタイムの有効利用のようだが‥。どうも創業者は元々喫茶店の開業から始めたようで、そこで出すカレーライスが評判になり、カレー専門店に鞍替えしたようだ。なので喫茶店経営時の名残で、漫画を置くことになったかもしれない。まぁ、回転率が悪くなると思うのは素人考えなので、この美味しい大好きなカレー屋さんが発展していってくれるのは、嬉しいお話しである。
2016年09月15日
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過去に数年会社に居て辞めていった人が何人か居るのだが、その中で私のあまり得意としない人も何人か居た。私は会社に遅刻をしないことは大前提だと思っている人間で、平気で月に何度か遅刻をする人は、どうも受け入れ難い。勿論だからといって、台風だとか災害だとか有った場合も、1分たりとも遅刻は許されない‥という考えではない。人身事故が有って電車が遅れることもあるだろう。他にも突発的なことが起こらないとは限らない。ただ私はそれも踏まえて会社へは3、40分早く着いている。でも私ほど厳密に絶対遅刻するな!という考えではない。単に私が、どんな理由でも遅刻したくないだけである。でも理由らしい理由も無く、月に何度も何度も遅刻をしてくる人に関しては、単純に受け入れられないのである。我が社にはタイムカードがあるわけでない。給料も月給制で、遅刻してもしなくても一緒である。だからこそ、真面目に出てきている人を考えると、「遅刻なんて問題ない、仕事ができれば良いでしょ!」というスタンスでいる人のことが、どうしても受け入れられないのである。上司にとって何度も遅刻する部下はそれ程気にならないようで、月に何度遅刻してもやんわりと叱るものの、本気で怒りはしない。それを見ている私のほうが、ムッとしてしまうのである。私は心が狭いのだろうか?上司のおおらかさに、ふと私が反省してしまう。でも日本のサラリーマンなら、やっぱり定刻通りに出社するべきだと思う。第一別の会社へ行って、やっていけるのだろうか?と思ってしまう。他社でも同じように寛大な上司の元で働けるとは限らない。それこそサラリーマンを捨てて自営業に転身し、誰にも文句を言われない生活を、手に入れるべきだと思う。そんな人が何人か辞めていった。果たして転職先で問題無く働いているのだろうか?と、ふとそんな思いが心を過ぎることがある。
2016年09月13日
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先日、いつもより余分に動かなければならないことが起きた。それも思った以上に動きが激しくて、いつもは使わない筋肉を、思いっきり動かすことになった。当然のことながら運動不足の私の体は、軽い悲鳴を上げたのである。「こりゃ参ったなぁ‥」と思ったが今更遅い、後の祭りである。でも実はこの酷使した動きが、次の日にちょっとした喜びへと変わったのである。それは筋肉痛だった。何だって?筋肉痛が嬉しいんだって??ご心配なく、決して私の感覚が変になったわけではない。ご年配の人なら分かると思うのだが、歳を取ると筋肉痛は次の日に来ない。日をまたいで、その次の日に筋肉痛はやってくるのである。若い頃は必要以上に動き回ったら、一晩寝た次の日に、起き上がる時から軽い痛みに襲われた。そうすると自分の頭の中の記憶は、昨日いつも以上に動いて体が辛かった記憶が蘇ってきて、痛いと思いつつ納得がいくのである。でも、いつの頃からだろうか? 次の日に痛みがやってこないで、その次の日に痛みがやってくるようになったのである。 そんな時朝起きて体中が痛いと、どうして痛いのか分からない。痛みを引き起こした出来事は二日前なので、自分の記憶がすぐにはその出来事に、辿り着けないからである。その時はその時で悩んだものだが、周りでもそういう人が多く居たので、これも老化現象の一種かと自分を納得させたのである。なのでそんな事に慣れてきていたものだから、今度は脳が二日前の記憶を思い出そうとするようになってきた。せめてこれがもう一日延びて三日前にならないようにと、思うようになってきたぐらいである。だから次の日に痛みがやってきた時、痛いのに嬉しかったのである。「もしかして私は若返っている?」等と、ずーずーしく考えたりして‥。痛いのに嬉しいだなんて、私はマゾか!と思いつつ、一人ほくそ笑んでいた私だった。(笑)
2016年09月11日
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会社帰りにヨガをして、発車間際のバスに飛び乗った。すると座席は一杯で、数人ちらほら立っていた。ここ最近普通に座れたので油断していたのだが、考えてみればもう9月、学生さんの通学が始まっている。ここはバスターミナル、始発である。しまった!1本遅らせて乗れば良かったなぁ‥と思ったけれど、もう後の祭りである。これから先座れることは無い、40分の道のりである。仕事とヨガの後なので、座って行きたい気持ちは強いのだけど、乗ってしまえば日常のこと、気持ちはすぐに切り替えられる。さて、つり革片手にもう片方で本を読む体制に‥。すると目の前の学生さんが、いきなり立って入口付近へ移動した。何事?思わずびっくりしてしまって、その高校生らしき女性を目で追ったのだけど‥。どうやら私は席を譲って貰ったらしい。でも経験が余り無いので、一瞬何が起こったのか理解出来なかった。私は、ぼーっと立っていたわけでなく、つり革を握りつつ、もう一方の手で本を持っている状態だった。だから立っていることに余裕が有る姿勢に、世間は感じていると思ったのだが‥どうやら違った。(笑)彼女が遠く離れた場所まで移動したので、私は大丈夫だということをアピールしつつ、ジェスチャーで(もう一度座ってください)と示したのだが‥。やっぱり一度立ったから、もう座る気持ちにはならないようだ。何度か促がしたのだが座らないようなので、私は頭を下げてお礼を言いつつ、有難く座らせてもらった。こういうのって難しいよね?若いつもりの年寄りが、席を譲られると複雑な気持ちになるし、譲るほうも立った手前、もう一度座ることには抵抗がある。だから、立ってすぐさまその場を離れてしまい、もう自分は関係ないというスタンスを取る。優しさが前提なので、拘り無く譲られるまま座るのが一番良い。第一高校生からしたら61歳の私は、間違いなく年寄りである。あぁでも、結構若作りの服を着ていたんだけどなぁ‥(笑)
2016年09月08日
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目の病気にも色々有る。私の身近な人で網膜剥離になった人が居る。しかも両目、片方網膜剥離になってから1年が過ぎた頃、もう片方の目も同じ病名で手術をしたのである。視界が消えていくという恐怖。24時間テレビでも全盲の先生の実話を、ドラマでやっていた。その話しも網膜剥離だったように思う。他にも目の病気はドライアイとか飛蚊症とか緑内障とか、どれをとってもなりたくない病気ばかりである。その中で「林修の今でしょ!講座」の中で、この夏の暑さが引き起こす病気の一つとして白内障を取り上げていた。白内障になる統計として、50代が約5割、60代が約7割、70代に至っては9割以上がかかる病気だと言う。もうここまでくると白内障にならない人のほうが少数派で、全くもって他人事ではない。この白内障について、ここで講義した先生が、とても分かりやすい例えでお話しされた。「生たまごは透明だけれど、茹でたり焼いたりすると白く濁る」‥と。透明な水晶体が、太陽からの紫外線のダメージを受けて、徐々に白く濁っていく‥これが白内障だというのである。人間の細胞は、時間差は有るけれど細胞自体が入れ替わっていく。しかし、この目の水晶体に関しては組織が一生入れ替わらないという。そして、紫外線などの光エネルギーでダメージが蓄積されて、白く濁っていってしまうというから怖い。私は残りの1割になって、白内障にならない気持ちでいるが、果たして現実はどうなっていくのだろうか?ここで、紫外線のダメージを減らし、白内障のリスク低下が期待できる食べ物について話された。それはほうれん草‥しかもバター炒め。そのほうれん草は、油を使った料理のほうが吸収し易いらしい。ほうれん草のおひたしも美味しいけれど、時々はバター(油)を使って、炒めて食べるのも良いと思った。
2016年09月06日
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私は今、面白いと思って見ている番組がある。それは「家売るオンナ」という題で、北川景子さんが主役だ。「私に売れない家はない」という信念の元、次々に家を売っていく。他の人が担当する物件の家でも、彼女が売って自分の実績にしていく。勿論、支店(営業所)単位で考えれば、売上アップなわけで、会社のために貢献しているのには違いない。「家さえ売れれば後は知ったことではない」と言う過激な発言をする主人公。でも一見無責任に売っていくようなのだが、結果その家の人たちのために、一番良い家を提案していっている。時には当事者が自分の理想としている物件を無視して、売る側の彼女が考えた、当事者に良いだろう物件を紹介していく。大人の事情で、立地を考えたり世間体を考えたりした理想の家。家を買う側の大人が、子供のことを無視した理想の家である。家族はバラバラ‥それでは新しい家の意味が無いと思う主人公。今家族一人一人が何を必要とし、何を望んでいるのかを、当事者ではなく、家を売る立場の人間が見抜いて提案していくのである。引きこもりの大人である息子を持つ老夫婦の家を紹介する時は、どうやって売るのだろうか?どういう家を提案するのだろうかと、興味津々だった。それぞれが持つ家庭の問題を、家を売ることによって解決していく彼女。中々楽しい作品であり、考えさせられるドラマでもある。イモトアヤコが、ダメ営業マンとして出演しているのも、ちょっとしたアクセントで面白い。毎週水曜日夜10時放送で、次回はもう第9話である。もうすぐ終わるかと思うと名残惜しい。
2016年09月04日
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同じ会社でも、場所によって仕事内容が多少変わってくる。我が社でも本社以外は殆ど同じ仕事をしているはずだが、上司が違えば、仕事のやり方も変わってくる。私も今の会社で上司は5人目である。5人共個性的で性格も全く違っている。当然仕事に対する信念も違うし、仕事のやり方も違ってくる。なので、その都度私もやり方を変えてきた。そしてもう一つ違うのが地域性である。全国的に統一しようにも、求めるものが地域によって違ってくるので、やはり同じような仕事にならない場合も有る。それがとても良く分かったのが、ヤマト関係に勤めている人に、もう一人出会ったことからである。ヤマトさんは同じビル内の1階に入っている。私も書類を本社へ送るために、ネコポスを出しに週2,3回行く。なので、そこの従業員さんとは仲が良い。会社は街中なので、1階のヤマトさんも仕事関係の荷物が多い。たまにゴルフの道具が置いてあったり、キャリーバックが荷物として出されているのを見たことがあるのだが。それでも仕事絡みの荷物が、断然占めていると思う。それは周りがビル街だからである。最近知り合ったヤマトにお勤めの人は、重い物を運ぶ機会が多いと言い、結構肉体労働のようだ。その人は弥富のヤマトさんに勤めているのだが、愛知県にお住まいの人は、弥富と言われてピンとくる人も居ると思う。そう、愛知県の尾張地区の弥富は、金魚で有名なのだ。だから金魚の配達が有るというのである。配達の為には梱包をしなければならない。水槽に水がたっぷり入った金魚の梱包である。成るほど‥これは重労働だ。ところ変われば同じヤマトさんでも、仕事内容がかなりの重労働になってしまうようだ。手や肩が痛いと言われるが、これは職業病。少しでも負担が少なくてすむ方法が有ればいいのにと思うのだが、現実は中々厳しいようである。
2016年09月02日
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