全31件 (31件中 1-31件目)
1
おせち料理準備にかみさんがばたついている間パン屋へ。 自転車をいじってたら隣の奥さんに挨拶されたので「雪降らないですねー」とか世間話←おお、大人だ俺。 スーパーへカマボコを買いに行く。ピンキリだな~と思いつつ一番安い伊達巻きとセットのやつをカゴへ。どっちにしてもふたりには多い。もっと小さいの出してくんないかなーメーカーさん。おままごとセットでいいよ。 ひきこもり用のパンを買い帰宅。 「踊る大捜査線」の再放送を観ながらかみさんのお手伝い。かわいいなあ深津絵里。軽く茸丼で昼食。ビールを一杯。 外には雪。凍えそうなので昼寝をして充電。5時にかみさんに雪が凍るからと起こされ重武装して外へ。 雪だるまをつくったらはやめにかたづくかと思ったのだが降りたてのほやほや(なんだその日本語)なのでかたまりゃしねえ。仕方なくスコップで雪掻き。近所の家から会話がきこえる。「なんか幻想的ねー♪」しかし容赦なく新雪を視覚的にも聴覚的にも汚す私。ぬぉぉ!と奇声をあげながら道の端によせる。そこで今日の妄想↓ 室伏広治の家は親子3人でハンマー投げの要領で雪掻きをしているらしい いや重いんだけど雪。へろへろしながら空き地へほおりこむ。「まじ雪重くね?」と筋肉痛の腕をさすりつつなぜか口調がバカそうな若者に。 熱い風呂で暖まりビール。サッシを半分だけ下ろして雪見。 年越しそばをすすりつつ紅白。しかしジョン・健・ヌッツォからモー娘までいっしょにでる企画って冷静に考えれば凄いね。幕の内弁当みたいだ。食あたりおこしそうだよふだんなら。テンポのいい演出はわりと好き。でも今日の妄想その2↓ 審査員のみなさんはあちらのNHK会長の写真に向けて思いをこめて紅白のカラーボールをブチあててください。それで勝敗がきまります ・・・もりあがるぜえ。 ギター侍とさだまさしに真のROCKスピリッツを、気志団にエンターテイメントをみる。そんな2004年の最後の日。(♂)
2004年12月31日
晴れたので窓を拭く。 ふだんふけない床の部分を無理やり拭く。個人情報はいりまくりのゴミをシュレッターマシンと化して処理。DMってこうも年間たくさん届くものなのね。雑誌も縛る。雑誌も年間こうもたくさん届くものなのね・・・って買ってるのはオレだ。来年は自粛せねば。毎年言ってるんだけど。 生活がふだんいっしょでないのでアホ話をしつつ家事。かみさんの職場の新人♀の業務連絡メモをみせられる。ある生徒が最近さぼりがちになっているということで問い合わせたところのその理由のメモである。 最近学校の授業がおごそかになっている ・・・身分の違いがあっていくのがつらいのか。それともBGMに東儀秀樹でも流れていて苦痛なのか。通われているのは学●院初等科(絶対違う)?・・・大丈夫か日本語。 最近の大学生が「憂う」の意味を「うれしい」だと思っているのが~割という報道があったが。試しに聞いてみたい。それと「日本とアメリカどっちが戦争勝ったか」知ってるか聞いてみたい。聞いてどうする。それでも試験を受けたら一般常識はむこうのほうがあったりするのだ。たぶん。新聞読もう。先日TVチャンピオンのニュース王選手権での小学生の博学ぶりにびびった矢先の話である。本を読めそこの若いの。 かみさんは31日の悪天候に備えて外出。私はチマチマとCD整理。水周りを洗う。隣の家が門柱を水でバシャバシャ洗っている。実家でもやったことないのでしばらく珍しそうに眺める。 夜、冷蔵庫の残り物でかんたんに夕食。「ザ・ベストテン2004」という恐ろしい番組を見る。 メジャーとマイナー。現役と半分引退。鮮やかなコントラストだ。生放送であるがゆえに「画になる」基準で拾われ、また切り捨てられる映像。カメラそのものの意思がみえる。また黒柳徹子の無自覚だか確信犯だかわからないツッコミ。「夜もヒッパレ」かよ!というテキトウな温い進行がまた年末気分。松田聖子がますます妖怪化←水木しげる先生もびっくりだ。かっこいいぜ吉川晃司。南野陽子歌うな今は。 食後WOWOWでBR(バトルロワイヤル)とBR2を鑑賞。えぐいプロットにびびって観なかったのだけれどついつい座ったらおもしろくてやめられなくなる。エグイはずなのに爽快。 藤原竜也のへたれなかっこよさがいい。殺すことへのおびえがリアル。沖田@新撰組みたいだ←ってこれをみてキャスティングか。脚本の設定をこえて人間のエゴを剥き出しにされる演出の“BR”とうわっつらの政治的メッセージだけでおさまってしまった感が強い“BR2”。完成度ならやっぱり圧倒的に前作だ。 映画としてはダメだが個人的に竹内力の無駄なリキみと津川雅彦のエキセントリックなかんじが気にいる。明日からしばらく起床時の気合入れはリキだ。「びーあーるつぅーーー!」血圧高いなこいつら絶対。 年末に座って映画なんて世間みたいな過ごし方しちゃったよ。(♂)
2004年12月30日
休みの初日ぐらいダメな人間ですごしたい。 いつも以上にダメっぷりを発揮したい。っていつも前日まで思いながら長期休みを迎えるのだが。 今日は萌える・・・じゃなかった燃えるゴミの最終日。起きるやいなやカレーパンを齧って庭掃除。しかも洗濯機はスイッチいれてるし。完璧。 と思ったら雪かよ。 降るのを無視して庭掃除。水分を吸って膨れ上がった雑草類をとにかくつめる。フィールドコートが霙(みぞれ)で濡れる。そういえば高校サッカー選手権の決勝が雪の日とかあったよなあ。たしか中田浩二と本山の出ていた試合だよなあ。控え選手はこんなかんじか。寒そうー。とバサバサ雪を払いながら脳のメモリーを垂れ流す。無事終了。 洗濯物を室内に干す。かみさんの厳重指導入る。とにかく洗濯干すのが苦手なのだ。好きこそモノのなんとやらというが、洗濯モノを干すのが好きなひとがうらやましい。「天使派リョウ」というマンガで「女は掃除や洗濯でナチュラルトリップできる生き物なんだよ」というセリフがでてきてそうなのかなーと思っていたがどうも同居人はそうらしい。わからんそのセンス。とこちらはもっかバッドトリップ中。にえー。 コーヒーを沸かす。パンを齧る。休日であることを思い出しふたたび布団へ。プロレス雑誌をだらだら読みながら寝るがふたたび用事を思い出し近くのホームセンターへ。 頭の寝癖を小野伸二のいるフェイエノールトのキャップでごまかし、雪かきでつかったフィールドコートで武装。手袋をはめて外出。 今日のトリビア「北海道のヒトは雪の日に傘をささない」 ・・・って、ここは関東だし。いくらなんでもミゾレは傘さすだろうさすがに。すでにだいぶ歩いていたのでそのまま目的地をめざす。バスが来たので飛び乗る。 雪かき用のスコップを購入。長靴もほしかったのだが27センチまでしかない。なぜ世界はそんなに大足に冷淡なんだ←ホームセンターのまん中で哀と叫ぶ。しかたなく撤退。 むきだしのスコップとスーパーの食材をもってバス停に立つとちょうどバスが。ラッキー。 と思いきやあけてくれない。もしやこのスコップが近所のヒトにみられているのか?と思いドアを叩く。ようやくあけてもらい車内へ。スコップもったサッカーチームのキャップをかぶった30代。どうみてもあやしい。しかもフードかぶってるし。 帰宅してさっそく雪かき。近所のこどもがつくった小さなゆきだるまがほほえましい。悪天候の中窓をふく主婦発見。おいおい意味あるのかそれ。 本日のメニューはけんちん汁。味の素のホームページで発見。食材を入力すると種類が出てくるスグレモノだ。しかしどうみても煮物だろう!というレシピに「けんちん汁」とある。メールでおしえてやろうかというおせっかいをしようとしたら「4日まで休みです」という画面が。まあいいや。こちらも今年の親切おさめということで。さあ米を洗おう。(♂)
2004年12月29日
なんだかんだと仕事おさめの日。 日本がクリスマスやらカボチャのバケモノの祭りやらちゃんぽんで各国のイベントをやろうが「挨拶回り」とか「仕事納め」とか商習慣はなくならないのは面白い。お国柄が出る。むしろ、これだけエアコンが発達した今日、こういうところにのみ季節感を感じる。 きっと伝統行事というやつは仕事の、大人の必然があってつくられ、守られていくのだ。「懐かしいかつての日本の風習」は農業国だったからこそ維持され、そしていま消えているのだろう。 たとえばこれからIT化がますます進むとしてそれにちなんだ行事ができるかもしれない。ってITの世界に季節があるとは思えんが。クリスマスにちなんだウィルスとか新年を狙ったウィルスとかはあるけれど。 早めに伝票を処理して午後から掃除。車を洗い蛍光灯を拭く。古いビルなのでうっかり電灯が人間の届く範囲にあるのがいまいましい。マイペットをいれたバケツでガシガシ埃をとる。 脚立もかぎられているので耐荷重を確認したうえでテーブルに乗る。高い。こんなところから飛び降りるなんてプロレスラーはすごい。いや、それを受け止めるプロレスラーがすごいのかもしれない。とどうでもいいことを思う。 というか他のやつはどこに行った。全員で天井やるってうちあわせしたやんけ。汚すぞおら。逃げたやつのライトだけ違う色で光っていたら面白いなあ。水玉柄にしとくか。ストライプもいいなあ。とブツブツいいながら蛍光灯をはずして拭く。 がしゃーん。どこかで割れる音がする。毎年一本割れるのってどうなのか経済的にも安全面でも。 あっという間に掃除終了。身の回りの不要な資料を一般配布。ボスといっしょに納会用の寿司をとりに神田の●●通り沿いの回転すしやへ←あーほんとは実名書きたいぜ。 4時30分という予約をしていったら持ち帰り客が並んでいる。予約してあるんですけどといったらおばはん 「2週間前から予約してある方にもまっていただいてるんです」って。逆切れかい。 あんた4時30分いうたやろ。時間聞いてそう答えたら守らんかい。あるいは予約の時点で何個までならできるよとか調節するとかあるだろう誠意が。なんか守るモンないとリピーター無くすでほんまに。なぜか関西弁。 ボスがいなければ返金してもらってケンタッキーでも行くのだが。しぶしぶ待つ。 結局私の職場周辺の回転すし屋でろくなのがないから強気らしいのだ。30分待たされてサービスもねえ。席座れといわれたぐらいだ。お茶ぐらいいれろよ。 こういうホスピタリティって自分がひどいことしてきたのを棚にあげて敏感である。自分も小劇場の片隅でデタラメをしてきた。あれもひどい世界だ。結構なカネをとるくせに客の精神的満足度は最悪でよしとしている。カウンターカルチャーとして劇場でないところに劇場をつくるという運動を起源としていることからそういうデタラメがまかりとおっているのだが。いま生き残っている劇団というのは「それってヘン」と気付いたところだけだろう。だからおばはん 気をつけなさいね。ほんとに。 ここで告知。 求む大手回転すし屋進出!@神田。 マーケットちょろいです。ま、これくらいなら楽天規定違反にはならんだろう。 ツマミがあんまりないところですまんのうと急いで会場にもっていったらみんな結構できあがっている。負けじとビールをぐびぐびおいつこうと飲む←って追いつかなくていいから。テキトウに注ぎにまわる。寿司はせめて食う。片付けをなぜか手伝って(ほんとは総務がやるのだろうが)外へ。 けろけろ氏と旅行好きの新人イヌ子といっしょに2次会。百年ぶりぐらいにグレープフルーツサワーを飲む。大学のときにおとこの飲み物ではない!ビールを飲め!と禁じられて以来いまだに飲むと軟弱だと思われるような気がする。 「社内の~はなぜもてるのか。その考察とこれからの進展、もしくは参考にすべき点について」「~はボーダーラインは35万円で許すらしい(なにを・・・ってなんだそのハンパな値段は)」という妄想と暴走につきあわせる。ありがとねふたりよ。 それでも8時。ブックオフで宇多田ヒカルのDVDを、本屋でよしながふみを購入。 かみさんと地元で待ち合わせて3次会。ソバ美味い~。(♂)
2004年12月28日
かみさんバースデイにつき鍋。 というか寒いので家に帰りたかった私の一方的な手抜きである。すまん妻よ←こういうときだけ妻とよぶ。プレゼントを忘れていたわけではなくてモノを増やすのがこの家では・・・(言い訳ぐちぐち)・・・・ごめんなさい(本気)。 せめて仕込みだけでもやる。白菜。水菜。ネギ。ざくざく切って皿に盛る。カセットコンロをひっぱりだす。ふだんならガス台でやってもりつけるのだが。ハレの日にせめて鍋を目の前で。 結局あじつけはかみさんで。最近流行りの豆乳鍋。浮いてきた脂をひきあげ湯葉としてポン酢で食う。うまい。もんじゃ焼きと並んで欲求不満になりそうな食べ物ではある。誰考えたんだか。アメリカ人なら絶対思いつかないだろう。 ビールを飲みながらだらだら食べる野菜の山が消えていく。ヘルシー料理だ。ビールさえ飲まなければ。 考えてみれば二人で過ごす誕生日もこれで●●回目。歳をとったという実感よりは過ぎ去った時間に驚く。それを歳をとるということなのかもしれないが。 そりゃあ渡辺美里がディナーショーやる時代なわけだ。 という妙な感心の仕方をしてみる。昔なら「ロックじゃない」というこだわりとともに絶対乗らなかった企画だ。そういうリキミがとれた本人と「まあええやんか」と寛容になった客がいる。やがていまの10代も小銭払って浜崎某のディナーショーを観る時代がくるのだろう。 とりあえずハッピーバースデー♪(♂)
2004年12月27日
朝洗濯物を干していると茨城の友人Oからメール。「有馬にて待つ」競馬場で風邪をひくのは間違いないので却下。どうせ夕方会うのだ。 母が町田に用があって途中寄るとの電話。2人で昼食。 メニューは和食(とろろご飯と刺身)+ビール。話題は親戚について。というかグチ。「『正しいヒト』が多いと疲れるね」という話。 元ネタは漫画「浮浪雲」で主人公がいう台詞である。世界が『正しくない』ヒトばっかりならおたがい「自分が悪い」と遠慮して穏やかに話がすすむのに。という意味だ。へらへら笑いつつビールを呑んでわれわれがいかに「正しくない」か言って笑う。みんな真面目すぎるんだよ、たぶん。不真面目ついでに嫁の誕生日に乾杯。ちなみに本人本日仕事。 奢ってもらったので食後の茶はこちらもち。紅茶の店へ。チャイがうまい。おかわりできるのがうれしい。その場で蜜柑の袋とかみさんへの誕生日プレゼントを受領。 母曰く先日亡くなった祖母も広島からブドウを担いで上京していたらしい。あのころ「わざわざ遠方から持ってくることないよ」といちいち断っていたのに自分も同じことをしてるよと苦笑する母。そんなエピソードが蘇るとなんだか悲しみが。死の実感ってそうやって生の実感とともにかみしめていくものなんだろう。 いちど帰宅。急いで床を拭いて洗濯物をとりこみバス停へ戻る。これから東京横断である。 夕方、小岩の中華料理屋で大学の同窓会。私を除いた4人は中山で運だめしの帰り。ひとり以外は負け戦。それぞれ好きなモノを頼むも決まりゃあしねえ←男ばっかりなのに。優柔不断にもほどがある。餃子春巻ピータンおこげ。結局なじみのものを食う。はぐはぐ。うまい。結構高級なのに親戚価格でいつもがっつりごちそうになる。 話題は思い出話とバカ話。「オレの役はおまえの役へのオマージュなんだよ」オ、オマージュっすか←衝撃の新事実。「竹内結子の映画連続上映ってやったら蘇りネタばっかりだよなあ」なんだか散漫に話がとぶ。 それにしても年々人数が減るなあ。というより10年近く続いているのを驚嘆すべきか。 仕事を終えたかみさんも合流。軽くスタンドで呑んで解散。 嗚呼充実年末。(♂)
2004年12月26日
今年最後の土曜日出勤。空いた電車でうとうとしすぎて寝過ごす。おかげで偏頭痛が治る。結局睡眠不足と長時間の運転による視神経の疲れか。まあこれで明日あそべる。 未処理伝票処理と新しい人を迎えるための席づくりのため朝からバタつく。 午前中届け物と打ち合わせで板橋へ。車をすっとばして2件、さっさとかたをつける。←ところで「かた」ってなに?たぶん今年はもうこないだろうからと軽く年末の挨拶。レモンティを貰う。あったけー。モノがというよりココロが。ほかほか。 はんぱな時間なので池袋のSAで昼食。生姜焼き。値段と内容があわねえなあと思いつつ食う。ふりかけが置いてあって好きに使っていいという発想はいいのだけれど肝心のブタが不味い。しっかりしろ特殊法人。以前食べた日本武道館の弁当と双璧。全国の特殊法人のメシの食べ歩きやったらたぶんコンビニ弁当が美味しく感じるだろう。一種の拷問だけど。 そういっている間にも電話がいろいろかかってくる。テキトウに返事をしていい部分と悪い部分を慎重にこなす。知ったかぶりして迷惑かけてもいけないし。経験を積んだいまこそかえって経験に溺れないようにせねば。 帰社後さっそくかたづけ開始。しかしこの前やめた男は辞め際も物理的に綺麗でないなあとあきれる。頼むからちゃんと全部捨ててやめろよ!以前私があげたカンビールとか置いてあるし。失礼な話だ。人にあげるとかあるだろう処理方法。ぷんすか。容赦なくゴミバコへ突っ込む。残すことで残存意思というか。どっか後ろ髪をひかれるような思いがあるのだろう。お逝きなさい(@釈由美子)。成仏してくれ。って殺してどうする。 課の新年会の予約をしろといわれて電話。いい店なのに値段がいいコースがあってそれに決める。肉と懐石どっちがいいですかというと間髪を入れず即「肉!」ってきみたち中学生かよ。 ついでにPCの移動などをやったおかげで今度は自分の席が目も当てられない状況になる。必死にかたづけて退社すると7時。オレ教の信者である私としては戒律のひとつに「土曜日はさっさと帰る」というのを持っているのだが。破戒してしまった。反省。 本屋で大槻ケンヂの新しい文庫を購入。ぱらぱらと読んだばっかりだけど歳をとったなオーケン。なんか文が硬い。いつもならもっとPOPなのに。まあ面白いからいんだけど。それとも病気の時期か。それとも病気が治ったから文が落ち着いているのか。どっちだろう。表現者としてはどっちがいいのだろう。 かみさんと待ち合わせてへぎそばとてんぷらで夕食。そういえば今日はクリスマス。昔なら無理やり反クリスマスのイベントとして和食を食っていただろうに。なんとなくぶらついて店をセレクト。大正琴のパフィーがBGMなのはいただけないが。麺がもっちり気合が入っていてうまい。モズクがやたら染みる。疲れてるのかなあ。 そういえば最近の発見。クリスマスって宗教行事なんだよな←なんだと思っていたんだオレよ。(♂)
2004年12月25日
(本日ひさびさにもんたま♀記す) 観劇日12月20日(水)14時 12時40分到着の時点で約40人の列。「立ち見希望の方は?」と案内された途端あっという間に10数人が別の列に。なんとか補助席にすべりこむ。1階最後列のパイプ椅子だけど8500円。しかし私コクーンで1階席ははじめてのような。座ってみたのもひさしぶり(苦笑)。ちなみに立ち見は1階3000円。2階2000円だ。客席にわれわれの世代ばかりが目につく理由もわかる。 客入れに郷ひろみ「男の子女の子」光GENJI「スターライト」少年隊「仮面舞踏会」CCB「Romanticが止まらない」・・・ってベッタベタな男性歌謡曲。客席はさぞツボおされまくりだろう(笑)。 さて感想。 腹筋善之介がちょこちょこ小賢しい動き。健在だなーと安心。リアル演技とは違うこういう芝居世界にあっているかも。 松村“カムカム”武がいい声をだしていたのが印象的。 中村勘太郎の「若い」かんじ、ダメっぽい感じがいい。最後のキレ具合が活きる。 小西真奈美が超かわええ♪声の出し方が違っていてこんな声もだせるんだと再発見。あと手足が圧倒的に長くて映える。特に役者で目を引いて「イイ!」と思えるのは、古田新太かな。「ワタシノ!」と所有権を主張する迫力は他を圧倒する。写真とかテレビとかでみるとデブのブサイクなおっさんなのに(つららさんごめん)、なんで舞台で見ると面白いんだろう。デッカイからかな。 あえて注文をつけるなら、 転換のキレが甘い。スピードそのものより「わーっ」という勢いがほしい。2つの世界を行ったり来たりする芝居だけにもたついているのがもったいない。 ひびのこづえの衣装が「向こう岸の世界」をうまくつくっていた。でも、一部役者の下着の線がはっきり見えていたのってどうよ?最後列からでもみえたぐらいだ。スタッフか、役者のどちらかでなんとかできないのかな。 その2点か。 パンフの冒頭、野田氏の前書き(若いころの作品による若い表現者への挑戦である云々)が今回の芝居のすべてを物語っているようだ。若い世代の表現者への一言がキツイ。劇中でも野田浅野両氏にむけて「50にもなって」とツッコんで笑いをとっていたが。年齢を超越した部分。本当に凄い。 結局いちばん面白いのは野田秀樹 というのは良し悪しだろう。表現者としてはともかく演出家としては不幸なのでは?2000円で見られれば、それはそれでよかったのかも(立ち見苦じゃないし)なんて思っちゃうのは贅沢?
2004年12月24日
実家にご機嫌伺いの電話。 2●年前に3ヶ月預かったアメリカ人留学生から手紙を貰ったらしい。しっかりとした日本語だったとか。内容は「コドモを連れて行くからあわないか」云々。びっくり。 よくホームステイの経験者が再訪したら歓待されたという話をするのを聞いてふーんむこうのひとはフランクやねえと思っていたが。かつて迎えた側にしてみればふたたび連絡をもらうというのはうれしいことなんだと思ったりする。生活が安定していればの話だが。 当時まだ日本語もおぼつかなかった自分がおっさんになっているように、彼女も迫力のあるおばはんになっているに違いない。あってみたい。あんまり小さかったので会話はまったく覚えていないのだが。 なんか遠かったなあ当時のアメリカ。「ジーンズを洗わない」というのに親がだいぶショックをうけていたものだ。ジョギングという言葉もたしかまだなじんでなかった。朝、部屋の外から“Get up!”とか言わされていた幼少のオレ。英語の発音は絶対当時のほうがいい。間違いない。かえってこいあの舌と耳。 あまりの寒さに震えながら洗濯モノを干して、床を拭いて、草取り開始。熊手でガリガリやってハッパが集まる。 焚き火したい。以前渡哲也が趣味を聞かれて「焚き火」と答えていたのをカッコイイと思っていたのだが、いつのまにかダイオキシンやらなんやらで世間的にはできなくなってしまった。それでもやっているのか哲也。それとも石原軍団の炊き出しでがまんしているのか哲也? 前の家は毎週バーベキューをやっているが。肉ならいいのか。ハッパはダメかよ!と難癖をつけてみる。それと通勤でとおりがかる家は風呂がマキだ。夜とおるとすす臭い。あれはいいのかよ!・・・とだれにいうともなくぶつぶつとハッパを集める。ビニールにつめてかたづける。 ふだんなら休日ついでに散歩しつつ買い物なのだが寒さでバスに乗る。軟弱。本屋で「犯罪交渉人峰岸英太郎」と「恋風」を入手。前者またせただけあって入魂の出来。踊る大捜査線の次回作の主役が真下なのはこれが元ネタか?後者はやっぱりこういう終わり方かよ。げんなり。ストイックに終わらせてほしかったのだが。説得力ないかいまの時代。恋愛モノですぐ寝るなよ!作家の力量次第なんだろうけど。 帰ったらコーヒーを飲もう。とパン屋へ。新商品のベーグルをさっそくチャレンジ。 今夜はシチューだ。シチューにも豆乳味があるとは!と早速購入。ほんとにこれシチューという言い方でいいのか。 夜、「猟奇的な彼女」をいまさら観ながらカンビール。そんな一日。(♂)
2004年12月23日
会社の近くをとおりがかったリーマンが大声で同僚と話している。「今度ボストンで会議だって?」 おお、トレンディドラマ(死語)みたいだ。「店名」でなければ。このオフィス街、たかだか数百メートル離れているだけでかたやボストンかたや埼玉県で会議。なんか不思議。自分がボストンに行く様子を想像してみる。まったく脳からデータがダウンロードされない。どこだよボストン。たしか学園都市だよな。 この時点で自分の脳内地図の狭さを感じる。やっぱり若いころに旅行はしておくものだ。演劇というインナートリップばっかりしていたおかげでまったく地理感覚がない。後悔はしていない。いまだに出不精だし。脳の広さだけしかわからない。 自分の仮説として、「具体的に想像できることは手の届く範囲にある」というのがある。仮説で終わらせず哲学にするほど強い自我はないのだが。だからボストンにいる自分が想像できなかった時点で自分とはいまのところ無縁なのだ。そう思う。根拠はないが。 だとすれば自分が何年かあとにどこにいてなにをやっているのか?それがいま描けるのか。悩む。積み重ねているものはあるのだが、私生活の部分でひらく大輪かというとどうもそういう種をまいているとは思えない。かといって不毛でもない。楽しかったりするし。 よくコドモに大きな夢をみなさいという。ほんとは大人こそがそういう能力がもとめられるのではないか。夢があれば、どんな困難ものりこえられる。ちょっとしたツマヅキも乗り越えられるかもしれない。一筋の光でだれもが生きている。 で、 「どこにいるオノレ」を想うよオレよ?(♂)
2004年12月22日
千葉の海沿いの富士額のドブネズミは世界に1匹だという。 コンピューター管理されたスケジュールで同時刻に2匹出現しないようにしているらしい。すごいよエンターテイメントにそこまでやるアメリカ人。その気の使い方を外交でもやってくれ。 コンピューターといえば、ふだんは軍事目的でつかわれているシステムでサンタがいまどこにいるかを表示するサービスをやっているとか。ココだからそういう遊び心を外交でもやれって。 ところで、サンタクロースって世界に一人なんだろうか。もしそうだとしたら世界中に配達するなら12月26日には出発しないと間に合わなくないか? 世界中に子どもが何人いるかわからないが、仮に4億人だとしても365で割ってもいくらよ?いちばんいい子にしているやつが25日に貰えるのか?言ってみればヨイコの格付ランキングか。それとも25日には選ばれた子供に配られるだけなのか。差別じゃん。 「サンタ1号2号っているんじゃないの?」とはけろ氏の弁。そういえば公認サンタっているらしい。あいつら以外は偽者か。たしかマン盆栽やってるパラダイス山元氏が日本の公認サンタだったような気がするが→こういう記憶だけある。うじゃうじゃいるサンタというのもどうなんだ。集会とか開くのか。あんまり集まったらレッズサポーターみたいだ。なんだそりゃ。 戦場ではどうしてるのか。煙突なければどうしているのか。それより1日何件まわるんだ。サガワやクロネコとどっちが早いのか。 「伊賀の末裔で投込むんじゃないの?」という説も。 貧しい家にがっしゃーん ・・・鼠小僧だろそれは。 「むう!これは!サンタの仕業に違いない!」と銭形のとっつぁんに言われるサンタ。あれだけ予告してちゃんと枕元に届けるとは大物だぜ。 ・・・正直サンタの正確な設定、よくわかんないです。あ、教えてくれなくてもいいですから。みなさんご存じ?(♂)
2004年12月21日
ただでさえ月曜日で調子がでないところで朝から重いミーティング。エンジンを暖める間もなく小さなミスを繰り返す。全部言い訳がきかない。自分にキレる。そういうところだけ「若者みたい」な自分がいやだ。 あんまりささくれるので車の中でマッドカプセルマーケットをフルボリュームで聴き首都高を走る。さっさときりあげて本屋をうろつくもあたりが悪い。 適当にキオスクで本書購入。大当たり。だいたいそういうものだ。宝はどうでもいいところに転がっている。 娘をなくした父のためにCGで娘の一生をつくってみせる息子の話。とか、小論文を教える教師と生徒のそれぞれの親への想いの話とか。生と死と夫婦と親子が描かれた短編。甘くなるまえに読み終わる短さがなかなか憎い。 こういう家族ものは弱い。いやあざといんだけど。いろいろと考える。自分が受けてきたことだとか、これからだれかにあげなければいけないことだとか。頭で考えることではないのだろうけど。 実際精神的な借金(日本語で恩というのか)はたくさんある。破産したほうがいいぐらいある。かえせるのかなあとか。かえせないまま歳をとっていくのかなあとか。みんなどうしているのだろう。ちゃんと孝行しているのか。他人はどうでもいいのだ。いや心配ではなくて参考意見だほしいのは。 という、立派な(?)動機ではなくて「夫婦ってどんなかなあ?」っていうのを知りたい。スケベ心かもしれない。「家族ってどんなかなあ?」でもいい。とにかく自分のまわりという小宇宙ではなくて、小説という想像力の世界でその疑問を少しでも解決したいのかもしれない。少しでも答えてくれる作品に出会うとうれしい。 鈴木光司、ただのマッチョかと思っていたが。いけるぜ短編。(♂)
2004年12月20日
なんとなくふとんの中ですごしていたらチャイムが鳴る。 隣りの方だ。実家でいただいたということでリンゴのおすそ分け。ぼっさぼさ頭ででながらつけたしのような笑顔で礼を言う。すみませんばっちくて。顔は洗っていたけれど。たぶんメガネをはずしたのびたくんみたいな顔だったに違いない。目が3の数字。 ふたたび布団へ。眠ろうと思えばいくらでも眠れるというところにカラダのガタを感じる。それともココロか。なるべくカラダと対話するようにはしているが、脂肪は無口だ。もっと喋ってくれればいいのに。 内臓はあっためて休めると休んだようなかんじがする。以前スケートの清水選手が食べ物を入れるとどこを移動中かわかるというすさまじい話をしていたが。そこまでいかなくていいから、ダメ人間だと警告してくれカラダよ。もしかしたら脂肪こそが雄弁な肉体の証なのかもしれないが。雄弁すぎるぜそれなら。 昨日おとといと芝居に行って「まだ感動できる」という低レベルなハードルにちょっと安心。両方ともいい作品だったのもあるけれど。 日常生活をおくっていてそういう娯楽に対する感性に錆びを感じることがある。だって、そういうのがなくてもすむんだもの生活って。潤いはなくなるけれど。 最近ある演劇人のブログで「みんながわかってくれない」というぼやきを読んだ。ありがちなぼやきをすることでその人はすでに終わっているのかもしれない。アーチストなら独創的なボヤキをしろよ。って独創的なボヤキってなんだ? 泣きたいときはコートで泣け♪ ということだ。 わかってくれなくても足を運んでくれるだけありがたいと思わなければダメだ。といまや足を運ぶ側になったから余計思う。「わかってくれない」ところからスタートしてどこまで近づけるのか。読んでいる分にはその方はわからせるというサービス精神をどこか軽蔑しているむきがあった。芸術か芸能か、と比べるのはおかしい。いいもんはいいのだ。 あなたが貧乏だろうが、こっちはカネ払ってるんだから。奉仕しろ。この論理こそ「わかってくれない」かもしれないが。 夕方買い物へ。住宅街をとおるとカレーとかラーメンとかおなじみの匂いがただよってくるとなんだか頬が緩む。いまだに少年はそんな匂いをたどって走って家路にむかうのだろうか。 そういうわけで 今夜はクサヤ(嘘)。 (♂)
2004年12月19日
女優EにDMを貰って新宿へ。 舞台は沖縄。第2次大戦中ガマ(沖縄の言葉で洞窟の意)で篭城を強いられる沖縄の人々の群像劇。題材が題材なだけにやる側も観る側も覚悟が要るであろう内容。と思ったが三線の音ではじまるイントロだけでもう、かつてのかの地に連れて行かれる。パンフをみるとわざわざ全員合宿したようだ。覚悟がみえる。痺れるぜ島唄。 中央高いところだけを唯一の出入り口としてすすむ物語。みあげて待つ人々。そこから漏れるあかりが時間と空気をつくる。 登場する兵隊が語る最前線のえぐい描写よりも、フツウの人のフツウの会話がやがて来る破滅を予感させて泣ける。けっして能天気なセリフがつづくわけではない。だが確実に自分たちの地続きの「フツウの人々」が語る生き様。リアルである。「戦争である」という実感が客席に伝わるのだ。 教師や兵隊など時代を語るために設定されたであろう役が喋るステレオタイプな「感想」よりもそこらへんのおばはんが語るなんでもない生活感情がリアルで突き刺さる。政治情勢の話よりもまず生きようとしてもがく様子がなによりも尊い。「語る」のは平和でないとできないことなのかもしれない。その場に自分と同じフツウの人がいた、という時間軸をこえた部分がいたい。 生き残った者がまた皮肉であり、観た後を重くする。生き残ることもまた地獄なのだ。以前遠藤周作氏がナチのユダヤ人の収容所で殺される順番を神父にかわってもらった男の話について同じことをいっていた。生き残ったとしてもやはりなにかを背負うのだろうと。 兵隊さん役は頑張っていたがやっぱり私には戦場は遠い。 もはや「プライベートライアン」でも「ブラックホークダウン」でも広島の原爆記念館でも驚かなくなってしまった、というのは私だけではないだろう。視覚は視覚でしかないのだ。 惨状そのものを伝える努力はもちろん大切である。ただ、それよりは愛し愛される者がとつぜんまきこまれる死。その単純な出来事をどういう意味か考えるほうが「遠くなった戦後」を嘆くより現代人の態度としては大切かもしれない。戦争の記憶がない以上。 今の時代それがいちばん難しいのかもしれないが。女優E前回の活動(♂)
2004年12月18日
女優ナカムラにDM貰って王子へ。 誰もいなくなったアパートに住むダメ男をめぐる物語。四方を客席に囲まれた畳の部屋を狂気と叙情と愛情が交差する。セックスとカネ。なぜか集まるダメ人間たち。キャラがたっていていい。役者がそろっていてプロデュースのセンスを感じさせた。 畳という素材をつかう劇団は多いが成功しているとはかぎらない。畳のもつ泥臭さと作品のもつドロドロした部分がうまくあって不思議な空間をつくりだしていた。なにを置いてもとっちらかった感じがするのも、激しいアクションに耐えられる素材という意味でも畳ならではか。 欲をいうなら。あまりにキ●ガ●いっぷりとキレ具合の見せ場がありすぎてときどき不感症になってしまったのが惜しい。おそらくラストを活かすためにそういう構成にしているのだろう。 おたがいのキャラがたっているのでもっと「フツウ」にしてリアルを追求しても十分それぞれの狂気が活かせるだろう。それぞれにナイフのように突然さらけだされるキ●ガ●っぷりが見たい。いまいちキレがない。このへんのヌルさがまた味でもあるのだが。 あとはいまどきめずらしくアクションにしてもダンスにしてもクドイところが評価のわかれるところか。もっとヤリニゲでいいと思うが。 演出がサービス精神旺盛。客席で四方を囲む舞台が閉塞感よりは客との一体感をだしていた。飛び交うモノ。飛び散るナニカ。これって狙いどおり?作品世界を考えると「逃げ場がない」見せ方を強調したほうがよりドロドロにできたような気がする。 助演のデブ氏とチビ氏のコンビでシリーズ化できそうな話。今後にも期待。ナカムラの前回の活動 (♂)
2004年12月17日
神田のイタ飯屋でワインを飲む。ぐびぐび。 メンツはArithmatix氏とけろけろ氏。名目は忘年会兼私の誕生日会。川島なお美もびっくりのペースで流し込む。このままではお笑い漫画道場に出たくなるかもしれない。あるいは古谷一行とヌードをみせたくなるかもしれない。なんだそりゃ。本日ポリフェノールばっちり。ところでポリフェノールってなに? テキトウな内装がまたイタ飯っぽくてよい。無理やり座らされたような座席もまた家庭的でよし。店員の気配りもまたなんとなく間が抜けていてよい。そんなところでひたすらバカ話。あっという間に3時間。はええ。 おたがい結婚しているからこそできる話がある。露骨な話とかそういう分野でなく、キリクチの話だ。家庭の重みというか。マジメなネタのときに返すリアクションがアホであってもマジメであってもなんとなく居心地がよい。名づけて結婚力というやつか。ガキにはわかるまいて。たぶんチョンガーがここにいたら説教くさく感じるのではないか。ほんとはただの「確認」でしかないのだが。 ああ、楽しい飲み会はなんで時間が短いのだろう。(♂)
2004年12月16日
会社でイヌっぽい社員がいる。女性だ。本人に言ってないからセクハラではないだろう。なんとなくばたばたいつも走っている。手にも肉球がありそうだ。願望だが。 ふと、「どこでもいっしょ」のキャラにいそうだなあと思う。脳内で喋らせてみる。「●●っておいしいの?」「違うのか・・・」おお、ぴったりはまる。 応用で他の社員でもやってみる。「演説好きのA」とか、「フィギュア好きのB」とか、「酒がないと家出するC」とか。おお、これもいそうだ。話し掛けてやらないとどっかいってしまうとか。 結論:人類はみなトロである ・・・って、うちの会社だけか?(♂)
2004年12月15日
明日会社でひとりやめる。同じ部署の人だ。 若い社員がというならよくある話だし、リストラの一環でというのもひところほどではないにしろよく聞く。どちらでもない4,50の男である。仕事ができるわけでもないし、むしろできない部類に入る。とびきりロマンに生きるわけでもない。なんとなく流されてやめるようだ。プチ鬱というやつか。 とにかくだれが聞いても理由がよくわからない。社長はシブチンだが例によってイイヒトなのでひきとめたという。それを振り切ってやめる。大丈夫か?といいたくなる。幸あれというか。たぶん幸はないだろうが。上司が自分より年下というのもきっと遠因にちがいない。 それで終わればいいのだがこの期におよんで定期代の返還を渋っている。渋ったって次の給料でさっぴけばいいのだし、そこでばたばた総務を煩わせるのもよくわからない。ほんとはやめたくなかったのだが口にだしていまさらへんなプライドがジャマしたのか。だったらやめるなよ。こっちが聞いている範囲では退職交渉は極秘裏に行われたのでだれも前言撤回してもわからなかったのに。 たのむから引き際の美学をみせてくれ。と思うのだけれど。 引き際というのは難しい。劇団の最終公演がだいたいダメダメだったりバンドの解散ツアーがヘロヘロなのと一緒である。人は自分の墓場をほれない。 会社に何人か残っている老人もそうだ。口では後継者といいながら多くはしがみついている。自分の上司もそうだった。口ではいつでも切られたら従うといいながらギリギリまで粘った。悪口になってしまうけど。 自分もやがてそういう立場になる。きっとやはり粘ってしまうのだろう。それは責任感の裏返しだったり仕事への自負の副産物のようなものだ。がっちりと足元を固めたからこそ、離そうとしてもなかなかこびりついたものが落ちない。 終わらせようとするから終われないのだ。次の道を決めればあっさり去れる。引き際というのはただ終わろうとする人には美しく飾れないものなのだろう。はじめないと終われないのだ。「はじめる」のは目標がないといけない。 夢みる力 それだけがあたしのとりえなの(中島みゆき) ・・・まだみる余裕がないけど。 どんな顔して会社を出て行くのか。明日みてみようと思う。自分と同じ中途採用。ここで何を得て去っていくのだろう。(♂)
2004年12月14日
同僚F(30代・子持ち)が話していた。「うちの子が犬ほしがってさあ。『おとーさんがバイク買うなら僕もサンタさんに犬お願いしようっ』昔兎を飼ったことがあって。半年で飽きるんだよ子供だから。結局俺が世話して、しまいには近所の保育園にあげたからさあ。もう絶対買ってやらないと思って言ったわけよ。『サンタさんはたくさんの子に配達しなきゃいけないから生き物は入れられないよ。犬が窒息しちゃうでしょ』」それで納得するわけ?「無理矢理(納得)させたよ」へー、まだ信じてるんだ?「前なんかけなげなもんだよ。かみさんに『パンと牛乳ある?』とか聞いてるんだよ。なんでだよ?って聞くと『サンタさんはあちこち配って疲れてるから食べてもらうんだ。』それで手紙つけて置いてあるんだよ、『なにがほしい』って」おー。「しかたないから俺が食べたよ夜中に(笑)」 いい話だ。 気配りが日本的でなんとなく間抜けなかんじが漂うが。 この同僚の子供だからこれはPUREさというより作戦を練った上での猿知恵かもしれないな。 とかうがった見方をしてしまう私は汚れている。 ゆあーん。ゆよーん。(♂)
2004年12月13日
実家に行く。 年末年始の予定があわないため一足先にご挨拶。って、ひとあしさきすぎるだろう。お歳暮ですぐ食べられるおいしそうなものをみつけてもって押しかける。ワインとビールをぐびぐびとビールペースで飲む。こういうのをブタに真珠というのだ。母がテレビでみた燻製をつくって披露。プチ豪華なかんじ。 ちゃんとテーブルクロスを掛ける。子供がいたらこういうことはできない。たちまちマチャアキの芸をやるだろう(偏見)。大人の宴はこういう手間でできている。グラスもちゃんといいのを出す。しあわせ。親孝行というより勝手な小旅行か。 実家を離れて●年になる。いつのまにか他人の町になっている。駅に降りたときの空気が違う。すすけたというか錆びれたというか。関東平野に吹く風がつくった風土。ここで自分が育ったのは間違いないのだが。懐かしいというほどの距離でもなく愛憎いりまじったかんじで見る。 中学、へたすれば高校までいっしょにすごした者同士が結婚したとか聞くと凄いなあと思う。街をでたくないのかなあとか。それぞれの生き方だが。べつになにがあったわけでもないが。自分はいつか出ていきたかった。そして出て行き、またこうしてたまに戻っている。「距離」としたらこんなもんだろう。親との関係みたいなもんだろうか。 さて本書。元高校球児の男が会社をやめて娘とともに実家に戻る。そこによぎるかつての苦い記憶。いたいけどいたくないような場所。故郷への東京人の想いをせつなさをもって描く。かなり王道な設定。お約束をもってすすむのだが細かな描写と捨てきれない想いが文学として成立させている。舞台が野球というのもまた卑怯なところか。 いつも応援にきていた名物ジジイ。マネージャー。都会と田舎。時間軸をそこで終わらせていればただの同窓会ネタではあるのだが、かつての野球といまどきの部活動をネタとしてとりいれることでリアルさというかたしかな痛みをもって読ませる。分断していたなにかをつなぐのもまた野球であるというところも憎い。 図らずも今日のシチュエーションにあった文庫を読了。ローカル線の長い時間をうまくつぶして終わる日曜日。(♂)
2004年12月12日
先週の社員旅行でへばっていたので半日休みをもらって退社。床屋へ行く。 店長に「地元の掲示板で『職人気質のいい床屋さん』ってだれか書き込みしていましたよ」といったら「あー聞きましたよ。それで来たお客さんがいたもんで」との答え。ネットは口コミ幻想で成り立っているようだ。 店長本人はPCをもってなくて携帯でみているらしい。「地元のクラブの掲示板に『監督のみいこうよ』とか書いてたら『スポーツに関係ないことを書くな』とか言われましたよ。それ以来あんまり書き込みしなくなりましたけどね」ともいう。「学校じゃないんだからそんなにマジメにやらんでもいいだろうにね」と笑う。ただ単にマジメというのではなくて誘われなくて寂しかったんじゃないですかね?と答える。 地元の掲示板の話になる。新しい町なので妙に熱いのはいいのだが、~のマンションの住人のバイクはうるさいとか、~の味はまずいとか管理人が削除しまくるほど荒れているのだ。この静かな街にどうやったらあんなにクログロとしたものがあるのか不思議。「世代的にPCユーザーが集まっているんじゃないですかね」ははあ。「でも大人がそんなんだとコドモがナイフふりまわすようになるんですよ」まあ鑑ですしね。 コドモが帰宅してきたのをつかまえて店長、「おかえり」と声かけて「ただいま」を言わせているのをほほえましくみる。親だ。 日本の子供が読解力がさがって計算能力はトップを維持という話題になる。店長、「いやー計算もだめでしょう。いま電卓つかっていいんですよ二桁計算なら学校で」え?「いまの教科書ってぺらぺらなんですよ。みたことあります?」いや。「A4で上下にわかれているんですけどもう空白ばっかり」落書きスペースですか。 「もう勉強は塾でやれとかそういう世界ですよ」そうなのか。「塾行く子と行かない子と二極化が進んでますよ」はあ。日本の未来は明るいぜ。それともこれもまた「サービスでできることは民間に」という小泉式の構造改革の一環なのか。塾がもうかるわけね。 ところでどうして床屋にいくと世間話をしてしまうのだろう。そしてそのどうでもいい情報交換が癒しというのか、世間の垢を落とすような気がするのはなぜだ。江戸時代の落語からの伝統なのか?それともたとえばアメリカ人もバーバーショップに行って「Hey!Tommy?いまのプレジデントじゃだめだぜステイツがつぶれちまう」とか言ってるんだろうか。 美容院じゃこういう話しないよな。1回しか行った事ないけど。女はともかくなにを話すんだろう男は。こういうのはどうだ↓ 今日の教訓: 美容院で会話がつづかなくなったらオヤヂのはじまり ・・・って、オレ最初から続かなかったんだけどね。(♂)
2004年12月11日
かみさんが職場で衝撃をうけて帰宅。 なにかって、カメラのフィルムをかえたことがない年下の同僚の存在である。年下といっても、大学卒業から数年という位置にいる子である。カメラ自体は父親がいじっているのを見ているのだが、触らせてはもらえなかったらしい。かわりに「カメラ体験」はなにかというと「写るんです」だったとか。 という衝撃をバイト君に話すとバイトくんもしばらく聞いて判明したのは同じ「カメラ環境」だとか。楽しいことがあっても雰囲気が残っていればいい。という視覚の思想がどうもこの世代の特徴だとか。構図とか、こういう「絵になる」発想そのものがないという。 ブルータス、おまえもか。という心境だったに違いない。 ではデジカメは?という話なのだがこれまた本格的なデータがないところで語るのもなんだがもっぱらの購買層はわれわれ貯金もなく日々消費するバブル世代というか小金持ちらしい。 この10数年の記録媒体の異常な発達がうんだのが結局写るんですのユーザーだとすれば皮肉である。 そして「絵になる」発想がない世代が視覚にかぎらず音楽であっても表現になんとなく脱力感を売りにするのは当然の流れといえよう。しかし日本映画といい古くは日本画といい「構図」を売りにしている伝統がなくなりつつあるとしたらどこにいくのだろう。もともとの伝統もどこで培われたかは不明ではあるのだが。不明だからこそ伝統とはいうのだけれど。 そして次の世代は携帯カメラを基準として育っていくのだろうか。いや批判とかではなくて。写真がそうなら絵やイラストはどう進化するのか? たとえば70年代に青春を過ごしたひとたちがなんだか劇画っぽいように(偏見)、視覚センスがどこに行きなにをうむのかというのは興味深いという話だ。とりあえず書き留めておくことにした。(♂)
2004年12月10日
あんまりボスが愚痴るので「商売商売」と言ったらにやりと笑って黙る。 この手の割り切りは親から学んだものだ。琴を教えている母は聖人君主でもなんでもないので気に入らないお弟子さんのことを「月謝のお客さん」と陰で言っている。プロなのでそれで手をぬくとかいうことはないのだが、ゼニだと思えば腹がたつことも減るというものだ。 ようするにカネをもらって腹が立つというより腹がたつからカネがもらえるというポジティブなほう(?)に転嫁すればすこしは報われるのだ。金額がみあうことはけっしてないだろうが。たまには見積もるのもいいかもしれない。「今日のオレのストレスは~円だな」とか。金額を考えているうちにストレスもおさまろうというものだ。って、考えているのを知られたくないが。 あなたにとっての1万円の怒りってなんですか?という問いは実存を問うだろうか。 カネのなにが悪いって、だれでももっていていつでもつかえるということだ。1万円の怒りがかくかくしかじかといったとして、みしらぬだれかが1万円をおしつけてなにかをやらかしたらその怒りはやっぱり見積もりをこえるだろう。 だから援助交際はいかんのだ。せめて地域振興券でやれ。ってそういう問題なのか。それより大何枚(@ナメダルマ親方)で売るのって安くねえかい?買うほうも買うほうだけど。 そのまんま、自分のリーマン生活について言い返されたらことばもないが。(♂)
2004年12月09日
舞台は第二次大戦末期、連合軍に降伏後のイタリア。敗色濃厚なドイツ軍が報復のため迫る。だれもが逃げ出す中、少年達は残り出会ったアメリカ兵の助けを借りてゲリラ戦を展開する。 うっかりB級活劇になるところをそこは「スリーパーズ」の作者、ただでは終らせない。 アメリカ兵とイタリア人との食生活などの会話から文化ギャップを、イタリア人の少年に裏切り者を設定することでイタリア人気質を描く(といったらイタリア人に怒られるか)。駆け引き、取引をするやりとりはまさにそれ。 台詞がとにかく粋。敵役のドイツ人指揮官の任務遂行だけを頭に置いた誇り高さもいい。 ラスト、戦争の現実をつきつける。結局は人が死ぬのだ。 それでも子供の生意気さ、たくましさがとにかく頼もしく爽快。育った町並みがみえるようだ。実際「ナポリの四日間」として市民が抵抗した史実がモデルだと聞くと驚愕。守らせたら強い国なのね、フットボールといっしょで。 ところでこれ、G.クルーニー主演/B.レビンソン監督で映画化するらしい。ERのロス先生とだぶるがこれからはアニキで売るのかいジョージ?なぜかタメグチ。(♂)
2004年12月08日
たくさん仕事がある週。 ほんとはカラダをかこむように端末をならべたい。前と後ろにおいてあっち行ったりこっち行ったりして仕事をすすめたい。 めざせ小室哲哉 っていつの時代だよ。輝いていたぜTMネットワーク←ああ歳がばれる。 ウィンドウをひらきまくればいいじゃん というかもしれないがそうではないのだ。あのかさばるビジュアルこそなんかかっこいい。バリバリ働いているかんじがするだろう?ってますます意味がわからない。 あんまり面会したくないのだ。書類整理でいっぱいいっぱい。ってもう無能の証明しまくりなのででっかい端末で囲んで面会謝絶したい。昔のSFみたいなコンピューターだとなお可。そういうわがままだったりする。 以前やたら自分が仕事をしているアピールをしているわりには手配漏れしまくっているやつをバカにしていたのだが、近親憎悪だったか。反省。 あと適度に動きながら仕事をしたいというのがある。だからコムロだよ。 やっぱり秘書募集。しつこい。 しかし昨今の流行るマンガはみんな2人組なのはなぜ?「不思議な力をもった片割れと力を補完しあって困難にたちむかう」ってのばっかり。そんなにつるみたいかよ。私はイヤだ。友達はほしいけど。 四六時中いっしょにいるのは夫婦だけでいいだろう。なぜ野郎といっしょにいつまでも旅をしたがる?やってみろって。かさばるから。北海道1ヶ月行ったやつが言っていた。しばらくすると友達でさえ会話がなくなるらしい。まあガッシュは好きだったりするのだけど←あ、言っちゃった。この件レスは不要。 まあないものねだりだったりするのだろう。つるみたくないけどつるみたい。絆というやつにあこがれるからあの設定になるのだろう。なんてね。また分析してみたりして。 いまは友情はいらん。処理能力をくれ。(♂)
2004年12月07日
母から電話。 正月は祖母の四十九日で広島に行くから遊びに来るなら12月にしなさいとのこと。嫁と相談すると返事。「こうみえても広島では『遺されたいい娘』をやりに行くのよ」と笑う母。話ついでに友人が唱える四十九日の説を教える。 家族がバタバタから解放されてふっと気がぬけないためにある制度なのではないか? というもの。そうかもしれないねと納得の様子。理屈じゃなくて本能的にそう決めたんだろうねと。 次兄も同行するらしい。あいかわらず期待しないところでいきなりいい仕事をする。7番バッターのような男だ。ほめてんだかけなしてんだか。 というのは昨日の話。 朝、おきぬけにフリーズする癖をなおそうと20分ほど歩く。歩いたのはいいのだが靴ズレが。なぜだ。いつも駅まで歩いているのに。足が痛い。しかたなくバスにのる。でぶー。 松尾スズキ「寝言サイズの断末魔」(扶桑社文庫)を読む。エッセーのテンションが高くてよい。この人高血圧らしい。なぜ面白い人は早死にする?ってまだ死んでないけど。 会社であちこち「おつかれー」と挨拶が。会社の飲み会とかイベントの次の日かわす挨拶ってこそばゆい。仕事でもないのに。それとも仕事なのか。たしかにかったるいけど。まあ今回のはたしかにお疲れなんだけど。滑舌悪いし。 あめんぼあかいなあいうえお いや口はどうでもいい。問題は脳味噌だ。請求書を間違えそうだ。ただでさえ伝票が多いのに。 秘書がほしい。この時期限定で。「ルパン三世」の不二子か「コブラ」の「レディ」みたいなの希望。明るい職場です。とブツブツ言ってたらArithmatix氏、「OL進化論」の社長秘書がいいなあ。 むー。うまい。じゃあモーニングつながりで「大使閣下の料理人」のジェニーがいいなあ。大食い好きだし。アレだし。てなにがなんだか。 それより秘書は実用性だ。いるではないか国民的英雄が。 ドラえも~ん! ・・・ところで猫型ロボットを導入して野比家はほんとうに幸せになっているのか。ますます無能になってないのか。それとものび太がアヤトリ好きという設定は脳の発達への伏線か。教えてセワシ。(♂)
2004年12月06日
本日最終日。って2日しか行ってないんだけど。 起きぬけに外をみると美しい風景。船と山と町並み。高低差の激しさが街をふくらみのあるものにみせている。もとはとれたかなと思いながら風呂へ。温泉ならなおいいのに。 朝食後自由行動ということで各自にお小遣いが支給。わーい。って積み立てが戻ってくるだけじゃん。というつまらないことは考えず素直に喜ぶことにしよう。 たとえば飲み屋で「あのママは水割りをつくってくれる」と感謝するか「あの女はジャバジャバいれてすこしでもボトルを減らそうとする」と考えるかで世界の広さが違うだろう。ということでよろこぶことにする。 駅までタクシーで分乗。ひとりでまわろうかなーどこにしようかと思ったら分乗したオジサンたちもとくにあてがなくてなんとなく同じグループに。オレはひとりになりたいんだ!とか思わなくなったのは大人かも。まあいいやかさばる人じゃないし。 ツアコンと化す。行く場所の基準は「絵になること」。自分はカメラを持たないが、行ったらおもしろいところといったらそれになるだろう。なぜカメラをもたないか。それは精密機械の扱いの悪さに絶対の自信があるからだ。って自信もつなよそんなことで。 まずは中華街だ。とにかく長崎は知名度のわりには小さい街で、のんびりしている。こっちが道をわたるのをもたもたしていてもみんなとまってくれる。路面電車に乗っていざ出発。横浜のそれとくらべると狭くて地味。昼にちゃんぽんを食べることにして、別のルートをめざす。唐人屋敷跡へ。 外国人が隔離されていた鎖国の時代につくられた豪華な屋敷の跡。レンガづくりの建物をだらだらとまわる。管理がテキトウでボロボロになっていていい味をだしている。花はあったので祀られているものだけは大切にされているようだ。 途中の魚屋の棟にネコがうろつく。「エサをやらないでください」とやたら書いてある。旅情につられてやってしまうのか。東京に比べると野性味のあるネコ。うまいサカナを食っているせいか。おじさんのひとりが月島みたいだなあとつぶやく。 オランダ坂には数々の外国の建物が残っている。坂とのマッチングがいい。「これで昼ご飯はうまいっすよ」とかいいながら急な坂を登った甲斐があるというものだ。近くの女子高生がまた坂のある風景に色を添える。なんか遠く来たよなあ。坂がいりくんでいて異国情緒をもりあげる。あとはキリスト教にちなんだ建物が多いせいか。 坂の上からみえた孔子廟。入場料金をついてきたおじさんにおごってもらう。ありがとう。建物をかこむように論語を彫った石と、五百羅漢のようにずらずら並ぶ孔子像。お香でトリップしつつ像を眺める。 そろそろ昼食時ということでまた路面電車にのって中華街に戻る。別のグループと偶然合流。せまっ。ハデハデの門構えのわりには入るとおもいっきり家庭的な中華料理屋なのがおかしい。貼られた色紙にバービーボーイズを発見(古い)。ちゃんぽんと餃子を頼んでビール。みためのこってり感と違って太くてさっぱり麺とコクのあるスープの組み合わせがぐー。ここでも別グループのボスにおごってもらう。 ああタカリ旅行。 そのまま「長崎でしか買えない」カステラをもとめて街をさまよう。宅急便を頼んだらブツより高くてびっくり。遠いよ九州。もともとどんなものでも東京で買えるのってどうなんだろう。食べ物に関してはもっとおたがい鎖国してもいいと思うのだが。 台風を心配して早めの便に替えて帰京。飛行機の中爆睡。フライトアテンダントが来ないなあと思って目がさめたらもう羽田。「おやすみにつきドリンクはおいてません。おめざめのときにお声をおかけください」云々。というシールが貼られていた。どんなに深く眠っていたんだか。 帰宅すると留守電に母からの歌が。「Happy Birthday To You~♪」そういえば昨日は誕生日。 そして明日は会社。ハードボイルドだぜリーマンは。(♂)
2004年12月05日
で、長崎にいる。 この季節にもかかわらず台風ってどうよそれ。土砂降りに追われてバスからダッシュ。ずぶ濡れになりながら平和祈念像をみる。だれもいなくて貸し切りでラッキーですねとはガイドさんの弁。いやべつに独占したくないんですけど。この天気の中歩く馬鹿。よっぽどの長崎好きにみえるだろう。ちなみにガイドは優香似だ←顔だけは。本日のプチラッキー。 原爆記念館をみる。ヒロシマのを観たのは小学生のとき。うっすらとした衝撃の記憶しかない。こちらは展示が少ない分工夫されていた。実際の模型をつかって何がおきたかを解説していたのはよかった。下手な子供の絵を置くよりは科学データをならべたほうがインパクト大だ。大きな声で訴えるよりも静かな怒りが長く伝わるだろう。そういえば祈念像の近くのみやげ物やの名前で「被爆者の店」というのがあった。実際に自活の手段だった時代もあったのだろう。後世に歴史を残すためにはいいのかもしれないが、商売としてはどうなんだろう。 そういうモノよりはガイドさんの歌に長崎の歴史をみる。説明は新人らしくただしく下手だ(?)が歌が染みる。なにを歌っても物悲しいメロディ。隠れキリシタンと原爆の被害。美声もあいまっていろいろと考える。声に深く根付いたなにかをみる。 雨に騒いでいるうちに(実はガイドさんがいちばんハイだった)グラバー邸を覗く。幕末の志士をかばった隠し部屋を見学。でもこいつ死の商人だろう。クライアントを保護しただけじゃん。とブツブツ言ってみる。なぜか見晴らしのいい場所にハートストーンなるハートのカタチの敷石があり触ると恋が成就するということでボスが独身をけしかける。だれが考えるんだかこういうの。コアラのマーチみたいなもんか。 そんなこんなでホテルへ。 夜は宴会。サカナうめー。(♂)
2004年12月04日
今日、同僚の道産男(営業/30代・独身)が一言。 「ワカメ酒うまいよなー香ばしくてさー」 ・・・ それを言うなら ヒレ酒だろ!それとも香ばしいんスかアレ。だいいちどこで飲めるんだ。 ! 営業部!? 配転願ださねばっ(ダッシュ) ・・・最近日記にシモネタ表現が多いとかみさんに怒られたばっかりなのにさっそく書いている。反抗期かオレよ。 明日が社員旅行だからハイなのだよ。 許せ妻。(♂)
2004年12月03日
「分析好きのABは黙って食え!森永ハイチュウ!」なんてCMがあったが分析好きである。分析しているうちに分析しすぎてどうもなにが大切だったか曖昧になってしまう。 ゆるぎない人生哲学があればただしく「間違えられる」のに。なんて思うことがある。とくに今回の団交でどうも人数あわせでいるような気がしてくる。っていいかげん愚痴るのはやめよう。今日で投票終わったし。あとはボーナスだ。 さて本書。70年代の北アイルランドを舞台にIRAのテロリストと誤認されて逮捕された少年が青年へと成長する獄中の物語。劣悪な環境と虐待の中、脱走を図る日々をブラックな笑いと捨てない誇りをもって描く。 憎しみが憎しみを産む負の連鎖。宗教を超越した憎悪がえぐい。ただ生きることだけをめざして悪戦苦闘する主人公。ピンチの中でおたがいかばいあう団結と自己犠牲の精神。侮辱から一歩もひかない誇りの高さ。隣りの国の緑のユニフォームのフットボールのようである。それは不思議な感動を呼ぶ。なぜかすがすがしいのだ。 成長する時間。おそらく重なるのはこの地域の緊張状態である。すごくいいというわけではないがすくなくともまえよりまともな時代生きる主人公。すさまじい虐待をかく一方でフツウの人々がところどころに現れることで光がさす。「いろいろいるよ人間には」といいたげな著者の視点がいい。IRAよりでもマスコミよりでもない、醒めた見方が強い。 どうしようもない状況下でもがく。陳腐だが青春としかいえないような世界。つぎつぎふりかかる虐待や困難にわくわく感がある。どうのりこえていくのか期待してしまう不思議さ。 ノアール物を期待したヒトには肩透かしかもしれないが、「もうひとつの視点」が好きな人にはおすすめ。主人公に面会にくる唯一の家族、祖母のニュートラルなありかた。卑怯とかぬるいとかいわれるかもしれないが尊い。中途半端だって徹底すればいい。 ほんとにニュートラルなんてありえないけど、大切なものを守るためになにをすべきか。それだけ考えるようにしよう・・・ってまたここでも分析しているわけだけど。(♂)
2004年12月02日
「じゃあおまえやってみろ」とは大人の世界では有効なツッコミである。 あらゆるガキの戯言を凌駕する。生意気な理想を語る奴にいえばいい。だいたいは黙るだろう。一部は反論する。ちゃんと場が与えられればできると。それは昔の私だ。だせー。 団交が終り油断しまくりの役員のやりとりを聞いてふと相手の立場になってみる。おなじことを言われたらどうしよう。言わないだろうが。 いまのキャリア&哲学であればやはり同じように菓子食ってご機嫌だったりするのだろうか。同情ではなくて自戒である。 すこしはそういうしょうもない結果をふがいないとか思わないのか。思わないのだろうな。敗戦処理でそんなにうれしいか。うれしいのだろう。レベル低っ。 自分の美学をもちたい。そして老人力に勝てる説得力をもちたい。 いまはなにもない。夢はない。カネはない。理想は少しあるけど。なんて。 出世はいいけどカネはほしい。 ちなみに蜷川幸雄はこう反論するらしい。「ぼくはできないけどきみならできるだろう」なるほどうまい。 でもできるなら同じ土俵にのりたいものだ。 なにが腹たつって自分が腹たたないことだ。組合をやると会社がわかるとはいわれてしぶしぶ引き受けはしたものの達感諦感ばかりすすんでいく。これが「会社がわかる」ということならわからないほうがよくないか? なんとなく病人にむちうつかんじがするのだ。そう思われてていいのか役員?・・・いいんだろうなたぶん。はあ(溜め息)。腹でも切れ!(♂)
2004年12月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()

