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朝、洗濯物を干す。蜜柑をかじりながらだらだらと過ごし、部屋を掃除する。朝食はチゲの残りにご飯をいれてあっためたもの。外出するつもりがないからいいやとがっつりキムチを入れて食う。血中ヨン様度アップ。っていうかどうみてもソン・ガンホだろうオマエの場合というささやきがどこかから聞こえる。 と、休日でかなりガードがはずれていたので次にきた新聞屋♀についドアをあけてしまう。スウェットをきたギャル風←って、だれでもギャルにするなよ。やりくちはかなり悪質である。というか詐欺だろう。今とっている新聞の販売店を装うってどうなんだよ。 「うちは スヌーピー右翼御用達新聞 ですよ」といったら何年ぐらいとってますかというので2年以上とこたえる。1度休んでいただいて 加藤あい新聞 をとるとサービスが違いますよ云々と毎度おなじみの枕話。 だれが 甲子園偽善新聞 なんぞとるかと思ったので「だいたいこの新聞名をいったら販売員の方は帰っていきますが」とこたえるとそれでは路線が近い 神田錦町野球うさぎ新聞 はいかがですかと食い下がる。おいおい節操ねえなあ。 それどころかタオルを押し付けたうえでビール券を1枚2枚としまいには10枚までいくのでちょっと待てと止める。ギャルがでっかい袋をもっていたのをみつけて隙をみつけてその上にそれらを置いてドアをしめる。あぶないあぶない。まあ貰うだけもらってという人でなしなこともありかもしれないが。 口座を替えたりやってらんねえよ。とはいったのだが、とにかく悪いようにはしない認印をもってこいの一点張り。強引なことこのうえない。 マニュアルとはいえトークをたたみかけつつビール券を増やしつつ「自分の学費のたしになる」という泣きおとしも忘れない←そんなんで泣くほどこっちも人間はできていないのだが。しまいには握手に強引にもちこむところはかなりのものだ。 営業トークとしてはかなりすばらしくて自分が社長なら採用するな。と思うようなしっかりさんであった。何の学校通ってんだろう。ほめてやりたかったけどめんどくさいのでやめておく。買わないで褒められてもむこうもうれしくないだろう。 なによりも小さくてかわいい自分の外見をわかっていて「けなげ売り」をしているのがすごい。ココ山岡にだまされたやつの気持ちをちょっと理解。あるいはジュラシックパークで外見がキュートで近寄ると毒をはく恐竜というのがでてくるのだがそれに出会ったかんじ。今日は勝ったけど。って勝負かよ。 いつもだと出ないでインターホンごしに「サービスしますよ」と言われるのを待ってうちの新聞すげーサービス悪いんすよといって撃退するのだが。♀でくるとは敵もさるもの。プチセクハラでいくか。「すみませんいま全裸なんでまたにしてくださいうふーん」とか。みせるならともかく言うだけなら後腐れなくて犯罪じゃないだろう。犯罪だろうか。とにかくマニュアルの想定外の解答を考えよう。 庭の葉っぱと雑草をとっているととなりのジャリ姉弟が話し掛けてきたのでちょっと相手する。「今日はハロウィンをやるんだよ」というのでなにか着るの?と聞いてやったら魔女だという。いちおうじゃあノックしたらお菓子やるよといったら「お菓子をくれる家はカボチャのマークをつけているんだよ」とかなんとか。そんなに普及しているのかハロウィン。 いまだに私にとってはヘビメタのバンド名でしかないのだが。しかしこういう慣習って輸入ばっかりだな。吉報を向いて食う寿司とか国内輸入モノもあるけど。あれってここ数年だと思うが。 本来ハロウィンが祝祭を通じて「闇」をコドモに教えるものだとしたらもっとあるだろう国内でも。なまはげとかダメだろうか。コンビニのある時代に「闇」を教えるのって難しいだろうけど。どんなに24時間の時代になっても心の闇はなくならないはずだ。 それともキャラクター商品になる可愛さがないとダメなのか。スーパーが日本の季節をつくっているといっていいだろう。~フェアができるネタってなんだろう。クリスマス→バレンタイン→ハロウィンときて次は?旧正月か?あるいはタイ・インドの水かけか?キャラなら御柱様か? どんな国だよここは。ま、おもしろきゃいいんだろうけどさ。(♂)
2004年10月31日
朝、母から電話。兄が医者として新潟に行っていることを知る。 ボランティアというよりは「仕事」らしい。わかってはいても頭がさがる。あの場所でだれかが働いている。あたりまえのことにアタマがさがる。カラダはっているという事実が尊い。テレビニュースでは避難所の人にマッサージをやっている整体師がとりあげられていた。手弁当らしい。当然だけど。善意がまだまだあるというところが不思議。どこに隠れていたんだこんなにいいひとたちよ。自分がなんもしないだけかもしれないが。おととい100円払ったけど(苦笑)。月曜日にはもうすこし義援金を寄付しよう。 宅急便で午前中結婚式の引き出物のお盆がとどく。一人用の湯のみがようやく乗るぐらいのかわいいデザイン。シンプルでとてもいい。カタログの引き出物は以前はバカにしていたけど。年々よくなっているかもしれない。 夕方つけたWOWOWで伊東四朗と三宅裕司がコントをやっているのを眺めてしばらく笑う。すげえよおっさんなのに。ネタの出すスピードとツッコミの早さがもうベテランの凄みというか。受けるまでやるといういさぎよさに負ける。淡白だよなこの世代にくらべるといまのお笑いって。ネタの間違いまで織り込み済みなところとか80年代の香り。懐かしい。 それにしても寒い。上着を着込んで買い物へ。去年のニットが着られない。縮んでいる。太ったのもあるけど。捨てたほうがいいのだろう。でも上着を着ればわからない。というおばはん発想で外出。こういう発想が老けるのを早くするのだ。という反省はスーパーの袋にほおりこむ。 絶対こんな日は鍋だ。と、クックドウコリアとブタとネギと豆腐を買う。シメジと白菜は家にある。いよいよ、自分の街でも着ぐるみの若者をみてしまった。みんな見事にギャルだった。あんなにばっちりメイクしても着ぐるみって。へんなの。 ギャルといえば女性誌の無理な略称みだしっていかがなものか。先日電車のつり広告をみたら「安かわ服(安くてかわいい服?)」とか、ヘビロテバッグ(ヘビーローテーションでまわす鞄の意?)」とか。もうなにがなんだか。略せばいいのか。 寒いついでに蜜柑を買う。あんまりみためはよくないが1袋380円なり。1個あたりの値段で考えてGET。あとはこたつがあれば完璧。←じつは自粛している。ダメだコタツは。労働意欲を剥奪するのは間違いない。ホームセンターにあるとつい眺めてしまうのだが。椅子で入れるやつとか暖かそうなんだけど。目に毒である。 2人で鍋をつつく。野菜がうまいのではぐはぐ食う。冷えた体に染み込んでいく。ビールもうまい。あんまりうまいので「間違ってご飯3杯食ったらグーパンチ」と申しわたす。そんな1日。(♂)
2004年10月30日
女優EにDMをもらって西荻窪へ。 この劇場、剥き出しの柱とまっすぐなスペースが舞台美術家のスピリッツをかなりくすぐるとみた。前後もさることながら高低差のあるツクリ。明かりのあてかたで張り巡らされた緩衝材がさまざまな表情をみせるデザイン。ゼニがとれる。単独なら。 さて、物語。舞台は戦後の金閣。価値観の崩壊の中で吃音の禅僧が己をみいだせず火を放つまでを同郷の女郎との恋情をからめて描く。 軸になる役者。こなれた着物。京言葉。ラテン音楽にあわせたかっこいい濡れ場。読経にあわせたモッブシーン。身投げシーンの衝撃。とんがった音響。と、見せ場は局面ではあるのだがこちらのツボを押すまでにいたらず。理由を考える。 自分が桟敷で鑑賞したのをさしひいても、空間が拡散している。舞台美術と役者との相性があんまりよくない。「あっちからの移動ですかたいへんだねえ」とみてしまう。こういう観ているときの視点の動きを考えてほしい。角度含めて。どこをみればいいのか。 それから主人公の吃音。吃音なのは設定ではあるが時代に対する著者への思いだったのではないのか。このへんパンフで挨拶もないので脚本がどう解釈しているかわからないが、あれでは最後の裁判どおりドモリだから火をつけたということになってはしまわないか。ときにはリアリズムもいらないだろう。みんなにいわれるだけでこのひとはドモリなんだなあと客は解釈するものだ。強調するべきはドモリではなくて破戒してまで守ろうとする蒼さだ。と私なら考える。主人公が善かどうかはともかく客のシンパシーは必要だろう。話の案内人なんだから。 結局、火をつけるまでの(死にいたるまでの)道筋が細いのだ。主人公に対してとりまく要因。という主と従の関係がどうも曖昧で、たかまっていく緊迫感として成立していない。あれでは動きと舞台の位置からいって女主人と水揚げした男だけが目立ってしまう。 なにもかも全部出させるのではなくてときには演出が誰かに犠牲を強いる部分が必要なのではないだろうか。真中がないと話に力はうまれない。 芸事に民主主義はいらない。必要なのは専制君主である。女優E前回の活動(♂)
2004年10月29日
ボーナスをあんまり出すつもりなさそうなのに義援金の箱を社内に置く社長ってほめていいんでしょうか?←という発想は貧しいでしょうか・・・・貧しいですね。すみません。 タイの寺院では貧しいものは貧しいものなりに、金持ちは金持ちなりにお布施するらしい。そういうわけで本日小銭があったので100円いれる。100円でなにができるんだかわからないが。 この手の相場っていくらなんだろう。横並びにする必要はまったくないが。昔小学生だった時分には赤い羽根で10円だったような気がするが。よく考えたら10円って、クラス40人全員でもいくらよ?ただこの手の寄付はほとんどそれに関わる経費で消えていくと聞いたことがあるが。いま羽根をもらってもうれしくない。貼っている人はあれは寄付よけのためなんだろうか。 最近ではドラえもんの声を聞くだけでポリオワクチンの寄付になるというのがある。いっそのことこれのアダルト版をつくればいいのではないだろうか。 「~の裸をみると~に寄付されます」というクレジットが流れる企画が人気でるかどうかはまた考えなくてはいけないが。アダルトな企画はは後ろめたさがあってなんぼだ!って、なぜ断言する?他意はないけど。まあ顰蹙かってダメだろう。 とにかく課金されていけばいいわけだからオンラインゲームはどうだろう。文字通り人を助けるRPGかなんかにして。 いやいや、おたくマーケットを考えるとランダムのデザインになったキャラクターものにしたほうがいいかも。この場合は定価にしないと。集めれば集めるほどコレクションになるのだとしたら。大人買いもでるだろう。「お姉さん!その箱全部!」とか。 ってこういう発想も貧しいだろうか。 問題はキモチだ、とはいうけどキモチのいい100円と悪いことした100万円では後者のほうが結局人を助けると思う。いいことした100万円がいちばんいいことはいうまでもないことだが。 野茂はたしか三振いくつとるたびにいくら、っていう寄付をしているはずだ。投げているときに逆のモチベーションにならないんだろうか。「あ、三振だといくらとられるから外野フライにしとめよう」とか。 拝金主義かなオレ。(♂)
2004年10月28日
今日みかけた駄目OL:混んでいる電車の優先席で傍らに化粧セットを置いて顔ぐらいあるでっかい鏡で20分近くメイク。たしかに優先席の端ってモノ置きやすいけど、ダメだろ。ケンペー君呼ぶぞ。 ずっとじろじろ観ている私もどうかと思うが←だって匂うし。女性誌の記事で以前「人の目にさらされながらすると自意識が刺激されてメイクのノリがいい」という馬鹿記事があったのだけどやめましょうね。Bitchだとみられたくなければ。みられたいかたはどうぞどうぞ。 朝から労働組合のヤボ用で外出。 という話を先日親にしたら「ほどほどにしなさいね」といわれた。親の中では組合=赤い腕章=左翼=ゲバ棒とか考えているに違いない。いねえよいまどき。浮き世の義理というだけなのに。町内会の世話役みたいなもんなのに。 ましてや「もともと芝居やってた」とか「本多勝一が好きだった(過去形)」とか言った日にゃあ、 まっかっか♪まっかっか♪きーざくらー♪と世間では思われているに違いない←そんなやつなら日本代表の試合の国歌斉唱で起立しませんって。 冬のボーナスと労働環境の話である。 あるパート社員♀の話になる。社員以上につかえるので仕事が集中してしまう。しまいには深夜残業までしているらしい。特殊な仕事のため個人的な勉強と経験がそのまま仕事の過度な集中をうんでいるとか。 いろいろなことを考える。「個人的な勉強」に甘えているアマチュアな会社の仕事のやりかたに怒る。会社なんだから必要なものは鉛筆1本からスキルまでカネで買うべきなのだ。研修させるとか。それができないのであれば契約を見直して働いただけの分を払うようにするとか。家庭的な社風の名のもとに個人的な良心とか誇りに甘えるのは暴力だろう。 カネを払う以上は義務を要求する。カネを払って言い訳をさせない。それが雇用契約というものだ。 かつての日本代表がそうだった。練習場から試合相手まで。ろくな環境を整えないまま勝利をめざすというのはムシがよすぎる。個人的な頑張りはおたがい甘えになる。カネでの線引き。結果的に安くつくのだ。 じつはそのパートにも腹はたつ。ほんとは客のやるべき仕事ではないのか。「対価」でやらないとツブシが聞かない体制になるのだ。この分は客から貰えているのか。はなはだ疑問である。ここでもカネでの線引きがない。特殊なら「サービス」はいらないだろう。めいっぱい高く売る権利はある。商売なんだから。 ・・・ところで社長、私2人分働いてるんですけど。(♂)
2004年10月27日
先日の結婚式の写真をいただいた。夫婦のショットである。 でぶっと罵る。いや脳内変換で痩せさせているのはまちがいない。他人からどうみられていることやら。ってほんとうに気にしていたらもうなんかやっているんだろうけど。ジョグすらさぼっているし。食欲の秋がすぎていく。エアコンが普及したいま季節も何もないだろう。季節なんてCMと四コママンガにしか存在しなくなっていると思うのだが。 昔読んだ雑誌のエッセイで小学校の社会科の問題がのっていた。 魚はどこで買いますか? 野菜はどこで買いますか? 文房具はどこで買いますか? という問題に全部「スーパーマーケット」と書いてバツをもらった息子をかばって学校にどなりこむ話であった。いまならマルだろうけど。そのうち四季も意味を問う問題が出るかもしれない。 体型はもうこの際置いておく。国債発行しまくってどうしようもなくなっている日で出ずるかの国のような状態であるが。まあいい。 で、写真の話である。とにかく、いい顔で映っていたのだ。撮る側と撮られる側の幸福な関係を切り取ったような写真であった。観る側と観られる側と。そのまま絵となって現れるカメラというのはおもしろい道具だ。だから、実は日常生活でも人は人の顔をみて顔をつくるのかもしれない。リラックスすればリラックスし、緊張すれば緊張した顔がまわりをかこむのだろうか。 よく、「あいつは辛気臭い気持ちにさせるから会話したくない」というようなヤツというのがいるものだが、やはりそういう意味なのだろう。自分が与え、そして与えられて世界は出来ていく。すべてはそいつ次第。天動説で世界は動いている。 ・・・ところで、最近アホ面が多いのだけれど、気のせいだよな?(♂)
2004年10月26日
行きの地下鉄でサンダル脱いで寝ているOL発見。駄目度高いぜ。 さて本作。舞台はみずうみにあるホテル。幻想と現実がいりまじる、あいまいな記憶、狂気を描く群像劇。 局面局面のやりとりは緻密で気持ちいい。なにもしていない瞬間がない。つねに場に意図がある。リズムもある。でも「溜め」がない。 いびつな人物たちによってモザイクのように組み立てられていくはずの世界が、簡単に怒号によって壊されてしまう。人間の感情に伏線があるとかないとかそういう人間論の話ではない。俳優の共有する世界観の徹底がされていないようにみえる。台詞と台詞がぶつかるむこうがわ。みえたりみえなかったり。ムラがある。 邪も積み重ねれば聖に。虚も重ねれば実に。正気も積み重ねれば狂気に。そういう種まきによって芽生えるはずのなにかがみえないまますぎていく。リアリティがない。大きな嘘がつくられていないのだ。登場人物の真中がみえてこない。 フラストレーションがなければ話のうねり、力が働かない。よどむのを恐れてひっかかりを排除してしまったのか。 うっかりリズムがいいので人がでてきては去っていく交通整理のうまさが際立ってしまうのは残念。 過剰にいいすぎることで麻痺する台詞の効果、言葉数が少ないことで突き刺さる台詞の効果を考えてもらいたい。 世界が100人の村だったら200人が難解というであろう芝居。 難解であることを恐れない態度はいまどき貴重。 難解であっても光があれば、あるいは痺れるものがあれば、客はついてくるものだ。 しかし、結果難解でない部分がきわだつのは演出の意図するところだろうか。たとえばこの芝居であれば姉弟の確執のベタな(失礼)幻想シーンがめだってしまっていたのだが。 もっと整理できると思う。惜しい。(♂)
2004年10月25日
マンガ喫茶で昼食。「プラネテス」(幸村誠/講談社)を読む。 宇宙のゴミを拾う近未来の会社を舞台に宇宙と自分を問う物語。存在意義を問いつづけることで自分の、やがては人間のちっぽけさを悟って燃え尽きて終わってしまうこの手の話と違い、リアルな人生哲学「結局愛がないと」というところにいきつくのがいい。日々が虚無にいきそうな宇宙という世界であえてガキであろうとするしぶとさ。宇宙空間が自分の手に余るからこそ、身近な世界をつかみとろうとする登場人物たちに共感。「リアル」に対して軽蔑するガキに読ませたい作品。 スーパーによる。今朝の新聞でついに政府が野菜の値段対策にのりだしたことが報道されていたが、キャベツ380円代ってなんだよ。雑誌を買うカネだと思えばいいのだろうか。 でも輸入がこれ以上増えるのってどうなのか。ミサイル買うのも必要だけど自給率あげろよ。以前「和食を食べれば自給率があがる」といっていたけど。ソバだって輸入のほうが多くないか?そもそも和食ってなんだ。味噌汁は欠かさず飲んでいるけど。おお、なんか社会派だ。 ひとりをいいことに地元の喫茶店へ。いいスピーカーとアンプがあってノラ・ジョーンズをかけている。そのわりにはボーカルのキレが悪い。機材にこだわるなら音ももっとつくれよ。と、オーディオマニアに冷淡な私。だってやつらメカフェチで音楽への愛がないんだもの←偏見。 でもこの店、木のあったかみのある机といい、木目の統一感のある内装といい、適度に落とした明かりといい、いい雰囲気なのだ。珈琲もうまい。あと小さなお菓子がついてくるのがおもしろい←これって名古屋だけの習慣だと思っていたが。大阪文化につづいていよいよ名古屋文化も全国展開か。うーんボーダレス。 珈琲がうまいのはいいんだけどマスターご機嫌で常連さんとずーっとお話。申し訳なさそうに奥さんらしき人がボリュームさげましょうかという。いえ結構ですと答える。日本人だなオレよ。 珈琲も飲み終わって日も暮れそうだったのでさっさと退散することにする。帰り際に出口までおくってくれるマスター。さっさと退散するのになにかを感じたのだろうか。また来るから大丈夫だって。 帰宅して草取り。喫茶店でひとりだけ珈琲を飲んだ後ろめたさで土いじり。嵐のあとだけに土が湿っていてポコポコとれるのが気持ちいい。 すると母から電話。琴の弟子の昇格試験の出来が悪いという愚痴。なにがショックだったかって、教える側があまりの出来の悪さに昼食がノドにとおらないのに弟子がパクパク食うということだったそうな。あるある。芝居とかでもミスったやつにかぎって打ち上げではしゃいでたりするのだ。しおらしくしろよという話。 この弟子の兄を10数年前家庭教師したことがあるのだが、文法は得意だけど単語は全然記憶できないヤツだった。この弟子もそうらしい。基本的な知識は100回言わせてもダメなんだけど、音の理屈は一瞬でわかるという。兄妹で同じ脳のつくりをしているのに笑う。 なんでそんなに受験焦らせたの?ヘタなんだから来年でもいいじゃん、と聞くと親がそろそろ年齢からいってどうしても受けさせたいとねじこんできたらしい。親のほうがノリノリで「受かったら海外旅行へ連れてってやる」とかなんとか鼻息荒いとか。おいおい自分のための資格だろう。 つかわない資格なんてカネばっかりかかるのにねえとため息をつく母。いちおう手とり足とり教えまくったら口の悪い古弟子Mがひとこと「先生が海外旅行連れていってもらったらいいんじゃないですか?」といったとか。こういうツッコミが即でるようになったら立派なお局だよM(=私の幼馴染)。 さて、そろそろ夕食の準備をせねば。(♂)
2004年10月24日
土曜日なのでプライベートな服で出勤。 長袖ポロシャツにジーンズで行ったらギャル子が「かわいい!おとーさんみたーい」という。「おとーさんゆうなー!」と即かえすもあまりに的確で意表をついたコメントに苦笑するのみ。どんなボキャブラリーだ。まあ10違えばおとーさんかもしれないがキミねえ、10歳じゃキミのおとーさんにはなれんよ。なりたくもないし。 ・・・そういう意味でなくて年齢からいって「パパファッション」だよ、というフォローにならない説明はしなくてよろしい。まずは出てきた腹をなんとかしなければ。 ギャル子いわく「土曜日はみんなの服がみられておもしろいですよねえ」。おもしろいねえ。そうかもしれないと思いつつむさい男ばっかりの職場だからいろいろな感情がうずまく。 スーツのなにがいいかってある程度年齢とか生活とか「私」の部分を排除することである。どんなアホでもだまっていればまともにみえる。だから土曜日は男なら「オヤヂ度」の進行具合がばれてしまうのだ。 やばい。 自分で気付いてあせっている。たしかに白髪も増えたし肥満がとまらないしパパ度はあがっているのだが。みためばっかり貫禄つくのってどうなんだ。 ・・・なにが今日あせらせたかって職場で絶対コイツは独身だと思っていたヤツ(しかも自分より年上)に奥さんがいてしかもコドモがうまれていたという事実を知ったことである。ここ最近ひらきなおってイタリア人みたいにオヤヂのカッコヨサを追求する手もあるよな(カネがあればだけど)と思いつつあったのだがそいつをみるかぎり肉体の衰えへの抵抗はするべきだよな、と反省したのであった。 めざせ三浦雄一郎←じじいにして体力測定20代(@本日のニュースより)ってどういうことっすか。青汁でも飲んでいるのか。 ・・・やっぱり土曜日もスーツにしようか(負けイヌ)。(♂)
2004年10月23日
NACK5で金曜日に小林克也がやっている番組にMickyのコーナーがある。 浦安の富士額のドブネズミ(@西原理恵子)のふりをしてリスナーに電話をかけるチープかつ斬新(アホともいう)な企画。ただボイスチェンジャーをつかうだけなのに笑える。台詞の冒頭で「ミッキーだよ~!」というだけで他の会話ツッコミは小林克也なのだ。それでも話し手聞き手ともノリノリになるのはなぜだろう。現代のイタコか。 たとえばイタコにマリリン・モンローの霊を頼むとちゃんと日本語で現れるらしい。「マリリン・モンローです」って何人だよ?こういう演劇的なしかけは面白い。子供のごっこ遊びというのはするべくしてするのだ。 この応用だろう。芸能人のつながりの深い人が合成映像で現れて会話するという企画をテリー伊藤がやっていた。亡くなった奥さんやアイドル時代の自分が口パクする映像にあわせて思い出をボイスチェンジャーの声でインタビューするのだ。最初は映像に動揺していた芸能人も最後は入り込んでしまう。蛭子能収(一発変換だ)さえ奥さんの問いかけに涙していた。他者認識というのはこれほどもろいものだとみるか、つきあいの深さがもたらすものとみるかはひとそれぞれだが。 だから私もトラブルではボイスチェンジャーをつかえばいいのだ。「Mickyだよ!納期遅れるよ!Sorry!」とか。 ま、 ディ●ニー嫌いなんだけど。(♂)
2004年10月22日
チェ・ゲバラの若いころのバイク旅行記「モーターサイクルダイアリーズ」(角川文庫)を買う。 本人には思い入れはないが、J-WAVEで金子奈緒さんが朗読しているのを聴いていいと思ったのだ。読み手のうまさにだまされてみる。「ぼく」文体を女性の声で読まれるのはなんかツボを押す。 たどたどしくて、多感。若い頃の匂いを残したような文章はかなり名訳。でっかいね南米大陸。見知らぬ旅人をもてなす風土はちょっと想像をこえる。そのへんが読んでいて違和感。またゲバラが若いころは無茶な奴でことごとく恩を仇でかえすのだ。このへんも青いというかラテンというか。 ゲバラがラテンアメリカそのものの統一を夢みたのもわかる。本人の存在そのものがラテンなのだ。熱くていいかげんででたらめなところとか。 以前「ラテンとひとくくりにするな」と抗議されたと聞いたことがあるがここでは置いておく。このへんは東アジアのどこかの似たモノ同士と同じ微妙な感情かもしれない。他人からみたらいっしょというか、近親憎悪か。 それにしてもつくづく旅行やアウトドアがDNAにないことを実感する。沢木耕太郎にもピンと来なかったし。ボーイスカウトもしかり。旅人を芝居に登場させたらアンケートで「旅行しない人が書いたね」と書かれたことがある←バレバレ。大槻ケンヂの旅行記は好き。 放浪幻想に歳とってはまったらヘンだろうけど。(♂)
2004年10月21日
凄い空だ。 電車に乗っていてもバケツで流し込まれたように水が窓ごしに動く。ここまで激しいとイライラよりも穏やかな気持ちになるのが不思議。自然への無力感よりは車両の中で濡れない安心感が先に来る。災害のとき台風だけはみんなわくわくするのって太古の記憶か。生命はこんなとき発生したのかもしれない。 帰り際駅で迎えを待つ人々をみた。みな同じ顔をしている。天気への諦めと迎えへの期待感。動きといえばだれかにメールをうつ指ぐらいなのにその風景にひきつけられる。動作はないのに場は時間以外になにかがすすんでいる。写真に撮りたい風景であった。陳腐な言い方になるが「劇的」である。なにかが待たれ、なにかが終る。砂時計の砂のようにじりじりと空気が動いている。明かりもまた色をつけるようにゆらぐ。 顔にふきつける雨風が現実にもどす。ふりきるように階段をのぼりスーパーへむかう。 コロッケを買って電車に乗る。前の駅で病人がでてとまる。車内にひろがる揚げ物の匂い。それ以上に湿ったスーツのかほりもあいまって微妙。 そっと袋からレモンをだしてかじる。 というほど小道具もそろえてなくて。 ただ座っている。みんなくたびれている。座るというより席に沈んだかんじ。 改札から駆け出す。バスがちょうどでるところ。がっくりすると急にとまる。飛び乗る。珍しくぎゅうぎゅうの車内。運ばれる実感。 帰ったら昨日の野菜スープを暖めよう。ほっこり。(♂)
2004年10月20日
いつもつかう駅にポスターが貼ってあった。ただしい電車の席の座り方についてである。ようするに足を投げ出さず座席側によせろということらしい。もともと座席にひとりひとりの幅が引いてあるのもあほらしいとは思っていたが、こういうのをみるとさらにあほらしくなる。しかもどうやら全部の駅に貼ってあるようだ。 言われなくてもやるよ。じゃなくてやってくれよ。 本屋に行くと、「食べながら読まないで」とか、「写メールで雑誌を撮らないで」とか書いてあるのもいかがなものか。書いてないと「書いてないじゃん」といって開き直るんだろうか。アイスクリームとか平気で食いながら入ってくるやつ、何度かみかけたけどどうかしてるよ。 言われる前にちゃんとしようよ。 これをやったらいけないというのが禁忌として成立しなくなっている。想像力の欠如だ。かつては世間様の目という不条理が支配していたのだが、いまではそれもない。ほとんどの場合宗教も縛らないし、どこにいくんだ日本人。 で、美意識である。というか恥が重要である。「これをやってはいけない」という縛りがないのだとすれば「これをやったらかっこいい」あるいは「これをやったらかっこ悪い」という規範ができればいいのだ。こちらのほうが自由度が高い発想だし、心に化粧をする。品格というやつだ。 たとえばかつてJリーグ開幕時に使われたチアホーンが「かっこ悪いし先進国は使わない」というキャンペーンで絶滅した。こういう発想ってほかでもつかえるだろう。「してはいけない」ではなくて「したらかっこわるい」へ。 同じ首に巻くのでも他人から縛られるのは「縄」だが、自分で縛ればネクタイである。こういう規範ってどこからうまれるのか。 最近自分の住む地域でゴミの分別がはじまったのだが、かみさんがおもしろいことをいっていた。こうしなきゃだめだ、じゃなくて「われわれはこれを誇りをもってやっている」という発想をもたせたらいいのではないかと。 誇りがあればルールへのアレルギーってかなり低くなると思う。問題は誇りがないことかもしれないが。 日本人から礼儀正しさとったら出っ歯とめがねしか残らないんだから。まずは、 車内でいちゃつくなそこのカップル ←個人的感情。(♂)
2004年10月19日
珍しく順調に一日が推移する。月曜という心理的生理的に重い日にあったスピードで仕事が流れる。 早い話が暇である。余計なことを考える。 ドン○ホー○の看板にやかん営業中と書いてあるのはともかくヤカンが描いてあるのはいかがなものか? とか、 作業服の店に「馬鹿売れ作業服」とでっかく書いてあるポスターはブランド名か? とか。 家の近くに薪が積み上げてある家(新居)があってそれも気になる。まさか毎日割るほど暇でもあるまい。カントリー風をきどったおしゃれなのか?変な虫沸かすなよ。 とか、 その隣の家がでっかいファンを天井にさげているのはなぜ? とか。 近所に建設中の結婚式場がアメリカの裁判所みたいなデザインなのはなぜ?間違えればラブホテルみて~ とか、 電車の吊り広告もなぞだ。「バイトしながらやりたいこと探すきみに500万円」リーマンしながらやりたくないことやっている私にもなんかくれ とか。 不二家のペコちゃんのリアル実写版が電車の中のネクターの宣伝に貼ってあるのだけれど、どうみてもゴリエにしかみえないけどいいのか不二家? とか。 ・・・仕事しろよ。(♂)
2004年10月18日
実家に行く。 かみさんが義母もろとも海外逃亡中。じっくり休みを堪能する手もあったが前橋の兄が家族で来るということで、親孝行という名の飲み会参加。 家中の掃除洗濯ばっちりやってクリーニングやへ。夫にしたらよかった男NO.1(自称)の名にかけて! というよりは帰ってきたときやる憂鬱さよりはと走り回る。やればできるものだ。ふだんならFM聴きながらひねもすのたりのたりとやるのだが、予定があるのではかどるはかどる。これなら毎週実家いったほうがきれいになるかもしれない。部屋だけでなく充実感で輝いているよ今日のオレ(感嘆文)。おお575だ。 甥姪が大きくなっていた。大きくなったねえと小さいころいわれるたびにまたいってるよ、と思ったものだがやはり同じ感慨、台詞を言いたくなるのは不思議。だが黙っておく。 挨拶すると照れるので親が挨拶させるのを待つ。ほんとうは恐い叔父として礼儀を叩き込んだほうがいいのだろうか。それほど親切ではないところは叔父失格かも。犯罪者の多くは挨拶と返事ができない、という話を聞いたことがある。その点会社の人でも予備軍がいっぱいいるような気がする。なんかいえよ「ちーす!」でもいいから。って野球部かよ。 兄の話。医者である。「このまえさあ、挨拶といえば大学病院で弁当あまったら、医大生がみつけてさ。黙ってとっていこうとするんだよなあ。あげられないやつだから断ってとりかえしたんだけど。あれってどういう神経かねえ。ふつうこれいいですかね?とか聞くだろう人間なら」どこにでもアホがいる。そして医者になる予定。日本の未来は明るいかも。 そのシャイな甥だがカメラをむけると照れて逃げ回る。もうひとりの兄の子と対照的である。そっちの甥姪は撮られるのになれていてカオをつくるのだ。つまらん。こっちは無防備な無愛想な写真がほしいのだ。子役はいらん。これってコドモ幻想かもしれない。 ライカでも習ってこっそり撮るか。めざせ田代まさし。ってあくまで撮りたいのはカオである。ねんのため。 というわけでご飯食べていても大人の話にならないのが落ち着かない。あわただしく食べる。というかもはやご飯が大皿だと減らないこと。ひとりでぱくぱく食べている。ビール。食べる。ビール。 甥姪にはさぞかしビジョンとしてでっかく見えているのだろう。脳内ビジョンではカオナシ@千と千尋の神隠しみたいにみられているに違いない。たまにプレゼントもやるし。ますますカオナシかも。そのうち「これはいらない。いらないよ」といわれるかもしれない。あるいは海沿いの電車に載せようとするかも。 祭りに兄家族がでかけたので父母とコーヒー。何百回くりかえしたかわからない家族の話をする。コドモと大人の話の一線について話す。 小さいころ、大人同士が話しているのを妨害すると「いま大人の話しているから黙ってなさい!」といわれたものだ。「そっちのほうが大人が都合いいだけよ」と母はいうが。それが躾というやつだろう。あんまり甥や姪をテキトーにしか相手しない私は背中で教育しているといえるかもしれない。って、こういう論理を我田引水というのだ。 テキトーにおかずをもらって帰宅。(♂)
2004年10月17日
役者TKに誘われ中野へ。 故・如月小春の戯曲をやる企画。もともとこの団体、NOISEの有志残党で結成されたせいもあって強い関心をもって観る。 砂漠で迷ったカップルからみえてくる現代のディスコミュニケーション。身体パフォーマンスとエスニックな視覚表現と生演奏で描く。 旅行者ファッションの女性が舞台に現れるやちぎれんばかりに手をふる風景。あー80年代だなあと思う。匿名性の高い脚本。多用される群唱。パフォーマンスという言葉もまた時代性が強い。あるいはテーマとして流れる虚無感もまたそれか。 音楽界には80年代の再評価(とかいて焼き直しと読む)が一部ではじまっているのに演劇界でそういう動きを聞かないのは産業として成立していないせいだろうか。 などといろいろな思いを胸に観る。 一瞬一瞬の濃い演出はさすが。視覚的にも音楽的にもLABO!の世界。もっと広い劇場でやらせてあげたい「間」がある。情報量もある。これほどこの戯曲が華やかな台詞でつくられていたとは、如月小春の新たな顔をみたような気がする。これは演出の仕事かもしれない。 ただ、その裏返しではあるが過剰すぎる。台詞への思い入れか、「親」からの逃れられない呪縛か、メソッドの問題なのか。とにかく重い。流れとして気持ちのいいリズムになっていない。戯曲へのリスペクトがありすぎる。もっとすっとばすような勢いがあっていい。 如月小春が高校演劇でかつてうけいれられたのは、多少の「いきおい」や「元気さ」でゆらがない構造の強さではなかったか。否、溢れる分散しそうなイメージの数々をつなぐものが高校生の役者のカラダだったかもしれない。解釈の語り手としての役者に期待しない匿名性こそが強みだったはずだ。 非常に身体性の高い劇団ではあるのだが、うまくいかされていない。 これは生演奏にも原因がある。芝居を知っている演奏のために共存しすぎているのだ。もっとわがままに役者を操るような演奏の活かし方ができないものか。 役者が縛られるべきは演技衝動ではなく作品の展開である。 そう、できればこちらのアンテナを追い越すような、客の感性より一歩速く叩きつけられる表現がみたい。 誠実ではある。冒険心に富んではいる。ただスピードがない。 全員ドリブラーのサッカーをみせられたような気持ち。たまには飛び出したりロングシュートもうってほしい。 簡単にいうなら問題は場と場のつなぎだ。 そしてあっさりやったほうが客に伝わりやすい場合もある。想像力の隙間・ゆとりを客にもっとあげるべきだろう。 たまにはストレートでなく水割りもいかが? そして、聞いてみたいことがある。 観劇した知人2人が口をそろえて「難解」だと話していたのだ。表現者としてどうたちむかうのか。「わかってくれ!」と理解をめざしているのか。それとも「わかんないかもしれないけどとにかくついてこい。こういうのはどうよ!」という理解不理解を超えた多面的な表現を追求するのか。 どっちにしろ、難解であってもエンターテイメントであってほしいのだが。 前回公演レビュー(♂)
2004年10月16日
今日の教訓:いくら時間ないからって朝食昼食コンビニおにぎりを移動中の社用車で食うのはやめろよオレよ。アタマ悪そうだしグレるから。って、もうグレているけど。 という激しい移動の一日。車中ラジオにて。女性脳について人工知能の研究者黒川伊保子氏が語るのを興味深く聴く。学説というやつ、多くは言ったモン勝ちだろうとは思うのだが。ついつい拝聴。 いわく、女性脳はメイクとか家事とか「自分のためになること」をすることで活性化される。そしてそれは時間をかけるだけ蓄積される。ようするに長い間つづければつづけるだけキモチいいようになっている。 男性は女性のメイクにいらいらするむきがあるが、あれは「準備」ではない。「キモチいい」から時間をかけるのだ。イベントであれば、イベントまでに高まるテンションとともに当日のシュミレーションから具体的な準備まですべては「自分にいかに手間隙かけるか」に特化され、キモチよくなる。それもまた時間とともに蓄積されるようにできている←もちろんイベントがぽしゃったときの反動もそれだけあるということではあるが。 納得。男は・・・と一般論なのかどうかわからないが、少なくともワタシは「釣った魚にエサをやる」方法を知らない。この女性脳を多少知っているだけでだいぶ賢い対応はできそうだ。 理論的には。 まあやれるやつはとっくに最初っからやってるんだろうけど。 ・・・めざせ実践。くすぐれ女性脳。くすぐってなにをめざすんだオレよ。 ところで、文化圏によっては女が力仕事をして男がメイクや家事にいそしんでいるところがあるらしい(「パンツをはいたサル」参照)。この場合はこの地域の男性は「女性脳」が発達しているということなんだろうか。 あと、芝居とかバンドとか、時間をかけて「自分」をつくりあげていくある種の表現ってつかわれているのは女性脳っぽいよな。ということは、それに携わっていたワタシはもっと理解が深いはずだ。 ・・・理論的には。 だからやれるやつはとっくにやっているんだって!(怒)(♂)
2004年10月15日
会社でギャル子に「もんたまさんって小川直也に似てますよね」といわれる。言われたことないのでリアクションに困る。オーちゃんは好きなのでいいのだけれど。 「髪型だけじゃねーの」というのもアレだし、「むこうが真似してんだ」ってのも50点か。「そうだね。お互い尻が割れてるしね」これはシュールでかみしめるとアジがでる。口に出して読みたい日本語@斉藤孝だ。でも相手を選ばねば。むこうがリアクションに困るだろう。「ハッスル♪ハッスル♪ってか」これもおやぢっぽくていい答えだ。若者におもねっているかんじがまたぐー。 どういうわけだか、だれかに似ているといわれる。最近ではギター侍波田陽区に似ているといわれた。最近芸をみた。面白かった。たしかに似ていた。小声で「切腹~」とかいってみた。笑ったけどやだなあ。 将来彼が消えたときに(←もう決まっているのか)「ほらっ、あの着物着てさあ、ギターもったあのひとに似たひとだれだっけ?」という思い出す話で5分待たされるのはかなわん。生き残ってくれ。頼むから。 過去、先輩で似たひとがいて周囲からあんまりそればっかり言われるのでキレたことがある。悪いひとじゃなかったけど。そのときに覚えているのが「ようするにそれ以外おまえには話題がないんだよ」といった返事だった。 開き直りもいいところだが、深く傷ついた。っていまだに覚えている私はかなり執念深い。粘着質だ。毎日納豆食べているせいなのか。言ったひとは忘れているのだろうが。だれが言ったかさえいまだに覚えている。こういうベタついた男はもてないと相場は決まっている。当時、しばらくの間「個性」について悩んだものだ。 つくった個性なんて個性じゃない。かといって「ありのまま」を垂れ流すのはまわりに迷惑だ。「オレ上等」←ヤンキー風にいうならそんなスピリッツ。それこそ個性だ。そういう悟りというか開き直り。何年かかったのだろう。 まあ、だれに似てようが、恩恵ってあんまりないよな。ミスターベッカムって金持ちなんだろうか。だといいなあ。(♂)
2004年10月14日
とおりがかりの雑談。あるヒトから「組合で会社の旅行を中止するよう申し入れしたりしないの?」といわれる。 福利厚生費ってつかわなきゃ日本国ががっつり持っていくだけなんだから使ったほうが得なんじゃないんですかね、というと「この不景気に旅行もないでしょう。若手のアンケートも参加意思低かったみたいだし」という。 言うことは立派だが、ここで警報が鳴る。 経営状態よりなによりこの男が行きたくないだけなのだ。過去の例から行って間違いない。過去、社員旅行に行きたくないがために遅刻というプチ抵抗をした前科のある男である。大義名分を唱えるご立派な姿をみるとツッコみたくなったのだがやめておく。ワタシは「立派な」ヒトが苦手だ。「やだねったらやだね」式論理のほうが可愛げがある。 もうええ歳なんだからこういう「ツキアイ」を流せよ。むしろ誘うがわにまわれよもう。オレだって行きたくないよもう。 ただ彼が「若手のアンケートがかんばしくない」というのは本当だ。そもそもアンケートに若手の発言権なんてないんだよきみい。プチマッチョ覚醒。しかもなぜかマス大山口調に。 社内にダメプチ左翼中年が大量生産されている実情に暗澹たる気持ちになる。やつらはときどきへんなところでゲリラ活動をするのだ。ペットボトルロケットみたいな。だれも大人にしなかったんだろうか。「会社員」の模範の姿をしめせよいいかげん。 それとも「すーきーなことはすきーといえるきもちー抱きしめたい♪」@槙原敬之というほうが人間として立派なのか。いつも迷うことだ。「会社員」ならあんまり疑問を持たないで給料のうちっ、しかも行くなら面白がらないと、って割り切っているワタシがふるいのかなあ。 しかし今回はワタシの誕生日。なんだか憂鬱である。正月とか誕生日とかあんまりそういうのにとられたくない。ど派手なイタリアンソファとワインと薔薇と叶姉妹に囲まれてすごしたいものだ。どれも縁がないけど。 なんで社員旅行って憂鬱なんだろう。そもそもだれが最初から喜んでいくのか。レベルが違うけどプロ野球で「優勝ツアー」って行くけど男ばっかり群れていって楽しいのかねえ? 一応個人的な過去の集計データ(偏見ともいう)からいえば「最初から喜んでいくひと」は以下のとおり。 既婚者にして、家庭が束縛の場で、趣味のないひとで、酒と女が抑圧されているひと。つまりオヤヂである←違ってたらすまん。 抑圧されてないヒトは行きたがらない。ということは、参加者のモチベーションをあげるためには職場と家庭の抑圧度を高めればいいわけだ。鬼嫁と鬼上司がいればいいのか。 ・・・ってそこまでして行かせたいのか社員旅行。 ていうか、 ワタシが一番腰が重いのだ。でもガキみたいな対応はしたくないし。いかにモチベーションをあげるか?検討中である。ってそこまで真剣にやるもんなのか社員旅行。たかが旅行じゃねえか。 悩みは続く。(♂)
2004年10月13日
さっそく先日の結婚式のビデオをDVD化する。 まず8ミリビデオをHDDにつっこむ。酔っ払って撮ったのがみえみえで、あまりにぐだぐだな部分を切る。へんなライブ感はあるのだけど、このまま観ると悪酔いする。 動きづらい会場というのもあるが、どうしても動けない状況のときにどうも迷う。せっかくいい雰囲気で聞いている挨拶とか歌の最中撮るのって勇気がいる。いちおうビデオを任されているとはいえ、雰囲気を壊したくない。だから席から撮ると、どうも同じ映像になってしまうのがくやしい。 例は違うけどプロレス会場とかって、カメラマンが虫のようにたかっているのを見ると代表きめろよ!とか思う。どうせ雑誌でつかいやすい視点というのは決まっているなら同じことだろう。試合の最中カメラマンが邪魔である。わざを出す瞬間ぞろぞろゴキブリみたいにたかって客にはみえやしねえ。 というプロレス雑誌の悪口はともかく。 なんとか撮りビデオとか、あるいは岩井俊二とか。時代はざらざらした一見素人っぽいナマっぽい映像のほうが流行りのようだが、個人的にはしっかり冷静な映像が好きだ。ツクリでいいじゃないか。リアルを感じるのは結局脳なんだからどうせなら美しいものがみたい。そうは思わないかい? とった映像をざくざく切って適当にタイトルをつける。新郎新婦の顔が2時間でいろいろ変わるのがおもしろい。ほんとは顔だけで編集してもいいほどだ。 映像からはワタシが興味のあるものないものが露骨にわかる。もしかしたら、新郎新婦とうまくいってないひとのほうが醒めた視点でいい作品がとれるのではないだろうか。距離を一定置いて、式場のアラをさがすビデオ。食べ物とかカベの色とか新郎の不細工ぶりとかを執拗に撮ったりして。幸せいっぱいだと悪意にみえなかったりして。 あ、今回悪意はないです。ねんのため。悪意がなくてめいっぱい愉しんでいるからこんな映像になるのだオレよ。すまん新郎新婦。 といいつつ明日提出。いいのかそれで? ま、撮り直しできないしな。(♂)
2004年10月12日
横浜に行く。 面子は会社の同僚2人♂♀とその旦那。昨日の結婚式から強引に拉致った面子。疲れた肝臓に鞭打つしうち。ああ酔っ払いってやつは。いつもこれくらい強引な勧誘をできれば仕事もうまくいくだろうに。ってうまくいってないみたいだけど。まあいいや来てくれたし。すべては自己責任ということで←ああ便利な言葉。 去年に続いてドイツビールのイベント・オクトーバーフェスト@赤レンガ倉庫。去年より期間ものびてパワーアップ。2年目で10日。10年後には本場ドイツのオクトーバーフェストなみに1ヶ月になるだろうか。というかなってほしい。強く希望。って、どんな計算だよ。 だんだん成長していくイベントに参加するのはいい。これがお台場とかなら「けっ」と思って行かないだろうが。おしゃれな赤レンガ倉庫前のテントで自称ドイツのブラスバンドを聞きながらプレーツェルをちぎり、ビールを呷る。うまい。テントのもつどくとくな暗さ(明るさ)がまた空間をアットホームなかんじにする。またバンドのおっさんどももぐびぐびいってるし・・・いきすぎだって。 酔っ払ったほどよい抜け具合の音が脳味噌の皺を伸ばす。自分がライブにいってバンドメンバーのそういう姿をみたらアタマくるけど。今日みたいなイベントならむしろ愛が湧く。むしろこのビールがこの音をつくってきた歴史さえ感じさせてしまう。レゲエにおけるマリファナとか。テクノにおけるアッパー系とか。なんだろうこの一体感。世界のビールはみんなのビール!みたいな。 いちいち日本におきかえることもないのだけど、日本酒なり焼酎なりで同じイベントやんないかなあ。民謡ががんがん流れる中、焼酎をみんなで呷る。みんなで浴衣きて。っていい感じになると思うのだが。でもアルコール分解の能力が低い日本人だからやったら暴走するんだろうなあ。琉球民謡ばっかり注目されているけど、もっと日本の民謡って可能性あると思う。あのおばはんたちのファッションはいただけないが。 大人なのでさくっと2時間で解散。どうもありがとうね。(♂)
2004年10月11日
Tくん。Nさん。ご結婚おめでとうございます。そしてこのたびはお招きありがとうございます。 飲み友達ついでにかみさんまで呼んでいただき、感謝しております。家にまで呼べば2人して披露宴までよばれてもいいのでしょうか?まあいいことにしましょう。あつかましいのかもしれないんですけど。 思えば、歳は違っても同期入社。会社の話からユダヤの陰謀(!)まで。ビールとから揚げとポテトフライでいろいろな話をしましたね。神保町でも1、2を争う安い居酒屋に入ったはずなのにひとり6000円を越すほど飲んだこともありましたね。大学生じゃないんだからもうやめましょうね。って毎回言ってるんですけど。話題のジャンルといいジョッキの量といい、アホです。 みそぢなんだからこれからははやめにリーハイにしましょう。話題も、これからはプロ野球かなんかにしましょう。って、ふたりとも全然詳しくないのが不思議です。日本のサラリーマンにあるまじき姿です。いや、それでも困らないのが神保町ですね。 今日の挨拶でもどなたか友人が「ココロの内側をなかなかみせない」と言ってました。「みせないTがやすらぎの場をみつけた」という言い方がとてもいいなあと思って聞いてました。よっぽどこころをひらいたヒトにも気をつかい、場を盛り上げようとする姿。みているひとはみているものです。 今日も2人で動きづらいドレスであちこちの席をまわっていたのが「らしい」かんじでアタマがさがりました。あのドレスってお人形さんに1日なるためのものだと思うのですが、自分が主役の場でもホスト(幹事)スピリッツを忘れない姿。正月が一年の計だとしたら今日のような「新たな出発の場」もまたそうなんでしょうね。たまにはわがままでいいと思うのですが、できないのは損なのか得なのか。親心というか親切という点でガンガン飲ませて動けなくしてやればよかったのでしょうか。 モテナシのココロは十分伝わりましたよ。 こういうところNさんも似てますね。表現のしかたは違いますが。「つねに聞き役にまわるほうが多い」とも挨拶で言われてましたね。このへんも似ているかもしれません。またそれを気づいてくれるヒトが周囲にいるというのも人徳でしょう。宝です。 でもどこかで、ガス抜きをしないといけません。 知り合いのおばあさんで、ボケたとたんあらゆるかつての罵詈雑言を言いまくりはじめたという話を聞いたことがあります。どこがでつじつまというか収支のバランスをとるようになっているのだなあと変に感心した覚えがあります。 最後でおつりをかえす。いやな人生です。まわりにもいい迷惑です。精神的なローンは地道に返したほうがいいようです。でも大口でまとめて返すのもやめてくださいね。まさかそういうタイプではないでしょうが。 そういう意味でイイヒト同士が結婚。どうなるのか興味あります。ブラックTと裏Nが日々闘うことになるのでしょうか。はじめて紹介されたとき、言い争いをしていたので逆に安心したものです。自然でいられるっていいなあと。あれが裸の姿なんでしょう。だから「夫婦喧嘩はイヌもなんとか」というのかもしれませんね。面白いからどんどん見せてほしいものです(無責任)。 自分の言った放言がキーになったといわれてとても戸惑いました。そしてうれしかったです。「結婚すればナニかかわるとか夢をもっているヒトはしないほうがいい。なんもねーよと夢をもってないならナニかあるからしたほうがいい」 酒のむとヒトは哲学者になります。それもきわめて雄弁で無責任な。人生を左右するひとこと。たとえ社内恋愛を隠していたが故のリップサービスだとしてもなんか偉いことしてもーた、といううれしさがありました。ヒトは・・・じゃなかった。無責任なのはワタシです。でも、幸せそうで、なによりです。よかったよかった。 まずは乾杯。 結局、こんなに長くなってしまいました。といったら、「そんなことないです」とTくんはいうのでしょうね。 お幸せに。(♂)
2004年10月10日
明日は会社の同僚の結婚式である。 実は仏滅なのだが、挨拶するヒトはどうするんだろう。「このよき日に」とやっぱりいうんだろうか。まあ「私は皇紀で生活しているので」とか「イスラム暦で生活してます」とか避ける言い方はいくらでもあるのだが。 私もおっさんではあるがジジイではないのでとくにこだわりはない。ヘタすればハサミだってプレゼントしてもいいと思う。そもそも刃物がだめって、刃物業界にとっては営業妨害もいいところだ。 そういえば私の会社は4号室と9号室はない。せまい社屋でそんな手間かけてどうするよ。いっそのこと「four」とか「nine」とか書き換えれば?そのうえキリストにちなんで13とか避けはじめたらもうどうなんの。ジャイアンツの永久欠番じゃあるまいし。つかえる数字がなくなっちゃうよまったく。 仏滅とか大安は、諸葛孔明が出撃しない日、する日を考えて発明したらしい。「今日は大安だから、戦争したら絶対勝てるぞ!」「おお!」と士気を高めるためにつかったという。高校時代の歴史の教師が言っていたのでたぶんほんとうだろう。 で、いちおう検索エンジンをかけてみた。「六曜 由来」で調べたのだが、「中国の宋の時代の占いに由来して江戸時代に流行った」ということぐらいしかわからなかった。まあいい。脳内辞書には高校教師ソメイの定義にしておく。 こういうときに「敵にとっても大安じゃないんすかー」とツッコムやつはいなかったのだろうか。つっこんだら死刑か。通信販売で「これを買ったらモテモテ」っていう類へのツッコミでもあるが。フェロモン香水とかみんなつけたらどうなるの?みんなもてもて?独身の多い会社にばらまくか。 浦沢直樹「パイナップル・アーミー」で出撃に震える新兵にベテランが声をかけるシーンがある。「心配するな。今日は~曜日、ラッキーデイだ。オレが~した日は~曜日、オレの女房が~した日も何曜日だった。だからおまえは大丈夫」とかなんとか。新兵が入るたびにいうのだ。理屈じゃないんだろう。言い方とか言うタイミングでヒトに言われるとキク言葉はある。 だから明日の2人には、明日から1年に1回のラッキーデイになる。そう祈ろう。(♂)
2004年10月09日
帰り際、地下鉄のウーロン茶を買おうとしたら小銭がなかった。 苦手な眠眠打破を口にしながら、 残業。 みんなが楽しく飲んでいる金曜日に、 残業。 カップルが街角でチューしているのをむかつきながら、 残業。 コンビニによるのを終電がまにあわなくなるからと我慢して走るほど、 残業。 台風でイベントが中止になったのを泣き忘れようと、 残業。 請求書の処理をなんとかやっつけ、でっちあげて、 やっとたどりついた駅の自販機。 たったひとつのご褒美が、ささやかなご褒美が、小銭ごときに妨げられるとは。小銭ごときに。 「嗚呼っ」 それ以外なにがいえよう。 ・・・拳よ、熱く俺を語れ。たわば。(♂)
2004年10月08日
小さいながらもトラブル発生。得意先にトラブルの原因をきくも不明という答え。したがって営業にわかんねーよと答えたらボスにたしなめられる。 いわく。かれらがもとめているのはデータではない。安心感である。だからこの場合最悪発生しうる事故の規模がいかに小さいかを伝えろ。ほんとは営業がその機転を効かせるべきなんだけど、とも。 激しく同意。なんでもかんでも正直に答えるのは危険だ。痛くない腹まで探られる可能性がある。バカ正直に答える側は信用を誠意で買えるという錯覚があるが、買う側からいえば正直さよりバカさが目につくものだ。ウソはつかなくていいが、大切なのは伝え方である。 というわけで駄目報告書(先方提出用)の話を聞く。先日大きなトラブル発生の際現場のベテランに書かせたところとんでもないモノが出てきた。いわく、 A社製のマシンが駄目なため と書かれていたらしい。すんでのところで提出されなかったとか。出されていたら2次災害だったかもしれない。だれかいないのかよ「どう思われるか」考えるヤツ。ワシントンが木を斬ったとわざわざ名乗っても殴る父のほうが世間では多いのだ。 この答えにはいろいろと問題がある。ありすぎる。 まずA社の名誉の問題。 次に、同じ製品を使っている他社がうまくいってたらどうするのか。運用の能力を問われるだろう。 もうひとつは「じゃあなんで使っているんだ?」といわれたらどうするのか。体制そのものが問われて揺らぐことになるのだ。 どっちにしろ丸投げで他人のせいはいかんということだ。幼稚園で習うことだが。プロなら行間から読み取らさなくては(!)。 安心させるために伝えるべきメッセージはひとつ、「今回の事故はあくまで例外。こっちも驚いている。私も被害者」といいはる強さとずうずうしさ、あつかましさかもしれない。 もちろん「ずうずうしさ」をアシストするサポート体制も必要だ。応急措置と根本的な治療。これをやらなくてはただのうそつきになってしまう。 ボスはこうもいった。「まああんまり真面目にゴマカシをやりすぎると今度は三○○○○(企業名)みたいになっちゃうんだけどね」うーん、むずかしー。(♂)
2004年10月07日
会議が長いとお嘆きの方に朗報です。 長いのはぎすぎすした言い回しを避ける日本的な言い方が主な原因であることはみなさんもご承知のことかと思います。かといって西欧的な話術で場を尖らせるのは本意ではないでしょう。 あくまで交渉は和やかに、稟議は時間をかける。日本的な会議が今後も中心になっていくことは間違いありません。 それではいつまでたってもいまの苦痛から解放されないのか? というわけでまず会議が終る理由を考えてみました。つぎの3つがあげられます。 経済的・肉体的・精神的障害。 つまりこれ以上会議を続けるには苦痛であるという状況をうみだせばいいのです。3番目はすでに発生しているので省きます。 そこでおすすめするのが当社の開発したこのシステム。 まず参加者はボックスに入っていただきます。各ボックスにはマイクがついてます。 このマイクに「障害」を発生させるのです。障害の種類は選べます。 「経済」なら100円をいれないと喋れない設定になります。となればみんなもっと真剣に話すでしょう。労使交渉なら文字通り闘争資金が要ります。 「肉体」ならエアロマシンがついてます。ある距離を完走しないと発言できないとなれば発言にもっと責任をもつようになるでしょう。体育会系の再評価がされるいい機会です。 いずれのシステムもおたがい試練を共有することであらたな人間関係がうまれるかもしれません。 さあ!いまなら楽天価格で・・・以下略。むーん。(♂)
2004年10月06日
ある日の恋愛アホトーク。 友「Aってタイプ♀とBってタイプ♀がいてさあー迷ってんだよ」 私「(うらやましいぜ・・・じゃなかった、このケダモノが!)間をとってCタイプ♀探せば」 友「なんで」 私「おもしろいじゃん」 友「刺されるって!」 ・・・あのさー、自業自得って知ってる? さて本書。陸軍の法務官を勤める男が元彼女からその旦那(恋敵)の弁護を頼まれる。罪名は国家反逆罪。検察側は人海戦術と権力を行使して十分に準備を終え、マスコミにリークをしまくり、時間も証拠も世論の味方もない。そのうえ恋敵という因縁。三重苦四重苦の中「元彼女にいいところをみせたい」という無謀な試みのためにひきうけてしまう。やがて明らかになる真実とは? 第1作がコソボ/特殊部隊。第2作がソウル/同性愛者。と毎回アメリカのデリケートな舞台と設定をうまく探してくるなあと思っていたら今回も期待を裏切らず。ロシア/諜報界。うまい。絶妙。 陸軍という古い価値観。組織防衛の論理と弁護の任務の板ばさみになり精神的にも肉体的にもぼろぼろになる姿に涙。それでも失わない情熱と、逃げ場のない設定から反撃に出るタフさ。いつでも失わないユーモアがいい。正義のためなら手段を選ばないでたらめさもいい。 最終的に本人の手をすべりおちていく事件のスケール。なにものこらない徒労感。胴体着陸のようなラストにズンとくる。すべてを救わない「裁く」感じがリアル。世界にBESTはない。あるのはBETTERだけだ。 そういうわけで友よ。選べ。数発のビンタなら安いものだ←他人事。(♂)
2004年10月05日
目は正直だ。 口ほどになんとやら。というがほんとうにそうだと思う。ゆとりがなければなんとなくせばまる。視点がさがり、動きが鈍くなる。賢いやつはくるくるまわる目をもってたりする。テンパればつりあがる。迷えば定まらない。 声が細く小さいヤツにはひとこと言えばいい。目に力をいれろ!と。「笑いながら怒るヒト」というネタがあったが、目に力をいれたまま弱弱しく喋るのは不可能だ。声が出てないときは目に意識をもっていくといい。仲代達矢がああいう演技をするのもさもありなんと思う。竹中直人しかり。実際のボリュームではない。 声の「力」は目に出る。いや、目で出す。小声でだってすごむことはできる。サッカーの審判は絶対その技術があると思っている(偏見)。「次倒れたらレッドだぜオラア!」とか。コトバの通じないガイジンだってだいたい身振り手振りで通じるものだ。 役者は目だ。いや、男は目だ!といいきっていいだろう。芝居でにかぎらない。日常でもなにか説得しようと思えば目になにかが憑く。カルトにはまった人の目がイってしまうのもわかる。コントロールするナニカが目にでてしまうのだ。 だから、少し笑って、緩めて、まわりをみよう。疲れをにじみだすアウトプットだけでなくて、疲れてない顔からカラダへ戻してやろう。 たいしたことないことですぐにキャパが埋まる器の小さな自分に話し掛けてみる、残業の夜。 ・・・・にかっ←笑顔のつもり。(♂)
2004年10月04日
プー太郎時代の友人と飲みに行く。現在関西在住でカメラマンをやっている。横浜に出張ということでついでにアルコール摂取ということになる。 サッカー話から恋愛トークまで。罪のない話。仕事のグチも言わず、ただビールを飲む。出遭ったときは堂本光一似のサッカー青年だった彼も今年30と聞いてびっくり。「おやぢやん」即ツッコミ。って、オレはどうなんだか。 1年ぶりなんだけど、どうでもいい話ができるっていい。とりあえずこの1年を充実した生活を過ごせたのかなあと思ったりする。同窓会の類から縁が遠い生活をしているので、そんなときに自分の位置を確める。 よく同窓会で「かわらないねえ」という会話をするが、あれは違う。かわらない顔をさらす場が同窓会なのだ。ふだんは違う仮面をつけているのに、そのときだけは「あのころの」顔をする。ふだんの生活がうまくいってなければ「あのころの」顔をするのも後ろめたいはずだ。 「いまどこいる?」で待ち合わせて「じゃ、また」と去る。男のテキトーなつきあいで終わる日曜日。明るいうちからのビールが効いて、撃沈。(♂)
2004年10月03日
朝、クリーニングする服をまとめる。 もう冬服にぼちぼちかえねば。といいながらこの暑さはどうよ。もう10月は秋ではないのか。たしかに営業ではないのをいいことに12月ごろまでワイシャツ姿で走り回ってはいるが。個人的には夕方には汗くさい。だから着替えて帰っている。 じゃあいつが秋なのか。科学的見地か文学的見地によって違うだろう。「チューブがいなくなったら」とか「アルペンのCMが始まったら」とか。いまや四季は4コママンガにしか存在しないかもしれない。服だって秋物コレクションっていつから出てるんだ。アナウンサーだって七分袖着てるし。はきりしろ。すべてはエアコンがいかんのだ。あるいは温暖化か。逆に地球のどこかで「いつになったら冬があけるんだ!」と困っている地域があるのかもしれない。おお、視点がグローバルだ。なんもやってないけど。エコな人も嫌いだし。 先日沖縄について小林よしのりがSAPIOに書いているのを立ち読みした。文部省(当時)支給した教科書の気候に関する表現ががかつてはぜんぜん沖縄の実情にあわなかった。という笑い話。全国で統一しているからしょうがないといえばしょうがないが。 もっと教科書の指定を各自治体にまかせればいいのか。気候だったら北海道だってだいぶ違うだろう。歴史なら吉良上野介の扱いは栃木だけは違う。とか。各自治体で世界観が違えば、アイデンティティが土地にもっと帰属するかもしれない。とするといよいよ道州制も可能だろう。内需拡大か。Jリーグやプロ野球がいよいよホーム&アウェイのリアリティが出るかもしれない。大阪がてなもんや王国として独立するかもしれない。ってなんだよそのネーミング。 昼洗濯をする。パンやに行く。ついでにホームセンターへ園芸用品を見に行く。凄いなあ。品揃えが勝負のホームセンターにあわせて派手なコピーが並ぶ。「立ったまま草とりができる!」とか。「ギザがついているのでとれない草もばっちり!」とか。「NASAで開発された!」というのはさすがにないが。あれば買ったかもしれない。とにかく自己主張の強さに当てられる。小さいテコの原理を利用した草取りコテを購入。 ちまちま草取りをはじめる。新品なのでなんか楽しい。土をいじると引きこもりが治る。とか、あるアレルギー性の病気が治るとか聞いたことがある。治ると思ってやるのは哀しいかもしれない。治らなかったときはどうするんだそういう説を唱えるひとよ。土いじったら楽しい。それでなんか忘れられる。それだけでいいと思う。なんでもかんでも効用をもとめるのって貧しい。あのニセ温泉の数々でうたっていた効用で治ったひとって結構いたのではないのか。ニセだと判明したとたん再発したりして。 けっこういい汗をかいたので早めのシャワーを浴びる。父親は日曜になると速めにひとっ風呂浴びて笑点を観ていた。やってみて思った。早めの風呂は優越感がある。一日に句読点を打つようなヨロコビ。昨日CDTVで沖縄の人は飲み屋に行く前風呂に入るというネタを扱っていた。飲んだあとすぐ寝るためらしい。どんだけ飲むつもりだよ泡盛の人々よ。 そういうわけでお決まりのビールを飲む。こんな日があってもいい。もっと1日を早めに終わらせたほうが精神的にも肉体的にも豊かになりそうだ。休日だからといってついつい夜更かししてしまうのだけれど。ただ時間を延ばしても薄くなるだけだ。もっと濃い時間を作ろう。大人なんだから。 あーそろそろ米を洗わねば。らりらり。(♂)
2004年10月02日
電車にのったらぴちぴちリーマンOLに出会う。 ぴちぴちってぴちぴちしてないひとしかつかわないような気がする。そうでないひとは擬態語としてなんというのか。よれよれ?しゃばだば@矢沢永吉?まあいい。 満員電車なのでその輝きがうざったい。目をそらしてつり広告をみようとターゲットをさがす。あのつり広告って便利だ。どうでもいい見出しから勝手に内容を推理して時間をつぶせる。と思ったらヤンジャンのグラビアの宣伝「制服コレクション」って。女子高生の制服をジロジロみている30男ってどうなのか世間的には。ダメだろう。まだプロミスの井上和香の広告のほうがいい←その基準はなんだ。ファンか? というわけでしかたなく「ぴちぴち」な彼らの会話を聞いてないよという顔をして聞く。「えいぎょうってなにやんの?」あ、今日内定式か。ようするに彼らは来期の新入社員か。そういえば今日車に乗っていてやたら若いリーマン集団(新人は必ず群れる)をみかけるなあと思っていたが、納得。 聞いている分にはしっかりした2人で好印象。人によっては学生の方が口は立派だというかもしれないが。不景気は学生を鍛えるのかもしれない。もちろん不景気の海を泳ぎきることを最初から投げている人種も増えているのだろうが。って私もプー太郎をやったからなんともいえないけど。 入学式・入社式の時期もそうだがこの変わり目というやつ。気候だけでないせつなさがある。失ったもの。得たもの。得たものよりは喪失感のほうが大きいのが不思議。圧倒的に社会人生活のほうがたくさんのものをもらっているはずなのに。 そのころに戻りたいとはまったく思わないが、あのころの私にあげられるものならあげたいプレゼントがある。熨斗をつけて、リボンをかけて贈りたい。それは、目が覚めるような、 ・・・鉄拳一発。はやく目をさませ。(♂)
2004年10月01日
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