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本日最後の団交。 粘り強い交渉の結果上積みされまくってうはうはっ♪札束でビンタ&ビンタ&お茶もってきた女子にセクハラしつつおしみなくチップ だったらいいのだがまったくかわらず。無事というよりは無理矢理妥結。まーねえもんはしかたあるまいて。 「私はこういう結果をだした最悪の社長ということになるでしょう」と締めでのたまう社長。いいヒトなんだろう。とは思うが一抹の不安。もっと暴君になってくれ。自己弁護はいいから。 「あのとき英断をした社長とは歴史が証明するだろう」ぐらいぬけぬけと言わないと。 よっぽど言ってやろうかと思ったが黙っておく。世間的にはただのよいしょだし。 前社長の「動かない経営」の負の処理をさせられているのである。文化的意味の高い事業をしてきた自負がいまいち営利性の追求を怠る結果になったのである。俺様がおいしい思いをするためにきみたちがいる、ぐらいの肉食系のずうずうしさがほしい。チャーリー浜か←ちょっと違う。「キミたちがいて・・・」みたいな。 小渕の後の森みたいな役割なのだ今の社長は。役目といい器といい。といったら言いすぎだろうが。昨日のチクリ・レスを見る限りではそう思っていいようだ。思うことにする。 経営者って、社員から心配されたりフォローされたりしたら終りだ。やせ我慢してくれよ頼むから。 もっと憎ませろっ。(♂)
2004年11月30日
凄い店の話を聞いた。「泣かせる店」が上海にあるらしい。 詳細はまだ検索してないのだが、需要はありそうである。笑わせるのが商売になるのだとしたら泣かせるのだって同じだろう。いろんなことを考える。 やはりボックスだろうか。テーブルに指名された語り手がやおら読み始める「ないたあかおに」。涙をふくハンカチサービスがないとだめだろうやはり。「フランダースの犬」なら犬が近くにいて涙を舐めてほしいところだ。それともいっしょに寝ながらルーベンスを観られるというのはどうだ。ま、「セカチュウ」ならチェンジだな。だめだ闘病モノは。イージーすぎる。 いっそのこと「爆泣!オンエアバトル」とかどうよNHK?意外とあのヒロシが勝って2冠に!とか。違う意味で泣けるのでは。 ・・・まずは賞与に泣いているのだよ社長。 しかし、あらためてなにに泣けるかという分析をしてみると貧弱な文化体験がわかる。日本人の「泣き」ツボのほとんどはカルピス劇場(ハウス劇場)で培われたのではないだろうか? 日本人というよりオレかも。(♂)
2004年11月29日
大学の同じサークルの先輩Gと飲む。私が昨日観た芝居の帰り。 肴は芝居。といっても昔話。オヤジだ。現役との比較とかではなく単純な回想。テンションだけは高かったなあという話。ヘタだからそれがなかったらどうしようもなかったのだけれど。質より量。という当時の練習の実情。ネタがおもしろいおもしろくないとか超越して練習してたなーという記憶。あれって意味あったのか。 ふと、違う世界のヒトではあるがミック・ジャガーに思いをはせる。って違う世界すぎるだろ。何百回、いや何万回「サティスファクション」を歌ってsatisfyできるのだろうか。リアクションだって日常的に歓声を聞いていたら麻痺するだろう。それでも「ロックできる」(赤面)ひとだけが生き残ってられるのか。それとも、あくびしながら歌っているのか。ご機嫌なロックンロールというやつにだって賞味期限はあるだろう。 閑話休題。 北斗晶というプロレスラーがいる。伸び悩んでいる中堅選手を育てるためになにをさせたかというと巡業中ひたすら来る日も来る日も相手のいないところでストンピング(踏みつける技)を練習させたという。ただ踏むという素人にもできるようにみえる単純な技をプロレスラーの技にみせるために最後には泣くまでやらせたとか。 その結果その選手がブレイクした、というのを聞くとやはり意味のない練習なんてないのだ、と思い返したりして。要はうまいへたではなくて凄みだ。魂だ。 人生もまたしかり。というのは安易というか綺麗過ぎる結論なので、アレだが。これがわかっているだけでも練習に光がみえたかもしれない。 ・・・意味を考えず、というかわからずがむしゃらにやっていたというのもまた、あのときの人生なんだろう。 ほんとになにやってたんだか。(♂)
2004年11月28日
自分がはるか●●年前に卒業したサークルの公演。「リア王」原作の家庭劇。と聞いていたのでどのプロットを活かすのかをあれこれ推測しつつ観に行く。 全部つかっていて驚く。まさかグロスターの目潰しや飛び降りの話までつかうとは。原作へのリスペクトがあって拍子抜け←いい意味で。もっと料理するかと思ったのだが。ほんとは新たに挿入した妻の話をもっとふくらませたかったのかなあと推測しつつ観る。変装して夫を見守るなんていうのは古典的な手法。あれでハッピーエンドにもっていくのも可能な気がするが。 比較的(何に対してだか)まっすぐな「リア王」。でも舞台設定が現代&キャバレーが前面にでてくるので一種不思議な空間に。「キルビル」で描かれたタランティーノの脳内日本までとはいわないが、 冒険心は買う。 全力で大暴投。 目のやり場に困るラインダンスはともかく(どこみればいいのだいったいこの距離で。いいのか直視して?)途中のダンスは好き。舞台セットもいい。作品世界とあっているかは疑問だが。衣装はあの客席の距離ではくどい。それともサービスか?「これがやりたいんやー」という演出のアホ部分が気持ちいい。時間が長いけど。ほんとはこういう飛び道具みたいなシーンはやり逃げぐらいのほうがアクセントになるのだ。 手放しでほめるわけにはいかない←ほめてんのか。 「リア」の愚かさ。もともと難しい演出をせまられる部分であるが、酒びたりの男が乱心してむちゃをする話、という設定では共感してみることはできない。だからラストがおさまりがわるくなってしまう。かといって「思い入れをもってみないただの愚かな役」にしてしまうには個人的に語りが多すぎる。ラストもしめるわけだし。わざとぶっこわしておさまりが悪く終わる手はあるのだが。混沌こそすべて。というような。どの視点で客がみるのかを演出は考えてほしい。 同じ内容ではあるがこれは制作面。ああいう縦横無尽な自由な舞台の使い方をするなら客席からのみやすさをもっと考えるべきだろう。客をいかにストレスを与えず迎え、帰らせるか。これは制作の仕事である。カネ勘定だけが仕事ではない。好き放題やっている役者たちとは別の視点でオトナの仕事をしてほしい。 だれもいないところでの独白が多いのもどうなんだ。 古典劇じゃないんだから。もっとうまく心情を語らせろ。日記にするとか。手紙にするとか。あとは語り部をつくるとか。中途半端。 これは意図的というか世代なんだろうが、自分・私・オレ。とにかく1人称が多いのは耳障り。 気持ち、叙情の表現。全体に泣きセリフに浸りがちなのだが客としてはさっさと次の場面にいってほしい。もっと泣きどころはあるだろう。感情の吐露はためてためてキメドコロでだせ。しょっちゅう浸るシーンに食傷。 優秀なプロレスラーは必殺技は1回しか出さないものだ。 「説明のための間」が多いのも気になった。客が興味あるのは登場人物が現在どこにいるかよりもこれからどこにいこうとしているかである。 話を先にすすませろ。これは脚本というより演出の問題。心情の変化の伏線は役者が個人的に解決していればいい話。客に説明するとトロくなる。 ところどころの演出の勢いは買い。継続性はないものの。あとは脚本への距離・批評を演出にもっと活かしてほしかった。破綻している部分を「すみませんけどこのままいかせてもらいます」と不条理にすっとばすのか。それとも「この部分で整合性を追求したのでみてください」とやるのか。そのへんはわからなかったので。 がんばりだけはみえる。ガンバレガクセイ。前回公演 (♂)
2004年11月27日
雑誌でボディガードのインタビューを読む。自衛隊をやめてまでスリルを追求して裏道街道をいくそのひとの話にはリアリティがあって興味深く読む。 追い詰められている人間は自分で敵をつくってしまうらしい。精神的に余裕がないものだから音やら光やらに過敏に反応していもしない敵に消耗していくのだとか。 そんなとき「あれは敵ではないですよといっても効果はないんです」ではどうすればいいかというとまず「たしかにあそこに敵がいますね」と肯定してやるらしい。肯定したうえで「でも自分がいるから大丈夫です。安心してください」といえばそこから顧客との仕事がスタートするとか。 全面的に肯定するところからはじまるコミュニケーション。ふと身近に実践者がいることに気付く。医者の兄と教育産業のかみさんである。コドモに対しては「へーそーなんだー」からはじめるようである。自分が目撃したかぎりでは。力関係がはっきりしている場合の指標というか一線のひきかたなんだろう。 はためにはほほえましい。が、大人がやられるとむかつくのはなぜだろう。コドモ扱いするのかおらー!という感情が勝ってしまうのだろう。というのは私だけではないはずだ。私だけか。 そういうわけで、褒めるのが多い今回の劇評。非常に難しい想いを抱えながら書いてみた。これってコドモ扱いだろうか? 世間のおばはんタレント流行りをみると逆に全面否定されたいひとのほうが多いのかもしれない。それとも、否定をされることで自己認識を強めたい自己愛か。ソフトSM?私もインチキな占い師の顔していえばいいのか。改名しなさいっ!とか。 今日のトリビア:占い師は生命保険のおばはんと同じ人相をしている(当社比)。あれ不思議だよなー。(♂)
2004年11月26日
会社でPHSが導入された。笑うなかれ。通産省の敗北の名残をいまどきつかうなとか、あるいは導入するにしても遅いだろうとか。私には声なき声が聞こえるが。 いままで携帯で自腹を切っていたことを思うと、進歩だ。もともとたいして給料も払ってないくせに仕事で自腹を切らせて平気な会社はどうかしていると思っていたのだがこれでこころおきなく電話がつかえる。 しかしストレスである。いままでの携帯をぶらさげつつPHSを持ち歩くのである。ジャングルの兵隊さんの水筒のような状態であちこち動くのだ。ましてや会社の中の内線もかねるとなるとどうも精神衛生上よくない。トイレ入っているときももつのか。とか、自分の意思でもつのともたされるのと違いがこんなにあるとは。 さらにこちらをいらいらさせるのはしばらくは外線の電話データを自分で入力しなければいけないことにある。もちろん相手の着信なりこちらの発信時に入れていってるのだが、ぺこぺこした本体の触り心地にまずいらいらする。軽さもいいけど安心感もださせてよ。 ふだんはビクトリアの旦那をキャラにつかっている携帯を使っているのだが会社のもののメーカーとファンクションキーの方向が違う。使うたびになにか蓄積されていくような気がする。ぷちぷち。いらいら。ぷちぷち。いらいら。 すべては慣れなのだが。あとはあのハードの小ささである。携帯で慣れているはずなのにデザインが悪いのか話していて軽く仕事しているような気がしてくるのである。ふつうの固定電話でまじめに話したほうがいいかなあとか。どうもちゃらついているような気がしてならない。 リダイヤルなり着信なりのデータが少しずつ消えていくのもきにいらない。メモリーも少ないし。たいしたことやってないんだからそれくらいやってくれよ!とか考えてしまう。 デンワにツッコミどころ満載だからいらいらしているのか。それともこの電話はなにかの象徴で私の性的なメタファーなのか。 あまりに電話の扱いに消耗し、ふと寝過ごして2駅乗り過ごす。バカでー。でも眠いよ。(♂)
2004年11月25日
「号泣する準備はできていた」みたいだ。だんだん長くなるなタイトル。 そういえば昨今の本がどんどんタイトルが長くなる傾向があるのはすこしでもインターネットの検索でヒットするようにキーワードをちりばめるためらしい。というのが今日の産経新聞に出ていた。本の自殺行為だと批判していたが。まあもともと啓蒙系ってあざといタイトル多いよな。ね、中谷クン。私は買わないので無縁なのだが。 それよりはジョグである。さすがに酒びたりの日々でふとりすぎたのでせめて3日坊主でもいいからカラダを動かそうと思い退社が早かったせいもあって走ることにする。曙をせめて武蔵丸までに。目標はせこくまずははじめることが尊い。と自分にアマアマ。 あんまり暗い道で車にひかれるのもいやなのでドハデな大学のウィンブレ(ああバブルの残滓よ)を着て外にでる。道もなるべく明るい道を選ぶ。出掛けにかみさんがオヤヂ狩りに会わないようにねという。そういわれてもなあ。やられるときはしょうがない。まあ財布ももってないしカネの匂いのしない男は襲わないだろう。 治安といえば、かみさんは教育産業なのだがそのつてで聞いた話。東京都S区では小学校への車の送り迎えが常識となりつつあるという。変質者から自衛するためだとか。もともと安全と水はタダだという幻想をもとにつくられてきた国がいま変わってきている。ということはぎゃくに自衛しないヤツは自衛しないやつが悪いという常識になるのか。 教育そのものから安全まで全部自分でカネをだして買う「自由」の国。いまみたいに収入格差がすすみつつある時代なら、もたざるものはすべてを奪われるということだ。もともと源泉徴収という世界に誇る徴収効率のいい制度のある国がサービスだけは自衛のすすんだアメリカなみにテキトーになるのだとしたらほんとにダメな国家運営だ。とるもんとってなんもくれないって、そんなの許されないだろふつう。 根底にあるのはコミューンの崩壊である。PTAでも地域の町内会でもたしかに面倒なことをやる「義務」というのは培われないままきている現在、この傾向はますますすすむだろう。人付き合いとカネ。どっちを選ぶかというのはたしかに難しい選択であるが。後者のほうがわずらわしくない。正直にいえば。 はるか昔は農作業という生活の必要性がそれをつくっていた。さらに次の世代では街ができつつある中でおたがいの一体感があった。そしていまそれがない。日本中が東京化しているのかもしれない。だいいち毎日くたくたになるまで働いてさらにPTAをやりなさいって、酷じゃないんすかおとーさんたち? という論法でいくといっしょうけんめい働くおとーさんたちのせいで日本の治安は悪くなっている、という結論になってしまうのだが。他意はない。ただ、働くのは尊いけどシステムとしてあまりに代償が大きい。どうにかなんないのか。 かくいう私も町内会を知らないままこの街にいる匿名希望者である。ほんとは語る資格はないのかもしれない。コドモもいないし。 そんなことを考えながら20分のジョギング。なんかブログっぽいこと書いてしまった。珍しいことすると頭まで珍しい動きをするらしい。いいかもしれない。 今晩のメニューは豆乳鍋。デブメニューじゃねえか。ジョギングの意味がないかも。と思いつつ明日も走る予定。(♂)
2004年11月24日
ひとり横浜中華街に行く。 先日オオタカ何某というオネエ言葉を喋るメイクのひとがラジオで「そのひとの内面が外に出るのよん」みたいな話をしていたので美しくなろうとは思わないものの休日になにもしない男にみられるのもあれなのでとつぜん思いたって出かける。 まあみられてもいいのだが「どうみられてもいいだろう」という発想があんまりすすむのはよくない。自分しかみえてないで自分をみんなみてくれないと嘆き暴走する10代と同じぐらい性質が悪い。どうみせたいかぐらいはあってほしいものだ。ってなにもないのだけれど。 故中島らもが胸に陰陽の刺青を入れると他人と話すときに「ふっふっふっ、おまえは気付かないだろうが実はオレの胸には刺青があるんやで」と思う妙な優越感があると書いていたのだが横浜に無目的に行くのもそんなかんじである。でもついついヒトには喋ってしまうのだが。 途中浅田次郎「オー・マイ・ガアッ!」を購入。電車で読む。毎度のことながらくすぶっている登場人物たちがなにかをつかむ幸運の物語。今回の舞台はラスベガス。一攫千金をめざして集うオールオアナッシングの世界で問われる日本人論。そしてお金。幸福。そして尊厳。 登場人物が作家(おそらく本人)とのやりとりをからめるのが面白い。流されたOL。債務者。ベトナムの英雄という設定もまたいつもの浅田ワールド。そして謎の老婆と、醤油味のファンタジー。 よく「カネじゃないぜ」みたいなセリフはカネがあるヒトしか言えないよなーと思うのだが、この作品では巨額なカネからなにかつきぬけてなにかがみえてくるまさにポストバブルの物語となっていて面白い。癒しというにはちょっと乱暴だがわりと痛快ストーリーというかんじ。ぎうぎうテーマがつまっていて堪能。 電車を降りてとびこんだ中華街の料理屋でも待たされたのをいいことにずいずい読み、読了。中華街まできて五目そばと餃子とビール。もっといいもん食えよとも思うのだが、だいたいお二人様以上とあるのでしかたないのだ。 でも中華街で読むギャンブルの話というのはなんかゴージャス感がある。読後感と大瓶のビールでくらくら酩酊。餃子の皮が厚いけどうまい。いつも王将の量優先!みたいなのを食っているだけに余計堪能。 地図もなくうろうろと放浪。ブルース・リーのジャンプスーツのカタチをした幼児の服がかわいい。目線の入ったジャイアンとジャイアント馬場が入ったTシャツがかわいい。あやしげな外車がたくさんあるのもまたこの街っぽい。どんなにハデな格好をしてもこの町の雰囲気にあってしまうのが不思議。路地裏が映画で観る中国だなあと思う。やばそうなヒトこそいないものの。みやげ物やでドラをやたら鳴らす少女がいる。うるせえ。でもたたきたい(自粛)。 旅のおかげでお菓子がいっぱいあるので土産も買わず帰宅。珈琲を飲んで現実へ。逆シンデレラか。 明日は会社だ。ちっ。(♂)
2004年11月23日
同僚のギャル子が会社を休んでいるのはぼけかかった祖母の世話のためらしい。 という話に感動する。親戚でかわりばんこに行くというルールで、たまたま飛び石で休みをとれる彼女が自分からすすんでいくことにしたという。ほんとはすごいねーと褒めてやりたい。褒めるどころか「感心な娘さんよの~、うちの課の同僚のちょんがー(死語)を婿にもらってくれんかのう?」と営業したい。って誰だオレよ。ああーでも貰ってくれ。脱線脱線。 とイイタイコトはいろいろあるのだが私はともかくニュースソースが口が軽いと思われてもアレなので黙っておこう。ってかわりに日記に書いている。一緒か。 祖母を亡くしたからというわけではないが、こういう話をきくと素直に尊敬する。自分もやがては親の面倒を一瞬でもみることになるかと考えると、尊敬以外になにがあろう。 どうもこういう立場にリアリティがない。あたふたとしているうちに結局かみさんにおしつけたりするダメ男になりそうである←って予告とか伏線ではないねんのため。病人の世話、ましてや身内の世話というのをやるたいへんさというのはやはり相当なものだろう。 まわりで不幸な関係になっている原因の多くは元気なときを知っていていつまでもそこから切り替えが利かない状況にある。ダメ新人社員のダメっぷりを自分とくらべていらつくのに似ている。知らず知らずに要求するハードルをあげてしまうのだ。いつまでもイメージの中では元気なヒトなのだ。だから年寄り特有の発想とかにいらつきあたるのである。って分析だけはできるけど。実践はなあ。わかっちゃいるけど、情と理は違う。 浅田次郎「霞町物語」に出てくる祖母は、自分の死期が近いと悟り家族を呼び集めて言うのだ。「いいかいおまえたち。わたしはどうやらもうすぐ死ぬようだ」。かっこいい。 あるいは故R.レーガンがアルツハイマー発症初期に全国民にむかって送ったメッセージ「わたしはこれから遠い旅に出る・・・」。これもかっこいい。 でもどっちの年寄りのありかたも自分の老いの目標としてあこがれるのはいいけど他人には要求できない。こういう美学は個人的なものでしかありえない。他人に要求するのは暴力である。 いまできるのはいっぱい世話になった感謝の実感。これを深めるだけの「大人力」を養うことだろう。なにかあったときになりふりかまわず手をだせるような。いまはまだどこかで感謝が甘いと思う。元気だからだろう。 こういう話をしたらたぶん「勝手に殺すなよ」と笑うんだろうけど。ま、とにかく長生きしてくれ。それでいいや。(♂)
2004年11月22日
免許センターに行く。 府中くんだりまで行けるかい、とか、メガネを会社から持って帰るのがめんどくさいなー、とか、あのへんなビデオみせられるのたまらんなー、とか。いろいろな煩悩を断ち切って外出。 途中電車のつり広告でRayのタイトルをみて口があんぐりあく。たちまちしまらない状態に。だって「もてメイクマニュアル(1)合コンで恋をGETするために(2)彼にアピールするために(3)いまの恋をつづけるために」って。欲望丸出しなことよ(感嘆文)。 顧客管理 っすか。エクセルとワードおつかいになったらいかが?とかいいたくなるような。突っ込みドコロ満載。その違いみせてくれよハニー。 免許センターに到着。免許をコピーした書類をもって(この簡略化はぐー)あっちいけこっちいけといわれて動いているうちになんとかビデオまでたどりつく。って、それはいいのだが会社でみせられたものとまったく一緒で顔に縦線。 イントロから被害にあった一家の実際のホームビデオの映像に東海林のり子の声がかさなる飲酒運転の恐ろしさを如実に描いた傑作。PRビデオの傑作だからおどろおどろしいことこのうえない。同じシーンでビビり同じシーンで泣く。あーもうみたくねえ。 どこかでコドモの声が聞こえる。連れてきたパパさんよ、コドモのトラウマになっても知らんぞまったく。あんまりえげつないのでかえってみんなサイコホラーのエンターテイメントというか他人事にとらえないか?と心配。 それにしてもUターン違反した私。警告無しで捕まえるっていまだに納得いかないんすけど。凶器もって暴れているやつにだって警告はするだろうよ。なんで法的に善意の男をとっつかまえる。とっとと 出世しやがれ。まだ「一般」扱いだからいいようなものの。 法改正の説明をうける。いままでは飲酒運転の検査を拒否すれば問われるのは飲酒ではなく拒否した罪だけで5万円だけで済んでいたという話に笑う。裏技かよ。 そういえばちまたでは教師も免許更新にするとかしないとか。やはりそのうちこういうセンターで更新するのだろうか。「男性はロリコン検査の列におならびください」とかな。ってなんだそりゃ。ごめんよ教師の方々。「優良」「一般」「失効」とかわけられたりして。「失効」ってなんだ。「一般」にされたやつも理由が聞きたい。「教壇の日の丸1回ひっぺがしたもんで」と言ったら「じゃあ収入印紙~円になります」とか。 などと妄想。 まったく車乗らないヒトが優良ドライバー扱いされるのってどうよ?もちろんふつうの優良ドライバーもいるわけだけど。 ようやく解放されてバスで駅へ。ところでバスってこの支払方法もっとなんとか近代化しませんか?いまどき現金でじゃらじゃらって。昭和の世の中じゃないんだから。まあバス共通カードつかってますけど。 もう坊主憎けりゃ袈裟まで憎いメンタル状態。ぷんすか。 駅前でてんぷらそば食って帰宅。(♂)
2004年11月21日
出演している役者Mに誘われ銀座へ。 日本神話をベースに語る男と女。ちょっとした、されど根深いすれちがいを描くというより語る独特の世界。物語につぎつぎ挿入されていく現代人の別の観念。かっちょいい音響とモッブシーンの絶妙さ、役者の魅力でぐいぐい客をひっぱっていく。真剣に観ないとおいていかれるいまどきめずらしい挑発的な劇団。難解さは難解さとして客をつかむ「調理」をしているのに好感。 難をあえていうなら。脚本と演出を兼ねているせいもあるが整合性がありすぎてときどきリズムが停滞してだれるところか。もっといいっぱなしでいい。サンプリング、あるいは各プロットのザッピングというのか。演出の生理に忠実になってザクザク編集してもいいのではないか。 あとこれまた言うほどではないがせっかくひろがりのある舞台構成をしながらあの細いステージをはさむような客席。観やすさという点ではどうなのか。スライドが見えない場所だったのは残念。客である自分たちも舞台のひとつと考えれば別だが。ささいなことではあるけれど。 なんだかわかんねーけどすげー。と思わせるねじふせるような演出。私をふくめてある世代より上は「第三舞台(おお一発変換)のような」という言い方をしたくなるだろう。って私だけか。 とにかくエンターテイメントである。要所要所でみせるサービス精神。ケレンがずるい。というかうまい。脱帽。役者M前回の活動(♂)
2004年11月20日
本日拡大職場集会。 組合員が任意に集結して会社へのシュプレッヒコールを繰り返し、ゲバ棒もって権力と闘うべく町へと繰り出す血沸き肉躍る場だ(ウソ)。そんなの南米でももうねえだろ。 先日の労使交渉の報告と感想意見を求める場である。ようするにどこまで話を続ければいいのか、体温を測るのである。 演説好きがひとりしか来なかったので滞りなく終わる。いいのか悪いのかわからない。だれもなにもいわない重苦しくテンション高い場のほうが雄弁な気すらしてくる。 どうせもらえんだろうという諦めが場の疲弊を誘う。場?もとい、旅疲れの私の疲弊である。 悪循環というか、ほしがらないからもらえないのか、もらえないからほしがれないのか。組織として動脈硬化をおこしている。ほんとは欲望こそが会社の原動力になるべきなのだ。景気が悪いときにはこんなこと言ってもムダなのだが、常に飢えた状態こそが会社をささえるのである。 デブは燃焼量が多いのでメシを食う。メシをくうためになにかをやる。ヤセ型の男は逆にメシを食わなくてもなんとか暮らしてしまう。そのヤセ型の男のような会社の状態にいらつく。なぜ太るべきときに太らないできてしまったのか。ふんばりが聞かない植物系のノリにがっくりくる。 みんないいひとすぎるのだ。縁故関係が多いせいか。 よくいうのだが、部課長が宴会に参加すると飲み食いのテンションがあがる。ふだんの能力はピンキリにしろ、かれらは部課長になるべくしてなったのだなあ。まずは飲み食いの力なんだなあ基本は。と思ってしまう。 だから私が大食いである・・・という言い訳ではない。 だいぶまえ、あるラーメンチェーンの店長選挙のレポートをフジテレビでやっていた。急成長したそのラーメンやは、店長を全店員からの志願制にしている。立候補した店員はあちこちの店をまわって店長に決意表明をし、皿を洗い、改革案をプレゼンする。店長になっても安泰ではなく3ヶ月売りが落ちれば降格。というすさまじいものだったが、その緊張感こそが組織を支えているという。えげつねー。 これも「飢え」をうむシステムだろう。 ふりかえってこの会社の「飢え」はどうやったらいいのか。って、そのまえにもう飢えている。満腹中枢がいかれてしまって空腹を感じなくなっているだけだ。これは飢えではなくて栄養失調だ。点滴をくれ。 まずは社員食堂にキムチがっつり盛れ。全員に摂らせろ。欲望だけは肥大するだろう。たぶん(なげやり)。なんの欲望なんだ。(♂)
2004年11月19日
宴席で中学で音楽の教師をやっているいとこ♀(40代2人の子持ち)と話す。ある時期教師をしながら声楽をめざしていた、という自分と同じヤクザモンである。 おたがい近況報告。 とりあえずオーラから幸せ&多忙モードがでている。話をしても大丈夫なのを確認済。30代になるとどうも近況報告させてはいけない、聞いてはいけないひとがいる。というのを知ったのはこの日のことである。20代なら「ばっかでー」で済まされるのがこの歳になると「ばか」はあいまいな笑顔で距離をとらざるをえない。そんなことを考える私は世間様のひとり。いいんだよ差別で。 部活の指導をしている、というので何を教えてるの?と聞く。ブラスバンドの顧問らしい。「3年前に楽器1コからはじめたんよー」へえー。1コだとどうするの?「まずもう1コは私が買って、あとは自分が関係する市民楽団でつかわなくなったやつを貰ってきて。」すごい。堅実。「そしたら楽団のひとがH田(いとこの苗字)という先生がようやってるからなんとかしてやれってかけあってくれて」うんうん。「いまじゃ20コよー」おお、スクールウォーズみたいだ。こうした歴史が部のスピリッツとして残るのかな、などと思って聞く。 この家がすごいのがいとこ兄弟みんなが入れ替わり立ち代わり祖母のために毎月1回は家にきてなんらかの手伝いをしに帰ってきてたということである。生活もあるのにできないよ。感服。 というといとこは笑って「あーでもお祖母さんが健康だったら来ないよ」そうかなあ。とにかく昔はあたりまえだったことを今あたりまえにやっているいとこたちを尊敬。 娘が中学生で空手を習っているとか。そのうちだれかさんといっしょでゴクドーになって「私も音大に行く!」とか言うんじゃないの?とからかうと即答。「絶対許さないから」おいおい。 声楽はもうやってないの?というとさらっとうんとこたえるいとこのふっきれかたにステップをみた。これも卒業というやつなんだろう。10年ぶりの再会。歴史だ。(♂)
2004年11月18日
今日のひとこと。朝5時に家をでたのにのぞみの指定席満席ってすごいよ日本のリーマン。 福山駅からバスに乗って40分が母の実家である。コドモのころはなんとも思わなかったがあらためて行く道を眺めたらあまりの田舎道に驚愕。 ひたすらつづく田んぼ道はいいとしても、くずれかけた家があちこちみえる過疎な風景もいいとしても、バスと軽自動車がすれ違えない道があるってどういうことっすか?これでバスを間違えてたとしたら戻れんのかオレよ。とどきどきしながら乗る。落ち着かないことこのうえない。イメージとしては「こち亀」の部長の家への道である。いやほんとに。 BGMは広島弁。「なーや」とか「じゃけー」とか幼少慣れ親しんだ響きを聞きながら外を眺める。おやぢたちが世間話をしている。バスの座席が小さい。バス停のCMが余計遠くに来た感をもりあげる。老人しか乗ってこないバス。こんなところにもヒトがすんでいる(失礼)。 あらためてコドモの脳内地図に思いをはせる。福山駅→バス→実家しかなかったのだなという視界の狭さを笑う。もしかしたら車酔いでへろへろだっただけかもしれないが。 そういうわけで到着。荷物をおかせてもらってあちこちに挨拶をする。いとこと再会。でかくなったいとこの甥や姪が走り回っている。年月を感じる。自分もここによくきていたころはああいうかんじだった。ひとりは公務員。ひとりは求職中。このへんも年月か。 せかされるように昼食の弁当をおしつけられる。しぶしぶ食べる。友人が言った名セリフがある。 「結婚式より葬式のほうが飯がウマい」 それはそうなのだが、葬式という場からいって味なんかしない。つったっていても役にたたないのでもそもそかきこむ。食べ終わるとデクノ坊と化す。と、伯母が祖母に挨拶してこいというので行く。これはしぶしぶというよりは行くタイミングを逸していたので渡りに船。兄と2人で対面。 思ったより綺麗な化粧をしてもらっていたので安心する。伊丹十三の映画「お葬式」では4人でいっせいにおそるおそる覗き込むブラックなシーンがあるのだが、そういうのとは違った神妙なかんじ。どうも現実感がない。こういう分析をしている時点で神妙ではないかもしれないが。 祖母と最後にあったのは自分がプー太郎だったころだ。母がたまには刺激もいるだろうと無理やり埼玉に連れ出したのだ。私の家にきた祖母はしばらくはぼんやりしていたがやがて若いころのような軽口も飛び出すようになって広島に帰った。 自分は孝行孫ではなかったがいる間は家族の一員として居心地がいいように、というよりこっちの居心地がいいようにバカ話をしていた。きっと冥土にはアホな孫として記憶していったに違いない。 家を使っての告別式だったので坊さんの読経の後ろで正座の痛みを我慢しつつ「ご遺族」の一員になる。喪主の挨拶のときに来場された方に向き直るのははじめての体験。坊さんにはなんのありがたみもかんじなかったが喪主の伯父が目を腫らしていたのが印象的だった。宗教心よりそれぞれの想いのみえる瞬間に故人をみた。 火葬場にバスでむかう。母のいとこのおじさんが日本酒を抱えている。火葬場の職員の方に渡すという習慣が残っているらしい。「こういうのって最近では虚礼とかいってなくなりつつあるみたいだけどねー」とはおじさんの弁。礼をむこうがほしいかどうかよりはこっちがあげたいときもある。あげたほうが落ち着く気もするが。 こういう習慣って地方によっていろいろある。 たとえば献花に缶詰とか日用品とか果物がつまっているのはこの地方独特だと聞いたがどうなんだろう? あと京都の大往生の祖父の葬儀で竹の先にお金をつけてふりまわしてみんなに振舞うというのをやっていたが、これもどうも京都独特らしいがどうなんだろう? などと、民俗をおもう。そういえばいとこが写真をバチバチ撮っているのだがどうよ。キモチはキモチなのだろうがどうもヘンなもん写りそうな気がするが。 2時間まって骨を拾いに戻る。おもったよりかたちが残っている。みんなで拾って壺にいれる。 兄2人はとんぼがえりで私のみ残留。夜は宴会。車で来ているせいもあって酒のみも少なくて、私ひとり顔を赤くしているのが恥ずかしい。と、それからは泊まる親戚の義務としてあらゆるかたづけにひっぱりまわされる。残った弁当の処理。式場のバラシ。雑用の数々。ハードボイルドにスイッチがはいる。 メールをもらったときの衝撃ほどには祖母の死がリアルじゃない。かたづけへ意識がとんでいるからに違いない。大往生を祝いたいというキモチもある。 やがてある日ふと思い出のかけらをみつけたときにいないことを実感するのだろう。いまはまだただ渦中にいるだけだ。(♂)
2004年11月17日
祖母が亡くなった、というメールをもらったのは朝の地下鉄の中だった。アラームのバイブでおきることにしている車内で、ふと携帯をみるとメール着信のマークが。 「連絡してください」とあって地下鉄のラッシュをやりすごして自宅に電話、指示をあおぐ。組合の団交。殺到する伝票。遠い告別式の場所。といろいろ世間の雑用が頭をかすめるが、すべてネリチャギをかますことに決定。さよならは1度しかいえない。 こころを決めてからふと頭のうしろから幕のようなものがおりてきた気がした。ってつたない表現でアレだが、ようするにじんわりかなしくなったのだ。かといって「泣き系小説」をよむときのカタルシスのそれではなくて、心の奥底から池の中からでる波紋のようにすーっとひろがってきたのだ。ああヘタな言い方。素直に泣いていいかどうかわからなくて、会社に着くとただ押さえ込んで上司に報告。明日とあさって休みをもらうことにした。 大往生だから半分笑い半分泣くような不思議な感情。自分が祖母に深く影響をうけていたのが意外。兄2人はまだばりばりオバサンだった祖母をみているが自分がものごころついたらお婆ちゃんだったので距離としては少し違うのでもっと冷静かと思ったのだが。悲しみの量を測るのもなんだけど。 しばらくは深くココロの波紋とともにいよう。そういうわけで明日は広島。(♂)
2004年11月16日
本日合同委員会。 ようするにぺーぺーの社員の代表が集まって意見を言う会である。という説明をするとなんだか頭が悪そうだが、まあいい。ところでこういうなんとか委員会という組織の原型はほとんどやっぱり共産党からきているんだろうか。それとも軍隊? 蝸牛日記で、怒りを通り越して深いため息をつく同僚にひどく申し訳なく思う。疲弊そのものが意見なのかもしれない。よく表現者の卵から「表現するものがない」と嘆くセリフを聞くのだが、そんなときは「表現するものがない」と歌えばいいのだということにしている。それもまた表現。 しかしこういう場になるとどうしても分析をくりかえしたあげく何にも言わないで終わってしまう。私の見方はArithmatix氏とちょっと違ってていまのメンバーはメンバーなりに何か言わなければいけないという雰囲気はみえる。でもネタがないというところか。 カネの話になるとどうしても「経営責任」とか「具体的にどんな方策をとるのか」とか責め方が一緒になってしまうのだが、よその会社はどうなんだ。はっきりとした経営方針というのをとれる会社がどれだけあるのか。Forbesとかではみんなかっこいいこといってるけど。日経新聞とかで仕入れたことば並べてるだけなんじゃないのか。 いまの社長を弁護するつもりは毛頭ないが、ひどい結果のあとになにがいえる?知っているだけに矛先が鈍る。ああ、判官びいきって朝日新聞みたいでいやだ。論点をぼかす。単純に自分が社長だったらなにをするだろうか?と思うとどうにもこうにも。振り上げた拳のやりばに困るのだ。 いっそのこと一番成績がいいやつがつぎつぎいいところに転職する仕組みをつくればいいのかもしれない。そうすると人件費も減る。減ったところにまた転職をめざして成績をあげるやつがでてくる。いわゆるマイナーリーグとしてわりきって人間を育てるのだ。社員のモチベーションもあがるだろう。そしてこの会社も活性化するかもしれない。 ・・・・ていうか、ようするにいい人材が出て行くよ。という脅しがきけばいいのだ。団交の席でたたきつける内定通知の束←束というところがポイント。やってみてー。(♂)
2004年11月15日
家にいると寒さで心まで凍えそうだったので散歩に行く。 なんもしないことには慣れているマグロな私ではあるが、あんまり続けると体が錆びそうだ。もう錆びているけど。このままではココロまで錆びる。かんべんである。 昨日の夜NHKで観たトシちゃんは痛々しかった。ハゲているのはともかく下半身のジーンズの似合わないこと。もういいから媚びずにラテンオヤジになってくれ。まずは毎朝オリーブオイル3本ぐらい飲まなきゃだめだ。歳をとってくれよたのむから。路線変更できなかった子役みたいだ。悪いけど。ヒット曲のリリースがことごとく20数年前であることにショック。すっかり昔の名前ででていますになっているのがとにかくイタイ。だれかプロデュースしてやれよ。つんく♂とか、正しく歌謡曲やっているひとが。 あのままでは自意識過剰のままオヤジになっていく哀しい男だ。 とりあえず錆びを落とそう。 寒いと「寒いよメーテル」とメーテル母のセリフを口走る←全国で10万人いると思われる(当社比)。そんなセリフすら身を凍えさせる。否、そのセリフがいかんのだ。パーカーのジッパーをあげる。クレージーケンバンドを耳に歩く田舎道。似合わないことこのうえない。このCD,やっぱり神奈川方面のヤンキーがいるところじゃないとダメか。 ほんとは自転車がいいのかもしれないが、近所、坂が多くて苦行になることのほうが多いので断念。いやまじで。この歳で立ちこぎするとは思わなんだ。急な坂道を登るときのつらさといったら。BGMに「巨人の星」が似合うぐらいだ。それとも自転車がボロいのか。たしかにボロいけど。 というわけで今日は歩く。 近所のブックオフをとりあえずめざすも、昼食時。途中発見したバンガロー風のレストランでランチ。メニューはチキンのシチュー煮。ちゃんと前菜のサラダも出る。ドレッシングはとりたてていうほどではないが、しゃきっとしたキャベツがうまい。先日ラジオでケンタロウが野菜の水切りをつかうのとつかわないのではサラダの味が違うと力説していたのだがこれか。などと思う。 シチューが出てくるまでに時間があったのでノートをみる。据え付けのノートにきたひとがいろいろ書いているのをぱらぱら眺める。「今日はバイクで来ました」とか「学校がはじまってしまうと来られないので娘をつれてきました」とか「中学以来の友人と来ました。もうすぐ彼女はお嫁さんです」とか。ちょっとしたメモにも人生いろいろ。ビリージョエル「ピアノマン」の歌詞ではないけれど、だれかがきては去っていくんだな。というあたりまえのことに感心する。 店の端だったので店員の動きがみえる。あちこちに目配りしているスタッフにこまやかな気遣いを感じる。 シチューはとろっとしているかと思いきやキレのある味付け。ごろりと入った鳥とブロッコリーに満足。炭火風のコーヒーでしめて店をでる。 あいかわらず外は薄暗い。ブックオフで文庫をあさるも、とくになし。イエモンの英語のライブ盤とJBベストをどっち買うか悩んで後者を選ぶ。店を出る。 さっそくCDをセット。じぇーーーーむすぶらーーーーうん!とひとりごちながら歩く。肩をゆする。風景にあうとかあわないとかでなく、すべてをJBに染めてしまうヴォーカルにうちのめされる。 さあ、スーパーに買い物に行かねば。(♂)
2004年11月14日
先日12日録画しておいたものを鑑賞。 ファンとして、現場の製作者として、プロデューサーとして、ハリウッドの監督として、それぞれのゴジラを語るという充実の内容。 私個人としては小さいころテレビでやっているのをよく観ていたぐらいでそれほどの思い入れはないのだが、だれもが知っている日本が生んだキャラクターというのは語るだけで現代史になるというのは面白かった。 あるファンは日本の政治の季節のころに観たため擬似戦争体験としてのゴジラ映画と解釈する。やがて政治運動へとのめりこみながらいつかみたゴジラの風景と重ねあわせる。 ある製作者は自らの満州引き上げ体験からとらえた風景への想いを画面に乗せる。初代スーツアクターはキングコングとの戦いの曖昧なラストをアメリカとの戦いとその勝利ととらえる。 すべては高度成長期のなにかととらえるのは安易といえなくもないが、時代がもっていた成長への熱の反動として破壊衝動が映画を動かしていったのは間違いない。 技術的な話もとりあげていて、感動。目はリモコン、尻尾はピアノ線で、本体は人間。それを息をあわせてやるというローテクかつ日本人らしいこまやかなしかけに驚く。特撮監督の動きにあわせて撮影がすすむにつれて生き物になっていく様子は直接の連動性はないものの文楽と同じ。ガイジンにはできまい。 現在のスーツアクターは撮影にはいるまで仕込みを見ないという。破壊するまでにたくさんのヒトが精魂こめてセットをつくっているのを1度みてしまうと動けなくなってしまうからだとか。 ハリウッド版の監督はあくまで日本のものはマニアのものであると日本人の批判を承知でいう。だからこそ巨大なイグアナとして描いたと。これもまた愛のかたちか。いやだけど。 プロデューサーは「マニア」な部分を宗教観として分析していた。人間が怪獣にたちむかってなんとかするというカタルシスを求めるハリウッドと、あくまでゴジラはゴジラであって人間がどうもがいてもどうしようもない存在なのだ、と描こうとする日本。なせばなる式の発想が世界を不幸にしているのに気付かない現在のアメリカの潜在的な闇をそこにみる。というのはおおげさか。 プロデューサーは「ゴジラはすべてを超越した神である」とまで言い切っていた。それくらいで考えないとこの作品はつくれないと。伝統の重みというか、キャラクターへの愛情がいい。 いろいろな立場の思い入れが築いてきたものは尊い。たとえマンネリとかコドモ向けとか言われたとしても。 ゴジラの身長が現代の日本においては脅威でなくなっているという発見が製作者を悩ませるくだりも時代を感じさせた。たしかにゴジラより高いビルはいくらでもある。破壊そのものが説得力がないというのは時代の流れだ。ましてや911のような出来事があれば、なおさら映像での「脅威」はつくりづらくなっているだろう。 番組はゴジラ登退場シーンでつかわれた撮影所のプールが解体されるところで終わる。CGでなんとかなるということでの決断らしい。 映画シリーズそのものもまた今回で封印だとか。全盛期の半分の動員数。家族で観にいくものがかわいいものへとシフトしているという。 なにかこの国がエネルギーというか「おおいなるもの」を失っているような気がするのは私だけだろうか。(♂)
2004年11月13日
自分の書いた昔の伝票を見る機会があってしばし眺める。 筆圧が強いのはあいかわらずとしてもギクシャク書いているところにいまと違う余裕のなさがみえる。いまでも余裕はないのであくまで比較の話である。ある種の誠実さをもってことにむかっていたといえなくもないが、自分の成長を少しだけそこにみる。 たとえるなら、サッカーのディフェンスのようなものかもしれない。がちがちに走り回る90分から、あらかじめ察知できる危険の部分だけより集中する方法への進化。ダラダラする部分のレベルをかなりあげているからこそできる技術だろう。 別名中年力という。 W杯フランス大会の厚いディフェンスシステムが結局はたった1回のミスでバティにゴールを奪われたように、ミスはいつかおきる。と割り切ってデカいミスをしなければいいのだ。傲慢な発想だろうか。 「デカいミス」への勘がすこしでも養われたのだとしたら現在の仕事を任されてからの1年半がムダではないということかもしれない。 ひとつひとつの指示・依頼にたいしてバカ正直に反応するのではなくて、優先順位を瞬時につけたうえで軽い確認をくりかえす。重くひとつひとつうけとめるのではなくて、軽い仕事の確認をくりかえしつづけることでミスを減らすのだ。 「クソマジメに1回」やるのも「フマジメに10回」やるのも同じエネルギーだとしたら私は後者を選ぶ。消耗が少ないだけ大ポカは減るだろう。時間は多少つかうが。ほんとは「クソマジメに10回」がいいのかもしれないが。それはそれだけの給料をもらったら考える。しばらくはないけど。 そうでもしないと流動的に状況が変わっていくいまの職場では対応しきれない。とにかくまずは次の展開を考えて行動して、それから先に流した情報なり指示のフォローを考えよう。基本はワンタッチパス。ワンタッチゴール。ためこむな。そう戒めている。 そう、ときどき絵を描くように仕事ができたらいいのにと思う。デッサンからはじまって大きく、そして細部へ。小説でもいい。プロットづくりからはじまってフレーズへのこだわり。バタバタとメモを書き散らすように日常を過ごしているけど、視野というか身についた知識をもって全体像の把握ができるようになれば、次のステップを踏めるのでは? わかっちゃいるんだけど。ヒマなときだからこそ語れる理想もある。請求書処理も仕様書処理も終わりたまの18時退社。ビジネスマン哲学してみた。ビールも飲んでないのに語るってヘン?(♂)
2004年11月12日
朝、連日の疲れに耐えかねてバスに珍しく乗ろうとバス停にいく。 が、そういうときにかぎってドライバーが律儀に到着時間を守りやがって、見送るはめに。ハリウッド映画なら女優が履いているハイヒールをバスむけてなげつけて「Bxxl Sxxt!」とかなんとかわめいてハンドバッグをぶるんぶるんまわすのだろうがあいにく脱ぐ靴はない。 と、目の前にちゃりんこ爺さん登場。白い歯キラリひとこと「乗っていくかい?」と サムアップポーズ(親指をタテルアレ) はさすがにしなかったが、「なんならおいかけるよ」といわれる。ありがたい。というかたいへんありがたいが、固持する。おそらく私の体重はあの自転車の安定を許さないだろう。「そうかい?」とさらっと去るじいさん。Cooooooool! というわけでテクテク歩く。BGMはレッチリのライブ盤。 まあ歩ける体力はあるのだけどあんまりそうやって声かけられるのも珍しいのでちょっとハッピー。運転していたのが女のヒトだったら乗ったかも。って、そんなやつはいねえよ。いたとしたらよっぽどのマチョだろう。 ふと目にするのは公園でラジオ体操をする老人たち。なんだか昭和の風景というかんじでまたほのぼのする。セイガデルネエとなれない挨拶はしなかったが、こういう発見があってさらにハッピー。 神戸製鋼ラグビー部ではFW陣になるべく顔をあげろという指示を徹底しているという。ポジションからいって押し合いへしあいすることが多くて顔をあげずらいのだが、それをやるのは情報量を増やすためだとか。顔をあげることで視覚情報が増えるらしい。相手がへばっているなとか、味方の体調であるとか、ボールの動きとか試合に活かせる情報がいくらでも入ってくるとか。 という話を思い出して、きょろきょろと見回しながら通勤。イヌがいっぱいいる。雨がふりそうだ。クリスマスの準備がポチポチ出ている。という役にたたない情報ばかりだが。 とりあえず、街の空気を吸収しつつ快適な通勤。背すじとともに、キモチを伸ばす。さ、給料稼ぎにいこーぜオレよ。(♂)
2004年11月11日
珍しく20時に退社できた。一日中携帯がなりっぱなしでテレフォンノイローゼ(@甲斐バンド)。切っとけばいいんだけど。なぜみんなオレが車に乗った瞬間鳴らすのだ。どっかで覗いているのか。いまだ!とか。クレイモア地雷のようにことごとく鳴らされる携帯。かんべんしてくれ。 あーフツウの時間に帰れるから今日こそは包丁を握ろう。コンソメと野菜いろいろを鍋につっこんでぐつぐつ煮たい。というよりざくざく野菜を切りたい。そろそろ人間の食事がしたい。って食べなくてもやってはいけるのだが自分の手がかかったメシがいい。 私にとって料理とは癒しである。とりあえず頭からアルファ波がでる。なんにも考えない瞬間。ただ手元に集注するだけでいい時間が好きだ。たいしたものはつくれないけど。なんとなく家庭を維持する意地みたいなものがここにある。もちろん外食だって家庭は維持できるのだが。 得意先の担当と話をしていたら、小さいころの食事の話になった。両親ともに働いていたし食べる時間が不規則だから当然出前だったとか。でもなんとなくそろって食べるというのが決まっていたという話。ああこれも家庭だよな。とにかくあるセレモニー・・・あるいは「ごっこ」をいかにつくるか。カタチにどこにこだわるかということなんだろう家庭の食事の場というやつは。 結婚とはいっしょにご飯を食べることである。 と言い切ってしまうといろいろな家庭の事情があるから差し障りはあるかもしれないが、これって時間じゃないだろう。濃さというか内容というか。寒い365日の食事をするぐらいならあったかい3日が1年に1度でもあればいいと思う。 しかしこういう食べることへの意味への哲学やこだわりを考えるとつくづくデブだな発想だなオレよ。ダイエットは遠いぜ。(♂)
2004年11月10日
残業は癖になる。いくら請求書の時期とはいえ、毎日終電ってどうなんだ。まだ会社に泊まらないだけましか。だいいちあんなダニが出そうなところに泊まるやつの気がしれない。ってごめんね営業よ。とにかく癖になるまえにやめよう。もうなっているのだけれど。 ヒトがいないのではかどる。アドレナリンが出るので酔う。悲劇の英雄ごっこができる。でも、その残業にむけての体制、リズムになってしまう。本末転倒だろうよ。 人間になりたーい@ベム。 そんなことを考えたのも体制の変更の話を聞いたからである。いまの部署になんらかの人員の補充があるかもしれないとか。それを聞いて感情は「やったー」ではなく「えー」だったのだ。そんな自分に驚いたのだ。そしてがっくりきたのだ。 自分にもテリトリー意識があったのか!現場に近い部署なだけいつでも偏屈じじいになる可能性は十分あるとは思っていたが。これって老化なのか。とにかく精神的にダメだ。責任感の裏返しといえなくもないが。 精神の老化。原因の一端は残業による精神の消耗がある(偏見)。 言い訳をさせてもらうなら、70近い老人の下で権限もなく査定もなくつけられて修行→今度は単独でで部下もいない状態で放置プレイ2年間だったら、そりゃあへんくつにもなりますわあなた!って誰にいってるんだかわからないが。 持論として組織は生き物で、なんらかの刺激を与えなくてはいけない。と常々言ってはいる。だとしたらやはりこれはいいことだととらえなくてはいけないのだろう。 必死に言い聞かせている。 不安要因はいままでのデタラメな人事である。だいたい自分の部署は前任者のボスがボンクラだったせいもあるが、つかえそうなのは営業に全部ひっぱられたあげく補充がないというのが続いたのだ。 だとすればいまこちらにもってこられるひとといってもつかえないやつじゃないの?という危惧はぬぐえないのは当然だろう。ピッチャーでつかえないからキャッチャーで。という発想は会社としてどうよ?テリトリー意識もそりゃあ強まりますわあんた。 言い訳よりもなによりもまず残業を減らして涼しげな男になろう。17時すぎたら背中ぱっくりドレスあいた女のいるショットバー。バーテンがすべらすカクテル。これどうよ?←アホ。 ・・・違う意味で消耗しているよなオレよ。(♂)
2004年11月09日
日曜の夜、かみさん実家でお祝いの宴。 義父のお兄さんが叙勲ということでお邪魔する。枯れ木も山の賑わい。寿司食ってビール飲んでここでも飲み食い要員。げふー。 勲章をみせていただく。昔は「あんなもんなんでありがたがるんだ」と思ったがいざ目にするとめったにいただけない年月と数々な想いがこもった輝き。ほんとかどうかわからないが特定宗教や運転免許のキズが原因で授与が左右されることもあるとか。差別というのではなくてそれだけあげるほうももらうほうもたいへんということだろう。 アテネ五輪でNHK堀尾アナが選手に断りもなくメダルを首にかけて顰蹙を買っていたが逆にいえばパンクだぜミニホリ君。ふつーできねえよ恐れ多くて。皇室がどうのというよりその人の「過程」に気軽に踏み込むのはだれにもできんだろうふつー。すげえよ堀尾。つぎは文化勲章に挑戦だっ!ノーベル賞でもいい。首にとおしてとおしてとおしまくれっ!外人相手ならボーナスポイント加算だ!なんのだかわからないが。 月曜は労使交渉。土曜日のアホメールについて冒頭にかみつく組合役員A氏。まっすぐ抗議する姿に彼のよき性格をみる。怒りとは美学あってのものかもしれない。尊敬。こっちは冷笑とチャチャしか考えてないのに。 最近の少年非行の多くは親の前ではいいコというパターンらしい。怒ったとき素直に怒る彼を受けとめなくては社長の器じゃないよ社長。こっちはねじくれてへらへら聴いてどす黒いものを溜めているというのに。 悪いけど眠い。グリシャム作品の弁護士みたいに凛々しく語ってくれないか。発言者はあるきまわってくれないか。「資料Aをごらんくださいみなさん」とか。「異議ありっ!」とか。 みんながみんな相手の言いたいことを探るためにうやむや喋り。いっそのこと蛙と牛を手にはめて本音をしゃべらせたらどうなんだ←なつかしの「スーパー部長」でも可。 ・・・こんなことを考えて脳細胞を無駄につかうから眠いのか。すまんのお。(♂)
2004年11月08日
土曜日会社を休んでいる間に携帯にメールをもらう。 社長が営業対象に檄をとばすメールをおくったという報告。内容としては「この厳しい状況で土曜日にこれだけしか出社してないのはどうなのか」とか「でも有休取得を制限するつもりはありません」とか。歯にモノはさまったかんじ。どっちなんだ。イイタイコト(@駿台予備校)のメインは現状の厳しさの再認識をせまるものであるようだ←たぶん。 ようするに現状の厳しさがどうにもならなくて土曜日の人がいない状況を目にしてやつあたりしているのだろう・・・という分析されているあたりは気の毒だが。。蝸牛日記ともども苦笑するのみ。 文章がヘタなのは承知なのであんなもんだろう(失礼)とは思ったのだがレスポンスとして一番仕事に腰が重いゴネ男(4●歳)が「そうだそうだ!」という内容の同意メールをやはり全員におくったとか。えらそうに。ダブルでがっくりくる。 Hey You! なにさまなんだ? 成績(売上・貢献度)がいっているやつだけが語るべきなのだ。このへんのケジメのなさが他人のモチベーションをさげさせる、というのをいいかげん気付いてほしいものだ。 それとゴネ男よ。無意味に休日出勤を続けていて平日はふだん早く帰宅してるのってどうよ。許されているのもヘンだけど。趣味とか彼女とか彼氏とかないの?いたら顔がみたいけど。そんなデタラメをやってて他人が土曜日休むのを責めるのっておかしくない?(ギャル発音で) 発言できるのは大人だけだ。 アメリカの学校では成績がいいとシンボルとしてのカギを貰うと聞いたことがある。歴代大統領はカギをもらいつづけてやがてエリートへの道をたどるという。日本もかつて戦後すぐは成績順に級長をきめていたというではないか。このへんのリーダーの扱いを考えなくてはいつまでたっても日本人にリーダーシップはうまれないだろう。 「成績で人間は決まらない」とかヌルいことをいうな。オンリーワンよりナンバーワン。とはいわないが(いっているけど)ほんとはナンバーワンが成立しないとオンリーワンが映えないのだ。プロレスだってベビーフェイス(主役)がいないとヒール(悪役)は成立しないだろう。 だからあなたにリングにあがる資格はない。 ・・・・ワタシニハアル(小声)。 それと、問題は社長の檄のタイミングである。いまいうのはいつに対してなのか。焦りにしかみえない。わかるけど。 野球の監督は映画監督で芝居の演出はサッカーの監督 ・・・ということがある。はじまってから修正できる割合の話である。芝居はたしかにある程度の理論と方向性をたたきこんだら本番でアドリブやろうが演出はとめることはできない。 この話はビジネスではどうだろう。社長は野球なのか?サッカーなのか?半分半分だろう。檄をとばすタイミング。あるいは修正するタイミング。できるときとできないときがある。勝って兜の緒をしめよというのは、勝ったときでないと締められないという一面もあるかもしれない。 だから社長。焦らず一番大きなことと小さなことを気にしようよ。それが経営者の仕事でしょ?あとアホに喋らすな。頼むから。 ・・・まあ、ツッコミやすいひとにツッコむのはつまらないんだけどね。そして明日は労使交渉。(♂)
2004年11月07日
来客準備で押入れを掃除。でてくるわでてくるわ。かみさんのコレクションの山である。 アトム。エヴァ。手塚治虫。踊る大捜査線。マニアなガチャポン。 たてつづけに箱の中身を確認すると業の深さにうたれる。その業、日本海溝より深い。底がみえない。あけると底にはたぶん一握りの希望がつまっている。 いまでこそあらかじめアイテムがコレクターを前提として企画されるようになっているが、昔のモノはかなりの苦労の産物である。親からの、あるいは配偶者の無理解を乗り越えて死守されてきたグッズ。おそらくオークションの値段のほとんどは「ご苦労さん代」であろう。大瀧詠一みたいに自分でほしいからとコレクターズアイテムをつくりまくっているひともいるようだが。 ちなみに私は無理解派である。 と、なぞのノートを発見。あけると、そこには幼い文字でつづられた文章が。なにこれ?とずばり聞く。「朝日ソノラマ版鉄腕アトム第1話だよ」という答え。コピー機のない時代。しかたなく友達から借りてきたものをノート(キャンディキャンディ)に写したらしい。 すげえ。 さらに。どこかに探すとテレビ録音(もちろんコードなし録音)のテープがあるという。というだけならふつうの(?)オタクだが、ノートにどんな映像だったか書いてあるらしい。ようするに自分でつくったフィルムブックである。しかも絵でなくテキストデータというところが泣かせる。 すげえ。そこまでやるかね。 ふと、「ターヘルアナトミア」を訳した杉田玄白の話を思い出す。本の貴重な時代、勉強にあたって模写するのがふつうだったという。蘭学の医学書を模写して訳すことで後世に名を残した玄白。その苦労はおしてしのばれる。 同様に書くという行為が身につく手段であるのは間違いない。なぜなら彼女のコレクション癖はいまだに治ってないからだ。 ・・・くらべんなよ。 たとえばアトムグッズのオークションにかけたら1円にもならないであろうこのノートだが、本人の思い入れが詰まり染み込んでいるのは間違いない。どこぞのCMのコピーを借りるなら「プライスレス」である。こういう「手作りコレクション」ばっかりの展示会ってやったらどうだろう。本人の解説がないとそのテーマとどう関係あるのかわからない宝の数々。さぞかし情念がつまった濃ゆいモノになるに違いない。 ちなみに私はそんなあつくるしい場には行きたくないが。(♂)
2004年11月06日
昨日組合のからみで配布した賞与の資料にケチをつけられる。「配布物がホチキスでとまってないので紛失するかもしれない」とか。 てめえでやれよおこちゃまかよ と請求書処理の時期はとことん了見がせまくなる私。自分は適当な伝票を流すくせに他人のハードルはあげる態度に頭にくるがクレームをうけたのが私でないので「拝聴」したスタッフにはあやまっておく。ただし書きつきだが。素直じゃないぜオレ。 あー同じ土俵にたつのがいやだ。海よりも山よりも母よりも宇宙よりも広い心で受けとめてないから頭にくるのだ。デスラーよりも、ラオウよりも強くあれ俺よ。アニメキャラばっかり出てくるところは頭にウジが湧いている証拠か。消毒せねば。あいだ某(←ももにあらず)とかせかちゅーとか読んだら癒されるだろうか。けっ。 資料紛失の危惧はてめーの机をかたずけてから心配しやがれ といいたいのだが論理に論理で答えると屁理屈好きの奴の思うツボなので対策を考えてみた。(1)視覚に訴えるため机をふさぐぐらいの拡大コピーをはりつけて執行部参上と署名←もちろんスプレー。墨書でも可。(2)見ると音楽がなるICカードをはりつける。BGMは「YOUはShock/クリスタルキング」か「ff/ハウンドドッグ」(3)仕事の邪魔になるぐらい匂う紙で配る。ドリアンとかクサヤとか推奨。(4)シックスセンスが働くいわくつきの紙に刷る。夜中に髪の長い女がでてくるとか。(5)あけると勝手にPCのテキストを組合データに書き換えるウィルスをおくりつける ・・・こんなことを考えながら終電を待つ。ねみー。あー愛が足りないぜえ。(♂)
2004年11月05日
一番忙しい時間に集められて業績説明会。 トラブルがあったのでさっさと外出したい。でもなーと迷っているうちに終わる。ついでにメシ予約の締め切りも終わる。ギャル子に頼もうかと思ったら休み。しょうがない。今日は外食だと思いながら車をとばして志木方面へ。 トラブルの状況をきく。聞いた上でただ情報をもちかえってもアレなので現場と対応策を協議。選択肢をつくろうと思ったら情報開示したほうがこの場合はいいとのことなのでずばり営業に伝えることにする。携帯で連絡したうえで帰社。 あっという間に昼間。首都高速の南池袋PAで生姜焼き定食。セルフサービスなのはいいのだがせまいのはなんとかならないか特殊法人。人の頭越しにお盆をもって移動。こぼしたらどうするんだまったく。さっさと食べて出発。こってりデブ味で精神的には満足。 帰社を急いだのはわけがある。ボーナスしょっぱなの回答を聞く場があるのだ。組合三役なのでいないわけにはいかずとにかく事務所にダッシュ。どうせたいしてでないだろうと思って精神的に保険をかけていったがそのリミッターをとばすこたえに青筋が。「ごくせん」で普段は美少年なのに頭にくるとブサイクにかわる男がでてくるがそんなかんじ。自分の肌がざらざらしてくる。もっさー。 とはいえ客の出入りや自分の仕事のヒマ状況からいってしゃあないと思う部分もある。アンビバレンツ。でも先日から社長が加工高をあげろあげろといっているけどオレは2人分働いているぜ。とはだれにいったらいいのか。いきばのない怒りにうちなる尾崎豊が夜の社屋窓のガラスこわしてまわりはじめる←意味不明。これから長い日々がはじまるのだ。 それぞれ感想をもとめられて委員長がひとこと「やすいっすね」というのに救われる。ああいう場だとなんもいえなくなるのはごめんよ2人よ。しかも第一次回答の数字の出し方がいやらしい。どうみても落ち着く答えを誘うようなしょっぱなの数字である。 「プロレスだなこれ」「ああ、プロレスだ」 とあとあと委員長とへらへら笑う。急所をはずしながら激しく戦うプロレスって労使交渉に似ている。ほんとは急所もつくべきなんだろう。 と精神的ダメージをくらって机に戻ると伝言の嵐が。さらに机の上に積み上げられた見積もりの嵐が。と画像みまくったあとのノートPCみたいな状態に私の脳がなる。電話のとりつぎもストレスになってどなる。「はやくでろよ!」やつあたりもたまにはいいだろう。というか、電話の出方すらろくにできないやつが多すぎるのだ。スリーコールでとれよキミたち。ここにもグローバルスタンダードの欠如が。 ふたたび見積もりのために外出。ボスも同行。得意先に資料をもっていって見積もりしてもらう。その場で出してもらって待っている間現場のひとに技術的な話をきく。なんかとくした気分。 車中でボスと話す。社内の一部で問題になっている上司への信頼のなさについて。ボスいわく「たしかにダメ上司もいるけどいろいろ文句言ってるヤツはどうなんだ。ひとりじゃなんもできないだろう?その上司が明日やめるとして、そいつはピンでやっていけるわけ?なんでも指示待ちクンなんじゃないのか?」と手厳しい指摘。まったく同意はしないが一面としてあるかもしれない。 いつか上司がいなくなる日を考えてやるというのはおもしろい発想ではある。独善的になる可能性はあるにしろ。このひともやがては自分の前から去る。と考えると時間はあんまりないかもしれない。おろおろ。 帰社後請求書を処理しつつ料金の回答がもらえない営業をつっつく。自分がポテンシャルを最大限つかっているときにもたもたしているやつをみると張り倒したくなる。あーぴりぴり。 会社の回答をもらって即コピー。組合員に配布。それをみたのか、カーディガン子♀(独身)がおずおずとちかづいてきてひとこと、 「あのー、まさかあの数字できまりなんですかねえ?」 シンプルかつ重いツッコミに笑う。そう、真実はいつもこういう単純なところにあるのだ。 さあね。社長にとぼけてにっこりきいてみな? とけしかけてみる。プチテロかなこれ。(♂)
2004年11月04日
休日になにもしないのもなんなので外出。 といっても近所のマンガ喫茶で昼食のためである。もっとマジメに休まなければいけないのだが、人ごみは嫌だ。というわけで全然文化的でないすごしかた。せめて空をみる。みあげて、自分の体内地図をひろげてみる。 以前上前淳一郎「よむクスリ」で子供をビッグにするために家をふきぬけの天井にした親の話がとりあげられていた。その親いわく野口英世やらなんやら「偉くなったひと」の共通点は天井の高い家に住んでいることなんだそうな。 その論法でいったらホームレスの子供が一番ビッグにならなきゃおかしいだろう。というツッコミばっかりやっているやつは偉くなれないのかもしれない。世界はツッコミよりどでかいボケをかますやつのためにできている。たぶん。それにしてもその親の実験の結果が知りたいところだ。 「空間ビフォーアフター!子供をビッグにする家!」とかどうだろう。なんてことを考えながら歩く。ふだん吼えられるイヌもなぜかおとなしい。うーん、朝殺気だって駅をめざしているからほえるんだろうか。 みあげると高い空。子供ビジョンだともっとだろう。子供のときは空をみなかった気がする。自分しかみえなくて余裕もなかったし。住宅街で育ったからかもしれないが。いま住んでいる場所のようにいやがおうでも視野に山がみえれば空間認識は大きくとる子供になるかもしれない。 ポータブルCDをもってくるんだった。MISIAとか聞いたらさぞかし気持ちいいだろう。 昼食をおえてスーパーで買い物。ジャガイモとタマネギと蜜柑を同時に買うのはバカだ。そしてそれは私。ぜいぜい歩く。 帰宅後WOWOWで録画した「少林寺木人拳」を観ながら組合資料整理。主人公がずっと喋らないという無茶な設定のためにひたすらカンフーをやりまくるバカ映画。すこし目を離しても話がわかるので脳汁たらしながら不要な書類を処分。 それにしてももっと地球にやさしくしようよ。ほとんどの資料が2度とみないモノばっかりなのに。前の会社では「1枚ベスト運動」があった。すこしでも紙の節約をするためにファックスとか報告書とか1枚で終わらせろというものである。これって一般的だろうとは思うが。まったくそういうグローバルスタンダードと無縁な会社ではある。 でもデータはムダなぐらいないといい結論がでないのもたしかだ。どうすればいいのだ。みんながデジタルデータでやりとりするほどツールがあるわけでなし。全部ビデオで保存するとか。っていくらかかるんだ。 夕食は野菜たっぷりペンネをつかったカルボナーラの予定。食事だけは文化的かも。どこが。(♂)
2004年11月03日
友人と飲み会。 アホ話ついでに誰々と何某がつきあっているらしいという話になる。こういう話をしていると内なるオバハン遺伝子が覚醒している。まあいいや言いふらしているわけではないし。って日記に書いているけど。 はっきりいってこっちは「もしも~だったらおもしれーよなー」ぐらいの無責任な妄想だったのだが。感覚としてはドリフのコント「もしもシリーズ」だったのだが。ずばり地雷を踏んだらしい。わかんないぜ男と女。 そういえば「ファイト」という妄想系プロレス雑誌があるのだがとばし記事ばっかり書いていたらある時期プロレス団体の企画をさきにことごとくあてて盗聴疑惑がもちあがったらしい。 たしかにすべては脳なのかもしれないね養老先生。 で、口説きかたの話になる。その男マメなのはたしかなのだがどうみてもダメンズ。「でも」というべきか「はたして」というべきか。不思議と♀が途切れない。なぜだ?という話になる。 「やっぱ趣味かなー」「趣味だろー」「こんな一面があってすてきーとか思うのかなあ」「思うんだろうねえ」という妙な納得。「無防備だなー女ってやつは」「男もなー」「声かけてなんぼだねえ」「なんぼだなー」とここから妄想開始←暴走ともいう。 映画に行きませんか、というなら一般的だがこの段階では出方をみるだけだろう。だいたいの男なら収集癖がある。それをみせるといったら第2フェーズではないのか?という結論で考えてみた。やはりこういうのだろうか。 俺の~を観にきませんか? 淫靡なかほりがするのはなぜだろう。なんでもいい。どんな趣味をいれてもアレである。ためしに以下の言葉をいれてみるといい。 マック・フィギュア・トイレの包装紙・サッカーのユニフォーム・ミリタリーグッズ・トレカ・オーディオ・・・ってなんか秋葉原臭いんだけど。 ちなみに私に収集癖はない。マンガはコンプリートしているが←って資格としては十分だろうよ。でも口説きにはつかわなかったけど。ねんのため。 こういわれるシチュエーションを考えると古城の地下室にあるお仕置き部屋が頭にうかぶ。酔っ払っているせいだろうか。男の趣味ってやつは一種の聖域なのかもしれない。だいたいそんなディープな口説き方でいけるのか。いけるならほんとうにわからないよ男と女。 ・・・・で、どうやってもててるんですか~君?(♂)
2004年11月02日
最近ニュースソースを忘れる。 どうでもいい情報が頭の中にあって、はたしてどこから入手したのか不明だったりする。たとえばいまの私にひっかかっているのはこんな知識だ。 欝は腰から 知識というかどうかもわからない。自分がいまのところ無縁な精神状態なのになぜそんなフレーズが頭にあるのか。そもそもなぜ腰なのか。さらにわたしのトリビアはつづく。 トルコ人はベリーダンスで欝と無縁 なぜ言い切る?←だから元ネタがないから申し開きしようにも材料がないのだ。 ソースに対してあんまり意味をもってないから忘れるのだろう。情報処理のうえで不要と判断した結果だと説明したいのだが。早い話が老化か(泣) もしかしたらデマや都市伝説もこうしてうまれるのかもしれない。神の啓示のごとく突然おっさんの脳裏にうかぶ結論。はためには確信に満ちているようにみえるだろう。 ましてやそれに複数感応した日にゃあ集団ヒステリーとなるのだ。不思議とデタラメであるほど人は信じる。論理構築された枠を簡単に「思い付き」は飛び越えてしまう。 例をあげよう。「一番もてない知人」を主語に以下の文をつなげるのだ。 パツキンの彼女がいる 説得力あるだろう。少なくともインパクトはある。 とずるずる際限なく脱線していきそうだったが書いているうちに思い出した。中村うさぎの本「変!」(角川文庫)であった一節だ。 思い出したからといってなんのやくにもたたないのだが。 で、結論。 悩んだら踊れ ・・・いいのかこんなんで。(♂)
2004年11月01日
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